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一 秋田県田沢湖町 「 郷土芸能振興会」の場合 一

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秋 田大学教育文化学部研究紀要 人文科学 ・社会科学部門 58pp,41‑48 2003

地域 における民謡の担われ万

一 秋田県田沢湖町 「 郷土芸能振興会」の場合 一

桂 博 章

TheTr adi t i onofFol kSongsi nLoc a lAr e a

‑ ThecasestudyofProvincialPerformingArtsAssociation ofTazawakoCityinAkitaPrefecture‑

HiroakiKATSURA

Thepurposeofthisthesisistomakeclearthefactorsthatwerefoundedontheperformanceactivi tiesofProvincialPerformingArtsAssociationofTazawakoCityduringtheprime.Andinconsequence ofexaminingofrecordsoftheperformancesofAssociation,conclusionsasfollowswerebrough

t .

1)TheProvincialPerformingArtsAssociationofTazawakoCityisthefederationthatwasconstituted ofafewlocalperforminggropes.Andbyreorganizingthelocalperforminggropes,itbecameeasierfor Associationtosecuretheperformingmembersandtogetrequestsforperformances.

2)Associationwasorganizedatthetimewhenprovincialperformingartsshiftoverthestageperform‑

ance,andthetraditionsofprovincialperformlngartsWereStilltransmitted.

3)Associationproducedthestageperformancesthatimpresstheaudiencethelocalityandvisualef fectsbyarranglngtheoriginalperformancesandperfom lngthedancesongs.

4)TheperformanceactivitiesofAssociationcoincidewiththedemandsoftheprefecturaloffices,and thetownofficesandthelocalindustries,sotheygavesupport'toAssociation.

5)Associationchangedthenatureoftheorganizationtomeetthedemandsofthetimes.

1.問題の所在

1. 1 民謡の変化の要因

現在,秋 田民謡」 として放送や レコー ド等 によ って 全国的に知 られている唄の多 くは,元来 は比較的狭 い地 域 において伝承 されて きた唄が,意図的に改作 されて き

た ものであ り,標準化 されているこれ らの唄 は,元の唄 とは大 きく違 っている。唄が変化 して きた方向は直線的 な ものではな く,時代を限定 して鳥轍 してみて も,異 な る演奏様式が共存 していた。職業的な演奏家の演奏様式 が広 く受 け入れ られ,標準的な歌 い方が確立 されている 現在で も,地元の民謡 を伝承,保存す る団体 も存在 し, それ らの民謡保存団体の中において も,三味線 の奏法な ど,昔 の伝統を忠実 に守 ろ うとす る演奏者 と共 に,家元 制 によ って標準化 された演奏様式を取 り入れようとす る 演奏者 とが共存 していることもある。

秋田県 の代表的な民謡である 「生保内節」 の場合 も, 現在,広 く歌われている旋律 は,昭和初期 に平易な もの

に改作 された ものであるが,新 しい 「生保内節」が広 く 知 られるようになってか らも,仙北郡 田沢湖町の生保内 地方 では,昭和20年代 までは,地元の人が集 まれば昔か ら地元 に伝わ っている 「生保内節」 の方がよ く歌 われて いた。新旧の唄が共存す る時代が続 いた後 に,古 い 「 保内節」 は新 しい 「生保内節」 に取 って替わ られたので あ り,新 しい節 に取 って替わ られた現在で も, 田沢湖町 が主催す る 「生保内節」 のコンクールでは,新 旧の 「 保内節」が歌われ,伝統を継承 しようとす る態度が地元 では見 られる。

民謡 の変化には多 くの要因が絡んでいるが, そのひと つ と して,特定の曲が歌われ る範囲の拡大がある。

秋 田民謡」 として現在,知 られている曲の多 くは, 他県 か ら伝播 された ものが,伝承の過程で変容 した もの であ るが,多 くの曲は,本来,伝承 されて きた地域が限 定 されてお り,地域を越えて歌われ ることは少なかった。

例えば 「本荘追分」 は秋 田県 の南部 の本荘 ・由利地 区

.‑ 41一一

(2)

(由利郡)で歌われていた もので,県中央部 で は歌 われ ることはなか った し,現在で もその傾向は残 っている。

秋 田船方節」 の場合 も同様で,秋 田県 の中央部 の仙北 地方で も歌われ るようにな ったのは,NHK の 「の ど自 慢」で歌われ,全国的に有名 にな ってか らのことで(1), 他 の地域 に住む人 々は, ラジオ等を通 して耳 にす ること

はあ って も,他の地域 の唄 として意識 していた。

また,限 られた地域で伝承 されていたそれ らの唄 は, 伝承 されている地区,村 などによって,細かな点で曲節 が異 な っていた。秋田県の中央部の仙北郡を例に取 ると,

秋 田おば こ」 の元唄 は,数 キロ, あ るいは10数 キ ロ離 れれば,曲節が微妙 に違 ってお り,それ らは地名を冠 し て,一般 には 「生保内おば こ」

,

「田沢おば こ」

,

神代お ば こ」,刺巻おば こ」 などと呼ばれていた(2)。 さ らに, 村落 とい った限 られた範囲 において も,個人 によって曲 節 に微妙 な相違があ り,誰 の唄がその地域や地区の正統 的な歌 い方であるかを断定す ることは無意味であ り,節 廻 しにはある程度の許容性があ った。歌われる土地 によ

