1920年代のソ連邦財政制度 : 現物税から取引税へ
その他のタイトル The Soviet Budgetary System in the 1920'S.
著者 佐藤 博
雑誌名 關西大學經済論集
巻 14
号 4
ページ 1‑28
発行年 1964‑11‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/15388
﹁現物税﹂から貨幣税へ 革命後の経済政策の転換は︑財政的措置によって先導される場合がすくなくなかった︒戦時共産主義から﹁新経 済政策﹂への転換も︑強制的徴発制から現物税への国家収入政策の変更を契機として行なわれた︒
一九ニ︱年三月ニ︱日に全口中央執行委員会によって決誡された﹁現物税﹂の布告は︑次のような意図と内容を
( 1 )
もっていた︒
( 1
)
農民の労働および経済資源から生み出された生産物を︑農民がヨリ自由に処分することによって︑効果的にして安定した
経済生活を保障するため︑また農業経済を強化して︑その生産性を高めるため︑さらには農民が国家に対して負うべき義務
を正確に計算するため︑国家が食糧︑原料︑飼料を調達する一手段として用いてきたところの強制的徴発制は現物税によっ
て置き代えられるべきこと︒
(2
)
現物税は︑これまで強制的徴発によって農民が負担してきたものより︑軽くなければならない︒この税額は︑軍隊︑都市
一九 二
0年代のソ連邦財政制度︵佐藤︶ 二0
年代の租税制度の発展 ー
現 物 税 か ら 取 引 税
ヘ
佐
九二
0
年代のソ連邦財政制度
膝,
博
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閥西大學﹃網清論集﹄第一四巻第四号
労働者、農業外住民の最も基本となるぺき韓両要をまかなうよう計~されなければならない。この税の総額は、輸送と工業の
再建により︑国家が工業製品や手工業製品と農業生産物を交換できるようになることを考慮して︑減額されなければならな
( 5
)
現物税は︑収穫高︑農家保有地の消費人員︑家畜数を考慮して︑保有地から産出する農産物から税率方式ないしは控除方
式によって課徴されなければならない︒
( 4 )
現物税は累進的租税とすること︒中農︑・貧農︑.都市労働者の世帯に対しては︑その控除率を軽減すること︒極度の貧農に
ついては︑若千の現物税を︑さらに例外的には︑すぺての現物税を免除することができる︒
動勉な農民にして︑播種面積や家畜数を増加させたもの︑さらには農家保有地の全体の生産性を増加させたものについて
は︑現物税納税上の特典を受けることができる︒
( 5 )
現物税法の構成ならびに公布期限は︑農民が春季耕作を始める前にあらかじめ自己の支払い負担額をできるだけ正確に知
るようなかたちでなされなければならないo
••
(6
)
現物税として登録された農産物を国家に引き渡す場合には︑一定の期限内に終了すること︒この期限については︑法律に
よって厳格に定められる︒
(7
)
現物税納税の責任を負うものは︑個々の家計であって︑自己の支払い額を完納しないものに対しては︑ソビエト政府の当
該機関が︑その支払いを追求しなければならない︒連帯的責任は廃止する︒現物税の賦課と納税を監督するため︑各種税率
の 納 税 者 グ ル ー プ か ら 成 る 地 方 農 民 機 関 を 作 る
︒ ' ,
(8
)
現物税納税後農民の手許に残る食料︑原料︑飼料は︑すべて農民の全く自由な処分に任せられ︑それらを利用して︑自己
の保有地の改良︑強化をなし︑個人の消費を増加し︑工業製品︑手工業製品︑さらには農産物と交換することができる︒
かかる交換は︑共同組合組織あるいは市場を通じ︑地方経済的取引の範囲内で認められる︒
( 9 )
現物税納税後の自己所有の余剰農産物を国家に引き渡す農民に対しては︑かかる余剰の自発的引き渡しと交換に︑一般的
^な消費物資︑農業用機械を受け取るようにすぺきである︒かかる目的を考慮して︑農業用機械や一般的な消費物資の予備を
国家が断えず作り出しておくこと︒これには国産品と輸入品の双方が含まれる︒国家の金準備と原料予備のおのおの一部は
輸入をなす目的で保留しておくこと︒
( 1 0 ) 農 業 人 口 の
. う ち 極 度 に 貧 困 な 階 級 に 対 す る 供 給 は 特 別 法 規 に よ っ て 規 定 す る
︒
.
