アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とそ の発展 〔1〕
その他のタイトル The Birth and Development of an Automobile Company in the Establishment Stage of American Monopolistic Capitalism.
著者 井上 昭一
雑誌名 關西大學商學論集
巻 22
号 3‑4
ページ 179‑211
発行年 1977‑10‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00021000
(179)1
アメリカ独占確立期における
自動車企業の生誕とその発展〔 l J
井 上 昭
( 目 次 ) は じ め に
I アメリカ自動車工業の成立とその基盤 1. アメリカ自動車工業の成立
2. アメリカ自動車工業の発展基盤(以上本号)
I ジェネラ1V・モークーズ会社の創立過程 1. 中核としてのピュイック自動車会社
2. 持株会社としてのジェネラ1レ・モークーズ会社の設立 3. 銀行シンジケートの支配と経営組織の朋芽
直 ジェネラ1レ・モークーズ会社の再編過程 1. ジボVー自動車会社の設立とその役割 2. デュポンのジェネラ1レ・モークーズ支配 3. ジェネラ1レ・モークーズにおける経営組織の確立
は じ め に
19世紀から20世紀への転換期のアメリカでは産業の各部門における独占は 高度に達し,金融制度は少数の大銀行に支配され,そして産業独占体と銀行 独占休とが融合してできた新しい資本である金融資本の寡頭制が確立してい た。その歴史的発展の過程で到達したところの独占の支配を基礎として成立
2(180) アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展(lJ(井上) する「基本主義の最高かつ最後の段階」への移行条件としては,一般に,次 の3つがあげられる。 1)産業技術上の大革新・生産力の発展, 2)株式会社 形態の採用, 3)恐慌とその後の一連の不況期における生産の集積と資本の 集中=企業合同の嵐のような進展。
ことにアメリカの生産力の発凍は,鉄道業や金属・機械工業の発展を媒介 にして成長した鉄鋼業を基軸とする重工業に負うところが大きい。そのなか で,諸産業と経済的・技術的連関を有する「新総合機械工業」としての自動 車工業成立の基礎が醸成されていた。
1) これらを背景にして誕生した自動車工業において,ジェネラル・モー クーズ (GeneralMotors, 以下G Mと略称)が部門全体に占める地位・役 割,さらに創立者ウィリアム・ C・デュラント (William Crapo Durant) 個人の与えた影響は大きなものではなかったか。
2) 工業証券市場の発達をフルに利用したデュラントの企業合同にみられ るように,後発メーカーとしてのG Mに企業集中を含む独占体が急速につく りあげられ,典型的にあらわれている。
3) モルガン商会(J.P. Morgan & Co.)やデュポン社 (E.I.. Dupont de Nemours & Co.),とくに後者とG Mとの関係にあらわれているように 新興産業としての自動車工業にたいする既存の独占体・金融資本の進出さら には支配が明らかにされる。
4) 他企業支配形態としては典型的な株式所有支配が, G Mの発展過程に あらわれている。
5) 今日の「多国籍企業」(より厳密には, 国際トラストというべきであ ろう) G Mという,新しい資本輸出形態=金融資本そのものの存在形態への 展開の萌芽が見出される。
6) 以上のような内容をもつ企業行動の急速な拡大と複雑化(=生産の社 会化)にともなって,企業経営には経営管理法の客観化=科学化が,いかに 不可欠であるかが,象徴的に示されている。
したがって,以上の視点からG Mの成立過程を,その創立から1920年まで
アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展〔1](井上) (181)3 を内外行動を通じて考察してみよう。
I ア メ リ カ 自 動 車 工 業 の 成 立 と そ の 基 盤
1. ア メ リ カ 自 動 車 工 業 の 成 立
アメリカの自動車工業が本格的な発展をとげはじめるようになったのは,
