Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 駒澤大學 佛教 學部研究紀 要 第
58
號卒成
12
年3
月 (19
)宗
教 教 育
・仏 教 教 育
の
場
面
と
根 柢
の
諸 問
題
小
山
一乘
1
は じ めに周
知
の よ うに,国
公私
立 の学校
教育
の教育 課程 (
学 習課 程 )
編成
の基準
とな る の は ,文 部 大 臣告
示 の学 習 指 導 要領 (
幼 稚 園
は幼 稚
園 教育
要 領。本 稿
で は, 以降
,特
に断
る場 合
を除
き「
学 習指 導要 領 」
と称
する)
であ
る。当学 習 指導 要領
は, 実定
法で ある学校
教 育 法施 行 規
則の条項
の定
め る とこ ろ に よ り,文部 大 臣
が こ れ らを告
示 す る と定 め るω 。平成
10
(
1998
)年
12
月
14
日告
示の学 習指
導 要 領で初
め て, 従 来 見 え なか っ た「
生 き る力」
とい う用語
が第
1
章 「
総則 」
に挿
入さ れた。 しか も 「自
ら学
び 自 ら考
え る力 」
「個性
を生かす教育 」 等
の項 目よ りも上 位 に お か れ た。 この 背 景 に ある中央
教 育審 議
会 答 申は 以下 の2
視 点で説
明 し てい る。 す な わ ち(
1
)「自
分で課 題 を見つ け, 目 ら学 び,自
ら考
え, 主体 的
に判
断し,行動
し,よ りよ く問 題 を解 決す る
資
質や能 力 」。(
2
) 「自 ら を律 しっ っ ,他
人 と と もに協 調 し, 他 人 を思い やる心や感 動す る心 な ど, 豊か な 人
間性
と逞 し く生 き る為の 健 康 や体
力」
で あ る。自
力に よる人間
形成論
が強
調 さ れ ,他
力 に よ る人間
形成論
が控
えめ に措 定
さ れ る。強 調 されて い る の は, 今 日
今
時, 厂将 来
予 測が なか なか明 確 につ か ない , 先 行 き不透 明
な社
会」
の なか で,あ
らゆ る知 識
や技 能
を縦
横
に使
っ て,逞
し く「
生 き抜
い てい く力」
で ある。本稿
のね らい は,標 題
に つ い て,断章 的
に管 見
を述
べ る こ とにあ る。(
20
) 宗教教 育 ・仏 教教 育の場 面 と根底の諸 問題 (小 山)2
広
義
の宗
教 教 育 と広義
の仏 教 教 育 と の 基 層「将 来 予 測が なか なか 明 確 に つ か ない 」と は, ま さ に
相
手 取 ら ね ば な ら ない 対 象の正 体 ・得 体が不 定で あ り, 不 可 思 議 事 態 で あ り, その結
果, こち ら側の 主 体 は , そ の適 応
に戸
惑い , 心 理 的に は, 当面, 不 安状
態 とな る事
態が予 想 さ れ る。 これ ま さに, い わ ゆ る宗 教 を指 向
・醸成
す る十
分な る契機
と も成
る 。 当 至 難事
態 を, 逞 し く, 回 避 す る か, 超克
して い くか して ,将来
を生 きて い く力
の その育 成
が国
民的課
題 と して示 さ れ て い る。 不安 的状 況
は, ま さに宗 教 的事
態
と紙
一重
で あ り。 その紙
一重
の事 態
に対 峙
して の教育
改 革 は,否 応無
しに,筆 者
を して, 広義
の宗
教 教育
, 広義
の仏
教教育
, そ して,或
る宗派
・宗 教
を選択
し決定
してい くとい う,究極 的
な もの を希 求
する,人
が学
び問
うその仕 方
の軌跡
の相
へ と傾 注
せ し め ら れ る。その
根
柢 に は 「自
己責 任
や自助
の精神
」が一 貫す る。 こ れ 正 に「自
力の す す め」 と換 言 ・捕捉
せ し め られ る。 他 力 本 願で は ない 。 激 し く変 容 す る社
会で は,殊
に, い つ で も, どこ で も, 誰で もの も とに, 何 が 生起 する か 思い 量 る こ とが 至難で ある。 思 議す る こ とが不 可 能で ある。 字 義 どお りに不 可 思 議な事 態 ・状 況 に投げ
出 さ れ て い る とい えよ う。 安 易 に親, 教 師, 集 団 な どの 他 者 の援 助 を あて に で き な い 事 態が頻繁
に起 こ る。 自分で 切 り抜
け る しか ない 。 他 者 に依
存 せ ず, 不断
の自
助努
力 (self −help
)を積
み重ね てお い て, い ざとい うとき, 毅 然 と して自分
の 人 生 を開拓
して い く。不屈
に拓
い て い く「
資 質
や能 力 」
が,内容知
と方 法知
と して, 日常
の実際
生活
に不 可 欠
と な る。他 者
の援助
を期 待
で き ない 厳 しい自
己 責 任社 会
の到来
が想 定
さ れ て い る。用 語
「
生 きる力 (
Zest
for
Living
)」
は,
激
し く変
容 する社 会
に対応
で き る国
民
の教育
を目指
して,教 育課 程
上,初
め て,取
り立て て意識化
さ れ示 さ れ た教
育
用語
で ある。け だ し, こ の用
語
は, 巷間
で よ く見聞
す る平 凡 な常
識 的な言為
で あ ろ う。何
もい ま さ ら特
に取
り立て て説
明す る必要
も ない程
のtrivial
な(自
明な ・些細
な)
言葉 で あ る。だ が,
時
と し て,「
机
上 の知 (
識
)」 と対 向
し て,「
娑婆
」の世界
を巧 み に生き し た た 抜 く 「強か さ」「
世 事 に通 じた」 「世 間 知 」 を髣 髴 と さ せ る響 きを もっ て もい る。 一351
