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Vol.66 , No.2(2018)058千葉 隆誓「『大乗荘厳経論』第1詩頌の解釈――「意義の解明」(artha-vibhavana)について――」

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Academic year: 2021

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全文

(1)

印度學佛敎學硏究第66巻第2号 平成30年3月 (140) ― 835 ―

『大乗荘厳経論』第

1

詩頌の解釈

―「意義の解明」(

artha-vibhāvanā

)について―

千 葉 隆 誓

0.

 はじめに 

瑜伽行派形成史上における『大乗荘厳経論』

Mahāyānasūtrālaṃkāra, 以下MSA)

の位置付けを考えるにあたって,次の岩本

(2002, 5)

の指摘は重要であ

る.

この冒頭部分に『荘厳経論』が教え(dharma)を荘厳(alaṃkāra)することを目的としてい ることが高らかに宣言されている.では,『荘厳経論』はその目的によってどのようなテ クストとして仕上がったのであろうか.『荘厳経論』は,章構成及び第17・18章について はそこで扱われる主題項目さえも『菩 地』の修行項目に従っているが,その説相はとい えば『菩 地』とはまったく異なる.その説相の違いは,まさにこのalaṃkāraによって生 じていると考えられる1)

では,その

alaṃkāra

とはいかなる内容をもつものであろうか.本論文では,第

1

詩頌

2)

artha-vibhāvanā

に注目し,その

alaṃkāra

の意味を考察する.

1. 何を荘厳するのか 

alaṃkāra

とは如何なることか.釈によれば

alaṃkāra

artha-vibhāvanā

である

3)

.さらに釈は,

alaṃkāra

の対象を「そこにおいて極上

乗の

vidhi

が説示されている法

(dharma)

(dharmasyottamayānadeśitavidheḥ)

であると

明示する

4)

.すなわち,

alaṃkāra

の対象は法

dharma

であり,その法は,極上乗

vidhi

が説示されている法である.では,「極上乗の

vidhi

」とは何を指すのか.

スティラマティは「

vidhi (rnam pa)

は大乗の意味

(don, *artha)

と言葉

(tshig, *śabda)

を意味する」

5)

と述べ,

vidhi

とは言明の手段

karaa

としての言葉と言明の対象

(karman)

としての意味であるとする.また,スティラマティは法とは大乗の論書

(gzhung, *grantha)

及び経典

(mdo sde, *sūtra)

であると注釈している

6)

2.

 何を荘厳はもたらすのか 

MSA

における

alaṃkāra

とは,大乗の論書およ

び経典を対象として,それらの意味

(artha)

vibhāvanā

するものであり,その

vibhāvanā

は,

alaṃkāra

の種類の明示と結び付くと考えるべきである.ここで注

目すべきは現在分詞

darśayan

である.

(2)

(141)

『大乗荘厳経論』第1詩頌の解釈(千 葉)

― 834 ―

MSA 1.1d: śliṣṭām arthagatiṃ niruttaragatāṃ pañcātmikāṃ darśayan//

darśayan

の目的語は

arthagati

である.

arthagati

をどのように理解すべきか.能

仁他

(2009, 39)

は「意義の趣」,袴谷

(1993, 30)

は「意味の理解」とし,ともに

genitive tatpuruṣa

で理解している.しかし,釈が第

2

詩頌の導入部に「次にその五

種の

arthagati

を第

2

詩頌によって示す」

7)

と述べ,第

2

詩頌の直後に「実に,この

詩頌は,五つの喩例を通じて,その

dharma

が五種の

artha

を主題として説示され

ている

(deśita)

ことを〔明示している

(pradarśita)

〕」

8)

と述べることからも,第

2

詩頌によって示すのは五種の

artha9)

である.複合語

arthagati

の主要素は

gati

はなく,

artha

である.よって

arthagati

karmadhāraya

であって「〔法から〕理解

されるものである意味」を意味する.

gati

は目的名詞

(「理解されるもの」)

である.

darśayan

を能仁他

(2009)

は「示しつつ」と付帯状況

(lakṣaṇa)

で解するが,目的

(結果を含意,hetu)

として解釈しなければ意味をなさない

10)

.すなわち,「五種の

理解される意味を明示するために」とすべきである.また第

2

詩頌は五つの喩例

を説き,その比喩構造はいずれも「その法

(極上乗の言葉と意味が説示されている大 乗の論書および経典)

が,本書において,

vivṛta

されるとき,最高の喜びをもたら

す」となっている

11)

.すなわち第

1

詩頌と第

2

詩頌との関係から以下のことが成

立する.

