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貿易利潤と一般的利潤率: 木下悦二氏の見解につい て

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貿易利潤と一般的利潤率: 木下悦二氏の見解につい

著者 柴田 固弘

雑誌名 金沢大学経済論集 = The Economic Review of Kanazawa University

14

ページ 1‑31

発行年 1977‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/2297/37125

(2)

− 1 −

輸出超過利潤は一般的利潤率を引き上げるか︒木下悦二氏は︑輸出超過利潤はそれ自体として一般的利潤率を引き

上げる︑と考えておられる︒私は︑輸出超過利潤はそれ自体としては一般的利潤率を引き上げることはない︑と考え

︵1︶る︒本稿では︑木下氏の見解を検討することを通じて︑私見をいっそう明確にしたい︒

はじめに︑私が︑いまのところ︑到達しているこの問題にかんする考えを要約して述べておこう︒

私の考えるところでは︑輸出超過利潤は一般的利潤率の分子への追加であるから︑問題なく︑分数の値︑一般的利

潤率を引き上げるかというとそうではなくて︑輸出超過利潤はそれ自体として取り扱うかぎり︑すなわち︑輸入品の

存在を度外視するかぎり︑分子の値を変化させるのとちょうど同じ率で分母の値も変化させるから︑分数の値として

の一般的利潤率を変化させることはない︒

分母の値が分子の変化する率とちょうど同じ率で変化するというのはこういうことである︒輸出部門に超過利潤が

発生したとしよう︒そうするとこの輸出部門では内需部門から流出した資本が流入してきて︑輸出品の生産増加が生

じ︑輸出増加←輸出品価格の下落←超過利潤の減少となる︒他方で︑資本の流出する内需部門では︑内需品の生産︒ 貿易利潤と一般的利潤率

じめ I木下悦二氏の見解についてI

柴田固弘

(3)

