'25日(毎月1回25日発行)ISSN 0919-4843
8
2002
こべる刊行会N0.113
部落のいまを考える⑬ 岐 路 に立つ 同 和 教育一「同和教育から人権教育へ」をめぐって 原田琢也 ひろば⑬ 死あるがゆえに、生は輝く高
木
奈
保
子
読 書ノート⑤ 米田さんのこころ 吉田智弥全国水平社創立からちょうど人十周年。この三月末で、「法」が期限切れを迎えました。 各地とも思いの外、「静かな」移行であったようです。「既定の事実」視されていたことも あるのでしょうが、「法と制度」がもたらした、部落問題をめぐる状況の変化の大きさを 思わざるを得ません。 とはいえ、「同和問題解決を目標にした特別措置」が終了したにもかかわらず、「達成 感 ・ 成 就 感 」 を 表 明 す る 人 が ほ と ん ど い な い の は ど う し た わ け か 。 や は り 問 題 は 、 八 十 年 を費やしてなお、「宣言」を超えるような、人間の結びつき、関係、それを表現する言葉 をわたしたちはっくりえていないということに帰着するのではないでしょうか。 この交流会では、「自分以外の何者をも代表しない」ということを前提に、「部落とは何 か」「部務民とは何か」をめぐる議論と思索が重ねられてきました。「人間と差別」につい て関心を寄せるみなさんの参加をお待ちしております。 全体討論のテーマ:「部務のいま一転換か終薦か」 話 題 提 供 者 : 山 本 尚 友 石 元 清 英 パ ネ ラ ー : 山 城 弘 敬 山 下 力 司 会 : 住 悶 一 郎 日程/10月5日出 14時 開 会 18時 夕 食 19時 再 開 211侍 懇 親 会 10月6日(日) 9時 再 開 12時 解 散
全
s
-
1
n
円
立円6 岡田ム田プてと~ム|
開
l
ヨ出
l
ロ
P
冶 問 題 王
l
:
:
!
J
λ
)
J
l
( 玄
i
一人間と差別をめぐって
日 時 /10月 5自 国 午 後2時 ∼6日(日)正午 場 所 / 大 谷 婦 人 会 館 〔 大 谷 ホ ー ル 〕 ( 京 都 ・ 東 本 願 寺 の 北 側 ) 京 都 市 下 京 医 諏 訪 町 通 り 六 条 下 ル 上 柳 町215 TEL (075) 371-6181 交 通 /JR京 都 駅 か ら 徒 歩8分 、 地 下 鉄J烏 丸 線 五 条 駅 か ら 徒 歩2分 、 市 バ スJ烏 丸 六 条 か ら 徒 歩 2分 費 用 / A 8,000円(夕食・宿泊・朝食・参加費込み) B 4,000円(夕食・参加費込み) ご注意/※会場にはなるべく公共の交通機関をご利用のうえ、お越しください。 ※宿泊の方は洗面用具をご用意ください。 ※参加費は当日受付にてお支払いください。 申込み/ハガキ・FAXま た は イ ン タ ー ネ ッ ト で 、 住 所 ・ 氏 名 ( ふ り が な ) ・ 宿 泊 の 方 は性別・電話番号・参加形式( A・ Bの い ず れ か ) を 書 い て 下 記 あ て に お 申 込 みください。 阿 11'1哨: 干6020017 京 都 市 上 京 区 上 木 ノ 下 町739TEL (075) 414 8951 FAX (075) 414-8952 E-mail: [email protected]
部落のいまを考え る ⑬
岐路に立つ同和教育
ー﹁同和教育から人権教育へ﹂をめぐって 原 因 琢 也 ︵ 中 学 校 教 員 ︶ 問題意識 ﹁ 同 和 教 育 か ら 人 権 教 育 へ L 。この言葉は同和教育をめ ぐる時代のキーワードになりつつある。京都市は、二O
O
二年度以降特別施策としての同和対策事業を実施しな いという方針を打ち出切、それを受けて京都市教育委員 会は、﹁同和教育の成果と課題をふまえ、その普遍化の なかで人権教育の重要な柱としての取組を推進する﹂こ ② とを確認した。一九六九年の同和対策事業特別措置法制 定以来、三三年にわたって続けられてきた施策の時代が、 いま幕を閉じようとしている。﹁同和教育から人権教育 へ ﹂ 。 こ の 言 葉 は 、 こ の よ う な 急 激 な 変 化 の 時 に あ っ て 、 私たちの向かうぺき一定の方向を指し示すものとして立 ち 現 れ た よ う で あ る 。 しかし、私たちは、﹁人権教育﹂という言葉から、何 をイメージするのだろうか。﹁人権教育﹂という言葉に よって、向かうべき一定の方向を指し示されたような気 分にはなるが、冷静に考えてみれば、そこから何か具体 的 な 方 法 が 見 え て く る わ け で は な い 。 ﹁ 人 権 教 育 ﹂ と は 、 ﹁ 一 人 一 人 を 大 切 に す る 教 育 だ ﹂ と 、 言 、 つ 人 が あ る か も しれない。しかし、﹁一人一人を大切にする﹂とはど、プ いうことなのか。それは平等な社会をつくろうとするこ となのか、それとも個人の自由が最大限に保障される社 会をつくろうとすることなのか。その受け止め方によっ て、結果は一八O
度違うものとなるだろう。いま、私た ちは、﹁人権教育﹂の内実としてどのような教育実践、 あるいは学校の改革を思い描くべきなのか、その判断を 求 め ら れ て い る の で あ る 。 法の期限は切れるが、今なお課題は山積している。去 る二月十六日に京都会館を中心に聞かれた部落解放研究 京都市集会︵以下、﹁京都市集会﹂と略記︶の基調提案 こベる 1では、﹁同和教育を取り巻く状況﹂として、次のような 課題が指摘されていた。 現在においても同和地区児童・生徒と同和地区外児童 ・生徒との聞には学力格差が存在しており、それは学年 進行とともに拡大する傾向が見られること。特にここ数 年、成績上位群と下位群に分かれる﹁学力による二極化﹂ が顕著になってきていること。それらの学力面での課題 が、次のような現象を生み出していること。①全日制国 公立高校への進学希望達成率が五
O%