ようやく今世紀に入ってからのことであるが,その速度と規模において,自 動車工業の成長はあらゆる経済史,商業史のなかでもっとも目ざましい発展
(I)
を続けている。たとえば, 1900年当時,かろうじてその存在を保っていたに すぎなかった同工業が1925年には製品の価値,原材料費,製造付加価値,賃
(2)
金の支払いのいずれの面においても全産業中の第1位になり,輸出の価値で
(3)
は第 3位にまで成長するようになったのである。今少し,見方をかえれば,
次のようにいえよう。すなわち,当初は一部の富裕階層の「玩具」にすぎな かった乗用車の大衆化傾向が第1次大戦をさかいにして急速に進み,はやく
(4)
も1920年代半ばには, 電話の数よりも自動車の数の方が多くなり,「アメリ カの生活水準において,いったん受け入れられたもののなかで自動車所有ほ
(5)
ど地についたものは他にない」とまでいわれるようになった。 1950年代初期 の「着るものを着なくても車を手ばなさない」とか「食べるものを食べなく ても車を捨てない」とのあるミドルクウンでの調査にたいする主婦の回答に
(6)
みられるように,さらに今日の「住宅を担保に入れても自動車を購入する」
(1) Ralph C. Epstein, The Automobile Industry, 1972 (reprint), p. 4. (2) Alfred D. Chandler, Jr~ Giant Enterがse, 1964, preface p. xii. (3) James J. Flink, The Car Culture, 1975, p.140.
(4) R. C. Epstein, op. cit~ p. 4.
(5) Clare E. Griffin, The Evolution of the̲ Automobile. Market, Harvard Business Review, Vol. IV, No. 4, July 1926, p. 408.
(6) Frederick Allen, The Big Change, 1952, p. 121.
4(182) アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展〔1〕(井上)
(7)
な ど の 意 見 に み ら れ る よ う に , 衣 食 住 と 同 等 あ る い は そ れ 以 上 に , 自 動 車 は
(8)
経 済 的 に も 社 会 的 に も 生 活 の 基 本 的 な 「 必 需 品 」 と な っ て お り , 自 動 車 工 業
(9)
の 盛 衰 そ の も の が ア メ リ カ 経 済 や 市 民 生 活 の 生 殺 与 奪 権 を 握 っ て い る と い っ て も , け っ し て 過 言 で は な い . そ の 意 味 で , ま さ に 「 デ ト ロ イ ト が く し ゃ み
(IO)
をすれば,アメリカは風邪をひく」のである。
と こ ろ が , 自 動 車 は 流 れ 作 業 の プ ロ セ ス と 同 義 語 と い う 点 か ら , 無 味 乾 燥 で 機 械 化 さ れ た 社 会 の 縮 図 を 示 す も の で あ る と し て , 最 近J.J・フリンク
(J. J. Flink)が 自 動 車 な ら び に 同 工 業 の 現 状 お よ び 将 来 性 に た い し て 否 定
(11)
的 見 解 を 打 ち 出 し た 。 彼 に よ れ ば , な る ほ ど 平 均 的 市 民 に と っ て は , い ぜ ん と し て 自 動 車 は 個 人 的 自 由 を 表 わ す と 同 時 に 現 代 の お お い に 集 散 化 さ れ , か つ 官 僚 化 さ れ た 社 会 で の 「 可 動 性 の シ ン ボ ル 」 で は あ る が , そ れ は 表 面 上 の ことにすぎず,本質は次のとおりだとされる。すなわち, 1970年 代 初 頭 ま で に は , ア メ リ カ 人 と 自 動 車 の 「 恋 愛 」 は 終 り , 自 動 車 を 所 有 す る こ と の 新 奇 さ や 地 位 の 象 徴 と し て の 意 義 は な く な っ て し ま っ た 。 今 日 で は 自 動 車 は , 単
(7) J. J. Flink, op. cit, p.144.
