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Development of Intervention with Students in Life Space–

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(1)

       

*茨城大学教育学部学校心理学研究室(〒310-8512 水戸市文京2-1-1; Laboratory of school psychology, College of Education, Ibaraki University, Mito 310-8512 Japan).

はじめに

校内暴力が頻発していた

1970

年代から今日まで,学校や学級の荒れは常に教育問題として取り 上げられてきた。文部科学省(

2019

)による「平成

30

年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指 導上の諸課題に関する調査結果」を見ても,校内暴力の発生件数は,多少の増減を繰り返しはする ものの,長期的にみると右肩上がりに増えていることが報告されている。いじめの発生件数も増加 しており,学校や学級の荒れの問題が長期的なスパンで続いていると言えよう。

継続した問題である学校・学級の荒れであるが,その原因には質的な変化があると指摘されてい る。たとえば藤田(

2000

)は,

1970

年代から

1980

年代にかけての校内暴力が,受験競争や管理 主義といった学校システムの疲労による教育病理として考えられる一方,

1990

年代以降のそれは,

個人化という社会病理を反映したものであることを指摘している。

1990

年代以降は,不登校が教 育問題としてクローズアップされたが,これも学校社会を回避し,そこからひきこもることによる 個人化の動向と通底するという見方も可能であろう。

1990

年代の後半になると,学校・学級での荒れの様相は,さらに質的な変化を遂げたように思 われる。このころから,私語が私語といったレベルではないほどのものとなったり,立ち歩きや授 業離脱によって授業が成立しなかったりという現象が,中学校だけでなく小学校でも見られるよう になり,新たな「荒れ」(松浦・中川,

1998

)として報告されはじめた。いわゆる学級崩壊という 現象の出現である。学級崩壊現象では,注意力が散漫ですぐに話し始め,それを注意されるとソワ ソワして落ち着かず,そのまま教室から出ていったり,衝動的に暴力をふるったりする子どもが注 目されるようになり,それが精神医学でいうところの注意欠如多動症(

ADHD

)の症状とよく似て

生活場面における面接法の開発Ⅰ

―表面行動から

needs

を構築するために―

丸山広人

*

(2020 年 8 月 31 日受理)

Development of Intervention with Students in Life Space

To construct the needs from surface behavior

Hiroto M

ARUYAMA

*

(Accepted August 31, 2020)

(2)

いるということから,発達障害への注目も

2000

年代の初めには浸透し始めていた。

このような流れの中にあって,

1990

年代以降の個人化への対応としては,構成的グループエン カウンターを実施することで,子ども同士の人間関係作りを促進し,問題が起こる前から子どもた ちに予防的・開発的に介入したり,人間関係のスキルや自己主張の仕方をトレーニングすることに よって,行動のレパートリーを増やす働きかけをしたりして,学校や教師は様々な対応を工夫して きた。また,医師やスクールカウンセラーとの連携を深めることによって,子ども個人の心理的背 景をより専門的に理解して対応する工夫も施されている。

しかしながら,構成的グループエンカウンターやソーシャルスキルトレーニングは,その理論を 学ぶことや準備に時間がかかること,継続して実施することによって効果が期待できるがその時間 の確保が難しいこと,その他,教育現場の多忙化やベテラン教員の減少など,様々な要因によって 導入が難しくなってきている。スクールカウンセラーや医師との連携も,日常的にスムースに行わ れるとは限らず,コーディネーターの動き如何によって,促進されもすれば停滞もするといったよ うに,不安定なものにならざるを得ないのが現状である。

以上のような問題意識のもと,本研究では,授業場面や生活指導場面などで,普段から行われて いる指導を心理的介入ととらえて,そこでのやり取りをサイコセラピーや心理教育の視座から検討 しようと思う。日常的に行っている授業や指導場面に,治療的あるいは心理教育的な意味を持たせ ることによって,大人側が統制感と見通しをもって,戦略的にかかわる方法を探りたいと思う。こ のような方途をたどることによって,学校の日常になじむ,低リスクで低コストな心理支援の方法 を作り出す必要があるのではないだろうか。

本論文で取り上げるのは,

Redl & Wineman

1957

)の生活場面面接(

Life Space Interview

)や,

Long, Wood & Fecser

2001

)の提唱する生活場面危機介入(

Life Space Crisis Intervention

,以下,

LSCI

と略記)であるが,これらを中核に置きつつも,その他の心理療法の考え方を取り入れて考 察していこうと思う。(なお,本論文でいう大人とは,教師を中心に想定しているが,この中には,

保護者や生活指導員,スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー,あるいはフリースクー ルや適応指導教室の相談員など,子どもの心理支援を行う人も含んでいる。子どもとは,小学生か ら高校生までの児童生徒を想定している。)

1 学校から抜け出した女子生徒の事例

以下,<>は筆者の発言,「」は生徒や教師の発言である。

朝,出勤時間の

9

00

に間に合うように,

10

分前に中学校の前に到着。校門は閉まっているの で,車のエンジンをかけっぱなしにしたまま,校門を開けようと思って車から降りると,もう一つ の門から女子中学生二人(

2

年生と

3

年生)が出てきて,ふらふらとこちらに向かって歩いてくる のが見えた。もちろん,今は授業中である。よく見ると,いつも生徒指導関係の会議で名前の挙が る子どもたちである。ただし,私との面識はそれほどない。そのまま放っておくわけにはいかない ので呼びとめる。

3

年生はこちらを振り向くが,

2

年生はとても不安な様子で,「友だちの自転車の 鍵をなくしたので探しにいく」,「なくしたのがばれたらやばいんで」と歩きながら語って,そのま ま立ち去ろうと歩き続けた。私はあわてて,先ほどより強く呼び止めると,その生徒も歩みを止め

(3)

た。そこで<一度教室には行ったの?>,<今は授業中でしょ>,<まずは先生たちに相談してみ よう,一緒に話してあげるから>などと伝えてみたが,本人たちは「いーよ,いーよ」としか言わず,

