論 説
責 任 能 力 規 定 を め ぐ っ て
li模範刑法典修正アプローチとメンズ・レアアプローチの対立1ー
林 美 月 子
目次
はじめに
一責任能力の基準
e模範刑法典修正アプローチ
ωアメリカ精神医学会
回包括的犯罪規制法
8アメリカ法曹協会
ω小括
C⇒メソズ・レアアプローチ
ωアメリカ医学会
回レーガソ法案
6ハッチ法案
231 (519)
ω)㈱(ト)
アイダホ州
モソタナ州
小括
モーリスの見解
ウートソ︑ハートの見解
小括
二弁識無能力者の処分
e模範刑法典修正アプローチ
ωアメリカ精神医学会
回包括的犯罪規制法
6アメリカ法曹協会
ω小括
ロメソズ・レアアプローチ
ωアメリカ医学会
回レーガソ法案
のハッチ法案
↓アイダホ州
㈹モソタナ州
8小括
三メソズ・レア欠如者の処分
eメンズ・レアアプローチ
ωアメリカ医学会
回レーガン法案︑ハッチ法案
ωアイダホ州
ωモソタナ州
㈱小括
に⇒模範刑法典修正アプローチωアメリカ法曹協会
回包括的犯罪規制法
の小括
むすび
はじめに
責 任 能 力規 定 を め ぐって
アメリカ法律協会が模範刑法典第四・〇一条において責任能力について﹁ω何人も︑犯罪行為の際に︑精神の疾患
又は欠陥により︑その行為の犯罪性(︒叫巨訂一ξ)︹反倫理性(壽8αq津ぎ窮)︺を識別し(餌署§糞︒)︑又は法の要求に従
(1)って行為する能力を著しく欠いていたとぎは︑その行為について責任を負わない(き=Φ巷8㎝崔︒)﹂と規定したのは一
九六二年であった︒それから四半世紀が過ぎようとしている︒
この模範刑法典の責任能力の規定は︑いわゆる制御能力︑すなわち自己の行為をコソトロールする能力の欠如の場
合にも責任無能力とすることを認めた点︑弁識能力についてもマクノートソ・ルールが行為の性質又は善悪について
認識(ζo毛﹀する能力があれば責任能力ありとするのに対して︑単なる認識を超えた識別(巷裾6蛋㊦)の能力が必要だ
とした点︑さらに︑制御能力又は弁識能力が全く欠如しなくとも実質的に欠如している場合でも責任無能力とした点
(521) 233
等において︑従来より広く責任無能力を認めたのであった︒そして︑模範刑法典の責任能力の規定は︑その発衷以来︑
半数以上の州で採用された︒また︑連邦管轄区でも︑それまでにいわゆるダラム・ルールを採用していたコロンビア
(2)特別区が︑一九七二年にブローナー判決で判例変更をして模範刑法血ハの規定を採用したため︑細かい違いを除けば︑
(3)模範刑法典の規定はごく最近まですべての地区で使われていたのである︒責任能力に関しては︑統一法典あるいは各
州の立法・判例に指針を与えるという模範刑法典の目的は十分達成されてきたように思われる︒
しかし︑右のような責任能力の規定を修正し︑あるいは根本的に責任(無)能力の規定・制度を廃止してしまおう
とする動きも︑アメリカ合衆国ではこの二〇数年続いている︒その理由は︑市民が精神病とはみないような被告人ま
で責任無能力とされて︑刑事責任を免れているように一般に考えられていること︑責任無能力とされた被告人は精神
(4)病院に入院してもごく短期間で退院し︑すぐに暴力犯罪を繰り返すと考えられていること︑専門家の不正確な証言が
