【研究ノート】
「支援」における 「現場の理念」 の探索 ・ 構築にむけて
-障害児支援の現場における質的調査の一例を素材に-
Toward the exploration and formulation of the guiding ideals which could lead the supportive activities in the fields of giving assistance to children with
disabilities from an qualitative research
小柳 正弘
Masahiro KOYANAGI
山田 富秋
Tomiaki YAMADA 1.はじめに - 研究の背景と趣旨
社会福祉とは、文字通りに言えば「私たちがともにあることで実現されるよきありよう(well-
being)」もしくは「私たちがともにあることでよきありようを実現すること(welfare)」を意味し、さ
まざまな 「 現場 」 で、そのための 「 支援 」 が展開されている 。
これまでしばしば援助職の支援原理と目されてきたのは、たとえば 「 自己決定 」「 人間の尊厳 」「 隣 人愛 」 といった 「 理念 」 である。しかし、社会福祉の領域では、現場での支援が理念にどのようにも とづくべきかについて理論的にも実践的にも十分な検討がなされていない 。 現場は矛盾や葛藤にみち たところであり(尾崎新2002年)、理念はしばしば有効性に欠けるたんなるお題目にすぎないとみ なされている。
他方、哲学 ・ 倫理学の領域では、近年、自己決定 、 人間の尊厳 、 隣人愛といった理念について 、 生命倫理の諸問題などを中心に、その妥当性が問いなおされている。たとえば、『自己決定の倫理と
「 私‐たち 」 の自由』(小柳正弘2009 年)、『生権力の歴史―脳死 ・ 尊厳死 ・ 人間の尊厳をめぐって』(小 松美彦2012 年)、『キリスト教を問いなおす』(土井健司2003 年)といった研究は、私たちが 「 とも にあること 」 と私たちの 「 よきありよう 」 との連関をふまえつつ、こうした理念の系譜や展開を批判 的に再検討したものである。
理念の妥当性はさまざまに評価できるが 、 現場は 、 よかれあしかれ、そうした評価の決着がせまら れるところである。そこで小柳正弘が研究代表者となって、理念の妥当性を障害児支援の現場での有
効性と照らしあわせて1、具体的に検討する共同研究を立案した2。本稿は、ワークシート調査に焦点 をあてながら、この共同研究の一部について報告するものである3。
当初、本研究は、支援の理念を模索する現場の援助者と理念の再構築に取り組む倫理学研究者の協 働で、援助者の支援に係る認識 ・ 信念を探索しつつ、再検討した伝統的支援原理とそうした認識・信 念を照らしあわせて、倫理的に妥当で現場で有効な理念を探索・構築することをめざしたが4、結果 としては、この挑戦的で萌芽的な企ては、現場の理念そのものをあきらかにするには至らなかった。
しかし、この研究は、社会福祉における障害児支援を素材に、支援のよりどころとなる妥当で有 効な 「 現場の理念 」 のありかたが、問題としてとりだされたときに、どのようなかたちで探索・構築 されることになるかについて、その一端を理論的 ・ 実践的にあきらかにすることで、現場の理念の探 索・構築にむけて示唆をあたえるものとなったと考えられるので、その経過を報告する。
2.研究のデザイン - ワークシート調査の位置づけ
本研究は、倫理学と現場の循環的交流を研究方法論上の枠組みとしてはじまった。倫理学と現場の 交流は、理論的見地と実践的見地が切り結ぶかたちで展開し、その結果、アプローチのありかたその ものを繰り返し見直すことになった。
理論的な検討については、当初、伝統的な支援原理の典型ともいえる 「 自己決定 」「 人間の尊厳」「隣 人愛 」 といった理念を、現場の援助者にもわかりやすいシンプルな支援原理として再構築し、そのう えで有効性の評価を現場から受ける想定であった。しかし、そのような再構築は現場の十分な理解が 得られるところまでには進展しなかった。そのため、伝統的な理念についての理論的検討は、研究代 表者である小柳正弘と研究分担者である小松美彦/土井健司の研究上の蓄積の整理・展開を、援助者
1 障害児支援の現場を検討の素材としたのは、障害児は支援を必須としながら支援原理の単純な適用が困難な対象/主体であり、
その支援にあたっては理念の妥当性と有効性がすぐれてきびしく問いなおされるからである。
2 科学研究費挑戦的萌芽研究「障害児支援における 「 現場の理念 」 の探索 ・ 構築-現場と倫理学の循環的交流(平成26-28年度
(2014-16年度)」[(1)研究代表者=小柳正弘・沖縄国際大学・総合文化学部・教授、(2)研究分担者=小松美彦・武蔵野大学・薬学部・
教授/土井健司・関西学院大学・神学部・教授/山田富秋・松山大学・人文学部・教授、(3)連携研究者=知名孝・沖縄国際大学・
総合文化学部・准教授、(4)研究協力者=田中美也子/比嘉展寿 ほか]
3 本稿には、沖縄国際大学特別研究費の成果が含まれている。
4 このような研究方法論上の枠組みは、倫理学(の研究者)と現場(の援助者)がともに研究の主体であり現場の主体であるよ うな関係をめざす試みであった 。 こうした試みは、ある意味では社会福祉学によって担われるべきものである。社会福祉学が福 祉の現場と連携しつつ支援のあるべきすがたを追求するものだとすれば 、 その足場は現場と倫理の双方におかれなければならな いからである 。 両者をどのように仲介するかという問題は社会福祉(学)にとってその力量を問う本質的なものである。しかし、