かかわりを拒否するだけであった。鍵の方に話を振ってみると,以前も他の友だちの鍵をなくした ことがあること,友だちは自転車通学ではないこと,鍵を失くしたのは

3

日前の日曜日であること などが分かり,急いで探さなければならないということではなさそうだった。

3

4

分話を続けた が,もうすぐ勤務時間が始まりそうでもあったため,<そうしたら,学校に戻って。話は学校の中 で聴くから>と伝えたところ,「いーよ,いーよ,鍵を探さないと」と言って二人はまた歩き出し た。煙に巻かれたような気持の筆者は,<ちょっと待って>といって

2

年生の腕をつかむと,「あー,

セクハラ,セクハラ!」と言われてしまい,びっくりして慌てて手を離した。その行為を謝罪して

<とにかく学校に戻ってね>と伝えると,意外にも彼女たちはそれを受け入れ,出てきた門に向かっ て歩き始めた。彼女たちが構内に入ったのを見届けてから,車を構内に止めて,事態を伝えるため 急いで職員室に向かった。この時筆者は,車を駐車しているすきに,彼女たちが再び構内から出て 行ってしまうかもしれないと思っていた。しかし,彼女たちは素直に昇降口のところに立っていた。

そこで,生徒指導主事を呼びに行き,事情を話して彼女たちを引き渡した。筆者は,すぐに予約の 面接が入っていたため,そこでいったん彼女たちとのかかわりは終わった。

それから

1

時間ほど経過して,面接を終えた筆者が職員室に戻ると,彼女たちは職員室で先生の 手伝いをしていた。さらに

1

時間ほど経過したところで,手伝いを終えた彼女たちは,先生たちか ら褒められたり感謝されたりして,気持ちが収まったのか教室に戻っていった。

彼女たちが引き起こすトラブルというのは割とよくあるらしく,学級の生徒たちは,彼女たちと 適度な距離を保ちつつ,友好的にかかわっており,この時もネガティブに反応する子どもはいなかっ たという。その日,彼女たちは教室や学校から抜け出すことはなかった。

生徒指導主事によると,彼女たちはストレスがたまると,時々あのような行動に出るということ が分かった。彼女たちの話を聴いても,教室や学校を抜け出す理由とは考えにくいことばかりなの で,結局よくわからないことが多いらしい。そのため,とりとめもない雑談をしたり,作業を手伝 わせたりして,誰かがしばらくかかわっているうちに,彼女たちは自分なりに気持ちを落ち着けて,

学級に戻れることが多いとのこと。ただし,そのストレスとなる中核の問題は把握できてないため に,ストレスがたまるとまた同じことを繰り返すのだと,なかばあきらめたような表情で語ってい た。彼女たちは家庭に居場所がないらしく,「結局はかまってほしいだけ」であり,それがあのよ うな極端な行動に彼女たちを走らせているのだろうということであった。「学校から抜け出せば,

いやでもかまってもらえますからね」とのこと。筆者が学校に戻るように促したとき,意外と素直 に従ったのは,かまってもらいたいという彼女たちの思いと合致したからだろう。この生徒たちの ことは,生徒指導の会議でよく話題に上がるが,結局のところ今回と同じような対応に終始してい るということで,「もっと内面に向き合えるような」対応を模索している様子であった。

学校は彼女たちの気持ちに合わせて上手に対応し,彼女たちは自分の気持ちに折り合いをつけて 教室に戻っていったのだから,そして,彼女たちが戻っていく学級では,彼女たちを拒否すること なく,また影響もされないような学級づくりができているのだから,これはこれで一つの対応であっ ただろうと思う。しかし,生徒指導主事が語るように,ストレスとなる中核的な問題が把握できて ないということも事実であろうし,彼女たちの内面に入って理解を進め,彼女たちの成長を促した

(4)

いという考えにも十分うなずけるところがある。それでは,このような生活場面における心理療法 的な支援とは,どのように考えることができるのだろうか。

2 危機とは何か

本論文では,生活場面,とくに学校での危機の中にある子どもに注目し,その支援としての対話 の方法について,生活場面危機介入(

LSCI

)の観点から検討する。学校における子どもの危機と いうと,自殺の危機や他害の危機といったような,個別的で緊急性が高く,また命にかかわる現象 をさすことが多い。そして,その対応としての危機介入(

crisis intervention

)が思い浮かばれる。

このような危機の中にあっては,危機の渦中にいる人たちの生命を守るという観点から,その人間 関係や環境の中に割って入っていき,短期集中的にかかわることによって,まずは危機からの脱出 を最優先事項とする。そこでは,積極的に環境調整をしたり,重要な他者と連絡を取り合って援助 資源を動員しつつ指示的に動いたり,現実的な計画を作って方向づけたりするようなかかわりも躊 躇せず行われる。クライエントの意思や自発性を大切にした,ていねいなかかわりを常に頭に置く けれども,場合によっては,クライエントの要望とは異なる動きをすることもある。

このように来談者の生活の中に割って入っていき,緊急事態として対応せねばならない危機もあ るが,ここでは,もう少し考察の範囲を広げて危機を考えたいと思う。例えば,本論文が含める危 機というのは,ルールや約束事を守らない子ども,授業を離脱して廊下を徘徊する子ども,教師の 指示に抵抗して自分勝手に生活する子どもなど,教育の分野では生徒指導が対象とするような問題 行動である。いわゆる学校ストレスにさらされている子どもたちに対して,積極的に打って出る構 えをもつため,セラピーというよりは介入といった方がふさわしい。そのような問題に対して,教 師をはじめとする大人たちは,事態に割って入っていき,問題にかかわっている関係者たちに話を 聞いたり,事態を理解して環境や人間関係の調整をしたり,当の本人に現実的な目標を作り出し実 行の約束を取りつけ,保護者にも連絡をとるといったことをするであろう。生命の危機への対応と いうような緊急性があるわけではないが,しかし,事態に対するかかわり方は,危機介入と同じよ うな手続きをとる。