陪審の混乱を招くこと︑とくに制御能力については︑抵抗不能の衝動と単に被告人が抵抗しなかった衝動の区別がで
きないこ華である・そして・この責任能力規定の修正廃止の動きはヒンクリ毒件によっ三層活発化したので
ある︒
ヒソクリーは一九八一年三月三〇日︑レーガソ大統領がスピーチを終えて会場から出てきたところを︑ディヴァス
テイター(U︒︿霧韓①﹃)で射殺しようとした︒銃弾はレーガン大統領の心臓近くに達したが︑大統領は一命を取り止め
た︒このとき︑大統領のプレス・セクレタリーは脳に︑警察官の一人は背中に︑シークレット.サービスの一人は脳
に銃撃を受け椀ヒソクリーは・大統領の暗殺未遂︑連邦官憲に対する暴行傷害︑連邦犯罪での銃器使用罪︑コ・ン
(7)ビア地区法違反の銃の不法所持罪等全部で一三の訴因で起訴された︒しかし︑一九八二年六月二一日に︑コロンビア
特別区の連邦地裁は陪審の評決によって責任無能力による無罪(Z︒↓O艶蔓ξヵ①9︒切︒コ︒=買︒︒碧ξ)を言い渡したのであ
{522) 234
責 任 能 力規 定 を め ぐって
る︒このヒンクリー事件は︑右に述べたような責任無能力の規定・制度の問題点をさらに具体的に明らかにしたとい
えよう︒その第一点は挙証責任である︒前述のように︑コロンビア特別区ではブローナー判決によって模範刑法典と
同様の責任能力の基準を採用していたのであり︑これに従って連邦地裁のバーヵ1判事も陪審員への説示において︑
検察側で﹁被告人には精神の疾患又は欠陥がなかったこと︑またはそれらがあったとしても︑法の要求に従って行動
する能力及び行為の反倫理性を識別する能力があったことを合理的な疑いを容れない程度に証明できない限り﹂被告
お 人は責任無能力による無罪とされる︑と述べていたのであった︒第二に︑ヒンクリーは自分の行為の性質及び犯罪性
を識別する能力はあったのであるから︑もっぱら制御能力の欠如によって無罪とされたのであるとして︑制御能力の
ハ 欠如を責任無能力とすることに対する批判が強まった︒第三に︑ヒンクリーはかなり裕福な家庭の息子であったため︑
強力な弁護人と多くの精神鑑定医を雇うことができ︑少なくとも陪審の混乱を招くのに十分だったという点である︒
検察側も四人の精神鑑定医を依頼した︒何千枚ものレポートが陪審に渡され︑また︑三二日間行なわれた証人尋問の
うち二四日が精神科医の証言にあてられ︑四一人の証人の中で七人が精神科医であり︑=人がその他の医師であっ
た︒とくに︑ある若い女優の気を引くことが暗殺の動機であるとするヒンクリーの手紙や犯行について反省が全く見
られない点の解釈について検察側と弁護側の精神科医が対立した︒パーカー判事は一ケ月以上に亘った精神科医の証
言の対立を聴いた後︑専門家の証言の最後の日には﹁陪審員を導びき︑あるいは混乱させるのにはこれで十分でしょ
う﹂と述べた程であり︑専門家の証言による陪審の混乱の典型例ともされた︒第四に︑パーカー判事は連邦ではコロ
(10)ンピア特別区のみにある責任無能力で無罪とされた者に対するヒアリングなしの精神病院への強制的収容手続に従っ
て﹁被告人は責任無能力による無罪とされれば精神病院に収容され︑監護される︒そして︑裁判所が精神的疾患によ
る自傷又は他害のおそれがないと優越的証拠によって認めた場合にのみ退院することになる﹂と説示していたが︑こ
