アダム・スミスの株式会社論
著者 榎並 洋介
雑誌名 星薬科大学一般教育論集
号 23
ページ 19‑57
発行年 2005
URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000228/
ア ダム・スミスの株式会社論
榎並 洋介
一 はじめに
ニ スミスの株式会社理論
︵一︶基本的視座
︵ 二︶制規会社論
︵三︶株式会社論
︵四︶株式会社の貿易独占権
︵五︶非排他的特権株式会社論
三 スミス株式会社論の意義
︵一︶﹃ 国富論﹄における株式会社論の位置
︵ 二︶独占会社批判
9 ︵三︶株式会社の組織形態批判1
20一 はじめに
アダム・スミスは﹃国富論﹄第三版へのはしがき︵一七八四年︶において︑﹁わたしはこの第三版でいくつかの増補をし
たのであって︑とりわけ戻税と奨励金に関する章を増補し︑また同様に重商主義体系についての結論と題する新し一章を
加 え︑さらに主権者の経費に関する章にも新しい一項を加えたのがそれである︒これらのすべての増補のなかで事物の現 ②状というのは︑つねに一七八三年中と本年︑つまり一七八四年のはじめの状態を意味しているのである﹂と述べている︒
アダム・スミスが一七八三年から一七八四年初頭の一年余りの期間を現状分析の対象にし︑それを﹃国富論﹄第三版の
増補として追加している主眼は何であろうか︒重商主義体制批判としてこの部分の時論性を色濃くだすことによって︑﹃国
富 論﹄のもつ重商主義政策の批判の書としての立場を強固なものにしていることは間違いない︒とくに︑彼は当時の東イ
ンド会社によるインド統治に関する問題を直視していた︒それは︑﹃国富論﹄第三版の﹁主権者または国家収入について﹂
と題する第五編の第一章第三節﹁公共事業と公共施設の経費について﹂の第一項︹二︺の﹁商業の特定部門を助成するた
めに必 要な公共事業および公共施設について﹂をまったく新たに付け加えたことからも判断できることなのである︒スミ
スはここにおいて大ブリテンの重商主義的独占と植民地支配との問題を鋭意分析し自説を展開していくのである︒
スミスは︑一七八二年﹈二月七日付けの手紙に次のように書いている︒﹃国富論﹄の新版を準備しているけれでも︑訂正
部 分や追加部分を書き上げ︑これを第三版に入れようとして︑﹁主として︑第二編の三︑四ケ所にかなりの追加を付け加え
た再版 をお送りできるでしょう︒追加の中に大英帝国の全通商会社の︑短いが︑心ひそかに完全と信じる歴史が入ってお ③ります﹂︒また︑﹁わが国の特許貿易会社の馬鹿らしさと有害さとについての短い歴史と全面的な説明﹂をストラハン宛の
ω 手 紙で明らかにしている︒
大ブリテンの議会で激論が闘わされていた植民地支配の問題と重商主義的独占会社とは︑スミスが手紙で明らかにして
いる大ブリテンの全通商会社の歴史とどのような糸で結びついているのであろうか︒また︑上記の手紙でスミスが自信を
もって説明したとしている大ブリテンの特許貿易会社はどのような特質をもつものとして認識されているのであろうか︒
い わゆるスミスの捉える会社と呼ばれる組織体がどのような機能をもつものとして認識され︑それが歴史的にみてどのよ
うな意義をもつことになるのであろうか︒これが本稿の展開する基本的視座である︒
註 ω スミスが使用している﹈○巨﹇°・86奔60日U§ぺなる訳語について︑我が国において﹁株式会社﹂と邦訳しているものは︑大内兵衛・
松川七郎訳︵昭和四一年・岩波書店︶と竹内謙二訳︵一九八一年・千倉圭旦房︶である︒﹁合本会社﹂と邦訳しているものには︑石川暎
作・嵯峨正作訳︵明治二一年・復刻版 雄松堂出版︶と大河内一男監訳︵一九七六年・中央公論社︶がある︒また水田洋監訳杉山忠
平訳は︑合資会社︵二〇〇一年・岩波書店︶と邦訳されている︒なお︑﹁アダム・スミスが﹃国富論﹄において述べている︺o﹂暮暮o鼻
8日℃①5が見まがうべからざる株式会社であるのである﹂という主張がある︵大塚久雄﹁株式会社発生史論﹂﹃大塚久雄著作集﹄第
ムぽ椎 一巻 岩波書店 一九六九年 所収 五〇九頁︶︒
会 本稿では株式会社の訳語は不当ではないと判断しこれを使用する︒以下︑本稿においては大河内一男監訳版を使用し︑﹁合本会社賦 ︵株式会社︶﹂として表記する︒また︑羅ではあるが︑﹁株式会社の歴史は︑英国の場A⁝イζ三ーク⁝パ・−をそ・
の 父祖とする﹂との論稿もある︒これについては︑鈴木芳徳﹁株式会社とジョイント・ストック・カンパニー﹂﹃商経論叢﹄︵神奈川大ジ 学︶ 第三八巻第一号 二〇〇二年 六三頁を参照︒
ス②﹄さS心ミ這軌ミOSO>ざミ鳶Q嵩亀○§ε㌻吻ミSきO§ミSミ﹀ざSへOボ助σぺ︾ユ③日乙Q日︷︷亘O臼ぴ司問゜寓゜O餌日UぴO拝﹀°Oり゜0り匠ロコO﹁否コO写゜
ム ロ゜↓O臼P<〇三ヨ︒ピΩ忠︒口OO口零①゜︒ψ︒︑○×♂﹃只一口﹃O°b°°︒°大内兵衛.松川七郎訳 岩波書店 昭和四四年 五九頁︒
ダ③↑慧ミ﹄亀QS句§へき亘司﹂o古白刃駕=o︒⑩O﹈乞﹇一古①昌日☆O巳已o江oロ..︵巨工oS﹈oゴコカ①o︑︒・ピ罵①o⌒﹀江①∋o力日=芦︑︑o臼σ町富OOσ
ア ︿日隅昌亀﹀已⑳口mε巴≦×6一言一鵠SPωΦN大内兵衛・大内節子訳﹃アダム・スミス伝﹄岩波書店 昭和四七年 四五五頁︒
