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(1)

ガ ウ デ ィ研 究

マラガイのサグラダ ・ファミリア聖堂賛歌

鳥 居 徳 敏

はじめに

ア ン ト二 ・ガ ウデ ィ (1852‑

1926)に とってサ グラダ ・フ ァ ミリア聖堂 (1882年着工)の存 在は極めて大 きい。また、ガウディ 建築はそのパ トロンとなったアウ ゼ ビ ・グエイ (1846‑ 1918)の 3・.... 存在な くしては語れない0両者 と

図l ジュアン・マラガイ1860‑1911

もガウデ ィをガウディた らしめ、

歴史にガウデ ィの名を刻むのに不 可欠な

2

条件 と想定できるもので ある。前者については拙論 「サグ ラダ ・フ ァミ リア腰 罪聖堂 の財 政、および財政問題が同聖堂 とガ ウディに与えた影響についての考 察」1で、後者については拙稿 「カ タル一二ヤ ・ムダルニスマ、その 建築家たちとパ トロンの系譜 (ガ ウデ ィとグエイを中心に) Zと

「世紀末バルセ ロナにおける芸術家 と資本家‑ ガウディとグエイ家を中心に」3で 詳 しく論 じた。

1F'と築史学

』(

旭築 史・17:会)、第20mrj、】9933J:1、54‑89貞 (鳥居一 1993)

2LL必 (;[':子、八郎洲1不利

、) . : i ・

屑徳敏、木下舜 :F近代都市バルセロナの形成 一 都市'̲Zと川・芸術家 ・ パ トロン』塵偲遜歌人学出版会、2009節4ナlI(159‑210日)

3技jr和・&、他 :『イ メー ジとパ トロン ー 美術史を学ぶ ための23主語‑』 ブ リュ ッケ、2009 343‑60

1

(2)

本稿では、サグラダ ・ファミリア聖堂をサ グラダ ・ファミリア聖堂たらしめ、

今日に至るまで建設を可能に した必要条件のひ とつに、ジュアン ・マラガイの存 在のあったことを前提 とし、その果た した役割を具体的に検証する。 また、マラ ガイの手段 となった有名なエ ッセイのすべてを全訳することも本稿の 目的 とし、

これによ りガウディ研究に不 r.[欠な基礎資料の一つを提供することにもなろうO

ジュアン ・マラガイ

ジュアン ・マラガイ ・イ ・グ リーナJoanMaragauiGoTina (1860‑ 1911) は詩人 として知 られ る。8歳年上のガウディが地方都市 レウスの職人家庭の出身 であるのに対 し、主都バルセロナで繊維会社を営む家柄に生 まれ る。ただ し、4 人兄弟の唯一の男子 とい うこともあ り、父親は高校卒業 と同時に家業に就 くこと を望んでいるから、裕福な大ブルジョアの出身ではない。 しか し、大学に進学さ せる余裕はあった。 また、 この ことは文学好 きの青年であ りなが ら、哲 ・文学 部ではな く、よ り実践的な法学部で学び、弁護士の道を選んでいることにも反 映 していよ う。 当時のスペイ ンには10の大学が存在 した。すべて国立である。

マラガイが進学する1879年のバルセ ロナの人口が約36万人、 これに対 し同大 学哲 ・文学部の学生総数は60人で、法学部は483人であった1。 この数字か ら は、後者の選択はごく自然の成 り行きであったとも考えられる。いずれに しても、

1884年に卒業 して以来は弁護士業を生業 とすることになるが転機が訪れるの は6年後の1890年、この年か ら新聞 『日刊バルセロナ』に参画す ることになっ たのだ。以降、 ジャーナ リス ト業の比重が弁識七業を圧倒す るよ うにな り、そ の他の新聞 『ラ ・ラナシェンサ (復興)LaRenaij(enCa』や 『カタル一二ヤの声 LaveudeCatalunyaJ、雑誌 『進歩LIAvenc』や 『カタロニアCatalonla』や 『光 Lu7.」な どにも記事を掲載するようになるO ジャーナ リス トといっても、一般の 報道記事ではな く、いわゆる論調記事を担当 し、後で具体的に見ることができる ように、民意形成に重要な役割を演 じるエ ッセイス トであったO

好きな詩に関 しては、既に大学に進学する以前に出版の経験を持ち、詩作を生 涯の友 とした。詩人 としての地位を揺るぎないもの としたのは、中世に起源を持

4 "AlrnanaqLJedeIDLLlrl0deB'lrCelona‑'paraeLal101881,pl29

(3)

ち、19世紀半ばに復活 したもっとも権威あるカタル一二ヤ語の詩のコンテス ト、

バルセロナの 『花の祭j)kdocsFloralsdeBarcelona

』 3

'Bすべてを受'貰:すること にあった。1894年、『サルダーナ』でジャスミン賀 (祖国、歴史、または市民テー マの最優秀詩)、1896年、『悪 しき猟師』でスミレ貴 (宗教、精神、または道徳テー マでの最優秀詩)、そ して、1904年 『注解』で自然花賞 (自由テーマでの最優秀 請)を稚得 し、これ ら3貴すべてを受賞することによ り 「詩匠」の称号が与えら れた。 また、1910年 には、国王アル フォンソ13世 によ り前年に創設 された文 学貰 「フアステンラスFastenl・ath質」を詩 『彼方に』で受賞する. こうした実 績か ら 「カタル一二ヤの大詩人」とも言われるようになる。エ ッセイス トとして、

また著名な詩人 として、その影響力は絶大 とな り、それ故、 当時のカタル一二ヤ 政界実力者 (「リーガ 《地方主義連盟

」党首)プラッ ト・ダ ・ラ ・リーバ (1870

‑ 1917)やカンボー (1876‑ 1947)などか ら国会議員に推された りもしたが、

それを承諾することはなかった。

さらに、マラガイには翻訳者の側面 もあった。 ドイ ツ語、英語、フランス語、

そ してギ リシア語か らの翻訳で、特に ドイツ語か らの翻訳が多数を占め、ベー トー ヴェンの 『欧州讃歌、交軌 的第9番ニ短調作品125』、ゲーテの 『タウリス島の イフイゲ一二エ」、『ローマ悲歌』、『ファウス ト』の部分訳な ど、ノヴァ‑ リスの

ハインリヒ・フォン・オフタアディンゲン』 (『青い花』) と断片集 (『花粉』)、ワー グナーの 『トリスタンとイゾルデ』な どを訳す。 また、英語か らはラスキンの講 演 『労働』、ギ リシア語か らはホメロスの頒詩や ピンダロスの 『オ リュンピア第 1頒歌』を訳 出する50 このラスキンの翻訳を手掛けていることか ら、 これか ら 見るガウディとの友好関係を根拠に、マラガイを通 してラスキンのガウディへの 影響を示唆する見解 も見 られるが、可能性は否定できないものの、肯定する根拠 には乏 しいと言わざるを得ない。なぜなら、ラスキンに関 しては前記講演録のみ の翻訳であ り、ゲーテに見 られた熱心さが見 られないか らである。

5マラガイに悦け るデータは以下のウェブ ・サイ トを参照する。TrlgO.Xul10RICardo:VendrelL Oscar,Ros,Cante.yMarqat,トIeura・JooJJMaragall(トIP:AssociacLddrEscrlp10rSenLIenguLICatala

AutorsL,lutOreSr)hTIP://WWWeSCriptorscat/autors/111aragaHj/indexpllP (2011年 8)」24FT7 クセス)

3

(4)

