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32-1  免許地の設置場所の選定基準は、全国的には明治 30 年代の内務省による「貸座敷免許地据置ノ件」*7 や「貸座敷免許地ノ新設移轉擴張ニ關スル件標準内規」 *8 ( 以下、警保局標準内規 ) によって規定され、福岡県 では「貸座敷娼妓取締規則」*9によって具体的な地区 指定がなされ所轄の各警察署が取締りにあたった。 2.2 研究の対象  本稿では、福岡県において貸座敷の営業場所が指定 された明治 7 年以降、GHQ からの指示*10により制度 が廃止された昭和 21 年 4 月までに福岡県内に設置さ れた貸座敷免許地 ( 以下、免許地 ) を調査対象とする。 免許地は近代以前の慣習から一般に「遊廓」として認 知されており、内務省衛生局発行の『衛生局年報』に おいても「必スシモ一廓ヲ爲ササルモ娼妓稼業許可地 ヲ假ニ遊廓ト名付ク」*11と定義された。これらを踏 まえて、本稿では「営業の実態があった貸座敷免許地」 を遊廓として扱う。『福岡県警察史』、『福岡県統計書』 ( 以下、県統計書 ) 及び『福岡県公報』から、対象期 間中に県内に設置された免許地として計 16 ヶ所を確 認した ( 表 1*12)。② ・ ③ ・ ⑤ ・ ⑦ ・ ⑧ ・ ⑯は具体的な 指定地区を特定できなかったため、それらを除いた 10 ヶ所を中心に取り上げる。  さらに、県内遊廓の成立年代を以下三期に区分した。 ⅰ期:明治7年の県内の貸座敷営業地区指定以前。 ⅱ期:貸座敷制度成立後、全国的な統一基準が無く各 府県の裁量で免許地を設定認可した時期。 ⅲ期:同33年以後、「警保局標準内規」に照らして 各府県が免許地を設定した時期。

福岡県の貸座敷免許地にみる遊廓の空間構成

西山 雄大  1. 序 研究の背景と目的  我が国では、織豊期以降集娼政策がとられ、娼家の 営業許可地区である遊廓が江戸・京都・大阪の三都をは じめ全国各地の城下町や湊町に成立した。遊廓は風紀 取締りのために立地や規模を規制され、人為的社会的 につくり出されており、その形成は都市の統治思想を 色濃く反映していると言える。遊廓を社会史、文化史 や女性史的な見地から取り上げた著述には多くの蓄積 があるが、その空間史に関心を払ったものは少ない。 福岡県内の遊廓に関する著述としては、各市史のほか 博多の遊所を取り上げた井上精三や娼妓の生活に焦点 を当てた森崎和江や横田武子によるものがある。  都市空間における風俗営業地区の立地及び空間特性 に着目した加藤政洋は、二業 ・ 三業地といった「花街」 *1を「近代都市の空間的な共通項」と位置づけ、営業 地を明確に指定される遊廓と地図上に現れにくい花街 を対比して、その空間形態や形成過程を分析している。 また、塚田孝は幕末維新期の新吉原を素材として、遊 廓を「疎外されつくした空間」と定義する。このよう に従来、遊廓は市街地の「周縁」部に置かれた「疎外 された、囲い込まれた空間」との文脈で語られること が多かったが、必ずしもその前提に当てはまらない事 例が県内に散見できた。本稿では、風俗営業をめぐる 取締制度が遊廓の形成に及ぼした影響を踏まえて、明 治以降に福岡県内に設置された遊廓の総体を把握しそ の空間構成を分析することを目的とする。 2. 福岡県内の遊廓 2.1 貸座敷制度の成立  福岡県では、明治政府による「芸娼妓解放令」*2 受けて「芸娼妓解放之事」*3を布達、その後も重ねて 芸娼妓及び遊女屋の改廃業の徹底が図られた。しかし、 元芸娼妓の困窮や旧遊女屋主人たちの嘆願もあり、「芸 妓並貸座敷渡世内規則」*4を制定し芸娼妓の自由意志 による稼業継続が許可された。その後、「貸坐舗規則」 及び「芸娼妓規則」*5を達示し、貸座敷営業*6が許可 される地区が設定された。