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異文化間コミュニケーション的一考察

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非言語コミュニケーションにおける上・下の概念と具現化

異文化間コミュニケーション的一考察

ジョリー 幸 子

1.はじめに 目的と研究方法

 身体の一部又は全部を使用しての非言語コミュニケーション的表現は大きく分けて三種類あ る。通常一国、又は一民族間といった一文化単位内に存在し、当該文化内では誰にでもその身 体的行動の意味が理解される「表現記号(emblems)」行動と、ある非言語的表現の意味が、そ の行動や動作のみからは、正確な意味合いの理解ができず、言語上の表現(verbal expression)

に付随して使われて、始めて話者の意図が聞き手に通じる「例示子(illustrators)」、そして三つ 目は、ほぼ世界の他民族と普遍的に共通して存在する喜怒哀楽等の「感情表現(emotional behavior)の動作」とに区別される。

 漢語表現の「叩頭」は「頭で地をたたく意、頭を地につけて拝礼すること」1と説明されて おり、日本語でも[k6t6]と発音されて、存在することが解る。又、この語彙は現代英語にも外 来語(loaned word)として採用されており、【kauttiu]又は[kaut4u]と発音され、 a profound bow(with the head touching the ground) 2と定義されている。

 従って上記のような空間を上下に使用して具現化した「叩頭」行動は、emblem動作ではある が一国、一民族を超越して、物理的に頭を上から下に向かって複数回下げることによって、概 念的には自己を極端に謙譲し、相手に高度の尊敬度、または嘆願の意を示すほぼ普遍性を伴っ たemotional behavior的仕草、即ち具現化の一つの例と考えられる。

 日本を始めとする他の東アジアの国々に見られる「縦社会」においては言うまでもなく、欧 米における通常「横社会」と呼ばれる社会においても、非言語表現上の分析を通して見る上・

下の概念的特徴とその物理的表現方法のあり方を記述、分析するのが小稿の目的である。方法 は先行研究を基盤に、筆者独自の見聞と考えを合わせて、日本と諸外国の概念的縦関係と、結 果として起こる上・下空間の具現化について考察する。

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L先行研究

 非言語コミュニケーション(Non−Verbal Communication)の分野は、コミュニケーション学 の中でも言語コミュニケーション(Verbal Communication)と比較すると、そのサブカテゴリー に関する研究が開始されてから、比較的時間が浅いため、上・下の空間についての概念とその 概念に付随して表れる人間、或は動物の社会行動パターンについての研究は比較的数が少ない。

 上下の空間のNonverba1行動についてNorthern lllinois大学のスティーヴン・カーン教授

(Stephen Kem,1943〜)はヨーロッパ人の普遍的な垂直的方向概念に関して、飛行機を例に 挙げて次の様に供述している。3

    飛行機の文化的な影響は、つまるところ上下軸につながるような、まことに根の深い     価値観によってきわだつことになった。下は不道徳、卑俗、貧乏、偽りのイメージに     つながり、上は成長と希望の方向であり、光の源であり、天使と神々の住まう場所で     ある。オヴィディウスからシェリーにいたるまで、舞い上がる小鳥は自由の象徴で     あった。

 日本語の待遇表現の中に、上下に関する尊敬語、謙譲語表現は数限りなく存在するが、その ようなverbalな表現に伴うnon−verbal行動的実例を三つ列挙する。4

例1

例2

ハワイ大学の大学院講座専任助教授になったホヤホヤの頃、たまたま上司である学科 長が、日本語に強い東大卒の中国人であったことから、一階の彼の執務室に、三階の 私の研究室から学内電話をしました。「今から、先生のオフィスに『参上』したいので すが。」返ってきたのは「どうぞ、下に上がってきてください!」と言うユーモラスな 言葉でした。空間の使い方や感じ方についても、異文化間では異なります。ある事項

