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南インドの景観考

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南インドの景観考

2

―生活様式―

元木 靖

【要旨】

本稿は,南インドの近年における生活様式の動向を探るため,人々の生活の基 本をなす衣食住の実状について,写真を多用し,景観の側面から行った実態報告 である.貧困層を含めて多くの人々が暮らしている農村を主な対象として,「住」

を中心に,「衣」と「食」を加え,生活様式の特徴と変化について考察した.

その結果,農村地域においても,新しい変化が人々の生活様式の上に現れてき ていることが確認,推察された.しかし貧困層も多く認められ,地域差も大きく,

農村地域が一般的に大きな変化の潮流のなかにあると,断言できるほどではない.

これに対して,人々の熱暑に順応するための配慮と関心から生活様式の伝統は強 い流れとして存続している.とくに「住」の様式における開放性と自然との一体 性とでも言うべき特徴である.この特徴は,日本農村につい近年まで存続してき た住宅様式に通じるところがあり,注目される.

【キーワード】 南インド,景観,生活様式,住,食,衣

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はじめに

本稿は,筆者が先に報告した南インド1における近年の農業の変化(元木,2015 に続き,生活文化の動向について考察する.生活文化は,言うまでもなく,一つ の文化的形態ではない.いわば人々の暮らしにかかわる諸要素が有機的に総合さ れた全体であって,インドの社会に深くねづいてきたカースト制や宗教活動,生 活習慣とも深くかかわり,かつ可変的な概念である.本稿はこうした生活文化の うち基本的事項としての物質文化(小西,1985),とくに衣食住の様式に対象を限 定した実態報告である.

インドの衣食住に現れた生活様式については,すでに優れた解説や研究がある.

ただ,インドの経済社会が急速な変化をみせ始めてきた今日の局面で,衣食住の 姿について具体的な調査をこころみた研究は多くない.とりわけ,衣食住のどの ようなところが変わり,どのようなところが変わらないでいるのか,の実相につ いては必ずしも明確にされていない.本稿のねらいはこの点の確認にある.その 手法として景観に着目し,筆者自身が撮影した写真を多用した.写真はそれ自体 として実状をすべて物語るわけではないが,衣食住の姿を直観的に把握する手段 としてきわめて有効である.

本稿において留意したのは以下の点である.まず,インド社会には今日でも総 人口の約70%(2011年)が農村に暮らしておりTripathy, 2012),また全国で3 億人を超すといわれる貧困層の74が農村地域に居住しているA. Kumar他,

2011).従って,南インドを対象とした本研究では,農村に重点をおき,都市に ついては必要な範囲で触れるにとどめた.つぎに,主な観察対象は衣食住のうち

「住」を中心とし「衣」と「食」にも注目することとした.「住」は,生活様式の シンボルとして自然環境や文化的環境を反映し,地域的にも固定性の強い要素で ありSingh 2007: 252),他方,社会経済の基本的な変化を物語る指標としての 意義を有している.なお,写真には可能なかぎり撮影の場所2と年月日を明記し.

1 南インドを対象とした理由については,元木2014を参照.

2 写真のタイトル末尾の( )内に示した州名は次のように略称KA(カルナータカ州),

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生活文化の時空間への位置づけを明確にするようにした.

1. 「住」景観

インドにおいて,住宅の改善問題は今日,国家の重要な関心事の一つとなって おり,その改善状況は,Amiya2012によれば,都市54%)にくらべて農村

23%)は大きく遅れている.もちろん,住宅hause typesは個々にあるいは地 域的に多様な姿をとる.それらを見極める基準あるいは手段として,例えば,1 利用される建築材料,2 規模と形態,3 社会―文化―経済的ステイタスなど による住宅の分類がよく知られているSingh 2007: 266).またインドの2001 センサスでは,つぎのように5つ分類基準を設けている.1 permanent house 恒久的な住宅(壁と屋根の両方にセメントやレンガ等の恒久建材を利用)2 semipermanent house 半恒久的な住宅(壁あるいは屋根の片方に恒久建材を利 用),(3 temporary house 一時的な住宅(壁,屋根とも短かい期間内に交換を 要する建材を利用),(4 servicearble temporary house比較的恵まれた仮設住 (壁に泥,木材,日干レンガを利用),5 Non-servicearble temporary house 間に合わせの仮設住宅(草,竹等の建材の利用)Kameswari 2012).ただ外部観 察者の立場からは,こうした分類を正確に適用するための客観的な判断はかなり 難しい.

1‒1.赤瓦の屋根と草葺き屋根―住宅景観の 2 類型―

筆者は,南インドの住景観を観察するための手がかりとして,住宅要素の屋根 に着目した.住宅は屋根,壁,床を基本として構成されるが.屋根は目につきや すく,その色と形は人々の暮らしぶりを直感的に理解するのに便利である.そこ でまず,農村の伝統性と生活スタイルを示すタイプとして注目3したのが,草葺き

TN(タミル・ナードゥ州),KL(ケーララ州).

3 別技篤彦による以下の指摘が参考になった.「若干の差異はあるが,庶民の住居は泥づ くり,わらぶき屋根で,内部は12室あるにとどまる.しかも多くは飼い牛と同居で ある.……上位カーストの家は煉瓦で作ったものも多く,また屋根は瓦葺きで,庶民の

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屋根(通常灰色ないし黒づんで見える)と瓦の屋根(赤ないし褐色に見える)をも つ住宅である.