ガウディとの関係

ガウディとの関係は決 して古 くはない。マラガイのサグラダ ・フ ァミリア聖堂 に関する最初の論稿は1900年12月19日の 『日刊バルセロナ』に掲載された 「生 まれつつある聖堂」であ り、それ以前の両者の接触に関 しては、唯一、二人 とも 1899年創設 された 「モ ンセラー ト聖母信心会 (精神的連盟)LllgaEspiritual delaMaredeD6udeMontsel・1・at」の創設 メンバーであったことか ら、その可 能性が推測されるのみである。ただ し、後者の接触があ り、前者の諭稿が生 まれ た可能性は十分にあろう。他方、両者の友好関係は現存するガウディ書簡により 証明され、短文のそれ らの手紙は1906年か ら1909年までの6通存在する6。そ の最初の書簡の 日付は1906年11月16日であ り、マラガイの聖堂に関わる5諭 稿の うち

、 4

つ 目の論稿を発表 した後のことである。 したがって、両者の関係は マラガイの論稿が先にあ り、その結果友好が深まったと見るべきであろう。

マラガイの聖堂讃歌

1. 「 生まれつつある聖堂

」 (1900年 12月19日)

マラガイのこの論稿 「生まれつつある聖堂」は新聞に掲載されたものだが、単 なる報道記事ではない。 さりとて、論説記事でもな く、エ ッセイ (随筆) とも言 い難いO敢えて言えば、散文詩であ り、讃歌 と言 うべきものであろうoマラガイ の文筆活動はロマン主義の

流れを汲む 「生 きた言葉」

を信条 とし、それは感情の 表現を重視 し、自らほ とば しり出る自然さや率直 さを 旨とする。本稿 もこの理論 を休現 してお り、生 まれつ つある聖堂を見事に詣い上 げている。

本来な ら、論者のような 図2 降誕の正面 (巽廓のフアサ‑ ド)1899年建誹 兄

6 Mercader,LauraGaLEdl,escr7IOSydocume"/os,Barcelona.QuadernsCrema,2002,pp.26570.,l::L屑徳 敬 (編 ・訳 ・注解):F旭熊家ガウディ全,7,l=i録j中火公論美術.iJ.、2007、3)0‑13

(5)

文 学的セ ンスのない人 間 が訳すべ きものではない。

しか し、現段階では誰 もこ の労 を取 る ものが見 当た らないか ら、仕方な く翻訳 する。 というのも、サグラ ダ ・ファミリア聖堂の評価 を決定付 ける最初 に して、

もっ とも重 要 な史料 のひ

とつであ り、これによ り聖 図3 降誕のファサー ド190)年建設状況 堂 の異様 さが顕現 され る

一方、ガウデ ィの足元 もT壷は)られ、次ステージへのステップが用意されたと想定 できるか らである。

この1900年 という段階は、図版 (図3)に見 られるように 「降誕」のファサー ドの全貌が形を取 り始めたばか りの ころである。その前年の1899年の建設状況 (図2)では末だ誰 うことは不可能であろう。 してみると、速報性を重視する新 聞記事にふさわ しく、マラガイというジャーナ リス トがその社会的ii任を果たす べ く書かれた報道記事 とも考えられる。確かに、この讃歌は、既に述べたこの時 点での希薄な友好関係か ら見て、聖堂 とかガウディとかの宣伝を目的 したもの と は考え難い。 また、パ トロンのグエイ とか、あるいは教会関係者 とかか らの要請 があったとの情報 も全 く聞こえてこない。初めて見る 「降誕」のファサー ドに感 動 し、その感動が自発的、かつ率席に文字に置き換えられたものがこの 「生 まれ つつある聖堂」であろう。

生まれつつある聖堂 El t e mpl oq uema c e

バルセロナ北の郊外、喧騒な工場地帯 とも言えず、さりとて豪壮なJi=i‑族的高級 住宅街でもない、性格の哩味な地域がある。それ らの一つであるサン ・マルテイ ン ・デ ・プロペンサルスの山の手に行 く人は、唆味な性格の故に田園ならではの 魅惑を備えたその郊外のまん中に、オアシスに咲 く石の花の如 く聖堂が建ち上が

りつつあるのを見るであろう。

5

(6)

樹木がゆった りとした威厳 さを持 って成長するかのように、それはひ とりでに 建ち上がって行 くかのように見える。末だ混沌 とした大きな塊の中か ら、天高 く 讐えることを既に窺わせ る尖塔oそれ らの間に住 まい、そ して噸 りなが ら飛び交 う烏たちは、間違いな くそれを大木 と思 っていることであろう。 この大木は既に 何世代もの烏たちを見守 って来た し、将来の完成 した樹冠の 卜に入ることのでき る最初の世代が到来するまでには、これか らも何世代の人々が過ぎ去るのを見る ことになろう。

そこに近づ く人は、何世紀 も前か ら存在する巨大な廃嘘の一部だ と思い驚 くこ とであろう。だが、あの明らかに廃嘘 と思えるものが実はそうではな く、生 まれ つつあるものの壮大さだと知るなら、久遠なるものの雷びでその胸は満たされよう。

聖堂は、高 さと規模が どのようになるのかを秘 したまま、時 とともによ り高 く、

より大きくなって行 こう。絶対的な自然力のように、個々人の役割、労苦、障害、

夢、成果などを呑み込み、高きものへの衝動 とい う単純な巨大 さに融合されたす べてを内に包み込みなが ら成長する。

これが生まれる前、誰がこうなろうと夢に描いたのであろうか。着工の財源を、

誰が調達 したのであろうか。 この大きな石の塊を、誰が構想 したのだろうか。誰 が、建立 しているのか.いかなる命が、この創造に出や されているのであろうか。

これらすべての矧 =主副こたった一つの言葉が答える。それは信仰だとO高きものへ の信仰、その熱情のなかであらゆる努力が出やされ、その輝きにすべての人の名 が消え失せる。 しか し、誰ひとりとしてその名を失 うことはない。天上の王国で 名をもたぬ献身的な信仰が、大都会のまん中のオアシスに将来の人々のために聖 堂を建立 しているのだ。

生 まれつつある聖堂は既にひ とつの扉口 〔玄関〕を持つ。その扉口は労働者街 区の方を向くO未だ屋根はない、 しか し、既に扉Ijがある.末だ庇誕することは できないが、既に庇護 しようとしている。境内は末だ閉ざされていない.にもか かわ らず、そのなかに既に入れる。生 まれつつあるのに、既に人を招 く。未来の 礼拝で未来の身廓を埋め尽 くすことになる将来の来訪者 とともに、今生きている

人々を聖体拝領に招いている。

身廓は どのようになろう。礼拝はどのようであろうか。 巨大な共鳴箱での聖歌 はどんな響 きになろう。吉働こもわか らない。 しか し、既に聖堂は至高の信仰のな

(7)

かで確実に聖体拝領に招いている。

この扉口は何か しら素晴 らしい。建築ではない、建築の詩なのだ。人間による 建築物には見えない。大地や岩山がその不活性か ら活性を得ようとしているよう であ り、無言の石の塊に、天 と地にある像、姿、象徴の意味を表 し、それ らを描 き出 しているように思える。

それは、「降誕祭」 とい う歓喜を言いよどむ石の塊である。そこでは、大地の 最下級の生き物が天の御使や、樹木の枝葉や、深遠な洞窟の鍾乳石や、もっとも 高氏な信念を表す神秘的な象徴 とともに、それ らが眠っていた不定形の石塊に打 ち勝ち、そこか ら生 まれようとしている。事実打ち勝ち、何か しら永遠のような「降 誕祭」を更新の弛みない営みのように創造を詣い上げなが ら、形成 され、出現 し ている。すべてを支え、大地 と区別できないほど重厚な亀か ら、上方の神秘的な 勝利の栄光 〔榔子の菓〕に至るまで、そこにあるすべてが、イエス、生まれたば か りの赤子を、いつ も生まれつつある永遠の赤子を見つめているように思える。

