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第一次世界大戦前のオーストリア・
ハンガリーの貿易構造と世界市場
一特に1907年恐慌前後にお・ける構造変化を中心として一
佐 藤 勝 則
出能力に限界が画され,商品輸出市場の膨張主義
1.はじめに 的拡大を前面に押し出すことを特徴とする当該帝 (4)
@本稿は,第一次世界大戦前のオーストリア・ハ 国主義にあっては,何よりも商品貿易の構造と動 ンガリ_の貿易構造を分析することによって,商 態の分析が問題解決の重要な鍵をなすものである 品貿易のレヴェルにおいて当該資本主義の再生産 こと。結論を先取りして言えば・ことに1912年前 構造を規定する世界市場条件を把握することを課 後における当該資本主義の再生産一信用構造の危 題とする。このような課題を設定するねらいは次 機(オーストリア金本位制の軸心をなすオースト
の二点にある。 リア・ハンガリ,τ、銀行・金正貨・外国為替準備
@まず第一に,第一次世界大戦勃発の必然性を国 率の低下と金流出)の起動点は・1907年恐慌前後 際金本位制下の世界市場編成にひそむ矛盾激化の を境とする工業の躍進に伴なって現出してくる貿
うちに展望すべく,帝国主義列強の再生産一信用 易収支の黒字国から大幅赤字国への転換にあり・
構造を,貿易市場連関,金融市場連関によって織 この点からも本稿帰題は全問題解決の一枢要点 りなされる世界市場編成のうちに位置づけようと をなすものであること。
キる最近の研究動向との関連粛特に次の点力・ こうした課題を果すために本稿では・以下の順 強調されなくてはならない。即ち,当該資本主義 序で考察を進めていきたいと思う。まず最初に・
の再生産一信騰湧の危概握は・かの1日麟本 19・2年前後に麺化する当該資本蟻の危機を・
蜍̀のそれと並んでβ型帝国主義国として資本主 国際収支表に総括される各項目の動態を検討する 義の世界体制の支配の最も弱体な環をなす国におL ことによって明らかにするとともに,1907年恐慌 ける矛盾の深化過程把握に他ならず,決定的重要 前後を境とする貿易収支変動の意義を確定する。
性をもつこと。わけても当該資本主義の危機は, 次いで一方では,商品貿易の構造と当該資本主義 セルビァとの利害対抗関係のうちに激成せしめら の再生産構造とを関連づけ,また他方でll昏当該 れて,遂には第一次大戦勃発の直接的契機へと連 資本主義の世界市場上の位置を主要貿易七環節の なるものであること。 うちに確定し,もって貿易収支逆転の内的,外的契
また第二に,これまでの第一次世界大戦原因研 機を歴史・具体的に解明していくこととしたい。
に退けられ,必ずしも科学的に掘り下げられるこ 成のうちに位置づけんとする方法と視角について とのなかったオーストリァ・ハンガリーとセルビ は,吉岡昭彦「帝国主義成立期における再生産一 アとの利害対抗を世界市場連関のうちに究明して 信用構造の諸類型とポンド体制の編成」『資本と いくためには,次の点の解明がまず不可欠である 土地所有』1979年所収を参照。また第一次大戦前 と思われる。即ち,β型帝国主義国として資本輸 の世界市場編成の静態的モデルとしてはレーニン
の古典的研究はもとより,近年では「従属理論」 『資本と土地所有』1979年所収が是非とも参照さ による図式化が試みられている。しかし, 「政治 れるべきである。
経済史」にとっての問題は世界市場編成の動態的 (7)貿易環節論については,名和統一『日本紡績業 把握にある。その点で注目すべきは,ポンド資金 と原棉問題研究』1937年を参照のこと。
循環のメカニズムヲいわゆるソウル・モデル(S.
B.Saul,S3ωdゴe5ゴηBγ舜ゴ5ん0 e7sεαs Tγαde
@ II.第一次大戦前のオーストリア・ハンガ1870『1914,Li verpoo1,1960)を再構成した多角 リー国際収支表分析一利子貢納国家オー的貿易・決済機構のうちに,あるいはさらに帝国 ストリァ・ハンガリーの危機の構造一
主義列強の資本輸出政策を媒介として織りなされ
る国際金本位制下の金融連関のうちに,第一次大 第1表は,19世紀末から第一次大戦直前までの 戦を展望せんとする研究である。さしあたり,藤 オーストリア・ハンガリーの国際収支の項目別構 瀬浩司「20世紀最初の3分の1世紀にお・ける世界 成を5年毎に推計した資料である。貿易収支,貿 貿易の構造」名古屋大学経済学部r調査と資料』 易外収支(以上経常収支)及び資本収支の細目に 61号,1976年,吉岡昭彦「資本輸出一海外支配論 関するこの量的データは,実に豊かな質的内容を 覚書一H.フェイスの著作を中心として」r土地制 も含んでいる。そこでこの国際収支各項目の構成 度史学』第104号,1984年所収に代表される両氏の とその動態に着目し,とくに第一次大戦直前期に 一連の研究を参照されたい。 露呈してく、る利子貢納国家オーストリア・ハンガ
(2)ロシアについては,伊藤昌太「ロシア帝国主義 リーの再生産一信用構造の危機の構造とその要因 研究の一側面一短期在外資金をめぐって」r社会 を析出してみることにしよう。
科学の方法』1982年第9号所収を参照。 まずこの国際収支表の構成全体の中から当該資
(3)鹿島守之助『世界大戦原因の研究』1932年を参照。 本主義の特徴として浮ぴあがってくるのは,資本
(4)レーニンが批判の対象としたカウツキーの帝国 第1表,第一次大戦前オーストリァ・ハンガリーの
主義論には,オーストリア・ハンガリー帝国主義 国際収支(1894−1913年)
の歴史的性格(産業独占形成の脆弱性,過剰資本 (単位,百万クローネン)
形成能力の低さ,その下での商品輸出市場の膨張 1894−@98年 1899−P903年 1904−O8年 1909−@13年 主義的拡大への志向)が反映されている。 純受取り
● ●
i5>VgL E. M謡rz,05 efrε c配5cゐe.Bαηゐρ01 置読 O商品貿易収支@(金・正貨を含む) 205 960 405
ゴπde7 Ze甜der脚βeηvrθ磁e,肋Bε∫s卿1 ○移 民 の 送 金 150 200 700 1,500