/事象がA国では肯定的な印象を与えるのに対し、同じ事項/事象がB国の事情によ り、全く反対の否定的な価値観で受け止められることがあるということです。

今から遡ること約二十年、昭和天皇・皇后両陛下がアメリカへ行幸された折のこと、

帰路の途中ホノルル空港へ降り立たれた天皇に、日系州知事のジョージ有吉氏夫人の 上品な対応に救われた気持ちがしました。歓迎の「レイ」を持った夫人は、[通常行 うように、相手の頭の上から熱帯の草花を輪にした形のレイを下に降ろして相手の首 にかけるという動作ではなく]予め解いてあった[両端の]結び目を両方の手で[一 つずつ]持ち、膝を少し折り曲げて陛下の視線を遮らないようにし、斜め前から、陛 下のお首の後ろに回して結んで差し上げる、というボディーランゲージで、筆者をは じめ、このような[上下の]空間の使い方に興味を抱く者達をすっかり感心させたこ

とです。

現在もヨーロッパの王候、貴族をはじめ外交辞令のプロトコールの一端としての上・下の非

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言語行動について、

例3

     ジョリー°は

空間の分野においては、平面上における縦、横の両軸、そして高さ、低さといった立 体面が考えられます。世界の多くの国や民族の問でも、社会的、人間的身分が存在し、

それらの人々に対しての相互の言動はそれぞれの国の地勢、環境、歴史、宗教などと いったいくつかの条件によって、特徴づけられます。

 顕著でわかりやすい例をあげますと、イギリスをはじめとするヨーロッパの伝統的 礼儀の一つとして同じ王室同士の間での儀礼においても、目下(若輩)であるプリン セス(皇太子妃)が、他国の王/天皇の面前では、片膝を曲げ、自身の体位を低くし、

目は相手を見上げて[直視しながら]挨拶するのが彼女らのプロトコールです。さら に正式になると、ロングドレスの端をつまみ、完全に片膝を床に付け、もう一方の足 を後ろに流して、それでも上半身は直角にして、頭を上に向け目はしっかり相手を見 つめて、敬意を表する「カーツィー(curtsy)」という儀礼が現在でも使われています。

皿.縦社会、日本の上・下の概念と具現化

 我が国の上下に関する社会規範は、五世紀初頭応紳天皇の頃に、中国の儒教の渡来以降、「仁、

道、忠」の三教訓を採用することにより、その基礎ができたと言えよう。日本は古来より政治 的には天皇制のもと、惰、唐にならって既に7世紀中葉から形成された、朝廷における公家を 中心とした律令政治体制を敷き、中央集権国家統治のための基本法典とした。これらの体制は それ以降も今日に至るまで我が国の政治、官僚体制はもとより、社会的行動の基盤、特に日常 の生活においては年齢、性別、役職、家族、親族、或は企業面での商取引関係、学校でのクラ ブ活動等に至るまで、その構成員間での明確な目上、目下の概念を植え付け、人々の日常言動 の規範となったのである。

 言葉による上下表現に伴う非言語的行動様式を分析、理解するためには、先ず言語によって 表現される上下の相違を考慮する必要性があると考えられる。上記の儒教思想が日本の社会に 深く根付いたことにより、以下のような幾つかの現象が現れた。

  1.年齢については学校、企業、官庁においても「先輩」、「同輩」、「後輩」による上下の     相違が存在するようになった。

  2.性別においては「女は三界に宿無し」、「妻は夫に従い、老いては子に従う」等の言い     まわしが存在することからも理解できるように、「男女共同参画社会」を構築しようと     政府、自治体、或は数多くの任意団体までがこの21世紀になっても音頭を取らなけれ     ばならない程に、男尊女卑の上下思想が奥深く日本文化の中に浸透している。

  3.役職においては、企業では会長から係長まで、大学では総長又は理事長から助手まで     明確な肩書きがあり、その上下により、「だ体」、「です・ます体」そして「ございます

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 体」に分類される言葉遣いは勿論のこと、朝夕の挨拶、仕事中の書類のやり取りのた   めに使う片手、両手の扱いに至るまで、上下関係への表示であるemblem行動は明確に   区別されている。