そのように、労働者街区を向 く 「降誕」の扉口が建設されている。その上、さら に上方には、未だ何 も形成されてお らず、空、野、日、風、および烏たちが、彼

図4 降誕の正面 (巽廓のファサー ド)1893‑ 1935、ただし、すべての彫イ縦 は2CXX)年

7

(8)

らの歌声の喜び とともに、聖堂のゆっくりとした形成を祝福 している0

・いのrJ・

終 りなき形成の何 とい う喜びであろうかO この聖堂の建設に一生の生命以上の ものを捧げている男が、慎み深 くも、その完成を見ようともせず、後世の人々に 建設の継続 と完成を託 していることを私は知 っている。 この慎み深さと自己犠牲 の したに、神秘主義者の夢 と詩人の とぎす まされた楽 しみ とが脈動 しているのだ。

・い))r>・

なぜなら、一人の生命よ りも長い歳月を要する作品に、また、将来の幾世代 もの 人々がつ ぎこまなければならない作品に、その人の全生涯を捧げること以上に、

さらに意味深 く、よ り美 しい目的があるとでもい うのであろうか。 こうした仕事 が一人の男にどれほ どの安心をもたらす ことであろうか、時 と死に対する何 とい うさげすみであろうか、永遠に生きることの何 という保証であろうか0

完成することな く、永遠に建設中の聖堂、蒼管に屋根を架けることも、風に対 し外壁を建てることも、人々の通行に対 し扉を閉ざす ことも、また、街頭のざわ めきや鳥たちのさえず りを響き渡 らせ ることもない聖堂。常に祭壇を待ち、常に そこへの神の降臨を熱望 しなが ら、その無限の高さに決 して到達す ることはない が、 しか し、一時た りともその厳 しい期待を忘れることな く、常に神の方へ建ち 上が りつつある聖堂。世代か ら世代へ と幾世紀 も受け継 ぐための何 と美 しきシン ボルであろうか。

「降誕祭

」〔 1 2

25

日〕を この聖堂の名前にすべ きだ し、その祭 日にすべ き であろう。なぜな ら、まだ定 まらぬその建築は誠に永久の 「誕生 〔降誕〕」であ るか らだ。

私たち地元の人々はそれをサグラダ ・ファミリア聖堂 として知ってお り、その 素晴 らしい扉口 〔「降誕の正面」〕はカタル一二ヤ語の神秘的な快い響 き 「ナダー ル 〔降誕祭〕」の名にふさわ しく思える。

(傍点は訳者による強調) ジュアン ・マラガイ

『日刊バルセロナ』(バルセロナ

、1 900

1 2

1 9

日)7

No. 553, pp. 1 0593・ 54

マラガイのこの聖堂第 1讃歌は、サグラダ ・ファミリア聖堂の存在をパルセロ

7 Maragall,Joan ‑EltemploquellaCe‑I,Dt'arlOdeBarcelolLa(Barce一ona,20dicielllbrel900),No553, pp)0593‑94.〔 〕内は訳者の糾足説明。ただし ( )内はJlii文の帥足.矧IJ:Jを芯峡する。

(9)

ナの一般市民に認識させる意義を担い、その普通ではない神秘 さを顕現させ、こ の聖堂の絶賛的評価の端緒になった。

聖堂が着工 された1882年からこの讃歌が発表される1900年 まで、サグラダ・

ファミリアの報道がなかったわけでなない。建立母体の 「サ ン ・ホセ帰依者信心 会 (精神的協会)」機関誌では、当然のことなが ら、聖堂建設に関わる報道がな されてきた。一般の新聞紙上でも、起工式の報道記事がバルセロナのみな らず、

マ ドリー ドで も掲載 された。 また、1885年3月の クリブタ (地下礼拝堂)の7 つの放射状祭室中央の 「サ ン ・ホセ祭室」が完成 した折 も、バルセロナの新聞は そのことを報 じた。 しか し、いずれもニュースとしての記事に過 ぎない。ただ し、

例外がないわけではない。例えば、1885年の ミケルの評論記事 8とか、1895年 の トーラス・イ ・バジャス著の祈祷普 9に挿入された短文の聖堂評価な どだ。だが、

これ らは将来を見込んでの評価であって、目の前に具現された作品の評価ではな い。同 じ1900年になっても、若い建築家で建築雑誌の編集長でもあったベガ・イ・

マルクは、聖堂は 「末だ建設中であ り、またそれは相当の年月続 くことであろう から、聖堂を評価するのは難 しい。 しか し、少な くとも、創造力 と構造の大胆さ の桁例として提示 されるべきであろう」 と述べ、評価を留保 しているのだLO. こ うした状況に決定的な くさびを打ち込んだのが、このマラガイの 「生まれつつあ る聖堂」であったのである。 これ以降、大聖堂 と並び称 されるバルセロナのシン ボル と言われ始める。その例 としてバルセロナの 「カタル一二ヤ探訪センター」

の集団訪問を挙げることができる。 この知識人たちの組織は地域の歴史的モニュ メン トを調査研究することでカタル一二ヤの歴史性を深め、地域のアイデンティ ティーを高め る目的を持 っていた。 しか し、1901年2月24日の50‑ 60人よ りなるサ グラダ ・ファミリアへの集団見学は、過去の歴史的モニュメン トではな く、現代建築の、 しかも建設中の聖堂への訪問であった。 ここで、ガウディは4

8 MlqLlelyBadia,F.‑Nue、,osmonumentos'\Dt'anodeBaycelo

" a

(Barcelo11a、13mayo1885),No133, pp579ト93

9TorrasyBases,ノose:MeseJZholtordeIPaLrtal・CaSaJtlJoseP.Pa

l

r6delalg/esia,Barcelona;SubLrana, 1895

10VegayMarch,Manuet. LaarqulteCturaenEspaね duranteelslgloXTX‑ProvLnCladeBarcelona', ResLtmeJtdeArqt・Erlecltlra(Madrid.1septlembre1900),A点oXXVl.No9,p124

9

(10)

時間にわたる聖堂解説を しているのだ11。 これは建設中のサグラダ ・ファミリア がカタル一二ヤを象徴する歴史モニュメン トに匹敵することを明示するイベン ト になろう。

また、この聖堂讃歌はガウディの精神構造にも決定的な くさびを打ち込んでい る。それは訳者が傍点で強調 した部分、つ まり 「完成することが絶望的な未完の 作品に全生涯を捧げる以上に意味深 く、美 しい目的がこの世にあるのか」 という 真理を説 く部分である。おそらく、将来のガウディと聖堂 との関係を決定付ける 重要な言説のひとつ と想定すべきものであろう。

2. 「 『 サグラダ ・ファミリア』にて

」(1905年1月15日)

この第2聖堂讃歌はカタル一二ヤ語の週刊誌 『カタル一二ヤ画報』に同言語で 掲載された。同 じ意味のスペイン語 タイ トルの讃歌が翌1906年 に 『日刊バルセ ロナ』に発表されるが、同じ内容ではない。 この第2讃歌がいかなる矧 虫で害か れたかは定かでないO第4聖堂讃歌な どを読ん

