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一︑政治教育と選挙粛正委員会

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(1)

女性の政治参加と選挙粛正運動1ー国民教化の側面から

山 崎 裕 美

 目 次 はじめに

一︑政治教育と選挙粛正委員会

二︑立憲国民像の提示

三︑選挙粛正運動の展開

四︑婦人の動員

五︑動員の系譜と婦人の教化

おわりに

女性の政治参加と選挙粛正運動ll国民教化の側面から      ︵都法四十八ー二︶ 三六五

(2)

三六六

はじめに

 選挙粛正運動は︑公正な選挙の実現という目的の下︑投票の買収や官憲による干渉といった不正を一掃するため

に︑政府主導で行われた運動である︒挙国一致内閣であった岡田内閣期の一九三五年︵昭和十年︶に始まり︑同年

秋の府県会選挙と翌年春の衆議院選挙を対象に実施された後も国政・地方選挙において続行された︒この粛正運動

には女性が積極的に動員された︒政府は︑参政権を付与されず政治に関与することを制限されていた女性に︑国民

の政治参加そのものである選挙に関わる運動への貢献を求めたのである︒これは公的に女性の政治関与が容認され

た画期的な出来事であったと言えよう︒

 本稿では︑女性の政治関与に対する政府側の見解について︑選挙粛正運動を通して考究する︒粛正運動における

女性の活動に注目した先行研究には・菅原租孔と源川嘉のものがあるがいずれも・女性が粛正運動に橿的に参

加した論理を︑婦人参政権獲得運動を主導してきた婦選運動家たちの側から説明するに止まっている︒婦選運動家

たちは粛正運動を女性に政治知識を与える機会と捉え︑これを利用して世論を盛り上げ︑婦人参政権を実現するこ

とを目論んでいた︑とするのである︒これに対して本稿の課題は︑なぜ女性の政治関与についての政府の方針が転

換され︑女性が選挙粛正運動に動員されたのか︑そして動員された運動において女性にどのような行動が期待さ   ・

れ︑どのような国民としてのあるべき姿を求められたのか︑ということにある︒これらの課題を政府側の言説から

明らかにしたい︒

 選挙粛正運動は教化運動とされたにもかかわらず︑その教化的側面についてこれまでの研究ではほとんど検討さ

れてこなかった︒本稿では︑この教化の観点から粛正運動を考察することにする︒選挙粛正の方法は内務大臣後藤

(3)

文夫の訓示にある通り︑第一に﹁取締官憲の厳粛公正なる法令の運用と︑徹底せる取締﹂と︑第二に国民の﹁立憲       ︵3︶ 国民たる責任﹂の自覚を促すための啓発・教育という二つの手段によるものであったが︑先行研究では第一の方法

である警察による取締強化を論考の主題としたものがほとんどである︒これは粛正運動が実施された原因と目的と

に起因している︒普通選挙制度の成立以後︑問題となっていた選挙の弊害とは具体的には︑既成政党による有権者

の買収であり︑買収や運動過熱による選挙費用の増大︑さらに政権に就いた政党が内務省︑特に府県知事の人事に       ︵4︶ 介入し︑自党に有利に選挙を運ぶために警察の取締などにより選挙干渉を行うことを指している︒つまり︑弊害を

生み出した責任は国民と官僚︑政党の三者にあるとはいうものの︑既成政党に対する批判が根強い中での粛正運動

の開始であった︒従来の研究はこのような状況を踏まえた上で︑政党内閣崩壊以後の政党と官僚との関係を明らか        ︵5︶ にするために警察による取締強化を中心に据えて選挙粛正運動を取り上げてきた︒       ︵6︶   ︵7︶  他方で︑粛正運動を取締と教育の両面から取り上げているのは︑赤木須留喜と杣正夫の研究である︒赤木は粛正

運動を︑公権力が民衆の末端までの組織化を試みる﹁国民再組織﹂の起点と位置付け︑運動の政治教育の一環とし

て行われた町内・部落懇談会が町内会・部落会に発展する過程に着目しているが︑教育内容にまでは踏み込んでい

︵8︶ ない︒杣は選挙粛正運動を﹁明治立憲制理念の一種の復古運動﹂と規定する︒これは運動が︑明治期に確立した政

治体制を補完する機能をもった教化政策の枠内にあるとし︑教育勅語に象徴される教化政策の基本理念である忠君       ︵9︶ 愛国道徳を再提示するものであるという見解をとる︒しかしながら︑明治憲法発布から既に五十年近くが経ち︑普

通選挙制度の実現や政党内閣の成立を見てきたこの段階で︑粛正運動を明治期の理念の単なる復古とするこの見解

を首肯することはできない︒時代状況の変化が教化政策にも影響を及ぼしているはずであるからである︒以下で

は︑粛正運動における理念の解明を行うことで︑立憲国民の養成を目的とした教育の具体的内容と︑ここで期待さ

   女性の政治参加と選挙粛正運動  国民教化の側面から       ︵都法四十八ー二︶ 三六七

(4)

三六八

れている立憲国民像を明示し︑同時に女性に対する教化の内容も明らかにする︒これによって︑女性が粛正運動で

期待されていた行動と国民像について論究することにする︒

一、

ュ治教育と選挙粛正委員会

 まず︑選挙粛正運動が実施されるまでの経緯を︑国民に対する啓発・教育という観点から政治教育︑公民教育に

関する事項に触れながら辿ることにしたい︒政治教育と公民教育の定義は論者によって異なり︑同じ意義で使用さ

れる場合も多々あるが︑文部省をはじめとして一般的には︑政治に関する知識・道徳を内容とするものを政治教育

とし︑公民教育の一部に含まれるものとしている︒また︑公民教育とは︑政治や経済︑社会に関する知識全般と︑

国家や社会という公共生活において必要な徳義を教えることを目的とするものを指している︒

 一九二五年︵大正十四年︶に成立した衆議院議員選挙法は︑普通選挙制度を定めるとともに︑選挙犯罪の厳罰化

と選挙運動・費用に関する規定を設けた︒同法が制定された際に期待されたのは︑選挙犯罪とは無縁の新しい有権

者が大量に流入することで選挙界の空気が一新すること︑並びに不正行為の防止と選挙費用の削減であり︑いずれ

も選挙の弊害を是正する効果を期待されていたのである︒しかし実際には有権者の増加は競争の激化を生んで選挙

費用も膨張させ︑取締規定は官憲に乱用されることとなり︑却って選挙の腐敗は進んだのであった︒従って一九二       ︵10︶ 八年の第一回普通選挙の実施直後から︑選挙法の改正は企図された︒

 民政党の浜口内閣は︑一九三〇年に選挙法改正のための選挙革正審議会を設置した︒ここでは︑﹁衆議院議員選

挙革正に関する方策如何﹂という首相からの諮問が審議され︑投票買収の防止︑選挙費用の減少︑選挙干渉の防

(5)

止︑その他の制度改正︑立憲思想の酒養︑の各件が答申として提出された︒このうち最後の第五の件において︑

﹁立憲思想の酒養は畢寛政治教育の普及徹底を図るにあ﹂ると明記され︑公正な選挙を実現するために必要な要件

として政治教育の広汎な実施が提案されたのである︒そして政府が速やかに実行すべきものとして︑①政治教育調

査会の設置︑②尋常小学校高学年を初めとして各学校教育に政治教育の科目を加えること︑及びその担当教員のた

めの政治教育講習会の開設︑③選挙革正を目的とする民間教化団体の設置︑④一般男女成人に対する政治教育講座        ︵11︶ の開講などが盛り込まれた︒②に関しては︑中等学校のうちまず中学校について︑文政審議会での審議を経た後一

