日本資本主義の米価問題
( 一 一 )
井
上 周
入
一米価問題の語義
二米穀・米価政策の概観
第一期明治前半期の財政的米価調節期(明治元年
t
一 一
一二
年)
米価問題の意義
食糧は人間生存の基礎であるが︑とくに稲は世界でもっとも古い作物の一つであり︑またわが国民は古来から米作
(1 )
米食の民として﹁米﹂と深く結びつけられている︒
古代における水田苗積についてはいろいろの資料があるが︑安藤広太郎氏は平安初期の田の酉積は一
O
五万町歩で(z u
あると推測している︒いま秀吉検地以降の耕地面積の推移をみると表
1
の如
くで
ある
︒ 徳川時代は貸席経済と米穀経済との両立の時代とマバノることができるが︑この期は一口に﹁米遣いの経済﹂とも呼ば
れているように︑その基調は米作農業であったcそして幕府及び諸糧の武士の俸禄も米によっており︑その財政的意
日本資本主義の米価問題
四 七
日本資本主義の米価問題
E転 全 耕 地
%
+0.74 +0.85 +0.06
‑0.i5 0.16 +0.54
義はすこぶる大であった︒
四 入 19061 4441
25421 5384 3 109 1 6 162 28811 6098 2416 1 5445
l
川 2 l 5 m2359 1 5 324
天保年間以前は農務局「第二次長務統計表jにより,明治以降は「農林省統計表」による。昭和27年の数 字は沖縄をのぞいたもの.Lたがって昭和12‑27年の年増加率の計算に当っては昭和12年の数字から沖縄 のぷん(回 7 千町,畑 54千町)を減じたものをつかった。(以上,阪本楠彦『日本農業の経済法則~ 2頁〉
昭 和30年は2月1日の「臨時農業基本調査J.35年はD960年世界農林業センサス農家調査Jによる。
年 増 加 回 の み │
%
十0.38
十0.12
十0.31
十0.44 +0.45
十0.33
‑0.40
‑0.18
十0.64
町千
畑 計 1 31千 町1 1 841 2 174 2535 2842 3 053 3218 3ω9 2871 2965
耕地面積の推移
表
1
回
秀吉検地 (1600頃〉 元禄年間 (1690頃〉
天保年間 (1830頃) 明 治12年 (1879 )
38年 (1905 ) 大正10年 (1921 ) 昭 和12年 (1937 ) 27年 ( 1952 ) 30年 (1955 ) 35年 (1960 )
( 1 )
一般に魚燐と狩猟生活を送っていた日本の原始民族が農耕を 始めたのは︑縄文式文化の末期から弥生式文化の開始期︿紀元前 一一ー一世紀頃)にかけてである︑と推測されている︒すなわち絡 は熱帯性植物であるからわが国に・回生したものではないと考えら れるが︑ではそれがど乙から渡来したかについては諸説(南方説︑
北方説︑南北二源説等)がある︒しかし稲作渡来の時代について は︑﹁考古学上の弥生式土器時代の西暦紀元前一世紀頃にしてこれ より多く湖らないものと思われ︑平坦低湿なる河辺又は沼地に於
て始まった﹂(安藤広太郎﹃日本古代稲作史雑考﹄︑地球出版社︑
昭和二六年四月︑五三員)と考えて誤りがないとみられている︒
(2
﹀安一際氏前掲童日﹁四︑田の面積﹂参照︒氏はそこで奈良朝時代
の後半期から延暦時代までの聞の悶の面積について︑和名抄︑拾 芥抄︑節用集記載の面積の三者平均を採って八七万五千町歩内外 と推測し︑﹁当時の一段は三百六十歩(一歩の面積は現在に同じ) にして現在の一段ニ畝に相当するからこの八十七万五千町は現在 の一百五万町となる︒我国に稲作の伝たられたのが酒麿紀元前一 世紀頃とすれば平安朝の初期西暦入世紀末頃まで約九百年の閑に 現在の我国田反別の約三分の一である百万町歩の水田が造成せら れたのであって︑我国の稲作は実にこの時代に於て動かすべから ざる基礎を築いたのであるといえよう﹂(一二三頁)とのべている︒
ちなみに︑当時の米生産高は七
O
七万石(これを一O
主万町歩の生産額とみれば現行一度歩につき六斗七升三合余にあたる﹀とい
われ
てい
る(
向上
一=
一四
頁)
︒ま
たぷ
良時
代の
米生
産高
とも
関係
があ
ると
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当時
の人
口が
なに
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と︑
沢
田百一氏はそれを良氏賎民雑戸私氏あわせて六
OO
万か
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00
万の
間で
ある
︑と
推定
して
いる
(﹃
烹良
時代
民政
経済
の数
的研
究﹄
︑富
山一
房︑
昭和
二年
︑二
九六
頁
)υ
明治以降︑農業は産業中の主役を工業に譲り渡し︑米は徳川期におけるような貨幣商品的怯格を失い︑その国民経
済に占める比重も相対的に低下したが︑しかし﹁米価は物価の王﹂として︑米の豊凶は依然日本経済を動揺させる要
因の一つであった︒ことに農地改革以前の地主制のもとでは︑現物小作料制度のため︑地主は米価に敏感であり︑地
主の
発一
τ一日は政治的力として日本の経済政策に少なからぬ影響を与えて来た︒
また戦後の今日︑米摂取量一の減少︑パン
食の
普及
︑
ミルグ及び乳製品摂取量の増加がみられるとはいえ︑やはり国民の主食は米であり︑国民の米価問題への
関心は大きい︒
いま昭和三一二年以降の数字(表
2参照)により国民所得総額中に占める農業の比重一をみると︑それは次第に低下し
つつあるが︑それでもコ一六年度は︑同氏所得総額一四兆一一七七億円のうん農業国民所得は
一兆
三九
六億円(九
O
九%
﹀で
あり
︑
また農業総産出額一兆九八八七億円のうち第一位は依然米であって︑九二二八億円(凶六・四%)を占
めて
いる
︒ 次にさきにもふれたわが国の耕地面積であるが︑それは昭和三六年八月一日現在で総面積︿河川︑湖沼を含む)一一一七二
七万四二三入町歩の約一六・五%にあたる約六二ニ万六千町歩を占めており︑明治一二年から今日に至るまでの耕地
面積をみても︑それは約五
