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日本語表記のソフ トウェア
一 教育現場における取扱 いを巡って ‑
鹿 島 英 一
1. は じめに
2. 「ソフ トウ ェア」論 の必要性 3. 日本語表記 の ソフ トウ ェアの諸例
3. 1 同文字異義語 の解消方法 3. 2 他の諸記法
4. おわ りに
1 .はじめに
以前 に、広 く東西の語文を対象に して、 「 文字言語の ソフ トウェア
」 1)と超 した諭 を纏 めた ことがあ った。 そ こでは、文字言語 に共通 の技術 ( 広義 の正 書法)の内、同文字異義語 を解消する諸方法を中心に、言語並記や s andhi ( 逮 声)の表記 の有無 な どについて記述 した。主 た る動機 は、 日頃複雑 かつ難物 の極 み と して無垢 の外国人学習者 の向学心 を押 し潰す傾向にあるとされ る現 代 日本文の表記方法 を、改めて広汎な視点か ら振 り返 ることにあ った。 だが、
結果 に於 いて (日本文 に関す る例 がかな り入 ったとは言え )諸語 文 に共通 な 現象、つ ま りは文字言語 に普遍 的な現象の抽 出の方 に重心 がかか った ことは 否 めない ところであ る。
ところで、その後 も同 じ問題 に関心 を抱 いていた。 ために、折 に触 れ メモ 書 きを貯めていた。 だが、奉職先での仕事の内容や生活拠 点を 日本 に移 した ため もあろ う、 自然 に 日本文の例 の割合が増 してきた。 その結果 、 日本文の 表記技術 の方 に重心 を置いた ものが纏 らないか と思 うにな った。最 た る理 由 は (当然、必須 なのに も拘 らず) 「 語文、特 に現代 日本文 に関す る表記法上 の技巧 を纏 って扱 った ものを見 た記憶 があま りない。」 とい う一 点 にある。
そ こで、拙 さは承知 の上で、先ずは試 してみた
。それが本稿であ る。
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日本語表記のソフ トウェア 2. 「ソフ トウェア」 輪の必要性
非母語者 の 日本語習得 の難 しさの所在 を尋ね られた場合、待遇表現 ( 敬語 法 ) と漢字 と答え るのか一般 的である。少 な くとも、筆者 が 日本語教 師の真 似事 を始 めた二十年近 く前 までの (旧大 日本帝国の興亡 との関係 に乏 しい) 外 国人 が基本 的には物珍 しい存在 だ った頃の相場 はそ うだ ったよ うに思 う。
だが、 この内で、待遇表現 は主 に話言葉 ( 音声言語)の問題 であ り、漢字 は 書面語 ( 文字言語)中の主 に‑‑ ドウェア
2'の問題である。では、 この両方が ( 一応)片付 けば (日本 国内で)空気の様 にそれを吸 って育 った 日本語使用 者 と対等 な意志疎通 が可能 にな るか と言えば、私見ではことはそ う単純 では
な さそ うであ る。
例 えば、大学内の重要 な委員会 で、委員 の教授が発言時に、 自分 の意見 を 称 して、 「私 か らの迎提案」 な どと何 ら悪怯れ もせず に言 った りす る光景 に 少 なか らずぶつか るが、現実 の状況か ら判断す る限 り 「 過度 の緊張のせ い」
よ りも 「待遇表現 の運用」能力が 日本語使 用技術 の必須の項 目か ら外れ始 め ている証 と見 る方 が適 当なふ しがあ る。 とい うのは、それが取 り立 てて稀 と い うわ けで もな く、また出席者 の中に苦笑 が広が るとい うわ けで もないか ら である
3)0
これ に対 し、漢字 はなかなか微妙 な状況 の中で揺れている。近年 、顕著 な のが 「自らの氏名等を表記す る漢字 に限 って」旧字体 に替えることである
4' 。 だが、 これを純技術的な理 由に基づ く漢字制限の緩和要求の根拠 の一例 と考 え るのは早急 であ る。それは、定着語費 の漢字語 か らカタカナ語 への表面的 な化粧直 しが花 や鳥の名前 に限 った ものではない こと、 「副詞 の漢字書 き」
が相変 わ らず嫌 われたままとい うことか らも分か る。多分、 ( 近年 よ く見掛 けるのだが)欧州語名 と覚 しき喫茶店の看板 に ( 表音文字 と しての)漢字 を 使 って酒落た雰囲気 を醸 し出すのに類 した現象 と受 け止 めた方が適切である。
言 い換 えれば、古い ものへの復帰や技術的に適切な ものへの変更 というよ り、
( 若年層や中年層 の急速 な漢字離れの進行 のため に) 「漢字 の使 用が皮 肉に も却 って恰 も外国の町で もい るような新鮮 な感覚 を振 り撒 く」 とい う現実 の 存在 である。
以上 の話 は、要す るに待遇表現 に しろ漢字 に しろ、様子が以前 とは幾 らか 変 わ って きていることを示 しているわけである
。では、現代 日本文 の ソフ ト
ウェアに関 しては どうであろ うか。筆者 も義務教育 (や高校)での 「国語」
長崎大学留学生セ ンター紀要 第 6 号 1 9 98 年 27 の試験勉強 と言 えば、漢字 の読 み書 き しか思 い出 さないか ら、本稿 の後 の章 で展開す るよ うな ことは習 わなか った と言 え る。 それ は当時 と しては何 ら特 別 な ことではなか った。勿論 、現在 の 日本語教育 で も特 に教 えてはいない。
ただ、その理 由 とな ると定 かではない。 多分、教師側 の心理 と しては、その 種 の ことは本 当の上級 と考 えてい るためか も しれず、或 いは正規 の規範外 の ことと見倣 しているためか も しれない。多分、 その何れかであろ う
。だが、