九三一年に公民科の設置が実現しており︑また高等女学校でも一九三二年に公民科が導入されている︒③は粛正運       ︵12︶ 動の際に選挙粛正中央連盟に結実したとみなすこともできる︒④の成人を対象とする教育は︑文部省が一九三二年       ︵13︶ から公民教育講座を通じて行った︒答申のうち政治教育に関するものは政府にとって有力な示唆となり︑制度とし          ︵14︶ て実現しつつあったが︑審議会設置の目的であった選挙法の改正自体は︑政治的事情で結局達成されなかった︒

 五・一五事件後︑挙国一致内閣として成立した斎藤内閣はこれらの懸案を引き継ぐこととなった︒選挙法改正の

ため法制審議会が一九三二年に開催され︑選挙の自由公正を図るために必要とされる事項について諮問された︒こ

れに対する答申には︑選挙公報の発行や演説会場の設営を公費で賄う選挙公営化︑買収や選挙干渉といった選挙犯

罪のさらなる厳罰化と連座制の導入が含まれていたが︑その他の制度改正として︑政友会が提案した選挙革正委員

会案を土台とした選挙委員会制度も挙げられていた︒この選挙委員会は︑﹁公の選挙に関する不正行為を防止し︑

選挙の粛正を図り健全なる政治思想を普及するが為に﹂設置され︑その任務は﹁選挙粛正及選挙公営︑其の他選挙        ︵15︶ 法実施の事務に関して協議﹂し︑地方長官の諮問に答えることであった︒この選挙革正委員会案を政友会で立案し       ︵16︶ たのは木村正義であった︒一九三二年に政界に転じた木村は︑それ以前は文部官僚として諸学校での公民科設置や

   女性の政治参加と選挙粛正運動  国民教化の側面からー       ︵都法四十八−二︶ 三六九

(6)

      三七〇

公民教育の実施に努力した人物であり︑﹃公民教育﹄︵冨山房︑一九二五年︶という著書も出版している︒木村が国        ︵17︶ 民に対する政治教育の徹底を︑選挙革正委員会の職務の一つとしたのは︑その宿願に基づくのである︒

 法制審議会の答申を下敷きにして選挙法の改正が一九三四年になされ︑その法改正の目的である選挙粛正の徹底       ︵18︶ を図るために翌一九三五年︑勅令による選挙粛正委員会の設置を端緒として粛正運動が開始されたのである︒選挙       ︵19︶ 粛正委員会は﹁選挙粛正に関する国民的運動の源泉﹂として各道府県に置かれた︒また委員会は︑地方長官の諮問

に応じて﹁選挙に関する弊害の防止︑公正なる選挙観念の普及其の他選挙の粛正に関する事項並びに﹂選挙公営制

度に関わる事項を調査審議することを任務とし︑地方長官を会長として︑政治家︑実業家︑教育家︑学識経験者︑       ︵20︶ 官吏吏員から選任される三十人以内の委員からなる合議制⁝機関とされたのである︒

 勅令に定められた委員会の概要は︑政友会が提出し法制審議会で議決された答申とほぼ同内容のものであった︒

しかし法制審議会での審議の際には︑委員会の目的と構成委員との関係について異議があがっていた︒青年を対象

とした政治教育に心血を注いでいた元内務官僚の田沢義鋪は︑政治家が政治教育を職務とする選挙委員会の委員に

含まれることに反対したのである︒田沢は︑委員会で協議されるべき内容を選挙粛正に関する事項と選挙運営に関

する事項とに二分し︑後者については政党の関与を認めるが︑前者については﹁政党の方には御遠慮を願ひたい﹂

と主張した︒これに対して︑政友会の島田俊雄は︑委員に政党関係者がいなければ不公平が生じると牽制し︑選挙       ︵21︶ 粛正の実効を挙げるためには政党が参加すべきである︑と反論している︒結局︑政友会の提出案が認められる形と

なったが︑選挙の浄化革正︑特に選挙観念の普及といった政治教育に政党は関わるべきではないという田沢の信念

は堅固なものであった︒

 選挙粛正委員会令が公布された一九三五年五月に︑田沢の盟友である後藤内相の斡旋によって民間教化団体代表

(7)

者の懇談会が開催された︒これを契機に︑政治教育や社会教化に務める教化団体を中心とし︑政党を除外した選挙        ︵22︶ 粛正中央連盟が六月に結成されることになるのである︒会長には斎藤実︑理事長に永田秀次郎をかつぎ︑理事には        ︵23︶ 田沢をはじめ元内務官僚たちを揃えた︑選挙粛正運動における﹁民間側の中枢機関﹂は︑選挙粛正の趣旨を普及徹        ︵24︶ 底するという国民に対する教化を目的としたものであった︒このように教化団体と元官僚からなる中央連盟につい

て︑木村は政界の浄化を図るならば政党との懇談が急務であり﹁政党を除外して︑傍で騒いでも効果は極めて少       ︵25︶ な﹂いとし︑政府と後藤内相を厳しく非難した︒木村の主張は︑法制審議会での島田の反論と同一の主意である︒

ここには政党と選挙粛正運動及び岡田内閣との複雑な関係が垣間見える︒また︑中央連盟は民間団体とはいえ︑目

的の達成のためにコ方に内務省の指示鞭捷を受け︑他方に各道府県当局並に各加盟団体と連絡をとり﹂つつ運動

を推餐・運用資金の九万五千円のうち九万円が内響からの補助金であった︑已を鑑みれば・内薯の別働隊

といっても過言ではなかった︒このように︑選挙粛正運動における教化政策︑即ち公正なる選挙観念の普及という

政治教育は︑主に各道府県の選挙粛正委員会と選挙粛正中央連盟によって牽引されたのであった︒

二︑立憲国民像の提示

 では︑選挙粛正運動はどういう内容の教化を行っていたのか︒粛正運動の目的は︑国民に対し公正なる選挙観念        ︵28︶ を酒養し︑それによって選挙における宿弊を駆逐し﹁立憲政治の根底たる選挙の浄化粛正﹂をすることにあった︒