に 達 し て お ら ず 、 結果として私立高校への進学率が高くなっていること。 ②高校へ進学したものの何らかの不調をきたし、コ一年間 で 高 校 を 卒 業 で き な か っ た 生 徒 が 全 市 水 準 の 一 一 一 倍 に 達 し ていること。③大学進学率においても格差があり、なか でも四年制大学への進学率が特に低くなっていること。 また、これは施策の成果と裏腹の関係にあるのだが、 次のような課題も指摘されている。①﹁部落の空洞化・ 貧困化﹂が進んでおり、部落の伝統である人と人との温 かいコミュニケーション、豊かな関係を生み出しにくい 状況がつくられていること。②今なお存在する部落差別 が、子どもたちからは見えにくい、感じ取りにくいもの となってきており、子どもたちが社会的立場を自覚し、 大人の姿を通じて労働に対する価値を認めたり、社会を 鋭く見つめたりする機会が少なくなってきているという ③ ことである。従来、同和教育では、子どもたちに社会的 立場の自覚を促し、それを足がかりとして学習へと動機 づけるという方法がとられてきた。しかし、今日の状況 の中では、その方法がかなり難しくなってきているので @ あ る 。 ﹁同和教育﹂にとってかわるべき﹁人権教育﹂の内実 は、以上のような課題の克服を目指すものでなくてはな らない。では、具体的に﹁人権教育﹂は、どういう方向 に 向 か う べ き な の か 。 ﹁人権教育﹂のイメージ 上 口 小 都 市 集 会 まず、人々が﹁人権教育﹂という言葉からどのような 学校改革のイメージを抱いているのかを概観してみたい。 ここでは、京都市集会の第六分科会における議論をデー タとして取り上げることにする。当分科会では、ちょう ど﹁同和教育から人権教育へ﹂というテ されており、前半の実践報告と後半のパネルディスカッ ションにおいて、様々な立場から多くの報告や発表が行 われた。人々が﹁人権教育﹂という言葉から抱いている イメージを概観するには適していると判断した。︵ 1 ︶実践報告 実践報告では、春日
E
中学校と松尾小学校が報告を行 っ た 。 ︹ 実 践 ① ︺ 春 日 正 中 学 校 は 、 学 校 生 活 の 様 々 な 場 面 で 、 ﹁思考←判断←行動﹂のプロセスを重視した指導を行っ ている。そして、その実践例として、道徳教育の充実ゃ、 ﹁ 春 日 丘 フ ェ ス テ ィ バ ル ﹂ の 取 組 が 紹 介 さ れ た 。 ﹁ 春 日 正 フェスティバル﹂では、﹁人のために行動すること﹂を 目的に、地域の小学校、保育所、デイケアセンターから も人々が集まり、従来の学校祭の枠組を越えた地域ぐる み の 取 組 が 行 わ れ た 。 ︹実践②︺松尾小学校は、一校時の授業を四0
分間に し、午前中五校時の授業へと時間割を変更した。それは、 午後に補習や講座制のクラブ活動などの時間を確保し、 基礎基本の学習を徹底しながらも、個人の興味・関心に も 対 応 し て い く た め で あ っ た 。 ︵ 2 ︶ パ ネ ル デ ィ ス カ ッ シ ョ ン ⑥ 四 人 の パ ネ ラ ー が 登 場 し た 。 ︹実践③︺大関辰郎さんは、ある新聞社の編集長であ る。彼は、アンケート調査に基づき、個々の学校を多角 的に評価し、それに﹁学校の通信簿﹄という名を付して 一般読者に公開した。彼はその目的を、﹁地域や保護者 に学校を振り返って欲しい﹂、あるいは﹁もっと学校を 盛 り 上 げ た い か ら ﹂ と 説 明 し た 。 ︹ 実 践 ④ ︺ 辻 正 矩 さ ん は 大 学 教 授 で あ り 、 ﹁ 大 阪 に 新 し い学校を創る会﹂の代表でもある。彼は、二OO
四 年 に 、 自分たちの教育方針を具現化できる公立の学校をつくる のだという。彼らの目指す学校像は、子どもの自発的な 学びを促進し、自己決定を重視し、自然との調和を考え、 書物よりも対話中心の教育方針をとりながら、しかも公 費 で ま か な わ れ る 学 校 で あ る 。 ︹ 実 践 ⑤ ︺ 川 口 正 二 さ ん は 、 旭 丘 中 学 校 の 教 諭 で あ る 。 彼は、自校の習熟度別少人数クラスの実践と﹁中国スタ デ ィ i ツ ア l ﹂の実践を報告した。﹁中国スタディ 1 ツ ア l ﹂は、地域の小中学校四校と二つの大学の学生、そ し て PTA をはじめとする地域の人々に支えられ実現し た 。 ︹実践⑥︺宮元努さんは、崇仁小学校の教諭である。 彼は、主に校内を流れる高瀬川のピオト l プ 事 動 に つ い て報告を行った。彼は、大人と子どもが協力してピオ ト l プをつくっていく過程で、子どもの﹁荒れ﹂がおさ まってきたと語る。授業では、算数科で習熟度別分割授 業 が 導 入 さ れ て い る こ と も 報 告 さ れ た 。 こペる 3考察 京 都 市 集 会 第 六 分 科 会 で 紹 介 さ れ た 六 つ の 実 践 を 概 観 し て み た 。 い ず れ の 実 践 も そ れ ぞ れ の 実 践 者 の 思 い や 熱 意 に 裏 打 ち さ れ た 取 組たも組取のど、まで。う思とるあ、 一 人 一 人 を 大 切 に し よ う と している点において、「人権 教 育 」 の 名 に ふ さ わ し い 取 組であるとも思う。しかし、 こ れ ら 六 つ の 実 践 例 は 、 決 して皆が同じ方向を目指して い る わ け で は な い 。 こ こ で は 、 そ れ ぞ れ の 実 践 が 持 つ ベ ク ト ル の 方 向 性 を 見 極 め る べ く 、 さ ら に 考 察 を 加 え て み た い 。ち性た似くよ的較比うまの例践実のつ六、ず格の も の 同 士 を 集 め 、 三 つ の カ テ ゴ リ ー に 分 類 し て み た 。 そ し て 、 そ れぞれにタイトルを付してみた。 群C 群B 群A プ
1
ル1
⑤ 瀬高川 ⑤関中ス① 春丘白 ④新し③ 校学 し、の の タ フ 学校 f 設ilJ通イ」簿言 実 ピ デ エf
ィ ス 践童
与
ッ
λ
(祭E
ラ
霊
」 (辻さ 大関さ ア ル 例 (主崇 )右主型 民容i
日 矢旭丘ス( 松尾小 )ん)ん 中 域 地 f業受 択 学 校 選 と}
