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雑誌名 静岡大学教養部研究報告. 人文・社会科学篇

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一九四五年フランス国民のアルジェリア観 : コン スタンティーヌ騒擾はどのように伝えられたのか

著者 杉本 淑彦

雑誌名 静岡大学教養部研究報告. 人文・社会科学篇

巻 27

号 2

ページ 1‑35

発行年 1992‑03‑10

出版者 静岡大学教養部

URL http://doi.org/10.14945/00008525

(2)

一九四五年フラソス国民のアルジェリア観

ーコソスタソティーヌ騒擾はどのように伝えられたのかー

杉 本 淑 彦

はじめに

 第二次世界大戦後ゐフラソス史の一大画期がアルジェリア戦争︵一九五四〜六二年︶にあることは衆欝の一致する

ところだろう︒フラソス現代史におけるこの戦争の意味の重みは︑この戦争関連の出版物の量が大戦後の他のどの事

件のものをもはるかにリードしている.﹄とからも唾し測られるが︑撃終結から一世袋過しようとしている今.︺の

時期︑この戦争関連の本格的研究書・資料集の刊行がこれまで以上に相次いでいる︒そして︑戦争に先立つこと約一〇

箭︑充四五年五是アルジェリア北東部コソスタソ一アィーヌ︵︵︶O嶺ω梓鋤口け一PΦ︶鴫で展讐れた反仏騒擾が︑.﹂

の戦争の序幕だったとして︑研究者の特権的取り扱いを近年受けるようになってきた︒

 この騒擾の発端と原住民側犠牲者数などに関しては未解明の部分が多いが︑騒擾の背景と経過︑影響については研

究者の間でほぼ共通の認識が成立しつつある︒それによると︑騒擾の背景は︑ω畢越に起因する食糧不足︑②ヨーロッ

パ戦線への人的動員に起因する不況︑という経済的要因︒加えて社会的要因として︑㈹ドイッのフラソス本土占領と        一

(3)

      ニ

アメリカ軍の北アフリカ上陸︵一九四二年=月︶によって支配者としてのフラソスの威信が原住民の問で低下

したこと︑㈲大西洋憲章︵一九四一年八月発表︶などにみられるアメリカの反植民地主義宣伝︑㈲アラブ連盟︵︾鍵げ

い$σq⊆Φ 一九四五年三月結成︶への加盟をめざすなどの汎アラブ主義の台頭があった︒そしてこれらの要因を統括す

るものとして︑⑥積年の民族自決願望があった︑とされる︒

 原住民大衆のなかに広がっていたこの民族自決願望を組織していた罠族主義運動としては︑二つの潮流が重要視さ

れている︒一つは︑都市部貧園層とフラソス本土在住アルジェリア人移民労働者を基盤としていたアルジェリア人民

党︵一九三七年結成︶︒その前身は﹃北アフリカの星﹄ ︵一九二五年結成︶で︑人民戦線政府を含む歴代フラソス政

府の弾圧のために解散と名称変更再建を三度繰り返したが︑一貫してメサリ・ハジ︵謬ω゜・蹴ゆ出巴楠﹀を指導者とし︑

完全独立と生産手段の国有化を唱えていた潮流である︒当初彼らはフラソスの共産党と社会党に要求実現の助力を期

待していたが︑両党の同化主義傾向に失望して第二次世界大戦前に訣をわかった︒

 もう一つの潮流は︑ファラ!ト・アッバース︵閃輿げ鋤砕  ︑諺ぴげ似ω︶率いるプチブル民族主義者︒大戦前の彼らは同化

主義の信奉者で︑原住民エリート約二万人にフラソス市民権を与えるという︑人民戦線政府のブルムBヴィオレット

法案に期待をかけていた︒しかし︑コロソ︵植罠者︶ら強硬な植毘地主義者の反対にあって法案が流れたために︑彼

らも同化主義に幻滅し始める︒そして第二次世界大戦︒民族自決をうたった大西洋憲章の発表とアメリカ軍の北アフ

リカ上陸に意を強くしたファラ!ト・アッバースらは︑一九四三年に﹃アルジェリア人民の宣言﹄と﹃宣言追加文﹄

を発表︒内容は︑フラソス共和国との連邦綱を想定しつつ︑ ﹁大戦後に全住民の普通選挙によって選出される憲法制

定議会が作成する固有の憲法を持つアルジェリア国家の形成﹂を求め︑さらに大戦終結前の緊急改革として︑ωアル

ジェリア総督府を廃止しフラソス人とムスリムの大臣からなるアルジェリア政府に代えること︑②各種の公選議会と

審議機関の講成をフラソス人とムスリム同数とすること︑㈹全公職にムスリムを登用しフラソス人官吏と同待遇を与

(4)

える︑などを要求するものだった︒完全独立は求めないものの︑同化主義の幻想とは完全に決別したのである︒

 一方︑ド・ゴールを首班とし対独レジスタソス勢力が結集した事実上のフラソス臨時政府である﹃フラソス国民解

放委員会﹄ ︵一九四三年六月アルジェに設置︒翌年六月にフラソス共和国臨蒔政府と改名し︑八月にパリへ帰還︶は︑

﹃宣醤﹄の諸要求を拒否︒原住民の戦争協力を確保するための懐柔策として︑一九四四年三月七日布告で︑ω原住民

のなかで特定の軍歴・職歴などのある者︵推定約六万︶は希望すればフラソス市民権を与えられること︑②県会と市

町村議会の原住民代褒議席を総定員の五分の一一に拡大する︑という同化政策の枠内での改革を約束するにとどまった︒

ちなみに︑当時の原住民総人口は約八〇〇万︑コロソのそれは約 ○○万であった︒

 この布告に憤慨したファラート・アッバースは︑一週間後の三月一四日に﹃宣言と自由の友の会﹄を結成し︑布告

に反対し﹃宣言﹄を実現させるための大衆運動組織化に乗り出した︒また︑非合法下で勢力拡張に悩んでいたアルジェ

リア人民党も︑ ﹃宣欝と自由の友の会﹄を合法活動の絶好の場と考えてこれへの漫透に努めることになった︒かくし

て﹃宣書と自由の友の会﹄は急速に勢力を強め︑第一回全魍大会が開かれた一九四五年三月の段階で入会希望者は五

〇万人を越えるようになったといわれる︒

 そして論九四五年五月八臼︒ファシスト・ドイッが降伏した翌臼のこの日︑アルジェリア総督府主催の戦勝祝典に

あわせて︑ ﹃宣言と自由の友の会﹄は独立要求の示威デモを各地で企てた︒総督府はデモの許可に際して︑反仏スロー

ガソを唱和したりプラカードで掲げたりしない︑という条件を付けると同時に︑民族主義看が武装蜂起を計画してい

るという情報が同年初頭から相次いで総督府や駐留フラソス軍にもたらされていたため︑それを警戒して官憲にデモ

の監視にあたらせた︒はたしてセティフ︵ω騨εでデモ隊と官憲が激しく衝突︒ ﹁独立アルジ諜リア万歳﹂などと書

いたプラカードを掲げて市の中心部に向かおうとするデモ隊を官憲が制止し押し問答していた時︑デモ隊の先頭にい

た原住民青年が射殺されたのである︒ついでこれが︑デモ参加者の一部が市内を走り回りながら無差別にフラソス人

      三

(5)