当時︑投票の買収や選挙干渉の横行により選挙は公正さを失い︑﹁非常時局﹂と言われた国際的︑経済的危機状況

とあいまって政党への不満ど政治不信が引き起こされていた︒その結果︑帝国憲法に定められた議会制度の存在自

   女性の政治参加と選挙粛正運動−国民教化の側面からー       ︵都法四十八ー二︶ 三七一

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      三七二

体を疑い︑その再吟味を主張する議会否認の風潮が蔓延する︒そして治安の悪化や︑テロや革命の勃発という事態

が懸念されていたのである︒これに対して︑選挙に対する国民の認識と自覚を新たにし︑憲政有終の美をなすこ

と︑即ち議会の権威を回復し︑立憲政治を正しく機能させ完成させる︑﹂とが粛正運動の目的であったので曇・粛

正運動とは教化運動であり︑そこで国民に対して実施される﹁公正なる選挙観念の酒養﹂とは地方局長岡田周造の

説明によれば︑﹁国民をして立憲自治の公民としての素養を酒養し  徳操を陶冶せしめ︑殊に自由公正なる選挙

権の行使が公民として最も重要なる公務なるの自覚を深く体得せしめて行﹂くことで顯・国民が立虫思国民として

理解するべき立憲政治の重要性とその根拠︑選挙粛正のために必要とされた道徳とはどのような内容を持つもので

あったのか︒選挙粛正の啓蒙のための教材として全国に頒布されたパンフレットや︑講演会や部落懇談会で使用さ

れた︑首相や教化関係者の講話が録音されたレコードの内容などを検討することによって︑以下では粛正運動にお

ける教化の具体的内容を明らかにする︒

 立憲政治とは三権分立を基本とし︑立法⁝機関として議会が設置されることが専制政治とは区別される立憲政治の        ︵31︶ 最も重要な特徴であるとされる︒従って立憲政治の本義とは議会制度を指し︑国民の選挙した代表者を議会に送       お  り︑国家並びに地方の政治に参与させることである︒斎藤実は日本における議会設置の由来を次のように述べる︒

﹁彼の五箇条の御誓文は恐れ多くも明治天皇が︑我が国体を無窮に栄え給はんがために︑神明に御誓ひになつた所

の大御心の現れであつて︑万機公論に決するの御誓ひはその後︑帝国憲法の御欽定によりて議会制度の確立とな        お  り︑我々国民は国政に参与するの光栄を拝するに至つたのであります﹂︒つまり日本においては︑まず明治天皇が

一八六八年︵明治元年︶に﹁広く会議を興し万機公論に決すべし﹂と五箇条の御誓文の第一文において宣明したこ

と︑そして一入八九年に帝国憲法で議会制度を規定し︑憲法発布の勅語に﹁我か臣民は⁝⁝此の負担を分かつに堪

(9)

       ︵34︶ ふることを疑はさるなり﹂とあることが︑議会制度の淵源であるとされたのである︒日本独自の議会制度の由来が

明治天皇にあることがこれほど強調されるのは︑天皇機関説事件と国体明徴問題の影響と考えられる︒日本に立憲

政治が布かれたことは外来思想の模倣であるとみなして︑それを根拠とした議会制度への疑念が台頭してきていた

が︑これを打ち消すためにも立憲主義の淵源が明治天皇であり︑国体であることを明らかにしておく必要があ

つ(

z・このような議会制度の由来から・選挙権は天皇陛下から我々に賜った尊い権利であり且霧であるというこ

とになるので稔・そして・曇の本義は﹁臣曇賛匹選﹂でありまたそれは・国民はいかなる政策を垂する

のか︑その実現のために国政を誰に議論させるのが良いと思うのか︑という﹁陛下の御下問に御答へ申し上ぐるこ

と﹂なので紮・即ち神聖なる選挙権の行使は聖旨奉答である乞呼この璽の神聖さ故に・選挙粛正運動で

は神社に参拝して正しい選挙を行うことを宣誓することが推奨され︑部落懇談会では参加者たちが選挙違反をしな

いことを申し合わせて誓紙を作成したのである︒

 また︑選挙は忠君愛国の精神を発揮すべき機会であるとされた︒元東京市教育局長で帝国教育会主事の大島正徳

は︑忠君愛国の大義は戦争という対外的危機に発揮されるものであると従来教えられてきたが︑投票行為は平時の        ︵40︶ 国民生活において天皇と国家に対して奉仕する︑忠君愛国の道なのであると述べる︒従って︑買収に応じて一票を       ︵41︶ 汚すことや棄権することは天皇に対する﹁不忠﹂なのである︒明治以来︑国家秩序を支える規範であった忠君愛国

という道義を︑﹁立憲自治の国民としての心得﹂として立憲政治においても深く刻み込むべきであるとし︑その自

覚を強く訴える︒伝統的な規範を持ち出した上で投票の義務と忠実な行使が語られるが︑伝統的であるが故に慣れ

が生じているこの規範を︑再認識し自覚する必要性が繰り返し主張されていることに注意を向けるべきである︒ま

た︑大島が公民︑即ち立憲自治の国民に必要な素養として精神的自治を挙げ︑その内容に自ら治めること︑自ら考

   女性の政治参加と選挙粛正運動−国民教化の側面からー       ︵都法四十入ー二︶ 三七三

(10)

      三七四        ゼ えること︑自らの責任をもつことなどを述べていることを考え合わせれば︑忠君愛国の道とは命令服従関係に基い

た︑上辺だけの忠誠心の発揮ではなく︑そこに主体性や責任感というものも加味されていると言える︒

 選挙権の公正なる行使が﹁大政を翼賛し奉る国民の一大責務﹂であるという啓発がなされる一方で︑田沢は︑天

皇に対する奉答であり国家のためになされる投票は︑我々国民自身のためでもあると述べる︒換言すれば国家を良

くするために行われる政治は同時に︑国民の幸福の増進と︑国民の真の意味での生活の向上を目的としているので        ︵43︶ あり︑選挙は国家と我々にとって重大で神聖な意義をもつというのである︒投票という行為を忠君愛国という抽象

的な規範に基礎づけるとともに︑我々の生活の向上という国民にとって具体的な目的を設定して︑選挙に対する公

正な姿勢の保持を要請するのである︒田沢は国体に淵源をおく立憲政治の存立根拠とは別に︑立憲政治の意義を以

下のように述べる︒﹁国民全部が国家の政治に関して責任を負ひ得る政治であり︑而して政府国を誤ると考へた場

合には堂々と合法的︑平和的の手段に依つて其の反省を促す⁝⁝ことの出来る立憲政治︑而して比較的又広汎に自

由を与えて︑其の間に国民の総意が十分に伸びて行く︑斯の如くにして国力と云ひ文化と云ひ漸次発展して行くこ

との出来る立憲政治﹂︑つまり﹁国運の進展に貢献﹂するところの大きかった﹁此の立憲政治を維持して行くこと       べ  こそ︑国民の本当の務めである﹂︒立憲政治にも欠点はあるが︑独裁政治のように革命や内乱という非常手段に訴

えて改革をする必要が生じることもなく︑また国民が国家の政治に参与し︑その総意を議論によって自由に発展さ

せることができ︑国力を発展させてきたという長所がある︒従ってこのような立憲政治の目的を真に達成するため

にも︑立憲政治の運用に伴う弊害を除去して選挙粛正を成功させなければならないとするのである︒国運の進展の

原動力を天皇だけでなく︑国民の努力と国民一人一人が負っている国家に対する責任に求め︑これを最大限に生か

す立憲政治の重要性を印象づけるのである︒ここでは︑積極的な献身や忠誠心の主体的な発揮が期待されている︒

(11)

  選挙粛正中央連盟理事の前田多門は議会制度の本質を︑民衆の意思が政治に反映することであるとし︑国政に関       お  して国民の代表機関が投票により決定した意思が︑一定の決定力を持つ仕組みとする︒たとえ政党内閣でない場合