1
困。g
コ タ 協働。 コ語
イ 品路主 個花
量
ト Jレ A 群 ﹁ 学 校 選 択 の 自 由 化 ﹂ 路 線 に つ い A 群は、学校の通学区域を弾力化し、学校選択の自由 化を進めることにより、個人が自分の個性や能力に応じ た学校へ通うことを可能にするとともに、市場の競争原 理を公教育制度の中に持ち込み、それを原動力として学 校を改革し、特色ある学校を創造していこうとする方向 である。大関さんの﹁学校の通信簿﹂と辻さんの﹁新し い学校創設﹂の実践をここに含めた。 大関さんの﹁学校の通信簿﹂をここに入れることには 異論があるかもしれない。学校評価がイコール学校選択 の自由に結びつくものではない。学校を改革していく上 で、教師や地域の人々が自分たちの学校を評価していく ことは大切なことである。しかし、大関さんの方法は、 ちょうどホテルやレストランの格付けのように、それぞ れの学校を一定の指標で評価し、それを公開して他校と の比較を可能にしている。この方法は、消費者がよりよ い商品やサービスを求めて商店を選択するように、人々 がよりよい教育を求めて学校を選択することを促進させ る こ と に な る だ ろ う 。 辻さんらが考えている﹁新しい学校﹂は、アメリカで は﹁チャーター・スクール﹂と呼ばれ、実際に導入され 多くの成果をあげている公教育制度である。チャーター−スクールについては、教育方法学者の佐藤学氏の説明 がわかりやすいのでここに引用する。﹁チャーター・ス クールとは、公費で運営される私立学校である。学校の 設置を企画する者が、独自の計画を教育委員会に提出し て認可をあおぎ、子どもの数に見合った公教育費を支給 されて経営する方式である。公費で運営する点では公立 学校と同じであるが、私立学校のように校区を越えて子 どもを集め、カリキュラムや人事や財政における自由を 獲得し、独立した企業体として運営する点が特徴的であ ③ る﹂。京都市集会の基調提案は、チャーター・スクール を肯定的に︺評価している。たとえば、﹁同和教育が取り 組んできた﹃教育の機会均等﹄について、﹃自らの能力 を最大限に生かし、生涯にわたって磨き続けられる﹄柔 軟で弾力的な教育システムを考えるとき、特色ある学校 づくりを模索する上で、チャーター・スクールに注目し てみたいと思います﹂。そして、チャーター・スクール の成果を説明するのに、二頁近くを費やしてい旬。 しかし、佐藤氏はチャーター−スクール制度を厳しく 批判する。﹁私自身、これまで全米各地の約二
O
校のチ ャーター・スクールを訪問して調査してきたが、この方 式には多くの問題が含まれており、残念ながら公立学校 の改革にはつながらないと結論せざるをえない﹂。その 理由の一つは、優秀な教師。がチャーター・スクールに集 中し、普通の公立学校に教師が集まらないこと。もう一 つは、成功の陰に悲惨な失敗例がたくさん隠されている ということ。さらに、最も深刻なことは、チャーター− スクールと不可分の関係にある﹁学校選択の自由﹂が、 アメリカでは、人種差別・階層差別と密接に結びついて いる点である。要するに、黒人やヒスパニックや低所得 者層などと同じ学校に通わせるのを嫌って、学校選択の 自由を求め、そして今もそのように運営がなされている ⑮ ことが多いというのである。教育社会学者の池田寛氏も、 学校選択の自由の結果、学校淘汰が起こり、特にマイノ リティの集住地区にある学校が廃校になったりしている 現実があり、学校を失った地域ではさらに一層地域の環 境が悪化し、コミュニティの崩壊が進んでいることを指 ⑪ 摘している。チャーター・スクールを賛美していた京都 市集会の基調提案も、学校選択の自由には警鐘を鳴らし ている。﹁このような学校選択の結果、学校の内部では ある意味の﹁均質化﹂が進むのではないかという危倶も あります。:・﹃均質﹂な集団は﹃閉鎖的﹂になりがちで あり、他の集団を排除し、差別意識の増長につながるお ⑫ そ れ も あ る の で す ﹂ 。 近年、公立学校の画一性を批判し、﹁特色ある学校づ こぺる 5くり﹂を進めるべきだという主張が耳目を集めている。 ﹁人権教育﹂という観点からも、一人一人の興味や関心、 進路展望に即応した教育を提供しようとすることに異議 を唱える者はいないだろう。そうなれば、柔軟な学校シ ステムが要求されることになる。チャーター・スクール は、その最も先鋭的なものである。しかし、その結果不 可避的に導入される﹁学校選択の自由﹂は、地域を崩壊 させ、今まで同和教育が積み上げてきた様々な財産を無 に帰してしまう恐れをともなっている。筆者は、﹁同和 教育﹂の流れを受け継ぐ﹁人権教育﹂という観点からは、 チャーター・スクールと﹁学校選択の自由﹂に対して、 批判的な態度をとるべきだと考えている。 B 群 ﹁ 授 業 の 個 別 化 ・ 個 性 化 ﹂ 路 線 に つ い て
B
群は、一人一人の興味や関心、習熟度に応じた授業 を行おうとする実践群であり、ここでは、松尾小学校の ﹁午前中五校時の授業﹂、旭丘中学校の﹁習熟度別少人数 クラス﹂、崇仁小学校の﹁習熟度別分割授業﹂の実践を 含めることにした。一人一人を大切にし、それぞれの教 育機会を保障するということが同和教育の理念であると したならば、その理念に照らし合わせても、こうした取 組は望ましいことであるように思える。その志向性はチ ャ l タ l ・スクールや﹁学校選択の自由﹂と同じである が、それが学校内の取組でとどまる点で、先に挙げた ﹁学校選択の自由﹂がもたらす様々な問題点を幾分かは クリアできる。﹁学力による二極化﹂に対応するために も、習熟度に応じた学習を取り入れていく必要があると 田 ? っ 。 しかし、このような方向にもいくらかの問題がある。 まず第一に、授業の多様化は、教師の負担を強いること になるので、教師の数を増やすなどの具体的な手だてを 講じないと、十分な効果を発揮できないばかりか、下手 をすれば弊害の方が大きくなってしまうという点である。 第二の問題は、トラッキングの問題である。