− 2 −

供給減少←内需品価格の騰貴となる︒これは輸出部門の費用価格を増加させることになるから︑輸出超過利潤はこの

ためにも減少する︒こうして輸出超過利潤は販売価格の下落と費用価格の増加とにより縮少していき︑輸出部門の高

い利潤率は低下してゆくことになる︒この輸出部門の利潤率の低下がどこで停止するかというと︑もちろんそれは内

需部門の利潤率と格差のなくなるところである︒ところで︑内需部門の利潤率はどうなっているか︒ここでは︑輸出

部門へ向う資本の流出のために︑供給減少←価格騰貴が生ずるが︑いま輸入品の存在を度外視するかぎり︑内需品の

費用価格を形成しているものは︑やはり内需部門の生産物だけからなりたっているのであるから︑内需品価格の騰貴

は︑その騰貴の率とちょうど同じ率での費用価格の増加を意味するわけである︒だから︑内需部門の利潤率は変化し

ない︒こういうわけで︑輸出超過利潤はそれ自体としては一般的利潤率を引き上げることはない︒

輸入品の存在を考慮に入れてくるとどうなるか︒輸出超過利潤の発生と対応して輸入品の低廉化が始まるときに

は︑輸出超過利潤の大きさと︑輸入品の低廉化の大きさとが対応し︑両者が同じ大きさであれば︑この国では一般的

利潤率の上昇が生ずるであろう︒なぜなら︑すべての商品の価格が騰貴しても︑すべての商品の費用価格は増加せず

もとのままである︑ということが可能であるからである︒というのは︑すべての商品の費用価格は︑内需品の価格と

輸入品の価格との組合せからなりたつのであるから︑この場合には内需品価格の騰貴と輸入品価格の低廉化とが相殺

されて︑費用価格はもとのままであるということがありうるからである︒

この事態を見て︑一般的利潤率は引き上げられたが︑いったい︑これは輸出超過利潤の効果なのか︑それとも︑輸

入品の低廉化の効果なのか︑という疑問が生ずるであろう︒

輸出超過利潤に対応して輸入品の低廉化が存在する︑ということをはじめから前提するかぎり︑これは輸入品の低

廉化の効果によるものである︑とこの疑問に対しては答えなければならない︒輸入品の低廉化の効果は︑それ自体と

して見れば︑費用価格の減少と︵輸入品が生活必需品であるならば︶剰余価値率の引き上げとして作用し︑その結果︑

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− 3 −

一般的利潤率の引き上げとなるものである︒ところが︑輸入面で輸入品の低廉化が発生していると同時に︑輸出面

では輸出超過利潤が生じているという場合には︑輸入品の低廉化による費用価格の減少が︑輸出超過利潤の平準化の

ために生ずる物価騰貴←費用価格の増加によって相殺されることになる︒そのために︑輸入品の低廉化だけが単独に

作用すれば︑費用価格が減少して利潤率が上昇するという形をとるところが︑そうはならないで︑費用価格はもとの

ままで販売価格が騰貴して利潤率が上昇するという形になる︒つまり︑それ自体として利潤率を引き上げる効果をも

つ輸入品の低廉化の作用する過程のなかに︑それ自体としては利潤率の引き上げ効果はもたない輸出超過利潤の物価

引き上げの効果が入りこんできて︑両者がからみあい︑結果としては︑利潤率は引き上げられるが︑その姿が︑輸入

品の低廉化が単独に作用した場合のそれとは違っている︑ということである︒しかし︑﹁これは︑輸出超過利潤に対

応して輸入品の低廉化が存在する︑ということをはじめから前提するかぎり﹂でのはなしである︒そもそも︑輸出超

過利潤に対応して輸入品の低廉化が存在する︑という態勢はどうしてできるのか︒これが問題である︒というのは︑

この態勢そのものを作り出すことに︑輸出超過利潤が関係しているならば愚輸出超過利潤はそれ自体としては一般的

利潤率を引き上げない︑と言うだけでは︑大事なことを見落すことになるだろうからである︒

ところが︑実は︑この態勢そのものを作り出すことに︑輸出超過利潤は関係している︒どのようにしてか︒

いま︑世界市場で︑すでに綿糸の単一の市場価格が存在しているとし︑それがたとえば金三○夢であるとする︒

A︑B両国ともに綿糸を生産しており︑この金三○〃の価格で販売して︑それぞれ平均利潤を紡績資本は得ている︒

・こところが︑A国の綿糸生産部門で生産性が引き上げられ︑金二○gで販売しても︑平均利潤が得られるようなことI

なったとしよう︒すると︑A国の綿糸生産部門は金一○多の超過利潤を得ることになる︒そこでA国の綿糸生産部門

へは︑その他の部門から資本が流入してきて︑生産が増加し︑輸出が増加し︑輸出価格は下落することになる︒この

輸出価格はどこまで下落するかというと︑輸出超過利潤が消滅して︑利潤率の格差が輸出部門と内需部門とのあいだ

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− 4 −

この利潤率の上昇はいったい何がひきおこしたものと見るべきであろうか︒

直接には︑外国品の低廉な輸入の効果が︑物価の騰貴する率以下に︑費用価格の増加する率を押しとどめたことに

よる︒しかし︑だからといって︑これは輸入品の低廉化の効果である︑と言ってしまうだけでは︑事態を正しくとら

えたことにはならないであろう︒なぜなら︑外国品の低廉な輸入そのものが︑実は︑輸出部門の生産性の引き上げに

よって生じたこの部門の超過利潤の平準化の過程に惹起される物価騰貴によってはじめて可能となったのだからであ

る︒だから︑こうした場合には︑輸出超過利潤が間接的に一般的利潤率を引き上げたと見るべきである︒

のちに見るように︑木下氏は︑A国は綿糸を︑B国は小麦を︑それぞれ相手国に輸出できる態勢にあるという設定

でもってはなしをはじめられる︒しかしどうしてそうした態勢ができるのかというはなしはない︒輸出超過利潤がそ

れ自体として一般的利潤率を引き上げるというふうにきめてかかると︑出発点の態勢の由来を説明できないし︑また

この態勢の変化も説明できないであろう︒

さきに︑輸出超過利潤の消滅過程で物価が騰貴し︑そのため輸出部門でも費用価格が増加するので︑輸出品の販売

価格は供給の増加とともに下落しても︑従来の物価水準での生産価格のところまで下落することはなくて︑それ以前 でなくなるところである︒それなら金二○gまで下がるということか︒そうではない︒さきに見たように︑輸出超過利潤は販売価格の下落のほかに︑輸出品の費用価格の増加によっても︑減少してゆく︒だから金二○gに下がる以前のところで︑超過利潤は消滅してしまう︒ところで︑この費用価格の増加をひきおこす物価騰貴は︑他方では︑外国品の低廉な輸入を可能にすることになる︒この外国品の低廉な輸入は︑費用価格の増加をある程度相殺して︑物価の騰貴する率以下に︑費用価格の増加する率を押しとどめる︒この場合︑金二四夢で輸出超過利潤は消滅したが︑そのとき︑費用価格は一六から一七・六への増加にとどまったとしよう︒これは︑利潤率が二五%から三六%へ引き上げとき︑費用価格はられたことになる︒

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− 5 −

に︑利潤率が平準化してしまう︑と言った︒つまり︑輸出品の販売価格は従来の物価水準での生産価格を上回ったと

ころに落ち着く︒このことは何を意味するだろうか︒それは︑輸出国の労働生産物の同じ量で︑従来よりも多い金を

手に入れることができるようになったということである︒つまり︑この国にとって金の価値が低下したことである︒

金価値の低下は︑はじめは︑輸出部門の生産性が引き上げられる結果︑この部門の同じ労働量で従来よりも多い金が

手に入ることになるということに現われる︒しかし︑輸出部門に超過利潤が生じているが︑資本の移動がまだ始まら

ず︑したがって物価の騰貴もまだ生じていないという段階では︑この国の労働全体との関係では金の価値は従来とか

わりない︒やがて︑資本移動による輸出超過利潤の消滅過程が始まると︑これが︑輸出部門に生じた金価値の変化

を︑物価の騰貴としてこの国の内部に惨透させることになるわけである︒

この国の輸出部門の生産性の上昇によって生ずる輸出超過利潤は︑一方では物価を騰貴させるが︑他方ではそのこ

とにより相対的に低廉化した外国品の入手を可能にさせる︒そして︑後者は︑前者による費用価格の増加を相殺して︑

一般的利潤率を引き上げる︒こうしたことの意味はつぎのように受け取ることができよう︒すなわち︑この国の輸

出部門の生産性の上昇は︑外国品の取得を有利にするが︑この外国品のなかには︑金と一般の商品の両者が含まれて

いる︒金取得の有利になる分はこの国の物価騰貴となり︑一般商品取得の有利化は輸入品の相対的低廉化となる︒両

者は総合されて︑利潤率の上昇となる︒こういうことを意味していると受け取ってよいであろう︒

輸出超過利がそれ自体として一般的利潤率を引き上げることのないことはすでに見たとおりであるが︑これをそれ

自体として一般的利潤率を引き上げると見誤るとどういうことになるであろうか︒そのときには︑いわゆる貿易利益

が重複して捉えられることになるであろう︒それはこういうことである︒輸出超過利潤の消滅過程では︑輸出品の販

売価格は下落する︒この下落は︑相手国にしてみれば︑輸入品が低廉化するということである︒つまり︑これは輸入

品の低廉化による貿易利益を相手国が入手するということである︒ところで︑このとき︑輸出超過利潤がそれ自体と

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− 6 −

して一般的利潤率を引き上げると見るならば︑相手国に低廉化の利益として与えられる︑それとちょうど同じ大きさ

の利益が︑輸出国の側で︑この国の価値額︵剰余価値額︶の増加分として入手されたとみなされることになる︒実際︑

のちに見るように︑木下氏の見解ではそうなっている︒こうした見解によれば︑国際分業によって一○人の労働が節

約されたとすると︑輸出国で一○人分だけ価値額︵剰余価値額︶が増加すると同時に︑輸入国でも一○人分だけ輸入

品の低廉化の利益が生ずる︑つまり︑一○人の労働の節約は一一○人の労働の節約を生ずる︑という奇妙な結果にな

る︒こうしたことが間違っていることははっきりしているが︑どうしてそういうことになるのかというと︑それは利

潤率の平準化を算術計算で片付けるからである︒それを競争の過程で見るときにはそうしたことになるわけがない︒

それでは木下氏の見解の検討にとりかかろう︒

①拙稿﹁貿易と利潤率について﹂︵金沢大学経済学会経済論集第十・十一合併号︶︑同﹁貿易利潤と一般的利潤率l箸侈品部門と

生産価格﹂︵金沢大学法文学部論集経済学篇空︑同﹁貿易利潤と一般的利潤率I価値額をめぐるリカードとマルクス﹂︵金沢

大学法文学部論集経済学篇邪︶を参照されたい︒

まず検討の仕方であるが︑木下氏の見解の主要な個所と思われるところをそのまま順を追って引用しながら︑その

都度︑問題と思われる点を指摘する仕方で進めたい︒

さて︑木下氏の見解を追いかけよう︒

市場価値および生産価格の法則は競争の二法則であって︑これは︑世界市場価格の形成にも作用する︒この作用の

仕方を見るために︑﹁まず一切の国際交換が行なわれず︑それぞれ自己完結的な分業体系をもち︑自主的に再生産の

(

(8)

