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著者 涌井 秀行

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戦後日本資本主義の【基盤】としての土地所有 :  歪んで高度に発達した資本主義国・日本の変革にお ける病巣の特定と『土地国有論』再考

著者 涌井 秀行

雑誌名 明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review International & regional studies

号 40

ページ 1‑22

発行年 2011‑10

その他のタイトル The Landownership as Basic Construction in Japanese Capitalism after WW2

URL http://hdl.handle.net/10723/1054

(2)

【論 文】

戦後日本資本主義の【基盤】としての土地所有 

――歪んで高度に発達した資本主義国・日本の変革における病巣の特定と『土地国有論』再考――

涌 井 秀 行

【要 約】

新幹線,超高層ビル,自動車,そして半導体技術をはじめとするハイテク産業。東京都のGDPはオース トラリア一国に匹敵し,2009年までは,日本のGDPは世界第2位の規模であった。誰もが,日本が「高 度に発達した資本主義国」であるということを疑わないだろう。だが戦後日本の経済は,前近代的な土地 所有を基盤に発展したのである。

欧州諸国は資本主義の成立過程(本源的蓄積)で,長い時間をかけて封建的土地所有を近代資本制的土 地所有へと編制替えしてきた。農業をともかくも資本主義的農業・産業へとつくりかえたのである。しか し日本ではこの過程を経ることなく,またその暇もなく資本主義国へと転換せざるを得なかった。いや,

むしろ戦前の「富国強兵」・急速な近代化の過程では,この半封建的土地所有・寄生地主制が近代化を促進 したのである。戦後においても零細農地・農耕=宅地所有が「高度成長」を促進した。戦前も戦後も「前 近代の存在がむしろ超近代を加速」(内田義彦)したのである。

本稿は,戦後日本資本主義を規定した国内要因=基盤が「零細土地所有=零細農耕」を核とした「土地 所有」にあり,その核心は零細農耕=稲作で陶冶された労働力にあることを論証し,この解決をとおして 日本の変革を展望しようとする試論である。有効な制限原理,社会的な「公共財」としての性格を持たな い,封建領主顔負けの土地所有こそ戦後日本の【基盤】であり,この【基盤】土地問題の解決なしには日 本の変革と楊棄はあり得ないだろう。小稿は戦後日本資本主義を規定した国内要因=基盤が「零細土地所 有=零細農耕」を核とする「土地所有」であることを論証し,「失われた20年」「閉塞感」打破の国民的立 場に立った道筋を見出そうとする問題提起である。

Ⅰ.はじめに

――ジャパン・シンドローム(日本症候群)

と戦後土地所有

「少子高齢化」・「過疎化」・「限界集落」・「孤独 死」,家族,ふるさと,そして社会とのつながりが とぎれた「無縁社会」。そして何よりも経済停滞に よる閉塞感。こうした状況を「ジャパン・シンド ローム(日本症候群)」と,呼ぶという。

戦後日本社会は行きつくとこまで行きついた。

派遣労働者は「派遣切り」に遭うと路上に放り出 され,「ホームレス」になるという。「『24時間営業

のハンバーガーショップを訪ね歩いていました』。

失業後,約半年間,『路上』生活を続けていたとい う女性(52)は(2010年4月)14日,派遣村の主 催者が立川市役所で開いた記者会見で,かつて経 験した厳しい現実を告白した。08年5月,周囲の いじめなどを苦に勤め先の老人ホームを退職。同 時に住居を失ったため,昨年秋までは知人宅を 転々としていたが,そのうち長居ができないよう になり,『路上』へと出た。

女性の路上生活は危険が伴うため,昼間は図書 館で時間をつぶし,夜は24時間営業のハンバー ガーショップで仮眠を取る生活を繰り返した。『横 になることができないので,いつも足がぱんぱん

(3)

にふくれあがって痛かった。体力が落ちると,心 にもゆとりがなくなり,心身共にボロボロになっ た』。『路上生活』の苦しみ切々 52歳の女性が告 白」(1)と題する新聞報道である。「派遣切り」に 遭うと寮を出され,「ネットカフェ難民」になり,

ついには路上生活に陥る人が多いという。

確かにそうだろう。こうした事態の緊急避難的 措置として,「就職安定資金融資制度」が2008年 12月に始まった。同年9月のリーマン・ショック 後,「派遣切り」などで失業と同時に住まいも失っ た人を対象に,賃貸住宅に入居するための敷金・

礼金や生活費を貸し付ける法律である。こうした 法律ができること自体が,失業と同時に住居を失 いホームレスになる事案が多い,ということを示 している(2)。こうした事態をどう理解したらよい のだろうか。

冷戦構造の溶解と共に始まった「平成大不況」

は,既に20年を超えようとしている。「派遣切り」

が住居喪失,「ホームレス」に直結するという事態

は,不況時によく見られる風景なのだろうか。筆 者はそうは思わない。「経済成長」という金メッキ がはげ落ちて,深部にあって潜んでいた戦後資本 主義の「基盤」が社会の表層に浮き出てきた現象 ではないのか。「派遣切り=ホームレス」という等 式は,戦後日本資本主義の核心部分・【基盤】の表 れたもの(「表象」)であり,さらにこれまで「成 長」の促進要因となっていたその【基盤】が「反 転」して,マイナス要因となっているということ ではないのだろうか。

それにしても戦後日本の「経済成長」のスピー ドには驚かされる。図1は第2次世界大戦後の先 進資本主義国の「成長」のスピードを比較した図 である。一目瞭然日本の群を抜くスピードを確認 できる。戦後日本は1955年から1980年の25年間 に8倍の成長を遂げた。これに対してアメリカ・

西ドイツ・フランスは2.5倍,イギリスは1.6倍 の成長を遂げたにすぎない。とりわけ同じ敗戦国 で東西に分割され冷戦最前線に立たされながらも,

図1 戦後日本の「高度経済成長」

0 100 200 300 400 500 600 700 800 900

55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 1958年=100

仏 (西)独 日 英 米

資料出所) OECD, Stat Extracts,Key Short-Term Economic Indicators : Industrial Production,

http://www.oecd.org/document/56/0,3343,en_2649_34265_2073848_1_1_1_1,00.html

(data extracted on 06 Apr 2010 05:28 UTC (GMT) from OECD. Stat;April/6th /2010)(11/04/06)

注記)数値は,GDPベースの第2次産業。

(4)

「ラインの奇跡」と言われる成長を遂げた西ドイ ツと比較してみても,日本の「成長」のスピード には目を見張るものがある。この異常とも言える

「成長」のスピードが物語るものはなにか。それ は,戦後日本資本主義が先進欧米とは違ったスト ラクチャーとメカニズムを持っていた,というこ とではなかろうか。どうして,焦土の中からその スタートを切ることができたのか。なぜこうした

「高度成長」を,日本は遂げることができたので あろうか。まずそれが問題となる。

それを一言でいえば,冷戦体制の政治=軍事=

経済的必要からアメリカによって導入・移植され た工業生産力〔労働手段(機械装置・器具・技術)