1 剛 9000ミ⑩魯§心§ooミ﹄⇔Q§切§告亡o牛.●町甲O°ζoωωコo﹃①白牛ピo力゜勾o°︒°︒°O×合﹁戸一Φ﹃S⑰NOΦ゜また︑﹃国富論﹄増補のねらい2 については次のような洞察に充ちた分析がある︒﹁この増補全体がおもなねらいとしたのは︑﹃国富論﹄初版︵一七七六年︶以後︑ア
メリカ独立戦争の進展︑英仏二大植民地帝国の激突︑大ブリテン議会での植民地問題︑それとからみ合う独占会社問題討議︑そして
2 一七八二年の﹇経済改革﹈といった危機の深化を踏まえて︑重商主義的独占と植民地支配を︑危機と戦争の根因としていっそう厳し
く批判することにあった﹂︵田添京二﹃国富論﹄第五編第↓章第二節第一項︹二︺の﹁脚注﹂︶︒さらに︑﹁当時︑議会で激論が闘わさ
れていた︑東インド会社のインド統治問題に対するスミス一流の透徹した理解を示したものと考えられる﹂︵同﹁﹃国富論﹄各版の異
同について﹂大河内一男監訳﹃国富論﹄中央公論社 一九七六年 四四八頁 参照︶︒
ニ スミスの株式会社理論
︵一︶ 基本的視座
﹃国富論﹄第五編は主権者または国家収入論の展開箇所である︒その第一章は主権者または国家の経費が論じられ︑その
第三節には公共事 業と公共施設の経費論が第一項と第二項に分けて展開されている︒そのうち第一項はさらに︹一︺と
︹ 二︺に分けられ︑︹一︺は社会の商業を助成するたあの公共事業と公共施設について︑︹二︺は商業の特定部門を助成する
ために必要な公共事業および公共施設ついてそれぞれ論じられている︒
スミスが第一項︹二︺の﹁商業の特定部門を助成するために必要な公共事業および公共施設について﹂を論じるにあた
り︑商業の特定部門と言っているのは︑﹁野蛮未開の国民相手に営まれているような商業の特定部門﹂のことを指す︒アフ
リカの西海岸へ貿易に行ったり︑インドへ財貨を獲得するために商業活動をしたりする部門は︑特別の保護を必要とする︒
イングランドの東インド会社が墾塁を築くのは︑インドの政治は無秩序なために当該社員の生命財産を暴力から守るとい
うことを口実にして︑会社の財貨を保全するたあの権利を国家から手に入れ︑会社が墾塁を建設するための防御工事を施
すのである︒このように商業の特定部門を助成するためには︑特別の施設が必要であり︑これにはまた特別の追加的経費
がかか る︒とくに危険を伴うような特定の商業部門に対しては特別の保護を必要とするわけである︒そうでなければ商人
の
財 貨を保全できない︒
ただ︑外国人が塁塁を設け安全のために防衛する土地をもつことが許されない国においては︑大使や公使や領事を置い
て︑商業上の利害の調整をはかり︑自国民の保護をはかる︒この慣行はスミスによれば︑貿易が盛んになり︑商業がヨー ② ロッパ
諸 国民の大部分に広がり始めた十五世紀末か十六世紀初頭だという︒
国家にとってこのような特定部門を保護するためには特別の経費を必要とするわけであるが︑その場合の合理的な経費
支弁方法をどのように考えたらよいのであろうか︒スミスは一般的と特別なる用語を使用し次のように整理している︒一
般的な貿易を保護するための経費はそのような貿易に一般的に課税することが合理的であるという見地の下でいえば︑貿
易の特定部門を保護するためには一般的でない特別の形で課税してその経費を支弁するのが合理的である︒したがって︑
論 特定の商業部門を保護するためにかかる特別の経費は当該の特定部門に課税した穏当な税を充当し︑特定の部門に参入す社
会 れば穏 当な料金を支払わせてその経費にあて︑また︑特定部門の貿易には特別関税をかけ保護するのが合理的であると認式 ⑨嚇 識する︒
は
国家防 衛上︑一般の貿易を保護することは不可欠であるというのがスミス基本認識であ翻︒国家の行政権力はこのよう
ス
・ な一般の貿易を保護することを中心的な義務としてきたのであって︑一般の関税の徴収などはこの現れなのである︒貿易
ムげ の保護と関税の徴収は国家権力によって行つのが原則である︒したがって︑貿易の特定部門を保護することは貿易を一般
的に保護することの中に含まれることになるから︑この国家の行政権力は貿易の特定部門も一般部門もともに保護するこ
23 とを義務とすることになる︒特別の保護を目的として課税する特別の関税も国家の行政権力の行使に任すべきものである
24 といえる︒これがこの問題に対するスミスの基本的視座である︒
スミスはこのような基本的視座に立脚することによって︑特定の商事会社の分析を試みる︒﹁ヨーロッパの商業国の大部
分では︑商人たちの特定の会社が立法府を口説き落として︑主権者の義務のうちのこの部分の履行を︑これと分かちがた ぼく結びついているいっさいの権限とともに︑自分たちに委ねさせてしまった﹂︒このように商業が発達しだしたヨーロッパ
の国々においては︑主権者が本来的に具備している課税及び税の徴収義務及び輸出入における財貨への関税義務の権限 ⑥を︑商人たちの特定の会社に委任した︑と彼は批判的に分析するのである︒国家が本来的に所有している公的権限を私的
分野に委譲する︑特に特定の会社にその権限を委譲していることがここでの議論の出発点である︒特定の商事会社が関税
の管轄権などの特別権限を国家から手に入れ︑貿易を独占するようになった︒これら特定の会社は︑当初︑自己資本を使
用して市場を開拓するという成果があったが︑長期間経過してみると︑国家にとっては逆に厄介物になり︑挙げ句の果て
は他人を排除して貿易を独占しようとして無益な代物になってしまっている︒経済発展と資本蓄積の観点からいえば︑こ
