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中学歴史学習でのグローバルヒストリーの試み

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

中学歴史学習でのグローバルヒストリーの試み

著者 佐古田 康義

雑誌名 高円史学

15

ページ 34‑55

発行年 1999‑10‑01

その他のタイトル An Attempt to Teach Global History in Junior High Schools

URL http://hdl.handle.net/10105/8756

(2)

中学歴史学習でのグローバルヒストリーの試み

一世界史学習のゆくえ  ー ﹁ヨーロッパ中心史観﹂・﹁自国史観﹂を越えて

昨年︵98年︶の12月に告示された新学習指導要領では︑現行の一四〇時間という歴史学習の時間数がさらに削減されて︑

一〇五時間となった︒世界史や世界に関する内容は社会科全体の中で軽視され︑﹁我が国の歴史を世界の歴史を背景に理解

させる﹂という﹃背景世界史﹄としての扱いはさらにひどくなった︒指導要領にみられる﹃背景世界史﹄的位置づけでは︑

中学校の歴史はあくまでも日本史が中心であり︑世界史は日本史を理解するための手段・方法でしかありえない︒また︑絶

対的時間数不足の中で世界史学習の先細りの危険性も感じる︒実際︑新指導要領ではエジプト文明やギリシャ・ローマ文明︑

ルネサンスなどの学習がなくなり︑市民革命や産業革命の扱いも代表的な二二の国の例を扱うことになり︑内容の精選が

強調されている︒

指導要領は一貫して﹁我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め﹂︑﹁国民としての自覚﹂を育てることを歴史学習に

要求してきた︒国際社会に対応できる能力の育成やより良い人材の確保をめざした教育改革も進められている︒しかし︑指

一34−

(3)

導要領では自国史を軸とした内容構成になっていて︑﹁世界﹂は日本に影響を与えた項目に絞られている︒国際社会の中で

生きることは︑異なる文化・社会との共生︑共存︑相互理解なくしてはありえない︒世界と日本を相対化してみる見方や歴

史の大きな流れの見方︑人類の普遍的な課題を意識した見方などが強調されるべきである︒

21世紀に求められる歴史学習・世界史学習のあり方とは何か︒それは戦後日本が国際社会の中で生きていく方向を示し

た日本国憲法の﹁名誉ある地位﹂を明確化すること︒すなわち︑﹁自由主義史観﹂という自国意識を中心としてみる歴史意

識でもなく︑また欧米を中心としてみる﹁欧米中心史観﹂でもなく︑諸民族を対等・平等に扱い︑人類史的な観点に立って

共存をめざす歴史意識・世界史の構築に参画することにある︒

このような歴史学習︑世界学習の課題に応えるような歴史研究の新しい動きも広まってきている︒これは︑近年の国民国

家システムの揺れやグローバリゼーションの動きに対応する形で出てきているといえるが︑70年代後半からの﹁社会史﹂研

1

究の流行や﹁アナール派﹂の仕事が大きく影響している︒また︑ウォーラーステインの﹁近代世界システム﹂論なども近代

化の過程を西欧モデルで捉えてきた従来の歴史観に修正を迫るきっかけとなったともいえる︒

日本史の分野では︑網野善彦氏が﹁稲作中心史観﹂に疑義を投げかけ︑日本列島に住む海民や山民︑交易や商業の問題な

2

どから﹁非農耕民﹂にスポットをあてながら﹁海から﹂の視点で列島社会を再構成した︒従来の﹁日本﹂史像や﹁百姓﹂像

からの転換を促し︑特に国境をはずして日本の歴史や文化を捉え直すという見方は単一民族・単一文化の﹁日本﹂という意

識に大きな影響を与えたといえる︒これは︑自国意識を中心としてみる歴史意識のままでは自尊心の強い﹁大国意識﹂の再

生産に終わってしまう︑という昨今の歴史教育の現場で起きている課題の解決に見通しを立てるものになるだろう︒

世界史の分野では︑川勝平太氏が﹁唯物史観﹂や﹁生態史観﹂などの戦後の歴史意識や世界史像を作ってきた歴史観に疑

−35…

(4)

︵3︶義を投げかけ︑近代文明の成立の起源から問い直しながら︑﹁文明の海洋史観﹂を提唱している︒従来︑近代文明は西洋の

封建社会の内部で生まれ世界に拡大したと理解され︑イギリスがその先頭をきって資本主義社会への移行に成功し︑次いで

他の欧米諸国がそれに続き︑日本もまたそれを追いかけてきたという認識があった︒歴史の発展段階論的な捉え方に対して︑

第三世界の学者からは﹁従属論﹂などのように︑どの地域でも必ず先進国に追いつくことができるとはいえない︑常に先進

国と後進国という関係が構造的に継続されるという意見も出された︒また﹁近代世界システム﹂論では﹁中核−周辺﹂とい

う構造から近代化を説明し︑一国史的レベルの発展段階論の限界を指摘した︒﹁文明の海洋史観﹂は︑これらの動向を受け

ながら地球史的スケールで歴史像を再構成しようという試みである︒

従来の歴史像からの転換を促し︑特に﹁文化・物産複合﹂という概念を駆使して西洋と日本における近代文明の成立を

﹁海洋アジア﹂︵東南アジア︶からの影響にあったとし︑近代世界史の始まりを﹁東南アジア﹂という海洋世界を媒介に海洋

中国︵華人︶や海洋イスラムなどの商人の貿易・交易活動から措いた視点は︑近代化が西洋化と同一視された西洋中心の世

界史像=﹁ヨーロッパ中心史観﹂を克服していくひとつの手立てを提供するものになるだろう︒

このように近年の歴史研究の動向をみても︑歴史学習・世界学習のあり方は決して自国史・自国文化を過度に強調するこ

とではなく︑世界史の大きな動きの中で﹁自国史﹂そのものの捉え方を検討することにある︒自国史︵日本史︶と世界との

関わりに着目しながら︑その関わりは﹁世界史を背景とした日本史﹂という枠を越え︑さらに国民国家としての﹁日本﹂の

枠組みを越え︑日本史をより広い世界史的視野の中で捉え直しながら︑﹁日本と世界の交流︵人の移動・貿易・戦争・文化・

技術・情報︶﹂を通じて生活史的扱いも視野に入れることにある︒

では︑日本史を世界史的に組み換えていく試み︑人類の普遍的な課題を意識しながら世界史の動きの中に日本史を位置づ

ー36−

(5)