でも︑衆議院の多数決を無視した政治は行えないため︑国民の一票によって決められた衆議院の勢力は︑国政の将

来に大きな決定力を趣・自分の投票が国政においてど・つ影響するかを見極める能力が︑国民の嚢として必要な

ので懸・そして投票は天皇に対する忠義でもあ舞選挙は国民の意気を示す機会であ0国民は受身にならず

自発的に自分たちの選挙として行いその責任を果たさなければならない︒従って買収されて自分の判断で投票を行

わないことは恥ずべき行為なのであると竃・︑三では・選挙の不正行為が天皇に対する不忠としてではなく︑自

 らの意思で選挙権を行使しないことを理由として非難されており︑選挙の粛正も結局は国民の自発的熱意に待つし

かないとされて違・そして立憲政治に必要なのは・政治知識だけでなく︑公共生活について霧を尽くすととも

 に︑公事に対する関心をもつ国民の公徳心であるという︒公事とは忠君愛国の道義が示す︑天皇や国家に対する縦

 の関係の他に︑国民としての公共生活という横のつながりの両面を指し︑この両面に対する関心が国家生活繁栄の

ためには必要であると嘉・前田も立憲政治の根拠を明治憲法に置いているが︑重要視しているのは国民の自発性

 や判断能力の有無である︒さらに立憲政治に必要な国民の道徳として︑国家だけでなく公共生活に対する関心をあ

゜げている点が特徴である︒国民が公共生活について協力して対処していこうとする意識が︑立憲政治を支えると明

 言しているのである︒

  選挙粛正運動の国民を対象とした啓蒙活動において︑国民に習得させるべき立憲政治の根拠や選挙の意義︑そし

 てこれを支える道徳観念は二通りの類型が存在していたといえる︒第一に選挙を天皇の統治に対する臣民翼賛の道

 とし︑選挙権の行使を天皇に対する奉答とする見解である︒立憲政治の重要性は天皇の神聖性に基礎づけられ︑立

    女性の政治参加と選挙粛正運動−国民教化の側面からー       ︵都法四十八ー二︶ 三七五

(12)

      三七六

憲自治の国民として求められたのは忠君愛国という臣民として持つべき道徳観念であった︒第二の類型として︑選

挙を国民の幸福増進︑生活向上のためのものとし︑立憲主義の意義を国民一人一人が国家の責任を担うことと︑そ

れによる国運の進展にあるとする見方である︒これを支える道徳は公共生活の一員としての自覚︑前田の言うとこ

ろの公徳心であり︑個人の自主性や判断力︑責任意識が重視されていた︒粛正運動において主流をなしたのは第一

の類型である︒第二の類型を提示する論者も︑第一の類型を基本としこれと併存させているため︑整然と二つに分

類することは困難である︒しかし粛正運動における教化の内容は第一の類型だけには収まらない要素が含まれてい

るのである︒第二の類型には一九一〇年代後半以後のデモクラシー思潮の影響が現れており︑国家とは区別され

た︑生活共同体としての社会という概念が明確に見られる︒また︑工業化の進展などによる貧富の差の拡大や︑労

働争議や小作争議が頻発する中で︑一九二〇年代には内務省による社会政策が打ち出されるようになっていった

が︑このような社会状況において︑忠君愛国の道義を補完する新たな道徳が必要となっていた︒個人の利益や生活

の重視と合致しつつ︑国家の利福や安定も支える道徳と政治制度である︒立憲主義の意義を国民それぞれが国家を

支える責任を主体的に負うこととし︑政治の目的を国民の生活向上に求め︑横のつながりを自覚する道義心が立憲

政治を支︑えるという第二の類型は︑このような状況から生まれ︑粛正運動においてもその教化内容に含められ広め

られたのである︒

三︑選挙粛正運動の展開

次に︑一九三五年から翌年にかけての選挙粛正運動の具体的な展開を検討したい︒一九三五年九月から十月にか

(13)

      ︵52︶      ︵53︶ けて︑二府三十七県で府県会議員選挙が実施され︑これに合わせて第一次選挙粛正運動が行われた︒粛正運動は先

述したように︑警察による取締と︑選挙粛正委員会を中心とした教育の二つの方向からなされた︒ただ内務省は︑

粛正運動の本質は︑法の厳粛なる運用ではなく︑﹁政治的一大啓蒙運動﹂であるとし︑運動の方向性が教化にある

ことを仁趨・また・璽粛正委員会の役割も粛正に関する発的の方法Lの協議にあると強吾煙・なぜな

ら︑粛正委員会や警察の取締が政府による選挙干渉の手段となるのではないかという懸念が存在していたことが︑

その背景にあったからである︒そして教化運動としての粛正運動は︑印刷物の配布と講演会の開催︑市町村.部落       め  単位での懇談会の実施により遂行されることになった︒同時に選挙干渉との非難を受けないよう︑警察に対しては

公正な取締の実行が厳命されたので友麗・内薯のこのような配慮にもかかわらず§が﹁峻厳を麺醒﹂︑買収

などでなく形式的犯罪の検挙に終始し︑選挙民を萎縮させたとの批判が政党や新聞.雑誌といったメディアから挙 ︐

鶴取締当局である内薯警保局関係者の耳にもそれらは届いて匹煙・ただし・その轟は公平に行われたと政

党も評価して広認︒選挙粛正中央連盟による調査では︑選挙粛正の最も有効な方法は何かという設問に対する回答       お  の第一位は警察官の活動であり︑第二には部落懇談会︑第三に名士の講演会が挙げられている︒運動の効果がすぐ

には表れない教育的方法よりも︑取締活動の方が一般には認識されやすく︑評価も高かったのである︒

 この結果を受けて岡田地方局長は︑﹁教化運動といふ立場から粛正運動を考へると︑昨年の第一次運動は何して

も非常に急場に起つた運動でもあり︑殊に初めての事で運動の巧拙といふこともあるし︑又考への及ばなかつた点

もある﹂と反省を述べ︑一九三六年二月に行われる衆議院選挙が対象の第二次粛正運動の方針としては︑選挙の取

締ではなく︑まず一番に立憲自治の国民としての自覚の徹底を図り︑教化方法としては最も有効であった市町村や       お  部落の懇談会において︑国民が自発的に運動を起こすよう指導することに主力を注いでいると報告した︒

女性の政治参加と選挙粛正運動−国民教化の側面からー       ︵都法四十八−二︶ 三七七

(14)

      三七八

選挙粛正運動は目標とじていた衆議院選挙が終了した後も継続されることが表明さ莚・前年秋に実施されな

かった残りの道府県会選挙と市区町村会選挙が当面の対象であったが︑一九三六年五月に地方長官に宛てて発せら

れた内務省警保局.地方局長からの依命通牒によれば︑粛正運動は選挙の粛正から﹁更に進んで平素に於ける国民

の公民的教化訓練に力を致し︑⁝⁝併せて地方自治の浄化刷新を図り︑国民精神の作興に資せしむるの要あり﹂と

された︒これは︑従来と同様の方法の粛正運動を行うと同時に︑﹁公民道の確立振作﹂を目的とした日常的な教化

訓練において﹁広く政治及自治に関し今日の公民として必要なる知識と共に︑⁝⁝公民としての徳操を酒養するに

努め︑而して地方自治の浄化刷新を図﹂ることとともに︑実施に際しては市町村委員会と部落懇談会を普及し活用         することが指示されたのである︒粛正運動の日常化つまり平素の公民教育の徹底が図られるとともに︑地方自治の