4.家族間関係では、長男、末っ子、叔父(叔母)、伯父(伯母)の区別など、特に家督相  続の行われる父系社会(patriarchal society)の特色としての、上下の差も明確に等級  付けられてきた。当然のことのように、長男の嫁の方が次男の嫁よりも年下であった   としても、男性中心の父系社会制度の中では「長男」の嫁の方が「目上」と見なされ   て来たのである。

5.企業、官庁の社会構造においても同様の現象が観察される。「上意下達」、「下請け工  場」等の用語で、上下が区別される。これは単に日本国内だけの規範ではなく、海外   に在住する日本人間の行動においてもより厳しいルールとなっていることが多い。男  性上位の日本人社会の規範が海外駐在日本人社会においても、当然のように堅持され   ている。現地における日本企業の夫人達の集まりにおいても、支社長夫人が、たとえ  部長夫人より年下であったとしても、男子である夫の持つ「肩の星の数」即ち役職が  上役であるということにより、若い支社長夫人の方が夫人関係者の間では「最上位」

  として見なされ、彼女達のコミュニケーション行動においても、言語(verba1)及び非  言語(nonverba1)的差異が生まれるのである。

6.日本人の日常用語の中に、上下感覚を用いて地理上の区別を行うことがある。その一  つは「上方(かみがた)」と言う表現である。「上方」については、「明治維新以前、京  都に皇居があったため、京都及びその付近、また、広く幾内地方を呼び習わした称」6   と定義されている。地理的な意味での「下方」という言い回しは存在しないが、代わ   りに「東(あずま)」又は「吾妻(あずま)」という言葉があり、「特に京都から見て関  東一帯、あるいは鎌倉、江戸をいう称」7とある。興味をそそるのは、今日でも京都、

 大阪、神戸近辺の年配の住人達がある種の都人(みやこびと)意識をしているように   観察されることである。時にそれは彼等の言葉遣いの中に「あの東、東夷(あずまえ   びす)が…」という表現として耳にした経験があるが、その意図は「京都の人が、東   国の人、とくに東国の武士の無骨で粗暴なのを嘲笑っていった話」8として、朝廷を中  心とした雅(みやび)文化への歴史的優越感から、現在でもなお言の葉として使用さ   れることを知った。特にそれが「あずま・えびす」でなく「あずま・えべす」と発音   されると、軽蔑の念がより強調されるとの説明を大阪外国語大学のY教授から聞いた   ことがある。

上記の「上方」と「東えべす」は日本を歴史的な経緯からみて、京都(近畿)文化に 視点を置いた、地理上の概念に反映した表現ではあるが、ちなみにこれに類似した言 い回しに「近江」9と「遠江」とがある。西暦645年に実施された「大化の改新」後、

時の皇太子、中大兄皇子は即位後天智天皇(てんじてんのう)として近江国滋賀の大

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津宮に遷った。琵琶湖に近いの意の「近江」に対し、すぐ後方の比叡山頂から眺めた はるか東方の海を「遠江(とおとうみ)」loと命名したとのことである。これも天皇自 身に「近い」所に存在する江を中心にみたて、遠州灘を「遠い」所と呼称にした一種 の「自民族中心主義」(ethnocentrism)とみなしてもよいのではないか。

 今日使用されている地名「房総(ぽうそう)」半島についても、同様に上下の概念 が都を中心とした ethnocentrismから生じていることが解る。11

    「房総」と呼ばれるのは、千葉県の旧国名「安房(あわ)」「上総(かずさ)」

    「下総(しもうさ)」に由来しています。地図の上では下が上総、 上が下総     になりますが、越前、越後など前後で区分けするのと同様に、国名をつけた     律令時代には都に近い方が「うえ」または「前」とされるからです。

国内の鉄道用語として使用する「上り・下り」の表現は事実上の縦の上下とは別で、

むしろ平面的地勢状の便宜上の分け方と考えられる。その意味上、以下の三つに区別 できる。

①地方から都に向っていくこと。上京。

②京都で、北(内裏の方角)に向って行くこと。

③その路線の起点(原則として東京方面)へ向って行く列車。12

   とあり、語源的には(1)政治文化の中心地として平安時代より19世紀後半ま    で栄えた京都を中心とした見方と (2)明治維新(1868年)後の東京を中心と    した見方の二極的な考え方に区別される。

