富大経済論集
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産体制と技術革新の時代の象徴たる産業社会なる社会観を背景とする新しい粧いをこらLた制度論的経営学者として
登場し︑さらにこのような制度論的見解を基礎とした企業観のもとで現代のとくに大企業が直面している実践的課題
アメリカにおける代表的大企業ジェネラルモータに応える管理論的提言を展開するに至る一つの契機となったのは︑
ース社(以下G・M社と略称)の事業部制に関する実証的研究であったD彼はG・M社の事業部制の運営の中において
大量生産体制にふさわしき組織原理を認め︑これを基軸として大企業の制度的諸問題への接近を試み︑独自な企業観
をうちたてたのである︒この場合に彼の企業観の形成にあたり事業部制運営にみられた諸問題が如何なる影響を及ぼ
し如何なる問題を投げかけたかを考察してみることは︑彼の学説llひいては事業部制そのもののイデオロギー的性
格ーーの内在的批判的検討を志すわれわれにとって避けることのできない問題である口
事業部制ないし分権制︒問題はすでにE
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ンバッハによって指摘され‑た
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の下での固定費増大との関連において価格の硬直性←経済活動における力動性の減退︑そこから必然的に起って来る
官僚的管理の問題を提起し︑かかる弊害から脱却する道として次のことを提唱したのであった︒すなわち自由競争時
代の市場価格の有していた能率刺激の機能を代行する限界原価原理にもとづく計算価格を大企業の計算制度に導入
し︑部門経営の独立採算制と競争的刺激の結合に裏付けられた企業者精神の復活││分権制の採用
il ーを彼は提唱し
たの
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る︒
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lレンバッハがこのように大企業における経営管理の官僚的硬直化の原因を固定費の発生に求めるという経
済的側面からの技術主義的アプローチから分権制を提唱したのに対して︑ドラッカーのアプローチは対照的な面をも
っているといえる︒すなわちドラッカーは大企業の経済的制度としての特質を第一義的なものとしながらも社会的制
度としての特質を重視し︑経営者管理者を含めた従業員の社会的な地位と機能に対する欲求の充足をはかりつつ目標
と自己統制による管理を達成しそのことを通して経営者的能度ないし視野を備えた経営者の育成をはかるという組織
的なアプローチから分権制ないし事業部制を提唱しているわけである︒この場合ドラッカーにあっては独占資本主義
の段階においてなお自由なる市場経済に対する信頼が極めて大きいのであり︑この点で自由なる市場経済が喪失した
という前提に立つシュマlレンバッハとは対照的なものをもっている︒ドラッカーにおいては大量生産革命によって
市場経済の力動性はむしろ高まる根拠を与えられたと考えられ︑企業目的として営利原則に代えるに顧客の創造がか
かげられ︑本来の企業目的そのものである筈の利潤追求は︑目的達成の手段として転倒せしめられることとなる︒こ
のことは利潤そのものが創造的な企業活動の結果でありまた業績判定の尺度と観ぜられること︑そしてさらに利潤概
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内容のものと解されて︑その意味では未来を指向する長期的な要因を考慮し好不況にかかわらず一定の収益率だけは
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確保する内容のものと理解されるに至った結果である
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きてドラッカーが市場経済の力動性を高めうると判断する物質的基盤の上に立脚して︑前提であり結果である利潤 創出と結びついた顧客の創造を実践する主体は︑いうまでもなく組織体とじての大企業そのものであり︑ここに大企
業の社会的制度としての性格が大きく浮び上って来るのである︒そしてまたこの点において事業部制の果す役割が︑
単なる管理の技術という意味でなく社会秩序の輪郭を示すものという音山味をも踏まえて決定的な意義をもつことにな
るのであるJ
事業部制そのものは彼が制度派的アプローチに立脚する管理論的経営学者として登場する以前にすでに
G・Mの如
き大企業で実行に移されていたわけであり︑いろいろ問題と矛盾をはらむとはいえドラッカーの主張する企業観その
ものの実証的裏付はその中で醸成されつつあったと見て差し支えないであろう︒
深い検討と一定の洞察なしには彼の企業観は展開されなかったに相違ない︒ とすると事業部制の内容についての そこで小論においてはドラッカー自身が事業部制をどのように捉えかっその中からどのような問題点を摘出しそれ