       四

を殺害するという事態になり︑さらに発展してゲルマ︵○器ぎ鎚﹀などの周辺の都市部と農村部に拡大︑かくして大

規模な騒擾になった︑と考えられている︵図−参照︶︒民問人コロソの人的被害は︑殺害された者八六︑負傷者九一︑

強姦された者一〇︑そのほか︑フラソス側の官憲と軍の死傷者は三五名にのぼった︒

 騒擾の発端になった原住民青年の射殺犯については︑ωデモ隊を制止していた警視︑ないし︑ωコロソなどの植民

地主義者強硬派に雇われデモ隊のなかに紛れ込んでいた挑発者︑そして︑㈲民族主義者のなかの過激分子︑という説

がある︒また︑セティフ市内でフラソス人を無差別に殺害した者についても︑②同じく挑発者が紛れ込んでいたとい

う説と︑㈹民族主義者の過激分子だけであった︑という説に二分される︒ωと㈲の説は︑ ﹃宣言と自由の友の会﹄運

動の拡大を懸念した総督府・軍部・コロソのなかの植民地主義者強硬派が運動の圧殺を正当化するために騒擾をわざ

と挑発した︑という主張につながるわけだが︑今もって真相は藪の中である︒

 しかしいずれにせよ︑五月八日時点で﹃宣言と自由の友の会﹄とアルジェリア人民党の両指導部はともに単なる示

威運動しか意図していなかった︑という認識では研究者め一致が今では成立している︒つまり指導部にとっては︑セ

ティフの一連の事件は偶発的なものであり︑また騒擾全体も彼らの意図を越える形で展開してしまったらしいのであ

る︒  さて︑この騒擾は陸海空軍と民間人コロソらの﹁市斑軍﹂によって約一週間で鎮圧されたが︑その結果としての死

亡原住民の数はまったく不明である︒騒擾直後のフラソス政府の発表だとわずかに一五〇〇名︒この数字を支持する

研究者は今では誰もいない︒一方︑アルジェリア民族主義者による推定も︑時とともに膨張し信頼感に今ひとつ欠け

る︒騒擾直後のアルジェリア人民党の主張によると三万五〇〇〇︑これがアルジェリア戦争期には四万五〇〇〇とな

り︑一九八五年のアルジェリア政府の公式見解だと八万人にのぼるのである︒しかし︑この鎮圧によって民族独立運

動が一時的に大打撃を受けたことは疑いない︒ ﹃宣言と自由の友の会﹄は非合法化され︑以前から拘束されていたメ

(6)

︹図こご辺Hこ団H翻髄溜歯図

︵落 丑 瀞︶

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(7)

       ラ       六

サリ.ハジに加えて︑ファラート︒アッバースら多くの民族主義指導者が投獄され︑逮捕者数は四五六〇名にの醸っ

たのである︒そして同時に︑この鎮圧行為が原住民のフラソス不信を決定的にしたという意味合で︑一九五四年アル

ジェリア戦争勃発の序幕になったことも確かのようである︒

 以上が︑これまでの騒擾研究で明らかにされたものと未解明なものの概略である︒事実関係のこれ以上の究明はフ

ラソス人とアルジェリア人の将来の研究に委ねるとして︑本稿としては︑従来の研究が閑却してきた︑ ︿本土フラソ

ス国民の騒擾イメージ﹀を︑次のような問題意識にたって考えてみようと思う︒

 この騒擾は︑帝国意識iI−人種差別主義に基づく自民族中心の世界観で︑フラソスの場合は岡化主義を特徴とす

るーの自縛をフラソス国民が断ち切る一つのチャソスだったのではないだろうか︒なぜなら︑騒擾の原因と鎮圧の

規模︑それらの実態を知ることは植民地支配の現実を知ることであり︑したがってそれは︑同化主義を粉飾し正当化

する﹁文明化の使命﹂論ー大革命を産んだ自由で平等で民主的な文明国フラソスは︑遅れた野蛮な植民地原住民に

それら文明の諸価値を教える使命があり︑一方植昆地原住民はそのようなフラソスの支配下にあって文明化を享受し

フラソスに感謝するーを掘り崩す力を持っているからである︒しかし現実には︑第四共和制の時代にも帝国意識は

フラソス国民の多くを支配し続け︑フラソスの﹁脱植民地化﹂は一九六〇年代までずれ込んだ︒そしてその後も︑旧

植民地出身移民労働者に対する差別という形で帝国意識は生き続けている︒一九四五年コソスタソティーヌ騒擾とい

う︑帝国意識を払拭しえる一つのチャソみが失われたのはなぜか︒本稿はこのような問題意識に基づいて︑当時の国

民にとって最も重要な情報源であり︑国民のアルジェリア観形成に大きく与っていたと考えられる新聞が騒擾を当時

どのように伝えていたかを検討する︒

③実は本楚先立ち︑同様の蟹意識塞づ高時期のレヴァζとイソドシナ︑および驚地全磐取り上げた二 編を既に発表しているが︑先の二編では︑保守系四新聞を検討するのみで結局国民保守層の帝国意識しか射程に入っ

(8)

政府許可公蓬忍発行部数 表1

ユ945年1月1      9

1945年12月

Lθ躍即ro

      {231000  1      :

445000 ゐ2ル鰯6

150000 i      :

170000

五 動α卿θ

不明  i         :

不明 LgP厩sげ伽1ゴわ酢彦

222000 {      3

322000 L瘤耀ゴo%

196000 }      :

不明

Co勉δα

185000 i      コ

不明

ム㌔4欝粥 goooo i         :

95000

ゐ㌧4%δ6 1480。o i      葦

143000

ゐθPo勿10〃6

235000 i      ;

274000 06Soゴ7

288000 i      :

490000

L 伽脚瞬6

326000 i

@         i

520000

Histoire ge neh zle de la ptesse fran gaise, tome 4,1975, p.300より作成。

ていないという問題があった︒本稿では︑保守

層に限らず広く国民一般の帝国意識を考えるた

めに︑次のようにできるだけ多様な新聞を検討

することにした︒まずω保守系新聞の代表格で︑

一般紙のなかでは当時最大部数を誇っていた

ト鳴趣鷺さ︑②一般夕刊紙のなかでは最大部数

の保守高級紙卜偽蒙︑㈲有力一般紙のなか

で最保守のト︑婁︑㈲レジスタソス団体出身の

一般紙卜恥ミ識鴇§§幅愚︑⑤同じく鳶隷§嵩§︑

⑥同じく9§ミ︑ω急進社会党系新聞卜這§蕊︑

⑧ド・ゴ!ル派政党﹃人民共和運動︵MRP︶﹄

系新聞卜︑︾§偽︑⑨社会党中央機関紙密︾§ヤ

§鳶︑働共産党系夕刊紙9象㌣︑そして⑳共

産党中央機関紙ト︑冬§§軌誌の計一一紙である

︵表−参照︶︒

 なお︑以下の引用文において丸括弧は筆者の

璽であり︑また︑薪聞将に記す*轟の記

号はそれぞれ一九四四年と一九四六年を表し︑

無記号は一九四五年を意味する︒

      七

(9)