現状では、社会福祉学においても社会福祉の現場においても、倫理や理念は結局のところはリスクを回避し現場をうまく回すた めの一つの道具立てだとみなされていて、現場の倫理的妥当性をきびしく問いなおすような力量も余裕もあるとはいえないので はなかろうか。
他方、哲学 ・ 倫理学の領域では、普遍化可能性という妥当性原理への懐疑が、臨床哲学(鷲田清一1999年)やケアの社会倫理学(川 本隆史2005年)といったかたちで提起され、いまや現場に根ざした思索の重要性はひろく認識されている。『医療現場に臨む哲学』
(清水哲郎1997 年)や、事例研究を素材に理論と実践の接合をめざした『介護福祉のための倫理学』(藤谷秀/横山喜美子2007 年)
などは、現場と倫理学の架橋にとりくむ先駆的な業績である。
しかし、こうした先駆的な業績がどちらかといえば 「 倫理学が現場によりそう 」 ことをめざすものであったのに対して、本研 究は、現場から倫理学の有効性を問い 、 倫理学から現場の妥当性を問う 、 というかたちで、現場と倫理学が切り結ぶことを回避 しないことにした。妥当性と有効性はしばしば相反するがゆえに両者が折り合うところを探索 ・ 構築しなければならないという のが、本研究の立脚点であった。
に対するワークシート調査やその後の聞き取り調査の枠組みに反映させるかたちで、実践的な検討と のすりあわせをはかり、さらに、援助者の支援にかかわる考え方・感じ方の分析・考察にあたって参 照することとした。
実践的検討としては、療育や特別支援教育の現場との実践上の協力や意見交換を繰り返しつつ、「支 援」についての現場の考え方・感じ方を探る質的調査をワークシート調査とそれを補足する聞き取り というかたちで行った。ワークシート調査の枠組みは小柳正弘が組み立てた。調査の理論的な位置づ けや質的調査全体の分析は研究分担者である山田富秋が主として行った。分析に関する考察について は小柳と山田の両者でとりまとめた。
ワークシート調査は、現場と倫理学が折り合う地点としての「現場の理念」の素型をあぶりだす ことをめざしたものであり、2015年度から2016年度にかけて、以下の調査を、職場別でみれば6 箇所、対象者としては10人に対して行った。
この調査では、現場の援助者が障害児に対する支援において「私」や「私たち」として、どのよう なことを「行いたい」「行いうる」「行うべき」と考え感じているかを「現在」と「将来」に関して「主 観的」/「客観的に」ふりかえって記述してもらった。それによって、障害のある子どもにかかわる ひとが 「 支援 」 をどのように捉えているかを探索することができると考えた。
支援にかかわる主体や様態、それに時制や当為(理念)、願望などを組み込んで調査票をデザイン した理由は、支援という行為を以下のように考えることができるからである。
すなわち社会福祉における 「 支援 」 とは、「「 ひと」と「ひと」が「ともに」ある(socialである)こと」
を前提に、「誰か」の 「 よきありよう(well-being)」 を 「 支える」「誰か」の 「 よきいとなみ(welfare)」 である。したがって、支援のかたちは、たとえば以下のような要素に応じてさまざまなものとなる。
①「ひと」と「ひと」はどのように「ともに」あると考えるのか。
②支えるひとと支えられるひとは「いま・ここで」どのように「ともに」あるのか。
③支えるひとと支えられるひとは「いま・ここで」どのように「ともに」あると考えるのか。
④誰を支えるのか。
⑤どのようなありようを支えるのか。
⑥よきありようをどのように考えるのか。
⑦誰が支えるのか。
⑧どのように支えるのか。
⑨よきいとなみをどのように考えるのか。
これらの要素のなかには、現場の援助者にはいわば制約条件のようにあたえられているものもある が、現場の援助者が選択 ・ 変更可能なものもある(現場によって選択 ・ 変更の幅はさまざまであるに せよ)。すなわち、現場の援助者は、多少なりとも、どのように支援するかを考えることができる。
そして、現場の援助者には、さまざまに「支援できること」があり、考えられることのなかには、「支
援したいこと」や「支援すべきこと」も含まれているであろう。
ワークシート調査は、現場におけるそのような妥当性/有効性のひろがり・幅をあきらかにして、
妥当/有効と考えられそうな(=plausibleな)支援についての考え方あるいは感じ方を、「現場の理念」
の素型として浮かび上がらせることをめざしたものであった。
そのため、このワークシートの回答の仕方として、願望や当為も含めた支援の考え方・感じ方の回 答には「正解」がないこと、さらに、「支援」という概念はむろんのこと関連する概念の解釈もさま ざまであることを前提に、概念の解釈や理解は回答者自身に任されていることを断り書きとした5。 そしてワークシートでは、以下の様態(モード)に腑分けして回答を求めた6。
障害のある子どもとの関係において 、 自分(X)や自分たち(Y)は、何をどのように、
(A)できるのか/(B)行うべきなのか/(C)行いたいのか、ということを、
(P)いまと(Q)将来、
(R)少し客観的にみた場合と(S)主観的に考えていること ・ 感じていること、
にわけて整理してみてください。
(X)と(Y)/(A)と(B)と(C)/(P)と(Q)/(R)と(S)は、
現実には、また理念としても、渾然一体となっているかもしれませんが、
あえて腑分けしてみればということで、ふりかえってみてください。
実際に用いたワークシート調査票は次頁の4枚である。それぞれをA4に印刷したものの手渡し/
郵送もしくはエクセルのファイルの送付というかたちで協力を依頼した。
以上のようなワークシート調査について、連携研究者である知名孝や中核的な研究協力者である田 中美也子/比嘉展寿との連携・協力のもと、小柳正弘が繰り返し現場に足を運び、支援にかかわる催