のような重商主義政策は国家にとって経済合理性に欠けるというのがスミスの見方である︒
註
ω ﹄§きQミQSミoSoさ貢さ§亀○§切8ミミ恥きミSミ≧註§句9>9∋°り巨汗団庄けoO寸≦︷日き一茸﹁o合○自o戸昌o↑o°・
日隅oq日豊切已∋∋ぼぺ昌Oきo巳隅oqo日O①×σぺ国匹忌コO昌目①戸日苔o<o巨日o°・昏oの民合oO葺o白﹂Vo且o戸おOO﹂︼もふト︒ω゜頁
数に関しては︑特に断らない限りキャナン版のものを表記する︒以下︑綱︒巴日ohZ①⇔一〇コ゜・と略す︒大河内↓男監訳﹃国富論﹂一九
七六年 中央公論社版1〜m巻本を使用する︒訳m六七〜六八頁 参照︒
② 巨ユ﹂訳m六九頁参照︒
③
≦o巴夢oh2①己自゜・も﹄Nふ訳m六九〜七〇頁 参照︒
ω 一般の貿易を保護することが国家の防衛にとって不可欠であるという思想の発現形態は︑スミスが航海条例を支持したことで理解
できる︒航海条例は輸入品に対する高率関税やそれら輸入品の販売を規制する内容であり︑それは経済活動を阻害し︑国富の増進を
阻止する意味あいをもつものであるが︑それでもスミスが航海条例を支持するのは資本活動の安全性を政治的軍事的条件に委ねるの
が一国の富裕を結果的に実現すると考えたからである︒この点に関しては︑拙稿﹁アダム・スミスの防衛論﹂﹃星薬科大学一般教育論
集﹄第二〇輯︑二〇〇二年参看︒
⑤ ≦o巴日o﹃2①江8°・も゜ト︒N鼻゜訳m七〇頁︒
㈲
国家財政の任務の私的領域への肩代り論については︑鈴木芳徳﹁アダム・スミス株式会社論の意義﹂﹃商経論叢﹄︵神奈川大学︶第
十四巻第一号 一九七八年参照︒同﹃株式会社の経済学説﹄新評論 一九八三年所収 =二頁 参照︒
︵ 二︶ 制規会社論
スミスが商人たちの特定の会社といっているのはどのような会社なのであろうか︒その場合︑彼は二種類の会社を挙げ
ている︒︸つは制規会社器oq巳巴Φ亀8日官日であり︑二つには株式会社﹈巳葺゜・8爵⇔o目冨ロペである︒後者については︑
既に表題で注記したように本稿においては株式会社の名称を使用することとする︒ スミスによれば︑制規会社とは﹁会社
論 が合本制︵株式制︶では貿易をやらず︑適当な資格がある人ならだれでも︑一定の加入金を払い︑会社の規約に従うこと
社会 を約束するという条件のもとに入社させ︑各社員が自分の資本を自分の危険負担で貿易することを認めなければならない式株 仕組になっている場合﹂をいう︒また︑株式会社とは﹁会社が合本制︵株式制︶で貿易し︑各社員は︑この総資本に占め
淑 る各々の出資持分に比例して共同の損益にあずかる場合﹂をいう︒この場合︑スミスは︑両方の会社とも排他的特権をもっ
ス 惚
・ ている場合もあれば︑もたない場合もあるという︒ スミスは制規会社と株式会社とを具体例を挙げて分析していく︒制規
ムダ 会社はヨーロッパの国々に見られる普通の諸営業の同業組合夢08巷o毒吟δ白忠☆①色o︒・を大きくしたような独占体であ
ア る︒この同業組合の営業権を手に入れれば︑組合のできている業種の営業は可能である︒同様に︑制規会社が作っている
25 部 門の外国貿易を営むためには︑まずその会社の社員になれば合法的に活動ができる︒排他的特権をもって独占する会社
26 を問題にするスミスは︑独占の強弱がどのような要素によって決定するのかについて次のように指摘する︒﹁独占がきつい
かゆるいかは︑加入条件の難易︑その会社の取締役が握っている権限の大小︑言い換えれば︑かれらが会社の貿易の大部 ③
分 を︑自分たちと特定の友人たちとでひとり占めしてしまうようなぐあいに経営する力の大小︑によって決まる﹂︒
特に制規会社への加入条件に関していえば︑加入金を払わない場合または払うにしてもわずかな加入金で社員になれる
のは︑古い制規会社の社員のもとで長い年期を勤め上げた者にのみ社員の資格を与えたということである︒このような形
での社員の資格付与の仕方は取締役の権限の強さと︑したがって経営力の強さの現れとみなすことができる︒したがって︑
スミスは次のようにいうのである︒﹁法の取締りがないところではどこでも︑すべての制規会社につきものの同業組合精神
がはびこる︒だから︑制規会社がもち前の本性のまま行動することを許されていた時には︑競争者の数をできるだけ抑え
るために︑貿易をたくさんの厄介な規約のもとに置こうと努めるのがつねであった︒ところが︑そういうことをしないよ ㈲うに法律が取り締まると︑制規会社はおよそ無益で意味のないものになってしまった﹂︒制規会社の同業組合精神が種々の
規
約 を制定して競争を制限していくというのである︒
上 記の制規会社としてスミスが挙げているのは次の五社である︒ハンブルグ会社︑ロシア会社︑イーストランド会社︑
トルコ会社そしてアフリカ会社である︒スミスはこれら制規会社の特質を論じている︒
まず︑ハンブルグ会社とロシア会社及びイーストランド会社は共に完全に無益な会社であるという︒しかしながら︑例
え ば︑ハンブルグ会社は一六四三年の加入金は高額で圧制的だということで︑一六四三年︑一六四五年と一六六一年には
イングランド西部の毛織物業者と独立貿易業者が議会に苦情を申し立てて︑これらの会社が貿易を独占しようと他人を排
除し︑この国の製造業を圧迫する独占業者だと訴えた︒その成果が出て︑この時以来︑これらの会社に対する苦情は出て