第︸節 騒擾の原因と防止策

 大戦申から深刻な食糧不足に対する原住民の不満が騒擾へと方向付けされた︒これがどの新聞もとりわけ強調した

ことである︒ただし︑誰がこのような方向付けをしたのか︑ということに関して見解は大きく二分されていた︒

 まず一つは︑アルジェリア民族主義潜が食糧危機を利用して騒擾を煽動したというもので︑全体としてはこれが多

数派の見解であった︒この見解をとった各紙の代表的記事を示すと次のようになる︒

   ﹁穀物欠乏という状況につけこんで︑煽動者が反フラソス示威運動を挑発した︒﹄ ﹁未蛍有の干害で引き起こされた食糧

  欠乏が︑蜂起が始まった主要因の一つである︒﹂ ﹁暴動の主導者は︽宣言の友の会︾と︑非合法のアルジヱリア人民党に

  所属している連中である﹂ ︵密簗讐噂5・12\5・15\7・3︶

   ﹁騒動の原因は主に穀物の欠乏にあった︒騒乱分子がこれを利胴し︑反フラソスの示威運動に住民を引きずりこんだので

  ある︒﹂ ﹁騒動はアルジェリア人民党に所属している挑発分子によって引き起こされ︑ ︽宣言の友の会︾運動のメソバー

  に支えられていたことが今明かになった﹂ ︵卜偽象篭鴇§§慧5・12\5・15︶

   ﹁きわめて遺憾な事件がおこった︒事件の発生には穀類配給不足が関係している︒アラブの煽動者連中がこの事件にとび

  ついた﹂ ︵トき働ミ職§5・12︶

   ﹁1北アフリカで飢饅がいかがわしい擾乱の口爽となる︵見繊し︶1 総督からの情報によれば︑この騒動の始まり

  は︑小麦・ライ麦・大変の不作からくる穀物婁情の遍迫によって引き起こされた︒デモ参加者はすぐに徒党を組んで多く

  の町を襲撃した︒この不満を煽動者連中はさっそく利用したのである︒﹂ ﹁アルジェリア人民党分子と︽宣言の友の会︾

  運動の構成員が襲撃を煽動したと考えられる﹂ ︵卜誠§§鱒5・12\δ・15︶

   ﹁アルジェリア総督が集めた情報によると︑アルジェリア人民党分子と︽宣言の友の会︾運動の何人かの構成員が襲撃を

(10)

煽動したと考えられる・⁝⁝︵中略︶⁝⁝煽動分子の行動は︑過去三年間の干害不作に起因する小麦粉の補給困難という

状況によって容易となった﹂︵五旦習付内務省コミュ炉︒トミ讐鳥§§9惹犠酬5・静卜鳴§蚤5︒

16︶

﹁セティフの重大事件に関する調査によって︑暴動はアルジェリア人民党および︽寡織の友の会︾運動のメソバーによっ

て挑発されたことが確証された︒﹂翼件の遠因は周知のことである︒非常に深刻な経済問題と非常に不+分餐糧補給

 である﹂ ︵卜誠§魯5・15\6・1︶

﹁民族主義者の手のうちは明々白々である︒飢餓を利用してフラソス対アラブの紛争をつくりだす︒正蓬かなった約束

と矛盾する蓬的措置をとるようフラソスを追いつめる︒信託統治制度に関する︵サソフフソシスコ︶会議が開かれよう

 としている今・議論を国際問題化する︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝衣服や食糧︑全てが欠乏している住民の苛立ちのおかげで︑民

 族主義者の隊列は大きくなった︒過去三年間の早越は︑東部から西部へと広がり︑一九〇七年のそれに匹敵する規模となっ

ている・︽死ぬしかない・それなら倉庫を襲え︾と︑煽動者は暗に呼びかける︒﹂蓑も敵意が激しいのは︑宴口の友の

会の運動である・五月合と昔の流血をメサリとともに準備したのは彼らの指導者たちであゑ︵密蓉溶.嬰7.

 8−9︶

第二の見解は共産党のもので︑次のように主張された︒

  ﹁アルジェリアの第五列は以前から次のような準備をしてきた︒ムスリム住民の飢餓叛乱を引き起こし︑それを利用して

麓のなかの民主的分子を押しつぶして北アフリカにファシスト軍事独裁を樹立する︒その政権はヴ.ルサイユ政権であ

り・互の場合はフラソス人民に敵対させられるよう姦権である︒︵本土︶市町村選挙の笙回投票茜月二九日︶の

結塁共産党の大幅進出︶が判明して後︑総欝は挑発を;;おこなってきた︒挑発は下級警官と︑当然の.﹂とだが︑

 アルジェリア住民のなかの挑発分子の協力を得ていた︒そして実際︑重大事件がセティフで勃発したのである︒すっかり

       九

(11)

       ・      一〇

  飢えたムスリム住罠は︑行政当局がよく知っている挑発者によって︑いとも簡単に暴力行為へと駆り立てられた﹂ ︵卜・

  冬§黛織誉 5︒12︶

   ﹁総督府は今日︑暴動の全責任をイスラーム分子のみに負わせている︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝しかし挑発の申心は︑アルジェ

  リァ総督府とモロッコ・チュニジア駐筍府に由来している︒そこにこそ︑ムスリム住民を飢えさせている連中がいるので

  ある︒そこから挑発者は指図され︑流血が引き起こされているのであるし ︵トぎ§§帆轟5・13114︶

   ﹁昨日の内相︵ティクシエ諺母δ護練×δぴ社会党︶コミュエケは︑セティフとゲルマの騒動の責任を︽アルジェリア人

  民党と宣言の友の会運動のメソバー︾に負わせている︒つまり︑発生した騒動の責任をムスリムにあくまで負わせている

  のである︒他方内相は︑非常に重大なことだが︑フラソス人のヴィシー派とファシストという真の罪人を︽忘却︾してい

  る﹂ ︵トぎ§斜ミ挿5︒16︶

   ﹁アルジェリアにおけるトラストの道具である土地・鉱山・銀行百人領主は︑その名に値しない一握りの高級官僚から支

  持され︑そして︑民族主義者だと管称するイスラーム分子のなかに直接ないし無自覚の代理人を持って挑発をおこなって

  いる﹂ ︵トぎ§§軸悪榊5︒20121︶

   ﹁土地︒鉱山︒銀行百人領主という一握りの裏切り者が︑総督府で職に留まっているヴィシー派高級官僚に支えられて・

  フラソス人民に敵対する陰謀をアルジェリアで組織している︒セティフとゲルマの流血事件は︑醜悪な挑発行為であり︑

  かなり以前から予謀された挙げ旬︑一八七一年以降アルジェリアが経験した最も獣的な弾圧おこなう口実となった﹂ ︵卜.

  ミ§§謙斜 5・29︶

 大コロソと現地高級官僚らは結託し︑治安維持の必要に名を借りてアルジェリアの民主化を阻止する目的を持ち︑

食糧危機を利用し民族主義者を手先に用いて原住民の反仏暴動を意図的に挑発した︒これが共産党の見解である︒

 これら二つの見解を折衷したようなものもあった︒社会党は︑民族主義者が食糧危機を利用して反仏暴動を起こし︑

(12)

次にそれを大コロソらが利用してアルジェリアの民主化を妨害している︑と考えていた︒密㌔o鷺§越は︑ ﹁戦争に

起因する穀物の不作を︑アラブ人民党と︽宣言︾党が当然のごとく利用した︒両党は長らく敵対しあっていたが︑

︽北アフリカからフラソスをきれいさっぱり排除しよう︾ということで合意したのである﹂ ︵5︒17︶と書き︑そし

て約一ヵ月後次のように言い足すのである︒

   ﹁四月中ごろ︑最も代表的な隷ロソのひとりであるアッボ︵︾びぴo アルジェリア市町村長会会長︶が次のように公言し

  たという︒ ﹃暴動が起こるだろう︒そして政府は︑三月七日布告の見直しをきっと余儀なくされるだろう﹄︒支配者たち

  は︑大変な苦労をして作り上げられた民主的改良の建造物を倒壊させる口実を虐殺のなかに見いだしたのである︒:・⁝

   ︵中略︶⁝⁝六月八日以来卜罫鉱運讐紙︵コロソの代表的新聞︶は︑ ︽憲兵の時代︾が来たのだと言っている︒事実︑

  根拠もなしに︑殺人に暗黙に連帯した責任が土着民全体にあるとされ︑何百人もの容疑者が次々と投獄された︒一九四〇

  年以来栄光を奪われていたヴィシー主義者の士官らはセティフ派遣を手柄だと考え︑その挙げ句︑彼らの指揮官は昇進と

  叙勲を正式に要請する始末である︒操縦士は村々に投下した爆弾の成果を自慢げに語った︒彼らはまた始めることしか望

  んでいないのである︒さらに深刻なのは政治の反応であった︒暴動に備えるということで︑当局は︵ヨーロッパ系︶住民

  に大最のピストルと短銃︑機関銃を配ったのである︒外人部隊の元指揮官らを頭に市民軍がさっそく組織された︒理屈の

  うえではそれらの組織は解散したが︑しかし実際には︑合図があれば手元に残した銃器を持ってすぐに集まる状態になっ

  ている︒アルジェリアを恐怖支配しようとしている正真正銘のファシスト組織なのである﹂ ︵6.29︶

 以上が食糧不足問題を騒擾の原因と考え︑アルジェリア民族主義春か︑あるいは大コロソと現地高級官僚かどちら

かに騒擾の主導者をみる記事の代表例で︑この種のものが原因に関する報道の大半を占めていた︒それ以外の記事と

しては︑ωファシスト・ドイッやアメリカないしアラブ世界という﹁外国勢力﹂の介入︑ω戦時動員のために労働力

が不足し経済危機が発生︑㈹大コロソと植民地当局に対して共産党と社会党がおこなった非難が原住民の反仏意識を

      一一

(13)