(523 235
の点が陪審の責任無能力による無罪の評決に影響したのではないかという点をあけることができる︒責任無能力者は
精神病院に入院してもすぐに退院して暴力犯罪を繰り返すという一般市民及び陪審員の心配がこの説示によって打ち
消されたからである︒反対に︑何らかの強制的収容手続がなければ陪審は責任無能力による無罪を評決しないのでは
ないか︑責任無能力による無罪の制度を守ろうとするならば︑無罪とされた者の精神的疾患の治療処分の整備が必要
なのではないかという点もヒンクリー事件によってあらためて問われることになったのである︒
こうしてヒソクリー事件によって責任無能力の規定・制度の問題点は具体的に示されたともいえる︒ここから︑そ
の修正ないしは廃止への立法へと進むわけであるが︑立法問題という角度からは︑その論点は通常次のようにわけら
れている︒第一は︑責任無能力の基準をどのように定めるか︑とくに制御無能力を含めるか︑さらに︑メンズ・レア
の存否のみを基準にするかである︒第二は︑評決の形式である︒無罪(2卑Ω亀9︑有罪(9一ξ)︑責任無能力によ
る無罪(220巨¢ξ閃$︒︒8︒=ロ︒︒き凶蔓)︑有罪であるが精神的疾患あり(O¢凶ξげ三{嵩︒︒雪︒)等が考えられる︒これは︑
(11)責任無能力者も犯罪を行なっているのになぜ無罪になるのかという市民の不満をどう解消するかの問題でもある︒第
三は︑責任能力の存在を検察官が証明しなければならないのか︑それとも︑責任無能力について被告人に挙証責任を
負わせ︑ただ証明の程度を明白かつ確信的証拠(Ω①輿即乱O魯く一a詔穿にΦ蓉Φ)でよいとするかである︒第四は︑専門
家の証言の範囲の制限︑とくに責任能力というような法律問題自体についての証言の制限である︒第五は責任無能力
によって無罪とされた者についてどのような処分を行なうかという点である︒それぞれ非常に重要な問題であり︑本
稿ですべてをとりあげることはできない︒本稿は右の諸点の中で︑第一の責任能力の基準と第五の責任無能力者の処
分に焦点をあてて検討し︑他の論点は必要な限度で言及することにしたい︒
第一の責任能力の基準については古くから議論があるが︑それは主として︑マクノートン・ルールか︑ダラム・ル
責 任 能 力 規定 を め ぐって
ールか︑模範刑法典の基準かという形でなされてきたように思われる︒しかし︑最近のアメリカ合衆国においては︑
模範刑法典の基準を修正して制御無能力による責任無能力を認めないことにするか︑さらに︑およそメンズ・レア
(ζ㊦コ︒,閃.勘)さえあれば他の能力の欠如は問わないことにするかのどちらか︑の選択という形で鋭い対立が見られる︒
前者は︑たとえば︑一九八四年一〇月に連邦議会を通過した包括的犯罪規制法(O︒ヨ窟畠窪㎝ぞΦρぎ︒O︒ヨ﹃巳>9︒{
一零躰)が採用するところであり︑合衆国法典一八編第一章に第二〇条として責任能力の規定を新設し﹁被告人が犯罪
行為時に︑重大な精神的疾患又は欠陥のために︑行為の性質(醤婁①讐ユゆ§犀矯)又は反倫理性を識別できなかったこ
とは︑連邦法の下での起訴に対する抗弁となる︒その他の場合には精神的疾患又は欠陥は抗弁とならない﹂と規定し
ている︒充八二年の第九七連邦議会の第二会期寄法委員会でもいくつかの同様の法案が提出され悔アメリカ法