﹁トラッ キング﹂とは、もともとアメリカの総合制ハイスクール において、生徒の興味や希望進路に応じて教育課程︵カ リキュラム︶を編成し、生徒を同質的にグループ分けす ることを指していた。アメリカの総合制の高等学校は、 平等な社会を志向し、進路の分岐をできるだけ遅らせた 学校制度である。しかし、詳細に調査をしてみれば、ト ラッキングが競争選抜と教育的不平等の基盤になってい ることが判明したのである。日本では元来、トラッキン グは、高校の学校間格差の問題として議論されることが 多かったが、カリキュラムの多様化が進む今日の状況においては、学校内部のカリキュラム内容にまで踏み込ん だ詳細な分析が必要になってきている。 筆者は、今の段階では、小・中学校で進められている 興味・関心あるいは習熟度に応じた授業編成に、トラッ キングの悪影響が顕著に出ているとは考えていない。し かし、このまま多様化が進めば、いつしかその弊害が出 てくる時が来るのではないかという不安は抱いている。 クラス分けの方法、時期、期間、教科、テ l マ 設 定 な ど 、 多様なクラス分けが生徒の意識にどのような効果を及ぼ すのかを、十分に吟味しながら慎重に進めていく必要が あ る と 考 え て い る 。 C 群 ﹁ 地 域 と の 協 働 ﹂ 路 線 に つ い て 地域の人々とともに、学校を再構築していこうとする 方向が C 群である。春日正中学校の﹁春日丘フェスティ バル﹂、旭丘中学校の﹁中国スタディ l ツ ア l ﹂ 、 崇 仁 小 学校の﹁高瀬川のビオト l プ事業﹂を、このグループに 含 め た 。 先の二つの実践群が、個性化・個別化といったいわば 自由化の方向を志向していたのに対して、この群は、学 校を取り巻く様々な人々による協働の営みを志向してお り、方向性としては他の二つの実践群と対極をなしてい る。そしてこの方向は、今進められている、上からの教 育改革に異議を唱える研究者の主張と、概ね軌を一にし ている。たとえば佐藤学氏や教育社会学者の藤田秀典氏 は、個性化・自由化を志向する現行の教育改革を、新保 守主義・新自由主義的であると批判し、それぞれ﹁学び の共同体﹂、﹁共生時代の学校づくり﹂という言葉で、地 域と協力して学校を再構築していくことの重要性を主張 ⑬ している。また、大阪で同和地区を校区に含む学校の改 革に携わってきた池田寛氏も、﹁学校と地域の協働によ ⑪ るコミュニティづくり﹂を提唱している。 池田氏は、﹁子どもが地域の文化を背負っている﹂と いう。そして、﹁ものの考え方や何を常識と見なすかと いったこと、あるいは何が正しいことで何が悪いことか といった善悪の基準にも、地域の特性が反映している場 合がある。何に興味や関心を示すかといったことも地域 によって微妙に異なる。さらにさまざまな感覚、たとえ ば、どんなものを美しいと思うかとか、どんなものをお いしいと思うかといったことなども、地域によって異な っている場合がある﹂。地域の大人たちと、子ども、そ して教師による協働の営みにより、地域の丈化と学校文 化の連続性が図られ、学校を取り巻く地域の教育コミュ ニティとしての﹁一体感﹂をもった文化が形成されれば、 こベる 7
その﹁一体感﹂が子どものアイデンティティを高めるこ とになるはずだと言うのである。さらに、子どもが大人 に対して抱いている、慢性的で、潜在的な不信感も、共 に一つの目標に向かって汗を流すことによって払拭され、 大人に対する信頼感がよみがえってくるのではないか。 ﹁ 高 瀬 川 の ピ オ ト l プ事業﹂をはじめ、地域と学校の協 働による実践が、子どもたちの姿を変えてきたのは、そ の た め だ と 考 え ら れ る 。 先に述べたように、学力格差は現存しており、高校中 退率や大学進学率ではまだ大きな格差が残されている。 これはこれとして大きな課題なのであるが、筆者がそれ 以上に気になるのは、これらの格差を生みだしている原 因が、子どもたちの日々の生活にどのような影響を及ぼ しているのかという点である。格差が地域文化と学校文 化の違いにより引き起こされているのだとすれば、子ど もたちは日々の学校生活を通して、知らず知らずのうち に自尊感情を傷つけられ、皮肉なことに自尊感情を維持 するために自ら勉強から﹁降り﹂てしまい、様々な逸脱 行動に導かれていくことになってしまうのであ旬。その ような同和地区生徒の姿が、差別意識の再生産につなが っていることは以前に本誌でも指摘したことがあ旬。従 来の同和教育では、子どもに社会的立場の自覚を迫り、 それを土台として、この文化的ギャップを乗り越えさせ ようとしてきたのである。たとえば筆者が本誌で紹介し た A 子の事例などはその典型であっ句。しかし、施策の 成果とは裏腹に、子どもたちには差別の現実が見えにく くなっており、教師が、地区児童・生徒に﹁立場﹂を自 覚させることはますます困難なことになりつつある。こ ういう状況にあって、学校と地域の協働の発想は、少な くとも二つの意味で有効であると思われる。 一つは、子どもに地域に目を向けさせ自然に同和問題 との出会いの機会を作り出せる点である。さらにもう一 つは、この方法こそが、文化的なギャップそのものに根 元的にアプローチできる方法であるということである。 地域の教育コミュニティをつくることができたならば、 そこで培われた文化が学校文化と地域文化の橋渡しとな り、学校文化と内なる地域文化との狭間で生じる葛藤は 幾分かは緩和されるはずである。筆者は、この方向にこ そ今後の同和教育を展望してみたい。 四 結 び 京都市集会の第六分科会で報告された数々の実践を デ l タとしてとらえ、考察を加えてきた。いずれも﹁同