Long, Wood & Fecser

2001

)は,このような事態を

LSCI

が対象とする危機と 位置づけている(

p.3

)。

LSCI

は学校教育の中で,大人が子どもと接するときの方略を探り,介入することを目指したも のとなっている。いわゆる危機介入のように,危機からの脱出を最優先事項とするのではなく,危 機の場面というのは,子どもたちが人間関係や社会生活を営む上で必要な自己制御(

self-regulation

) を学ぶ機会である,ととらえて該当する子どもたちとかかわる(

p.3

)。危機は早急に脱出させる場 面ではなく,自己制御を学ばせる場面なのである。そこでは,子どもとの対話を重視し,子どもを 説得し,子どもが納得して学校生活を送れるようにすることをねらいとしたかかわりとなる。それ では,そのためには何が必要となるのだろうか。

Long, Wood & Fecser

は,

LSCI

によって自己制 御(

self-regulation

)を引き起こすための条件として次の3つを掲げている(

pp.3-4

)。

1

)周囲の出来事を理解すること

危機の中にある子どもは,ストレスによる悪感情に満たされてしまい,その悪感情から逃れよう として,否認,置き換え,合理化,知性化といった防衛機制を過剰に働かせている。そして,それ

(5)

がゆえに,現実を直視して物事を合理的に判断する現実検討能力が弱まっている。すると,危機と なった出来事を近視眼的にしかとらえることができなくなり,自分の言動が引き起こす他者の反応 を正確に見ることもできなくなってしまう。物事の一連の流れをつかめないまま,自分に都合よく 出来事をとらえたり,理由づけたりする傾向を高めてしまい,社会的知覚はゆがめられてしまう。

そのストーリーが固定化されてしまうと,このような事態にならないための他の選択肢を考えるこ とができなくなってしまう。ストレスによる感情が社会的知覚を歪めているので,ストレスの解消 を目指しながら正確な社会的知覚を取り戻すことが,自己制御を回復させ機能させるためには必要 となるだろう。つまり,自分の行動と感情が出来事にどのようにかかわっているかを認識できると ともに,他者の反応に気づける社会的知覚が高く,よりよい出来事を生み出すための選択肢がある ということを再認識できることが一つ目の条件となる。

2

)不愉快な状況を変えようとする変化への動機づけ

危機の中にある子どもは,その危機の中で一度立ち止まり,ストレスとなっている一連の出来事 に対して,自分がどの程度関与しているのかということを振り返る力が弱まっている。ストレスが 高まり悪感情があふれている危機にある子どもは,その感情を発散させるために行っている反社会 的行動によって,さらなる自己防衛に動機づけられているものである。そのため,自分の言動を正 当化して言い逃れようとしたり,悪いのは周囲の人たちであって自分はむしろ被害者である,変わ るべきは周囲の人たちであるなどと言い張るかもしれない。つまり,不愉快な現状を変えようとす る動機づけがほとんどないのである。反対に,現状の改善や変化への期待が高く,変化は可能であっ て,それに取り組む力が自分には十分にあるという感覚があれば,現状を調整して自己制御できる ことにつながる。つまり,二つ目の条件は,今の状況を改善したいという願望や,変わることは価 値のあることだと信じるに足る十分な自尊感情,そしてそのような変化は可能であるという変化へ の動機づけを持っていることである。

3

)大人たちへの信頼感

危機の中にある子どもは,大人への信頼感が弱まってしまっている。それは,子どもを危機的な 状況から救おうと思い,本人の気持ちに寄り添って,肯定的な関係をなんとか結ぼうとする大人に 対してでさえそうである。その理由としては,大人たちは自分の逸脱した行動ばかりを見て,どう せ自分の感情や気持ちを尊重してくれないという確信があったり,大人は自分の持つ力を気まぐれ に押し付けてくるものだと感じたりするためである。介入する大人への信頼感が高ければ,その指 示やアドバイスを喜んで受け取り,結果として満足のいく自己制御ができるようになるはずである。

三つ目の条件は,大人が自分の感情を尊重し,自分たちそれぞれの特性をよく理解して,生徒を大 切にしてくれているという確信をもっており,また,大人たちは権威と権力を賢く使い,子どもが 満足できるようなやり方で問題を解決してくれるはずだという感覚をもっていることである。

以上のように,現実検討能力の高さ,変化への動機づけ,大人への信頼という

3

条件によって自 己制御は引き起こされる。しかしながら,

LSCI

では危機の中にある子どもたちは,この

3

条件の どれも備えてないということを前提している。それでは,危機となる行動を引き起こしている要因 がどこにあるのかというところから検討に入ろう。

(6)

3 危機を形成する葛藤の循環

LSCI

では,子どもの危機を見つけ出すために,葛藤の循環(the conflict cycle)によって危機の 中にある子どもを理解しようとする(図

1

)。葛藤の循環というのは,危機の中にある子どもと大 人とのやり取りによって,葛藤が循環する様を図に表したものである。これは,危機の中にある子 どもの危機を見つけ出すことや,葛藤の中に大人側が巻き込まれていく様子を描き出したものであ る。危機の中にある子どもたちが,自分の悪い自己イメージを形成するために,巧みに大人たちを 利用するプロセスが描かれていると言ってもよい。

1

を見てみると,子どもの抱える葛藤は,

4

つの要因をめぐって最初に戻ってくる循環構造に なっている。これに応じて介入すべきポイントは,①出来事をストレスフルなものと感じ取らせる 自己概念と非合理的な信念,②生徒の感情,③生徒の行動,④大人や仲間の反応という

4

つになる。

1

)ストレスフルな出来事を引き起こす自己概念と非合理的な信念

表面的な問題行動をつぶさに観察したり,面接をしたり,生育歴を聴取したりして,彼らの自己 概念を推測してみると,危機にある子どもたちのそれは,非常にネガティブなものである。おそら く彼らの自己概念は,自分は愛されるには値しない,自分は無価値であり無力である,自分は何も できず無能である,といったものが中核を占めていると思われる。これまでの人生の中で,そのよ うな自己概念を形成せざるを得ないような関係を大人との間でつくってきたので,大人に対する信

図1 葛藤の循環図

(Longら,2001,p.25 を参考にして筆者作図)

