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『宗教研究』季刊第1年第3輯(*101号)

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(1)

――目次――

1,

嘉祥大師の法華経観の再検討,山川智応,Chiō YAMAKAWA,pp.1-29.

2,

ダニエル書の研究,大畠清,Kiyoshi ŌHATA,pp.30-66.

3,

「神の像」の問題,菅円吉,Enkichi KAN,pp.67-89.

4,

宗教学に対する知識学的前提,島原逸三,Itsuzō SHIMABARA,pp.90-125.

5,

楞伽禅,久野芳隆,Hōryū KUNO,pp.126-138.

6,

教禅一致説に対する疑問,上田大助,Daisuke UEDA,pp.139-160.

7,

日本宗教の現代的問題,浜田本悠,Honyū HAMADA,pp.161-168.

8,

宗教,政治及び経済,バスチード宗教社会学の構想に拠りて,伊藤道学,Dōgaku ITŌ,pp.169-192.

9,

田辺元博士著『正法眼蔵の哲学私観』,増永霊鳳,Reihō MASUNAGA,pp.193-208.

Posted in 1939

(昭和14)年

(2)

ヽ 、 ■ 山 癒

川 l智

−尚題の経出

支那彿教史上、陳僻より初唐の頃に重力、・故実教傑輩出Lて、まさに黄金時代の魂出といはれ得る。その中で 三論宗の最も光輝ある組師としては、義輝大師吉癒その人を蒐づ数へねばならぬ。されば我が凝釈夫徳も、. 義輝大師、本領観人也。幼怯レ父黎↓漢地バ鱒義朗大師叫受二撃二諭ぺ定走法門綱僚、雄二出古今可威徳魂々、現ニ

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ’ヽ

象重之威可智腎明々、奪二日月之照相楽作繁多、廣施∴部映ペ三論・法華、並革一心府ペ大小両乗、悉琴玄底可三 論及盛、尊重血師可誇組之申、肇軍太絶叫解繹盛レ理、不レ可レ如レ之。︹臥蹄︺ とい︰ひ、重た 茅帝大師輿三冷凍﹁攣譜脛静二料卦浄∴卦掛卦。掛卦掛掛、か断掛射。紗か伸餅二新野紛か掛野掛野 ︻軸‰︺ とまで潰してぬる。それほど三論宗匠ぉいて重きを置かれる音蔵師が、地方では釆台智者大師港瓶の弟子章安夫 嘉帝大櫛¢法革製視の再検討

嘉鮮大師の

経観の再検討

(3)

蔵俸にも、その俸の年ぼに﹃晩以二大菜初歳叫声三千部汝撃﹄といふ語があつて、唐の武徳六年七十七歳で寂し

た書蔵師の、五十七歳の事を昏してゐるから、その例を以ていへぼ﹃娩出二稲心精争﹄も、濯頂師五十歳以上の

事と見ねぼ串らぬ。すると戒師は頂師より十二歳の年長であるから、前野い十二歳以後の事に屠するⅧかく見て

の上で前の文を解して見よう。

開皇十右打臍の晋三鷹即ち後の塚帝が、揚州lの練管となカそれに鎖留することになつた時、天台大師を屈請 Lたので、葦安倍頂も陪従Lて行き、繹衆寺に居て智者倉下の抜上括として、日々幽旨を析討してゐたが、俄に

絆大師の法華経親の再検討

師濯頂の倉下に投足←て、洪聾を唾棄したといふことが俸へられてゐる。乃ち﹁韓高僧俸﹂巻十九、唐天台山国

清春藩頂偉に、

開皇土年、晋王作レ攣揚州可陪鹿僧膚∵戻二止刊涛可居二膵凍茸周二法上勝↓日討二幽悉俄贋智賓東旋

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ00000 ∴止二千台岳⋮娩出二輪心精舎↓閃二講法聾ペ跨レ朗籠レ基、超二於冨印ペ方集奔随、負レ餞屯滴。有三吉蔵法師↓興皇

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 入室、義輝結レ津、猫撃新来再開二稀心道勝二息之未レ許。求二倍義記二軍閲蔑洗叫乃知二購解心併有一崩レ従英。

0000QOOOOOOOOOOO

国展レ講散レ衆、投こ足天台可餐こ家法輩∵蟄レ誓弘演。

とあるもので、この下には﹃至こ十七年↓智者現レ疾﹄より、その入滅に際しての章安の奉仕の行動が著されてゐ

◎ るので、或は此の寄は開皇十一年から十七年までの問の飢死事かとも誤認せられぬこともないが︰﹃娩出二桁心精

舎﹄とある﹃娩﹄は﹂藩頂その人の晩年の意と見るの外はない。師は開皇十一年は三十一歳、・唐の貞親六年七十二

歳で示寂したから、三十一哉乃至二十七歳は晩年とはいへぬ。現に同じ﹁輯高伶俸﹂巷十一の唐京兆延輿寺澤吉

◎ 424

(4)

智者に随従して束の方に旋旦天台山に止まることになつ鷲師は晩年に天台山から倉持の稀心精舎に出でゝ、

法華を開講したが、追啓日々に高く、艇侶芸禽をいはれた河西の造朗に跨え、司徒文宝玉から法華の宗旨を訪ね げ

られた山陰の慧基を籠め、顔軽輩を雨らLたと俸へらる1光宅寺の法芸、法聾を講ずる二百五十二過といふ中興

寺の恰印に超えた月とまで嚇され、負笈のもの屯滴するに至つた。寺銭法師は興皇淡朗師の入室で、嘗てより久

しく茅群寺で講砕を結び、新東に名を蛭にしてゐて、速に稀心の講造勝れたのを聞いても、革これを許さなかっ

たが、章安が天台の儲を記せる轟記を借少求め、▲自ら凍探を等閑してよ少、乃ち鰹解心酔、邁粧する所を知り予

因て自ち講を度し衆を散じ﹂足を天台山に投じ、智者の鈴音を求めて法輩を餐稟し、誓を改して弘潰するた至っ

たといふのである。

これを寄算とすれぼ、嘉帝大凝青赦その人は、全く常人の到底為し難しとする朗を渇し途伊雪眞肇純情の求

道者として、古今東西ともに儒ひ稀れな大賢といはぬぽならぬが、三諭の太絶と仰がるゝ人に、さやぅなことは

ぁるまり蓋し何等かの靴俸であらうとした聾者もあつたが、だが衆知の加く﹁輯高僚俸﹂は、律宗の高組南山

ヽヽヽヽヽヽヽ 律師造宣の着で、宜師は茸安より若きこと三十歳、嘉雇より劣れること四十二歳で、しかも﹁緯高僧俸﹂の著は、

、、、、、、、 、、、、、、、、1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 章安絶後十三年三爵鮮寂後二十一年で、此の寄賓は﹁緯高僧俸﹂の撰述の、三四十年前の近事に過ぎないから、 ヽ 蛎樺浄或、天人と談語したとまでいはれ\ゑ且師が、三論の高組に関する事を、道酷途詮を記す筈は祝いから、何

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 等か確凍る節操のあつたものに相違なからうと思はれる。

また他方庸の荊渓大師湛然の航速に成る﹁岡清寺百錬﹂︹蠣︺を見ると、亭肝尊書蔵法師が、天台大師を屈醸し

ヽ 嘉鮮大師の法華経扱の再検討 〟2ざ

(5)

爵鮮大部の除撃鮭淑の再槍討

て、鮮衆百鮫人と共に、駄華軽野詩を藍かんことを静ふめ嫌が放められてゐる。′そ掛日射昧天台大師入滅砂蟄月

前になつてゐるから、その静には赴かれなかったやうであるが、文中その大師を崇敬するの.探きは、到底単なる

儀鮭の詞旬とはおもへないものがある。乃ち

奥朝倉稽願嘉群尊書嶽椿首卸商、伏聞、山撃塵蒐”造安登両説レ法。峯名二匡鳩∵憲遽栖以安鐸。未レ若二故嶺

宏麗可接︸漢連レ霞、膵整儲流、衛レ天瀬レ日。赤城丹水、仙宅換直。彿垂香鮭、聖典幅鞄。復鮭檀レ美、孫賦解毒。

智者柄憑、二十解離。群書門徒、放流二遊適可豊豊藁彦、縫解二適経∵準渾俊紳、止健二嘩琴刊藩非起筆窮

ヽヽヽヽヽヽヽヽ 恕∵徳倖巾補廃山豊能挺紛洞明、定悪食照。至品二周旦捜後↓孔丘命世。馬場化終、龍翰後始。内外不レ墜、信

、、、、、、、、、、ヽヽヽヽヽ 華人弘可光義大乗”開義秘教ペ千年之輿、五首之賓、復束㌻今日ペ南岳叡豊、天台明哲。晋三菱住持、今二

、、、 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 、1、、 、、、、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 食巌系。澄止撃甘露於振旦↓亦首レ震二法渡於天竺ペ生智妙悟、魂晋以来、典籍風請、資無二連類可繹迦教主、 棄芙蓉簸、廃合法王、善財訪レ邁。敢線二筋迩”締懇望誠。謹共高来〓日鎗檜”奉レ清二智者大師¶寧暢法華