けていく方法や授業内容の構成はどうすればよいのか︒歴史学習の時間数が削減され︑その中の世界史学習の内容も精選を

余儀無くされる現状で︑世界史学習の積極的な意義づけを行いながら︑歴史学習のプラン︵教育内容構成の系統化︶につい

て考えてみたい︒

二 世界史と日本史の融合  − 歴史学習プラン ー

今回の改訂により歴史学習の時間数全体が削減され︑また﹁我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め﹂るための歴

史学習が進められる現状のままでは︑前項で述べたような歴史学習の課題を達成することはできない︒充分な学習時間の確

保を望みたいが︑教科の時数が減らされ︑﹁総合的な学習の時間﹂や﹁選択教科﹂の時間が増える状況での歴史学習のプラ

ンを考えざるを得ない︒この問題の解決をはかるためには今までの歴史学習の枠組みを大きく変えていく必要がある︒それ

は世界史と日本史の融合をはかる方法であり︑通史的扱いだけにとどまらず︑積極的に問題解決的な単元構成を組むことで

このような試みは︑星村平和氏や原田智仁氏らによる﹁歴史授業の﹃ワールド化﹄﹂として提起されており︑原田智仁氏

5

は﹁アジアの中の日本史﹂の構成に必要な条件として次の5つを挙げている︒

︵1︶旧来の日本史の時代区分を︑アジア史的時代区分に改める︒〜元号による時代の示し方は西暦年号に ー

︵2︶旧来の日本史固有の概念の見直しを図る︒

11∴縄文・弥生︑大和朝廷︑大化の改新︑国風文化︑封建制︑元冠︑鎖国︑明治維新など1

ー37−

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︵3︶海を介した文化︵文明︶交流圏ないしは交易圏に着目する︒

− 環シナ海︑環日本海︑オホーツク海︑瀬戸内海など −

︵4︶日本単一民族史観・単一国家史観を克服する︒− 周辺︵辺境︶からの視野の重視 −

︵5︶アジアの近代︵近代化︶を正当に評価する︒− 西欧中心の﹁市民革命・産業革命﹂型近代化論の克服 −

この構成の提案は︑前項の歴史研究の動向とも関わっており︑これを構成の柱としながら︑学習プランのモデルを提示し

人類的な課題として︑人権︵民主主義︶・平和︵と戦争︶・環境・共生・交流を軸として展開する︒

☆印では︑アジア世界の中の日本を考える問題解決的な学習を組織する︒

① 紀元前の東アジアと日本列島︵6時間︶ − ﹁文明﹂社会の形成・縄文文明とアジアの文明

・人類の歴史の始まり ・農耕︑牧畜=農業生産の始まり ・階級の発生

☆世界の文明とアジア︑日本列島の文明︵新石器時代・縄文時代の生活︶

※この単元では︑﹁文明﹂社会の成立を世界的な視野の中で捉え︑その中でアジアの文明の特質と列島社会に誕生した

縄文文明︵農耕・都市的空間の生成を含む︶の特色を明らかにする︒各地の発掘例を参考に︑特に三内丸山遺跡を教材

(7)

② 1〜6世紀の東アジアと日本列島社会︵6時間︶ − クエから国へ・﹁弥生﹂から始まる戦争・古墳の形成

☆﹁倭人社会﹂の成立=弥生人の渡来とクこの形成

☆倭の五王と東アジアの関係 ・動乱の6世紀

※この単元では︑東アジアの変動︵春秋戦国から秦への内乱︶の中で日本列島に移住︵渡来︶した﹁弥生人﹂や列島史

における﹁戦争﹂の始まりに重点をおく︒さらに東アジアの動向に常に関心を払いつつ首長国家が形成される過程と倭

の五王たちと朝鮮︑中国との関わりに着目する︒

③ 7〜10世紀の東アジアと律令国家︵10時間︶ − 律令制度・国家の領域の拡大・﹁中央﹂と﹁地方﹂・華夷意識

☆東アジアの変動︵隋・唐の成立︑新羅の台頭︶と中央集権化︵大化の改新︶

☆白村江の敗戦と戦後体制︑壬申の乱=律令国家の建設︵﹁日本﹂と﹁天皇﹂の誕生︶

・律令国家︵平城京︶と古代の村 ・律令国家の拡大︵軍事と造作︶=蝦夷との戦い

☆10世紀の東アジアの変動︵宋︑高麗の成立︶と国司による地方政治

﹁王朝国家﹂への変化=富農︵田堵︶の出現と武士の台頭・大開墾時代の農民・国司リコール運動

※﹁大化の改新﹂を東アジア・朝鮮半島の動向の中で捉え直す︒国内の政治的対立だけではなく︑親﹁百済﹂派対親

※﹁白村江の敗戦﹂による戦後体制の構築として律令国家体制が必要とされ︑﹁日本﹂・﹁天皇﹂の誕生という新しい

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システムができたことに着目する︒︵富本銭の発掘例が裏付けとなる︒︶さらに新しいシステムは︑列島内での﹁華夷意