(8) たとえば,アメリカ家庭の80%強が自家用車を所有し,そのうちの27%が2台 以上を持っている。乗用車の人口に対する割合は1対2であり.通勤者の82
3%が自動車を利用している。就業者のうち6人に1人 (1,500万人強)が自 動車関連企業(=生産,販売,金融,サービスなど)に従事している(井上咀 ー「アメリカ自動車工業発達史年表」山陽図書出版, 1975年)。
(9) 1974年において, 自動車工業は関連産業に次のような比重(消費)を占めてア メリカ経済に大きな影響力を有している。鉄鋼17.3%(1,892万8,237トン),ァ ルミニューム13.1% (17億8,400万ボンド),銅・合金8.1%'(5億1,000万ボン ド),鉛62.5% (100万ショート・トン). 鍛鉄45.6% (41万7,000トン), 天然 ゴム78.0%(55万2,000ロング・トン),合成ゴム58.8% (138万3,000ロング・
トン),亜鉛33.3% (43万1,000トン) (Motor Vehicle Manufacturers Asso‑
ciation of the U.S. Inc. (ed.), Motor Vehicle Facts & Figures'76, 1976, p. 87).さらに自動車工業は全製造高の12%,'全卸売高の 17%, 全小売高の24
%を占め, GNPの17%を占めている(「日刊工業新聞J1975年2月26日)。 (10) Lawrence J. White, The Automobile Industry since 1945, 1971, p. 1. (11) J. J. Flink, op. cit, pp. 201‑211.
アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展〔1〕‑(井上) (183)5 に場所から場所へ経済的に移動する「用具」であり,それが摩耗したとき取 替えられる「用具」にすぎない。そして自勤車所有は,アメリカ人の生活様 式や価値観を変革するにあたって,テレビジョンやコンピューターよりもは るかに小さな影響力しかもたなくなっている。また自動車工業全体をみると き,それはいまなお,アメリカで「6つの職業のうち1つ」を提供している けれども,アメリカ社会や経済におけるそのヘゲモニーは政府の規模,重要 度および権力の増大によって,しだいに侵食されてきた。というのは, 1970 年には政府は,「5つの職業のうち1つ」を提供するにいたったからである。
つまり,国際間の係争への介入,核戦争状態の勃発可能性,大気圏外探険競 争などの激化に伴い,産軍複合体(とくに航空宇宙)と密接に結びついた新 産業が連邦政府と一体化して,成熟しきった自動車工業よりも重要な変革要 因 (force‑for change)になったというのである。さらにフリンクは,自動
(12)
車工業は「技術的に停滞した産業」であり, 「技術的惰性」と「経営的非妥 協性」で推移しているにすぎないと断言するとともに,単調な組立ライン上 の作業が労働者の士気狙喪と不満を昂じさせ,自動車の品質低下をもたらし ていると批判する。その結果,政府による安全問題や公害問題にたいする規 制基準の設定を,しぶしぶながら容認せざるを得ない状況に追い込まれてい ると分析している。このように,ある一面で正鵠を射ているフリンクの指摘 にもかかわらず,わたくしは現在のアメリカでは自動車工業は,いぜんとし
(13)
て「死活の産業」の地位を保持していることにいささかの疑問をもつもので (12) この点については大方の認めるところであり,たとえばG・バノックは,大自 動車資本がかならずしも技術的に秀れた発明をしたとはいえず,スタイル競争,
にのみうつつを抜かしていると指摘している(G.Bannok, The J咋ggernauts, 1971. C二神恭一訳「減ぴざる偶像」ダイヤモンド社, 1973年, 256 266ペー ジ]。また L.J.ホワイトも,「自動車メーカーは技術的パイオニアではなく,
部品メーカーなどに依存している」と述べている (L.J. White; op. cit~ pp・ 211‑215)。下川浩一氏の言葉を借りれば, 「非革新的停滞性」ということにな ろうか(下川浩一「米国自動車産業経営史研究」東洋経済新報社, 1977年,は しがきより)。
(13) 上林•井上・前川「現代独占企業論」ミネルヴァ書房, 1966年, 175 ページ。
6(184) アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展C1](井上)
はない。