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 宗 教 教 育 ・ 仏 教 教 育の場 面 と根 底の諸 問題 (小 山) (
21
)強
さ をその よ うな点
か ら捕捉
する限
り, い わ ゆ る学 校
の勉 強
(学 習
)は 出来
な くて も,社会
・世
間で通
用 す る巧
み な生活 力
の ある こ との ほ うが肝 腎
だ とい う 言い 方が躍如
と して くる。 ま さ にそ の よ うな意 味で , 世 俗 的 な,時
と し て,開
き直
り を 示 し, 巷間
に底 流
す るい わ ゆ る厂
体
験」論
や或
る種
の 「実践」
論優 先
の 用語
と し て使
用される傾 向 (disposition
)も否め ない 。極
論 すれば, 学校
教 育で 修 業 した内 容 知 ・ 方 法 知 は , 社 会に お い て は役に立た ない と短 絡 的に捕 捉
す る こ とに終 始
して し まう見解
の 象徴
で もあっ た。で は その肝 腎な生 き る
力
の基礎
・基本
を樹
立さ せ る基 層
は何
か。内容 知
か方
法 知 かが 問題 とな る(Z}。3
体 験 と経 験主
体
と, その主体
が置か れて い る場 の構
造の違 い を思 量 し た命
題 と して 「テ レ ビ で の ア フ リ カ経験
は可能
だが ,体 験
は不可能
であ
る」
が ある。 い わ ゆ る体
験
と経験
と を峻 別 して い る こ とが窺
え る。命 題 「
教 科書
で の釈 迦
の宗教 経験
は可能
だ が,体験
は不 可能
で ある」の措定
を ど う解 する か。 厂教 科 書で の 戦 争 経 験 は可 能だ が, 体 験 は不 可 能で ある」
の措定
を どう解
するか。「
教 祖 の著 作
を通
して の,教祖
の解 脱 経験
は可能
だが,体 験
は不 可 能 だ」
「教科書
で の卑
弥 呼の 宗 教経
験 は可能
だ が,宗教体
験 は不可能
であ る」な ど枚
挙 に い と ま が な い 。 用 語「
体 験 」 と 「経 験」
との峻 別 の 有 無 の差 は大
で あ る。 ドイ ツ語 と英語
との 差 異 に注 意 す る。 英 語 で は い わ ゆ る[
体 験]
も[
経 験]
も‘ experience ’ で共 通す る。 ドイツ語で は 「体
験 」は, ‘ erleben ’ , ‘Erleb
− nis ’, 「経 験 」 は, ‘ erfahren ’, ‘Erfahrung
’ と使 い 分け る。 示 唆的
である。体
験の 蓄 積 は い く ら多
で あ っ て も, 客 観 化せ ず結
果 と して経 験 化 して い な い 事例
が あ る。 馬 に は悪い引例
だが,馬齢
を重 ね た だ けの単 な る体
験 だ けな ら,経
験 どこ ろか体験
の名
にす ら値
し ない 。 上記
に関
し,前後
を逆に して ま とめ れ ば, 「直接
的
な捕捉
は不 可能
だ が ,間接 的
・ 客観
的 に捕捉
す るこ と は不 可 能 で は な い」
と推
理 さ れ る。 で は こ の場 合,今
まで知 ら なか っ た未
知の こ とを,既
に知
っ て い る こ とばに よ っ て知
るとい うこ と が
何
故 可能
なの か ?(
何 故
可能
なつ も りで お られ るの か )」
という知 識論
の明
示 が要
る。身 近
な例
に,宗
教体
験の伝
達,宗 教経 験
の伝 達
,(
22
) 宗教 教 育 ・仏教 教育の場 面と根 底の諸問題 (小 山 )戦争
体 験 の伝 達,戦
争 経 験 の伝
達等
の こ とを想 起す る。 既 知 と未 知 とを結
ぶ論
理 ・架橋
の相
を, い か に,論
理的
に,説
明す るか の そ の仕 方の問
題で ある。 そ こ で 次の問
い が出
る。 即 ち予
備 事項
の脈絡 中
に呼
び込 み取
り込 んだ とい うな ら, 既 知事項
の再 編
成 に過 ぎな い 。
何
ら本 質 的に新 知 識 を得
た こ とに は な ら な い 。 その 全体
を取 り込む脈
絡
が生得
的 (先
験 的)
に セ ッ トさ れて い る とす るな らば, 既に知
っ てい る脈
絡
に取
り込 ま れ, そ れ は「
知 っ て い た 」こ と に な る。 とする と,新
しい事 項
を学
んだと は と て も結
論 し難
い 。これ は
宗教 教 育論
と して も,宗教 科教 育 論
と して深 刻
な問題
であ
る。別 言
す れ ば, 生 まれて こ の方「
分か る」 とい う言
葉 をどう『
分か っ て』 使 用 し だ して い るの か, とい う問
題 とも なる。4
道
元 の体
験道 元が 入
宋
留 学の際 に,実
際に見聞
し体
験 し た話
が , 時間
空間
を経
て, 懐 弉 と の 教育
の基本構 造
の脈 絡
の中
で ,客観
化 さ れ, 間接
的に対 象 化 さ れ る。 そ れ が 「事 実 的 言 明 」 として 語 ら れ る。或
い は「
規 範 的言
明 」 と して言
及さ れ る。 そ れ らが『
正 法 眼 蔵 随 聞 記 』に み え る。 入宋体 験
が,時
空を経
て こ そ, か つ て の具 体 的 な事柄
が , 大 脳 の神経
回路の生
理作
用に よっ て抽 象化
し,記号 化
さ れ智慧
とい う形 式
で抽 出
さ れ る。智
慧は,即
,経
験知
となる。 そし て語
られ る際 の場面
は,道
元 の語
る言葉
(教 育 内容 )
を聞
こ うと す る学 習 者 (
懐 弉 )
が居
る。 教 育者
・語
る内
容 ・被教 育 者
の三者
が揃
っ て い るの で ,「陶冶
の基本 構 造」
に相 当
して い るで あ ろ うとの推定
が なされ よう。語
る言葉
は,指 導原