写真1は,主(母)屋と付属建物(畜舎)をもつ農家の例である.このような農 家住宅と付属建物の組み合わせが南インドで普通に見られる景観というわけでは ないが,黒ずんでみえる椰子あるいは藁で葺いた屋根(以下,「草葺」と略記)と,

瓦で葺いた屋根(以下,「赤瓦」と略記)は,かなり広い範囲で認められる.一般 に草葺屋根を持つ農家が古く,赤瓦の屋根を持つ住宅が新しいようである.しか しながら,南インドでは,両タイプの違いは住宅の新旧以上の意味をもっている.

新旧の問題は後述するとして,その前に,屋根の色の違いからみた住宅景観の2 類型について紹介しよう.

写真 1 農村建物にみる草葺き屋根と赤瓦の屋根

(左Metturの水田農村,右Erodeの水田・畑農村,TN, 2010. 11. 1

1草葺の屋根を持つ住宅 この場合,筆者が見た範囲では,第1に住宅の形 や機能の面での多様性は少なく,一般に住宅の規模が小さい.写真2はその典型 的な例である.屋根は椰子(シュロ)の葉で葺かれるが,壁は土とブロックででき ており,軒が地面近くまで達している.傾斜(勾配)をつけた屋根も目立った特徴 である.このことについては,降雨量の多寡と屋根の形の関係が考察されている が,屋根材(草葺き)の耐久性に配慮していることにも留意が必要であろう4

ものより大きい.」(別技1989: 124–126

4 例えば,南インドにおいて傾斜(勾配)をつけた屋根の分布地域は雨量の多寡との関係 が指摘され,年降水量600ミリを切る地帯では陸屋根(平屋根)の形式が一般的である.

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さて,写真2の住宅は,全体に地面に直接柱を立てた竪穴式のような形で,ひ とつの入り口があるのみである.家の中には小さなテレビやカレンダー,椅子な どの僅かな生活必需品以外,広い床(土間)が目立つ.ちなみに,食事は屋外でお こない,庭先には竹で編んだテーブルや石棒.石皿のようなものがおかれていた.

この例は彼らが経済的に貧しい生活状態にあることを示している.実際,彼らは,

農地を持たず,都市に経済手段を求めて生活する稲作農民に代わり,日雇いでの 稲作作業あるいは建設労働者として生活している.

写真 2 草葺き屋根に住む土地なし労働者の住宅と室内の様子

Pudhu Gramam, kancipuram district, TN, 2010. 10. 29 ベンガル湾岸の水田農村,屋根材にはヤシの葉が使われている.

こうした人々について,かつて米倉二郎は,一つところに定住する農耕民では なく,牛を飼ったり他の職業に就いたりしていることから,生活様式の原始的型

(辛島編1985105–110との指摘がある.しかし降水量の多い地帯にあっても,後述 するように瓦屋根ではその勾配が緩くなり,さらに近年の新しい住宅では陸屋根に近い 屋根を持つ例も見られ,両者の相関は明確ではなくなりつつある.

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態が依然として,今日に至るまで保持されていると指摘している(米倉1969 40).

ただ,居室にはテレビがあることから推察できるように,彼らが今日のインド社 会の変化に鈍感であるわけではない.聞き取りに応じてくれた住民の一人は,将 来の希望は口々に子どもの教育であるという.それを通じてインド社会に根強く 残るカースト制度の制約からの脱出を目指している.

2に,草葺き屋根をもつ住宅は,かなり共通して,劣悪な土地条件下に立地 していることである.前述(写真2の事例はベンガル湾の海岸沿いのラグーン

(潟湖)を開拓した低湿な土地であったが,コーベリ川中流部の例をあげると写真 3の如くである.ヒンズー教寺院の外壁を利用しそこにより沿うように建つ住宅,

住宅が川の水の中に漬かった状態の様子,さらに生活用水が排水される河川敷に 位置し,付近は残飯やごみが散乱し,そこで豚が飼われ,悪臭が漂う状態であっ

写真 3 草葺き屋根の住宅と劣悪な土地条件

(上)Pallipalayam, Namakkal district, (下)Erode, Erode district, 2012. 3. 11–12, TN

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た.写真3が位置するコーベリ川中流部は,南西モンスーンと北東モンスーンの 吹く季節には洪水期にあたり,河川敷は水没することがある危険な場所となって いる.住民はこのような場所に不法占拠のかたちで暮らしている5,彼等は,近隣 のバナナ園やレンガ工場などで日稼ぎをしている,土地なし労働者である.

3に,草葺き屋根の住宅に住む人々がすべて土地の不法占拠者であるわけで はない.州政府の認可を受け,比較的まとまった社会をつくっている例もある(写 3上部左参照).コーベリ川中流の河川敷にあたる低地と,台地上に発達した 都市集落との間の緩傾斜地に位置する事例である.住宅の規模は若干大きく,二 階建ても見られる.しかし,ここに住む人々もいわゆる低カースト6層の人たち で,独自の社会をつくっている.写真4は,人々が利用する床屋である.きわめ て簡単な作りであるが,彼らの地域社会の一面を象徴している.

写真 4 床屋(カースト)

Pallipalayam municipality, Namakkal district, 2012. 3. 12, TN

5 タミルナードゥでは,カースト・ヒンドゥたちの住む親村と不可触民の住む属村がはっ きりと分かれていることが多い(小林2012といわれる.写真3はその親村に該当する 例を示すと考えられる.

