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大妻女子大学蔵『後撰和歌集』の研究

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(1)

大妻女子大学蔵『後撰和歌集』の研究

著者名(日) 渡邉 由紀

雑誌名 大妻国文

29

ページ 25‑45

発行年 1998‑03

URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001423/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

犬妻女子大学蔵

の研究

はじめに

藤原清軸の﹃袋草紙﹄に︑﹁此集未定止云々何本無四度計﹂と評されて以降︑﹃後撰和歌集﹄は未定稿説が唱えられてい

る︒これについて村瀬敏夫氏は﹁内裏火災による奏覧本の焼失の可能性﹂について説かれておられるが︵﹁後撰集選述考﹂

﹃文学・語学﹄二号︑昭和三十一年十二月︶︑少なくとも現存する﹃後撰和歌集﹄は︑すべて草稿本の類から分派してい

︑ったという説が有力である︒事実︑﹃後撰和歌集﹄の伝本は︑現在確認されているものだけでも百本は越えており︑諸本

の系統の差異も著しい︒伝本研究としては︑次にあげるようなものがある︒

①﹃後撰和歌集の研究と資料﹄岸上慎二著新生社昭和四一年

②﹃後撰和歌集研究史﹄田島敏堂編著東海学園国文叢書東海学園女子短期大学国語国文学会昭和四五年

③﹃後撰和歌集諸本の研究﹄杉谷寿郎著笠間書院昭和四六年

④︐﹃後撰和歌集研究﹄杉谷寿郎著笠間叢書笠間書院平成三年

本稿は︑右の研究を参考にさせていただきながら︑大妻女子大学所蔵﹃後撰和歌集﹄を紹介することを目的とする︒

(3)

一︑大妻本の書誌的事項

大妻女子大学所蔵﹃後撰和歌集﹄︿以下大妻本と略称する﹀は︑側面に桜の花をかたどった引き具がついた漆塗り箱入

りで︑引き具の右横に金粉溜で﹁後撰﹂と描かれている︒

該本は列帖装二冊本で︑上巻は縦十二・三センチメートル︑横十二・二センチメートル︒下巻は縦十二センチメI

ル︑横十一・七センチメートル︒表紙は藍色の厚手の椿紙の原装で︑下巻の表紙の左肩には︑﹁後撰和歌集下﹂と書かれ

た縦八・五センチメートル︑横一・九センチメートルの題築が残っている︒本文料紙も厚手の楠紙で︑上巻は表紙・裏表

一丁ずつ遊紙のほか︑墨付八十八丁から成る︒下巻は表紙・裏表紙︑一二丁ずつの遊紙のほか︑墨付二一七丁から成

上巻の第一丁裏より﹁後撰和歌集巻第ごとして本文が始まる︒上巻の本文は第八十八丁裏の三行自で終わり︑巻第十 る ︒

までの六九一首を収め︑第八十八丁裏に一一種の蔵書印が捺されている︒下巻は第二丁裏より﹁後撰和歌集巻第十一﹂の本

文が始まり︑第一二三丁裏の一行目で終わり︑七二二首を収めている︒︵よって総歌数は一四一一一一首︒︶上下巻とも一面十

行で︑一行はほぼ二十七字︒一首一行書きを基本としている︒

下巻第一二四丁裏から第一二七丁裏まで︑以下の奥書が記されている︒

①天暦五年十月晦日於昭陽舎撰

之為蔵人左近少将藤原伊予

(4)

能宣河内橡清原元輔学生

源順近江橡紀時文御書所

預坂上望域等也謂之梨

査五人② 

御筆宣旨奉行文順

右親衛藤亜相者嘗世之賢土

犬夫也雄銀在腰抜則秋霜三尺

雌黄白ロ吟亦寒玉一聾逮子蹟彼仙股縞街此神筆

之論命天下弥知忠鰻不朽

艶情相兼之臣昔難柿本

大夫振英声於高葉花山

僧正馳高輿於行雲而亦停

述 人 見 間

今 之思 虚

古 詞

2

} W

哉 聖 子 上時 之

天 真

草 歳

将 次壷ご辛

期 玄之;亥

也 英

大妻女子大学蔵﹃後撰和歌集﹄の研究

(5)