理 と し て処 方箋
の機 能
を自
然に帯
び よ う。道
元が入宋 体験
に言
及 し て い る箇 所
が 『正 法 眼蔵
随聞
記 』の随 所 に み え る。先 ず 「
1
明眼
の人
を は つ べ し」
が語
られ る「
段 」
の なか で 示に云, は つ べ くん ば 明 眼の 人を はつ べ し。 予,在 宋
の時, 天 童 浄 和 尚,侍者
に 請す るに 云 く, 「外 国 人た りとい へ ど も, 元 子 器量 人 な り」 と云 て, これ を請
す。 予, 堅 く是を辞 す。「
其
故は,和
国に き こ え ん た め も,学 道
の稽古
の た め も349
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 宗 教 教 育 ・ 仏 教 教 育の場 面 と根底の 諸問 題 (小 山 ) (
23
) 大 切 な れ ど も,衆 中
に具 眼の 人 あ りて,外 国人
と し て大叢林
の侍者
た らん こと, 国に人 な き が如
し と難ず
る こ と あ ら ん, 尤 も はつ べ し」
とい ひ て, 書状
を もて此 旨を伸 しか ば, 浄 和 尚, 国 を 重 く し, 人 を はつ る こ と を許 し て, 更に請せ ざりし也 (3) 。 とある。 ま た,脈 絡 中
に は,直接 話 法
が用い ら れ て い て,直接
的 ・ 具 体的
・ 主 観 的な内容が 直 裁 に語 ら れ る。 た しか に間 接話
法は記 述 に巧拙
が あ る。幸
い に も 「巧」
な ら ば,相 手
の理解
も明 晰 とな り応 用が利 い て 深ま る。 「拙 」な ら理解
が至難
とな る。 煩 雑 に な る。 その 煩 雑を 回避 し た い 一途
な老 婆 心が , 教 育上 の 遠 謀 深慮
と な っ て直
接話
法を 選択 させ る こ とに な る こ と が 道 元 に お い て あるの で は ない か と筆 者
は感
じ る。在 宋体 験 談
の み える箇 所
に つ い て の抽 出作 業
を し た結果
を,池
田魯参 氏
が次
の よ うに示 して い る。 まのあ た り一 ・
4
「
大宋 国
の叢
林
」 「 親
り見 し は西 川の僧
」
一 ・
6
「宋土 に は」
二 ・
1
「
一門
の同学
五根 房
,故 用祥僧
正の弟子
也,唐
土の禅 院
に て」
二 ・
9
「先師
天童 浄和 尚
住 持 の時」
二 ・
16
「
我
大 宋 天 童 先師
の会
下に して」二 ・
21
「
宋土 の寺
院な ん どに は 」三 ・
15
「我 在 宋の 時」
「或 西 川の僧 」
三 ・
20
「大宋 国
の叢林
に も」
三 ・
25
「大宋 叢林
の衆 僧
」三 ・
30
「
我 大宋
天童禅 院
に居せ し時
,浄 老住 持
の時
は」四 ・
5
「
宋土海
門 禅師
天童
の 長 老た りし時, 会 下 元 首 座 と云 僧 有 き」六 ・
2
「
往
日天童 山
の書 記道 如
上座
と云 し人 は」 「
予 , か の人 に問
云」
六 ・
15
「先 師
全和 尚
入宋
せ ん とせ し時」
六 ・
19
「我
も当時
み入宋
の時
き」
六 ・
24
「
大 宋
国 に も」六 ・
27
「
大 宋
の 人 」 とある。 た しか に, 道 元の入宋 伝
法に際
し て の体
験談
は 『正法眼 蔵 随聞記 』
の中
に多
く見 える。 こ の在 宋体 験
を,帰 国
し て,客 観視
し な が ら道
元が談 ず
るの(
24
)
宗教 教育 ・仏教 教 育の場面と根底の諸 問 題 (小 山 ) を傾聴 す
る懐 弉
の大脳
の生
理過程
は どう
であ
っ た ろうか 。異 文化
理解
の深 層
で もあ る。池 田氏 は 「こ の よ うな
実話
は, 生 涯 入宋
の機
会が なか っ た懐 弉
の耳
に は強
い印象
をと どめ た はず
で ある。」
ω と指摘
す る。道
元自身
に お い て も, 在 宋中
見聞
した こ と を,自身
に刻
印 付 け し, それ を経
験 知 に抽 象 化
す る こ と を実
現 して い く。 ま た,道
元自
身の大 脳 の生 理 過程
の は た ら きの 深層
の構造
と機 能
と は,換
言す れ ば, 学道
者の大 脳 の生 理 過程
の 深層
構
造 と深層機
能 とを解
き明か しなが ら, 化 導 (教 育 )して い く実 体そ の もの で は ない の か 。で は学 道 者 の
機
根に つ い て の記
述 をみ て 見る。 示 に 云 ,有
人の云,「
我病 者也
,非
器 也,学道
に たへず
。法 門
の 最要
を き き て ,独 住 隠居
して,性
を や し な ひ病
を た す けて , 一 生 を終
ん」 と云 に , 示 云 く,先
聖 必 し も金 骨
に非 ず
,古
人 豈皆
上器
な ら ん や。滅後
を思へ ば幾
ば くな らず
, 在 世 を考
るに 人 皆 俊 なる に非 ず
。善
人 もあ り, 悪 人 も あ り。比
丘衆
の中
に不 可 思議
の悪 行 す
る もあ り,最 下
品の器
量 も あ り。然
れ ど も卑
下 して道
心 をお こ さず
,非
器 な りとい(
ひ)
て学 道
せ ざる な し。今
生 も し学
道修 行
せず
は,何
れの生に か 器 量の物
とな り, 不病
の者
とな らん。 只身命
をか へ りみず 発 心 修 行 す る , 学 道の 最 要な り。 と あ る。 「只 身命
をか へ りみず発心修
行す る」
こ とが 「学
道の最
要な り」
とい う。 単な る皮相
的な機 根
論議
は これ を捨 象
す る。今
日今 時
,刻 印付
けの継 続
を勧 め て い る。 た だし,余計
な こ と を,刺激
・環境
と し て設