識﹂を形作っていったことに重点をおく︒

※10世紀の東アジアの変動︵末︑高麗の成立︶は列島社会に大きな影響を及ぼし︑末の商船が列島の各地域と交易活動

を行ったりしながら︑列島の地域社会においても生産力の発展に応じて新しい在地の勢力が誕生したことに重点をおく︒

④ 11〜14世紀の東アジアと中世日本︵10時間︶ − 荘園公領制・対外意識︵神国恩想︶・モンゴルによる世界史の成立

・院政と平氏政権 ・﹁東国﹂政権︵武家政権︶の成立 ・公家と武家の対立︵承久の乱︶

☆東アジア世界の発展︵商業・貿易・都市・貨幣の流通︶と日本列島=海民の活躍

・荘園公領制の中の地頭と農民︵阿テ河荘農民の訴え︑草戸千軒の暮らし=貨幣経済︶

ンゴル帝国の成立とアジアの元完  ・対外意識の芽生え

鎌倉政権の滅亡と南北朝の内乱 ・新しい武家政権のかたち︵権門体制㊦守護領国制へ︶

※この単元では︑列島社会に東アジアの影響が大きく作用して︑交流・交易活動が活発化する中で貨幣経済が浸透して

いた様子を捉まえる︒列島社会を構成する農民や山民・海民たちや商人・僧侶・武士などの人々の様子を生活史的にみ

ていく︒特に﹁福岡の市﹂や﹁葦戸千軒遺跡﹂などを教材に扱う︒

※﹁モンゴル帝国の成立﹂は﹁世界史﹂の誕生ともいえる出来事で︑13世紀の世界に占めるウエイトは大きい︒この帝

国の広がりとアジアとの関わりとして﹁アジアの元完﹂を取り上げ︑日本と他のアジア諸地域とのつながりにも考慮す

る︒国内への影響としては﹁神国意識﹂の芽生えと対外政策への対応から新しい政権のかたちが要請されてくる面と南

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末の人々からの海外情報の入手が列島の人々に﹁環シナ海﹂に目を向けさせた面に着目する︒

⑤ 14〜17世紀の世界の動きと日本社会︵16時間︶ − 東南アジアとの出会い・﹁倭冠と海洋アジア﹂・朝鮮侵略

次に示す○は文明を成熟させていたイスラム圏の動きを︑●は﹁海洋アジア﹂とヨーロッパとの関わりを︑☆は﹁海洋

アジア﹂と日本との関わりの項目を表し︑問題解決的学習として扱う項目でもある︒

○イスラム世界の成立と拡大︵ムハンマド︑イスラム文化︑アジアの二大帝国︵オスマン帝国・ムガル帝国︶︶

○アジアの海の道︵8海洋アジアの成熟︶ ○イブン=バットゥータと鄭和の大航海

●イスラムの影響を受けた封建ヨーロッパ ︵十字軍とルネサンス・宗教改革︶

☆東アジアの変動︵明︑朝鮮︑琉球︑蝦夷︶と環東シナ海に生きる人々=前期倭冠

・中世後期の産業と都市や村の自治 ・民衆の成長と一揆

●海洋イスラムとヨーロッパの出会い︵大航海時代とスペイン︑ポルトガル︶

☆海洋中国と日本の出会い︵南蛮貿易と戦国大名︶=南蛮文化︑宣教師︑後期優麗

・織豊政権の天下一統 ・太閤検地と刀狩り︵兵農分離︑身分制社会︶

☆秀吉の朝鮮侵略 ・朱印船と日本町︵清帝国と朝鮮︑アジア︶=華夷秩序の形成

・徳川政権の成立と国家統制︵貿易制限︑宗教統制︑大名統制︶=華夷秩序からの離脱

凸﹁鎖国﹂システム︵朝鮮侵略戦後システム︶の完成︵日本型華夷秩序の形成︶

41

※この単元では︑西洋と日本に影響を与えた﹁海洋アジア﹂の基盤となったイスラム世界の社会や文化︑交易の様子を

(10)

扱う︒イスラムの影響を受けたヨーロッパ︑東アジアの影響を受けた日本という視点に着目する︒特に﹁十字軍﹂﹁黒

死病﹂がヨーロッパに与えたもの︑モンゴルの支配が崩壊する中でのアジア世界の変化︵﹁倭蓮世界﹂の成立︶など︑

﹁14世紀の危機﹂状況を踏まえてヨーロッパの社会や日本列島社会の様子を教材化する︒

赤琉球王国の繁栄や後期倭蓮の活動がみられた﹁海洋アジアの交易圏﹂に新しくヨーロッパの勢力が参入してきた事実

に重点をおく︒東アジアの動きの中に戦国時代の日本を位置づける︒︵当時の国際通貨である銀の中国への流入にある

※海洋アジアへの参画を目指した日本の対外政策の中に朝鮮侵略を位置づけ︑その戦後システムの構築が徳川政権によ

る国家統制︵﹁鎖国システム﹂の選択=日本型華夷秩序の選択︶であるという視点で教材構成を考える︒

⑥ 17〜19世紀の世界と近世国家︵26時間︶−−身分制社会から近代市民社会へ ︵8近代国民国家︶

近代ヨーロッパと日本の出会い

︐﹁徳川の平和﹂と産業の発展=勤勉革命影開

凸︵新田開発︑村の自治︑商品生産︑貨幣経済︑都市の発達︑商人の成長︶

・綱吉と白石の政治 ・元禄文化 ・農村工業の発生︵貧富の拡大︶

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●市民階級の成長と革命︵大西洋貿易・イギリス革命とアメリカの独立︶