り,節廻 しが微妙 に違 っていた ものが改作,統一 され, 新 しい 「秋 田おば こ」 に取 って替わ られ ると共 に,歌わ れ る範囲 も広が ったのである。

民謡が歌 われ る場」 の変化 も,唄の変化を引 き起 こ す大 きな要因であると言え る。酒席で歌われる場合には, そ こに集 まった大勢 の者が唱和す るので,個人 による個 性的な歌 い方 は求め られず.個人 により新 しい旋律が作 り出され ることはなか った。酒席では同 じ曲が歌詞を変 えて長時間歌われ るので,歌われ る曲の レパー トリーも 多 くはな く,酒席 に適 した唄が レパー トリーとして定着 してい った。師匠について唄の習得をす ることもな く, 聴 き覚えによって唄を習得 し,多 くの場合 は同 じ村 の住 人 によ って歌われ るので,地域 を越えて曲節を統一す る 必要性 も少なか った と言え る。

しか し,舞台などで踊 りの伴奏 として演 奏 され

,

「演 じる者」 と 「観 る者」 とが分かれ る場合 には,観せ るた め,聴かせ るための演奏 とな り,踊 りの伴奏となる唄 も, 曲節や リズムが踊 りに合 った ものに変化 し,舞台での演 奏 に適 した曲が主要 な レパ ー トリーとな っていった。 ま た,他 の村 の祭礼 に呼ばれて演奏す る場合 には,演奏能 力が問われることになるので,演奏者 は多かれ少なかれ 専門化 され, そのため,学習方法や標準的な演奏 も確立 してい くことになる。 また,特定の地域 に伝承 されてい た曲が,地域を越えて知 られ るよ うにな り,別の土地の レパー トリーに組み入れ ることも起 こって くる。さらに, 祭礼 の余興 などに呼ばれ るグループも淘汰 され,その地 域 の代表的なグループの演奏が標準的な演奏 として受 け 入れ られ ることもある。

1

.2 演奏組織 と民謡の変化

演 じる者」 と 「観 る者」 とが分離 された演奏では, 程度の差 はあれ,演奏者 は 「観 る者」 に受 け入れ られ る ような演奏を目指 し,演奏を担 う組織 の性格 も変わ って い く。 また,民謡 は産業構造,生活様式, マス ・メデ ィ アなどの影響を受 けて大 きく変化 して きたが, それ らの 外的条件の変化 に応 じて,民謡 を演奏す る組織が新 しく 生 まれた り,既存の組織 の性格が変わ ることもある。

例を挙 げれば,秋 田県の仙北郡 において は,交通の手 段 は民謡を演奏す る組が組織 される範囲を規定 していた。

自家用車が農村 に普及 していなか った頃,近隣の村 々へ の移動 はもっぱ ら徒歩 に頼 っていたが, そのような時代 には,徒歩で移動 出来 る範囲内の居住者 によ り,漬奏者 の組が組織 されることが多か った。 しか し,農村 に自家 用車が普及 した現在では,広い範囲に居住 している者 を 1人の師匠が指導す ることが可能である。 また,以前 は 共同体の中で演奏の組が組織 され ることが多か ったが, 産業構造が変化 した現在では,生活様式や職業 の違 いを 超えて,演奏者のグループや師弟関係が形成 され るよ う にな って きている。

ある地域 における民謡の様式の変化 には多 くの要因が 作用 しているので,一概 には言えないが,生活様式など, 民謡が担われ る脈絡が安定 してお り.大 きな変化が無 い 場合 にも,伝承の過程で民謡 は変化 してい く。 しか し, このような場合には,演奏様式が大 きく変 るとい うこと は少な く,洗練化 に向か うと考 え られ る。

一方,産業構造 の変化, マス ・メデ ィアなどの発達 な ど,外部か らの影響を受 けることにより,音楽の演奏を 担 って きた組織 自体が変質 した り,新 たな組織が誕生す ることもある。民謡 の変化 と,民謡を担 う組織 の変化 と は関係 してお り,組織の変化は,産業構造の転換,マス ・ メデ ィアの発達など,外的な影響を受 けた結果であると 言え る。外的な環境 に適応 した組織で は,組織 の活動 は 盛んになるが,適応出来 なか った場合 には組織が消滅 し た り,新たな組織 に組み込 まれた りす る。

また,民謡を演奏す るための組織 は,地理的,歴史的 な条件 に規定 され,同 じような影響 を外部か ら受 けなが らも,地域 により異な った展開の仕方 を見せ る。 たとえ ば農村 における戦後の生活様式の変化 は,秋 田県全域 に 見 られ ることであるが,その影響の現われ方 は地域によっ て異 なっている。 それまで組織 されていた組が次第 に解 体 され,地元の組が消滅 して しまった例 もあれば,従来 の組が性格を変えなが ら,その後,組が長 く存続 してい る例 もある。

秋 田県田沢湖町の生保内地方 の 「郷土芸能振興会」は, 時代の変化 に応 じて,それまでの組 を再編 し,組織 の性 格が変質 した例であり,戦後,農村 において民謡が次第

(3)