同時に、芸娼妓の営業には それぞれ警察への登録と鑑札の所持が義務づけられ、 取締規則上、娼妓と芸妓が明確に区分された。 No. 通称 公許年代 成立年代 成立期 所在地 ①博多柳町遊廓 慶長中頃 慶長年間 ⅰ期 福岡区博多柳町+小金町(M27/1894) ②水茶屋 那珂郡堅粕村 ③ 御笠郡宰府村 ④連歌町遊廓 遠賀郡若松村 ⑤東町遊廓 遠賀郡蘆屋村 ⑥弥生町遊廓 M23/1890 三潴郡向島村若津町 ⑦ 竹野郡(のち浮羽郡)松崎村 ⑧田ノ浦遊廓 M15/1882 企救郡田ノ浦村 ⑨旭町遊廓 M20/1887 M21/1888 企救郡小倉船町 ⑩馬場遊廓 M27/1894 M28/1895 企救郡門司町 ⑪櫻町遊廓 M34/1901 M30/1897 久留米市原古賀町 ⑫新柳町遊廓 M40/1907 M42/1909 筑紫郡住吉町字春吉 ⑬二字町遊廓 M41/1908 M43/1910 鞍手郡直方町 ⑭新地遊廓 M43/1910 T1/1911 三潴郡大牟田町小濱開 ⑮白川遊廓 T4/1915 遠賀郡八幡町枝光 ⑯ S15/1940 福岡警察署管内(詳細不明) ⅲ期 M9/1876 ⅱ期 M7/1874 M8/1875  表1 福岡県内の貸座敷免許地一覧

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32-2 辺と画し入口を彩るモニュメントへと変化した。貸座 敷制では売春営業はあくまで娼妓の自由意志による*15 とされており、囲いの不設置は娼妓を拘束していない ことを示す空間的視覚的な反映と推察できる。 3.2 遊廓内の街区・街路  新吉原では、将軍の鷹狩りや日光参詣に際して日本 堤から大門が見通されると畏れ多いとの配慮から、門 前にS字型の湾曲路が作られた。これと同様の操作と して、街路を街区で遮ってカギ型路や丁字路を設ける など、廓背面から正面への見通しを防ぐ操作が確認で きた(表3)。遊廓と周辺との物理的な隔絶でなく、視 覚的な遮蔽によって周辺市街と区分し風紀を守ろうと いう意図が伺える。規模が小さく実際の効果は不明だ が、風紀問題に対する貸座敷業者側の配慮と取り組み を示すために新吉原の手法に倣ったのではないか。 2.3  遊廓の分布と規模  県内遊廓の規模の推移を、『県統計書』記載の貸座 敷業者数から図1に示した。都市への農村部からの人 口流入、八幡製鉄所や筑豊の炭鉱関連の男性労働者の 増加が加速した明治末期以降、県内の風俗産業にも安 定的な成長が見られる。さらに、石炭輸送の中継地が 芦屋から若松へと移行するに従って⑤東町から④連歌 町へ、門司築港や小倉への兵営設置に伴い⑧田ノ浦か ら⑩馬場や⑨旭町へと享楽の中心地も移り変わってい る。既存遊廓の移転事業は、九州帝国大学誘致の際に 問題になった①博多柳町から⑫新柳町へのものだけで あり、その他は同時並行的に存在した複数の遊廓が 徐々に置き換わっていくかたちで事実上の移転整理が 進められ、県内に同時期に成立し得た遊廓の最大数は 10ヶ所に抑えられている。  全国的には昭和12年以降、支那事変の激化に伴う 経済統制や享楽営業への取締り強化等が相まって遊廓 をはじめとする風俗営業は縮小あるいは転廃業が促さ れた。一方で福岡県は大陸や南方への進出拠点という 地政上の重要性から遊廓の営業継続を許されていた。 本調査では⑯の実態について確認し得なかった*13が、 他地域で風俗営業が厳しい統制下に置かれた対米英開 戦直前期の免許地増設が事実ならば、それ自体が福岡 県の風俗産業の特殊性を物語っていると言えよう。 3.  遊廓の空間構成  『大日本職業別明細図』*14(以下、明細図)や市街図 から、遊廓の構成や街区・街路の形状を分析した。 3.1 遊廓の囲いと立地  近代以前に成立した公許遊廓では、市街地と隔絶し て遊女の逃亡を防ぐため廓周囲に濠や垣が巡らされ た例が多いが、表2に示すように、県内には廓四方を 完全に囲われた免許地はない。