●フランス革命と近代国民国家の成立︵市民社会の原理=自由︑平等︑私有財産尊重︶

⑪身分制社会からブルジョア社会へ ︵議会制民主主義と経済活動の自由︶

㊦革命の影響︵ラテンアメリカの独立︑黒人奴隷制度の廃止とハイチ独立︶

●毛織物から木綿へ=産業革命の展開 ⑪︵輸入代替産業としての綿工業︑樺械生産︑資本制社会の確立︶

●民主主義の進展と社会主義思想凸一八四八年革命 ●ドイツ・イタリアの統一

●イギリスとアジアの二大帝国・ムガル帝国と清帝国︵インドの抵抗︑アへン戦争︑太平天国︶

●アメリカ南北戦争︵戦争の目的︑アメリカ資本主義の成立︶

・ペリーの来航と開国︵影響︑壌夷から討幕へ︑世直し︶  ・明治政府の成立 ・富国強兵と地租改正

・明治初期の外交︵北海道︑沖縄︶  ・自由民権運動 ・松方デフレと激化事件 ・明治憲法体制の成立

・初期議会と条約改正 ・日清戦争︵朝鮮問題︑甲午農民戦争︑下関条約︶

⑪侵略思想を伴った国民国家の成立︵台湾の植民地化︶

43

※この単元では︑﹁海洋アジア﹂からの影響を受け︑それぞれの方法で輸入代替化に成功した西洋と日本の動きについ

※﹁鎖国﹂システムという新しい秩序を構築した徳川政権のもとで﹁徳川の平和﹂がつくられる︒また︑管理貿易体制

を維持しながら︑輸入代替化=国産化の動きが土地生産性をあげる中で進められた︒商品生産の発展は経済社会を成熟

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させ︑貨幣の需要は幕府に財政改革の必要をせまった︒封建社会への批判なども芽生え︑民衆の経済的自由を求める運

動や﹁世直し﹂状況が生まれる︒

※ヨーロッパでは︑輸入代替化を進めていく主体としての市民階級の成長がみられ︑市民社会の原理がつくられていく︒

身分制社会から市民社会への﹁人権﹂思想の芽生えは人類史の中に位置づけていく︒

※輸入代替化の動きは綿工業からねこり︑労働生産性を高める機械化の動きや資本制社会︵経済社会︶の確立がみられ

た︒

※﹁近代ヨーロッパ﹂システム︵国民国家・民主主義・資本主義・軍事国家︶のアジアへの広がりの中で︑インド・中

国・朝鮮・日本がどんな対応を迫られたのか︒日本に与えられた選択肢は何だったのか︒明治政権の﹁富国強兵﹂路線

に対抗する﹁自由民権﹂路線の意義や﹁脱亜﹂の方法について考えてみる︒結果︑侵略思想を媒介とした国民国家づく

り︵=明治憲法体制︶に到った経緯を検証してみる︒

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⑦ 20世紀前半の世界と大日本帝国︵23時間︶ − ﹁脱亜﹂の動向・侵略戦争 革﹁世界の中の日本﹂を前提に

◎帝国主義の時代︵ボーア戦争︑義和団事件︶

・日露戦争︵戦争と国民︑主戦論VS非戦論︑ポーツマス条約︶

・韓国併合︵植民地下の朝鮮︶と中国の革命︵中華民国の成立︶

・日本の産業革命︵社会問題の発生︑足尾銅山鉱毒事件︶

・第一次世界大戦と日本︵大正政変︑21か条要求︶ ・ロシア革命とシベリア出兵

(13)

◎第一次世界大戦後の世界︵ベルサイユ体制・ワシントン体制︶

◎アジアの民族運動︵三・一独立運動︑五・四運動︑インド・アラブの独立運動︶

・米騒動と社会運動︵普通選挙︑民本主義︑自由主義︑文化の大衆化︶

・関東大震災と震災恐慌 ・金融恐慌と山東出兵 ・治安維持法

◎世界恐慌とファシズム︵ニューディール︑社会主義経済︑ファシズム︑人民戦線︶

・世界恐慌と日本 ・中国革命の進展と日本 ・満州事変 ・軍国主義の高まり

・日中戦争 ・国家総動員体制

◎第二次世界大戦の始まり︵ドイツの侵攻︑レジスタンス︑独ソ開戦︶

・アジア太平洋戦争の開戦 ・﹁大東亜共栄圏﹂の実態︵内地︑植民地︑占領地︶

45

※日本のアジアへの侵略と植民地支配の実態を明らかにしつつ︑日本における企業勃興・資本制社会の確立について︑

労働者・農民などの視点からみていく︒社会変革への様々な運動に着目する︒

※﹁近代ヨーロッパ﹂のシステムの帰着として第一次世界大戦がおきた︒戦後体制づくりの中でアジアの置かれた状況︑

日本の対応などに着目しながら︑世界恐慌・ファシズムを生み出した背景を考えてみる︒

※﹁戦争への道﹂を準備したものは何か︒どの時点で戦争は回避できたのか︑できなかったのかを検証してみる︒

(14)

⑧ 20世紀後半の世界と現代日本︵8時間︶1民主主義と平和 凸︵戦後体制︶

・日本占領と民主化︵戦後改革︑日本国憲法の成立︶

◎第二次世界大戦後の世界︵アジア諸国の独立︑国際連合︑朝鮮戦争︑冷戦︶

・サンフランシスコ講和と日本の独立︵戦後体制=冷戦構造の成立︶

・保守と革新︵平和運動︑安保闘争︑ベトナム戦争と日本︶

・高度経済成長の時代︵公害と革新自治体︑石油危槻︶

・アジアの中の日本︵韓国・中国との国交回復︑沖縄返還︑戦後補償︶

◎冷戦後の世界と日本︵﹁経済大国﹂日本︑五五年体制の崩壊︑国際化︑情報化︶㊦核廃絶︑地球環境問題などの課題へ

※占領から独立への動きの中で︑﹁戦後問題﹂の積み残し=戦争責任の追求などが出てきた理由や積極的な改革へのあ

ゆみなどに着目する︒

※冷戦構造の中で︑日本がアジアに対してとってきたスタンスを明らかにする︒日米関係の従属化や中国・韓国との関

係について考えてみる︒

※冷戦が終了した段階での新しい戦後体制づくりを地球的・人類的課題に則して考える︒

まだまだデッサン風のプランであるが︑世界史と日本史の融合のひとつの視点︑問題提起として受けとめて頂きたい︒

次に︑以上のような構想で扱ってみた授業の実際を紹介することにする︒

(15)

