揖
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第 一 次 大 戦 後 に お け る フ ラ ン ス の イ ン フ レ ー シ ョ ン と 通 貨 政 策
林 昭 男
は し が き
フ ラ ン ス に お い て は,第 一・・一・・一次 大 戦 後 か ら1926年 の 安 定 化 政 策 の 実 施 に 至 る ま で,一 時 的 に は 物 価 の 下 落 や 為 替 相 場 の 上 昇 は あ っ た け れ ど も,全 般 的 に 見 る な らば,イ ソ フ レ ー シ ョン の 過 程 を た ど っ た と い え よ う。 こ の 間 の経 済 的 推 移 の な か で,卸 売 物 価 は8倍 に 達 し,フ ラ ン 相 場 が9分 の1に 下 落 す
る と い う状 態 で あ り,激 しい イ ン フ レ ー シ ョ ン が 経 験 され た の で あ っ た 。 こ の 過 程 は 三 つ の 期 間 に 分 け て 考 察 す る こ と が で き る で あ ろ う。 第 一 の 期 間 は,大 戦 後 か ら1923年 の フ ラ ン危 機 以 前 ま で で あ り,ク レ マ ン ソ ー お よ び ブ ロ ッ ク ・ナ シ ョナ ル の 政 権 の も と で,多 額 な ドイ ツ賠 償 金 取 り立 て を 前 提 と した 経 済 再 建 の 過 程 で あ っ た 。 一 方 で は 再 建 資 金 の 調 達 の た め に 大 幅 な 赤 字 財 政 が 行 な わ れ,他 方 で は い わ ゆ る デ フ レ ー シ ョン 政 策 が 行 な わ れ,形 式 的 に は 矛 盾 に 満 ち た 過 程 で あ っ た 。 第 二 の 期 間 は,ド イ ツ賠 償 金 の 支 払 不 能 が 明 白 と な り,従 来 の 政 策 に お け る矛 盾 が1923年 か ら1924年 に か け て 顕 在 化 した フ ラ ン危 機 の 勃 発,な らび に ボ ア ン カ レに よ る フ ラ ン 危 機 の 克 服 政 策 が 実 施 され た 時 期 で あ っ た 。 第 三 の 期 間 は,カ ル テ ル ・デ ・ゴ ー シ ュの 政 権 の も と に お い て,予 算 の 均 衡 が 達 成 で き ず,国 庫 の 危 機 が 深 化 し,そ して イ ン フ レ ー シ ョン が ます ます 昂 進 して い く過 程 で あ っ た 。
こ の 三 つ の 時 期 に お け る推 移 を 分 析 す る こ とに よ っ て,第 一 次 大 戦 後 に お け る フ ラ ソ ス の イ ン フ レ ー シ ョ ン に つ い て,過 剰 な 通 貨 供 給 の 機 構 お よび 通 貨 政 策 の 観 点 か ら考 察 が 加 え られ る で あ ろ う。
現 代 イ ン フ レ ー シ ョ ン の 解 明 は 新 しい イ ソ フ レ ー シ ョソ 論 と して 展 開 さ
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商 学 討 究 第25巻 第4号れ,種 々の説 明が 行 なわ れ て い る。 もち ろ ん,第 一 次 大 戦 後 と現代 とで は, 資 本主 義 経 済 の構 造 に 著 る しい 変化 が生 じて い る。 しか し現代 の イ ン フ レ ー シ ョンを考 え るにあ た って,な にが 新 しい現 象 で あ るか は,古 典 的 イ ン フ レ ーシ ョン過 程 の 詳 細 な 研究 を通 じて比 較 検 討 して み る必要 が あ ろ う。 古 典 的 イ ン フ レー シ ョン とい って も,過 剰 な 通 貨 供 給 の機 構 はそ れ ほ ど単純 で は な い よ うに 思 わ れ る し,ま た そ の過 程 で 実 施 され た通 貨政 策 の経 験 か ら学 び と る点 もあ る ので は な か ろ うか 。
1.経 済 再 建 と デ フ レ ー シ ョ ソ 政 策
戦 争 中 に は,同 盟 国が 国庫 お よび 為 替 に 関 す る連 帯義 務 を互 いに 負 う こと に な り,フ ラ ンス は,対 外 収 支 に 不足 を きた しだ時 に は,イ ギ リス と ア メ リ
(1)
カ よ り信 用 供 与 を 受 け る こ とが で き た 。 か くて 国 内 物 価 は 戦 争 の過 程 に3倍 以 上 に 上 昇 した に もか か わ らず,為 替 相 場 は そ れ ほ ど下 落 しな か っ た 。 と く に 連 合 軍 の 反 撃 が 行 な わ れ,ド イ ツ軍 の 敗 北 が 明 らか に な っ た1818年8月 以 降 に お い て は,為 替 相 場 は1ド ル=5.4フ ラ ン 台 に 落 着 き を 取 り戻 して い た 。 しか し,1919年3月13日 を 最 後 に イ ギ リス は フ ラ ソ ス に 対 す る信 用 供 与 を 中 止 す る 旨 の 通 告 を 行 な い,か くて 同 年3月 末 に は,為 替 相 場 は1ド ル
=・6・07フ ラ ン に 下 落 した。 また 同 年7月 に は ア メ リカ も イ ギ リス と 同 様 な 措 置 を と り,為 替 相 場 は,1919年 末 に は1ド ル=11フ ラ ン,1920年 未 に は
(2)
1ド ル=17フ ラ ン へ と下 落 した 。 つ ぎ に 物 価 の 推 移 を 卸 売 物 価 指 数(1914年 7月 一100)に み れ ば,1919年1月 に355で あ っ た が,同 年12月 に は432, 1920年4月 に は600に ま で 上 昇 した 。
こ の よ うに,為 替 相 場,物 価 の 推 移 は け っ して 楽 観 す べ き 状 況 に な か っ た が,戦 後 の 経 済 再 建 は きわ め て 安 易 な 予 想 に 基 づ い て 実 施 され た 。 荒 廃 した
(1)金 融 上 の 協 力 は,イ ギ リ ス と の 間 で は1915年4月30日,8月15日 の 協 定 お よ び8月29日 の ブ ー ロ ー ニ ュ 会 議 に よ り行 な わ れ,ア メ リ カ と の 間 で は1917年
4月24日 に 議 会 が 信 用 を 与 え る 国 庫 の 権 限 を 可 決 し,実 施 さ れ た.詳 し く は E・L・Dulles,TheFrenchFranc,pp・98〜103・ 矢 野 庄 太 郎 訳,仏 蘭 西 イ ン フ レ の 全 貌,97〜104ペ ー ジ を 参 照 さ れ た い.
