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科学教育における構成主義の主張をめぐって         研究ノート

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科学教育における構成主義の主張をめぐって          研究ノート

大 辻   永*

(1995年10月13日受理)

Distortion of Constructivism in Science Education;Research Note

      * Hisashi OTsuJI

(Received October 13,1995)

1 はじめに

 本論は,近年,科学教育1}で盛んに研究され,中心的議論の一つになっている構成主義(Construc−

tivism)について概観するものである.しかし,本論は,これに基づく研究・報告を少しでも数多く

取り上げ,互いの位置づけを整理しようとするものではない.一般に言われる構成主義とは何かと いう観点を糸口にして,それを内包するより大きな思想的な流れである構造主義と照らし合わせる ことによって,科学教育でいわれているところの構成主義的研究の特徴を浮き彫りにし,それを取

り巻く諸事項の見取り図を描くことを目的とするものである2).

 尚,議論を進めるにあたって,「学習」という語の用語法を二つに区分しておくことにする.すな わち,個人における知識生成(あるいは知識獲得)としての学習(knowing)と,教育活動の中で語られ る学習(learning)とである.例えば, School Learningとは言っても, School Knowingとは言わないで

あろう.このように,前者は,意図的学習のみならず無意図的学習においても生じている,個人内 での新しい知識の生成を意味し,後者は,教育という他者が関与する色彩の強い場合に用いること

にする.教育の領域においては,「学習」という語はあたかも「教授」の対概念であり,実存する知 識の伝達という図式を想起させ易い.後述するように,構造主義の洗礼を受けた後の「知識」や「意

味」の概念は,他の知識や意味と共に織りなすシステム内で相対的に決定される「価値」として捉

えられる.このような意味で,知識の学習(knowing)は,知識生成(forming, generating or con−

structing)と言った方がふさわしい能動的な活動である.また,本論で「知識獲得(acquisition)」とい

う時は,西洋において伝統的だった,真理としての知識が外在するという知識観を継承するときに 用いることにする.このような使い分けをすることにより,knowingの理論としての構成主義と,

*茨城大学教育学部理科教育講座(310茨城県水戸市文京2−1−1;Science Education,

Faculty of Education, Ibaraki University, Mito, Ibaraki 310, Japan)

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learningの理論としての構成主義とを分けることが容易になると思われる.

2 構成主義の主張

 構成主義とは,何についてのどのような主張なのか.科学教育において議論されている中身を吟 味するために,科学教育以外の領域で言われている内容あるいは構成主義の最大公約数的な主張

を検討することからはじめることにする.

 また,このような構成主義の意味を理解するためには,構造主義(Structuralism)についての理解が

必要となる.しかし,本論において構造主義の全体像を述べ挙げることは不可能であるし,筆者の 力量の及ぶところでもない.構造主義については,構成主義を説明する上で必要と思われる点のみ

に焦点をあてることにする.

2−1知識生成の理論としての構成主義

 一般に最も広く受け入れられるであろう構成主義の定義は,以下の2点を原理とするvon Gla−

sersfeld(1991)によるものであろう3),

  原理A:Knowledge is not passively received but actively built up by the cognizing subject・

  原理B:The function of cognition is adaptive and serves the organization of the experientia1 world,

      not the discovery of ontological reality.

ここで,原理Aは triviaPな構成主義原理,原理Bは radical な構成主義原理と呼ばれている.

 構成主義は,知識と知識生成(あるいは知識獲得)についての,いわばknowingに関する理論である.

この特徴を浮き彫りにするために,上述の原理に内在する学習者観(人間観),知識観,学習観とい う観点から,構成主義以前の知識に関する主張と比較しよう.

 構成主義以前のknowingに関する議論は,行動主義(あるいは客観主義)と呼ばれる.ここでは,学

習者は白紙の状態であって,学習は,実体としての知識がそこに書き込まれていくという知識伝達

モデルとして捉えられていた.したがって,知識は他者と同一な形で共有可能とされる.また,こ

の考えは,絶対的真としての知識を想定することと馴染み易い4),

 これに対し,上述した構成主義の原理によれば,知識は,外界(環境)や他者から直接伝達・移入 されるのではなく,新しい知識は,認識の体系の中で,既存の知識によって能動的に構築される.

ここでは,学習者を白紙とはせず,既存の知識(体系)を有するものと捉えている.knowingは,学習

者の能動的活動であり,知識生成過程なのである.これらの前提から,知識は個別的であり,誰も

が同一の知識を構築していることは必ずしも保証されなくなる5}.

