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長 屋 王 家 木 簡

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Academic year: 2021

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1 9 8 8 年8月,平城京左京三条二坊八坪の 発掘調査において,1条の溝から4万点に のぼる多数の木簡が出土した。その内容に ついては現在なお検討中であるが,奈良時 代初期の宰相・長屋王の家政に関わる木簡 が大半を占めるものと判断し,「長屋王家 木簡」と仮称して整理を進めている。

昨年度に同じ坪内の井戸から「長屋皇 宮」と記す3点の木簡が出土したことと合 わせ,発掘地の居住者を確定するとともに その空前の点数と内容の豊富さは,古代史と

その空前の点数と内容の豊富さは,古代史学・考古学にとって画期的な発見といってよい。

1 9 8 8 年度に平城京左京三条二坊の調査全体で木簡が出土した遺構と,その大まかな点数は上 の表の通りである。S D 5100など,長屋王家木簡以外にも重要な木簡が出土しているが,ここ ではSD 4 7 5 0 出土の「長屋王家木簡」に限って取り上げることとする。

遺構は幅3m,長さ27mの南北に長い溝である。溝とはいえ南北両端は途切れており,堆積 状況も流れた痕跡を見いだしがたく,土坑というべきかも知れない。いずれにせよ大量の木簡 があまり時をおかずに廃棄されたと考えられるから,一括遺物として極めて質の高い資料とな る。木簡に記す年紀は和銅4年(711)から霊亀2年(716)の間におさまる。以下,木簡の概 要を述べる(5頁木簡釈文参照) 。

文書木簡まず文書木簡をみると,「移」「符」といった文言をもつもの(l〜4) ,「進上」と いう語句のあるもの(5〜7) ,米の支給に関わるもの(8〜11)などが特に多い。

1は治部省の雅楽寮から長屋王の家令所に対して,倭憐として平群朝臣広足なる人物の派遣 を依頼した木簡であり,2は長屋王の正妻吉備内親王の命を受けて菖入女をつかわすよう要請 したものである。3も差出者の「少書吏国足」の一致からみて,吉備内親王家から発行された 木簡であろう。このように,「移」「符」といった公式令にみられる文言を持つ文書木簡は,人 や物を請求した内容が多く,その宛先としては「長屋王家令所」「奈良務所」のほか単に「務 所」「司所」等とするものも多い。

5〜7は冒頭に差出の主体を記す。それらは「司」「薗司」「御田司」などに地名を冠し,以 下,進上した品目・年月日・責任者と続く。内容はそれぞれの場所から野菜等を進上したとき の送り状である。こうした送り状の差出の責任者名を検討すると,たとえば7の忍海安麻呂が 1 3 の木簡にも登場し,そこでは上日(出勤日数)報告の対象となっていること,あるいは同じ

長 屋 王 家 木 簡

出土遺構 八坪の南北溝S D 4 7 5 0 東二坊坊間路西側溝S D 4 6 9 9 東二坊坊間路東側溝S D 4 7 0 1 二条大路上の東西溝S D 5 1 0 0 一坪東端の不整形土壌SK 5 0 7 4 二条大路南側渉S D 5 1 6 5 三条条間北小路北側溝S D 4 3 6 1 井戸(8基)

約4 0 0 0 0 点

4 0 0 点 7点 整理中 1 2 点

1 3

計1 8 点

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13 にみえる秦広│嶋と同一人と考えられる人物が1 0の木簡では米支給の担当官となっていること などが判明する。したがって彼らは長屋王家に所属する官人であり,王家は各地の土地に彼ら を派遣して直接管理していたことが推定できる。御田や御薗の所在地としては,山背,耳梨,

