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銅像空間の歴史地理学 ─ホーチミン像を事例として─

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pp. 83-90.

銅像空間の歴史地理学

─ホーチミン像を事例として─

The Historical Geography of Ho Chi Minh’s Bronze Sculpture and its Space

大 塚 直 樹*

OTSUKA, Naoki

Abstract: Aging becomes a serious issue in Japan now. Especially in the local area, the popula- tion is aging rapidly. Mimasaka City, Okayama Prefecture, which locates about 500 kilometers west of Tokyo, is one of such region. In the face of labor shortages, Mimasaka City is gradually dependent on foreign workforce, mainly Vietnamese people. Based on evaluation of routine in- teraction with Mimasaka City, including from labor export to cultural exchange, the Vietnam- ese Government donated a bronze sculpture of Ho Chi Minh to the City. The aim of this paper is to describe this event, namely donating bronze sculpture, in historical and geographical cir- cumstance. In summary, it becomes clear that the meaning of display space is able to grasp be- ing discovered through not only the root and/or originality of sculpture itself, but also the social and historical condition of its placeness. Because the evaluation of bronze statue and its space based on the memories and life stories of people involved, after that image of bronze sculpture created collective.

Key words: ホーチミン像(Ho Chi Minhs bronze sculpture),展示空間(display space),ベトナ ム戦争(Vietnam war),歴史地理学(historical geography),外国人労働者の受け入 れ(acceptance of foreign labor

* 立教大学観光学部・兼任講師(亜細亜大学国際関係学部・准教授)

Ⅰ はじめに

Ⅱ 美作市の概要とベトナムとの交流

Ⅲ ベトナム戦争とその正義

Ⅳ 銅像の展示空間と公共空間

Ⅴ むすびにかえて

Ⅰ はじめに

日本政府観光局の統計によると,2018年5月に 日本を訪れたベトナム人は,28,200人で前年同月 比27.5%増,同年1月からの累計では135,261人

(同21.8%増)となっている1).また,同局のホー

ムページには,ビジットジャパンキャンペーン実 施本部が設置された2003年以降の訪日外客数が 掲載されている.これをみると,2003年に日本 を訪れたベトナム人は年間で17,094人であった2) 2017年にはベトナムから308,898人が日本を訪問 している.したがって,ここ十数年の間にベトナ ムから来訪者は約18倍に増加している.

さらに2003年から2017年までの訪日者数の推 移をみると(表1参照),2013年および2014年に 急速に増加していることがわかる.2013年には 8.4万人(前年比53%増),2014年には12.4万人

(同47%)になっている.その後も訪日ベトナム

(2)

人数は増加し続け,2015年には18.5万人,2016 年には23.4万人,2017年には30.9万人となった.

つまり実数ならびに増加率でみると近年(ここ 5-6年間),ベトナムからの訪日者が急増している.

こうした背景には,先にあげたビジットジャパ ンキャンペーンとの関連で「ベトナム国民に対す るビザの大幅緩和」があげられよう.一例として,

2014年6月17日の観光立国推進閣僚会議におい て「訪日客増加に大きな効果の見込まれるインド ネシア,フィリピン及びベトナムに対して…(中 略)…当面の措置として,以下の戦略的ビザ要件 の緩和を行う」3)ことが発表された点を指摘でき る.

加えて,日本における労働力不足を補うために,

積極的に外国人を外国人技能実習制度や研修生な どさまざまな形で受け入れ始めたことも看過でき ない.とくに過疎化が進展する地方においては,

こうした傾向が顕著である.岡山県美作市も積極 的に外国人労働者を受け入れている地域の一つで ある.美作市は,労働力確保を含めベトナムと文 化・教育・経済などの分野で積極的に交流を進め ている.文化交流の一環として,2017年10月に

ベトナム政府から故ホーチミンの銅像が寄贈され た.寄贈されたこの銅像の展示をめぐり,展示主 体である美作市を含め賛否両論がみられた.