︑ ( 1 1 )
全口中央執行委員会は人民委員会議に対し現行法令の発展として︑この法令に相応する詳細な指令を出すよう要求する︒
戦時共産主義時代に実施されていた強制徴発制は︑農民に対して無制限の支払義務を課していたのに対して︑現
物税は︑支払義務額を確定し︑農産物の納入に一定の制限を設けることによって︑納税後の余剰農産物を農民の自
由な処分に任せ︑農民の生産意欲を促進せんとした︒この現物税は十八種の農産物を指定したが︑徴収に比較的費
用がかかり︑実質的収入は︑納入額をかなり下回っていた︒
現物税に関する法令の第一項に見られる如く︑現物税は︑国庫的目的よりむしろ国民経済︑とりわけ農業生産の
回復に重点があった︒事実︑現物税の布告から一ヶ月後の四月ニー日に︑
次のように現物税の意義を強調していた︒ レーニンは︑新経済政策を弁護しながら
﹁一九ニー年春の政治的状勢は︑農民の状態を改善し︑彼等の生産力を増加するため︑即座の決定的な︑極めて緊急的な
措置をとらねばならぬ状勢だった︒このことは︑我々の食糧政策の重大な修正なしには達成することができない︒かかる修
正とは︑余剰農産物を国家が占有する制度に代えて現物税を置くことであった︒現物税は納税後すくなくとも地方経済的な
( 2 )
交換
のか
たち
で自
由取
引が
行な
われ
るこ
とに
結び
つい
てい
る﹂
これらの点から見て現物税の実施ば︑最初︑貨幣経済の復活を意図したものでなく︑現物経済に基礎を置いた市
一九二三年五月一0日 場取引︑それも地方的に限定された取引を意図していたことがわかる︒しかしながら市場関係の復活は︑当然の結果として貨幣経済の進展を導くことになる︒事実︑ネップ︵新経済政策︶の重要な課題は︑国民経済の貨幣経済化に伴う通貨安定にあった︒このため現物税は︑早晩貨幣経済の復活と矛盾する運命にあった︒
一九
二
0年
代の
ソ連
邦財
政制
度︵
佐藤
︶
‑‑‑‑̲ ̲:̲ ̲̲ .•. —ー. :̲̲, ←
ョンは悪化せしめられた︒ 立を強調していた︒ ﹁ソビエト財政を強化する課題は︑ が避けることのできないものと考えられた︒ 鵬西大學﹃華清論集﹄第一四巻第四号
一九
ゃ法律は︑現物税の一部を金納にすることを認め︑最後に一九二四年四月三0日の法令によって貨幣税たる単一農
( 3 )
業税に置き代えられた︒
ネップ自身のねらいは︑なによりもまず︑国民経済の回復と︑社会主義建設の経済的基盤を整備することであっ
たといえる︒市場経済︑従ってまた貨幣経済の復活という一連の資本主義的諸要素の容認は︑不幸なことではある
それでも資本主義経済への全面的後退は︑
( 4 )
KO Ma H, IJ .H bl X Bb lC OT
によって阻止されうると信じられていた︒ 社会主義的﹁管理高地﹂
貨幣経済の復活に伴い︑現物的に編成せしめられていた財政︑予算機構を早急に再編成する必要があった︒かか
る課題についてレーニンは︑最も困難な課題の︱つであるが︑この問題は現
在︑第一級の課題となっており︑その解決がなければ︑国際資本からソビエト︒ロシアの独立を守る仕事において
( 5 )
も︑また国の経済的︑文化的発展の仕事においても著しく前進することはできない﹂と述べ︑財政機構の安定と確
財政制度の再建に対して重い負担をかけていたものは1九ニ︱ーニ年の破滅的インフレーションであった︒貨幣
経済の急速な拡大に伴い︑社会化経済部門の貨幣需要が高まり︑私経済部門からの原料獲得のための貨幣支出︑労
働者に対する貨幣賃金の支払の復活により︑国家からの補助金支出ほ急激に増加した︒これらの財政需要に見合う
財政収入は︑結局のところ紙幣発行の増加以外に方法はなく︑かかる財政的悪循環によって︑さらにインフレーシ
従って新経済政策担当者達の最初の具体的政策目標は︑インフレーションの収束︑通貨の安定であった︒