OO
万町歩から六
00
万町歩(約一コ一・四%から一六・五%)の間宏往復している︒
( o d )
わ
が国
は山
地が
多く
︑耕
地両
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は諸
外国
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めて
低い
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通︑
耕作
働労
は傾
斜一
五度
以上
では
困難
とさ
れ︑
日本
資本
主義
の米
価問
題
四 九
日木資本主義の米価問題
(単位:10億円〕
長
率 弘 昭 32 8 285.9 1 131.2 1 536.2 805.9 52.4
33 8 519.0 1 158.4 13.6 1 560.5 825.3 52.9 34 10ω7.3 1 222.4 12.2 1 642.3 866.5 52.8 35 11 903.7 1 296.2 10.9 1 780.7 889.9 日2.8 36 14 117.7 1 396.0 9.9 1 988.7 922.8 46.4
数
i
比国民所得総額中に占める農業の地位と 農業総産出額中の米生産の比重
率 11
:~~空里子|
実数│比
表2
J ( │ ヂ ヰi
安国民所得は経企庁国民所得部の調査,農業総産品額と米産出額は農林省統計調査部の調査,いずれも農林 省統計表による。
五
。
土壌の浸蝕も激しいが︑日本の総面積の七五%は実に傾斜一五度以上の土地である︒人
口は狭い平野地帯に集中し︑平野部はおおむね耕作されており︑このため新たな工場敷
地が既存の農地と競合する場合が多い︒そして﹁過去四
0
年間に一五O
万町歩の耕地が関かれたが︑他方都市︑工場︑鉄道︑道路︑飛行場などに転用され︑もしくは風水害な
どで潰廃した耕地の総面積が︑やはり一五
O
万町歩に上る︒結局︑平野地帯の優秀な耕地に︑山間部や傾斜部の地味の悪い耕地が交代したということにほかならないので︑農
業生産力の点からいえばむしろ損失といわねばならない﹂(電力経済研究所・日本産業構
造研究会一編著﹃日本産業構造の課題﹄下巻︑中央公論社︑昭和一三年二月︑三三三頁)︒
だが他方関懇一適地でありながら土地所有の関係から林野のまま残されているところもあ
り︑統計上からのみはいえないとしても︑﹁国有林︑公有林のごときは手続き上U問題
きえ解決すれば︑最も容易に開墾できるはず﹂(地問調査所地図部編﹃日本の土地利用﹄︑
青林書院︑三六頁)でゐるともみられている︒このほか治水工事不備のため荒廃したま
空のところもある︒
したがってこのような事情を抜きにして︑たとえば一六%という数字を﹁さも地形に
もとづく宿命的な数字であるかのようにみているのだったら︑おかしい﹂ハ飯塚治二編
著﹃世界と日本﹂下︑大修館書白︑一二五二頁﹀といえよう︒なお守日本農業去礎統計﹄
(加山信文監修︑農林水産業生産性向上会議︑昭和三三年八月︑七凶頁)によれば︑大
正七年から昭和三一年の三九年間の回畑の拡張面積は一六
O
万三六二二一町歩︑そめ漬廃面積は一五四万五七九五町歩である︒
そ し て 右 の 耕 地 而 積 六 二 二 万 六 千 町 歩 の う ち 田 の 面 積 は 三 四 二 力 七 千 町 歩
ペ畑の面積は二七一万九千町歩)であって︑全耕地面積の約五五・七%を占めている︒
次 に 農 作 物 の 作 付 延 べ 面 積 を 示 せ ば 表
3
の如くであるが︑と れ に よ れ ば 米 作
稲 b/ a 1
麦類│いも類│雑穀│豆類│野菜│果樹[工芸作物
農作物作付延べ面積
表
3
昭 30
1 8 m 1 772 592 209 452 181 419 31 8 301 3 270! 39.4 1 740 599 203 462 199 482 32 8236 3266 39.7 1邸沼 578
I
197 478 214 50233 820913280 40.0 1 624 569 193 476 222 469 34 8161 3316 40.6 1 586 571 181 728 484 237 424 35 8151 3 336 40.9 1 533 529 693 253 431 36 8 080 3 328 日8 161 671 272 433
よ よ と 同 │ ( L l ( b
〕日本資本主義の米価問題
農林省統計調査部f37次農株省、統計表J172貰.36年は「ポケット農林水産統計 1963ーJ78~9頁。
総 世 帯 と 農 家
(単位:戸) 35 21
15
表
4
10 ...̲̲̲̲̲年次
I
~_項目 ..~I 町 d
26 昭25
付面積は総数のほぼ四
O%
を占めて
いる
︒
また総世帯数と農家数︑総人
口と農家人口をみると表
4
の如
くで
ある
︒
そして表
5
の示
すよ
うに
︑曲
戻
家全体の中での米作の地位は依
然支配的である︒すほわち﹁
九六
O
年世界農林業センサス農家調査﹂によれば︑農産物販売
額十万円以上の農家総数二四七
万六五四六戸のうち一九五万五
一七六戸(約七九%)が米を商品
として生産しており︑残りの五
一一
万一
一ニ
七
O
戸(
約二
一%
)︑
が米
の販売額二万円以下か米作をし
ていないかの農家である︒
この
五
日本資本主義の米価問題
戸S 6 0 8 9
包
7 1 3 1 2 9
4 l e D E 3 n n v n 6 n M U E 3 n 3 4 B 7
・
q δ A O
5 8 9 3 6
n s a e E 3
噌A1・
計 合 79.0%
企h
口
数 1割
農産物販売額
1 0 ) ]
円以上の農家の経営分類H4 叫 安 t r 合 ド
%81.9 F
556 613 77.8%
1 398 563?l
35.9 43.8
298 163 32.9
591 353
23.9 20.6
139 848 25.1
451 682
5.6 3.1
20785 6.5
117 033
0.2 0.2
1 419 0.1