(2)R・S6dillot,LeFranc,PP・248〜9・
第 一 次 大 戦 後 に お け る フ ラ シ ス の イ ン フ レ ー シ ョ ン と 通 貨 政 策
第1表 パ リ市 場の 月平 均 ドル相場
(フ ラ ン)
25
×12{3【45i617181gl1・illl12
1919 1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926
5,455.45
11.74・14.28 15.7713.95 12.25.11.46
14.9816.28 21.4322.65 18.5418.94 26.5127.23
5.76 14.04 14.17 11.11 15.94 21.69 19.28 27.95
5.98 16.24 13.83 10.81 15.02 16.37 19.26 29.56
6.35 14.64 11.96 10.97 15.06 17.35 19.38 31.92
6.38 12.62
12.'40 11.46 15。88 19.10
20.98 34.12
6.87 12.31 12.80 12.13 16.97 19.57 21,30 40.95
7.74 14.00 12.91 12.59 17.69 18.36 21.32 35.42
8.37 14.81 13.72 13.06 17.14 18.85 21.22 35.05
8.59 15.33 13.82 13.58 16,80 19.11 22.54 34.15
9.30 16.69 13.92 14.62 18.22 18.96 25.32 29.12
10.87 16.90 12.78 13.84 19.02 18.52 26.74 25.33
出 所:A.Sauvy,Histoire6conomiquedelaFranceentrelesdeuxGuerres,*
P・445・
第2表 卸 売 物 価 指 数(45品 目)(1914年7月=100)
≧具 ■21314156178い11・{1中2
1919 1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926
355 497 415 320 395 505 525 647
348 533 385 313 431 555 526 649
343 566 367 314 433 510 524 645
339 600 354 320 423 459 523 664
332 562 337 323 415 468 531 702
336 503 332 332 417 475 554 754
356 506 337 332 415 491 569 854
355 512 338 338 420 487 569 785
367 537 351 336 433 496 567 804
390414 512'470 338339 344360 429452 508514 584618 768698
432 444 333 370 468 518 646 640
出 所:A.Sauvy,op・cit・,PP・497〜8・
工 業 地 帯や 農 村 を復 旧 し,戦 争 犠牲 者 へ の恩 給 支 払 お よび 戦 争 中 の多 額 な 負 債 に対 す る利 子 支 払,償 還 を 行 な って いか なけ れ ば な らな か った。 当然,戦
後 の復 興 に は多 額 の財 政 資 金 が 必要 で あ った。 政 府 は ドイ ツの賠 償金 支 払 に 期 待 をか け,そ れ を 引当 て に した 「回収 可 能 支 出予 算」 を 設 定 し,一一般 会計
(3)
か らき り離 した 特 別 会 計 で復 興 資 金 を処 理 す る こ とに した 。 一 般 会 計 で は収 支 を ほ ぼ 均衡 させ,特 別 会 計 で 大 幅 な 赤 字 を 計上 し,全 体 と して の予 算収 支
(3)R.S6dillot,op.cit,,p.250.
は,1919年 に は226億 フ ラ ン,1920年 に は171億 フ ラ ン の 赤 字 で あ った 。 か く て,財 政 収 支 の 赤 字 を 補 て ん す る た め に,政 府 は 公 債 発 行 と フ ラ ン ス 銀 行 の 国 家 貸 付 金 に 依 存 す る こ と に な る。 内 国 債 の 発 行 残 高 は,1919年 末 に1,520億 フ ラ ン に 達 した の で,こ の1年 間 に470億 フ ラ ン の 増 加 が 生 じた
第3表 予 算 収 支(100万 フラ ン)
一 般 予 算 特 別 予 算* 合 計
収 刈 支 則 過不足 収 入1支 出 随 不足 収 入1支 出1過 不足
1919 1920
13,282 22,502
11,029 22,128
2.2531
3741
̲13
28,94117,516一28 ‑17 ,941 ,513
13,282 22,505
39,970 39,644
一26 ,688
‑17 ,139
1921 1922 1923 1924 1925 1926
23,ll923,290 23,88826,761‑2,873 26,22425,651 30,56830,921 34,76836,275‑1,507 43,06441,9761,088
一1714519
,555 11,53818,426 57326312,642
‑3534
,82111,589
一9 ,10423,57032,845
‑6 ,88835,42645,187
‑12 ,37926,48738,293
‑6 ,76835,38942,510
‑34 ,76836,275
一9 ,275
‑9 ,761
‑11 ,806
‑7 ,1211
卿,粥 蝿
*特 別 予 算 に つ い て は,1919,1920,1921年 に は 軍 事 支 出 お よ び 例 外 的 支 出 予 算 が 入 り,1920〜1924年 に は 回 収 可 能 支 出 予 算 が 入 る..
出 所:A・Sauvy,oP・cit・,P・513・
第4表 公 債 発 行 高
(100万 フ ラ ン)
年 月末 陵 管 磁よ副 浮 動 側 内 債 合 訓 外 債*
1910.!2 1921.5 1922,3
̲1922 ,12 1923.12 1924.6 1925.4 1925.10 1926.3 1926.12
98,636 136,071 155,068 160,878 183,750 190,245 199,527 199,252 203,807 201,274
53,401 59,932 65.550 65,607 63,658 67,357 63,097 59,114 57,185 62,339
152,037 196,003 220,618 226,485 247,408 257,602 262,624 258,366 260,992 263,613
62,370 75,164 74,876 117,037 165,500
136,000 196,000 178,000
*外 債 は 為 替 相 場 に よ り 換 算 し た 額
出 所:A・Sauvy,oP・cit.,P・520・
!
第 一 次 大 戦 後 に お け る フ ラ ン ス の イ ン フ レ ー シ ョ ン と通 貨 政 策
27
こ と に な り,1920年 中 に は357億 フ ラ ソ の 増 加 で あ った 。 また フ ラ ン ス 銀 行 の 国 家 貸 付 金 最 高 限 度 額 も拡 大 され た 。 そ れ は,1919年2月13日 の協 定 に よ っ て,30億 フ ラ ソ 引 き上 げ られ て240億 フ ラ ン と な り,同 年4月24日 の 協 定 で は270億 フ ラ ン ま で 引 き 上 げ られ た 。畠そ れ と対 応 して,銀 行 券 の 発 行 限 度 額 も ま た 高 め られ た 。 そ れ は,1919年2月25日 の 政 令 で360億 フ ラ ン へ,さ らに 同 年7月17日 の 法 律 で400億 フ ラ ン,そ して1920年9月28日
第5表7ラ ンス銀行の国家貸付金
(100万 フ ラ ソ)
≧則112
31415
6レ 【81・gll・111112 19191920 1921 1922 1923 1924 1925 1926
18,930 25,600 25,862 23,575 23,200 22,840 21,520 34,850
20,425 25,800 25,800 23,025 23,300 23,000 21,900 34,712
21,452 26,300 24,820 21,700 23,400 22,925 21.825 35,350
22,45。123,19d23,43723,64。
25,38026,012」26,200、25,870 1
26,21226,41225,58025,150
縫灘 騨:輩:211・
ii:鷹:1:9)i::霧1;;:?1:
35・720135・27536・57537・730
』3,65。 』4,162
25,575
25,㎜
23,560 23,460 22,900
28,012 37,137
26,520 24,020
}291975
;::1;1
矧
25.36。125,937
26,60026,600
25,30024,925 24,07523,222 23,62523,000
:;:灘饗
36,28736,037
26,025 26,480 24,620 23,275 23,175 22,675 34,360 36,460
出 所:1919〜1921年 に つ い て は,Statistiqueg6n6raledelaFrance,1921, pp・252〜4・ か ら 月 平 均 を 計 算 し た.
1922〜1926年 に つ い て は,Lemarch6mon6taireetlesChanges,Revue d'Economiepolitique,1925,p.274,1927,pp.368〜9.