を自らの企業観の展開に結びつけて理解したか︑さらに事業部制と彼の企業観との関連の主要な問題点の批判的な検
討を試みることとしたい︒
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土一岐政蔵﹁分権的経営管理について﹂神戸大学会計学研究会編(シュマlレンバッハ研究)一四七頁︒中村常次郎﹁シュマlレンバッハの自由経済論﹂(シュマlレンバッハ研究)ご九七頁︒矢島基
臣著﹁管理価格論の展開﹂第一章分権的経営管理と限界原価︒
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この場合社会的制度の社会的の意味は生産力の社会的性格といった意味の全社会にわたるそれではなく︑人間関係的ププローチ
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ドラッカーがその企業観をもっとも明確にうち出したのは有名な著作﹁新しい社会﹂においてである︒その中では
現代の大企業が存立している社会││a産業社会ーーーがどのような社会であり︑かっその社会にあって大企業のもつ基
本的性格と機能︑そして企業管理の基本原理が何であるかが分析されている︒
さしあたり彼の主張する要点をまとめてみれば次の如くになる︒
現代社会は何よりもまず急速に産業化しつつある社会であって︑ ︑あらゆる物的人的生産力の諸要素は大量生産方式
の下で組織化され機構化されて圧倒的な生産力を発揮する︒
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lフォードが大量生産の原理を始めて採用して以
来︑この原理が社会に及ぼした革命的影響は史上未曽有のものがあり︑社会体制やイデオロギーといった問題は︑こ
の原理の性格に比すれば二義的意義しか有しなくなってい&︒大量生産原理によって産業社会は経済的には従来のい
かなる技術変化よりも生産性や生活水準を向上さす見込を有するが︑反面において社会的政治的には激しい全般的な
危機が訪れか︒この理由として彼は不況と失業の問題を重視するが︑同時にこういった問題もさることながらこのよ
うな危機の根底に労働者の生産物及び生産手段からの分離によって起る社会的衝撃の問題があることをはっきり意識
している︒すなわち生産物と生産手段からの労働者の分離は本質的なもので絶対的なものであり︑法的支配権や政治
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制度と関係がない︒なぜなら労働者だけでは生産することはできないのであって︑工場と呼ばれる高度に複雑化した
人間及び機械︑道具からなる機構に加わらなければ生産できないからである︒生産物は工場全体によって作り出され
ている共働の産物なのである︒そして大量生産の原理は︑機械化の原理でなく社会の原理であり人間組織の原理でも
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あるから産業体において生産するのは個々人というよりむしろ組織である︒そこでこのような大量生産という新しい
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hvahv社会が求める技体は道具や材料を扱う上での技何というよりはむしろ社会的知性的な技何であるから︑大量生産時代
それとともに伝統的な仕事への満足感をもなくしてしま
は伝統的な職業と技何が持っていた社会的威光を破壊し︑
ぅ︒産業化はその人が生長してきた社会的土壌から彼を文字通りに引抜き彼の伝統的価値感を失わせ彼の伝統的行動
をマヒさせてしまう︒
右の如き大量生産原理の下におかれた社会経済秩序をもってその内容とする産業社会が当面しつつある諸問題は︑
結局産業社会で主役を演ずる産業企業そのものが当面する問題でもあり︑企業の側の自主的解決が求められる問題で
あると彼は考える︒すなわち産業社会の根本問題は企業自身の中にあるのであって上部構造を変えることでは解決さ
れない︒産業企業は自律的な制度
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であってそれ自身の法則と原理をもっている︒すなわち大
企業の経済社会に対する影響力が決定的であることからみてそれは決定的制度(骨
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でもあり︑また社会体制と
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そして企業の所有と経営のほとんど完全な分離の下では企業体の機能は本質的に国家の統御を超えたものだとすも︒
次に企業の性格と構造について彼は企業の三重機能的性格と二重構造性を指摘する︒企業は元来経済構造と別個の
社会的存在構造を有しこの二重構造に立脚して経済的制度であると同時に従業員の忠誠確保といった政治的機能を果
す統治的制度
Q 2 2 5 8 Z
ごロ∞門広三宮)でもあり︑工場共同体職場社会への参加といった形で労働者の社会的地位と機能