いないという︒議会での条例を受け︑ロシア会社への加入金は引下げられ︑また︑イーストランド会社への加入金も引下
げられた︒かくして︑スミスによれば︑制規会社へ加入金を支払った入会者のみに交通と交易を独占する特許状を与える
働 ことは︑全く無益なことになってしまったのである︒
トルコ会社は圧制的な独占体である︑とスミスはいう︒﹁ロンドンの市民権のない者はだれも社員にしてもらえなった︒
⁝ロンドンに市民権をもつ者以外はひとり残らず排除されてしまった︒会社の船への積込みと出帆の日取りは︑まったく
取
締 役の意のままだから︑かれらが自分たちと特定の友人たちの財貨を満載してしまうのはたやすいことで︑そのあげく︑
他の人々のものは︑申込みが遅れたからなどと言って積んでやらなかった︒したがって︑こういう状態にあるかぎり︑こ
⑥ の会社は どこから見ても︑きびしい圧制的な独占体であった﹂と︒議会はこのような弊害を防止するために条例を制定し︑
上 記のような制限を緩和し︑輸出禁制品を除いて大ブリテンの財貨及びトルコの財貨の輸出入を自由にした︒
しかし︑スミスによれば︑トルコ貿易は議会の条例である程度まで開放されたけれども︑完全な自由にはほど遠いもの
だという︒もともとあらゆる制規会社の定款の大半が目的にしているのは︑﹁すでに社員になっている者を抑えるというよ
論 りも︑他の人が社員になろうとするのを邪魔することにある︒高い加入金をとるだけでなしに︑さまざまな工夫をめぐら
社蛤 すのは︑そのためである︒・﹂うした会社の不断のね・りいは︑つねに自社の利潤率をできるだけ引き上げ︑輸出する財貨も
昧 輸入する財貨も︑できるだけ市場で品薄にしておー﹂とである︒それには︑競争を聖ること︑つまり新しい投資家が︑
▽
その貿易に加わるのを妨げることが︑唯一可能の方法なわけであか﹂︒あらゆる制規会社の行動様式は︑新規参入を極力抑
ス
・ え︑競争状態を回避し︑供給独占を維持して市場での供給量を不足の状態にして︑利潤率を引き上げていくということで
ムダ ある︒この方法によって制規会社が高い利潤率を手中におさめるのである︒このやり方をより可能にしているのは︑制規
ア
会 社が大ブリテンの大使や領事の費用を負担しているからである︒すなわち︑﹁トルコ会社は︑大使一人と二︑三人の領事
27 を駐在させておくために金をだしているが︑こういうことは︑他の国使同様︑すべて国が面倒をみるべきもの﹂である︑
28 とスミスはい引︒このような私的負担を公共性の観点から公的負担にすべきであるという考え方は︑安価な政府との関連
で極あて重要な意義をもつ︒
制規会社は金を出して国使を駐在させることはあっても︑貿易相手国に金を出して墨塁や守備隊を置いたことは全然な
い︒その理由は︑制規会社の取締役は︑会社の貿易全体の繁栄に特別利害関心をもっていなく︑貿易全体が衰えると競争
者の数は減少して安く買い︑高く売れるようになり︑取締役自身の個人的な貿易を有利にするのに有益だから︑墨塁や守
備隊などを置いて貿易全体の繁栄にむすびつくようにはしないわけである︒もう一つの理由は︑﹁制規会社の取締役は︑共
同の資本を動かしているわけではないから︑加入金と会社の社員が営む貿易にかける組合税からあがる臨時収入以外は︑
その方面に使う資金をもたない︒だから︑塁塁や守備隊の維持に気をつかおうという利害関心には変わりがなくても︑そ ⑨
れを実行に移すとなると︑同じだけの能力をもつことはめったにない﹂のである︒ 09 制規会 社としてのアフリカ会社について︑スミスは次のように分析している︒一七五〇年に設立されたアフリカ貿易商
の 会社いわゆるアフリカ会社の条例には︑二つの別個の目的があった︒第一は︑制規会社の取締役は圧制的及び独占的精
神を抑えることであり︑第二には塁塁と守備隊維持のために注意を払うことを強制したことである︒会社の管理は九名か
ら成る委員会がおこなうのであるが︑この委員会の九人はすべて商人であり︑方々の俸塁や定住地の司令官や代理商も彼
等に依存していたから︑委員たちからの委託商品と委託業務には特別に注意を払ったことは推測できるので︑これが実質
的には独占になったのではないかという︒条例の第二の目的については︑議会が墨塁と守備隊の維持のために一定の金額
を会社に割り当てた︒議会はこの金額の使途について委員会に報告書の提出を義務づけた︒しかし︑委員会が作成した報
告 書の提出先である財務裁判所の下級の判事である書記官は︑塁塁や守備隊の経費について熟知していなかったし︑議会
もこの件に関しては金額が少額なために格別の注意を払わなかった︒
スミスは行論の中で︑領土の一部における墨塁や守備隊は国の経費で維持され︑行政権が直接管理しているが︑領土の
他の部分は国の経費で維持されているにもかかわらず︑違った管理の下に置かれなければならない理由が不鮮明であると
述べて次のようにいう︒﹁これら守備隊の維持と管理はトルコ会社ではなしに︑ずっと行政権にまかされてきたが︑これは
きわめて適切なやり方である︒行政権の誇りと威光は領土の広さに左右される割合が大きいものだから︑その領土の防衛
に必
要 なものについて注意を怠るなどということは︑まずありそうにない﹂︒みられるように︑スミスは墾塁や守備隊など
によって貿易の安全を保障する義務は︑国家にとっての防衛問題であるから︑その経費は国が支弁し︑その管理は行政権