四
五
二年の第十一回党大会では︑復興期の財政政策の課題として︑なによりも通貨の安定を強調し︑この目的のため工
業とりわけ主導的工業部門の発展︑労働の生産性の向上︑商品取引の拡大︑赤字予算の解消が決議された︒このよ
うな赤字予算の解消のため︑まず財政支出の削減が強調された︒すなわち同じく第十一回党大会は﹁国家予算支出
( 6 )
の決定的な削減なくしては国民経済の復興は不可能である﹂と述べている︒インフレーション収束のためには︑な
によりもまずその主要因である赤字財政の解消が必要であることはいうまでもない︒けれども赤字財政の原因が︑
現物経済から貨幣経済への急激な転換によるものであり︑その土台には︑国民経済全体の衰微という悪条件があっ
たことを考えれば︑常套的な経費削減︑収入増加による方法だけでは解決されないことは明らかである︒加うるに
予算制度自体が崩壊している状態では︑財政的措置の有効性は極度に疑わしかった︒
租税政策の面では︑現物税導入と並行して︑いくつかの貨幣税が実施された︒戦時共産主義時代に完全に崩壊し
( 7 )
去った租税機構の上には︑行政的に困難のすくない租税しか導入することができず︑結局一九二二年までには︑内
国消費税︑営業税などの伝統的な帝政ロシア時代の租税の復活に留まった︒
インフレーション︑財政制度の崩壊︑国民経済の危機といった一連の困難な事情の下で︑赤字財政を克服し︑通
貨の安定をうち立てる試みは︑恐らく死者をよみがえらす困難に近かったと思われる︒レーニン自身も︑財政政策
の解決なくして社会主義の建設はありえないということを︑あらゆる機会に強調していた︒
その後︑社会化企業に対しては商業計算制
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ないし経済計算制
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3.
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を適用し︑国家の直接的な財政負担の外に置くと共に︑銀行制度への依存を強化せしめた︒また地方財政を国家財
政から分離し︑国家負担の軽減が試みられたc租税収入についても︑既存の租税に対しては税率を引き上げ︑また
一九 二
0年代のソ連邦財政制度︵佐藤︶
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前から継承していたのである︒
腰西
大學
﹃鯉
演論
集﹄
第一
四巻
第四
号
一九二二年には、所得•財産税を導入し(一九二三年に他の直接税と統合されて「単一所得•財産税」となった)、現物税
︵食糧税︶を金納化して単一農業税へ統合するなど一連の措置によって税収の増加をはか↓た︒
通貨発行でまかなわれる財政支出部分は次第に低下し︑一九二二年一月ー三月の八五彩から一九二三年一月ー三月
( 8 )
の二九彩、一九二三年十月ー一九二四年九月(当時の会計年度ー農業暦)には、わずか五•五彩まで減少した。しか
し租税収入の増加は︑課税の技術的操作よりも︑むしろ商品取引の増加︑国民経済の発展に基づくものであったと
みるべきあろう︒これと相まって一九二四年に至るまで︑数次にわたる通貨改革が行なわれ︑ネップ前期の基本的
政策目的の︱つが解決された︒周知の如く︑この時期のインフレーションとその収束過程は︑しばしば財政インフ
租税制度と租税政策
(O
')
形式的に見て︑この時期の租税制度は︑第一次大戦前のロシア時代のそれと変わるところがない︒一九二四ーニ
五年度予算(一九二四年十月_—'一九二五年九月)は、安定通貨と法的予算手続きに基づいて作成された革命後最初の
実効的な予算と一般にいわれている︒この予算と大戦前ロシア国家予算を比較すると︑第一表および第二表の如