6 カーストについては,以下の説明が簡潔で参考になる.

「カーストという語は,元来はカスタというポルトガル語で,種族とか血統とかを意 味し,ゴアにいたポルトガル人たちが,インド社会(主にヒンドゥー教社会)に見られ

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写真 5 津波被害を受けた移転集落

Aryanattiru village, Nagapattinam district, TN, 2010. 10. 30

4に,例外的なタイプであるが,比較的大きな集落を形成して草葺きの住宅 に住む人々がいる例も注目しておきたい(写真5).この写真はベンガル湾沿いの 漁村を襲った大津波2006年)で集落が破壊され300人が死亡),新たに作られ た移転集落の場合である.500戸からなる集団住宅地である.ちょうど都市計画 後の団地のように整然とした土地区画の中におさまっている.AB二つの地区 にわかれ,今も漁業を続ける人たちの居住区と,他の職業に従事する人たちの地 区に分かれている.漁業を行う人々の居住区の場合,住宅一つに3家族が住む.

たいろいろの社会集団をさすのに用いたのである.

 彼らがその語によってしめそうとしたのは,インド古代の身分制度で,司祭者として のバラモン,王族・戦士としてのクシャトリヤ,商人としてのヴァイシャ,隷属民(の ちに農民を意味するようになった)としてのシュードラの四つの階層(ヴァルナ)から なる身分のちがいだった.そして,この四つのヴァルナの内部には,中世になると,職 業や地域の別にもとづいて,いくつものジャーティと呼ばれる集団が生まれてきた.

シュードラの中には,大工,鍛冶などを含む職人や,床屋,召使などを含むサービス業 などからなる,いくつものジャーティができあがった」.(辛島2009: 43–44

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彼らは3家族に1台のボート(政府からの供与)をもつ.この他,写真は示して いないが,国道などの道路建設現場などには,文字どおり一時的な草葺きの仮設 住宅がみられる.

以上のように,南インドには古い時代を推測させるような小さく簡単な草葺き 屋根の住宅とともに,近年の社会変化の理由から草葺き屋根の住宅に暮らす人々 がみられる.しかし,いずれの場合も今日の南インドの農村地域の経済状態を示 しているのである.

2赤瓦の屋根をもつ住宅 草葺き屋根をもつ住宅と比べ,恒久的な住宅がほ とんどである,規模が比較的大きく,その形態にもバリエーションが大きい.

まず,南インド最大の河川であるコーベリ川下流の代表的な水田地帯の農家住 宅の場合を示す(写真6).赤瓦の住宅で壁面と屋根の前面に柱がたち,居室と外 部との間に広い空間を有している.このような住宅は,今日では南インドでは目 新しいものではなく,伝統的な様式と見られる.

注目すべき点は,この例に見られるように,居室の外側の開放的な空間(軒下)

に廊下や土間(コンクリート)を作っていることである.こうした様式は,南イン ドの高温多湿な熱暑へ順応するため風通の工夫を示している.興味深いことにこ れは,日本の伝統的な農村住宅の開放性や軒下の利用と共通している.宮川英二

写真 6 コーベリ川下流(デルタ)の水田地帯の農家

Thanjavur, Thanjavur District, TN, 2010. 10. 30

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7 このことを理解するうえで,同氏による以下の記述が参考になる.

「日本の建築には,ヨーロッパで言われる意味での室内がなかった.むしろ,内部空 間,外部空間の区別は必要としなかった.自然をしめ出す代わりに,自然を内部にひき いれ,あるいは,内部を屋外へと延長して,可能な限り自然と一体になって生活しよう とした.建築は開放的で山野の風がふき通り,陽が差し込み,自然の恩恵をできるだけ 享受しようとした.」(宮川1979: 161

写真 7 内陸乾燥畑作地帯の住宅

Avinashi brock, Thirupur district, TN, 2011. 3. 13

氏は,日本の住宅の深い軒に着目し,「日本人は,壁に穿たれた孔(窓)を通して 自然を見るのではなく,自分の座っている所が自然の一部であることをねがう」

(宮川1979159と述べているが,写真6や後掲の写真8をみると,そうした意 味を確実に読みとることができる7

ただ,赤瓦の住宅の場合でも,そうした空間部分を有しない例も見られる.例 えば,瓦の屋根をもつ住居を単独,あるいは何戸かを塀で囲い込んでいる場合で ある(写真7).しかし,住宅の内部は,写真から分かるように,低い床をつくり 開放的になっている.ここにも熱暑への順応の工夫をみることができる.住宅に 塀をめぐらしている理由は,遮蔽のことも考えられるが,風塵を避けるための工 夫と見られる.この地域はエローデとコインバートルのほぼ中間に位置する乾燥 の厳しい畑作地帯である.

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写真 8 中庭を有する農家

Palahalli village, Shrirangapattana brock, Mandya district, KN, 2009. 11. 1

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さらに写真8を示そう.約3000人が住む大きな集落で観察された,中庭を持 つ大きな農家の例である8.この集落には17世紀からつづくキリスト教の教会が あり,この家もキリスト教徒で,この農家には4世代18人家族が住む.瓦屋根 の裏側は木組みで複雑に手づくりされて,古くからの建築と推定される.屋根の 赤瓦は2年に1回補修しているという.