③天福二年三月二日刊重以家本

終書功

子時預齢七十三眼昏手搭寧成字哉

桑門明静

④さくさめのとし或抄云万葉按察大納言

筆真名二丁年ト被害於此本者

全不異按仮名七字ナリ此集謙徳公

蔵一人少将之時奉行之也見子此文万

寿按祭大納言筆定為詮本殿

とを山すりのかり衣

作者宮少将此本又如此おほっふね又如此

はちすはのうへはつれなきあまのまてかた

如家説北野行幸みこしをか

商事如此

おほんこしをかと被書

⑤ 

陽成院のみかとのおほんみうた

っくはねの峯よりおっるみたの洞恋そつもりで測と成ける

(6)

はるすむのよしなはのあそむのむずめ

さかのへのこれのり

天福二年四月六日校之

⑥題しらす式み人しらす古今如此

題しらすよみ人しらす後撰拾遺抄如此

亡父命云此説不定事也被書写院

之本皆如古今被見此木具而

古今如此事只後人之所称歎

⑦或先達説云此集作者名等頗狼

籍故者公卿三位以上多書姓名

朝臣許又女奇書多如童名物

枇杷大臣奇書業平朝臣名此等之類

後人成多不審或以令案推而云

改此事不可然只此集之習由不可

改直欺上古事暗難決只可用

旧本之説欺

大妻女子大学蔵﹃後撰和歌集﹄の研究

(7)

@ 

延慶三年四月十四日以家之誼

本書寓校之

順徳院御筆諌議大夫中郎将藤

墨中納言入道

@ 

大坂品天

能 減 磨

ι

重車年

完結十

f費 於 口

之梨

⑩子時不省老眼旗齢七十六覚阿書之

永正十一年五月六日

︿ 大 妻 本 の 蔵 書 印

下巻一二八丁表にも︑上巻と同一の蔵書印が捺されている︒上段の蔵 書印は﹁月明荘﹂︑下段の蔵書印は﹁拝土蔵書﹂と読め︑

かつてこの大 妻本が︑反町茂雄氏の古書皐﹁弘文荘﹂を経て︑

日本古典籍の収集家で

あった米国人弁護士︑ドナルド・F・ハイド氏が所蔵していたことが窺

(8)

二︑筆者覚阿について

永正十一年五月六日

とあるように︑大妻本は︑永正十一年三五一四年︶に覚阿なる人物によって書写されたことがわかる︒﹁覚阿﹂の法名

L‑

を持つ者は複数存在するが︑久保木哲夫氏にご教示いただいた﹃思文閣筆蹟短冊目録﹄の創刊号・二四号︑旧伏見宮旧

蔵﹃短冊手鑑﹄ハ日本古典文学影印叢刊日﹀に掲載されている﹁覚阿﹂という人物の和歌短冊の筆跡︵資料

ab

c﹀と大

aの短冊は別人の手によるものであることは明らかであるが︑bcの短冊の筆使いは

似た点もあり︑別人とは言い兼ねる︒bcの短冊の﹁覚阿﹂は﹁極楽寺上人︒詠歌は﹃筑波集﹄﹃新撰筑波集﹄に載録

されている︒﹂と解説されており︑﹃筑波集﹄﹃新撰筑波集﹄歌人﹁覚阿﹂ならば︑連歌師で︑堺全光寺の僧であったこと

がわかっている︒また︑宗長が詠じた﹁覚阿追悼名号連歌﹂の蹴文にも︑

左衛門尉藤原盛綱大永八年四月八日逝去︒法名覚阿︒年来之懇志のため︒此百句をつらね侍るものならし︒

とあり︑大妻本の覚阿と同一人物と考えるならば︑大永八年三五二六年︶に九十歳で没したことになり︑年代も合致す

る︒米原正義氏の﹃戦国武士と文芸の研究﹄︵桜楓社︶によると︑越後の浄土寺にも︑﹁覚阿﹂という僧が確認できるが︑

こちらは永禄十二年三五六九年﹀と文永三年︵一五九四年︶に生存の記録があり︑永正十一年三五一四年﹀に七十六歳で

(9)