 以上に見るような日本人の「縦社会」に根付いている上・下の概念は正確に日常社会行動の 挙動の一つ一つの中で、物理的な上・下に反映されるのが一つの特徴でもある。従ってこのよ

うな行動規範を日本人が疎かにすると非常識、或は世間知らずと非難され、何らかの個人的、

集団的制裁を下される可能性とリスクを帯びてくるのである。

 上下の概念を物理的に表現、具現化する行動は日常の至るところで観察される。例えば、そ れらの顕著な例として伝統芸能の一つである茶華道などの家元、宗家においては草履、靴等の 履物の置き場所ですら、家元の履物が最上段に置かれ、家元直下の師範指導者(業躰・ぎょう てい)がその次の段、そしてその下の段に茶名、香(道)名を持つ通常の師匠の履物を置くこ とが習慣であるという。つまり、家元をトップとしたピラミッド型の身分という概念的ラン キングの順位が、そのまま物理的、縦の段階としての垂直線の上下に移行され具現化されてい るのである。

会社組織における上下のランキングを物理的な水平空間に置き換えて考えてみる。例えば、

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会社の役付きによる全体運営会議が開催されたとする。その会議室の横の空間の利用について 一般的に考えられることは、先ず会長、社長等の取締役クラスが占拠する位置であるが、通常 その会議室の一番奥深い位置になる。そして、その次の役員ランクである部長、課長クラスが 部屋の中位くらいに座し、主任や係長等のランクが入口付近に場所をとるであろう。会議室の

ドアの近くにCEOの席を設けることは普通は考えられない。

 日本の企業や大学等の団体、集団で頻繁に実施されるのが職員間の親睦旅行である。例え ば、観光・遊覧バスに乗る時の座席の取り方についても同様に、概念的上下のランクが物理的 な平面空間に移行されていて興味深い。この際、バスの運転手とバスガイド或は、案内役であ る旅行業者の席が最前列であることは業務上当然のことである。そのうしろ、即ち一般客席の 一番前の席は、当該グループの最高ランキングの人間、例えば社長や学長といった人物の為に 空けておき、若手の新入社員や大学機構においては助手レベルの人々が、バスの後席に座する のが一般的な行動パターンであると観察する。

 歴史的な観点から見ても日本の建築物には、上下の階級(概念)を物理的な高さ、低さで表 現している例は多々存在する。天皇、将軍はもとより、大名の座する床も、家来の座する畳や 床板の平面より、より高い位置に設えてあった。同様に一般庶民の伝統的な日本の家屋の和室 の床の間は、その家の家宝や掛け軸、香炉などの貴重な美術品を飾る一種の聖なる場所とし て、一段高くしつらえてある。従って床の間には客が足を踏み入れることはまずない。床の間 の機能の一つは客が、亭主の思い入れで飾ってある美術工芸品を鑑賞するために一段と高くし てある空間である。しかし、床の間の直ぐ前の畳(これを茶道では「貴人畳」と呼ぶ)に座す るよう指示される客(「主客」とも言う)は床の間を背にして座るのが普通である。従って折角 飾ってある美術品に対しては、和室の礼儀としては立ったまま眺めるのは無作法なのでわざわ ざその前で正座し、上半身を前にかがめ、両手手のひら全部を畳の上に置き「拝見」の姿勢に して鑑賞しない限り、見ることができないという理不尽さがある。林13は伝統的なもてなしに ついて、和室における上座、下座に関して以下の様に述べている。

    言うまでもなく、客は上座へ通すのが日本のしきたりである。その結果として、客は     床の間に最も近いところに位置しながら、実は最もそれ[文物、家宝等]が見づらい     位置を占めることになる。客がその位置で床の間の飾り物を鑑賞しようとすれば、手     を付いて体をひねり無理な姿勢をとらなくてはならなくなる。上座はありがた迷惑な     のであり、その家の主人にとっても本意ではないはずである。

