Japanese Association for Tibetan Studies
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か遣跡 を調ぺ る と, リンチェ ンサ ンボ がこ の地に移植し よう とし た密教が, 瑜 伽観法 を中 心 と し, 民 衆 教 化 を直
接目的としない本格 的な yogatantra 系の密教であっ た
こ とが わか る。 それに もか かわらず
,
現 在こ の地に,
リンチヱ ンサ ンボ崇拝は盛ん である。
Alchi
,Sumda
,Man −
gyu な ど
,
リンチェ ンサン ボ ゆ か りの寺を,
団体を組ん で巡礼して廻る信 者 も少なくない。
ま たAlclhi
寺の入 口 に は, リンチェ ンサンボの杖か ら芽 生 え た とい う大 木 が 昨年まで存 在し てい た。 現 在そ れ は大 風に よっ て倒 さ れて しまっ て いるが,
それは リンチェ ンサンボに対する 民 衆の信 仰 をよくあ ら わ し てい る。 その思 想と行動の中 に,
民衆性の希薄 な リンチェ ンサ ンボ が, カ リスマ 的な 入物と なっ て,
現 在,
民衆の間に根 強 く尊 崇 されて い る こ とは,
興味深い ことといわ ね ば な らない。 リンチェ ンサ ンボが西チベ ッ トにもちこも う とした 仏 教の全 貌は,
ラ ダッ ク地 方だけで は な く,
Guge , Spiti 地 方の寺 堂 を調 査し た上で な け れば,
把 握できな いこと はい うまで も ない。 た だこれ らの 地方に調 査に 入 るこ と は,
現 在 不 可 能で あ る た め,
と り あ えずラ ダッ ク地方に おける リンチェ ンサ ンボの足 跡 をた ずね, その仏 教の性 格の一
端 を解 明しようと試み たの で ある。 寺 堂の実 測 図,
堂 内の マ ンダラ,
仏 豫な どにつ い て の 調 査研究は,
「ラダッ ク地 方 に お ける リンチェ ン サ ン ポ の遺 跡 の調査報告」 (密教 文化 129号) 「マ ンダ ラー
西チ ベ ッ トの 仏教 美術 」(毎日新聞社刊 )にく わ しい。 ま たAlchi
choskor のSum
tsek2
階のマ ンダ ラ と経 軌 との 比定につ い て は,
「ア ル チ三層 堂・
二 階の曼茶羅 」 (仏教 史 学創立三十 週 年 記 念 仏教史 学 論 集,
同朋舎刊)を参照 して いた だきたい。
Buddhagupta
と
Buddhaguhya
に
つい
て
越
智 淳 仁
チベ ッ トの資料の中で は, イン ドの タン ト リス ト・
サ ン ゲー
サ ンワ (safis rgyas gsahba
)の サ ンス ク リッ ト 名 を,
Buddhagupta と伝承するもの と,
Buddhaguhya と伝承 するもの との両 説が あ る。 こ の こ とか ら,
従来我 国の研究者の 間 で も Buddhagupta を 好 し とす る 説,
Buddhaguhya
を好し とする説Buddhaguhya=Buddha−
gupta を好し とする説な ど諸 説一
致し ない所がある が,
普通一
般に はこ の点 を あま り問題 と せず,
サンゲー
サ ン ワ を新 制 定 語に比し てBuddhaguhya
を使 用 する こと に なっ てい る。 し か し,
こ の点につ い て の総合的な研 究は なく,
問題 意識すら乏しい現状である。 そ こ で今 圃は こ の点につ い て の総合的 な 研究を 行 ない,
問 題 点 を指 摘しつ つ 論 を進 め るこ と にする。 資料は 〈目録デンカル マ (DK .
cat,
と略 称)〉,
〈プト ンの論 疏部目録 (B.
cat.
)〉,
〈デル ゲ版 論疏部 目録 (D.
cat,
)〉,
〈北京 版 論 疏 部 目録(P .
cat.
)〉著作 の コ ロ ホン (D .
coL デル ゲ版の コ ロ ホン,P .
col.
北 京 版の コ ロ ホ ン)と各 種の歴 史 書 を使 用。 まず 〈目録デン カ ルマ 〉の記載事 項か ら見て行くこ と にする。 〈目録デンカ ル マ 〉中の秘 密 タ ン ト ラ (gsafisfiags
kyi
rgyud )の個所では,a) Vairocanfibhisambodhitantra
・
pipd五rtha
b
)Durgatiparisodhanatantra
・
vVttic)
DhyEnottarapa
誓ala.
tikE
の 三部の著 者 を全て Buddhagupta と してい る。 しか し
.