経忘豊麗典、衆豊之喋襟、藷経之闊鮭。伏願、開二彿知見叫撃此重昏ご㌘眞賓邁”朗二故玄夜可庶以、三千

闘士、奉輿コ未聞?百劫後生、奉導二大義可実レ境域レ衝、折レ米伊臨。括落山荘、玄黄均野。桂巌玉藻、菊岸聾 ‘

柴。新潮ユ聾陶之心可頗俊二線覚之抱可青蔵仰謝二前達∵傭塊二殉求叫読催唯探、但檜三蔵慄叫話語。

太隋開垂十七年八月二十一日

とあるもので、ごの外﹁駒清寺首線﹂紅は、裁師よ粉天台大師に呈上する書簡三通がある。戒師は天台卓旦三

蔵め年少であるが、康夫廊紅馳親して海艮受けたが如く、誠虚至藩、渇仰の情が緒嘉紅漁れてゐる8 42β

(6)

恵た戒師が天台大輔転面調海を請ふに至ったについては、同−事賓の魂認とおも′はれる逸話が、和漢に各二間 _ ヽヽヽヽヽヽヽ、 ヽヽヽヽヽヽヽヽ づゝ俸つ七ゐる。我が簡に倦はれるものは、邁宜律師の曾孫弟lにして葦安大師の玄孫弟なる、東大寺戒壇院の法 進大衡都の、﹁沙禰十戒並威儀経疏﹂肇こに見ゆる左の女である。 臍穆藤時、有二天台山岡清寺智者大師∵琴南供奉”従レ東野野天台ペ路過二鵜州嘉鮮寺遽可正健三吉城法師講二法 華麗?通俗萬飴、二暗礁詩。其大師入堂、少時坐舐。法師使命下行一義革命レ人紛議山大緬伸レ手、承レ取二如箋 港師不レ司如レ此著破約繹師、久在二山中叫守二木頚火可有無レ所レ知、何能諭議。如意且過、不レ用レ輿レ之。大師 便宮、・月俸呆巌一議漉旬偽↓奈何隆童、不レ撃恩流呵法師卑官、封レ衆論談、要撃有徳可碓師口納、應レ非二 英人?大師無レ言、知恵便過。聴レ脛少許、健琴南清司出レ門乃報︼福従沙漸葎頂二言、此人詩経、邪僻極多、正 徳拳少。汝可下達旨至レ寺、釆レ此此取、牌辟見レ電沙儲受レ寓、奉二舎上語叫如ムレ蒙二筋願可濯頂途レ師番了、複 夢衰群寺中可下行塵紙。毎日二時論議不レ鮭。上行数床、如意壷邁。法師文言、下顧計亦無レ人。潅頂健吉、 ′ 如意未帖剖、邪得レ無レ人。法師廻願唱言、可下過二如琴輿巾彼沙浦山其濯頂待二聖息l巳、唆膝小璧讃二法師吾、 嬢室内該一三壷警外債二九確〓攣藤代之摩騰叫邁ユ秦朝之羅什可徳若こ馬撃逸東灘標、美文覇秀。明二三車高 勝二四賀潮長野両攣六適ペ包二乾坤義春宙叫揚二彿琴偲二衆生ヤ藩頂多事、過二斯師匠叫沙翻肇向、語意

動鞄法禁雲、盗禁二桁レ整神島相敷紛。漂讐、法師禁二飢レ鼻填転義豊限探也。

噺雄−然、知れ此尺水、亦不レ生一女波ペ潅頂文言、尺水難レ不レ沈コ鯨足可得忘㌢其壁蟻叫法師骨云、小師畢蓮多 庸∵好件諒闇鹿↓阿閲梨魚答。沙頚髄嘗、野干琴面上∵姪有一雨文ペ未簑下胡作一向蘭梨”有中僻典接加雷蔵観レ 嘉詳大師甲法華姪触¢轟ぬ討 五 〃27

(7)

嘉絆大師の法撃経戟の再検討 ▼ 六 此1便撃︼手如意”打レ案一下、如意便所。港頂調言、如意改新、義鋒亦推。音戟骨云1我如意折、・取㌣汝事案 者?濯頂高琴∵撃一如意”報云、百年之後、方雷二付爆叫育成見二此奇討叫便下こ高庭叫問こ沙禰二言、卿師工事何 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 人可潅頂報言、内債奉大穂天台大師。前者至レ此聴レ法、匪主不音輿二如意真也。法師聞レ此倍自懇責、我等愚 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ. 痴、不レ識二聖人可弟子沙摘、智慧備蘭。何況於二本師可常時停レ講、共三共確頂↓奔往二天台↓逸見二大師叫儀行 ヽ ヽ ヽ ヽ.ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 肘歩、沸酒流泣、涙下如レ雨。其大師毎日二時、昇座焉レ人説法。普蔵屈レ身、粉如こ基橙叫要令−︼大師躇二背上可 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 座下亦如レ此。 とあるもので、その後にあるものは、唐の造邁の﹁法華文句輔正記﹂愈二右左の文でぁる。 嘉鮮者尊名、垂呑稽可王義之冶レ学研レ置。名書蔵、胡郷所生。世稀二撃警心包二難伏之華口潟二如流之耕再 ヽヽヽヽヽヽ 著二蓮章疏﹁領レ徒盛レ牝。大師初至陳都↓有二沙爾汝盛↓造レ席数問。法師無レ封。法盛時年十七。身小峯大へ。 漁師嘲日、傭郊不二推レ草補手身。法盛應レ聾封日、法師何不二別レ鼻項¢陣。普蔵良久咽、更調日、汝好問、牌梨 好々薦レ汝答パ法盛日、野干和上、著空挺文↓胡作二閣梨¶出二何典接叫普戒泣謂日、尺水計準女波可畠盛目、 余水錐レ不レ能レ姑二鯨禦亦足レ掩二蟻蜂可昔成文間、誰夢−汝師叫汝誰弟子。法盛臼、宿主種覚、天人衆中、虞 垂︼法頭声是我等師、我是弟子。論敵乃拾二山水約一領↓用奉二大師可達郎伏贋、請詩二塗票身薦二肉讐用筆 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ∵高座可後因レ倍二章安表記∵乃摘達二璃探可慣筒口紺、身踊心酔。履レ講散レ衆、授二足天台可準奏法華↓蟄誓弘 演。頂戴永乍、萱生二異徹可嘗章乃有二流行者↓並是共時収不レ壷者。 ◎ この爾逸話の中、後者は相常に疑はるべきものが少くない。党づ﹃大師初夢薩都−﹄の時は智者三十歳、青蔵師 イ2g

(8)

・◎ 十九歳で問題にならず々仮に﹃再至三昧都一﹄時としても四十八裁から数年問、開皇十一年以前だから、隋が陳を 滅してやら蔵師が嘉鮮卑に行ったといふ﹁韓高恰俸﹂の記事と、しつくり合はないことになる。また法盛は、若 ⊥宋の恵磐の﹁悌組流転﹂︵媚︶に依れぼ、﹃蹄師放盛、初於二玉泉克土智者一﹄とあつて、開皇十二年荊州営陽に玉 ヽヽヽ﹂▼ヽヽヽヽ 泉寺を達てゝから後の入門になつてゐる。但しその以後となると、蔵師が嘉鮮寺尤講嘩を張つた後となり、ほヾ ﹁沙禰十戒並威儀脛疏﹂ の記事と同じ頃となるから、蓋し同一の革質を、後世或は章安と俸へ、或は法盛と俸へ たものであらうが∵茸安はその頃既に三十一二歳以上だから、爾記事中に﹃沙摘﹄とあるは賓に添はず、章安が ′ 、 沙禰の癖は、蔵師まだ嘉藤寺に止泊しないから、寧ろ沙禰法盛である方が、その問答の内容からしても、や1寄 算らしい感がある。またこの問答はあまりた兄戯に類するが、印度翰師の逸話の中にも、これに逝似したことも ないではな小から、必らずしもこれに近いことがなかったともいへまい。 そこで更に﹁練高僚倦﹂の著者が、音赦法師の名人を叙するのを見ると﹃見三共状︼則、倣岸出レ群、聴一兎言l 則、鐘鼓笛動。裁力学諸名辞↓薄示二言躍ペ皆掩レロ社レ辟、抄二能異学﹄︵鳩十︶とその/風容世故し、隋の帝王味の 第で六十餞人の英俊の席上、雄梧河傍白ら三園給師と稀する伶粂と、四十飴番の問答をしたのを叙して、﹃裁封 引瀾激、注鷹泊然、東レ之間華一慣貌叫詞彩舗蟄、合席欒レ情﹄といひ、論敵寂然として退いたといふ。その豪爽 膵偉、楓々たる風姿は、彼の馬鳴・龍樹・提婆・天親等諸給師の態度を尊んでゐるものと解せられ、彼の土の給 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 師等が、若し理塞り節属すれぼ、﹃見惑頓断如二破石︼﹄ 洗然として辟正する、眞の大丈夫的風懐を有するを範と ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 Lてゐたものとすれば、多年謂四論の無所著無所得の親解に練れてゐたことも加へて、嘗執に拘はることな 所く 嘉絆大師の法華経親の再検討 七 イ2ク

(9)