(13)(14)曹協会(︾日oユ6碧ロロ田﹀︒・璽8鎧鼠8)︑アメリカ精神医学会(﹀日巴6き℃鷲6凱騨ヨ︒︾u・︒︒8糞脚8)も基本的にこの立場をとっ
ている︒本稿ではこの立場を模範刑法典修正アプローチと呼ぶことにする︒後者は︑たとえば︑レ!ガン大統領が一
九八二年に連邦議会に提出した刑事司法改善法(O﹁ぎ認二β︒︒膏①閃①h9ヨ﹀簿︒{6︒b・︒)の第四二四二条にみられるが﹁被
告人が︑精神的疾患又は欠陥のために︑犯罪の要素とされている心理状態を欠いていたことは︑連邦法の下での起訴
に対する抗弁となる︒その他の場合には精神的疾受は欠陥は抗弁とならない﹂としてい華このような法案はそれ
以前に敵すでに︑連法刑法改正の初期の段階でブラウ萎員会でも議論されてお幅一九七三年にニクソン大統領
(17)も同様の法案を第九三連邦議会に提出している︒また︑一九七五年のいわゆるエス・ワン・ビル(ω・μ.切二一)にも同様
の規定があ堕髪では元八二年の第九七連議会第三覇の司法奮会でもいくつかの肇馨議され博これ
らの法案は議会を通過しなかったが︑アイダホ・モンタナ・ユタの各州は妾に至つ鱒︾あような立場はアメリカ
医学会の支持を得てお旭また・理論的にはすでにモーリス灘よって主張されていることは周知のとおりである・
(525) 237
この立場では結局︑責任無能力は独立した抗弁ではなくなるわけで︑その意味で責任無能力の抗弁の廃止を主張する
(23)ことになる︒しかし︑廃止というと︑およそ精神的疾患を起訴に対する抗弁と認めないウートソの主張を指すのが通
(24)常であろう︒そこで本稿では︑ブルックス等の用語例にならって︑右の立場をメンズ.レアアプローチと呼ぶことに
する︒右の二つの責任能力基準の違いは︑責任能力の基準自体の見直しにとってはもちろん重要である︒しかし︑さ
らに︑メソズ・レアアプローチによれば︑精神的疾患によってメソズ・レアを欠くに至った場合を正面から扱い︑無
罪あるいは責任無能力による無罪とするのであるから︑わが国で責任能力と故意の関係を考える上で︑重要な資料と
なりうると思われる︒
次に︑責任無能力者の処分については︑右の責任能力の基準の相違が実際にどのような処分の差をもたらすのかと
いう角度から︑まず︑弁識無能力者に対する両アプローチの処分を紹介し︑若干の検討を加えたい︒
さらに︑精神的疾患によってメンズ・レアを欠如した者に対する両アプローチからの処分を紹介.検討したい︒後
者は︑わが国で右のような場合にどのような処分をすべきか︑治療的処分等の対象としうるかを考・兄る上で参考にな
ると思われる︒
以下では︑まず︑両アプローチの責任能力の基準についてそれぞれの根拠を紹介し︑具体的にどのような事例で両
アプローチの差が明白になるかを考察する︒次に︑責任無能力者(弁識無能力者)及び精神的疾患によるメンズ.レア
欠如者に対する両アプローチの処分を紹介し︑若干の検討を加えることにする︒
(1)法務省刑事局・アメリカ法律協会模範刑法典(一九六二年)の訳による︒
(2)¢艮a︒︒婁①︒・<5切dH署旨①司﹄コ図淫㊤8(U・ρΩ﹁・お§.(3)第五巡回区の控訴裁判所は一九八四年四月一六日の判決で︑一九六九年以来用いてきた模範刑法典の規定をすて︑制御無能力は責任無能力