刷新と発達という目的が強調されていることに注意が必要である︒選挙の粛正という運動本来の目的から公民教育       ︵66︶ による地方振興に重点が移ったのである︒

 ここまで見てきたように︑警察による取締が突出した効力を発揮した第一次運動から︑教育手段の最大限の活用

を図った第二次運動︑さらには日常的公民教育へと選挙粛正運動が外貌を変化させていく中で︑粛正運動における

婦人の役割はどのように変容していったのかについて︑次に概観していく︒

四︑婦人の動員

 選挙粛正運動への婦人の参加が容認されたのは︑選挙粛正中央連盟の役員である評議員として五名が任命され︑

団体として大日本連合婦人会︵略称は連婦︶が加盟したのが最初である︒道府県に設置された選挙粛正委員会は委

(15)

員の資格を有権者即ち男子に限定していたが︑教化団体の加盟する中央連盟への参加は認められたのである︒評議

員に任命されたのは︑大日本連合婦人会の島津治子と大日本女子青年団の山脇房子︑東京連合婦人会の吉岡弥生と

守屋東︑そして婦人参政権獲得運動の中心を担った婦選獲得同盟の市川房枝であった︒一九三五年七月の中央連盟

加盟団協議会で︑大日本連合婦人会に割り当てられた分担は︑他の団体と同じ﹁運動﹂ではなく︑﹁婦人方面への

宣伝﹂であつ︵斑・婦人団体に期待されたのは街頭などで表立って団体として運動する︑﹂とではなく︑機関誌を利用        した家庭婦人への啓発活動であり︑家庭内での個々の働きだったのである︒言い換えれば︑﹁家庭に於ける婦人を        動かし・⁝:粛正の気分を醸成せしむる事﹂が必要であり︑婦人は自分の夫や父︑子供が買収に応じて投票したり︑         棄権したりしないように家庭内で努めることが求められていたのである︒中央連盟に加盟した連婦はもともと文部

省指導の下︑家庭婦人を対象として一九三一年に組織され︑その目的は家庭教育の振興や家庭生活の合理化にあ

つ(

エ・連婦の担当であった内務省霧官の山・亨は当時の状況について次のように回顧している︒雪時は婦人選

挙権があるわけでもなく︑一般婦人にとって選挙はもちろん政治そのものも縁のない存在であった︒この無関心の        ヨ 一般婦人に選挙粛正を理解させるということは一寸見当がつきかねることであった﹂︒政治運動には関わってこな

かった連婦の粛正運動への参加は︑団体幹部にとっても急な展開であり︑かなりの混乱が生じていた︒

 ところで︑市川らは︑婦人参政権の獲得を目的とした団体からなる婦選団体連合委員会を結成しており︑粛正運

動が始まる以前より東京市会選挙の浄化運動に参加していたことから︑この団体の加盟を中央連盟に申請してい

た・ところがこの申請は受け入れられなかった麓・東京連合婦人会と歩調を△・わせて新たに選挙粛正婦人連合会

を組織し︑粛正運動で婦人参政権の実現を要求しないことを条件に︑八月に中央連盟への参加が承認されたので

艶・加盟が許可されるとすぐに・連合会は運動方針を打ち立て︑選挙粛正婦人講演会を中央連盟と共催した︒こ

   女性の政治参加と選挙粛正運動  国民教化の側面からー       ︵都法四十八ー二︶ 三七九

(16)

       三入○

の講演会では中央連盟理事長の永田も講演したが︑その内容は婦人側には﹁お前達の出る幕ぢやない﹂と言う様に

       る  聞こえたという︒これに構うことなく︑連合会としては立看板やポスター︑ビラ︑リーフレットの作成と配布︑講

演会やラジオを通した啓蒙を行い︑婦人選挙粛正デーを定めて全国婦人団体が一斉に街頭でのビラ撒きを実施し

た︒婦人団体のこのような活動は︑中央連盟が期待した婦人団体の役割からは大きく逸脱したものであったことは

確かである︒また連合会の活動とは別に︑市川をはじめとした婦人たちが中央連盟から講師として全国市町村主催        の講演会に派遣され︑各市町村に設置された選挙粛正委員会の委員には婦人会会長などの婦人が多数嘱託されてお       び り︑衆議院選挙の際には全国で六六四名を数えた︒府県によっては夫婦での部落懇談会への出席が強制されたり︑

都合の悪い夫に代わり妻が懇談会に出席したことが中央連盟によって美談として紹介されるなど︑婦人が部落懇談       ︵78︶ 会に参加することが容認され︑奨励された︒

 第二次粛正運動になると︑教化運動としての方法も確立し始め︑粛正運動における力点が取締ではなく啓発活動

に置かれるようになった状況の中で︑婦人団体に対する中央連盟の反応もやや変化してくる︒理事長の永田は﹁地

方議会総選挙におきまして︑婦人団体の活動が相当の効果をあげましたことは︑其実績から見て各方面で認めて居

るところであります﹂と述べ︑家庭婦人が自分の子供に﹁立憲国民としての道徳を母親として充分植ゑ込﹂むこと

が選挙粛正に婦人の力を必要とする理由であるとして︑家庭での役割を強調すると同時に︑市町村の選挙粛正委員

に任命された婦人たちの自発的な活動を期待して馳・中央連盟幹事の松原彦は・選挙犯罪を決して起こさない

という決意を人々に促すことに最も影響力があったと思うのは︑婦人団体の活動であると感想を述べている︒即ち

家庭において婦人の目が光っていれば悪いことはできない︑また子供に立憲政治が大切であることを教育する︑こ

れらの婦人の活動は確かに効果があるとするので広鯉・婦人の家庭での役割とその効果をこのように容認する見解

(17)

がある一方で︑街頭での活動には﹁女がでしやばる﹂﹁女が役人に利用されていい気になつて居る﹂といった非難

   ︵81︶ もあった︒これに対して中央連盟が発行している﹃選挙粛正時報﹄では︑﹁婦人達が粛正運動に熱中する有様を見

て︑飛んでもない出しやばりの如く思ふ人もないではなからう﹂がしかし︑日常生活において婦人と社会︑国家と

は直接つながっており︑﹁自覚せる婦人が社会の清浄を期し︑政治の純化を願ふのは当然の事﹂であると婦人の活         ︵82︶ 動を正当化している︒婦人団体の意識も︑第一次粛正運動を経て変化し︑積極性を見せるようになった︒大日本連

合婦人会では十一月の大会において︑選挙粛正に関する講演会に参加し立憲自治の本義に徹するように努めるこ

と︑婦人会自ら選挙粛正のための施設を行い︑粛正委員会などに参加できるよう積極的に活動することなどを決議

 ︵83︶ した︒政治には一切関わらず︑家庭生活を中心とした活動をしてきた従来の立場からは大きく転換したのである︒

このような婦人団体への評価の高まりとは対照的に︑秋に府会選挙のなかった東京府では二月の衆議院選挙に向け

た運動が本格的な粛正運動の始まりであった︒そのため︑東京における婦人団体の主な活動は︑全国一斉の選挙粛

正強調日と婦人強調日の二日間だけビラの配布に従事しただけで︑他に東京府主催の婦人講演会が二回開催される

     ︵84︶ にとどまった︒

 衆議院選挙の次に市川たちが粛正運動に登用されたのは︑一九三六年六月の東京府会選挙においてである︒五月

に出された警保・地方局長の依命通牒を受け︑東京府選挙粛正委員会の東京府知事に対する答申にも︑今次の粛正

運動は公民教育の徹底と自治精神の高調によって︑選挙粛正に加えて地方自治の振興を目標とする旨が記載され

た︒さらに衆議院選挙の際の答申には存在しなかった﹁婦人団体との協力﹂が運動の実行に関する事項の一つに加        ︵85︶ えられ︑実行内容は﹁選挙粛正自治振興の家庭化運動を起すこと﹂と規定された︒東京府と東京市︑婦人団体幹部