第6表 銀 行 券 流 通 高
(100万 フ ラ ン)
̀
葦ミill2i3
1919 1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926
31,610 37,366 38,280 36,941 37,169 38,826 40,726 51,187
32,520 37,969 38.089 36,474 37,181 39,e87 40,800 51,128
33,240 38,137 38,265 35,791 37,444 40,013 40,882 51,802
41516レ181gl1・ 「11112
33,922134,21。i34,428134,939
37,458
38,429 35,981 37,123 40,031 42,516 52,329
l
i38・088
138 ,556 35,955 36,737 39,730 42,963 52,804
37,929 37,931 36,044 36,739 39,818 43,2721 53,212
37,849
37,358 36,430 37,306
40〜181 44,309 54,944
35,14i 38,016 37,089 36,301 37,301 40,314 44,932 56,084
35.645 38,704 37,091 36,688 37,734 40,324 45,575 55,047
36,705 39,367 37,491 37,189 38,194 40,548 46,742 55,249
37,416 39,332 36,988 36,397 37,563 40,579 47,930
54,47q
37,522 37,870 36.459 36,215 37,755 40,598 49,873 52,861
出 所=AtSauvy,oP・cit・,P・525・
(4)
の 政 令 で は410億 フ ラ ソ に 引 き 上 げ られ た 。
こ の よ うな 政 策 の も とで,フ ラ ン ス 銀 行 の 国 家 貸 付 金 は,1918年 末 の171 億 フ ラ ンか ら1919年 末 のt255億 フ ラ ン へ と増 加 し,銀 行 券 流 通 高 は,1918, 年 末 に お け る302億 フ ラ ン か ら1919年 末 の376億 フ ラ ン に 上 昇 した 。 そ し
て この 両 者 の 増 大 は1920年 の過 程 を 通 じて 行 な わ れ,同 年 末 に は そ れ ぞ れ 266億 フ ラ ン お よ び385億 フ ラ ン に ま で 増 加 した の で あ っ た 。
「ドイ ツ に 支 払 わ せ よ う」 と い う楽 観 的 ム ド ドの な か で,イ ン フ レ ー シ ョ ン 政 策 が 遂 行 され た の で あ っ た が,そ の 間 に イ ン フ レ ー シ ョソ 対 策 が ま っ た く行 な わ れ な か った わ け で は な い 。1919年 の 予 算 に お い て は,問 題 解 決 の 方 向 で な ん らの 対 策 も 実 施 さ れ な か っ た が,1920年 に は6月25日 の 法 律 で 所 得 税 の 免 税 点 お よ び 税 率 の 引 き 上 げ,売 上 税 の 創 設 と い う 増 税 が 行 な わ
(5)
れ た 。 ま た フ ラ ン ス 銀 行 は,1914年8月20日 に 割 引 率5.0%お よ び 貸 付 利 率6.0%を 決 め て か ら,こ の 利 率 を 久 し く維 持 して きた が,1920年4月8日
く の
に は,割 引 率 を6.O%へ,貸 付 利 率 を6.5%に 引 き上 げ た。 この金 利 政 策 は 当時 の 物価 上 昇 と為 替相 場 の 下落 に対 応 した 措 置 と考 え る こ とが で き よ う。
しか し,こ れ らの イ ン フ レ ーシ ョン対 策 も事 態 の 根本 的 解 決 に は きわ め て程' 遠 い もの で あ った。
当 時 の財 政 政 策 につ い て,ラ シ ャペ ル は つ ぎの よ うに指 摘 して い る。 「ド イ ツが 支払 う金 額 を知 る以 前 に,戦 争 災害 お よび軍 人 恩 給 に 関 す る法 律 を可 決 す る こ とは,う たが い もな く 誤 りで あ った。 しか も1921年5月5日 の支 払 状 態 が 実 行 され た と して も,あ るい はそ れ が 実 行 され え た と して も,わ が 国 は年13億 金 マ ル クを 受 け 取 った にす ぎな い 。 そ の 金額 は 特 別 会計 の赤 字 補 填 借 入 れ に対 す る利 子支 払 い に あ て るに た る額 で あ る。 ドイ ツの直 接 的 な 約束 履 行 が も うあ て に で きな くな った 時 点 か ら,財 政 方 法 を 変 え る こ とが 賢 明で あ った と言 うの は 正 しい。 た だ ちに 単一 予 算 を設 定 す べ きで あ った 。 そ
(4)RS6dillot,oP・cit・,PP・235〜6・
(5)A。Sauvy,Histoire6conomiquedelaFranceentrelesdeuxGuerres,*
P・378・
(6)E.LDulles,op.ci七.,p.212.邦 訳,217ペ ー ジ.
第 一 次 大 戦 後 に お け る フ ラ ソ ス の イ ン フ レ ー シ ョ ン と通 貨 政 策
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の 赤 字 は か な り 多 額 に な った で あ ろ うが,支 出を 削 減 し,ま た 収 入 を 増 加 し,漸 進 的 に赤 字 を減 少 させ る よ、うに 努 力 す べ きで あ っ た。 人 々が 流 布 した 幻想 の あ とで ・遅 滞 な くこの健 全 財 政政 策 を 追 求す る こ とが 困難 で あ った ρ
'(7)
も 事 実 で あ っ た 。」 一
した が っ て,1921年 以 降 も依 然 ど して 赤 字 財 政 が 続 け られ た 。 そ の 赤 字 額 は,1921年 に は92億 フ ラ ン,1922年 に は97億 フ ラ ソ,そ して1923年 に は 118億 フ ラ ン で あ っ た 。 公 債 発 行 額 も 増 加 を た ど り,そ の 増 加 額 は,1921年 に は275億 フ ラ ン,1922年 に は191億 フ ラ ン,1923年 に は131億 フ ラ ン で あ っ た 。
さ て,通 貨 政 策 に 関 して 言 え ば,「 フ ラ ン の 減 価 が 平 価 切 下 げ に よ っ て 確 定 さ れ,そ して フ ラ ン ス 銀 行 の 国 家 貸 付 金 が 少 な く と も 部 分 的 に は 保 有 金 の 再 評 価 益 に よ っ て 返 還 され る か,あ る い は 国 家 権 力 が 同 時 に フ ラ ン の 価 値 回 復 と発 券 当 局 へ の 国 家 債 務 の 返 済 を 試 み るか 」 に 関 す る 両 者 の 選 択 で あ っ た 。 当 時 に お け る フ ラ ン ス 経 済 の 状 況 を 冷 静 に 判 断 す る な らば,「 こ れ ら政 策 の 前 者 を と る こ とが 合 理 的 で あ っ た が,.し か しそ れ は 戦 勝 国 民 に と っ て 喜
く の
ば れ なか った 。」 か くて 現 実 に は 後者 の政 策 が と られ る こ とに な った の で あ る。
フ ラ ン ス 銀 行 の 国 家 貸 付 金 に つ い て は,す で に1914年9月21日 の 協 定 に よ っ て,で き るだ け 早 く返 済 す る 原 則 が フ ラ ソ ス 銀 行 と政 府 との 間 に 確i認 さ れ て い た 。1919年4月,政 府 が フ ラ ソ ス 銀 行 に 国 家 貸 付 金 の 増 加 を 要 求 した 時 に,フ ラ ン ス 銀 行 の 理 事 会 は,こ の 協 定 を 根 拠 に して 政 府 の 要 求 を 拒 否 し た 。 しか し,1919年4月24日 の 協 定 で は,予 想 さ れ る 貸 付 額 を そ の 後 に 発 行 さ れ る 公 債 額 か ら返 済 す る と い う約 束 を 政 府 よ り取 りつ け,フ ラ ン ス 銀 行 は 妥 協 す る こ と に な っ た 。 け れ ど も,こ の 返 済 は 国 庫 の 事 情 で 守 られ な か っ た 。 つ ぎ に,1920年4月14日 の 協 定 に よ っ て,政 府 は1921年1月1日 よ り
(7)G・Lachapelle,LaTr6sorerieetleBudget,Revued'Economiepolitique (以 下R・EP・ と 略 記 す る.),1924,P.153.
(8)R.S6dillot,oP.cit.,P.251.