三 授業の実際  − ﹁環東シナ海に生きる人々﹂

◇単元 ﹃14〜17世紀の世界の動きと日本社会﹄ − ﹁東アジアの変動と環東シナ海に生きる人々﹂

◇指導について

0 14〜15世紀の東アジアは︑ヨーロッパ来航︵16世紀︶の前史としての扱いだけでなく︑環東シナ海をめぐる海民た

ちの交流・通商の地域︑また明による冊封体制の確立で新たな国際関係を取り結んだ地域として︑国家や民族の枠組

みから解放された歴史観を要求される積極的な意味を持つ︒特に︑環東シナ海で活動した倭完の実態を明らかにする

ことは国家の枠組みにとらわれない歴史像を学ぶのに適した教材である︒倭完は︑従来﹁三島の倭窺﹂と呼ばれ︑壱

岐・対馬・松浦などの住人が朝鮮半島沿岸および内陸部をも襲い︑放火・略奪行為をくりかえした﹁海賊﹂的イメー

ジが強調された︒しかし︑これを東アジア世界の歴史の中に位置づけることによって︑モンゴル帝国の建設と末代以

降の江南の経済的発展︑日宋貿易による銭貨の流通と海上貿易の発達などの12〜13世紀の東アジアの変貌が海民の活

動を促したこと︑これが14世紀の倭完の活動の前提条件になったことが明らかになり︑東アジアの大変動期に登場す

べくして現れたものであるという認識に変えることができる︒また︑倭寂を単純に日本人集団と捉えるのではなく︑

朝鮮人や中国人なども含む国家の枠にとらわれない集団・幕府や王朝に抵抗する共通の利害関係をもった反権力集団・

日本海や東シナ海︑南シナ海などの海域を自由に往来し︑農耕国家である日本︑朝鮮︑中国の国家権力が及ばない海

7

洋民の集団などのイメージで捉えなおすこともできる︒

○ 環東シナ海で活動した倭冠が貿易・交流に一定の役割を持っていたことは︑貿易の利益をめぐって新しい国家︵明・

−47−

(16)

室町幕府・李氏朝鮮︶との軋撫を生む︒東アジアの新しい国際秩序︵冊封体制︶が構築される中で︑密貿易の賛止︑自

国民の海外往来禁止などの海禁政策が実施され︑勘合システムが完成する︒海民の活動はこれら諸国家の管理下に置かれ︑

活動の規模を縮小する一方で︑琉球王国が繁栄する︒環シナ海のネットワークの中で琉球の占める位置は大きく︑堅口

を必要としない明との交易では︑最大の入貢回数︵一七一回︶があり︑明も琉球を積極的にシステムに組み込んだ︒

本時では︑14〜15世紀の東アジアの変動の中︑倭完の活動の推移を追いながら︑新しいアジアの秩序の中で行われた貿

易・交易のあり方も見通しっつ︑環東シナ海に生きる海民の活動について︑﹁国家﹂の枠を嘩えた視点で捉えさせたい︒

◇指導計画

第1次 イスラム世界の成立と拡大︵ムハンマドからイブン=バッツータの活躍︑海洋イスラム・中国の形成まで︶

第2次 ﹁14世紀の危機﹂ − イスラムの影響を受けたヨーロッパ世界と東アジアの変動の中の日本列島

48

・中世後期の産業と都市の発達   ・民衆の成長と一揆

第3次 海洋アジアとのヨーロッパ・日本︑それぞれの出会い

・大航海時代 ・南蛮貿易と戦国大名 ・織豊政権の天下一統・太閤検地と刀狩り

第4次 朝鮮侵略と戦後システム︵中華世界からの自立・﹁鎖国﹂システムの成立︶

◇本時のねらい

○ 倭蓮の﹁海賊﹂的側面だけでなく︑14〜15世紀の東アジアの変動を通じて︑環東シナ海の交易に活躍した集団︑

﹁国家﹂の枠にはまらない反権力・自由な立場での海洋民の結びつきの側面を理解させる︒

(17)

f鞠l過程(本時の慮れ−♭ 指示、□ 発間、○・説明)

学  習  活  時 間 主 な 発 間 と 指 示 等 生 徒 の 動 き と 反 応 指 導 上 の 留 意 点 資 料 ・そ の 他

1 導 入 5 分 レ ヒ デ オ を み て く た さ い 。 ・ ビ デ オ を み る 。 ・タ イ トル 、 教 ‡槽 の ペ ・ 東 ア ン ア の 掛 け

[コ 「と ん な も の か 引 き 上 げ られ て い ま す か ・ 「焼 き 物 」 皿 」 1 ー シ な と は 板 著 し て お 地 図

環 / ナ 庵 の 交 易 。 」 銅 銭 」 く 。

・魔 物 の パ ネ ル 写 真 、 コ

・中 世 の お も な 港 と 佳 麗 の 活 動 」

l

C 環 ン ナ 烏 を め く る 交 易 の 様 子 を うか か い 知 る こ と か で き る 遺 物 の 発 掘 に つ い て 説

と 航 路

・新 安 虎 投 船 の 慮

明 す る 。 ピ ー の 写 真 を 黒 板 に 貼 物 引 き 上 げ

○ 新 安 虎 及 船 の 航 路 や 積 載 晶 、 航 行 の 目 的 る 。 (ヒ デ オ 視 聴 )