 伝統的な日本文化の中での上下の表現とそれに付随する行動の習慣について、更に考えてみ る。日常の集いや寄り合いの中で、日本人は兎角、自分がどの位置(又は順番)に座るべきか、

その会の趣旨、周囲の人々の中での自身の社会的地位等を考慮し、適切な場所、或いは謙譲の 美徳を悟っていることを表すために、意図して中心的位置を他人に譲ろうとしたりする。その

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様な時に上座に着いたものが発する言葉が「高い所から失礼します」等の挨拶表現である。「高 い所」とは物理的な上下を指すのではなく、そのグループの一番長(おさ)とされる人物の座 る位置の意味である。例えば、14世紀の室町時代「東山文化」の頃から16世紀の桃山時代にか けて創生されたとされる14香道においても「香莚(こうえん)」と呼ばれる香の会では、亭主で       

ある「香元」が立てた香炉を、客の座席の順番で「上客(しょうきゃく)」から始まって次客、

三客、末客まで次々と香を聞きながら回し送りする。ここでも、「上客」が客の中では、最年長 者或いは社会的に地位の高い人望のある人物が指名されることが多い。

       

 茶道においても同様で「正客(しょうきゃく)」から始まり、最後の「詰(つめ)」の客まで 抹茶がふるまわれるが、ここでも正客が長老又は社会的地位の高い人物であることには変わり ない。「詰」の人物は、亭主の助手役である「半東(はんとう)」との茶室内での口上や道具扱 いの面でのやり取りに関しての決め事があるため、茶道における点前や飲み方の作法やプロセ スをある程度心得た客が指名されることが多い。 どちらにしても、これらの日本の多くの伝 統芸能の場においては、同席した客のあいだで何らかの明確な「上下」の順番が付けられ、欧 米の社交的集会やパーティーには余り予期されない格付け(概念)と分相応の(物理的)位置 について暗黙のルールが存在する。

 茶室への入口は通常 「隅口(にじりぐち)」と呼ばれるほぼ正方形に近い小さな出入口であ る。そのサイズは高さ1尺2寸余り(約72センチ)、横2尺1寸くらい(約69センチ)が標準 とされている。15この踊口からの入室以前に、武士はその命ともされる刀を、側にある「刀 掛け」に預け、丸腰で入る。即ち武士も町人も共に茶室という平等の空間に入るためには、

「概念」としての封建的身分の高低を、一時的に忘れることを余儀なくされたのである。更に 隅口では、武士も町人も、等しく(物理的に)頭を下げ、 この僅か70センチ四方の狭い入口 で体を小さく丸めて、躍って入る非言語的挙動により入室を許された。これは千利休などが 16世紀の室町時代の末期に、既に茶道の中での「f宅び」の精神に加えて、招待客の間での身 分の上下の相違を廃したデモクラシー思想的概念を「にじる」という物理的動作によって実現、

 具現化させる狙いがあったものと伺われる。16

 一方書物、書簡等の文物においても、権威を象徴する空間の上下の使い分けが観察されて興 味深い。前述の如く、日本人は中国の儒教思想の影響を強く受け、封建的社会は勿論のこと、

21世紀に入った今日までコミュニケーションの相手が目上の、特にそれが高貴な身分であった り、官僚、役人などであれば、尚更、その身分の「高さ」を文物の物理的上部を使用して非言 語的意味合いを表現する。日本では古代より、右側から左へ進める縦書きを基本としたため、