えて い る と , そ れ らが, 覚 えず
知 らず
の うち に, 大 脳の生 理 過 程の なか に刷
りこ まれ て い く。 顕れ た カ リ キ ュ ラム で はな くて, 隠 れ たカ リキ ュ ラム で あっ て も, そ れ が無 意 識の うち に刷
りこま れて し まっ てい る。 そ して , そ れ らが,何 等
か の 際に, 咄 嗟の言 動
に なっ て発 現す る。 そ の こ とへ の留 意が 要る。5
ル ビン の反
転
図 形考
周知
の如
く,Rubin
の「
図 一 地反
転
図 形 」(
一九
ニ ー年 )
は大
脳の生
理過 程
一347
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 宗教 教育 ・仏 教教 育の場面と根 底の諸 問題 (小山)
(
25
) の メ カニ ズ ム をみ ごとに説
明す る 。 その 図 (白
い 図 形 部 分, 酒杯
また は容
器な ど に見
え る とい う場合
が多
い)
と地(
黒 い背景 部分
, 人間
の顔
が見え, 且つ ,向
か い合
っ て い る とい うよ うに見 える とい う場合
が多
い )とが ある。 全体
が部
分 を規
定
して い る。 人 は,覚
えず 知 らず
の うち, 白い部
分か又 は黒い部
分か の どち ら か に 既に気
が引
き付
け られ て し まっ て い る。 そ して注視
しだ して い る。 じ一 と注視
を続
けてい く うち に ,見続
けた い という意 図
に関係
な く,見
え方
が反転
す る の で ある。白
を注視
し て い た者
は, 黒地
の ほ うに注意
が移 転
し て し ま う。 意 図 に関係
が無
い か ら, 反転
し た こ との説
明の仕様
が ない 。何
故
か と問
わ れて も, 答 え よ うが ない 。 で は,何 故
そ の よ うな こ と が 生 じ るの か 。 理由
は こうで ある。 即ち, 大 脳の 生 理 過 程が進む うちに, 飽和 化
が 生 じ, 生理 過程
が進
み に く くな り,抑制
が働
き,新
しい 見 え方
が生 じ る。 そ れ が進む う ち に, 新 た な飽
和 化 が 生 じ, ま た新
た な見
え方
が生 じ る。大脳
の生 理 過 程 に生 じる或る種の飽
和 化 現象
が , メ カニ ズ ム と して作 用 して い た。筆 者
が,今
こ こ で , 注 目し た い事
態は , 意 図 に関 係 無 く, そ れ こ そ勝 手に,大脳
の生 理 過 程 に飽
和 化 が生 じ, 従 来の 物事
の見
え方が, す っ か り変わ っ て化 して し ま うそ の よ うな事
態に対 して である。類 例
は枚 挙
に暇が な い 。信頼
して い て , 一挙 手
一投 足
の すべ てが善
くて好
ま し くさ え思 っ て き たそ の人 の こ とが,或
る 日突然
, 理由
も無
く,嫌 悪感
を す ら感
じる ようになっ て し まうことが ある。 すべ て が嫌
に なっ て しま うこ とが ある。 理由
は本
人 に もまっ た く分
か ら な い の で あ る。 子弟 間
の人 間関
係の拗
れ も決 して他
人事
で は ない 。大 脳 の生 理 過
程
は, 人の意 図 的
活計
と関係 無
く超 然
と して進
んで い る とい う こ とに傾 注 して お きた い 。 そ して , もの の見
え方
を新
た め て くれ る, とい うこ と に意義
を認め て お き た い 。 意 図的
思量 と は異 次 元 事態
で ある。視覚 的刺 激
, 聴覚
的 刺 激 な ど 一 切 の刺
激 を断
つ 。意 図 的
に何
か を考
え よう
と もせず
に, た だ只管
, 出入 同 時の 暁 天 下 に坐 し て い る と,大脳
は純粋
に生 理 過 程 を進 めて い く。 そ の う ち突 然
の よ うに して , ま るで,目
か ら鱗
が取
れる よう
に して, まっ た く新
しい 見 え方
が 生 じて くる。6
機根
道元
が,非
器 な ど と機 根
の こ とを論 じ る な どの暇が あれ ばその 寸 暇 を惜 し ん(
26
)
宗教 教 育 ・仏教教 育の場面と根 底の諸 問題 (小 山) で,「
只管打
坐を す る よ うに」 と不憫
が る ように して親
切に説
く。 そ こ に 「只管
」
とい う指
導 原論
が 見据
えて い る理 と は何
か。 巷 間 に聞 く「
理屈は後
回し, とに か く只管 黙
っ て坐れ」
とい う言為
は,受
け止め ようで は, 反撥
を念
入 りに 生 も う。 だ が,別 面
,実
に言
い得
て妙
という
べ き指 導 原
理 だと もい えて くる。 で は, 同様 に して , 学 道 者の 機 根 に つ い て を, 『正 法 眼 蔵 随 聞 記 亅 中で どの よ うに示されて い る か (5)。一 ・
7
厂爰
にある在 家
人 ,長病
あ り」
一 ・
8
「道 を得
る こ とは , 根の利
鈍に は依 らず」
一 ・
15
「仏仏
祖 祖 , 皆本
は凡 夫 也」
二 ・
16
「上中下根 等 修
し得
べ き法 也」
二 ・
19
「
下根
不堪
の身
」「
時機
を顧
ざる に似
た り,下根
な り,末世
也(
問
)」
「
末
法 也, 下 根 也 と云 て今 生 に不.発, 何れ の生 に か得 道せ ん」二 ・
20
厂人 人皆
有 二仏性
_也,徒
に卑
下 する こ と莫れ」三 ・
20
「
下
下根
劣 器 と き らふ べ か らず」
「若有
=此 心一一人 は, 不。云 二下 知 劣根
_, 不。謂二愚鈍
悪 人 ., 必可
二悟 道
_」 「
性
の 上下
,根 利 鈍
, 全 不.可.