くなる︒この表によって知られる如く︑予算収入形態を見ると戦前予算の特徴がほとんど残されており︑この予算
収入制度から社会主義的特徴を見出だすことほ困難である︒事実︑消費税は︑その税率︑徴税機構を全面的に革命
革命前より攻撃の的となってきた間接税の課徴については︑反対の態度がかなり強くあったが︑赤字財政の解消
の必要性が︑実践的側面からかかる観念を克服していたと考えられる︒興味あることには︑間接税の変形として︑ レーションの歴史的例証として引き合いに出されている︒ これによって︑
六
第1表 1913年と1924/25年の予算牧入の比較
収 入 項
目
・‑・・
租 税 総 額 2,111.1 61.5 1,327.7 44.2
(a) 間 接 税 1,606.9 46.8 609.7 20.3
消 費 税 (1) 1,254.0 36.5 507.8 16. 9
関 税 352.9 10.3 101.'9 3.4
(b) 直 接 税 272.5 7.9 595.4 19.8
営 業 税 150.1 4.4 157.3 5.2
所 得 税 94.3 3.1 I
農 業 税 326.2 10.8
そ の 他 354.1 10.4 140.2 4.7
国 有 財 産 収 入 238.8 7.0 249.5 I 8.3
国 債 収 入 130.5 4.3
運 輸 郵 政 事 業 収 入 933.4 27.2 . 1,088.0 36.2
そ の 他 の 収 入 147. 9 4.3 206.5 6. 9・
収 入 総 額 3,431.2 100. 0 3,002.2 100. 0
金
1 9 1 3
額 1 彩
(単位100万ループル)
「
金 1 9 2 額4 / I25 96'一九 二 0年代のソ連邦財政制度︵佐藤︶
注(1)1913年度にはアルコール専売収入を含む。
濱料) R. VII.Davies, The Development of the Soviet Budgetary System, 1958. P.65より作成。
第2表 1913年と1924/25年の予算支出の比較
支 出 項
目
一 . '
国 民 経 済 費 203.6 6.0 555.6 18. 7
社 会 文 化 費 143.0 4.2 198. 7 6.7
国 防 費 825.9 24.4 443.8 14.9
行 政 費 775.7 22.9 242.7 8.2
地 方 財 政 費 265.3 /3. 9
公 債 費 424.3 12.5 66.2 2.2
そ の 他 288.7 8.5 123.3 4.2
運 輸 郵 政 事 業 費 720.8 21.3 1,073.9 36.2
支 出 総 額 3,382.0 100. D 2,969.5 100.0
金
1 9 1 3
額 1
彩
(単位100万ループル)
戸金 1924/25 額 l彩
七
濱料)第1表と同じ。
初期にあって︑ 開西大學﹃鯉済論集﹄第一四巻第四号
(D )
. 当時すでに財政独占的収入の提案が見られた︒これは今日の取引税概念の萌芽とも見られる︒
しかし︑形式的な収入形態の問題を離れて︑租税政策をみると︑革命前のそれとは全く異なるものがあった︒プ
ロトニコフは︑当時の租税に︑国庫目的だけでなく︑社会主義諸政策の重要な任務が与えられている点を強調しな
( 1 1 )
がら︑新経済政策期の租税政策の目的を次の如く要約している︒
第一に︑労働の生産性の向上︑国民経済の発展︑労働者の物質的・文化的水準の向上︑国防の強化︒
第二に︑労働者と農民の同盟の強化︑基本的農民大衆の指導力の強化︒農業の集団化︒
第三
に︑
コルホーズ農民の私的利益と社会的利益の結結合の強化︒
第四に︑資本主義的諸要因の制限と駆遂ならびに資本主義的諸要因の絶滅︒