が行うべき義務であると考え︑制規会社に委任すべきことではないと主張する︒スミスの思考する国家の在り方の基本が
うかがえるのである︒
註
ω コo日↑−ω↓o否ズoo日℃①日と株式会社とは︑全くその意味内容を異にした概念であった︒にもかかわらず︑両者の関係は何ら二者択一
ではなくして︑初期の﹈o日㌻↓o︒ズ8日O①員の大多数は先駆会社形態であり︑一六六二年以降のそれはまさしく株式会社であった︒
ムの椎 そして︑それらと﹃素面の﹄先駆会社および株式会社との差違といえば︑ただ前者が﹃カムパニー制﹄の外枠をもち︑これによって会 モディファイされていたのみであった︒ーここで︑宣暮あ8穿oo∋冨5と株式会社の史的関連のポイントが明白となる︒すなわち︑織 ・ギ・・においては・特殊な﹃・・パ〒制﹄を外廓とし三れを癒合して展開せられたA云社企業すなわち・喜・°・§8日§ぺ
の の発達の只 中から︑かかる外貌のうちにあって︑株式会社が発生したのである︒この点イギリスにおける株式会社発生史の基本的特浮 質の一つを形造っている﹂︵﹁株式会社発生史論﹂﹃大塚久雄著作集﹄ 第一巻 所収 岩波書店 一九六九年 二一三頁︶︒また︑舛谷
ス 謙二﹁﹃国富論﹄における合本会社論の構造﹂﹃東北学院大学論集﹄一二一号 一九九二年 参照︒
ム ② ≦雷一日92四︷日ロ゜・もPNぱ〜烏切 訳m七一頁参照︒ダ ③ 乞゜①︸日ぽZe白80PNNP訳m七一〜七二頁︒
ア ー ほ ﹇亘︷α
9 ㈲ 綱o巴註oSZ知巳8°︒も﹄NO°訳m七二〜七三頁 参照︒2 ㈲ 司︒巴夢9Z①ゴo自も゜ト︒Nべ訳m七四頁︒
m 綱o巴書o︹Z讐δ5PNト︒°︒°訳m七五頁︒む3 ⑧ 綱8一日o︹Z巴﹂8°・も゜Nト︒︒︒°訳m七六頁︒
⑨ 芝︒巴仔o︷Z巴δ口ωもNb︒◎︒〜Nト︒°︒ピ訳m七六〜七七頁︒
㈹ 乏o巴庄o﹃Z巴﹂05もPト︒N⑩〜Nω一゜訳m七七〜八〇頁 参照︒
肋 ≦o巴日o︹2①↑一〇コψ・も﹄ω吉訳m八一頁︒株式会社法との関連でスミスの株式会社論が国王の特許状または議会の特別立法に基づ
く国策会社であることについては注意すべきである︒この点については岡田与好﹃経済的自由主義﹄ 東京大学出版会 一九八八年
一一四〜一二二頁 参照︒
︵ 三︶ 株式会社論
スミスは以上の五つの制規会社を紹介しながら批判し︑次にこれらの制規会社とは異なる株式会社について論じ︑それ
と合名会社との違いについて批判的に分析している︒ まず︑合名会社と株式会社との相違についてスミスは次のように
言 う︒﹁合本会社︵株式会社ご9日Φ80民oO日召巳oωは︑国王の特許状によるか︑または議会の条例によるかして設立さ
れるが︑いずれにしても︑いくつかの点で制規会社と違うばかりでなく︑合名会社買写巴oo8曽ヨΦ﹃︷Φωとも違ってい
る﹂︒そして︑株式会社と合名会社の特質について次のように説明する︒
﹁第一に︑合名会社だと︑どの社員も会社の承認なしには︑自分の持分を他人に譲渡すること︑つまり会社に新しい社員
を加入させることができない︒その代わり︑各社員は適当な予告をしたうえなら︑退社して︑共同資本のうち自分の持分
を払い戻すよう会社に請求できる︒
合本会社︵株式会社︶だと︑どの社員も︑自分の持分の払戻しを会社に請求できない︒その代わり各社員は︑会社の承
認 なしで︑自分の持分を他人に譲渡し︑それによって新しい社員を加入させることができる︒合本会社︵株式会社︶の持
分の価値は︑つねに︑それが市場で売られるであろう価格である︒だからこの価格は︑持分の所有者が︑会社の共同資本
に
対 してもっている債権としての払込金額よりも︑なにほどか多かったり︑少なかったりする︒
第二には︑合名会社だと︑各社員は︑会社が契約した債務にたいして︑自分の財産の全額までの義務を負う︒これに対 ② して合本会社︵株式会社︶だと︑各社員は︑自分の持分を限度とする義務を負うだけである﹂︒
ここには株式会社の特徴が明確に規定してある︒それは︑第一に持株の転売が可能であり︑譲渡を受けた者は当然その
会社の社員になる︒しかもその持分の価値は株式市場における株価によって決まるものであるから︑持分の所有者の払込
金 額は上下するものである︒第二には合名会社の社員は会社が契約した債務に対して自分の財産の全額まで義務を負う無
限社員であるのに対して︑株式会社の社員は持株に応じ利益配分を受け︑会社が契約した債務に対しては持分を限度とし
て
義 務を負う有限社員である︒
以 上の二つの規定に加えて︑株式会社の第三番目の特徴であるとスミスは断っていないが︑彼は所有者と異なる取締役
論 の会社運営について極めて重要な分析を行っている︒長文であるが労をいとわずに引用してみよう︒すなわち﹁合本会社
社桧 ︵株式
会 社︶の事業は︑つねに取締役会によ.て運営される︒確かに取締役会は︑多くの点で株主総会の統制を受ける.︑と
昧 がよくあるけれども︑株主の大部分は︑会社の業務について︑あえてなにごとかを知ろうなどと張り切ることはめ・たに
ジ ない︒たまたま株主の間に派閥的な風潮でもひろがっていないかぎり︑会社の業務に頭を突込んで心を労したりせず︑取
ス・ 締役がこのくらい渡すのが適当だと考える半期分もしくは一年分の配当をもらうことに甘んじている︒このように︑苦労
ムダ も︑一定額以上の危険負担も完全に免れるたあに︑合名会社であったなら︑どんな事情があろうとその財産を賭ける気に