和教育﹂にかわる﹁人権教育﹂の具体例として報告され た実践である。そしてどの実践も間違いなく、一人一人 の子どもを大切にしよう、学校を改革していこうという 思 い か ら 発 し た も の で あ る 。 し か し 考 察 の 結 果 、 A 群 − B 群 と C 群の実践群は、全く逆の事向性を持っているこ と が 浮 き 彫 り に さ れ て き た 。 特 に 、 A 群の実践は、不平 等を拡大させ、地域を崩壊させる危険すらはらんでいる。 B 群も、行き過ぎれば似たような問題を引き起こす危険 をはらんでいる。それでも A 群 ・ B 群の実践は﹁人権教 育 ﹂ の 実 践 と 言 え る の だ ろ う か 。 それが言えるのである。憲法学者の内野正幸恥によれ ば 、 ﹁ 人 権 ﹂ と い う 概 念 に は 、 ﹁ 平 等 ﹂ と い う 価 値 と ﹁ 自 由﹂という価値の時に対立するこつの価値が同居してい る と い う 。 氏 の 説 明 は 概 ね 次 の よ う で あ る 。 平 等 に は 、 ﹁ 形 式 的 平 等 ﹂ と ﹁ 実 質 的 平 等 ﹂ が あ る 。 ﹁ 形 式 的 平 等 ﹂ とは、﹁個人個人を、その能力その他の違いを無視して 一 律 に 扱 う こ と ﹂ を 意 味 す る 。 そ し て 、 ﹁ 実 質 的 平 等 ﹂ とは、広い意味では、﹁異なったものは異なったように 扱え﹂ということを意味し、狭い意味では、﹁不利な立 場にある人をより有利に扱うこと﹂を意味するというこ と で あ る 。 ﹁ 形 式 的 平 等 ﹂ と ﹁ 自 由 ﹂ は 調 和 す る が 、 ﹁ 実 質的平等﹂と﹁自由﹂はぶつかってしまう。平等を定め る日本国憲法一四条は、﹁形式的平等﹂を採用すること を要請しており、﹁実質的平等﹂に対しては合理的理由 がある場合にのみ例外的に特別な措置をとることを許し て い る だ け な の で あ る 。 A 群の実践群は、決して﹁結果 の平等﹂を志向しているわけではないが、自由化という ベ ク ト ル を 持 っ て い る 点 で 、 ﹁ 人 権 を 大 切 に し た 教 育 ﹂ の 範 障 に 入 っ て く る の で あ る 。 現在の日本では、同和地区児童・生徒が学校に通うこ とは保障されているのだから、この点に関しては、﹁形 式的平等﹂はすでに確保されていることになる。学力格 差 の 是 正 な ど 同 和 教 育 に お け る 諸 課 題 は 、 ﹁ 結 果 の 平 等 ﹂ を求めるところから生じる課題であり、﹁実質的平等﹂ 観に立脚しているといえる。つまり、同和問題を解決す るためには、憲法一四条の定める﹁形式的平等﹂の枠を 踏み出し、さらに積極的な姿勢で﹁実質的平等﹂を追求 していくことが不可欠なのである。﹁自由﹂を志向し ﹁形式的平等﹂に甘んじる考え方は、同和教育の根本に 相い入れないことになる。要するに、﹁人権﹂という言 葉は、従来の同和教育が育んできた方向も、その方向に 逆行する方向も、同時に包みこんでしまう玉虫色の概念 だということになる。一般的には、﹁人権 H 反 差 別 ﹂ と 考えられがちだが、法学的には、そして実際の運用面に こベる 9
おいても、必ずしもそういうわけではないのである。 二
OO
二年四月。この月から全ての特別施策が終結し た。そして、計画的なのか、偶然なのか、教育改革の中 核をなす新指導要領が、同時期に完全実施に移された。 ﹁同和教育から人権教育﹂へという同和教育の過渡期で あり模索期である時期が、ちょうどこの二0
年間ほど続 いてきた教育改革の集大成ともいえる時期と重なってし まったのである。同和教育は﹁個﹂を大切にしてきた。 そして、一連の教育改革の流れも、﹁個性﹂を大切にし てきた。そこで、同和教育の流れは、現今の教育改革の 流れと軌を一にしているというような錯覚が学校現場で は生まれている。しかし、それも間違いである。 現在進められている教育改革は、新保守主義・新自由 主義的傾向を持つと言われている。つまり、個性を重視 し、個人の自由をできるだけ保障していく代りに、個人 に自己責任を負わせていく政策である。その前提にある のは、ア・プリオリに措定された﹁強い個人﹂であり、 個人の背後に介在する社会的な権力関係など全く射程に は入っていない。その結果、社会の不平等は拡大再生産 されていくのである。今、同和教育は、国をあげての教 育改革と相い乗りをする形で、新保守主義・新自由主義 の潮流の中に飲み込まれようとしているのではないか。 そして、﹁人権教育﹂という概念は、それを覆い隠すた めのイデオロギーとして機能してしまっているのではな し , 刀 。 このような現象が生じる背景には、日本社会の経済的 な国際競争力の低下、プライパタイゼ 化︶の進行など、様々な要因が考えられる。私たちはも はや時代を逆戻りすることはできない。そして、−﹁同和 教育の成果を普遍化する﹂という方向は決して間違って はいまい。今、私たちにとって大切なことは、﹁同和教 育﹂に代わる﹁人権教育﹂の内実が、本当に従来の同和 教育が培ってきたものを踏襲し、さらに発展、拡充させ る方向へと導かれるように、現実を注視し、現実を後押 ししていくことである。そして、現今の教育改革の流れ を、同和教育の観点、すなわちマイノリティの視点から 逆照射し、再編成していくことである。 注 ① 京 都 市 ﹃ 特 別 施 策 と し て の 同 和 対 策 事 取 組 ﹂ 、 二 OO 二 年 一 月 。 ② 人 権 教 育 検 討 委 員 会 ・ 京 都 市 教 育 委 人 権 教 育 を す す め る に あ た っ て ﹂ 、 二 OO ③ 部 落 解 放 研 究 京 都 市 集 会 実 行 委 員 会 編研究京都市集会﹄冊子、二 OO 二 年 二 月 、 六 O 頁 l 六 一 頁 。 ④筆者はかつて、同和地区生徒が社会的立場を自覚すること が難しくなっている状況について論じたことがある。拙稿 ﹁ ﹃ 同 和 地 区 生 徒 ﹄ の ア イ デ ン テ ィ テ ィ 形 成 に 関 す る エ ス ノ グ ラ フ ィ l ﹂ ﹃ 解 放 社 会 学 研 究 ﹂ 一 一 号 、 日 本 解 放 社 会 学 会 、 一 九 九 七 年 。 ⑤ここでは人々の抱いているイメージを全て洗い出すことが 目的ではない。