とならないとした︒制御能力についての判断の不可能性︑そのような制御能力判断を強いて行なうと道徳的誤りを犯しやすいこと︑陪審員の
(52G) 238
責 任 能 力 規 定 を め ぐって
混乱︑制御能力の欠如と弁識能力の欠如は通常重なるので︑とくに制御無能力を責任無能力とする必要のないこと︑制御能力の存在を検察官
が合理的な疑いを容れない程度に証明するの・は不可能であることが︑その圭な理由としてあ.げられている︒¢ロ搾aω酔讐鵬︿・ξ︒講ρ刈ω一戸
配N劇ω(一Φ鍵)博刈ωOMッ.Nα㊤O↑(一㊤GQ恥)・
(4)ζロ﹃8葺誤巴≦̀・聾ω︒{﹀琶酵葺齢げ雲霧睾ξ望w{・霧Φし謡穿Φ﹀暮巴の︒コ冨﹀尾ユ︒践♪$ユΦヨ圃︒{℃︒津一︒巴帥巳ωa既ω9窪8這μ
唱﹂b︒q(一㊤oQ㎝)・
(5)雷剛邑oり茸窃9恥︒9曼霧巨巴弾巳﹀身沖三い欝獣<︒2①蕊⑩︒︒蔚○︒茜霧・留8偽望量︒瞬二り︒︒典[①管互一くΦ甲鋒︒q旧.﹃・o︒︒iミ︒︒"署・恕o吟
︒︒劇O卸佐藤興治郎﹁アメリカ連邦刑事法改正と責任能力・保安処.分わが国の刑法理論と刑法改正論議に与える影響﹂判夕五五〇号
(昭和六〇年)一一七頁︒
(6)事・輿璽についての叙述は↓印覧oさ匂嘆圃閃ぎ留=ぎ騨一①矯22Q巨帯げ鴫ぎ器甑蔓剛口留プoo鉱晶o痴犀①撃♂2Φ毛︽o蒔︑り冒①9甘器詑・6Q︒い︒﹀戸
Ob︒刈による︒ヒンクリー事件における陪審員への説示は↓冨ぎ器葺鴇穿{Φ窃︒サェ$身αqの冨{︒話普①0︒ヨヨ葺Φω薯昏①甘象︒剛曾ざ¢コぽαω訂奮
紹コ巽Φ㊤圃0薯㎎婁響O&留鼠Oロ一㊤QG押唱高QQωに収録されている︒審℃Go一〇<Φ艮ρ↓ゲ①貯器巳曙OΦhΦ鵠o言身Φ毛鋳oO{チ①震旨穿ζ↓﹁芭・
一劇閑嘱一σqO同㎝]ド切・ω刈ω(一㊤器)9
(7)¢コ即虜Qり聾窃4●田暮匡①圃認切男.匂oロ冨誌お(Ob・一り︒︒一).
(8)陪審員への説示については注㈲参照︒なお︑コロンビア特別区法違反については被告人に責任無能力の挙証責任があるが︑パーカー判事は
連邦犯罪との関係で陪審員を混乱させないようにとの配慮からこのように説示したのではないかとされている︒↓①︒・二馨鯖︒{竃葺︒蕊"鵠紹増‑
凶鵠撃器窟9ぎ8(①).噂﹄一一・
(9)﹀轄﹁認・竃塾邑﹀羅翼剛自ロロ8a鼠↓霧縛9H垂師ξO・h①コいΦげOユヨぎ巴↓﹁醒Q・帥巳江巨蒐帥8︒{評鴇7一駐搾↓更ぎ︒撃(巴︒噂酔巴
げ団酔プφ臨Oに切①O略]口O貯ぴq薗齢Φ愉障O{けげ0>ヨ①﹁搾恥コ7{①鑑搾帥一︾切いOO貯瓢Oロ麟けρ﹃Φ一¢Q◎ω囲ロ冨ユヨ竃組卑一箒騨q)N朝一旨O償﹁雛巴O嚇﹀ヨΦユO騨冨財幽①阜一〇巴﹀・器QO置甑O戸
"﹄霧メΨ・︒ミρ(﹄麟昌①Q◎・一㊤◎o恥).
(10)↓冨望弩す︒{9冨蓼ド0(浮(錺日ω)"貿酔凶8潔ーωO(餌)・ω①φこ︒義︿噂9ぎ弧ω鈴器u藁①ωdφω罐(6器)●
(11)審匂津︒腿民q︒翼霞︒具︒粘寄β︒篇︑=霞置︒・ヨ巷冨8$(9矯㍗①ρ
(12)たとえば︑ω﹄零Q◎博もっ﹄刈QoO・
(13)﹀ヨ臼剛6睾留﹃}器a巴︒鵠Q︒聾象謁O︒ヨヨ冨①︒コ﹀︒・︒・(蚤鎮喜︒︒§骨締葺Oユヨ暮こ隻繭β軍︒霧︒繕Oユヨ訂二更屠竃婁箇一田帥写
の榊帥昌恥帥﹁匹ロo愉唱.ωbφω(一㊤co").