①・⑩・⑫・⑬・⑭・⑮は 「囲い」こそ無いものの、水辺や斜面地など立地環境 や地形を巧みに生かして周辺からの隔離が図られてい ることが読み取れる。また、図2・3のように廓入口の 大門は人の出入りを監視する機能を喪失し、遊廓を周 No.成立囲い 配置 周辺環境 ① ⅰ 川(1面)・成立当初は博多湾に面す 市街地周縁(一部埋立地) 川・海 ④ なし・盛土による廓内の地盤面嵩上 市街地 ⑥ 水路(3面) 市街地周縁 川 ⑨ なし 市街地 鉄道 ⑩ なし 市街地周縁 川 ⑪ なし 市街地周縁 ⑫ 川(1面) 市街地周縁 川 ⑬ 貯水池(1面) 市街地周縁 斜面地 ⑭ 堤(1面) 市街地周縁(埋立地) 海 ⑮ 水路(3面) 市街地周縁 斜面地 ⅱ ⅲ  表2 県内10事例の空間構成・市街地との関係  図1 免許地ごとの貸座敷業者数の推移(明治12年から昭和15年)  図2 ⑩門司馬場遊廓の入口  図3 ⑬二字町遊廓の門柱  表3 遊廓内の特徴的な街路形状  図4 新吉原門前の湾曲路

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32-3 3.3 遊廓の構成要素  地図資料の記載*16から確認できる遊廓内及び周辺 の施設を表 4 に整理した。① ・ ⑥ ・ ⑫ ・ ⑬に関しては、 別に遊廓の構成図 ( 図 4, 5, 6, 7) も利用した。  遊廓を構成する要素としては妓楼のほか、娼妓病院 ( 驅黴院、検黴所 )・ 派出所 ( 交番、駐在所 )・ 検番 ・ 料 理屋 ( 料亭、食堂、仕出し屋 ) などがある。廓内ある いは隣接街区には商店や郵便局、さらに⑫新柳町には 娼妓だけでなく楼主とその家族、仲居や傭人など廓内 に居住し働く人々の食事を賄うための共同炊事場が置 かれ、娼妓の生活が廓内でほぼ完結するよう意図され ている。娼妓は「娼妓規則」及び「貸座敷娼妓取締規則」 によって廓内への居住を義務付けられ*17、外出も制 限された。物理的な「囲い」が新たに設けられないⅱ 期以降も、法規制により実質的に娼妓を「囲い込む」 枠組が維持されており、「娼妓の生活空間」としての 遊廓がその周辺の市街地から切り離されて成立するよ うに廓内の諸施設が整備されたことが看取できる。 3.4  小結  3.1 では、「囲い」の不設置は貸座敷制度の建前を 忠実に街路空間に反映させた結果であり、立地環境や 地形を利用して周辺からの隔離が図られていることを 指摘した。加えて、遊廓の都市における配置を、明治 33 年の免許地設置の全国基準「警保局標準内規」*18 制定を契機として見る。加藤は著書『花街 異空間の 都市史』において、米子 ( 鳥取 ) や貝塚 ( 大阪 ) に見 られるように、市街地に立地した旧来の貸座敷を近郊 の土地に整理統合して「一廓」に囲い込む事業が明治 後期以降全国的に推進された結果、各地で新しい遊廓 が次々に誕生した、と指摘し近代遊廓の空間的な周縁 性に言及する。しかし福岡県内では、明治 30 年代以 降の郊外への既存遊廓の整理統合事業は①柳町の移転 を除いて実施されておらず、結果としてⅱ期中に成立 した市街地内部に立地する④連歌町や⑨旭町が存続す ることになった。  図14 ⑪久留米櫻町 S8  図15 ⑫新柳町 S9  図16 ⑬直方二字町 S6  図17 ⑭大牟田新地 S16  図18 ⑮八幡白川 S5  図9 ①博多柳町跡 S9  図10 ④若松連歌町 S10  図11 ⑥若津弥生町 S6  図12 ⑨小倉旭町 S4  図13 ⑩門司馬場 S6 遊廓内 遊廓の近隣 遊廓内 遊廓の近隣 ① 交番・翠糸学校・車立場 渡し舟 ④ 郵便局・市場・薬局 - -⑥ 鉄工所 食堂・仕出し屋・駐在所・ 検番・小間物屋 検診病院・米屋・渡し 舟・製材所・造船ドック ⑨ 芝居小屋・券番・菓子店 ・タクシー営業所 稲荷社 ⑩驅黴所 鉄工所 - -⑪ 小学校・東邦電力支店 - -⑫貸座敷組合 ・教会 質店・美容院 派出所・翠糸学校 ・共同炊事場・券番 ⑬ 郵便局・病院・貯水池 ・浄水場・屠牛場・ 火葬場・墓地・塵焼場 貸座敷組合・娼妓診療所・ 派出所・心華女学校・仕出 屋・料理屋・台場 町立病院・大井戸・人力 車立場 ⑭貸座敷組合 鉄工所・鍼灸院・魚市場 - -⑮ 八幡神社・墓地 - -地図資料 遊廓図 No.  