− − 7 ・ −

︵8丑︶行なわれていた二つの国の間においてすべての貿易制限が撤廃され︑全く自由な国際交換がはじまった場合を仮定﹂

する︒また︑﹁議論の簡単化のために..⁝・⁝両国の貨幣価値の相対的相違が︑国民的生産力水準の相違を正しく反映

︵n凸︶している﹂ものとする︒こうした上で︑﹁上掲のような場合を想定しよう︒この想定ではA国はB国に比して︑労働

の国民的生産性︵強度複雑度は同一とする︶が三倍であり︑したがってA国の一労働日は︐︐

る00

42B国の三労働日に等しい国際的価値を生み︑その結果︑同じ金一夕がA国では一労働日の

す金金

一一一一価値を代表するに反し︑B国では三労働日の価値を代表しているのである︒砺繩13単単そのためにA国の綿糸は金二○gの価格をもち︑同じ綿糸がB国では金三○夕の価格を位位

︐的11

1民麦麦もっている︒また小麦についてはA国での価格は金四○y︑B国での価格は金二○3であ

金国小小

る︒したがって綿糸はA国からB国に輸出されるであろうし︑B国ではこれとひきかえ︐〃麦00別別︵m己︶小46金金に︑小麦が絶対的には生産力の高いA国に向かって逆に輸出されるであろう︒﹂

一一一一位位これまでのところは︑仮定と想定であるから︑それ自体としては異論の余地はない︒し糸00単単綿2911かし︑競争の二法則の作用を考察していくための状況設定として︑こうした仮定・想定が糸糸綿綿いちばんふさわしいかどうかは疑問であろう︒私には︑こうした仮定・想定とは別のもの国国AB国国の方がいっそうふさわしいように思われる︒すなわち︑すでに貿易は行われていて︑輸出AB国の輸出部門は平均利潤をあげており︑また輸入国の輸入競合部門でも平均利潤をあげて

いる︒そうして︑貿易品について︑国際的な市場価格はすでに成立している︒こうした状況において︑輸出国の輸出

部門に技術の改良がおこり︑これが輸出国では一般的に普及したが︑しかし︑輸入国の輸入競合部門にはまだ及んで

いない︒こうした状況を設定したうえで︑競争の作用がどうなるかを見ていく方が︑便宜であるように思われる︒す

でに﹁はじめに﹂その仕方の一例を示しておいた︒この状況設定であれば︑そのなかで︑利潤率を引き上げる原因は

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・−8一一

何か︑その形態はどうなブ

れはともかく先へ進もう︒

﹁この両国の国際交換において価値通りの交換が前提されているかぎり綿糸はA国の資本家がB国に送ってそこで

︵n名︶金三○夢で売却するか︑それともB国の資本家によってA国において二○gの金の価格で買い取られる︒﹂

ここで言われていることも仮定の設定であるからそのかぎりでは異論はない︒しかし︑ここでこのように言われた

ことが︑その後ずっと生きていて︑綿糸は金一二○gで売れ︑かつ売れつづけるとされる一方で︑おなじはなしのなか

で︑綿糸はいくらで売れることになるだろうか︑ということの追求に向うことになるが︑これがわからない︒金三○

3で売れる︑というのであれば︑はじめから答えは出ているではないか︑と言いたい︒ところが追求の結果︑別の答

えが出てくるのであるから︑ますますわからなくなる︒つまり︑﹁価値通りの交換が前提されている﹂ところで︑価

値どおりでない交換の追求に向うという理解に苦しむ進め方がとられ︑しかも実際価値どおりでない別の交換が導き

出されるというわけのわからぬことになる︒その意味で︑ここで言われている﹁価値どおりの交換﹂ということをお

ぼえておかなければならない︒

以下︑まず市場価値の法則について︑綿糸輸入国の場合︑綿糸輸出国の場合︑小麦輸出国の場合︵このケースの検

討は省略する︶の三つのケースに分けて見ることになる︒

まず綿糸輸入国の場合について︒

﹁B国においてA国からの輸入綿糸が九○の価値をもつものとして︑三○3の金価格で売られる︒しかもこの輸入

綿糸はもともとA国では金一一○3の価格しかもたないのであるから︑この綿糸に関するかぎり︑あたかもB国の非常

に有利な生産条件の下で生産され︑個別的価値としては六○の価値しかもたぬにもかかわらず︑九○の市場価値で交

換されるのと変わらないのである︒したがってA国の綿糸が大量に輸入されるということは︑これらの綿糸があたか その形態はどうなるか︑こうしたことを説明できる︒ところが木下氏の状況設定ではそれが説明しにくい︒そ

(10)