でいると、マラガイは時たま聖堂を訪れたので カウ㌔

はな く、ある程度の頻度で訪問 していることを 窺わせる。 また、訪問するたびにガウディとの 会話を楽 しんでいるようにも推測される。次の 第3讃歌は正にガウディの訴えに応えて発表 し たものであろう。だ とすれば、マラガイは聖堂 の財政が極めて厳 しい状況にあることを知 って いたはずである。 このことは第 1讃歌でも明白 に読み取れる。なぜな ら、サグラダ ・フアミリ

抑qIダート

′ジュアン・ヽ マラガイ1860̲ltJLr、‑◆

アの完成はガウディ一世代では不可能で、何世 図5ガウディ (左)とマラガイ (中) 代 も変する聖堂であるとし、 この未完性を前提に しているか らだ。1898年には 財政は聖堂の完成を諦めさせる状況にあ り、1905年の建設状況は降誕のファサー ドの建設を中断 し、鐘塔の建設のみに工事をシフ トした段階にあった。すなわち、

H Conyl),Bonaventura "EltempledelaSagradaFamilla'.IBlt//IetI'deICe)lLJ・eExcursloJl/Slade Catahnlya(Barce一ona,abrilde1901),Any1I,No75,pp.105‑09/EIPl・OPCgudordeIL7Deu

o c 1

6HaSLTu

J o s

d(Barcelona,15marzo1902),舶 036,Nob,pp82‑84

(11)

工事蛍が少な くても、見た目には建設がはか どっているように見せるためで、資 金不足で完全な建設中断に陥 らないようしていたのである 12.

『 サグラダ ・ファミリア』にて AJ aく く S agr adaF ani l i a

,,

あのサグラダ ・ファミリアでは、素晴 らしいことが起 こっている。既に奇跡的 でもあるあれ らの石に囲まれて新 しい世界が生まれている。それは安 らぎの世界 でもある。

未だ聖堂ではないものの、その大変大きな聖堂の、末だ境内ではないが、境内 以上のその聖域に入るな ら、この上ない慎み深さと、これに伴 う安 らぎと喜びと を感 じることであろう。尖塔に巣をかける烏たちの噛 りとともに、苛立つ ことも 興哲することもな く、信心深いほ ど慎 ましいツチ とノミの若色がどこか らともな く風に運ばれて来るなか、 日に当る老人たちや、切石置場で戯れる子供たちを見 るだろう。それ ら切石はいずれあの不思議 〔驚異〕な建築の高みに積 まれること になる。陽光はすべてを照 らし、青い空は美 しく建設されている未完の壁体に穿 たれた大窓の透か し彫 りの地であ り、巨大なヴォール ト 〔天井〕である ・・・そ

⊥:.

れは市のすべてを抱擁するべ くして開かれた大聖堂であ り、それ ら壁の開かれた 腕 〔詔廊〕に近づ く人は抱擁の温かさを感 じることであろう。

あれ らの壁は、際限のない愛惜を抱 き、腕を閉 じるどころか、 どこまでも関こ trJ

うとしているようで、東や西へ、市や村へ、海や山へ と広がって行 くようだ。開 くに従い、包 まれるものすべては、今既にそのなかに抱かれ、 日に当っている老 人たちや遊んでいる子供たち、また空に烏たちが飛び交 うなか、ツチやノミを優

しく奏でる職人たちのように、愛情深 く善良になることであろう。

なぜ、諸君 らの ・‑ だれ一人、そこに行 こうとしないのか。行ってみなさい、

何度 も行 くことを勧める。そこでは素晴 らしいことを語 って くれる金髪の顎薮を たくわえた男 に出会 うことだろう。新 しいことではないが、知 っていたことを知 らないでいた素晴 らしいことを話 して くれる。なぜな ら、日の当るところに新 し いことは何 もないものの、よく見れば、すべては常に新 しく、観察力鋭 く謙虚な 目にはすべてが語 り尽 くされることがないか らだ。謙虚 さをもって熱心に観察 し てきた人の言葉には、ものごとの本質を匂わせる何かがある。

]21り政IF'.J越 につ いては注 1の拙論

( 鳥居‑

1993)に詳 しい。

ll

(12)

彼はそこで弟子たち と仕事を し (モル タルを こね る上iL後の職人が彼の一番弟子 であろ うことを誰が知 ろ う)、その仕事は太陽に向か ってゆ っ くりと建 ち上が っ て行 くあの大 きな壁 なのだ。その壁は、青空を窓の透か し彫 りで縁取 り、壁の表 面を包む霧を晴 らすかのように、植物や花や果実や動物の浮彫や彫像、および石 の深い眠 りか ら覚め、意味ある御言葉の力によ り既に神を模 した被造物を予想さ せる人像を取付けなが ら、そ うしたヴィジ ョンで活気を帯 びている。

そ して、幾 世紀 も中断することな く建設 される大 きな翼のよ うに、空間に建ち 広がって行 くあの壁 は、そこで働 く男たち、最後の職人 と しての建築家の作品で ある。その壁 はおそ らく彼の作品、すなわち、彼が見た、精神の夢の深みか ら見 た愛の作品、諸手を広げ激 しい口調で近づ き、決 して満足す ることのない愛の作 品の象徴に過 ぎないのだ ・・・O

金髪髭の建築家の瞳の奥 に大 きな炎の光が輝 いているのを私 は見た ことがあ る。彼の慎 ま しい言葉は一気にほ とば しり、弟子 たちの物静かに考 え込む額には 遠方か らの同 じ強い光が輝 き、最後の職人の穏やかな仕草は、誰 よ りも彼 自身が 建築家の兄弟だと感 じているように思わせ る。 切石の間で 日に当る老人たち、細 心に遊ぶ子供たち、それ らの間を供想 して通 る善良な人々、そ してその周辺を偶

J‑r>

然にも歩 くことになる人々の満足 した高方への視線 に、われわれの市で何か大き よら

なことがなされていること、および市の人々はその ことを何 ら考えていない こと を、私は感 じるのだ。

諸君 らすべてはそ こに行 き、何が起 こっているのかを見 るべ きである。 だが、

行 くべきでない。 も し純粋な気持 ちでないのな ら、邪魔にな らないよ う行 く必要 はない。流行 とか道楽 とかの気持 ちでそ こに行 くのな ら、行 くべ きではない し、

そう諸君にお願いす る。何 ら助けになることはな く、大変 まずい結果 にな りかね ないかも知れないか らだ。心か ら最後の職人のケ亡弟 と自らを感 じ、モル タルを控 ねる手助けを したい と思 う人のみが行 くべ きである。

ジュアン ・マラガイ

『カタル一二ヤ画報』 (バルセロナ、1905年1月15El).: AnyII、No85,pp.35‑37

13 MaragalI,Joan "A L

a

"SagradaFamIILa'''‑,DLLStYaC1‑0'CatoIL7110(Barcelona,)5enero1905),Anyll, No85,pp35y37

(13)

3. 「 御慈悲のお恵みを ・・・!

」 (1905年11月7日 )

この第3聖堂讃歌は将来のサグラダ ・ファミリア聖堂の建立理念を決定付けた 意味でもっとも重要な賛歌であった。 この聖堂はバルセロナやカタル一二ヤのた めに建立することを本来の 目的 とは していない。 1898年 までスペインの植民地 であったフィ リピンを含む中南米諸国な どのスペイン語圏の聖 ヨセフに帰依する 信者たちの聖堂を建立することが目的あ り、その帰依者たちが組織する信心会の 本堂 としての建設であった. したがって、バルセロナの一般市民 とは無関係な建 立である。 しか し、この聖堂に魅了されたマラガイは、資金不足で建設を中断 し なければならないことを知 り、その続行をバルセロナの一眼市民に訴える必要が あった。

そこで最初の必要条件が聖堂の理念転換にあった。「サ ン ・ホセ信心会」の本 堂であることには触れず、「サグラダ ・ファミリア聖堂は、バルセロナにおける カタル一二ヤの理想の記念碑」であると建立 目的の転換を計 る。そ してガウディ を、そのモニュメン トを実現する 「神の使者」であ り、この使希は 「カタル一二ヤ の天才」だと定義付ける。 この二つを論拠 として、バルセロナの一般市民に聖堂 への献金を要請 したのである。同 じような例をアテネ市民に とってのパルテノン に見つけ、バルセロナ市民にとってサ グラダ ・ファミリアは不可欠な存在である ことを訴え、ガウディはサグラダ ・ファミリアを作 りなが ら、同時に 「われわれ カタル一二ヤ人たち」をも実現 しているという真理を解き明かす。

御慈悲のお恵みを ・・・! i Un agr a ⊂ l ade⊂ a r i d a d. . . !