2 410 7j!;a:商品生産し℃いる農家
総数(1)
米だけを商品生産している 農 家(2)
米と他の1都内を結びつけ て商品生産じている農家(司 {麦類・雑穀類・い
!も類・まめ類
I i高等園芸 j 野菜類 耕 誼 ;
果樹主耳
表
5
2.5 2.4
16105 2.5
44 787
54 846 2.2 3.2
21 960 1.8 32886
5.3 130 437
5.0 33 615
5.4 96822
工芸作物類
0.2 4774
0.2 1 417
0.2 3357
その他
4.9 120 629
4.7 32170
4.9 88 459
畜 廷
3.2 78305
1.8 12377
3.7 65928
養蚕
474 130
i
19.2 17.54 g a u r u
内64E.︒
r u
‑
‑ 118 602 米を商品生産しない農家総
数
単一商品生産農業を営む農
ζ b 必 ¥
19.8 355 528
h b R M A 3
4 4 1
司F R M A υ a w a H W A U
9 5 3
角
︒ 内
4
その他(引
21. 0 521 370
122 624 22.2
13.3 330 752
80 104 13.9
1.9 46498
16 479 1.7
0.2 1.6 2.7 4160
巧dAuvn︽dnhu n 4 n d
目別
ω
38759 0.2
l.3 3.4 1.1 2.8
0.2 2.7 32 389 i 1.3
7.7
100.0 5198
67751 1 30 0761 1. 71 2 3131 0.31 32瑚 i
B98 I 8.3 I 42 520 I 6.3 I 190 618 I
l1 797 3091 削 1 679 237
i
削I
2476州
註ー(1)7択の販売署員2万 円 以 上 似 米 の 販 売 額 が 農 産 物 販 売 額 合 計 の75%以 上 を 占 め る も の ゆ 下 記 の1部 門で米を除いた販売額の65%以上を占めるもの仙米を除いた販売額の65%以上を占める部門がないもの。
資料ー 11960年世界農林業センサン農家調:l!tJ. 昭和34年 2 月 ~35年 1 月における農産物販売余額の合計 が10万円以上の農家についての分類。(なお%の誤差は四捨玄人のため〕。
190 618 0.3
6.3 0.1 2.9 : 1 433
22 039 8673 0.2
l.7 2.4 2727
30086 44 198 f麦類・雑穀・いも
l類・主め類
│高等闘芸 内 : 野 菜 類
│果樹類
│工芸作物類
¥その他
3.4 62249
0.2 2.6 3 947
47346
京畜
1.7 8.3 30
148 養蚕
複合商品生産を営む農家(4)
総 計
五
約一九五万戸の農
産物販売額十万円
以上︑米について
は二万円以上の農
家は農家総戸数の
約三
O%
強に当ってい
る︒
次に農家経済の
現状からみても米
の占める比重は大
きい︒すなわち昭
和三六年度全府県
一戸当り平均の農
業経常支出総額一
四万八四四一円の
うち︑農業現金支
山山
は一
O
万四九四表
6
農家経済現金収支i h 三 T T LU 合ドム合一%
事6 %
農 家 現 金 所 得 初7891 351 7tJ.4 380 070 農 業 現 金 所 得 127 579 142091 163 176
農 業 現 金 収 入 208 865 1
∞
.0 2376ω 100.0 2腿 117 1∞
.0稲 作 101257 48.5 107971 45.4 107 827 40.2 麦 作 11 370 5.4 12位2 5.0 131ω 4.9 野 業 17402 8.3 忽 郎8 9.3 29751 11.1 果 樹 11 840 5.7 14250 6.0 16683 6.2 工 芸 作 物 14874 7.1 15553 6.5 18似3 6.7
養 蚕 9997 4.8 12488 5.3 13尼6 5.0 費 畜 29卸3 14.3 39789 16.7 53662 20.0 そ の 他 12232 5.9 13578 5.7 16465 5.8 農 業 現 金 支 出 81286 1ω.0 95598 1ω.0 104 941 100.0
!I'l 料 23 927 29.4 25251 26.4 25541 24.3 飼 料 16908 20.8 23 245 24.3 29449 28.1 農 薬 4117 5.1 46ω 4.9 5295 5.0 農 機 具 3897 4.8 4321 4.5 4559 4.3 雇 用 労 賃 4819 5.9 5091 5.3 5.574 5.3 そ の 他 27618 34.0 330ω 34.5 34523 32.9 最 外 現 金 所 得 159弱。 186251 216 894
農 外 現 金 収 , 入 178 5砲 1ωo 211 409 1ω.0 249 690 100.0 事 業 収 入 45019 25.2 55770 26.4 67筋9 27.2 労 賃 俸 給 手 当 収 入
ロ
6209 70.7 146 769 69.4 171 809 68.8 地 代 利 子 等 の 収 入 7344 4.1 8870 4.2 10012 4.0 最 外 現 金 支 出 19012 100.0 25158 1∞
.0 32 796 1ω.0事 業 支 出 15176 79.8 21ω9 お.6 28195 86.0 負 債 利 子 2531 13.3 3001 11.9 33弱 10.2 ;
雑 支 出 1305 6.9 1128 4.5 1245 3.8 被 贈 扶 助 等 の 収 入 20商2 23 362 31 0日5
租 税 公 課 諸 負 担 26 525 100.0 29434 1ω.0 34 607 1ω.0 租 税 15568 58.7 17338 58.9 19116 55.2 国 税 2312 8.7 3245 11.0 3391 9.8 道府県税・市町村税 13256 50.0 14093 47.9 15725 45.4 公 課 諸 負 担 10957 41.3 12096 41.1 15491 44.8 家 計 現 金 支 出 218647 1ω.0 245 930 100.0 286 947 1ω.0 五 飲 食 費 61946 28.3 66 731 27.1 74996 26.1