葉書文を始め、手紙の末文にも受取る相手の名を文面の左上部に記し、送り手である自身の名 は相対的に右下に書く。封筒書きに関しては更に、

   1.表と裏を使い分け、表に受取り人の住所、名前を書き、自身の住所、名前は裏に書

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  く。

2.表の受取り人に関する文字のサイズ(フォント)は、通常裏の文字よりも大きい。

3.表は封筒表面の右側寄り17スペースから書き始め、裏には心理的謙虚さを表現する   ために中央又はやや左寄りに小さく書く。

 上記の日本式の「相手の名が上」の概念、しきたりは横書きのアルファベットによる欧米式 の封筒書とは正反対であるため、外国との文書交換に慣れていない日本人は当初は自分の名を 左上隅に書き、相手の名前や住所を横長封筒の中央右下の位置に書くことをためらうのではな いか。事実、筆者の母親もアメリカ在学中の娘に宛てた航空郵便用の横長封筒に、娘の名や住 所をローマ字表記で左上に書き、自分の名を右下に書いて投函したため、日本の郵便局は仮に パスしても、アメリカの郵便局では ?マーク の付箋がが付けられながらも、日本製の切手 が貼られているためか、なんとか地球の反対側に住む筆者の手元に何通か届いた記憶がある。

 愛知県の西尾市にあるK寺で保管されている、江戸時代初期の天皇から地方の大名に宛てた 辰翰によると、書き手である天皇自身の名が、(今日我々が書く差出人の名の場所である)左上 部に署名されており、受取り人である臣下の大名の名が下部に書かれているのを見学した。天 皇が戦後の新憲法において国家の象徴となられた今日では、どのような位置付けで公、私文書 を結ばれるのか興味深いところである。

 筆者は、名古屋近郊のある工業都市の市役所の国際交流課で講演を行った後、市の主催する 夕食に主賓として招待された。和室に案内されたので、茶道等で実施される慣習通り床の間の 前の「貴人畳」に座るのであろうと内心予測していた。しかし、講演を企画した担当者で案内 役であるベトナム出身の男性は、筆者に入口の襖のすぐ内側に座るよう指示したので、一瞬戸 惑ったが、言われるがままにその位置に座った。直後入室して来た市の役人達は主客である講 師が入口に座っているのを見て、怪言牙な顔をした。すると担当のベトナム人は「講師の先生が お手洗いに立たれるのに便利な場所が良いと思いまして」と説明した。改めて権威の座よりも 機能の質を考えさせられた経験である。

 日本人にとっては、床の間は聖なる一段高い空間であるが、外国人にとっては上述の如く、

それは同時に多目的を持つ便利な空間に変身する。ハワイ諸島の中心的存在であるオアフ島の ワイキキの一隅に日本の茶道の一流派が建てた茶庭付きの茶室があり、世界中からこの常夏の 島に集まる一般の観光客に対して、茶の湯のデモンストレーションのサービスを実施してい る。北欧から来島したという若い母親が、一歳に満たない乳児を床の間の上に寝かせ、おむ つを取り替え始めた。筆者は慌ててその母親に、床の間は貴重品を飾る聖なる場所ゆえ、乳児 を降ろすように指示したが、彼女はこの高い床の上に寝かせたほうが、おむつを交換する動作 が楽にできるからと言って譲歩せず、そのまま行為を続けた。これも作業としての機能の方が、

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清く高潔な場所という概念より優先された例である。

 日本国内において、特に国家的視点から観察した上・下について考えてみる。最も顕著で明 確な例は

  1.国旗の掲揚について通常はポール(棒)の最上部に旗を付着し風になびかせるのが万     国共通の慣わしである。しかし、天皇の崩御を始めとする種々の国家的な弔事におい     ては、旗はポールの半分下付近まで降ろされ「半旗」として掲げられる。下方に向っ     て物理的に旗を降ろす(具現化する)ことにより、国民の哀悼の意(概念)を表示す     るのが非言語的行動による意思表示である。

  2.歴史的な視点から見ると、古代の天皇、貴族等の墳墓は前方後円墳に見られるような、

    その多くが周囲に堀を巡らせた平地に造成されたものが多かった。中世、近代になる     と各地域の領主や大名達が城を築くようになった。平野に築城された城郭もあるが、

    他藩からの攻撃を防御する軍策上の理由からも丘陵地や、山頂を利用して築城された     ものが今日でも数多く残存する。彼等は墓の造成に関しても自分達の官位、年齢の     上・下をその山の傾斜面の物理的な上下に移行して置き換えるようになった。