桂 :地域 における民謡の担われ方

に歌われな くなった時代に盛んに演奏活動を行ってきた。

観光客の誘致」,地場産業の宣伝」 とい う行政 の狙 い と,地元の伝統が結 びつ くことにより,新たな演奏の需 要が生 じ,昭和30,40年代には,活発に演奏活動を行 っ ていた。 また,隣接す る角館の祭礼の踊嚇子を,主要な レパー トリーに組み入れることにより,舞台効果を高め, 観光客などにも喜ばれる演出をするなど,それまでの演 奏を作 り変え,地域の新 しい演奏様式を確立 している。

この小論では, 田沢湖町の 「郷土芸能振興会」 という 演奏組織の運営のされ方,及 び演奏活動を明 らかにする ことにより,郷土芸能振興会」が成立 した要因, 及 び 地域 における民謡の担われ方の一例について考案する。

2.郷土芸能振興会」 について

2. 1 郷土芸能振興会」が創立された背景

田沢湖町に 「生保内町郷土芸能振興会」が組織 された のは,昭和307月のことであり,その後の町村合併, 及 び町名変更により昭和361月に 「田沢湖町郷土芸能 振興会」 と改称 され,現在 まで組織 は存続 している(3)

郷土芸能振興会」創設 に中心的な働 きを したのは, 地元の民謡愛好家の田口秀吉氏 (明治34年〜平成3年) である。生保内地方では大正末より,祭礼での奉納や余 興のための 「踊 り暁子」を演奏す る組が組織されており, 名の知 られた組では地元,及び秋田県内を始め,時には 他県 に招かれて演奏 していたが,戦後 は聡子の楽器や踊 りを習 う人の数が減少 し,それまでは独立 して演奏 して いた組 も,演奏者数の減少により,単独の組 としての活 動が難 しくなっていた。 また,地元の住民の関心 は,伝 統芸能 よりも, ラジオか ら流れて くる歌謡曲, アメ リカ の ジャズやポップスに向けられていた。田口秀吉氏 は伝 統芸能の衰退を危供 し,地元の教育長,町長など,公的 機関に所属する者,及 びそれまで独立 して個別に活動 し ていた組 に働 きかけ,生保内町郷土芸能新興会」 を結 成 した。

2.2 事業計画書,及び組織

郷土芸能振興会」の創設時の事業計画書 には,以下 のことが記 されており,その内容は現在に到るまで変わっ ていない。

生保内町郷土芸能振興会」事業計画書 趣旨

われわれの先人が残 された民族的郷土芸能を保存育 成 し子孫 に伝えると共 に世 に広 く公開するものであ

る。

‑,古典郷土芸能の保存並 に改良 1.芸能人の錬成

2.民謡の録音 3.民族舞踊の撮影 4.特殊芸能の伝承 5.郷土芸能功労者の表彰 二,郷土芸能の紹介 ・宣伝

優れた郷土芸能の認識を深め広 く世 に公開す る。

1.芸能人の錬成 2.各種行事 に協力出演 3.印刷状による紹介 ・宣伝 三,郷土芸能功労者の顕彰

1.功労者の表彰 功労先人に感謝の意を表 し,意 欲の昂揚を図 る

会員は,嚇 し手 (太鼓,三味線,横笛,鼓),踊 り手, 及び民謡の歌い手が中心であるが,「特殊芸能 の伝承

が挙げられているよ うに, この地方 に伝承 されている

番楽

,

神楽」などの芸能伝承者 も含 まれ, さ らに, 特定の芸能の演奏技能を有 していない愛好者や,会の設 立趣旨に賛同する者 も加わっていた。「郷土芸能振興会」

創設の中心 となった田口氏 は,農業を営みなが ら村役場 に勤務 し,地元の民謡の研究者であったが,楽器を演奏 することはな く,公演の際には演奏曲目の解説や摺鉦の 伴奏を担当 していた。

郷土芸能振興会」 は,複数の種 目の芸能団体により 構成 された組織であるが, しか し,実質的には,それま で各地区に地縁によって組織 されていた複数の 「踊 り嚇 子」の組の連合組織であり,主要なメ ンバーは 「踊 り磯 子」の演奏者であった。

2.3 郷土芸能振興会」の演奏記録

芸能新興会」の演奏記録 は,記録簿に残されている。

しか し,記録簿が保管 されていた家の改築等により紛失 した分 も多 く,現在,残 っているのは,昭和31年11月よ り昭和3612月にかけての記録,及 び昭和439月より 昭和5212月にかけての記録である。

記録簿に記 されている事項の内,演奏に関する項 目と しては,演奏年月 日,演奏場所,演奏 目的,演奏者名, 演奏の機会や依頼先,演奏曲目,謝礼等であるが,総会 で報告するための正式な記録か ら,演奏場所だけを示 し たメモ程度のものまで,記 されている内容 はまちまちで ある。その他,予算 ・決算,事業計画,役員等を記 した 総会の資料,演奏会のプログラム,演奏の受入先へのお 礼状,出演依頼状,会員への通知内容なども含 まれてい

る。

記録を担当 した会員が年代により異なるので,記録 さ れている事項 は,記録者の性格による面が大 きく,記録 されていない演奏活動 も多い。 また,郷土芸能振興会」

‑43‑

(4)

は連合組織であり,会長や事務局を通 さないで,それぞ れの演奏の組に直接,依頼があった場合には,記録 とし ては残 されていない。特に昭和35年の町村合併により,