本稿では,銅像空間の構築プロセスを分析する ことで,文化交流をめぐる相互作用の諸相を考察 する.ここでいう銅像空間とは,後述するように 当該展示が“Vietnam Ho Chi Minh Space”と謳 われていることに由来するだけでなく,銅像の設 置だけでなくその布置構成を把握し,展示空間の 創られ方と政治化の可能性を詳らかにすることを 含意している.あわせて今後の研究に向けた着眼 点を提示する.

Ⅱ 美作市の概要とベトナムとの交流 美作市は岡山県の北東部に位置する.同市の公 式ホームページによれば,面積約430平方キロ メ ー ル,2018年9月30日 現 在, 人 口27,894人,

12,365世帯になっている4).また,2015年の国勢 調査の結果における,65歳以上の人口が総人口 に占める割合を示す高齢化率をみると,美作市の それは38.9パーセントになっている.1990年の 国勢調査では23.4パーセントであったことから,

美作市では,ここ25年間に約15パーセント増加 していることになる.また,2015年9月の全国の 高齢化率をみると約27パーセントであり,美作 市の高齢化率は全国平均を10パーセント上回っ ていることがわかる5)

こうした社会状況のなかで,美作市では労働力 確保を目的としてベトナム人を受け入れてきた.

同市のホームページでは「美作市では,少子高齢 化等の影響により人口の減少が著しい中,外国人 の人口は年々増加傾向にあり,その中でもベトナ ム人の人口が増加している状況です.この状況に 鑑み,美作市では,在市ベトナム人が安心して暮 らせるまちづくりの構築や文化・教育・観光等に おいて交流を図ることにより,更なるベトナム人 の定住化や観光客の増加を目的に,ベトナム交流 事業を推進しています.」と掲載されている6)

表2に美作市とベトナムとの交流事業の概要を まとめた.まず注目されるのは,2015年4月の国 立ダナン大学と協定であろう.協定では,相互の 表 1 訪日ベトナム人数の推移と増加率

総 数 増加率

2003年 17,094 2004年 19,056 11.5% 2005年 22,138 16.2% 2006年 25,637 15.8% 2007年 31,909 24.5% 2008年 34,794 9.0% 2009年 34,221 -1.6% 2010年 41,862 22.3% 2011年 41,048 -1.9% 2012年 55,156 34.4% 2013年 84,469 53.1% 2014年 124,266 47.1% 2015年 185,395 49.2% 2016年 233,763 26.1% 2017年 308,898 32.1% 出典:日本政府観光局,国籍/月別訪日外客数(2003年〜

2018年)<https://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/since2003_

tourists.pdf>.

(3)

人材交流や講演会をおこなうことを定めている.

協定締結後,美作市役所にダナン大学卒業生を嘱 託職員として採用し,ダナン大学へ嘱託職員日本 語教師を派遣している.また,同年8月には,み まさか商工会が技能実習生派遣機関と事業協定を 締結した.ホームページには「更なるベトナム技 能実習生の受け入れ体制の強化を」とあることか ら,以前から同市へベトナム人が流入しつつあっ た状況を,2015年になって地方行政側が積極的 にバックアップしていったことがうかがえる.こ のような相互交流の実績がベトナム政府に評価さ れ,2017年10月に美作市にホーチミン像が寄贈 され,翌11月には贈呈式典が開催された.

一連の動向のなかで,地元美作市だけでなく,

一部の在日ベトナム人からもホーチミン像設置に 対する異論がみられた.『産経新聞』によれば,

一部の美作市議らが「外国の一政治家の像を公的 な場所に設置することは,他国との交流事業に支 障をきたすのではないか」として,設置に反対す る申し入れ書を市民ら約2,000人の署名を添えて 市長に提出した.2018年4月には元難民を含む在 日ベトナム人らでつくる「日本在住ベトナム人協 会」(東京)が「公共の文化空間は,一般市民ら に認められる普遍的価値を有する芸術作品のみの 設置がふさわしい」として,市長に像の撤去を求

める請願書を提出した.これに対して,市側は

「(ホー・チ・ミン<ママ>が同国で芸術家として も評価されていることを踏まえ)作詞など文学的 にも秀でた芸術家の像として受け取る」「観光客 増加やベトナムからの視察などが見込まれ,(像 の設置で)国内外へ向けPRを強化する」とコメ ントしたという7)

ここには故ホーチミンの歴史的な評価をめぐる 認識の位相のズレがみてとれる.すなわちホーチ ミンが指導したといわれるベトナム戦争をどのよ うに捉え,後年のホーチミンをどのように評価す るのかにより,文化交流事業の政治化という状況 が発生したとも言い換えられる.