− 9 −

もB国の市場にとっては六○の個別的価値をもつ有利な生産条件下の綿糸が大量に供給されたのと同様の効果を及ぼ

す︒その結果︑これまで中位の生産条件のもとで生産された綿糸の個別的価値九○と一致していた市場価値は︑この

︵や⑨︶大量に供給された有利な条件下の生産物に圧されて︑九○以下にひき下げられるであろう︒﹂

まず冒頭の文句﹁B国においてA国からの輸入綿糸が九○の価値をもつものとして︑三○gの金価格で売られる﹂

ということについてであるが︑これは﹁価値通りの交換が前提されている﹂ということを意味するものである︒一方

でこのように金三○gで売れると前提しておきながら︑他方で市場価値はいくらになるかという考察へ向う︒これで

はわけがわからない︒この個所は︑﹁B国において︑A国からの輸入綿糸はいくらで売られることになるであろう

か﹂というふうにでも書きかえるべきであろう︒そこで︑﹁いくらで売られることになるか﹂を見るために︑市場価

値がどうなるかを考察する︑という筋道になるべきである︒

つぎの文句︑﹁しかも⁝⁝⁝変わらないのである︒﹂は︑きわめて問題のある個所である︒A国で金二○3の綿糸が

B国に輸入されたなら︑それはB国で六○の個別的価値の綿糸が生産されるのと同じことになる︑ということが言わ

れているわけであるが︑B国では金一gの代表する国民的価値は三である︑とはじめに想定してあるわけだから︑金

二○yの綿糸は六○の価値の綿糸と同じである︑ということはよくわかるけれども︑だからといって︑A国で生産

された綿糸がB国に輸入されたなら︑それはB国で生産されることと同じである︑と言われるのであれば︑それはま

ったく理解できない︒それは︑外国で生産されたものを︑自国で生産されるものとみなし︑また︑すでに実現のすん

だ価値をこれから実現すべき価値とみなす︑ということであるが︑そのことは︑金二○夢の綿糸が六○の価値の綿糸

と同じであるということと何の関係もないことだからである︒

そのつぎの文句︑﹁したがって⁝⁝⁝及ぼす︒﹂においては︑前文と同じ意味のこと︑すなわち︑A国で生産された

綿糸がB国に輸入されたなら︑B国では︑これがB国で生産され︑B国の市場へ供給されるのと﹁同様の効果を及ぼ

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‑ 1 0 ‑

す﹂ということがくりかえされていて︑それが﹁したがって﹂で前文とつながるかたちになっているけれども︑輸入

されたものを生産されるものとみなす理由・根拠が不明である以上︑﹁同様の効果を及ぼす﹂ということを認めるわ

けにはいかない︒しかし︑注意しなければならないのは︑B国の輸入した綿糸はA国で金二○yであるということが

理由となって︑B国はA国から綿糸を金二○3で買ったのと同じことになる︑という意味がここで盛り込まれたこと

になっているらしいということである︒というのは︑輸入国︒B国の﹁貿易利益﹂の議論のさいには︑何のことわり

もなしに︑事実上金二○3で買うということではなしが進められていくからである︒しかし︑そんな理由でそんなこ

とになるわけがわからない︒

ともかく︑前後を通じてここでは肝心のこと︑すなわち︑輸入I生産I供給とみなす理由︑根拠がまったく説明

理由と根拠は示されていないが︑輸入I生産とみなした結果はつぎのようになる︒

﹁市場価値がどの程度ひき下げられるかは輸入されるA国の綿糸の量とそれがB国の市場に占める比重とによって

決定されるであろう︒これによってこれまでの標準生産条件の下での個別的価値九○に較べて有利な極端の占める相

︵︽︒︶対量が決定されるからである︒輸入される量が大きくなればなるほどB国の市場価値は低下する︒﹂

︵の″︶・この個所の意味は後に出てくる等式とつき合わせて見るとはっきりする︒等式というのはこれである︒ ともかく︑毒

されていない︒

この等式の示すように︑この個所の意味は要するに︑輸入されたものは生産されるものとみなしたうえで︑加重平

均で市場価値を求める仕方に従ったということである︒

しかし︑知りたいのは︑輸入されたものを生産されるものとみなす理由︑根拠であるが︑それがなかなか見当らな 罫ン圃計離宮商Ⅱ 罫ン田・洋恥罫宮崗×圃函肝隅郷十彗氏田・洋恥罫宮武×罫ン帥図画蜀訓卿

(12)

− 1 1 −

い︒一読したところでは︑つぎの個所がそれらしく思われもするが︑しかしよく読めばそうではない︒

﹁輸入がひきおこす市場価格の下落をもって︑供給の激増による需給関係の不均衡から生ずる市場価値からの市場

価格の一時的な背離と同一視することはできない︒なぜなら︑この下落はそれに対応する一定の需要量の増大によっ

て支えられているからであり︑しかもこの増加した社会的欲望を満たす商品量の再生産に必要な労働量は減少してい

るからである︒だから需給比率そのものを調整しているのであり︑日々の市場価格変動の中心そのものを変更してい

︵負︾︶るのであるから︑これは市場価格ではなしに市場価値そのものの変化なのである︒﹂

ここでは︑市場価格の下落を﹁市場価値﹂の低下が規定する︑ということが述べられ︑その理由を説明するかたち

になっているから︑ここで︑輸入Ⅱ生産とみなして市場価値を求める理由︑根拠が明らかにされるのかと思うとそう

ではない︒なるほど表現としては︑﹁なぜなら⁝⁝⁝からであり︑しかも︒⁝・⁝・からである﹂︑﹁だから︒⁝⁝:であ

り︑⁝⁝⁝である﹂となっていて︑理由を説明するかたちになってはいるけれども︑そこにはそんな内容はない︒と

いうのはこうである︒.定の需要量の増大﹂ということは︑等式の分子の第二項に︵郵鴎田・芹恥罫宮両×罫シ

伽︶がきていることを指すものであろう︒また︑﹁この増加した社会的欲望を満たす商品量の再生産に必要な労働量

は減少している﹂ということは︑等式の分子の第二項︵罫監圃・芹恥罫宙高×罫尹卿︶は︵罫ン田・洋恥罫宙菌×罫

ン剛︶よりも小さいということを指すものであろう︒そうであれば︑このふたつのことは︑輸入されたものはこれを

生産されるものとみなして成り立つ等式を前提にしてでてくるものにすぎない︒したがってこの個所全体は︑﹁輸入

されたものはこれを生産されるものとみなすならば︑輸入量の変化につれて市場価値が変化することになるので︑輸

入がひきおこす市場価格の下落をもって市場価値からの市場価格の一時的な背離と同一視することはできない﹂とい

うほどの意味にすぎなくなる︒

輸入Ⅱ生産とみなす理由・根拠が説明されたかたちのようであるけれども実は何も説明されていないという問題の

(13)

− 1 2 −

﹁このことはまた次の事情により確認され︑さらに強く論証される︒輸入がひきおこすB国内部の競争により︑価

格の低落がB国内部の劣悪な生産条件の資本家たちにとって︑その剰余価値の実現をますます困難にするばかりでな

く︑ついには前貸資本価値の回収をさえ困難にするだろう︒その結果︑資本の再生産は破壊され︑|競争に破れてこの

種の生産部門から去ってゆく︒それゆえに輸入品に対する需要は︑市場価値の下落に伴うこの種商品に対する一般的

な需要増加によって規定されるばかりでなく︑国内の劣悪生産者の脱落によっても規定されている︒輸入国における

市場価値の法則は︑したがって一般的にこの国の需給関係を規定するばかりでなく︑特殊的に輸入品に対する需要を

︵9︶も規定しているのである︒﹂

ここでは︑輸入のひきおこす競争に破れて劣悪資本が脱落してゆくことが述べられているが︑そうしたことは︑金

三○3で売れつづけるということであれば︑起るはずがない︒それでは金二○3でしか売れないために起るのかとい

うとそうでもない︒市場価格は﹁市場価値﹂の低下につれて下落するとされている︒だから︑金三○夢︵あるいは金

二○3︶で売れるという前提と﹁市場価値﹂価格の関係はどうなっているのかという疑問がそのままここに残ってい

るが︑それはともかく︑輸入のひきおこす競争に破れて劣悪資本が脱落してゆくとしよう︒ ほかに︑この個所では︑はじめに指摘した問題︑すなわち︑価値どおりの交換を前提しながら︑市場価値の追求に向うという理解できない仕方から生ずる問題が具体的に現われている︒すなわちここでは︑輸入の増加とともに市場価格は下落すること︑および︑この市場価格の下落は﹁市場価値﹂の低下によるものであること︑が述べられているが︑そうすると︑金三○夢で売れるという前提︑金二○厚で買えるという事実上の前提はどうなるのか︑という問題である︒つまり︑輸入国は綿糸を金三○夢︵あるいは金二○g︶で買えるのか︑﹁市場価値﹂価格で買えるのか︑どちらなのか︑という問題である︒ちらなのか︑という問龍

ともかく先へ進もう︒

(14)