表4 遊廓を構成する妓楼以外の諸要素  図5 ①柳町遊廓図 M40  図7 ⑫新柳町遊廓図 T12  図8 ⑬二字町遊廓図 T6  図6 ⑥若津弥生町遊廓図 M41 凡例: 遊廓内街区 河川・水路 娼妓学校 娼妓病院 派出所 共同炊事場 検番 料理屋・食堂

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32-4 【註】 *1:花街は芸妓を中心に関連するサービス業の組み合わせによって成立する。加藤 は、現実には「遊廓と花街は一部重なりあう」ことを認めながら、「娼妓」本位の遊 廓と「芸妓」を本位とする狭義の花街とを区別している。 *2:明治5年10月2日太政官布告第295号 *3:同年10月20日 *4:明治6年9月30日福岡県布達第198号。『北九州市史 近代・現代 行政社会』(北九州 市, 1987)では、これを「神奈川県の制度にならったものであろう」と指摘する。 *5:明治9年12月福岡県布達第491号 *6:娼妓が座敷を借りて自由営業をする形式。法的には「娼妓取締規則」(明治33年 10月内務省令第44号)によって公認され、公娼制度といわれた。 *7: 明治 32 年 10 月 5 日内務省訓令第 32 號 廳府縣 東京府ヲ除ク  「貸座敷免許地ノ従来指定ノ儘之ヲ据置キ若シ将来新設移轉若ハ擴張ノ必要ヲ生シ タルトキハ詳細事由ヲ具シ稟請スヘシ」とされ、免許地の新設や拡張が制限された。 *8: 明治 33 年 4 月 26 日秘甲第 123 號内務省警保局長通牒 「貸座敷免許地ノ新設移轉若クハ擴張ニ就テハ獨リ風俗取締上慎重ノ調査ヲ要スル… 貸座敷免許地ニシテ主要ナル公道ニ當リ又未ダ一廓ヲ爲サヽルモノヽ如キハ取締上漸 次之ヲ適當ノ地ニ移轉セシムル」とされ、第 32 號訓令を補足して免許地の整理が図 られた。免許地設置の条件として別紙に五條の「貸座敷免許標準内規」が設定された。 *9:大正15年8月25日福岡県令第113号 (改正:昭和2年5月県令第57号、9月第87号、同8年6月第23号など) *10:「日本政府への覚書 日本に於ける公娼廃止の件」(昭和21年1月21日)では、日 本における公娼存続が「デモクラシーの理想に違背」するとし公娼制廃止が勧告さ れた。福岡県では、これに基づいて同年2月14日県令第14号で「貸座敷娼妓取締規 則」の廃止を公布。次いで4月12日付達3号を出し、従前の貸座敷を席貸営業に、娼 妓・酌婦を従業婦へと呼称を改めるよう通達した。 *11:明治38年版(1908)初出。 *12:表1中の「公許年代」は福岡県布達によって免許地と公認された時期とし、「成 立年代」は『県統計書』やその他資料から公許遊廓として実際に成立したとされる時 期とする。但し、福岡藩公許の遊廓である①の公許成立年代は『石城志』や『筑前国 続風土記』などの郷土史料によると黒田氏の福岡築城時に迄遡るとされるため、「慶 長中頃」とした。また『大川市誌』によると、若津浦の色街は宝暦元年に遊女屋が羽 犬塚から移ったことに始まり、明治23(1890)年にそれまで本浜町・下町・上町近辺に 散在した遊女屋が弥生町に集められ⑥が成立した、とされる。 *13:『福岡県統計書 昭和15年 第四編警察衛生ノ内(警察)』(1942) p.86「第50 (続)警 察取締ヲ要スル諸場」から昭和15年内に福岡警察署管内に新たに一ヶ所が認可され たことのみ確認できた。