一 一 一 大

1

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6

(10)

創刊号

討 会

じ よ ~. ~

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︑伝本分類の目安

﹃後撰和歌集﹄の現存諸本は︑次の四系統に大別されている︒

一︑汎清輔本系統

二︑古本系統

(11)

四︑定家本系統

この四系統の中でも︑それぞれ細かく分類されているが︑大妻木は﹁四︑定家本系統﹂の奥書︵奥書③l@︶を有してい

るので︑定家本系統に属すると考えられる︒﹁定家本﹂とは︑定家の手を経ている伝本を指し︑校訂書写の順に︑次のよ

うに展開したことが明らかにされている︒

無年号本

A

B

年号本

−承久三年五月二十一日本

・貞応元年七月十三日本

−貞応元年九月三日本

−貞応二年九月二日本

−寛喜元年四月一日本

−天福二年三月二日本

−嘉禎二年十一月二十九日本

大妻本の奥書は︑③から⑥までが年号本の天福本の奥書と同一であり︑⑦は無年号本B類特有の奥書である︒③は年号本

の貞応二年本に属する一伝本である厳島神社野坂元定宮司所蔵の伝尭憲筆本が持つ奥書と一致している︒また︑巻八・冬

の山番歌﹁神無月時雨はかりは降らすしてゆきかてにさへなとかなるらむ﹂の一首が大妻本にはなく︑これは貞応本や天

福本を含む定家の年号本の特徴でもある︒奥書・山番歌の有無を見た段階では︑大妻本は定家本系統に属する一伝本と考

(12)

伝本の系統を特定するにあたり︑本文の校異を見てみたい︒最も多く流布している﹃後撰和歌集﹄は︑定家本系統のう

ちの天福二年三月本である︒この定家筆天福二年三月本そのものは︑冷泉家時雨亭文庫に今も秘蔵されており︑披見は許

されていない︒しかし︑この定家筆本を忠実に書写した伝本として︑江戸初期の透写本である高松宮家本と日本大学総合

図書館蔵の定家孫冷泉為相筆本とがある︒今回は︑﹁最も流布している﹂という点に着目し︑﹃新編国歌大観﹄の底本であ

る後者の日本大学総合図書館蔵の定家孫為相筆ハ以下為相本とする﹀との比較を試みた︒更に︑冒頭にあげた文献④の中

で︑杉谷氏が行った定家本系統に属する年号本のうちの王伝本︑

と大妻本との本文異同を比較することで︑大妻木と他の定家本系統の親疎開係を明らかにしたい︒杉谷氏が調査し︑﹃後

撰和歌集研究﹄で列挙した本文異同は︑次の通りである︒

(13)

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(14)

七)!大

248

八−か詞 の書

7﹀日・作者よ羽人しらす

8︶加・作者

前中宮小将内侍

︿9

文庫朝康

m︶国・歌詞

〈)11  れ363 と・

返 歌れ 詞 とハ

侍ける人の

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貞応元年七月本

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中宮宣旨

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前中宮宣旨

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かなしく露や一かなしく露や

︵ 糞 ・ 北

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︵ 守 ・ 科

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・ 鳥 ・ 星

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大妻女子大学蔵﹃後撰和歌集﹄の研究

前中宮宣旨中宮室旨

︵ 守 ・ 太

・ 常 ・ 野

O︵ 科

・ 太・ 常

・ き

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七月八日のあした

中宮宣旨

文室朝康

侍ける人

(15)