それ も何 れ は避 けて通れ な くなると心得 てお くのか穏 当であろ う。一 つ には 日本 の国際化 の勢 いに便乗 した形 で、伝統 的な国語学 と融合 し掛 か ってい る 日本語 ( 教育 )学 は以 後 も将来 も引 き続 いて、研究課題 を探 し求 め るか らで あ る。
また、それ は 日本語教育 における過去 の文法教育 や漢字教育 な どの先例 の 中か らも推察 で きる。例 えば、昨今の 日本 の国内 における学習者 の大半 は韓 国 ・朝鮮語 や漢語 ・華語 を母語や教育言語 と して既 に習得 している成人 だが、
教 師側 が知識 を一定以上 の水準 で持 つ言語 は多 く場合英語 に限 られ るとい う 不思議 な状態 にあ り、以前 は この不整合状態 が一層顕著 であ った。
尤 もそれ には止 む終 えない事情 もあ った ことは確 かであ る。 だが、幾 らか 極端 に言 え ば 「古典 ギ リシャ語 や現代英語 な どの欧州語 か ら抽 出 した概念 を 使 って変形 した 日本語 に関す る理論 で、 (その知識 を期待 で きない)漢字 圏 の学習者 を教 えていた」 わ けで、少 なか らぬ学習者 が ( 教 師側 の 日本人の多 くが学校教育 と成人す る過程 で経験 した 「国文法」 と 「 英 文法」 のギ ャ ップ に類す る)文法 用語 の混乱 を含む本末転倒 の不条理 の境遇 に遭遇 した もの と 推察 で きる。
ただ、概 して学習者 の意欲 が高 い こと、精神 的 に蓮 しい こと、教 師が 日本 人 であ るとい う別の観点 での好条件 が欠陥を部 分的 に帳消 しに したために、
余 り目立 ちは しなか ったが、分野 の幾 らか異 な る専門家 の 目で純技術 的 に見 れ ば、基本 的 にはかな り 「無茶苦茶 に近 い」話 であ った。従 って、 (やや大 雑 把 に言 え ば ) 1970 年代後半 か ら始 ま った と覚 しき本格 的な 日本 の経済 大 国化 や 日中国交回復 に連 れ添 うよ うに して始 ま った今 も続 く今回 の 日本語 学習 ブームの初期 には、漢字圏特 に中国での現地 出張教育 に関す る限 り、 ( 高 校 な どの国語教師を含む)未経験 の素人 も所謂 ( 非漢字圏の学習者 に対す る) 専 門家 もほ とん ど同 じ出発点 に立 って競争 を始 めたよ うな事情 は決 して驚 く
に当 らない。
28 日本語表記のソフトウェア
無論 、それか ら二十年程の歳月が流れ、それ こそ文字通 りの意 味で数 限 り ない論文が生 まれたため に、今 日では学問 と しての体裁 はかな り整 ったよう に見 え る。 だが、現実の大学の教育現場 における変化 はあま り認 め られない とい うのが率直 な個人的見解 である。要す るに、研究結果 が余 り現場 に還元 されていないわけだが、 もう少 し具体的に言 えば次 の様 になる。即 ち、教 師 の世代 は下 が り、大学院 には 日本語教育 の課程 ができて ( 客観的 には)職 と して も後顧 の憂 い無 く勉学 に励 める上、研究成果 まで蓄積 されてい る状態が 現 出 してい るに も拘 らず、実質的には相手 の母語 を無視 した教育現場 の状態 が相 も変 わ らず続 いてい ると言え る
。少 な くと も初級 クラスに関す る限 りは そ う見え る し、中級 と所謂 「 上級」 について も漢字圏 と非漢字圏の学習者 の 区別を ( 公式 には)認 めない立場の ままである。 これを どう判断すればいい のだろう。
可能 な解釈 は少な くとも複数 ある。先ず一つ は学習者 の母語 が均質 な場合 が多 い国外 の場合 と違 い、 クラス編成上の技術 的な理 由や運営 ない し経営面 での理 由で不本意 だが、不可避的に混合 クラスにせ ざるを得 ない し、実際問 題 と しては相手 の母語 の ことな ど一 々拘 ってい られない と言 う解釈 である。
だが、次 の様 な解釈 も根強 くある。 それは研究者 と しての業績 を槍 む ことと 教室現場 での教育技術 を研 くことは所詮別 ものであるとい う、大抵 の教 師が 程度 の差 こそあれ、本音 と して持 っている感覚 に裏打 ちされた感情 である。
要す るに、後者 は 「 理論倒れ」であれ何であれ ( 特 に、大学 に所属す る者 に あ っては) 「背 に腹 は変 え られない」 とい うことであ り、 この場合 は当人が 真 にそ う納得 し、そ う振 る舞 ってい るのな ら ( 言 わば、信念の問題 に属 し、
現 時点では)敢 えて他人 が どうこう言 う問題 ではなかろ う。
尤 も、 これ には幾 らか別の事情 も絡んでいる。 それは、毎年 出て くる相当 な数 の諭 の中か ら自分 に関心 のある分野の ものをほぼ全 て集 めるとい作業 は 殆 ど不可能 に近 いとい うことである。単純 に数 えて、国立大学の留学生セ ン ターだけで二十幾つある。 ( 無論、それはほんの一部 に過 ぎないが、それで も日本語教育 に従事 している者 の全部 がそれを容易 に入手 できるわけではな い。)多 くが、論文誌かそれ に準ず るものを持 ち、その中に数編 か ら十編 の 稿 が掲載 されている。実際問題 と して、他人の書 いた ものを一 々詳細 に検討 してか ら論 を書 いているとは とて も信 じられない とい うのが経験則 である
。引用文献 の多 くも ( 権威 の確立 された一部 の文献 を除 き)偶然性 による面が
長崎大学留学生セ ンター紀要 第 6 号 1 9 98 年 29
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否定 で きない。 また、一部 の学会が会員数 を誇 ってい るの も実際 には保険的 な意 味合 いが否定 で きない と言 った具合 である。
ところで、 この種 の所謂 doubl e s t andar d 制 の採 用は他 に も例 が あ る