これらの目的は︑その後かなり長い期間にわたってソ連邦租税政策の基調とされてきた︒しかしながら︑ネップ
一方ではインフレーションの克服が︑租税政策の課題として与えられていながら︑他方において︑
かかる社会主義的諸目的を遂行するということは︑租税にとって過重な任務といわざるをえない︒それと同時に︑
経済力の発展のため不可避的に採用された資本主義的諸要因の復活と︑他方におけるその制限とが︑果して矛盾な
<遂行されたであろうか︒﹁この時期に実施された多くの措置は︑ソビエト政府の政策としてより︑むしろ革命前
( 1 2 )
の経済政策︑財政政策として適切な形をとっていた﹂というデイヴィスの見解は︑この疑問に対して︱つの解答を
与えているようである︒
しかしながら︑革命前のロシアと二0年代のそれとでは︑経済機構︑経済状態が当然異なるCその制度的な違い
を反映して︑予算収入にもそれなりの特徴を指摘しうるCたとえば第一表に見られる如く︑直接税は帝政ロシア時
八
代とくらべ増加し、都市における単一所得•財産税、農村における単一農業税の実施は、租税制度の面で旧体制か
らの著しい進歩を示している︒またこれらの租税には︑いずれも社会的差別化原則がとりいれられ︑その後のソビ
第二表が示す如く︑予算支出の面には︑新制度の政策的特徴が顕著に反映し︑国民経済費の増大︑地方財政への
支出が現われている︒前者は社会主義経済制度の特徴を示し︑後者は︑当時の予算制度の行政的特色を表わしてい
る︒これら二つは︑ネップ期の予算制度の重要な特徴をかたちづくるものといえる︒
予算制度の特徴
( 0 1 3 )
国民経済に対する金融の面から見て︑ネップ期は国家予算よりむしろ銀行︑金融機関の果す役割が大きかった
ソ連邦の企業に対する金融の歴史を見ると︑予算と銀行とが︑それぞれ主役を交替しながら発展してきた︒最近の
発展︑とりわけ一九五0
年 代 後 半 以 降 で は
︑ 再 び 金 融 機 関 の 役 割 が 強 ま っ て い る
︒ '
すでに述べたごとく︑
一般にトラストや企業合同体
o o ' e
. z u r
n e H H
e
に属
し︑
経済
計算
制は
︑
一義的に規定することは困難であるが︑
九 ﹁
計画
に定
最初
︑
財政運営の必要から国営工業は国家予算から独立していた︒
ラスチョート︵経済計算制︶なる言葉は︑複雑な内容をもち︑
一九 二
0年
代の
ソ連
邦財
政制
度︵
佐藤
︶
この
場合
︑
は︑商業計算制ないし経済計算制︵いわゆる独立採算制︶として知られる制度により財政的に組織されていた︒
められた一定の量的・質的課題と財政的な結果に対し︑費用計算
c os t
ac
co
un
ti
ng
の原則を適用する﹂という意味
( 0 1 4 )
に使われている
ネップ期では︑この言葉は︑企業が自己の生産に必要な資金を自己の売上金からまかなうという程度に理解さ
( 0 1 5 ) れていた当時の企業は︑
このトラストや エト税制の特徴をかたちづくっている︒
ホズ
工業企業
.
̲
‑‑̲̲̲ }̲̲ ̲̲̲̲̲̲ ̲
‑i—~ ―‑・・・‑・・‑
第5表
年
ソ連邦国家予算制度の構成 1923/241927/28 (単位100万ループル)
I苓連邦国墨I 構 成
度
1923 / 24 2,002.2 1,227.1 272.1 523.0 1924 / 25 3,065.1 1,825.4 388.3 851.4 1925 / 26 4,209.7 2,344.0 653.7 1.212. 0 1926 / 27 5,779.5 3,259.6 857.9 1,662.0 1927 / 28 7,205.1 4,307.9 959.5 1,937:7 漢料) K. H. TTJJOTHHKOB, raM氷e,crp. 96.