「田沢湖町郷土芸能振興会」に改称 された後 は,新 しく 加わ った神代地区の組への演奏依頼の多 くは,「郷土芸 能振興会」を通 さなか ったので,記録 としては残 されて いないことの方が多い。 さらに,消失 した記録簿 もある ので,記録簿だけか らは 「郷土芸能振興会」の活動全体 を把握す る̲ことは出来ないが,高齢の会員か らの情報に よって補足 しなが ら,①演奏の機会,場所,② 「振興会」

によって演奏 されていた曲 と,地元に伝承 されている曲 との関係,③角館の祭礼で演奏 される曲との関係,④演 奏者の組織 (演奏 メ ンバーの決定のされ方),を検討 し,

郷土郷土振興会」の組織の性格,及 び活動内容 につい て考察 した。

3.郷土芸能振興会」の活動内容 3. 1 演奏の機会

表 は,郷土芸能振興会」への演奏依頼が多か った時 期の昭和478月の演奏記録であり,「郷土芸能振興会」

の活動 の最盛期 には,依頼件数 はかなりの数に上 ってい たことがわかる。

演奏依頼が殺到す るようになったのは,昭和28年に東 京毎 日新聞社主催の東 日本民踊競演大会で準優勝, さら に,昭和31年 に毎 日新聞社主催の全国選抜民俗舞踊競演 大会で優勝 してか ら後のことで,特に昭和31年 に優勝 し てか らは 「火のついたような忙 しさになった

」 (

4)という。

記録簿か らは,演奏の機会 として,①東京,札幌の百 貨店での秋田県観光物産展,②首都圏,北海道の県人会

でのア トラクション,③全国,及 び秋田県の民謡民舞 コ ンクールへの参加,④地元,及び秋田県内の祭礼や観桜 会でのア トラクション,⑤公共事業や民間工事の完成記 念祝賀会でのア トラクション,(参クイズ番組,観光地紹 介などのテ レビ ・映画出演,⑦田沢湖町主催の行事への 協力 (敬老会,田沢湖祭,芸能祭,盆踊 り等),⑧役所, 公共機関の会議の後のア トラクション,⑨会社,商店組 合,民間団体等の会議のア トラクション,⑬地元のホテ ル,列車内での観光客へのア トラクションなど,多岐に 渡 っている。

演奏依頼が最 も多か った時期 は,昭和30年の初めか ら 昭和45年にかけての頃で,特に田沢湖の国民宿舎や観光 ホテルに宿泊する観光客の依頼で演奏す ることが多 く, 出演者 は観光 ホテルを掛 け持ちで廻 っていたという。 し か し,昭和50年代か らは,演奏の依頼が漸次,減少 し, 現在ではそのような演奏依頼 は,殆 ど無 くなっている。

3.2 演奏曲目

保存 されていたプログラム類,及び演奏曲目が記載 さ れていた演奏記録,計31回の演奏の機会か ら,演奏回数 の多い順に曲名を挙げると,次のようになる。

秋田おばこ」23 (秋田おばこ」22,「おばこ踊」

1回)

秋田甚句」21

「田植踊 」19 (「田植踊」15,「田植唄」 4回)

「けん嚇子」17

生保内節 」15回 (正調生保内節」 9,「生保内 」 5,生保内節元唄」 1回)

「円満蔵甚句」15

義 :昭和448月の演奏記録

年月 日 演奏の機会 演奏場所

44.8.14 秋田博前夜祭 秋田市 44.8.4,7 竿灯祭 秋田市

44.8.5 東北六県保母大会 田沢湖町 :生保内館 44.8.7,ll 網走漁業20周年記念祭 秋田市

44.8.10 御座の石神社祭 田沢湖町 :御座の石神社 44,8.ll 中小企業大会 秋田市 産業会館 44.8.ll 東 日本農業共済組合長会議 男鹿市 戸賀菊水 ホテル 44.8.14 秋田博 ア トラクション 秋田市

44.8.17,8 昭和町八郎祭 昭和町 44.8.15 白岩お寺祭 角館町 白岩 44.8.18,9 西馬音内竜灯神社祭 羽後町 西馬音内 44.8.20 秋田銀行山形支店総会 田沢湖町 :駒草荘 44.8.22 北海道 .東北神社大会 秋田市 :産業会館

44.8.23 オモ ト大会 田沢湖町 レークサイ ドホテル 44.8.26 秋田協会 (秋田放送局)会議 田沢湖町 生保内館

44.8.26 日本放送協会会議 田沢湖町 生保内館

(5)

桂 :地域における民謡の担われ方

秋田音削 12

「ひで こ節 」12

下 り山嚇子」10

上 り山嚇子」8

「おやまこ」 8

二本竹」 6

長者の山」 5

秋田花笠音頭」 3

神楽嚇子」 3

「さが り藤」 3

組音頭」 3

「おいとこ」 3

生保内岡本」 2

荷方聡子」 2

「よ しこの節」 2

姉 コ節」 2

木挽舞」 2

「田沢おばこ」 1

「さんさ節」 1

西根山」 1回

松坂荷方」 1

南部 よしやれ」 1

「ささら」 1

「えんぶ り」 1

以上の曲目の演奏回数を検討する際,生保内地区 と隣 接 した神代地区の組 による,角館の祭礼の嚇子 (飾山嚇 千)の演奏が含 まれていること,及 び古民謡を聴 くこと を目的 とした公開講座 も含まれていることも考慮に入れ ,郷土芸能振興会」の レパー トリーにつ いて考察す る必要があるが,演奏回数の多い曲目が 「郷土芸能振興 会」の生保内地区の演奏の組の主要な レパー トリーと考 えてよい。