− 1 3 −

そうすると︑﹁それゆえに輸入品に対する需要は︑⁝⁝⁝︑国内の劣悪生産者の脱落によっても規定されている︒﹂

ということがよくわからない︒まずその表現がわかりにくい︒そこで︑後にでてくる等式︵すでに引用ずみ︶とつき

合わせて考えてみると︑そのなかでは︑脱落した劣悪生産者の従来供給していた生産量と輸入国の社会的価値を乗じ

た積は︑この国の綿糸に対する社会的需要から控除されると考えられているようだから︑そのことを意味しているも

︵︑︶のと受け取ればよいのであろう︒しかしそうであるとすると︑劣悪生産者が脱落するとそれが従来供給していた生産

量とこの国の社会的価値とを乗じた積が社会的需要から控除されることになることの理由︑根拠︑メカニズムの説明

がなければなるまい︒しかしそうしたものは見当らない︒この個所はさきの﹁この下落はそれに対応する一定の需要

量の増大によって支えられている﹂という個所と対応している︒後者は︑等式につき合わせて考えてみると︑輸出国

・社会的価値に輸入量を乗じた積の大きさだけ︑この国の社会的需要が増加するというものであった︒しかし︑その

理由は示されていなかった︒こんどは脱落した劣悪生産者の従来供給していた生産量にこの国の社会的価値を乗じた

積の大きさだけ︑社会的需要が減ることになる︒しかしその理由はやはり示されていない︒競争力の強い︵金二○g

までの競争力をもつ︶外国綿糸が輸入されて︑これが従来この国の社会的需要をみたしていた国産綿糸から需要の一

部を奪うことになって劣悪生産者が脱落してゆく︑と考えるのがふつうの考え方と思うが︑木下氏の考えはそうでは

なくて︑一方で輸入綿糸とともに輸出国の社会的価値に輸入量を乗じた積の大きさだけの社会的需要が増加し︑他方

脱落する劣悪生産者とともにかれが従来供給していた生産量にこの国の社会的価値を乗じた積の大きさだけ社会的需

要が減少する︑というものである︒前者と後者とは大きさもちがうし︑また一方が他方を奪う奪われたという関係と

して考えられているわけでもなく︑それ自体として一方は増加し︑他方もそれ自体として減少することになってい

る︒なぜそうなるのか︑理由と根拠を︑また︑どのようにしてそうなるのか︑メカニズムを説明してほしい︒それが

ないかぎり︑要するに︑輸入されたものを生産されるものとみなして︑加重平均方式で市場価値を算出する︑という

(15)

− 1 4 −

結局︑ここで何か﹁論証﹂されたであろうかp木下氏は︑ここで市場価格を﹁市場価値﹂が規定することが﹁さら

に強く論証される﹂と言われるけれども︑決してそんなことが論証されることにはなっていない︒ここでは︑市場価

値が﹁等式﹂で示される理由︑根拠は伏せられたまま︑市場価値は﹁等式﹂に従って与えられることが前提されたう

えで︑﹁市場価値﹂が﹁等式﹂に従って説明されただけにすぎない︒

木下氏の等式によって与えられる﹁輸入国市場価値﹂が意味するものは︑輸入I生産とみなす理由︑根拠の不明な

かぎりでは︑また︑﹁市場価値﹂と市場価格の関係が不明なかぎりでは︑つぎのことくらいにすぎないと思う︒すな

わち︑輸入国に綿糸の大需要家が一人いて︑この大需要家が国産の綿糸はもちろん︑輸入綿糸もすべてを一人で購買

するとしよう︒そうした場合に︑かれが国産綿糸はすべて金三○gで購買し︑輸入綿糸はすべて金二○gで購買した

とする︒そのときに︑かれが︑金三○gに国産綿糸の生産I購買量を乗じた積と金二○〃に輸入量を乗じた積とを加

えた和を国内購買量と輸入量との和で除してその商を求めれば︑これは綿糸一単位が平均いくらで購買できたことに

なるか︑という計算をしたことになる︒木下氏の﹁輸入国市場価値﹂は綿糸の大需要家に代ってこうした計算をして

やったにすぎないものとしか思えない︒しかしそれなら市場価値とは無縁のものである︒ にすぎない︒

⑦(6)(5)(9(3)②(1)

木下悦二﹃資本主義と外国貿易﹄一六七ページ︒

同書同ページ︒

同書同ページ︒

同書一六七一六パ

同書一六八ページ︒同書一六八l工公

同書一七四ページ︒ 同ページ︒一六七一六八ページ︒一六八一六九ページ︒

(16)

− 1 5 −

つぎに綿糸輸出国の場合である︒

﹁A国においては︑綿糸の市場価値は二○であり︑それは金二○3によって表現されている︒この綿糸はB国に輸

出されるとB国で金三○3で売れるのである︒もしこの国において競争が自由であるならば︑したがって貿易が一部

の資本家によって独占されていないならば︑綿糸を生産する資本家は貿易によって綿糸を金三○3で売り︑金一○夢

もの超過利潤を得ることができるにもかかわらず︑みすみす自国内で金二○〃で売ることはないであろう︒そのため

綿糸の輸出量は急速に増加し︑また反対に国内に供給する綿糸の量は減少し︑かくて国内の需要に対して供給は過小

︵1︶となり綿糸の価格は騰貴するであろう︒﹂

輸出︵I輸入︶綿糸が金三○〃で売れ︑かつ売れつづけること︑つまり価値通りの交換が前提されているが︑しか

し︑輸出︵輸入︶量の増加とともに︑金二九3︑金二八3︑.⁝⁝:︑というようにだんだん下落するのではないだろ

うか︒輸出︵輸入︶量の増加にもかかわらず︑金三○3で売れつづけるというのであれば︑輸出︵輸入︶量の増加に

見合う需要量の増加がなければなるまいが︑そのような説明は見当らない︒

﹁しかし輸出増加に伴うこの価格騰貴が市場価値以上に出る市場価格の一時的な騰貴ではないとすれば︑市場価値

の騰貴は如何に説明されうるであろうか︒A国の綿糸は本来二○の価値しかもたないにもかかわらず︑B国に輸出さ ㈲同書一六九ぺ︲⑨同書同ページ︒⑩というのは︑等奎というのは︑等式の右辺の第一項は輸入国の社会的価値に生産量を乗じた積であるが︑この生産量には脱落した劣悪生産者の生産量は含まれないとされていると思われるからである︒ 同書一六九ページ︒

(

(17)