幕絆大師の法華経漉の再漁討 八 . 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 ヽ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 詣 ■’ を十一歳の蒐進たり、十徳具備せる天台に受くるに至るは、これもまた必らずL藩有り得ないことでなく、か くて天ムロの数を聴き、摩諦散衆して、身を肉椿と為すに及び、ネを天台の講を徒衆と共に屈請もしたが、発くも なくそ聖杯癒に食払、失望して自らの途に進み、後また十鎗年、章安が稀心寺に出講し、賽替の、喧羞たるに及ん で、ほじめ博之を許さず、襲記を求借七、途に天台に痩足するた至ったとすれぼ、以上の材料に多少の修正む加 、、、、、ヽ、、ヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽ へて、全部を骨定することになる。但し法進は音競演後八十六年に生れた人、邁蓬は更にその以後敦+年の人で ヽヽヽヽ一 あるから、尊貴があつてから、繭師が俸へ聞くに至る百度許年の裡に、いかに添加せられ、或嫁潤飾せられ、或 は歪曲せられ、†或は全く轄造せられたかも知れないし、若し又疑を逢しくせぼ、′歳怖が天台に奉る藩簡は勿論、 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ’ヽヽヽ その館詩経疏も些の躊躇なく骨盤するといふ繹陀はいかぬかも知れない。だが、造宜律師が同じ南方において、、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、、 ヽ 、 ヽ ヽ 、 ヽ 、 ヽ ヽ ヽ ヽ 、、、、 ヽ ヽ ヽ − ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 0 0 0 0 0 凝づから青壮年の頃の出来事を書きのこしたる、濯頂偉中、音蔵法師授足天台の記事を疑ふことは、明律浮戎の 0 0 0 0 ヽ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 律輌わA路上からも、錬りに撃滅に過ぎたる懐疑重義に陥るものでないか、とぉもはれるのである。 南Lでとれを溺賓ょする恵らぼ、塞に東西古今の歌登史上、匹爆撃れなる糞辞であつて、もつと俸咽せられ、 後世わ忽鑑と漁ってよい嘗である。 そこで此のl小藩は、寮辞書歳大師の法華経観は、その著書に依って見れば、果して天台大師の﹁法聾玄義﹂ ﹁国文旬し等を求借L、凍探を啓開すれば、帯解心酔い追従する厨を知pて、天台に投足するに至る要素あむや否 やせ研討Lて、こ野間海の上忙繊塵渦流を寄輿せんとするものである。 才JO

(10)

には、柾鹿部に 法轟革帯 十二饗

〓 嘉帝大師の法華経観

兜づ嘉群大師の法聾経に関する疏繹の、後世に俸はれるものが深部あるかを考へると、我が延暦十四年、勅し

て各宗をしだそ中幕旛の草薮を嫁して上奮せしめられた時、三論宗は元興寺の安達律師が上ってゐるが、その中

法華新寧疎. 法華統略 津華遊意 聖開聞郵あり、 漆準論成 魚華玄論 の±和が毯玖都骨六部が見えてゐる。江戸時代に入って智積院諌順は、この﹁諸宗蓋録﹂に増補姦み宗、 三蜜卿においでは、 法華玄謙 一懇 書惑適 ′ 、 叡曹脛讃..一撃 嘗戎通 蕎犬鱒の法華経親均帯鰻蔚 / 執拗東部に 三舎 慧芸 十巻 舌萩通 一巻 三尊 六巻 暮鉢巻劇音蔽通 紛海事圭璧 夏一六璽 青煮適 九 イJJ

(11)

これ琴の中、今筆者の脱肛解れてゐるものは、﹁義疏﹂十二審、﹁玄論﹂十巷、﹁溌略﹂六食、﹁遊意﹂二糞聾であ

って、ノ﹁中流毛奄、﹁玄談﹂忘、﹁観音経讃﹂姦は、いまだ見ることを得ない。よつて本論文は、妄論﹂﹁義疏﹂

﹁溌略﹂﹁遊意﹂に基いて討究を試みる乙ととする。 −

▲■

岡新塊威.十二金﹁眉

陣 中魂 七奄 何

故溺音静 十車 用

法華翰腐.∴三番イや 韓華兢略 三省鋼寧一六撃

韓華趣意 一巻 河

の七部が見えてゐる。﹃洪華中疏

の二部を埠補してゐる。

また﹁大日本彿敷金昏﹂悌教書籍目録第一に牧むる所、著者不詳の﹁三論宗経絡葦疏日録﹂に依れば﹂ ヽ

法華義疏∴十二懇 嘉絆大師

■ 昔空合稽”著二此経玄文”凡二十鸞中居二京兆↓攣其要用”裁革1七軸可但余少弘こ四華末専習ニ≡讐・栽

大師は﹁溌略﹂の巷層湛

嘉絆大麻の法華経親の−再検討

七巷﹄といふもの以外は、上の安達録に載ってゐるもののみである。

イJ2 l

(12)

といつてゐる。替稽はその嘉群寺に在灯し時で、﹃玄文﹄は﹁玄静﹂と﹁義疏﹂で、合して二十二番であるが、、 大数に約し準から﹃凡﹄の字を加へて﹃凡二十準﹄といつたもの。﹃中居二京兆−﹄とは、閉塞末歳、晋王虞が四 退場を置いた時、江都の悪日道場に入少、貴た京師の日厳寺に居た前後でゞもあらう。その略裁した七巻本は、 ﹁三鎗宗経論章疏目録﹂に、﹁中流﹂と稀するものらしい。そtて此の﹁統略﹂は、何時垣何虜で執筆したかは、明 瞭でないが、﹃末寺習ニー莱↓私衆二講、野主百撃﹄とあるから、恐らくその晩年六旬左右の頃ではな.いか。そ れに此の啓卍蔵本わ巻中本即ち第三巷の終ゎに近い虞に、本文に無閲係で﹃大業六年三月一日﹄と、ある。若しそ の頃とすれば、蔵師六士義である。その執筆の揚虞は、憶測を外にしては知るべき材料はないかの如くだ。 そこで﹁安達錬﹂井びに﹁目録﹂に、﹁新撰疏﹂といふものは、此の大師の文中にないが、取りわけて書いてな いのを見ると、﹁義疏﹂の初稿本に、漸次幾らかの修補を加へたもので、東髄は同一物甘あるから、別に鴻げなか ったのではなからうか。そして現行の﹁義疏﹂十二巻は、その﹁新棟﹂本なのではあるまいか。別にその詮とて はないが、﹁玄論﹂には頻りに﹃塊見放聾諭﹄の塩辛が見えてゐるし、時とLて﹃晩兄姉大乗翰﹄などいふのも見 ぇるが、﹁義疏﹂にも﹁法度㈹﹂の名は廠ぽ出るに係らず、.﹃娩見﹄の二字の見えない如きも、いはゆる﹁新撰﹂ の謹ではないかなど息はれる。 ヽ また﹁法華遊意Jは、十大門に分って法華の玄意を繹成し、ことに弘鮭方法の下に、迭師品の﹃如来硯准猶多 怨嫉ハ況滅度後﹄を繹して、 爵詳大部の法華鯉朝の再検討 衆二講、牌こ三吉遍可 ● イββ

(13)

詳蔓大都の法事親鶏の帯織謝 ︼ニ 答、世人云、良重苦レq、莫言逆レ耳。此経度こ玉来之異執叫立ニー梅之玄宗可故斥レ凡呵レ聖。排レ大破レ小、指二 天魔一箪義盛呵準︼外道一箪恕鬼ペ鱒︼執小︼箪衰蝿∵挫二菩薩義↓敷革可敏夫魔窓レ脚、外造姐レ耳二衰驚愕、 菩薩怯窮。如レ此之徒、喜レ琴︼留難可世間多怨妖言、登可レ虚乎。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ の如き、天台宗の来春智度の﹁哀調﹂に襲用せる名普葱、其の他よく蔵師の暴説を概給して、最も畢を待霊ゐる ■ ● から、嘗てはこれがぉそらく最終の着であらうかと考へられたが、其の後故ふる魔に依るに、これはr疎略﹂以 前の著やあることがわかつ鷲その動かし斯き碑環娃、第九明都債不同門に、r正洗車粧﹂﹁法華二味経﹂﹁方等法 華経﹂ゐ三選空調鳩珊禦駅酢齢雛帥㍍譜譜㈹攣を附してゐるが、掛か仕掛ユ中森軸︶㌫掛掛卦掛、掛掛掛針 ﹁

嘉宗やか掛獣卦掛﹂㌫かやか掛㌫町㌫窟ぐ袈敷か砂中排酔御厨架か桝炉酢か如如い、ま

た﹁溌略﹂︵牒︶に、豆翰﹂﹁養疏﹂と異る漁を含む把就いて、六者を出して偽る竺に∵ ﹁ 二本庸レ無、今史方有、如一向土之漁及七争茎莞 一 とある。此の四土及び七禽の文は﹁趣意﹂︵鰯︶になく、後にはたゞ、華厳との五異を明す第茸の約擬異陀、 叢七鹿八禽、此鮭一虚一食説。問、法華亦有二多磨多争以不。答、同軍東革聖教唯有ニー廃刊而約ヱ前後↓ 凡有宝坪稜三時可初分之鮭、重森土之中一詮。見塔巳去、夢l於巌菜叫第二分匪、奉l浄土中森。始自二簗壬∵終 託こ尊重晶二軍畢一棟土中一説。 といつて、い払ゆる二魔三食はあるが、四土七鹿は.いつてゐない。嘗て粛等は四土七禽の如きは、﹁趣意﹂望J亦 有二多鹿多食叫以不﹄といへる申に、乃ち言ひ得れば言ひ得らる1がとの意で、正しくは前後富山禽と虚暴食の、 、 イJイ

(14)

′ 雁什三蔵が﹁妙法蓮華鑑﹂を研諾してから、梁の光宅法芸乃至は天台智者や、この嘉僻大師の出づるに至るま

せ、凡そ一首五十年、其聞に法華を講じまたはその疏繹を逢って、とにかく名を世に諭はれたものは、僚肇、道

融、道恒、恰叡、曇影、慧遠、烹慶、道生をはじめ、曇諦、道朗、慧亮、玄暢、恰印、伶鏡、法塙、慧基、慧龍、

安東、法通、法芸、智赦、法上、追考保恭等があり、融、影、生、朗、盛、環、基、芸、豪等の師には、おの

′しl蓑疏があつたといふが、今日俸はるも.の叔、生、芸二師のもののみである。このヰで、生師及び什門直授の

人はしぼらく措き、謂ゆる南北朝諸師は、概して法聾の全彿教における任地を、甚だ高くは認めず、多くは華厳、

ヽ︳ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 淫楽の下に在り、般若とも相高下すとして居た如如くである。その中において、法聾は法理においては、華厳・