生保内地区の組の レパー トリーとして挙げられるのは,

仙北地方 の民謡, あるいは 「秋田民謡」 として既に認 め られている曲で,秋田おばこ」(「おばこ踊」も含む),

秋田甚句,生保内節,「円満蔵甚句 (ドンパ ン節),

秋田音頭,「ひで こ節,「おやまこ,「長者 の山」 が それに当たる。

次 に,生保内地方 の固有の民謡 として は,「正調生保 内節 」 (生保内節元唄」 も含む) と 「田植踊 」が挙げ られる。現在,全国 に知 られている 「生保内節」 は昭和 の初期 に平易な旋律 に改作 された ものであるが,その元 唄であり,一般 に 「正調生保内節」 と呼ばれている曲は, 生保内地方 に固有の曲であり,郷土芸能振興会」 の主 要な レパー トリーとして演奏 されている。

「田植踊 り唄」 も生保内地方の唄 として演奏 されてい

るが, しか し,実際には岩手県の雫石町か ら明治9年 に 生保内に嫁いだ女性が伝えたものであ り,酒席の余興で 踊 られることはあったが,地元の人には余 り知 られてい なか った(5)。 この唄が 「芸能振興会」の主要な レパ ー ト

リーになったのは,次のような経緯による。

生保内地方の芸能の伝承 と普及に努めていた田口キ ヨ ノ (大正9年〜平成 2年)が,昭和25年頃,秋田県本荘 市の療養施設を慰問することになり,その時に 「田植踊 り唄」の存在を初めて知 り,それを習得 して慰問先で演 奏 した。その演奏が喜ばれたので,田口キ ヨノは踊 りを 工夫 し,それまでは農作業の手順を単純な踊 りにしたこ の曲に,「えんぶ り(6)の動 きを取 り入 れ るな ど して, 主要な演奏 レパー トリーとしていった。

郷土芸能新興会」 は,「田植踊 り唄」 を生保内地方 の伝統的な民謡 として演奏 しているが,実際は,地元民 にも余 り知 られていなか った曲が,観客 に喜ばれたため に演奏 されるようになったものであり,「地元 らしさ」

は演出された ものであると言える。

これ らの曲 と並んで,角館の館山嚇子 の曲」 も数多 く演奏 されている。生保内地方 は角館を中心 とした音楽 文化圏の外に位置 しているが,拳嚇子,下 り山嚇子,

二本竹」の3曲は昔か ら演奏 されてお り,芸能振興会」

の演奏で も主要な レパー トリーに組み入れ られていた。

拳聡子」 と 「二本竹」には踊 りが伴われ るために,視 覚的な効果があり, また,踊 りを伴なわない 「下 り山磯 子」 も,地元では 「究天」の際に行進曲として演奏 され る,軽快で調子のよい曲である。それに対 して 「上 り山 嚇子」 は,山車が神社に向か う時などに演奏 され,嚇子 のなかで も重要な曲であるが,テ ンポが遅 く,踊 りも伴 なわないので,舞台での演奏には適 さなか った。生保内 地方 は,角館の祭礼の踊嚇子の影響を大 きく受 けている が,舞台効果が増 し,観客に喜ばれる曲を レパー トリー に取 り入れていったと言える。

3. 3 演奏者 (̲1)噂 し手

郷土芸能振興会」による演奏 は,多 くの場合, 6 程度の踊子,嚇 し手 (横笛,三味線,太鼓,義,摺鉦), 及び 「地方 (じかた)」 と呼ばれる1人 の歌 い手か ら構 成 される。 この内,摺鉦 は唄い手が兼ねたり,笛や太鼓 の演奏 も出来 る演奏者 が担 当 した りした。 また, 地方 (じかた)が三味線の伴奏を兼ね,弾 き歌 いをす ること

もあった。

記録簿には昭和32年か ら36年 まで,及 び昭和47年か ら 50年 までの演奏者名が記録 されている。記録簿,及 び当 時の事情を知 る演奏者か らの聞 き取 り調査によって得 ら れた情報か らは,郷土芸能振興会」 の組織 は, この地

‑45‑

(6)

域 に元々,組織 されていた演奏の組を受 け継いだ もので あると言える。「郷土芸能振興会」の結成以前 は,知名 度のある組が外部か らの演奏依頼 に応 じ また,それぞ れの組では演奏者 も固定 していたが,郷土芸能振興会」

結成後 も,演奏 メンバーは固定 していた。 しか し,演奏 メンバーの一部, あるいは殆 どが入れ替わっていること もあり,それは次のような理由による。

① メンバーの殆 どは,それまで存続 していた有力な組に 属 していたが,発足時,及びそれ以降 も,他の地区か ら メンバーが加わ り,主要なメンバーとして固定 していっ た。地区,あるいはそれまでの組の枠を越えて演奏者を 補充す ることにより,演奏者数の不足に対処 していた。

②演奏者の個人的な理由で都合がつかない場合には,香 わ りの者が臨時に派遣 されている。「振興会」 の初期の 頃か らの主要演奏 メンバーで,横笛を担当していた者が,