 上述したvon Glasersfeldによる構成主義の原理は,彼が打ち立てたというよりも,定式化したと言 った方が正確である.Emest(1993)は,このような個別意味構成(体)としての学習(者)観は, Ausubel やKellyの他,情報処理的・認知科学的アプローチ, MeadやSchutzといった社会学の諸理論等にも みられると指摘している.

 このように,構成主義を知識生成の理論として捉えれば,その定義について論ずることは比較的

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たやすい6).

2−2構造主義の中に位置する構成主義

 これに対し,構造主義とは何かという問いに応えれば一冊の本が出来てしまうほど,その意味す

るところは広範囲である.しかし本論では,手短に以下のようにまとめておくことにする.

 構造主義とは,1950年代半ばにフランスの人類学者レヴィ・ストロースらによって広められた,現 代思想を代表する思想,あるいは科学の方法であり,それに留まらず,19世紀以来の西洋の思想を根 底からくつがえすほどの影響力を持つ一大潮流である.目に見える現象を離れ(行動主義からの脱却),

(内部)構造を想定し比較・操作する.今世紀初頭の言語学者ソシュールをもってはじめとされ,1950 年代に盛んになったシステム論の考え方とも類似している.

 普通,文化人類学のレヴィ・ストロースの仕事を紹介することが,構造主義の理解には近道であろ うが,本論はソシュールにみられる洞察に関係深い.

 ソシュールによれば,言語は,対立する記号システムである.意味は,個々人の言語システム内 部の論理にのみ依存し,相対的に決定される「価値」としてある.その意味で,言語は恣意的であ る,すなわち,意味は,本質的に個々によって異なるものであり,その個というシステムの中での

み通用する相対的な価値として意味をなす.ここに構成主義との類似性が見いだせよう.

 一方,レヴィ・ストロースは,比較方法論を徹底させ,構造の概念をもって未開文化を探った.構

造とは,数学で使用される意味に近い,そして,西欧近代の知も未開社会の知も同型であることを 証明した.このことは,神の啓示として与えられていた真理としての知識あるいは,人間理性が 勝ち得た真理としての知識という,西洋的な知識の認識に再検討を迫り,真理は制度の中でのみ判

断される産物であるという捉え方を導いたn.

 この意味で,構造主義は,それまでの西洋中心主義自体を告発し,そこから脱却しようとする運

動であり,今世紀西洋に発する一大思想運動と位置づけられる.

 知識生成という意味の構築は,既存の知識によってなされる.すなわち相対的に意味付けされる

わけである.この構成主義の主張自体が,構造主義に見られる主張に内包されている.したがって,

構成主義は,今世紀現代思想の一大潮流としての構造主義の主張に影響を受けたもの,あるいはそ

の中に位置づけられるものであると捉えられよう.

 一・方,科学教育においては,構成主義の登場はどのように受け止められているのか。当時の状況 は以下のようなものであった.

 第一に,それまでの行動主義やピアジェの発達理論8)にしたがう考えでは,子どもの学習不振等が 説明できず,新たな心理学的な説明が求められていた.第二に,学習した後でも,子ども(学習者)

は堅固に従来の概念を換えないことが数多く報告された(Driver・et・al.1985;Osborne&Freyberg 1985;Gly皿et al.1991)9),

 このような状況で,知識や学習に関する構成主義的な考え方の存在に気付けば,科学教育者たち がこれを無視するはずがない.それまでの状況を説明する理論として,構成主義は広く受け入れら

れるようになった.

 構成主義は,情報処理理論を取り入れた認知心理学の影響を受けているという指摘もあるが,そ

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の背後には,さらに大きな構造主義運動の影響があると言えよう.

2−3教授・学習論としての構成主義

 上述してきた構成主義に関した議論において留意すべきことは,第一に,構成主義がknowingの理 論である点.第二に,知識の理論としての構成主義からは,教授方法論は何ら帰結し得ないという

点である.

 ところが,少なくとも科学教育においては,構成主義に基づいた教授論が数多く提唱されるとい

う奇妙な現象がある.すなわち,教育という領域に構成主義が取り入れられた瞬間,それはIearning

の理論として姿を換えられてしまうのである.これはなぜかを考察する前に,それらの見解を列挙

してみよう.

