法 『
華 論 記﹄に関する一考察
河 村 孝 召 口U⑪
問 題 の 所 在
法 『
華 論 記﹄に世親の法華論に対する円珍の注釈書である︒
法
華 経に関するインドの注釈書は︑現存するものに世親の法華論
を除いて他に存在しない︒それ故︑法華論は法華経の注釈書として
きわめて重要な位置を占める︒
法華論が︑インドから中国に伝来し漢訳されたのは後魏の菩提涜
支︑曇林共訳の⁝︑のと︑元魏の勒那摩提︑僧朗等の訳のものと二回
ほ どある︒日下大凝氏によれば︑﹁嘉祥は留支訳を釈し︑智証は摩
︵ー︶
提
訳 を釈する﹂と指摘されており︑また﹁現存支那訳の両本は︑た
︵2︶ だ 僅に比較的不要な文字が相互に出没して居る程度の小差で︑九分
九 厘 までも同文同致である﹂と述べられている︒
菩 提
流 支と勒脚摩提とは︑始めは共訳していろが︑この法華論ほ
勒
那 摩提ほ崔光これを筆受して一巻本となしているが︑菩提流三は
法 二r︐一に関﹈ニシ一ぢ察︵河付︶ 曇林がこれを筆受して二巻本とした別訳であろ訳である︑
法 華論はインド撰述の法華経に関する重要な論典であるにもかか
わ らず︑法華論に対すろ研究書ぱきわめて乏しい︒今日のところ吉
蔵 の
法 華論疏三巻と円珍の法華論記十巻の二点を見るのみといって
よい︹︾
吉蔵に法華論疏の巻初において︑
斯 の 論︑之れを記すに甚だし久し︑而も盛んに世に伝わらざる
に︑良に二意あればなり︒↓は文旨簡略︑前後乱に似て危︑之
れ を尋ねて首尾を見ざるが故なり︒二にに背し北土江南にあっ ︵3︶ て多く五時四宗を以て︑以て斯の経を通す︑並びに論と違う︒
講 匠︑旧執を守って聖に背き凡を信す三故に世に伝わらす︒︑
といっている.︒これが吉蔵の指摘する所であり︑けたし法華論は文
旨簡略︑かつ山三た論の前半と後半とでに解釈の仕方を異にして︑あ
たか−1 乱に似て芭であるが川きであり︑さらご中国の︑子匠は五時四
]
法華文化研究︵第十圧ハZ 宗 をら三︑法華経を解釈しており︑それば世親の法華而の説とパな
るので世に伝わろことがなかったというのであろ︑
円珍は義真の弟子︑十九歳で受戒し沙弥となり︑翌年︑遮一昂業尊 攻 の 学
生 となっている︒時に空海五十六歳︑朝廷の信任すこぶる厚
く︑名声天下を圧していた訳であるが︑伝えるように円珍が空海の
甥であることと︑叡山に登って遮部業学生として一紀の籠山に入っ
たこととは大いなる懸隔がある︒三十七歳︑すなわち嘉祥 ︑一年︵八
五 〇︶に山士L明神の夢告というかたちで入唐を志し︑唐の宣宗大中 七 年︵八五三︶に福州開元子に到着している︒この年の暮︑天台山に 登 り︑翌大中八年に法華論記を著わすのであるが︑その間の事情を
敬光︵1v四O−1七九五︶の﹁智証大師焦譜﹂によって再現してみ
よう︒
斉 衡 元 年 甲戌︑大中八年︑師四十一歳︒二日︑仏腱寺に到る︒
定 光 の 金 地 を経︑智者の銀峯を障む.︒寺の東南に石像有り︒古 来相伝えて日く︑知日者︑三昧を修すろ時︑普賢菩薩︑道場に降 臨したまい︑其の褒ろ所の六牙の白象は化して石となろ︒身形
牙 鼻宛らに川い類す︒象の南に石窟肯り︒窟中に石鼓行り︒智
者法を説くとき之を槌つ.︑衆︑集る︒滅後︑之を撃てども︑寂
として声なし︒師︑試みに小石を以て之を打つ︒声︑山谷に震
う︒聞く者︑巨異せざるは無し︒寺の北︑行くこと数十里にし
て
最 高峰に至る︒華頂と号く︒乃ち智者の魔を降し神僧を感ず 二
ろの地なり︑苦竹奈立し︑茶樹林を作す︒華頂を下って︑湊の 傍らを行き︑石橋に至る︒橋は虹梁の如くして深谷を跨る一︑其
の 下 万 丈︑水声雷の如し.︑又︑華頂より還って国清に至って夏