MSA 1.1「法(大乗の論書・経典)の荘厳」=「法(大乗の論書・経典)の意味(artha)の

vibhāvanā」→五種の意味(artha)の明示(pradarśana)

MSA 1.2「法(大乗の論書・経典)の開示(vivaraṇa)」→最高の喜びの提供(prītidhāna)

つまり,その法は,

MSA

によって

vivṛta

されるとき,すなわち,開示されると

き,要するに,その五種類の

artha

という主題が明示されるとき,最上の喜びを

もたらすというのである.そして,「五種の意味

(artha)

の明示」と「法

(大乗の

論書・経典)

の開示」は同義である.

vibhāvanā

を「明示」・「開示」を意味するも

のと解することはできない.

vibhāvanā

は後者の原因である.

3.

 artha-vibhāvanā と vibhakta-artha 

さらに

artha-vibhāvanā

を理解するにあ

た っ て は, 第

3

詩 頌 の

vibhakta-artha

と の 関 係 に 注 目 し な け れ ば な ら な い.

vibhakta-artha

bahuvrīhi

であり

dharma(法)

を指示する.すなわち,

dharma

〈それの

artha

vibhakta

されるもの〉である.したがってこの表現は,

dharma-artha-vibhāga(「dharmaのarthaのvibhāga」)

を 前 提 と す る. こ の こ と は,

dharma-artha-vibhāvanā

dharma-artha-vibhāga

が同義でなければならないことを示す.

(3)

(142) 『大乗荘厳経論』第1詩頌の解釈(千 葉)

― 833 ―

vibhāvanā

vibhāga

に共通する意味は「区分」「分析」である.

MSA

は,「大乗経」=

「大乗法」の

artha

の「区分」・「分析」を目的とする論書であり,その結果とし

て,最上乗の五種の

arthagati(法から理解されるartha)

が明示されることになる.

4. 結論 

MSA

の課題は,「法の荘厳」

(alaṃkāra)

すなわち「法の意味の分析」

(arthavibhāvanā)

,「法の意味の区分」

(arthavibhāga)

であり,それによって法と一体

化している五種の意味を明示し

(arthapradarśana)

,法を開示

(vivaraṇa)

することで

ある.第

1

詩頌に以下のような翻訳を提案する.

極上乗(uttamayāna)の言明対象である〔意味〕と言明手段である〔言葉〕が説示されてい る 法 の 意 味 を 知 る 者(arthajña) は,(中 略) そ の よ う な 法 を 対 象 と す る 意 味 の 分 析 (arthavibhāvanā) を な す.〔そ の 法 に〕 一 体 化 し て い る(śliṣṭa), 無 上 乗 に 属 す る (niruttaragata) 五 種 類 の〔法 か ら〕 理 解 さ れ る 意 味(arthagati) を 明 示 す る た め に (pradarśayan).

1)岩本(2002, 5).   2) MSA 1.1: arthajño rthavibhāvanāṃ prakurute vācā padaiś cāmalair duḥkhasyottaraṇāya duḥkhitajane kāruṇyatas tanmayaḥ / dharmasyottamayānadeśitavidheḥ sattveṣu tadgāmiṣu śliṣṭām arthagatiṃ niruttaragatāṃ pañcātmikāṃ darśayan // (能仁他(2009, 39)「〔大乗 の〕意義を知悉する者が,意義の解明を行うのは,無垢なる言葉と句とをもってである. 〔それは〕苦から逃れさせるためにであり,それ(悲愍)を体とする者として,苦悩する

人々への悲愍からである.極上乗の方軌が説かれている教法に関してであり,それ(極上 乗)によって前進する衆生を目標にしてである.相互に結びついて,この上なきまでに到 達している五種類の意義の趣を示しつつである」).   3) MSABh on MSA 1.1 (38.9):

kam alaṃkāraṃ alaṃkaroti / arthavibhāvanām prakurute /(「[問]どのような荘厳を荘厳として なすのか.[答]arthavibhāvanā〔という荘厳〕をなす」).   4) MSABh on MSA 1.1 (40.9): kasyālaṃkāraṃ karoti / dharmasyottamayānadeśitavidheḥ / uttamayānasya deśito vidhir yasmin dharme tasya dharmasya /(「[問]何を荘厳するのか.[答]uttamayānadeśitavidhiである法 (dharma)の荘厳をなす.uttamayānadeśitavidhiは,locative bahuvrīhiであり,そこにおいて 極上乗のvidhiが説示されているところの法を指示する」).   5) SAVBh on MSA 1.1