と労働対象(原燃料・原材料)〕が,戦後日本資本 主義の【基盤】「零細土地所有=零細農耕」(3)に あたり,それが触媒となって,異常なまでの化学 反応=爆発=経済成長が引き起こされたからであ る。この【基盤】こそが,戦後日本資本主義を染 め上げた「染料」,化学反応の「触媒」だったので ある。

戦後日本資本主義の【基盤】とは農業・農村で あり,その核は農家1戸当たり平均耕作面積およ そ1町歩(1ヘクタール)での稲作,「零細土地所 有=零細農耕」である。これが国外(アメリカ)

から移植された生産手段と出会った時,「高度経済 成長」という爆発的な反応が引き起こされ,日本 は世界を圧倒する「経済成長」を遂げることがで きたのである。

今,その【基盤】が大きく崩れかけている。農 村の過疎化(4)は云われて久しいが,「過疎地域」

は国土面積の57%に達している。さらに住民の半 分以上が65歳以上で,生活道や林野の整備,冠婚 葬祭などができずに共同体としての機能が失われ,

集落の維持が出来ない「限界集落」(5)が発生して いる。【基盤】がプラスに作用し,それによる成長 によって「雇用」も確保され,失職してもその気 になれば帰れる「田舎」もあった。だが今はその

「田舎」が無くなった。「派遣切り=ホームレス」

は,農村の崩壊=「限界集落」の都市での姿では ないのだろうか。

本稿は,戦後日本資本主義を規定した国内要因

=基盤が「零細土地所有=零細農耕」を核とする

「土地所有」であることを論証し,この解決をと おして日本の変革を展望しようとする試論である。

有効な制限原理,社会的な「公共財」としての性 格を持たない,封建領主顔負けの土地所有は戦後 日本を染め上げた染料,化学反応の触媒としての

【基盤】であり,筆者はこの【基盤】土地問題の 解決なしには日本の変革と楊棄はあり得ない,と 確心している。本稿は「失われた20年」「閉塞感」

打破の国民的立場に立った道筋の出発点を見出そ うとする試論,問題提起である。

Ⅱ.零細土地所有=零細稲作農耕における労 働の原理

――労働力排出・陶冶基盤としての稲作労働――

戦前・戦後を通して,日本農業においては耕作 面積も農作業もともに,なぜ小規模で零細なのか。

どうしてそうならざるを得なかったのか。それを 明らかにしたうえで,零細農耕から生まれる労働 力の質をのべ,それがなぜ戦後日本資本主義の土 台=【基盤】となったのかを,述べよう。

この議論の前提として,稲作について述べてお こう。そもそも日本においては邦

く に

自体が「豊

と よ

葦原

あ し は ら

の 千五百

ち い お

秋

あ き

の瑞穂

み ず ほ

の地

く に

」といわれたように,稲作の 定着とその生産力の拡大につれて形成され,邦

く に

運 営の基礎に田とイネと米が置かれてきた,と言っ ても過言ではない。とりわけ近世以降,幕府,諸 藩の所領は米の生産高で表示(石高制)され,公 租(税)も米で貢納(年貢)された。日本経済は

「米遣いの経済」とよばれるほど,米は特別な物 品であった。また明治維新以降も政府は地主に地 租を負担させ,地主は現物小作料=米を換金して 地租を納めた。「寄生地主」・「小作関係」は戦前日 本資本主義の「基柢」であって,絶対主義天皇制 政府を支えていた。このように少なくとも戦前ま で,米は社会の基本的物品・商品だったと言えよ う。

いずれにしても「米作り」は日本農業の中核で ある。稲作の特徴を簡潔に述べれば,以下のとお りである。稲作は,小区画の隣接しあった水田・

(5)

耕地に,人力農具を基本とした労働手段で,気象 条件の変化に対応しつつ病虫害を防ぎながら,田 植,除草,収穫などの適期における膨大な作業と,

相互の水田を結ぶ水の管理を伴って進められる。

したがって,一定地域の水田を対象として強固な 横組みの協働組織・共同社会(農村共同体)が形 成される。また労働は,単婚家族(戸)労働を主 体として行われる。これらのことから「苦汗」・「稠 密」・「協同/協調」という【労働力の質】と耕作 面積の【零細性】が導かれることになる。それを 稲作に沿って具体的に述べてみよう。

稲作には用水から始まり籾摺

も み す り

から選別・出荷ま で,およそ11の作業プロセスがある。最も重要な プロセスは田植・除草・稲刈りの3プロセスであ る。田植は各地域によって開始時はまちまちでは あるが,適切な期間は長くても20日間程度(6)で,

この間に田植を終了しないと収量に影響が出る。

稚

ち

苗

びょう

が活着(根付き)し穂を形成するためには,

適切な気温と水温が必要だからである。同時に田 植には用水管理が重要で,耕起・代掻

し ろ か き

後,表土が 落ちつき水が澄む時期を見計らって,田植をしな ければならない。用水は田の高低などの位置関係 によって,全田,地域一斉には出来ないから,順 次全体を見計らってしなければならず,自分の田 に適切な時期に田植をするためにも,他人の田を 手伝うことは必須である。同時に田植は病虫害の 対策やその後の管理のために,田植定規などを 使って直線に等間隔に苗を植えなければならない。

【協同/協調・精確/稠密労働の源泉】さらに,

手植えの場合,一日中腰をかがめ田を這うような 姿勢で作業をせざるを得ず,ここから【苦汗労働】

も必然的となる。1日の作業量(7)は1反(10アー ル)程度で,歩行型田植え機(8)が普及する 1970 年代半ばまで,農民はこの作業を余儀なくされて いた。

また,除草も極めて重要な農作業で,稲作は「雑 草との闘い」とも言われる。除草作業を怠れば収 量にたちまち影響が出る。草取りは3回,三番草 までとらなければならず,このため除草剤が普及 する1950年代まで,顔に稲の葉先が当たるのを避 けながら,農民は腰をかがめて炎天下,一日中作

業【苦汗労働】をしなければならなかった。この 作業でも,1日の作業量は1反(10アール)程で あった。

稲刈りも適切な時期と期間が求められる。収穫 期が早すぎると緑色の米(青米)や未熟米が多く 混じり,品質が低下する。遅いと米粒の光沢がな くなり,胴

ど う

割

わ れ

米

ま い

が多くなり,精米時に砕け品質が 落ちる。また籾が穂から落ち収量も減少する。収 穫時期は田植と同様に各地様々であるが,期間は おおむね20日間ほどである。手刈りでの作業は1 日中腰をかがめての苦汗労働で,ここでも協同/

協調作業が求められる。農民は,刈取結束機(バ インダー)(9)が普及する1970年代まで,この作業 を強いられていたのである。ここでも1日の作業 量は手刈りの場合,1反(10アール)であった。

以上の農作業の内容から次の2点が導かれる。

第1点は耕地面積であり,第2点は稲作農業が鍛 える労働力の質である。第1点。手植え・手除草・

手刈りによる水稲耕作から必然的に1戸当たりの 耕作面積が規定されることになる。田植・草取り・

稲刈りの主要稲作作業における適切な期間は,仮 に多めに見積もっても20日間,1日の仕事量はお よそ1反(10アール)である。仮に20日間フル に働いたとしても,1戸当たりの耕作面積は20反