に つ い て 説 明 す る。 ・新 安 仲 の 地 図 を 映 す 。 ・青 磁 の 実 物

・パ 不 ル 写 真

・俸 蓮 の 店 勤 の 囲

D 教 科 書 の 写 真 を 見 て く た さ い 。 ・T V 画 面 に 倭 題 の 写 真

(倭 窺 図 巻 の 絵 ) を 映 す 。 (教 材 提 示 て )

○ 環 シ ナ 点 を め く る 人 や 物 の 動 き か 着 発 に ・タ イ トル の 0 0 こ倭 窟 み ら れ た こ の 時 期 に 「倭 窺 」 と 呼 ば れ た

集 団 の 活 動 か あ っ た こ と を 説 明 す る 。

と 書 き 込 む 。

2  展 開 I r 14 世 窯己の 倭 蓮 の

活 動 の 様 子 」

・倭 窪 の 行 動

・優 麗 の 根 拠 地

・優 麗 と 呼 ば れ た

1 5 0 1 3世 紀 初 め 頃 、 高 麗 の 史 料 に 「倭 、 金 州 を 完 す 」 の 記 事 か 見 ら れ る こ と か ら 、 優 麗 J は 朝 鮮 や 中 国 の 人 々 か 名 付 け た も の で あ る と 言 え ま す 。

レ 倭 雇 に 関 す る 高 校 の 教 科 書 の 記 述 の 比 較 ・教 科 書 の 内 容 を 比 較 ・指 名 し て 、 3 つ の 教 科 ・ 高 校 の 教 科 書 の か ら 「優 麗 」 と は と ん な ら の か を 考 え な

か ら 、 資 料 を 読 み な さ い 。

⊂ 倭 速 力、行 っ て い た 行 為 は と ん な こ と て す か 。 (と こ て 、 と ん な こ と を し た の り )

[]倭 悪 の 主 な 根 拠 地 は と こ で す か 。

し な か ら 資 料 を 読 む

・ 「略 奪 」

・ 「朝 鮮 半 島 伯 岸 の 人 を 捕 虜 に す る 」

・ 「米 や 大 豆 な と の 食 料 を 奪 う 」

・ 「対 馬 」 「壱 岐 」

書 の 記 述 を 読 ま せ る 。

・答 え を 板 書 し て い く。

・三 島 地 方 と 呼 ば れ る 北 記 述

・東 ア シ 了 の 掛 け

[コと の よ う な 人 か 傍 題 に な っ た の て す か 。 「松 席 」 「五 島 」

・ 「九 州 や 鹿 戸 内 地 方 の 武 士 や 商 人 」

九 州 の 地 域 か 中 心 て あ 地 図

・ r庵 東 諸 国 紀 』

(と こ に 住 む 、 と ん な 人 々 な の り ) る こ と を 、 地 図 な と て 人 々

・略 奪 の 理 由

・倭 庵 の イ メ ー シ

○ 朝 鮮 の 史 料 鳩 東 諸 国 紀 」 の 地 図 を み て も 三 島 の 地 物 、大 き く 描 か れ て い る よ う

確 認 す る 。

・T V 画 面 に r南 東 諸 国 に 、 朝 鮮 の 個 か ら は こ の 地 域 へ の 関 心 か ・ 「三 島 の 人 々 」 の 地 図

・ r点 東 活 国 紀 J 高 か っ た こ と を 説 明 す る 。 ・ 「西 日 本 船 岸 の 住 民 の 地 図 を 映 す 。

[コ蔭 完 か 略 奪 を し た 理 由 や 背 熱 まな ん た っ

・ 「食 料 か 自 給 て き な ・ r点 東 渚 国 紀 J の 記 述 た の て す か 。 朝 節 の 史 料 鳩 東 諸 国 把 j い 」 か ら も 理 由 を み つ け さ の 記 述 も 参 考 に して く た さ い 。 ・ 「貿 易 か う け い れ ら せ る 。

(な ぜ そ ん な こ と を し た の り )

○ 健 在 の イ メ ー ソ は 、 や は り 島 の 生 活 か 貧 し く て 櫛 を や っ た と い う もの て す か 。

れ な い 」

・ 「土 地 か や せ 、 生 店 か 貧 し い 」

・教 車槽 の 3 つ の 吉己述 の 比 較 を さ せ 、 そ れ そ れ

の 倭 完 の イメ ー ンの 應 ・対 馬 の 戌 茅 席 の

・ 「塩 や 魚 を 売 っ て 生 活 して い る 」

い に 住 冒 さ せ る 。 写 真

−49−

(18)

・高譲 へ の襲 撃 回 数 の ピー ク

しか し、 こう した 地域 の 人 々の倭 窪 と し て の 略奪 行 為 は、 あ る時 期 に集 中 して い

ます。

D 倭 完襲 撃 回数 の 資料 を み な さい。

○ 高麗 の 史料 には 、1 350年 2 月 の記 事 に、

倭 冠 の俊 はこ れ よ り始 まる 」 と記 され てお り、 この こ ろか ら倭 題 の侵 攻 か活 発 にな る。

⊂:腰 蓮 襲 撃回 教 の資 料 をみ て 、 とん な こ と

・倭 窺襲 撃 回教 の 資料 を み る。

1 375− 88 年 頃 に集

・俵蓮 襲 撃回 数 の 資料

か読 み 取れ ま す か。

○ とい うこ とは 、倭 完 の行 動 の説 明 と して さ きほ どの 答 え だけ で充 分 なん た ろ うか

□ なぜ そ の時 期 (137 0 〜 80 年代 ) に集 中 し

申 して い る」

・ 「南 北朝 の 内乱 」 ・年 表 や前 時 の内 容 を 思 て い る のて す か。 そ の ころ や、 ま たそ の ・ 「明 の建 国 」 い 出 させ る。