の「 文 ) す ) か ) し )( 19  ( 18  ( 17  ( 16  ( 15  ( 14  >836 818 .7 626 619 5;a1

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(16)

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︵お︶閣・詞寄

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大妻女子大学蔵門後撰和歌集﹄の研究

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15 

(18)

以上の三十二箇所の異同を比較した︒

なお︑資料収集中︑奥書①i⑮の順序・内容が完全に一致したことから︑大妻本と思われる﹃後撰和歌集﹄が︑昭和三

十九年五月東京美術倶楽部において開催された古典入札会に﹃八代集﹄として出品されていたことがわかったので付記し

ml

m番歌と的

lM切番歌の位置が逆転しており︑的番

歌の詞書︑詠者に続いて却番歌の詠者から同番歌の詞書︑詠者までが続き︑ここまでが巻第一である︒また︑上巻は必・

4 0 6 7 8 6 7  

l何番歌︑下巻は伺

l ω

・ロ番歌がそれぞれ欠落しており︑開・ω番歌が郎番歌の後に入り︑開・回番歌の上空白部に

E−−唱EeAB

E4E4E4

唱 ︐ .

再び附番歌が記されていた︒為相本の本文と比較して一箇所でも異同をもっ和歌は︑四一五首で総校異数は四四五箇所に

i及んだ︒しかし︑その内の七割三分は︑詞書︵二四二例︶︑左注ハ四例︶︑作者︵八十例︶の異同であり︑和歌自体の異同

一一九例で︑︑全体の三割弱であった︒天福本は︑定家の校訂本文の横に︑定家が入手した藤原行成筆本との異同が 為相本と比較して︑大妻本は︑相当量の異同が見られた︒まず︑

t

朱注としてみられるが︑大妻本は︑この行成本の本文を採用した箇所が七十五箇所あった︒主なものを例示する︒上段が

為相本ハ天福本の一伝本﹀︑下段が大妻本の本文である︒

5

調

っかうまつらて|||っかすうまつらして

② 55 

み作よ,.

入 者も』

| 子

(19)

③侃・詞書

いひっかほしたりけれはーーーいひっかはせりけれは

④卯・調書

花見にいてたりけるに||花見にいてたちけるを見つけて

⑤肌・調書も時く身まかりでのちーーー身まかりて後も時々

@山・四句

e a

けふはちるとや

11

1いまはちるとや

⑦抑・二句

君はつれなし||君はつれなく

③加・詞書七日||七日のよ

@似・三句

花みれは

11

1菊見れは

調

の夜おなしつこもりに||おなしつこもりの夜m

忘草にふみをーーー忘草の花に文を萱草の花⑫捌・詞書

(20)

⑭ ⑬   671  629 

お ・ 名 三 と 詞 た 句 こ 書 ち

. ~は

! .

  !  I 

お 、 名 と た こ ち あ け

ひ るそ を

へ き L

女 て

ともなきにーーともなきを

⑮部・調書

せみのからを

l l

せみのもぬけを

おなし日||仁和寺のみかとせり河に行幸したまひける日 仁和寺のみかとせりかはの行幸したまひける日1 ⑮町・調書 向 ︒

i⑫日・調書1延喜御時||延長御時

前坊おはしまさす||東宮おはしまさす 東宮1 ⑬却・詞書 ︒ ︒

hu⑮お・三句

iζ

浦ならは||こしならは

などで︑うち三十三例は②と同じく︑﹁よみ人も﹂が﹁よみ人しらす﹂もしくは﹁読人不知﹂などとなっているものであ

る︒また︑巻一から巻二十までの各巻の冒頭にある巻名︵﹁春上﹂﹁恋ごなど︶も︑二十巻すべてに﹁寄﹂の朱注があ

り︑大妻本はそれぞれ﹁春寄上﹂﹁恋寄ごとなっていた︒貞応二年本の現存諸本にも︑行成筆本と同一の本文がかなり

多くみられるらしいが︑貞応二年本のうち︑調査が可能であるのは︑翻刻されている神戸の太山寺所蔵・伝橋本公夏筆本

大妻女子大学蔵﹃後撰和歌集﹄の研究

(21)