(2町歩)が限度である。これから協同作業の分 を仮に5日分(5反=0.5町)を差し引くと1.5町 歩ぐらいが,1 戸当たりの最大耕作可能面積・限 界耕作面積となる。耕地面積の零細性は,諸要因 を含み歴史的に形成されたものではあるが,稲作 の農作業から導き出された面積とも言える。第2 点。例えば定規を使った田植は【稠密・精確な労 働力】を養う。そして何よりも一日中腰をかがめ 田を這うような姿勢で行う水田での農作業は,ど のような労働をもいとわない【苦汗労働力】を鍛 え上げる。また水稲耕作は,小区画の隣接しあっ た水田で適期に膨大で稠密な作業と,相互の水田 を結ぶ水の管理を伴って行われる。このことから,

一定地域の水田を対象として強固な横組みの共 同・協働労働組織が生まれ,これが【協調的な労 働力】を鍛えあげる。工業を意味する「industry」

はラテン語の「勤勉:industria」を語源としてい

(6)

るが,稲作によって鍛えられた労働力は,何より も工業労働に適合的なものである。

さらに以上の2点から次のことが導かれる。す なわち短期間の田植・稲刈りという農作業は,そ の期間に集中して大量の労働力を必要とする。こ の労働力を必要な期間に必要な人数だけ集めるこ とは困難である。また労賃も高騰するから,コス ト圧迫要因ともなる。これは,農業労働者を雇用 する借地農業者(資本家)による大規模稲作農業 の展開を阻害する強い要因になる。したがって大 地主は農業労働者を雇用して大規模農業経営をお こなうより,耕作地を細分化して,個別農家に貸 付けて地代をとる方がより合理的な経営方式とな る。単婚家族労働を前提とし短期間の労働力集中 的投下の農作業が必至という条件のもとでは,戦 前日本においては小作農制度が合理的な経営方式 となり,戦後においても,稲作を主体とする農業 においては,大規模経営に適する農業技術の高度 化・進歩がない限り,「零細土地所有=零細農耕」

は必然的となる。

日本の「高度成長」=「強蓄積」にとって欠か せないのは,稠密・精確・協調・苦汗労働力(者)

である。稲作は田植や稲刈りの農作業に見られる ように,稠密で協調的で厳しい労働にも耐えうる 労働力を鍛えあげる。たとえば田植は田植定規を もちいて所定の位置に精確に植え付けなければな らないし,期間の決められた農作業ゆえに協調・

協働労働(力)も求められる。そして何よりも一 日中腰をかがめ田を這うような姿勢で行う田植・

草取り・稲刈りの農作業は,どのような労働をも いとわない苦汗労働力を鍛え上げる。「苦汗労働は 一面からみれば,精耕細作といわれるごとく,丹 念,勤勉な労働であって,わが国産業基盤の特質 を形成するものともなった」(10)のである。この農 業労働力の質こそ工業生産にも適合的な労働力の 質であり,歴史的に形成されたものではあるが,

手作業による労働は耕作面積をも制限し,農地も 零細とならざるを得ない。この零細土地所有=零 細農耕(稲作労働)が,いわば戦後日本の工業労 働力の培養土壌となったのである。以上【基盤】

の核心部分である稠密・精確・協調・苦汗労働力

がどうして生まれてきたかの〔論理〕,を述べたが,

今度はそれがどのようにして生まれてきたか〔歴 史〕を論述しよう。

Ⅲ.零細土地所有=零細農耕の史的形成過程

1. 寄生地主制発生の根拠としての稲作=日本農業

封建制下の土地所有は,同じ土地にたいして領 主の上級所有権(地代・年貢徴収権)と百姓・農 民の下級所有権(耕作権,事実上の所有権)が重 なって存在していた。百姓・農民は領主から安全 を「保障される見返り」として,土地に縛りつけ られ封建地代(年貢)を収奪されていた。しかし 農業生産力が高まるにつれ,最低生活を維持する 以上の「剰余」が発生するようになる。

農業生産力が上昇し剰余発生の可能性が生まれ た場合,ヨーロッパでは農地・農場の大規模化が 進んだ。例えば,18世紀イギリスのように,地主

=封建領主が企業家となり,あるいは農業資本家 が出現して,新農法(ノーフォーク式4種輪作制 など)を採用し,播種

は し ゅ

機および畜力用砕土機や畜 力大型有輪犂

す き

などの農業機械を用い,穀物増産を 目的として大規模化した。あるいは,東部ドイツ のユンカーのように酒精工場などを兼営しながら,

地主=貴族が自ら農場を経営し規模を拡大し,近 代資本主義的経営に向かっていった。しかし日本 では,そうした農業生産力の上昇が生まれた時,

欧州のように大規模化せず,資本主義的農業経営 には向かわなかった。それどころか耕地面積の細 分化・経営の小規模化へと向かったのである。稲 作を中心とした日本農業では生産性の上昇が農地 の拡大に直結せず,逆に零細性に結び付くという ことが起きたのである。では,なぜ規模の拡大に 向かわなかったのか。いわゆる「規模の経済」が 働かなかったのか。それを史実に沿って考察して みよう(11)。

日本においても17世紀前半(江戸時代初期)ま では,大土地所有者が5から10ヘクタール前後の 耕地〔手作地〕を自ら経営する方式がかなり有力 であったと思われる。大土地を所有する大百姓〔名 主〕は,自分が代々家内に抱え込んでいる下人や

(7)

図2 戦後日本資本主義の基本構成

歪んで高度発達した資本主義国日本

「執拗低音」 零細土地所有=零細農耕 「土着思想」

+

冷戦体制に組み込まれる

(1) [戦後日本資本主義の外生循環的性格=国内自律性未成立]

―対米依存=国民国家内での再生産(生産=消費)軌道を敷設できず

―土地所有を資本制に非包摂:農=工産業連関未成立(農業解体 アジア共通)

(2) [戦後日本資本主義の擬似封建的性格]

―土地の擬制資本化=外資を代位補完

―格差系列=編成支配

[国内での内部応答的な再生産構造未確立,外需(輸出)を再生産の 必須条件【基本構成】]とする資本主義。即ち【外生・擬似封建的資本主義】

封建的土地所有(上級所有権:地代=年貢徴収権)

+

(下級所有権:耕作≒所有権)

18C 初 徳川吉宗頃以降~

名田作徳地主経営への転換と質地作徳地主小作関係の展開

(近代資本主義的展開不能) (寄生地主制の萌芽・展開)

1873 (M6) 年 地租改正:地租金納者=土地所有者

【基本規定=「基柢」】 半封建的土地所有=半隷農的零細農耕 「寄生地主」=「小作」関係

1946 年 農地改革

擬似封建的性格(資本面) 擬似封建的性格(労働面)

(農業の自立不可・農工格差)

地価高騰 農家経営(近代農業)未成立

(零細農地・新所有252万戸)