毎 年20億 フ ラ ン ず つ フ ラ ン ス 銀 行 に 債 務 を 償 還 し,各 年 の12月31日 に 国 家 貸 付 金 の 限 度 額 を 同 額 ず つ 減 少 さ せ る こ と を 確 約 した 。 さ らに,フ ラ ソ ソ ワ ・マ ル サ ル 協 定 が1920年12月29日 に 締 結 さ れ,そ れ に 基 づ い て,政 府 は1921年12月 に フ ラ ソ ス 銀 行 へ の 債 務 償 還 を 実 行 し,国 家 貸 付 金 の 限 度 額
く の
'も250億 フ ランに 引 き下 げ られ た
。 そ の返 済 金 は 国庫 資 金 お よび特 別 積 立償 還 勘 遥 銭 高 か ら支 出 され 建1)そ の後,フ ラ シ ス銀 行 の 由家 貸 付 金 残 高 は1922 年1月 か ら3月 まで 減 少 し,212億 フ ラ ンに まで な った が,そ れ は ふ た た び 除 々に増 加 傾 向 を た ど って い った 。
す でに 述 べ た よ うに,こ の政 策 の意 図 は,国 家 貸付 金 の返 済を 通 じて流 通 貨幣 量 を収 縮 させ,フ ラン の価値 回 復 を計 る こ とに あ った 。 そ れ は い わ ゆ る デ フ レー シ コン政 策 で あ った が,そ の効果 は ほ とん どなか った といえ よ う。
卸 売物 価 は1921年12月 以降 も下 落 した が,そ れ は1920年 恐 慌 に よ る 下落
(12)
傾 向 の延 長 で あ っ て,1922年3月 か らは 上 昇 傾 向に 転 じて い る。 な お為替 相場 は1921年 お よび1922年 に は 落 着 きを 取 り戻 して い た。 銀 行 券 流 通 高 は 1921年11月 か ら1922年6月 まで360億 フ ラ ソ台,な い しそ れ を 若 干 下 まわ る水 準 に 推移 し,同 年7月 か ら370億 フ ラ ソ台 に増 加 した。 か くて,国 家 貸 付 金 の返 済 と銀 行券 流 通 高 との関 連 は あ ま り認 め られ な い。
国 庫 の状 態 は1921年 に は い くらか 緩 和 され て きて いた 。 経 済 活 動 の低 下 の も とで,1921年7月28日 に は フ ラ ン ス 銀 行 の 割 引 率 が0.5%引 き 下 げ ら れ,5.5%に な っ た 。 そ して,中 ・長 期 債 券 の 発 行 条 件 の 改 善,取 引 所 に お け る 債 券 価 格 の 上 昇 お よ び ク レ デ ィ ・ナ シ 瓢ナ ル へ の 資 金 流 入 な ど の 現 象 は,利 子 率 の 下 落 傾 向 を 示 して い る と一 般 に 理 解 さ れ た 。1922年3月11日
に は,フ ラ ン ス 銀 行 の 割 引 率 は さ らに0.5%引 き下 げ られ て5.0%と な っ
(g)R.S6dinot.op.cit.,pp.254〜6.
aoこ の 国 庫 資 金 は ク レ デ ィ ・ナ シ ョ ナ ル 債 お よ び 国 防 債 券 の 発 行 収 入 で あ っ た (P・Gu6bhard,LeMarch6mon6taire,R・E・P・,1923,P・150).特 別 積 立 償 還 勘 定 に つ い て は,十 亀 盛 次,仏 蘭 西 の 貨 幣 銀 行 制 度 と 金 融 市 場,34ペ ー ジ を 参 照
さ れ た い.
⑪P.Gu6bhard,op.cit.,p.150.
⑫ 酒 井 一 夫,イ ン フ レ ・デ フ レ の 非 対 称 性,金 融 経 済,61号,5ペ ー ジ,
●
第 一次 大 戦 後 に お け る フ ラ ン ス の イ ン フ レ ー シ ョ ン と通 貨 政 策 31
た 。 経 済 活 動 の 停 滞 の 影 響 もあ って,民 間 の資 金 需 要 はそ れ ほ ど 大 き くな く,国 家需 要 が 大 部 分 を 占め て い た 当時 の貨 幣 市 場 の状 況 を考 慮 して, 、1922 年3月12日 に は 国 防債 券 の金 利 が0.5%引 き下 げ られ た。 しか し,そ の結 果 は予 期 に 反 した 影 響 を もた ら した。1922年 を 前半 と後 半 とに 分 け て 公 債 発 行 状 況 を 比較 して みれ ば,前 半 が117億 フ ラン であ った の に,後 半 は74 億 フ ラン とか な りの減 少 を きた した 。 そ こで1922年 の後 半 か ら 国 庫 の 逼迫
く
が ふ た た び 感 ぜ られ る よ うに な っ た 。
・国 庫 の 逼 迫 は フ ラ ン ス 銀 行 の 国 家 貸 付 金 を 増 大 さぜ
,1922年10月 初 旬 に は,そ れ は245億 フ ラ ン に ま で 達 した 。 こ の よ うな 状 況 の も とで 年 末 に 行 な わ れ るべ き国 家 貸 付 金 の 返 済 を 実 行 す る こ と は,不 可 能 で あ る と判 断 され,
フ ラ ン ス 銀 行 は,1922年12月21日 の 協 定 に も とづ き,そ の 返 還 額 を10億 フ ラ ソ に 減 じ,翌 年 の 国 家 貸 付 金 限 度 額 を240億 フ ラ ン に き め る こ とに 同 意
(14)
した 。12月 末 に この10億 フ ラ ソ の 返 還 が フ ラ ソ ス 銀 行 に 対 し行 な わ れ た が, 銀 行 券 流 通 高 は,1923年 に 入 っ て も,ほ ぼ370億 フ ラ ン台 に 維 持 さ れ,減 少 しな か っ た 。
1923年1月,ボ ア ン カ レ は ドイ ツ の 賠 償 義 務 不 履 行 を 堺 由 に ル ー ル 占領 を 行 な っ た が,そ れ は フ ラ ン ス経 済 に と っ て 不 利 な 効 果 を 与 え た に す ぎ な か っ た 。 占 領 費 の 増 大 に よ る 財 政 状 態 へ の 圧 迫,ド イ ツ人 の 消 極 的 抵 抗 に よ る
く
賠 償 取 立 て の 減 少,さ らに は 国際 的 孤 立 化 を ひ き起 した の で あ った。 か く て,物 価 は上 昇 し,為 替 相場 は 下落 して,8月 平 均 で は1ド ル=17.69フ ラ ンに まで な った 。9月 に は ドイ ツ人 の消 極 的抵 抗 が 中 止 され,為 替 相場 は暫 時 上 昇 した の で あ った が,そ れ も束 の 間 の 出来 事 にす ぎなか った 。
国 庫 の 逼迫 は1923年 中 も依 然 と して 続 き,公 債 発 行額 は200億 フ ラン も 増 加 した が,浮 動 債 は わず か に 減 少 し,そ の 点 で は 若 干 の改 善 が 行 なわ れ た 。 しか し,公 債 の新 規 発 行 は ます ます 困 難 とな り,ま たそ の条 件 は悪 化 し
⑬P.Gu6bhard,op.cit.,p.147.
⑭P.Gu6bhard,op.cit.,p.150.
⑯ 横 山 信,フ ラ ン ス 政 治 史,152ペ ー ジ.