木上の他に大庭,片岡,佐保,矢口,山口,渋川などが木簡から判明し,奈良盆地南部をはじ め一部大和の周辺の国にも及んでいる。

次に8〜1 1 に例示したような米支給の木簡である。点数からいえば,これが文書木簡中巌も 多数を占め,長屋王家木簡の主体をなす木簡群と言ってよい。いずれも支給先十米の溌十受取 人十日付十支給担当者という同一の書式をもつ。これらの木簡の特徴としては次の諸点を指摘 できる。①支給担当者および受取人は名のみであり姓を記さず,日付も年がなく月日のみかあ るいは日だけというように,全体的に省略と思われる簡略な記載が目につく。②その日付を検 討すると日が連続しているようである。③米の支給量は石・斗といった単位はほとんどなく,

少量である。以上のような特徴からみて,これらの米支給が狭い範囲でのやりとりであり,ま たその支給が日毎に行なわれ,それを記録したのがこのタイプの木簡ではないかと考えられる。

そ う だ と す れ ば , 米 の 支 給 を 受 け た 人 々 も そ の 全 て と は い わ な い ま で も , 大 半 が 邸 宅 の 中 に い

たと推定できよう。

8 の 内 親 王 は 吉 備 内 親 王 の こ と で あ ろ う し , 9 の 山 方 王 子 は 長 屋 王 の 妹 の 山 形 女 王 の 可 能 性 が 高 い 。 邸 宅 内 に は こ う し た 王 の 一 族 の ほ か に も , 多 く の 人 々 を 抱 え て い た よ う で あ る 。 1 2 , 1 3 の よ う な 考 課 あ る い は 上 日 の 報 告 に み え る 下 級 役 人 は も ち ろ ん の こ と , 帳 内 ・ 仕 丁 ・ 少 子 と い っ た 雑 用 係 , 鋳 物 師 ・ 銅 造 ・ 皮 作 ・ 沓 縫 と い っ た 職 人 , 経 師 ・ 書 法 模 人 ・ I 峡 師 と い っ た 写 経 関 係 か と 思 わ れ る 人 々 , 僧 ・ 尼 ・ 医 者 ・ 奴 ・ 卿 等 々 で あ る 。 そ し て こ れ ら の 人 々 に よ っ て 構 成 さ れ る 家 政 機 関 の 組 織 も 復 原 が 可 能 と な り , そ れ に よ っ て 古 代 に お け る 王 族 の 家 政 の あ り か た

が解明できるのではないかと期待される。

荷 札 木 簡 1 5 以 下 は 荷 札 の 木 簡 で あ る 。 1 5 は 「 長 屋 親 王 宮 」 と 記 し , 昨 年 報 告 し た 「 長 屋 皇 宮 」 の 木 簡 な ど と も に 宛 先 を 明 記 す る 荷 札 木 簡 が い く つ か み ら れ る 。 こ う し た 木 簡 の 出 土 に よ っ て , 発 掘 地 に 長 屋 王 が 居 住 し て い た こ と が 確 実 と な っ た わ け で あ る が , 一 方 , 王 を 「 親 王 」 と 称 し た り , 「 大 笹 」 の 貢 進 で あ る こ と を 明 記 す る な ど 大 き な 問 題 点 を 含 む 木 簡 で あ り ,

今後の検討を要する。

長 屋 王 家 の 荷 札 木 簡 に は 他 に 次 の よ う な 特 徴 が あ る 。 ① 木 簡 に 記 さ れ る 国 に 著 し い 偏 り が み ら れ , 国 名 が 判 明 し て い る 2 0 箇 国 以 上 の う ち , 周 防 ・ 近 江 ・ 越 前 の 3 箇 国 で 全 体 の 約 半 数 を 占 め る 。 ② そ の う ち 周 防 の 塩 の 木 簡 は 1 6 に み る よ う に 荷 札 と し て の 書 式 を 比 較 的 整 え て い る が , 近 江 や 越 前 な ど は 1 7 , l 8 の よ う に , し ば し ば 国 名 ・ 個 人 名 ・ 税 目 ・ 年 月 な ど を 省 略 し て い る 。 こ う し た 荷 札 木 簡 の 特 徴 は , あ る い は 長 屋 王 家 と 密 接 な 関 わ り の あ る 封 戸 の 可 能 性 も 考 え る 必 要 が あ ろ う 。 ま た , こ の 他 に も 都 祁 に 氷 室 が あ り , 長 屋 王 家 が 直 接 管 理 を し て い た も の と 考 え