じ︑後者は経済的必要から出たものといえるだろう︒ の構成によっても明らかにみられる︒
開西大學﹃稗演論集﹄第一四巻第四号
企業合同体で実施されていた•これらの経営単位では、運転資本の処理につい
て自由に任されていたが︑国家予算から全く独立したかたちではなく︑賃金その
他の支払いの規制により間接的に統制︑監督を受けていた︒また利潤について
( 1 6 )
も︑営業税︑所得税の支払義務を負い︑留保利潤に制限があった︒
ネッ︒フ期の予算制度のもう︱つの特徴であった地方予算については︑ある程
度︑国家予算と企業の関係に似たものが見受けられる︒すなわちネップ当初で
は︑赤字財政の緩和目的から地方予算が分離された︒その後︑国家統制に随伴
しがちなビュウロクラシイを是正し
地方的イニシャチブを発揮せしめるた
め︑予算制度の地方分権化が促進せしめられた︒この傾向は第三表の予算制度
ネップ期に現われた予算制度の特徴と最近のソビエト財政制度に現われてい
る傾向を比較すると︑いくつかの類似点が観察される︒すでに述べた如く︑分
権的企業財務組織︑銀行制度の役割の増加がそうであるし︑ここに示す地方分
権的予算制度もその例にもれない︒
いうまでもなく︑二0年代と今日とでは︑地方分権化を推進せしめる力が異
なっている︒あえて言えば︑前者は主として財政的・行政的必要によって生
10
企業︑銀行︑地方財政︑これらのものと国家予算との関係は︑
策によってさまざまに変化している︒換言すれば︑ソビエト政府は︑政策の基調として︑
権化を巧みに利用してきたといえる︒革命当初の分権化政策と戦時共産主義時代の集権化政策︑ネッ︒フ期の分権化
とそれに続く三0年代の分権化政策の進展︑第二次大戦時の集権化と五0年代後半よりの分権化政策︑
いずれも財政経済組織に影響を与えてきたのである︒国家予算制度についてみると︑
︵共和国予算と地方予算︶の占める割合は︑一九二六ーニ七年の四三・六形から︑二八ーニ九年の五ニ・七形︑三七
( 1 7 )
︵1 8 )
年の六五・六%と増加し、第二次大戦中の一九四一年には一九•四形まで低下したが、戦後再び地方予算の比重が
高まり︑とりわけ一九五六年以降に急速な地位の向上をみせている︒
(1 ) J am es H. e M is el an d E dw ar
d S•
Ko ze ra , Ma te ri al s fo
r t h e St ud y o f t h e S ov i e t Sy st em ,
19
53
, p
p.
1
27ー8.
(2 )I bi d"
p
.1
29
.
9
(3) K.H•H白orHHKOB.
Qq ep KH I1cr
op HH B m, n;
;K er a Co Be rc Ko ro fo c y ,n : a pc T B a,
19
54
,
c rp .
79‑81
(カ・エヌ・プロト
ニコフ﹃ソピエト財政史概説﹄︶︒
(4)
A. Ba yK ov , Th e De ve lo pm en t of h e t S o v ie t
E
8 0 ミ
om ic Sy st em .
"
19
50
,
pp
.
67
‑6
8.
(5 )
﹃レーニン全集﹄第三三巻︑邦訳三四三頁︒
(6 ) T i o , n : . p e , n : .
J l : . ,
A . A J IJ i a xB e p ,n : H Ha ,
< l
> H H aH C h I CC CP , c r p.
89 (デ・アラハヴェルジャン﹃ソ連邦の財政﹄︶︒
(7)フランクリン•D・ホルツマンは、この時期にソピエト政府が筒単な租税、とりわけ間接税を実施せざるをえなかった理
︑︑
︑︑
︑
由として次の点を指摘している︒第一に︑戦時共産主義時代に徴税機棉が壊滅したこと︒第二に︑国家の企業に課税するこ とはナンセンスだという意識があり︑私企業についても納税道徳が欠如していたこと︒第三に︑記帳︑会計の技術水準が低
かったこと。これらによって複雑な税制は理念的には可能だったが実行不可能であった(F•
D. Ho lz ma n, S o v ie t Taxation, 一九 二
0年代のソ連邦財政制度︵佐藤︶
これ
らが
︑ 全体の予算のうち地方予算
この地方分権化と中央集 ソビエト政府のそれぞれの発展段階にとられた政
取引税制度の形成過程
開西大學﹃舘済論集﹄第一四巻第四号
19
55
,
p.
10
7)︒
(8
)
Cf .
R .
W . D
av ie s, T he Develoj)ment o
f t he S o v ie t B ud ge ta ry Sy st em ,
19
58
,
p.
64
.