零細・分割 土地所有 農家収入 賃金相互補填関係

(土地持ち労働者 新所有者1000万人)

架空・擬制 資本転化

間接金融の系列融資原資 低廉・稠密・勤勉な労働力

擬制資本の現実資本転化 三層格差=系列編成【基盤】

「含み益」経営 土地投機

強蓄積・生産力増大 狭隘な消費・低蓄積

(あ) (い)

「強制輸出」=外需依存 〈外生循環構造〉 外需不調

輸出競争力強化のためのコストダウン・海外生産

アジア資本主義の起動(アジア NICs→中国沿海部)

(国民経済の「完結」性の弛緩・解体)

国民国家「溶解」=EU 形成時代においてアジアに残された唯一の資本主義の道

稠密/協調労働力の排出基盤 零細土地所有=零細農耕

【基盤】零細土地所有=(土地持ち労働者・農民)=零細農耕

米占領軍 農地改革 財閥解体

冷戦構造→冷戦体制

〈外 (上)〉からの 工業生産力移植 労働対象・労働手段 構造

歴史

/

兼業農家

注記)諸資料から筆者作成。

(8)

血縁家属,また身分的に隷属している零細農民

〔被官

ひ か ん

〕を使役して,稲作経営を行っていた。こ こでは牛馬を使用した犂耕(長床犂)によって広 い農地の耕作をおこない,また田植えや稲刈りと いった適期・短期間の労働力需要にも下人・家族 や零細農民達を動員して対応していた(家父長制 的農奴主経営)。同時に大百姓は直接経営にタッチ しない貸し農地〔下作地〕も保有しており,零細 農民は零細な自己保有地とその地主の土地(〔下 作地〕=借地)を耕作し,かろうじて家計を維持 していた。零細農民は借地の地代を払わねばなら ないが,地代は地主自身が経営する〔手作地〕を 耕作すること,即ち徭役(労働力)の提供であっ た〔労働地代〕。したがって零細農民は自己保有地 や借りた農地〔下作地〕を自身で耕作・経営しつ つ,地主〔手作地〕の耕作もしていたのである。

歴史に照らしてみると,農業労働が奴隷から農 奴へと移行し,農奴の地代が労働地代から生産物 地代へ,そして貨幣地代へと移っていったが,そ れは人間の発達に沿った合理的な移行だった,と いえよう。なぜならば,誰しも自分の農地は「一 所懸命」に耕作するが,奴隷主の土地であろうが 大地主の土地であろうが,他人のための労働(農 作業)には身が入らない。当然その土地の耕作は おろそかになり,収穫も細るであろう。こうした

折,17世紀前半に,単婚小家族労働による農家の 経営が可能になる条件,零細農を支える「生産力 的基礎」が生まれた。第1は戦国末期から盛んに おこなわれるようになった灌漑設備をともなった 水田の造成=「新田開発」であり,第2は鍬

く わ

の改 良・普及を伴って零細農耕に適した農法が生まれ,

普及したことである。前者は言うまでもなく戦国 時代から盛んになった領国大名の新田開発であり,

これが大量の入植者・農民を必要(12)とした。後 者は零細農経営の技術体系として自家労働力によ る鍬

く わ

での農作業という農法が生みだされたことで ある。鍬

く わ

はそれまでの犂

す き

と違い深く農地を耕すこ とができる。この深く耕した農地に人糞や苅敷

か り し き

(13)

などの肥料を大量に投入し収穫量を増大させる。

むろん家族労働力も最大限に投入されたことはい うまでもない。領主に収奪されても,働けば働く だけ収穫も増え,暮らしも助かる。

歴史的にみるとそうした農法が普及し始めたの は,室町時代に畑作の二毛作三毛作が普及し,水 田においても裏作の麦(田麦)が植えられるよう になってからだ,と思われる。水田では10アール

(1反)あたり1石(玄米150キログラム)位ま

では,「水の肥料運搬機能によって無肥料での収穫 が可能であった」(14)。しかし裏作が行われるよう になると「地力維持上施肥が不可欠となり,刈敷

表1 寄生地主制発生の歴史

典拠 年代 水田面積 耕地面積 人口(万人) 年

和名抄 930年頃 86.2万町歩 644.14 900年頃

683.69 1150年頃

拾芥抄 1450年頃 94.6万町歩 850.00 1450年頃 (注記イ)

慶長3年大名帳 1600年頃 100万町歩 163.5万町歩 1227.30 1600 (慶長5)年 町歩下組帳 1720年頃 164万町歩 297.0万町歩 3127.85 1721 (享保6)年 第1回統計表 1874年頃 305.0万町歩 3330.00 1873 (明治6)年 資料出所)

(1) 大石慎三郎「宝暦・天明期の幕政」(『岩波講座,日本歴史11,近世3』岩波書店,1976年,表3,171頁)

(典拠,年代,耕地面積の3項目)。

(2) 磯辺俊彦・常盤政治・保志恂編『日本農業論』(有斐閣,有斐閣ブックス,1986年)91頁(水田面積の項)。

(3) 鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』(講談社,講談社文庫,2000年)表1,16-17頁(注記イ以外の人口)。

(4) Jean-Noël Biraben, “The History of the Human Population From the First Beginnings to the Present” in “Demography:

Analysis and Synthesis: A Treatise in Population” (Eds: Graziella Caselli, Jacques Vallin, Guillaume J. Wunsch) Vol 3, Chapter 66, pp 5–18, Academic Press, San Diego, 2005.(注記イの人口)

(9)

を主として,人糞尿や厩肥の投下も行われるよう になる。有肥農業となれば,耕転にも一定の深耕 が要求される。・・・かくて労働手段の基軸が鍬と なり,犂

り

耕

こ う

は後退し,手除草,苦汗刈敷運搬労働 など,人力苦役の労働集約農法が近世を支える生 産力」(15)となっていったのである。

「生産力発展の基本的方向は,単位面積当り収 穫量の増大による生産性の向上を指向している。

単婚小家族による家族協業の枠内で,家族労力を 最大限に活用し,零細錯圃形態をとる圃場に多量 の労働と多量の肥料を投入し,小農具を駆使して 周密な肥培管理をおこない,園芸的な集約農業を 発展させる」(16)という生産力発展の方向である。

事実,日本の耕地面積は表1と図3に見られる とおり,1450年頃から1720年頃にかけて一貫し て増加している。1450年頃から1600年頃にかけ て150年間で1.7倍,1600年頃から1720年頃に かけての120年間で1.8倍になっている。ここか

らも戦国期から江戸初期にかけて新田開発が盛ん に行われていた様子がうかがえる。それに対応し て人口の増加をそれぞれ見てみると,前者が 1.4 倍の増加であるのに対して後者では 2.5倍に増加 している。この点から,1600年頃から1720年頃 に労働集約的な零細耕作が生産性上昇に寄与し,

生産力増大の決め手となったことが分かる。「生か さぬように殺さぬよう」という厳しい収奪のもと でも,図3に見られるように,1600 年から1721 年にかけての人口急増のグラフの線は生産性上昇 の何よりの証拠である。