de7 Cγθdゴ伽伽 3伽Hαηde1襯d Geweγゐε, O旅 行 者 収 入 200 250 350 500 M廿nchen 1981,SS。111−113.(以下Bα納ρo♂∫ 読 ○銀行収入及び
@ サーヴィス収入 200 300 400 450
と略記) O通過貿易収入 100 150 180 250
(6)基礎過程については全問題解決のためには金融 小 計 855 1,860 2,035 2,700 市場連関の解明が不可欠であるがさらに国家の 純支払い
経済政策体系(関税・貿易政策,財政政策,資本 ●商品貿易収支@(金・正貨を含む) 2,400
輸出入政策等)乃至は中央銀行の銀行政策を媒介 ●利子及び配当支払い 1,550 1,750 1,750 1,750 として,政治,外交,軍事史との接合が展望され
o対外投資収入 一120 一150 一150 一200
なくてはならぬであろう。中央銀行の銀行政策か 小 計 1,430 1,600 1,600 3,950 ら当該期の世界市場編成を捉え直そうとする視座 経常収支(+,一) 一575 十260 一十435 1,250 乃至方法については,藤瀬浩司「帝国主義成立期 資本収支(雛激⇒ 十481 十157 一270 十267
におけるドイツ対外経済構造とライヒス・バンク」 典拠,Marz, Bα蜘01 崩,S.51.より作成。
佐 藤:第一次世界大戦前のオーストリア・ハンガリーの貿易構造と世界市場 77 収支の項目では1904−08年を除いて資本輸入を常 のポーランド人・ルテニア人零細農民やコロナー 態とし,また貿易外収支にお・いて対外投資収入を ト制下のダルマチアからの南スラヴ人農民をはじ
はるかに超える利子・配当支払いを必要としてい めとして,帝国内の各地域から零細農民が大量的 る点,即ち利預納のβ型帝国主義国であるとい に清掃されていくというこの事態は・過剰資本形 う点であ(ぎ。 成,資本輸出能力に限界が画されていたオースト
さらに立入って国際収支の年次別動態をみてみ リア・ハンガリーでは・専ら半封建的・前近代的 るならば,以下の諸点が注目される。①19世紀末 農村社会が・そのうちに広汎にかかえ込んでいた においては国際収支の均衡は,巨額の利子・配当 農村過剰人口を「労働力輸出」として押し出すに 支払いの必要を,貿易収支の黒字及び貿易夕瞬屯至っていたことを示している(第1図を参照)・
受取りによって賄い・それでも別ない分力濱本 第1図,オーストリア.ハンガ1)一からの対米移民の民 輸入によって補填されるという形で保たれている 族別推移(1899−1913年)
こと。②20世紀初頭に入ると,利子・配当支払い 人
フ必要を上まわる経常の純受取り,わけても貿易
∀\/
収支の黒字の大幅増加(1899−1903年)が,資本
輸出余力を生み出していくこと(1904−08年)。 1臓㎜
③しかし,その資本輸出能力には限界が画されて
「る。1904−08年段階にお・いて貿易黒字幅は減少 オ出し,大戦直前期(1909−13年)には,貿易収 xの大幅赤字国へと転換することによって,貿易 O収入の増加によっても経常収支の大幅赤字は賄
ヲぬようになること。国際収支均衡の必要は,資 卿 {輸入を不可欠とするが,巨額の利子・配当支払
「及び貿易赤字はそれによっても補」眞しきれぬほ
どの危機的状況を生み出すに至ること。 I 1 以上からすでに明らかなように,第一次大戦直 / 1
前期において利子貢納のβ型帝国主義国オースト
@ 1,000
1
リア・ハンガリーの国際収支の均衡破壊を決定的 1899190012345678919ユ011121913年次 にしていた要因は,貿易外収入が一貫して増加し 典拠J.Puskas,E伽 9γ画・πF¢・㎜伽π9α7雪言・Tゐe ていったにもかかわらず,貿易収支が黒字から大 ひ漉ed S観es Bef・7e 1914・Budapest 1975・P・36・
より作成。
攝ヤ字へと転換していった点にあったのである。
なお一貫して増加傾向にあった貿易外収入の細目 ②移民の送金収入に次いでその増加傾向が著し 毎にその動態をみながら,その数字の背後にかく いのは(約2.5倍),旅行者収入及び通過貿易収
されている意味を簡単に整理しておけば次のよう 入である。これらはいずれも,1888年以降,ウィ である。 一ン・コンスタンティノープル線及びウィーン・
①貿易外収支項目中,19世紀末からとくに20世 サロニキ線が,ドイッ,オーストリァ資本の協力 紀にかけて最大の収入源泉となり,大戦直前期ま によって運営されたオリエント鉄道会社Die Ori・
でに1(賠もの増加を示したのは移民の送金収入で entarische Eisenbahngesellschaftの路線建設,
ある。これは端的に言って二重帝国内周辺諸州 経営そしてセルビァやブルガリアの国有鉄道によ
における農業危機の深刻化と対米移民の急増を表 る連結鉄道建設とによって開通したことと関係し (3)わしている。わけても雇役制下のガリツィァから ている。20世紀に入ってからは,イギリスのレン
トナーと化した大土地所有者層や西ヨーロッパの (2)当該期のオーストリア・ハンガリーの農業・土 有産市民層を中心とするオリエント旅行熱の過熱 地制度と農業危機については,拙稿「三月革命期 や東方貿易の拡大,ことにドイツの対バルカン・ のオーストリアにおける農民解放とその帰結(下・
トルコ,オリエント貿易の拡大が,東西世界の十 三)〜(下・四)」r茨城大学人文学部紀要(人文 字路としての当該帝国を出入りする旅行者や通過 学科論集)』第17〜18号,1984〜85年所収を参照。
荷物の急増をもたらしていたのである。 (3)cf.H. Feis, Eωγ。ρe, Tんεvr。γ1d・5 B鳳e7,翫
③銀行収入及びサーヴィス収入も2倍強の増加 Acc。伽渉。プE脚ρe伽F。γe 9π1η砂e5伽e励伽d 傾向にある。これは,その資本輸出能力の低さに 彦んeC。ηηec置∫oπoブW。714F παηceω励伽
よって限界が画されるとはいえ,オリエントを中 D∫ρ」・魏α剣6e!。rdんe Wαr,1930,pp.2g4−298.