られるなど,王族の家政経済を窺わせる史料が多い。

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意 義 と 課 題 木 簡 の 内 容 か ら , 奈 良 時 代 初 期 に お け る 当 該 地 ( 左 京 三 条 二 坊 一 ・ 二 . 七 . 八 坪 ) の 居 住 者 を 特 定 で き た こ と の 意 義 は 大 き い 。 こ れ ま で も , 藤 原 不 比 等 邸 や 新 田 部 親 王 邸 な ど の 位 置 が , 主 と し て 文 献 史 料 か ら 考 察 さ れ て き た が , 今 回 の 発 見 は 単 に そ れ ら に 一 例 を 加 え た だ け の も の で は な い 。 そ の 重 要 性 は ま ず な に よ り も , 30, 000㎡ に 及 ぶ 面 積 の 発 掘 調 査 の 一 環 と し て の 木 簡 の 出 土 で あ り , 遺 構 と 相 即 的 な 関 係 に あ る 点 に あ る 。 つ ま り , こ の 場 所 が 長 屋 王 邸 で あ る と い う こ と は , 発 掘 し た 奈 良 時 代 初 期 の 遺 構 一 つ 一 つ が 長 屋 王 邸 の も の と 認 定 で き る わ け で あ り , 検 出 し た 遺 構 を 具 体 的 に 「 解 釈 」 で き る と い う 点 で こ れ ま で に な い 成 果 と い え る 。

次 に 溝 S D4 7 5 0 に つ い て 言 え ば , 同 時 に 出 土 し た 木 簡 以 外 の 遺 物 の 解 釈 に 大 き な 影 響 を 及 ぼ す 点 で あ る 。 溝 自 体 が , 前 記 の よ う に , 短 期 間 の う ち に 廃 絶 し て い る こ と か ら , 木 簡 の み な ら ず , 伴 出 し た 土 器 . 瓦 ・ 木 器 に つ い て も 先 の 年 代 が あ て は ま る と 考 え ら れ る 。 平 城 宮 出 土 の 遺 物 の 編 年 に 比 べ て , 平 城 京 の そ れ が 不 十 分 で あ っ た 現 状 か ら す れ ば , S D4 7 5 0 出 土 の 遺 物 は 今 後 , 奈 良 時 代 初 期 に お け る 平 城 京 出 土 遺 物 の 基 準 資 料 と な る も の と 言 っ て よ い 。

木 簡 の 内 容 と 意 義 は 既 述 の と お り で あ る が , 全 体 に 関 わ る 問 題 と し て 次 の よ う な 点 を あ げ る

ことができる。

第 一 に , 木 簡 の 構 成 か ら 見 る と 文 書 木 簡 の 比 率 が 高 く , 中 で も 米 支 給 の 帳 簿 木 簡 が 多 い 点 で あ る 。 従 来 の 平 城 宮 出 土 木 簡 の 中 に も 帳 簿 の 木 簡 は い く つ か あ る が , 今 回 の よ う に ま と ま っ て 出 土 し た の は 初 め て で あ り , 帳 簿 木 簡 の 機 能 を 本 格 的 に 検 討 し う る 材 料 が え ら れ た こ と と な り ,

木簡論の深化が期待される。

第 二 は , 木 簡 の 表 記 の 問 題 で あ る 。 長 屋 王 を 「 親 王 」 と 記 す 木 簡 の み な ら ず , ト ネ リ を す べ て 「 帳 内 」 と 記 し た り , あ る い は 律 令 の 規 定 に 従 え ば 当 時 の 長 屋 王 や 吉 備 内 親 王 で は 持 ち え な い 「 少 書 吏 」 と い っ た 家 政 機 関 の 官 人 の 存 在 な ど , 規 定 に 合 致 し な い 表 記 が い く つ か 見 え る 。 こ の 点 も ほ ぼ 規 定 に 則 っ た 書 き 方 を す る 平 城 宮 木 簡 と の 大 き な 違 い で あ る 。 こ れ を ど う 解 釈 す