鍬

く わ

・鎌・手植え・手除草・手刈りという「手耨

て じ ょ く

耕

こ う

体系」による水稲耕作では,必然的に1戸当たり 1ヘクタール前後の耕作限界面積が出てこざるを 得ないことは,すでにⅡで述べたとおりである。

さらに水稲耕作では,水の管理が決定的な意味を もつ。一枚の大面積の水田は造成できないから,

稲作は,小区画の隣接しあった水田で,相互の水 図3 人口からみた零細土地所有=零細農耕の確立

14000 12000 10000 8000 6000 4000 2000 0 万人

西暦 600 800 1000 1200 1400 1600 1800 2000

451 644 684 850 1227

3128 725年→723年私田開墾令三世一身の法班田法解体 荘園時代 ⇒ 900年→ 1150年→ 1450年→ 1600年→

耕地万町歩95→164→297

1721年→

1920年

↓ 5596 1950年

↓ 8390 1975年

↓ 11194

↓ 3330

1873年 1221年承久の乱・鎌倉封建制 ▲労働地代 ▲生産物地代

1582年太閤検地 1603年徳川封建制 1722年吉宗寄生地主制法認

2030年

↓ 11522 2050年

↓ 9515 2004年ピーク

12779

 地租金納=▲現物小作料

明治維新

資料出所)

(1) 鬼頭宏『人□から読む曰本の歴史』(講談社,講談社学術文庫,2000年)16-17頁(弥生時代 から1919年まで)。

(2) 国立社会保障・人口問題研究所『人口統計資料集,2011年版』(1920年から2009年)

http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/Popular2011.asp?chap=0(11/08/13)

(3) 国立社会保障・人口問題研究所『日本の将来推計人口(平成18年12月推計)』

http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/suikei07/suikei.html#chapt1-1(11/08/13)

(10)

田を結ぶ水の管理を伴いながら,集中的に適期に 膨大で稠密な労働力を投下して農作業を行わざる を得ない。こうした複雑な水稲耕作を半ば奴隷状 態の農奴を使役して大規模に行うことは困難を伴 う。舐めるような「精耕細作」を農奴に強制する ことは不可能である。単婚小家族を単位としての 耕作がはるかに「精耕細作」にむいている。なに よりも田植えや稲刈りといった労働力の集中的投 下が必要な時にも無理がきき,対応できるからで ある。そうした労働によって得られた増収分は自 己のものになるから労働意欲も湧く。したがって,

使役していた隷属農民に土地を貸し付けて地代と して小作料をとり,その中から領主に年貢を上納 する(「名田作徳地主小作(関係)」)ほうが経営上 の手間も暇もかからず,コスト・パフォーマンス は良くなる。中間搾取をして小作農民に寄生する 経営方式が,地主としての合理性をもつように なったのである。このようにして,日本の農業に おける発展〔蓄積〕の基本的形態は,生産(経営)

単位の規模,零細性はそのままにして,寄生地主 化の道をたどったのである。〔寄生地主制発生の歴 史的根拠〕

具体的には,以下のような発生経過をたどった。

農業生産力の増大は,次第に封建制下の自給自足 的経済を解体し,村の中にも商品経済を浸透させ ていった。幕藩体制社会では土地売買は基本的に 禁止されていたから,大百姓である地主は,村の なかで商人高利貸し的性格を強め,生活に困窮し た百姓・農民に土地を抵当にして金や穀物を貸し 付け,貸付の抵当に取った農地をそのまま百姓・

農民に貸し付けて小作料をとった。農地を抵当に 差入れた農民は小作人に転落することになる。「質 地作徳小作」(17)関係が展開し始めたのである。同 時に大百姓・商人・金貸し資本等は,新田開発を 領主から請負,新田を開発した。彼らはそうした 農地も小作に出したから,ここからも地主小作関 係は発生した。当然,領主としては大百姓・地主 による「中間搾取」がない方が望ましいわけであ るが,こまごまとした農業・農民管理を自らが行 うより,中間搾取を認めてでも大百姓・商人・金 貸し達に委託して一定量の年貢を確実に確保する

方(18)が,封建領主にとっても「合理的」だった のである。業務の民間委託であり,民間デベロッ パーによる開発,「民活」のいわば江戸時代版であ る。

徳川吉宗は「1722(享保7)年7月,新田開発 に関する高札を江戸日本橋に建て,『新田になりそ うなところは,幕府の責任で開発を申しつけるか ら申し出るように』と開発人(民間デベロッパー)

をつのった。幕府は自力で新田を開発する力を 失っていたので,財力のある町人たちの力をた よったのである。そのかわり開発に使った資金の 1割5分の限度内で,町人がその新田から小作料 を取ることを認め,それを年貢同様保証」(19)した のである。こうして寄生地主制は,法的にも認め られ確立した。ここに戦前の【基抵】,戦後の【基 盤】は生成したのである。

2.明治維新と180度転換した「近代」的土地所有

明治維新政府は,徳川幕藩体制下における耕作 強制の廃止(田畑勝手作の解禁),土地永代売買禁 止を解除するなどして土地利用・所有に対する制 約を廃止し,1973(明治6)年地租改正を実施した。

これは,私的所有権を農地についても確認したも のであり,近代資本主義的工業化のための条件整 備であった。地租改正によって封建領主(将軍,

藩主ら)の年貢徴収権(上級所有権)は一応否定 されたが,その年貢徴収権は秩禄支給(米→「金 禄」;一時金)をへて金禄公債へと姿を変えた。下 級士族は困窮・没落したが,華族と少数の上級士 族は公債を元手に国立銀行を設立したり土地を買 収したりして地主になるなどしたから,上級土地 所有権は形を変えて温存され,近代的土地所有権 として認知されることになった。自作地を持つ農 民・地主にも土地所有権は認められたが,土地所 有権は小作地については直接生産・耕作者である 小作農民にではなく,地主にその権利が付与され た。そのことにより,ヨーロッパから輸入された 近代資本制的土地所有の概念,とくに「自由な私 的所有権」や「所有権の絶対的排他的権利」の概 念は,変質して意味を180度転換してしまった。

すなわちヨーロッパでは,土地所有権の「自由」

(11)

や「絶対的排他的権利」とは,不当に土地を取り 上げたり重税を課したりする絶対君主に対抗して 行使された耕作者の「権利」だったが,地主制が すでに展開していた日本では,こうした「権利」

は,絶対君主や国家にたいしてではなく,逆に実 際に土地を耕作している小作農民の耕作権・小作 権にたいして主張される,地主の権利に変質して しまった。こうして,近代的土地(農地)所有権 は封建的諸関係から切り離されて,近代的な物権 となり自由に売買されるようになったが,地租改 正において生みだされた近代的私的土地所有は,

土地所有と土地利用が密接に結びついた「勤労的」

農業経営を生み出しはしなかった。それどころか 封建領主顔負けの土地の絶対的所有権の優位性が 地主に認められるようになったのである。

それは,第1次世界大戦後の「小作争議」によ く示されている。高率高額小作料減額や小作地の 取り上げ反対を求めた小作争議は「1935(昭和10)

