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日本西蔵学会々報 (26) 002越智 淳仁「BuddhaguptaとBuddhaguhyaについて」

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(1)

Japanese Association for Tibetan Studies

NII-Electronic Library Service Japanese  Assooiation  for  Tibetan  Studies

か遣跡 を調ぺ る と, リンチェ ンサ ンボ がこ の地に移植し よう とし た密教が, 瑜 伽観法 を中 心 と し, 民 衆 教 化 を直

接目的としない本格 的な yogatantra 系の密教であっ た

こ とが わか る。 それに もか かわらず

現 在こ の地に

ンチヱ ンサ ンボ崇拝は盛ん である。

Alchi

, 

Sumda

, 

Man −

gyu な ど

リンチェ ンサン ボ ゆ か りの寺を

団体を組ん で巡礼して廻る信 者 も少なくない

ま た

Alclhi

寺の入 口 に は, リンチェ ンサンボの杖か ら芽 生 え た とい う大 木 が 昨年まで存 在し てい た。 現 在そ れ は大 風に よっ て倒 さ れて しまっ て いるが

それは リンチェ ンサンボに対する 民 衆の信 仰 をよくあ ら わ し てい る。 その思 想と行動の中 に

民衆性の希薄 な リンチェ ンサ ンボ が カ リスマ 入物と なっ て

現 在

民衆の間に根 強 く尊 崇 されて い る こ とは

興味深い ことといわ ね ば な らない。  リンェ ンサ ンボが西チベ トにもちこも う とした 仏 教の全 貌は

ラ ダッ ク地 方だけで は な く

Guge , Spiti 地 方の寺 堂 を調 査し た上で な け れば

把 握できな いこと はい うまで も ない。 た だこれ らの 地方に調 査に 入 るこ と は

現 在 不 可 能で あ る た め

と り あ えずラ ダッ ク地方に おける リンチェ ンサ ンボの足 跡 をた ずね, その仏 教の性 格の

端 を解 明しようと試み たの で ある。   寺 堂の実 測 図

堂 内の マ ンダラ

仏 豫な どにつ い て の 調 査研究は

「ラダッ ク地 方 に お ける リンチェ ン サ ン ポ の遺 跡 の調査報告」 (密教 文化 129号) 「マ ンダ ラ

西チ ベ ッ トの 仏教 美術 」(毎日新聞社刊 )にく わ しい。 ま た

Alchi

 choskor の

Sum

 tsek 

2

のマ ンダ ラ と経 軌 との 比定につ い て は

「ア ル チ三層 堂

二 階の曼茶羅 」 (仏教 史 学創立三十 週 年 記 念 仏教史 学 論 集

同朋舎刊)を参照 して いた だきたい

Buddhagupta

Buddhaguhya

 智 淳  仁

 チベ ッ トの資料の中で は, イン ドの タン ト リス ト

サ ン

サ ンワ (safis rgyas  gsah 

ba

)の サ ンス ク リッ ト 名 を

Buddhagupta と伝承するもの と

 Buddhaguhya と伝承 するもの との両 説が あ る。 こ の こ とか ら

従来我 国の研究者の 間 で も Buddhagupta を 好 し とす る 説

Buddhaguhya

を好し とする説

Buddhaguhya=Buddha−

gupta を好し とする説な ど諸 説

致し ないがある が

普通

般に はこ の点 を あま り問題 と せず

サンゲ

サ ン ワ を新 制 定 語に比し て

Buddhaguhya

を使 用 する こと に なっ てい る。  し か し

こ の点につ い て の総合的な研 究は なく

問題 意識すら乏しい現状である。 そ こ で今 圃は こ の点につ い て の総合的 な 研究を 行 ない

問 題 点 を指 摘しつ つ 論 を進 め るこ と にする。   資料は 〈目録デンカル マ

DK .

 cat

と略 称)〉

〈プト ンの論 疏部目録 (B

cat

)〉

〈デル ゲ版 論疏部 目録 (D

cat

)〉

〈北京 版 論 疏 部 目録(

P .

 cat

)〉著作 の コ ロ ホン (

D .