Ⅲ ベトナム戦争とその正義

前述のように,地方行政が文化交流の一環と考 えた銅像展示が政治化した背景には,ベトナム戦 争の存在が大きな位置を占める.以下では,ベト ナム戦争を正義というキーワードから整理し,本 稿の考察に対する補助線を引く8)

周知のように,ベトナム戦争は旧宗主国である フランスのベトナムへの再侵略を前史とする.そ の後,フランスによるベトナムの再植民地化政策 は,冷戦構造下の世界秩序のなかで共産主義・資 本主義の両陣営を巻き込んだ戦争に展開してゆく.

ここでは,ベトナム戦争を三つの正義の視点から 整理する9)

正義1:南北に分断されたベトナム社会を統一 しようと望む人びとを指す.この勢力は,フラン スと日本の侵略に対抗して1941年に組織された ベトミン(ベトナム独立同盟)を主体とする.

1945年9月に独立宣言をしたベトナム民主共和国 は,フランスの再植民地化に対して,第一次イン ドシナ戦争を戦うことになった.1954年のディ エンビエンフーの戦いにおけるベトミン側の勝利 を経て,ジュネーブ協定が締結された.この協定 は,北緯17度線ベンハイ河を暫定軍事境界線と して,300日以内にベトミン側が以北に,フラン ス(・バオダイ)軍側が以南に集結することを定 めた.さらに2年後の1956年に全土統一選挙が実 施されることが謳われた.

表 2 美作市とベトナムの交流事業概要

出来事

2015 4 ダナン大学と協定「相互の協力に関する 協定」を締結

8 みまさか商工会が技能実習生派遣機関

TTLC社)と事業協定を締結 2016 4 美作日越友好協会を設立(官民一体)

8 ブー・ビン大使を団長としたベトナム代 表団が訪問.ホーチミンの写真と書籍を 寄贈

2017 10 ホーチミン像寄贈.美作市への寄贈が日 本初,世界で18カ国目

11 ホーチミン像贈呈式を開催

2018 5 ホーチミン生誕128周年記念式典の開催 出典:現地調査ならびに「ベトナムとの交流」美作市ホー ムページ<http://www.city.mimasaka.lg.jp/soshiki/kikaku/

eigyo/1479781338101.html>.

(4)

これに対して,ベトナム南部では,1955年に アメリカの支援を受けたゴディンジェム(Ngo

Dinh Diem)を大統領とするベトナム共和国がつ

くられ,北緯17度線の国境化を画策した.17度 線の国境化の動きに対して,北部に終結したベト ミンを中心とする勢力は南北を統一することを目 的としたキャンペーンを展開してゆく.加えて,

1960年には南ベトナム解放民族戦線が結成され,

南部における正義1の主体となった.

ここでは詳述しないが,ベトナム民主共和国

(北の正義1)と解放戦線(南の正義1)は必ずし も一枚岩であったわけではない.同時に解放戦線 は,戦争当時に第三者から指摘されたような南部 の人びとが自主的に組織した独自勢力であったわ けでもない.

正義2:アジア地域の共産主義化を阻止するこ とを目的としたアメリカが主体となった.1949 年の中華人民共和国の成立,朝鮮戦争,中国にお ける国民党と共産党の争いなど,アジア諸国にみ られた共産主義化の動きに対して,アメリカは,

資本主義国のリーダーとしてドミノ理論のもと,

アジア諸国の戦争・紛争に介入していた.

ベトナムでは,南ベトナム解放民族戦線が結成 されたことを契機として,ケネディ大統領がベト ナムへ軍事顧問団を派遣した.ここからアメリカ の軍事介入が始まった.以後,アメリカは,先に 述べたようにベトナム共和国を支援し,D・ハル バスタムの著作のことばを借りれば「ベトナムの 泥沼」に引き込まれていった10).1965年には,

ジョンソン大統領によって,いわゆる北爆が開始 され,さらにアメリカ海兵隊の派遣が決定され,

本格的に参戦した.1973年1月にパリ和平協定が 締結され,同年3月にアメリカ軍はベトナムから 撤退した.