住宅の正面は屋根から下ろした柱が立ち,その周りをモルタル風の1メートル 程度の壁で仕切られ,軒下が居室化しているようにも見える.その一部が低い階 段の入口になっている.中に入ると寝室の他ダイニングキッチン,そして中庭を 取り囲むようにつくられた廊下(居室化した空間)には,キリスト教に関する絵画 やカレンダー,家族の写真などが飾られ,一角には子供用のブランコが設けられ ていた,また屋根からすだれを落として,テレビを見たり新聞を見たりする場所 になっている.

以上,赤瓦の屋根をもつ住宅についての例を紹介したが,その規模や機能には バリエーションが大きい.しかし居室部分と外側の開放的な空間を組み合わせた 構造の基本はいずれの場合もほぼ共通している.このような構造は草葺きの住宅 には少ない.ヒンズー教徒が中心であるが,上記の例のように宗教を超えキリス ト教の農家でも住宅は風土に順応するかたちで造られている.

1‒2. 変容を物語る新旧住宅の混在

南インドの農村における住宅は,どこでも伝統的なすがたを留めているわけで はなく,明らかな変化が生じてきている.例えば,写真9は,草葺きの住宅に隣 接して新しい住宅が併存する象徴的な事例である.新しい住宅には2002年とい う年号が掲げられている.また住宅の屋根は勾配のない平屋根になっている.し かし,形式はことなるが,住宅の前面には斬新な空間が作られ,前述のように開 放的な構造を伴う伝統の特色が再現されている.

8 家屋のプラン:庭と客間の位置について,辛島編1985: 105–110は,南インドのカル ナータカとタミル・ナードゥでは,前面に客間,背面に庭をおき庭の作業場としての性 格が,はっきりしていることを指摘している.

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ところで,こうした住宅の新しい変化は,どのような理由で生じているか.地 域的な事情を考慮して踏査をすすめた結果,集落内における新旧住宅が混在する 景観を通して,さまざまな変化の契機があることが分かった.その例を以下に挙 げてみよう.

写真10は,デカン高原南部の露出した岩山に囲まれた農村(チッカマラリ村)

の住宅景観である.赤瓦の屋根に白壁がさえる住宅が整然と並び,緑の植生が取 り囲んでいる.この村は第二次世界大戦後灌漑用水路が建設されてから 水田稲 作やサトウキビ栽培が行われてきたところである.この村を16年前2009年当 時より)に入り調査した経験がある土居晴洋氏は,集落が,以前より外側に拡大 したと述べている.帰国後グーグルアースにより,チッカマラリの集落全体の景 観を詳細に確認した結果,集落の中心部に黒ずんだ古い住宅が集まり(写真10 右下参照),その周囲に鮮明な新しい住宅が取り囲んでいる様子を確認できた. 旧の集落の屋根は赤瓦で統一感はあるが,土居によれば,「アウトカーストの藁葺 きの粗末な家はほとんど見られず,屋根の瓦が赤い家が非常に多くなった」.とい う.この写真は旧集落の景観変化と併せ,新しい居住地が拡大(増加)しているこ とを物語っている.

写真 9 丘陵地における新・旧住の宅景観

Thalavadi blocktaluk, Erode district, TN, 2010. 11. 1

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土居はまた以前サトウキビから製糖するためのジャグリーが増えていることを 明らかにしている(土居1999).今は,この地域の周辺は「シュガーシティ」と して知られている.しかし,本格的な産業構造の変化がない中で,組織的な集落 の拡大が何故生じたのか.これについてはカルナタカ州のアシュレア(居宅や居 住地を意味する言葉)プロジェクトによる,補助金対策との関係についても検討 が必要であろう.実際,こうした貧困地区に対する住宅供給政策はいまインドの 重要な農村対策になっているAnil Kumar 2012).

写真11は,コーベリ川上流地区(左岸)に発達した農村集落(ウオッサハリ村)

の例である.近くに灌漑用水路が走り,そこから少し高い位置にある.写真10 農村と比べて比較的豊かなところである.幅員5メートルほどの舗装道路が走る

写真 10 団地風の赤瓦の住宅群

Chikkamaralli village, Mandya district, KT, 2009. 11. 1

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集落内には,道路と住宅の間にはしっかりした排水溝が設けられ,小さな町場風 の印象を受けた.大小のヒンズー教の寺院,2頭立ての水牛が引くバロックカー ト,自家用車,三輪トラックが走る道路の両側には,新・増築したと思われる二 階建ての住宅やあるいは多彩な平屋根からなる,さまざまな住宅が目立った景観 をつくっている.横道にそれた未舗装の道路に沿いでも,門を構えの庭を持つ農 家,新築準備のため基礎工事をしている所,さらに購入間もないトラクターの存 在等が目を引いた.

このように,この集落では,多様なかたちの住宅の新・改築ブームが起こって いる.これらの経済的な基盤としては,観察を総合してみると,灌漑による水田 稲作の発展,畑作と酪農の普及,そしてサトウキビから砂糖をつくる工場の発展 などが考えられる.この事例は,近年の南インドの経済環境の変化に,地域の諸 条件がかなりストレートに反応した姿を物語っているといえよう.