心とするオーストリア・ハンガリーの商品輸出貿 (4>海外銀行にっいては,H.Matis, Os置eγγε cん5
〔4)
易の拡大と関連して,海外銀行(オーストリァ・ w瞬sc加β, K伽加ん漉〃e D脚m読π煽gesε〃.
エジプト銀行Austro−Agyptische Bank,オー 5c加β! 肋併Wα磁eJ∫祝Ze∫言α!孟er F7伽2 JPo5e.
ストリァ・オスマン銀行Austro−Ottomanische ρゐ51.,SS.224−227.を参照。
Bank)収入を増加させるとともに,エルベ河,ド ナウ河水運並びにアドリァ海,黒海海運に携わる
@ 皿.第一次大戦前のオーストリア・ハンガ運送業(ドナウ蒸気船会社Donau−Dampfschiff・
@ リーの貿易構造と世界市場ahrts−Gesellschaft,合同エルベ河水運株式会社
Vereinigte Elbeschiffahrts−Unternehmungen, 〈1)商品貿易収支の逆転と市場連関
オーストリア・ロイド蒸気船会社Dampfschiffahr・ まず最初に1907年恐慌前後を境とするオースト ts−Gesellschaft der Ostrreichischen Lloyd リア・ハンガリーの貿易収支の黒字から大幅赤字 AG.)収入を増加させていたのである。 への転換がどのような市場連関の中で生じていた
さて以上の国際収支表分析から再度確認,強調 のか,この点を確認してお・こう。なお以下の行論 しておかなくてはならない点は,1904−08年段階 ではオーストリア・ハンガリーの貿易市場連関に 以降にお・ける貿易黒字幅の減少と1909−13年以降 ついて,次の七つの主要な環節を設定することに の大幅赤字国への転換が,β型帝国主義国オース よって議論を進めていくこととした(召。主要七環 トリァ・ハンガリーの国際収支の均衡を破壊する 節とは,第1環節一対独貿易,第H環節一対英貿 最大の要因となっていたという点である。こうし 易,第皿環節一対合衆国貿易,第IV環節一対第一 た貿易収支の大幅赤字国への転換を,貿易外収入 次産品国(英領インド,エジプト,ブラジル,ア の急増並びに資本輸入の確保によって相殺しうる ルゼンチン)貿易,第V環節一対西欧(ベルギー,
ような国内的また対外的条件が,第一次大戦直前 フランス,イタリア,スイス,スペイン,オラン 期には失なわれるに至ること,このことがオース ダ)貿易,第W環節一対露貿易,第W環節一対バ
トリア・ハンガリーの再生産一信用構造の危機を ルカン・トルコ(ブルガリァ,ルーマニア,セル 招来していたのである。そこで当面の本稿での我 ビァ,ギリシァ,トルコ)貿易の七つの貿易環節 々の関心は,この最大の要因即ち,商品貿易の構 である。
造と動態の分析に向けられる。 さて,第2表の貿易収支の各環節毎推移と第3
(1)かかる指摘はすでに熊谷一男『ドイッ帝国主義 表の各環節毎輸出入シェァ推移とをにらみあわせ 論』1973年,第二部,第三章「ドイツ金融資本と てみてみると,オーストリア・ハンガリーの商品 オーストリァ・ハンガリー」によって与えられて 貿易収支の転換は次のような市場関連のうちに招 いるが,再生産一信用構造の特殊性に即した具体 来されたものと言うことができよう。①何よりも 化の作業はなお残されている。 まず,オーストリア・ハンガリーの商品貿易のシ
佐藤:第_次世界大輔のオーストリア・ハンガリーの貿易構造と世界市場 79
20世紀初頭オーストリア・ハンガリーの総貿
宍
甲く 三十 沼十 爵十 專十 零十 $十 冤十 甕十 窪十 專十 婁十 屋十 磐十 艶十
第3表,
@ 易額に占める各環節シェア推移(1904−09年)
@ (単位%)
忌
1 舗 8 雷 8 守 專 袋 鵠 $ 8 曾 羽 旨 翻 1904 1905 1906 1907 1908 1909
景 , <
一 一 一 N N N N ◎o N N oり oう 寸 寸 1 37.7 37.8 38.8 39.4 41.8 39.1
陰 霧 鵠 鵠 8 器 鵠 守 ヨ : 雷 等 自 斜 雪 輸 豆 7.6 9.5 8.1 9.5 9.0 8.0
随 国 一 一 一 一 一 一 円 一 一 N 一 N N N 入 皿 8.9 9.5 9.2 9.5 9.2 8.4
週掛)
甲 曽1 コ1 羽1 8し 專i 舘1 器1
蕊1 等1 き1 8し §1 舅9 鴇1
額シ
wiうちインド)
12.5 i7.3)
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V 14.3 14.1 14.8 14.2 14.1 13.6
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< 祠 一 一
M 5.9 6.4 6.5 5.5 5.3 6.6
国 詔 お ま 窪 雲 § 邑 韓 § 邑 § 箋 蕊 § 互
wiうちセルビヤ)
9.5 i3.0)
8.6 i3.2)
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国 8 富 苺 躊 巴 曾 絹 巽 8 霧 ま 寒 津 霞 (うちトルコ) (2。) (2.1) (2.0) (1.7)
(1.8) (1.7)
1
十 十 十 十 十 十 十 皐 ‡
十 十 十 十 十 1 49.7 49.7 47.6 47.7 46.5 45.2
< H 8.8 9.0 9.8 9.2 10.4 10.6
〉 < § 鶏 箋 § 墓 篶 霧 窪 § 馨 § 窪 窪 塞 輸 皿 2.0 2.5 2.5 2.7 2.6 3.6 出 w 5.3 5.3 5.6 3.9 4.6 4.8
国 8 8 障 霧 婁 甕 毫 § 韓 § 馨 § § 彗 額 (うちインド) (3.0) (3.1) (3.1) (2.4) (2.5) (2.5)
母 N N N N シ V 17.1 17.0 16.8 17.3 19.3 19.5
雪ーOO 国 曽 需 雷 8 專 等 露 8 專 $ 8 斗 斗 8 工 (うちイタリア) (7.5) (72) (7.5) (7.9) (10.1) (10.1)
混 1 1 マ マ T T マ 丁 マ 〒 〒 甲 甲
ア w 3.4 2.9 2.9 3.2 3.2 3.3
窪 (% w 11.7 11.2 11.7 12.2 10.8 10.7
) ≧
< 匿 ま 寒 沼 聲 旨 霞 § 寮 睾 § § 葺 ミ ) (うちセルビヤ)
iうちトルコ)
(1.6)
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(0.9)
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鐘羅枢
国 § 邑 軽 § § § 曇 鶏 羅 § 翠 鶏 § § o
. .