ヽヽ 捏撃ふ卦掛掛かい掛掛・㌫か、御伽掛芸掛か酔ぃかが研か、衝蒜紗か中、炬宗㌫蒜軒数漱尉如討鮮

なることの真澄となつたのである。 師が黎明の説として、此の腔における鐙仰の熱意が、これを然らしめたもので、﹁統略﹂こそ﹁遊意﹂以後の筆 二些二禽を示してゐるもの七見たのであつたが、その後委細に見ると、寧ろ﹁兢略﹂の四土七禽説こそ、嘉挿大 以上はこの一小論文の取扱ふ文献材料であるが、大師の法聾経親は、天台大師以前にぉいては、最も虞汎にわ たつてゐるものであるから、本論の所期を遂行するについては、また隷じめ諭鮎の範囲を定めて置かねぼ、或は 要領を待なかったカ、又はそれが一小局部の意見に屈してゐたりすることにならう。そこで、法聾経の本幹とも ■ 忽カ、全髄論ともなる論鮎た於いて、討究の焦鮎を決して置く必要が生じるがである。 _ + 嘉絆大師の法華経執の再検討 ’ イj∫

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00000 のものとすと論じたものは、箕にこの嘉帝大師吉成その人と、天台大師智顔その人なのであつた。 元来、三諭宗はまた四論宗といひ、中・百・十二門の一二論と、大智度諭を以て宗とするのであるから、若しそ の俵経をいへぼ大品般若といふべきである。その宗致は無所得・無所著の八不中道であり、全備教にぉいて勝・ 劣∵等の三番を以て、一切の著滞を彿ふ遭蕩の宗旨である。tかるにその三給・四諭の中興の太宗師たる舌鼓師 00000 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ みづからが、上の如く﹁法華溌略﹂において、﹃余少弘二四論”末専習ニー莱一﹄といつて、三諭を講じたことは一 ヽ、、 、、、、、、、、、1、、、1 1、1、1 1、1、、 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 百飴過、却て法華を講すること三百除過と俸へられてゐるのは、ほとんど宗を法聾に改めたが如き形にもなつて 000 .ゐる。しかもなほ三論宗がこの人を太組としてゐるのは、かくの如く法葦に重きを置いてゐるが、なほ結局は無 000000000000000000 ヽ 桝著無所得の三諭の宗意凄艶れてゐないとし、三聾ポの葦疏として、怪しむ所なく俸へてゐるのであるが、その 0000 所詮の展開する所を見るに、みづから少うして四論を弘め、末には専ら一乗を召ふといへるが如く、漸次、法華 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 経を以て、金悌教の太宗とすべきであるとの意に、展開しっ1あるのを見るのである。 戒師は、一代悌教中、此の経の分厳に就いて、常時南方にもつとも勢力のあつた開香寺の智戒、光宅寺の法芸 し ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 等の取るところの、項数華厳、漸教五時、不定教膵宴等、その漸教五時の第四時高書同好教に法華経を牧めて、 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽヽヽ 第五時の捏準頓教の華厳に劣れりとする誼と、北方に勢力のあつた畳土光溌等の取るところの、全彿教を因縁 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 宗の艮曇、仮名宗の成資、灘相宗の大晶・三論等、常宗の華厳・捏架の四宗に分ち、法聾をまた詔相宗に威せし めんとする詮とを破して、﹁玄論﹂▼︵牒︶に ■, 嘉棒大齢の法華経親の再検討 イぷ

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◆ 一 といひ、五時二四宗の如く、此の経を因を明して囲ならす、果を班じて足らざる牛字の教と為すは話法の過あら んとし、三種浄義、三引法門、椎茸相資、三描法輪を説かん焉め、彿是の鮭を説くとし、左の如く論じてゐる。 0000 復爽、欲レ詮二諸彿三種浄義↓故詮二是鮭ペ 一着、五戒・十善、以浄こ三途可 固旨可進有二稗欺之両二襲撃読藷之罪ペ ㊥○ ヽヽヽヽヽlヽヽヽ 妙漁蓮華経者、蓋是群聖喉衿、方等之秘奥、英文巧妙㌧其譲深遠。考レ経推レ論、可レ謂二教囲理満、究克無除之 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 詮可自レ盲愛レ今、受持講話者、則尤累減二於内∵嘉瑞陳l泰外︼者、不レ可二栴富︼也。再来二五時之規矩↓格二無方 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

ヽヽヽ0000000000000000

之撃彗妄謂二此経↓猶多重字、明レ因未レ囲、班レ果不一レ足。五時飯南、四宗亦然。靡こ五四之妄談可明二究寛之 具二此三浄↓争藷衆生、得レ眉三界内外火宅可夜襲是攣也。 0000 復爽、欲レ野主引法門”故詮こ是鮭? 一着、如来出世之始、覚こ法葦之前↓引こ九十六種邪見、及在家衆生二軍−五菜正法ペ

一義、野か聖賢跡軒一コ暫

二者、琴南諦・十二因縁∵以洋二三界可

〇.〇〇〇〇 000000000 二者、引こ五菜之異↓同好ニー乗可部法華初段意也。 000〇 0000000000 三者、引一二束之因三野︼法身之果ペ此経後段意也。 0000000 此茎二引、′撃教不良、撃理不義。今典明二三引究軍彗 嘉蹄大師の法華腱裡の再務討 0 0 0 0 故説二是経可 イJク

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_ 復攻、欲レ明二樺資二智相資︼也、故革︼是経ペ 所二以然−者、非レ樺無こ以耕す賓、非レ安寧l以明一レ樺。由レ賓起レ樺、由レ樺顆レ貨。由レ樺顧レ賓、故樺資こ於賓ペ 由レ 賓起レ樺︰故膚肇−於樺二二世諸彿、智用雑レ多、不レ申・斯二ペ但迷宗之従、戎執レ樺而喪レ軍戎守レ貨而亡レ樺。 今欲レ開こ樺賓二智相賛成↓敬語二是経可 0000 復次、欲レ藷二枚本法輪”歌語二是経ペ ヽヽヽヽ 根本放輪者、三枚諸彿出世、夢二大事因縁可郎撃一乗之道ペ但頼経未レ堪、故於レ一語レ三。郎以ニー粟義レ ヽヽヽ■ヽヽヽ 本、三乗数寄レ末。伯太繚晩熟、堪レ受ニー莱”今欲三遠説二根本法輪”故誼こ是経一也。 此の最後の、法華経は﹃鹿本法輪﹄を説くといふに就いては、﹁養成﹂に謂ゆる三種法輪の誼を為してゐるが、 而かも未だ三極法輪といはず、饗詮、璧覆、撃開の﹃三時﹄︵蕾︶といひ、或は単に﹃三輪.三鳩︶といひ、その結 論において、後の三韓法輪の名を出してゐる。即ち此の経二十八品に、序正流通の三分を別ち、その方便晶以下 分別功徳品の格量悔までを正宗分とし、此の正詮分十五品年を関して二と為し、方便品より法師品に至るまでの 九品を、薬方便乗眞貴を明すものとし、賓堵品より分別功徳品の格量渇までの六品牛を、身方便身虞賓を明すも のとし、華厳経は一乗と彿身と、倶に南ら眞を説き、以後法華以前は一乗と悌身と倶に両ら眞を覆ひて方便し、 法華に至りて一乗と彿身と倶に方便を開tて雨ら眞賛を顧すものとす。薬方便とは三乗、凍虞賓は一乗。身方便 は生滅身、身賞賛は無生滅常任身なりとするので、 00 繹迦一也ル凡有二三時叫 ﹁考璧詮。二者撃覆。三者饗鞘。 − 嘉絆大師の法華経親の再検討 4.ブβ

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◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ 総称ニー切諸俳教門ペ法聾結こ合終始可英二足三門ペ但封一重品遠望放言二僻又開壷。 といつて、即ち法華が根本法輪を説くとは、枝末の三乗敦を収めて、根本の一乗法に踪せしむるものぞといぶの である。仇で﹁玄論﹂きで、南方五時の詮、北方四宗の論をするものが、華厳は囲満の教、法華は未了の詑と するが、初成造に一乗を説き、衆生を化し得す、後に法華に於て一乗を以て化し得た。若し衆生を化し得た一乗 が掛ほ未了の詮ならば、初成造の一乗も不了養の詮であらう。若し初成造に未了の説もて衆生を化したとせぼ、 衆生と彿と親子の恩情.に荒くであらう。若し初成道が了義で、法華が不了義たらぼ、一乗は衆生を化し得ず、非 一乗は衆生を化し得たとなるか等と駁難して、尊貴聾厳と法輩とは、同じく一因の莱眞茸、二光の身眞賓を明せ る、数滴理囲、無駄究貴の詮で、但だその説の善巧方便起練不同の焉めに、語相の異を為すのみとて、十四種の 不同を奉げ、而かも此の十四不同は、七巻の妙経と五峡の輩厳と封して判ずるのみ、法華の大本に就いて之を論 、ずるのでない。とて群論の﹃法葦如二大海水≡とあるを挙げ、また信解品の長者の食豪、七珍具足、脊屠国縫、 ヽ ヽ ヽ ヽ △ △ △ △ ヽ ヽ ヽ ヽ 初之要語、謂、根本法輪。欠乏饗覆、謂、 但小器未レ堪、故鹿苑之禽、陪レ一明レ三、覆レ本開レ迩。是以長者、止二於傍使二卑琴一際人叫 脱二珍御服↓ 著こ弊 0〇一 其事、敬語三傑又認可 言二僻嘉嘉、俳初成道、華厳之鳶撃諸大王撃究克法↓明三園満身ペ故長者居二師子堅羅二列貨物﹃即是 00 垢衣∵即是其事、謂こ璧覆︼也。 00 事一法輩之食べ倶開ェ二樺”琴不こ雨賓可謂こ饗開−也。 嘉絆大師の法華経敢の再検討 △ △ △ △間■ ヽ ヽ ヽ ヽ 岐末之教。後之僻見開、謂、 △△△△ 収束蹄本。此之三門、非二但繹迦一此↓ イJ9