論
」三 ・
26
厂人の 鈍根
と云 は志の不 レ 到時
の事 也
」「
利 根
も鈍根
も, 同 く物
を思
ひ
義
を案 ず る也」
五 ・
6
厂古人
も皆 金骨
に非 ず
,在 世
もこ とごとく上器
に非 ず」
「我 等
も悪 くつ た な し と云 へ ども,
発
心 修 行せ ば得 道 すべ し。 」五 ・
12
「
世 間
の人 ,多分
云,学 道
の志 あれ ども,世
のす え也, 人 くだ れ り,我根
劣 也, 不。可。堪
二如 法修
行_, 只 随 分に や す きにつ きて結
縁 を思ひ, 他生 に開
悟
を期 すべ し と」
「仏法
に 正像 末
を立事
, しば ら く 一途
の方 便 也 」「
人 人 皆 仏 法の機
也,非
器 也 と思ふ こ と なか れ」六 ・
8
「智 者の無 道 心 なる と無 智の有道
心な る と始終 如何
(問 )」厂
先ず道
心の
有
無 をい わ ず,学 道勤 労
すべ き也 」六 ・
11
「今
の 時の人 ,非
器 な り と云 て修せ ずは, 何の劫 に か 得 道せ ん」六 ・
12
「我 身の器 量 をか へ りみ , 仏 法 に もか なふ ま じ き な ん ど思 も我 執 をもて る
故 也 」
六 ・
18
「
況 や無 道
心の人 も , 一度
二度
こ そつ れ なく
とも,度度 重
さなれ ば霧
の中
を行
く人の , い つ ぬ るる とお ぼ え ざ れど も, (中
略 )自然
に 一345
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 宗教 教 育 ・仏 教教育の場 面 と根底の諸 問題 (小 山 )
(
27
)恥 る心 もお こ り,
真
との道
心 も起
る也
」 と見
え る。 こ と に 「人 人皆 有
二 仏性
_也, 徒 に卑
下す る こ と莫れ 」とい う。 道元 (6) の 「人間観
は 「人 人皆 仏
法の機
也」
(五 ・12
)とい う考え方で一貫 して い る。」 教 育 的環 境の重 要 性が 示 唆 さ れ る。ま た
「
人 の鈍根
と云 は志の不 1.到時
の事
也」
(三 ・26
)とい い , 「十 人は十 人 な が ら可二得道
_也
」(
二 ・16
)
とい う。 た だ し「
末代
な り とい へ ども」 (
一 ・4
)
と あっ て, 「鈍 根 劣 器 の もの か なふべ か らず
」 (二 ・13
)
と し ,「
本性 昧
劣 の根 機
,今
生 に窮
め難
し」 (
二 ・16
)とい うに至 る 。注 目すべ き は 「
智者
の無 道心 な る と無智
の有
道心 な る と始 終 如 何 (問 )」 「先 ず 道 心の有 無をい わ ず, 学 道 勤 労すべ き也 」 と見 え る こ とで あ る。道
心 の有
無に拘
る の で は な く,「
仏 道
を学
ぼ うと努力
すべ きである」
こ と を説
く。 四句 分別
の命題
へ敷 衍
し て み る と表
1
を得
よ う。 表1
者者
智
智
智智
無
無
道 心 終→ 道 心生 じる 道 心 (好 ま しい )道心
(
好
ま し くない)
道
心終
→道
心後
退 ( )内 は筆者 に よ る7
幼児 教育
にお け る体
験 と経
験3
歳児 性格 決 定説
が , フ ロ イ ト, エ リ ク ソ ン な どに よっ て示唆
さ れ る。知 能
面に お い て も幼 児教 育
の重要性
が ピ ア ジ ェ な どに よっ て も示唆
さ れ る。 これ ら へ の省 顧 も要る 。 仏 教 保 育 の場 面 と根 柢 を考 えた い か ら。こ の よ うに み て くる と,
体
験 と経 験 と は根
抵 的問
題で ある。三
歳
以 降 小学 校
就学
始 期 まで 関わ る幼 児
教育
・保 育
で は その 要領
を ど う規 定
してい るか。平成
一〇年 十
二月
一一 四 日告示
の『
幼 稚 園教 育 要領 』 (
平成 十
二年
四 月一 日施 行 )
にみ られ る用語 「
体
験」
と「
経
験」
の用例
文 を単純 素 朴裡
に抽 出
し,各
用例
の 文 脈 に よ る規定
の相
をみ る。 なお紙
幅
上,今
は通 覧
す る表
2
の作 成
に と ど め,詳細
な意味 論 的分析
は他
の機 会
に譲
りたい 。(
28
)
宗教 教育 ・仏 教教 育の場面 と根 底の 諸 問題 (小 山) 表2
(1) 幼 児は 安定し た情 緒の下で 自己 を十分 に発 揮す るこ とによ り発達に必 要 な匪國
を得 て い く もの で ある こ とを 考 慮し て,幼 児の 主体 的な活 動を促し, 幼 児 期に ふさ わ しい 生活 が展 開さ れ る よ うにす る こ と。 (6) 幼 児の主体的な活動 を促すた め に は, 教師が多様なか かわ り を もつ こ とが重 要であ るこ と を 踏 ま え, 教師は, 理解 者,共 同作 業 者な ど様々な役 割を 果 た し, 幼 児の 発達に必 要な豊かな[
囓
が得ら れ る よう, 活 動の場 面に応じて, 適 切な指 導を行 うようにする こと。 第 2章ね らい及 び内 容各領 域に示す ね らい は幼 稚 園に お け る生 活の全 体 を 通 じ, 幼 児 が
廼
園
を 積み重 ね る中で相互 に関連を も ち な が ら次 第に達 成に向か う も の であること, 内 容は幼 児が環 境に か か わっ て展開す る具体 的な活 動を通 し て総 合 的に指 導さ れ る も の で ある こ と に留 意し な け れ ば な ら ない。 (1) 指 導 計 画は,幼 児の発 達に即 して一人一人の幼 児が幼 児 期に ふ さわ しい 生活を展 開 し, 必要な匱國
を得ら れ る よ うにす る た めに, 具 体 的に作 成 す るこ と。 (2) 幼 児 期に お い て 自然の もつ 意 味は大き く, 自然の大き さ, 美し さ, 不思議さ な どに 直 接触れ る 体験 を 通 して, 幼 児の心が安らぎ,豊か な感 情,好 奇 心,思 考 力,表 現 力の 基 礎が培 わ れ るこ とを踏まえ, 幼 児が自然 との か か わ りを深め る こ と が で き る よ う工夫す る こ と。 (4) 幼 児の生 活 と関 係の深い 人々 と触れ合い , 自分の感 情や意 志を表 現し な が ら共に楽 しみ, 共 感し合う体 験 を通して, 高 齢 者を は じ め 地 域の人々 な どに親 し み を も ち, 人 とか 体 験 体験 体験 体 験 体 験 体 験 体 験 体 験 体 験 体 験 体 験 体 験 一 か わる こ との楽し さ や 人の役に立つ 喜び を 味 わ うこ と がで き る ように する こ と。 ま た, 生 活を 通 して親の愛 情に気 付き, 親 を大 切に し よ うとする気 持ちが育つ よ うにする こ と。 (3