被 !!l 費 34986 16.0 39沼O 16.0 44419 15.5
住 居 費 29889 13.7 36252 14.7 47097 16.4 そ の 他 91 82晴 42.0 1ωfJl.7 42.1 120必5 42.0 収 支 差 引 き 額 62719 76340 89 521
農林省統計調査部「農家経済調査」
日本
資本
主義
の米
側問
題 農業収入果年表
iflJ 数 lJιI ",,~数|比:lJJl 比ikお
表7
aa
‑F
hリqaC0
8 5 9 6
n O 0 6 A O
句dmwmmmM花
I 1 2 2
q U 9
n o a佳'iaaAqano nリ q O つ d q d
8 6 0 2
n d n u o v n d ' ム p o n ' '
ム
9 4 1 8
e o a v n 8 n u
100.0 1.9
3190 11.6
9.6 19441 75 7951 45
,
2 昭 24100.0 2.7
5193 18211
53.5 100 946 25
100.0 3.6
8615 9.2 22379 129 3091日.4 26
100.0 4.8
13075 9.4 25698
︒oaaTOLaaτaaT
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1 1 4.7 3.6 13 884 11484 8.8 8.4 25878 26761 28
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361 796 '. 100.0 352 501 1 100.0 291 811
I
100.0 130 956 i 36.2140 970 I 40.0 3.7
13 523 6.7 24180 30
3.7 13 061 6,4 12 664 31
37.7 110 168 3.5 10 100 6.1 17776 52.7 153 767 32
296 842 11ωo 37.4
110虫22 2.7 8 003 5.9 17609 54.0 1ω308 33
100.0 312 355 37.5 117 179 3.2 1006唱 6.1 19053 53.2 166 058 34
341 586 1 100.0 40.3
137 697 3.7 12 500 5.6 19252 50.4 172 137 35
377 637 1 100.0 44,9
169 693 3.6 13 552 5.1 19 197 36
五回
農林省統計調査部「農家経済調査ム昭和32年度以降は調査方法の改正によりそれ以前のデ{タとの 接続はできない。
一円で総額の約七
0
・七%を占めており︑農業粗収益三七方七六三七円のうち︑稲作現金収入は一
O
万七
八一
一七
円であって︑農業粗収益の約二入・六%を占めている︒
また全府県二戸当り平均の農家現金収支の数字をみる
と︑稲作現金収入は現金支出総額四五万九二九一円の二
一ニ・五%︑家計現金支出二八万六九四七円の三七・六%
を占
めて
おり
︑
また農業現金支出一
O
万四九四一円を補って余りがある︒またそれは農業現金収入二六万八一一
七円のうち四
0
・二%を占め︑依然農業現金収入中の最大項目である︒昭和三四
t
六年度の農家経済現金収支の実数と割合を示すと表
6
の如
くで
ある
︒
また農業収入の
中での稲作収入の実数と割合を示すと︑表7のようヒ昭
和二四
i
三六年の問︑農業収入の約四五t
五四%を占めてい
る︒
次に低所得勤労者世帯の消費における米の一地位をみる
と︑その最大支出項円は米であってたとえば表
8
の如
く︑大正末年から昭和初年にかけて実支出総額の七割余
実収入階層別勤労者世帯平均一カ月間の収入と支出
(大iE 1 5
年9
月 昭和2
年8
月〉|総数 I~邸内|ω~79円陣0-鈎円1100五9円1120ゐ円!同誌同1ωih円1180ゐ円 1200~円
表
8
実収入階級
世 帯 数 ( 戸 〉 4785 1 223 912 688 405 249 178 197 世帯員数(人) 4目20 3.76: 3.83 4.00 4.15 4.41 4.う5 4.71 4.62 4.95 実収入総額 113.62 52.88 71.38 90.14 109.52 129.38 149.16 169.71 188.84 230.31 実支出総額 102.23 52.59 67.96 83.04 99.42 115.54 130.79 148.57 162.94 193.56 消 費 支 出(A)101. 80 52.45 62.77 82.82 99.13 115.19 130.20 147.78 161.65 191.35 飲 食 費 36.40 25.31 28.69 32.63 35.78 39.60 43.14 46.54 47.96 54.40
実数(B) 13.92 12.03 12.82 13.45 13.84 14.48 14.83 15.75 14.84 16目28 米
審HiロL(EAJ) 13目7% 22.9% 20.4% 16.2% 14.0銘 12.6% 11.4% 10.7% 9.1% 8.5%
麦 0.19 0.19 0.19 0.17 0.20 0.20 0.23 0.18 0.19 0.23
〈その他略〉
住 居 費 17.20 7.51 10.41 13.33 17.11 20.14 22.53 25.24 29.46 34.18 光 熱 費 4.66 304 3.43 4.00 4.64 5.16 5.62 6.29 6.66 7.49 被 療 費 13.62 5.20 8.23 10.59 13.15 15.95 18.