ア ならないおおぜいの人々も︑合本会社︵株式会社︶の投資家にならなってもよい︑という気を起こすのである︒そこで通
31 例︑合本会社︵株式会社︶には︑どんな合名会社が誇るよりも︑はるかに巨大な資本が集まってくる︒南海会社の営業資
32 本は一時三三八〇万ポンドを超えたことがあった︒イングランド銀行の配当付資本は現在一〇七八万ポンドに達してい
る︒ところが︑こういう会社の取締役は︑自分の金というよりも︑むしろ他人の金の管理人であるわけだから︑合名会社
の社 員が︑自分自身の金を見張る時にしばしば見せるものと同じ鵜の目鷹の目でひとの金を見張るとは︑とても期待でき
ない︒金満家の執事よろしく︑些事に注意を払うと︑かえって御主人の沽券にかかわるなどと考えがちで︑いともあっさ
りと自分で自分の注意義務を免除してしまう︒だから︑こういう会社の業務運営には︑多かれ少なかれ怠慢と浪費がつね
にはびこること必定である︒外国貿易を営む合本会社︵株式会社︶が︑個人の投機家との競争にほとんど耐えてゆけなかっ
たのは︑まさにこのためである︒したがって︑こういう会社は︑排他的特権なしでは︑ほとんど成功したためしがなく︑
特 権をもっていてさえ成功しなかったこともしばしばあった︒排他的特権がなければ︑たいてい貿易をしくじっている︒ ③排他的特権をもてば︑貿易をしくじったうえ︑貿易を独占しようと他人を排除した﹂︒
株式会社は取締役会が運営し︑その取締役会は株主総会が統制するが︑株主は会社の業務については頭を突っ込んで会
社とともに苦労するなぞということはめったにない︒では何故に合名会社に比べて株式会社に巨大な資金が集まるのであ
ろうか︒それは株主の特性︑つまり株主は株式会社の運営上の苦労を免除され︑危険も持株の範囲内で負担するという有
限責任 なので︑会社の危険負担からは完全に免除されることから︑株主にとってはもっぱら自分の払込金額に対する配当
金額だ けが最大の関心事になり︑自分の財産を賭けるほどの投資をするからである︒こうして集まった金の管理は取締役
が行 うが︑それは他人の金の管理人でもあるわけである︒払込資本の効率的な運用は株式会社の利益に影響し︑それは投
資家への配当を左右することになるから︑ここに資本の所有とその管理運営という分離した機能をはじめて原初的な形態 ④でスミスは提起したことになる︒
しかしながら︑ここでスミスは株式会社の取締役を手厳しく批判しているのである︒すなわち︑株式会社の取締役は自
分の金というよりも他人の金の管理人という意識が強いために簡単に注意義務を怠る︒そのたあに会社の業務運営には常
に怠 慢と浪費がはびこると断言する︒競争しながら外国貿易を営む場合︑個人の投機家と比べて負けるのは︑このためで
ある︒なぜならば︑個人の投機家は会社に対して無限の責任を負うから自分自身の金について些事にわたって怠慢や浪費
は許されないからであるという︒したがって︑こういう株式会社は競争しても成功しないから︑排他的特権を獲得するこ
とによって他人を排除し貿易を独占しようとしたのである︒
このように株式会社の三つの特質を分析基軸にして︑スミスは︑次に王立アフリカ会社︑ハドソン湾会社︑南海会社︑
東インド貿易合同商事会社の四社を分析していく︒このうち︑王立アフリカ会社とハドソン湾会社両社の法的権利に関し
ては特許状に基づく排他的特権をもっていたが︑それは議会の条例によって確認されたものでなかったので︑一六八八年
の名誉革命後に国民すべてに開放された︒また︑南海会社と東インド貿易合同商事会社は︑議会の条例で確認された特許
状にもとつく排他的特権をもっていた︒
論 まず︑王立アフリカ会社について言えば︑一六九八年には個人の投資家たちが営む貿易に一割の重税を課し︑会社はこ
社蛤 れ 蚕塁や守備隊の維持に充用していた︒毛三年には会社の負債が多額にな︒たので︑残りの債覆を拘束する条例
嫌 が制定された︒一七三〇年には︑会社の業務は乱脈をきわめ︑墨塁や守備隊を維持することが不可能になった︒以後︑こ
ジ の会社が解散するまで議会は国家経費でもって墾塁や守備隊を維持するための財政援助をした︒会社が議会の条例によっ
ス
・ て解 散させられて︑同社の墾塁と守備隊は制規会社たるアフリカ会社のものとすることになったのは︑王立アフリカ会社
ムダ が破産会社になってからである︒すなわち︑一七三二年には長年の損失のために西インド諸島へ黒人を運ぶ貿易を断念し︑
ア ﹁会社がアフリカ海岸で買い込んだ黒人を︑アメリカ貿易を営む個人の貿易商に売って︑会社の使用人は︑アフリカ内陸部
33 で砂 金︑象牙︑染料等を買い付けるための貿易に振り向けることを決めた︒しかし︑このように貿易の間口をせばめてみ
ても︑従来の手広い貿易よりうまくいったわけではなかった︒会社の業務は次第に先細りになってゆき︑ついに最後には︑
4 ー
りり ら どこから見ても破産会社になってしまった﹂︒これが王立アフリカ会社が破産会社になった経緯である︒一七三〇年から王
立アフリカ会社が破産するまでの間︑国家経費による径塁と守備隊への財政援助が続いたことは注意すべきことである︒
次に︑ハドソン湾会社については︑墾塁に要する国家の必要経費は王立アフリカ会社に比べはるかに少なかった︒この
会社は排他的特権の権利をもたない会社であるが︑実質的に個人の投機家がこの会社と競争を企てようとしなかったの