のみである︒こちらは︑①③④⑤⑥⑩⑪⑩の入例が︑行成筆本と同一の本文であった︒

定家本の各年号本との比較では︑まず︑大妻本の独自異文は︑︵お︶の﹁まちけるに﹂一例のみであった︒比較の結果︑

三十二例中︑大妻本と同一の本文箇所数は︑多い順に︑承久本︵二十九箇所︶︑貞応二年本︵二十入箇所︶︑寛喜本︵十五

箇所︶︑貞応元年本︵十一箇所﹀︑天福本︵一箇所﹀となり︑大妻本は︑承久本・貞応二年本と親しい本文を持っているこ

8﹀捌番作者﹁前中宮少将内侍﹂は︑覧喜本以外は﹁前中宮宣旨﹂承久本︿嘉︶・貞応元年本︑貞応二年本ハ守

・太・常・野︶︑﹁中宮宣旨﹂承久本︵一了鳥・里・葉・北︶・貞応二年本︵科﹀・天福本となっているが︑大妻本は︑承久

本と貞応二年本の二伝本を親本に持つと考えられる︒

五︑まとめ

﹃後撰和歌集﹄の伝本は︑収録されている和歌数をはじめ︑歌序︑行間補入文の本行化︑重複表記など︑伝本ごとに異

なった点が多く認められ︑伝本の分類も細分化されて複雑を極めており︑予想以上に伝本の特定は困難に思われる︒

大妻本が奥書に︑原本に存していたと思われる撰者についての記と奉行文︵奥書①②︶︑定家天福二年本の奥書︵奥書

I

B類特有の定家の奥書︵奥書⑦﹀︑貞応二年本の一伝本である野坂本と同一の奥書ハ奥書@︶を有して

B類本特有であるはずの奥書⑦は︑貞応元年七月本の一伝本である書陵部蔵・常縁筆本

にも混入しており︑貞応二年書の一伝本︑高松宮家蔵・藤原俊定奥書本のように奥書③④⑤⑥の天福本の奥書を転載した

ものも存在する︒また︑大妻本は︑諸伝本が持つ四五一番歌を所収しておらず︑これは貞応・天福本とも共通する︒さら

に︑大妻本は天福本と比較して︑行成筆本の本文である朱注を多数採用していた︒

(22)

本文の異同及び奥書を併せて推測するに︑大妻木は︑複数の定家本︵少なくとも承久本・貞応二年本の二冊﹀を通覧し

て書写したものか︑もしくは承久本・貞応二年本の混成本の写しではないだろうか︒筆者である覚阿が住んでいたと思わ

れる堺は︑当時大陸貿易港として発展し︑博多と並ぶ経済都市として昇り坂にあった︒複数の伝本を入手するのも︑さほ

ど困難ではなかったとは考えられまいか︒

定家本系統自体︑定家の度重なる校訂に加え︑子孫たちの手が加わっている︒調査の結果及び結論として︑大妻木は︑

①天福本と貞応二年本の一伝本︵野坂本﹀︑無年号本B

②貞応・天福本と同じく︑四五一番歌の和歌が欠けている︒

③天福本と比較して︑大妻木は天福本の朱注として見られる行成本の本文を多数採用している︒

④他の定家年号本と比較すると︑奥書がほとんど共通する天福本よりも︑むしろ承久本や貞応二年本に似た本文を持

などのことがわかった︒大妻本が定家本系統であることは疑いなく思われる︒しかし︑先に述べた通り︑複数の写本を参

考にして書写されたと思われる要素を持っているので︑どの伝本系統にも属さないと言わざるを得ない︒強いて言うのな

らば︑天福本を基本とした承久本・貞応二年本の混成本と考えられないだろうか︒

参照

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