 有意味学習を唱えるAusubel(1969)は,学習者による意味構成を包摂作用と捉え,それを促進する

方法として先行オーガナイザーを与えることを提案した,彼が,諸概念に上位・下位という階層を

設けたことも特筆すべきであろう.

 彼の理論に影響を受けた者の申にNovakがいる. Novakは,概念地図(concept map)を提案した.

これを学習者が作成すれば,自分の概念構造をモニターしながら学習が進むことから,知識の再構

成が促される(Novak&Gowin l984).概念地図は,学習方法の他,評価法,あるいは認知研究の手 法としても注目されている(大辻1994).

 Gagn6(1963)は,初期能力(initial capability)と知識を学習の前提条件とし,学習結果を終末能力

(terminal capability)と捉えた.学習としての探究活動を重視し,それを成立させるための前提条件と

して,能力と知識を挙げている.これも構成主義的な捉え方と言えよう.彼の理論は,後にS−APA

(Science−A Process Approach)につながるものである.

 Driver(1981)は,文化人類学的観察から,子どもが既存の概念を堅固に保持しており,それを変換 させることは困難であると報告した.彼女は,子どもの持つ概念体系をAlternative・frameworkと名付

けた.そして,自分の持つ既存の概念と新しい科学的概念とを学習者自身に対比させ,既存概念に

対する矛盾に気付かせるという反証過程を踏ませることを提案している.

 以上のように,各研究者が様々な議論を熱心に展開している.しかし,なぜ,知識の理論として の構成主義が教授方法論につながるのか.その理由として以下の二点が挙げられよう.なお,ここ

での考察は,科学教育に限ったものである.

 第一に,科学的知識を特殊とみる見方が存在している.すなわち,科学的知識が絶対的真である

というその特殊性を暗黙のうちに信じ,「科学的知識を有していれば,教養が増して豊かな人間にな る」であるとか,「生活が便利になる」などと主張するのである.上記のDriver(1995)も,科学的知 識が外在する真のものとして捉えている(p.395).

 第二には,科学振興という暗黙の目的が存在することである.一見当然のことであるが,これに

は注意を要する10).

 以上の2つをまとめて科学主義と呼ぽう.科学教育者が,あらゆる手段を駆使して,科学的知識の 学習(learning)を促進しようとするのは,彼らが科学主義の立場に立っているからである.論理的に は導かれるはずのない教授・学習論への構成主義の応用(あるいは曲解)は,科学主義の原罪である

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とも言えよう.

3社会構成主義・状況的学習論

3−1知識生成の理論としての考え方

個別的な知識生成の活動であるknowingの考え方を一歩広め,外界(環境)との情報のやりとりとい

う観点を更に導入することも可能である.それが,社会構成主義なり状況論と呼ばれるものと捉え

て大きな間違いはなかろう.これには,システム論の影響が強い.

 システム論では,全体として機能を果たしているもののはたらきを説明するために,それを一つ

のシステムとして捉え,全体を構成する内的要素に分解し,要素どうしの互いの関係を記述する.

しかし,このような閉じたシステムとしての記述だけでなく,システムのはたらきを外界(環境)と の相互作用(情報のやりとり)を経た統一性の維持として全体のはたらきを捉える。これは,全体は

部分の総和以上のもので内的記述では不十分である,という認識に立つ.1940年代にはじまりをみ るシステムの考え方は,動物行動学や進化論からも影響を受けたもので,主に工学の領域で主要な

考え方となっている.

 この考え方を人間の学習というはたらきについて適用すると,新しい知識を学習するという全体

的現象をその内部構造からのみ説明するのではなく,人の認識を外界(環境)との絶え間のない相互 作用である,と捉える立場ができあがる,すなわち,学習(knowing)は,他者との情報のやりとりと

しての「学びあい」,あるいは,外界という「学習環境」との相互作用として捉えられる.これが,

社会構成主義であり,状況論の本質的な部分であろう.

 先のvon・Glasersfeldの構成主義の2つの原理に戻れば,社会構成主義は原理Bに相当している.彼 の定式化は的を得ていると言えよう.事実,von Glasersfeld自身も,システム論やサイバネティック ス等の構成主義への影響を指摘している(1987)ll).

 社会構成主義や状況論の登場においては,このような思想的背景は無視できないであろうが,そ れだけでもない.状況論の位置づけに関しては,実用論的推論スキーマから生態学的アプローチを

経て状況論に到る,認知心理学における過程を佐伯(1994)がまとめている.