年に戦前最大の6824件を記録した。争議において 地主は明治民法に守られた土地所有権に訴え,小 作農民は耕作権の保証を求めたが,裁判や調停で は小作地の引上げや滞納小作料の支払が認められ ることが多かった」(20)という。結局,広汎な農民 は没落を余儀なくされ,「彼らの土地を併呑した寄 生地主的大土地所有の急速な発展がもたらされた。

地主的土地所有は大正末・昭和初期(1930年頃)

に頂点に達し,全耕地の48%強を覆った。・・・

他方,徳川時代には無税であった都市の土地(江 戸=東京,大阪,京都の3都市の市街地)にも,

地租改正によって土地所有証明書である地券が発 行され,地租が徴収されることになった。徳川時 代にも,市街地の場合は,都市の土地についても 売買が行われていたのであるが,地租改正によっ て,土地取引は完全に自由」(21)となり,都市市街 地所有の流動化が進行した。ここでも土地所有権 はヨーロッパのそれとは180度反対の意味を持っ たのである。すなわち所有地の利用は地主の自由 にまかされ,どんな建物を建てようと勝手という 建築自由の原則が生み出されて,ヨーロッパとは 正反対の権利が法認された。

Ⅳ.戦後日本の「高度成長」蓄積【基盤】と しての土地所有

3

局面

1.農地改革と農村における「零細土地所有=零細 農耕」

1945年8月15日,無条件降伏で戦前日本,軍事 的=半封建的帝国主義国家は瓦解した。「日本の史 上における一階梯としての軍事的半封建的,日本 資本主義は,明治維新以来,敗戦に至るまでほぼ 4分の3世紀にわたるその歴史的生涯をここに了 えた。一の階梯が終り,新たな,より高次な階梯 が劃期されようとする。その劃期=変革〔民主主 義革命〕の基本過程となるところのものは,旧構 成の基抵〔半封建的土地所有制=半隷農的零細農 耕〕における変革的な再編でなければならぬ。か くして次の点が明らかである。日本における土地 問題の解決は,現在,進行中の,日本民主化の過 程における最も基礎的な一要素を構成する。その 意味において,今次の農地改革は,民主主義革命 期日本における最も重要な課題をなすところのも のである」(22)。

「日本農業の方向は自ら与えられます。すなわ ち,第 1。日本農業の変革は小作関係重圧と零細 耕作との相互規定の構造を揚棄する方向に向けら れねばならぬこと。したがってまず小作関係の重 圧から解放することによって経営改善=拡大の指 向を促し,日本農業の構造上の型の高度化を指向 すべきこと。第 2。日本農業の構造上の型の高度 化に対して,技術的基礎を準備すべきであること。

かくのごとくして,日本農業の,より高度の,本 格的な農業構造への再構成を達成しうるならば,

そのときはじめて,日本の歴史上,第5の劃期が,

その意義を獲得するに至るものとすることができ るのであります」(23)。戦後の「民主主義革命」に おいて最も規定的であると山田盛太郎が考えた

「農地改革」は,たしかに耕作者に土地所有権が 認められ,その点では明治維新で積み残されたブ ルジョワ革命の課題は達成された。しかし農家1 戸あたりの耕地所有面積は平均0.8町歩で,とう てい農家が自立できる経営面積ではなかった。「零

(12)

細土地所有=零細農耕」は取り残されたままで,

山田が「第2」に掲げた「本格的な農業構造への 再構成」は達成されず今日まで残された。だが,

農村は舐

な め

めるような「精耕細作」稲作労働によっ て鍛え上げられた労働者の無尽蔵のプールとなっ た。経済「成長」と共に必要とされた労働者は,

ここから排出され都市へと向かったのである。

2.財産税と都市における零細宅地所有

――土地持ち労働者の生成

前項1. において,農村の零細土地所有について

述べたが,「零細地片私的土地所有=零細農耕」は 農村にとどまらず都市へと拡散し,資本・企業の 土地所有,さらには都市勤労者の「小規模住宅地 所有」へと拡大していった。この都市の「零細地 片私的土地所有」(小規模住宅地所有)の種もアメ リカによってまかれた。1945年11月24日 GHQ は「戦時利得の除去及び国家財政の再編成に関す る覚書」を発した。特に前者の「戦時利得」は戦 時中の儲けと華族等の財産を吐き出させるもので あって,1946年3月3日「財産税法」として施行 された。10万円以上の時価をもつと目された株・

債権・土地は言うに及ばず,骨董品・絵画なども 課税対象となった。免税額は10万円,税率は累進 性で最高税率90%(申告額が1500 万円以上の場 合)の,1度限りの徴税による財産没収で,徴税 は1946年度からおおむね5年間にわたった。これ によって「明治以来,大土地所有に集中してきた 都市の土地が一挙に多人数小面積所有に変貌し た」(24)という。これに関する資料はきわめて限ら れているが,土地所有者数を示す固定資産税の納 税者数を見ると,戦前1943年の813万人(25)から 1957年1804万人(26)へと,納税者は約1000万人 も増加している。

経済成長と共に農村から都市へと押し出された 農民は労働者となり,この仕組みに巻き込まれた。

「狭いながらも楽しい我が家」から「マイホーム」

へとキャッチコピーは変わったが,土地付き一戸 建て住宅=小規模宅地所有願望は変わらなかった。

住宅ローンの金利は銀行・金融資本を通して賃金 の資本・企業への還流=搾取(27)となった。それ

ばかりか零細宅地所有は「マイホーム主義」とな り,土地持ち労働者層を育て,農民と並んで保守 政権の支えとなった。

3.企業・資本による土地所有

「高度成長」・強蓄積による太平洋ベルト地帯へ の資本・企業と労働者の集中・集積は地代・地価 高騰の強い要因となった。地価高騰・投機が可能 となったのは土地の零細性ゆえである。「不」動産 でありながら,動産並みの流動性が生まれた。ロ ンドンのように数人の地主が市街地を所有する状 態では,土地の「切り売り」など不可能であろう。

地価騰貴は1951年から1990年までおよそ40年間 継続した。「土地神話」が語られ,キャピタルゲイ ンは発生し続け,「含み益」経営という経営手法が 編み出された。資本・企業は土地を担保・原資に 間接・系列金融によって資本を生みだした。それ は設備投資などに振り向けられた。本来価値を持 たぬ土地が価格を持ち,こうした擬制資本は現実 資本に転化したのである。そればかりでなく,土 地は投機の対象となり投機利益も生みだされた。

こうしたことが可能となったのは,おもに次のふ たつの理由による。第1に有効な制限原理をとも なわない土地の「絶対的私的所有権」が認められ,

封建領主並みの「土地所有者たるの資格の圧倒的」

な優位が保持されたこと。そして第2に不徹底な

「農地改革」によって細分化された零細農地と「財 産税法」施行による都市の零細宅地は,零細性ゆ えに「土地の切売り」・売買の対象になった。それ はまた企業・資本による大土地所有にもその「利 便性」は及んだのである。