が運動方針を協議した結果︑一般家庭婦人を対象として︑﹁自治振興と選挙粛正が家庭生活殊に主婦と密接なる関

   女性の政治参加と選挙粛正運動  国民教化の側面からー︑         ︵都法四十入ー二︶ 三八一

(18)

      三八二

係にある所以を關明し以て婦人の自覚を促すに努むること﹂を目的として︑婦人指導者養成のための講習会や懇談        ︵86︶ 会︑座談会︑婦人大会の実施︑印刷物の配布︑街頭宣伝を行うことを決定した︒特に東京府は︑府政についてわか

りやすく解説した﹁選挙粛正は家庭から﹂というリーフレット一一〇万枚を各家庭に配﹁布した︒これは婦人の関心        ︵87︶ の向上を図るとともに︑婦人を対象として公民的知識の普及を目指したものであったと言えよう︒婦人団体を中心

としたこのような行動は︑東京府によって﹁今回の本府第二次選挙粛正運動に於て特筆大書すべきことの一つは婦       ︵88︶ 人団体の活発なる協力活動である﹂と総括されるに至ったのである︒

 婦人団体や家庭婦人に期待されていた貢献が当初︑家庭内から違反者を出さず︑家族を快く投票に行かせること

に限定されていたのに対して︑母親として︑子供に立憲政治の重要性と立憲国民としての道徳を教育するという役

割が徐々に付加されるようになっていた︒これらは家庭内での役割に限局されてはいたが︑子供への教育は︑母親

が立憲政治について理解していなければ不可能なものであり︑母親に対する本格的な公民教育の必要性がようやく

認識されたことを意味する︒また講演会や懇談会への参加が促されるようになり︑街頭活動を含めた婦人の活動も

積極的に評価されるようになった︒さらに一九三六年五月以降になると︑日常的な公民的訓練の実施が指示され︑

東京府のリーフレットに表れているように︑婦人に対しても︑政治と生活との関係を自覚し政治を理解する主体で

あることを求める方針に変化したと言えよう︒この公民としての自発的な行動を促すことを目的とした運動は︑一

九三七年一月の東京愛市連盟の発足と三月の東京市会選挙を対象とした愛市運動へと繋がっていく︒

(19)

五︑動員の系譜と婦人の教化

 ではなぜ婦人が選挙粛正運動に動員されたのか︒動員に至るまでの過程を見ていきたい︒選挙粛正運動に婦人が

動員される以前︑婦人の政治関与はほとんど許可されていなかった︒婦人には国政についての選挙権・被選挙権

︵両方を合わせたものが参政権と呼ばれている︶と︑地方議会についての選挙権・被選挙権いわゆる公民権はなく︑

政治的自由も治安警察法によって制限されていた︒一九〇〇年に制定された治安警察法では︑第五条第一項で現役

軍人︑警察官︑宗教家︑学校の教員・学生︑女子︑未成年者︑公権剥奪者の政治結社への加入を禁止し︑第二項で

女子と未成年者の政談集会への参加を禁止していた︒一九二二年に第二項から女子が除外される改正がなされた

が︑それ以外の修正はかなわなかった︒婦人の政治結社への加入が禁止された理由は︑婦人には美徳と良妻賢母と

いう家庭での天職があり︑外に出て﹁政治上に狂奔する﹂ということは美徳を損ない︑国家の安定を乱すからであ

るとされた︒同様に政治的自由を制限されていた軍人や宗教家︑教員なども︑政治から超然たる立場をとってその        ︵額︶ 本業に専念すべきである︑という理由で政治から遠ざけられていた︒そして宗教家と教員には︑衆議院議員の被選

挙権が一九二五年の普通選挙法成立まで付与されていなかったのである︒

 選挙粛正運動は﹁国民総てに公正な選挙観念を普及徹底し︑国民が相率ゐて自由公正な選挙の実現に適進するや        ︵90︶ うに導﹂く︑﹁国民的一大教化覚醒運動﹂として開始された︒つまり粛正運動は国民運動であり︑教化運動であっ

た︒被選挙権は付与されたものの︑職業柄それまで政治に関与するのは好ましくないとされてきた宗教家や教員

も︑教化運動ということを根拠に動員され︑道府県に設置された選挙粛正委員会の委員を務めるなどした︒特に公

立学校の教員は政治︑特に選挙に関わると人事にも影響するため︑公民教育にも積極的ではない傾向が強かった

   女性の政治参加と選挙粛正運動−国民教化の側面からー       ︵都法四十八ー二︶ 三八三

(20)

       三八四

       ︵91︶ が︑学校だけでなく地域の懇談会などの指導者としてその活動が期待されたのである︒それだけではなく︑選挙粛       ︵92︶ 正は﹁国民の皆さんが︑大勢で寄つてかかつて︑総ての人でやらねばならない﹂国民運動として︑﹁小学校の児童       ︵93︶ を始め婦人並に青年男女等未だ公民権を有つて居ない人々に至るまでも此の際何等かの働き﹂を求められたのであ

る︒

 赤木は国民を教化︑啓蒙する精神運動としての粛正運動には前史があるとする︒それは一九二九年の文部省によ        ︵94︶ る教化動員運動と一九三二年の内務省による国民更生運動であると指摘している︒国民更生運動とは︑昭和恐慌の

影響をまともに受けた農村の救済を目的とした︑農林省による農山漁村経済更生運動と同時に開始され︑国民の精

神更生と経済更生とを目指して教化団体などの各種団体が動員されたものである︒粛正運動における婦人団体の動

員も教化動員運動と国民更生運動の系譜の中にある︒一九二九年に成立した浜口内閣は金解禁を目指して緊縮財政

を重要政策として掲げ︑公私経済緊縮運動を開始した︒この政策の一助として文部省が教化動員運動を計画し︑教

化団体︑宗教団体︑在郷軍人会︑青年団体︑婦人団体の動員がなされた︒教化動員運動では目的の第一として国体

観念の明徴と国民精神の作興︑第二に経済生活の改善と国力培養が掲げられ︑講演会や印刷物を通して趣旨の徹底

    ︵95︶

が図られた︒これとは別に︑内閣の主要な大臣たちが直接婦人団体に緊縮運動への協力を呼びかけた︒家計の消費        ︵96︶ 節約が実行されるためには︑家庭の主婦たる婦人の協力が必要だったからである︒婦人団体は︑公私経済緊縮運動