ノ
(16)
た の で あ った 。
2.1923〜24年 の フ ラ ソ 危 機
1923年9月,フ ラ ン ス 銀 行 の 国 家 貸 付 金 は239億 フ ラン に 増 大 し,そ の 最 高 限 度 額240億 フ ラ ン ま で1億 フ ラ ソを 残 す に す ぎ な くな っ た 。 した が っ て,国 家 貸 付 金 も この 限 度 額 を や ゐミて 超 過 し,銀 行 券 流 通 高 の 膨 脹 と フ ラ ン の 減 価 が 引 き 続 い て 起 る だ ろ う と想 定 さ れ た 。 しか し政 府 は,そ の対 策 の た め に,同 年10月 に 新 規 の 国 債(利 率6%,償 還 期 限3年,6年 お よび10年)'
し
を 発 行 した 。 そ の 収 入 に よ っ て 国 家 貸 付 金 の 返 済 が 行 な わ れ た の で あ ろ う か,国 家 貸 付 金 の 減 少 と銀 行 券 流 通 高 の 収 縮 が 生 じた 。 前 者 は10.月4日 の 239億 フ ラ ン か ら11月22日 の229億 フ ラ ン に 減 少 し,後 者 は 同 期 間 に385 億 フ ラ ソ か ら371億 フ ラ ソ に 低 下 した 。 しか しそ れ に も か か わ らず,12月 に お け る 国 庫 支 払 の 困 難 は 緩 和 さ れ な か った 。 こ の 時 に は さ らに,フ ラ ソ ス
(17)
銀 行 との協 定 に よ り国家 貸 付 金 の 返済 も行 なわ れ なけ れ ば な らな か った。
政 府 は,国 庫 の危 機 に対 処 す るた め,12月 末 に フ ラン ス銀 行 と新 た な協 定 を 結 び,返 還 額 を 引 き下 げ させ,特 別 積 立償 還 勘定 に 天 引 され て い る8億
フ ラ ンをそ れ に あ て る こ とに した 。 そ して国 家 貸 付 金 の 最 高 限度 額 は232億 フ ラ ンに引 き下 げ られ た。 それ と同時 に,政 府 は 短 期 公債5億 フ ラ ンの 引受 け を フ ラ ンス銀 行 に 約束 させ た。 この こ とは フ ラン ス銀 行 に よる公債 の直 接 引 受 けが 行 なわ れ た こ とを 意 味 す る。 しか し,国 庫 の危 機 を 回避 す るた め に は,そ れ だ けで は十 分 で は なか った 。 国庫 は 同様 な形 式 で ア ル ジ ェ リア銀 行 か ら2億 フ ラン,預 金 銀 行等 か ら 約7億 フ ラ ンを借 り入 れ た 。 そ して1923 年 末 か ら1924年4月5日 まで に,国 庫 は25億 フ ラ ン以 上 の借 入 れ を 行 な っ
(18)
た の で あ っ た 。 、
さ て,フ ラ ン ス 銀 行 の 手 形 割 引 は1923年10月 以 降 増 大 した 。 そ れ は,
⑯P.Frayssinet,LaPolitiquemon6tairedelaFrance(1924‑1928),pp.14〜
5.
⑰G.Lachapelle,LaTr6sorerieetleBudget,R.E.P.,1925,pp.207〜8 a8G.Lachapelle,op.citりpp.210〜IL
第 一 次 大 戦 後 に お け る フ ラ ソ ス の イ ソ フ レ ー シ ョ ン と 通 貨 政 策
33
1923年10月 平 均 が32.8億 フ ラ ソ で あ っ た が,1924年4月 平 均 が50.6億 フ ラ ン ま で 急 激 に 増 加 し,そ の 後 一 時 的 な 減 少 が 生 じた け れ ど も,同 年12月 平 均 で は50.9億 フ ラ ン と な っ た 。 この よ うに,「 発 券 機 関 に よ っ て 行 な わ れ た 信 用 取 引 の 拡 大 は,大 部 分 に つ い て は,商 工 業 の 需 要 に 基 づ く。 しか し, そ れ は また,あ る程 度 に お い て,国 庫 証 券 の 引 受 け を 要 請 さ れ た 預 金 銀 行 の
(19)
ポ ・一 トホ リオの 再 割 引 に基 づ い て い る。」 か くて 預 金銀 行が 国 家的 要 請 に よ り国庫 証 券 を 引 き受 け るが,そ の 国庫 証 券 は 預 金 銀 行 か らフ ラ ンス銀 行 に持
(20)
ち込 まれ,そ れ の再 割 引 に よ る通 貨 膨脹 の機構 が 形 成 され た とい え よ う。 こ の場 合 に は,た ん に 中央 銀 行 だ け で はな く,預 金 銀 行 を 内包 した イ ソ フ レ機 構 が で き あが って い た と考 え るべ きで あ ろ う。
国庫 の危 機 的状 況 を反 映 して,フ ラ ン相 場 は1923年12月 に は 急激 に下 落
第7表 フ ランス銀行 の手形 割引高
(100万 フ ラ ソ)
葦具11
2 314 5 6il7
891・illl121919 1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926
1,343 1,713 3,115 2,536 2,860 3.865 5,854 3,595
1,13d1,。24
11glgRIU;4
3,0632,969 2,6242,940
、,69、1、.753
3,6444,844 5.3025,957 3,4813,469
932 2,221 2,784 2,627 2,686 5,069 5,918 3,718
864
1,977 2.759 2,478
2,703 4.424
4,610 4・,359
877 1,846 2,650 2,202 2,332 4,038 4,132 4,906
890 1,907 2,703 2,098 2,579 4,836 3,506 5,526
916 2,053 2,601 2,110 2,590 4,477 3,291
963 2,044 2,400 1.899 2,353 4,256 3,543
6・388i5・3671,018 2,487 2,370 2,352 3,284 5,044 3,173 4,957
1,227
3,34・2 2,388 2,474
3,557 5,008 3,670
4,715
1,219 3,325 2,349 2,262 3,336 5,095 3,933 4,109
出 所:1919〜1921年 に つ い て は,S七a七istique96n6raledelaFrance・1921・
pp・252〜4・ か ら 月 平 均 を 計 算 し た.
1922〜1926年 に つ い て は,Lemarch6mon6taireet1esChanges,RE・P・, 1925,p.2ク4,1927,pp.368〜9.
⑲(}.S.,LeMarch6mon6taireetlesChanges,R.E.P.,1925,p.273.
⑳ 十 亀 盛 次 氏 は,こ の よ う な 方 法 が1920年10月 お よ び1922年9月 に す で に 行 な わ れ て い る こ と を 指 摘 し,そ の 情 況 に つ い て 述 べ て い る.「 当 初 は2週 間 な い し3週 間 の 短 期 の 大 蔵 省 証 券 を 交 付 し て 借 入 れ を な し た の で あ る が,し だ い に 返 済 が 困 難 に な る と 大 蔵 省 証 券 の 期 間 を 長 く し,か つ こ れ ら証 券 は い つ で も フ ラ ン ス 銀 行 に お い て 再 割 す べ き条 件 を 附 し た の で,一 般 銀 行 は 貸 付 け を な した 翌 日に フ ラ ン ス 銀 行 で 再 割 す る 有 様 で あ っ た.」(十 亀 盛 次,上 掲 書,38〜9ペ ー ジ.)