必
21.32 23.14 26.73 その他の諸費 29.92 11.39 17.01 I 22.2728.45 I 34
ー必
l483954.43 68.55 非消費支陳出) 0.43 0.14 0.19 I 0.22 0.29 I 0.35 I 0.59 I 0.79 1.29 2.21
〈公
日本資本主義の米価問題
内閣統計局「家計調査J.Ii'日本経済統計集.!l 304~5 買より。
28.5 27.4 26.4 23.3
表
9
昭 32 33 34 35
に及んでいた︒戦後の
食糧難時代には大半の
世帯が所得の大部分を 主食の配給および闇買
いに費したのはやむを
えないところであった
が︑その後家計は年々
改善
1エンゲル系数 は都市勤労世帯で昭和
二六年五四・図形︑
一年四六・五%︑三七
年三六・七%と年々低
下ー
ーー
され
てい
る︒
し
かし昭和三二年以降
五年までの家計費の中 での主要食糧支出の動 向を示せば表
9
の如く五五
日本資本主義の米価問題
五六
であり︑また昭和三四年九月から十一月末の農漁家そ除く全消費者世帯の平均一カ月間の収入と支出調査における数 字をみると︑
各階層平均消費支出三万二
O
九三円に対し米類支出は三六四七円であり︑
その比率は一一・四%にな その消費支出総額比一万四六二七円︑
る いま下から二番目の低収入層(一万円
t
一万九九九九円)を取上げると︑類支出は二四八二円︑
米 その比率は一七%であって︑
ζ
の層でも米類支出は単一項目として依然消費支出中の最高額を 示している︒他方食料消費の内容も構造的に変化しつつあろが︑表刊の如く︑やはり穀類のうちの米の占める位置は庄
(5 )
倒的(都市八二・五%︑農家八八・五%)である︒したがって総理府統計局統計での消費者物価を構成する諸品目中︑米
昭和
3 6
年平均1
カ月間の食糧費(単位円〕
表
1 0
家
13 940 5966 42.8%
5278 37.8妬 7974 1 220 945
2 541 1 287 143 341 978 123 金 新 費 〔 九 〕
穀 類 計 (B) (日)/CA) う ち 米(C)
CC)/CA) そ の 他 食 料
魚 介
肉 事L 卵
{野業
く だ も の 乾 物 海 藻 加 工 食 品
f 味;}
ij;
外 食
総理府統計局「家計調査」全都市世帯,農林省統計調査部「農 家経済調査」
i
都 市 世 帯 │ 農 13斜2I
3659 26.4%
3019 21.8%
10183 1337 2 100 1 121 631 271 1 177
863 618 744 364
951 396
がいちばん大きなウェイト
(加重値)をもた
されている︒
(4﹀総理府統計局編﹃第十二回日本統計年鑑
昭和三六年﹄︑日本統計協会・毎日新聞社︑昭
和三
七年
四月
︑三
七六
頁参
照︒
( 5 )
総理府統計局の昭和三七年中の家計調芥報告(三八年三月四日発表)によると︑年々改
善さ
れて
いる
食生
活の
変化
は一
一七
年度
にも
引続
いて
進行
し︑
一二
O年
当時
は穀
類︑
が食
料全
体の
三
七%
︑動
物性
食品
が二
O%
だっ
たの
に対
し︑
一二
七年度には動物性食品が二六%︑穀類が二四%
と︑動物性食品の剖合がぐんと高まっている︒ また昭和一一六年から三七年にかけての米の
(b)!(a)
% 昭和21年 2804 9208 333 4058 44.1
22 2908 8798 309 4364 49.6 23 2 982 9966 339 4部3 46.0 24 3 012 9383 319 4342 46.3 25 3 036 9651 324 4101 42.5 26 3 041 9 042 306 3796 42.0 27 3034 9 923 334 4210 42.4 28 3040 8239 278 3 089 37.6 29 3077 9113 306 3485 38.2 30 3249 12 385 393 4785 38.6 31 3270 10 899 345 4310 39.5 32 3266 11464 361 4623 40.3 33 3280 11 993 376 5090 42.4 34 3316 12 501 388 5616 44.9 35 3336 12 858 398 6139 47.7 36 3 228 12 419 384 6229 50.2 37 3312 13009 404
表
1 1
米の生産量と政府買入量の動向孟 J 閏│作品
日本資本主義の米価問題 生産量と販売量の動向をみると表口の如くであ(
6
﹀
る ︒
作付面積,収穫量,水稲反収は農林省統計調査部作物統計課調ベ,政府買入量は食糧庁頁入課調べ.r農 林省統計表」より。昭和36年度産米は,民入状況調べにより37年8月末現在。
( 6 )
なお食糧庁企画(調査)諜ば(一七年度から
四一年度に至るまでの﹁生産者の内地米需給表﹂
をとりまとめているので︑次に掲げよう︒この調