正義1にとっては,アメリカ主体の正義2が主 たる敵であった.実際,正義1のベトナムではベ ト ナ ム 戦 争 を「 救 国 抗 米 戦 争chien tranh quu

qouc chong My」と呼ぶ.この名付けに正義1の

政治的思想が現れている.

正義3:前述のベトナム共和国建国を端緒とし て,ベトナム南部の独立を望むベトナムの人びと を指す.正義3には,ジュネーブ協定の後に共産

主義側からの弾圧を恐れて,北部から南部へと移 住した人びとも含まれる.アメリカの支援を受け た正義3は,ベトナム南・北の正義1との戦争を 展開した.その後,ジュネーブ協定が締結されア メリカ軍が撤退し,「ベトナム戦争のベトナム化」

によって全面的に正義1と対峙した.アメリカの 後ろ盾が間接的となり弱体化した正義3は,1975 年のベトナム人民軍の春季攻勢(ホーチミン作 戦)によって,次つぎと拠点を失った.1975年4 月30日に当時のベトナム共和国の首都サイゴン を明け渡すことになった.

正義3は,特権的な立場にあった人びとを中心 に1975年4月30日前後からアメリカへ亡命し始 め,その後もいわゆるボートピープルと呼ばれる 難民としてベトナムを去り,アメリカ,オースト ラリア,フランスなど各地へ亡命した.すべての 人びとがベトナムを後にしたわけではないものの,

すくなくとも正義3は,1976年に成立したベトナ ム社会主義共和国のなかで正義ではなくなった.

以上のように,正義1と正義3では,現行のベ トナムの政治体制に対する立場が大きく異なる.

この認識のズレがホーチミン像展示をめぐる議論 を誘引した.すなわち,ホーチミンの存在は,正 義1にとって現在のベトナムの政治体制に正統性 を付与するとともに「建国の父」として当該社会 のルーツをなすのに対して,正義3にとって対極 に位置する.

Ⅳ 銅像の展示空間と公共空間

美作市に寄贈されたホーチミン像(座像)は,

作東文化芸術センターに設置されている.同館の 1階には作東図書館と学習センターがあり,2階 には作東美術館が入っている.ホーチミン像は,

建物を入って左側,案内図にラウンジと記された 空間に位置する(写真1).像に向かって右手(入 り口側)には,Vietnam Ho Chi Minh Spaceと書 かれた看板が立てられている.さらに隣接して,

「ホーチミン主席生誕100周年に関するユネスコ 総会決議」 なる文章(第24C/18 65 1987年)

が日本語と英語で掲載されている.この決議でユ ネスコは,加盟国に対して,ホーチミンのベトナ

(5)

写真 2 側面からみたホーチミン像.

竹製の椅子に腰かけている

(2018 年 6 月撮影).

写真 1 正面からみたホーチミン像.左右にベトナム・

日本の旗.右手にはユネスコ総会決議のパネルがある

(2018 年 6 月撮影).

写真 4 右手にメガネ,左手に新聞をもっている.

紙面からは Nhan Dan(人民の意)の文字が読み取れる

(2018 年 6 月撮影).

写真 3 ホーチミン像の表情.

写真 6(ホーチミン博物館の像)と比較して  若い時代と考えられる(2018 年 6 月撮影).

写真 5 ホーチミン市人民委員会前の ホーチミン像.直立し,右手をあげている

(2016 年 1 月撮影).

写真 6 ホーチミン博物館分館(ホーチミン市)の ホーチミン像.同博物館の像は美作市寄贈のそれに 類似する.写真右は合掌する参観者(2017 年 5 月撮影).

(6)

ム民族解放への貢献,文化・教育・芸術への貢献 に鑑み,生誕100周年記念事業に参加するように 勧告した.ここから,前者(ベトナム民族の解 放)の側面からみると政治家,後者(文化・教 育・芸術分野での貢献)からみると文化人と捉え うる.