古代のローマ市民がそうであったであろうように、私は しば しばバルセロナ市 民であることに高い誇 りを持つ ことがある。 しか し、時にはそ うであることを恥

じることもある。今、私はそうした恥を感 じているのだ。

サグラダ ・ファミリア聖堂を作 っているあの男が私にこう言 う。建設を続行す る資金が底を突きつつあ り、布施が減 っている、 とOすなわち、私たちの間で理 想が縮小 している、 と。私はいつもこの事の些細な理想を疑 ってきた。それは私 たち最大の生来の欠点であ り、本質的な欠点なのだ。その理想がさらに小さ くなっ ていると言 うのなら、私は冷静さを失わざるを得ないOなぜな ら、資金不足でサ グラダ・ファミリアの建設が中断する日が来るな ら、それはバルセロナに とって、

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またカタル一二ヤに とっても、公道で爆弾が姉裂 した り、あるいは百の工場が閉 鎖された りする時 と同 じく、もっともイこ吉な日になろうか らだ。なぜな ら、血に 染まった無政府状態の国民であっても、また窮乏状態の国民であっても、末だ国 民 と呼べる し、あらゆる希望を持つ権利があるものの、理想のない国民はゼロに 等 しく、何の権利 も持ち得ないか らである。

サグラダ ・ファミリア聖堂は、バルセロナにおけるカタル一二ヤの理想の記念 碑 〔モニュメン ト〕であ り、 どこまでも上昇 しようとする信仰の象徴であ り、高 きもの 〔神〕への切望を石化 したもの、そ して、〔カタル一二ヤの〕国民の魂を 映 し出す像 〔イメー ジ〕である。その周 りのあちこちに建 っているような小 さな 聖堂や礼拝堂、また小宮殿や修道院は、小 さな理想であ り、敬 うべ き小 さな慈愛 である. またそれ らは大 きな理想や慈愛の障害にな らない程度な ら、臼質されち しよう。われわれは、理想や富を多 くの小 さなものを作るのに浪iuiする国民なの であろうか。われわれに大きなものを作る能力がない とすれば、その他すべては いつの日か崩れ去るとい うのに。なぜなら、われわれの能力の大きさは作 る大き さにかかっているか らだ。その大 きな理想が、立ち往生 し、「もうできない」 と 泣きなが ら言 うような日が来て しまったのだ。

あの作品には天命的な兆のあることを見なければな らない。カタル一二ヤ人の 感情がその理想の拡大を始め、またバルセロナ市がその物理的拡張を始めたとき、

旧市街の とある店の薄噌い奥か ら、大 きな理想を抱いた小 さな男が現れた。彼の 理想は、新 しい大聖堂の建立だった。そ して彼は、些細で手間のかかる仕事に取

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り掛か り、極′トの布施で輝か しい工事に着手 した。市からは遠方の郊外、未だ野 Lr.

原の地、その大地に基礎を築いた。市は末だ遠 くにあ り、何 も知 らないでいた。

時は流れ、小さな布施は増え、礎石は将来の輝か しい巨躯を支えるため地下で締 Jl・rJ

固められた。末だ何 も見えず、市は誇 らしげにそちら側に進んできた。 しか し、

何 も知 らないでいた (そ してそこでは、 自らの栄光が築かれていた)。が、芽吹 いた種子が大地を起 こし、苗が光を求めて地表に現れたその時、神の使者 として、

もうひとりの男、あのヴィジ ョンを抱いた夢想家が出現 した。

夢想家であるだけに、誰 も彼のことを気にせず、彼 もまた、誰の ことも気にか けなかった。 しか し、彼は自力で自らのヴィジョンを描 き始め、聖堂は幾世紀か

1!. に一度の大開花のごとく建ち始めた。ある日のこと、そちらに進んできた市はそ

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tr. の素晴 らしい出現に気付き、度肝を抜かれた。その後、聖堂は望んで市に近づい て行 き、近づけば近づ くほど、聖堂は建ち上がって行 く。そ して、聖堂に隠れた 夢想家は、自らの理想を石 に織 り上げて行き、聖堂はそれ らの石を生み出 した命、

すなわちカタル一二ヤの命の鼓動 とともに建立される。なぜなら、あの男はカタ i‑ち

ル一二ヤの天才であるからだ。そ して市は富び、勝利の天に花 と穂の束を蟹え立 Lr'}

たせる尖塔群の足元に建物の波を打ち寄せて行 く。市 も成長 し、聖堂 も成長する。

Llユ 共に定まることな しに。なぜなら、魂は末だ内奥深 くにいるか らだ。市は外か ら の訪問者すべてに建設中の聖堂を誇 らしげに示 し、聖堂は物理的に拡大 しつつあ

t{, ・t',

る市に品格を与える。近い将来、バルセロナはあの聖堂の市になるであろうし、

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聖堂はあの市の聖堂で しかあ り得な くなるであろう。両者は永遠に切っても切れ ない関係になろう。

その聖堂の建設が中断するという。君 らの体に予期せぬ不安のよぎるのを感 じ ないだろうか。それ とも、その連帯を知 らないとでも言 うのであろうか。君 らは その連帯を畑 らない。君 らは未だサ グラダ ・ファミリア聖堂を知 らない し、よ く 見たことがない。君 らの連帯は未だ小さな聖堂や小さな宮殿、あ りとあらゆる棲 小な理想や小さな慈愛 と共にある。魂は今なお内奥深 くにいる。なぜなら、極め て小さなものに巨額の布施のあることを聞 くが、 しか し、 このサグラダ ・ファミ リアという大きなものには小さな布施 しか聞こえて来ないか らだ。その小さな布 rI@は貧乏人のオボロス 〔少額の寄付金〕 と呼ばれ、もっともfS:重であ り、もっと も神にふさわ しく、作品にはもっとも輝か しい布施なのだ。 こうした人々の寄付 による作品なのだ。 しか し、君 らもまた、そ うした人々の一人ではないのか。村 のみすぼ らしい古」祭、君 らが裕福な聖人 と呼ぶ信心深い人、息子の健康を願 って 2レアール 〔少額の2銭にも相当〕の2‑1銭をする母親、隠れて布施をするEl雇い、

聖人に願い事をする乙女、そ して、膨れた大きな手で讃銭箱に小銭だけを入れる ことのできる農夫、こうした人たちだけが人々だとでも言いたいのか。諸君 らは そうした人々であることを望 まないのか。悲 しいかな、魂は今なお内奥深 くにい るのだ。

いずれに しても、人々は献金に疲れ、もうできないことを君たちは知 らな くて はならない。人々は自らの聖堂を作 り、われわれに大 きな聖堂を作 ってきた。 し か し、君 らが聖堂にも人々にも何 ら望む ことのないことを知 ると、人々は聖堂に