。曾 て ( 相手 との間 に理解可能 な共通 の媒介言語 があ る場合 で さえ これ を廃す るとい う)直接教授法 が積極 的 に奨励 された時分、筆者 も当時 は極 めて数 か 限 られていた出所 の割 に確 かな 日本語教育 の研 修会 で事細 か に教 わ った こと があ る。無論 、 それは しっか り身 に着 ければ有効 な方法 だか らであ る。 しか し、間 もな くそれ は相手 の言語 に通 じていることは実際 には殆 ど期待 で きな いためで、可能 な ら使 った方 が い い し、奨励す る講 師 も実際 に も使 ってい る とい うことを知 って驚 いた ことがあ る。 また、代替手段 と して クラスの中の 既習者 や飲込 みの早 い ものを実質的な通訳 ない し t eachi ng as s i s t ant と して 使 うベテ ラ ン教 師が少 な くない こと も知 った。 多分、 この状況 は今 も基本 的 には同 じもの と推察 され る。要 は、現実 に有効 な方法 を全 て理論 化す るのは 難 しい とい うことなのだ ろう。
だが、現実面 での制約 の前 では技術的な ことな どは一 々考慮 の余地 はない とい う、前者 の場合 は問題無 しとは しない。少 な くとも、経営 の問題 に絡 む 束縛 か ら解放 されてい る大学 での場合 は特 にそ うであ る
。私見で は、不可避 でな く可避 で あるに もかかわ らず、無造作 に混合 クラスの形態 を取 ってい る 場合 が少 なか らず ある。最近 では、留学生数 の落 ち込 みには 日本 の受 入制度 が少 なか らず関係 してい るとの論調 が強 いが、 日本語教育 の方 に も ( 教育 と 金融で直接の対象は異 なるが) 1 9 8 0 年代末前後の所謂バブル期 と一脈相通ず る 心理 が横行 しているように思われてな らな
い 5) 。尤 も、 これは教 師個人 の心構
えだ けで解決 で きることで もな さそ うである。 つ ま り、積 み重 な った他人 の 研 究成果 を じっ くり勉強 して現実 の 目の前 の クラスの教育 に生かすの もかな り時間 と労力 のかか る作業 だが、それは ( 海外 の大学 は言 うに及ぼす )国内 の大学 で も論文 の作成 に比べ て評価 が軽 いので ある
6)。
勢 い、教 師 は印刷物 ( 業績)作 りに励 む ことにな るが、極端 に質 を落 とせ ない以上 、新 しい研究分野 を探すのか手 っ取 りはやい方法 であるか ら、折 々 は 日本語教育 に有効 か否 か とい う判断 が疎 か になる し、同時 に幾 らか危険 も 秘 めてい る。 ア メ リカ合衆 国 ( 英語 と移民 の国)で流行 っている とい うこと を主 た る理 由 に して、 日本語 用に もと飛 び付 くことは多分 その例 で あろ う。
大学 における半年 間の 「予備教育 コース」の教 科書 の決定版す らない現段階
30 日本語表記のソフ トウェア
で行 なわれ る、第二言語習得 の理論や教室での発話研究を始 め とす る最近 の 研究の中に、 日本語教育 の現場 に応用 して現在 の教育方法 よ り効果 を上 げる
とい う基本線 との繋 が り具合が不 明瞭な ものが まま見受 け られ る。
尤 も、 これは研究者 が最近増加 していると思 われ る日本語教育史 について も当飲 まることで、近代史の一分野 と しては範囲が狭す ぎて諭 と して完結 し 得 ないか、 日本語教育法 に直接繋 が らないような諭 に も同 じことが言 え る。
つ ま り、諭 自体 と しては高品質 であ って も近代史 の研究者が主 にその視点か ら書 いた ものは、やは り通常 の 日本研究の一分野 と した方 がいい とい うこと である。勿論、 この種の忌博 の無 い筆者 の感想 が杷憂 に終わ ることを祈 って いることは忘れず に付 け加えてお く。
今度 は漢字教育の例で見てみよう。幾年か前の 『日本語教育
』 7'の特集で漢 字教育 と表記 の貢 を捲 った時の ことを思 い出す。実 は、筆者 はその ことに以 前 か ら脱気 なが らも問題意識 を持 っていて、折 々に各種冊子や諭稿 を無作為 に当 っていたのである。率直 な処、些か驚 いた。記憶 は定かではないが、内 容が 日本人生徒相手 の国語教育か、 さもなければ 日本 の国語の教科書 に関心 を持つ外国人研究者 の資料 に相応 しいようなのである。書 いた方 の元 の仕革 が高校か中学の国語の先生であることは容易 に察 しがっいた。多分、普段 は 漢字圏出身 の上級の留学生か二十歳前後の若年学習者 を相手 に しているのだ ろ う。 日本語教育 と国語教育 の違 いは、要 は初級 や中級 の者 を主 たる対象 と 認 め るか否 かであるが、非漢字圏出身者 に対す る漢字教育 においては特 にそ の感 が強 い。
立場 は主 に二つある
。一つ は余 り多 くない一定数 の漢字 を とにか く ( 方法 は問わない しその場限 りでいいか ら)覚え させて しまえばいい とい うもので あ り、 もう一 つは十人 に一人以下 の割合 で もいいか ら将来 は常用漢字 までが 日本 の高校生並 みに使え るよ うになることを想定 してその基礎 を教え こもう とい うものである。 ( 無論、漢字圏の学生 に も字形面を中心 とす る漢字教育 が必要 で将来 はその種 の ことも議論の対象 とな らざるを得 ないが、現状 では
日本人教師側の資質 の問題 もあ ってか、現状では全 く相手 にされていないの で省略す る。)
例えば、 日本の大学、特 に国立大学 に籍 を置 く留学生の大半 は大学院関連 で、その多 くが理数系 と医歯薬農系などの所謂非文化系であることもあ り、