2年間,演奏活動を離れ,その後,復帰 したという例 も ある。主要な演奏メ ンバーは固定 されていて も,それに 替わることの出来 る複数の演奏者がおり,彼等は基本的 には地縁,血縁 により,主要 メンバーと繋が っていた。

③演奏の中心 となっていたメンバーの老齢化や死去 に伴 ない,世代交代が起 こった。横笛や太鼓の若い演奏者が, それまでに摺 り鉦の伴奏者 として演奏に加わ っているこ とが多いが,彼等が古 い世代の演奏者に次第に取 って替 わ っていった。

④演奏依頼が重なった時には,主要 メンバーと関係の強 い演奏者を代理 に派遣することもあれば,別の地区の演 奏者の組を派遣することもあった。生保内地区に隣接す る向生保内地区にも踊 り磯子の組があり,町村合併後に は神代地区の嚇子の組 も,郷土芸能振興会」 に加わ り,

郷土芸能振興会」 には大 きく分 けて, 3つの組が共存 していた。演奏依頼が殺到 した頃には,それまで 「振興 会」の中では演奏の場が少なか った向生保内地区の組 も, 月に20回程度の演奏依頼があったとのことである。

⑤基本的には,組が異なれば,同 じ舞台で演奏すること はなか ったが,組の有力 メンバーの死去等に伴ない,別 の組のメンバーが加わることもあった。 また,都合がつ かない場合には,臨時にメンバーの貸 し借 りも行われる

こともあった。

このように,組の構成員は完全 に固定 しているという 訳ではな く,地区の祭礼での聡子の演奏では,地元の組 のメンバーとな り

,

郷土芸能振興会」 の演奏で は,主 要 メンバーとして演奏 に加わるというように, 1人の演 奏者が状況に応 じて,複数の組 に参加することも多かっ

た 。

(2)踊 り手

郷土芸能振興会」には2組の主要な踊 りの組があり, ひとつは,郷土芸能振興会」 に唄 い手 として加わ って

いたメンバー (毛江田チヨエ)の踊 りの弟子であり, ら うひとつは,郷土芸能振興会」 に三味線奏者, 及 び歌 い手 として加わっていたメンバー (田口キ ヨノ)の踊 り の弟子であった。 しか し,出演す る踊子のメンバーは常 に固定 していた訳ではな く,踊子の都合がつかない場合 には,同 じ組の他のメンバーが代わ りに出演 した り,別 の組の踊子が派遣 された。 この2つの組の他にも,生保 内の近隣の地区には,踊 りの組がい くつかあり,演奏の 依頼が重なった場合には,それ らの組の踊 り手が出演す ることも多か った。「郷土芸能振興会」 の嚇子 の主要 メ ンバーが,それ以前の地元の雌子の主要 メンバーであっ たのと同様に,踊 りの組 も,郷土芸能振興会」 結成以 前か ら活動 していた組が中心 となったが, しか し,嚇 し 手の数が多 くなか ったのに対 し,踊 りの師匠,及 び踊 り の組の数 は多か ったので,聡子の組 との組みあわせは, それほど固定 されたものではなか った。

(3)歌い手

郷土芸能振興会」 による舞台で歌われる唄 は,唄 自 体を聴かせることを目的としていたのではな く,舞台で の踊 りの伴奏 として歌われるものであり,唄がな くて も 嚇子だけで踊 りの伴奏をすることも可能であるし,事実, 嚇子の伴奏だけで踊 られることも多か った。

初期の頃

,

郷土芸能振興会」で唄 を担 当 していたの は,三味線奏者 (田口キヨノ) と,踊 りの師匠 (毛江田 チ ヨエ)であり,2人の死去 に伴ない世代交代が起 こっ た後 は,別の歌い手が加わ り,現在に到 るまで替わ って いない。 また,歌い手 として,その他に2名の名前が記 録簿 に記 されているが,それは他の磯子の組 (向生保内 と神代)の歌い手である。 このように,同 じ歌い手が舞 台で長 く歌い続 け,歌 い手の数 も多 くはない。その理由 としては,郷土芸能振興会」 に依顧 され る舞 台 は踊 り が中心 となっているので,歌い手がいな くて も対応出来 ることがあり,事実,踊 り子 と曝 し手だけによる演奏 も 多い。

また,歌い手の養成 は,横笛や三味線 などの伴奏楽器 奏者,及び踊 り手のように,特定の師匠の指導 によらな くて も可能であり,聴 き覚えによって学習 される。踊 り の伴奏をする歌い手の養成 も,正式な指導 は殆 ど行われ ないが,踊 りにあった歌い方を身 につけるためには,舞 台での経験が重要であり,曝 し手の指導 により歌 い方を 身につけてい くという面がある。 さらに,昭和30年以降 は職業的な民謡歌手による歌 い方が基準 とな り,踊 りに 合 った地元の歌い方をする者がいな くなって きている。

これ らのことにより,歌い手の数が少な く, また,歌い 手が固定化 されていると考え られる。

(7)