①ストレス フルな出来

②生徒の感 情

③生徒の観 察可能な行

④大人/仲 間の反応

生徒の自己概念 非合理的な信念

① ストレスが非合理的な信念を呼 び覚ます。

② その信念によってもたらされた 思考は感情の引き金を引く。

③ 感情は行動を駆り立てる。

④ その行動は大人や仲間を煽り立 て,それらの人々がストレスを 増大させる。そして,このストレ ス源に対してネガティブに反応 する。

① 周 囲 から の ネ ガ ティ ブな反 応 が,悪い自己概念と非合理的な 信念を呼び覚ます。

(以後,②~④を繰り返す)

図1 葛藤の循環図

(Long, Wood & Fecser,2001,p.25を参考にして筆者作図)

(7)

頼感は薄く期待感は低い。そのため,すべての大人は自分を押さえつけようとしている,大人は信 頼できない,大人はすぐにキレる,大人はすぐに命令して従えようとする,などといった非合理的 な信念をもっていることが推測できる。周囲の仲間に対しては,みんな自分をダメなやつだと思っ ている,みんな自分を嫌っている,誰も自分を仲間として平等に扱ってくれない,誰も自分の気持 なんかに気づいてくれない,といった非合理的な信念によって周囲を知覚していることが推測でき

る(

p.p.27-30

)。このような非合理的な信念によって外界を見た場合,それはかなり漠然とした印

象しか与えないだろう。そもそも大人とは誰のことを指しているのか。確かに信頼できない大人も いるだろうが,信頼できる大人もいるだろうし,多くの大人はその生徒のことなど気にもかけてな いかもしれない。それは,周囲の生徒でも同じことである。そのことに気づくことは,危機の中に ある生徒にとって大きな気づきとなるであろう。ただし

LSCI

では,最初からこの非合理的な信念 をターゲットにして物事を進めることはしない。不快感や怒りが高まっているストレス状態の時に,

変化への動機づけも高まっておらず,また大人からの介入を歓迎してないような状況の中で,非合 理的な信念を取り扱うことは難しいからである。

2

)ストレス感情が引き起こす行動

非合理的な信念が問題なのは,現実検討能力を発揮しにくいということと,ちょっとしたことが 引き金となって,瞬時に悪感情を刺激しやすいということである。教室の隅で笑い声が上がると自 分のことを笑っているに違いないと不安になり,先生と目があっただけで何か言われるのではな いかと身構える。仲の良い友だちが他の人としゃべっていると自分は見捨てられたとふさぎ込み,

LINE

に返信がすぐにないと不安になる。目立った年下の後輩から見られるとバカにされているよ うに思い,グループ活動ではきっとへまをするに違いないと緊張する。このように,非合理的信念 が強く働いているとき,本人は現実をしっかり認識することなく確信にいたるのだが,それが非常 に偏っており,またバランスの悪い考え方に満ちていることには気づかない。ここに手当てがない 場合,不安や抑うつ,怒りが瞬時に沸き起こってしまい,蓄積もされていく。非合理的な信念への 治療は,論理療法や認知療法の有効性が認められているが,先にも述べたとおり,そもそも心理療 法には,本人が自分の問題として自覚し,問題の解決や予防を望み,自発的に取り組む意欲と治療 を続ける意志があることによって効果を期待できるが,危機の中にある子どもには,そのようなこ とはなかなか期待できない。

3

)観察可能な行動

非合理的な信念によって引き起こされた不安や攻撃感情に対して,危機の中にある子どもはその ネガティブな気持ちから自分を防衛しようとする。そして,教師や他の仲間集団に観察可能なもの として示されるのは,防衛機制によって過剰に動機づけられた行動となる。その行動は,学校生活 で求められるルールを破り,迷惑をかけても謝らず,自分勝手にふるまっているようなものとして 周囲には映るだろう。当の本人は,周囲からの攻撃を十分想定できるので,それに対しても自分を 防衛せねばならない。自分には関係ない,自分には問題ない,悪いのは状況や相手であると開き直っ たりして,問題に対する当事者性(自分にも問題があるという感覚)を否認することもあるだろう。

その場から逃げ出したり,言い訳をしたり,ごまかしたり,とぼけたり,嘘をついたり,肝心なこ とを言わなかったり,思い出そうとしなかったりして,問題に直面することを回避することもある かもしれない。

(8)

このような防衛行動は,何も学校のストレスだけが引き起こすとは限らない。家でのストレスを 学校に持ち込んで問題行動を起こすこともあれば,教室で起こった

3

時間前の出来事への反応とし て,その出来事とは何の関係もない部活動の先生と放課後に衝突するということもある。これは,

本当の問題に直面しない代わりに,他のものや場所で欲求を代理満足させようとする置き換え行動 である。とにかく,対応する側としては,その問題行動の理由をつかみがたく,しっかりと事態を 把握し,現実を描き出すということが困難な状況に巻き込まれることとなる。しかし,この場面で の現実把握をおろそかにしてしまうと,子どもの自己防衛を強め,現実検討能力を回復させること ができず,社会適応も困難にさせてしまうような,歪みのあるパーソナリティの形成をゆるすこと になりかねない。

4

)防衛行動への大人と仲間の反応

周囲の大人のみならず,ルールや規律を守って学校生活を行っている普通の子どもたちも,危機 の中にある子どもの問題行動に対して,ネガティブな反応をするものである。迷惑行為をする子ど もを拒否したり,一歩引いて客観的に眺めようとしたり,その場からそっと離れたり,非難したり 悪口を言ったりする可能性は十分にあるだろう。自分のストレスが,危機の中にある子どもの迷惑 行為や言動に由来するので,そのストレス源を攻撃しようとする。ここで起こっていることは,危 機にある子どもの自己防衛行動が,周囲の大人や仲間たちを刺激して,その人たちの攻撃欲動を煽 り立てているのだが,それを引き起こしている当の本人は,そのことに全く気付いてないという事 態である。危機の中にある子どもに感じ取られるのは,自分に向けられる批判的なまなざしや冷笑 であり,迷惑がって離れていこうとする仲間たちの姿である。そのため,仲間から外されている疎 外感が高まり,居心地の悪さを感じるとともに,友だちからも相手にされない無価値な自分や無能 な自分という自己概念を形成して,それを強めることとなる。