以上の1~3で述べたように,「土地の利用は所 有者の勝手」という「地主的土地所有観」は国民 意識となり,今日に至るまで払拭されることはな かった。「零細土地所有=零細農耕」という前近代 の遺物,すなわち資本主義的近代農業の未成立が,

戦後日本の蓄積・「高度成長」の培養容器となった のである。同時にこれが〈独占資本―中小零細資 本―零細農耕〉という〈三層格差〉の基層を形成 する。この〈三層格差〉を利用した労働者支配は,

生産性を高める一方で賃金を低くおさえる役割を

(13)

はたした。なぜなら,家計補充的であるから低賃 金が成りたち,低賃金でも帰ることのできる田舎

=農業(28)があるから労働者はそれを甘受し,過 酷な労働にも耐えたのである。しかし低賃金は国 民の懐を温めるには至らず,真水としての内需=

「最終民間消費」は制限された。

4.資本による労働力の実質的包摂

――「会社人間」育成法と稲作

戦後日本は朝鮮戦争以降,欧米から最新の技術 を輸入・導入し,機械装置を設備した。それらの 機械の据え付け時や試運転時に外国人技師らが来 日し指導にあたった。その際外国人技師達は,設 計時の計画通りの人数の作業員をそれぞれ配置に つけ,それぞれの職務に必要な技術や技能を訓練 し,設備稼働にそなえた。欧米では機械装置設計 時に要員数および配置を決定し,それぞれの職務

(ジョブ)に必要な技能や技術の程度も固定し,

それぞれの要件を満たす作業者を配置する。たと えば,旋盤の技能が必要な工程なら「旋盤工」(ジョ ブ・職務)を配置する。もし必要なら新規に「旋 盤工」を募集する。ところがこの場合,日本側で は横文字に強い,学習意欲の高い若年層(未熟練 工)を中心に配置につけ,彼らを訓練し,すべて の作業者がどの作業も習得し,適宜ローテーショ ンする体制をとった。なぜなら戦前来の熟練はも はや通用しなくなり,欧米からの新技術を導入す るにあたって,企業は自前で熟練工を育成しなけ ればならなかったからである。

「試運転が開始され,1 週間経った次の月曜日 にドイツ人技師が出社すると,プラントのコント ロールパネルのところには自分が一度も訓練した ことのない作業者が配置についていた。ドイツ人 技師は早速プラントの運転を停止させ,工場長に 対し,プラントの安全操業に対する責任をとれな いと抗議した。長い時間の討議の末,日本では固 定的な職務配置はないこと,作業者間で十分に訓 練内容についての情報交換がなされたので,既に 他の成員でも十分に安全操業が可能であることを ドイツ人が納得し,驚嘆した」(29)という。この驚 嘆に続けてこのドイツ人技師は次のように述べ

ている。「作業集団内で作業を平等に分担してい こう,そのために困難な作業内容についても果敢 に取り組もうとする気風が日本の作業者には強く 見られるが,その原因のひとつとして米作におけ る協働と関係があるのではないか・・・。例えば 草刈作業,共同溝の清掃,田植作業など共同作業 を行う場合,元来長老から精緻な作業分担の指示 など出されず,分業は作業集団内の成員が自発的 に他の成員の状況を見ながら役割分担を決めて行 動する。その際集団内における自分の技能のレベ ルを自己判断しながら,しかも作業負荷が物理的 に精神的に特定の人々にかかり過ぎないように仕 事が配分され,必要に応じてローテーションされ る」(30)。

日本の製造業労働者数は,1970年1057万人,

1990年1059万人の二つのピークをもつ。1950年 から1970年の20年間で製造業労働者は576万人 増加する。これとパラレルな関係で農漁民は 694 万人減少する。「高度経済成長」が猛烈な勢いで農 漁村から労働者を吸い出したのである。戦後日本 資本主義は農村における「零細土地所有=零細農 耕」,そこで陶冶された労働力という【基盤】がな ければ,存立しえなかったのである。

5.日本資本主義の外生循環構造とアジア資本主義

「零細土地所有=零細農耕」は戦後日本資本主 義の成立・展開における内的要因=【基盤】であ る。〈外から〉アメリカの冷戦体制構築という世界 プロジェクトの一環として〈上から〉日本政府も 関与して,戦後日本資本主義は立ち上げられた。

日本はアメリカの冷戦体制に組み込まれ,アメリ カの極東工場となることを要請された。アメリカ のアジア戦略にとって必要な物資の生産=供給,

内需をはるかに超えた供給能力=工業生産力が日 本に求められた。これはアメリカからの「至上命 令」であった。それを是が非でも実現しなければ ならない。景気後退を含みながらも朝鮮戦争特需 から「岩戸・神武」へと1954年12月~1961年12 月の7年に及ぶ好景気・「高度成長」が日本にもた らされた。高度成長による人手不足が農村から猛 烈な勢いで農民を労働者として吸いだし,農村は

(14)

労働力を排出する「労役土壌」となった。それは さらに1965年11月~1970年7月にわたる「いざ なぎ景気(第2次高度成長)」で加速された。けれ ども,生み出された供給能力は膨大で,一時は企 業の設備投資や政府の公共投資という内需で吸収 されたが,最終消費である国民の個人消費=真水 としての内需では到底吸収しきれなかった。外需 は必然となり,輸出は強制的となる。輸出=外需 が順調であれば比類なき強蓄積・高成長が実現す る。日本は輸出を国是とした経済大国の道を爆走 することができる[図 2(あ)の局面]。だが輸出 が不調であれば,停滞せざるをえない[図2(い)

の局面]。こうして戦後日本資本主義の〈基本構成〉

=〈外生循環構造〉が成立したのである。その【基 盤】が零細土地所有=零細農耕であり,その核心 は稲作労働で陶冶された労働力(者)であった。

だから,その供給能力が枯渇した時,農業の衰退

=農村の崩壊がだれの目にもはっきりとみえてき た時,「産業の空洞化」,日本資本主義の「失われ た20年」が始まったのである。

資本主義の基本的関係は「資本-賃労働」関係 であり,したがって土地所有は資本の活動の追加 的モメントにすぎない。しかしながらその土地所 有を土台とする農業は工業と並ぶ基軸産業であっ て,人間の存続にかかせない重要産業である。欧 州資本主義は成立過程で封建的な土地所有関係を 資本主義的なそれに変えつつ,同時に農業資本家 は新農法や農業機械で農業を資本主義社会で,と もかくも産業として成立させた。農業革命は19世 紀から20世紀にかけて西欧,アメリカ,ついで東 欧へと広まった。なかでもアメリカ農業は,工業 と並んで資本主義のアメリカ的段階の一翼を担っ たといえよう。

しかし日本では,既述のとおり農業は資本主義 的方向には進みえなかった。戦前においては「半 封建的土地所有=半隷農的零細農耕」として日本 資本主義の「基柢」となり,戦後においても「零 細土地所有=零細農耕」のまま取り残され,工業 への労働力を排出する装置=基盤として位置づけ られたにすぎなかった。これは中耕農業体系に立 つアジアの農業・農村に言える。1970年代後半ア