1977年4月20日,カークー大統領が発表した「エネルギー政策」は,一方 では,燃料効率のよい車には税金を払い戻す(リベート)が,燃料効率基準 未達成車には高い物品税を課すこと,他方では,ガソリン税の増税を打ち出
(14)
すことによって「クルマ文明」に暗雲をなげかけている。しかしこのカーク 一声明は反面,現代のアメリカ資本主義の浮沈をはかるバロメークーとして の自動車の重要性を認識している何よりの証左であると理解すべきであろ
う。
さてもともと,自動車はアメリカで開発されたものではなく, ョーロッ パ,とりわけ軍事的利用可能性から主要幹線道路網の発達していたフランス や冶金学などの近代化学に著しい進歩がみられたドイツを中心に多くの革新 の集積の結果として「発明」されたことは周知の事実である。ところで,自 動車が「発明品」であるか否かについては議論の分れるところであるが,一 般に,それは「発明品」ではないという意見が支配的である。代表的な見解 を数例挙げておこう。
(15)
1) R. C .エプスクインの見解ー―—彼によれば,「誰が自動車を発明した のか」と導ねられた際の唯一の正解は「ノー・ワン (Noone)」である。自 動車は個人の製品ではなく,一国内での人々の作ったものでさえなく,さら にいくつかの国々のなかでの人々の単一世代の製品でもない。
(16) ―
2) E.D.ケネディの見解ー一厳密にいえば,自動車は発明品ではない。
それは乗物の陸路輸送にガソリン・エンジンを適用したものである。
(17)
3) R.F .ランチロッチの見解ー~誰か一人の人間が自動車を発明したと はいえない。自動車というアイデアは古いものであるが,商業的に成功する までには一世紀以上の実験段階があった。
(14) 「日刊自動車新聞」1977年4月22日。 (15) R. C. Epstein, op.・ cit~ p. 24.
(16) E. D. Kennedy, The Automobile Industry, 1972(re'print), p.1. (17) R. F. Lanzillotti, The Automobile Industry, in, Walter Adams (ed.),
The Structure of American Industry, 1961(3rd ed.), p. 313.
アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展C1] (井上) (185)7
(18)
4) L.H .セルツァーの見解—他の複雑な加工品と同様,自動車は発明 されたというよりは進化してきたものである。自動車のもっとも初めの発明 者の努力は,長い一連の発明や発見から生じた。………自動車は多様な目的 に志向され,そしてコミュニケーションの径路を通じてプールされた労働お
よび多くの人々の研究の所産である。
以上,いくつかの自動車工業研究家の意見をみたのであるが,いずれも自 動車を,ある特定の個人の発明に帰する点においては疑念をはさんでいる。
(19)
しかし,「自動車の母国はヨーロッパである」という点においては, 上述の 研究者のみならず,一般の賛同がえられると考える。
ヨーロッパに母国を有する自動車がとり入れられて以来,アメリカはその 生産と利用において, たちまちのうちにヨーロッパをはるかに凌駕して,
「自動車王国」あるいは「車輪の上に築かれた国」とまで形容されるほどの 成長を遂げた。したがって,自動車の母国はヨーロッパであるにしても,自 動車工業の母国はアメリカであると断定してもよいだろう。アメリカが自動 車工業の母国になった要因として,関連産業において資本と技術的熟練が蓄 積されていたこと,大量生産技術の早くからの採用,高生活水準に支えられ た広大な国内市場の存在,石油の豊富な供給などを挙げることができるが,
ここでは南北戦争を契機とする鉄道事業—アメリカにおける最初の全国的 規模のビッグ・ビジネスー一ィの急速な発展がアメリカ経済全体を高度化さ せ,自動車工業にその成立基盤を与えた過程を検討してみよう。
周知のごと<,アメリカ資本主義は第I次独立戦争 (1812年)のころか ら,ニューイングランド地方を舞台にした木綿工業を主体にして確立され た。その後木綿工業は,アメリカ産業革命の中心部門として,あるいは資本 蓄積の尖兵としての役割を演じた。固有の意味における資本主義的生産様式 は,近代的な生産技術=機械の出現と,それに対応する新しい労働組織=エ (18) L. H. Seltzer, A Financial History of the American Automobile Indus‑
try, 1928, p. 14.