に対する欲求の充足をはかる社会的制度でもあるという三重機能性格を持っている︒説明をもう少し補足してみると
経済約制度としての企業は産業社会の主要な経稿用具として集合的機構による生産を行なう制度である︒統治的制度
としての企業は企業体内権威をもって正規の統治機能を行ない︑権カ関係にもとづいた内部秩序を維持する︒彼がと
りわけ強調するのは社会的制度としての企業の側面である︒すなわち企業体は工場共同体を内包しているが︑労働者
はその中にあって社会的地位と機能に対する欲求の充足を経済的欲求の充足よりも重視するものであるから︑企業体
は個々人に対し社会的な地位と機能を与えなくてはならぬ︒しかも産業企業を適正に機能させるためには従業員は自
らの仕事に対し経営者的態度をとり︑自己を企業体における市民であると考えるべきであり︑企業体が生産的で能率
的であるためには従業員各自の才能︑創意︑協力をいっそう必要とする︒社会的制度の強調はドラッカーの人間関係
論からの強い影響を物語るものといえよう︒
このように社会的制度の側面の強調がみられるに拘らず︑彼は企業自体としては経済的制度としての機能が第一義
的であるとする︒すなわち︑企業体の存続はその経済的責務の能率的遂行いかんによるのであり︑社会からみれば企
業の目的は経済的成果であって︑それによって企業は正当化されるという点から経済的機能が社会にとっても重要で
ある
と︒
このように経済的機能とその成果を重視しながらも彼は在来の定説である企業目的を最大利潤追求に求めることに
反対するわけである︒彼によれば企業の目的は利益にあらずして顧客の創造であ&︒利益は企業活動のむしろ規定要
因であり︑企業の成功の尺度である︒だから企業はつねに事業を持続させる費用を償い未来における損失を回避する
に最低限必要な利潤の獲得に努めなくてはならない川口このような利潤の内容は一つは危険補償であり︑二つには社会
的費用を負担することであり︑三つには企業発展のための資本の生産である︒きて企業目的と関連して企業は二つの
‑589←
基本職能を果す必要がある︒それは市場開拓と革新という企業者的職能であり︑この外に企業の行政的職能として富
生産的資源の生産的利用があげられる︒そしてこのような基本職能を実践する場合の管理目標として①市場地位︑①
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革新︑①生産性︑④物的︑財政的資源︑①収益性︑①経営者の業積と育成︑⑦労働者の業績と態度︑③公共的責任︑
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の八つの主要分野をあげるわけである︒
以上述べたところでも明らかな如く︑要するに彼の企業観の特色をなすものは企業を人間協働による努力の成果と
じて捉える見方であり︑企業の社会的共同体としての側面または企業における人的資源の重視である︒利益というの
は結局こういう人間協働︑組織的活動の成果の目安であり︑客観的な唯一の判定基準として機能し︑しかも企業の維
持存続の物的基礎と解されているのである︒
このような企業観を基礎として彼は企業管理の原則として今日いう目標管理すなわち目標と自己統制による管理を
強調するのである︒彼によると企業管理というものはその性格上は企業者的で創造的な仕事であり︑自由な産業社会
にのみ存在しうるものである︒そこでは個人目標と共通の福祉を調和させる管理の原理として目標と自己統制による
管理が提唱される︒すなわち企業は真の意味でのチームを組織し︑各成員の努力が企業全体の努力となるような体制
を築き上げねばならぬ故に︑事業の推進のためには個々の業務の目擦が事業全体の目標H事業の客観的必要︑と合致
することが必要とされるが︑とくに経営担当者の業務は事業全体の成功を中心に考えなければならない︒経営担当者
に楳せられる仕事は事業遂行上の固標にもとづいてきめられ︑その成果も事業問標達成のためどれだけの寄与があっ
たかによって評価されなければならな
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︒事業においては付経営担当者の仕事の多くが専門分化していること︑同経営管理組織が階層的であること︑同日各層によって実際の仕事や思考の様式が異っている結果︑経営層の内的結合がく
ずれる︑といったいくつかの要因によって仕事は全体目標からはずれた方向に向けられる傾向があるから︑正しい白
標に従った経営を行うにはそれ相応の努力と方策が必要となる︒このような努力によって与えらるべき目標は︑すべ
ての階層にわたってそれぞれはっきり定義されたものであり︑各経営単位の行うべき業務をきめるものでなくてはな
らぬ︒かかる目標を正しく設定し実行していくには︑従来しばしばみられた上からの強制による管理ではなく︑目標
を各経営担当者自らに考えさせ設定せしめること︑そしてその目標に照らして自らの行為を判定し統制する管理を実
施しなくてはならない︒
このような目標管理の原則のもとで彼は各人に対して経営者的態度ないし経営者的視野を与えていわゆる責任労働
者の育成を計るべきことを主張する︒経営者的態度とは個々人をして自己の職務︑仕事︑生産物を全体との関連にお