5 ワークシートに添付した実際の文面は以下の通りである(抜粋)。
(A)この研究は、障害児支援の現場において支援の基本となるような考え方(「 現場の理念 」)を、現場の援助者と倫理学の研究 者が共同で探索 ・ 構築しようというものです。
(B)共同研究への参加は、可能なことに可能な限りでというスタンスでかまいません(ワークシート作成だけに参加とか、共同 討議にだけ参加といったかたちも可です)。
(C)ワークシートは、この研究の出発点のひとつとして、とりあえず考えられそうな(=plausibleな)支援についての考え方 あるいは感じ方を探るためのもので、それへの回答には 「 正解 」 があるわけではありません。
また、「障害児」「 現場 」「 支援 」「 理念 」「自分たち」「 私たち 」 といった概念・ことばをどのように捉えるかということ自体も 共同研究の対象となることなので、ワークシートはとりあえず回答者の理解・解釈にもとづいて回答してください(ワークシー トに設問への自身の理解や解釈、あるいは疑問や質問を書き込んでもかまいません)。
6 こうした腑分けは、基本的には、研究代表者である小柳正弘が「自己決定」という理念の系譜と展開を整理する際にもちいた 枠組みを反映したものである(小柳正弘2008年)。
しを共同で開催する、といった循環的交流をとおして7、回答の協力を求めた。研究協力の依頼は、特 別支援教育・社会福祉関連の催しの会場や学校・事業所へのメールや郵便を通して100件以上行っ たが、調査が後述するようなインサイダー・パースペクティヴに係るものであることもあって、回答 に係る補足説明などもふまえて回収された調査票は10件であった。この調査票を山田富秋/小柳正 弘が追加で行った聞き取りによって補足しながら、そこで得られた回答を質的調査法のデータとして 解釈することにした8。
このような方法をとったのは、本研究が以下のような質的調査法に関する社会学的認識の近年の 深化をふまえるものだからである。
量的調査が社会統計学に基づいた平均的人間像を追求するのと対照的に9、質的調査は重層化され た社会的・歴史的意味の文脈に置かれている人間存在を、人々の語り=ナラティヴの観点から、その 個別性に焦点をあてて、当該事例の文脈依存的な特徴をあきらかにしようとする10。
ここで前提となっているのは、人間が孤立して生まれてくるわけではなく、家族や地域社会とい う具体的な人間関係のなかに生まれると同時に、私たちの生まれる前に生きてきた人々によって築か れた歴史や意味(言語)を受け継いで生きていく存在(ハイデッガー流に言えば「世界内存在」であ るということである11。
それゆえ、「調査」において、調査者は対象とするフィールドに簡単にアクセスできるわけではない。
フィールドワーク論で名高い佐藤郁哉が指摘するように、調査者は調査対象者の社会にとって常に「よ そ者」である以上、ある歴史をもった社会・文化的文脈のなかで、受け入れ先のホストである調査対
7 現場と倫理学との循環的交流は、そのほかにも、たとえば以下のような現場に関わる学会・研究会等での議論や意見交換とい うかたちで行われた。
・小柳正弘「障害児支援と「現場の理念」の探索 ・ 構築 −ワークシート調査の試み」沖縄障害児基礎教育研究会第2回勉強会/
障害児基礎教育研究会例会(招待講演)、2015年07月11日、沖縄国際大学(宜野湾市)
・小柳正弘「初期プラグマティズムと現場の理念」先端倫理学研究セミナー(招待講演)、2015年09月01日、熊本大学(熊本市)
・土井健司「救貧看護とフィランスロピア」日本キリスト教福祉学会(招待講演)、2016年06月25日、関西学院会館(西宮市)
・小松美彦「「医の倫理」を多角的に考える」日本麻酔科学会第63回学術集会(招待講演)、2016年05月27日、福岡国際会議場
(福岡市)
8 言うまでもなく、社会学における社会調査には、一定数以上(通常は500標本以上)の母集団に対してアンケートを実施し、
さまざまな統計的手法を用いて調査結果を導き出す量的調査(Qauntitative Research)と、それと対照的に、ごく限られた研究 対象(事例)に対して、フィールドワークやインタビューを併用した質的調査(Qaulitative Research)の二つの主要な方法がある。
このワークシート調査は統計的分析を意図してデザインされたものではなく、さらに標本数も、職場別でみれば6箇所、対象者 としては10人と限られており、質的調査のデータとして扱うのが適切である。
9 平均的人間像を追求する推論手続として社会統計学は、社会の変数間には自然現象と同じように有意味な関係が存在しないと 仮定する。ところがこの仮定に反して、統計的な有意性が検証できた時、変数間に何らかの関係が存在すると推論するのである(帰 無仮説)。社会統計学の帰無仮説は、おおよそ社会の変数には無関係なものはないという私たちの常識に反しているという意味で、
量的調査の知は、社会的・歴史的意味を剥奪され、脱文脈化された知であると言って良い
10 こうした質的調査法の背景となった社会学理論は、G.H.ミードを始祖とするシンボリック相互作用論、現象学的社会学とエ スノメソドロジー、さらには近年のナラティヴ・アプローチなど、1960年代から1970年代にかけて機能主義社会理論や社会統 計学を批判するかたちで生まれてきた。
11 こうした見方は、量的調査法が、人間を自然現象のように、無歴史的で社会的基盤を持たず、原子化され孤立したバラバラ な個人を仮定するのと対照的である。
シュッツによれば、私たちよりも前に生まれ、私たちに現在の社会を提供した「前世界(Vorwelt)」だけでなく、私たちの後 に生まれてくる世代によって作り出されるはずの「後世界(Folgewelt)」からも、現在の社会は構成されている(シュッツ,A.