= 

刺激したこと︑などが次のように指摘されただけである︒

  ﹁北アフリカ人の大量動員に起因する経済混乱も︑暴動を誘発するのに大きく与った︒﹂ ﹁この国は︑四〇歳男性にまで

  動貫が拡大され︑そして︑フラソス解放の戦いのために社会の中堅の大部分が三〇ヵ月前からいなくなっている国なのだ︒

  さらにこの国は︑正反対のプロパガソダにムスリムが煽動されてきた国でもある︒国民革命︵ヴィシー政権の統治イデオ

  ロギー︶と対独協力のプロパガソダ︒アラブ語の誘惑的な冊子で大西洋憲章と﹃四つの自由﹄の主題を広めてきたわが同

  盟国アメリカのプ獄パガソダ﹂ ︵卜帖ミ讐§︸5・15\5・22︶

  ﹁︵臨時︶政府と軍隊がアルジェリアを出ていったこと︑そして未曽有の経済危機とが︑均衡の崩壊にともに寄与した︒

  アメリカ人の上陸に対してなされた武力敵対︑ついでアメリカ人の存在が︑連合国の強さ・富とわが国の弱さ・窮乏とを

  比較することを原住民に可能ならしめた︒わが国の政治的分裂状態の露見と︑シリア・レバノソの解放︑そしてとりわけ

  汎アラブ運動の発展が︑カイロに目を向けている民族主義者を興奮させている︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝行政の硬直性と植民地

  化のある種のエゴイズムに対するフラソス人過激派の過度の批判が︑不満をかき立てている﹂ ︵密蒙鳩5・24︶

   ﹁アルジェリアに何人もの第五列がいる︒ロソメルがチュニヅアに遺棄した大量の武器が︑秘密裡に南部からアルジェリ

  アに持ち込まれた︒プロパガンダも激しく︑ ︽力で主権と自治を奪われた民族にそれを返還する︾ことを望むという大西

  洋憲章が︑アラブ語に翻訳され何十万部も密かにばらまかれた︒いったい誰によってか︒また︑チュニジアの民族主義政

  党デストゥール︵立憲党︶の指導者ブルギバ︵鎖鋤び↓げじdo自σq三冨︶が︑わが國の警察が管轄していない飛行場から秘密裡

  にカイロへ向かって飛び立った︵一九四五年三月二六日︶︒その飛行機の標章は何だったのか︒彼はチュニジアとモロッ

  コ︑アルジェリアの民族主義者の要求書を携えていたが︑それをサソフラソシスコへ伝えようと考えていたのである﹂

   ︵密窓曾§郵5・29︶

 騒擾因がこのように説明され︑そして次に︑原住民大衆の大多数は民族主義運動を支持しておらずフラソスへの同

(14)

化を望んでいるという主張が︑全ての新聞紙上で大量に喧伝された︒各紙ごとに典型的記事を示すと次のようになる︒

   ﹁アルジェリア総督は︑イスラームの多数の文化・スポーツ・同業団体ならびにムスリムのフラソス国民大多数の︑フラ

  ソスに対する忠節の表明を受け取った︒煽動分子の行動は少数にすぎない﹂ ︵五月一四日付内務省コミュニケ︒卜鳴

  国鷺養寒輸ミ§9惹ミ鳩5・15旧密蒙u5︒16︶

   ﹁蜂起があった地域に住む住罠のうち最大に見積っても五万人︑つまり住民の五%が暴動に参繍したにすぎない︒﹂ ﹁ゲ

  ルマ地方のデュヴィヴィエ︵U§幕槻ゲルマ市東方二五キ・の町︶のマラブ︵§§︒9イスラーム道士︶は︑蜂起

  の三ヵ月前に︑宣需の友の会に反対する立場をとった︒事件の時は︑生来戦争好きの部族を鎮めるために︑コルク樫の森

  に入っていった︒その後︑労に報い︑フラソスとイスラームの友好を示すために︑これら部族は彼のために大祝宴を催し

  たのである︒また︑イスラーム学校の長老マソジャ・ベルカサム︵ζ①邑ゆbd働冨8臼︶は︑叛乱を公の場で非難し︑蜂起

  者は人殺しで泥捧だと論じた︒ブージ︵GUo広σqδ 現ブジャーヤじd償糠鴇︶地方では︑ベナリ︒シェリフ︵切Φ⇔曽ぱΩδ課︶

  とウラバ︵○鱗冨び餌ぴ︶の一族が忠節の証を示した﹂ ︵富凄鷺蚕7・3\7︒13︶

   ﹁おそらくドイツ人は土着民の捕虜に対して︑反フラソス寛伝に熱中していたことだろう︒しかし︑わが国は土着民歩兵

   のなかから離脱者をひとりも記録しなかった︑ということを知ると心の励みになる︒つまり︑今回の叛乱の際︑アラブ人

   とカビル人の土着畏の大半は不実な態度を示したのだろうか︒まったく反対だった︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝全体として大衆は

   わが国に忠実である︒時には道に迷っているように見えるが︑それは︑彼ら大衆が︑われわれフラソスが教育を施した知

   識人の餌食になっているからである︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝罠族主義者の団体が土着民大衆をどれほど代表しているかを言う

   ことは︑不可能ではなくとも︑難しい︒しかし極少数であることは確かである︒﹂ ﹁︵七月一〇日諮問議会でのアルジェ

   リア問題集中審議において︶発言者は全員一致して︑状況は重大だが絶望的ではなく︑ムスリム住民の多数がわが国に忠

   実である状況は変わりないと言明した﹂ ︵卜軸蒙博7︑819\7.12︶

      =二

(15)