 社会構成主義や状況論の考え方は,人間を外界(環境)との関係で捉える点で,前述した構成主義 よりも広い視座に立つものであり,魅力的である.

3−2教授・学習論としての考え方

 しかし,これが,構成主義の場合と同様に,制度としての,あるいは,目的的営為としての教育

に取り入れられるとどうなるか.教育のためには,学習環境の整備(デザイン)が重要である,とい う主張が当然のように登場することになる12).具体例を挙げよう.

 上田(1994)は,学習者どうしが相互作用可能な空間をミュージアムに作り,Laveら(1991)が提唱 する状況的学習がそこに生じていたと報告している.特に,この実践から,「状況に埋め込まれた自

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信」を学習者が抱くという仮説を立てているのは興味深い.Roth(1994)は,科学教育において,学

習者が外界と相互作用を起こす場として実験を捉えている.科学教育において実験は議論の的であ

るが,再び実験重視の立場が登場してきた.また,授業形態としてグループ学習が注目を集め,Group theoryやCooperative Learningの重要性を主張する研究も数多い,これらの一連の研究群は,社会構成 主義,あるいは状況論を教育活動に取り入れたものとして位置づけられる.

 上述したような教授法においては,学習は,knowingというよりもlearningを中心とする概念にな っていることにも注意を払う必要がある.すなわち,ここにも科学主義が見いだせるのである.

 しかし,これらの教授方法論にはいくつかの疑問や危惧が生じる.第一に,教授法としては楽観 的であり,かつ,ある意味で無責任に思えることである.学習者に直接働きかけることを放棄した 点は新鮮ではあるが,教授論としては違和感が残る,第二に,環境さえ整備すればよいという解釈 に陥る恐れがある.そもそも,システム論的発想を採用したのは,学習という全体の振る舞いをよ

り詳しく説明するためであったはずである.ところが,外的条件にのみ注意が払われてしまうと,学

習過程を説明した上でその知見を利用する,という核の部分を棄却してしまうように思われる.学 習者の内的構造,ひいては「学習者」という教育の重要な構成要素を考慮すること自体,忘却され てしまいかねない.第三に,外界という条件を制御し,どのように学習者が行動したかという,行

動主義時代にあったような実験的な研究も大いに可能になる.

 教育は手段を選ばない.否,手段は選ぷがその本質を棄却することに何ら抵抗を感じない.社会

的構成主義,あるいは状況論を採用する教育研究・活動は,このような点に留意する必要があろう.

4 科学的知識の捉え方

 本論では,これまで,知識の理論としての構成主義を中心に論じてきた.そこでは,学習者に内 的概念構造を想定するという構造主義の影響がみられた.すなわち,構造主義により学習者観が変 化したのである.しかし,構造主義との係わりの中で今一つ重要な点は,知識観の大転換という点

である.このことを取り上げないでは片手落ちになると言わざるを得ない.

 18世紀の啓蒙主義以降の西洋における知識とは,前述のように,大ざっぱにいえば,神からの啓

示による知識と人間の理性によって勝ち得た知識との2通りであると捉えられる.どちらも,知識と

いうものは,人間を離れたところで実存するものとして捉えられる.したがって,この知識観に立

つ学習は,「知識の獲得(acquisition)」という表現が適当である,

 前述の科学主義に立つ教育は,この立場に固執し,科学的知識の絶対的真理性を信じて教育活動 を行う,そして,ここに,構成主義は教授・学習論の応用として取り入れられた,あくまでも,科

学的知識の啓蒙という目的達成の手段としてである.

 しかし,構造主義の登場により,意味とは個人のもつ言語システムの中で相対的価値として決定

される,という認識が生まれたのであった.これは,知識の絶対性を消滅させるものに他ならない.

すなわち,構造主義は,学習者観の変容と共に,知識観の変容をも我々に迫っているのである.

 さて,科学教育者はこのことを如何に捉えるのであろうか.これまでの科学教育は,例えば子ど

もを小さな科学者として捉え,探究させ,真理としての知識を獲得させようとしてきた.あるいは,

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完全習得学習であるとか有意味学習などを提唱し,やはり,真理としての知識を獲得させようとし てきた.しかし,科学的知識を真理と見立てる基準はどこにあったのであろうか.科学的知識の絶

対性に揺らぎが生じていても,科学教育は継続可能であろうか.