coL デル ゲ版の コ ロ ホン, 

P .

 col

北 京 版の コ ロ ホ ン)と各 種の歴 史 書 を使 用。  まず 〈目録デン カ ルマ の記載事 項か ら見てくこ と にする。 〈目録デンカ ル マ 〉中の秘 密 タ ン ト ラ (gsafi

sfiags  

kyi

 rgyud )の個所では,

   a  Vairocanfibhisambodhitantra

pipd五rtha

   

b

) 

Durgatiparisodhanatantra

vVtti

   c) 

DhyEnottarapa

誓ala

tikE

の 三部の著 者 を全て Buddhagupta と してい る。 しか し

こ の三部は他の資 料に よ ればサ ンゲ

サン ワの もの とせ ら れてい るこ と か ら

この 〈目録デンカル マ

サ ン ゲ

サン ワ のサン ス ク1丿 ッ ト名 を Buddhagupta と伝承 する資料の内, 最 古の もの となるので あ る。  又

別の資 料では Buddhagupta とサ ンゲ

サン ワが 別 人である と伝承するものる。

 

プトンの 〈mal 睡

byor

 rgyud  

kyi

 rgya  mtshor ug

pa垣 gru gziris> (以 下 gru gziflsと 略称)が そ れ で,

そのでは

  

又或者は 云 うe 知るべ き全ての明所に 巧 な大ア ジャ    リ

Buddhagupta

はゴ ン パの僧と して 七 年お勤 め    に なっ て

修行 を

心 に な され ま し た。 そ の か い     あっ て

文 殊 を御 拝 顔し て

Mah

百mudr 互 の悉 地 を    得ま し た。 彼は真 実 摂 経 (

de

 fiid 

bsdus

 pa )と金

  

剛頂 (rdo rje rtse  mo と最勝本 初経 (

dpa1

 mcheg

   

dafi

 po) と趣 清 浄タ ン トラ (fian sofi sbyofi  

babi

   rgyud ) と

切 儀 軌 集  (rtog pa  thams  cad  

bsdus

   pa )との五つ の頂と

Upade

≦a な ど を文殊か ら実    際に得ま し たo

と記し

以 下相承 系 譜 を挙げる

次に

S

akyamitra

の ク

ロ ノロ ジ

を述っ てか ら,

   yafi 

dafi

 po

i

 sloも

dpon

 

hjam

 

dpal

 gyi grub thob

3

(2)

Japanese Association for Tibetan Studies

NII-Electronic Library Service Japanese  Assooiation  for  Tibetan  Studies

   

de

 

dail

 m 三 mtShufis  pai safis rgyas  gsah bas

……

   又

文 殊の悉 地 を得た彼の最初の ア ジャ リ と は別 人    のサンゲ

サ ンワが

……

) とのし で, サ ンゲ

サン ワ の クロ ノロ ジ

を以 下 記 す。 こ こ で云 う “ 又

文殊の悉 地 を得た彼の最初の アジ ャリ” と は 上 述の

Buddhagupta

を指し て い るの で あ る。   プトンこ の様に云 うの は

サンゲ

サ ン ワ を Bud

dhagupta

と伝承する 〈目録デンヵ ルマ 作の コ ロ ホン等を承知してい たからに相 違ない。 し か し

プ ト ン自身

書物で は サンゲ

サ ンワを終始

し て使 用し, 決し て サ ン スク リッ ト名 を使わ ない。 こ れ は サ ンゲ

サ ンワ の サ ン ス ク リッ ト名に Buddha

gupta と

Budhaguhya

の 二 通 りの承の あっ た事実を 知る プ トンが

サ ンゲ

サン ワを使 用 する方が よ り安 全で あ る と考え た か ら で あ ろ うか。

 