2006年)。
つまり、ハイデッガー流に言えば「世界内存在」としての人間は、自分のたずさえている意味・習慣・社会関係・集団への帰属によっ てみずからのありかたを規定されている。すなわち「人間は自分の利害と関心の外部に立ってはいない。(中略)何が自分にとっ ての利害関心となるかは、自分の置かれた状況との・人々との個別具体的な諸関係によって規定されている」のである。(ベナー,
P./ルーベル,J. 1999年:30頁)
象者の社会において、調査者自身がなんらかの居場所をあたえられることによって、はじめて調査が 可能になる12。フィールドの「問わず語りに耳を傾け」、「発言の出てくる社会生活の文脈」を即座に 理解できるようになるまで、内集団の内側からの見方(インサイダー・パースペクティヴ)を習得し なければインタビューは実りあるものとならない13。(佐藤郁哉2002年)
エスノメソドロジーの研究者であるサドナウによれば、医療者が病院という社会組織の一員として、
病院という組織の要請に応えることで組織をルーティンに動かしていくとき、そこには現場の医療を 自分たちにとって納得の行くものとして(社会学的に言えば「合理的に」)組み立てている日常的な 実践的な推論(practical reasoning)がある。しかし、それは、通常は自明視されているために、内 部の者にとっては空気のように気づかれない。(サドナウ,D. 1992年)
インサイダー・パースペクティヴをふまえた「調査」があきらかにするのは、そのような日常的 な実践的推論、本研究の表現としては「現場の考え方・感じ方」である。こうした観点から、本研究 で行うような質的調査にとって循環的交流は不可欠の前提であった。
3.ワークシート調査の質的分析
ワークシート調査への回答に共通してみられたのは、一面において、回答者が属する組織の内部 の見地から、つまりインサイダー・パースペクティヴを通して回答がなされていることである。すな わち、同一の障害児通所支援事業所に勤務する複数の回答者は、この事業所の日常的支援活動を背景 的文脈として、この事業所という社会組織の一員として回答しており、他の回答者も同様に、勤務先 である特別支援学校、あるいは普通校を背景的文脈として、当該社会組織の一員として回答している。
「私たち」として回答がそのようなものであることはわかりやすいところである。
たとえば、障害児通所支援事業所の事例①では、実際の支援活動の一部である学習支援にたずさわ ることもあるが、管理業務をメインとする回答者は、「私たち」が行いたいことという設問に対しては、
「できることは何なのかを共有して、どんな支援をするにしても常に同じ方向を向いていること。(下 と分けて考えることはできません)」と回答し、「少し客観的にみて」と同じ回答をしている。すなわ ち「私たち」の回答としては、この回答者も含めた当該事業所のスタッフ全員の観点から、事業所と
12 佐藤郁哉によれば、居場所があたえられると今度は、調査対象者を「師匠」として、調査者が対象者に「教えてもらう」関 係をつくることが重要になる。調査者は「何らかの正当な「聞き手」としての役割を現地社会において確立していく」(佐藤郁哉 2002年:238頁)ことが不可欠なのである。現場においては、師匠である対象者は「聞き手のインタビューワーとしての資格や 価値を値踏みしていく」(佐藤郁哉2002年:251頁)ので、いつまでもとんちんかんな質問を投げかける調査者は、そもそも調査 する資格がないとして追い出されることもあるだろうという。
13 アクティヴ・インタビューの提唱者であるホルスタインたちも同様に、インタビュアーは当該インタビューが埋め込まれて いる「民族誌的背景」について最低限でも意識化する必要があると指摘する。つまりインタビュアーが適切な質問を行ったり、
インタビューに対する回答の意味を解釈するためには、ローカルな状況に関する背景的な文脈的知識を知っていなければならな いのである。もし可能であれば、アクティヴ・インタビュアーは、回答者が志向する物理的状況や文化的状況、それに解釈的状 況に慣れ親しんでおくべきだし、経験を伝える媒介としての語彙にも精通するべきである。これは回答者の観点や解釈をよりよ く理解する手段としてのみならず、インタビューという会話の土台として参照される共有された知覚や経験をはぐくむ方法とし て重要である。(ホルスタイン,J./グブリアム,J. 2004年:8章)
してできることと同定されたことの共有と、支援の方向性の共有をあげたことが理解できる。
また、高校を現場とする事例②をみると、いま、行いたいと考えていること・感じていることの設 問に対して、「私たち」としては「社会参加する意欲を高める授業を行う」と回答している。また、「い ま行うべきと考えていること・感じていること」の設問については、「私たち」としては「学校職員 の役割に応じて生徒の社会参加に向けた取り組みを行う。」と回答している。背景的文脈を補充すると、
この回答者は、肢体不自由・病弱対象の特別支援学校高等部教諭であり、こうした回答は、学校のな かでの役割として、進路指導部の職場開拓および高等部卒業後の社会参加の場所の開拓を担っている ことによるものだと理解できる。
しかし、他方、「私」の視点には、こうした組織の一員としての「私たち」のありようとは、いく らかズレた「私たち」のありようが潜在していることがうかがえる。