− 1 6 −

れれば︑九○の価値をもつものとして通用する︒綿糸に関しては︑A国の二○労働日がB国の九○労働日に換算され

ているにもかかわらず︑世界市場においてはA国の一労働日が︑B国の三労働日と等しい貨幣額で表現される等しい

国際的価値を生むという関係にあるために︑綿糸はB国では金三○〃の価格で売れるのであるから︑A国の紡績資本

家にしてみれば︑自己の綿糸が実は九○の価値あるものとしてB国において実現したものではなく︑単に三○の価値

において実現したことになるわけである︒三○3の金と交換されたのは決してA国資本家の詐欺ではなくしてB国に

おける価値法則の貫徹の単なる結果なのであるから︑A国綿糸の市場においてはこの輸出の増加があたかも三○の個

別的価値をもつ商品が増加したのと同様の影響を及ぼすのである︒輸出の増大はかくして︑従来より劣悪な条件下の

生産物が増加した場合のごとく︑中位的条件よりも劣悪な極端に近い条件の下での個別的価値に一致することにな

る︒これがどの程度中位的条件から背離するかは輸出の伸張の状態に依存している︒なお︑市場価値総計が社会的価

︵2︶値総計を上回っても︑すでにみたように︑市場価値そのものの騰貴を否定する理由にはならない︒﹂

金三○gで売れつづけるとの前提ではなしが進められているが︑それが問題であることはすぐまえに指摘した︒つ

ぎの問題点であるが︑すでに︑﹁輸入国市場価値﹂のさいにも見たと同じ問題がある︒すなわち︑一方で金三○3で

売れつづけると前提しておきながら︑他方で市場価値はどうなるかを追求するという理解のできない仕方である︒

換言すると﹁市場価値﹂と市場価格の関係はどうなっているのか︑という問題である︒それはともかく︑この個所で

いちばんの問題は︑﹁A国綿糸の市場においてはこの輸出の増加があたかも三○の個別価値をもつ商品が増加したの

と同様の影響を及ぼす﹂と言われることである︒これは重大な発言である︒それにもかかわらず︑その理由がはっき

りしない︒文章表現のうえでは︑﹁三○夢の金と交換されたのは決してA国資本家の詐欺ではなくしてB国における

価値法則の貫徹の単なる結果なのであるから﹂となっていて︑理由が示されているかたちをとってはいるけれども︑

これは︑﹁前提により金三○3で売れつづけるとするときには﹂というほどの意味しかもたないものであって︑とて

(18)

− 1 7 −

すなわち︑﹁同様の影響﹂というのは︑等式について見れば︑A国市場価値の水準決定のさいに︑分母において︑

輸出量も参加し︑分子において︑輸入国・社会的価値に輸出量を乗じた積が追加されることを意味している︒そこで

問題は︑金三○gで輸出されたなら︑どうしてこういう﹁影響﹂をもつと考えることができるか︑ということであ

る︒輸出されたということは︑ひとつにはすでに販売はすんでしまったということであり︑もうひとつにはその販売

が自国の市場ではなく外国の市場でなされた︑ということにほかならない︒ところが︑﹁同様の影響を及ぼす﹂とみ

なすこと︑すなわち︑﹁等式﹂によって計算するということは︑外国市場ですでに販売ずみの商品を︑もういちど自

国へつれもどしこれから自国市場で販売されようとする段階へ引きもどす︑つまり︑外国市場で販売されたものを自

国市場で販売すべきものとみなす︑ということを意味するが︑それは金三○夢で輸出されたということ︑ならびに︑

金三○夢は価値三○である︑ということと何の関係もないことである︒ もこの発言の内容の理由であるとは思えない︒A国においては︑金一gの代表する国民的価値が一であるとはじめに想定したのであるから︑金三○gは三○の価値を代表するものであるということはよくわかるけれども︑だからといって︑A国で生産された綿糸が︑金三○gで売れたなら︑その綿糸がA国で個別価値三○のものとして生産されることと同じになると言われるのであれば︑とてもそんなことは理解できない︒そのわけはいまから述べよう︒そのまえ

︵︽︒︶に﹁同様の影響﹂の内容をはっきりさせておこう︒それは後にでてくる等式を参照すればよい︒

あるいは 罫庄圃計轆宙崗IL閏旺個卜膵冊侭自侭Ⅸ咽圃隠側脚什騨陽旧卜膵俳医自圃Ⅸ騨陸卿1画函渇訓跡十罫氏卿

罫監圃・洋恥罫宮崗諺錨十劃田洋砂野宮両蜥幾×罫匪剛謬酬即郷

(19)

− 1 8 −

﹁以上国際交換に伴う輸入国の市場価値の下落と輸出国の市場価値の騰貴という両国における市場価値の変動を通

じて︑両国の市場価値は一致する︵勿論ここでは運送費用その他を考慮していない︶︒逆にいえば︑両国における市

場価値の変動は︑両国における市場価格lこの場合の市場価格はいうまでもなく市場価値の貨幣的表現であるが

lが一致するまで継続するのである︒なぜなら両国における市場価格の相違は︑直接的には輸出国における国内市

場の価格と輸出市場の価格の相違として現われるからであって︑そしてこの相違が続くかぎり︑さきに述べたごとき

︵ロ4︶市場価値の変動は続くであろうからである︒﹂

ここに至るまでのところでは︑﹁市場価値﹂と市場価格の関係が必ずしもはっきりしないのであるが︑ここではそ

れが明言されている︒すなわち︑市場価格は市場価値の貨幣的表現であって︑輸出国の市場価値は輸出国における国 木下氏は︑ここで︑市場価格の騰貴が﹁市場価値﹂の上昇によって規定される︑ということを説明しようとされているわけであろうが︑結局何も説明されたことにはならないわけである︒

木下氏の﹁輸出国市場価値﹂の等式の意味するものは︑輸出︵販売︶されたものを自国市場で販売すべきものとみ

なす理由・根拠が不明なかぎり︑つぎのことくらいにすぎないと思う︒すなわち︑輸出国の綿糸生産はひとりの大生

産者が全部を引き受けていて︑この大生産者が一部を輸出し︑輸出量のすべてが金三○gで売れ︑残りは国内の需要

にまわし︑これはすべて金二○yで売れたとする︒そうすると︑この大生産者にしてみれば︑金二○厚に国内販売量

を乗じた積と金三○gに輸出量を乗じた積とを加えた和を国内販売量と輸出量との和で除したならば︑綿糸一単位あ

たり平均いくらで売れたことになるかという値を求めることができる︒木下氏の﹁輸出国市場価値﹂が︑何か意味を

つものとして考えられるとすれば︑こんなものであろう︒しかし︑それは市場価値とは無縁のものである︒

木下氏による﹁輪入国市場価値﹂と﹁輸出国市場価値﹂とをそれぞれ見てきたわけであるが︑氏は両者を総括して木下氏による﹁輪入﹇

つぎのように言われる︒

(20)