いて捉える能度であり︑集団の仕事と全体の成果を関連させて眺める見方であるDそしてこのような態度なり見方を
もっとも必要とするのは産業的中間階級のグループであるロ彼はこのような態度を身につけるに足る条件こそ目標と
自己統制による管理の原則にあるのであり︑この原則をもっとも十分に活用できるものこそ連邦的︑職能的二つの方
式による分権制であると考えるわけである︒
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註 白1)(lO) (9) (8) (7) (6) (5) (4) (3) (2) (1)
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社において始めて連邦主義による分権制
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事業部制を導入したのは
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スローンであるが︑彼は分権化
の概念を経営管理の哲学及び部門自治の制度に発展させたといわれる︒しかもそれは単なる管理の技術ではなく社会 秩序の輪郭を示すもので︑分権化は部門経営担当者と中央経営層の関係に限定されず︑理論上は職長を含むすべての 経営者の地位にまで拡張されている︒そして分権化はその適用といっそうの拡張が近代産業社会における諸問題の大 部分に対する回答であるとされている︒ドラッカーは分権化をもって産業秩序の原理とみているが︑このことは一体 何を意味するのであろうか︒このことを理解するためには彼自身がどのような角度から分権制をとりあげようとした
かをまず検討してみる必要があろう︒
彼は大企業に対し始めてその独自な社会思想
H経営思想的分析のメスを向けた著作︒︒ロ
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(現代大企業論)において︑共通目的に向う人間の努力を組織する社会的制度として大会社を分析する必要を力説する
とともに︑分析にあたって三つのレベルでそれを進めることを指適している︒彼によるとすべての制度は︑それが奉仕
する社会の信条や約束によって分析されねばならないが︑社会における中心的制度としての大会社の場合このことは とくに重要である︒このような観点から大会社を分析する場合まず第一の
Vベ;ル年おいては︑自樟酌制度主して大会
社を分析する問題があり︑第二のレペ戸においては会社内部の諸関係の分析が取扱われるべきであり︑第三のレべ
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においては社会の中での大企業が分析さるべきであるD第一のレベルにおいての主要な問題は三つあるのであって︑
まず長期計画と行動や運用のルールの意味をもっ政策の問題︑新しい問題や状況の変化に適合する柔軟な政策の問題
がある︒次の問題として単なる専門家でなく責任ある政策決定をなしうる指導者の供給を保障しその訓練とテストを
リーダーシップいかにするかという統率力の問題がある︒そして最後に政策と指導者の成功を測定する客観的な測定尺度の問題があ
る︒第二のレベルの会社内の諸関係の分析の問題は︑大企業というものが社会の基本的な約束をどの程度はたしている
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人 間 一 題
人が構成員としての地位や機能や尊厳をもちかつ社会生活における個人的完成の機会をもっ市民であるという約束︑
そして第三に社会のいかなる者も互に他者の損失で利する敵対者であってはならず企業におけるパートナーであると
いう約束なのであって︑とくに産業社会において疎外された階層たる産業中間階級としての職長︑そして労働者の場
合に焦点をあて︑これらの約束がそこにおいていかに果さるべきかを考察するわけである口この点で第一のレベルの
分析が階層的には経営担当者に向けられていたのと対照的である︒第三のレベルの社会の中での大企業の分析につい
ては︑産業社会における経済政策のあり方をめぐって利潤のための生産と効用のための生産
H
廉価商品の最大限の生産との関連を検討し︑会社それ自体の利益と会社における社会的観点からする利益との調和︑そして社会的安定との
結びつきすなわち不況と失業の回避ないし緩和の問題との結びつき︑を検討する必要が強調されているのであみぴ
円︿U ところで彼が分権制の問題を主として取上げているのは第一のレベルの自律的制度としての大企業の分析において
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社における事業部制の実際がモデルとして取上げられ︑政策とリーダーシップと測定尺度という三であ
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つの主要問題それぞれに関連ずけて検討がなされているのであるが︑単に第一のレベルだけでなく第二︑第三のレベ