し,同 月29日 に は1ド ル ー19.61フ ラ ン に ま で 低 落 した 。 しか し そ の 同 じ, 時 期 に,大 蔵 大 臣 お よび 議 会 の 予 算 報 告 者 は 奇 妙 な 楽 観 論 を 表 明 し,経 済 お
よ び 財 政 状 態 が 改 善 され て き て い る と 主 張 した 。 け れ ど も 他 方 で は,増 税 と 支 出 削 減 を 目的 とす る 法 案 が 臨 時 議 会 で 討 論 され て い た の で あ っ た 。1924 1年 に 入 る と
,フ ラ ソに 対 す る 不 信 と不 安 は ます ます 大 き くな っ た 。 フ ラ ソ の
コ
逃 避 が 起 こ る と と も に,フ ラ ソ に 対 す る投 機 も ま た 盛 ん に な った 。 この よ う な 状 況 の な か で,1月10日 に は,フ ラ ソ ス 銀 行 は 割 引 率 を5%か ら5.5%に 引 き 上 げ る措 置 を と った が,フ ラ ン相 場 の 下 落 は 日に 日に 加 速 化 され,1月 14日 に は 為 替 市 場 で 激 しい 恐 慌 が 勃 発 した 。 為 替 相 場 は1ポ ン ド=・96.11フ
ラ ン,1ド ル=22.80フ ラ ン に 達 した 。 為 替 恐 慌 の 対 策 は 遅 滞 な く行 動 に 移 され なけ れ ば な らな か った。1月17日,フ ラ ン ス銀 行 は ふた た び 割 引率 を
く ラ
S.5%か ら6.0%へ,貸 付 利 率 を6.5%か ら7.0%に 引 き 上 げ,ま た 政 府 は あ らた な 財 源 を 確 保 す る法 案 を 議 会 に 提 出 した 。 そ れ は 下 院 に お い て 熱 心 に
(23)
討 議 され た が,可 決 され る に は 至 らな か っ た 。 そ の 間 に 物 価 も 急 激 に 上 昇 し,卸 売 物 価 指 数 は1924年2月 に は555に ま で 達 した 。2回 に わ た る 金 利 政 策 に も か か わ らず,銀 行 券 流 通 高 は1月 か ら増 加 し,3月 に は400億 フ ラ
ン に な っ た 。2月24日 に は,下 院 に お い て20%増 税 案 が 可 決 され,為 替 相 場 は 一 時 的 に 小 康 状 態 を 保 っ た が,そ の 後 フ ラ ソ に 対 す る投 機 は ま す ます 激 し くな った 。3月3日 に は1ド ル=24.07フ ラ ソ に 下 落 し,3月8日 に は つ' い に パ リ為 替 取 引 所 が 閉 鎖 され た 。 ニ ュ ー ・ヨ ー ク に お け る 当 日 の フ ラ ン 相
く ラ
場 は1ド ル=28.74フ ラ ン,1ポ ン ド=・122.58フ ラ ン で あ っ た 。
外 国 投 機 業 者 の フ ラ ン に 対 す る攻 撃 が 為 替 恐 慌 の 発 生 に 重 大 な 影 響 を 与 え た の で あ っ た が,こ の 事 態 は 政 府 当 局 に よ っ て 深 刻 に 受 け と め られ た 。3月
9日,大 統 領 は 総 理 大 臣,大 蔵 大 臣,フ ラ ソ ス 銀 行 総 裁;副 総 裁 お よび 理 事 を エ リゼ 宮 殿 に 招 集 し,異 例 の 重 大 会 議 を 開 き,危 機 的 事 態 の 認 識 に 立 っ て 、
⑳C.S.,LeMarch6mon6taircetlesChanges,RE.P.,1924,pp.193〜4.
⑳G.S.,op.cit.,p.275.
㈲G.五achapelle,LaTr6sorerieetleBudget,R.EP.,1924,p.158.
⑭C.S.,OP.cit.,P.192.
第 一 次 大 戦 後 に お け る フ ラ ン ス の イ ソ フ レ ー シ ョ ン と 通 貨 政 策
35
対 策 を 協 議 した 。 そ の 結 果,フ ラ ソ ス 銀 行 総 裁 の声 明 が 発 表 され た 。 そ れ は ・ ア メ リカ の3月13日 付 新 聞 に 公 表 され た が,パ リの 新 聞 で は,こ の 声 明 が
くヨの
詳 細 に表 現 され ず,た ん に要 約 された 記 事 が 掲 載 され た に とど ま った。 フ ラ ソス銀 行総 裁 の声 明は つ ぎの通 りで あ る。
「私 は,財 政 状 態 改 善 のた め に十 分 な対 策 が 講 ぜ られ る こ とを,あ なた 方 に 保 証 で き ます 。 じっ さい,政 府 は主 張 す るで あ ろ う。 上 院(下 院 はす で に 有利 な投票 を行 な っていた)は 予算全体 の均衡 を実現す る増税 案に対 し早急 に 決定 を 行 な い,ま た収 入 額 の対 応 しな い す べ ての新 支 出 を 削減 す る政 策 を 議 決 す べ きで あ る と。 財 政 状 態 が 著 る し く改 善 され な いか ぎ り,浮 動 債 の借 替 え の場 合 を除 き,政 府 は あ らた な信 用 に 訴 え る こ とを しな い で あ ろ う。 ま た 解 放 地 域 に対 して さえ,そ の支 払 を 通 常 予 算 収 入 に よ って確 保 す る こ とな
しに は, ,今 後 いか な る公 債 も発 行 しない で あ ろ う。 、 、
「フ ラ ンス銀 行 は,政 府 の あ らゆ る努 力 に 協 力 し続 け,銀 行 自体 で で き る
(26)'
措 置 を独 自に 行 な うで あ ろ う。」
フ ラソス銀 行総 裁 の声 明が 行 な われ た 後,た だ ち に フ ラ ン危 機 に対 応 す る 方 策 が と られ た。 まず 国庫 は,ラ ザ ール 商 会 の仲 介 に よ り ロン ドソ4大 銀 行 か ら400万 ポ ソ ド,モ ル ガ ソ商 会 を 通 じて ア メ リカ銀 行 グ ル ープか ら1億 ド ル を借 り入れ,そ れ を為 替 資 金 と して フ ラ ンス銀 行 に為 替 市 場 で 直接 介 入 を
く
行 なわ せ た。 フ ラ ソス銀 行 は フ ラソを 買 い,ド ル,ポ ソ ドを売 る操 作 を 行 な っ て,フ ラ ン投 機 に対 抗 し,そ して また,フ ラ ン売 りを行 な う資 金 調 達 手 段 と して 国庫 証 券 を利 用 す る ことを 防 止す る た め に,国 防 債 券 担 保 貸 付 け を 拒
(28)
否 した。
つ ぎに,予 算 を統 一 す るた め に,「 回収 可 能 支 出予 算 」 を 廃 止 して 単一 予 算方 式 を と る こ とに決 め,予 算 の均衡 を実 現 す る ため に,租 税 収 入 の 増加 と
㈲G.Lachapelle,LesFinancespubliques,R.E.P.,1924,pp.159〜60.
㈲G.Lachapelle,op,cit.,p.160.
鋤R.S6dillot,op.cit.,p.259.
¢3J.H.Rogers,TheProcessofInflationinFrance,p・44・ 大 原 社 会 問 題 研
究 所 訳,イ ン フ レ ー一…シ ョ ソ の 統 計 的 研 究,64ペ ー ジ.
支 出 の削 減 を実 施 しな け れ ば な らな か った。3月15日 の 法 律 に よって あ ら た な財 源 を確 保 す るた め に20%の 増 税 を行 な い,そ して 予 算額 全 体 を 少 な
くと も10億 フラ ン減 少 させ る権 限 を政 府 に 与 え る3月22日 の 法 律 が 制 定 さ
(29)
れ た 。
フ ラ ソ ス銀 行 の 為 替 市 場 操 作 を 通 じて,フ ラ ン 相 場 は 上 昇 し,3月11日 に は1ド ル==27.20フ ラ ン,3月12日 に は1ド ル==24.70フ ラ ソ に な っ た 。 そ の 後,政 府 の 予 算 均 衡 の 努 力 が 実 行 に うつ され,3月31日 に は 為 替 相 場 が
(30)
1ド ル=‑18・20フ ラ ン に ま で 上 昇 した 。4月23日 ㌧ フ ラ ン ス 銀 行 が 為 替 操 作 資 金 を 再 編 成 し,補 充 す る た め に ドル,ポ ソ ド を 購 入 した の に も か か わ ら ず,最 低 相 場 は ドル が14.47フ ラ ン,ポ ン ドが63.55フ ラ γ で あ っ た 。 国 庫 は イ ギ リス か ら の借 入 れ 資 金 を6月 に 返 済 した が,ア メ リカ か ら の借 入 れ 資 金 に つ い て は,慎 重 を 期 して そ の 返 済 を11月 まで 延 期 し,そ の 時 に 長 期 借 替 え を 行 な った 。 か くて,フ ラ ソ ス 銀 行 は 場 合 に よ っ て は い つ で も為 替 市 場
くヨ ラ
に 介 入 で き る手 段 を確 保 してお いた の で あ る。
ボ ア ン カ レは3月 の為 替 恐 慌 を 打 開 す る こ とが で きた。 激 しい嵐 の期 間 は 過 ぎ去 った よ うにみ えた 。 も ち ろん,真 の 意味 に お け る安 定 は,金 に党 換 さ れ る健 全 な通 貨 に基 礎 を置 くこ とに よっ て達 成 され るの で あ るが,フ ラン の 価値 回 復 へ の傾 向 は もはや 支 配 的 どな り,こ れ まで遭 遇 した よ うな 変動 が ふ た た び 生 ず る とは 考 え られ な くな った。 しか し,フ ランを あ らた な減価 か ら 守 るた め に は,予 算 の均 衡 を達 成 す る財 政 政 策 が な に よ りも肝 要 で あ り,こ 'の こ とは どんな 人 為 的 手 段 を も って も補 なわ れ な い ので あ る。 フ ランス銀 行
の為 替 市 場 へ の介 入 が フ ラン価 値 の回復 に大 い た寄 与 した の も,予 算 の 均衡 を確 保 す る ため に と られ た 財 政 上,経 済上 の全 般 的 計 画 に おけ る一環 で あ っ
く ラ
た か らで あ る 。
凶㈹㈹㈱
G.Lachapelle,】LaTr6sorerieetleBudget,R.EP.,1925,p.204.