前 後 に何 か あ っ たので す か。 ・ 「李 氏朝 鮮 の建 国 」

・答 えか 出 に くい と考 え

□ その こ とか ら 137 0 〜 80 年代 に 回教 か 多

・ 「日本 も朝鮮 も中 国 も内乱 や 国 か威 び か け て い るの で、 回 の 力 が弱 い 」 い と い う理 由か 何 かわ か り ません か 。

○ 貿 易 の統 制 も とれ ない 彪 乱の 時期 て 、実

られ るの で、 ヒ ン トを 与え つ つ 、教 師 の 方 て ま と め るこ と もあ る。

力 の 時代 て も あ った こと か、 優 麗の 居勤 ・ 「倭蓮 を お さえ る力 ・高願 はモ ンゴル の 支配 を 活発 に した要 素 て もあ る こと を説 明す か な い」 て力 を失 い 、土 地 制度

る。 ・ 「混乱 の 時代 な の て

実 力か もの をい う」

か崩 壊 し、 農 民 の 中 に は逃 散 、 虎亡 か 進行 し て いた こと に もふ れ る

3  展開 Ⅱ 2 0 □ とこ ろて 、 とん な場 所 か倭 冠 の被 害 に あ ・ 「点の 近 く」 「河 の ・海岸 付 近 ばか りて は な ・倭 完 の襲 撃 垣 所

倭窪 の 実態 」 っ たの です か 。

⊂福 匿 に対す る倭完 の 襲 撃の 資料 の 隻数 や

近 く」 半 島 全域 J く、 内 陣深 くま て捜 攻 と回数 の 資 料

1 ・ 「高 麗 の首 都 開城 付

近 まて も」

して い る こと に気 つ か せ る 。

・倭完 の 規模

・優麗 の勢 力

半 島 内陸 へ の侵

・ 「多 い ものて 50 0隻 船 の 数 や 人数 の 多 さに ・高 麗 に対 す る倭 人 数を み て、 気 かつ くこ とは何 で す か。

C )桶狭 間 の合 戦 の と きの今 川勢 か 25 00人 、 織 田勢 か3 000 人 だ とい われ て いる の と比 べ てみ て も、 倭完 に は戦 国 大名 の 勢力 に 匹敵 す る く らい の勢 力か あ った と 考え ら れ る ことを 説 明す る。

C )海 岸 地帯 た け でな く、 内 陸深 くま て襲 撃

の船 て 襲 撃 して い る

」 「1 万〜 4 万人 の 人数 で 攻 めて きた 時

もある 」

1説 明 を 聞 く。

・説 明 を聞 く。

庄 目させ る。

・人 数 とい い、 襲 撃 場所

完 の襲 撃 の 資料

・13 80年 5 月

して い る (100 km を越 え る所 ま て) こと と い い、単 な る馬 賊の

は、 半 島の 地 理に詳 しい 人間 か 倭完 に参 イ メ ー ンで は捉 え きれ

加 して いた と も考 え られ る こ とを説 明 す な い こ と、 また 、 規模

る。

○ 南 原 山城 の 戦 いに つい て 、以 下 説明 す る

か ら も内乱 や 戦 争の 状 態 にあ っ た とい っ た方 か適 切 て あ る こと にふ れ る。

ー50−

(19)

南原山城の戦い

・倭完と連携した 済州島のモンゴ ル勢力

・済州島民の生活 と倭人との結び つき

・1380年5月、倭窪の船団5∞舷が執鉾半 島の南西海岸に上陸、侵攻

・倭蓮を迎え撃ったのは、高麗の武将李成

・9月、李成桂は南原で倭蓮と大赦戦

・倭窓軍の大将、阿只抜都(アキバツ)が 白馬にまたがり奮戦。15〜16歳の若武者 か李成桂に撃たれる

・高恥、捕獲した倭完軍の風ま16舶余頭 てあった

[コところで、これたけの馬をとこて調達し たのたろう。倭雇の根拠地である三島に

も馬はいたか・

○倭窓の根拠地と朝鮮半島の間に古くから 馬の産地として知られる療州島があるこ

とを説明する。

○済州島について、以下説明する。

・1275年、元か済州島を高麗から切り離し て支配した(耽経国となる)

(高麗と元の二重支配)