しかし、当該期間前後に『福岡県公報』中で公布された「貸 座敷娼妓取締規則」改正事項からは、新たな免許地増設についての記載は確認できな かった。なお、同年4月9日からは前内務省警保局長の本間精が県知事に着任した。 *14:木谷佐一が興した日本交通社発行の刊行物で、昭和12年頃には全国主要都市を 網羅した。通常の区分図や都市図、官製地形図に比べ縮尺が大きいが、図幅に収まる ようデフォルメされた部分があり縮尺も表記されないため、「精密な地歴調査には向 かない」(国会図書館リサーチ・ナビ)とされる。本稿では八幡市を除く県内の遊廓所 在市を網羅し、遊廓の構成及び周辺環境を確認できるため、それらを踏まえた上で使 用した。掲載にあたって、図版上側が北となるよう方位を調整し縮尺を統一した。 *15:太政官布告第128号(明治8年8月)で前借金による身体抵当の禁止が布告された が、実情は変わらず前借金に縛られた年季奉公制が続いた。 *16:⑩と⑬に関しては、『明細図』からは街区形状しか読み取れなかったため、そ れぞれ『門司市街旅客案内圖』(大河内亀松, 1899)及び『直方市全圖』(図書撰奨会, 1933)から記載事項を確認し補完した。 *17:「娼妓取締規則 第七條 娼妓ハ廳府縣令ヲ以テ指定シタル地域外ニ住居スルコト ヲ得ス」及び「貸座敷娼妓取締規則 第二十八條 娼妓ノ住居地ハ第一條ニ規定スル貸 座敷許可地域内トス」によって規定される。 *18:「警保局標準内規」に付随する「貸座敷免許標準内規」第二條では、「貸座敷免 許地ニ適當ノ場所」の条件として「最近ノ社寺公園官衙學校病院鐵道停車場市場主要 ナル公道等ヨリ相當ノ距離ヲ有スル事」などが挙げられている。 *19:図8-17より遊廓内の街路形状と周辺街区とを比較して確認した。本論参照。 *20:新柳町・大吉楼経営。『奮闘秘話 事業と人』(福岡時事社編, 1929)では、「九州 帝大創設の頃、旧柳町遊廓移転問題の責任の衝に立ち、廓内の財政難と、官庁の圧力 との間に身を処して幾たびか決死の臍を固め、至誠天に通じて商傑渡邉與八郎との諒 解を遂げ現在の新柳町を実現した」実業家と紹介される。全国貸座敷業組合連合会会 長、福岡市議会副議長(昭和4年3月7日-)ほか公職多数。 *21:同・一楽、新一楽経営 【参考文献】 (1)警察協会福岡支部(1942)『福岡縣警察史 明治年代篇』 (2)福岡県警察本部『福岡県警察史 明治大正編』(1978)・『同 昭和前編』(1980) (3)福岡県『福岡縣統計書』明治13年版(1912)-昭和15年版(1942) (4)福岡県警察部『福岡縣警察統計書』明治20年版(1904)-明治36年版(1904) (5)帝国地方行政学会(1930)『福岡縣警察法規類典 第二巻(保安)』 (6)大川市役所(1977)『大川市誌』 (7)直方市役所(1978)『直方市史 下巻』 (8)井上精三(1968)『博多風俗史 遊里編』積文館書店 (9)加藤政洋(2005)『花街 異空間の都市史』朝日新聞社 (10)森崎和江(1993)『買春王国の女たち 娼婦と産婦による近代史』宝島社 (11)日本遊覧社(1930)『全國遊廓案内』  (12)上村行彰(1929)『日本遊里史』春陽堂 【図版出典】 表1:参考文献(1), (2), (3), (4)より筆者作成 表2, 3, 4:筆者作成 図1:参考文献(3)及び(4)より筆者作成 図3:筆者撮影(2014.10.19) 図2:法政大学エコ地域デザイン研究所(http://eco-history.ws.hosei.ac.jp/index.html)歴 史プロジェクト第2回研究会「荒れ地に開かれた近代港町・門司」(岡本哲志)より引用 図4:斎藤長秋 編『江戸名所図会 十七巻』(博文館, 1893)「新吉原町」より一部抜粋 