を度す︒時に物外止観を講ず︒師︑聞くに預る︒且つ教文三百
余 巻 を写す︒物外遼師の法孫なり︒七月︑越州開元寺に至り︑
︵斗︶ 法華論記を勘うo九月︑智者九世の孫︑良語に随って台教を講 ずるを聞く︒十二月︑集要上中二巻を勘う︒
これによれぱ︑法華論記は大中八年︵八五四︶の七月から九月にかけ
て 制 作 せ られたものであることがわかるのである︒但しこの伝記と
ほ とんど同文の︑中川翰林学士の善清行の﹁天台宗延暦寺座主円珍
伝﹂には法華論記についてはなんら触れるところはな覧
古蔵は法華論を注釈するにあたって︑これを五四一段に分節して
細 論 している︒円珍は二九六段に分って詳論する︒吉蔵は注釈する
に 当って︑智度論︑摂論︑法華疏釈︑無量義経︑成実論︑淫葉経︑
仏性論︑勝髪経︑中論︑同性経︑有論本︑釈道安︑僧肇︑僧叡︑異
人 言などの諸説を援川しているが︑これに対して円珍は法華文句︑
文 句記︑法華玄義︑釈箆の引川が圧倒的に多く︑その他に束蕃智度
の 法 華 義 讃 が 援 用 され大乗止観法門などの引用もある︒
円珍の法華論に対する注釈は︑仔細にこれを検するならば︑ほと
ん ど天台の疏釈の引用によってなされており︑自らの解釈は量的に
きわめてすくないことがわかるのである︒つまり天台一家の釈をも
っ てこれを釈するという能心度であって︑これが僅か二巻の法華論に 対して︑法華諭記が都合十巻の大綿となった所以のものであるとい
える一.それでにこの引用をもって釈するという態度を学的にいかに
とらえたらよいであろうか︑
駒沢大学の池田魯参.教授に﹁円珍の﹃法華論記﹄について﹂と題
する研究発表をさrt :ており︑その中で︑ ロへぺ
本 書は︑世親の﹃法華論﹄︵二巻本︶を註解するにあたって逐
次に天台の祖文・祖釈を相当量で忠実に引用していることが知
られるから︑円珍日身の独自の学説をみようとすれば︑それら
引用文の栢応の分量を差引かなければならないというような見
方もできようが︑彼の当時にあってに︑日らの教学理解の正し
さを証明するために︑当該個所の祖師の解釈を︑大部な祖典の
なかで読み取り確証する仕方は︑方法論的に明確に意識されて
い たし︑現代の研究情況からは想像を絶する質的に重い根拠が
あったことを想い合せるなら︑本書にみられるそういう引用態
度をも含めて︑すでにそれも円珍のものである︑といわなけれ
ば ならないであろうから︑円珍教学におけろ法華論研究の意味
︵6︶ は︑質量共に大きなものがあることに相違なく︑今日改めて研 究されなけれこならないものと信ずる︒
と述べら︑巴て︑︑○.︑この所説の−甲には︑きわめて示唆に富む研究方
法 が 説∴小ご゜ぶ一\おり︑とくに︑
﹁法三早三m記 にじ÷︐ lx﹈=育察︵河村︶
r 本書にみられるそういう引用態度をも含めて︑すでにそれも
円珍の・このである﹂
という見解に笠・者も全く同意見であろ.︑本研右兀もその線にそって進
めていきたいと考える訳である︒
円珍.の法華論記十巻は︑今日﹃智証大廓全集﹄上巻におさめら︑7/
て研究者に便を得ている..全集におさめるにあたって︑編者はつぎ
の ような識語を巻末に掲げている.︑すなわち︑
右法華論記ハ承応二年︵一六五三︶ノ刻本二拠リタリ︒此本誤脱 日 多ク︑訓点ノ正シカラザル所モ亦砂カラズ︒今類本ヲ得ザル
ガ 故二校合スルコト能ハズ.︑国テ誤ノ著キ者ハ校者ノ意ヲ以テ 之 ヲ正シ︑疑アル所ハ法華疏.記及ビ義韻等二参照シタリ︒然ド