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も君 らにも疲れ始めた ‑ ‑ 。 というのも、真実それ以上できないか らだ。人々 はもうできないO このことも君 らを覆轍させないのか、君たちの中には一片の市 民感情 も残 っていないのか。仮に君たちに何 もないとしたら、その ことがなお一 層君 らを意増 させないのか。

バルセロナの良識のある市民すべてが、財産に関する遺言書を作成する際、そ の一部をサンタ ・クルス病院に譲渡すべきと思 っていた時代があった。今問題に している聖堂がそうであるように、この病院も個人の創立であったが、市民の一

よ1') 人ひとりは何か自分のもののように感 じていた。なぜなら、自らの中に市全体を

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感 じていたか らだ し、あの昔の市には自らの市民がいたか らだ。 しか し、この新 tt}

しい市には新 しく大きな市民 と感 じるような市民が末だ存在 しないのだ。昔の市 民は総合病院の敬 うべき有用性を感 じていたが、今の市民は聖堂の有用性を感 じ ないのであろうか。 そうなら、彼 らに言いたい。聖堂は病院よりも有用だ し、擁 護院よ りも、また修道院よ りも有用だと。なぜな ら、聖堂を建立する行為には、

すべての病院、すべての擁護院、そ してすべての修道院を作 るに等 しい徳がある か らだ。聖堂は最/川唄の食糧を満足させることと同 じく極めて急を要す ことだ、

と私は言いたい.古代のアテネでは多 くの人が非常に寅 しく生 き、死んでいった ことを考えてみよう。だとして、君 らは痛みを感 じるだろうか。 しか し、パルテ ノンが建設 されなかったとしたら、君 らはどう感 じるだろう。ギ リシア人にとっ て何がもっとも必要であったのか。何が人間精神にもっとも必要であったのか。

今、そこに、建設半ばで、もう続行できないでいる、われわれのパルテノンが ある。それ と共に、われわれすべても中途半端な発育不全の状態になっているこ とを考えるべきだ。聖堂を作っている男 〔ガウディ〕は、それを作 りなが ら、同 時にわれわれ 〔カタル一二ヤ人〕 自身をも作 っていることを悟るべ きだ。君 らは この神秘を読み取れないとでもいうのか。物事はあいまいに引き延ばすことはで きず、時は流れ、天命を受けた彼 もやがては死ぬ。だとしたら、 どうなるかを考 えるべきだ。彼は言 う、大 した問題ではない、聖堂は何世紀 もかかるのだか ら、と。

しか し、私は思 う。その完成ヴィジョンをわれわれに示さぬ限 り、彼には死ぬ権 利はないと。そのヴィジ ョンは時代のヴィジョンであ り、われわれがその時代で あるからだ。 ヴィジ ョンがあれば、後は、次 世代が時代に合わせ完成 させること であろう。 もしわれわれのケチ根性がため、後世に未完のヴィジョンを遺 したま

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ま彼に死ぬ権利を与えたとしたら。 もしわれわれが、未完の聖堂に終わった未完 の市民であると、歴史にその名を亥りまれたとしたら。未完の聖堂の市民、 と人は 言おう。 これは 「カタル一二ヤ人たちのケチさゆえの貧困」なのだ。「詩人」 〔ガ ウディ〕の汚名はカタル一二ヤを前に して消え去 ることはないであろう。

なぜガウディは、 日中の街に出て、片手に帽子を差 し伸べ、すべての人々に聖 堂への布施を声高に請わないのか。できることな ら、私はそれを見たい。 これ ら の人々が、あ まりにも憤重なわが市民が、崇高なこの狂気沙汰を前に して、つい には気が狂い、預言者の行 く手に後光が差すかのような逆上情況のなかで、胸や 腕か ら宝石をはぎとり、褒ポケッ トか ら紙幣を取 り出 し、寛 しい人はその貧 しさ を、子供 らは玩具を与えるであろう。 この狂気沙汰が度をませばますほど、聖堂 はさらに高 く、さ らに大 き くひ とりでに建 ち上が って行 くと思 う。石が石を生 み、円柱が枝のようにアーチに広が り、ヴォール トが緩やかに弧を描いて行 こう。

ヴィジョンは完成 しよ う。わが市民がそ うであろ うか らだ。 だ とすれば、カタ ル一二ヤは自らの新聖堂を建立 した市民の威厳をもって歴史に名を遺すことにな ろう。ヴィジ ョン、完成 ヴィジョン、君にそれを信 じたい。最後にこう言って君 を奮い立たせ たい。真昼の通 りに出て、「神の愛による御慈愛のお恵みを !」 と 声高にガウデ ィが叫ぶ ことを。 (傍点は訳苗による強調)

ジュアン ・マラガイ

『日刊バルセロナ』 (バルセロナ、1905年11月7日)H No295,pp.12127・28 この聖堂讃歌はバルセロナ市民のみならず、ガウディにも要請する内容を含ん でいた。すなわち 「完成 ヴィジョンをわれわれに示 さぬ限 り、彼には死ぬ権利は ない」 として、ガウディに聖堂計画案の完成を要請 していたのであるOさらに、

聖堂に じっとして献金の集 まるのを待つのではな く、街頭に出て献金請いをする ように、 とガウディに要請 しているのである。 この要請を受け、翌年1月に現在 知 られている聖堂完成予想図(図 6)が初めて公表された15。献金請いに関 しては、

)4 Maragall,Joall・ ‑lunagracladecarldad!p,DiariodeBarce/oyto(Barcelon.i,7novlembre1905), No295,pp)2127‑28

15 ‑EITmp]edelaSagradaFamilla‑EISomnlReallSat∴ LoVetldeCalaltIIL),a(Barcelona、20Janer 1906),Any16,No2437,p3I。JiF3)」には助手ル ビオーによって描かれ た完l戊予ir!L頚 (8) 以下の雑誌に公表される LoTempledelaSagradaFamilla‑IdeadeloqLLeSera‑ITemp)etInaCap acabat'1,mLSlractdCatala710(Barcelona,18mars1906),Any4,No146,p・161

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マラガイ亡 き後の1914年の 冬、聖堂の赤字財政で建設中 断の決定が下された時、その 決定を覆すべ く実行 され、そ れは戸別訪問 という形で実現 された。事実、この戸別訪問 によ り巨額の献金が生 まれ、

現在までの聖堂建設が可能に なっているのだ。

4. 「サ グラダ ・フ ァミ リアにて」

(1906年3月19日) この第4聖堂讃歌 は第2賛 歌 と同 じタイ トルで新聞 『日 刊バルセロナ』にスペイ ン語

I:L SOMNJRE人目SAT

' 'l'ALI ‑ll ‑ ■一 一u■■..‑ニT .I̲三ご T ̲JT .‑J .r 1 一 ・・. ・‑ ̲ .I ̲ ̲ ..̲ .

