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‑ 特集 教育改革のキーワ ード 再考く

6〉

「 心の教育」をめ ぐって

上越教育大学 林 泰成

は じめに

近年,「心の教育の大切 さが叫ばれ,多 くの教育雑誌 においてその特集 が組 まれている た しかに,「心の教育は,教育 とい う営みの根幹 にある もの とも考えられ,その必要性 料 ま異議を唱えに くい。 しか し,心の教育

が具体的に何 を意味 しているのかはそれほど分明ではな く,その定義のいか んによっては問題点 も指摘 され よう。そ こで,以下では,「心の教育」が取 りざたされるようになった経緯 を振 り返 り,その概念によって意味 されてい るものが何 なのかを吟味 し,望 ましい 「心の教育」のあ り方について考えて みたい。

1.時代状況 と 「心の教育」

19976月28日,神戸の連続児童殺傷事件の容疑者 として中学3年生の少 年が逮捕 された。同年7月2日,兵庫県お よび神戸市の両教育委員会は,事件 の情報収集や対応策 を検討するために 「緊急 プロジェク トチーム」 を作 り, とくに,今後の教育課題について論 じるための組織 として 「心の教育緊急会 議」 を発足 させた。

この会議は,河合隼雄氏 を座長 として3回開催 され,106日に 「心の教 育緊急会議のまとめ」(1)が公表 された。その内容 は,「現在の子 どもたちをよ 64

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心の教育」 をめ ぐって

り深 く理解する視点」 と 「心の教育の課題 ・方向性 ・提言」の2部構成 とな っている。 この報告書では,「とりわけ 『心の教育は,結論 を教 え込むの ではな く,活動や体験 を通 して子 どもたちが 自ら体得する場や機会 を準備す ること,子 ども一人一人が 自分な りに生 き方を見つけるよう支援 してい くこ とであること,つ まり 『教』 より 『育』を中心にすえるものであることを再 認識 しなければならないと指摘 されている

さらに199784日には,当時の文部大臣小杉隆氏が 「幼児期か らの心 の教育の在 り方について」中央教育審議会に諮問 した。それに答えて,1998 630日,中央教育審議会 より 「新 しい時代 を拓 く心 を育てるために‑

次世代 を育てる心 を失 う危機‑ 」(2)という答 申が出 された。 この答 申には

心の教育」の明確 な定義は見あたらない。それがあたか も自明の ものであ るかのように語 られている。全体 は4章か ら成 り,各章には 「未来に向けて もう一度我々の足元 を見直そ う「もう一度家庭 を見直そ う地域社会の力 を生かそ う心 を育てる場 として学校 を見直そ う」 という章題がつけ られ ている家庭教育のあ り方にまで踏み込んだもの として,答 申としては画期 的なものだとも言えよう しか し,そこまで言及せ ざるをえないほどに,現 代社会が危機的な状況にあるということで もあ り,そ う喜ば しいことではな

い 。

こうした答 申を必要 とする時代状況 とはどのようなものであろうか。多 く の論者がその特色について論 じているが,ここでは2点を指摘 しよう

一つは,情報環境の拡充 とそれに伴 う人間関係の希薄化である。現代社会 では,子 どもも大人 も非常 に多 くの情報にさらされている 社会には情報機 器があふれ, もはや コンピュータなしの生活は考えられない。 とくに子 ども たちのなかには,ファミコンのゲームや リアルなアニメなどを通 してヴァー チャルな世界 を楽 しんでいるもの も多い。そうした事態は「情報環境の拡充」

という概念で表す ことがで きよう だが,この拡充は,逆 に生身の人間同士 のつなが りを狭め,人間関係の希薄化 という事態 をも招いているのである

ヴァーチ ャルな世界では,人間の肌の温かみを感 じることもない し,殴 られ て痛みを体感することもない。そこでは,面倒な人間関係 はすべて回避 され

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る。いっしょに遊ぶために集 まった子 どもたちが一つの部屋のなかで別々に ファミコンをやっているなどといった笑えない事態は,今や 日常的に見 られ る光景である。従来,仲間集団のなかで培われて きた人間関係 に関する技能 は,大人が どこかで教 えなければならな くなっている。 もちろん,大人 もま た,そ うした時代状況か ら切 り離 されているわけではな く,希薄化 した人間 関係のなかに生 きている したがって,大人にとって も,そ うした技能を子