大人は防衛的な態度に腹を立て,否認したり回避してばかりで,自分の問題として考えようとし ない子どもに対して,仕方がないとあきらめたり,期待をかけなくなったりするであろう。当の本 人は,大人たちのそのような態度を引き起こしているのが自分の言動であることに気づかず,感じ 取られるのは,期待もかけられず,あきらめられている無価値で無能な自分ということである。そ して,この大人たちの反応が証拠となって,その自己概念がさらに内面化されていく。危機にある 子どもたちは,このようなプロセスによって,自分で予言していることが実現するようなかかわり をしてしまっているため,

LSCI

では,自己充足的予言としてこの経過を説明している。

このような葛藤の循環を断ち切ることが必要となるわけだが,それには,当の本人が感じるスト レスフルな感情は,自らの防衛行動が引き起こし,それが他者からの否定的な反応を引き起こして いるというように,感情-行動-他者の反応をつなげて考えられるようになることが必要となる。

そして,周囲の子どもたちには,できるだけネガティブに反応しないようにお願いしておくこと,

かかわる大人たちは,彼らの自己充足的予言を実現しないことに気をつけることである。

4 表面行動としての問題行動

逸脱した言動をする危機の中にいる子どもたちは,自らの行いが良いことではないということを なんとなくであっても気づいている。そして,大人たちから指導を受けることも分かるために,そ

(9)

れに対して自己防衛をせざるを得ない状況となる。自らの行為を正当化したり,誰かのせいにして 言い訳をしたりしながら,外からの攻撃に対して自分を守ろうとするわけだが,それだけでなく,

沸き起こってくるかもしれない自責の念や後悔といった,内側からの攻撃に対してもふたをして,

葛藤を覆い隠すように心が働く。こういった子どもの言動を大人側から見ると,こちらの意図が全 く伝わっておらず,反省にまでたどり着かせてないように感じられるので,さらに指導に熱が入る こととなる。しかし,それがまた子どもの防衛を強めることとなり,こうして生徒も教師もストレ スが溜まってしまう関係になる。

このことが問題なのは,子どもの本当の

need

を大人も子ども自身も見失ってしまうことにある。

つまり,子どもの表面行動(

surface behavior

Redl & Wineman

1957

)のレベルでコミュニケーショ ンをとってしまい,本来ターゲットとすべき

need

にまで到達できないところが問題である。

子どものニーズを的確にとらえるためには,二つのことを考えておかなければならないだろう。

一つ目は,

want

need

の違いを見分け,しっかりと子どもの

need

を掘り起こすこと,もう一つは,

大人との対話をすすめながら

need

を構築することが必要である,ということである。危機の中に ある子ども一人だけでは

need

にたどり着くことは難しい。

まずは,

want

need

の違いを見分け,

need

を掘り起こすことについて考えていこう。これは,

子どもが強く欲するもの(

want

)は,大人から見た場合,子どもが社会的に満足できる生活を営 むために必要なこと(

need

)とは考えられなかったりする場合がある,ということである。例えば,

リストカットをすると気持ちが落ち着くので,リストカットをしたい(

want

)という子どもに対 して,それをリストカットの

need

があると考えることはできない。確かにリストカットをすると 落ち着くということは本当のことであろうし,そのこと自体を受け入れることは大切であろう。し かしだからといって,リストカットを全面的に認めるわけにもいかない。大人側が目指すのは,リ ストカットの背後に隠れていて,子ども本人も気づいてないかもしれない

need

,例えば安心した いであるとか,安定的な人間関係がほしいといった

need

の方であり,そこに光を当てて意識化し,

その

need

を満たすためにはどうすればよいかを考えていくことだろう。そのように,表面にある

want

レベルの行動の奥底にある

need

を掘り起こすことが目指されなければならない。

次に,

need

は,信頼できる大人とともに構築せねばならないということである。防衛の強い子 どもは,防衛が強いがゆえに,自分の本当の

need

に到達することは難しい状況になっている。もし,

子どもが自分の

need

を一人で把握できたり,感じ取ることができるのであれば,つたないながら も自らの葛藤を言葉にしたり,助けを求めたりすることによって,社会的に受け入れられるような やり方で大人たちに伝えてくれるだろう。もっとあいまいな形であっても,神経症的な兆候を示す というかたちで伝えてくれることもある。しかし,本論文でいう危機の中にある子どもたちは,そ れができないからこそ,行動化(

acting out

)してしまい,その行動が他者を巻き込む破壊力をも つがゆえに,周囲の大人と表面行動レベルでのコミュニケーションを繰り返すことになる。したがっ て,危機の中にある子どもたちとかかわるためには,その問題の渦中に割って入っていき,そこで,

子どもの

need

を子どもと一緒に構築するような面接法が必要となる。

ただし,そのような問題の渦中にある子どもたちは,防衛機制が強く働いているため面接はとて も難しい。事態を正確に把握しようと思って話を聞いてみても,なかなか事実をつかむことができ ない。子どもの気持ちに寄り添おうとして,本当はどうしたいのかなどと尋ねてみても,あの子が

(10)

いるから教室に行きたくない,あの先生は嫌だから先生を変えてほしい,それができなければ私の クラスを変えてほしい,などという

want

があふれ出てくることもある。そのような

want

を安易 に

need

として受け取ってしまうと,大人は,そのようなわがままは受け入れられないと突っぱね たり,子どもの気持ちに寄り添っても無駄である,という気持ちにさせられたりもするだろう。そ して次第に,子どもの

need

を考える手間を省き,本心に触れようとする構えを失っていく。

子ども側は,自分の発する

want

レベルの要求が通るとは思っておらず,わがままとして拒絶さ れたり,受け付けてもらえなかったりすることを,明確にあるいはうすうすは予測しているもので ある。そのため,

want

がかなわなかったからといって傷つくことはないのだが,拒否された,無 視された,話を聴いてもらえなかったという事実として心の中で広がってしまうので,そこに過剰 反応してしまい,先生や周囲の人は自分の気持ち(

want

)をわかってくれないと感じるようになる。

子どもの思考は,このレベルで止まってしまうため,自分の本心は何か,自分は何を求めており,

本当はどうなりたいのかといった

need

を考えるレベルにまで到達しないまま,満たされない思い

want

)だけが募っていく。

本来は学校ストレスからの防衛のために働く防衛機制が,以上のようなプロセスで高いレベルの 学校ストレスを抱える原因となってしまい,それがまた表面行動としての問題行動を生み出す準備 状態となって,ちょっとしたストレッサーがかかった時に噴出するということになる。