     その例の一つが加賀前田藩、藩主ゆかりの人達の墓石に象徴されている。織田信長     に仕えた後、加賀百万石城主となった前田利家と妻の「まつ」の墓は金沢の野田山の     丘陵地に現存する。利家の墓より更に丘陵を登った上の位置にあるのが、利家の長兄     「利久」の墓である。武道や戦いを好まなかった長兄に代わり、三男である「利家」

    は名にし負う槍の使い手で戦場に出ることを武士の本命とした武将であったため、信     長の命により、前田家の家督を継承することになり、長兄利久は先祖代々住みついた     尾張の荒子城を追われた。 その後、利家は自分が加賀百万石城主となったにも拘ら     ず、年齢の上では年上であった利久の墓の方を丘陵の物理的な上部に造営させたもの     と推察する。

]V.国外にみる概念的上・下の物理的な高低への移行

 欧米のキリスト教の教会の建造物は、日本の神社仏閣の建物とは違い、通常牧師(プロテス タント)や神父(カトリック)が説教をする教卓であるpodiumが一段と高い位置に設えてあ る。これは話しをする聖職者達が、聴衆である信徒達の席からよく見え、又よく聴こえる為と いう視聴覚上の機能にプラスして、天にまします神に向けて、地上の衆徒である罪人(つみび と)を導く仲介の「羊飼い」として、その縦空間の中間に位置している概念的な存在を象徴し ているのだろうと考えられる。

インドネシアのD空港では、出入国審査官の座するデスクが2メートル近くの高さにそびえ、

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その高さ以上の身長がない限り、旅行客は手を垂直に高く挙げて旅券や入国カード等を提出す る。入国審査の一番大切な目的は、旅券の保持者の顔と、旅券内に貼ってある写真とが一致す ることを確認することであると考えるが、D空港では、両者が相互の顔を見るようには設計さ れていない。あの高いデスクは、審査官を物理的に高い位置に置くことにより、その概念的な 権威の高さを象徴するための造りなのであろうか。

 英国の歴史上著名なアーサー大王の例を挙げ、古代ブリテンでの上下の概念とその物理的高 低を考えてみる。King Arthurは6世紀頃Britainを統治したと言われているケルト人の伝説的 国王である。彼は言い伝えによると、戦乱の続く中、部下の騎士たちとより効率的な軍略会議 を持ちたいと考えた。しかし、自分が高い王座に座っている限り、騎士達の忌揮のない意見や アドバイスを引き出すことはできないと悟り、騎士達と同じ高さのフロアに降りて来て座り、

先ず自分の目線を彼等と同等レベルにした。その上に軍略会議のためのテーブルも長方形であ ると、自然に上座下座ができてくるので、考慮の挙句、丸いテーブルを作らせた。長方形の テーブルでは、通常短い方の end side が上位とみなされる。これが後世に言い継がれてきた、

有名な the Knights of the Round Table 、即ち「円卓の騎士達」である。その後約1,500年余 りの年月を経た今日でもアカデミックな学会活動等においても、シンポジューム、フォーラム 等の名称と並んで、 Round Table という呼称で使われている。

 では、現代アメリカは、民主主義国家の代表国であるので、上下の概念とその物理的上下表 現は余り見られないのであろうか?「たて社会」程顕著ではないが、やはりアメリカ人社会に も非言語行動による物理的表現は存在する。その一つの例として、世界最強の軍事力を誇る米 国の国防総省(Department of Defense)の管轄下にある軍隊組織中には、当然ながら厳しい縦 の関係が維持されている。言葉の面の一つの特徴としては、民間のコミュニケーションと違い、

上司に対しては呼称の尊敬詞である「Sir」や「Ma am」を、頻繁に文末に付随させて発話する。

一方非言語行動面で特色ある動作は、軍基地の敷地への出入口に立つ衛兵、哨兵の挙礼のしぐ さである。彼等は一般的に若く、軍隊内でのランクも低地位にある。将校達の乗用車には前部 に身分を示すステッカーが貼ってあるので、衛兵の行う敬礼は右手の指を真っ直ぐ立てて右額