(19) Leonard M. Fanning, Men, Money and Automobiles, 1969, p. 59.
8(186) アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展〔1)(井上) 場制度の成立の時期にはじめてあらわれるものであり,したがって,この産 業革命の時期こそが,アメリカにおける近代的資本主義体制の出発点を形成 したのであった。そして,アメリカにおいては産業革命の過程にひきつづい て,ただちに産業資本が政府の資本蓄積助成策や保護関税政策ー一・アメリカ 政府は自国産業の発達を温室的に助長するために,輸入品にたいしてかなり 高率の従価税ないし従量税を課す政策を採用した。例えば, 1861年のモリル 関税 (MorillTariff of 1861)はアメリカにおける高率保護関税史の出発
(20)
点を画し, 1864年には関税の平均税率は47彩に達した。高率の関税は,はじ めのうちは財政上の理由を根拠とした「歳入関税」の性格を有しつつ,外国 の競争を締出して幼弱な自国の産業資本を保護・育成したが,工業が幼年期 を脱したのちは資本家が高率の利潤を獲得するのを助けた。こうして,関税 は国内市場を確保し,独占価格を形成し,超過利潤を獲得することを可能に して,いわゆる「カルテル関税」の性格をおびるようになった。まさに関税 は,国内独占化の「防波堤」であり, 「母胎」といえよう一一の後授のもと に国内市場の形成・統一にのりだし,経済力の集中,すなわち生産と資本の 集積・集中過程を進展させ, 1870年代後半の恐慌以後,はやくも独占資本主 義段階へ移行しはじめた。ここで留意すべきは,アメリカの木綿工業は産業 資本主義の初期においてこそ指導的な地位に立っていたが,農業の資本主義 化と鉄道業の発展によってアメリカの国内市場が開発された1860年代以降に おいては,鉄鋼業がアメリカ産業発展の主軸をなし,木綿工業の地位は相対 的に低下してしまったという事実である。この点については,後にふたたび 触れるであろう。
かくして新興産業としてのアメリカ自動車工業が,ョーロッパ自動車工
(20) これについては,次の諸文献を参照されたい。塩野谷九十九「アメリカ経済の 発展」日本評論社, 1946年, 177 179ページ, 堀江保蔵「アメリカ経済史概 説」有斐閣, 1937年, 198ページ, A.J. Youngsome Brown, The American Economy 1860‑1940, 1951. [渡辺誠毅訳「アメリカ資本主義発達史」みす ず書房, 1952年, 110ページJ,Allan Nevins and Henry S. Commager, The Pocket History of the United States, 1956.[黒田和雄訳「アメリカ史」原 書房, 1962年,(下) 12ページJなど。
アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展〔1〕(井上) (187)9・ 業よりもおよそ10年遅れて資本主義的商品生産一ー小規模ながら,自動車の 資本主義的商品生産に入った最初の国はフランスであった一を開始した20 世紀初頭には,アメリカではすでに石油,鉄鋼をはじめ主要産業部門は生産 カの急激な増大をもたらす一方,資本の集積のみならず大規模かつ早激な資 本の集中過程をも確立していた。その増大が社会的富の絶対的増加程度によ って制限されている集積,すなわち「剰余価値の資本への再転化」による資
、本量の動員には一定の限界があり,その限界をのり越えるためにそれらの諸 産業は「個別資本の量的拡大」という方法ばかりでなく,別の方法をとらざ るをえない。結論を先取りすれば,その方法とは「少数の大資本への多数の 小資本の転化」あるいは「資本家による資本家の収奪」にほかならないので あるが,その過程において諸産業は,まず資本集中の予備ないし先駆的形態 としての価格協定やフ°ールを形成した。アメリカにおいて,この種の企業結 合の萌芽形態ははやくからみられたが,もっともひんばんにみられるように なったのは, 1873年の恐慌以後の時期であった。次に1882年のスクンダード 石油トラストに代表される「トラスティ一方式」による真の意味の資本集中 と独占形成の手段としてトラストの形態をとり,また1890年のシャーマン・