T拠OSU 1907, SS.296−298;OSH,1910,
姿曝臨
〒< 貫1 霧1 霧1 旨1 録1 邑1
婁【 婁1 霞1 ヨ1 藁1 §1 §5 器1 罎 S・272・より作成。
Z エァ中,最大の比重を占める (輸出入のいずれに
庸
撮曝 日 < 鵠 爲 霧 專 專 錦 留 $ 留 拐 雷 お お 自 餐っいても4割から5割弱)第1環節一対独貿易収
?@支が1907年恐慌前後を境として,大幅黒字市場
寒
国 舅 寮 婁 録 鑓 § 罠 患 翼 露 蕊 § 竃 塞 蓬から大幅赤字市場へと逆転していること.②また
1 噂
へ戸鮫A
甲く 需十 8十 9十 霞十 圏十 等十 專十 萬【 蟹十 爲十 一1 銭1 自十 お十 語輸入貿易の中では一貫してドイツに次ぐシェアを ] 占める第皿環節一対合衆国貿易収支及び第IV環節
く 演
よ 印 < 自 婁 讐 § 霞 暴 蕊 甕 § 憲 § 箋 § § 棊一対第一次産品国貿易収支における赤字麟
E世 一次大戦直前期にかけて急増していくこと。③こ
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国 寮 峯 窪 婁 霞 邑 婁 羅 § § § 罠 § 箋
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〒< §十 §十 器十 霧十 嘉十 §十 謡十 霧十 鴇1 §【 婁1 §1 §1 墓1
フ↑ 易黒字幅のピークの年として以後,漸減していく
響
ボ棊1
H 気 ま § § 塁 塁 ≡i 翌 塁 § § § § 塁 彗
醸こと・また第H麟一対期易収支1ま・19°7年恐驕= 慌前後を境として従来の一貫した黒字市場として
爆 国 § 馨 § § 邉 蕊 § § 曼 豊 婁 翼 罫 羅 ・くの
晶 縦N紙
:o 包Φ :o 雪Φ Σo ぎΦ :ゆ :o 茸o こ① £① :o 日o 豊o
国繋 対露貿易収支は一貫して赤字であるカ㍉商品輸出骨黒( 貿易中,ドイツ,西欧に次ぐシェアを占める対バ
一 円 一 一 一 一 一 一 祠 一 一 一 一 一 ルカン・トルコ貿易のシェアは漸減し始めるとと
もに,貿易黒字幅も1907年をピークとして減少し ながら大きく変動していること。
以上要するに,1907年恐慌前後を境としてオー グといった外貨形態での短期在外資産の保有は極 ストリア・ハンガリーの貿易収支構造は,第皿, めて僅少額にとどまり,旧露乃至日本,インドと 第IV,第VI環節における赤字を,第1,第∬,第 は異なる点のみ指摘してお・きたい。 cf. P. H. Lin.
V,第W環節にお・ける黒字によって相殺し,収支 dert, K昭C贈eηc∫eεαη4 GoJd 1900−1913,Pri.
黒字を基調とする従来の構造から,第1,第H環 nceton 1969, PP.18−19.
節の黒字市場から赤字市場への転換,第皿,第IV,
第V[環節にお・ける貿易赤字幅の増大による大幅赤 (2)商品貿易とオーストリア・ハンガリー字を,第Vの減少する黒字及び伸び悩む第W環節 資本主義の再生産構造からの貿易黒字によってはとうてい賄い切れない
構造へと変化していたのである。 第4表は,1905年時点及び1910年時点でのオ_
それでは一体,こうした市場連関における貿易 ストリア・ハンガリーの貿易品目上位20位の構成 収支逆転の構図は,オーストリァ・ハンガリーの を示した表である。この表に依拠しながら,20世 再生産構造の推転並びに世界市場における価値, 紀初頭段階における景気循環過程に媒介されて展 素材補填のメカニズムの推転といかなる質的関連 開する当該資本主義の再生産構造の推転を透視す をもって発現してきていたのか,次にこの点を立 ることによって,貿易収支逆転の内的要因を把握 入って検討していくこととしよう。 していくこととしよう。
(1)本稿で分析対象とした資料は,δ伽7re∫砺3Cゐe5 さて当該期は,オーストリア資本主義発達史の S弼魏 εcんes Hα㎡6駕cん/麓γdゼeゴ飢Rε ch5剛e 中では,第二回目の創立時代Grunderjahreと呼 e南e壼eηεπK砺gγe∫cん駕磁肋磁εγ,ηeδ5Ze∫πe観 ばれるが,産業独占形成の脆弱性の下で銀行資本
疏加ηgプ伽dゴeg佛ε∫πsα観e AπgeJege殖飢飢 主導の金融寡頭制の支配が成立していく時期であ (1)
4e7δs渉eγ7e∫c痂3cん一πηgα7ご5cんeη〃oηαγcゐ∫e, her一 った。景気循環過程に即していうと,当該期には ausgegeben von der k k・statistischen Zentralko・次のような二つの波があった。即ち20世紀初頭の missi。n, zweiunddreiβiger Jahrgang, Wien lgO1一 恐慌の後,1903年以降1907年前後までの回復,好 1914・の各年次報告資料である。(以下6SHと略記)況さらに恐慌に至る波と,1908年以降の回復,好
(2)本稿では,中国,日本を含むアジア貿易やアブ 況そして1912年以後の商業恐慌Handelskrisis,
リカ・南米貿易等は数量的に言って僅少である他, 景気後退を経て第一次大戦へと連なる波であった。