こ の三部は他の資 料に よ ればサ ンゲー
サン ワの もの とせ ら れてい るこ と か ら,
この 〈目録デンカル マ 〉は,
サ ン ゲー
サン ワ のサン ス ク1丿 ッ ト名 を Buddhagupta と伝承 する資料の内, 最 古の もの となるので あ る。 又,
別の資 料では Buddhagupta とサ ンゲー
サン ワが 別 人である と伝承するものもある。プトンの 〈mal 睡
byor
rgyudkyi
rgya mtshor 扇ugpa垣 gru gziris> (以 下 gru gziflsと 略称)が そ れ で,
.
その申では,
又或者は 云 うe 知るべ き全ての明所に 巧 な大ア ジャ リ
Buddhagupta
はゴ ン パの僧と して 七 年お勤 め に なっ て,
修行 を一
心 に な され ま し た。 そ の か い あっ て,
文 殊 を御 拝 顔し てMah
百mudr 互 の悉 地 を 得ま し た。 彼は真 実 摂 経 (de
fiidbsdus
pa )と金剛頂 (rdo rje rtse mo )と最勝本 初経 (
dpa1
mcheg
dafi
po) と惡趣 清 浄タ ン トラ (fian sofi sbyofibabi
rgyud ) と
一
切 儀 軌 集 (rtog pa thams cadbsdus
pa )との五つ の灌頂と
Upade
≦a な ど を文殊か ら実 際に得ま し たoと記し
,
以 下相承 系 譜 を挙げる。
次にS
−
akyamitra
の クロ ノロ ジ
ー
を述べ 了っ てか ら,yafi
dafi
po転i
sloもdpon
hjam
dpal
gyi grub thob3
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de
dail
m 三 mtShufis pa毎i safis rgyas gsah bas……
又
,
文 殊の悉 地 を得た彼の最初の ア ジャ リ と は別 人 のサンゲー
サ ンワが……
) との書出し で, サ ンゲー
サン ワ の クロ ノロ ジー
を以 下 記 す。 こ こ で云 う “ 又,
文殊の悉 地 を得た彼の最初の アジ ャリ” と は 上 述のBuddhagupta
を指し て い るの で あ る。 プトンがこ の様に云 うの は,
サンゲー
サ ン ワ を Bud・
dhagupta
と伝承する 〈目録デンヵ ルマ〉や, 著作の コ ロ ホン等を承知してい たからに相 違ない。 し か し,
プ ト ン自身は,
自らの書物の中で は サンゲー
サ ンワ名を終始一
貫し て使 用し, 決し て サ ン スク リッ ト名 を使わ ない。 こ れ は サ ンゲー
サ ンワ の サ ン ス ク リッ ト名に Buddha−
gupta とBudhaguhya
の 二 通 りの伝承の あっ た事実を 知る プ トンが,
サ ンゲー
サン ワ名を使 用 する方が よ り安 全で あ る と考え た か ら で あ ろ うか。更にス ン パ ヶンポ (sum pa mkhan po 1704
−−
1776A.
D
.
)作の 〈パ ク サ ンジョ ンサ ン (dpag
bsam
ljOn
bzafi
)〉 に よ れ ば,
Buddhagupta
は Lalitavajraの弟 子であ り,こ の
Lalitavajra
は 八部 成 就 書の一
一
つ く殖洫 asiddhi >の著 者であ る中 Indrabhfitiや, その妹
Laksmifikarfi
な ど と ほ ぼ同時代の 人 物であ ると記 す。
又,
Buddhagupta
の兄 弟 弟 子に
,
大Lil
互vajra や Dharmbkara や mafiju.
≦rikirti など がい る とも記し てい る。 又,一
方 〈Traranatha
の仏 教 史 〉 やシ ョ ン ヌ ペ ル の 〈デプテル グンポ 〉 によれ ば,
サンゲー
サ ン ワ は Bud.
dhajfianaPAda
の弟 子であ るとされている。 これ 等の ことか ら,Buddhagupta
と サ ンゲー
サ ン ワ と は別人であ ること が 理 解出 来た と思 う。 そ こ で,
次に, こ の サ ンゲー
サ ン ワがガー
り とマ ンユ ル の地で修行して いた時,
チベ ッ ト に招 請 され た と す る 歴 史 的に 重要な記載がある。 こ の招 請の時 代 をティデツク ッェ ン王 (
khri
lde
btsug
brtsan
704−754
A .
D .