モ 尚 筑心クハ同﹂謬アルベシ.︑後賢史二培目本ヲ∴訪僚ユシテ校訂ヲ巳和ハ .・主・甚ナリ︒ズ後学.司対ノ労ヲ省カンガ為に億妄ヲ顧ミズ本論 ヲ会合シタリ︒此法華訂ニハ︑元魏中天竺=三厩勒那摩提ト僧旧一朗 等ノ共.訳本ト及ビ後魏北天竺三蔵菩鍵留支ト曇林等ノ共訳本ト ノニ訳アリ︒大師ガ此記ヲ述作シタマヘル︑ 一二後魏訳二依リ ︵7︶ タ↓︑ヘリ︒然ルニ此訳本モ亦蔵経本ト単行太・ノ別アリ.︑人フノgY
文ハ単行本ヲ用ヰ︑蔵経本ノ差異ヲ考シテ之ヲ戴セタリ
と校記している.︑これによって全集本の法華諭記の文献的情況を知
ることができろの︵︑ある.︑
法 華三川記を一見して︑その圧二﹂は法華論が三種仏菩提を説示する
三
法華之化研究︵第十五号︶
その前段において︑十四門にわたろ円珍の開いた玄論にあることは︑
何 人 もこれを汀肯すろところでちろう.︑二︑の玄論の大品分が引用文 で はあるが︑前述のようにそれを含めて円珍の学説とみるときは︑
このところにおいて円珍の口想をうかがう上においてきわめて百要
な個所であるといえるのである︒
法華論にいう一.一種菩提というのは︑
︵8︶
八 者 示 現 成大汚提無上故.︑示現三種仏嵩提︒一者応化仏菩提︒
︵9︶ 随 所応/1而為示現故.︑如経皆謂如来出釈氏宮去伽耶城不遠︒坐 於泣場得阿喬多ガ三一貌三菩提故.
二 者 ︵1︶ 報 仏吉提︒︑十地行万足︑得常浬繋証故︒如経善男子我実成 仏已来無量無辺百千万億那由他劫故︒
三 ︵=︶ 者 法仏菩提︒謂如来蔵注浄氾葉常恒清涼不変義故︒如経如来
如
実 知 見 三界之相乃至不如三界見於三界故.︑
右
の 如きである︒世親の説く三種仏菩提とは︑一に応化仏菩提︑二
に 報仏菩提︑111に法仏菩提であり︑応化仏とは随所に応見しうるた
めに示現した仏であ=︑寿㏄三品にいうところの︑釈氏の宮を出て伽
耶
城 を去ること遠からざるところの道場に坐して無上正等菩提を得
られたところの仏であり︑報仏とは︑十地の菩薩道を完成して常に
浬 葉
の
証 を得られている仏であり︑寿量品においていえば︑我れ実
に 戊仏してより以来︑すでu無量無辺百千万億那由陀劫であると述
べ られているところであり︑第三の法仏とは如来蔵真如の体をいい︑ をいった.︐Dのであり︑これはい.口ぽ品の︑如米は如実に三界の相を知 その性清浄にして川葉常庄であり︑清涼にして不変の義をもつ法性 四
見 する︑乃至三界の︑二界を見るが如くならすと説くところである︑
というのである.︑
この世01の三種仏菩提を釈すうにあたって︑まず円珍はその玄論
を︑第一の応仏菩提の前に十四門にわたって論じているのである︒
これを全集本のページ数をもっていえば︑二四四ベージ上段の﹁八
者 示 現 大 菩提無上故一︒示現三種仏苫提﹂の下から︑二六〇.へージ下 段 の 二
者 応化仏菩提﹂の前まで︑実に一七ぺージに及ぶ円珍の自
説
で ある︒この自説におけろ円珍の仏身観は果していかなるもので
あろうか︒
二 円珍の玄論の検討 この玄論は︑十四門よ=なる︒円珍は﹁︐初めに数を標する中︑略
︵12︶ して十四門有り﹂といい︑一に名数門︑二に翻名門︑三に融通門︑
四 に 釈 妨 門︑五に修性門︑六に本迩門︑七に権実門︑八に詫︒量門︑
九 に 常 無常門︑十に融通門︑十一に随縁感見門︑十二に払迩顕本門︑
十 三に偲料簡門︑十四に出異門である.︑
第一名数門
円珍はまず初めに名数門をあげて仏身を釈している︒釈するにあ
たって法華文句と六祖の釈を引用している︒文句は︑
︵13︶
大 師 釈 日︒二如来者⁝⁝即応身如来也.︒
と引用し︑六祖の釈は︑ ︵:︶
六祖演日.所言二三者⁝⁝善簡名義埋則可帰.︑
と引用する.︑円珍は天台が二如来をとりあげた理山を会通し︑続い
て文句を引き︑ ︵15︶
大 師 釈 日︒三如来者⁝⁝故名如来也︑.