障害児通所支援事業所の事例①の回答者は、将来、行いたいと考えていること・感じていることと いう設問に対して、「私」が行いたいこととしては「利用者、家族に対しながら、その場でニーズを 把握し、必要な支援の方向性を決められること。(下と分けて考えることはできません)」と回答し、
下の設問である「少し客観的にみて」と同じ回答をしている。ここでの「私」は、事業所の同僚のみ ならず、利用者やその家族とともに、いわばそのような「私たち」として支援の方向性を決めたいと 考えている。
また、高校を現場とする事例②の回答者は、いま、行いたいと考えていること・感じていることの 設問に対して、「私」としては「授業で生徒の力を伸ばす。特に社会参加する際の人間関係形成能力 を高める授業を行う。」と回答し、「いま行うべきと考えていること・感じていること」の設問には、「私」
として「多様な実態のある生徒すべての充実した社会参加に向けて、保護者と共に生徒の支援にあた る」と回答している。先の事例と同様にここでの「私」は、組織の一員としての「私たち」のありよ うを前提としながらも、保護者とともに、いわばそのような「私たち」として支援の方向性を決める べきだと考えている。
いずれにせよ、「私たち」のなかで「私」が「現在」と「将来」にわたって「行いたい」「行いうる」
「行うべき」と考え感じていることは変化する。ワークシート調査の回答は、「私たち」の視点と「私」
の視点のせめぎあいのなかで、支援のありかたが問い直されるさまをさまざまに描き出すことになっ た。ここから事例の概要を紹介し、そうしたせめぎあいを具体的にみていくことにする。
(1)多機能型障害児通所支援事業所A - 事例①,③,④,⑤,⑥
児童福祉法に基づく通所支援事業所であり、ホームページには「芸術教育を通して、障害をもつ子 どもたちの教育と療育に関する研究、実践を行います。児童の感情や情緒を尊び、一人一人の全人的 発達を促すように努めます。」とある。具体的な活動としては、未就学児の支援として学習支援も含 めた発達支援を行い、就学時には放課後等デイサービスを行っている。基本事業としては、芸術教育
として、わらべうた・竪琴・ピアノ・リコーダー等の指導を行い、野外教育として、貝拾い・野遊び 等を実施し、創作教育として、お手玉作り・染色・機織り等を行っている。この他に随時、相談事業 を行っている。
事例①,③,④,⑤,⑥の回答者5名がこの事業所に属している。この5名の回答は事業所におけ るそれぞれの役割との対応が顕著である。
事例③の回答者は音楽指導を通した支援をする役割を担っており、そこから「子どもがピアノや 竪琴の楽曲の演奏を通して音楽を奏でる喜びを感じられるようなレッスンを行いたい」と回答してい る。そして「私たち」という事業所A全体の視点からは「子ども一人一人の特性を理解し、尊重し た上で、芸術を通して、子どもが本来持っている可能性を引き出していく。(芸術によって自ら引き 出されると言ってもいいかもしれません)」と回答し、芸術による支援を組織の中心的活動とみなし ていることがわかる。
事例④の回答者は、芸術療育のなかの美術担当であり、自分の役割の観点から「子どもたちが何か 作りたい、こういったものを目指したい、と感じている表現欲求を汲み取って、その時の子どもの状 態を見て楽しくものを作り、子ども自身が満足した状態で帰宅できること。」と回答している。また「私 たち」という組織全体の観点からは、子どもの状態についての情報共有の重要性が指摘されていた。
事例⑤の回答から共通してみられる表現をいくつかピックアップすると、まず「私」としては「学 習という手段を通して、被支援者の覚せいしている時間、自己にめざめている時間、自己を感覚では なく意識として確認できる時間をふやしたい。認知力を高めたい。」(私)と回答している。この回答 者は、被支援者である障害児が自己覚醒を認知できるようになることをめざしている。こうした被支 援児を一個の人格と認識し自己決定する主体として捉える視点は「自発的選択を待つこと」(私たち)
や「自己決定が下せるよう支援すること」(私)、あるいは「いつまでも「~ちゃん」よびをしない」(私 たち)という、社会福祉の理念そのままのような回答表現にみられる。この事例⑤の回答で特徴的な ことは、こうした一般的理念が、「私」の項目にも「私たち」の項目にも出てくることである。事例
⑤の回答者が、この事業所の経営陣の一員(理事)であるという背景的文脈を補充すれば、これらの 回答から、事例⑤の回答者が自らを経営陣の一員として定位し、社会福祉の理念を念頭においた経営 を意識して回答していると解釈できる。
事例⑥の回答には「私」の項目だけが記入されていて「私たち」の項目は空欄になっている。これは「行 うべきこと」の回答に「事業所のスタッフに向けて事業所の理念を伝え、常にその理念に照らし合わ せて支援することができているのか考えさせる。」とあるように、事例⑥の回答者が事業所Aの代表 理事であり管理者であることから、私=私たちの観点になっているためであると理解される。そして 行いたいこととして「機能障害に基づいてもたらされる日常生活や学習の困難さによって、形成され にくい一人一人の子どもたちの自尊感情を芸術教育を通して高めていきたい」と、障害児の自尊感情 の育成を事業所の目標としている。そして将来的には「芸術村を創り、社会的に子どもたち・大人た