どもに教 えるということはもはやそ う簡単なことではない。

もう一つは,感情 コン トロールに関する無能 さである。医学用語でいう「 動失禁」にも似た状態が,集団的に起 こっているかの ようである「キ レル」

とか,「ム カ ッ クとい うような感情的な言葉が,子 どもたちの会話のなか に多 く聞かれるとい うことは,そうした事態 を表 しているとも考えられよう ある場面ではまった く無感動であるのに,また別な場面では,ち ょっとした 刺激に対 して激 しく感情 を表出する。そうした子 どもたちが多 くなっている。

1998128日に栃木県の黒磯北中学校で起 こった事件 もそ うした事態 を表 す‑事例 として とらえることがで きる 事件 は,13歳の生徒が26歳の女教師 に注意 を受けたことに 「キ レテ」,彼女 をナイフで刺殺す るとい う痛 ましい ものであった。評論家のなかには,突然 「キ レタ」のではな く,そこにいた るまでの経緯があると指摘する者 もいる。 しか し,生徒が凶行 に及ぶまでに はいろいろな行 き違いがあったにせ よ,なぜその生徒 は他の方法ではな く, ナイフで刺す という行為 に出たのかを考えるとき,突然 「キレタ」 という以 外 に適当な表現が見つか らない。

心の教育」はこうした時代状況に対処するために唱えられていると考え られるのである。

2.「心の教育」 と道徳教育 とカウンセ リング

横 山利弘氏 は,心の教育とい う言葉が何十年 も前か ら道徳教育の世界 で使われて きた言葉であることを指摘 し,「『心の教育』 とは,有体 にいえば, 道徳教育であ り 「心」 とは道徳性 の ことであった」(3)と言 う しか し,では 66

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心の教育」をめぐって なぜ中教審答 申では,道徳教育 を前面に出さずに,「心の教育」の大切 さを 説 くのだろうか。 もちろん,一つの理由として,道徳教育は戦争 という不幸 な歴史 と絡んで手垢 にまみれた概念であ り,その語 に嫌悪感 を抱 くひともい るということがあげ られよう。 しか し,それだけではない。やは り,いわゆ る道徳教育だけでは不十分だ と考えられているか らであろう答 申の,た と えば,学校教育に言及 した第4章 をみると,「道徳教育 を見直 し, よ りよい ものに していこう」 とい う項 目もあるが,その他 に,「カウンセ リングを充 実 しようという,従来の道徳教育の範噂には入っていなかったような事柄 も含 まれている また,た とえば,上越教育大学附属小学校で試み られてい る 「心の活動」の時間や,その他の学校の実験的な試みの公開授業 を見学す ると,構成的グループエ ンカウンターなどの予防的 ・開発的なカウンセ リン グの手法 を用いて, 自分 さが Lをした り,友人 との関係 を強めた りするよう な活動を中心に,道徳」あるいはそれに代わる授業が構想 されている小 ・ 中学校の現場で実践的な研究に取 り組む人びともまた,従来型の道徳教育だ けでは不十分だ と考えているようである

このように述べ ると,そ うした活動は,従来の道徳教育のなかで も行われ てきたことだ と反論 されるか もしれない。た しかに, 自分 さが Lは,現行の 学習指導要領 「道徳の内容項 目の一つめの柱 「主 として自分 自身に関する こと」に関わるものであるし,友人 との関係 を強めることは,二つめの柱 「 として他の人 とのかかわ りに関することに関わるものである しか し,そ れ らは従来の 「道徳授業では,徳 目主義的に扱われてはいなかったであろ うか。子 どもの主体性 を尊重する授業ではあって も,最終的に,た とえば友 情が大切だ ということを教 える授業になってはいなかっただろうか。構成的 グループエ ンカウンターに代表 されるような手法はそ うした授業 とは根本的 に異なるのである