反トラスト法制定後においては持株会社の形態をとった。さらに進んで,産 業独占は銀行独占と融合・癒着して金融資本を硯出させた。
産業における集積・集中 の結果大企業が誕生し,独占が発生するような時 期には,銀行業においても集中化過程をつうじて独占的銀行が生まれるよう になる。少数の大銀行の手もとに巨大な資金が集められると産業資本は,単 にその支払信用を通じて銀行に依存するだけでなく,資本信用,新株発行業 務,新会社創立などを通じて,ますます銀行に頼らざるをえなくなる。レー ニンは,この間の事情を次のように描写している。「ばらばらな資本家たち から一人の集団的資本家が形成される。幾人かの資本家に当座勘定をひらく
とき,銀行はあたかも純粋に技術的な,もっばら補助的な業務を遂行するか のようである。しかしこの業務が巨大な規模に成長すると,ひとにぎりの独 占者たちが全資本主義社会の商工業業務を自己に従属させるようになる。彼
10(188) アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展〔lJ(井上)
らは一ー銀行取引関係を通じ,当座勘定その他の金融業務を通じて一ー,は
. . . . .
じめは個々の資本家の事業の状態を正確に知ることができるようになり,の ちには彼らを統制し,信用を拡げたり狭めたり,信用を緩和したり引き締め たりすることによって彼らに影響をおよぼすことができるようになり,そし
. . . . . .
て最後には,彼らの運命を完全に決定し,彼らの収益性を決定し,彼らから 資本を引きあげたり,彼らの資本を急速かつ大規模に増加させる可能性をあ
(21)
たえたり,等々のことをすることができるようになる」。 こうして, 産業資 本との結合・合体を深めることによって銀行資本は,当初の支払いのなかだ ちの業務を発展的に昇華させ,企業での支配的役割を営むにいたる。このこ とから両者の間には密接な,永続的な利害閲係が生じ,さらにこの利害関係 から銀行と産業の独占体間との指導者たちの人的結合も発展してくる。この ように銀行活動を通じて,産業の実質上の支配権は,一般的に従来の産業資 本家から銀行資本家の手に移り,産業資本主義はいわば金融資本主義とでも
表現すべき段階へ移行していくのである。しかしながら,その後のアメリカ の諸産業の歴史が示しているように,金融資本とはいっても,かならずしも 銀行優位的なものばかりではなく,その逆に産業主導型のものもあることに 注意する心要があるだろう。
したがってまさに,自動車工業の出硯をみた時期のアメリカは,独占資本
(22)
のいっそうの成長という点だけでなく,「物質的な事実」となった金融資本 という,まったく新しい資本の登場という点でもエボック・メーキングな時 代であるといえよう。
ところで,南北戦争前の1850年代のアメリカは, まだ支配的には小規模 で,地方的な手工業の国であった。国家的・政治的独立を勝ちとってはいた ものの,経済的には工業発展が弱く,生産は家族的な,もしくは個人的な組 (21) レーニン著,副島種典訳「帝国主義論」大月書店(国民文庫版), 1973年, 45
46ページ。なお,傍点は原文のまま。
(22) Anna Rochester, Rulers of America, 1936, p. 29.[立井海洋訳「アメリカ の支配者」三一書房, 1953年,(上巻) 46ページ〕
アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展C1](井上) (189)11 織のもとで手工的に営まれており,全休としてみれば,いぜんとして「農民
と商人の国」というにふさわしかった。そして,とくにイギリスのために棉 花,小麦,砂糖などの原料や食糧品の供給市場の役割を担うと同時に,工業製 品の販売市場を形成していた。まだ「植民地市場」としての性格を残存して いたのであった。1860年代初期においても,その産業構成からみて,食糧品,