ところが,この農村には新しい住宅の建築が目を引く反面,隣接して貧しい労 働者が暮らしており,農業や砂糖生産のための労働力を提供している.彼らの住 (写真12は赤瓦の屋根は確認できるものの,壁は土で作られその修築に牛糞

写真 11 個性的な新・改築住宅が目立つ農村

Palahalli villagegram, Mandya district, KN, 2009. 11. 1

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が貼り付けている様子が見られた9.この集落では積極的な住宅新築の動きが確認 される反面,旧態依然の住宅も併存して,大きな格差を生み出している.

1‒3 山地の斜面に登場した新築住宅

南インドの踏査を通して,最も注目されたのは,ケーララ州で観察した写真13 の場合である.南インドの農村の中では特異な住宅景観といってもよいが.写真

9 床や壁は儀礼の時には,新しい神聖な牛ふんで塗り替える(別技1989: 124–126とい われるが,この例では壁の一時的な修繕,あるいは燃料のするための乾燥をしているよ うである.

写真 12 豊かな農村に隣接する貧困層の住宅

Palahalli villagegram, Mandya district, KN, 2009. 11. 1

(上)貧困層の人々の住宅と住宅の壁の修繕にも利用された牛糞.

(下)サトウキビを原料とした近くの製糖工場で働く土地なしの労働者.

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に示すように住宅はそれぞれに個性的で,独立し,平屋のものは見られない.赤 瓦や草葺き屋根はなく,カラフルで,さまざまな住宅のかたちが認められる.注 目されたのは住宅の立地環境である.住宅は山地斜面を切り土して建設され,そ の周りは背の高い植生に取り囲まれている.この立地場所は,アラビア海沿岸の

写真 13 斜面に出現した個性的な新しい住宅景観

Wayanad District, KL, 2011. 3. 14

(下段)新築住宅の基礎,右新築以前からのカトリック系の古い教会

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カリカットから離れた山地斜面のWayanadに位置し,西ガーツ山脈を越えカル ナターカ州南部の都市(マイソール)に通ずる幹線道路の両サイドに,新しい住宅 が分布している.

このような住宅景観がどのようにして成立したのか.現地観察と聞き取り調査 で判ったことは,次のように要約できる.1つは地域経済の変化である.西ガー ツ山脈の西側に位置するケーララ州は,アラビヤ海に面して南北に展開する地域 で,平地では水田の他園芸作物,さらにココナッツ,アルカナッツ,バナナの栽 培がみられる.これに対して,山地部は従来常緑樹森林が卓越していたが,近年 ではココナッツやゴムの栽培が進んでいる.ゴム栽培は収入がよい上に労働力が 他の作物よりも少なくて済むため,大部分の森林は,ココナッツ,ゴム,コーヒー やアルカナッツ,ココア等の商品果樹に転換されている.

もう1つは,ケーララ州は面積が狭く人口密度が高いため,多くの労働者をイ ンドの他の州や海外に送り出し,現金収入を得るようになったことである.とく に中・下層の青年達は湾岸諸国emirates, kuwait, dubai等)に働きに出ている.

すなわち,こうして得た資金と農業収入を蓄え,waynad districtでは新しい 住宅の建設がすすんでいる.ちなみに34年前南ケララ300 ㎞)から移住してき たという老夫婦70歳と68歳)の話しによれば,20年前1990頃からゴムの栽 培をしてきたが,この家では長男と妻がドバイでエンジニアやナースとして働き,

それで得た資金で現在は自宅の脇にベーカリーの工場を営んでいる.

1‒4. 農村住宅の変化の方向

南インドでは,多くの人々がまだ農村に居住しており,住宅の形式については 赤瓦や草葦屋根が方々にみられる.しかし以上に記述したように,さまざまな局 面において明瞭な変化も現れてきている.すなわち,掘っ建て小屋に草葺き屋根 を施したようなものが依然として目につく一方,臨時的あるいは緊急的に造られ た新しい草葺き屋根の景観も少なくない.また赤瓦の屋根を持つ住宅が各地でみ られる中で,モルタルやコンクリートを使った豪華で,カラフルな住宅が新たに 生まれている.無論,いくつかの例外を除いて,こうした傾向が地域的にも一般 的にみられるというのではない.

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このような農村住宅の変化の傾向は,インド全体の農村の住宅統計2000–2011 からも推察できる.例えば建築材料からみると,屋根材ではコンクリートとアス ベストシートが増加し,タイルや草や竹,木材,泥の利用が減少78%)となっ ている.床では泥は減少10弱)しセメントが増加6%)し,他には石やタイ ルがそれぞれ増加2弱)となっている.壁については泥や日干し煉瓦によるも のが大きく減少9.2%)し,逆に焼成レンガが増加5.8%)し,次いで石材の順 となっている.

ところで,農村地域における住宅事情の変化を促す主要な動機は,経済的な点 にあることは言うまでもない,その場合,既述のように,住宅改造のための資金 が農業内部における果樹や酪農などの振興,海外への労働力輸出による資金獲得,

非農業部門における兼業,貧困層への政府の援助など,さまざまな要因が関与し ている.

また住宅の改築や新築,建築材料の変化の過程において,南インドの気候風土 への適応には深く配慮していることも確認したが,結果として住民間の住宅をめ ぐる格差が地域的格差を伴いつつ強められていることも見逃がしてはならない.

最後に,写真14を掲げておこう.ベンガル湾岸に1975年に建設されキリスト

教会Basilica教会)を中心に変化してきた,コンプレックスタウンの例である,

近年はこの教会の存在が近隣の農漁村の動向にも大きな影響を及ぼしつつある.