国分康孝氏 はつ ぎの ように言 う文部省が捷唱す る 『心の教育』を私の カウンセ リング心理学で翻訳すると,『サイコエデュケーシ ョンpsychoedu‑

cation』 となる。 これはカウンセ リングや心理療法の世界の新 しい潮流であ る。予防 ・開発的なアプローチの一つの形態である」(4)。そ して,そのアブ

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ローチ として,構成的グループエ ンカウンターの他 にも, 自己主張訓練やソ ーシャルスキル トレーニ ングなどが取 り上げ られている。た しかに,い きな り 「キレル」 とい う型の問題行動 を防 ぐためには,従来の道徳教育だけでは まった く不十分であ り,問題が起 こってか ら対処する治療的アプローチで も まだ十分ではな く,予防的 ・開発的なアプローチが必要である。

しか し,こうしたアプローチに対 して全幅の信頼 を置 こうと考 えるなら, そこにもまた問題がある というのは,そうしたアプローチは,社会的規範 を教 えるという点が弱いか らである。

たとえば,アメリカの価値教育 (ない しは道徳教育)の3大潮流の一つに 数えられていた 「価値明確化」 という手法がある。 これは, 日本でその実践 研究に取 り組んでいる諸富祥彦氏 によれば 「構成的グループエ ンカウンター 方式の道徳授業であるが(5),その出生地のアメリカではもはやそれほ ど一 般的なものではない(6)。批判 されているのは,その価値相対主義的な考 え方 である。その手法は, 自分が何 を大切 なもの とみなすのか とい うことを強 く 意識 させ るという点では, 自分 さが し, 自分づ くり,あるいは,他者 との関 係づ くりに役立つ方法であると言える しか し, 自分についての認識が深 ま り,他者 との関係づ くりが うまくなって も,その手法は, 自分が大人になっ てか ら入っていかなければならない社会集団の規範 を強 く意識 させ ることは ない。そ うした点を反省 して,アメリカの価値教育は,現在,教 え込み (in culcation)による品性教育が主流 となっている

アメリカに倣って品性教育中心 にすべ きだと主張 したいのではない。要は バ ランスの問題である。「心の教育」として,社会的規範 を教 え込むような 従来型の道徳教育 も必要である。 また,人間関係の希薄化 した現代社会にお いて自己の持つ価値観 を再認識 させ,人間関係づ くりをすすめることで,い きな り型の問題行動 を防 ぐような予防的 ・開発的カウンセ リングも必要であ る。 さらに,問題行動が生 じて しまってか らの治療的カウンセ リングも必要 なのである

私たちは,教育の問題 を考 えるときに両極端 を想定 しがちである た とえ ば,一方には教 え込みの教育 を置 き,他方には自由放任の教育 を置 く。現状

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心の教育」をめ ぐって が教 え込みの教育であると認識すると,それを批判するあまり, 自由を過度 に強調する もちろん,それは,現状 をよりよい方向へ と改革 しようとする 意志の表れであ り,それな りの社会的意味がある しか し,文化的伝統 を教 えることも,子 どもの 自由を尊重することも共に大切 なのである そ うした 視点か ら 「心の教育」 をとらえるならば,それは,バ ランスの とれた全人的 教育でなければならないと言えよう また別な言い方をすれば,たとえば,

心の教育」は,知育偏重の学校教育のあ り方に対する批判 として出て きた ととらえることもで きるが,それを単純に 「頭の教育」か ら 「心の教育」へ という標語で とらえるなら,皮相な理解で しかない。 というのは,心の教育 には,知 ・情 ・意のいずれ も,また,知 ・徳 ・体のいずれ も必要だか らであ なにか特定の教育方法 を強調するにして も,まずそうした理解が欠かせ ないのである