ルの分析においてもそれは論議されているのである︒第二のそれにあっでは企業の内部組織を分類し職長の場合と労
働者の場合とでは産業秩序の原理としての分権制の妥当する度合がはっきり異っていることを指適し︑被指揮者とし
ての労働者の場合分権制はそのままの形では産業社会への労働者の統合の基準たりえないとしている︒こういった点
からみて産業秩序の原理としての分権制の意味するところは︑経営職能の原理の存在するつまり指揮機能の貫徹する
階層における産業的市民権を管理者毛ラ1・Yの発揮と結びつけた形で確保せしめることであることが分る︒しかも労
働者の場合にも︑そのモラールの発揮とそれを通じての機会均等ならびに地位と機能を得せしめる産業的市民権の問
題を論議するという形で共通の問題意識はみられるが︑しかもなおかつ分権制の適用領域とははっきり区別して問題
を理解しているのである︒このことは明らかに彼が大企業の統治的制度ならびに社会的制度としての側面を強く意識
せざるを得なかったからに外ならない︒要するに産業秩序なるものの意味するところは︑自律的制度としての大企業
をして最大限にその機能を発揮させしかも大企業内部の諸階層の関係をば一方で統治的機能を貫きつつ産業的市民権
の確立を通して円滑に確保することである︒
また第三のγベルにあっては︑分権制の問題は次のような観点に関連ずけて理解されている︒すなわち現代の大量
生産の条件下では競争的市場はかえってカ動性を回復し︑能率の客観的尺度たりうるものとなって来た︒しかも大量
生産が企業の大規模化を通じて実施されるに至った結果︑大規模化に伴う機能的な不利益││官僚主義的管理とリー
ダーシップの供給源の枯渇ーーを克服するために競争的市場による外部的チェックという手段を介して分権制の原理
が最大限に活用されるというのである︒
きて前にも触れた如く
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の分権制に︑ついては︑自律的制渡之して︐の弐企業め分析を議みた一銘与一めヤパ
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山本治恥
て政策の問題とリーダーシップの問題そして測定尺度の問題の三つの視角から︑具体的実例をからませて最も重点的 に論議しているわけであるが︑中心な位置を占めているのはいうまでもなくリーダーシップの問題である︒会社とい
う一つの制度を管理するためには︑天才でなく平均的人間で構成されるリーダーシップが確立されねばならぬとする
のが彼の︑主張であるが︑そのためには構成員の自発的な忠誠を喚起するとともに独立した能力をもったリーダーを制
度それ自体の中で管成し継承の問題を解決しておかねばならない︒このようなリーダーシップの確保があって始めて
事業部制運営のきめ手ともなる政策とくに全般的政策の策定問題は解決されるが︑彼によれば強力な中央のリーダー
シップと自立的局部的なリーダージップなしにはいかなる制度も統一されえず︑適切に機能しないし有効な政策を打
ち出すこともできない︒その意味では権力め分割は不可避であって︑
営層との調和につれて責任と権限が分割された組織を必要とすか︒ リーダーシップの問題は中央経営層と第一線経
ここに管理制度としての事業部制における中心問題たる中央経営層と事業部経営層の機能上の分化と両者の相互関
係の問題が登場する︒彼はまず中央経営層の二重機能を分析する︒すなわち中央経営層は事業部経営層がその付与さ
れた自治的機能を効果的に果すのを援助すると同時に︑他方で独立的な事業部経営層を一つのチlムに結合せねばな
らない︒このような二重の機能は明らかに矛盾したものであるが同時に相互に依存し合ったものであり︑綜合的に調
整され統合されねばならないものである︒このような二重機能の統合は︑彼の指適によるとG
・
Mの場合次の如き方法でその解決がはかられてい砂︒すなわち:::
(a)
中央経営層が事業部の製造計画の是認や自動車の価格幅の設定︑さらに長期計画の設定の如き︑全体的な目標
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にJ の設定の権限をもつこと︒
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事業部経営層の権限の範囲ーーすなわち決定の領域と決定を拘束する一般的規則ーーを中央経営層が決定し︑
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事業部経営層の任免の権力をも彼らがもつこと︑
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事業部の日常的業務の管理についての中央経営層による事業部経営層との公式非公式の接触を通じての相互信頼にもとずくチェックによって︒このチェックの活動の背景には一定範囲以上の資本投資や一定給与水準以上の
経営者雇用についての中央による拒否権があるが︑これは両者の非公式の接触によって︑行使に至ることは稀で
ある
︒
︑l/AU