例えば教会周辺の農家の人たちは商売をしている人たちが増えているという.2006 年に発生した津波災害,この傾向に拍車をかけており,一方宗教関連施設で自動 車交通の発達などにより近隣の海岸へ海水浴客の参入と合わさった観光化がすす み,周辺の土地利用が大きく変わり始めてきている.写真は教会関連の立派な住 宅とともに,草葺の家に住む低カースト層の住宅事情とその変化が始まりつつあ ることを示している.地域がこのような形で変わっていく事例であり,現代の南 インドを語るときには,まず注目すべき光景なのかもしれない.この延長線上で は,いわゆる都市化が広く進展した時の,住宅の本格的な変化が展望されるよう に思われる.

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2. 「衣」景観

「住」の場合と異なり,人々の衣装については個人,職業,年齢によるちがいが あり,それらの景観を一般化して説明することは難しい.また筆者の知識不足が 加わり分析的な記載は容易ではない.したがって,ここでは,筆者が,あくまで 主観的に注目した「衣」の様子を,写真の比較により紹介するに留めたい.

2‒1. 男女の衣装

一般に,男性はドーティDhoti),女性はサリーSariがインドを代表する衣 装としてよく知られている.ドーティは長さ1mほどの腰布で縫い目がなく,着

写真 14 教会の立地と周辺住宅に及ぼす影響

Velankanni town, nagapattinam District. TN, 2010. 10. 30

(上)Basilica教会 教会近隣に建つ新築住宅

(下)教会近隣に建つ低カースト層の住宅,低カースト層の新築準備

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写真 15 家庭における男女の衣装の比較

(上)2010. 11. 1, TN 2009. 11. 1, KA

(中)2011. 3. 13, KL 2011. 2. 14, KL

(下)2013. 5. 1, TN 2011. 3. 13, KL

用法はいろいろある.上半身は袖無しのシャツを着る.サリー(サンスクリット の細長い布の意)はやはり縫い目のない長さ58m,幅1mほどの布で,これも 多くの着用法がある.インドの気候は熱暑が大きな特徴であり,そのため衣装は

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保温することよりも,むしろ強い日射や熱風から身体を保護することが重視され てきた10

写真15は,南インドの東部と内陸部,および西部の家族の男女の衣装を比較 したものである.男性のドーティと半袖シャツ姿が共通しており,着方はドーティ をくるぶしまで伸ばしている場合と,膝上でまくし上げている場合がある.女性 の場合は年配の女性に伝統の姿がはっきりとしており,中年の婦人にはワンピー ス風の姿も見られるが,伝統的な衣装が一般的なことを確認できる.なお子供に ついては後述するようにあまり特別の衣装はみられない.

2‒2. 婦人の外出着と仕事着

米倉二郎はサリーについて,「上流カーストの婦人は,野良仕事をしないので,

サリーのような着こなしによって個性美を発揮できるものを愛用するのであろう.

サリーは構造的には衣服として最も原始的なものといわざるを得ないが,服飾と しての美しさは世界に冠たるたるものであろう」(米倉1976),と指摘している.

写真16は,とくに女性の服装の諸例である.

南インドの各所で女性たちが外出に際して思い思いの姿を展開しているが,そ の際の細かな気づかいや特色は,筆者の知識をはるかに越えている.ただ表面的 には特別の外出には材質は木綿ではなく,麻あるいは絹の布地であることが多い ようである.また作業着についても大部分がサリーを着ていることが分かった.

注目されたのは,着用の仕方と共に,単色であれ紋様のついたものであれ,じ つに多様で,かつきわめてカラフルなことである.なぜ,女性の衣装の柄が多様 でカラフルなのか.この疑問は解けないが,南インドの気候に対応した植生,花

10 大原千鶴氏は,「洋服は,肌を露出することによって,涼しさを得ようとしますよね.

ところが,夏用の和服は身につけることことで涼しくなる.肌の表面を気持ちよく空気 が通って,控えめな日陰をつくってくれます.和服を着るということは,日陰と風通し を,そのままからだにまとって歩くようなものなのです.」「自分のからだや雰囲気に あったものを,自分らしく着こなすことから始まるのではないでしょうか.それは,自 分が涼しいかどうかだけでなく,周りの人の目にも涼しいかどうか…‥大事にしてきた のだと思います」(朝日新聞,2016. 8. 24

(23)

模様が関係しているのではなかろうか.なお写真17に学生の服装の一端も参考 として掲げておいたが,若い女性の間では写真17②のようなパンジャビスーツ が着やすく動きやすいため人気をよんでいる,という.

写真 16 外出着と仕事着

(上)デモ行進をする人々KL, 2011. 3. 14 参詣に向かう婦人KA, 2009. 11. 2

(中)食料(鶏肉)の購入TN, 2011. 3. 13 花の購入KA, 2009. 11. 1

(下)ウコンの乾燥作業TN, 2011. 3. 12 レンガ工場にてTN, 2011. 3. 12

(24)

2‒3. 洗濯

以上に見たように,南インドの人々の衣装は構造的には簡単であるが,一枚一 枚の布は大きい.洗濯とその後の乾燥はどうしているのか.もちろん水不足の問 題がある.その中でしばしば目に就いたのは,灌漑用水路や河川が洗濯の場とし て利用されていることである(写真18).(比較的きれいな灌漑水路では食器洗い や洗濯,そして子どもたちが水遊びをしている).写真19は,タミールナドとカ ルナタカ間の滝の岩場で女子が洗濯している光景である.しかし良く見ると近く では洗濯した布にアイロンをかけている姿があり,共同で仕事を請負う,いわゆ る洗濯カーストの集団であることがわかった.またヒンズー教徒の多いインドで