概ね前者 の立場 を取 っている
。だが、筆者 の立場 は個人的には後者 である
。長崎大学留学生 セ ンター紀要 第 6 号 1 9 9 8 年 31
無論 、教育機関 と して置 かれ た立場状況 もあ るか ら現段階 では どち らの方法 を採 って も結果 には然 した る違 いは生 まれない と感 じてい る し、 そのための 調査 自体 も容易 ではない。 イメー ジが浮かはないほ どであ る。 だが、筆者 も 漢字教育 には関心 があ り、拙 いなが ら一応 は研 究 も してお り、全 くの素 人で
はないつ もりである。 中国語学 や東洋学 の最低限度 の知識 もあ る。 しか し、
大抵 は漢字 や漢籍 に対す る見識 が全 くない どころか、 日本 の東洋学 が世界 的 に も高水準 にあ ることす ら知 らない スブの素 人教 師 によ って、後者 の立場 の 意見 は全 く相手 に されない。 門前払 いが現実 であ る。
これを どう理解すべ きあろ うか。 日本語 の漢字教育 が これ らの知識 と全 く 別物 と豪語 で きるほ どの教育 的成果 を挙 げてい るとい うのな ら問題 はない。
だが、現実 には 日本人の小学生相手 の教育方法 を流 用 してい るだ けであ り、
(時 々出 る高才能者 を除 けば )実質 はお華 やお茶 や書道 な どの 日本文化紹介 の域 を出ない成果 しか結局 の所 、得 ていないのであ る。本来 な ら、その現状 を直視 して何 か工夫 をすべ きはずであ るが、その種 の意識 はあま り見 ない。
話 は幾分逸 れ るが、筆者 には フラ ンス文がなぜ ア フ リカ地域 で今 だに広範 囲 に通 用 してい るのか本音 の部分 では正直 な ところ理解 で きていない。植民地 時代 な らと もか く、 フラ ンス語 の綴字 は漢字 と比べて もその難解 さにおいて 決 して後塵 を拝 しないよ うに さえ思 う。 と もか く、筆者 な どは殆 どお手上 げ の状態 であ る
。その ことを思 えば、漢字教育 に も工夫 の余地 はあ りそ うであ
る。
尤 も、最近 にな ってその萌芽 は見え、気運 もよ くな り始 めてい るよ うでは あ る
。要す るに、大 日本帝 国時代 の植民地 や占領地 における 「皇民教育」 と は異 な る立場 の、漢字教育 とい う分野 が幾 らか は見え始 め るよ うにな った。
しか し、 まだあ ま り活発 とは言 えず、未 だ成果 はほとん ど聞 こえて こない。
尤 も、試験 的な教材本 の売れ行 きの好調 さを以 て成果 とす る立場 も全 くない わけではない。 だが、やは り前者の結果が重要 であるとい う立場を取 る限 り、
もっと直接 的な結果 が示 され ない と教育 的な工夫 が成果 を生んだ とは言 い難 い とい うのか本 当の ところであ ろ う。
では、本稿 の主題 である 「表記法教育」 は どうだろ うか。 やは り未 だ しの
感 が強 い。第‑ 、そんな用語 はまず耳 に しない。文化庁発行 の 「国語表記 の
基準」や 「公用文の手 引き」 に関す る文献を捲 って もその範噂 に入 るのは精 々
が ( 非漢字 の)外来語 の カタカナ用字法 に関す る記載 くらいだけであ る。
32 日本語表記のソフ トウェア
推察す るに、 日本人 に対す る国語教育 で も特 には行 なわれていない可能性 が高 い。原因 は種 々あろ うが、少な くとも二 つは以下 の様 である。即 ち、一 つ は 「国語表記 の基準」 に 日本の過去 との繋 が りを重視す る傾向が強 い とい うこと、 もう一つは文字言語 の操作の難易を純技術論 で考え る視点が欠 けて い ることであ る。 それはまた、同時代の他者 ( 他言語文 ) との接触 や比較 と い う観点 に、本質的に冷淡 だ と言 い換 え ることもできる。
無論 、 この双方 は本来的 に別途互 いに独立 に取 り扱 い得 ることのはずであ る。 とい うのは、前者 は基本的には心情 と選択 の問題 であるが、後者 はそれ と違 って議論 に適すか らである。では、本稿 の必要性 の説明や能書 きは これ くらいに して本論 に入 ることにす る
。(尚、以下 では特 に説明の無 い限 り、
[ ]内は文字 を表す。)
3. 日本語表音 己のソフ トウェアの諸例 3‑ 1 .同文字異義語の解消方法
日本語 ワープロには仮 名漢字変換 とい う他の現代諸言語ではあま り馴染 み でない機能 がついている。 と言 うよ り、 これが無 ければ 日本語 用 と して実用 に耐えない。例えば、今使 ってい る専用機 で [ かん しょう]を変換 す ると、
[ 干渉/感傷/観賞/勧奨/鑑賞/冠省/管掌/緩衝/観照/癌性 /環礁/
簡捷/完勝]が、 また [とる]では [ 取 る/採 る/捕 る/執 る/撮 る/盗 る /摂 る/獲 る]が得 られ る。 この内、 [ かん しょう] は基本的に外来 の互 い に異 なる語で、 [コー ト] と [ c our t/ c oat] の関係 と基本的には同 じ範噂 に属す。無論、 [ かん しょう] には十余 とい う大 きな数 の語嚢 が対応す る 可能性 がある点は無視で きないが、 これ も決定的な要因ではない。実際 には [ テニ スコー ト/ レイ ンコー ト] [コー トを着 る/ コー トに入 る] とい う使 い方 で区別す るように、多数 の仮 名書 きの同文字異義語 も前後 に来 る語 で或 る程度 は区別で きるか らである。 それに、十語 を越え るこんな例 は どち らか と言えば稀 である。 それは小型の国語辞典 を引けばす ぐ分か ることである。
従 って、漢字語 のままで使用 しているのは仮 名書 きの同文字異義語 を解消す るため とい うよ り、仮名漢字混清文 とい う基本 スタイルのせいであ る面 が強 い。 ち ょうど、 ローマ字書 きを採 用 した場合 の [ g gA