− 1 9 −

内市場の価格となり︑輸入国の市場価値は輸入国の国内市場の価格︵直接的には輸出国の輸出市場の価格︶となる︒

しかし︑そうなると︑﹁金三○3で売れる﹂という前提はどうなるのか︒また︑﹁金二○3で買える﹂という事実上の

前提はどうなるのか︒金三○3で売れるのかそれとも輸入国市場価格で売れるのか︒また金二○夢で買えるのかそれ

とも輸入国市場価格で買えるのか︒輸入国市場価格で売れるというのであれば︑金三○gで売れるという前提でその

値のきまる﹁輸出国市場価値﹂はどうなるのか︒また︑輸入国市場価格で買えるというのであれば︑金二○夢で買え

るという事実上の前提でその値のきまる﹁輸入国市場価値﹂はどうなるのか︒木下氏は︑﹁両国における市場価値の

変動を通じて︑両国の市場価値は一致する﹂と言われるけれども︑そのまえに両国の﹁市場価値﹂の存在そのものが

しかし︑ともかく両国の市場価値が一致するとしよう︒﹁市場価値﹂は両国にとってどんな意味があるだろうか︒

まず輸出国では︑外国市場で金三○夢で売り金一○夢の超過利潤をあげるA国の販売者の一部は︑自国市場で金二○

3で売り平均利潤しかあげていないA国の販売者の他の一部に対し︑かれの取得した超過利潤の一部を差し出し︑超

過利潤を平等に分配するということを意味するであろう︒そして︑その分配の仕方は︑外国市場向け販売者は販売価

格を金三○3以下に引き下げ︑内需向け販売者はそれを金二○夢以上に引き上げ︑両者が同じ価格で販売するという

ものであることを意味するであろう︒しかし︑こんなことが起りうるだろうか︒外国市場向けの販売者が超過利潤を

入手するのは金三○gで売るからであるが︑これを分配するためには金三○9以下で売らねばならない︑ということ

になっている︒だから︑分配するために価格を下げれば︑分配すべきものそのものが減るではないか︒結局︑疑問

は︑綿糸は金三○gで売れるのか︑それとも﹁市場価値﹂価格で売れるのか︑ということである︒木下氏の議論は︑

同じ綿糸が金三○夢で売れると同時に金三○9以下で売れる︑という絶対にありえないことを主張されているとしか 変動を通じて︑蚕怪しいのである︒

思えない︒

(21)

‑ 2 0 ‑

他方︑輸入国では︑国際市場で金二○夢︵金三○夢ではない︒金二○gである︒木下氏は輸出国は金三○夢で売る

と明言しておられるけれども︑取り扱いのうえでは輸入国は金二○gで買えることになっている︶で買い金一○gを

節約できるB国の購買者の一部は︑自国市場で金三○3で買うB国の購買者の他の一部に対し覇かれの節約分の一部

を差し出し︑節約を平等に享受することを意味するであろう︒そしてその仕方は︑国際市場での購買者は購買価格を

金二○夢以上に引き上げ︑国内市場の購買者はそれを金三○g以下に引き下げ︑両者が同じ価格で購買するというも

のであることを意味するであろう︒しかし︑こんなことが起りうるだろうか︒国際市場の購買者が節約できるのは金

二○gで買うからであるが︑これを分配するためには金二○夢以上で買わねばならない︑ということになっている︒

だから︑分配するために価格が上がれば︑分配すべきものそのものが減るではないか︒結局︑疑問は︑綿糸を金二○

gで買うのか︑それとも﹁市場価値﹂価格で買うのか︑ということである︒木下氏の議論は︑同じ綿糸を金二○gで

買うと同時に金二○9以上で買う︑という絶対にありえないことを主張されているとしか思えない︒

さらに︑両国を総合すると︑金三○夢で売る︵買う︶のか︑それとも金二○夢で買う︵売る︶のか︑という重大な

疑問が生ずる︒木下氏は︑おなじひとつの取引で輸出国は金三○gで売るものとし︑輸入国は金二○3で買うものと

するという絶対に両立しえない仮定をたてておられるとしか思えない︒

以上︑木下氏の﹁輸入国市場価値﹂と﹁輸出国市場価値﹂をそれぞれ見てきて︑それが市場価値とは無縁のものと

思われることを述べてきた︒つぎに両者を総括してみると︑市場価値の考え方に照らして︑さらに奇妙なことが浮び

上る︒言うまでもないことであるが︑輸出と言い︑輸入と言っても︑ひとつのおなじ取引を売る側︑買う側それぞれ

の立場から見たものであって︑そこに二つのべつくつの取引があるわけではない︒ところが︑ひとつのおなじ取引量

であるものが︑﹁輸出国市場価値﹂の等式のなかに︑いちど輸出量として顔を出し︑こんどは﹁輸入国市場価値﹂の

等式のなかに輸入量としてもういちど顔を出している︒こうして︑木下氏の﹁市場価値﹂では︑貿易品は輸出国の市

(22)

− 2 1 −

場価値形成に参加すると同時に輸入国の市場価値形成にも参加する︒ところで︑商品が個別価値を担って市場価値の

形成に参加するということはどういうことなのか︒それは︑一方ではその商品種類に費された社会的費用全体の一部

としてその個別的費用︵価値︶が算入されるということであり︑他方ではその個別的費用にかかわりなしに平均費用

︵社会的価値Ⅱ市場価値︶の支払いをうけるということであろう︒ところが︑木下氏の﹁市場価値﹂によれば︑貿易

品は費用として二度算入され︑支払いも二度受けるということになる︒こうした特別の取り扱いをうけるいわれも説

明のほしいところである︵説明のできるはずがないとは思うが︶︒

①木下悦二前掲書一七○ページ︒②同書一七○一七一ページ︒

⑥同書一七四ページ︒④同書同ページ︒

﹁さきの設例にもとづいて︑A国においては︑平均利潤率が二五%であり︑綿糸の費用価格が金一六gでありとす

れば︑金二○写は綿糸の生産価格である︒この綿糸がB国に輸出され︑金三○gで売却されるとすると︑この綿糸に

関するかぎり︑A国の資本家は金一○夢ずつの超過利潤をあげえたことになり︑A国の紡績資本家は挙って輸出を試

みるであろう︒したがってA国の綿糸の市場価格が騰貴して︑たとえば金二四夢となったとすれば︑綿糸生産部門の

平均利潤率は五○%になる︒勿論︑この部門の個々の資本家をとってみれば︑六○%の利潤率をあげているものもあ

れば︑三○%のものもあるであろう︒それにもかかわらずこの国の平均利潤率二五%より平均利潤率の高いこの部門 の検討にかぎる︒ 一一一

つぎに生産価格の法則へ移る︒ここでは輸出国と輸入国の両ケースが述べられているが︑本稿では輸出国のケース

(23)