更にス ン パ ヶンポ (sum  pa mkhan  po 1704

−−

1776A

D

作の パ ク サ ンジョ ンサ ン (

dpag

 

bsam

 

ljOn

 

bzafi

)〉 に よ れ ば

Buddhagupta

は Lalitavajraの弟 子あ り

こ の

Lalitavajra

は 八部 成 就 書の

洫 asiddhi >の

著 者であ る中 Indrabhfitiや, その妹

Laksmifikarfi

な ど と ほ ぼ同時代の 人 物であ ると記 す

Buddhagupta

兄 弟 弟 子

Lil

互vajra や Dharmbkara や mafiju

≦rikirti など がい る とも記し てい る。  又

,一

方 〈

Traranatha

の仏 教 史 〉 やシ ョ ン ヌ ペ ル の 〈デプテル グンポ 〉 によれ ば

サンゲ

サ ン ワ は Bud

dhajfianaPAda

の弟 子であ るとされている。  これ 等の ことか ら

,Buddhagupta

と サ ンゲ

サ ン ワ と は別人であ ること が 理 解出 来た と思 う。  そ こ で

次に, こ の サ ンゲ

サ ン ワがガ

り とマ ンユ ル の地で修行して いた時

チベ ト に招 請 され た と す る 歴 史 的に 重要な記載がある。 こ の招 請の時 代 をティデツ

ク ッェ ン王 (

khri

 

lde

 

btsug

 

brtsan

 

704−754

 

A .

D .

)の

御代とするもの と

テ ィソ ンデツェ ン王 (

khri

 sro血

1de

btsan

 754

−797

 A

D

御代とするもの とに歴 史 書は二 分さ れ る が

現在で はこ の招講の時 代 をテ ィ ソン デツ ェ ン王の代と認容されて い る。  サンゲ

サンワ の密教をテ ィソンデツェ ン王の御代に 招 請し た とする歴 史書は

プ トンの 〈gru gzifis , 〈Ta

ranfitha の仏教史 〉

〈パ ク サ ンジョ ンサン〉で あ る。 こ の中

〈gru gzifisで は, サン ゲ

サン ワ のチペ ッ トへ

書翰

bod

 rje 皐

bans

 

dafi

 

btsun

 rnams  la spriil yig>

を 史 的ソ

ス と し て

以 下のく記す。 今その 要旨 をみ

るに

   チベ トに灌 頂 壇 等設 け し た

頃, サンゲ

サ ンワ は ガ

リ とマ ンユ ルの地 方で修

行なされて い る との噂が立っ た。 それ を三

E

が聞い て

当 時大臣であっ た

dbas

の manju ≦ri と

brafi

 

ka

mutitagocha と mchims の

SEkyaprabha

との三人

を 招 講使と して派遣 し た

ところ が

サンゲ

サ ン ワが守 謹神文殊に お 伺い たてる と, 行っ た ら死ぬ か ら行かないが良い とのお告があっ た。 だ か ら行 か ないが

私が行っ たこ とをしまし ょ うと云 づ て, 1) Tantr百rth百vat百ra 2) 

Vairocanahhisambodhitantra

pi昶百rtha

3)  Dhy 百nottarapa 書ala

k

との 三部を作っ て寄贈なさっ た。 そ して

こ れ に 〈王, 大 臣 等に対 する勧 戒の手 紙 〉 を 添 え た。 王 は 喜ん で

) ) ー ウ

3

bjam

 

dpal

 go cha に翻 訳さ せ

Paudita

 

Silendrabodhi

lo

 ts百

ba

 

dpal

brtsegs

に 翻 訳 さ せ

を彼 等 翻 訳 官 と Papdita に よっ て翻 訳 させ た。

     そし て王 が それに対して大 贈 呈 する と

サ ンゲ

      サ ンワは

     4)  Sub五

hupariprcch

百n百matantra

_

pip〔}和rtha

     

5

) 同広釈      6) 大日経 広 釈      7)  Durgatipari≦odhanErthavErttika      の 四部を 王に返 礼と し て寄 贈 な され た。 と記す。 こ の内の

2

,7

,3

)とが 〈目録 デンカル マ 〉 に リス ト アップ さ れて い るの で あ る。  これ 等三部の著 者名を各資料に よっ て整理 してみ る と 以下の (表 1)の如 くなる。  

814

年に編 纂され た と み ら れ る Mahavyutpatti に よれ ば gupta は sbas  pa

 guhya gsah 

ba

新制定 語

よっ て決 択 されて いる。 こ の点か ら考え る と, 〈目録デ ンカル マ〉が

824

年 説の如 くmahEvyutpatti 以 後に持っ てら れ る場合は

〈目録デン カ ル マの 記 載中に新制 定 語で決 択 され ない要素 を もつ テ キス ト をもリス トア ッ プし てい ると云 う事になろ う。  こ の表の申で重 要 なの は

a)の

P ,

 cat

で ある。 即 ち,

Vairocan

hisambodhitantra

pip 面rtha (東北

No .