政 府 荒 波 L
6 495.0 6 7臼6 7 035.0 7 318.6 7ω0.4
│
生産者自家消費量l
5 176.7 5 088.6 4997.5 4 906.6 4 813.3 度
n ' o o n u d A U
唱A句
o q J
内Oaa‑aaτ
年
五七
日本
資本
主義
の米
価問
題
五八
査は
︑全
国食
糧事
務所
を通
じて
︑﹁
生産
者の
米麦
現在
高調
査﹂
を母
体と
し︑
三二
t
三六年
度の
内地
米需
給実
績そ
の他
の統
計に
基づ
いて
︑各
都道
府県
ごと
に積
み上
げた
もの
であ
る︒
ただ
し現
行食
管制
度が
継続
され
︑農
業を
めぐ
る経
済的
・社
会的
条件
が現
状で
推
移す
るこ
とを
前提
とし
てお
り︑
今回
の消
費者
米価
引上
げ︑
特選
米制
度の
新設
とい
う要
素は
含ま
れて
いな
い(
﹁時
事通
信﹂
︑農
林水
産版
︑=
一八
年一
月一
九日
﹀︒
そして現在食糧管理特別会計の赤字と関連し℃問題となっている米の政一府買上数量をみると︑それは年六
OO
万ト
ン(
四千
万石
)を
超え
てい
る(
前掲
表日
参照
)︒
一万円米価とすれば米だけで買上金額はほぼ四千億円にのぼる︒
他 方 政
府の民間へ売渡す数量も巨額である︒しかし収入の毎月の変動が少ないにもかかわらず︑支出面での変動は甚しい︒
このため右の事情が通貨の発行度に及ぼす影響は大きく︑金融に季節性を加える原肉の一つとなっている︒また昭和
三七年度の米価は三七年七月十三日の閣議決定で一五
0
キロ当り一万一七四七円と決定され︑前年度にくらべ一一一一四円五
O
銭の引上げとなった︒そのうえ豊作により政府買上量は増加し︑食管会計の赤字は当初の見込み七一O
億円をはるかに越え一一八四億円の見込みとなるに至った︒そこで消費者米価の値上げが五年ぶりに実施(一子七年二一
月一日から︑値上率一二%)きれさらに特定米制度が設けられて現在普通米より六%高い値段で配給されている
値上げされた消費者米価は全国平均精米一
0
キロ当りにつき普通米九五五円(値上げ前八五O
円 ) ︑
特選
米一
O
一 五
円︑徳用米八六五円(七'七
O
円)
であ
る︒
この結果食管特別会計の圏内管理勘定の赤字は六二七億円におさまる見通
し(大蔵省)となった︒
(7 )
さてこのほか︑農林水産関係物資の国鉄輸送において米が単一商品としては第一位を占めている点︑米の流通過程
( 8 ) ( 9 U
担当機関の多数である点︑さらに米穀貯蔵倉庫が全国にあまねく行き渡っていることなどは︑いずれも附随的ながら
米の国民生活にもつ意義の重要さを示している︒
( 7 )
農林水産関係物資の国鉄輸送において︑米は昭和三六年度では化学肥料類についで第二位を占め︑四四八万六千トン(約二
九九
O
万七千石)が輸送され︑単一商品としては第一位を占めている(﹃ポケット農林水産統計一九六三年﹄三四頁︑日本国有鉄道事
務管
理統
計部
調査
﹀︒
( 8 )
米の流通過程担当機関をみると︑﹁流通の過程も自由経済時代には実に多数の担当者がこれにたずさわった︒産地仲買人︑搬出荷人︑投機所液引人︑米問屋︑精白業者︑小売商人等これで︑一九二
O
年(大正九﹀の国勢調査ではかかる業主だけでも約八万に達した(現在食糧公団の公務員従業員のみで八万を超えている)﹂︿東畑精一﹁米穀政策﹂︑﹃経済学小辞典﹄︑岩波書庖︑昭和二六年︑九六八│九頁)︒食糧営団(昭和十七年九月創設)が食糧管理法の一部改正(昭和二二年十二月九日)により食糧配給公団(資本金全額政府出資の一元的配給統制機構)として設立され︑さらに食糧事情の平静化に伴い︑食糧配給公団が民営化されることになった昭和二六年二月当時の民間小売業者および卸売業者の数は次の如くである︒
( 9 )
米穀貯蔵倉庫は全国にあまねく行き渡っている︒たとえば昭和二八年の全営業倉庫は一五九万四六六一坪であり︑このうち食糧庁指定倉庫は七七万三三六坪であって︑その利用比
率は
四入
・三
%で
ある
(﹃
日本
農業
基礎
統計
﹄三
六八
頁)
︒
佃 喝 灯 時 制 的 得
︒ ︐
a a
│ ゐ 告 訴 ] 卸 売 業 者 数 28弱1人
8143 88却 8916 54 529 公 団 系 統
農 協 系 統 旧業者系統 そ の 他
計
諌山忠幸r米.1.地球出版社,沼和 36年11月.168頁。
さて以上︑国民所得総額中に占める農業の地位と農業総産出高に対する米産出額の
比率︑耕地面積中に白める田の面積の割合︑
および諸種の農作物の作付延べ面積中に おける米作付延べ面積の割合︑農家全体に対する米販売農家の占める割合︑農家経済 における米の地位︑農業収入中での稲作収入の割合︑家計支出における米類支出の動
向︑ならびに米の生産量と販売量︑およびこれに関連した食管制度の赤字問題等々をみたのであるが︑これらの諸点が
示しているように︑米が消費者たる勤労大衆の日常生活︑生産者たる農民の農家経済︑さらには日本農業︑