図5:参考文献(9)p.131「柳町遊廓圖 明治40年」に筆者加筆 図6:参考文献(7)p.1141図24「明治41年代の若津弥生町」に筆者加筆 図7:参考文献(9)p.204「新柳町遊廓圖 大正12年」に筆者加筆 図8:参考文献(8)p.516「二字町遊郭見取図」に筆者加筆 図9:大日本職業別明細図 第703号 福岡市(1934)に筆者加筆 図10:大日本職業別明細図 第403号 戸畑市・若松市(1935)に筆者加筆 図11:大日本職業別明細図 第260号 大牟田市・大川町ほか(1931)に筆者加筆 図12:大日本職業別明細図 第190号 小倉市・企救町(1929)に筆者加筆 図13:大日本職業別明細図 第244号 門司市・大里附近(1931)に筆者加筆 図14:大日本職業別明細図 第345号 久留米市・日田町及其附近ほか(1933)に筆者加筆 図15:大日本職業別明細図 第703号 福岡市(1934)に筆者加筆 図16:大日本職業別明細図 第242号 蘆屋町・折尾町・直方市ほか(1931)に筆者加筆 図17:大日本職業別明細図 第675号 大牟田市(1941)に筆者加筆 図18:八幡市平面図 (八幡市役所, 1930)に筆者加筆  3.2 では、廃止された「囲い」の代替手段として、 外からの見通しを防ぐために遊廓内の街路形状が複雑 化された可能性を指摘した。とくに、⑨ ・ ⑫ ・ ⑭ ・ ⑮ の街路は廓周辺の街路形状と明らかに異なる部分があ り*19 、意図的な操作によるものである可能性は十分 に考えられる。  3.3 では、生活インフラを廓内で完結させることで 周辺市街との空間的な区分が図られていたことを示し た。また、福利厚生施設として、共同炊事場に加え娼 妓に読み書き算盤や裁縫を教える学校が整備され、娼 妓の自由廃業を抑止するとともに、遊廓での娼妓の過 酷な待遇を批判し攻撃する廃娼論者への反論材料とし ても利用された。  但し、本稿では福岡県外の事例を扱っていないため、 こうした空間構成が同時期に成立した他地域の遊廓に も共通するものかどうかは確認するに至らなかった。  4. 結  以上より、江戸の新吉原遊廓に代表される、大城下 町の周縁部に形成された「囲い込まれ、疎外された空 間」としての近世遊廓と、「娼妓の自由営業」が建前 の貸座敷制度の下に成立した「囲い」を設けない近代 遊廓とは、その空間構成が本質的に異なることを例を 挙げて示した。貸座敷制度成立以後より複雑化した街 路形状と街区構成は、娼妓の身体を抵当とした前借金 による拘束を否定し廃娼論者からの批難をかわすため の、貸座敷業者たちによる「囲い」への忌避の所産と 考えられる。しかし一方で、娼妓の廓外の居住を禁じ 外出制限を課した「娼妓制度」及び「貸座敷娼妓取締 規則」を根拠にするかたちで遊廓内の整備が進めら れ、物理的な「囲い」に依らず娼妓の生活を「囲い込 み」続けるための空間構成が成立した。  明治中期以降、西欧の倫理観や宗教観の普及を背景 に「遊廓の廃止と娼妓の解放」を唱えた廃娼運動がキ リスト教系の青年団体を中心に興隆し、群馬県をはじ め遊廓廃止に至る県も現れた。他方、福岡県では他府 県に比して警察による風俗取締りが緩く貸座敷経営者 の政財界への進出が著しかったことから、かつて「売 春王国」と称された。戦前は池見辰次郎*20、戦後は石 田清*21ら福岡県の貸座敷業者が「営業権の自由」を訴 えて存娼運動の先頭に立ち、全国の同業者を束ねた。 その際、議会への陳情など政治運動の主導に加えて、 業者側にとっての道義的な弱みであった「娼妓の非人 道的拘束」を否定すべく「囲い」のない遊廓の空間モ デルが提唱され、その先駆的実践例として福岡県内の 各遊廓が位置付けられた可能性も考えられる。

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