2662

北 京

No .

3486 )に二 つ の承 が あるこ とを記し て いる。

 

 

 

著 者 :ロ

サンゲ

サン ワ

翻 訳官:pa4dita

     甑1endrabodhi と lo tsli ba dpal 

brtsegs

 lakta

    著 者:Buddhagupta 翻 訳官 :

一 4 一

(3)

Japanese Association for Tibetan Studies

NII-Electronic Library Service Japanese  Assooiation  for  Tibetan  Studies

(表 1) ) a 東北

No ,2662

(北 京

No .

3486)

9

§

ll

・ ) C

No .2670

  (

3495

DK ,

 cat

    B

 cat

Buddhagupta 〃 ’! サ ンゲ

サ  ン ワ 〃 〃 D

cat

≦ri 

Buddha.

guhya ※ サ ンゲ

サ ンワ 〃 D

co1

蓉ri Buddha

guhya サンゲ

サ ン ワ 〃 P

cat

P

col

サ ンゲ

サ ン引 Buddhagupta サ ンゲ

サ ン ワ 〃 ≦ri 

Buddha−

guhya サン

ンワ 〃 ※ この テ キス トは

Pa

dita

が説法し たもの を翻 訳官が筆記 した もの ではないか

とも加 筆 され ている。 又, こ の テ キス トの コ ロ ホ ンをみ る と, 著 者は sri 

Bud−

dhaguhya

となっ て い る。 こ の様に北 京 版の目録とコ ロ ホ ン記 載の著 者名とがデル ゲ飯の

致し ない o し か し

目録とコ ロ ホンの記 載と が

一一

致し ない例は デル ゲ

北 京 両版に し ばしば見 受 けられ る現 象である。 いず れに し ても

北 京 版 論 疏 部 目録 中に二 つ の 伝 承 を挙 げ る以 上

こ の 目録の編 纂が何等かの意 図 を以っ てそうしたに相 違ない。 その意 図とは〈目録デンカ ルマ 〉を編 纂し た時

こ れ等三つのテ キス トを Buddhagupta 作と し たのは確 か に Buddhagupta 作と あ るコ ロホ ンをもつテ キス トに よっ たか, 他にこの種の伝 承があっ た 事 を示 唆 して いる の である。 表 中 他のものは, 新 制 定 語に比 して

,Bud ・

dhaguhya

sai、s rgyas  gsah 

ba

の関 係に ある の で問題 は ない。  更にこれ以外のサンゲ

サ ンワ作と な る もの 等 の

これとの関連 事項を含む もの 理 すると

(表

ll

> の如 くな る。    の テ キ ス トは 〈聖 金 剛 催 破と名つ く る陀羅 尼 広註宝 明 〉である。 こ の テ キス トの 北 京 版の ゴロ ホ ンには サ ン ゲ

sans  rgyas  sbas  pa)と サンゲ

サ ン ワ の 二 通 りの チベ ッ ト名 を記す。 こ の際のサン ゲ

パ は Buddhagupta を新制 定 語に比し て翻 訳 すれば safis rgyas  sbas 

pa

る の で あ る。 こ れ が校 訂 ミス で な く, 当時のま まだとす れ ば注 目に価し よ う。

 

  の テキス トは 〈四無量広註 〉で あ り, デル ゲ

北京 両 版の コ ロ ンは ともに

Buddhagupta

作と し てい る。

 

最 後に サンゲ

サ ンワが

Buddhaguhya

であ る との 説を 見ておこ う

これ に関 する著 作の コ ロ ホ ン以外の 占の資料は サ ンゲ

サ ンワ のチベ ッ トへ の書 翰であ る。 この翰の中で彼 自身

自分の事を Buddhaguhya と呼 (表

ll

) 番 号           東北

No .

