• 検索結果がありません。

国連の国際規範形成機能とイギリス植民地の「独立 」ラッシュ : 1945-1965

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "国連の国際規範形成機能とイギリス植民地の「独立 」ラッシュ : 1945-1965"

Copied!
3
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

国連の国際規範形成機能とイギリス植民地の「独立

」ラッシュ : 1945‑1965

著者 半澤 朝彦

雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =

Annual report of the Institute for International Studies

号 8

ページ 91‑92

発行年 2005‑12

URL http://hdl.handle.net/10723/477

(2)

91

国連の国際規範形成機能と

イギリス植民地の「独立」ラッシュ:1945-1965

半 澤 朝 彦

当該フォーラムの報告は、報告者が着任したばかりでもあり、オックスフォード大学現代史学部に 2002年に提出した博士論文 ‘An Invisible Surrender: The United Nations and the End of the British Empire,

1956-1963’ を紹介し、ディスカッションを行いました。その内容は、改訂を経て、緒方貞子・半澤朝

彦共編著『グローバルガヴァナンスの歴史的変容-国連と国際政治史』(ミネルヴァ書房、2005 年刊 行予定)に収録されるため、ここでは博士論文そのものの要旨を収録します。

「植民地主義」の正当性の問題は、二十世紀を通じてイギリス指導層を悩まし続けたテーマである。

彼らは、イギリスの世界的影響力の政治的・道義的基盤を維持強化するために、国際連盟および国際 連合を設立し活用した。それは、帝国の経営・存続にとって、威信や道義的権威が物理的国力に劣ら ない、不可欠の要素であると彼らが認識していたからである。

序章では、イギリス帝国史研究・戦後国際政治史研究において、なぜこの点の分析が驚くほど等閑 視され続けてきたかが詳細に分析される。第二章は、1956年までの前史である。イギリス帝国戦略と 世界機構の発展が歴史的にいかに密接に結びついていたかを国際連盟の時代から振り返る。イギリス は国連システムが植民地維持に障害とならないよう、国連憲章起草に際して細心の注意を払った。本 論文では、イギリスの脱植民地化は、信託統治システムや「内政不干渉条項」を柱とする国連の制度 的「セーフガード」が政治的に崩壊していくプロセスとして捉えられる。

第三章から第六章が本論である。1956年のスエズ危機は、国連における孤立の危険性、そして、植 民地主義に係わるとみなされる問題で国連をバイパスしたり、イギリスの思惑通りに国連を操作した りすることが、次第に政治的に困難になりつつあることを、イギリス指導層が実感した重要なエピソ ードである。19603月に南アフリカにおける人種暴動事件(シャープヴィル事件)が国連安保理に 持ち込まれるまでは、国連に対するイギリスの警戒感は潜在的レベルに留まっていたが、南アフリカ の人種政策に対する国際的批判がケニアやローデシア、中東などイギリス帝国の他地域への国連介入 を誘発し、「正式の帝国」から「非公式の帝国」、コモンウェルスへの漸次的再編というイギリスのプ ログラムを阻害する可能性は十分認識されていた。19602月のマクミラン首相による「変革の風」

演説は、1950年代の末に深まりつつあったこのジレンマを解消しようとする試みの一つであった。

とはいえ、「変革の風」演説の時点で、実際にその直後から起こったような急激な帝国解体をマクミ ラン政権が構想していたという主張は俗説にすぎない。独立付与を加速させる方針をイギリスに強い たのは、19603月以降の国連における事態の急展開なのである。「アフリカの年」を扱う第五章は、

シャープヴィル事件に続いて起こったコンゴ動乱(7 月~)と、第十五回国連総会において可決され た「反植民地宣言」(総会決議1514XV)、196012月)をめぐる、イギリス政府中枢の認識を分析

(3)