(ひたい)に斜めに置く。一方、兵卒のステッカーを付着させた車が基地の出入口を通過する 時は、衛兵は右手を左胸の前に置いて略式の敬礼を行う。軍の階位である概念の上下が衛兵の 体の上部(ひたい)と下部(胸部)に区別して挙礼される一例である。

 東南アジアの幾つかの国々では相手が神や、国王や高僧などのような非常に高い地位の人物 に対しては、両手の手のひらを額の前で合わせ、合掌する。次に高い身分の客人、目上の友人 などに対しては、顔の中央下付近で合掌し、年下や目下のランクの相手に対しては、胸の前で 挙礼の挨拶をする。これらも身分の高低の概念を、非言語的上・下の動作で使い分けたコミュ ニケーションの技術である。

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 人類の上下に対する普遍的な反応として、先述のStephen Kem(注3)が述べたように「上」

は成長と希望の方向である。従って人は自分や自分の帰属する文化が他の国や民族との問で

「下」方位に認識されることには、絶えがたい屈辱的感情を持つであろう。地球上の多くの先 進国が赤道より北、即ち「上」部に位置する一方、オーストラリアは南半球に位置するため、

いわゆる℃ommon Wealth の1国であり,英語を母国語とする国家でありながら,通常の世 界地図や地球儀の上では常に「下」の位置に印刷される。筆者がかつてオーストラリアを訪問 した際、書店で Up−Side−Down World Map (上下反対の世界地図)を複数枚購入した。当地 図は縦が約80cm、横100cmの青と白の2色刷りのもので、日本を始めアメリカ、英国等の西側 先進国は全て、下半分に描写されている。オーストラリア人自身の主観的見方から考案、企画 されたethnocentric(自民族中心主義的)なユーモア感覚に基づいて作成、販売された地図で、

現在も大切に保管している。

V.終りに

 人間社会に概念的ランクの上下が存在する限り、彼等のコミュニケーションをより円滑にす るための上・下を使い分けた非言語行動活動が存在することを認識し、効率よくそれを駆使す る技術を酒養する姿勢と実行力は、今後世界がよりボーダレス化に拍車をかけていく時勢にお いては益々重要な資質となろう。冒頭に述べた「叩頭」や、今日では日常余り見かけなくなっ た「土下座」を始め、成人が幼児との意志疎通のために、膝を折って、子供の目線と同じ位置 まで自分の身長を低くして、水平なレベルで相手の目を見ながらコミュニケーションを計るよ うに、上下の概念的相違を物理的に対応させていく非言語的行動は、同一文化内でのコミュニ ケーションンにおいては勿論のこと、今後の異文化交流においては、ビジネス、社交を問わず 必要不可欠な知識行動となるであろう。

 以上、日本文化に特有の、或いは外国においても観察される、日常のコミュニケーション活 動において見られる概念的上下が、どのようにして非言語的又は物理的上下の機能に置き換え られて表現されているのかを探求、記述を試みた。非言語コミュニケーションの研究の歴史が 比較的浅いため、列挙した内容がまだまだ充分でなく、限定されているが、今後の課題として 更に広範囲な国々や民族間での行動や習慣、及び価値観にも注意を注ぎたい。

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躍口には挟み敷居と挟み鴨居を取付けて板戸を建てるのが常法である。外側は板張り、内側は枢 と桟を見せ、但し上椎はなく板を打ちのばしのままにし、板は二枚半張りにすること。このような つくりは古い雨戸の一部を切取って活用したところからはじまったと推測され、佗びた心持ちを 表現したものと解することができる。このような踊口の仕様はすでに利休時代に完成していたと 考えられる。

ジョリー幸子(2004)「非言語コミュニケーションにおける『右』と『左』の概念」・『異文化コミュ ニケーション的見地からの他の一考察』愛知淑徳大学論集 コミュニケーション学部篇 第4号

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参考文献

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参照

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