a z︐ ︐ ︑財務的事項︑法務的事項︑会計制度︑労使関係事項の如き︑事業部の担当する生産と販売の過程の構成要素以
外の事項について︑中央がこれを担当し事業部経営層を援助すること︒
(e)
技術開発︑市場開拓︑
P
R
等々について中央経営層のサービススタッフによる事業部への助言と助カ︒以上の如き内容によって中央経営層はその二重機能の統合をはかり︑管理活動に関する限り
G ・ M
では全決定の九五パーセントを自らの裁量において行うとさえいわれる事業部経営層を援助し︑全社会的なリーダーシップを維持し
発展させるDところでこのようなリーダーシップの確立
1
l権限の分割と職能の分割︑そしてそれを基礎とする管理
活動の統一ーーは︑中央経営層と事業部経営層の間の正確かつ適切な情報のコミュニケ
lγ
ョサと結びつかねば成り
立ち得ない︒またこのコミュニケーションの問題は︑制度としての会社が持つべき基本的な政策の問題にも当然かか
わってくることに碕る︒
そこで
G ・ M
にあっては情報と決定がたえず二つの方向(中央経営層から事業部へ︑事業部から中央経営層へ)に流れるはっきりと分業化された職能をそれぞれ独自に追求配慮がなされている︒このことによって中央経営層と事業部は︑
しながらも中央経営層は事業全体の主要な動向を把握し︑事業部経営層は中央の政策決定とその背後の理由を理解で
きるわけである︒ところでそのようなコミュニケーションを確立する方法之
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別のインフォーマルな中央と事業部経営層の会合(スロ1
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ング)がいろいろな形で実施され︑その結果すべて
の事業部経営層が事業を全体として理解し︑そこでの自分の地位を理解し︑会社の基本政策や計画に親しむ機会をも
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このように両者のコミュニケーションを確立するための会合がひらかれるとはいえ︑両者はそれぞれの果すべき独
自の役割を十分に認識して行動する︒とくに中央経営層は︑会合を通じて事業部の意向に無原則に追随することはあ
りえないのであって︑事業部の意見をまったく無視することもありうる︒しかしその場合命令でなく無視する理由を
十分に相手に説明するのであって︑説得と合理的証明を重視するわけなのである︒こうしてすべての事業部経営層は
全般的な政策がどこで始まり自らの自治がどこで終るかを知らねばならず︑全般的な政策を自らがその公式化を援助
したものとして受け入れなくてはならないとされるのである︒
このようなコミュニケーションの確立によって理解が深められる全般的な政策の問題に関連して︑彼は制度として
の会社がもつべきこのような基本的な政策の意義を力説している︒彼によれば会社というものは個人的な野心や決定
を会社の繁栄や存続の必要に従属させる必要があるから︑個人的な活動を限定し方向ずける原理ならびに指揮の戸1
・Yをもつべきである︒そしてそれは︑会社における個人についてその個人の活動が会社の長期的利益と一致している
かどうか確かめられるようなものでなくてはならぬ︒そのためには政策の最終的で拘束力ある決定は︑明確に定めた
手続によって得られるようになっている必要がある︒このような政策は長期的な企業活動の原則を体現するものであ
るから︑そのような原則の本質的なあり方を物語ってもいる︒すなわち大会社というものは︑それ自体経済的技術的
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﹁﹁﹀ 進歩の創始者として継続的な変化の創始者であるから︑政策というものは変化する状態に対する適応力をもっ必要が
ある︒しかし他方において政策というものはみだりに変更されてはならないものでもある︒とはいえ政策や先例に対
ドラシカ1企業観と事業部制(下川)
一九 七
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八
富大経済論集
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する硬直的な固執は官僚主義を招来し創意性を抑圧する︒したがって原則に対する固執と変化する状態に対する適応
能力との聞の適切な均衡が必要であることを彼は力説するのである︒そしてこのような均衡を確保するために︑政策
がそれに順応すべき基本的な経済条件の変化と原則を変えずに便宜的に処理できる一時的変化とを区別する方法なら
びに外見上の利潤と実際の利潤を区別する方法が必要であるとするのである︒また彼によると多くの会社は︑自らが
政策をもっていることを知らずにいるのであって︑その意味では誰が︑
自にされていかねばならない︒ いかに︑どんな基準で政策を作成するかが明
以上の如くリーダーシップと政策の問題についての検討を加えた後に︑彼はこの面での成功の度合を測定する客観
的な測定尺度の問題に言及している︒このような測定尺度aとは︑その事業に特有で︑多しかも短期的な事業の景況に関