      一四

﹁住民は全体として忠節を示した︒イスラ去のさまざまな組織が︑アルジェリアのムスリム住民の献身的忠節の 囲量を

ド︒︐コール将軍と政府に伝達してくれるようアルジェリア総督に懇請した︒ムフティー︵日に笹 イスラームの律法師︶

のババ.アムル︵bdqび僧﹀ヨ①9︶は︑ ﹃ド︒ゴール将軍とアルジェリアにおけるその代表に対するムスリムのフラソス国

民の忠節﹄を明言した﹂ ︵卜輪ぎ§.鴇§§ミ矯5・15︶

﹁﹃今回の事件でフラソス人とアルジェリア人との間に埋め難い溝ができたと思いますか︒﹄

 全然そうは思いません︒アルジ瓢リアのムスリムは今では︑他の地方のアラブ人とではなくフラソス人とのほうにずっ

と多くの近似点があるのです︒われわれのなかのもっとも信仰篤い春でも︑たとえばサゥジアラビアからおびえながら帰っ

てきます︒そこでは︑目には目を式の同害の刑法が尊重されているのですから︒実のところ彼らにもフラソス文明が染み

込んでいるのです︒ムスリムがおこなった戦争努力への貢献を思い起こす必要があるでしょうか︒セティフというのは今

回の暴動の最も血なまぐさい出来事があった町ですが︑第七アルジェリア連隊のセティフ連隊は︑チュニジア︑イタリア︑

南フランス︑アルザス戦線で三二五〇の兵員を失い︑その一〇分の九がムスリムだったのです︒戦場での血のつながりの

ほうがわたしたちにとっては︑叛乱の血の恐怖よりも強いのです︒

﹃アルジェリアの完全独立という考えが︑ムスリムの心のなかで︑本土との一層の結合という考えにとって代わる危険は

ありませんか︒﹄

 そうは思いません︒独立できるほどには私たちは成熟していない︑ということを言っておく必要があります︒私たちの

エリートはほんの一握りしかいませんし︑技術者の数も不充分です︒それに︑どう考えてもアルジェリアは貧しく︑九〇

〇万の住民を食べさせることができません︒わたしはアルジェリア人ムス.リムですから︑汎アラブ主義の側に感情として

はひかれてしまいますが︑しかし理性が私をフラソスへ導くのです︒同胞に語るとき︑わたしはこう言うのです︒ ﹃全て

の人間が最大の利益を得られるように︑バトロソと労働者︑當める者と貧しい者の盟約をフラソス人と結ぼうではありま

(16)

せんか﹄と﹂ ︵諮問議会のコソスタソティーヌ県会アルジェリア原住民代表議員ベソジェルール 竃oげ鶴臼巴

じごΦ跡&Φ娼〇三のイソタビュー記事︒卜帖隷§識§6・6︶

﹁多くの原住民がフラソス人の命を救い︑秩序の共同防衛に参加した︒イスラームの名士たちは︑住民の熱烈な忠節の証

となる決議を多数総督に届けさせた︒その先頭のひとりにはアルジェの大ムフティーがいた︒アルジェリアの全ての昆主

団体・組合・文化団体・スポーッ団体が忠節の雷葉をもたらした﹂ ︵卜誠淺§§5・15︶

﹁セティフでの襲撃を除けば︑反乱やストライキは一切起こらなかった︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝イスラームの文化・スポーツ・

岡業者団体は忠節を表明した︒﹂ ﹁暴動に加わった原住民はほとんどいなかった漏 ︵卜冨§魯5・15\7︒3︶

﹁アルジェリア昆族主義はまがいもので︑少数の人間の産物である︒極貧で無教養の大衆に理想として押し付けるほどの

力はない﹂ ︵富婁§蚤5・29︶

﹁ムスリム住民の五%だけが︽蜂起︾した︒したがって︑フラソスはアルジェリア人大衆の大部分の忠誠を失わなかった

のである﹂ ︵七月一八日諮問議会アルジェリア問題集中審議における内相ティクシエの報皆︒トぎ蝕魯貸隷ミ融§7・

19旧密蒙嚇7・20︶

﹁ー忠節の表明︵見出し︶ーセティフ地方の事件を知るとすぐに︑アルジェリアの民主団体はファシスト煽動者の犯

罪的策謀に対して立ち上がった︒多数のイスラームの名士がこの意志表示に参加した︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝イスラームの文

化・スポーッ・同業者団体は犯罪的煽動を非難した︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝財政代表団︵総督府の審議機関︶のイスラーム部

会は︑セティフ地方を漁に染めた暴力行為を公然と糾弾した︒他方︑ムフティーのババ・アムルは︑全聖職者が出席する

なかアルジェの大モスクで演説し︑神が連合軍に勝利をもたらしたことに感謝した後︑アルジェリアのムスリムが︽彼ら

 バトリ

の祖国フラソスの大義︾を自ら進んで選び取ったことを強調した︒﹂ ﹁五月八日︑火曜舞︒前日にドイッの完全制庄を知っ

たセティフの町は︑勝利の祝賀準備をしていた︒この日は市の立つ日でもあり︑周辺の田舎からムスリムが来ていた︒そ

      一五

(17)

       =ハ

  して彼らの間に一つの命令が広がる︒ ﹃モスクの回りに集まれ︒勝利を祝うためのデモ行進がそこから出発する﹄と︒ム

  スリムの農民は︑フラソスに対する愛着を証そうと︑この呼びかけに応えた︒しかしデモ隊のなかにアルジェリア人民党

  の挑発者が紛れ込んでいた︒ドイッに雇われたならず者︑金で雇われた人殺し︑ヨーロッパ人百人領主の代理人にして共

  犯者であるアルジェリア人民党︒ぼろ着をまとい︑字を読むことさえできないことが多い土着民が︑フラソスへの愛着の

  言葉を表していると思い込みながらプラカードを振りまわした︒だが実際には︑ ︽自由アルジェリア万歳︾︑ ︽メサリを

  自由に︾︑さらに︽共産主義打倒︾とさえ書かれていたのである︒ヒトラー主義の制庄を祝っていると思い込みながら︑

  何千もの農民がつきしたがった﹂ ︵9もっ9メ5︒15\5・20−21︶

  ﹁︵フラソス共産党第一〇回党大会においてアルジェリア共産党書記長の︶カバレロ︵勺⇔巳0卿げ毘Φ同o︶は︑アルジェリ

  ア人民はフラソス人民と同じ敵を持っておりフラソスからの分離を望んでいない︑と強調して演説を締めくくった︒フラ

  ソスからの独立を要求する人々は︑意識的にせよそうでないにせよ別の帝国主義の代理人である︑と彼は説明した︒ ﹃わ

  れわれは︑片闘の馬を両眼盲臼の馬と取り替えたいとは思わない﹄と彼は叫び︑大会の拍手喝采を受けた﹂ ︵卜.

  卜§§黛養弾6・30︶

 騒擾の主因は食糧不足で︑その他の要因としてもアメリカやアラブ世界の介入などが考えられるにすぎず︑また騒

擾は民族主義者ないし大コロソ・現地高級官僚が引き起こしたものにすぎず原住民の大多数はフラソスへの同化を望

んでいる︒これが新聞を通じてフラソス国民に流布された騒擾因のイメ1ジだといえるだろう︒言い換えれば︑どの

新聞も︑騒擾の背景にはフラソスからの独立︑少なくとも連邦制を求める原住民大衆の民族自決願望があり︑その願

望を﹃宣言と宙由の友の会﹄やアルジェリア人罠党が汲みあげている︑という見方を活字にしなかったのである︒

 新聞が国民に伝えたイメージとは違い︑原住民の反仏感情は決して少数者のものではなかったようだ︒取り締まる

側の駐留軍とアルジェリア総督府自身︑そして騒擾直後に総督令で設置された現地調査団︵団長は諮問議会議員で憲

(18)

兵司令官のチュベ董ル℃毘奪巴︶が︑当時は公開されなかったそれぞれの墾口識同のなかで.﹂の妻を認めている︒

まず・同化政策の象徴となぞいた一九四四窪 百七暑告に対する原住民の反応は︑次のように墾口されている︒.