92

する。第六章は、総会決議1514によって植民地の保持そのものの国際的正当性が失われ、ローデシア やアラビア半島、英領ガイアナなどへの国連介入の怖れが喫緊に感じられる中で、イギリスが引き続 き大国の地位に留まろうとするなら、独立付与を先送りする猶予はもはやまったくないことをイギリ ス政府中枢が悟った経緯を論じている。ケニアなど主要なイギリス植民地の独立が確定した1963年ま で、イギリスの行動を第一義的に規定したのは、ナショナリズムへの配慮ではなかった。イギリスの 世界的影響力の保持に必要な、アメリカとの「特別な関係」、およびコモンウェルス、とくにインド、

マラヤ、ガーナ、ナイジェリアなど、「新コモンウェルス諸国」との関係が中心的な思惑だったのであ る。イギリス自らが創設したと自負する世界機構において正当性を失うことは、自らの国際的地位を 雲散霧消させ、これら諸国との間に決定的亀裂を生む。1960年代初頭の「帝国の消滅」という現象は、

こうしたコンテクストの中で理解すべきであり、イギリス帝国の崩壊は、植民地主義を批判する「国 際世論」に対する「見えざる降伏(an invisible surrender)」であったといわねばならない。

結果的に国連との衝突を未然に回避することに成功したイギリスは、「帝国からの退場」を自画自賛 し、現在にいたるまで「帝国意識」を完全に払拭できずにいる。そして、「イギリス植民地主義」を批 判したと自認するアメリカが、実際にはイギリスの大国意識の継承者である。したがって、大国の正 当性の源泉としての国連、時として大国の行動の自由を奪うことになる国連の「見えざる拘束力」と いう主題は、冷戦後のアメリカの対外行動を分析する上でも有効な視座たりえる。いわゆる「文明の 衝突」も、本論文で扱った、植民地主義対反植民地主義、西欧対非西洋の正当性をめぐる対立の延長 上にあろう。

現在はこの博士論文の周辺領域に加えて、修士論文で扱った1940年代の中東をはじめとするグロー バルな英米関係、国際政治学から見た移民難民政策などにもテーマを広げています。

注記:中東における英米関係については:

「中東におけるイギリス・アメリカ『非公式帝国』の起源1945-1947」『国際政治』第141号(2005年刊行予定)

また、本博士論文の内容は以下の刊行物にも収録してあるので、あわせて参照されたい。

3章の概要:「国際政治における国連の『見えざる役割』─1956年スエズ危機の事例」『北大法学論集』第54巻第2 号(20035月)

*関連論稿として:「アフガニスタン・イラク攻撃とスエズ戦争─国連と国際政治の力学」『創文』第464

(20045月)

5章:「国際連合とイギリス帝国の終焉──1960年の南アフリカ連邦・シャープヴィル事件の衝撃」『現代史研究』

45号(1999年)

6章:「国連とイギリス帝国の消滅1960-1963」『国際政治』第126号(20012月)

参照

関連したドキュメント

肝細胞癌は我が国における癌死亡のうち,男 性の第 3 位,女性の第 5 位を占め,2008 年の国 民衛生の動向によれば年に 33,662 名が死亡して

本章では,現在の中国における障害のある人び

コロナ禍がもたらしている機運と生物多様性 ポスト 生物多様性枠組の策定に向けて コラム お台場の水質改善の試み. 第

三 危険物(建築基準法施行令(昭和25年政令第338号)第116条第1項の表の危険物

新設される危険物の規制に関する規則第 39 条の 3 の 2 には「ガソリンを販売するために容器に詰め 替えること」が規定されています。しかし、令和元年

を体現する世界市民の育成」の下、国連・国際機関職員、外交官、国際 NGO 職員等、

本論文の構成は、第 1 章から第 3 章で本論文の背景と問題の所在について考察し、第 4

そこで本章では,三つの 成分系 からなる一つの孤立系 を想定し て,その構成分子と同一のものが モルだけ外部から