係なく︑そして勝手に操作できない測定尺度であって︑競争上の業績の評価から外部的変動要因を除去するような︑
かつ客観的な基準で会社の経営担当者とくに事業部のそれの業績測定を可能ならしめる尺度である︒
G ・ M
ではこの尺度
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投資利益率を決定ずけ︑各事業部の能率の測定尺度を与えるとともに︑景気変動などの外部的一時要因によってもたらされた要素を生産原価測定から排除する機能をはたす基準価格のシステム︑
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生産能率だけでなく市場における能率を示す競争的市場での地位
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同一価格範囲の製品グループ毎のマーケットシェア1 1 1の
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の二つが活用されている︒これら二つの要素の客観的測定尺度としての活用は︑各事業部による各年度の見積り予定
表の作成と︑それらの見積りを中央経営層が自らのスタッフの分析をも照合しつつ関連ずける全体的な生産計画の樹
立とを可能にしたし︑また政策決定と全般的管理の有効性と業績の測定をも可能にし︑中央経営層と事業部経営層の
相互関係の中から個人的主観的要素を排除することにもなったわけである︒
以上の如き内容を骨子とする
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の分権制について彼は︑それが全体として理論的に工夫された計画といった静なの
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態的な青写真ではないことをとくに強調している︒すなわちそれは︑
あくまで組織と手続の一般原則や諸概念の活用 しかも首尾一貫した活用なのである︒そのような性格にかんがみて彼は分権制を単なる管理の方式や制 度とみなすことなく︑社会秩序あるいは産業秩序の一般概念と捉えたのであった︒そういった点から分権化の一般原
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の戦時生産への転換のような管理制度の現象面では分権制から逆行するかに見える事態の中で︑いかに効果的に活用されたかということを彼は具体的に例証している︒分権制のパターンを一示す一般原則は︑
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の場合︑各人を自分の最良のやり方で働かせ︑かつそれぞれの情勢をそれ自身の論理に従って解決させうるようなもので なくてはならないのであり︑戦時生産への転換の如き複雑な局面においてこそこのような原則が真価を発揮したので ある︒また他方でこの原則は︑産業秩序の他の領域︑とくに対ディーラー関係や︑顧客関係︑会衆関係︑労使関係と
いった領域にも適用されうるとしているのである︒
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ドラッカー企業観と事業部制(下川)
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以上においてわれわれは︑ドラyカーが展開した企業観︑とくに大企業のもつ基本的性格と機能ならびに企業管理
の基本原理の内容がどのようなものであったかを検討した︒また彼が
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における事業部制H連邦的原理による分権制ならびにその基本原理H組織原理にどのような理解を一示し︑かつそれをどのような角度から分析したかを観察し
た︒そこでわれわれは︑彼の企業観と分権制論との関連を追求してみる必要がある︒というのは︑彼が現代産業社会
に対する文明批評を試みる社会思想家としての立場から︑制度論的立場に立つ独自の企業観を打ち出すに至る重大な
契機が︑彼の分権制論にあるのであり︑彼の分権制についての解釈なり理解なりが︑彼の企業観形成に与えた影響は
まさに決定的であったと考えられるからである︒
彼が分権制について与えている基本的な評価は︑それが何よりも産業社会における決定的制度たる大企業の組織原
理だということである︒それは単なる管理技法ではなく大企業という制度の構成要員すべてにその地位と機能を保証
し︑自ら求めかつ発見した方法によってたえざる革新を創造するという組織原理と解されている︒このような前提の
もとで大企業という制度を分析しその中での分権的組織原理の貫徹を彼は検討したわけであるが︑現代大企業論にお
いて大企業の分析にあたって彼が用いた手法
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三つのレベルの上での分析
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は明らかに彼の企業観とくに大企業