(9 )
﹁総じてこの時期の国家予算収入制度は︵利澗控除とか国債政策などを除いて︶︑形式的には革命前のロシア財政制度と 違っていなかった︒しかし原理の上では大きな相違があった︒というのは課税政策が単に国庫的な考慮だけでなく︑社会的
・政治的な目的をもって決定されていたからである﹂
( A.
Ba yK ov , o p . cit••
p.
94
) ︒
( 1 0 )
間接税の代りに︑現在の取引税の内容をもつ収入形態︑つまり一定の原価に対して予算収入となるべき加算額を加えて 価格を定め︑国営企業から徴収する方法が提案された︒これは一種の﹁財政独占収入﹂と見られていたが︑実施の段階まで
至らなかった
(C f.
R . W . Davies,
o p. cit••
p .
64
, fn.)
︒
( 1 1 )
K .
H .
I T
J I 0 TH HK OB , y Ka 3, CO'I••
CT p.
75 ,
76
.
( 1 2 )
R.W•
Da vi es , o p. cit••
p.
66
.
( 13 )
国立銀行は一九ニ︱年末に設立され︑翌年に銀行券の発行権が与えられたが︑一方では通貨改革を通じてインフ>ーツョ
︐ンの収束に大きな貢献をなすと共に︑他方では︑国民経済に対する金融面で︑国家予算より大きな役割を果していた︒国家
予算は均衡化を意図して経費の増加が抑えられていたからである︒
(C f.
A .
Ba yK ov , o p . c i t . ,
93)︒
(14)Ibud••
p .
1 1 6 .
( 1 5 )
R
.
W•
Da vi es , o p. cit••
p .
70
.
( 1 6 )
C f. I b i d. , pp
.
7 1 1 7 2 . .
( 1 7 )
K .
H .
I
1J IO TH HK OB , yKaa.
coq••
C Tp ,
263.
( 1 8 )
T aM }K e , C T p .
349.
新 経 済 政 策 の 基 本 目 的 は
︑ 国 民 経 済 の 生 産 力 の 復 興 と 社 会 主 義 の 経 済 的 基 盤 の 拡 充 に あ っ た が
︑ そ の 当 面 の 政 策
第4表 年
目標は︑貨幣経済の回復と︑そのためのループルの安定であった︒かかる目標は一九二四年から二五年にかけて︑
貨幣経済の拡大に伴って︑'貨幣税が定着し︑安定通貨による予算の確立によって財政政策の有効性が保障され︑
国民経済は二0年代後半になって急速に発展し︑大規模工業の生産高は︑
九二六年に戦前水準︵一九一三年︶に達した︒
( 1 )
らべると約五倍の増加を示したことになる︒また社会化経営部門も第四表にみ
られる如く︑次第に拡張し︑国民所得を基準とすると一九二四年の三五彩から
ニ八年の四四%へ︑工業総生産をとると一九二四年の七六形から二八年の八二
形へと増加した︒
かかる経済状態の変化は︑租税制度の上にさまざまな影響を与えた︒すでに
見た如く︑貨幣税の復活によって︑ソ連邦には多くの資本主義的租税が復活し
た︒これらは︑当時の経済組織の多様な性格と一致せしめられ︑複雑な租税制
度となって現われた︒
従って︑ネップ期の税制の多様性は︑負担公平をねらうことから出てきたも
一九 二
0年
代の
ソ連
邦財
政制
度︵
佐藤
︶
国 民 所
度得
工 業 総 生 産 農 業 総 生 産 小 売 商 業 取 引 高
社会化経営の比重
I
192435.0 76.3 1.5 47.3
1928 44.0 82.4 3.3 76.4
一 ⑳
l
1937 99.1 99.8 98.5
100. D
頃料) HapoaHoe Xoa碑CTBOCCCP B
1960, roay 1961, cTp. 83.
れ︑税制を一層複雑多岐にせしめた︒ さらに社会的差別化政策が︑ほとんどの租税に試みら 税制の複雑化 これをネップ開始のニ︱年にく さらに進んで財政計画の技術的前提が整備された︒
‑‑‑‑ .... ̲̲̲ ¥ ̲̲̲̲̲̲̲̲̲ ‑‑
ほぼ達成せしめられたように思われる︒