① 小学生 ② 中学生

④ 大学院生

③ 大学生(中央)

写真 17 学生の衣装

① Erodeの農村,TN, 2011. 3. 12 ② Mysoreの郊外,KA, 2009. 11. 2

③ Palakadの農村,KL, 2011. 3. 14 ④ マドラス大学,TN, 2013. 4. 29

(25)

写真 18 屋外での洗濯

洗濯に向かう婦人KA, 2012. 12. 25 漑水用水路で洗濯KA, 2011. 3. 11

写真 19 洗濯カーストの人たちKA, 2010. 11. 2

写真 20 沐浴と衣装の乾燥KA, 2012. 12. 28

(26)

は,多くの人々が沐浴で海や河川で水浴びをするが,女性は着物姿で水の中に入 り,濡れた着物の乾燥をする姿も特異な光景をつくっている(写真20).将来を 展望すると,洗濯機や乾燥機がこうした農村に今後どのようにして普及していく か興味がもたれるのである.

3. 「食」景観

以上に紹介した,「住」と「衣」の様子は,筆者が直接南インドの人びとの暮ら し向きを観察したものであるが,「食」については筆者が直接暮らし向きの中で確 認したものではない.今日の日本のように,大量生産大量流通のシステムが発達 し,併せて外食の発達とレシピが普及している場合は,人々の食の実像を推測す ることは困難ではない.しかし,インドではそうした状況にはなく,ホテルやレス トラン,あるいは小さな商店などで目にし,体験した様子を紹介することはでき ても,各家庭における食の実状を垣間見ることは困難である.実際,インドの食 文化の紹介事例も,多くの場合そうしたところからの事例が多いように思われる.

従ってここでは,南インドを中心に明らかにされている特徴的な料理について,

まず要点(別技1989: 124–126,辛島編1985: 104,小磯・小磯2006: 42–47 記し,その上で,現地観察で筆者が注目したいくつかの点,とくに南インドの食 文化の特徴としてのカレーの食の風景,および食の準備状況の断面について気づ いた点の記述に留める.

3‒1. 代表的な主食/スープ/副食

(ⅰ)主食米・小麦・雑穀の3種である.

米料理としては,後述するご飯(米の粒食)ほかでは,南インドの朝食の 定番としてイドゥリとドーサイがある.イドゥリ(①)は米から作った白い 蒸しパンで,一晩水につけた米とひきわりにしたウラドゥマメを石臼です りつぶしたあと,さらに半日発酵させたものを,蒸しあげる.ドーサイ

(②)は,イドゥリとほぼ同じ行程で作られるが,ドウはもっとトロトロに したて,それをクレープ状に焼きあげる.

(27)

小麦粉,雑穀(あわ,きびなど)粉を練ってベタ 焼きにしたチャパテ(③)(あるいはヌン)である.

無発酵のドウの平焼き(チャーパティ)や,それを 油で焼いたり揚げたりしたもの(パラター,プー リー)の方が広く分布し,発酵させたカマド焼き のパン(ナン)は,パンジャーブ以西に特徴的なも のである.特異な例はラギを利用したサラダ(⑥)

も注目されよう.

(ⅱ) スープ(④)サンバールとラッサムのスープ.

サンバールはキマメに種々の野菜(ナス,オクラ,

ドラムスティックなど)を加え,タマリンドを加え た酸味のあるスープ.ラッサムは透明な辛いスー プで,英語ではペッパー・ウオーターとも呼ばれ る.南インド料理は総じてあまりしつこくない.

(ⅲ) 副食物野菜のカレ一煮やいためもの,あるい はマンゴの漬けものなど.それらを真ちゅうの皿 に盛り,ギーやヨーグルトをかけて右手の指先で かきまぜながら食べる.

(ⅳ) 食用油食用油は南北インドで異なっている.

北西半には圧倒的に精製バターのギーが用いられ ており,一方南部ではゴマ油がベースであるが,

地域によりベニバナ油,中アマニ油,マフア油が 併用されている.しかしケーララなどではもっぱ らヤシ油が用いられている.乳製品であるギーを 除けばほとんどが植物油である.

(ⅴ) 上級カーストは一般に菜食主義者である.菜食 主義者でないものも,ときに羊肉,魚のカレー煮 を食べるくらいで,鶏,豚肉などは特別の場合の 他ほとんど摂取しない.しかし牛の肉は決して食

写真 21 ホテル/レス トランでの朝食

(28)

べることはない.牛乳は菜食の中に入れてある.ギー(粗製バター)などの 乳製品も同様である(米倉,1976).

3‒2. 南インドのカレー文化―日本との比較―

インド研究者として大きな業績を残し,食文化についても詳しい報告をしてい る辛島 昇氏は,インドの食文化は「南インドで成立し,スパイスを混合して味 つけをする『カレー文化』と,ミルクを油,バター,ヨーグルトなど,さまざま な形で料理にとりいれる北インドの『ミルク文化』が,長い歴史の過程でうまく 融合し,それによって築き上げあげられたもの」(辛島2009: 37であるという.