﹁人権教育﹂という言葉の中に人々が普通に 抱いているイメージの中に、相反する方向性を持つものが共 存 し て い る こ と を 論 証 で き れ ば 、 そ れ で 十 分 な の で あ る 。 ⑥ パ ネ ラ l については、個人の資格で壇上に上がっていると 考え、個人名を掲載した。その際、敬称として﹁ーさん﹂を 付した。本稿においては、集会のパネラ l 以外にも、様々な 研究者の見解が引用される。その際には、パネラ!と区別す る た め に ﹁ l 氏 ﹂ と い う 敬 称 を 用 い る こ と に す る 。 ⑦﹁ピオト l プ ﹂ と は 、 ﹁ 生 物 群 集 が 存 在 で き る 環 境 条 件 を 備 える地域。生物群の生息場所。ハピタットと向義にも用いら れ る ﹂ ︵ 小 学 館 ﹃ 大 辞 泉 ﹄ よ り ︶ 。 ③佐藤学﹃教育改革をデザインする﹂岩波書店、一九九九年、 四 一 頁 。 ⑨部落解放研究京都市集会実行委員会編、前掲冊子、八八頁。 ⑬佐藤学、前掲書、四二頁 l 四 三 頁 。 ⑪池田寛﹃学校再生の可能性﹂大阪大学出版会、二 OO 一 年 、 四 二 頁 。 ⑫部落解放研究京都市集会実行委員会編、前掲冊子、九 O 頁 。 ⑬佐藤学、前掲書。藤田秀典﹁教育改革﹂岩波書店、一九九 七 年 。 ⑪池田寛、前掲番。 ⑬教育社会学者の苅谷剛彦氏は、教育改革の進行とともに、 相 対 的 に 社 会 階 層 の 低 い 子 ど も の 勉 強 離 れ が 進 ん で い る こ と 、 そしてその原因として、社会階層の低い子どもほど、現在の 享 楽 を 志 向 し 、 学 校 を 通 し た 成 功 物 語 を 否 定 す る こ と に よ り 、 ︿ 自 信 ﹀ を 高 め る 傾 向 が あ る こ と を 指 摘 し た 。 ﹃ 階 層 化 日 本 と 教 育 危 機 ﹂ 有 信 堂 、 二 OO 一 年 。 ⑬拙稿﹁アイデンティティの相対化と実体化の狭間で﹂﹃こ ぺ る ﹂ 七 九 号 、 一 九 九 九 年 一 O 月 号 。 ⑪拙稿﹁﹃同和校﹄の現実は?﹃同和教育の終わり﹂を議 論 す る 前 に ﹂ ﹃ こ ぺ る ﹂ 五 二 号 、 一 九 九 七 年 七 月 号 。 ⑬内野正幸﹃人権のオモテとウラ|不利な立場の人々の視 点 ﹄ 明 石 書 店 、 一 九 九 二 年 。 こべる 11
ひ ろ ば ⑬
死あるがゆえに、生は輝く
高
木
奈
保
子
︵
図
書
館
勤
務
︶
﹁ 死 す べ き 運 命 ︵ さ だ め ︶ の 人 の 子 : : : ﹂ と 、 二O
世 紀ファンタジーの金字塔﹃指輪物語﹄では、λ
聞 を い つ も そ う 呼 ぶ 。 ﹁ 死 ﹂ あ る が ゆ え に 、 悲 し み 、 怒 り 、 喜 び 、 笑いながら、目肱く﹁生﹂を生きぬく人間に対して、不 死のものたちは、憐潤の情とともに、羨望のまなざしを 向 け る 。 人はいつか必ず死ぬ。自明である。しかし、死はいっ たいどこからやってくるのか?私たちはどうやって死 ぬのか?そして、なぜ死ぬのか?これほど自明のこ となのに、自分の死さえわからない。そんな中、生殖医 療はおし進められ、延命治療が行われ、臓器移植はなさ れ、クローン人聞が作り出されようとしている。 ﹃死の起源、遺伝子からの問いかけ﹄田沼靖一著︵朝 日 選 書 、 二OO
一年︶を読んだ。常に﹁生﹂を解明する ことに全力をあげてきた科学の目が、﹁死﹂を見つめて い る 本 だ 。 一 読 に 値 す る 。 最新のゲノム解析や遺伝子研究、発生学、分子生物学 の成果からいうと、死は生のために存在しているという。 死 はDNA
の 中 に プ ロ グ ラ ム さ れ て い 人間の手が母の体内で作られるとき、最初はグローブの ような丸い肉塊ができるが、指の間にあたる細胞が自死 することによって、彫刻のように指が作り出されていく。 この白死がなければ、人聞はただの肉の塊になってしま う。ウイルスや異物が体内に入ってきたとき、免疫がで きるが、そのなかには自己を攻撃してしまうものもでき てしまう。が、そういった免疫細胞は自死して無害とな る。また、皮膚の細胞が死んで垢となって除かれていく のを、私たちは日常的に見ている。そして驚くことなか れ、この細胞たちはお互いに情報を交換しあって、自分 が生きるべきか死ぬべきかを判断して、各々で死を決定 しているのだ。その結果、死の酵素が自分の細胞内で発 動され、己のDNA
を切断して死んでゆくのである。死 ぬことによって生を生み、生を存続させている。癌︵細 胞が死なずに増殖︶、アルツハイマ る ︶ 、HIV
︵免疫細胞の異常死︶などの、現代の難病 に大きく関わっているといわれているが、このような細 胞の自死︵アポト l シ ス ︶ は 、 J 成人で毎日三 にのぼるという︵人間の細胞総数は六皮膚などの細胞は、常に死んで新しい同種のものに置き 換わっていくので、再生系細胞と呼ばれるが、劣化した 細胞を新しいものに入れ替えることによって、生命維持 活 動 を 行 う 。
DNA
は完全に複製され何度も分裂再生す る。しかし、永久に分裂可能なわけではない。ある回数 を超えると再生できなくなる。DNA
の一部が欠落する のである。一方、脳神経細胞や心筋細胞などは、胎児の うちは分裂再生するが、生まれた後は非分裂性の細胞に 変化して、そのまま最後まで使用されるので、非再生系 細胞と呼ばれる。そしてやはりある一定期間を過ぎると、 自死を発動して死ぬ。︵前者を回数券とすると後者は定 期券であろう。︶これらの機能によって、私たちに死は 否 応 な く も た ら さ れ る 。 ではいったい、いっ、何のために、これら死のシステ ムは、我らのDNA
に組み込まれたのであろうか? 私たちの宇宙は一五O
億年前に生まれ、我が地球は四 六億年前に生まれた。そして、生命が生まれて三八億年 という、気の遠くなるような時聞が流れている。著者に よると、その生命の進化の途中、一五 l 一O
億年前に真 核生物︵ゲノムを収納する核をもっ細胞︶が現れ、有性 生殖を獲得して、多細胞生物が誕生、それ以後は爆発的 に進化していったらしい︵現在一000