の制度的規定に関連している︒すなわち彼は大企業を決定的︑代表的︑自主的制度であると規定するとともに︑企業
の経済構造と社会的存在構造という二重構造性に立脚した経済的︑統治的︑社会的制度であるとその三重機能的性格
を指適しているが︑これに対して自律的制度としての分析と︑会社内部での諸関係の分析︑社会の中での大企業の分
析︑という三つのレベルでの分析が大企業の分析にあたって必要であるとしているのである︒これらの大企業分析に
おける三つのレベルと大企業の三つの制度的規定ないし性格規定は︑そのまま重合するものではないが︑密接な関連
をもつことは明らかである︒すなわちまず分析の第一レベルたる自律的制度
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大企業がそれ自身の性質と機能と独自の存在法則をもっということは︑大企業が独自の政策と指導者の適切な供給を
保障するにたる独自のリーダーシップを確保し︑かつ政策とリーダーの成功を測定する客観的な測定尺度を必要とす
るということに外ならない︒しかも第一レベルの分析におけるこれら三つの問題は︑社会的秩序を体現するものとし
ての大企業の代表的制度としての性格にもとずく企業の内部秩序と社会全体の秩序とを通ずる組織原理の貫徹によっ
てのみその解決が可能であると彼は考えるのである︒次に第二レベルの大企業内部の諸関係の分析についていえば︑
それが企業の内部秩序を問題としている限りでは代表的制度の側面と関連するが︑この内部秩序としての組織原理を
職長労働者に実現する上で決定的意味をもつのは企業の統治的制度としての性格規定の側面であり︑またそれと結合
した社会的制度としての側面である dすなわち企業の内部秩序を確保することは︑企業内部における権力関係を維持
し︑従業員の忠誠を確保することであり︑またそのことは職長や労働者に地位と機能に対する欲求を充足せしめ︑職
場社会への参加と仕事に対する意欲的参加を通じて機会均等を保証するとともに経営者的態度を確立せしめることに
つらなる問題である︒第三の分析レベルたる社会の中での大企業の問題は︑何よりも決定的制度という制度的規定に
照応する︒ここにおいて始めて大企業が産業的生産を遂行する主体として経済市場に対してもつ決定的影響がクロ1
ズアップされ︑産業的生産をめぐる経済政策の問題︑とくに雇用問題と不況回避にあたって大企業の果すべき決定的
‑601‑
制度としての役割がとりあげられることとなったわけである︒
ところで分権制の問題が産業秩序ないし社会秩序の原理一般としては三つのレベルの分析全体を貫く形で取上げら
ドラッカー企業観と事業部制(下川)二
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一宮大経済論集二
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れていることは前にも指摘したが︑その中で管理制度としての分権制を積極的に取上げたのは第一分析レベルすなわ
ち自律的制度としての大企業の分析においてであった口そして彼が現代の大企業の産業社会において果す役割のうち
もっとも重要なものとみなしたのは︑この自律的機能であった︒このような自律的制度として大企業はそれにふさわ
しい組織体制とリーダーシップそして政策と測定尺度をもつべきである︒その意味では
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が実施し大きな成功をおさめた事業部制の中でこそ産業社会における大企業が達成すべき企業目的と管理目標が達成されつつあると彼は見
るのであるDすなわちそこではあらゆる企業構成員とくに経営担当者の創造的能力を最大限に発揮せしめて市場開拓
│顧客の創造!と革新を遂行しつつ︑制度的環境の絶えざる変化に対処しうる政策を全構成員の努力の結晶として生
み出し︑そのような政策と組織に裏付けられた目標と自己統制による管理原則が貫徹している︒そしてまたそこでは
彼が企醤木の実践的な管理目標として掲げる八つの管理目標の遂行度を測定し各経営担当者の自己統制の目安ともなる
測定尺度が存在する︒
このようにみてくると彼が企業の三重機能的性格の中で経済的制度の側面を重視するとしながらも実質的には社会
的制度としての側面をいかに重視したかがここに明白となるo大企業という組織体の機議的分析から出発し︑そこか
らその成功の尺度という形で経済的成果や結果を導き出す手法がそこに見出される︒産業秩序ないし社会秩序の原理
を体現した大企業における組織原理とそれにマッチした管理技法の強調は換言すれば︑自主的制度としての制度的要
因の強調につらなるのである︒ところでこのような自主的制度の側面の強調はいったい何を意味するであろうか︒
藻利重隆教授によれば︑企業の自主的性格の強調は︑企業と社会の密接な関連性を否定することとなり︑決定的︑
代表的制度の規定と矛盾する︑とされている︒しかしドラッカー自身の発想からすれば︑大企業は独自の存在法則を
もっとはいえその効率の測定は経済的成果におかれるのでありその尺度を提供するのは市場である︒彼は企業目的と