日本資本 主義の全般に対してもっところの意義は︑戦後相対的に低下しつつあるとはいえ︑今日といえども基本的には依然と
日本資本主義の米価問題
五 九
日本
資本
主義
の米
価問
題
六O
して大きい︒だが何よりも米価のもつ意義は資本との関連において掴まれねばならない︒それはいうまでもなく︑米
価の高低が直接賃銀の高低︑したがってまた石炭︑鉄鋼等の基礎産業部門の生産物価格の高低︑究極には剰余価値率
の大小を左右するものとして︑基本的に重要な意義をもっと同時に︑他方低米価による農家の低収入が︑農村の貧困
と過剰人口の原因となり︑これが都市労働者の賃銀低下要因として作用し︑ここに低米価は直接間接︑資本の搾取増大
に寄与しているからである︒それ故米穀・米価政策の決定には︑戦前では︑軍事的官僚的国家︑産業資本家︑地主︑米
取扱商人および投機業者︑農民(その利害は階層により異なっているが)︑消費者等の諸階層の複雑な利害の錯綜が反映し
ており︑さらに戦争と国民の主要食糧資源確保の問題︑その一環としての外国米および植民地米の輸移入の問題︑軍
国主義日本の社会的経済的基礎としての小農維持の問題等々が絡み合っていた︒また戦後も︑独占資本による低米価
・低労賃システムの遂行︑小農保護政策と独占資本家的政策との矛盾等が問題となり︑昭和三十年以降の世界的な農
産物過剰を背景として︑農業問題がグロ
1
ズ・アップされ︑貿易自由化の中での農業基本政策︑農業構造改善事業等が政府により打出されている︒そしてここ数年来日本農業の﹁曲り角﹂が言われて来たが︑今やかつての﹁社会的安
定層﹂としての農民は現在甚だ不安定な層となってお明この点からも今後の米穀・米価政策の動向ほ注目されてい
( る
m )
﹁世
界全
体ハ
中国
本土
を除
く)
の一
人当
り食
糧生
産は
︑一
九四
八/
四九
年度
から
一九
五二
〆五
三年
度に
かけ
て戦
前の
水準
を
回復
し︑
今や
との
水準
を約
一四
%も
凌駕
する
に至
って
いる
﹂(
﹃世
界農
業白
書一
九六
一年
﹄︑
国際
食糧
農業
協会
︑昭
和三
七年
三月
︑
二三
頁)
︒
(口
)昭
和三
五年
度の
総農
家戸
数は
六
O
五万
七千
戸で
ある
が︑
その
うち
兼業
農家
数は
三九
七万
九千
戸︑
約六
五・
六%
(第
一種
兼業
二
O
一ニ
万六
千一
戸︑
三三
・七
%︑
第二
種兼
業一
九四
万二
千戸
︑一
二二
%)
であ
り(
﹁一
九六
O
年世界
農林
業セ
シサ
ス農
家調
査)
︑ま
た
全国
総世
帯数
二六三万八七五二戸(昭和三五年十月一日現在の国勢調査)の約一九・三%を占めている︒そして兼業農家のう
O
ち雇
われ
兼業
(事
務・
技術
職員
︑教
員︑
役職
︑恒
常的
賃労
働者
︑季
節出
稼人
︑人
夫・
日雇
等)
は二
六八
万一
一一
一一
戸で
︑兼
業農
家
総数の四四・二%を占めている︒とこに農業のみでは生活しえない農家の不安定性が示されている︒との場合わが国の専業︑兼業の区別が欧米の経営主単位にくらべて世帯単位の概念であり︑したがって兼業率が著しく拡大されてあらわれる点︑専業︑兼
業の区別の判定基準が暖除である点︑また専兼業の規定が同じでも調査の仕方で異なる点など︑注意すべき点があるとはいえ︑明治三九年から昭和一五年にかけての最高︑専業七回・八%︑兼業二五・二%︑最低︑専業六六・九%︑兼業三三・一%(﹃日本
農業
基礎
統計
﹄一
四一
頁参
照)
と︑
昭和
一二
O
年の専
業三
四・
八%
︑兼
業六
五・
二%
(﹁
臨時
農業
基本
調査
﹂)
︑三
五年
の専
業コ
一四
・
三%︑兼業六五・七%(﹁世界農林業センサス﹂)をくらべれば︑戦前と戦後の農家経営の相違は歴然たるものがあろう︒ちなみに︑最近のわが国の農業において︑兼業化とならんで︑老齢化︑女性化の三点があげられているのも特徴的である︒
ではこのように重要な米価の決定はどのように行われているのか︒農産物価格は少なくとも農業生産費︑より厳密
にいえば限界生産費をつぐないさらにその上︑
拡大再生産を可能にするような価格でなければならないはずであ
る︒しかるにそれは国民経済全般のためにとか︑他物価との比較数字(パリティ)によるとかいう表面的理由で︑現
実には生産費を常に下回った価格で形成されているのではなかろうか︒それとも米価の決定は資本の利潤追求のため
の低米価・低賃銀政策に従属するものではなく︑あくまでも客観的な科学的根拠によってなされているということが
できるのであろうか︒もしそうなら今日の米価決定の科学的基準はどのようなものであろうか︒
以下︑この点を明らかにするため︑迂路ではあるが︑明治以降のわが国の米穀・米価政策をみなければならない︒
米穀・米価政策の概観
日本資本主義の米穀政策・米価政均叶︑日本資本主義がその成長︑発展︑変貌のそれぞれの時期において当面した
日本
資本
主義
の米
価問
題
六
日本
資本
主義
の米
価問
題
占ノ、