) 道 徳性 の芽 生え を培うに当たっ て は, 基 本 的な生 活 習 慣の形 成を図る と と もに, 幼 一 児が他の幼 児と の か か わ りの中で 他人の存 在に気付き, 相手 を尊重 す る気 持ち を もっ て行 動でき る よ うに し, ま た, 自然 や身近な動植物に親し むこと な ど を通して豊かな心 情が育 一 つ ようにす るこ と。特に,人に対 する信 頼 感や思いや りの気 持ち は, 葛 藤やつ まずき を も圈
し, そ れ らを匯互亟
]
こ と に よ り次 第に芽生 えて く るこ とに 配慮す るこ と。 (1) 教 師と の信 頼 関 係に支え ら れて 自分自身の生活を確立 してい くこ と が 人 と か か わ る 基 盤 と な るこ と を考 慮し, 幼 児 が自ら周 囲 に働 き掛け るこ と によ り多様な感 情を圈
し, 試 行 錯 誤しな が ら自分の力で行うこ と の充 実感 を味わ うことができ る よ う, 幼 児の行 動 を 見 守 りな が ら適 切な援 助を行う よ うにす るこ と。 (1) 言 葉は, 身 近な人に親し みを もっ て接 し, 自分の感 情や意志 な ど を伝え, そ れに相 一 手が一応 答し, その言 葉を聞くこと を通して次第に獲得さ れ てい く もので あ るこ と を考 慮 し て, 幼児が教 師や他の幼 児と か か わる こ と に よ り心を動かすような体 験 を し, 言 葉を交わ 一 す 喜び を味わ え る よ うにす ること。 一 (4) 数 量や文 字な どに関して は, 日常生活の 中で幼 児 自身の必要 感に基づ く[
璽園
を 大 切 にし, 数量 や文 字な ど に関する興 味や関 心, 感 覚が養わ れ るよ うにす る こと。 (5
)麺
國
を通じ て豊か な感性を育て, 創 造 性 を豊か にするよ うにするこ と。 (8) い ろい ろな体 験 を通じて イメージ や言 葉を豊か にす る。 一343
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 体 験 経験 経験 経 験 経 験 経 験 経 験 (
7
) (3) 宗教 教育 ・ 仏 教教 育の場 面 と根 底の諸 問題 (小 山) 幼 児一人一’人 の特 性に応 じ, その 際 1 の主 な’動が確 き, 計 画 的 に環 境 を構 成し な けれ ばな ら な い。 か に しな け れ ば な らない。 (1) な ら ない こ と。この場合に おい て は,特に, (2) 喜び を 味 わ う。 (2) が養わ れる よ うにす るこ と。 (3) る こ と がで き る よ うな遊具や用 具な どを 整 え,(
29
)
彗盤と し て地 域 社 会 を通じ て次 第に広が り を もつ もの で ある ご十 分に図る な ど, 幼 稚 園に お け る生活が家庭や地 域 社 会 と .うにす るこ と。その際,地 域の 自 然,人 材,行 事や公 共 施 三が豊か な生 活圏
を得ら れ る ように 工夫 するこ と。 雪側面が相互 に 関連 し合い , 多 様な経 過を た どっ て成し遂 げ た, 幼 児の生 活匯圍
が それぞれ異な る こ とな ど を考 慮し て, 鐘 の課 題に即し た指 導 を 行 うようにす るこ と。 りが確 さ れ る よ う幼児一人一人 の行 動の 理解 と予 想に基づ トれ ばな ら な い。こ の場合に お い て,教 師は, 幼 児 と人や も .とを踏ま え, 物 的 ・空間 的 環 境を構 成 しな け れ ば な ら ない。 )活 動の場面 に応 じて,様々 な役 割 を果た し, その 活 動 を豊 ・て第 2章に 示 す ね らい が総合 的に達 成 さ れ る よ う, 教 育 期 愚程な ど を考 慮して具体的 な ね らい と内容を組 織し な け れば ・て は,特に,自我が芽 生 え,他者の存 在を意 識 し,自己 を .れ る幼 児 期の発 達の特 性を踏ま え, 入園から修了に至る ま ≡し た生活 が 展開で きるよ うに配慮し な け ればな ら ない こ と。 ま ど を自分な りの言 葉で表 現し, 相手の話 す 言 葉 を聞こ う と 二対 す る 感 覚 や言葉で 表 現 す るカを養う。 聞き, 自分の匯蕕
した こ とや考えたこ と を話し, 伝え合う )内 容と自分の匯函
とを結び付け た り, 想 像を巡らせ た り す :よっ て, 次 第に豊か な イメージ を もち, 言 葉に対 する感 覚 自ら様々 な表 現を楽しみ,表 現 する意 欲を十 分に発 揮さ せ 一 唄 な どを 整 え,自 己 表 現 を楽しめ る ように工 夫 す るこ と。用
語 「
体験
」に つ い て み る。頻 出
す る用語
は「
多
様 なか か わ り, か か わ りの中
, か か わ り, か か わ る, 人 と かか わる, 教師
や他
の幼 児
とか か わ る」
で ある。 決 して , 間 接 的 なか かわ りで な く 厂主 体 的 な活 動」
と し て 「具 体 的 な 活 動」
と し て 「具体 的
に」
「直 接触
れ る」
「接
し」 方
をい う。種々 の
「
環 境 に か か わっ て 」は 「多 様 な感情
,多様
な, い ろい ろ な」
「豊か な 心情
, 豊か な, 様々 な」
「触れ合い」
を 厂次第
に, 次第
に, 次第
に」
形成
さ れ る こ とが措 定 され る。 「関
係 の深い」
もの に対
し 「相
互 に関連
を も ち な が ら」厂自
ら周囲
に働
き掛
け る」 とい う動 静
の相
が み ら れ る。 ま さに体
験 の坩 堝 ・只 中は 「試行
錯 誤」
で 「葛 藤
やつ まずき を も」「自
分の力で行 う」 こと を 五感 ・ 五 官 を「
通
して」
,成 功例
と失敗例
とを連 合 (
連絡 )
さ せ つ つ,学習
してい く。試
行 錯誤
(
30
) 宗 教 教育 ・仏教 教育の 場 面 と根底の諸 問題 (小山) か ら新