や教化動員運動が家庭経済と国民精神に関するものであったことを根拠として︑動員されたのであった︒

 これらの運動への婦人団体の動員と並行して︑婦人の政治参与も検討課題に挙げられてきていた︒経済政策など

の実現を確固たるものにするために︑浜口内閣は婦人に市町村会の参政権を与える婦人公民権案を提出する意向を

明らかにしたのである︒内務省でもこれ以前から婦人公民権案の準備がなされていた︒一九二八年︑内務官僚の安

(21)

井英二は近年︑社会状況や経済事情の変化に伴い︑地方自治体の固有の事務即ち消費団体として機能の重要性が認

識され始めたと述べる︒そして︑自治体はその本来の機能である︑住民の消費生活に必要とされている水道︑下

水︑ガス︑電気︑電車︑道路︑公園︑学校等の事業によって︑住民の厚生を図ることに主力を置くべきであると主

    ︵97︶

張していた︒同じく内務官僚の挟間茂の言葉を借りれば︑これらの事業を自治体が担うことによって︑住民に対峙

する権力団体としての任務だけでなく︑住民に経済的利益をもたらす公共的経済団体としての活動も自治体は展開       ︵98︶ していぐとしたのである︒消費団体としての性質を持ち︑このような事業を担うことになっていく自治体におい

て︑﹁消費生活の最も重要なる地位﹂をもつ婦人に選挙権が付与されない理由はない︑というのが安井の論理であ

︵99︶ った︒また︑浜口内閣の公民権案の立案に当たった狭間も︑婦人公民権の付与には切迫した必要があり︑その実際

的理由について︑経済的不平等が拡大し社会不安が高まる中︑﹁地方自治体が経営すべき社会的経済的の公共施設

は︑今や自治団体の最も重要なる事務となり﹂﹁かような自治体に於ける公共施設が︑地方人民どしての女子に緊

要な関係を持つてゐることは言ふをまたない﹂︑﹁何れも地方住民の家庭生活に最も密接な関係を持っている﹂から

         ︵ool︶ であると説明している︒地方自治体が優先すべき事務内容の変化に伴って︑婦人公民権付与の根拠が生まれ︑また

公共施設が住民全体の需要に合致することによって生み出される自治体業務の充実のためにも︑婦人公民権が必要

であるという論理が用意されたのである︒政府による婦人公民権案は一九三一年二月にようやく衆議院に提出され

て可決されたが︑貴族院で否決の憂き目をみる︒結果としては︑これ以後政府案として提案されることも衆議院で

可決されることもなかったが︑婦人公民権はいずれは実現されるべきものであるという見解は︑官僚を含めた知識       ︵101︶ 人層の一部にしばらくの間共有されていた︒

 一九三二年の高等女学校における公民科設置の実現は︑こうした見解を背景の一つとしている︒公民科の目的は

   女性の政治参加と選挙粛正運動  国民教化の側面から       ︵都法四十八ー二︶ 三八五

(22)

      三八六

﹁立憲自治の民たるの素地を育成する﹂こととされ︑前年に設置された中学校の公民科の要旨と同様のものであ

︵201︶ った︒大島は︑公民教育でいう公民とは国家︑社会という公共生活の一員を指し︑公民教育とは﹁国家︑社会の一

員としての道徳的自覚に法制経済の知識を読み込む﹂ことであるとする︒そして女子も国民生活をなす一員である

以上︑公民教育を必要とすることは無論であり︑仮に永久に婦人に公民権がないとしても︑子供の教育をなすに当       .〆ぐ たって公共生活がどういうものであるかを知らなければならないし︑公民教育が法制上の知識だけでなく﹁道徳       而︶ 的︑思想的に公民たるの資格をもつこととすれば︑女子に此の教育の必要なるは明白である﹂と述べている︒参政

権がなくても婦人も国民の一人であり︑社会の一員である以上︑公共生活に必要な道徳と︑政治経済や法律の知識

教養を身に付けるべきであるとされたのである︒公民的知識と自覚は婦人にも必要なものであるというこのような

認識は︑婦人公民権の議論の高揚と同時に徐々に浸透していたのである︒

 選挙粛正運動が開始されると︑選挙粛正は家庭にまで徹底しなければ実効がないという主張がなされた︒子供が

学校に上がる以前から選挙について教えなければならないというのである︒﹁国家百年の計を貫徹するにはどうし

ても婦人に関する公民的訓練を施す必要がある︒殊に女子の参政権は⁝⁝早晩布かれると思ふ︒⁝⁝それには婦人

公民教育︑教化運動としてその訓練が必要である︒故にこの選挙粛正運動は差し当たりの問題でなくこの方面まで        ︵1︶ 従事して貰ひたい﹂︒東京女子高等師範学校長の下村寿一はこのように主張した︒婦人参政権の付与は︑有権者の

年齢要件を満二十五歳から引き下げる修正案いわゆる青年参政権とともに法制審議会で議論の余地なく否決されて

いたため︑内務省は婦人参政権の即時実現の可能性を見込んではいなかったが︑公民教育の必要は認めていた︒教

化運動としての粛正運動に婦人の動員を容認した理由は︑第一にこれまでの教化運動での実績︑第二に高等女学校

への公民科の設置や成人講座として具体化した︑婦人を対象とする公民教育の必要性︑そして第三に婦人公民権付

(23)

与法案の根拠ともなった地方自治体と婦人との密接な関係の存在と︑国家や自治体に対する貢献への期待であっ

た︒公正なる選挙観念の普及を目的として︑立憲思想の酒養が図られた粛正運動は︑議会制度を中心とした政治的

知識と道徳を婦人にも習得させることを意味し︑これまでの家庭経済や農村経済に関する動員とは異なって明確に

政治に関係するものであった︒ただ︑政府が婦人に必要であると考える公民教育の内容や程度は運動の進展に従っ

て変化した︒先述したように︑最初婦人団体は運動のお手伝い程度しか期待されておらず︑家庭における内助が婦

人の主な役目であった︒家庭婦人がどのような行為が選挙違反となるかを知る程度に教化できれば十分であり︑選

挙に関することとは言え︑多少の政治的知識を婦人に与えることは問題ないと判断されたのである︒しかし婦人団

体による運動や家庭婦人の姿勢が棄権防止や買収防止に効果があると認識されるようになり︑母親として立憲思想

を子供に教える役割を与えられるようになると︑家庭婦人に対する本格的な公民的素養の育成に意識が傾けられる

ようになったのである︒こうして婦人は積極的に活用され︑自治振興や農村復興を支える公民として認知された︒

 では︑婦人に公民つまり﹁立憲自治の国民﹂として期待されたこととは一体どのようなものだったのか︒まず第

一に︑良妻賢母として公民的教養を身につけることである︒忠孝観念と伝統的な婦徳に基づき︑公民としての知識

や道徳を家庭での任務に生かすこと︑具体的には買収が選挙犯罪であることや︑棄権が道義に反することを知り︑

子供に公民的知識や道徳を教えたり︑家庭内から不義不忠の者を出さないことにより︑夫や父︑子供など家族を通

じて間接的に天皇に対する忠義を尽くすことであった︒あくまで家庭内での︑公民的教養の上に立った婦徳の発揮

である︒そして第二に︑国家や社会という公共生活の一員としての公民的自覚と知識を持ち︑行動することが婦人

には期待された︒公共生活を改善する主体としての役割が求められたのである︒ただしそれは︑婦徳を基調とし︑

これを家庭外の公共生活にも役立てるというものであった︒内務大臣潮恵之輔は︑コ家の経済は国家の財政と深

   女性の政治参加と選挙粛正運動ー国民教化の側面からー       ︵都法四十八ー二︶ 三八七

(24)