!o ki r u] や [ ⊆ 旦旦貞 de t enni s s ur u] ( 外 国語綴 り字 のままの語)に当 っている。
これに対 し、 [とる] は通常 は [ 取 る/採 る/捕 る/執 る/根 る/盗 る/
長崎大学留学生 セ ンター紀要 第 6 号 1 99 8 年 33 摂 る/獲 る] に書 き分 け られ るか、実際 には [ 摂 る] はほ とん ど見 か けない
し、 [ 取 る/採 る/獲 る] の区別 も (日本文 と しては)厳密 には何 に基 づ く のかは っき り しない面があ る。無論 、 [とる] と書 いて一 向 に構 わ ないが、
実際 には広 範囲 に使 われ る [ 取 る] が [とる] に準ず る地位 を 占めてい ると も見 え る。 同 じことは [ み る] に も言 え、 [ 見 る] が [ 観 る] や [ 視 る] の 上位 ( 広範 囲)を 占めてい るよ うである。無論 、 [とる] は どう書 こうか、
音声言語 と しては同
一の語嚢 だ とい う立場 もあ り得 るわ けで、 その場合 には 端 か ら異義 語 ではあ り得 ない。
一方 、 これ とち ょうど逆 の関係 にあるのか、 [ 万歳] や [ 乞食] の類 いで あ る
。だが、 これ らは漢字語 の ままでは [ ぽん ざい/ まん ざい] や [こ じき / 二つ じき] とい う同文字異義語 を書 き分 け られない。実際 には、共 に音読 語 で あ る両者 は文脈 と教養 を使 わない と読 み分 け られないか ら、一種 の暗号 に近
い 。だが、本文 中には一切情報 が記 されて いないのであ る。 [ 草原] の 類 いは少 し異 な る。確 か に、 これ も [ そ うげん/ くさは ら] の書 き分 けはで きないが、両者 は同義語 であ る。無論 、音読す るか訓読 す るか とい う ( 音声 言語面 での違 い)はあるが、文字言語 と しては、所詮個 人的 な噂好 に基 づ く 使 い分 けの範 囲内であ る。
で は、現 代 日本文 には同文字異義語 を解消す るための明瞭 な方法 と しては どんな手段 があ るのだろうか。対象言語の範囲を広 げたく鹿島1 992 >では、ア クセ ン ト符号,弁別点,文法標識等 を示す符号 ,外来語 用文字 の導 入,合成 語 の標識,送 り仮 名,同文字語 の判別点,無音 の文字, の八つを挙 げておい た
。そ こで、 ここか らはそれ に添 って見 てみ よ う。先ず はア クセ ン ト符号 で あ る。 ア クセ ン ト辞典 は元 よ り、近年 で は国語辞典 で も仮 名書 き語 にア クセ ン ト符号 が振 ってあ り、書 き分 け機能 を充分 に果 た してい る。 だが、現 行 の 表記法 では正式 には採 用 されていない。 まだ、鼻濁音用の専門記号 [ O]
8‑の 類 いである とい うのが共通 の認識 であろ う
。次 に (日本文 での)弁 別点 とは 例 え ば [ け] と [ げ]の文字対 に見 られ る [ ■]が そ うであ る。無 論、仮 名 書 き古文 で は この機能 は使 わなか った し、 「 五十音 図」 も文字通 りの意 味 を 持 っていた。
しか し、現在 の現場 での教主方法 ( 国語教育 もそ うだが) はす ぎま じ
い 。「 五 十音 図」 とい う用語 の意 味 を ほ とん ど説 明 しない (とい うよ り、多分 に
で きない)。 ローマ字表記 の本 で もないのに、仮名を J apane s eal phabet と
34 日本語表記のソフ トウェア
言 い放 って、一、二週 間で成人の学習者 に (暗記 に加 えて)現実的 な利用を 迫 ることも極 くざらである
。無論 、平仮名 とカ タカナの違 いを説 明す ること な どない。両者 が別の文字体系である ( 正確 にはカタカナには二種類 ある) ことさえ教 師側が知 らないのではないか思え るほどであ る。 その中には 日本 語教 師養成講座の講師をす る者 もいて、惨傍 たる状況 である。原因 は西洋式 の音声学 の成果 を中途半端 に取 り入れたためであろう。実際、音声学的説明 は 「四つ仮 名」問題 を始 め結構 いろいろす るよ うである。 しか し、それ とて も中途半端なのだか ら 9 ' 、実際的な効果 としては学習者を前 に 「 五十音図」を ズクズタに切 り裂 いて見せているだけである。下手 をす ると、動詞 の活用の 暗記時だけに役立つ語 呂合 わせ的な感覚 に陥 りかねない。要す るに、典型的 な所謂 「マ ッチポ ンプ」である。
では、 どうすればよいか。無論 、 [ ゐ]や [ ゑ] まで教え こむ必要 はなか ろ うが、五十音図は正面か ら取 り上 げ、基本 に据え るべ きである。例 えば、
[け] と [げ] は弁別点の関係 にあることを強調す るの も一手 であ る。 その 際 は [ 開 ける] と [ 上 げる/挙 げ る/揚 げる]を書 き分 けるために、 [け]
に古文 にはなか った弁別点を付す ようにな ったのだ とで も説明すればよい。
当然、今 と主従関係が逆転 して、文字 の音価 の音声学的説明は従 になるが、
日本 には (標準韓国語 に似て)語 中の清音が濁音化す る地域 が少 な くな く、
そ この街 中で話 され る共通 日本語 の音 は概 してそ うな っているわけだか ら、
今 よ り問題 は少な い。 また、多数 を占める韓 国 ・朝鮮語 や漢語 ・華語 杏母語 とす る学習者 の初期 の負担 を、多分軽減す ることに もなろう。
次 に、 日本文 には英文の [ boys]‑[ boy' S]‑[ boys ' ] を書 き分 ける [ ']