   ﹁布告はきわめて冷淡な縫に出会った︒⁝︵中略︶⁝︵布告の︶決定は︑アッバよ派であるかメサリ派であるか

  

ノ関係瞥︑民肇馨の鶴の強化を引き起.﹂してしまった︑と噸慨できる﹂︵コソスタソ脚アイ聖ヌ師団区司令實アユ

  ヴァル尋ー色琶の笙九軍団総司令亮五月三〇暑報告書︒笙九軍票アルジェリア全域を統轄していた︶

   ﹁︵布告で恵恵を受ける者がそれに楚を示さなかったばかりでなく︑それ以外の者にとっても︑奮口は反対を意嚢

  

ヲする藝となった︒早−も︵布告︶公表の翌月から︑アルジェ︑コソスタソ一アィーヌ︑セティフでは︑ノ礎がどのよう   髪けとめられるかξい三点の疑問も許さないス〒ガソが壁に現れた︒・⁝・︽フ︸フソス市民権N︒N︑アルジェ

  リア麗権αUレ︾︽フラソ希民権打倒︾︽すべての者にアルジェリア鹿権万歳︾︒−−︵中略︶−−彼ら︵総

  欝のなかのイスラよ問題専門家︶は︑アルジェリア人を鼓吹している民族主義意識が︑同化へと票う肇体系に満

   足しないような獲饒に達していると︑すぐに確信しなければならなかった﹂︵総欝官房長ガザよユ諫・疑.男Φ類釧       ⑤    ○爲薗ゆQ鵠①の一〇月八日付報告書︶

そして・五月二吾から二晶現地︵セティフ市とコソスタソ騨アィーヌ市︶で聞き取りにあたったチュベん調査

団・譲動以前のアルジェリアの精神的傾向﹄と題された報告璽量輩は次のように語ぞいる︒    ﹁︵騒擾の薮ヵ月前から︽ヨ占ッパ系︾鹿とムスリム住民との間に弊的藩ができていた︒アルジェリアの地の

   どこかで管・ムスリムとヨ占ッパ人との間でトラブルや簿行為︑さらには殴りA・いが発生していた︒挑発と桐喝が

   女性と子供に対してもおこなわれていた︒下校するフラソス人にめがけて土着墨凹年が投石︒霧や公菱議関で簿

   行為・そして・親フラソスだとみ馨れることを恐れて︑︵フラソスに︶忠実なムスリムもフ盟フソス人と藷に歩≦﹂と

   をためらっている・⁝︵中略︶⁝・ブ←地方の女性小穫教師が書法の手本として︑﹃私はフ一フソス人︑フ一フソスは

       一七

(19)

      ︸八

    バトリ  は私の祖国です﹄と書くと︑ムスリムの子供らは手本を自分たちで変えて﹃私はアルジェリア人︑アルジェリアは私の祖

 国です﹄と書いたという︒また別の教師がローマ帝国の授業をしていて奴隷について話した時︑ ﹃僕たちのように﹄とい

 う叫び声があがったという︒ボ!ヌ︵切O謬①  現アソナーバ﹀漆昌似げ印︶では︑騒動のおそれがあるためにサッカーの試

 合を中止しなければならなかった︒出場チームがそれぞれ︑ムスリムだけ︑ ︽ヨーロッパ人︾だけで編成されていたから

 である︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝ムスリム大衆の際だった敵意の深さを本調査団が集めた簡潔な情報で測定することはできない       ⑥  だろうが︑集まった情報の多様さからして︑この精神状態の裏明はアルジェリア全土でみられると言ってもよいだろう﹂

また︑騒擾時点での原住民意識を分析した報告書もある︒

  ﹁行政当局に対して多少なりとも忠実であり続けた︵都市部の︶ムスリム︐住民は︑最大限に見積って約一〇%である︒地

 方農村部ではこの数字はおよそ殴○%程度だが︑しかしそこでも︑多少なりとも穏健なやり方でだが︑宗教上の宣伝と反       ⑦  フラソス宣伝が多数派を結集させていた﹂ ︵ボーヌ連管区司令官モユオ鼠oづ巳o酔の六月四日付報告書︶

騒擾鎮圧後に原住民の反仏感情が悪化したという次のような報告もある︒

  ﹁土着民住民は︑依然としてわれわれに密かな敵意を抱き続けている︒ヨー惚ッパ人婦人に対するムスリム青年の無礼な

 態度が︑多くの町で事件を頻発させている︒ジジェリ︵U鴇&Φ田︶では︑ ︵フラソス大革命記念日の︶七月一四日︑ムス       ⑧  リム住民は公式諸行事に一切参加しなかった﹂ ︵第一九軍団総司令官マルタソ期象鑓竃聾ぎの七月付月例報告書︶

  ﹁土着民の意識状況は︑七月に一時的な改善が見られた後︑都市部を中心に再びはっきりと悪化している︒敵意とまでは

 いかなくても︑フラソスに対する離反の動ぎが加速している︒そのもっとも明かな証左が先の選挙結果である︒⁝⁝︵中

 略︶⁝⁝ムスリム住民の意識状況の特微的事実としては︑他に次のようなものがある︒第一に︑軍隊でも民間でも︑例年

 以上の驚くべき割合の土着民がラマダソ︵イスラーム暦の九月︶の断食を守った︒ヨー濤ッパ文明︑ルミ︵智o¢ヨ一 ムス

 リムがヨーロッパ人・キリスト教徒を呼ぶときの用語︶に対する自衛が︑コーラソの戒律の厳格な実施に探し求められた

(20)

  のである︒第二に︑軍慕パレ!ドや愛国的セレモニーなどの公の催しに土着民がほとんど全面的に参加しないこと﹂ ︵デュ        ⑨   ヴァルの第一九軍団総司令宮宛九月八日付報告書︶

 ところで︑七月一四日フラソス大革命記念日に代表されるような﹁軍事パレードや愛国的セレモニ!﹂に特定地域

の一定の原住民が参加した例外的な事例が︑実はフラソス本土では︑原住民全体の忠節の証として喧伝されることが

あった︒次のように報じられた記事である︒

   ﹁︵ド゜ゴールがロソドソのBBC放送局から対独レジスタソスを初めて呼びかけた一九四〇年︶六月一八日記念臼が地

  方の多くの町で祝われ︑わが国の海外領土へも同様にこだました︒北アフリカでは︑チュニスとラバト︵モロッコの首都︶

  と同じようにアルジェで︑政府当局主催の軍事パレ1ドと︑勲章授与︑大々的な愛国的デモ行進がおこなわれ︑フラソス

  人と土着民が友好的に混じり合いながらフラソスの未来に対する信頼を表明した﹂ ︵卜偽奪鴇5︒20︶

   ﹁i七月一四臼アルジェで民主主義の拡大を求め三万人のムスリムとフラソス人がデモ行進︵見出し︶ー アルジェ

  リアのさまざまな住畏が︑勝利に対する歓喜と岡時に︑ファシズムを完全に打倒する決意を表明した︒この堂々たる示威

  行動の最後は︑ヨーロッパ人とムスリムの戦土が参加した素晴らしい観兵式で飾られた︒⁝⁝︵中略︶・⁝−町の両端から

  出発した二つの集団が中央広場で合流し︑ムスリムのドック労働者四〇〇〇人を含む三万人の大集会がおこなわれた﹂

   ︵トミ§黛遥鏑 7・20︶

 確かに︑フラソス支配の中心都市であるアルジェで原佐罠が﹁軍事パレードや愛国的セレモニー﹂に参加したこと

は事実なのだろう︒しかし︑アルジェリア全体としては︑大半の原住民は参加しなかった︑と言ったほうが真実に近

い︒密§§もトミ§§慧も︑そして他紙も︑この種の行事を原住民がボイコットした事例を伝えず︑結果として︑

真実の全体像を歪曲するか隠蔽していたのである︒

 また・デュヴァルの九月八日付報告書で言及されている﹁選挙しに関する報道にも同様の歪曲と隠蔽があった︒こ

       一九

(21)