第一次世界大戦勃発の主舞台から外れることもあ この二つの波は,それぞれ異なった基礎をもって り省略した。ただし,すでにオーストリア・ハン いた。まず最初の波(1904−07年)は,世界経済 ガリーの資本輸出(6%利付中国国庫証券1.2M. の急速な拡大に伴ない,国内経済の広汎な分野ぞ ポンド・スターリング)と連動したシュコダ製武 の躍進によってもたらされたものであり,ケルバ 器輸出が中国向けに行なわれていた(1913年)こ 一の国有鉄道建設計画に基づく財政投資がこれを となどは看過できぬであろう。 補完する形で到来した好景気であった。これに対
(3)こうした各環節毎の収支の動向は・貿易決済の して1908−12年までの好景気の波は,戦争準備政 メカニズムを通して・為替相場の変動・金流出の 策と関連した軍需品需要に支えられた財政投資を メカニズムをもって金本位制下の信用構造の危機 牽引力とし,継続された国有鉄道建設さらには新
を招来する。本稿ではオーストリア・ハンガリー 興の電機,化学工業の躍進と関連した第1部門主の貿易決済の具体的メカニズムに立入る余裕はな 導の好景気であっ(髪。
いが・マルク手形(第1環節を中心に)及びスター こうした景気変動の特徴は,貿易品目構成の推 リング手形(第H・凪IV環節を中心に)が用い 移のうちにどのような形で現われてきていたであ られていたこと。ただし・マルクなりスターリン ろうか。まず何よりも注目すべきは,オーストリ
佐 藤:第一次世界大戦前のオーストリア・ハンガリーの貿易構造と世界市場 81
第4表,オーストリア・ハンガリーの貿易品目構成(1905,1910年)
(単位 百万クローネン)
輸 入 輸 出
1905年 1910年 1905年 1910年
1.原 棉 196 原 棉 296 1,木 材 252 木 材 247
2.原 毛 127 石炭・コークス 173 2.砂 糖 189 砂 糖 241
3.石炭・コークス 106 原 毛 170 3. 卵 97 綿 製 品 116
4.穀 物 98 機械・器具 107 4.屠 畜 88 卵 106
5.非 鉄 金 属 86 非 鉄 金 属 104 5.褐 炭 86 褐 炭 97
6.機械・器具 64 種 穀 103 6.鉄・鉄製品 83 衣 服 93
7. 絹 51 羽 毛 82 7.穀 物 76 鉄・鉄製品 90
8.コ ー ヒ ー 50 穀 物 75 8.綿 製 品 76 木 材 製 品 79
9. 卵 48 コ ー ヒ ー 72 9.羊 毛 製 品 63 ガラス製品 74 10.鉄・鉄製品 44 鉄・鉄製品 69 10.衣 服 62 羽 毛 74
11.屠 畜 44 羊 毛 糸 68 11. 馬 60 機械・器具 69
12. タ バ コ 41 皮 革 67 12.ガラス製品 59 羊 毛 製 品 68
13.皮 革 40 絹 63 13.紙・紙製品 57 金 属 製 品 61
14.羊 毛 糸 36 絹 製 品 59 14.皮 革 製 品 56 紙・紙製品 61
15.綿 製 品 34 綿 製 品 57 15.麦 芽 53 皮 革 製 品 55
16.絹 製 品 33 化学生産物 56 16.木 材 製 品 48 牛 50
17.羊 毛 製 品 32 鉱 物 56 17. 絹 19 麦 芽 49
18.亜 麻 30 タ バ コ 51 18.原 毛 17 馬 46
19.絹 糸 28 書 籍 51 19.絹 製 品 16 鉱 物 45
20.染 料 24 貴 金 属 50 20.石 油 10 化 学 製 品 44
典拠◎S}L1907, SS.299−309;OSH,1913, SS.281−282.より作成。
ア・ハンガリーがその第H部門用原料たる原棉(1 の両州を中心としたトリエスト,南部鉄道SUdbahn 位),原毛(2位),生糸(7位)及び第1部門 (フランス資本が支配)経由のインド,エジプト,
用原料たるコークス用石炭(3位)(順位は1905年 マケドニア棉によって補完されるオーストリァ綿 基準)を,全面的に外国市場に依存せざるをえな 業と,ハンブルク,エルベ河経由のアメリア棉を
かったこと,この点である。これはとりもなおさ 原料基盤とするチェコ綿業を双柱として発達して
(3)
ず,二度の好景気の波を媒介とした拡大再生産過 きた。ところが20世紀初頭の当該段階では,ハン 程が,オーストリア・ハンガリーの原料輸入を急 ガリーの一連の工業奨励政策によって,これら二 増させていくこと。わけても第1部門主導の好景 大中心地からハンガリーへの「直接投資」
気が到来する1908−12年段階では,コークス用石 したため,帝国全体の綿業生産能力が拡大してい 炭の輸入額を飛躍的に拡大させるとともに(3位 くに伴ない,対米棉花輸入量も飛躍的に増加して
(4)
から2位へ),生産手段たる機械・器具の輸入拡 いったのである。またオーストリア・ハンガリー 大を惹起させていた(5位から4位へ)のである。 の羊毛工業は,メーレンのブリュン周辺を主たる
こうした点を国内の再生産構造との関連におLいて, 立地とし,ドイツ及びイギリス経由で原毛乃至羊 以下簡単に敷衛しておこう。 毛糸が輸入され,内外の軍服,衣服需要に支えら オーストリァ・ハンガリー綿業はその確立期に れて発展し,19世紀を通じて繊維工業中最重要の おいて,下部オーストリア,フォルアルルベルク 輸出産業をなしていた。これに対して絹工業は,
ウィーン周辺に立地したが,イタリア,フランス, 幅を押し広げていったのである。
スイスの側圧の下で停滞的であり,生糸輸入に立 オーストリア・ハンガリーの機械工業は,コー 脚した高級奢修品生産,加工にとどまるものでし クス用石炭の輸入並びに水平的カルテル形成(五
かなかった。それ故,オーストリア・ハンガリー 大製鉄会社による生産の集中と鉄カルテルの形成)