の様 な ( 文法標識等を表す)符号 は無 さそうである。 というのは、 [ 我 が家]
の [ が] も格助詞 の [ へ] [は] [ を] も皆 それ 自体 は符号 ではない し、無 理 を して も、 [ が‑の +古語標識 ] , [ へ/は/杏‑え/わ/お+助詞標識]
とい う解釈 が精 々だか らである。 また、縦書 と横書 で字形の変わ る長母普符 [ ‑] も音価 に関係 しているか ら、符号 よ りは文字の要素 が強 く、 この仲 間 とは認定 し難 い。
では、 ( 音価 に揺れが見 られ るような)新 しいの外来語の表記 にだけ使用
され る文字 の導入 による方法 はどうだろうか。 日本文 に外来語専 用文字があ
るのは確 かである。典型的なのは [ヴ]だが、 [ イ ェ]の様 な組合せ文字 も
この中に入れてよい。先 に、 カタカナには二種類 あることに触れたが
10)、
長崎大学留学生セ ンター紀要 第 6 号 1 998 年 35
(周知 の如 く)一方 は平仮名 に対応 してお らず 、字数 も平仮 名 よ りも多い。
非漢字語 の外来語 を表記 して いるの は こち らの方 で、無論 [ヴ〕 や [イ ェ]
も含 まれている
11‑。要 は、 これが同文字異義語 の書分 けに使 われてい るか否 か だが、直 ぐには [ ヱヱ̲ ン] と [はん ( 辛/刺 )] とい った対 ぐらい しか思 い出 さない程度 だか ら、 この役割 にはあま り利用 されていない とい ってよ
い 。尚、 ここに [ bowl /bal l ] ( 英語 )を仮名書 き ( 外来語 )にす るに際 して ( 共 に [ ボール] となるべ きところを)一方 たけ [bowl ]+ [ボウル] と して、
書 き分 けている例 を含 め ることもで きるが、如何せん量 が少 ない事情 に変 り はない。
次 は、 「合成語 の標識」 で ある。漢字表記 [ 屋根瓦] は [ やねがわ ら] と [ やね (の)かわ ら] を書 き分 け られない。 しか し、仮 名表記 な らで きる。
[ 春雨]の様 に連濁 を起 こさない もの も ([ はるあめ]でな く) [ はるさめ]
と語 の一部 が変化す る し、 ( 連結部 の前半が変わ る) [ あま もり] ( 雨漏 り) の様 にな る語 もあ る。 また、 その他 に も [ あまが さ] ( 雨傘 )の様 に、両者 が重 な る もの もあ る。従 って、通常 は初 中級用 とい う低 い評価 を与 え られて い る仮 名表記 に もこの様 な 「合成語 の標識 」 ( 可能 な場合 に限 るが )を表記 で きる機能 が備 わ っているの であ る
。これ は言語現 象 と しては珍 しい もので はな く、学習者 には特 に分か り難 い話 で もない。 当然 、早 い段階 で教 え る‑
き範噂 に属す。
ところでヾ漢字表記 の場合 だが、同文字異義語 を書 き分 け る方 法 が皆 無 と い うわ けで は必 ず しもない。例え ば、合成語 だ けを表 す約束 の [春雨] に対 し、二語 の時 は [ 春 、雨 ・・] の類の方式 を半 ば強制 的 に捻 りだす こと も可 能 だか らであ る
。とは言 え、通常 は この方法 は採 らず、実際 には [ 春 の雨]
とい う代替語 ( 句 )を常 用 して、仮 名表記 が主流 にな るのを防いでい るふ し が あ る。 この理 由は定 かではないが、少 な くと も [こた ち] か [木 +立 ち]
か ら [ 小 +立 ち] に変 わ って しま うよ うな現象 が広が るのは困 る とい う意識 と関係 が あ りそ うであ る。 また、漢字 に対す る愛着 や長 い文字列 を嫌 う心理 もあ るか も しれ ない。何れ にせ よ、古 い方式 の残像 を利 用 した ものの よ うで あ る。 こち らの方 は レベ ルか あが ってか らでない と無理 であ ろ う
。今度 は 「送 り仮 名」 であ る
。日本語表記 の中枢 をなす技術 に も拘 らず 、現
場 で ほ とん ど説 明 されていないのが現状 であろ う。 そ こで、典型 的な幾 つか
36 日本語表記 の ソフ トウェア
の例 を挙 げてみよう。 さて、仮 名表記 [くろい とり] は漢字 では [ 黒 い烏]
であ り、 [ 黒鳥]ではない。後者 は英語嚢 [ bl ac k s wan] の訳語 とされ、
読 みは [こ くち ょう] である。 そ う見徹すのは音読語 は表記 も借入 だが、訓 読語 は翻訳 のため表記面 に工夫変更 の余地 が残 るためである
。す ると、 この
[ い] は同文字異義語 の解消のために入 った もの と解釈 できる。
ただ、 この種の用法 には問題 もあ って、大抵 は訓読語 が複数個 ある場合 で ある。例えば、 [ 生]で、 これはかな り複雑 である
。先ず、音読語 と区別す るために訓読語 には仮 名で読 みの最後を再度記す ことにす る。す ると、文字 面 で [ 生 る] は [ 生む] と容易 に区別できるが、前者 はまだ [うまれ る] と
[ いきる] を書 き分 け られない。 そこで、次 に [ 生 きる] [ 生れ る] と各 々 二文字 を送 ることにす ると、今度 は逆 に情報量 が増 えて [ 生ず る] との書 き 分 け も可能 になるが、表意文字 [ 生]の表音化が進 む。 その結果 、 [ 生 まれ る] とい うの も認 め ざるを得 な くなる. こうなると、 [ 生] は仮 名一字分 に しか当た らず、少 し画数 の多 い文字 な ら単 に煩雑 にな るだけで多音節仮名の 効能 である語や文の物理的短縮化 とい う漢字 の長所が帳消 しにな る。実際、
使 用頻度 の比較的高 い語 にこの [ 生]の様 な文字が少 な くない。