た な地 平へ 「乗
り越
え る」営為
の原体
験の相
が浮
き彫 りに な る 。「
身 近な (もの),身
近な人に」 「人に対 する信 頼 感や思い や りの気
持ち」 「心を動かす」「
親
しみ 」「
感 覚
が養
わ れ る,感性
」「
(言 葉 を)交
わ す喜
びを味
わ え る」 「応 答 」。 そ して「
幼 児 自身
の必 要感
」(
want ・ =欠 如感
→補 足 感
・必 要感
→欲 求) 「
(数 量
や 文字
な どに関
する)興味
や関
心」
「芽
生 え, 次 第に芽
生 え」
, こ の果てに, 気づ き,客観化
・智慧
が芽
生 え よ う 。体 験
か ら分 離
し,経 験
へ と移 行
してい く。用 語
「
経 験」
に つ い て み る。脈絡
に みえ る用 語 は以 下で ある。 「多様
な経 過
を た どっ て成
し遂
げ られ て い くものその
際
,幼 児
の 主体 的
な活 動
が確保
され る よ う」
とあ り用語 「
経
過」
に留 意
し たい 。 「他 者
の存 在
を意 識
し,自
己 を抑制
し よ う と す る気 持 ち が生 まれ る」で は自他
の間柄
を客観 的
に推
し量ろ う と す る 営 為が看
取 さ れ よ う。「自
分な りの 言 葉で表
現 し, 相 手の話す言 葉 を聞 こ うとす る意欲
や態 度
」は自
分(
主体
・主観性 )
と相 手 (
客体
・客 観性 )
との架橋 論
・交叉 論の原初
で あろ う。普
く通 じ さ せ る普
通教育
の 一 面 と な る。「(
言葉
に)対す る感 覚 」,「(
言
葉で)
表
現 する力
」 を通 じて「
伝
え合
う」
こ と を し,「
絵 本
や物 語
な ど で , そ の内
容 と自
分の 経 験 とを結び付 けた り,想 像
を巡 らせ た りす る」 とい う 即ち記
号 を媒
介 として 「わか る」
とい う感 覚
が芽
生 えて くる証 左であろ う。「(
言
葉
に)対 す る感 覚」
, 「遊 具 や 用 具 な どを整 え」,「
表 現 」が み える。8
興
味
とい うこ と幼稚 園
教育
要 領で は, 用 語 「体
験」
の 用 例 頻 度が高
い 。他
方 用 語 「経
験 」の 用例
頻 度
は相対 的
に は低
い 。「
遊
び」
を ま さ に生活 (
life
)
とす る幼児
に は, あ ら ゆ る機会
が保 育 の契
機 とな る(機会
の 原理)
。幼 児
は, 発達
段 階 と して は厂
手 で考
える時 代」
で あ り, 目と手の協
応 作 用 も知能
の発達
上重 要で ある。 目に見 え た もの は入 手した が る。 興 味・ 関 心 (
interest
= somethingbetween
a child andamatter (7))の原理 が作 用 する。 或 る子 ど もが こ こ に居る。 既に, この子 ど もの 生 活空 間に は い ろい ろ な物が横た わ っ て い る。
網
膜 には映 っ て い る筈で あ る。 こ こ ろ そ モぐ だ が,気
づ き現 象
す ら しない 。意
を注
こ と(
注 意)
を しない 。 その うちふ と,或
る物
に手 を伸 ば
そ うと しだす。 その と き その事 態
は,実
は, その子 ど もと, そ の或
る物
との間
を,結節
・ 連絡
させ る「
関
わ り・ 間柄
」が成 立 し た と考 えられ 一341
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 宗教教 育 ・仏教 教育の場 面 と根底の 諸問題 (小 山) (
31
) る。認知 論 的
に い えば,神経
回路
が結果
として融
通 した と考
え られ るの であ
る。 その 回 路の 開 通 現 象が実は興味
・ 関 心 を示 した と称 され る こ と に他
な らない 。 ところ で, その回
路 は,今
まで, 微 塵 す ら連絡
して い なか っ たの か , 或い は,僅
か に は連絡
し て い た の か, が問
わ れ る。結
びつ きの程度
の差
こ そ あれ ,従 来
は皆無
また は潜在
的だ っ た の が,結
びつ い て 顕 在 化 するの か。こ の
様
に考
えて くる と, 看 過で き ない 言 為が浮か ん で くる。 即 ち 「興味
を与
え る」 「興味
・関
心 を も たせ る」 とい う言 為で ある 。 今 こ こに教 育の場 面 を想 起 す る。 た しか に 園 児 は興 味が あれ ば, 疲 労 困 憊 す る まで遊び続 ける。 で は こ の 興 味 とは,外
側か ら, 教 師 ・ 師 匠 な どに よ っ て , 注入 ・ 伝 達 され得 る もの な の か 。 それ は, さ な が ら教 師
が, 既成
の橋
を用意
し て, あてが う様
に して,架
け る如
き性 格
の もの な のだ ろ う か。 否, そ れ と も,内
在 してい る もの で あ り, さ な が ら脳 細 胞 の柱 状 突 起が伸 びて い くように して 絡む もの で ある か ら, 開 発 ・助成
さ れ る もの で あるの か 。 そ れ は, さなが ら此岸
と彼 岸 の両 岸
か ら橋 桁
が伸
びて い く よ うに し て結 果的
に架 橋
す る如き性格
の もの な のか。最
要で ある興
味 ・関
心の捕
捉 は , 深刻
で あり, 不 用 意 ・ 無神 経
な架橋 論
・譬
喩
は間柄
を破 壊
す らして し ま うD興 味
が あれ ば,幼 児
は自
ら周 囲
に働
きか け る。 主体 的
主観 的
で あ る。手
を伸 ばす。手
が及 ばな い(
beyond
>
。 そ こ で , 目測 を修
正 し, 手の伸縮加 減
を修
正 す る。 厂手で考
える時代
」の, 目と手の協
応 作 用 確 立の試
行 錯 誤で ある。 まさ に次
第 次第
に step が 進み ,様
々 な具体
的 な もの に具 体 的
に直 接 的
に触
れて接
し方
を 身 体で感 じ とる。 幼 児の 思 考 の待 性 と して ピア ジ ェ のい うアニ ミズム論 も絡
む。 種々様々 な 具体
的 活 動 を 「経 」
て 「た め して み た こ との報
い ・効 果 」が自
然 と 浮 き彫 りにな っ て く る。 こ れ ら豊か な厂
体
験 」の蓄積