(北 京

No .

No .

2680 (3504) No

2928 (

3754

No .

3914 (

5309

No .

4722

No .

4761

DK .

 cat

欠 欠 欠 欠 欠

B .

cat

サ ン ゲ

サ   ン  ワ 〃 ノノ 欠 欠

D .

cat

サ ン ゲ

サ   ン  ワ ノノ 〃 欠 欠

D .

coL サ ンゲ

サン ワ

Buddhaguhya

Buddhagupta

P.

cat

P

col

サ ン ゲ

サ   ン ワ サンゲ

パ サンゲ

サ ンワ

t 欠 欠 〃 〃 〃 〃

Buddhaguh

アa

Buddhagupta

Buddhaguhya

〃 んで い る の である。 こ の書 翰は偽 作では なか ろ うか と疑 問視され てい る が, プ トン以前の資料であ

D

, 本論に お い ては充分利用 価値の ある資料と な っ て い る。 又

1 ,

llか ら見て もサ ンゲ

サ ンワと

B

ddhaguhya

の記 載が そのほとん ど を 占 めてい る点 に注 意 をはらわね ば な らぬ であろ う。 し た がっ て

こ れ に よっ て, 現在

サ ン ゲ

サンワのサ ン ス ク リッ ト名に

Buddhaguhya

を使 用 する妥 当 性は

こ こ にも存 するの である。  

Buddhagupta

に関して も う

つ注意し な け ればな ら ぬこ とが ある。 と云 うの は, 上述の

Buddhagupta

とは

一 5 一

N工 工

Eleotronio  Library  

(4)

Japanese Association for Tibetan Studies

NII-Electronic Library Service Japanese  Assooiation  for  Tibetan  Studies

別 人のチベ ッ ト名サンゲ

パ (satls rgyas  sbas  pa)

をもつ

Buddhagupta

と云 うタン ト リ ス トが 16, 7 世

紀 に存 在し ていたと云 う事 実である。 この 人 物は常に

TTaranAtha

kun

 

dg

sfiiil po)と共訳して いる。 こ こ に共訳者と し て挙 げ ら れ た T百ranatha は 〈

T

宜ra瞰

ha

仏 教〉 をしたジョ ナン パ の タ

ラ ナ

タ であ る。 こ の TTaranAtha と共訳し て い る もの に北京 No

4652

4684,4702,

5187, 4653,

4846

5180

が あ り

彼が著し

TTaranfitha

が 翻 訳し たもの に北 京

N

 

4613 が ある。  以 上 考 察し て来た点を整理 してみ る と

上 記の諸々 の 資 料 を通じて三名の

Bttddhagupta

がい る こ と に なっ た。 その内の

人 Lalitavajraを 師 に もつ

Buddhagupta

は イン ド の タ ン ト リス トである が, 彼の著 作 は チベ ッ ト 大 蔵 経 中には 見いし得 ない。 又

入蔵し た形跡 も な い も う

の Buddhagupta は チベ 名 を

サ ン ワ と 云い

〈目録デンカル マ 〉 以 後に サ ン ス ク リッ ト名 を使 用 する合はもっ ぱら, Buddhaguhya と し て 記 載 されで いる人 物で

,一

般にこ の名で知られてい る。 最 後の

人 は 16,7 世紀の タン ト リス ト で

ジョ ナ ン パ の

Traranatha

と同時代の人物である。  この様に

応の整理 を終っ たが

サ ンゲ

サ ン ワ の サ ン ス ク リッ ト名が何 故に

Buddhagupta

Buddhaguhya

との 二通 りに なっ てい るのかの結 論はやは り出て来な か っ た。 し か し

しい て と 云 え ば

新制定 語決択 以前の 旧 訳の時代に 混乱があっ て, そ れ が,

つのチベ ッ ト名に 二 つの サ ン スク リッ ト名 と云 う異 常 な伝 承 を残 す結果と なっ たの であろ う。  本 論 を 編に当う て羽 田 野 伯 猷 博 士の御研 究に負 う所 が 多であっ た事の み を 記 し