は︑定住地や居留地の総人数が少なく︑この方面の海域が結氷するために︑船荷を長期間留あるための墾塁建設が不可能
だからである︒短期間に準備の整った船荷があるという利点は︑個人の投機家では入手不可能なことなのである︒また︑
この地域の貿易と剰余生産物の総量が少ないためにこの会社と競争しようとする個人の投機家はいなく︑排他的貿易の権
利をもたなくても︑結果的にこの地域の貿易を独占することができたのである︒
しかもこの会社の資本はごく少人数の株主が所有しているので︑合名会社のような性格に近いものがある︒スミスはそ
の特徴を次のようにいう︒﹁この会社のたいした額でもない資本は︑ごく少人数の株主が分け持ってる︑といわれる︒とこ
ろが︑少数の株主から成っていて︑あまり資本も多くない合本会社︵株式会社︶は︑合名会社の性格にごく近いものにな
るから︑ほとんど同程度の警戒心と注意を払うことも可能である︒それゆえ︑こんなにさまざまな利点の結果として︑た
㈲ とえハドソン湾会社が︑最近の戦争以前には︑その貿易でかなりの成功を収めえたとしても︑これは驚くに当たらない﹂
と︒このようにスミスは資本の所有と管理とが一体になる組織体として小規模の株式会社を賞賛し︑そこに怠惰や浪費の ない理想的に機能する組織をハドソン湾会社にみているのである︒
三つ目の株式会社である南海会社は︑墨塁や守備隊をもたなかったから︑他の貿易を営む株式会社が負っていた一大経
費を免除されていた︒しかしながら︑この会社は莫大な数の株主に分割された莫大な資本を擁していたから︑会社の業務
運 営の全般にわたって愚行と怠慢と浪費とがはびこっていた︑とスミスは次のようにいう︒﹁同社の株商売にかかわる企画
のいんちきと出鱈目は周知のところであるし︑その説明は当面の主題とはかかわりがあるまい︒同社の商業面での企画も︑ m それと似たり寄ったりの処理をされたのである﹂︒
このようにスミスは南海会社を批判的に説明することによって︑個人の投機家と自由で公平な競争をする場合でも︑株
式会社があらゆる外国貿易の部門に損失を生まずにやれるわけがないと厳しく分析する︒特に︑一七三一年のロイヤル・
キャロライン号の航海や一七二四年の同社による八回にわたるグリーランドへの捕鯨航海の例を挙げて︑損失の原因は南
海会社の代理商や代理人の浪費と横領が主たる要因であることを強調している︒さらに南海会社の怠慢︑浪費︑汚職が損
失の主因であることについて次のようにいう︒﹁注意すべきことは︑南海会社が年々の定期船で営んだ貿易は︑かなり利潤
をあてこんだ同社唯一の貿易だったが︑これには国外市場でも国内市場でも︑競争者がいないわけではなかった点である︒
カルタヘナ︑ボルト・ベロそれにロ・ベラクルスでは︑同社の船の往路の積荷と同種のヨーロッパ産財貨をカデイスから
論 これらの市場へ運ぶ︑スペイン商人の競争に遭遇しないわけにいかなかった︒またイングランドでは︑帰路の積荷を同種
社絵 の 三イン領西イ︒ド産財貨を︑カデイ・から輸入してくるイ︒Zフンド商人の競争にあわざるをえなかった︒もっとも︑
昧 ・ペイ・商人とイ・グランド商人の財貨には︑ともに同社よりもっと高い関税がおそらくかかっていたろう︒だがしかし︑
ジ この会社の使用人の怠慢︑浪費︑汚職から生ずる損失は︑思うにこれらすべての関税よりもはるかに重い税であった︒個
ス
・ 人の 投機家がなんらかの形で自由公平な競争を挑みうる場合でも︑合本会社︵株式会社︶が外国貿易のどの部門にせよ︑
ムダ うまくやれるなどということは︑およそ経験に反するように思われる﹂︒さらに南海会社が貿易会社でなくなってしまった
ア のは︑営業資本を年金資本︵11利子つき資本︶に切り替えたからである︒すなわち︑一七二二年にこの会社の資本金三三
35 八〇 万ポンド以上は政府に貸与していたが︑半分の一六九〇万ポンド以上は政府のほかの年金︵11利子つき資本︶として
36 手をつけないことにし︑残りは営業資本として取締役が会社の商業面の企画遂行や債務の契約や損失のために取崩すこと
がで きるように議会に請願し承認された︒一七三三年には同じように営業資本の四分の三を年金資本に切り換えた︒四分
の一 を営業資本に残したのは︑スミスによれば︑会社の取締役のまずい経営から生ずる危険にさらされる部分を小さくし
たいという理由からであった︒しかし︑四分の一の営業資本は貿易をするには小額すぎ︑事実上︑南海会社は貿易会社で ⑧はなくなってしまったのである︒
スミスが南海会社の取締役たちの株商売に関わる企画はいんちきで出鱈目であると言っているのは次のことを指してい
る︒すなわち︑南海会社は一七=年に公的信用を再建する目的で︑時のハーレ︵匡碧一︒巴大蔵大臣によって設立されたも
ので︑国家財政と密接な関連をもっていた︒一七二〇年の南海会社の計画案は︑公債所有者の保有する公債を南海会社株
式の時価で転換し︑転換した公債を資本金に組入れるというものであった︒転換比率が南海会社株式の時価に対応すると
したため︑南海会社は自社を有利にするために株価の引上げを画策した︒貨幣所有者は株価の値上げを見越し︑競って南
海会 社の株式を購入しようと殺到した︒連日にわって南海会社の株価は上昇をつづけた︒これが国中に広がり︑いわゆる