・1277年、元は済州島を放牧場として、

160亘巨の蒙古馬を飼育した

・馬の飼育は主に元本国で犯罪を犯した囚 人(牧司・牧胡=モンゴル系)たち

・元の滅亡(1368年)後、済州島のモンゴ ル系住民は高麗と対立し、孤立した

〇度州島のモンゴル系住民と倭完か結びつ き大騎馬軍団かできたことを説明する。

[コ的鮮の史料r李朝実軌(1482年)を読 んで、何が書かれているか答えなさい。

○朝鮮の史料r李朝実軌には、1482年の 記事として、

・腐州島民は船を操って点上を行き来して いる

・中には、倭語を托したり倭人の恰好をま ねて海賊行為を働くものかいた なとの内容か記されていることを説明す

る。

○済州島の点民は、半島南岸地域を自由に 移動していたために朝鮮政府の統制を受 けにくかったこと、「抱作干」「胞作人

」とよばれる漁民か船に投石用の石を備 えており、倭完も恐れたことを説明する

○済州島の鳥居と倭題の根拠地の点民とは 同し生活基盤を持ち、倭轟に朝鮮側の点

・「現地で手に入れた

・「侵攻の途中で手に 入れた」

・説明を聞く。

・史料から内容を読み 取る。

「ぬ点を自由に出入 りしている」

「倭人の言語・衣装 を装う」

「点島を往来しても のを奪う」

ー51−

・倭蓮か大騎馬軍団を率 いて、朝鮮半島の内陸 深くまで攻め入ったと いう事実をおさえる。

・南原山城の戦いの阿只 抜都(アキバツ)の名 前の「抜郁」もモンゴ ル語に由来することに ふれる。

・朝鮮半島冶鳥地域の人 々が烏賊として倭蓮と 同様に恐れたのは、済 州島の庵民であったと いう研究かあることに もふれる。

・済州島の庵民か倭語を 話したり、倭の服を着 たりしていたので、倭 完との識別か因業たっ たことにふれる。

・「船を以て家と為す」

という生活形態を営む 点民か日本側にも存在 し、倭蓮の楓地と言 われた地域と重なるこ とにもふれる。

・胞を採集する漁民は、

松痛、五島なとにら存

・r東組の

資料

・r李朝実録J

(1482年の言己事)

(20)

・高 級 人 と倭 完

民 も参 加 した 可 拙 め、あ る こと を説 明す る。

[二新 鮮 の史 料 r李 朝 美観 144 6年 ) を読

在 した こ とに もふ れ る

・史料 か ら内 容 を読 み ・ r李朝 実 軌 ん て 、何 か 書 かれ て い るか 答え な さ い。

朝鮮 政 府 の要 人 か倭 完 の構 成員 に つ いて 聞 い た もの)

取 る。

倭 人 は少 し しか い

な い」 ・ r軌 r高麗 節

14 46年 の 言碧 )

○ 朝 鮮 の史 料 r李 朝 実 軌 に は、 14 46年 の 高 麗 の民 か 膝服 を 要 J な との史 料 に も

記 事 と して 、 着て 乱 をお こ して い 尺、 才 人 と い う差 別を

・倭 題 の主 体 は、 倭 腺 を着 た 高麗 人で ある こと

・倭 人 は、 1 書物 、ら 2 割 に す ぎな か っ た と い うこ と

な と の内 容 が記 され てい る こ とを説 明 す る。

C )倭題 と は、 日本 人 だ けの 集団 て な く、 高 麗 ・朝 鮮 人 との 連 合勢 力 で あ った と いえ る こ とを 説明 す る。

る」 受 けて い た人 々 か倭 完

に参 加 してい た こ とに もふ れ る 。

4  ま とめ 5 分 C )倭人 とモ ン ゴル 人 との連 携 や 、済 州 島民 ・説 明 を聞 く。 ・ 「船 を以 て 家 と為 す 」

倭 完の 構 成 員」 との 侮 民 と して の交 流 や 、高 麗 ・朝 鮮 人 の参 加 な との 状 況 をみ る と、 倭 窺 」 と 呼 ばれ た 人 々の 構成 は、 済州 島 か ら北 九 州 に かけ て の烏 城 に独 自 の文 化圏 を 形 成 して いた 席民 か 主で あ る こ と、磨 民 と う しの 自由 な交 流 の場 と して環 ソ ナ点 か 存 在 して い た こ とを説 明 す る。

とい う 庵の 遊牧 民 とで も表 現 で きる 侮倖 民 族 の世 界 と して預 シナ 侮 地域 を み る ことか で き る こと をお さ え る。

・ 「倭 冠 」の 活動 を 東 ア ジア 民衆 の 一大 運 動 と して み る視 点 に もふ れ る。

−52−

(21)

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(22)

四 おわ日ソに

授業では︑﹁国家﹂の枠を離れて自由に結び付いた環シナ海の人々の実態を明らかにしようとした︒従来の日本の海賊的

なイメージの﹁倭窟﹂像は変えられたと思う︒しかし︑列島社会を支えた﹁海の領主たち﹂﹁環シナ海の海民﹂の交流の姿

をリアルに描くことに成功したとはいえない︒﹁14世紀の危機﹂という同時代史のなかにヨーロッパと日本を位置づけなが

ら︑列島史にみられる﹁一揆﹂や﹁戦国大名﹂の成立の動向の中に﹁海民﹂﹁海の領主﹂の存在をクローズアップしていき

たい︒また︑外からの視点︵﹁海からの﹂視点︶を常に意識させながら︑人や物の交流の様子を軸に列島社会の様子を捉ま

えさせるという大きな枠組みを与え︑内と外の相互作用による歴史の動きをみさせていきたい︒ただし︑歴史を前に進めて

いく変革主体としての﹁民衆﹂の視点は大切にしていかねばならない︒

本稿では世界史と日本史の融合を試みる試案を提供したにとどまるが︑歴史学習全体の内容構成を自分なりに構想してい

くことが現下の教師に求められているのではと考えている︒﹁新学力観﹂が現場に広がるのを見るにつけ︑生徒の﹁興味・

関心﹂への支援として﹁学び方﹂が強調されるが︑やはり﹁何を﹂こそ生徒に伝えていくのか︑学ばせるべきなのか︑教師

の内容吟味の力量こそが問われているのではないだろうか︒もちろん︑プランが出来ただけで﹁学習﹂が成立するわけでは

ない︒生徒の﹁わかり方﹂をふまえた授業づくりこそが最も大切である︒しかし︑だからこそ﹁何を﹂どのような構成︵系

統︶で教材として生徒の前に提示するのか︑ということが教師の責任としてさらに自覚されなければいけない︒

21世紀を目前にした今︑世界は大きな変動の時代を迎えている︒21世紀の国際社会に求められる歴史意識・認識とはなに

か︒人類の普遍的課題に応え︑平和・共存を願いつつ主体的行動ができる人間の育成こそが現代の教育改革の道標である︒

−54−

参照

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