3.中教審答 申の前 と後

竹田晴夫氏 は,1993年に出版 された 『再考 ・「心の教育 情意の教育』

において,1984年に発足 した臨時教育審議会の答 申などを取 り上げ,つ ぎの ように述べている「しか しこれ らの答 申の趣 旨か ら判断すると,い ま求め られている 『心の教育の領域 は,広い意味の徳育,すなわち狭義の道徳性 ばか りでな く,感性や感情の教育 をも含む領域であろう。言い換 えれば,知 育お よび体育以外の領域の教育であろう あるいはさらに言い換 えれば,そ れは,一般 に感情や意志 と呼ばれる領域,つ まり,情意の教育』であろう(7) 少々古い書物 なので,ここでは,1998年の中教審答申は考慮 されていないが, こうしたとらえ方は今で も一般的なものだと言えよう心の教育は,「 意の教育」あるいは 「感性の教育」 として とらえられがちなのである。 しか し,そ うだ とすれば,中教審答申の前後で何が変わったのだろうか。中教審 答 申では,家庭教育や,地域社会の教育にまで踏み込んだとい うことは言え ようだが,学校教育に限定 して言えば,何 も変わっていない。相変わらず

情意の教育」あるいは 「感性の教育としての 「心の教育の大切 さが説

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かれているのである。

先に述べたように,バ ランスの とれた全人的教育 としての 「心の教育 大切 なのだが,現状 に合わせて どの面 を強調するかは異なってこよう。そう した観点か ら解釈するとして も,依然 としで情意や感性の面が強調 されてい るのである しか し,それは今 まで も取 り組 まれて きたことなのである たちはむ しろ逆の取 り組みをなすべ きではないだろうか。つ ま り,情意や感 性が合理的判断に結びついていない ところに問題があるのではないか。先に 時代状況の特色の一つ として 「感情 コン トロールに関する無能 さ」 を取 り上 げたが,それは,知的に判断すべ きところで感情的になって しまうというこ との指摘 で もある。その ようにとらえるならば,心の教育」 として知的判 断能力の育成が欠かせない と言えよう。

4.新たな 「心の教育」の構築に向けて

ここでは,情意や感性の教育 を否定 しようというのではない。ただ,必要 以上にそれが強調 されている事態に異議の申し立てをしたいのである。 もち ろん, とりわけ小学校低学年においては,情意や感性の教育が必要であろう

ただ し,それは,子 どもの発達に伴 って知的 レベルの 「心の教育」 と徐 々に 結びつけ られるべ きものである。

では,具体的にど うすべ きか。実際の 「心の教育」のプログラムとしては さまざまなものが考案で きようが, とくに学校教育 に限定 して, ここで一例 を示 したい。

まず 「心の教育」 に,中核 となる三つの領域 を考 えよう一つは感性の領 域,二つめは知性の領域,三つめはしつけの領域である。

感性の領域では,た とえば,ネル ・ノデイングズの説 くケアリング論に基 づ く道徳教育 を行 うことが望 まれる(8)。ケアリング論 とは,泣いている赤 ち ゃんを母親があやそ うとするときに見 られるような 「ケア したい」 とい う自 然 な気持ちを倫理的な行動 にまでつなげていこうとするものである他者 を ケア し,動植物 をケアし,事物 をケアすることは, もちろん,生活全体のな

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心の教育」 をめ ぐって

かで行われるべ きものであるか ら,これは,「道徳」の時間だけに限定 され るものではない。ノデイングズ 自身は,ケアリング論の観点か ら,学校教育 カリキュラムの全体 を改革することを提案 しているが,現在のわが国の学校 制度の枠組みのなかで考 えるなら,その論は, とくに 「道徳」の時間と学級 経営に生かす ことがで きよう。