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嘉細大師の法華経親の再検討 ● 一 一入 諸人侍街は、華厳の悌の奇特を雪ふるものとL、娩に見る﹁法華諭﹂に、薄量品に法・報・應三身の具足は、法華 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ に輩腰度合邪の身を具すること勿論なカと論じて計るが、未だ法華を以て、華厳を踊束るに至ってゐない。たゞ 三極法輪において、﹃法華結二合格結↓具二足三門−﹄といつてゐるのみである。 かくの如く南北の四宗五時において、究寛囲満の教とする聾靡経と、全く同一牒なる法華経ぞと諭ずると共に、 更に法葦は捏奥の常任に及ぼずといふを破して、彿性常任の義を明せりとしてゐる。 救日、凡論二減数∵謂二田囲果極ペ此控未レ明二常任↓政男未レ満。満手兵明二緑璽一因可此経但明二縁国威彿↓未レ 明二正困”故国未レ満。 答日、此経明、衆生有l魂性ペ郎是正困。催二寓行元ニー粟↓如是経国。故国義具足。開二近迩是無常”顧一一妙 本︼夢一常任可故果義究克。 といひ、更に法葦は彿性を明す寛めに説くとて 復攻、欲レ明ニー切衆生皆有二彿性叫故詮一定讐間、以二何義姦、今誼ニー粟↓乃言レ明二彿性融。答、若有レ三 可レ有二三性可既唯有一乗、則唯一性。⋮⋮ 問、此経但明ニー莱↓云何巳朗二彿性可 答、中論云、撃夜憩精進、修二行菩提道∵若尭非二悌性↓云何行三蔵彿て:︰若法華未レ所二悌性↓但練国威彿養 老、銃撃︼彿性↓則準︼成悌理?⋮・以レ頚椎レ之、必明二彿怜ぺ 問、理推可レ然、有二何茎讐 ● 4イク

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答、此澄始末三多有二彿性之文ペ方便品云、開二悌知見∵既得二清浄司郎是一文。悌知見者、謂彿性之異名。衆生 本宿知見、琴短攣覆、故不二清浄ペ法華教起、焉レ開三衆蕉有二彿知見凋此釦是彿性轟。若無J彿性↓教何所レ開 耶。 問、若此経己明二彿性∵捏菓何頂志望禁 答、若巳了悟者、不レ須二捏盤︼也。 問、何以知下至二法華一郎了悟1不レ須中日盤上耶。 00000COOOOOOOOOOOOOOOOOOOO 答、大経菩薩品云、如下法聾脛中、八千草聞待レ受二記荊可成巾大英資山如三秋牧冬戒、東野所作可故知下垂二法聾 時叫即知二彿性可巳待巾了悟上也。見過去二寓日月燈明彿、詭二法撃克、便入一転架ペ故知下関二法輩経可 巳究二蒐 悟︼不吉須レ誰二捏撃也。又迦薬価時、雄レ有二撃警而不レ詭レ之。故知法華是了義教。文語景品云。諸子有レ二、 一不レ失、レ心、二者失レ心。不レ失レ心者、其法華時、並皆得レ迫。除犬レ心者、待二後唱手滅、方得二領解一也。娩見ニ 法聾給可明二彿性義可有二七丈現今略引レ二。初繹二方便品唯悌究発諸法貨相↓ 諸法資相者、謂、如来戒法身之 程、不欒故。彿性亦名二如来裁可故云、隈多如来戒∵額名二法身可大攣茶、我老齢是如来蔵義.。次第二女、繹こ 法師晶二票知三悌性水不レ遠、郎成二三菩提可 _ ヽヽヽヽ 然るに﹁法聾造意﹂︵朋︶に至っては、その十大門の第一の大意門をまた十門佗分ちたる第四に、前の三種浮義を ヽヽヽヽ000〇 0000 三揮汝門と名け、第五に三引法門聖二蹄法門と名けて、輌邪蹄正門・柿因辟同門・撫因露尭門とし、﹃法華之前、 7 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 但有一勤門司斯脛鉦融三舎二ル禁則具二足三門叫然明二此三門二最丁薦攣寂滅璽乏道叫今村懸悟之賓鱒乙斯妙操 闇 轟帝大蹄の法華経淑の再検討

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嘉絆大師の法撃経観の再検討 ■ 二〇

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

栄二曾邪正”乃至畳是国英耶㌔故此三門、筆数不一レ牧、撃理不一レ擁。如一義之含二萬象↓若三海之約二百川一﹄と結 0000 び、第六に三種法輪を明かに命名して、﹃言二三種哀、一、根本法輪、二、枝末法輪、三、柄末辟本法輪﹄と拳げ、 0000 根本法輪考−謂、彿初成遣華厳之禽、純撃筆陣”開ニー因一英法門↓謂二根本之教︼也。 0000 但薄幅錦棍之流、不レ堪レ聞二二凶一男ぺ故於ニー彿来↓分別詮レ三、謂二枚末之教包。 0000〇 四十鰊年、夢二二乗之教↓陶二錬共心”至二今法華始得下争疲三乗↓蹄巾於一乗加郎痕末蹄本数也。 問、三種法輪、法華具二幾程︼耶。 △△ ◎◎① 答、一往則華厳撃根本法輪↓自二葉靡之後”法輩蔓糾、撃枝末之教ペ此経則屠二括末節本↓然法華、結二束一 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 此∵該二羅頓漸↓則具二足三輪可 と、前の﹃結合終始、三門具足﹄を更に切言してゐる。誉た前の義軍一智相資﹄は、第三に﹃十方三世諸悌樟 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 軍一智互相賛成﹄として、法華の法門が十方三世縦横溌他の妙化なることを示しでゐるが、更に大文第五の顛密 門︵牒︺の下に、顆密四門・傍濡門晶いて、洗華経が是結合の法門なるを示つてゐる。その琴密四門とは ﹁顆歓喜撃不義化ご拳闘司郎華厳経也。大横巳熱、故顛教レ之。少器未レ堪、不レ宜義此ペ故羅二列珍玩” 正夢︼宗親可窮子僻レ地、未レ堪レ授二珍賓ペ 二、顆敦三尊聞↓不義化二菩薩可郎三蔵教也。誘引正順。正夢二軍二攫撃恋人可不三蜜化二菩薩巧 言、顛敬二菩撃密化二啓開ペ則般若教也。厳土地人、正数二大真付財命説、密此二小心瑚 四、穀敬二菩撃顧此二撃讐則汝華敏也。大士疑除、故顧教二菩薩ペ羅漢作併、故顛此轟聞項此之四門、郎是 4J2

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000000000000QOO 東野三句風二菩薩蔵蔽ひ新教啓開、不許他藩薩、撃三蔵教義。然華厳・大品及以三蔵、常レ敏明レ養、唯事一 〇 〇 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 一轍司法華結こ脅始終↓則是具二足四門瑚 また傍正四門とは、正顧虞賓傍開方便は華厳教、正閏方便正隈眞蜜は三蔵教、正顧虞茸傍閏方便は般若教、正開 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ● ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 方便正顧虞資は汝筆数た㌣こし、際経は常数に轟を明すに唯一門のみ。法華経は始終を給食し、四句を具足すと ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ いつてゐるのは、即ち﹁玄論﹂﹁義疏﹂の上に更に一歩を進めて、法華の聾厳に超過する所以の義趣を、更に蟄見 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 したものといふべきであらう。而かも未だ華厳を以て、迭聾の方便に入る1までには至ってゐない。 生血便畢藷悌本意∵俊二父子恩情l也。今明下法華革垂堅有レ同有古典。所レ富岡者、明ニー造清浄平等大藩ベ ー 一乗、救レ子不レ得、亦是不了義教。若初救レ子不レ得、途是不了教者、即諾悌出せ、便欲下以こ不了義政︼用地中群 救レ子方静ペ得輿二未待∵養乃有レ殊、初後一乗、吏無レ有レ興り若後説一乗、救レ子方待、逐是不了義教考初詮 晋南土北方師、皆言二輩厳是究寛之敦、法華是未了之詮可 今謂不レ然。此経明こ初一乗救レ子不Ⅴ得、後桝ニー乗 而して﹁玄論﹂に、法聾・薬厳の十四不同をいつたのは、﹁遊意﹂︵闇︶に整理して、これを五種異としてゐる。 故滴別品云、是諸衆生、始見こ我身可聞二我所詮”即便信受、入二於俳書可 除下兜修習撃︼小乗︼蕃山 如レ是人等、 我今亦令レ得下関こ是鮭↓入巾於彿慧加 俳慧餌卒等大慧。故知華厳輿こ法華↓ 同明二平等大慧諸悌知見可 無レ有レ典 也。斬レ言異者、略甲立種可 l一者 地主異。華厳地主名二合邦ペ法聾地主稀琴麺迦ペ文筆巌一体所説、法聾則普集こ分身︼詮。文筆腋則菩薩 説。法華則彿自説。 . 嘉群大師の法華経軌の再検討 ニー Jイ.;