ちの作品や演奏が常時発信する機会を与えたい」と、事業所Aでの実践を社会に発信する場の創造 を考えているという。
(2)肢体不自由・病弱対象の特別支援学校B高等部 - 事例②
この学校は1965年、県内で最初にできた最も古い特別支援学校である。小学部・中学部・高等部 をもち、高等部卒業後は大学進学も進路先の選択肢として含んでいる。事例②の回答者は、すでにみ たように、校内での自分の役割からの視点と学校全体の視点を分けて回答している。先に紹介した回 答以外では、文科省の指導要領に則った自立活動の実践や「やる気を引き出す」コーチングを「私」
の視点に立った行いたいことと、できることの回答にあげている。「私たち」の視点からは、進路指 導部として、生徒、保護者、教職員に信頼されるキャリア教育だけでなく、授業における小学部・中 学部・高等部の学部連携、さらには、児童に関する教職員の情報共有をあげている。
(3)県立C高等特別支援学校D分教室 - 事例⑦
この学校は1991年に全寮制の高等養護学校として設立され、現在まで3つの分教室をもつ。学校 ホームページには、本校、分教室とも生徒の大半が卒業後の就職を意識し入学するため、学校におけ るすべての教育活動で「良き職業人・立派な社会人」として将来の社会的自立をめざして組織的に生 徒の育成を図っているとあり、キャリア教育に力をいれていることがわかる。
事例⑦の回答者は、この学校のD分教室に教員として勤務している。この回答者の回答を解釈す るための背景的文脈として、東京都杉並区立済美養護学校の校長を退職した水口凌が1989年に立ち 上げた障害児基礎教育研究会に大きな影響を受けていることがわかった。この研究会のホームページ には「障害のある人への適切な教育のあり方を、教材教具の開発・工夫を通して実践的に明らかに」
するとあり、教材教具の開発に重点をおいている。2013年に代表の吉瀬正則の書いた「障害児基礎 教育研究会とは」という文章には、研究会の特徴として「初期の段階の運動操作から概念形成(言葉 や数)、記号操作活動に至るまで、教材教具を用いた実践に基づいて実証的に解明しようとしている ことと、子どもと学習の支援者が共に学び合う存在として、人間関係を深めていく過程を大切にして いる」ことがあげられている。
これを背景的文脈として回答をみると、「私」にできることとして「教材研究になどに時間をかけ、
具体的な支援を含めた良い授業を行うこと」「生徒の学習内容の理解を深める教材の開発」、さらに将 来的にも「現場で活かせる教材作成の研修や研究会」活動を行うことや、ICTを活用した授業実践が あげられており、障害児基礎教育研究会のメンバーとして予想される回答であることが理解できる。
一方、「私たち」の観点からは、2016年に完全実施をみた障害者差別解消法の合理的配慮に基づ いて十分な支援を生徒に対して行うことや、生徒の困難さのアセスメント、教員間での情報共有、そ して効果的支援方法の考案という流れを確立することなど、分教室全体として取るべき対社会的行動
や分教室全体の効率的運営などが回答としてあげられていた。
(4)E県立高校 - 事例⑧
事例⑧の回答者は、生徒によりそって話を聞き、生徒の様子を観察することによって「1人1人の 実態を把握し、それぞれのニーズに合わせた支援を行いたい」(私)としている。一方「私たち」の 観点では、お互いに連携を取ってという表現があるように、高校全体としての視点を採用しているよ うにみえる。この回答者の回答は全体として漠然としており、具体性がない。その背景的文脈として は、この回答者が普通高校に籍をおきながら休職して大学院でこれから特別支援教育を学ぼうとする スタート地点にいることが考えられる。
(5)F県立高校およびG県立高校 - 事例⑨
事例⑨の回答者は、県立高校2校で非常勤の就学支援員として勤務している。この回答者の学校で の役割は、スクールソーシャルワーカーとして、軽度知的障害児や発達障害児を含む不登校またはそ の傾向にある生徒に対して、教育相談・就学支援を行うことである(当該の生徒やその保護者にアウ トリーチしたり、生徒や教員の相談を受けて対応する)。
「私」の回答は、いずれのモードにおいても、この役割を反映した回答になっている。例えば、行 いたいこととして「支援対象者児童生徒の閉塞感・疲労感の軽減(→原因の追及ではない)。楽しみ の創出に近いこと」と回答しており、これが登校の促しにつながっている。また将来的には、SST や性教育にも幅を広げ「担当するケース数が増えることで、課題をある程度類型化できれば支援者(私)
の環境調整力をアップさせることができるだろう。つまり、支援対象者の特質・特徴等のパターン化 は目指さないが、様々な支援対象児に接していく中で、役立つ社会資源(サービス等)のバリエーショ ンが豊富になっていくと考える(頭のなかでわかっていても実際にそれを応用できなかった苦い経験 から)」と、現在よりも社会資源を利用した効果的支援をめざしていることがわかる。
一方「私たち」の観点からは、「私」の観点とも共通して、支援関係機関を拡大すること、当事者 の気持ちになるべく近づけるようにし、その際には当事者としての視点とその保護者の視点のバラン スを保ち、最終的には当事者の気持ちを優先することがあげられている。また、学校全体の視点に立っ て、障害それ自体の理解を促進する啓発活動の重要性や、PSW(精神保健福祉士)や他の相談員など、