      三八八

い関係を持ち︑又御婦人の最も関心を持たるる子女の将来と謂ふことも︑国家の教育方針なり其の施設なりの善悪

に左右せられる所は極めて大きい﹂︑﹁国家の政治と国民の生活とは︑之を切り離すことの出来ない密接な関係に在

ること⁝⁝それを痛切に認識したのは︑近代の自覚せる御婦人であ﹂るが︑日本の婦人もこれを認識しているため

に︑粛正運動を支持し協力していると述べている︒そして潮は︑婦人が国政や地方自治の刷新を担う主体として公       ︵501︶ 民的知徳を身につけ︑行動することを期待し︑婦人の立場からの運動へのさらなる尽力を要請した︒ここでは運動

に積極的な婦人たちは︑政治と各家庭や国民個人の生活との関係を理解し︑国民生活の安定向上のために行動して

いると描写されている︒この発言の趣旨から窺えるのは︑婦人から積極的な助力を得るには︑この関係を婦人が理

解し︑政治知識や公民的徳操を会得している必要があると認識しているということである︒そして婦人を動員する

ために︑婦徳の発揮の場である家庭と政治との関連を強調し︑政治の改善が家庭生活の改善につながることを運動

協力の動機づけに利用したのである︒このような動機に基づき運動に対する献身を婦人に求めることは︑国家のた

めの政治だけではなく︑個人の生活の改善を目的とした政治が存在する余地が残ることを意味した︒粛正運動以

後︑国民精神総動員運動などに婦人団体および婦人の動員がなされるが︑婦人の家庭での役割を媒介とした動員

は︑婦人本来の役目である家庭生活を守ること即ち国民個人の生活を安定させることと︑国家の危機的状況に適切

に対処するために家庭や個人の生活を犠牲にすることとのいずれを優先させるかという問題を生み出したのであ

る︒

(25)

おわりに

 本稿では︑政治への関与を制限された女性が︑政治に深く関わる選挙粛正運動になぜ動員されたのか︑そこでは

どのような行動が期待されたのか︑ということを明らかにするために︑政府側の言説を考察してきた︒まず政治知

識を普及させる公民教育が選挙の不正をなくすために必要であることが︑粛正運動の始まる以前から主張され︑か

つ徐々に実施に移されてきたことを概観した︒そしてこの公民教育の対象には有権者である男子だけでなく︑女子

も含まれていた︒粛正運動における教育の目的は︑選挙の公正さを守るために立憲主義の重要性を教えることに

あった︒その内容には︑立憲主義の根拠を明治天皇に求め︑忠君愛国精神を備えた国民を理想とするものと︑立憲

主義の意義を国民一人一人が国家の責任を担うことと国民の幸福を増進させること見出し︑公共生活という横のつ

ながりも自覚する公共心をもった国民を理想とするものとが併存していた︒

 政府が粛正運動に女性を動員した契機は︑第一にこれまでの教化運動の実績︑第二に女性に対する公民教育の必

要性︑第三に国家や地方自治体に対する貢献への期待である︒そして︑運動において女性が最初に期待されたの

は︑家庭内での良妻賢母としての務めを通しての協力であった︒実際には運動が進むに従って︑家庭外での活動も

行うようになり︑政府も町内・部落懇談会への参加を促進した︒そして︑政府はこのような女性の活動を高く評価

し︑自治振興の主体として︑積極的な行動を期待するようになったのである︒このような行動を支えるために必要

とされたのは︑まず︑良妻賢母として公民的教養を身につけ︑これを婦徳と忠孝観念に基づいて家庭内で発揮する

こと︑次に︑政治と家庭生活とに密接な関係があることを理解し︑公共生活の一員としての自覚をもって︑その改

善の主体となることであった︒しかし女性の家庭での役割や婦徳を媒介として︑家庭外での活動による国家や社会

   女性の政治参加と選挙粛正運動−国民教化の側面からー       ︵都法四十八−二︶ 三八九

(26)

      三九〇

への貢献を求めることになれば︑その貢献は︑本来婦徳を発揮する場である家庭生活の安定向上の実現を前提とす

ることを意味する︒女性の良妻賢母という家庭での任務を国家への貢献の根拠とする以上︑家庭生活を無視するこ

とはできなくなるからである︒従って女性に国家に対する献身を求めることは︑国家の発展だけを目的とする政治

だけではなく︑国民個人の生活安定を目的とした政治を包摂することになるのである︒日中戦争以後総力戦と言わ

れる中で︑自分の生活を守りたい国民個人が国家の利益をどこまで優先できるのかという問題を残し︑国民の国家

に対する全面的奉仕という点では脆弱性を抱えることになったのである︒

︵1︶ 菅原和子﹁第四章第四節 選挙粛正運動への﹃参加﹄と﹃協力﹄﹂︵同﹃市川房枝と婦人参政権獲得運動﹄世織書房︑ 注

  二〇〇二年︶︒運動に参加した婦選運動家たちは内務省系に組み込まれ︵一五九頁︶︑結果として体制補完・強化に資す

  る役割を担った︵二七八頁︶とし︑後の国民精神総動員運動︑翼賛選挙運動につながると位置付ける︒ ︵2︶ 源川真希﹁第六章 選挙粛正と都市政治﹂﹁第八章 普選体制確立期における政治と社会﹂︵同﹃近現代日本の地域政

  治構造﹄日本経済評論社︑二〇〇一年︶︒いずれも一九三七年の東京市愛市運動における女性の活動を扱っている︒ ︵3︶ ﹁内務大臣訓示 昭和十年八月十七日於警察部長事務打合会﹂︵﹃内外調査資料﹄第七年第九輯︑一九三五年︶八十三

  頁︒﹁総理︑内務︑司法各大臣選挙粛正訓示 後藤内務大臣訓示﹂︵同前︶二頁︒蝋山政道﹁粛正運動下の府県会選挙﹂   ︵﹃斯民﹄第三十編第十一号︑一九三五年十一月︶三十一頁︒ ︵4︶ 水野錬太郎﹁選挙粛正と地方自治﹂︵﹃斯民﹄第三十編第八号︑一九三五年八月︶六〜八頁︒永田秀次郎﹁選挙粛正と

  地方自治﹂︵同前︶二十四〜二十六頁︒潮恵之輔﹁選挙粛正は三位一体で﹂︵同前︶五十三〜五十七頁︒岡田周造﹁選挙   粛正運動の種々相﹂︵同前︶九十九頁︒ ︵5︶ 粟屋憲太郎=九三六︑三七年総選挙について﹂︵﹃日本史研究﹄第一四六号︑一九七四年︶︑須崎慎一﹁選挙粛正運動

  の展開とその役割﹂︵﹃歴史評論﹄第三一〇号︑一九七六年︶︑伊藤之雄﹁﹃ファシズム﹄期の選挙法改正問題﹂︵﹃日本史

  研究﹄第二一二号︑一九八〇年︶︑本間悔一﹁選挙粛正運動をめぐる政党と官僚﹂︵﹃地方史研究﹄第一九九号︑一九八六

参照

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