(23)

嘉絆大師の法華経親の再検討 \ ▲▼ 二二 ● 二者 徒衆異。華厳寧直往菩薩義。法襲撃麺小入大人義。華厳紙筆菩薩義。法聾雑撃五菜人︼説。葦厳 頓箪壷口薩−詮、法聾漸為こ菩薩︼詮。 三者 時節異。華厳始静〓乗、法葦終明こ究貴司 四音 数門異。官設ニー来年等大道”無レ所二破斥−名箪垂厳教可此経破二三策動固”然後始待レ辟三於一種︼也。 五者 約虜異。聾厳七魔八食談、此経一慶一禽説。問、法華亦有二多虞多食︼以不。答、同率壷鷺山↓故唯有ニ ー虞可而約二前後叫凡有二浮城三時可初分之粧、奉︼機上中森。見塔巳去、蒐二於儀典↓第二分経、 尭こ浄土中︼誼。始自こ薬王∵経詑こ普賢勧蟄品三選寧︼綾上中︼詮。 更に淫楽と法華の優降に就いては、光宅等が轟景品の悌を以て、過去は五首塵鮎、未来は復借上数の紳通妊毒 ▲▼ の備にして、襲州喩の如く、﹃尊意辟二於挙﹄、捏柴の常任に及ぼず、担架脛の方便とする者。四宗に執する光溌 等の流が、法華は常任をいふも漫奥の如く顧了ならず、家相して説くといひ。菩提留支等の年端教をいふものは、 一切の大乗教は皆彿⑳常任を明す、況や此の経をやといふ三義を奉げ、第一説語法罪最も重く、第二梢軽く夢二 最も挺しとし、第一の法華を以て捏柴の方便とする者に封し、﹃﹁以二法華前教義レ難、二、以七法華正孝責レ 之、三、寧︼閲河奮皇ニ︵以批レ之︶、四、以ニ︵十︶撃推難﹄と極力耕折してゐる。一は、大小の般若、浮名、金剛 般若翰等鉦に常をいふ。是等を方便とする法聾、何ぞ常を明さゞらん。二に、方便品壷景品・法華諭の文を引き 常任を明すを述べ、三に、紺中の伶叡、河西の道朗、ともに法聾常任を明すと解するを出J四軋十義を拳ぐる に、一に此の腐肉果を明せども妙義は果に在サ。果無常にして何ぞ妙と辞せん。二に大事因縁の脛に無常を朗し イイJ

(24)

不了轟を以て化するは、生彿親子の恩情に誘かん。三に此の控表を以て三乗の病を治し、常任を以て無常の病

を治す。無常ならば治病囲妙ならずっ四に若し表の果無常ならば、方便鮭の生身法身異なるに同じ、果して然

らば∵乗三乗異らざるに陥らん。五に若し果無常ならば、因行は拳闘に異り果徳は羅漢に同ず、都べて義に非ず。

六に前分の経は舎利弗請主とな少、後分の経は禰勒を請主とす。前分は羅漢表に改まりLに、後分は補虞常任

に入らずんぼ、後分は棟数相異せん。七に天親菩薩轟景品を三身を以て解繹す、畳常任を明すに非ずや。八に浬

嚢経書産品た、法華に八千草聞の作彿するを秋収冬蔵に比す。法華薪了究覚の誇に非ずや。九に二萬の日月燈明

彿、法華を説いて入滅す、未了譲の誼を為して何ぞ入滅せんや?十に若し如倭璧若いふが故に有限畳なりとい

はゞ、これに四句ありとして、無量詮二璧要は淫楽腔の如く、有畳撃有畢は繹迦八十年といふ如き、有量撃

無筆は彗蓋彿の如き、無量撃有畢は金光明経乃至此の法華経の如く、亦た葦厳密に、﹃如来探邁墳彗其

量如二虚空﹄といふが如しと論じてゐるのは、﹁玄論﹂﹁轟疏﹂に加上してゐる℃

而して法聾と般若と対しては、二乗作悌を明すは法聾即ち探法なれど、菩薩の薦めに六十六品に茸慧を明し、

十方三世の諸彿の法身の父母たり、三乗の待遇・断惑・懐悔重罪の三義を、悉く茸相陀依って説ぐは、般若に及ば

ず、術麿互1に憫警還す。僧度論に法華は般若の異名と寄すは、共に是れ軍親平等大書怠ればな少とし︵竿彼

の根本・梗釆・棟攣一輪の如きも、﹃皆是無名相中、寧衆筆故、偶義相姦。然寂滅之道、未こ骨有一三、亦撃不

三無レ弊政止真鯛︶と無励行無所著の彗星に辟⊥てゐるのは、三輪宗の太組たる所以であらう。 嘉牌大師の法華経淑の語根豹 二三 鵬

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二四 嘉終大師の絵筆経視の再検討 しかるに﹁統略﹂に至っては、殆んど放棄を宗とする灯非ざるやを疑はしむるまでに、更に一段の法華経強調 を加へてゐる。兜づ開巻に砂絵蓮華鮭の名を繹していふ。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 開二一逝︼夢二部∵合∑部l夢二題可一題若成、一部則成。一題若壊、一部都壊。叉一題若成、繹迦一此健康。 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 0 0 0 0 0 0 ﹂嶺不レ成者、叉一此不レ成。叉一題若成l、十重二世彿法則成。若不レ然者、一切不レ成。良由こ此経窮探極大可 政経云、如来一切所有之法、如来一切自在画力、如来一切秘要之蔵、如来一切甚淀之事、皆於二此鮭︼而寧諭 之可故此経、か軒鮎誓願↓熟軒l車か衝弊智︵牒︶ また特に﹃妙﹄を讃して四義を立つるは、師が此の耗を絶讃する所以を示すものがある。 然立二妙名”凡有二四義可一着、妙是顧二至造︼之嘉名。二、是伐二男根︼之巧栴。三、窮二讃莫︼之淵府。四、梅二 引物︼之幽致。 顧二重造−之嘉名君、夫妻理不レ可レ名、今畢あ名︼者、欲レ琴南無ウ名也。故寧茶、是法不レ可レ示、言辞相寂滅、 中論亦云、諸法不レ可レ得、減ニー切戯給叫無人亦無塵、悌亦無所詮。箪公云、言レ之者失こ其眞”知レ之者反こ其 愚”有レ之潜義㌻其性二警之者俊二其鰐ペ但至人欲レ令三物故二道無す名、故於二無名相中∵慣立ニー妙名可令三国レ此 妙名得レ顧二理無下名。⋮⋮維摩経序云、非二但妙顧品E一百、郎言二寂滅ペ如三天女之詰二身子”汝乃知二解脱無妄口、 未レ悟こ言即解脱可若立二正等名−者、不レ得下顧二理準レ名、及顧中名無卓名也。 問、所表之理絶レ言、能義之言亦絶、欲レ脚二何撃︶答。所義之珊絶レ言、焉レ明二於珊べ能表之言亦絶、焉レ桝二於 敦叫若然非三伯一題成パー勿体法皆成。、一妙手成者、亦河二切成−英。 、 イイβ

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第二、伐こ果根︼之巧稀有、前表寄レ頼レ理、今除二果棍ペ男根者詣二枚撃也。由二枚相姦生二煩悩ぺ由二煩悩壷 起レ菓、由レ菜故致レ苦。是故金光明云、如従二妄想一思惟、放生二煩悩べ則知著是六道之本、亦是三束之棍。十方 三世諸彿、H世法、正意馬レ伐二群生男根可男根若傾、村條自壊。令二六道反レ流、三乗準レ轍。故此経初晶云、 以三瀬数方便一引こ導衆生ペ満願款云、善哉世奪、按二出衆生虚々貪著叫捏盤亦云、任二十地一故、見不こ了了?準︼ 併任︼故、見則了了。皆是其事。問日、云何立二於妙稀”能伐二累根ペ 答。沈栴寄レ妙、不レ可下作二四句百非︼取杏 之。則受敏之人、一切取相心滅、取相心滅故、同二六道之宗叫改二三乗之轍︼也。 第三、節義美︼之淵府者、彿遣所三以超二九十六追及二乗之学者∵良由二微妙︼故也。若不レ作二妙名−者、無レ由レ 待レ顧三悌遺、起二勝一切諸道叫又十方三世彿、但馬レ明二悌準故、附㌻規於世叫雷レ知皆寛レ明二妙道ペ故此妙名、 於こ衆経之中−敢為レ美夫。 第四い極二引物︼之幽致者、岩間土於妙法∵乃草軍一於妙経↓則起二極敬之心可撃l難遭之念現便有二五種法師”獲二 六根清浄叫故立こ妙名︼夫 閏月羅什事敷妙”以二何文義レ正。答、乃鹿々有レ文政、方便品云、文筆舎利弗∵無漏不思議、甚深微妙法、 我今巳具得−唯我知二是相∵T方彿亦然。明二九道不レ知、唯彿能知可故斯文筆正夢骨 かくて或は昔は五密もて菩薩を敦へ、法華は燕尾賓・身眞賓・寿眞賓・上尾賓・逆眞茸の五顧もて菩薩を教ふ。蘭前 の粧は密語法華して法聾の方便なり用なり、法華は額説法聾にして法華の正鰻。﹃迭華網こ羅衆教”衆教皆以二法 撃璃レ宗、欒王稀寧深大∵畳不二暗然一﹄︵づといひ、或は般若と法華を此して五異を数へ、般若は国中の茸樺二 二五 .嘉騨大師の法華経執の再検討 4イ7