の
文をあげ︑六祖の釈は
︵E6︶
演 日︒明三如来中⁝⁝故知大師善用論文妙至於此︒
の 文 を引用する︒この後に円珍は 二 身 四 身 十 仏 身等︒皆准上知﹂
とのみ注しているだけである︒
第二翻名門
︵1︶ 円珍は 大 師 釈日︒法身名毘盧遮那⁝⁝此翻度沃樵.︑
と文句を引用し︑また ︵81︶
演 日o次翻名中具三身也⁝⁝旧経直挙他受用報︒義復何失︒
を引用し︑円珍はこれを﹁名種恒沙不可尽載︒今以三名兼聰万称︒
一 二 三 四 乃 至 十 千 無不摂尽法報応身﹂と注している︒
第 三 融 通 門 ︵19︶ 円珍は
大
師 釈 日︒是三如来若単取者⁝⁝当知三仏非一異明 ︒
﹃法華論記﹄に関寸る一考察︵河村︶ と文句を引用し︑ ︵20︶
演 日︒三融通中引大経者⁝⁝観経准上可知︒
と六祖の釈を引き︑円珍は
今按.︑言融通者︑会通異説︒非唯円融一︑観老知之︒
と注しているのみである︒融通門はこの後︑第十門において立てら
れ ているが︑ここの融通門は異説の会通であって円融門のそれでな
い ことを注しているのである︒
第四釈妨門
︵21︶ 円珍は︑釈妨門と題するところにおいて︑
問︒今此品無三仏名⁝⁝此即応身如来義也︒
と文句を引用している︒円珍はこの疏意を敷術して︑
︵22︶ 問︒ 十妙中云︒境妙究寛顕名毘盧遮那︒智妙究寛顕名盧遮那︒
行 妙 究 寛顕名釈迦牟尼︒量有此釈未見経論︒分明会何︒
といい︑これに答えて︑ ︵23︶
答︒経文分明︒盲者未見︒今与通之︒
と述べて
本 十
妙 中云︒経云⁝⁝
玄
義 巻第七下の本春属妙に援用しているところの大経を引用して経
︵24︶
証 とする︒更に円珍は文句記をあげること︑
︵25︶ 序品記云︒若云坐蓮華蔵︒或云三世諸仏皆色究寛︒成無上道︒
拉 別 仏 相︒若隠前三相︒従勝而説︒非謂大虚名為円仏︒
五
法華文化研究︵第十五号︶
右 ︵26︶ の ごとくであり︑円珍はこれらを結んで︑
応見疏記︒莫以売眼
といい︑全く疏記︑すなわち文句︑および文句記に拠るべきことを
強 調している︒
第 五 修
性 門
円珍は文句をあげ
︵2︶
大 師釈日︒若但性得三如来者⁝⁝況三蔵通教如来耶︒
と引用し︑続いて六祖の釈をあげて︑ ︵28︶
演 日︒若但下⁝⁝若性若修三皆円妙︒
と引用している︒
円珍は仏果の修得性得の二義について釈するところあげた訳であ
る︒
第 六 本 迩門 円珍は玄義を引用すること︑
大 師釈日︒若過去最初所証権実之法⁝⁝如百千枝葉同趣↓根云
︵29︶ 云^︾
右 の ︵3︶ 文 と︑
問︒三世諸仏皆顕本者⁝⁝能演七日為無量劫.︒
右
の
︵31︶ 文 とをあげている︒そしてさらに続いて文句と記とをあげ︑
︵32︶ 疏 云︒又法華之前亦明円如来者⁝⁝寧会経論耶︒
演日︒又法華下⁝⁝次引論如文一︑
/、