以上は,表面行動を生み出す

want

レベルでのコミュニケーションを行った場合の話であるが,

学校によっては,毎日のようにこのような訴えに対応している生徒指導担当教諭も少なくないだろ う。表面行動の

want

want

として受け流しつつ,子どもと大人の双方がある程度の納得ができ る

need

を構築するためには,かかわる大人側が

want

need

を的確に見分けて,

want

need

に まで育てるような介入法の開発が求められる。

  

5 wantからneedへ

葛藤の輪は,自分の行いが結局は自分に返ってくるという意味で,自己破滅的な行動(

self-

defeating behavior

)となっている。

LSCI

では,その自己破滅的な行動が作られるパターンとして

次の

6

つに場合分けをしている。そして,葛藤の輪の解除のためには,かかわっている子どもが,

どの場合に当てはまるかを適切に判断したうえで対応することを求める。その

6

つの場合とは,① 現実をゆがめて知覚している場合,②ストレスの元を特定することが必要な場合,③到底受け付け られない行動への直面化が必要な場合,④セルフコントロールを強めるための価値の創造が必要な 場合,⑤新しいスキルを覚えさせることが必要な場合,⑥自分が周囲の人からいかにいいように使 われているかということを分からせることが必要な場合,の

6

つである。

6

つに場合分けされてい るので,それぞれに対して

6

つの対話の仕方(介入法)が用意されている。

LSCI

では,この①から⑥のいずれの場合であっても,下記の

6

つのステージを踏んで目的に進 んでいく。本論文では,その

6

ステージがどのような内容であるかについて検討する。

1

)感情の排出ステージ

このステージは,子どものストレスを理解し,生徒が言葉を発して問題となる出来事を話し始め られるようにすることを目指す。現実検討能力を高めるためには,言葉で考えて出来事を理性的に

(11)

振り返ることが必要となるが,その前には,強烈な情緒的洪水の排水をしておかなければならない。

それができれば次のステージに移行することができる。この時の大人の態度は,誰に対しても公平 でえこひいきがないようにする。危機介入を必要とすることになった出来事を特定することも行わ れる。

2

)時系列を確認するステージ

子どもにとっては,不快な情緒を弱め理性的な言葉を増し,起こった出来事の断片を一連の流れ にのせて,時系列に沿って編成することが求められる。大人にとっては,生徒が出来事や周りの状 況をどのようにみているかという,その子ども独自のものの見方,物事のとらえ方を知るように努 める。この時,この出来事そのものが問題の核心なのか,それとも発達的な不安などほかのことが 問題の中核にあるのか,ということを理解することが目標となる。

子どもが出来事について述べるとき,自分の非を認めることは難しく,その知覚はゆがんでいた り防衛的であったりすることは多い。しかし,大人が傾聴スキルや共感スキル,非言語の観察スキ ル,反応スキル(うなずき,間,どの話題を取り上げるか),解釈スキルなどを用いて丁寧に話を 聞いていくことによって,子どもの話しぶりは理性的になってくるであろう。しかし,ここで介入 を終えることはできない。まだ,問題の核心をつかめてないし,明確な時系列もできてない。

子どもたちが落ち着いてきて,大人と話すことに,これまでよりも心地よさを感じて自発的に話 すようになってきた場合,子どもがそれ以上は話したくない,あるいはその出来事を思い出すこと に耐えられないとったそぶりを見せることがある。それを「揺らぎサイン」(signal flares,

Long,

Wood & Fecser

)と呼ぶことがある(

p.89

)。この揺らぎサインは,話題が個人的な領域に近づいて

いることを意味すると考えられるので,防衛を高めないような慎重な対話の進め方が必要となる。

時系列の確認においては,なぜ?という聞き方をせず,その出来事が起きたいつ,どこで,誰 が,何をといった形で聴くことがよい。そうするとその出来事に埋め込まれている多様な問題点

issues

)が明らかとなるが,大人側は,それらを一つ一つ分離して,どれに反応してどれには反応

しないかを選択しなければならない。質問したり,積極的な傾聴や非言語の観察をしたり,リフレ クションや解釈をしたりしながら,本当の中核的な課題は何かを把握することに努めなければなら ない。

3

)中核となる問題点の明確化ステージ

生徒の中核にある問題点を十分に理解し,どの介入法を使う必要があるかを決定できるまで,出 来事に対する生徒の知覚,それにつながっている感情と不安を探究する。とくにその危機は,葛藤 の循環を形成するいつもの自己敗北的なパターンなのか,普段とは違うレアな反応なのかを見極め る。生徒の行動がどの程度感情や不安によって動かされているのか,葛藤の深さや広がり,これら の情緒に対して生徒が理性的にコントロールできる量,生活場面における危機介入の結果として,

どの程度効果が持続しそうかといったことを判断する。

生活場面における生徒の知覚は,公的な現実(

public reality

)と私的な現実(

private reality

)の 両方を含んだものである。子どもは出来事を語ることが仕事となるが,この二つの現実を見分けて 分類するのは大人側の仕事となる。そして,子どもの中核にある問題点を探して,それを短い言葉 で表現できるようにすることが求められる。

(12)