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● 嘉絆大師の法華経観の再検討 ● 二大 、、、、ヽヽヽヽヽヽ 慧、漁聾は果上の樺軍衰の因果不同。大晶は前般若後方便・法聾は開方便門、示眞茸相の椿資前後不同。般若は ヽヽヽヽ 般若超凡・方便趨聖にして、港華は樺洩賛探即ち璃探差別。般若は基有二囁を関して茎有の二慧を開き、法華は棟 ヽヽヽヽ 賢帝慧を関して蛋有の二項を合する墨有義兵。般若は眞俗二項に蛋有二慧あゃ、法華は賓智に頓あり樺智に項な ヽヽヽヽヽヽ 0000000 き有境無項不同なりといひ、また出生収入の二義を論じ、無量義経は出生を耕じ、法聾は取入を明すとし、その 出生に﹃一.、従レ終生レ失、二、従レ購起レ用、三、従レ賓生レ樺﹄の三あカとし、一に徒待生失とは、俳は一遇清浄 を得、衆生之を失ふより妄計を生ず。無量義経に、﹃一切諸法猶如二虚蛋可無レ有二二和↓而諸衆生虚安桟計、輪二 ● 廻六道可美二能白出︼﹄と是なり。二に徒喋起用とは、﹃諸悌喋悟ニー追清浄句欲レ化二六道衆生∵甲︼生一切身一切 000000000 敬司故攣茶、衆生根性無量、教亦窒息、敦無量故、義亦無量。無量養老、撃一挙生、始従二聾厳∵終発二法華之 0000000000 00000000000000 前”一切語数、皆従ニー準生。是以攣茶、初説人天二乗。′乃至摩珂般若華厳海容、及菩薩諸行也﹄と是なり。三 ◎◎◎㊥◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎○ に従箕生樺とは、﹃撃一彿莱叫出二生三撃﹄垂と。売に華厳をも法葦の鰐より出生する方便の用なりとす。其 の他或は四土七合を立て1、華厳の七虞八合に封せしめ、或は﹃若信二法華↓別伝二十方三世悌法明君不レ信二法 華↓則不レ信こ千万三世悌法こ失﹄と断じ、或は法師品の三諒恕過を説いて、 揮二巳誼今誇常誼、法輩最焉難信難解↓法華最洗極鷹、故難信難解。極鷹者、如二上所萌、維攣十方三世彿三 輪及繹迦一些二輪竃。窮探者、不一不二之非樺非軍言亡慮縫、又此凝多就二秘密門姦レ之、故難信難解。諸師 講二此攣多迷。余白眼所レ見、白耳斯レ聞、未三曾有二人如レ此鐸一也。︵瑚︶ といひ、覚に藩量の彿を論じて l 44g

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● 同日、今晶野l彿専”琴l是準革︼是別−耶。 答日 00000000 と、寿量品の報身中心を説いてゐるのは、﹁玄給﹂﹁蓑疏﹂﹁遊意﹂の法身中心を、更に一歩を進めてぉるのであ る9 かくの如く、嘉帝大師は、含稽に在りし四十歳代より﹁統略﹂を筆せし六十歳代に至るまで、﹃末専習ュ一乗↓﹄. ひつ∼、漸次、法華を宗とするかの如き態度kなり、大柴の初めには二千部の法華書籍の行をまで焉すに至った のである。これ更にまたl歩すれぽ、天台大師の法聾終に礁解心酔するに至るべき、可能性を預め具備してゐた といふに應はしいものがある。

三 嘉帝と天台との共通性

天台大師が法華経におけるは、ほとんど党天に何等かの契禽あるかの如くにおもはるゝのは、未だ南島大師に ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 謁せざる前、年甫めて二十歳にして、既に猫打大賢山に登りて、無量義経・法葦鮭・観普蟹経を讃して、二旬に ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ して通達したなどレ、ふところ把見えるが、嘉群大師は少時さる因縁のなかったのは、師の師たる輿皇寺の法朗師 は、﹁韓高僧倦﹂にも﹃葦厳・大品・四論文言、往哲所レ未レ談、後進所こ損略↓朗皆指二摘義理叫徴二蟄詞致︼﹄とあ るが法華に及んでゐない。同俸の茸安保中勾﹃跨レ朗籠レ基﹄の朗を、﹁彿組兢紀﹂の志磐は法朗としてゐるのは、 おそらく河西道朗の謬りでなからうかとおもはれる。そのやうに法朗は法華経について、特に蟄明する研があつ 嘉群大師の法華経戟の再検討 二七 イイ9

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t■ 嘉絆大鹿の法華経親の再槍討 二八 たのでないから、吉城その人も﹃余少弘こ四論︼﹄と、主として四論を弘通してゐたことをいつてゐる。その四論 弘通の戒師が、如何してしかく法華の講讃妙専らとするに至つたか。それはおそらくは﹁大智度論﹂を熟讃した のと、ついでは﹁法華論﹂を精究したのに伐るであらうかと考へ滝れる。 本誌新第十四耽第一披の拙稿﹁龍樹天親の法聾経観の再認識﹂にも論じたが如く、二師の法華経勒を深く推究 すれぼ、おのづから法華経を以て、彿教の最高統一教義とせねばならなくなつてゐるのである。育成師ははじめ ﹁大智度諭﹂に精通し、次に﹁法華論﹂を精究したのだから、どうしてもおのづから法聾経が悌教究寛の教義充るこ とを信ぜざるを得ざるに至ったのである。吾等が本篇において論讃したが如く、蔵師は修習すれぼ修習するほど、 法華経の鍍仰が深まり高まり、克に信仰といつてよいところまでに達して釆てゐるのである。そしてかの奉天台 大師請詩法華経疏をして眞ならしめぼ、五十歳に近い頃には、天台大師の講経に洗い渇仰を有してゐた乙とが推 せられる。そして師が天台の畢問にそれほどの渇仰を彿ふ所以は、天台がまた深く四諭に達し、就中﹁大智度給﹂ ヽヽヽヽヽヽ.ヽヽヽヽヽ は、その﹁法葦玄義﹂﹁摩討止親﹂に、自在に應用せられてゐるのを見ると、蔵師とその根本思想が共通してゐた ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ことが了せられ、法華論また天台の造詣深いところで、素地の畢風は全く同じ基調にあつたものといつて可い。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ そして同じく南北の五時・四牢乎満等の教判に不雷を認め、法華経を以て一代儒教の根本にしてまた辟着であ 、 、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、 ヽ ヽ ヽ 、、、、、 1 、、 1 、、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ カ、華厳もまた出生せるもの、漫架は法葦の重詮なりとし、般若は諸放資相の法開合あるも、これ困囲なほ覆ふ 、、、、、、、 、、、、、、 、、、、、、1 1 、、 1、、、1、 1 、 、1 、1 1、 ヽ 、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ところありとし、毒量品の俳は、報身類本なること諸脛に無き所な玖とし、法聾の名は繹専一此の大辟、ま聖二 、、、、、、、、 ヽ 、 、、、、、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、、、、、 ヽ 、、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 世十方諸俳枕導の新鹿﹂上れ如来一切所有之法、乃至、如雄一切甚深之苺を畳語せるものなりとする如き、二緬 Jこ丁()

(30)

の素地の毯風の同じきのみでなく、かゝる戒師の結論は、また天台大師の結論宝ハ通しでばるのである。たゞ頑 師は印度論師風に、論究してさる辟結を待たのに封して、天台大師の所講は、その講明するところ、章安が﹃天 ヽヽヽ 竺大給、倍非三共琴﹄といつた如く、彼の地の論師の諸論の如く、論究によりて義を出すよりも、遠かk自然の ヽ−ヽヽヽヽ′ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 創意に富み、而かも正しく避旨に合してゐるのであ去㌔刻苦精究してほゞ同じ結論に達してゐた戒師が、彼の大 智度論を自泰に應用し、而かも経文を詮として、最も創意に富んだ﹁法華玄義﹂﹁同文旬﹂に接Lて、どうしてこ Lll れに慣解心酔しないで居られようぞ守 一例を拳ぐれぼ、﹁玄論﹂に、迭華の宗購を論じて、十三家の異解を批判し、宗鰻一兵に就いて論難し、自ら或 は﹃以二資相正夢焉レ宗、明レ因鱒レ果⋮⋮琴夷用︼﹄といひ、或は﹃正法焉レ鰭、因果為レ用﹄などいつてゐるの でも、大台が序品・紳力品・方便品によつて、名・撃宗・用姦の五重玄義を説くに至ったの凄見たらば、最然と して背革を恥づるに至るであらう。そは師の﹁仁王経疏﹂にも署会口智者、於二衆経中∵闊噴二五義叫今於レ部例− 亦五門分別、第一繹二控名”第二出二経撃第三明二整ポ”訝四撃経用∵第五諭二教相︼﹄といつてゐるので、正に 順ふことの柔軟なるを見るのである。 以上の趣旨によつて、吾等は嘉群大師は、章安大師より天台の玄疏等を求惜して去台に投足するに至ったと いふ、普通の人情からすれぽ、大名ある三論の組師といはる1人の此の勇断が、おそらく尊貴であつたであらう ことを信じ、これを堅界古今東西の芙評として偉喝し、今日の畢界をしても、さる公明痛快なる態度に鑑むると ころあらしめたいと、深く感ずるところあるものである。︵一四、一〇、二四︶ 嘉詳大師の法華継親の再検討 ● イ∫J