同じ支援にかかわる者同士のゆるやかな連携が必要であるとの回答があった。
ここでは、高校の特質というより、校内でもめずらしい就学支援・教育相談に特化された役割をも つ事例⑨の回答者の置かれた文脈の特質が浮かび上がったと思われる。
(6)H小学校特別支援学級 - 事例⑩
事例⑩の回答者は特別支援学級(知的)にかかわったのは比較的最近だが、教員歴が長く、通常学
級の状況もよく把握している。
まず「私」の観点からは「現在、4名の児童と関わっているが学年が違ううえ学級在籍児(2名)
を優先しなくてはいけないので1人の力では限界があると感じている」と回答し、「通常学級に多く 支援を要する児童がいるので全員に…と考えたら無理があるので支援レベルに照らし合わせ、緊急に 必要のある児童の支援からやってみる」と、通常学級に在籍する学習面で支援を要する児童へと目が むけられている。
「私たち」の観点からの回答も、この問題意識と連続しており、「全ての学校に学習支援学級(→
通常の形で特別支援学級とは別)のようなものがあれば、通常学級に在籍する支援を要する(学習面)
児童がたくさん救われると思う」と回答している。また、「私が」行うべきこととして、家庭(保護者)
との連携があげられており、それと連続して「私たち」にとって「障がいをもった児童の保護者(特 に母親)への支援も私たちがやるべきことだと強く思っている」という回答がくる。
この事例⑩の回答者の場合には、「私」と「私たち」の視点がほぼ変わらない。また、学校を離れ、
日本全体での障害に対する理解を求めている点に独自性がある。
4.むすびにかえて - 考察
支援にあたる援助職の倫理綱領や社会福祉の教育においてこれまで支援原理と目されてきたさま ざまな 「 理念 」 のなかには、現場の援助者にはいわば制約条件のようにあたえられているものもある が、現場によって選択 ・ 変更の幅はさまざまであるにせよ、現場の援助者は、多少なりとも、どのよ うに支援するかを考えることができる。そして、現場の援助者には、さまざまに「支援できること」
があるはずであり、また、考えられることのなかには、「支援したいこと」や「支援すべきこと」も 含まれているであろう。
そこで、本研究では、とりあえず、現場の援助者の支援についての考え方あるいは感じ方を一つ の手がかりにして、現場において妥当かつ有効な支援の「理念の幅」を探索することにしたのであった。
とくにワークシート調査は、当初、支援に関するplausibleな考え方・感じ方を「現場の理念」の素 型として探ることをめざすものであった。
しかし、結果として調査は、現場における「私たち」と「私」のせめぎあいを具体的にあきらか にするものとなった。
まず、どの回答をとっても共通してみられるのは、回答者が属する組織の内部の見地から、つま りインサイダー・パースペクティヴを通して回答がなされていることである。すなわち、多機能型障 害児通所支援事業所Aに勤務する複数の回答者は、この事業所の日常的支援活動を背景的文脈として、
この事業所という社会組織の一員として回答しており、他の回答者も同様に、勤務先である特別支援 学校、あるいは普通校を背景的文脈として、当該社会組織の一員として回答していることがわかった。
この調査においても、先行研究で指摘されているように、現場においてインサイダー・パースペクティ ヴが重視されていることが示唆されたといえよう。
こうした解釈は、ある意味で当然であると思われる。なぜなら、先に説明した一般的な議論にし たがえば、「世界内存在」としての人間は、自分の携えている意味・習慣・社会関係・集団への帰属 によってみずからのありかたを規定されているからである。
ただし、「私たち」の視点が「私」の視点を規定するとはいっても、「私たち」と「私」の関係が 固定されたものであると捉えてはならない。インサイダー・パースペクティヴもまた、「私」と「私 たち」のせめぎあいの帰結として、ときに変転する。組織としての「私たち」に組織外の他者が取り 込まれることで再構築された「私たち」の視点をふまえて「私」のやりたいことやなすべきことがし ばしば語られることはこの調査でも示されていたところである。
実際のところ、この調査において回答者たちは、まず自分が置かれた文脈に照らして、すなわち、
同僚との個別具体的な諸関係、さらには支援対象者やそれにかかわる人々と自分との関係によって、
「私」や「私たち」の位置を同定することで、どのような支援を「私」と「私たち」がさまざまなモー ドにおいて提供できるか/提供したいか/提供すべきかを論じている、と考えられる。
それに対して、社会福祉の理念(たとえば、「自己決定」「人間の尊厳」「隣人愛」といった支援原理)
は、どこにでも普遍的にあてはまるという意味で脱文脈化された概念にすぎない。
ただし、ガーフィンケルが、適切な文脈のなかに位置づけられなければ意味をなさない表現をイ ンデックス的表現と言ったように、これらの抽象的な理念も組織の日常的活動の一局面において要請 されたときに、適切な表現として参照されるのである。たとえば、このワークシート調査においては、
常に対外的な関係を意識せざるを得ない組織の責任者である代表理事や理事が、これらの理念を直接 的に参照していることがわかった。