(M)﹀口回OユΩ脚昌℃㎝矯O﹃貯一Hざ﹀軸自い◎∩貯江Oコ一部ooP口搾団OΦ幽①コ喚︒Φ♂<O﹁ド¢﹁O犀宰ω9$ヨΦ5けO昌柵ゴΦ一ロ器ロ片冤O¢{①旨ωP一恥O>日①臥Ω脚ロ一〇戸﹁笥巴O略唱oゆ矯O﹃ド胃鴇
239 (527)
①Q︒一(匂̀器δqo9σ)・
(15)この法案の紹介として︑土堅真一﹁アメリカの刑事司法改善法案について﹂判夕四七七号(昭和五七年)三五頁以下︒
(16)≦︑o蒔ぢσ司℃山究窃亀夢①Z印凱oゴ巴OQヨ巳㏄し・δ50コヵ焦o﹁ヨo﹃剛巳孚巴9§ぎp一轡国〜マロω恥(一零O).連邦刑法改正の経過については︑岡部泰
昌﹁アメリカ連邦刑事法改正の概要il二九八四年の呪包括犯罪規制法﹄(O︒ヨ窟筈窪︒︒凶<Φ9ぎ①Oo三﹁9>g9おQ︒艀)﹂の紹介﹂判夕五四一
号(昭和六〇年)=一頁以F︑岡部﹁アメリカにおける犯罪・刑事司法政策の近時の動向㈲ー合衆国司法省叩暴力犯罪に関する司法長官特
別研究班の最終報告書︹一九八一年八月一七日︺をとおしてi﹂判夕五二〇号(昭和五九年)六七頁以下︑堀田牧太郎﹁アメリカ合衆国連
邦刑事法改正の最近の動向﹂ジュリスト六八二号(昭和五四年)一〇七頁以下参照︒
(17)ω・罎Oρ㊤毘0象叩舳﹃梓巳oo︒︒9㎝㎝Ob︒(一㊤お).
(18)Qo.一‑罐チ○◎轟;一︒・幹Qo窃︒・噂留認(一零O)・
(19)たとえば︑9︒︒長ω﹂呂︒︒鳩9・︒㎝鐸︒︒.・︒"軽㎝・
(20)む﹀=OOOU国伽一︒︒18刈(一㊤G︒卜︒ン一零りζOZ↓>Z>轡﹀≦Q︒↓一ω・d↓﹀国OOO団㈱鵠lNlωO㎝ε(おQ︒し︒)・
(21)︾目oユ8昌竃乱瓢8一﹀︒︒切8聾晒oP㎝ξ奏葛梓o(Φ)遭石﹄㊤①ω・
(22)客竃︒三︒︒︑雰署眠葺圃騨巳一冨Oき鴨δ場9冒ぎr継一qo︒葺ぽヨ9年︒尉三騨r阻毛閃Φ幕毛α犀(一〇〇︒︒と客竃︒円鉾誤①ρぎ剛邑渕$宕コ︒n量峯鴫
o=冨ζo馨β︒ξ巨︑ωωQq団﹃餌2紹r即ミ圃(一8c︒)"Qり鵠︒︒斜雷き=げ︒H信帥巳評饗げ乾Hざ噂ウ一b︒ω1一鵯(一霧ω)
(23)≦8仲δPρ冒o帥民爵①ρ霞団5巴蕾きO冨b二彗儀ω(一8ω)・
(24)ロ︒§頁︒・巷話コ︒童膳ζ巳・︒①L鐸℃・§民ω翼①ヨ舞︒ヨ︒量Φヒ①助彗㈹㎝㍉ξ崔旦Φ(①ン罵8葛︒琶量誹・§H巴審ぎ=冨奮量蔓
Oo{oロ貿8>ヨoユo睾ζd胃︾︒︒︒︒8Mロニ8冒霞鵠一毎♪,一Φα(一り望)・
;528) 240
責 任 能 力 の 基 準
6模範刑法典修正アプローチ
ωアメリカ精神医学会
犯罪行為の処罰は道徳的責任(日9巴2ぢ餌竃ξ)を前提とするのであり︑自己の行為を合理的にコソトロールする能
責任 能 力規 定 を め ぐって
カを欠く被告人には自由意思がなく︑悪行を選択したとはいえないので処罰できない︒これがアメリカ精神医学会の
出発点である︒﹁責任無能力の抗弁の維持は刑法の道徳的統A艮ー=三Φ㈹量)にとって本質的である﹂とい宛・
それではどのような基準で責任無能力を判断すべきであろうか︒アメリカ精神医学会によれば︑責任無能力の基準