知性の領域では,たとえば, コールバーグ理論に基づ くジレンマ授業が有 効であろう(9)。 これは,二つの選択肢の間で葛藤が生 じるような道徳的ジレ

ンマを資料 として与え,子 どもたちに議論 させるとい う形態の授業である

他 にも,児童 ・生徒 に価値分析 を行わせる分析 アプローチや,討論型の道徳 授業が有効であろう。 この領域では知的判断力 を養 うことが中心 になるので,

道徳」の時間が中心 になる。

しつけの領域 は,学校 よりも家庭が中心 となるべ きものか もしれない。 し か し, もし家庭での しつけが不十分だ とすれば,それ もまた学校教育のなか で行わざるをえない。けれ ども,それは,家庭での しつけをそのまま再現す るようなもの とはな りえない。なぜなら,親 と教師 とでは明 らかに役割が異 なるか らである。 また,子 どもを取 り巻 く人間関係 も異なるか らである 校での しつけは,集団生活 を前提 に して,道徳的な場面で具体的にどう行動 するかを疑似体験 させ るようなものでなければならない。現在,筆者の研究 重では,道徳場面に限定 したスキル トレーニ ングのプログラムを 「モラルス キル トレーニ ング」(10)とい う名称で開発中であるが,そ うした試みがなされ るべ きであろう。先 に言及 した予防的 ・開発的なカウンセ リングの手法 も, 主 としてこの領域で,また一部は感性の領域で有効であると考 えられる

ここで述べた3領域 は, もちろん,子 どもの発達に応 じて, どの段階で ど の領域 を強調するかを考えねばならない。

おわ りに

心の教育」の重要性 は多 くのひとの認めるところである。定義がはっき りしないか らといって 「心の教育を実施 しないわけにはいかない。 もしか

(9)

りに実施 しなか った として も,教 師か ら子 ども‑ の人格 的影響 はあ る それ もまた潜在 的 レベ ルでの 「心 の教育」 で あ る。で あれ ば,「心 の教 育」 は, 教育実践 に携 わる者すべ てが 日々必然 的 に取 り組 まざるをえない現実的課題 なのだ と言 え よう そ う した 日々の実践 のなかか らいっそ う具体 的な さまざ まなプログラムが提案 され るこ とを期待 したい。

(注)

(1)このまとめは,インターネット上で公開されている。http://www.hyogo

‑edu.yashiro.hyogo.jp/〜board‑bo/kokoro/を参照。

(2) http://www.monbu.go.jp/singi/cyukyo/00000246/を参照。

(3)横山利弘 「心の教育の中核は道徳教育道徳 と特別活動』19984月号, 文渓堂,21頁。

(4)国分康孝監修 『サイコエデュケーション心の教育」その方法』図書 文化,1998年,8頁。

(5)諸富祥彦 『道徳授業の革新‑ 「価値の明確化」で生 きる力を育てる』明治 図書,1997,20頁。

(6)たとえば,アン ・ヒギ ンズは,論文 「アメリカの道徳教育研究」 (杉 浦宏 編 『アメリカ教育哲学の動向』晃洋書房,1995年)において 「価値明確化は, 道徳教育の哲学的形態 としても実践的形態 としてもまった く失せてしまった のである」 (433頁) と述べている。

(7)竹田晴夫 『再考 ・ 「心の教育」‑ 情意の教育』東僧堂,1993,21貢。

(8)詳細は,ネル・・ノデイングズ 『ケアリング』晃洋書房,1997年,お よび, 林泰成 「ケアリング倫理 と道徳教育上越教育大学研究紀要』第17巻 第2 ,1998年を参照。

(9) たとえば,荒木紀幸編 『続 道徳教育はこうすればお もしろい』北大路書 ,1997年を参照。

(10)ソーシャルスキル トレーニングやライフスキル トレーニングを道徳場面に 応用するものである。たとえば,あいさつ」場面 を想定 して,何人かで役 割を交替 しなが らロールプレイを行 う。その後プレイしたときの気持ちなど を話 し合 う。こうしたモデュールをい くつか組み合わせて一つのプログラム を構成す る。要点は,たとえ模擬的ではあっても,実際に行動に移 してみ る」 というところにある。なお,モラルスキル トレーニ ング」は,大学の

(10)

心の教育」 をめ ぐって カリキュラム検討会の席上で犬塚文雄氏 (上越教育大学)が提案 された 「 クールモラル トレーニ ング」のアイデアをヒン トに生 まれた ものである。

[キーワー ド]

心の教育,道徳教育,カウンセ リング,情意の教育,感性の教育

参照

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