『産経新聞』によれば,台座を含めた高さ約 190センチメートル,幅約90センチメートル,奥 行き約120センチメートルとされる11).この像は,

タケのイスに座った状態で,右手にめがねをもち,

左手に新聞(Nhan Dan)をもっている.足下は サンダル履きで,初老期の,表情がやや硬めの像 である(写真2・3・4).また2018年6月の調査 時点では,銅像の右(入り口側)に日本の旗,左 にベトナムの旗が掲揚されていた.その他,像の 左右にはホーチミン関連の書籍・肖像画などが置 かれている.

近現代の歴史上の人物のなかで,教育者や学者,

芸術家の像は,物憂げな表情で座っていることが 多く,直立して右手をあげた像は,運動家や政治 家の場合に多くみられるという12).先にみたよう に,ホーチミンは,民族解放,文化・教育・芸術 の側面から評価を受けている.したがって,直立 パターンと座したそれの二つの銅像が存在する可 能性をもつ.

実際,ホーチミン市第1区のグエンフエ通りに は,かつて座して子どもを抱えるホーチミン像

Tuong dai Bac Ho voi thieu nhi/子どもと一緒 のホーおじさん像)が設置されていた.2014年

〜2015年にかけておこなわれたグエンフエ通り の改修工事にあわせて,この銅像が直立して右手 をあげるホーチミン像に据え換えられた(写真 5).したがってグエンフエ通りのホーチミン像の 建て替えは,「子どもが好きなホーおじさん(Bac Ho)」から「革命指導家であり建国の父である ホーチミン主席」への表象の変化とも捉えうる13)

再び美作市のホーチミン像に目を転ずると,座 像であることから,どちらかといえば文化人とし ての側面が強調されていると推察しうる.した がって,美作市に展示された座して新聞を読む ホーチミン像は,「文化人」の表象に近く,政治 性を色濃く反映しているとは必ずしも言い難い.

しかし,この像がもっている新聞がベトナム共産 党機関誌『人民』であることには留意する必要が あるかもしれない.また,表2に示した2018年5 月のホーチミン生誕128周年記念式典の際に,同 市市長が「代表者らとともに[ホーチミン]像に 香を手向け,合掌するなどしていた」([]は引 用者)14)との報道をみると,文化人の枠組みを 超えた対象になっているようにも捉えうる.

ホーチミン像に対して合掌する行為は,ホーチ ミン博物館(ホーチミン市分館)のコメモリア ル・ルームに置かれた像にもみられる.同像は,

祭壇を模したような台座の上に設置され,金色で イスに腰掛けている.ホーチミン像の左右には,

ろうそく・生け花・果物が供えられ,香炉が置か れている(写真6).言い換えれば「祀られてい る」とも捉えうる15).なお,ホーチミン博物館に 設置された銅像は,美作市に寄贈されたホーチミ ン像と相似している.

Ⅴ むすびにかえて

この小稿では,地方自治体に寄贈されたホーチ ミン像の展示をめぐり,銅像空間がつくられる過 程における文化交渉およびその政治化の諸相を明 らかにしようと試みた.

少子高齢化社会にあって労働力不足が深刻にな るなかで,美作市はベトナム人の受け入れを進め,

同時に文化交流もおこなってきた.とくにダナン 大学との協定締結後,美作市役所にダナン大学の 卒業生を嘱託職員として受け入れ,ダナン大学へ は日本語嘱託講師を派遣するなど,積極的な交流 がみられた.こうした活動がベトナム政府から評 価され,ホーチミン像が寄贈された.新聞記事の 発言に鑑みて,同市の市長は,ホーチミン自身を

「文化人」と定義し,文化交流の証としてホーチ ミン像を受け入れ,同市作東文化芸術センター 1階のラウンジに展示した.これに対して,一部 の人びとは,ホーチミンを「一国の政治家」と捉 え,公共空間に必ずしもふさわしい銅像とはいえ ないと懸念を示した16)

また日本国内に存在するベトナム人コミュニ ティからは,同市に公共空間の展示では一般市民

(7)

らに認められる普遍的価値を有する芸術作品がふ さわしい,との声明が寄せられた.このようなベ トナム人コミュニティの発言と一部の市議が表明 した懸念とは文脈がやや異なる.ベトナム人コ ミュニティの発言には,ベトナム戦争,ひいては 指導者としてのホーチミンをどのように評価し,

捉えるかの歴史的記憶が連接している.すなわち,

「建国の父」と称される国民国家としてのベトナ ムとは評価の位相が反転する.事実,ホーチミン 博物館の事例に示されるように,同国では銅像空 間が志向する場所性が全く異なっている.