(31)

嘗紛蟄春に集線せられて居る﹁ダニ芸者﹂彗如何なる状況の下に、如何放る意囲を以て記述せられた温の ヽ ヽ であるかを探ぬるのが、本研究の目的である。従って、便宜上、本研究を、﹁ダニエル蓉﹂む威息に隠する部分 ︵第一部︶と、その思想に閲する部分︵第二部︶とに1分けて論述七たいと考へる。

第一部 ﹁ダー三ル書﹂の成立

﹁ダ三ル啓﹂は、之を、第一虫干・第六茸ヰ第七茸!第十二章の二つの部分に大別することが出来る。第一 章1静六章に於ては、ダニエルなる人物とその三人の友、ハナンヤ、ミカエルレアザルヤの不動の信仰が物語ら 丸、第七章1第十二章に於てはダニエル跡見た具象人Heぎ雷獣n”旨r芦ヴ“註︶及そ如に封する天使の解教が 報骨せられて居る。 ﹁ダ・ニュル蕃﹂自身抄記すところによれ灯、こ抄ダニエルは、ユダ年率.干ホヤキムの冷世夢二年把パピ甘 ︵1︶ エア王、ネブカヂネザルによつてパピ甘ン紅蓮れ去られた捕囚の叫人であ卑その智薯と知識と陀よつて穿b苧

ダ苗エル番の軒先

ダニエル 書の 研究

戯 ■

(32)

︵ヰ︶ ︵3︶ ︵2︶ . 貯.a計蒜N等 とをの子ペルシャザル、及びメディヤ人ダリヨス、更に、ペルシャ人クロスのもとにあつて重く用ひ られた人物である。 叉、﹁ダ三ル啓﹂の成立収蔵いて、﹁ダゝエル蕃﹂自身は、この書鱒ダニエル隠よつて啓き記きれ、嘩世 ︵5︶ 凍の終末の暗まで秘しかつ封じ置くペぐ紺によつて命ぜられ巧と語って居る。 、

しかる陀、﹁ダニエル書﹂の成立年代に膠する﹁ダ一三ル普﹂自身のかくの如き主演旺も拘らず、﹁ダニ立ル

書﹂が

﹁自らの時代な少と解する時代に就きて極めて不明瞭なる知識を有する

︵6︶

ことむ、吾人は知るのである。帥ち

1、rぞ三ル書﹂に伐れぼ、穿b昇邑ne琶によるエルサレムの陥落、神殿財賓の掠奪、及び住民上層部の

パピロ

︵8︶ 史の承認するところではない。恐らくは、列王妃略下二四ノ﹁を誤って理解t、之を歴代志略下三六′舜−セ .︵9︶ の記事とを結合し、かくて、ダニエル啓一ノー−二は成立したものであらう。 註︵1︶ヾ一ノー、二、 ︵3︶ 五ノ三〇、三一、 ︵5︶ ︼二ノ九、 ダ塵虚ル書の祈衆 ● ︵ォ︶ 五ノ二 ︵4︶六ノ二九 ︵和二八︶、 ■ 鰯

(33)

ダ,−エル書の軒究 三二 2、一﹁グ三ル書﹂は芝tl夏毛琶の後糖者として、その子、藍喜叫告なる王む俸へて店前ルしかし、資 ︵11︶ 際は、穿㌢夏n雲↓の複植者はその子こ芸↓〓ne邑賢︵=A急丁夢喜︼ハ琵よ芸轟位︶にして、哲賢答r ではない。ノ・謬l乾溜隼即ち謬丁冒占簑rはバビロニアの最後の玉、欝b邑dO払 ︵=穿註▲鼓云姦誉よ等麻廊︶ ︵12︶ ヽ .= ・写、叉、﹁ダニエル蕃﹂によれぼ、バビロニアは 宮家慈恵⊇の時代にメディア人Dn莞iO∽ ︵=ロ㌢eyぎ訟

試眉萱︶によつて征服せられ警とになつて私製しかし、賓際は、パピ三アは≡邑宏の時代に︵五

︵14︶ 三九年八月︶汽yrO班によつて征服せられたのである。 ︵15︶ ︵16︶ 4、冒邑急について、﹁ダニエル書﹂は、舛er駕∽の子にして、舞y冒Ⅵ の前王と偉へて居る†LかL、正し ︵17︶ くは、D弓軋〇班は舛e買e班の父であ幻、内y・・真の後栂者の一人である。 5、バビロニアの首都はバビロンぎ︻︶ylき︵=出挙F菖である℃しかるに、﹁ダニエル書﹂に於ては、ペルシ ︵18︶ ア王の冬の都Su彗がパピ三アの首都として記されて響 かくの如く、﹁ダニエル書﹂は自らの時代なりと稲するその時代の歴史に極めて暗く、到底、バビロニア捕囚 時代を経験せるものゝ筆になるとは思考し能はぬのである。 このことは、又、﹁ダニエル書﹂■の用語の上からも拘、属に、後代の著作に対する﹁ダニエル蕃﹂の影響の有 無のからむ、裏書きされうる。 鳩、用語の上より。 粛4

(34)

a、二ノ二、四、五、一〇、四ノ四、 五ノ七、一一、等を見るに、内a毘dぎ と言ふ言菓は、.あたかもラテ ン語芦已d篤uSの如くに、W已弓S品eり或は願山¢訂ロde已雪 の意味に使用せられて居る。かくの如くカルディア 人郎占者なぞとよぴなすことは、内監dぎ︵カルデア人︶ 即ちパピ三ア人が勢力を占打現に世界を統治せる ︵幻︶ その時代にあつては到底考へることの出来ないことがらで譲る。 b、﹁ダニエル・昏﹂に於ては、ペルシア語及びギリシア語よりの特化語∃⋮例へば㌢号音巴1 ︵=きう 慮 茄︶ ︵22︶ へ公︶ で享岳︶、p恥賀首ぎ ︵=頂計ざ享︶、甘ytFOこ=蚤茸眉︶等!が歴と使用せられて居る。かかる現象は、 ペルシア時代を経たるギリシア時代に於て初めて起りうるものであらう。・従って、それ以前のパピ占ニア捕囚時 ︵24︶ 代に於て既にか1る韓化語が使用せられたとは考へ能はぬ。

¢、二ノ四役牛⋮七/二八苧ラ晶を以て書かれて居る。去らく写註の説く如律、初め窒撃言

語む以て善かれたるものが、後、聖典に編入せらる1に際し、﹁ダニエル書﹂の初めの部分と終サの部分とをヘ ブライ語に部課せるものであらう。かぐて、﹁ダニエル書﹂は︰ヘブライ語が死語となつてアラム語、却ちパレ ︵お︶ スチサ地方の所謂西アラム語が国語となつた時代に成立Lたものと考へられるのである。無論、パピP主ア捕囚 時代に於てで 如上、﹁ダニエル書﹂の用語の上よカ之を観るも、﹁ダニエル書﹂偲到底バビ⋮lア捕囚時代の成立ではあ少 得ないⅥである。傭、全く同じことが、 7 後代の、著作に封する﹁ダニエル書﹂の影響の有無 ダーーエル書の研究 イ反タ

(35)

︵㌘︶ 放る影響盈輿へた筈である。 − ︵恕︶

†討岩野邑の所謂焉帥琶ぎ書貰陀﹁ダ三芸﹂がかゝげられ嘉怠軒。J漂家二茸官営

︵−望㌣1−讃︶ は四八ノ二〇−二五に正ザヤを.四九′六、七、にエレミヤを、四九ノ八、九、にエギキむルを、 ︵豹︶ 困九ノー〇碇十二小諌言藩庭記t豆腐るb 心かも、ダヱエルに謝しては何ち語るところがないのであ驚 \ かくの如くへ ﹁ダニ羊ル蓉﹂は1後代の著件にその影響の痕跡を有せず︵少くとも紀元瀞第蒜紀牽骨撃 館も、用務上後世ギサシア時代の特徴を有L、更庭、\自ら一の時代なカと解する時代々歴史に願する知識極めて不 正確、不明僚にじて、到底、パピ担がア挿図時代の成立陀なるとは考へることが出来ないのである。 証︵6︶元町サ声許−F−−出藍■i−d●A■増.“吾i明−鹿茸血.−声 ︵7︶ ︼ノ︼、二、 ︵8︶第一の捕はれの時は、エホヤキムの子エコンヤの治世撃ニケ月である。穿bll訂dne2弓 による第︼の捕はれにつ きては、列王下二四ノ八、−一七、又、エホヤキムにつきては、列王下二三ノ三六−二由ノ七、参肴。 P声雰rllil一∵日己.i↓ldiつ G告ting苫−葦戸声峯r ︵り︶つgl・G・宅iEebOer−崇e己te疇職者rd・A●潜■− 訂賢風樹首虐句意首こ訂A︼恩義星眉嘗厨凄賢雪三豊三三靡− 騨暮そここ●SL翠 P︼蔚監e−筆E互i●d−声∴㌘二言bi琶n−農♪S,書㌣ の入の手によつて昏かれたぁのであるならば、 からも推測L緒也れる。

乱、捕囚後の凍富者に﹁ダ三ル書﹂の影響を受けたる痕跡さらに無き郵。ダニエル蕃が屑篭豆 と同時代

ダ亀正ル碁の新発 \\

エレミヤ、エゼキエル、第二エザヤ撃と輿綻、後代ゆ著作料産東

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