ジアNICsと言われ,その後もアジアNIESと「再 定義」され,経済成長を遂げた韓国・台湾・香港・

シンガポールも日本と同様である。アジア NIES は農業,稲作の犠牲のもとで「工業化」を成し遂 げた国・地域である。これらの国・地域は,そも そも島・半島・都市国家で自立的な再生産構造な ど望むべくもない。「労働手段・対象の国外依存(輸 入)―加工・組立などの労働力投入―生産物の輸 出」という外生循環構造をもつ典型的な国・地域 であり,その地域は今や中国・沿海部にまで広がっ た。主食の穀物自給率を見れば日本 28%・韓国

30%・台湾32%(カロリーベース)である。これ

に対して島国イギリスでさえ92%を確保し,他の 欧米諸国がいずれも農業大国であることは周知の 事柄である。この点からでも日本と東アジア諸 国・地域は,経済構造において欧米とは編成原理 を異にしていることは間違いない。工業と農業が 相並ぶ欧米資本主義の国内応答的な「自立性」と 農業を犠牲にして「工業化(「工場化」と読め!)」

し,外需=輸出を不可欠の構成要素とする外部依 存のアジア資本主義の「外生性」を区別する根拠 がここにある。これが日本資本主義の「構造」を

「外生循環構造」と規定し,欧米資本主義とは異 なった範疇のアジア資本主義と規定する論拠であ る。

Ⅴ.まとめ

――歪んで「高度に発達した資本主義」の国民 的変革

戦後日本の強蓄積・「高度成長」は,【基盤】【零 細土地所有=零細農耕】で陶冶され排出された労 働者(力)を不可欠な構成要素とし,その【基盤】

を吸い尽くすことによって達成された,と言って よい。それは,農業の崩壊,農村の過疎化,限界 集落の発生という社会問題となって表れ,「失われ た20年」の原風景となっている。同時に都市の零 細宅地所有は住宅ローンと高家賃という住宅問題 となって勤労者を痛めつけ,「派遣切り=ホームレ ス」という人権侵害となっている。そして含み益 経営・土地投機利益を「享受」してきた資本・企

(15)

業は,それが逆転して経営基盤を掘り崩され,そ の「つけ」,「不良債権」を負った銀行は「合併」・

「国有化」という金融不安となって「閉塞感」の 表徴となっている。戦後日本資本主義は【基盤】

の問題,「土地所有」の問題を先送りできないとこ ろにまで来ている。この土地問題は,「ジャパン・

シンドローム」の解決の要にある問題ではないの か。日本の国土面積の57%が過疎の危機にさらさ れ,食糧自給率が40%に低下する,という格好で,

農業・農村は崩壊の危機に直面している。「ジャパ ン・シンドローム」「日本病」の病巣は,この「土 地所有」問題にある,といってよい。

こうした認識のもとに,かつてこの問題が理論 的に検討されたことがある。「土地制度史学会」

1967年秋季大会は,「農業解体における土地所有 形態の再検討―農業生産構造・再構成の方向―」

と題する「土地国有」論を共通論題として取り上 げた。戦後日本の変革にとって,この「零細地片 私的所有=零細農耕」問題を解決することなしに は先には進めない,という提起だった。1960年代 後半,ベトナム特需にのって驀進する日本資本主 義の量的拡大(「第 2 次高度成長」:「いざなぎ景 気」)が根底にある問題を等閑視させ,留保条件付 きではあったにしろ「高度に発達した資本主義国」

の幻想が現実味をおび始めてくるなかで,土地制 度史学会は,農業の再編を基礎に自立的国民・民 族国家の枠組みの経済(再生産)を展望するべき だ,と提起した。それが土地制度史学会67年秋の 共通論題「土地国有」の提起〔補論1参照〕であ る。山田盛太郎は,次のように述べている。

農業における「資本主義的大経営が破産してく るこの段階に日本の零細地片私的所有(平均8反 歩)――それは科学技術を排除し,土地の独占的 所有によって地代の障壁をつくり出し,また孤立 性が原則(中国の場合の連帯性に対し)である―

―でやっていくことは無理である。・・・土地国有 化を,私有からの脱却としての農民自身が決定し てゆくところのもの・零細地片私的所有を農民的 土地所有に高め,さらに全農民的土地所有――全 人民的土地所有にまで至らしめるもの・・・とし てとらえる旨を明らかに」(31)したのであった。

しかしその展望を切り開くには,現実は厳し かった。図4を見るとそれがよくわかる。山田盛 太郎が土地国有を提起した 1967 年時点において は,零細性の壁を打破する「経営改善=拡大を促 し,日本農業の構造上の型の高度化」を「指向」

する「技術的基礎」は準備できてはいなかった。

この時点で水稲耕作の機械化は確立しておらず,

単婚家族労働を前提とした手作業による水稲耕作 の限界,最大「1.5町歩」の壁は,「土地国有化」

の展望をさえぎる高い壁となっていたのである。

農民の自主的な協働・共同化の道も「手作業」に よるかぎり,その限界を乗り越えることはできな い。この点は土地制度史学会の共通理解・認識で あった,と思われる。保志恂は大会に先立つ準備 研究会(1967年6月)で,「共同化と私的零細土 地所有との矛盾の問題」についてふれ「現段階で はいまだ大規模農業としての農業技術上,経済収 支上の優位を確立するに至っていないこと」(32)を 指摘している。

零細性打破の「機械化体系」の確立は,「1984 年水稲耕作面積の 95%が田植機による田植」と なった1980年代以降(33)のことであろう。限界面 積1.5町歩の壁・「零細土地所有=零細農耕」が打 破され,大規模農業の技術が確立するには,この

「土地国有化」提起からさらに20年の歳月を待た なければならなかったのである。

しかし,この「土地国有論」提起の持つ意味は 大きい。先ほど触れたように「第2次高度成長」

「いざなぎ景気」が,根底にある「零細土地所有

=零細農耕」問題を覆い隠し,ここから生成する 大企業・独占資本とそれ以外企業の格差(例えば 賃金や生産性の格差を始めとする支配隷属関係)

が放置されたままとなる。そして基底にあってそ の格差を作り出し固定化する役割を果たしている

「零細地片私的所有=零細農耕」が温存され,「三 層格差=系列編成支配」の貫徹が許されることに なる。同時に「この関係はまた工業の方から言っ てもやはり排除されなければならないが,この循 環を断ち切り,農業が他産業と肩を並べてゆくに は土地国有化以外にないのではないか,またそう しなければ一方で低賃金の基盤を温存し,他方で

図

図 2  戦後日本資本主義の基本構成  歪んで高度発達した資本主義国日本  「執拗低音」    零細土地所有=零細農耕    「土着思想」                        +                    冷戦体制に組み込まれる  (1)  [戦後日本資本主義の外生循環的性格=国内自律性未成立]  ―対米依存=国民国家内での再生産(生産=消費)軌道を敷設できず  ―土地所有を資本制に非包摂:農=工産業連関未成立(農業解体  アジア共通)  (2)  [戦後日本資本主義の擬似封建的性格]

参照

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