泡沫会 社株式の購入へ波及して一大投機ブームを引き起こしたのである︒これを防止するための条例がいわゆる﹁泡沫会 ⑨社 禁止条例﹂である︒スミスはこの条例を念頭において︑これら一連の問題を分析しているのである︒
最 後に︑株式会社としての東インド貿易合同商事会社については︑スミスが集中的に分析批判している部分であるので︑
極めて重要である︒一六〇〇年設立のイングランドの旧東インド会社は︑最初︑使用した船だけは会社の丑ハ用船だったが︑
資本は各個ばらばらで︑同社は一個の制規会社として貿易をしていた︒一六一二年にはこれらの資本を合同して株式会社
にした︒同社の特許状は議会の条例によって確認されていなかったけれども︑その当時には︑実質的な排他的特権を得た
ものだと考えられていたので︑もぐり商人に邪魔されずに商売ができた︒資本も一株の株価も法外な額ではなく取引額も
比 較 的小規模な会社であったので︑怠慢や浪費に口実を与えたり︑ひどい汚職に隠れみのを与えてしまうことはなかった︒
会社は長年にわたる貿易を営んで成功してきた︒しかし︑次第に自由に商売をするもぐりの商人が増え︑競争が激しくな
り会社は著しく苦境に陥った︒そこで一六九八年に排他的特権をもつ新東インド会社が設立された︒旧東インド会社は一
〇〇
七 〇一年まで貿易を続行する権利を保有していた︒その後︑両社は合同した︒
一七〇八年には議会の条例によって東インド貿易合同商事会社ができた︒それ以来︑同社は競争者を排除し︑東インド
へのイングランドの貿易を完全に独占し︑その利潤から株主に年々配当を行った︒一七四一年に始まった対フランス戦争
において︑同社の使用人には戦争と征服の精神がとりつき︑一七五五年には東インド会社の軍隊はマドラスを防衛︑マド
ラスの南部にあるポンデイシェリを占領し︑カルカッタを奪還することによって豊かで広大な領土を手に入れた︒﹁一七六
七年︑政府は︑同社が手に入れた領土と︑そこからあがる収入は︑本来国王に属するものだとして︑その所有権を主張し
た︒そこで同社は︑この要求に対する埋合せとして毎年四〇万ポンドを政府に納めることに同意した﹂︒ しかし︑同社は
論 多額の負債を抱えていたが︑資本に対する配当率を上げ株主への年々の支払額を増やしていた︒それでも総収入が多額な
社絵 ために負債は減少していくはずであった︒と・しろが三七七三年には︑負債は減るど﹂うか︑国庫に対する四〇万ポ︒︐
昧 の支払の滞納︑もう一つ︑税関にたいする未払関税の滞納︑︵イ・グランド︶銀行から借りた巨額の債務︑そしてイ・ドか
は ら同社あてに振り出され︑うかつに引き受けた一二〇万ポンドを超える為替手形による四番目の債務のため︑負債はか
ス
・ えってふえてしまった﹂︒苦境に陥った同社は配当率を下げ︑政府に約定してあった四〇万ポンドの支払を免除してもら
ムダ い︑さらに破産救済のため一四〇万ポンドの貸付を政府に哀願したのだった︒しかし︑これは同社の使用人には大きな浪
ア ー
費の口実と大きな汚職の隠れ家をつくってやるだけの役目しかない︑とスミスは論断するのである︒
37 その後︑同社の管理機構が変更になり︑この会社の﹁二四名の取締役は︑これまで毎年改選されていたが︑いまや各取
38 締役は︑今後は四年を任期とし選出さるべきこと︑ただし︑そのうちの六名ずつは毎年輪番制で退職してゆき︑つぎの年
度の六名の新取締役の選挙の時には再選されることができない︑ということが条例で決められもした﹂︒﹁しかしながら︑
どんな変更をしてみたところで︑こうした総会や取締役会が一大帝国を統治するのはおろか︑せめて統治に参与するのに
適したものになることさえ︑どう見ても不可能だとおもわれる︒なぜなら︑総会や取締役構成員の大部分は︑どんな場合
でも︑この帝国の議会には︑ほとんど無関心たらざるをえないのだから︑その繁栄を促すような事柄に真剣に注意を払う
はずがないのである﹂︒さらに続けて︑﹁これら商事会社の株主の大多数は︑抗しがたい社会的な原因から︑自分の臣民の
幸福と悲惨︑自分の領土の改良と荒廃︑自分の行政の栄光と汚辱について完全に無関心であり︑また︑必然的に無関心た 02らざるをいないのであって︑ここまで無関心な主権者は︑いまだかって他にいなかった﹂とスミスは厳しく批判する︒大
ブリテンの繁栄とその統治を株式会社の取締役や株主に委託することは︑かれらの無関心さを考えると不可能なことであ
る︒私的領域における関心は必ずしも公的領域における関心には結びつかず︑むしろ私的な利害関心のみにとどまってし
まう傾向がある︒会社関係者の関心が公共的な領域にまで拡散しない︒このような特質をもつ東インド会社に対するスミ
スの
姿 勢は︑この引用文でよく読み取れるのである︒
一七七三年の規制においても同社のインド統治における乱脈ぶりは終わらず︑インドでも最も豊かなベンガル地方の領
地 を拡張してカルカッタの金庫に正貨を溜込んだのに︑それは全て浪費され台なしにされてしまった︑とスミスは嘆く︒
そ して︑このような結果︑一七八四年の現在︑この会社は未曾有の危機に瀕していて︑政府に援助を哀願しているわけで
ある︒とくにこの前年には東インド会社問題が議会で論争の頂点に達し︑八四年には小ピットのインド法案が議会を通り︑
連立 内閣の崩壊を招いたのだった︒会社の事業経営の改善案はさまざまな党派から提出されていたが︑一致していたのは
同社が領有地を統治するのは不適当であるということであった︒株式会社がインドの領有地を統治するということは︑会