R.S6diUot,op.cit.,p.259.
G.S.,op.cit.,p.278.
C.S.,op.cit.,pp.195〜6。
〆
第 一 次 大 戦 後 に お け る フ ラ ン ス の イ ン フ レ ー シ ョ ソ と通 貨 政 策
37
̀
3.イ ソ フ レ ー シ ョ ソ の 昂 進
ボ ア ン カ レに よ る フ ラ ン恐 慌 の対 策 が 実 を 結 び,為 替 相 場 の 上 昇 と物 価 の 下 落 が 生 じた に も か か わ らず,1924年5、 月11日 の総 選 挙 に お い て は,国 民 は ブ ロ ッ ク ・ナ シ ョナ ル を 支 持 せ ず,政 権 は カ ル テ ル ・デ ・ゴ ー シ ュに 移 っ た 。 そ の 当 時 の 状 況 は,フ ラ ン に 対 す る 内 外 の 信 頼 が 回 復 し,国 庫 の 逼 迫 も しだ い に 緩 和 さ れ て き た 。3月 末 か ら5月 末 ま で の 間,短 期 公 債 の 引 受 け が
く ラ
そ の償 還 額 を15億 フ ランほ ど 超 過 して いた 。 しか し,政 権 の交 替 は事 態 の 推 移 を 変 え た ので あ った 。 「新 政 権 の公 約 は,予 算 の不 均 衡 と蘭 違 い な く ド
イ ツに有 利 な譲 歩 とを 同時 に 意 味 した 。 … … デ ジ レー シ ョンは支 出,負 債 お
くお の
よび イ ソ フ レ ー シ ョンの安 易 な 政 策 のた め に放 棄 され た 。」
政 策 の転 換 は事 態 を 憂 慮 すべ き方 向 に進 め た。6月 未 に は フ ラン ス銀 行 の 国 家貸 付 金 はそ の最 高 限 度 額 を 超 過 す るの で は な いか とい う懸 念 が 表 明 され た し,ま た7月 以 降,あ らた な 公 債 の応 募 に よっ て償 還 額 を 満 す こ とは きわ め て 困難 な状 態 に な った 。 か くて,国 庫 収支 は悪 化 の傾 向 をた どった 。銀 行 券流 通 高 は 国庫 お よび流 通 界 か ら生 ず る二重 の需 要 に よっ て増 加 し,7月 以 降 ふた た び400億 フラ ンを 越 え た 。 フ ラ ンス銀 行 は,こ の流 通 高 の 増 大 を阻
く
止 す る た め に,9月11日 に 貸 付 利 率 を7%か ら8%へ 引 き 上 げ た が, .そ の 効 果 は あ ま りな か っ た 。
大 蔵 大 臣 ク レ メ ン テ ル は,ロ ン ドン会 議 を 終 え て パ リに 帰 る とた だ ち に, 為 替 相 場 お よ び 国 庫 の 状 態 を 改 善 す る た め に,1925年 予 算 の 均 衡 達 成 に 努 力 した 。 か れ は 「回 収 可 能 支 出 予 算 」 を 廃 止 し,単 一 予 算 を 作 成 した 。 そ の 予 算 額 は,収 入 が328億5,600万 フ ラ ソ,支 出 が328億1,500万 と な り,計 数 上 で は 収 支 が 均 衡 す る も の で あ っ た 。 しか し,予 算 の 作 成 に お い て,収 入
の 見 積 り は 過 大 に 評 価 さ れ,支 出 の 見 積 りは 過 少 に 評 価 さ れ て い た の で, 1925年 に お け る 予 算 施 行 上 で は か な りの 借 入 れ 額 が 必 要 に な っ て い くの で
B3G.Lachapelle,Tr6sorerieetleBudget,R.E.P.,1925,p.211.
」B4R.S6dmot,op.cit.,p.260.
鱒G.S.,op.cit.,p.271etp.275.
あ る 。 さ て,1924年10月,政 府 は 必 要 な 国 庫 資 金 を 調 達 す る た め に,種 々 の 銀 行 か ら9億5,200万 に 達 す る 新 規 借 入 れ を 行 な い,10月9日 の 銀 行 券 流 通 高 は408億4,800万 フ ラ ン に な っ た6物 価 は 上 昇 傾 向 を た ど り,為 替 相 場 は 下 落 し,1ド ルti19フ ラ ン に 達 した 。 こ の よ うな 状 況 の な か で,政 府 は 年 末 に は 国 庫 収 支 の 不 足 額 を 補 填 しな け れ ば な らず,ま た フ ラ ソ ス 銀 行 に 対
く
して は 国 家貸 付 金 の返 済 を行 なわ なけ れ ば な らな か った。
前者 の た めに は,10年 満 期 の高 利 率 な公 債 を 発 行 した。 総 額49億1,200ト 万 フ ラソの 引受 け が 行 なわ れ た 後,「 大蔵 大 臣 は も っ とも 輝 か しい成 功 を 収
く ラ
めた と 躊 躇 な く 声 明 した 。」 しか し,実 際 は 国 防債 券 と通 常 の国 庫 証 券 とが 同額 だ け 減 少 した に す ぎなか った。 した が って,国 庫 の状 態 は ま った く改 善
されず,公 債 の利 子 負担 を 増 加 させ た にす ぎなか った 。 後 者 に つ い て は,為 替 の安 定 や そ の他 の観 点 か ら考 え て,フ ラ ソス銀 行 は,国 庫 が 国家 貸 付 金 の
ラ
返 済 を行 な い,そ の最 高 限 度 額 を 引 き下げ る こ とが 妥 当で あ る と判 断 した。
か くて 政府 は フ ラ ンス銀 行 に12億 フ ラ ンの返 済 を 行 な い,1925年 に お け る 国家 貸 付 金 の 最 高限 度 額 を220億 フ ラン とす る協定 を 結 ん だ。 政府 は そ の返 済 金 の た め に特 別積 立償 還 勘 定 の使 用 可 能残 高 を まず充 当 し,不 足 分 を モル
、(39)
ガ ン商 会 を 通 じて借 り入 れ た資 金 の純 収 入 か ら支 払 った。 したが って,そ の 支 払 は 勘 定 の うえ で のた ん な る振 替 にす ぎなか った 。
1924年12月11日,フ ラン ス銀 行 は 割 引率 を6%か ら7%に 引 き上 げ た が,そ れ は 銀 行 券流 通 高 の増 大 に 対 しては 効 果 的 な影 響 を 与 え なか った 。 .1925年 の 初 め に は,銀 行 券流 通 高 はつ いに そ の最 高 限 度 額410億 フ ランを 突 破 した ので あ る。 この よ うな事 情 の も とで,フ ラ ソ ス銀 行 は政 府 に 対 し最 高 発 行 限 度 額 の 引上 げ を要 求 し,そ の法 案 の提 出を 求 め ざ るを え なか った。
しか し,エ リオは この法 案 の提 出 を4月 まで1週 間 ず つ 引 き延 ば し,や っ と 4月16日 の法 律 に よって,最 高 発 行 限度 額 を450億 フ ランに,国 家 貸 付 金
㈲G・]しachapelle,opcit・,PP・214〜5・
¢の(}・Lachapelle,oP・cit・,PP・215〜6・
G$(}・]Lachapelle,oP・cit・,P・216・
㈲G。S.,op.cit.,p.273.