また、他の組織のメンバーがこれらの理念を尊重していないかといえばそうではないだろう。む しろ彼らは組織的活動のルーティンのなかで、日々彼らに要請される実践に絶えず没頭せざるをえな いだけなのである。その意味では、彼らの活動は自分のおかれた状況と、そして彼らが関係を結んで いる人々との個別具体的な諸関係によって規定されている。すなわち、こうした理念が実際に息を吹 き込まれるのは、それらが、ある社会組織の日常的ルーティンのなかで、適切な文脈に埋め込まれ、
ある一定の人間関係のなかで使用されるときなのである。
支援をどうすべきかということはむろんのこと、支援をどうしたいかということさえ、原理的に いえば、「私」と「私たち」がせめぎあう具体的な文脈抜きには、考えることも感じることできない のである14。いいかえれば、ワークシート調査の回答において共通して重視されているのは支援の様
14 たんに「支援」ということに限らず、私たちが差別や抑圧に苦しむ人の生きづらさに向きあうのは思いのほか難しい(小柳 正弘2015年)。なぜなら、支援や差別や抑圧がどのような意味をもつかということは、「私」と「私たち」がせめぎあう具体的な 文脈抜きには考えられないからである。沖縄愛楽園におけるハンセン病者のライフストーリーをめぐって下村英視がそのような 私たちのありようを丹念に描き出している(下村英視2015年)。
態や人間の本質などに関する一般的な見方ではなく、支援に係わる「私たち」や「私」の具体的なあ りようと両者の具体的な関係についての考え方・感じ方にほかならない。
最後に、伝統的支援原理とされてきた理念とのかかわりについて簡単に付言すれば、このような考 え方・感じ方は、たとえば、(小松美彦が批判的に整理・検討しているように)理性などを一義的に 人間一般の本質とするようなたぐいの人間の尊厳といった理念(小松美彦2012年/2013年)その ものとは親和性が薄いものの、(土井健司が精神史の展開として包括的にあきらかにしたように)古 代キリスト教においてフィランスロピア(人間愛)が、類としての人間への拡張を経て、フィロトプ キア(貧者愛)を包含する個へのまなざしへと展開したこと(土井健司2015年/2016年)には通じる。
すなわち、伝統的支援原理は、人間・私たち・私・他者などのあるべき姿を(一義的に示すものでは なく、むしろ)問い直す理念としてみることができるならば、その系譜や展開は、現場の援助者の支 援にかかわる考え方・感じ方のplausibleなヴァリエーションを捉える枠組みとなりうるのではなか ろうか。
5.引用・参照文献 一覧
・尾崎新[編著]2002年『「 現場 」 のちから』誠信書房
・川本隆史[編著]2005年『ケアの社会倫理学―医療・看護・介護・教育をつなぐ』有斐閣
・小松美彦2012 年『生権力の歴史―脳死 ・ 尊厳死 ・ 人間の尊厳をめぐって』青土社
・小松美彦2013 年『生を肯定する-いのちの弁別にあらがうために』青土社
・小柳正弘2008 年「「自己決定」の系譜と展開」(高橋隆雄・八幡英幸編『自己決定論のゆくえ-哲学・
法学・医学の現場から』所収)九州大学出版会
・小柳正弘2009 年『自己決定の倫理と 「 私‐たち 」 の自由』ナカニシヤ出版
・小柳正弘2015年「「私たち」のありよう探索」(下村英視著『理性主義と排除の論理―沖縄愛楽園 に生きる』書評)琉球新報2015年12月6日版18面
・佐藤郁哉2002年『フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる』新曜社
・サドナウ,D.[岩田啓靖/志村哲郎/山田富秋訳]1992年『病院でつくられる死』せりか書房
(D.Sudnow, Passing On, The Social Organization of Dying, Prentice Hall,1967)
・清水哲郎1997年『医療現場に臨む哲学』勁草書房
・下村英視2015年『理性主義と排除の論理―沖縄愛楽園に生きる』ボーダーインク
・シュッツ,A.[佐藤嘉一訳、改訳版]2006年『社会的世界の意味構成』木鐸社(Schutz,A., Der sinnhafte Aufbau der sozialen Welt, Julius Springer, 1932)
・土井健司2003 年『キリスト教を問いなおす』筑摩書房
・土井健司2015年「「 キュプリアヌスの疫病」考―古代キリスト教におけるフィランスロピア論の
ための予備的考察」神学研究62
・土井健司2016年『救貧看護とフィランスロピア:古代キリスト教におけるフィランスロピア論の 生成』創文社
・藤谷秀/横山喜美子2007年『介護福祉のための倫理学』弘文堂
・ベナー,P./ルーベル,J.[難波卓志訳]1999年『現象学的人間論と看護』医学書院(Patricia Benner/Judith Wrubel, The Primacy of Caring, Stress and Coping in Health and Illness, Addison-Wesley Publishing Company,1989)
・ホルスタイン,J./グブリアム,J.[山田富秋/兼子一/倉石一郎/矢原隆行訳]2004年『アクティ ヴ・インタビュー-相互行為としての社会調査』せりか書房
・鷲田清一1999年『「聴く」ことの力』TBSブリタニカ