繊維,皮革工業を中心とする消費財生産部門がなお圧倒的比重を占め,生産財 部門である鉄鋼業や機械工業などは,まだ発展途上にあり,基軸産業として の地位を確保していない。例えば, 1860年のアメリカ工業において生産額か らみれば,食糧品加工業がもっとも多くて4億4,532万ドル(全体の23%), つ い で 繊 維 工 業3億4,920万ドル (18鍬 このうち木綿工業が1億1.568万
ドルで6形を占める),皮革工業1億8,945万ドル(10%),製材・木工業1億 8,209万ドル(9%),鉄鋼業1億5,322万ドル(8%),非鉄金属工業1億2,504 万ドル (6%,) 化学ェ業および機械工業4 %となっている。食糧品, 繊 維
(23) ̲
および皮革工業を合計すれば,全生産額の半分以上 (51%)になる。ところ が,南北戦争を契機とする鉄道事業の急速な成長にともなって諸企業の創設
・拡充が促進され,産業構造が鉄鋼業や機械工業などの生産財生産部門に重 点移行するようになった。この鉄鋼業に代表される生産手段生産部門の確立 によって,19世紀後半のアメリカ経済の発展の基礎はすえられたのであった。
そもそも,鉄道の発明はイギリスの産業革命を推進した技術の発達,とり わけジェームス・ワットが1776年に完成した蒸気機関に技術的基礎をもち,
また産業革命のうみだした大機械制工場の石炭に対する需要の激増が鉄道の 発明・実用花を促した直接的な契機である。さらにアメリカでは,このほか に南北戦争が鉄道建設運動の促進に大きな役割を果たし,あらゆる方法でエ 業にたいする需要をもたらして,アメリカ産業資本の発展を強力に推進させ る基盤として役立った。つまり南北戦争は, 1840年ごろから発展してきたア (23)宮野啓二「南北戦争前夜におけるアメリカ工業ー1860年工業センサスの統計的
整理を基礎にして一」「社会科学研究」(東京大学社会科学紀要)第16巻第6号
1965年, 154155および165ページ。
12(190) アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展〔1〕 (井上)
(24) (25)
メリカ産業資本の「馬腹に加えられた拍車」・「育ての親」としての役割を演 じて工業の発達に一新時代を画したのであるが,そのなかでもっとも大きい 影響は鉄道に及ぼしたものであった。
アメリカにおける鉄道は,1826 34年にかけてその企業的実験をへ,1835年 ごろからその建設が開始されて, 1850年ごろには東部の大都市間の鉄道連絡
(26)
がほとんど完成されたが, 1840年〜50年代初期には旅客および貨物輸送の面
(27)
において水上交通や運河には対抗しえなかった。しかしながら,従来民間 資本のみによって敷設されていた鉄道は, 50年以降には各州および連邦政府 の支持,さらにはイギリス資本の流入によって1860年ごろから急速に発達を
(28)
とげて,他の交通手段を圧倒しはじめ, 1890年 ま で に 敷 設 軌 道 マ イ ル 数 も 1860年の3万マイルから16万5,000マイルにのび, 20世紀初めには24万マイ
(29)
ルに達した。その間, 1869年にはセントラル・パシフィック鉄道会社(Cen‑
tral Pacific Railroad Co.) とユニオン・パシフィック鉄道会社 (Union Pacific Railroad Co.)とが「官権買収」一鉄道の建設に関して,当時の 混濁しきった政治と司法権とが鉄道の投機屋と結託し,鉄道建設の認可権を もつ州知事や係争の裁定権をもつ司法官などがウォール街の御先き棒をつ
.とめて重役会の乗取り運動, 悪計の虚報流布, 拡張路線独占計画, 法外な 保護と特権の強要,官権抱き込みの猛運動が日常茶飯事のように行なわれ
(24) 小原敬士「アメリカ独占資本の形成」岩波書店, 1968年, 10ページ。
(25)堀江保蔵「アメリカ経済の歴史的特質」(高垣寅次郎編「アメリカ経済の特質」
有斐閣所収, 1947年), 19ページ。
(26) 塩野谷,前掲書, 81 82ページ。
(27) Carl N. Degler, The Age of the Economic Revolution 1800‑1900, 1967, p. 21.