       二〇

の選挙とは︑フラソス市民権保有者と非保有者とが別個にそれぞれの代蓑を選ぶ市町村議員選挙く二園投票棚︶のこ

とで︑ ﹃宣言と自由の友の会﹄とアルジェリア人民党が投票ボイコットを呼びかけるなか︑第一回投票が七月二九日

︵第二圓投票は一週問後︶おこなわれた︒原住民の大半がフラソス市民権非保有者選挙人団に編入されているので︑

ここでの選挙結果が原住民の意志をかなり正確に反映するわけだが︑結果は大量の棄権︿平均約入○%﹀︒民意のあ

りかは明らかだった︒しかし︑民族主義者の投票ボイコット戦術と高率の棄権の連関に言及したのはわずかに二紙︵

簿蒙や9惹鼻7・31︶にすぎなかった︒また︑アルジェでの﹁大星の棄権﹂を伝えたト馬智鷺ミミ︵7・31︶

も︑一方で﹁内陸部の小さなコミューソでのムスリムの投票はかなりの数にの醸った﹂と書いて実態を歪めていた︒

さらに︑次のような報道さえあった︒

  ﹁トラブルはまったく起こらなかった︒棄権を呼びかける︽宣言の友の会︾と︽アルジェリア人民党︾のキャソペーソに

  もかかわらず︑ムスリムの投票はかなりの数にのぼった︒したがって︑きわめて安堵できる選挙内容であった﹂ ︵卜鳴

  凝§℃8・1︶

 結局︑新聞が伝えた騒擾因のイメージは事実を歪曲したものだったと言っても過言ではないだろう︒そして新聞紙

上で国民に提示された騒擾防止策は︑騒擾因に関するこのようなイメージと軌を一つにしていた︒防止策として全て

の新聞が強調したのは︑ω食糧の緊急輸送︑②三月七臼布告の実施とその適用範囲の拡大︒それ以外には︑共産党が︑

㈲総督府の高級官僚罷免と大コロソの利権剰奪を主張したことと︑㈲工業化と原住民自作農育成︑⑤本土の社会立法

の原住民への適用︑⑥賃上げ︑ω保健衛生の改善︑⑧県の分割と郡の増設などの行政機構改革︑⑨行政機構への原住

民登用の拡大︑が各新聞紙上で言及されるのみだった︒そして︑これらの騒擾防止策には次のような限定が付いてお

り︑結局︑連邦制や独立の承認の必要性は言われなかったのである︒ー﹁フラソスの主権を傷つけないという枠内

で﹂ ︵密§§り5・24︶︑ ﹁フラソスの主権を守ったうえで﹂ ︵ト偽ぎ義篭ぎ導ミ7・19︶︑ ﹁地申海の向こう側

(22)

         ブレザンス におけるフラソスの威信に異議が唱えられるということを容認できない﹂ ︵卜詠§識§樽5・18︶︑ ﹁アルジェリアを

フラソスの中に同化するために﹂ ︵卜奪魯7・4︶︑ ﹁フラソスの主権には一切傷つけないで﹂ ︵密ぎ黛ミ黍7・

19︶︒

 以上この節をまとめれば︑騒擾の原因と防止に⁝関する新聞報道は︑フラソス支配に対する原住民大衆の嫌悪が騒擾

の根本關だという見解を闇に追いやりながら︑原住民はフラソスへの同化を望んでいると強弁することで︑フラソス

国民の間で﹁文明化の使命し論への信奉を強める作用を果たしていた︑と言えるだろう︒

 では︑ ﹁文明化の使命﹂論の虚構を白日のもとに曝す可能性を持っていたもう一つの要素である鎮圧行為は︑フラ

ソス国民にどのように伝えられていたのだろうか︒

第二節 騒擾の鎮圧

 フラソス軍・警察とコロソら市民軍による鎮圧行為が︑ ﹁文明化の使命﹂なるものを持っ人々の所行とは思えない

ほど野蛮なものだったことは︑今ではどの研究者も認めている︒艦船と戦闘機が使われたことから窺えるように︑犯

罪者の検挙というよりも犯人を特定しない無差別集団報復という性格が色濃かった︒とくにゲルマ周辺では酸鼻を極

めた鎮圧がおこなわれたらしい︒これらのことは︑鎮圧の当事者である駐留軍自身も︑正当化しつつ次のように認め

ている︒    ﹁鎮圧が非常に厳しくおこなわれたことは確かである︒銃殺された者は多数にのぼり︑どの位の数かわからない︒ ︵コロ

  ソの︶殺害があった場所の近辺にある部落が全て焼き払われた︒ ︵コロソへの︶損壊がなされた場所の近くに住む土着民

  に対して︑補償の宣告がその場でなされた︒もちろんこの宣告は︑他の懲罰を妨げるものではない︒また︑遺棄農家の略

  奪現場で取り押さえられた者はその場で銃殺された︒これらの措置はすべて非常に良い効果を発揮している﹂ ︵ボーヌの

一=

(23)

       ニニ       ⑩   海軍司令官モラシュ竃o噌8び①のアルジェ海軍司令官宛五月二四日付報告書︶

 しかし大半の新聞は︑鎮圧のこのような野蛮さや不当さを国民に伝えるのに熱心ではなかった︒鎮圧の実態を語ろ

うとした記事は︑以下の数例しかない︒

  ﹁数千のムスリムが死傷したのは遺憾なことです︒外人部隊にモロッロ人歩兵部隊︑セネガル人狙撃部隊が戦闘に加わり

  ました︒戦闘⁝機が銃撃と爆撃をおこなわなければなりませんでした︒巡洋艦一隻と駆逐艦数隻が内陸部を徹底的に砲撃し

  ました︒村々が根ピそぎ破壊されました︒これが真実なのです︒真相にヴェールをかけるのではなく︑正面から事実を見

  つめようではありませんか﹂ ︵諮問議会議員ベソジェルールの発言︒緊隷§驚§6︒6>

   ﹁殺人者とその指導者を懲罰すべぎことに皆が賛成している︒しかし︑反動分子の後押しで︑その懲罰がイスラームと共

  和制への復讐に変質するのを認めるわけにはいかない︒そして︑いま起こっているのはそのような変質なのである︒はっ

  きりと言わなければならない︒鎮圧は度はずれに大規模で残忍なものだった︒軍当局はセティフ周辺にセネガル兵と外人

  部隊を放ち︑虐殺とあらゆる自由に対する侵犯がおこなわれた︒行軍にそって台地に点々と火が放たれた︒飛行機が村々

  に氾濫するほどの爆弾の雨を降らせた︒パニックが民間人を凶暴にした︒セティフでは︑ ︵当局が配布した白い︶腕章を

  つけていないムスリムが軒並その場で殺害された︒ゲルマでは︑数百人の青年が銃殺された︒ジジェリでは︑コソスタソ

  ティーヌ県知事の同意の素振りのもと︑武装市民軍と兵隊がイスラーム区を略奪した︒武器が配布されたために︑古くか

  らの人種憎悪が噴出して流血となったのである﹂ ︵Oず㍉珍傷融甘密口の署名論説︒卜軸き黛§糞6・28︶

   ﹁正当化の口実がなんであろうと︑ ︽懲罰討伐︾なるもので機甲部隊︑砲兵隊︑海空軍を用いることを即刻取りやめなけ

  ればならない︒﹂ ﹁一八七一年以降アルジェリアが経験した最も獣的な弾圧がおこなわれている︒⁝:・︵中略︶⁝・:まっ

  たく不当な鎮圧作戦がアルヅェリアのさまざまな地区で展開されている﹂ ︵卜奪§§蚕5・19\5・露9︶

 七月一〇︑一一︑一八日に諮問議会でアルジェリア問題が集中審議された時も同様の報道ぶりだった︒議会でアブ

(24)

ルケル︵冒゜︒仙︾ぴo¢涛興 アルジェリアのレジスタソス組織代蓑︶とファジョソ︵田δ謬岩閃2︒噺8 共産党代裏︶︑

フェイエ︵℃δ旨Φ鳴塁簿 労働総同盟のアルジェリア代表 共産党員︶︑ベソジェルールの四名が鎮圧の野蛮さを厳      ⑪ しく非難したが︑これらの発雷を好意的に一部でも紹介したのはト嬰§§慧︵7・11\7・12︶一紙だけだった︒他