業にあり,その立地拡張乃至生産拡大が当該期に, ことを余儀なくされていた。このことが,財政資 対米原棉,対独英原毛輸入増大を惹起し,対米, 金によって創出される市場(鉄道建設,軍需品生 対独英入超幅をおし広げていったのである。 産)を除くと,オーストリア・ハンガリー機械工 また第1部門の要となる製鉄業は,その立地を 業の国際競争力の劣位を決定的にしていった。当(9)
伝統的なシュタイエルマルクの鉄鉱山,そしてオ 該期における機械・器具輸入の大幅増加がそれを 一バー・シュレージェンのプロイセンへの割譲の 示している。即ちイギリス産繊維機械並びに農業 後代替立地を急がれたチェコ地方の含隣鉄鉱石の 機械輸入は,それぞれオーストリア・ハンガリー 産地,さらに原料基盤を欠くとはいえ造船業との 国内での繊維工業の生産立地の拡大,増産そして 関連で政策的に創出されたトリエストの港湾基地 ハンガリーのマグナーテン農場における農業労働 周辺に有していた。オーストリアの製鉄業は周辺 者ストライキに対応した機械化の進展と関連して の豊富な森林資源を利用して発展してきたため石 いたが,いずれも対英競争力の欠如を示すもので 炭精錬への移行に手まどる他,そもそもコークス あった。またドイツ産電気機械・器具輸入は,ド 用石炭資源の欠如の故に生産費高騰の制約化に置 イツ資本のオーストリア・ハンガリーへの進出と かれた。これに対して1890年代におけるトマス法 関連し,ここでも対独競争力の劣位が露呈されて の急速な普及によって含燐鉄鉱石とエルベ河経由 いたのであり,第一次大戦直前期の好景気が,英 で輸入コークス用石炭とを結合しえたチェコ地方 独からの機械・器具輸入によって支えられるもの
110)
は(チェコ地方の炭鉱業は主として家庭用燃料た であったことを示している。
る輸出用褐炭を生産した),次第にオーストリァ 最後に輸入品目構成の推移から再生産構造を透
(7)
製鉄業を追い抜き,生産の中心地となっていった。 視する場合,み逃せない点は穀物輸入の動向であ その場合,チェコ地方の製鉄業はシュコダ工場 る。オーストリア・ハンガリーは第一次大戦直前 Skoda可erkeを典型とする大規模工場との関連に 期まで,広汎な農業就業人口をかかえた農業国で おいて,またオーストリア製鉄業は手工業的性格 あったにもかかわらず,20世紀に入ると穀物輸入 を残す機械工業との関連において,しかもいずれ 幅が増加し,ことに1909年以降は恒常的な大量の も鉄道資材乃至は軍需品生産といった内外の財政 穀物買付国に変化している点が注目される。農業 資金の撒布によって拡大される市場との関連にお 不況期にあってもオーストリア・ハンガリーの穀 いて躍進することを特徴としていた。トリエスト 物は最大の輸出産品であり続けてきた。しかし大 の製鉄業はマリア・テレジァ以来,アドリア海海 不況脱却後その地位は低下し始め,逆に穀物輸入
(11}
運のための造船業との関連で発展してきたが,第 国へと変化していく(第5表参照)。このドラス 一次大戦前にはオーストリァ海軍のドレッドノー ティックな過程は,大土地所有貴族の土地独占体
(8>
ト型の船艦建造を蓄積基盤としていく。それ故, 制の下で,様々な半封建的,前近代的遺制をもつ 20世紀初頭の第一の好景気の波がケルバーの国内 農民解放後のオーストリア・ハンガリー農業が,
鉄道建設計画により支えられ,また第二の好景気 穀物高率保護関税によって支えられつつも,国内 が陸海軍軍備拡張,戦争準備政策によって牽引さ 周辺農業地帯から大量の移民を排出する形でその れていくことは,製鉄業にお・ける石炭・コークス 危機を深めていく過程とも関連していた。第一次 輸入拡大を必至ならしめ,ここでも対独,対英入超 大戦直前期の好景気が原料輸入の大幅増加と相ま
佐藤:第次世界大輔のオーストリア・ハ・ガリーの貿騰造と世劉f場 83
第5表,オーストリア・ハンガリーの外国貿易品目別シェァ推移(1875−99年) (単位 %)
1875 1885 1890 1899
1 原 棉 6.5 原 棉 8.4 原 棉 10.1 原 棉 7.8 2 コ ー ヒ ー 6.3 穀 物 7.1 原 毛 6.5 原 毛 7.6
輸人
3 原 毛 4.6 原 毛 4.9 コ ー ヒ ー 6.2 石炭・コークス 5.2 品 4 穀 物 3.1 コ ー ヒ ー 4.7 石炭・コークス 4.2 機械・器具 2.8
目 5 鉄・鉄製品 2.2 石炭・コークス 2.2 機械・器具 3.0 コ ー ヒ ー 2.6 構 6 機械・器具 L7 機械・器具 2,1 鉄・鉄製品 2.0 鉄・鉄製品 2.3
成 z 石炭・コークス 1.5 鉄・鉄製品 1.8 穀 物 1.8 穀 物 2.0 小 計 25.9 小 計 31.2 小 計 33.8 小 計 30.3
土 穀 物 9.5 穀 物 9.7 穀 物 10.4 木 材 12.5 2 木 材 6.8 木 材 9.3 砂 糖 8.5 砂 糖 9.3 輸 3 鉄・鉄製品 4.1 砂 糖 7.5 木 材 8.0 穀 物 7.1
出 4 砂 糖 3.6 羊 毛 製 品 3.8 褐 炭 4.2 褐 炭 4.7 品 5 ガラス製品 3.5 ガラス製品 3.0 羊 毛 製 品 2.9 ガラス製品 2.7
目 6 羊 毛 製 品 3.2 褐 炭 2.3 鉄・鉄製品 2.7 羊 毛 製 品 2.3 構 z 褐 炭 1.9 鉄・鉄製品 1.6 ガラス製品 2.0 鉄・鉄製品 2.2
成
8 綿 製 品 1.1 綿 製 品 1.2 綿 製 品 0.8 綿 製 品 0.8 9 機械・器具 L1 機械・器具 0.6 機械・器具 0.6 機械・器具 0.8