の文言は︑実際には被告人が責任無能力で無罪とされるか否かの主な決定要因とはなっていない︒というのは︑責任
無能力の法的基準と被告人が示し又は精神科医が述べる精神的状態の間に完全な相関関係がないからである︒たとえ
ば︑法学者や法実務家は︑識別する(髄箸§聾㊦)という用語を用いれば︑知る(ぎ薯)又は理解する(§号話富民)と
いう用語を用いる場合よりも人間の行動や思考をより包括的に考慮できるので︑責任無能力の抗弁が拡張されると考
えているが︑必ずしもそうはいえない︒実際上重要なのは︑個々の裁判官が一定の基準を解釈して︑精神科医に広範
囲に亘る精神機能についての証言を許し︑陪審がそれを考慮できるようにするか否かということである︒しかし︑こ
バ の点について立法するのは容易ではない︒
ただ︑アメリカ精神医学会は責任能力の基準について次のようにいうことはできるとする︒すなわち︑精神科医は
被告人が行為の性質を理解できたか︑行為の反倫理性を識別できたかについては適切な証言をなしうる︒これに比較
して︑被告人が行為をコントロールできたか否かについての精神科医の証言は信頼性が低く︑科学的基礎が弱い︒﹁抗
拒不能の衝動と抗拒しなかった衝動との境はトゥァイライト(響宗αq仲)とダスク(α窃搾)との境と同様に不明確である︒
精神医学はすべての人間の行動はほとんど(8帥貯︒︒︒里︒三)原因がある(︒窪・︒①山)という決定論的な学問(山蓉琶馨)
ヨ である︒意思という概念については精神科医の間で一致がみられていない﹂︒さらに︑精神病者の弁識能力の欠陥と
制御能力の欠陥はかなり一致するので︑制御能力のテストは余計である︒こうして︑アメリカ精神医学会は︑第一に
コントロールテスト(制御能力テスト)の廃止を提案する︒
(529) 241
第二に︑責任能力の基準は︑精神的疾患が精神病と同様に重篤でなければならないこと︑すなわち︑精神病と診断
される状態と同程度に重篤でなければ免責されないことを規定すべきであるとする︒その理由は社会病質のような
う ﹁人格異常(速誘8巴ξ翻自店9﹂を責任無能力者とすることは現代の精神医学の知識に一致しないからである︒アメ
リカ精神医学会が最近発表した治療と研究のための精神異常についてのマニュアル(∪冨豊呂曹雪山ω韓蜂8鋤一竃碧自巴
内Oω竃‑皇)は精神異常の範囲を広く規定しているが︑右の重篤性の要求は︑このマニュアルの精神異常を責任無能力
の基礎となる精神的疾患と同一視することを防こうとするのである︒たしかに︑模範刑法典も第四・〇一条二項にお
いて︑﹁精神の疾患又は欠陥﹂には反復的な犯罪行為又はその他の反社会的行為のみによって徴表される異常を含ま
ないとする︒しかし︑反復的な犯罪行為や反社会的行為以外の徴表のある精神病質者は責任無能力の対象となること
になる︒とくに︑右のマニュアルの下ではその傾向が強くなるというのであろう︒
こうして︑アメリカ精神医学会はコントロールテストの廃止と精神的疾患の重篤性の要求の二点において︑模範
(7)(8)刑法典の基準は修正されるべきであるとし︑具体的な立法案としてはポニーの提案に賛成する︒すなわち﹁犯罪行為