)の御代とするもの と
,
テ ィソ ンデツェ ン王 (khri
sro血1de
btsan
754−797
A.
D,
)の御代とするもの とに歴 史 書は二 分さ れ る が,
現在で はこ の招講の時 代 をテ ィ ソン デツ ェ ン王の御代と認容されて い る。 サンゲー
サンワ の密教をテ ィソンデツェ ン王の御代に 招 請し た とする歴 史書は,
プ トンの 〈gru gzifis> , 〈Ta−
ranfitha の仏教史 〉,
〈パ ク サ ンジョ ンサン〉で あ る。 こ の中,
〈gru gzifis>で は, サン ゲー
サン ワ のチペ ッ トへの 書翰 〈
bod
rje 皐bans
dafi
btsun
rnams la spriil yig>を 史 的ソ
ー
ス と し て,
以 下の如く記す。 今その 要旨 をみるに
,
チベ ッ トに灌 頂 壇 等が設 けられて仏法が 流布 し た
頃, サンゲ
ー
サ ンワ は ガー
リ とマ ンユ ルの地 方で修行なされて い る との噂が立っ た。 それ を三
E
が聞い て当 時大臣であっ た
dbas
の manju ≦ri とbrafi
ka
のmutitagocha と mchims の
SEkyaprabha
との三人を 招 講使と して派遣 し た
。
ところ が,
サンゲー
サ ン ワが守 謹神文殊に お 伺い をたてる と, 行っ た ら死ぬ か ら行かない方が良い とのお告があっ た。 だ か ら行 か ないが,
私が行っ たと同じこ とをしまし ょ うと云 づ て, 1) Tantr百rth百vat百ra 2)Vairocanahhisambodhitantra
−
pi昶百rtha3) Dhy 百nottarapa 書ala
一
邨k
互との 三部を作っ て寄贈なさっ た。 そ して
,
こ れ に 〈王, 大 臣 等に対 する勧 戒の手 紙 〉 を 添 え た。 王 は 喜ん で,
) ) ー ウ臼
)3
を
bjam
dpal
go cha に翻 訳さ せ,
を
Paudita
Silendrabodhi
とlo
ts百ba
dpal
brtsegs
に 翻 訳 さ せ,
を彼 等 翻 訳 官 と Papdita に よっ て翻 訳 させ た。
そし て王 が それに対して大 贈 呈 する と
,
サ ンゲー
サ ンワは4) Sub五
hupariprcch
百n百matantra_
pip〔}和rtha
5
) 同広釈 6) 大日経 広 釈 7) Durgatipari≦odhanErthavErttika の 四部を 王に返 礼と し て寄 贈 な され た。 と記す。 こ の内の2
),7
),3
)とが 〈目録 デンカル マ 〉 に リス ト アップ さ れて い るの で あ る。 これ 等三部の著 者名を各資料に よっ て整理 してみ る と 以下の (表 1)の如 くなる。814
年に編 纂され た と み ら れ る Mahavyutpatti に よれ ば gupta は sbas pa,
guhya は gsahba
と新制定 語によっ て決 択 されて いる。 こ の点か ら考え る と, 〈目録デ ンカル マ〉が
824
年 説の如 くmahEvyutpatti 以 後に持っ て来ら れ る場合は,
〈目録デン カ ル マ〉の 記 載中に新制 定 語で決 択 され ない要素 を もつ テ キス ト をもリス トア ッ プし てい ると云 う事になろ う。 こ の表の申で重 要 なの は,
a)のP ,
cat.
で ある。 即 ち,Vairocan
茄hisambodhitantra
−
pip 面rtha (東北No .
2662,
北 京No .
3486 )に二 つ の伝承 が あるこ とを記し て いる。著 者 :ロ プン
・
サンゲー
サン ワ,
翻 訳官:pa4dita甑1endrabodhi と lo tsli ba dpal
brtsegs
lak誕ta著 者:Buddhagupta , 翻 訳官 :欠
一 4 一
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(表 1) ) a 東北
No ,2662
(北 京No .
3486)刃
・?
9
、§
ll
・ ) CNo .2670
(3495
)DK ,
cat.
B.
cat,
Buddhagupta 〃 ’! サ ンゲー
サ ン ワ 〃 〃 D.
cat.
≦riBuddha.
guhya ※ サ ンゲー
サ ンワ 〃 D,
co1.
蓉ri Buddha−
guhya サンゲー
サ ン ワ 〃 P.
cat.