紙 幅の関 係 上

注 は 割愛し た。

伽 師

経 論

対 す

先 行性

小 谷

信 千

 

瑜伽師地論菩薩 地 (略 号 BBh )と大 乗 荘厳経 論 (韻 文 個 所

略号 MSA )と は, 既に

s,

 

L6vi

氏 や 野 澤 静 證 氏 を始め とする先学の諸 師に よっ て指 摘 されて い る よ うに

その章 題お よび 各章題 に おい て取り扱かわ れ てい る項目に著し い共 通 性 を有し てい る。 この こ と か ら私 達 は, これ ら二論 書の間に相 当親密な 関係の存 在したこ と を思わざる を得ない 。 事 実, 例え ば宇 井伯壽 氏は

両 論 の構造 を 図 式 化し対 照 させ て

両 論が精密に対 応 するこ とを示 された1} 。 そし て

そ れ ら が全 くぴっ た りと対応 する にもか か わ らず,

BBh

の方が より組 織 的に分 類 さ れ

細 目 を立てて論 述 されてい るこ と

他方

MSA

には BBh に は見ら れない柄 が新たに詳 細に説か れ て い ること等か らし て,

MSA

の説 明の仕方がいか にも

BBh

の所 説 を 知っ た 上で為さ れ た もの で あ る よ う に 思 わ れ る

と言っ て お られ る。 しか し

近年新たにこれ ら二論 書の対応 関係を考察され た早 島理氏によっ て も指摘さ れ て い る よ う に2)

,MSA

BBh

基づ くとい う事実を 証 明 する文 献 資 料は乗だ発 見 され てい ない。 本稿は

そ れ を証 明 す るに役立つ と 思 え る

賓 料を 提供しようとす るもの である。  1961年

,Alex

 

Wayman

氏によっ て

Analysis

 Qf the

Sravakabbami

 Manuscript

と題 する論 文が発表さ れ た。 その 中で氏は, 瑜伽師地論 (略号

YBh

)に影響 を 与えた書の

つ に MSA を挙 げる3) 。 MSA の方が

YBh

よりも先行 する と考 える氏の論拠 を なす もの は

,YBh

中に見出され る

節で あ る。 そ れ は

「この場合

如 来 に よっ て説 か れ た 諸経 典の意味を如 実に説明 す るこ と を 荘厳経と言う」とい う 冒頭の言 葉と, そ れ に続く五つの 譬 喩 と及び結びの言 葉か ら成っ て い る些)。 氏は

こ こ に 見られる 「荘 厳 経」とい う語 を

論 書 とし て の

MSA

を 指すもの と解し た わ け で あ る。 こ の考え は間 もな く

Von

Lambert 

Schmithausen

氏 に よ 退 け られ る5) 。 つ ま り

こ の場 合 「荘 厳 経 」 とい う語は, 或る種の文章の特 徴 を示 すのであっ て

特 定の論 書の名 称で ある

MSA

を 意 味 するわ けで はない 。 馬鳴にも同名の書があ る よ う に。 故に

Wayman

氏が依 拠し た

節は, 

MSM

YBh

に影響を与え たこ との論 拠とはな ら ない。 確か に そ の

節では, 造 論に際し て為すべ き作法や造 論の動機並 びに 心構え等の説明 に続い て

経の意 味 を正し く説 明 する よ う な論 を造る ことを荘 厳 経と名づ け る

と言っ て い るの である か ら

Schrnithausen

氏の考 えの方 が 正しい。 Wayrnan 氏はこの冒頭の言 葉 に専ら 関 心 を傾け てい る。 他 方

Schmithausen 氏はそ れに続 く五つ の譬 喩のをむ し ろ問 題とする。 とい うのは

それ らの譬 喩 が 殆ん ど そのま ま

MSA 第

章第二 に現わ れ る か ら である。

YBh

MSA

とが この五譬喩を共有する こ と

 6 

N工 工

Eleotronio  Library  

参照

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