るのかは今後の大きな課題となる。

第 三 に , こ こ を 長 屋 王 邸 と し た 場 合 , 佐 保 の 宅 と の 関 係 も 問 題 と な ろ う 。 長 屋 王 の 宅 と し て 文 献 に み え る 佐 保 の 宅 が す な わ ち こ こ な の か 、 こ の 地 と は 別 に 佐 保 に 別 宅 が あ る の か , 議 論 の

分かれるところである。

第 四 に , 妃 の 吉 備 内 親 王 に つ い て は , 前 述 の 米 支 給 木 簡 8 に 被 支 給 者 の 一 人 と し て 見 え る こ と や , 吉 備 内 親 王 の 宮 と さ れ る 「 北 宮 」 を 宛 先 と す る 1 4 の よ う な 木 簡 が 出 土 し て い る こ と な ど か ら , 彼 女 も 王 と 同 じ 邸 宅 内 に 居 を か ま え て い た の で は な い か と 推 定 さ れ る 。 一 方 2 , 3 に 見 え る よ う に , 吉 備 内 親 王 も 独 立 し た 家 政 機 関 を も っ て お り , 長 屋 王 家 と の 間 に 文 書 の や り と り

を し て い る 。 し た が っ て , 長 屋 王 と 吉 備 内 親 王 と の 居 住 形 態 や , 二 人 の 家 政 機 関 ど う し の 関 係

についても今後の検討課題である。

以 上 , い く つ か の 課 題 を あ げ る に 留 っ た が , そ れ ら は 早 急 に 結 論 付 け ら れ る も の で は な く , 十 分 な 議 論 を つ く し て い か な け れ ば な ら な い で あ ろ う 。 ( 寺 崎 保 広 )

(4)

⑬・木上司等十一月日数進識掴認翠卵州詐極楽職嶋日州夕廿七

四 9 . 急 . ︽ 一 三 一 5

m ・ 木 上 進 濡 米 四 解 各 田 部 逆

・ 十 二 月 廿 一 日 忍 海 安 麻 呂

・間佐女今月五日太津鴫

・ 和 銅 七 月 十 一 一 月 四 日 大 人

側・移司所米元故急々進上又滑海

・藻一駄進上急々附辛男十五日家令家扶

︹ 長 屋 王 家 木 簡 ︺ ⑨ ︒ 山 方 王 子 進 穎 稲 米 二 升 受 余

① ︒ 雅 楽 寮 移 長 屋 王 家 令 所 評 僻 緬 距 餓 睡 ・ 女 七 日 若 麻 呂 一 馬 ・ 隠 ・ 轡 三 一

・故移十一一月廿四日妙椛粍幽螺熊呂

② ︒ 吉 備 内 親 王 大 命 以 符 蝉 菖 入 女 進 出 □ n U ・ 経 師 七 合 五 夕 端 麗 二 日 既 嶋 弓 ・ 麓 ・ 一 つ 二

・五月八日少書吏国足家令家扶︵函g︶.︵9︶・唾・望

仙・西宮小子一口米一升受万呂

③ ・ 移 奈 良 務 所 専 大 物 皇 子 右 二 処 月 料 物 及 王 子 等 ・ 八 月 廿 五 日 大 嶋 ﹈ g ・ 壁 ・ ﹄ ・ 二

・公料米進出附紙師等五月九日少書吏置始国足家令家扶

曽・鴎.唖呂⑫元位出雲臣安麻呂峠諦馳乙当那上日銅一一一詣酎十五﹁井五百五﹂

いち・鵠・一目⑯・周防国大嶋郡務理里佐伯部波都支御調塩

農・魁・罰呂肋蒲生郡南原里得衣米五斗

画 詔 ・ ぢ . ﹄ 目 ⑭ ﹁ 封 ﹂ 北 宮 進 上 津 税 便

洞 長 屋 親 王 宮 飽 大 賢 十 編

⑱ 丹 生 郡 大 屋 里 米 一 石

参照

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