図6 聖堂完成予想図 「実現された夢」lSO5年 l月初公表 で掲載された。第 1賛歌 「生

まれつつある聖堂」 と第

3

賃歌 「御慈悲のお恵みを ・・・!」 も同新聞での掲搬 であるか ら、これで3度 目となる。 また、 この讃歌が掲載されたのは3月19日 であ り、 この 日は聖 ヨセフ、すなわちサン ・ホセの祭 日に相当する。宗教心の薄 らいだ時代である. この時代に唯一お布施だけによる聖堂の建立がいかに難 しい かを物語っているよ うな賛歌である。一般市民に献金の要請を したいのだが、直 球で攻める訳には行かない。変化球を交え、建設中の聖堂がいかに神秘的なもの であるかを訴えることにより、聖堂への関心を促 し、何 とか献金に漕ぎついても らいたいという願いで書かれたものが本讃歌であろう。

サグラダ ・ファミリアにて E nl aS a g r a d aF a mi l i a

サン ・ホセ 〔聖 ヨセフの 日、3月19日〕が近づいたので、またサグラダ ・ファ ミリア 〔聖家族〕聖堂に足を運ぶべ きと思 っていた。なぜな ら、世間ではサ ン ・ ホセは 「父」、すなわち 「家族」の長であ り、家長 とは体の頭であ り、体の部分が 「聖

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母マ リア」 と 「神の子」であるか らだ。愛が知識の価値を低め、すべてを大いな る優 しさのなかに融和することがなければ、こうした考えを忘れさせたことであ ろう。なぜな ら、われわれすべては何 らかの形でサグラダ ・ファミリアの一員で あるか らだ。

私は、 ここに来るときは必ず感 じるあの聖なる懐きを覚えなが ら、聖堂に足を 運んだ。既に遠方か ら、その威厳さが、私にはな じみ深 く、 しか し常に新鮮な感 じの大波のよ うに、私に押 し寄せてきた。なぜな ら、その深 さは底知れず、その 豊かさは決 して尽きることがないか らだ。 この聖堂は、 どんなに馴染み深いもの になっても、決 してわれわれ と同一になることはないOわれわれの矢.nらない何か が常にあ り、神秘のなかに常に何かを宿 している。 この何かがその途方 もない魅 力なのだ。末だ生 まれつつあるのに、聖堂は人を既に魅了する。

債務者のよ うに私はそこに足を運んだ。他人に対する義務の履行ではな く、己 よ「. のなかでの己に対する履行 として

.3

月の白く輝 く陽光を受けなが ら、未完の市

〔拡大 している都市〕の広い道路を歩いて行 った。そよ風は小 さなつむ じ風のな かで嘆をたて、空を,ltLそうに要が うごめいていた。そ して、聖堂はいつ ものよ うに、何度来ても同 じように、大きな廃嘘のように現れた。あるいは、ある少女 が初めて見て言ったように、大きな鳩舎塔にも思える。事実、尖塔の高みや錠塔 の足場の間を鳩が飛ん

でいる。しか し私には、

廃城 とい う感 じがよ り 強 くする し、その方が 私を膏ばせる。なぜな ら、あの廃城が誕生で あることを細 っている から、あらゆる廃嘘の 悲 しさか ら私を解き放 つか らだ し、破壊のよ

うに見えるこの建設を ギ'!・' 知ってか らは、すべて

の破壊が永遠の建設の .LJ●I

図7 サグラダ ・ファミリア聖堂、建設状況1906年

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ように私は思えるようになったか らである。

飛ぼ うと開いた ■Gを既にひ とつ持 っている (図 7)。 しか し、 もうひ とつの 巽は末だ開かず、その出現に震えているような空間のなかで、愛徳が形にするの を待つ。なぜなら、左右対称の神秘がそ うなることを命 じているか らだ。したがっ て、心の目には、末 だ作 られていないその翼のヴィジョンのようなものが既にあ り、その巽の切望が 自らの空間になるべ き空間のなかで震えている.であるか ら、

諸君は境内となるべ きところに足を踏み入れ、目を閉 じて行 くな ら、あの切望に 包まれていると感 じ、聖堂の内部にいると感 じることだろう。その空間は既に聖 域に違いないO こうした意味では、廃城のなかの空洞にも似てお り、それでもそ れは常に聖域なのだ。

末だ見えないその聖域で何が起 こっているかを見るがよい。そ して、聖堂のそ の奥に入ることに しよう。確かに祭壇 も、聖像 も、 ミサもない し、信者 も、そ し て司祭も末だいない。いまなお野原にすぎない。 しか し、君 らの巨=こは、今まで とは異なる何か特別の方法で太陽が照 らしているように見えよう。聖堂のなかに は、樹木があ り、飛 び交 う烏がお り、 この時期のみずみず しく青づ く草がある。

そして、遊んでいる子供たちや休んでいる大人たち、忙 しくしている女性たちや 日に当る老人たちがいる。 また、聖堂が最初に必要 とする貧 しい人々がいる。 し か し、これ らすべて、これらのすべては、何 らかの変徳を備えている。あえて言 えば、すべてがプレ 〔前〕聖域のなかにいるのだ。よ く分か らないのだが、樹木 が枝を伸ばす こと、草がみずみず しく音づ くこと、子供が遊ぶ ことや大人が休ん でいること、さらに老人たち、すべては、それ以前 と同 じ存在だが、あたか も、

殻を打ち破 り、その精神を見せたいという存在意義で満たされているようだ。 と するなら、聖堂は、すべて、石や火か らパ ンやワインや言葉に至るまでのすべて、

そうしたものの存在意義で満たされる場所に他ならないはずである。

16‑鮫にキ リス ト教聖堂は十字形の平面を持つ。上部の頭の部分が聖堂執部であ り,主祭也

の位旧する内陣、足元の胴体部が信者の礼伴場所 となる身廊跳、内郷に対 しては外I坤に相当する。

十字の交差する中心部は交差部、そ して腕の部分を交差廓、またはi'棚iiと呼ぶ。身廊部と沢廊 部それぞれの先端に正面 (ファサー ド)が必要 とな り、それぞれに扉Elが[設け られる。サグラ ダ ・ファミリア聖堂の 「降誕」の扉口とは、一方の3]棚 riに設け られたファサー ドであ り、その 2つのファサー ドは当時は兼だ仔fEしないoしたがって1つの粥腕が存在する見方もできる。

本文の 「iT・'i」 とはこの ril・!J廓を.故味する.

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われわれが毎 日そこに行き、そこで一時を過 ごすな ら、あ りとあ らゆるものに A‑ち

認め られる名のない何かを市やわれわれの生活にもたらすことになろう。なぜな ら、あそこの空気がここらの空気 とは違 うことは確かであるか らだO何 も知 らな い子供 まで、あそこでは普通 とは異なる遊び方を し、老人の顔には無心の幸せな 表情が見える。

私の訪問は、いつ ものように、聖堂の種子を探すかのように先ずクリブタ 〔地 下礼拝堂〕に降 りることか ら始める。それは、十分に分別をわきまえ、再度、屋 外の光のなかに拡がっている部分に昇るためである。後陣の裏側の高 く積 まれた 石組の影のなかを一巡する。その影は確実に涼 しい影なのだ。その後、す ぐさま 恐れ快くことのないよう、扉口でのあの素晴 らしい石の息遣いをちらりと覗き見 る。次は、恐 る恐る扉口の正面に回 り、それを眺めに行 く。その中央に立つ と直 ぐ、誠の扉口がすべてそ うであるように、強烈な引力を感 じる。それは優 しい命 令口調で、「入 りなさい !」 と言 う。 しか し、今回は、 どうい うわけか、一度 も していないことを した。入口に留まり、見上げたのだ。その瞬間、私の上にすべ てが建ち上が ったかのように真上に扉口を見たのである。人の顔が私の方を見な が ら現れ、ベ ツレヘムの星が石の光線を私の額に放 った。私は一度 として石でで きた光を見たことがない。 しか し、あれは光の流れだった。石が歌 うのも一度 と して聞いたことがない. しか し、石の扉口全体が耳を鎚するようなハーモニーで 歌 っているよ うに思えた。入ったのか、それ とも出たのか、よ く分か らない。な ぜなら、この聖堂では外よりも内の方がよ り光があ り、よ り風があるか らだ。