以上のように,同じ銅像であっても展示・設置 プロセスや当該社会の政治経済的な条件によって 多様な現象が現前化し,社会空間が複層化すると 捉えることができよう.言い換えれば,模写され たモノは,その模型が展示される社会空間が異な れば,別個の価値が付与される可能性をもってい る.したがって,模型展示,ここでは銅像空間の 考察には,対象となるコト/モノがもつオリジナ リティだけでなく,当該社会の文脈における創造 性やその変化を把握することが肝要であろう.

付 記

 本稿に関連する現地調査は2018年6月22日〜24日に実施 した.調査にあたっては,研究分担者として,文部科学省 科学研究費補助金 基盤研究(B)「東アジアにおける戦争 観光とナショナリズム」課題番号15H03140,研究代表者:

高山陽子(亜細亜大学国際関係学部教授)の助成を受けた.

また,2018年7月31日に開催された模型研究会(於:亜細 亜大学)での議論が本稿の考察の一助となっている.当日 の参加者に対してこの場を借りて謝意を表したい.

1)日本政府観光局プレスリリース,訪日外客数2018年5 月推計値を発表 前年同月比16.6%増267万5千人,

<https://www.jnto.go.jp/jpn/news/press_releases/

pdf/180620_monthly.pdf>(2018年6月23日閲覧).

2)日本政府観光局,国籍/月別訪日外客数(2003年〜

2018年 )<https://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/since2003_ tourists.pdf>(2018年6月23日閲覧).

3)観光立国実現に向けたアクション・プログラム2014―

「訪日外国人2000万人時代」に向けて―(平成26年6月 17日観光立国推進閣僚会議決定)<https://www.kantei.

go.jp/jp/singi/kankorikkoku/kettei/siryou2.pdf>(2018

年6月23日閲覧).

4)美作市の人口・世帯数【平成30年度】/美作市ホーム ページ<http://www.city.mimasaka.lg.jp/soshiki/shimin/

shimin/jinkodotai/1522322591443.html>(2018年10月7 日閲覧)および美作市の概要/美作市ホームページ

<http://www.city.mimasaka.lg.jp/shisei/gaiyo/

shokai/1446772165257.html>(2018年10月7日 閲 覧 ).

なお美作市は,2005年3月31日に勝田町・大原町・東 粟倉村・美作町・作東町・英田町が合併して新設され た.

5)平成27年国勢調査「年齢(5歳階級),男女別人口,年 齢別割合,平均年齢及び年齢中位数―全国,全国市 部・ 郡 部, 都 道 府 県 」<http://www.stat.go.jp/data/

kokusei/2015/kekka/kihon1/pdf/gaiyou2.pdf>:50 ペー ジ,および平成27年国勢調査「都道府県・市区町村別 統計表」<https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-down load?statInfId=000031594311&fileKind=0>(2018 年 10 月7日閲覧).1990年における美作市の高齢化率は,総 務庁統計局 1991.平成2年国勢調査報告.都道府県・

市町村編33岡山県.62-63,66-69ページより算出.

6)ベトナムとの交流/美作市ホームページ <http://www.

city.mimasaka.lg.jp/soshiki/kikaku/eigyo/1479 781338101.html>(2018年10月7日閲覧).以下の美作 市とベトナムとの交流については,とくに言及しない 限り,当該ホームページならびに現地調査で得られた 資料に基づいている.なお,『産経新聞』によれば同市 にはベトナム人90人以上が在住しているという(岡 山・美作市が公共施設にホー・チ・ミン像 在日ベト ナム人ら反発,撤去求める-産経WEST <https://www.

sankei.com/west/news/180607/wst1806070003-n1.html>

(2018年6月7日閲覧).