小 計 34.8 小 計 39.0 小 計 40.1 小 計 42.4 典拠Rudolph,oρ. d .,p.16.より作成。
って食料輸入増加をも随伴したことは,貿易入超 林畜産物輸出拡大が貿易黒字幅拡大の基調をなす 幅の決定的拡大に帰着するであろう。 がその伸び率は原料・食料輸入の伸び率をはる 20世紀初頭の二つの好景気の波に乗って拡大し かに下まわること。④また衣服ガラス製品・木 たオ_ストリア.ハンガリーの機械制大工業の生 材製品,皮革製品,金属製品といった輸出品目は・
産力は,当該資本主義の貿易構造を食料・原料輸 機械制大工業製品ではなく・広汎に残存する手工 入,工業製品輸出という,いわゆる工業国型貿易 業を基礎とした小営業製品であり・これが輸出産 離へと果して転撫しめていたであろう職19・5品として世界市場に直結していること・
年と1910年の輸出品目構成から看取されるのは次 それ故,オーストリア・ハンガリーでは20世紀 の諸点である。①確かに穀物輸出の比重は低下す 初頭の新生産力段階に照応した貿易構造の型の転 るとはいえ(7位から20位以下へ),伝統的な木 換がなされたとは言い難い。むしろ機械制工業の 材輸出及び砂糖卵といった農林畜産物(農業関 生産拡大に伴ない,原粧食料品輸入が増加して 連工業製品)の大宗的地位は全く変化していない いるにもかかわらず㌧工業製品輸出の拡大が制約
こと。②綿製品輸出の地位の躍進は(8位から2 され,依然として後進国型二重貿易構造乃至は農 位へ),オーストリァ・ハンガリーの20世紀初頭 業的,手工業的貿易構造が克服されていない点に 段階における新生産力段階を表示するが羊毛製 留意すべきであろう。輸出品目構成に即して当該 品(9位から12位へ),鉄・鉄製品(6位から7 資本主義の再生産構造を透視してみるならば・止 位へ)の輸出動向に示されるように,工業製品全 目すべきは次の諸点である。
般の輸出拡大,貿易黒字獲得という工業国型貿易 まず輸出品目の大宗を占める木材は・オースト 構造は定着しているとはいえぬこと。③むしろ農 リア・ハンガリーの大土地所有貴族の山林経営と
開係していた。エルベ河,ドナウ河の水運及び鉄 農業社会主義運動)に逢着したマグナーテンがそ 道網の整備による海港への連結は・オーストリア の克服策の一つとして推し進めた農業機械輸入は,
・ハンガリーの豊富な山林資源を世界市場に結び 貿易赤字拡大要因を形成していくことになるので つけたのであるがことに鉄道建設と関連した枕 ある。その過程は同時に大量の対米移民を発生さ
木・都市住宅建設と関連した用材,さらにワイン せていくのであり,ハンガリーの農業危機の深化 (15)醸造用の樽板需要の拡大等によって,木材輸出は をもたらしたのであった。
穀物輸出に代って1890年代以降首位の座を占める 第一次大戦直前期になってもオーストリア.ハ に至った(第5表・参照)。ことに農民の森林放牧 ンガリーの産業構造を特徴づける重要な特徴は,
地役権を解除調整し,合理的林業経営を営むに 手工業に基礎を置く小営業の化石化現象であっ (16)
至ったアルプス諸州やチェコ地方さらにはクロア た。オーストリア・ハンガリーにおける産業革命 チアの大土地所有貴族経営にとって,アメリカ及 は失敗したケースとも呼ばれるように,機械制大 びロシア産穀物の流入によって惹起された農業不 工場による大量生産,大量消費が全経済生活をお・
況下において,家族世襲財産制度に支えられたこ おうものとはならなかった。三月前期におけるイ 島山林経営は決定的意義をもち続けていくのであ ギリス産業革命の側圧を背景とした殖産興業政策
る。大土地所有貴族支配の物質的基礎の一っはオ によって一挙に大規模生産方式が導入された綿業 一ストリア・ハンガリーの場合,山林所有と木材 や羊毛工業,そして製鉄業といった画一的要素的 生産にあったのである。 産業の分野では,貴族・大商人連合による大量生 また木材と並んでオーストリァ・ハンガリーの 産方式の工場生産が19世紀後半以降も継承されて 輸出産品の二大双柱の一っをなす砂糖の生産と輸 いった。しかし,加工,完成工程においては手工 出は,主としてチェコ地方の大土地所有貴族経営 業的小経営が強固に残存していったのである。既 並びに富農経営における甜菜の作付を原料基盤と 製服,ガラス製品,皮革製品,木材製品はもとよ
し,原糖乃至は精製糖への加工も貴族経営内の砂 り,伝統的な手工業的輸出産品たる大鎌や刈鎌を 糖工場あるいはチェコ膿村ブルジ・アジーA僻 含む鉄製品等は・機騰11の工業製品と並んで重要式会社形態での砂糖工場によって担われていた。 輸出産品として世界市場に直結していたのであ
この部門は繊維工業と並ぶチェコ産業革命の推進 る。因みに20世紀初頭の段階でも,就業人口比で 的担い手であり,エルベ河,ハンブルク経由の対 はウィーンやプラハを中心とする既製服業就業者 英輸出部門として確立した。オーストリア・ハン 数はそれのみで実に40万人をかかえており,これ ガリー工業の中では国内産原料に依存する貴重な は繊維工業就業者数45万人・食料品工業(砂糖工 部門であり,帝国内の消費購買力水準の低さによ 業,ビール醸造業,製粉業)就業者数27万人と対 って輸出産業として成長し,木材に次ぐ貿易黒字 等の地位を占めていた。またオーストリアの機械
獲得源をなしていた(第5表,参照)。 工業の多くの分野でも 手工業的小経営は広汎に ♂17)
さらに伝統の穀物輸出はハンガリーのマグナー 残存し続けたのであった。
