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高松塚古墳の壁画の復原

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Academic year: 2021

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高松塚古墳の壁画の復原

著者 田村 唯史

雑誌名 阡陵 : 関西大学博物館彙報

巻 57

ページ 6‑9

発行年 2008‑09‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00023948

(2)

高松塚古墳の壁 画の復原

関西大学では2008年7月5日 に 高 松 塚 古 墳 壁画再現展示室竣工記念として来村多加史先生

(奈良文化女子短期大学教授)と米

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文孝先生

(関西大学教授)による講演会『高松塚古墳壁 画を探る』が行われた。それに伴って高松塚古 墳の壁画の復原を行った。

復原の手順

復原は以下の手順で行った。

①線描画を作成しそれをパソコンに取り込む

②消えている線の復原

③色付け

線描画の作成にあたっては来村先生の作成し た図をパソコンに取り込みデジタルデータ化 し、同先生の指郡のもと、カビの繁殖により消 えてしまった線を復原した。色付けに際しては 高松塚壁画館で作成 ・展示されている復原

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図を もとにし、来村先生、米田先生の指導のもと色 見本を用いて嵩松塚古墳の壁圃制作時の色を復 原した。

四神図の復原

高松塚古墳には陰陽五行説に基づいた各方角 を統べる四神図がそれぞれの壁面に描かれてい た。すなわち東壁には脊龍、西壁には白虎、そ して北壁には玄武が描かれていた。しかし南壁 には朱雀は描かれていなかった。朱雀図が描か れていたと考えられる位爵には盗掘孔があるた め朱雀図は盗掘により剥がれ落ちたと考えられ る。四神図の復原にはキトラ古憤の四神図を基

田 村 唯 史

本として、薬師如来像台座の四神圏、四神八卦 十二支鋭の四神圏を参考資料とした。

青龍屈

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東壁に描かれた龍の固。比較的よく 残っていたが高松塚壁画館の壁画検出 時に模写された因を基本とし、監画検 出時に詳細の不明であった羽とみられ る朱色の部分や後ろ足と尾の交わり方 は白虎圏を参考に復原した。

朱雀図••高松塚古墳の南壁には朱雀はなく、そ J  れは南壁上面の前端の部分に開けられ た盗掘孔によるものだと考えられる。 今回はキトラ古墳の朱雀を参考に省略 の手順を考慮に人れ尾の縞模様の数を 省き、朱雀を復原した。

白虎図西壁に描かれた虎の図 高松塚古墳

とキトラ古墳、ともにほぽ完全な形 で残っていたので両者の比較が可能と なった。復原作業としては前足の一部 を復原するのみであった。キトラ古墳 の白虎図と比較すると縞模様が極端に 省略されており頭から尾までの縞模様 が キ ト ラ 古 墳 の 内 虎 図 が23本である のにたいして高松塚古墳の白虎図は 17本 し か な い。そ し て 朱 色 が 塗 ら れ ている爪等色付に関しては若干の相違 点がある。

玄武図..北壁に描かれていた亀蛇合体の固で ある玄武図は盗掘団により[図l]の ように大部分が削られていた。復原に

 

図1 北壁玄武図 図2 北 壁 玄 武 図 線 描 画 図3 北 壁 玄 武 図 復 原 図

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際 し て は キ ト ラ 古 墳 の 玄 武 図 を 基 本 とし、そのほか上述した資料を参考に し、首の角度や甲羅等、残っていた線 から推測し、足りない亀と蛇の顔の部 分を復原した。

人物群像

人物群像は全体としてよく残っていたが顔の 部分が判然としないものが多くあった。そのた め、目や昴など顔の部分が残っている像を参考 にして、各人物の残っている線とあわせて表

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胄 を復原した。持ち物に関しては残りがよかった ために推測が容易であり、線を少し足すのみの 作業であった。

日月像図

天文図と同じ天井面に日像、月像が描かれて いたキトラ古墳とは異なり、高松塚古墳では東 壁の野龍固の上に

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像偲が描かれており西壁の 白虎図の上に月像屈が描かれていた。日像区1に は金箔が、月像図には銀箔が貼られていたが、

鎌倉時代に受けたとされる盗掘により剥がされ

ており、中に何が描かれていたのか詳細は分か らない。中国の墳墓の例を考えると日像図には 三本足の烏、月像図には船餘 (ヒキガエル)と 兎 (ウサギ)、不老不死の実をつける樹が描か れていたことが推測される。キトラ古墳壁画に もその樹の一部とみられるものがみられる。そ のことから復原に際しては来村先生の指蒋のも とに日像図には三本足の烏を入れ、月像図には 雛餘と兎、月に生える樹を入れ、復原した。

星宿図

高松塚古墳の天井には二十八宿とよばれる星 座が描かれていた。キトラ古墳のように黄遮や 赤道、内規や外規のようなものはなく二十八宿 のみを表現した偲であった。石室解体によ り新 たな星も検出され、 1972年の壁画検出当初は存 在しないといわれていた北斗七星の存在が確認 されたが、場所を間違えたためか金箔を貼りつ けていただけで朱線は結ばれていなかった。そ のために、今回の作業では壁画製作者の意図を 考えて、場所の異なる北斗七星は復原しなかっ た。高松塚古墳の二十八宿は叫国の南宋淳祐石

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1 東 壁 男 子 群 像 図2 東 壁 男 子 群 像 復 原 図

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― ‑ 月像

星 宿 図

刻天文図や朝鮮半島の天象列次分野之図

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二十八 宿と必ずしも一致しないので、今回の作業で は高松塚壁画館が復原した二十八宿を参考にし た。

色付け

色付けに関しては、嵩松塚壁圃館にある高松 塚古墳壁圃検出時に行われた日本画家らによる 模写を基調とし、来 村 先 生 や 米 田 先 生 の 指 導 のもと壁画検出時ではなく壁画制作時の色調の 復原をめざして行った。色付けに際して高松塚 壁画館にある高松塚古墳の壁画検出時に模写さ

朱 雀

西 壁 男 子 群 像 西 壁 女 子 群 像

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日像

青龍

東 壁 女 子 群 像

れた図の色を参考にしながら、古墳が築造され た8世紀初頭の顔料を考慮し、色を付けていっ た。たとえば玄武の蛇の部分や青龍のうろこ、 人物像のスカー トなどからラビスラズリが検出 された。このことから色調が壁画検出時より鮮 やかで、よ りきらめいていたと考えられる。ま た人物像の上衣については当時の服飾規定を参 考にし、復原した。しかし明らかに服飾規定に 含まれない上衣を着ている人物、すなわち黄色 の上衣を着ている人物については検出時の色を 参考にしながら制作時の色を復原した。一方技 術的な問題で日月像図や星宿即の金箔、銀箔を 表現することは困難な作業であった。印刷の関 係とコンピュータの問題で金色や銀色の表現は 難しく、金は山吹色で表現し、銀は灰色に近い 色で表現した。

今回の復原作業では、各先生方、壁画検出に 関係された方の意見や指導のもと、 8世紀初頭 の壁画が製作された当時の色使い、人物像の表 情の再現をめざした。またこの復原に関して、 大 阪 府 立 近 つ 飛 鳥

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尊物館の平成15年 度 秋 季 企 画展「壁画古墳の流れ 高松塚ーキトラ」およ び同企圃展図録「壁画古墳の流れ 高松塚ーキ トラ』を先行研究として、玄武図の首の角度や 青龍回の後ろ足の角度などを参考にして復原を 行った。

東 壁 男 子 群 像

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