第 一 次 大 戦 後 に お け る フ ラ ン ス の イ ン フ レ ー シ ョ ン と 通 貨 政 策39
限 度額 を260億 フ ラソに 引 き上 げ た 。 そ の結 果,当 時 の 正権 な 状態 が 公 表 さ れ る こ とに な った が,同 日の数 字 に よれば,銀 行 券流 通 高 は429億5,900fi
るの
フ ラ ン で あ り,ま た 国 家 貸 付 金 は223億5,000万 フ ラ ン で あ ら た 。
そ の 後 に お い て も,国 家 貸 付 金 お よ び 銀 行 券 流 通 高 は 増 加 傾 向 を た ど っ た 。 そ して1925年6月 に は,卸 売 物 価 指 数 は533に 上 昇 し,為 替 相 場 は 下 落 して1ド ル=・20フ ラ ン を 越 え る状 況 で あ った 。 国 庫 に と っ て 重 大 な 問 題 は,7月1日,9月25日 お よび12月8日 に 償 還 期 日 と な る ク レ デ ィ ・ナ シ ョナ ル 債 と6%国 庫 証 券 に 対 応 す る こ とで あ っ た 。 こ の 国 庫 の 危 機 を の り き, る た め に,カ イ ヨ ー は フ ラ ン ス 銀 行 の 国 家 貸 付 金 に 依 存 せ ざ る を え な い と判 断 し,そ の 最 高 限 度 額 の 引 上 げ を 議 会 に 要 請 す る と 同 時 に,増 税 案 と為 替 保 証 付 き4%永 久 公 債 の 発 行 を 提 起 した 。 しか し,増 税 案 だ け は 議 会 の 証 認 を
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うる こ とが で き なか った。6月27日 に は 国家 貸 付 金 の 最 高限 度額 が320億 フ ラ ンに 引 き上 げ られ,そ れ と同時 に 銀 行 券発 行 の 最高 限 度 額 は510億 フラ
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ソ に 高 め られ た 。 ま た 為 替 保 証 付 き4%o永 久 公 債 の 発 行 は,7月20日 に 開 始 さ れ,9月5日 に 完 了 す る 予 定 で あ'った 。 しか し,そ の 期 間 は ま ず9月30
くを の
日 まで莚 期 『され,さ らに10月,20日 まで再 延 期 され た。
永 久公 債 の発 行 に か んす る この 間 の成 果 に つ い て,ラ シ ャペ ル の述べ る と ころ に よれ ば,「 浮 動債 の早 急 な長 期 借 替 え を企 図 す る ことは,無 理 で あ っ た し,ま た あ らゆ る宣 伝 努 力 に もか か わ らず,部 分 的 か つ 継 続 的 な長 期 借替 え を実 現 しえた に す ぎなか った 。 わ れ わ れ の 考 え に よれ ば,そ して諸条 件 を 考 慮 す るな らば,4%永 久公 債 に よる 借 入 れ の実 現 は 名 誉 あ る 成 功 で あ っ た。 そ の応 募 は59億3,400万 フ ランに 達 し,そ の うち49億9,400万 フ ラ ン は薗防債で支払われ,そ の残額は6%国 庫証券の 転換か ら生 じ摺iの であ
る 。
㈹G.Lachapelle,op.cit.,p.219.
㈹G.LachapelleetC.Rist,LaTr6sorerieetleBudget,R.E,P.,1926, p.236etp.239.
幽R.S6dillot,op.cit.,p.261.
㈹G.LachapelleetC.Rist,op.cit.,p.240.
㈲G.LachapelleetC.Rist,op.cit.,p.241.
6月 か ら9月 まで は,為 替 相場 お よび物 価 は比 較 的 安定 して い た。 また 国 庫 の状 態 もそ れ ほ ど悪 化 しなか った 。 通常 の 国庫 証 券 に か ん して は,そ の応 募 額 が 償 還 額 を 上 回 っ て いた し,国 防 債 券 に つ い て も9月 に は 同様 で あ っ た 。 け れ ども10月 に 入 る と,為 替 相 場 の 下 落 と物 価 上 昇 が 起 り,国 庫 収 支 もまた 困難 な 状 況 に な った。 カイ ヨ ーは10月16日 に 開か れた 急 進 党 会 議 に 再 建 案 を 準 備 した が,そ れ は エ リオに よっ て反 対 され,ま た10月26日 に 閣 議 に か け た 再建 案 も否 決 され た 。 カ イ ヨーが辞 職 した 後,大 蔵 大 臣 パ ンル ヴ
ェが ボ ソ ネ と協 力 して 新 しい再 建 案 を準 備 した が,そ れ も11月7日 の下 院 財 政 委 員 会 で否 決 され た。 そ の後 さ らに,別 の 再建 案 が提 出 され て下 院 で 討 論 され た け れ ど も,見 解 の相 異 が 妥 協 的 な 財 政 制度 を探 究 して い る うちに, 為 替 相場 の 下 落 と物 価 上 昇 は 激 し くな った 。 卸 売 物 価 指 数 は10月 の534か
ら11月 の619に 上 昇 し,ポ ソ ドの 月平 均 相場 は10月 の109.20フ ラ ソか ら 11月 の122.64フ ランに な った。 国庫 収支 の 不 足 額 は10億 フ ラン以上 に も 達 し,11月20日 以 降,フ ラン ス銀 行 の 国 家貸 付金 はそ の最 高 限 度額320億
フ ラ ンを 超 過 した が,議 会 は この最 高 限 度 額 を15億 フ ラン拡 大 す る提 案 に 賛 成 しなか った。 翌 々 日,パ ンル ヴ ェ内閣 は瓦 解 した 。 つ いで 第8次 ブ リア
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ソ 内 閣 が 成 立 し,大 蔵 大 臣 に は ル シ ュ ール が な っ た 。
11月23日 に は,国 家 貸 付 金 の 最 高 限 度 額 が15億 フ ラ ン 引 き上 げ られ, 335億 フ ラ ン に な っ た 。 しか し,そ の 後 も事 態 は 好 転 せ ず,悪 化 の 一 途 を た
ど っ た 。12月3日 に は 国 家 貸 付 金 が こ の 最 高 限 度 額 に ほ ぼ 等 しい 額 に 達 し た 。12月4日,ル シ=一 ル は 議 会 か ら特 別 な 追 加 と い う名 目で 大 幅 な 増 税 を 獲 得 し,12月5日 に は,国 家 貸 付 金 の 最 高 限 度 額 を60億 フ ラ ン 引 き上 げ,同 時 に 銀 行 券 発 行 の 最 高 限 度 額 を75億 フ ラ ン 引 き上 げ る法 案 が 議 会 で 可 決 され た 。 さ らに 数 日後,か れ は つ ぎ の 対 策 を うち だ して き た 。 そ れ は 脱 税 と資 本 逃 避 を 抑 え,直 接 税 の 増 徴 に よ っ て あ らた な 財 源 を 確 保 し,償 還 金 庫 を 創 設 す る こ とを 目的 と して い た 。 け れ ど も,下 院 の 財 政 委 員 会 は こ の 提 案 の 一 部 を 否 決 し,ル シ ュ ー ル は12月15日 に 辞 任 し,ド ウ メ と交 替 す る こ
㈹G.LachapelleetC.Rist,op.ci七.,pp.242〜4.