時に精神的疾患又は精神遅滞(曳民豊8)のために︑行為の反倫理性を識別できなかったことが示されたときは︑刑
事犯罪の被告人は責任無能力による無罪とされる︒この基準で用いる精神的疾患又は精神遅滞という用語は現実につ
いての認知又は理解を総体的かつ論証しうる程に害し︑さらに︑主としてアルコールその他の精神活性的な(腸署ぎ
僅︒牙①)物質を任意に服用したことによるのではない︑重篤な異常な精神状態のみをさす﹂というものである︒
︹1)﹀目︒﹁冨コ雰饗臣ゆ三︒︾器09帥ぎコ剛蕊害ξO駄Φ霧Φ≦o蒔08ξ讐ω翼oヨ臼詳8衿冨H窃碧ξO錬o窃9鼠O↓冨﹀ヨ巴o碧甘賃昌巴oh評鴇置笛ξ
OQ︒r宰φQ︒︒︒.
(2)葬悔.⑦Q︒劇・
(3)ぼマゆ◎︒α.
責 任 能 力 規定 を め ぐって
ノへ ノへ
87654
)))))
岸や0︒︒伊
岸㌣紹㎝.
このマ昌昌アルについては︑福島章・精神鑑定(昭和六〇年)参照︒
ぎココ圃︒・翠①ζ︒・臼日鼠︒・︒二竃貯讐ξ穿{①馨ヤ8>露・剛§口・鵯︾器g貯爵葺一︒霞蕾=り♪宰§(一㊤Q︒しo).﹀ヨ︒触辞出℃・・圃︒翫帥轡門帥︒﹀㎝肋8助口︒鋤︒コ噸︒・巷冨き冨(一γ70G︒伊なお︑アメリカ精神医学会は挙証責任については態度決定していない︒,OQ︒ρ
回包括的犯罪規制法
一九八四年の連邦の包括的犯罪規制法は︑それまで連邦の判例法に任せられてきた責任無能力の抗弁の基準につい
て︑合衆国法塁天編笙章に第二〇委新設しす牛被告人が犯罪行為時に董大な精神的疾患又は欠陥のために・
行為の性質(コ薗冨.︒鋤ロ山Ω賃釦一一梓団)又は反倫理性を識別できなかったことは連邦法の下での起訴に対する抗弁となる︒そ
の他の響には精神的疾受は欠陥は抗弁とならな堕と規定した・これは・連邦の判例で用いられてきた模範刑法
典の基準をアリメカ精神医学と同様の二点において修正するものである︒
第一に制御能力を間わないことにした︒責任無能力の抗弁の目的が抑止不能な者には刑事責任を問わないとする点
にあるならば︑コントロールテストはこの目的に合うように思われる︒また︑応報という観点からも制御能力のない
者を処罰するのは不適当である︒しかし︑多くの精神科医の間で支配的な決定論的見解はコント置ールテストを強く
批判しているとする︒この見解からは︑あらゆる犯罪行為は法の要求に従って行動する能力を欠いていたことの証明
に他ならないからである︒たとえば︑司法委員会で証言したロビンソン教授は﹁法の要求に従う能力のない者と従う
意思のない者とを区別する基準は存在しない︒(そのような判断を強いて行なおうとするとー籔者註)その結果として︑
事実的判断をしているかのように装いながら実は留目餌三剛︒冒ロ︒・登"q︑形而上学的思索そして直観的道徳的判断を行な
うことにな灘と述べている・また・晶則述のアメリカ精神医学会のコン占iをアストに対する報も引用してい
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