当然、教育現場 ではかな り早 い段階か ら出で くるわけだが、現行 の様 な素 通 り状態 で は表音文字 しか知 らない学習者 には混乱 を与 え、漢字 圏の学習者 には教 師は素人 だと密 かに侮 られ る恐れが強 い。 また、説明 して も理解 で き ない場合 を恐れ る向 き もあろ うが、 これ こそが表意文字 の所以 なのだか ら、
後の事 は学習者のセ ンスに任せて一応の ことはすべ きである。尚 、合成語 の 表記 の多様性 の例 には [くみあわせ る]がある。 [ 組 み合わせ る] [ 組合 わ せ る] [ 組合せ る]な どの他、 [ 組合] (くみあい) とい った具合 である。
実際、 日本文では漢字 の表音化 と同文字異義語 の解消 との綱 引きの平衡点が は っき りせず、 「 送 り仮名規則」 は単 に現状 を追認 しているだけのようだか らしかたなかろう。要す るに、同文字異義語 の解消 とい う観点か ら見 る限 り 送 り仮名 はやや間接的な手段 の上 、漢字の表音化が障害 とな って充分 に機能
していないのである。
ところで、全てが今述べたような書 き分 けの努力の対象 とされているわけ ではない。例えば、漢字語 [白鳥]では 【しらとり] とい う [ は くち ょう]
よ り意味範 囲が広 く、 ( 辞書 によると) [白い烏] よ り狭い語が加 わるが、
同文字異義語 の書 き分 けに必要 とおぼ しき [ 自 ら鳥]の様 な表記法 は採 用 し
長崎大学留学生セ ンター紀要 第 6 号 1 9 98 年 j7
ていない。 多分、 この場合 に ( 語 の使 用頻度等 ではな く)技術的 な原因か主 で あろ
5 12' 。
ところで、 これ と似 た もの に 「合成語 の標識 」で見 た [ の] や [ 主 だ]の [ だ] の様 な ものがある。 また、 ここでは漢字表記 の中に含 まれてい る音 を 仮 名で再度表記す る ものを送 り仮名 と しているため、 [ 食す る] な ど も対象 外 である。 だが、 これ らも実際 には同文字異義語 に関係 してい るか ら事情 を 簡単 に覗 いてみ る。
例えば、 [ 主 だ] には [ お もだ] [ あ る しだ] [しゅだ] とい う異音語 が あ るが、書 き分 けの工夫 は何 もされていない。 この場合 には漢字 を放棄 す る 以 外 に有効 な対策がない とい う技術的 な理 由に、 ( 前二者以外 は )ほぼ同義 語 であ るとい う事情 が加 わ ってい るよ うであ る。 また、 [ 食す る] では同文 字異義語 の原因 は主 に [ たべ る]や [くう]の方 にある とい うのか基本的 な 態度 であ る。 この様 に、事情 は様 々だが実際の対策 にはあま り熱心 でない と
い うのか現状 の よ うであ る。
次 は、 「同文字語 の判別点」 であ る。 [自 ら烏] (しらと り)と [白鳥]
(は くち ょう)を採 用 して、 [白い烏] (しろい とり)と並 べればその範噂 になるが、 日本文にはない。 また、英語嚢 [ kni ght ]中の [g] [h] [k]
の様 な 「無音 の文字」 もやは り日本文 にはない。
3.2 他の諸記法
先ず は、言語並記 の例 か ら始 めよ う。 日本文 で漢字 に小型 の字 ( r uby) が 振 ってあ るのは何 も子供 用の本 に限 らない。 それは、 「語翻訳」 とで も言 う べ き或 る種 の訓読 に 目立 つ1 3 '。 その語翻訳 の 中で、重要 で量 的 に多いの は 漢字語 で、ル ビは ここでは仮名
14'である。 これを相応関係か ら大 き く次 の様
に分 ける
。即 ち、
①漢字 [ 岳 ] には [ や ま] を、 [ 江] には [ かわ] を対応 させ られ る
。② [ 山]や [ 川] に も [ やま]や [ かわ]を宛 て ることが可能 であ る。
③ [ 煙草] に [ たば こ] を、 [ 時計] に [とけい] を、 [ 海女] に [ あま]
を対応 させ ることもで きる。
さて、 日本文 では基本 的 には漢字 の表音化 を促進 す る立場 を取 るよ うで、
38 日本語表記 の ソフ トウ ェア
③ よ りは② や① を重 用す る
。次 は① と② の何 れを とるか だが、 この場合 は② とす る
。理 由は大多数 の使 用者 には分 か らない。 日本語母語者 な ら昔 か らそ うだ った と思 うか、試験 の点数 を良 くす るため と割 り切 るか は個人 の選択 の 範囲 の問題 であ る。 ただ、専 門分野 の 日本文 の読解 を主 目的 とす る漢字 圏の 外 国人学習者 の場合 には どち らも通 用 しに くいので困 る。 しか し、 とにか く
② の規則化 によ り、物理 的 には漢字 の隣 に振 る仮 名を省 いて も [ 山] の隣 に [ やま]を記 す二言語並記 の効果 を出す ことができる。 これが所謂 「 訓読 」 と い う唆味かつ実際的な規則 の中心部 を 占めてい る。 そのため、除外 され た① の方 はル ビを省 略す ると、 自己を認 めて もらえない危険 に常 に付 き纏 われる のであ る。
ところが、 日本文 の漢字 の場合 、表音化 を徹底 す ると 「 送 り仮 名」 で逆 ベ た事情 や③ の様 な常 用語 が使 いず らくな るとい う事情 が あ るため、数 の多少 は別 と して常 に③ も必要 とされて きた。 そ して、現在 も熟字訓 な どの名 の下 に② と合体 して人為 的 に公認 され てい る