桂 :地域における民謡の担われ方

4.郷土芸能振興会」の成立要因 4. 1 時代背景

郷土芸能振興会」 は,敗戦 により地域の芸能が衰退 し始めた時代に発足 している。戦前 は芸能愛好者が多 く お り,酒席や結婚式で歌 い,踊 ったり,10歳未満の少女 が地域の師匠に踊 りを習 うのは当然のことのように思わ れ,唄や踊 りは人々の娯楽の中心であった。敗戦を境に 民俗芸能 に対する関心が薄れ, また, ラジオや電蓄の普 及 により,それまで享受 されていた唄や踊 りが次第 に消 えていったが, しか し, 自ら演 じる芸能か ら,観 る芸能 に変わる土壌 は残 ってお り, また, この地方の芸能 は踊 りや踊 り唄が多 く, それまで も祭礼の場などで演 じられ て きているので,舞台芸能 に移行することは容易であっ

た 。

さらに,大正末か ら昭和初期にかけて活動 し,地域の 祭礼で演奏 していた踊 りや磯子の有力な組が存続 してい たので,組を再組織することが可能だ った。その頃,演 奏者の人数が減少 し,それまであった有力な2つの組の 一方 は職子手が, もう一方 は踊 り子の数が不足 し,単独 での活動が難 しくな って きていたが,組が連合すること により,演奏者の不足 に対処す ることが出来た。

行政の側の要請 も,振興会」に活動 の場 を提供す る ことにな った。観光地である田沢湖に観光客を誘致する ため,及 び秋田県の物産を紹介す るために,秋田県 は首 都圏や大都市で観光物産展を開催 し,その際に 「郷土芸 能振興会」のメンバーの演奏 も秋田県をPRするために 利用 され,秋田 らしさ」や 「地方 らしさ」 を印象づ け るために一役,買 っていた。踊 りが中心となった舞台は, 不特定多数の観客 に秋田を印象づけるためには適 してお

り,現地を訪れた観光客のためのア トラクションとして, 宿泊施設や列車の中で演奏 し,観光客の前で 「秋田 らし

さ」を演出 した。

4. 2 個人の組織力

地方の芸能の組 を再組織 し,新 しく方向づけするため には,優れた能力を持 った個人の尽力が必要である。生 保内地方では田口織之助氏 (明治23年〜昭和22)(7)が, 地元の芸能の普及,保存に努め,その死後,田口秀吉氏 が地元の組や郷土芸能の関係者,及び地元の行政機関 ・ 教育機関等に働 きかけ,異なる組織間の調整を して 「 土芸能振興会」の結成に尽力 した。両氏共,舞台では摺 鉦を担当するだけであったが,演奏曲目の解説をしたり, 組織を作 り上げ,維持す る能力に長 けており,関係者か

らの人望 もあった。「郷土芸能振興会」 が秋 田県の代表 として派遣 されるように,地元の行政機関の役人だけで はな く,秋田県庁の役人 との問にも関係を作 り,それを 維持す ることに努めている。

地理的,歴史的な条件,及び行政か らの要請 が

,

「郷

土芸能新興会」に活動の場を与えたが,組織の運営能力, 及び対外的な折衝能力に優れた個人の尽力 も,見逃す こ

との出来ない要因である。

4. 3 演奏組織 と演奏の変容

郷土芸能新興会」 は,既存の組織を引継いだ もので あり,基本的にはそれまでの地縁,血縁を元 に した組織 であると言える。既存の組織が連合 し,「郷土芸能振興 会」 として再組織す ることにより,外部か らの依頼の窓 口が一本化 され,演奏依頼 が受 け易 くな った. 依頼 は

郷土芸能振興会」の会長や,外部 との折衝 を担 当 して いた田口氏に来ていたが,依頼 に応 じるために,演垂 メ ンバーやスケジュールを決めるのは田口氏の役割であり, 氏は言わば芸能 プロダクションの代表の役割を果 してい た。町や県の役所が,県外か ら郷土芸能の演奏の依頼を 受 けた場合,田口氏を通せば相手の要望 に容易 に応 じる ことが出来たので,行政機関にとって も得難い人物であ り,そのことにより,外部か らの依頼が 「振興会」 に多 く集 まるという結果になっていった。また,依頼が重なっ たり,演奏者や踊 り子の個人的な都合で演奏メンバーを 組むことが難 しくなった時にも,田口氏が調整役となり, メンバーを揃えることが可能 とな った。

しか し,数多 くの依頼を受 けるためには,従来の演奏 方法,及び活動内容を時代 に適合 したものに しなければ

な らない。

そのひとつは,各種 コンクールへの出場 で,「民謡民 舞」のコンクールで賞を得 ることにより,演奏団体 とし ての高い評価 と信用を得,皇族の前での演奏経歴につい て も同様のことが言える。 また, コンクールへの出場は, 会員を結束 させ る要因 ともな り,若い演奏者の励みにな ると共に,演奏の機会を与えることにもなった。

演奏を依頼 した側の期待 に応えるために,地域性を出 した演出法 も,演奏の需要が多 くなった要因である。生 保内地方の本来の民謡や民舞がどうであるかは,都会に 住む者や,短期滞在の観光客 には関係な く,田舎 らしさ を感 じさせ,見て楽 しめるものが喜ばれ,その目的に適

した曲が主要な レパー トリーとなった.