4

)洞察を促すステージ

子どもが出来事への知覚をリフレームして,繰り返される自己敗北的行動パターンを振り返り,

新しい洞察が得られるように援助する。ここが最も難しく時間のかかるステージである。問題となっ ている出来事は,今回たまたま,1回だけ起こったというものではなく,自分が欲求不満になった り,怒ったり,ストレスに圧倒されたときに,慢性的に生まれる不適応のパターンであるというこ とを,生徒自身がみつめられるように励ます。その新しい洞察を用いて,これまでの行動パターン を変えるプランを展開できるようにさせる。

先に,①から⑥の場合に分けて介入法を検討することについて述べたが,この①から⑥の場合 において洞察が促されたとき,生徒はどのような認識になっているのだろうか。

Long, Wood &

Fecser

2001

)は,一例として次のようなものを挙げている(

p.p.104-105

)。

①現実をゆがめて知覚している場合,洞察が深まった子どもは,自分は事実をしっかりとチェッ クする前に悪い結論を導き出してしまい,これが自分の状況を悪くしているので,このパターンを 改めたいという認識に至るかもしれない。②ストレスの元を特定することが必要な場合,洞察が深 まった子どもは,自分はストレスがたまると,大体においてみんなが自分に反発していると思い込 んでしまって,自分の中でそれを膨らませてしまい,ほんの些細なことにも過剰反応してしまい,

大人や友だちに自分の怒りをぶつけてしまうので,このパターンを変えなければならないと思うか もしれない。③到底受け付けられない行動への直面化が必要な場合,洞察が深まった姿は,時に自 分は友だちや先生に向かって攻撃をしているとき,自分を正当化できるようなずる賢いやり方を見 つけて実行しており,他人が自分を怖がっていると知ってパワーも感じていたし,それを楽しんで もいた。自分はやりたいことをやりたい時にする権利があるというおかしな信念を持っていたが,

他人のことも考えないといけない,という認識にたどり着くかもしれない。④セルフコントロール を強めるための価値の創造が必要な場合,洞察が深まった子どもは,自分は自分なりの成功パター ンを持っているし,自分をコントロールするスキルも持っている。そしてそのことはみんなわかっ てくれているので,自分は自分の価値に従って行動しよう,ということを明確に認識できるかもし れない。⑤新しいスキルを覚えさせることが必要な場合,洞察が深まると,自分は正しい意図は持っ ているのに,間違った行動をしてしまうので,物事がうまくいかず拒絶されてしまうということが 分かった。したがって,自分は新しいスキルを学ぶ必要があると考えることができるかもしれない。

⑥周りからいかにいいように使われているかということを分からせることが必要な場合,洞察が深 まった子どもは,自分は友だちがほしいけれども悪い友だちばかりを選んでしまって,結局トラブ ルに巻き込まれてしまう。自分がすることを友だちにコントロールさせることはやめよう。大人は 自分がこのような友だち関係を作ってしまうことに注意を向けさせてくれて,助けになってくれる だろう,という認識になるかもしれない。

上述したのは,洞察が促進された姿の一例である。ここにたどり着くためには,何度も前のステー ジに戻り,さまざまな傾聴や共感,観察,応答スキルを駆使して進む必要がある。さらにこのステー ジでは,自尊感情や対人関係を改善するために,洞察による子どもの気づきを,新しいスキルの獲 得につながるプランにまで落とし込むことまでが求められる。このステージでは,大人がガイドす る責任がある。そのガイドとは,子どもができるだけたくさん解決策を述べられるようにすること である。子どもが出す解決策には非現実的であったり,あまり適切でなかったりするものも含まれ

(13)

るだろう。しかし,そのようなものをいろいろと吟味することによって,子どもは自分の問題に対 する責任を自覚し,変化への動機づけを高めることになる。大人は問題となる出来事に関連したガ イドラインやルール,価値を提供し続けることも求められるし,子どもが考えつかないような思慮 深い解決策を提供できることもあり,そのようにして子どもに影響を与えることもできる。しかし,

あまりに大人のガイドが強いと,子どもに当事者性がない解決策や選択肢を選ばせることにもなり かねないので,注意しなければならない。

5

)新しいスキルを検討するステージ

向社会的スキルを計画するステージ。もし,選択した解決策が行動に移されたならば,自分はど のように感じると思うか,他人はどのように感じてどのように反応すると思うか,ということを考 えさせながら成功へのプラン作りを進める。子どもは,新しい行動が引き起こす結果について予測 することにしばしば失敗するものである。子どもにとって,未来に感じると思われるストレスをイ メージすることは難しいので,今後,自分は何をすべきか,自分はどのように感じてどのように反 応すると思うか,ほかの人はどのように反応しそうか,といったことを考えられないこともよくあ る。新しい行動を実行することによって,どんな利益が得られそうかということも予測が難しい。

したがって,新しい行動やスキルは,具体的に何度も繰り返し思い起こさせて計画を練らなければ ならない。もしこういうことがあったらどうするか,という質問を何度も繰り返して,具体的にイ メージさせるようにする。子どもたちの多くは,自分は本当に新しい行動ができるのかということ を疑うこともあり,悲観的になる子どもも多いので,未来に対して楽観的になるようにと教えるこ とも必要になる。楽観性は大人の楽観性と情熱によってもたらされるものである。

子どもが現在の中核的な問題を,自分はこのようにしてうまく取り扱えるようになるだろうであ るとか,将来もまた同じ問題が何度も起きるだろうという考えに対して,建設的に反応できるよう になったならば,次のステージへの準備ができているということになる。

6

)学んだスキルを転移させるステージ

これまでのステージで活性化されていた個人的な話題や感情を閉じて,いま学級で行われている 活動に生徒が再エントリーできるための計画を立てる。大人は,どのように学級集団の中に再エン トリーさせるかに援助の向きを変える。この最終ステージでは,

LSCI

が行われていた生徒と大人 の関係性から離れて,生徒自身が自分の力で対応できる力を回復していくことが本質である。ここ には二つの仕事があり,一つは,教室に戻った時の他の子どもたちの反応に対して,当該生徒がど のように対処するかということをあらかじめ想定して決めておくこと,もう一つは,当該生徒が再 エントリーする学級の生徒たちを上手に統制しておくことである。