 実は,最近になって,科学教育の領域にも西洋の知識を絶対視することに疑問を呈する立場の研

究がなされつつある.そこでは,西洋起源である自然科学を,「異文化としての科学」あるいは,「科

学者共同体の文化としての科学」として眺め,子どもの科学や土着の科学,そういった様々な知識

体系を相対的に捉えようと主張されている(Ogawa 1995;小川1995).これらの考えは,文化相対主 義に立つ文化人類学や,科学的知識に関する科学哲学の影響を受けたものである.

 このような科学観あるいは知識観に立ったとき,構成主義はどのようなものとして受け止めら

れるのであろうか.

 予想としてではあるが,第一に,構成主義は新しい視点とは映らないはずである.それは,この

ような立場では,元々,知識体系を相対的に捉え,その個別性を認めているからである.第二に,構

成主義に立つ研究は,人間の認知を対象とした純粋な認知研究として認められよう.無論この知

見を利用した教育活動に対しては,教授法を提案するような研究は行われないであろう.第三に,今 後の研究の関心は,翻訳や異文化理解,あるいはコミュニケーション論へと向かうと思われる.

 学習者の内的構造を視野に入れるようになったという意味で,科学教育は構造主義の影響を受け,

学習者観を変換させた,にもかかわらず,知識の絶対性を消滅させるという知識観の変換を認めな

いのは,科学主義の御都合主義と言えるのかもしれない.

5 まとめ

 本論では,構成主義に係わる議論を構造主義と関連づけて解説し,それに係わる諸事項の見取り

図を描いてきた.

 知識の理論としての構成主義という点から出発すると,それは,20世紀の代表的思想である構造主

義の流れをくむものであることが明らかになった.また,社会構成主義は,knowingという事象をみ

るときの視野の広さによるヴァリエーションとして位置づけられた.そして,教育活動の中にそれ

らの構成主義が取り入れられるのは,科学主義によるものであると考えられる.

 一方,構造主義は,学習者観のみならず,知識観をも転換させるものであった.科学教育におい ては,知識の絶対性への再検討は行われてきていない.しかし,最近になって,文化相対主義への

新しい方向性が打ち出されつつある.

 科学教育研究者は,教授内容として日頃接している科学的知識を再認識する時が来ているように 思われる.構成主義,あるいは構造主義の原点に還れば,科学教育における「科学」は一つの文化

として捉えられ,科学教育という営為そのものは異文化理解であるという認識に到る.

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D科学教育と理科教育との言葉の使い分けには,より厳密な議論を要する.本論では,これらが共通し   て持つ側面のうち,科学的知識を学習者に提供する行為という側面に限定して,科学教育の用語を用   いた.

2)本論に登場する各主張を理解する際それぞれで仮定される子ども観,知識観,(知識生成あるいは   知識獲得としての)学習論,教授(方法)論を明確にすると理解し易いと思われる.

3)今まで構成主義が論じられる際は,ほとんどの場合ピアジェの引用からはじめられて来た.本論は,

  もう一歩遡り,彼の思想的背景とされる構造主義の主張を再検討するところからはじめたい.そのた   めに,構成主義のよりシンプルな定義を採用する.

4)この知識及び知識獲得の考え方を採用する教育活動は,絶対的真の知識を伝達する行為,あるいは,

  自覚するとしないとに係わらず,啓蒙的行為にも似た善行として自己正当化されていたと言えよう.

5)近年では,もはや,これらは特筆するべきものではないであろう.新しい知識が学習されるとき,既   存の概念全体が再構築されるという主張も有力である.

6)今世紀初頭のロシアにおける前衛芸術運動の一つも同じように呼ばれるようである.

7)レヴィ・ストロースが比較方法論を採用した時点から既存の枠組みをはずれる考察の余地が生まれ,文   化相対主義としての文化人類学が発展したと言える.

8)ピアジェが構造主義者とされることは言を待たない.構造という概念自体が数学の用法に由来するが,

  彼の理論にも数学との係わりがみられる.

9)これらの研究によって,あたかも,学習者が概念体系を実体として持つような錯覚に陥っていたのか   もしれない.

10)科学教育における科学主義については,18世紀に生じた「文明」という概念を用いて議論できる(大   辻1995),

11)radical constructivismとsocial constructivismの関係は, von Glasersfeld(1995)に述べられているが,

  主張内容は類似している.

12)事実,このような視点で教育を考える研究会も創設されている(日本認知科学会「教育環境のデザイ   ン」研究分科会,1994).

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