紙は皆︑鎮圧の野蛮さに書及しないか︑言及しても次のように中和化したのである︒

   ﹁フェイエ氏が鎮圧の規模と厳しさに抗議した︒ティクシエ氏はこの主張に全面的留保をつけた︒フェイエ氏は鎮圧によ

  る犠牲者数について数字を引用した︒行政当局の出した数字は現実をはるかに下回っている︑というのが氏の評価であり︑

  政府がその数字を受け入れることは︽ばかげており︑そのような犯罪の共犯︾ともなることの懸念を表明した︒内相はそ

  のような主張に激しく抗議し︑ ︽政府には一つの意志があるのみである︒解明し正義をなすこと︾と声を荒げ︑議場のあ

  ちこちから拍手を得た﹂ ︵卜鳴慧嫡7︒12︶

   ﹁フェイエ疑は︑鎮圧によって一万五〇〇〇人以上の犠牲春がでたと主張した︒この数字および︑現場に派遣された軍隊

  の乱暴行為に関する発言者の情報に対して︑内相は激しく異議を唱えた﹂ ︵密㌔§戴§§慧℃7・12︶

   ﹁ムスリムの犠牲者は一万から一万五〇〇〇にのぼるとフェイエ砥が推計したのに対して︑内相はこの推計を断固として

  認めなかった﹂ ︵ミ隷§職§7・12︶

   ﹁フェイエ氏は︑鎮圧による土着民犠牲者の公式数字一五〇〇はばかげているとし︑実際には一万から一万五〇〇〇にの

  ぼると主.張した︒ティクシエ氏は強く反駁した﹂ ︵G§趣ミ︾7・12︶

 さらに︑鎮圧行為を歪めて正当化する次のような報道さえあった︒

   ﹁﹃鎮圧は過度に厳しくはなかったのですか﹄という質問に︑コソスタソティーヌ県知事で社会党のレストラドーーカルボ

  ネル︵い㊦ωけ塊帥働Φー︵︶鋤塊げOコ﹈P①一︶氏は次のように答えた︒ ﹃デュヴァル将軍は︑秀でたヒューマソな精神と多大な軍事的才

  能のあることを示されました︒ゲルマで︑エネルギッシュな副知事がもしいなければ︑町の一万四〇〇〇の土着罠が三五

      二三

(25)

      二四

  〇〇人のフランス人を虐殺していたことでしょう︒鎮圧が速やかにおこなわれたおかげで︑アルジェリアは救われたので

  す︒﹄﹂ ︵卜偽暑§鳩7・13︶

 このように鎮圧行為の野蛮さ不当さが多くの国民の目から隠蔽されていた一方で︑騒擾にさいして原住民がおこなっ

た野蛮行為の報道は︑トぎ§§帖隷と密婁﹄ミ越を除く各紙でおこなわれ︑しかも次のように煽情的であった︒

   ﹁︵セティフで︶若干の土着罠が暴力に溺れた︒ヨーロヅパ人は短刀で刺し殺されるか殴り殺されるか︑あるいは締め殺

  されるかして慮殺された︒入殺しの狂気が広がり︑あらゆるところで恐ろしい光景が展開された︒⁝⁝︿中略︶:::その

  後すぐに︑小カビリー︵国鋤げ覧帥㊦︶山塊の他の地区が同様の悲劇の舞台となった︒ペリゴヴィル︵勺騨欝9<鑓Φ︶では︑行

  政長とその助役︑そして郵便局長が慮殺された︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝森林監督官宿舎とヨーロッパ人農家が襲撃された﹂

   ︵AFP配信記事︒簿蒙︑9§貯妬は全文掲載︒卜響§魯卜偽㌔ミ鼓§㍉き慧︑卜誠§§§卜誠蟄簿は一部掲載︒各紙と

  も五月一五日付︶

   ﹁フランス人家族は︑武装した狂信的土着民の一団がわめきながら突然押し寄せて来るという事態に直面した︒⁝⁝︵中

  略︶・⁝−いたるところで火の手があがった︒武装した土着民たちが山の遊牧テント村から急いで駆けつけ︑町の土着民と

  合流して︽ルミ︾を襲った︒殺し︑強姦︑略奪︑放火︒ジハードと叫びながら︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝森林監督官の家と農家

  が略奪され︑住人たちは野蛮なやり方で虐殺された︒⁝⁝︵中略︶⁝⁝蜂起者がおこなった犯罪の残忍さを詳細に語ると

  胸が悪くなる︒だがこれらの犯罪が︑野蛮さの点で︑獣なみの点で︑想像をはるかに超えたものであることは知っておく

  必要がある﹂ ︵富凄讐養7・7︶

   ﹁セティフ︑ゲルマ︑ペリゴヴィル︑ケラタ︵国ΦR㊤鼠︶︑そしてその他の多くの場所で︑残虐で牛馬さながらの筆香に

  尽くし難い取扱いをうけて三〇〇人近くのフラソス人が虐殺された︒土着民たちは︑ ︽メサリを自由にしろ︾ ︽アルジェ

  リアをアラブ人に︾などのプラカードを街中で振りかざした後︑武器を取り出して︑フラソスと名のつくあらゆるものを

(26)

  襲撃したのである︒農家や︑孤立している部署で︑武器を持たない入植者と森林監督官が家族ともども襲われ︑彼らの家

  も焼かれた﹂ ︵卜鳴蒙噂7・819︶

  ﹁セティフとブージ︑ゲルマの各市︑そして多くの村で︑名状し難い野蛮さでフラソス人が虐殺された︒村では︑アラブ

  人が郵便配達人︑郵便局員︑森林監督官の喉を切って殺鐵した︒このようにして︑あらゆる境遇のフラソス人が一〇〇人

  以虐讐れたのである﹂︵卜響§幣・2︶

結局︑トミ§§賊隷とト鳴ぎミ㍉ミ越を除く各新聞の報道姿勢は︑ ︽残虐行為を働く土着民︾ ︽その犠牲となったロ

ロソーーフラソス︾という善悪二元イメージを多くのフラソス国昆に植え付けるものだった︑と雷えるだろう︒

 そしてこのイメージは︑経済⁝開発と民主主義の普及についてフラソスがアルジェリアにおこなったとされる﹁貢献﹂

が次のように自賛されたこととあいまって︑ ︽フラソス支配11善 植民地の伝統ー悪︾というイメージに容易に成長

したのではないだろうか︒

   ﹁一八五三年以来の代々のコロソ一家で︑急進社会党支持者のモレル︵窯o奉︸︶災の証言によると︑﹃われわれは原住民

  ととても仲良くやってきていた︒ところが政治プロパガソダのためにわれわれは対立するようになった︒今のアルジェリ

  アを作り上げたのは︑フラソス人以外の何者でもない︒われわれが出て行けばアルジェリアは︑健康に悪く︑ヤブばかり

  の︑略奪の横行する国に逆戻りするだろう︒﹄﹂ ︵富ミ鷺蚕7︒13︶

   ﹁騒動の中心はセティフから海岸までの地域︑つまり小カビリーの荒涼たる大山岳地帯で︑無教養で赤貧のベルベル部族

  が住んでおり︑フラソスの影響力を表す植民のセソターとしては小さいものしかないところである﹂ ︵卜軌蒙㌧O帖

  留爵5・15︶

   ﹁悲惨なこの事件を判断するためには︑北アフリカにおける煽動はすべて即座にどれほどの極端な暴力にエスカレートす

  るかを思いだすとよい︒ ︹この地の民衆の政治慣習がどれほどに未開のままであるかを強調する人が少なくない︒︺また︑

      二五

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