教室に戻った時に,他の生徒が再び興奮状態に戻ってしまうかもしれないということは,予測し ておいた方が良い。そうすると,当該生徒は再び挑発されるかもしれないし,拒絶的あるいは冷笑 的なまなざしでみられるかもしれない。無視されることもあるだろうし,あからさまに反発される こともあるだろう。もし自分が教室に戻ったら,教室にいる他の生徒はどのように反応しそうであ るか,ということをあらかじめ想定して,それに対する具体的な対応を考えておく必要がある。

教室に残った子どもたちの心理はどのようなものだろうか。その子どもたちは,上述したような ネガティブな気持ちを当該生徒に感じて表現するかもしれないが,逆もあり得る。危機となった出 来事に魅せられて,例えば,あのように先生に反抗できたらいいな,あの子すごいな,であるとか,

(14)

当該生徒と同じ心境になって,あの子の気持ちわかるなどと同一化してしまうかもしれない。その 状況に自分を投影して,トラブルを起こした人物と同じようにやってみようとするかもしれない。

このようなことがないように,個々の生徒が自分の目標や価値観をしっかり持っていられるように,

日々の生活の中で声をかけたりできているところをほめたりして,教師との信頼関係を築いておく ことが必要になる。当該生徒が戻ってきたときに,どのように対応してほしいかを学級にあらかじ め伝えておくこともできることだろう。当該生徒だけでなく,それ以外の子どもに対しても気を配っ ておく必要がある。

以上(

1

)から(

6

)のステージによって,子どもの危機に介入しようとするのが

LSCI

である。

want

レベルから

need

レベルに到達する理想的な歩みと言えるかもしれない。

1

回の面接ですべて のステージを終えることはなかなか難しいだろうが,危機にある子どもとの面接において,今はど のステージにいて,何をすべきか,そしてどの方向に向かっていけばよいのかという一つの指標と して,このようなプロセスを想定しておくとよいのではないだろうか。

6 事例の考察

それでは,先に挙げた女子生徒の事例を上記

6

つのステージの観点から考察した場合,どのよう なことがなされていたと考えられるのだろうか。彼女たちのストレスフルな感情は,職員室という 安全な空間の中で,教師とおしゃべりをしたり手伝いをしたりして,排出されたものと考えられ,

1

ステージでの仕事はなされていたと思われる。このストレス感情が減じられたからこそ,教室 に戻ることができたのであり,このパターンがわかっているからこそ,葛藤の輪ができないように 学級の子どもたちの反応も抑えることができていた。そのため,彼女たちの悪い自己概念や非合理 的な信念が強められることは,一定程度抑えられていたのではないだろうか。

しかし,生徒指導主事が言うように,彼女たちの問題の核心に触れられなかったということも否 めない。ストレスフルな事態に遭遇すれば,彼女たちが再び同じような行動をとることは想像でき ることであり,実際にそのようなことを繰り返していた。もし,彼女たちが教室に戻る前に,冷静 になった時を見計らって時系列を確認しながら,彼女たちの物の見方や感じ方についての理解の糸 口をつかむ方向へとかかわりを進めていったならば,新しい情報を得られて,彼女たちの中核的な 問題点に近づけたかもしれない。すぐに教室に戻すというのは,授業がなされている以上当然のこ とであり,また,次のステージに進むと,せっかく落ち着いた彼女たちの葛藤をぶり返してしまっ て,再び危機が訪れる可能性もあっただろう。しかし一方では,せっかく時間と手間暇をかけて第

1

ステージを終えたのに,次のステージに進む機会を失ってしまったとも考えられる。結局,

3

年 生だった生徒は卒業まで似たようなことを繰り返し,

2

年生だった生徒は,進級してしばらくして から学校に来られなくなってしまったことを考えると,長期的展望に立って,第

2

ステージに進ん で,学校から抜け出した経緯を訊くことはできたかもしれない。筆者自身のかかわりを再検討せね ばならない出来事であった。

今回取り上げた事例は,事例というほどのものではなく,学校の日常のほんの一コマであり,考 察するほどのことではないかもしれない。しかしながら,学校での介入というのは,生活場面にお けるこのような一コマ一コマの連続であり,このようなかかわりの積み重ねによって,子どもたち

(15)

の成長を促している。そのため,大人側は,自分のかかわりが生徒にとってどのようなステージに あり,そこでのかかわりが次はどの方向性に向かいうるのかという指標を持って,生徒とかかわる ことは悪いことではない。すぐに次のステージに進めるわけでもないが,次のステージが見えてな いと,同じパターンで安定してしまい,

need

にまで到達できないことも考えられる。学校での危 機にある子どもの対応を段階的にとらえるという考え方は,今後さらに検討する余地があるだろう。

おわりに

以上の

6

ステージによって,子どもの

need

に到達し,その

need

を満たす介入が期待できる。こ れらは,子どもの気持ちに寄り添って対応している大人たちが,学校の中で行っている一つ一つの 対応を,全体にまとめたものでもある。学校臨床の利点は,生徒の日常場面の中に入り込んで,そ の生活場面の一部として支援できることでもある。そのため,セラピーという視座とともに,介入 という視座も積極的に位置づけておくことが,これからの学校臨床には求められるだろう。

謝 辞

本研究の一部は,日本学術振興会学術研究助成基金助成金若手研究(

B

)(課題番号

20K13996

, 研究代表者:丸山広人)の助成を受けて行われた。

引用文献

藤田英典.2000.『市民社会と教育』(世織出版).   

Long, N.J., Wood,, M.M. & Fecser, F.A.2001. Life Space Crisis Intervention. PRO-ED, Inc. Texas. 

松浦善満・中川崇.1998.「子どもの新しい変化(「荒れ」)と教職に関する研究‐小中学校の担任教師調査結 果から‐」『和歌山大学教育学部教育実践研究指導センター紀要』8,1-10.

文部科学省初等中等教育局児童生徒課.2019.『平成30年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課 題に関する調査結果』.

Redl, F. & Wineman, D. 1957. The aggressive child. The Free Press, Illinois.

参照

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