。勿論 、 これ にはル ビは不要 とい う 建前 であ る。 また、現在 では 日本文 の使 用 に古典書面漢文 の知識 は前提 とさ れていないため、① は非公認 とされ、異端視 されてい るが、 これ らは元 々み んな仲 間で あ る。問題 は この様 な事情 を どこまで どの段 階 で学習者 に教 え る かだが、([ 山]が [ mount ai n] に当た るとい うの とは別 の意 味で) 日本 の漢 字 が表意文字 であ ることを紹介す る くらいの ことは割 に早 い段階 ですべ きで あろ う
15)。そ うでない と、 [ 生] は [ いき] ( 乃至 [ い〕) と発音 す る もの だ と覚 え込 んで しまい、成人学習者 の弱 った記憶 力が限界 に遷 した時点 で、
突如 と して立往 生す ることにな るか らである。残念 なが ら、筆者 はそ うい う 光景 に繰 り返 し遭遇 したが、 その度 に複雑 な思 いに駆 られた ものであ る。
今度 は 「 連声 (s andhi ) と表記」 に移 る
。先の例 で言 えば、 [ 雨傘] は連 結部 の音変 化 を表記 していなか ったが、 [ あま が さ] は表記 面 に反映 してい た。 この種 の話 である。 その際、早 い段 階での現場 で問題 とな るの は [ 二 時 頃] [ 三 つ位] [田畑] の様 に揺 れている ものの取扱 い、要 す るに [に じご / ころ] [ み っつ ぐ/ くらい] [ でんば/ぱ た] の何 れを先ず は教 え るか と い うことで あ る
。一人 の 日本語常 用者 と してはその選択 に確信 が持 てない。
無論 、教 師 と しては、辞書 にあ る方 を教 え る方 に選ぶのか無難 で あ ることは 理解 で きる。
だが、学習者 が ワープ ロを使 うことを考 え るとなかなか難 しい。例 え ば、
長崎大学留学生センター紀要 第 6 号 1 9 9 8 年 39 本稿 を執筆 す るの に現在使 用 してい る 日本語 ワープ ロ専 用機 で [ どi か い]
を漢字変換 して も [ 読解 ] は得 られない。 それ は [ピコ̲ かい]か らしか得 ら れないので ある。無論 、 [ 学校 ] も [ がユ こう] か らだけである。 しか し、
筆者 には今 もって何故 なのか よ く理解 で きない。 とい うの は逆 に [ 洗濯機]
は [ せんたユ き] では見 つか らないか らであ る
。多分、 [ せんた く] + [き (か い)] とい う造語法 の意識 が念頭 か ら去 らないのだろ うが、 [ せんた⊥
き] が東京方言 を基盤 とす る共通語 の標準 的な発音 だ とい う言 い分 には疑念 を持 つ向 きが少 な くないだろ う。 しか し、 [ 一 回] は もとよ り [ 一週 間] も
[ いユ かい] や [ いユ しゅうかん]か らだけ変換 で きるわ けで、 こうな ると 疲 れてい る時 な ど しば しば ワープを打 つのか億劫 になる。 これは比較 的新 し い外来語 について も同 じで、化学 の実験室 で使 う用具 は [メ旦 シ リンダー]
の時 、初 めて カ タカナに変換 で きるのであ る。主 な ところは これ くらいであ ろ う。 日本 文 の ソフ トウ ェア とい うことでは、副詞 や接続詞 な ど漢字書 きの 問題 や宛字 な どの問題 もあるが、本稿 の趣 旨か らは幾 らかずれ るか らである。
4 .おわ Uに
最 後 に、 ます ます使 用が盛 ん にな り、近 い将来 の主力 とな る ワープ ロ辞書 につ いて少 し気 かつ いた ところを幾 らか記 して終 わ りとす る。例 えば、 [ は や り] と [りゅうこう] か ら変換可能 な [ 流行] や [ち ゅうぶ る] と [ち ゅ うこ]か ら可能 な [ 中古] と違 い、 [ 老舗] は [ ろ うほ]か らはだめである
。[Lにせ] か ら しか変換 で きない根拠 が何 なのか、またそれが本 当に妥 当な
のか とい う疑問 が湧 くことで ある
。また、それ は例 えば [ 真 水] (まみず )
が [しんす い] か らは探 せない ことと同 じ範噂 に属すのか とい った ことであ
る。 も しその主 た る理 由が単 に辞書 の容量 だけの問題 な ら、 この種 の ものは
将来 は許 容 され ることにな る可能性 があ る。他方 、 ワープ ロの使 用の一般化
に加 え て 、 日本語 の国際語 化 が進 ん だ と した ら、例 えば [ 木綿 ] に [も く
めん] とい う綴字発音 ( s pel l i ng pr onunci at i on) を認 め るところまで行 く
のか とい うことを頭がかす め る。一昔前 に笑 い話 の種 にな った よ うに、 日本
人 です ら [ 天皇 陛下 ] を [ てんの う吐 か] と読 んだ とされ る世代が親 や教
師 にな ってい るのだか ら別段 不思議 な ことではない と思 うのだが、いかがで
あ ろ うか
。40 日本語表記の ソフ トウェア
( 注) 1) <鹿 島英一 1 9 9 2 >
2 )要 は、暗記 しているか否 か とい う点だけが問題 で、いろんな方法 や中間形態 は な く、 その意味では語柔 と同 じ範噂 に属 していると見て よい。
3) さすが に、 「 ( 私 が)御覧 にな った ところ、 ・・」 とい うのはまだ抵抗 か強 い よ うではある。
4) 旧字体 で教育 を受 けた世代 よ りは或 る程度下 の世代 に 目立 つ よ うに思 われ る。
無論、調査 したわけではないか、欧文 ( 特 に、英文)の方面 に比較的通 じている高 学歴者 に多 い印象がある。
5 )多分、 この整合性 の無 さ自体 に対す る非難 は教育方法 の他 の面 での改善 によ っ て ウヤムヤに されている。
6 )既 に文部省 の科研費の項 目か らも日本語教育が消えた と聞 くが、 ブーム消滅 の 前兆 でなければ幸 いである。
7) 日本語教育学会 の学会誌名
8)