P.
col,
サ ンゲー
サ ン引 Buddhagupta サ ンゲー
サ ン ワ 〃 ≦riBuddha−
guhya サン ゲー
サ ンワ 〃 ※ この テ キス トはPa
りdita
が説法し たもの を翻 訳官が筆記 した もの ではないか,
とも加 筆 され ている。 又, こ の テ キス トの コ ロ ホ ンをみ る と, 著 者は sriBud−
dhaguhya
となっ て い る。 こ の様に北 京 版の目録とコ ロ ホ ン記 載の著 者名とがデル ゲ飯の様に一
致し ない o し か し,
目録とコ ロ ホンの記 載と が一一
致し ない例は デル ゲ,
北 京 両版に し ばしば見 受 けられ る現 象である。 いず れに し ても,
北 京 版 論 疏 部 目録 中に二 つ の 伝 承 を挙 げ る以 上,
こ の 目録の編 纂者が何等かの意 図 を以っ てそうしたに相 違ない。 その意 図とは〈目録デンカ ルマ 〉を編 纂し た時,
こ れ等三つのテ キス トを Buddhagupta 作と し たのは確 か に Buddhagupta 作と あ るコ ロホ ンをもつテ キス トに よっ たか, 他にこの種の伝 承があっ た 事 を示 唆 して いる の である。 表 中 他のものは, 新 制 定 語に比 して,Bud ・
dhaguhya
=
sai、s rgyas gsahba
の関 係に ある の で問題 は ない。 更にこれ以外のサンゲー
サ ンワ作と な る もの 等 の 中 で,
これとの関連 事項を含む もの を整理 すると,
(表ll
> の如 くな る。 の テ キ ス トは 〈聖 金 剛 催 破と名つ く る陀羅 尼 広註宝 明 〉である。 こ の テ キス トの 北 京 版の ゴロ ホ ンには サ ン ゲー
ベー
パ (sans rgyas sbas pa)と サンゲー
サ ン ワ の 二 通 りの チベ ッ ト名 を記す。 こ の際のサン ゲー
べ一
パ は Buddhagupta を新制 定 語に比し て翻 訳 すれば safis rgyas sbaspa
となる の で あ る。 こ れ が校 訂 ミス で な く, 当時のま まだとす れ ば注 目に価し よ う。の テキス トは 〈四無量広註 〉で あ り, デル ゲ
,
北京 両 版の コ ロ ホンは ともにBuddhagupta
作と し てい る。最 後に サンゲ
ー
サ ンワがBuddhaguhya
であ る との 説を 見ておこ う。
これ に関 する著 作の コ ロ ホ ン以外の最 占の資料は サ ンゲー
サ ンワ のチベ ッ トへ の書 翰であ る。 この書翰の中で彼 自身,
自分の事を Buddhaguhya と呼 (表ll
) 番 号 東北No .
(北 京No .
)No .
2680 (3504) No.
2928 (3754
)No .
3914 (5309
)No .
(4722
)No .
(4761
)DK .
cat,
欠 欠 欠 欠 欠B .
cat.
サ ン ゲー
サ ン ワ 〃 ノノ 欠 欠D .
cat.
サ ン ゲー
サ ン ワ ノノ 〃 欠 欠D .
coL サ ンゲー
サン ワBuddhaguhya
BuddhaguptaP.
cat.
P.
col.
サ ン ゲー
サ ン ワ サンゲー
ベー
パ サンゲー
サ ンワ.
「
t 欠 欠 〃 〃 〃 〃Buddhaguh
アaBuddhagupta
Buddhaguhya
〃 んで い る の である。 こ の書 翰は偽 作では なか ろ うか と疑 問視され てい る が, プ トン以前の資料であD
, 本論に お い ては充分利用 価値の ある資料と な っ て い る。 又,
表1 ,
llか ら見て もサ ンゲー
サ ンワとB
ロddhaguhya
の記 載が そのほとん ど を 占 めてい る点 に注 意 をはらわね ば な らぬ であろ う。 し た がっ て,
こ れ に よっ て, 現在,
サ ン ゲー
サンワのサ ン ス ク リッ ト名にBuddhaguhya
を使 用 する妥 当 性は,
こ こ にも存 するの である。Buddhagupta
に関して も う一
つ注意し な け ればな ら ぬこ とが ある。 と云 うの は, 上述のBuddhagupta
とは一 5 一
N工 工一
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別 人のチベ ッ ト名サンゲ
ー
ベー
パ (satls rgyas sbas pa)をもつ
Buddhagupta
と云 うタン ト リ ス トが 16, 7 世紀 に存 在し ていたと云 う事 実である。 この 人 物は常に