7)岡山・美作市が公共施設にホー・チ・ミン像 在日ベ トナム人ら反発,撤去求める―産経WEST <https://

www.sankei.com/west/news/180607/wst1806070003-n1. html>(2018年6月7日閲覧).

8)当然のことであるが,冷戦構造下で全世界を巻き込ん で展開したベトナム戦争の歴史を簡単に述べることは できない.ここでは,あくまで本稿の整理に必要な点 のみを概観する.ベトナム戦争に関する研究は,枚挙 にいとまないが,さしあたり,古田元夫(1991)を参 照のこと.

9)正義の考察については,アーレント(1994)およびこ の報告をめぐる一連の論争が参考になる.

10)詳細はハルバスタム(1987)を参照のこと.

11)岡山・美作市が公共施設にホー・チ・ミン像 在日ベ トナム人ら反発,撤去求める―産経WEST <https://

www.sankei.com/west/news/180607/wst1806070003-n1. html>(2018年6月7日閲覧).

12)詳しくは,高山(2018:23-27)を参照のこと.

13)「ホーチミン」ならびに「ホーおじさん」という二つの 表象については,大塚(2015)を参照のこと.なお,

子どもと一緒のホーおじさん像は,同市3区の施設「子

(8)

どもの家」前に移設された(TP HCM cung thinh tuong Bac Ho ve Nha thieu nhi thanh pho - VnExpress

<https://vnexpress.net/tin-tuc/thoi-su/tp-hcm-cung- t h i n h - t u o n g - b a c - h o - ve - n h a - t h i e u - n h i - t h a n h - pho-3226655.html>(2016年8月16日閲覧)).また人民 委員会前広場のホーチミン像設置にあたり,複数のデ ザインが市民に公開され,意見が集約された結果,最 終的にラムクアンノイ(Lam Quang Noi)氏の案が採 択されたという(TP HCM khanh thanh tuong dai Chu tich Ho Chi Minh - VnExpress <https://vnexpress.net/

tin-tuc/thoi-su/tp-hcm-khanh-thanh-tuong-dai-chu-tich- ho-chi-minh-3219468.html>(2016年8月16日閲覧)).

14)岡山・美作で「ベトナム建国の父」ホー・チ・ミン生 誕記念式典 一部に疑問の声,在住ベトナム人も「独 裁者」と反発―産経WEST <https://www.sankei.com/

west/news/180522/wst1805220012-n1.html>(2018 年 6 月7日閲覧).

15)同博物館で観察していると,写真6のように,合掌し,

参拝する参観者が多く見受けられた.ホーチミン博物 館にみる展示実践について詳しくは,大塚(2015:

134-135)を参照のこと.

16)公共空間における銅像の展示をめぐっては,その歴史 的展開や社会的状況の変化を把握した上で議論を進め る必要がある.この点は今後の課題としたい.さしあ たり,高山(2014:21-52)を参照のこと.また,銅像 空間が政治化した可能性を孕む事例として,台湾にお ける蒋介石や八田與一の像破損があげられる.たとえ ば,相次ぐ銅像破壊「歴史の保存こそが我々の責任」

中央社フォーカス台湾 <http://japan.cna.com.tw/news/

asoc/201704250001.aspx>(2017年4月30日閲覧),台湾 で蒋介石像の頭部切断 日本人技師・八田與一像損壊 の 報 復 か ― 産 経 ニ ュ ー ス<https://www.sankei.com/

world/news/170423/wor1704230004-n1.html>(2017年4 月30日閲覧)などを参照のこと.この事例でも台湾に おける歴史的・社会的背景の諸相を読み解く必要性が あろう.

文 献

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岡山・美作で「ベトナム建国の父」ホー・チ・ミン生誕記 念式典 一部に疑問の声,在住ベトナム人も「独裁者」

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台湾で蒋介石像の頭部切断 日本人技師・八田與一像損壊 の報復か―産経ニュース<https://www.sankei.com/world/

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参照

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