(D6a6, P6b5):rnam pa ni theg pa chen po i don dang tshig la bya o //   6) SAVBh on MSA 1.1

(D8b1, P8b7):ci i rgyan du byed ce na zhes pa ni theg pa gsum las theg pa gang gi rgyan du byed ces bya ba i don to // theg pa dam pa i rnam pa bstan pa chos gang la yod pa chos de i o zhes pa la chos de i gzhung dang mdo sde gang las theg pa dam pa i rnam pa ste/theg pa chen po i chos kyi rang bzhin thabs dang shes rab kyi mtshan nyid chos gang las byung ba i chos de i rgyan du byed kyi / theg pa chung ngu i chos kyi rgyan du byed pa ni ma yin no zhes bya ba i don to //(「何の飾りをするのか」

kasyālaṃkāraṃ karotiという文について.三乗のうちでどの乗の飾りをするのかという意味

である.dharmasyottamayānadeśitavidheḥ について.その法,すなわち極上乗のvidhi̶大乗 法の本質である方便と智慧を特質とする〔言葉と意味〕̶がそこにおいて説かれていると ころの法つまり論書(gzhung, *grantha)および経典(mdo sde, *sūtra)という法の荘厳をな すのであって,小乗の法の荘厳をなすのではないという意味である」).   7) MSABh on MSA 1.2: tāṃ idānīṃ pañcātmikām arthagatiṃ dvitīyena ślokena darśayati /   8) MSABh on

(4)

(143)

『大乗荘厳経論』第1詩頌の解釈(千 葉)

― 832 ―

MSA 1.2: anena ślokena pañcabhir dṛṣtāntaiḥ sa hi dharmaḥ pañcavidham artham adhikṛtya

deśitaḥ /   9)五種の意味とは,証明されるべき意味,理解せしめられるべき意味,思

惟されるべき意味,思惟を超えた意味,完成された意味である.MSA on MSA1.2: sādhyaṃ vyutpādyaṃ cintyaṃ acintyaṃ pariniṣpannaṃ cādhigamārthaṃ pratyātmavedanīyaṃ bodhipakṣasvabhāvaṃ /    10)川 村(2017, 232), (2008, 229–300) を 参 照 の こ と.   11) MSA1.2: ghaṭitam iva suvarṇaṃ vārijaṃ vā vibuddhaṃ sukṛtam iva subhojyaṃ bhujyamānaṃ kṣudhārtaiḥ / vidita iva sulekho ratnapeṭeva muktā vivṛta iha sa dharmaḥ prītim agryāṃ

dadhāti //(「黄金が手を加えられたときのように,睡蓮が花開くときのように,よく調理さ

れた美味しい食事が飢えに苦しむ者たちによって食されるときのように,美しい手紙が, 言葉を超えた意図が知られたときのように,宝石箱の蓋が開かれたときのように,その法 はここにおいて開示されるとき,最高の喜びをもたらす」).

〈略号〉

MSA: Mahāyānasūtrālaṃkāra (Chap. 1). See 能仁他(2009).     MSABh: Mahāyāna-sūtrā laṃkārabhāṣya (Chap. 1). See 能仁他(2009).     SAVB: Sūtrālaṃkāravṛtibhāṣya

mDo sde i rgyan gyi grel bshad)(1) sDe dge ed. Sems tsam, tsi, Tohoku no. 4034. (2) Peking ed. Sems tsam, tsi, Otani no. 5531.

〈参考文献〉 能仁正顕他 2009『 大乗荘厳経論 第I章の和訳と注解―大乗の確立』自照社出版. 袴谷顕昭 1993『新国訳大蔵経 大乗荘厳経論 瑜伽・唯識部12』大蔵出版. 川村悠人 2017『バッティの美文詩的研究―サンスクリット宮廷文学とパーニニ文法学』 法蔵館. 直四郎 1974『サンスクリット文法』岩波書店. 岩本明美 2002「 大乗荘厳経論 の修行道―第13章・第14章を中心として―」博士論 文(京都大学).https://dx.doi.org/10.14989/doctor.k9252(最終閲覧日2018年2月1日). 〈キーワード〉 大乗荘厳経論,大乗経典,瑜伽行派,荘厳,Sthiramati (広島大学大学院)

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