に よ っ て い つ しか 次 第 次 第に 「経 験 」 化 する。 即ち応 用 的 智 恵が芽 生え る と。 仏 教 保 育 の原 初相
を み る。9
目
的
と目標
告
示さ れ た学習 指 導要領
・幼稚 園教 育 要領
に よ り各学 校
・各幼
稚
園
ご とに , 上位 法
で ある日本
国憲
法,教脊
基本
法, 学 校 教 育 法等
に定め る各学
校 ・幼稚
園 の 目的
の実
現 と, さ らに その 目的の 実 現の ためにク リア ーすべ き条 件
と して の ,学 校教
育 ・保育 (
幼 児 教育
)ご と の目標
の達 成
が具体 的
に図
られ てい く 。学校
教(
32
)
宗 教教育 ・ 仏教 教育の場 面と根底の諸問題 (小山)育
法脈 絡 中
の 文言
に「
目的
を実
現 す る た め に,次
の各 号
に掲 げ
る目標
の達 成
に努
め な け れば
な ら な い 」(
例
え ば, 同法十
八条
)と み え る。 用語 「
目的 」
は, 動詞
「実現 」
で承けて い る 。 用語 厂目標 」
は, 動 詞 「達 成」
で承 けて い る。 こ こ に動 詞
が使
い分
け られ て い る こ と に傾 注
して お き た い 。目的
は,到達
すべ き最
終 到 達点
で あ ると措 定
す れ ば, 目標
は,最終 到 達点
に到達
する た め に ク リア ー せ ね ば な らない 通 過 条件
とい え よ う。 目的 と目標
は, い わ ば仰角
の 深 度 が異な る。 目的 は奥
行 が深 く遠い 。目標
は , 目的か ら逆算
さ れて設 定 さ れる道標
で あ り,端 的
にい え ば,手前 方 向
に ある深度
の浅い 地点
に目的 的
に順次 措定
され る次 第
で ある。勿
論,最後
の 目標 点
は, 必 然 目的 点 と 一 致す る(8) 。学校
教育
法の文言
に傾
注す る こ とに よ る法 的 思 考か ら〔9), 教 育 的 思 考が惹 起 されて くる。修得
すべ き各領 域
の 目標
・内容
・方法
が具
現化
さ れ て い く 。当具
現のた め に は, 教 育 活 動 ・ 組み立 て の 中 心 と な る機能
(function
)
と して の3
つ の条 件
即 ち機 軸が措 定 さ れる。3
っ の機 軸 と は3L
’ s (Location
(place
= 立 地 ) ,Legal
(law
= 法 制 度 ) ,Logic
(theory
= 人 間育 成
の理論 )
)で ある 。 こ れ ら が, ハ ー ド面 (敷
地 ,校舎
,施
設,設
備等
)
とソ フ ト面(
教育 課程
,教 育 内容 等 )
の管
理 ・運 営
の 基盤
を な す 。10
教 育の基本 構 造
教 育
の場 面
に は, 一般
に は ,前提
と し て , 教育 者
, 教育 内
容 (教 材
=学
習 内容
= subject −matter ,教 便物 )
,被教 育 者 (
学 習者 )
の 三者
が措定
さ れ る。 そして,実
際の場面
で は, その 三者
の うち,殊
に順 に , 見か け上の見
え隠れ状
態が生 じ る。 教育
者 (教 祖 )が 隠 れる場合
, 次い で教育 者 (
教祖 )
と教材 (
経典
)と が共に隠
れ て し ま う事 態が 生 じる。 見 か け 上 , 見 え隠
れ事
態が生 じる。陶
冶の基本 構
造 の 場合
は, 三者
が揃 っ て い る。 教 化の基 本 構 造の場 合 は, 教 師が, 見か け 上 は存 在
しない 。 で も教 師が 用 意 した教 材 を通 して , そ こ に教師
の意
図 を看 取 して い くこ とで , 教育
が成
立 して い る, と み な さ れ る。 形 成 の 基 本 構 造の 場 合 は, 場 面に存 在す るの は, 学 習 者た ち だ けで ある。 さ な が ら,如
是我
聞宜
し くお 互 い が身
につ けて い る内
容
を 出力
し あっ て, 切磋
琢磨
し合
い なが ら教育
の効 果
を達 成
していく故
に教 育
が成
立 して い る と認
め られる。形成
の基本構 造
の場
合
,指 導者
(教祖
)
も亡 くな り,教 材
(経典
・教 典 )
も消 失
し た場 合
な ど が想 定
さ れ よ 一339
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 宗教 教育 ・仏教 教育の 場 面 と根底の諸問題 (小 山)
(
33
)
う。生
涯学
習論
が傾 注す る構
造 で もあろ う。 図教
育
の基本構 造
主 者 の (海 後 宗臣 『教 育 原理亅 朝 倉 書 店,1962年 よ り筆 者作 成)教育 者
と学
習者
との 「教 育の基本構
造」
の相
は,「
新
し く宗教
が発 生 し, そ こに 教 組 ・教義
・信者 間
の関
係 図 式」構 造
が変 移
し てい く諸相
と重
ねて みると興味
深 い 。 け だ し, 宗 教 教育
の相
承の宿命
の姿
をみ る とい えまい か 。 次に図 を掲
げる。 図新 し く宗 教が
発
生 す る場 合
の,教祖
・教 義
・ 信 者間
の関
係 図 式 ω(関 係 図 式中の解 説文 趣 旨は, 島薗
進 氏の
解
説を参 照し, 筆 者が 一部 加筆 )(
34
)
宗教 教育 ・仏教 教育の場 面 と根 底の諸問 題 (小 山 ) 図
新
し く発
生 し た宗 教の特
に信
者 間の横 集
団 形成
の 創生記
の関係 図
式 図新
し く発
生 し た宗 教
の特
に信 者 間
の横集
団形成
の 充実
期 の関係 図式
図教
祖
没後
, 弟 子 ・ 信者 間
の強 固な横集
団形成期
の関係
図式
図信 者 だ けの 強 固な
横
集 団の結合
が一層 強
ま る 教 祖 一教義… 「/
ホ
・、 信者一信者一信 者一信者一信者 教 祖 もい ない 教義 (教典 ・ 経典 )も な い 強固 な横 集 団 意 識が さらに一層強まる11
宗 教 教
育
・ 仏 教 教 育 に お け る譬 喩 の意義
一
父
と子
の譬 喩
論議
と周 辺 む父母
の もとに生 す因果
を得
て, 或 い は「
む すご」 と し て,或
い は厂
むす
め」
一337
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 宗 教教育 ・仏教教育の場 面 と根底の諸問 題 (小 山 ) (