万をこえる種が ある︶が、この時点でどうも死の遺伝子が組み込まれた ようである。すなわち、有性生殖というものは、DNA
を組み替えシャツフルして、多様なものを生み出すシス テムである。そこではより環境に適応したものを残して、 他を消去する必要性が生まれる。死の登場である。それ は細胞レベルでも、個体レベルでも必要である。生命個 体を生み出し、維持していくためには、細胞レベルでの 死が要求される。環境によって傷つき劣化し老化した遺 伝子を、新しい遺伝子と混ざらないようにして、生を更 新していくには、個体レベルでの死が必要とされる。生 命が、激変する地球環境の中で、富み栄えていくために 取った最良の戦略︵ストラテジーてそれが、﹁性﹂と ﹁ 死 ﹂ で あ る と 著 者 は 述 べ て い る 。 私が今ここに在るには、父と母と、それに繋がるすべ て の 父 母 と 、 幾 億 兆 の 死 が な け れ ば な ら な か っ た : : : 。 死の大海の中にぽっかりと浮かぶ﹁生﹂。いま私は、そ の﹁生きる﹂意味を間わずにはいられない。 億万年の時の流れの中、人の一生は一瞬である。だが、 無数の死によって蹟われた我が命。この命を愛おしく思 わぬものがいるのであろうか? さあ、﹁死すべき運命︵さだめ︶の人の子﹂よ、生あ る限り、いのち一杯生きようではないか! こベる 13読 書 ノ l 卜⑤
米国さんのこころ
吉
田
智
弥
︵
イ
ー
ジ
ー
ラ
イ
タ
ー
︶
師岡佑行﹁編﹂の﹃米田富と水平社のこころ﹄︵阿昨 社︶を読んだ。結論からいえぽ、私の読後感は何とも言 葉にならないほど複雑である。﹁書評﹂としての体裁を 考えずに頭に浮かんだままを書いて良いなら、私はこの 本を読んでメチャメチャ面白かった。と同時に、﹁編﹂ 者の師岡さんにメチャメチャ腹が立った。 ﹁面白かった﹂のは、一つには米田が語っている内容 それ自体であり、二つめにはそのように米田さんをして 語らしめた取材者である師岡の姿勢と方法論の中身であ る 。 七五年から奈良で働きはじめた私は、当然、何度も米 田さんにお会いしている。大きな集会で遠くから演説を 聞いたばかりでなく、狭い和室で車座になって話を聞く 場 に も 同 席 し た 。 そういう時の米田さんは、なるほど表情はおだやかで、 この本で師岡が描くように﹁柳家金語楼そっくり﹂であ った︵と言っても三十代以下の人たちには通ずるかどう か ︶ 。 が、初めて身近にお会いしたときの印象は今でも忘れ ないが、米国さんはおそらく、そこに集まった若い世代 に対して、抑えに抑えた憤癌を内心に抱えておられた。 私の思い起こしての推測が正しければ、私たちが不勉強 すぎて、目の前の米田さんに何を尋ねるべきかを知って い な か っ た か ら で あ る 。 その点でいえば、本書の中の米田さんは、最晩年のこ の時になって、ようやく自らのすべてをあるがままに語 るべき相手と出会った、と感じていたのではないか。そ ういう喜びが行聞から伝わってくるような語り方をされ ているように、私は受けとめた。念を押すまでもなく、 ここでの師同の適役ぶりは容易に余人に代えることはで き な い 。 本書がテキストの一つにしている﹃部落解放運動と米 田富﹄︵奈良部落解放研究所︶を読んだとき、実は私も 大いに不満を感じた。昨今の云い方を真似れば、その時 すでに私は﹁ナマ﹂米田に出会っていたわけだから、そ の本の文体の堅苦しさと米田さんの﹁天衣無縫の人柄﹂が 何 と も そ ぐ わ な い 感 じ が し た の で あ っ た 。 本 音 一 日 が 同 じ よ う な 印 象 を 私 に 与 え な か っ た の は 、 お そ らく、米国さんは一切の警戒心を解いて︵ということは、 いかなる政治的な読まれ方をされるかを顧慮することな くて師岡の﹁質問﹂に向き合っていたからだろう。そ こで米田富が﹁答え﹂ている言葉の端々は、﹁邪気のな い﹂﹁顔一杯の笑顔﹂が八十数年間の風霜のなかでどの よ う に 形 成 さ れ た か を 読 者 に 伝 え る 。 例えば、創立大会の壇上では、﹁徹底的糾弾を決議す るために﹂﹁敵憶心をもって﹂決議文を朗読した色自ら い う ︵ 一 七 六 頁 ︶ 。 二回大会での警察との乱闘の際には﹁こっちも、警察 官に殴られて怪我しているじゃないか﹂ということをア ピールするために、﹁奈良のある男を、大げさに毛布で 体を包んで、いかにも重傷者らしく装って京都駅まで行 って、汽車に乗せで帰らせた﹂という。したたかな喧嘩 上 手 で も 彼 は あ っ た ︵ 二 一 一 頁 ︶ 。 別の局面での権力を相手にした政治的駆け引きでは、 水国争闘事件の後始末にかかわって、口から出任せの嘘 を 並 べ て 検 事 正 を 桐 喝 す る 振 る 舞 い と し て 現 れ る ︵ 一 一 一 八 頁 ︶ 。 こ の 年 、 米 田 富 は 弱 冠 二 十 二 歳 で あ っ た 。 そ う し た ︵ ま る で 講 釈 の 一 節 を 聞 く よ う な ︶ ﹁ 武 勇 伝 ﹂ は、それ以外にも幾つもの事例をあげてこの本の中で語 られる。だが、それらは、単に向こう意気の強い、いさ さか腕に覚えのある青年の若気の至りではなかったこと を 私 た ち は 知 る の で あ る 。 私が本書を読んでもっとも衝撃を受けたのは次のよう な場面である。それは、米国が小学校の時に﹁相撲が嫌 い ﹂ だ っ た と い う 理 由 に 関 わ っ て い る 。 ﹁それで仕方なしに組み合うて相撲しでも、そんなに 弱くもなかったんですけど。やっぱり、向こうと組み合 うて勝負するちゅうほどの勇気がなかったんですかね。 とにかく、部落に生まれて生活しておるために、去勢さ れているというのか、卑屈感がだんだん増してくるとい うのは誰でも事実だと思いますね。そりゃ、境遇から来 て い る と お も う ん で す け ど ね ﹂ ︵ 一
O