それまでは地元の人にも余 り知 られていなか った 「田 植踊 り唄」を,生保内を代表する曲として演奏 し,また, 元 は酒席の唄であり,即興の踊 りしか伴なわなか ったこ の曲に,「えんぶ り」の動 きを採 り入れ, 観客 の喜 ぶ振

りを工夫 したりした。 また,踊 り子の衣装 も,元 は着物 であった ものを,農家の娘を思わせるように,野良着姿 に変えた。

角館の踊 りは昭和初期には全国的に知 られていたが, 生保内地方の踊 りは近隣の角館の影響を受 け,角館の祭

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礼で演奏 され る踊 りの曲を共有 していたので, その洗練 された踊 りを生保内地方 の踊 りとして演 じていた。実際 は長 い修練 を必要 とす る洗練 された踊 りを, 田舎の踊 り として舞台で演 じていたので,見 る者を魅了 した。

また,元 々は踊 りがつかない唄 にも,踊 りをっ けて集 団で演奏す るなど,舞台効果を上 げるための演出を工夫 した。つ まり,地元の芸能を脚色 して 「地域」 らしさを 創 り出す と同時に, その周辺で広 く知 られている曲を, 地域 の芸能 として演奏 していた。 また,生保内地方では

弾 き歌 い」 の伝統が残 っていたが, それを集 団 による 演奏 に変え,舞台効果を高 めた。唄 は主 として踊 りの伴 奏 としての唄であ り,6人程か らなる踊 り子 は,同 じ動 きを したので,個人が 目立っ ことはなか った。 このよう に集団による舞台を演 出 して全体 としての特色を作 り出 した ことも,観客 に受 け入れ られた要因 と言え る。

このよ うな演出を加え ることにより,「郷土芸能振興

会」 は,観光客の誘致や地場産業の振興 という産業界や 行政機関の要請 に応え,一種の芸能 プロダクシ ョンの役 割 を果 していたが, もう一方では伝統芸能 の保存 ・育成

とい う,本来 の役割 も担 っていた。

生保内地方 には舞台での演奏 に適 さない民謡 も伝承 さ れてお り, それ らの古民謡 を聴 く会を催 した り,他の市 町村の教育委員会か らの依頼で,古民謡についての解説, 指導を行 った りもしている。 また,敬老会や町民の演芸 会,盆踊 りなど,町の行事 にも協力す ることにより,公 の役割 を担 う組織 としての性格 も併せ持 っていた。 これ らの活動 は,全体の中では大 きな比重 を占めるものでは なか ったが, そのことにより,地元 の役場 の支援を受 け 易 くな り,郷土芸能振興会」の活動 の足場 を得 て いた と言え る。

5.今後の課題

昭和30,40年代 には盛んに活動 していた生保内地方 の 「郷土芸能振興会」 は,時代が変化 し,娯楽が多様化 した現在では,演奏 の依頼が減少 してお り

,

「郷土芸能

振興会」 を通 して依頼がなされることよりも,結成前 と 同 じように,嚇子や踊 りの各組 に直接,依頼 がなされ る 方が多 く,演奏団体 としての性格が大 きく変化 して しまっ ている。 また,三味線など,発足時 には伝承 されていた

地元の伝統 的な演奏法が,民謡教室 における標準化 され た演奏法 に影響 された り,取 って替わ られ る傾向 も見 ら れ る。

民謡や民舞などの地方 の文化 は,時代の変化 と共 に, 民謡 の家元制 に基づ く中央の音楽文化 に取 り込 まれ る傾 向がある。 このことは限定 された地域内について もあて はまり.生保内地方 において も

,

郷土芸能振興会」 の 結成 は,生保内地方の民謡や踊 りを標準化す る契機 とな り, この地方 の民謡が変容す る要因 ともなった。 しか し, 逆の立場か ら見れば,秋 田県 の民謡 は仙北地方 の伝統的 な演奏法を元 に しなが ら改変 され,標準化 されたとい う 面 もある。

生保内地方 の民謡の伴奏の嚇子 と踊 りの様式が,角館 周辺の聡子や踊 りか ら受 けた影響,及 び両者 の関係, さ

らに,地域 の文化 と中央の文化 との関係を,音楽 と踊 り の様式面か ら明 らかにす ることが今後の課題である。

(1)昭和33年に佐々木常雄がNHKのど自慢全国コンクール」

で優勝してから,全国的に知られるようになった。

(2)土地の人は,単に 「おばこ」と呼び,地名を冠 しない。

(3)会員数は,昭和32年には85名,昭和34年には50,48年に 61名,平成12年には64名と,記録に残されている。

(4)郷土芸能新興会」会長,田口稔雄氏の談。

(5)田沢湖町教育委員会による調査資料より。

(6)豊年予祝の舞踊で,田遊び ・田植蹄の一種。

(7)弁護士で,前記の田口キヨノの夫。

参考文献

秋田県教育庁社会教育課 (1973) 秋田の芸能,秋田県芸 術文化協会

井上隆明(1993) 秋田民謡芸能年表 (4),雪国民俗』

27集,秋田経済法科大学雪国民俗研究所,pp.163.

角館誌編纂委員会 (1971) 角館誌 第7巻 民俗芸能 ・民 謡 ・民俗工芸編』,秋田県角館町役場内 「角館誌」刊行会 田沢湖町史編纂委員会 (1966) 田沢湖町史,秋田県田沢

湖町教育委員会

田口猛夫 (1969・1970) 「中川の民謡人と踊子たち(1

18),北仙民友1546‑1965号。

参照

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