日本のカレーライスはインドのコメ料理11のヨーロッパ化したもので,日本に は明治以降に紹介されたものであることが知られている.では,カレーライスの 基本要素が南インドに由来する理由は何故か.周知のように,カレーの調味料の 基礎にあるのはウコンturmericで,カレーはこれに胡椒,生姜などの香辛料 を加えてつくられる.その際の黄色の元になるウコンは南インドの代表的な産物 である.コメについては南インドは古くからの生産地である.すなわち,南イン ドのカレー文化は,コメとウコンによって特徴づけられた,風土食として発展し てきたとみることができよう.日本にカレーライスが広く普及してきたのは,そ の基礎にコメ食の共通点があったことが理由の1つとして考えられよう.

ただ,南インドのカレー文化という場合,日本との違いは,調味料としてのカ レーがさまざまな野菜と組み合わさり副食として多彩な文化を生みだしているこ と,さらにバナナの葉が併用されてきたことが特色となっている.南インドは世 界一のバナナの産地であり,その意味でも南インドのカレー文化は風土食として

11 南インドの米料理には,他にレモン・ライスやヨーグルト・ライス(ダヒー・バート)

がある.レモン・ライスは,炊いたご飯にココナツ油でフライしたカシューナッツや ピーナツと香辛料(カリーリーフ,ウコン,ウイキョウ,ウラドマメ)を油で熱して香 りを出し混ぜあわせ,それにライムの汁をかけてよく混ぜた料理.ヨーグルト・ライス は,油にカリーリーフやショウガ,マスタードシード,ヒーング,青トウガラシなどを いれて,香りを出し,熱いままヨーグルトにいれて混ぜ,そこに炊いたご飯を混ぜるだ けである.

(29)

の独得の意味を持っているように思われる.

3‒3. バナナの葉とカレー料理組み合わせ

写真22は 筆者が南インドにおいて食したカレー料理である.バンガロール とマイソールのほぼ中間に位置する,州道沿いに開店したKAMAT Mithai いう名前のレストランで体験した例である.伝統的な農村スタイルの食事ができ 人気が高く,たくさんの自家用車が駐車していた.写真22にはバナナの葉の上 にご飯,チャパティ(ヌンナン),各種のカレーが並べられ,それがバナナの葉 の緑と黄色いカレー,白いご飯が調和し,美しい.食べるときは,右手でご飯の カレーを混ぜ,中指と薬指で救い親指で口の中へ押し込むので,盛りつけされた ときの美しさはなくなり,手がよごれる.レストランの中には手洗い場が設けら れ,食後には手を洗うことができる.ちなみに.カレー料理とご飯などは希望す れば継ぎ足してくれる.

ところで,料理を盛りつけるバナナの葉については,「食器の未発達」であっ た伝統を示すものといわれる(山下・岡,2007: 112–183).しかしバナナの葉の 上に直接食べものを置くのではなく,写真22(補)のようにカレーや御飯を入れ た食器の下にバナナの葉を置く場合もある.また他の地区ではバナナの葉を利用 せずに,御飯とカレーなどの料理を並べて出すところもあり,写真22のバナナ の葉とカレー料理の組み合わせ,今日では必ずしも一般的ではないようである.

しかし,バンガロールのレストランではバナナの葉をプリントした厚紙を利用し たものも見られた.このことから,南インドの食文化の中でバナナの葉は特別の 意味があり,今その食器としての役割がなくても,新しい意味をもって食のイメー ジの維持に貢献しているようにも思われる.

写真23は,カレー料理を食べるときの様子である.写真の上部は地方町や農 村の食堂などで見られたテーブルを利用した風景、写真の下部は床あるいは土間 のようなところで胡座を搔いて食べる風景である(小磯・小磯2006によれば,

前者は南インドでターリーと呼ばれる簡単な定食であり,これはバナナの葉に供 されるという.食卓には,バナナの葉に盛られた料理と,水差しとコップが置か れている.水差しの水は飲料用の場合もあるが,料理が運ばれてくる前に配られ

(30)

写真 22 バナナの葉に盛られたカレー料理KA, 2009. 10. 30

(補)

(31)

たバナナの葉を水で軽く洗うために用意されている.

これに対して,写真22の下部の例は,一枚の皿に盛られたご飯にカレーが添え られ,それを右手で混ぜながら食べている様子である.インドのカレーの食べ方と しては最も簡素な光景であるが,ちょうど日本のカレーライスのようにもみえる.

3‒4. 各地で目につく食をめぐる伝統 

南インドの農村や地方都市では,写真24のように,ヒンズー教の寺院で調理 の準備をする光景や野外で調理する様子がみられる.また調理用に土で固めた伽

写真 23 食の風景

(上,下)KA, 2009. 11. 2(上)Erode, TN, 2011. 3. 12(下)KA, 2012. 12. 26

(32)

で薪でお湯を沸かしコーヒを販売している光景,厚い鉄板での焼き物,レストラ ンの伽においてもココナッツの殻を燃料にしてご飯を炊いている姿,あるいは頑

写真 24 調理の風景

(上) 寺院内,TN, 2010. 10. 31 屋外,KA, 2010. 11. 2

(中) 伽と燃料(ココナッツの殻) 頑強な鉄製炉と燃料(木材)

KL, 2011. 3. 14 TN, 2010. 11. 2

(下) 土製の湯沸かし装置 コーヒショップ

TN, 2011. 3. 12 TN, 2010. 3. 15

参照

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