三 頁 ︶ 。 差別するヤツに対しては、父親から﹁張り倒せ﹂と教 え ら れ 、 ﹁ そ の 通 り に 実 行 し た ﹂ の が 米 田 さ ん で あ っ た 。 ﹁ 腕 力 に 強 い 優 等 生 と し て 一 目 を 置 か れ た ﹂ 。 に も 拘 わ ら ず、その自分を含めて、部落の子どもは﹁卑屈で勇気が な ﹂ か っ た 、 と 当 時 を 思 い 返 す 。 ﹁敵煽心﹂を持たなければ、そうした﹁卑屈﹂さから こベる 15の解放はなしえない。宣言の文案を練っていた西光が ﹁熔印を投げ返す﹂という語句について、それが﹁復讐 を意味﹂するので削除するべきかを創立メンバーたちに 相談したとき、米国富はまっさきにその言葉を残すよう に 主 張 j した︵一六六頁︶。そこにこそ、米田富の部落解 放への決意はあったのだな、ということに私たちの思い は到る。水平杜の﹁こころ﹂もそこにあった。 だが、米田富も全国水平杜も、当時の歴史的状況にも 規定されて政治主義的な対応を余儀なくされ︵或いは、 主体的に選択して結果からいえば、そのことの政治 的・思想的な総括をなさないまま活動の舞台から退いた。 師岡によれば、米田さんからの聞き取りは当初に予定 したものの﹁十分の一にも及ば﹂ないものだという。戦 後の、それも今日の状況に直接つながる部分については、 私たちはもはや米国富の﹁こころ﹂が奈辺にあるかを聞 く 術 を も て な い ま ま で あ る 。 けれども、本書の前半部﹁米田富の生涯﹂によれば、 晩年の米田さんは、部落解放運動のなかに同和対策事業 を個人的な利権とつなげる動きがあることに︽深い絶望 と 失 意 ︾ を 持 っ て い た と の こ と で あ る ︵ 七 四 頁 ︶ 。 ところが、そのことから師岡は、一直線に、部落解放 同盟奈良県連の分裂を﹁米田さんが死にさいしてわずか に託した若い世代への期待﹂が﹁実りはじめ﹂た動きと して評価する。この小文の冒頭で、私が﹁メチャメチヤ 腹が立つ﹂と書いたのはそのことである。改めていうが、 九年を経た今日もなお私は﹁分裂﹂に反対の立場をとる。 師岡さんがそうした政治的判断をされるのはもとより 自由であり、その﹁判断﹂にはそれとしての具体的根拠 はあるだろう。だが、師岡の目に﹁運動の再生﹂﹁新し い道の模索﹂と映る組織と運動の分裂が、他方で、奈良 県の人々に何をもたらしたか。そのことについての目配 り は 本 書 に な い 。 加えて、米田さんの思いを背景にそれを語るのであれ ば、同時に、三里塚への対応に関わって﹁戦線が分裂し ていたら、部落解放運動はそれを統合するのに力をつく すべきだ﹂︵七二頁︶と主張する立場もまた米田富のも のだったことに思いを致すべきだろう。そうした運動の ダイナミズムを自ら買って出る姿勢こそ米国富の真骨頂 だ っ た 筈 で あ る 。 ﹁米国富と水平社のこころ﹂を石の﹁記念碑﹂︵六五 頁︶で継承できるのかどうか、私は小さくない疑問を抱 / \ 。
鴨水記 マ﹁食わず嫌い一食べてもみないで 嫌いだときめてしまうこと。﹂食べ 物に好き嫌いがないほうなんですが、 牛乳を腐らせたものと聞いたのがも とでヨーグルトだけはお金をもらっ てもイヤときめていました。ところ が某日、喫茶店でモーニングをたの んだらヨーグルトがついてきた。困 ったなと一瞬思ったものの、哀しい 性というべきか、﹁もったいない﹂ という気持がむくむくとおこってき てエイヤツと呑みこんだ。ブル l ベ リ l のフルーツソ l ス が 酸 味 と 匂 い を消してくれていたのがよかったの か、吐き出さずにすみました。それ からというもの毎朝、ヨーグルトを 食べている。お笑いめさるな。 ところで﹁食わず嫌い﹂には﹁物 事を試みないで先入観からひたすら 嫌う﹂という意味もある。本がそう。 最近読みはじめた吉田健一に﹁文学 に 現 れ た 男 性 像 ﹂ ︵ ﹃ 文 学 人 生 案 内 ﹄ 講談社丈芸文庫所収︶という丈章が ある。その一節、﹁思索もそれがそ あ た い の名に価するものならば、一つの行 動であって、行動と区別出来る思索 などというものは、日本の知識人の 間 で 位 し か 通 用 し な い ﹂ 、 ﹁ 我 々 が 行 動している時に、それが行動である とともに思索でなければならないの で︵略︶行動を離れて言葉で思索す る場合でも、その言葉一つ一つが行 動であることが必要である o ﹂がぐ さりときた。四十五年前の文章の意 味するところがやっとわかるように な っ た と い う こ と で す か な 。 マ﹁母が家事で忙しくしていたら突 然 、 ﹃ 人 は な ん の た め に 生 き て る の ﹂ 。 あわただしく﹃知らないよ、そんな こと﹄と言われると﹁自分の心をさ が す た め だ よ ﹂ 0 ﹂ ︵ ﹃ 朝 日 ﹄ 名 古 屋 本 社 版 、 6 − H 朝刊、﹁あのね|子ど も の つ ぶ や き ﹂ ︶ 。 ﹁人はなんのために生きているの か﹂という根源的な問いを六歳の子 どもが発している。お母さんは忙し さにかまけて﹁知らないよ﹂と答え たというけれど、忙しくなかったら 答えられたかどうか。いや、このお 母さんだけでなく、わたしたち自身、 この間いに向き合って生きているか どうか。﹁そんなこと考えているひ まがない﹂という弁解はできる。弁 解はできても、聞いは残る。﹁おと なは、子どもの言うことにもっと感 心しよう!﹂と絵本作家・長新太さ んはいう︵朝日新聞学芸部編﹃あの ね|子どものつぶやき﹄朝日新聞社 の帯広告から︶。しかし大事なのは ﹁感心してしまう﹂感性なんでしょ う ね 。 ︵ 藤 田 敬 一 ︶ 編集・発行者 こべる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区衣棚通上御霊前下lレ上木ノ下町73-9阿昨杜 Tel. 075 414 8951 Fax. 075 414 8952 E-mail: [email protected] 定価300円(税込)・年間4000円郵便振替 010107 6141 第113号 2002年8月25日発行