− 2 2 −

には︑A国の他の部門の資本が流入するだろうというのは全く確実なことである︒それによってA国総資本の新しい

︲︵︒且︶部門別の配分が行なわれる︒ここまでの展開については何の異論も起こるまい︒﹂

いや︑異論がある︒まず小さな異論として︑﹁市場価値﹂の検討のさいにすでに指摘ずみのことをくりかえすことに

なるわけではあるが︑もう一度言っておこう︒﹁この綿糸がB国に輸出され︑金三○夢で売却されるとする﹂という

仮定は非現実的である︒綿糸は︑金二九夢︑二八g︑.⁝⁝:︑というふうにだんだん価格を下げなければ︑B国市場

に割り込めないだろう︒だから︑﹁この綿糸に関するかぎり︑A国の資本家は金一○gずつの超過利潤をあげえたこ

とに﹂なると仮定することも非現実的である︒A国の資本家のあげる超過利潤も︑金一○gではなく︑九夢︑八夢︑

..⁝・⁝︑というふうにだんだん減少してゆくであろう︒

つぎに大きな異論がある︒はじめに︑A国においては平均利潤率が二五%であると仮定しておいて︑つぎに綿糸生

産部門の平均利潤率が二五%から五○%へと引き上げられたにもかかわらず︑その後においてもこの国の平均利潤率

が以前とおなじ二五%にとどまっていることである︒綿糸生産部門の平均利潤率が一宝%から五○%へと引き上げら

れたならば︑そのことのためにその国の平均利潤率はある程度引き下げられると見なければならない︒それはこうい

うことである︒綿糸生産部門の平均利潤率が二五%から五○%へと引き上げられるためには︑綿糸生産部門の利潤量

が増加しなければならない︒それは金二○夢の生産価格が金二四夢の市場価格へ騰貴することによって増加する︒綿

糸生産部門は四夢の超過利潤を手に入れる︒この超過利潤はどこから支払われるのか︒木下氏によれば︑その源泉は

すべて輸出超過利潤︵金一○g×輸出量︶であるが︑そうしたことのありえないことは﹁市場価値﹂の検討のさいに

指摘しておいた︒それではいったいどこから支払われるのか︒それは︑輸出向け綿糸については外国の購買者が支払

う︒しかし内需向け綿糸についてはちがう︒これは直接には国内の綿糸購買者が支払う︒結局のところだれが支払う

かというとこうである︒綿糸価格の騰貴は諸資本の利潤に対してさしあたり異った影響を及ぼすが︑しかし諸資本の

(24)

− 2 3 −

競争により︑つまり資本の移動により︑結局のところ︑費用価格に対して綿糸価格の騰貴の影響の大きい商品の価格

騰貴とその影響の小さい商品の価格下落が起り︑利潤率が平準化するが︑その水準は内需向け綿糸のあげる超過利潤

に見合うだけ低下する︒このようにしてこの国の資本家全体が平等に負担するわけである︒こういうわけであるか

ら︑綿糸生産部門の利潤率が二五%から五○%へ引き上げられるとするならば︑そのためにある程度この国の平均利

潤率は引き下げられると見なければならない︒

さて︑木下氏は︑紡績資本のあげる高い利潤率は平均利潤率を引き上げる︑と言われる︒

﹁今この綿糸の両国における生産価格がいずれの国においても綿糸の社会的価値に一致すると仮定する︒生産価格が

市場価値に一致するという仮定は︑この部門の資本構成が両国における平均的な資本の有機的構成に一致するという

仮定から出てくるものである︒したがって︑この場合には︑両国の紡績資本はそれぞれの国の平均的資本構成に一致

すると仮定するだけで充分である︒かかる仮定によれば︑A国の綿糸の市場価格がB国への輸出によって金二○gか

ら金二四夢に騰貴したことは︑さきの市場価値の法則の分析で明らかになったごとく︑単なる市場価値からの背離で

はなく︑市場価値そのものの騰貴であった︒しかも金二四夢という市場価値の騰貴によってA国の紡績資本は五○%

という高い利潤率がえられ︑この部門への資本の流入をひきおこす︒こうした過程を経て完了した平準化によって︑

この国の平均利潤率が二五%から三二%に高まったとすれば︑A国の綿糸の生産価格は金一二厚となるであろう︒こ

︵2︶れは︵蝿副宮請.紗岳駒十判芯望霊.鮮画駒︶からなっている︒﹂

木下氏は︑紡績資本の高い利潤率五○%は︑この国の平均利潤率二五%を三二%に引き上げる︑と言われるのであ

るが︑私は︑この国の平均利潤率は二五%から動くことはない︑と思う︒その理由を説明しよう︒そのためには紡績

資本のあげる超過利潤をふたつの部分︑すなわち︑輸出綿糸のあげる超過利潤と内需綿糸のあげる超過利潤とに分け

て説明しなければならない︒両者はその作用が異なるからである︒

(25)

− 2 4 −

まず︑内需綿糸のあげる超過利潤の効果を見よう︒さきに見たように︑この超過利潤の源泉はこの国内部の剰余価

値にあり︑この超過利潤の支払いはこの国の内部の紡績資本以外の資本家全部で平等に負担し︑この国の平均利潤率

はその分だけ低下した︒こんどは︑紡績以外の部門から資本が流出して紡績部門へ流入することにより︑この超過利

潤が平準化され︑その結果︑いちど低下した利潤率がもとの水準へ帰る︒どのようにしてか︒それはこうである︒平

準化のために︑紡績以外の部門から資本が流出するが︑そのためにこれらの部門では供給が減少して価格が騰貴する︒

この価格騰貴はこの国の費用価格を増加させる︒他方資本の流入してくる紡績部門では供給が増加して価格が下落す

る︒この価格下落はこの国の費用価格を減少させる︒結局︑この国の費用価格は増加と減少が相殺されて変化しな

い︒そこで︑紡績部門では︑販売価格が下落するから利潤率は低下し︑紡績以外の部門では︑販売価格が騰貴するか

ら利潤率は上昇する︒両部門の利潤率はあるところで一致するが︑そのときには平均利潤率が引き上げられている︒

つまり︑内需向け綿糸のあげる超過利潤は︑いちど引き下げた平均利潤率を︑こんどは引き上げてもとにもどす効果つまり︑内需向け姫

をもつわけである︒

つぎに輸出綿糸のあげる超過利潤の効果を見よう︒この超過利潤は内需向け綿糸のあげる超過利潤とは異なり︑こ

れを支払うのは外国の購買者であるから︑この国の平均利潤率に対しては︑これからはじめて関係をもつ・その関係

はこうなる︒この超過利潤をめがけて︑紡績以外の部門から紡績部門へ資本が流入してきて︑供給が増加して価格が

下落するが︑この価格下落の効果は︑外国の購買者が享受するものであって︑この国の費用価格を減少させる作用は

もたない︒他方︑資本の流出した紡績以外の部門では︑供給が減少して価格が騰貴し︑そのために︑この国の費用価

格が増加する︒この場合には︑輸入品の存在を度外視するかぎり︑この国の費用価格はこの国の生産物だけから成り

立つのだから︑販売価格の騰貴する率と費用価格の増加する率はちょうど同じ大きさであるにちがいない︒だから︑

輸出綿糸のあげる超過利潤は︑物価を引き上げるだけであって︑一般的利潤率を引き上げる効果はもたない︒

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