(28) 神野章一郎・宇治田富造「アメリカ資本主義の生成と発展」青木書店, 1959 年, 69ページ。
(29) C. A. Beard and M. R. Beard, The Beards'New Basic History of the United States, 1960. [松本重治他訳「新版アメリカ合衆国史」岩波書店,
1968年, 295ページJ
アメリカ独占確立期における自動車企業の生誕とその発展 (1](井上) (191)13
(30)
た一ーや「政府の援助・保護政策」一ーレ・ールの輸入税免除,資産税・連邦
(31)
税免除,連邦公債の形での巨額の資金の貸付け,広大な土地の無償公布など ーに補助されつつ最初の大陸横断鉄道を建設し, 1884年までにはミシシッ ピー河と太平洋との間に旅客と貨物を運搬するために北太平洋鉄道(North‑
em Pacific Railroad) やサンク・フェ鉄道 (SantaFe Railroad)を含む 数々の鉄道路線が,とくに北部資本の主導下に,建設された。
さらに重要なことは,鉄道建設自休が鉱工業の主要生産物の最大の消費者 になったことである。すなわち鉄鋼,石炭,石油,銅,フェルト,ゴムなど の需要を通して大市場を形成することによって, とくに機械工業・金属工 業・鉄鋼業などの重工業の発達を刺激し,建設された鉄道網によって西部お よび南部の穀物加工食糧品や北東部の工業製品の地方的な市場が全国市場に 結ぴつく,いわば相互市場化を実現し,商業や工業の中心地として都市が発
(32)
達したことである。鉄道が資本主義的生産の発達にたいしてもつ重要な意義 は,それが直接的に生産を増大させることではなく(したがって,新しい価 値を付加しない),製造業者,資本家たちに投資機会を与えるとともに, 資 本主義的市場の拡張を助けて社会的・経済的に孤立した世界,したがって,
これまで諸商品の到達しなかった地方,あるいは個別の市場が存在するのみ で,全国的規模の統一市場の存在しなかった西部や南部の農村地帯に膨大な 工業製品の販売を容易にして「商品流通」の拡大を実現し,流通期間を短縮 (30) 小島精一「モルガン王国」日本評論社, 1930年, 6971, 96 102ページ, 石 浜知行「アメリカ資本主義発達史」千倉書房, 1930年, 293295ページなど参 照。
(31) これらについては,次の文献を参照されたい。 JulesAbels, The Rockefeller Millions, 1965, p. 211, H. U. Faulkner, American Economic耶tory(8th ed.), 1960. 〔小原敬士訳「アメリカ経済史」至誠堂, 1969年,(下巻) 626 627ページ〕,高村象平「アメリカ資本主義発達史」金屋堂, 1953年, 135ペー ジ,鈴木圭介「アメリカ経済史」東京大学出版会, 1972年, 176177および 268ページ。
(32) Cf. Alfred D. Chandler, Jr..The Beginnings of'Big business'in Ameri‑
can Industry, Business Hist町yReview, Vol. XXXm, No. 1, 1959, p. 5.