その後、境内の外に出るまで、振 り返 ることな くそこを横断 した。それか ら振 り返 り、ざわついた空を流れる雲の下、 3月の白い陽光を浴び、大きく張った巽 を再び見た。あの少女が言 った鳩舎塔 と扉口の両側に肇え立ちつつある

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基の白 い鐘塔をもう一度見た。

私はサグラダ ・ファミリア聖堂をいつ も同 じ歌詞で歌 っている、 と人は言 うで あろう。実際、その歌が私のものであることを神はお望みであろう。なぜな ら、

それが真実 として、 しかもいつも同 じ歌であるな ら、それは常に新 しく、民謡の ように回を重ねるごとに価値を増すか らだ。民謡は繰 り返 し聞 くことによ り浸透 し、繰 り返すほど豊かになる。それ故、古ければ古いほ どよ り一層知 られること になる。できることな ら、そうなることを望む。すなわち、初めて聖堂について

21

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私が語っていることを聞き、私の 言葉を好 きになれなか った人が、

2匝旧 は我慢 してそれを聞き、 3 回目には興味を持ち始め、そ して 最後には、私自身を 自ら説明でき ないとしても、私の語っているこ とが正 しい と言 って くれ るこ と を望む。

なぜなら、問題は、私の説明が 良いとか、悪いとかにあるのでは な く、われわれ の精神 が この聖 堂の建設にかかっていることを、

機会があれ ばいつ で も思 い出す ことにあるか らだ。 したがって、

私の言葉のすべては、存在するも 8 完成予想図 1906年 3月JoanRubid のの賛美ではな く、良心の命ずる 「もっとなすべき」 とい う絶対的必要性に向け

られている。それらの言葉を聞きた くない人が耳をふさいでも無駄である。なぜ なら、その建設を一・度でも見て しまえば、決 して途絶えることのないその必要性 が自身の内部に居残 るか らだ。 もし忘れているな ら、ただその ことに気付いても らいたい。そのためには、本稿の表題だけで私には十分であった。 この短い表題 に驚いた人が、急いでページをめ くっても無駄である。精神的に急を要せば要す ほど、物質的にはよ り不要になるようなこの種の義務に対 しての痛みを感 じるに は、この程度の言葉 で十分であるか らだ。

その上、サン ・ホセの祭 日 〔3月19日〕、 どの道か ら行 ったところで、結局の ところ、この幸せな聖堂に辿 り着かざるを得ない、と私は思 う。

ジュアン ・マラガイ

『日刊バルセロナ』 (バルセロナ、 1906年3月19日)17

No78,pp.3392‑94

17 MaragtlH,JoLln NEnlaSagradLIFamHa".D

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IOdeBarceloJLa(Barcelona.19marzo I906).No78,

pp3392194

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5. 「 時を超えて

」 (1907年)

これはサグラダ ・ファミリアをテーマ とする最後の第

5

聖堂讃歌であ り、美術 雑誌 『フォルマ (形)』に掲載された。該当号はサ グラダ ・ファミリアとスルバ ランを特集 し、後者については無記名の論稿「スルバラン」のみであったのに対 し、

前者に関 しては ピジュアンの 「サグラダ・ファミリアの作品」 と本賛歌を収録 し、

聖堂写真計16枚(図 9)を掲載する ldo この聖堂賛歌は「御慈悲のお恵みを‑・!」 (1905)での計画案完成の史話に

従い、二つの聖堂完成予想図 (図 6・8)が公 表 され た こ とに よ り、聖堂 の ヴ ィジ ョンが明 らか にされた こ とを受 ける ものであ ろ う。 あ る意 味 で、ガ ウデ ィへ の感謝 を 目的 に していたに違 い ない。切望 していた ものが手 に 入 ったことによる安堵感が漂い、

論調 も極めて穏やかに思える。 図9 降誕のファサー ド建設状況1907年

時を超えて F u e r ad e l t l e mP O

サグラダ ・ファミリアの工事現場に入るたび、時間を超越 した感党を覚える。

すなわち、現在 という瞬間が両ちに歴史的パースペ クテイヴを目の前に獲得する.

遠ざか り、さらに遠ざかって行 く ・・・・・西暦二千数丙年、既に完成 し、献堂 式を終え、内部は古 く、香煙で黒ずみ、外部は陽光 と風雨で褐色に焼けた聖堂の 内部に私はいる。 この瞬間から今度は、境内に入 る自分を見 るが、驚いたことに そこには半開きの袋がひ とつ しかない。それは、巨大な規模全体の他の大部分が 眠っている大地の内奥か ら出現 しているかのようだ。

サグラダ ・ファミリアが石工された時、すなわち、あの英雄的な時代でのよう な瞬間か ら自分を見る。 もっとも古い大聖堂の建立に立ち会 った人々を羨むよう に、あの着工時に生きていた自分を羨む。我に返 り、この英雄的な過去が私の現

]S PlJOan.J LaobrIdelaSagradaFamlIla'',For川a(Barcelona,1907).Vo=T,No16.pp123‑34/

MaragalI,Joan: Fueradeltiempo,pp.137‑47

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在であると知った時、私は大変誇 らしげにな り、心の世界に生 きているように感 じる。

アーチや円柱の、生 まれつつある森から、既に心に描いている将来の完成 した 聖堂の魅力を説明するために現れた赤味を帯びた顎髭の小 さな男は、間違いな く、

途方 もない巨人であろう、と私は思 う。

ガウディはどんな人であったのか‑ と、今なお眠 り、遠い未来の神秘のなかで 待ちなが ら、これか らも長 く眠 り続けることであろう人々は私に尋ねるに違いな い‑.そのガウディは私の目の前にいるO途轍 もない構想を力強 く興奮 して語 っ ている。一彼は誰 と話 しているのだろうか‑。 ここに私がお り、この生きている 私が彼 と話 している。ガウディが話す柏手のひとりが、この哀れな私なのだ。

この度は、夕暮れ時の 「降誕」の扉口の前、そこか ら遠 くの夕焼けを眺めなが ら、彼はわれわれに話 した。われわれの周 りではすべてが分か り難いのだが、彼 は彫刻 という偉大な芸術の神秘をわれわれに説明 した。 この男は詩人なのだ。な ぜなら、彼の唇ではすべてが真実であ り、すべてを新 しくするからだ。彼はそ う したことを話 しなが ら、言ったことを自らに明 らかに しているよ うだ。同時に、

言っていることが彼 自身にも新 しく思われ、興奮 しなが ら、驚喜 してそれを楽 し む。 これが詩人でな くて何であろう。

遠方の、さらにその先の彼方では、夕焼けも消え、周辺はすべ て暗 くなった。

聖堂の上部では、透か し窓か ら入って くる光線がすべてを どこか らともな く明る くする、 と彼はわれわれに説明する。正に森のなかでのように、森の内部でのよ うに、 と微笑みを浮かべなが ら、予見者の沈着 した興奮を もって話 し続ける. し か し、彼 もわれわれ もこの驚嘆すべきものを死すべ き目で見ることのできないこ とを考えてみよう。そ して、このことがわれわれにその喜びをさらに強 くしよう。

ヴィジョンとわれわれ との間には死 とい う避けがたい存在がある。素晴 らしい聖 堂の輝 く日を自らの 目で見ることのできる人は、夕刻の森のなかでのような場所 にいなが ら、数世紀前、同 じ場所だが、いかなるヴォール トもない夜空の下でメ ランコリックに考えたこれら4人の男たちのヴィジョンを羨ま しく思 うかも知れ ない。

われわれはそこを立ち去る。夜風のなかでわれわれの声は時を超 えた心の会話 でのように遠のいて行った.着工 した聖堂の大きな翼は、それが属することにな

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