テン経営と関係していた。先にも述べたように20 以上要するに,20世紀初頭の二つの好景気の波 世紀に入ると,高率の穀物関税の設定によって二 の中での第1部門,第H部門の躍進は,原料,食 重帝国市場の独占的確保を前提として保持されて 料輸入を急増させたにもかかわらず,その製品の きた穀物輸出余力は限界に達し,新しい工業生産 価値実現には大きな制約が存在していたのである。
力段階に照応して逆に穀物輸入が急増する。こう 第一次大戦直前期においてもオーストリア・ハン して半封建遺制をまといつけたマグナーテンの粗 ガリーは,その再生産構造の農業的,小手工業的 放的大規模経営の低生産性が露呈してくるととも 性格に規定されて,伝統的な農林畜産物乃至は手
に,ハンガリー農業労働者の収穫ストライキ(一 工業製品輸出の維持によってしか貿易黒字を獲得
佐 藤:第…次世界大戦前のオー;くトリア・ハンガリーの貿易構造と世界市場 85 しえなかった。機械制工業製品については,その (10)五大製鉄所による生産の集積を基礎に強固な鉄 生産費を高騰せしめる諸条件(農産物高価格,原 カルテルを形成した製鉄業とは異なり,手工業的 料輸入と国有鉄道の高運賃政策,水平的カルテル 小経営に支えられ,しかも各種機械生産を包括す 形成と鉄の高価格,銀行カルテルと高利子率,株式 る機械カルテル(1907年)は短期間のうちに解体 企業への重税賦課)が存在したため,世界市場にお したことは極めて象徴的である。▽gl.Mまrz, Bαπん・
〔18)
いて輸出競争力をもちえなかった。かくして1907 ρ。」∫磁,S.37.
年恐慌後の第二の好景気の波において,原料,食 (11)Rudolph,。ρ. d .,p.16。
料輸入の急増に伴なう貿易赤字幅の拡大は,伝統 q2)工業国型貿易構造については,吉岡昭彦「国際 的農林畜産物,手工業製品輸出並びに工業製品輸 金本位制の成立に関する覚書」岡田,広中,樋口 出による貿易黒字幅の拡大を圧倒し去ったのであ 編『社会科学と諸思想の展開』所収615−617頁を った。それでは具体的には,どのような市場連関 参照。
の中から,こうした貿易収支の大幅赤字への転換 (13)前掲拙稿,「オーストリアの農民解放(下・一)」
が生じてきていたのであろうか。次に,そうした 第15号,1982年所収を参照。
対外関連を問題にしていくこととしょう。 (14)Peter Heumos, Agγ副scんε飽ere∬eη%ηd
(1)マチス(Matis, a. a.0.)やメルツ (E.M註rz, Nα据oηα1εPo1∫言疏∫η.Bbん魏εη,1848−1889,
, o _
08〜e7γε cん∫5cんe 1η4πs〜γ∫e−%η4 Bαηんρ01∫崩 Wiesbaden 1979, SS.23−35.
伽deγZe∫f Fγαη2 Jo5e擁s 1, W∫eη1968.)の研 (15)ハンガリーのマグナーテン経営については,そ 究では,独占形成との関連で,理論的に資本の集 の装備の近代性と生産関係の封建的性格に着目す 積・集中を推進する株式会社制度の役割が強調さ べきであり,土地無しの農業労働者の大群が自由 れ,ドイッと同様オーストリア・ハンガリーにお な賃金労働者たりえなかった点一「チェレード法」
いてもこの創業時代が重視されている。しかし銀 (1876年), 「奴隷法」 (1898年), 「灰色法」
行資本主導の強力な金融寡頭制支配が貫徹してい (1907年)一に止目すべきである。南塚信吾『東欧 く当該段階の設立・発起業務の意義は,銀行業務 経済史の研究』103−117頁が参照さるべきである。
全体わけても当座勘定業務との関連で位置づけら マグナーテン経営の低生産性や農業社会主義運動 れるべきである。また株式会社形態での資本集中 の激化,さらに対米移民の発生は,そうした前近 の実態も国際比較では極めて脆弱であった点に留 代的生産関係の中に,不動産低当信用の拡大によ 意すべきである。(cf.R, L Rudolph, Bαπ庖η9 って支えられたマグナーテンが,輸入農業機械を 伽d1記%s置酉α伽副oπ∫ηん5孟γ如一H襯gα瑠, 導入していったことと関係する。
Cambridge 1976.) (1⑤ Matis, a, a,0.,S.71.
(2)▽gl,Marz,.Bαηんρ01痂ん, SS.21−22. (17)Marz,.Bαηゐρo 薦ん,SS・39−41・
(3) Rudolph, oμd置.,pp.46−47. (18>▽g1.F. Hertz, D εPTod擁巨oη5gγ%η{」1αgeπ
(4)ベレンド・ラーンキ『東欧経済史』1978年,南 deγbε言eγγe∫cんゴ8cゐeη1η伽3言γ∫e oγ%πdηαcん 一
ヒ信吾監訳,104−106頁. 4佛1(7∫ege∫η5ゐeso裾εγε∫祝yeγgle ch而ε 一
i5)19世紀にあっては,繊維製品輸出の首位の座は De厩scん1αηd, Wien 1917.
羊毛製品が占めたが,20世紀に入って綿製品がこ
れにとって代る.(cf, Rudolph, op. cit.,p.61.)
@ (3)商品貿易の主要七環節と世界市場
(6)Marz, Bαηゐρo配歳S.35.
(7)Rud。1画。ρ. c∫オ.,pp.15−16, pp.45−46. 第6表〜9表は,1907年恐慌の前後の二時点を
(8)M薮rz, Bα嬬ρ01痂ん, SS.36−38. とり,主要な七つの貿易環節毎に商品貿易の主要
(g)E6eηぬ,S.37. 品目を表示したものである。これによって第一次