政治的︑経済的︑社会的な具体的諸条件(これら複雑な諸要因の合成と制約)により規定されて︑その目的︑施策を変え つつ今日に至っている︒
(ロ
米)
穀政
策は
二つ
の主
要な
側面
︑す
なわ
ち米
の需
給の
調節
とい
う数
量的
側面
と米
価の
調整
とい
う価
格的
側面
をも
っ︒
そし
てこ
の両
側面
はそ
れぞ
れ独
自的
であ
りな
がら
︑相
互に
依存
︑影
し響
合っ
てお
り︑
切り
離し
て考
える
こと
はで
きな
い︒
米穀
政策
はそ
れ
故こ
の両
側面
の統
一的
・綜
合的
政策
であ
る︒
この
よう
な米
穀政
策を
米価
の側
面に
重点
を置
いて
宏ゑ
罰す
る場
合を
米価
政策
と解
する
こと
がで
きよ
う︒
いうまでもなく食糧政策としての米穀・米価政策は︑資本主義の発展段階により変化せざるをえない︒もともと資
本主義下の食糧問題は︑資本主義そのものの矛盾の産物である︒換一一一一目すれば︑生産の無政府的性質と︑その必然的結
果である各生産部門の不均等発展としての農業と工業の生産力発展の不均衡の所産である︒
一般に産業資本主義的段階において︑食糧政策は︑まず価格問題として︑すなわち安価な労働力
1
安価な食糧の確保を目的とする自由貿易政策としてあらわれる︒周知のようにイギリスは︑資本制生産の発展の結果︑農業国から工
業国に変化し︑十入世紀末を境に穀物輸出国から輸入国に転じた︒このため世界市場の征服に乗出したイギリスの産業
資本にとって何よりも安価な労働力U安価な食糧輸入の必要があった︒リカードが地主階級と闘い︑地主の取得する
地代が不労所得である点を明らかにしたり︑また国際分業をスミスのごとく絶対的生産費差に求めず︑比較生産費理
論に求め︑諸国聞の生産力の差を認めながら不等価安換を認めず︑貿易を価値に関係なく︑効用
1
使用価値の問題であるとして︑富国による貧国の搾取という事実を隠蔽し︑自由貿易を絶対化したのも︑彼の産業資本家的立場の理論的
反映であったことはよく知られている︒一入四六年の穀物条例の撤廃は地主階級に対する産業資本家階級︑経済的自
由主義の勝利であった︒そして︑それは先進資本主義国が︑農業国より工業国へ転換する段階においてとる政策の典
型で
あっ
た︒
資本の独占段階︑世界的帝国主義の時代にはいると︑食糧政策は︑価格問題としてよりも供給問題︑食糧確保の問
題としての性格を強める︒資本心輸出市場としての植民地争奪の激化は︑戦争の脅威を強め︑軍事的国防的見地から
農業保護関税により国内農業左振興し︑食糧供給の確保をはかることが︑独占資本の政策となる︒独占資本は︑国内
食撞確保のための諸負担を︑工業保護関税による国内市場防衛と︑輸出カルテルその他の独占的手段によって回避する︒
その例としてあげられるのはド
f
ツである︒ドイツは一入七一年ビスマルグによって国家的統一がなきれ︑資本主義を確立した︒そして一入七九年の保護関税により︑工業生産物に対する既存関税を引上げ︑自由貿易時代に廃止され
た工業関税を再設し︑強力な農業保護関税時代を開始した︒このピスマルグ関税は︑それ白身としては︑ドイツの産
一入
九
0
年代にいたり︑ずイツ資本主義が世界的な独占資本1
帝国主義の段階に到達した結果︑この農業保護闘税もその成立とほとんど同時といってよいほど早期に︑独占関税に転 業資本とユンカ1の利益をはかるものであったが︑
化し︑産業資本の国内市場確保のために導入された関税は︑独占資本の海外市場開拓の手段にその機能を変えたので
ある︒新大陸の安い食糧の競争に直面したドイツ農業は︑ドイツ独占資本の農業保護関税引上(一九
O
二年)によって守られたのであって︑独占資本はこれにより園内食糧確保と小曲康保イ訟をはかったのである︒
第一次世界大戦以降のいわゆる資木主義の一般的危機の段階においては︑軍事的見地から︑食糧自給の要求は一段
と強くなり︑各国の構成する経済ブロック内の食糧自給政策が打ち出されてくる︒しかし︑この段階以降になると︑
もはや個々の随時調整的な食糧政策では間に合わず︑国ー家的︑統制的な︑体系化された﹁食糧政策﹂が要求される︒
が︑この段階での政策も依然として︑資本主義の矛盾のあらわれである﹁食糧問題﹂宏︑なんら本質的に解決するも
日本
資本
主義
の米
価問
題
六
日本資本主義の米価問題
明 治 4140393837363日433323130292827262524232221201918171615141312111098765 4321
発 と 立 町 資 業 産 … │ … 期 積 蓄 的 始 原 の 時 一 米
高山
︐S細川111
地 一 一 一 →
主制 形 の 確 ・ 成 発 ・ 立
期 展
政
代 時 節 調 価 米 的 時 随 の 下 済 経 由 自 策
時
一一一一一一一一一一‑‑‑‑.̲
期 第
翼
B
第期
期 策 政 節 調 価 米 的 政 財 米
穀 関 税 政 策 期
区 分 表
資本の本源的蓄積開始版籍奉還
廃藩置県田畑勝手作りの許可 土 地 売 買 解 禁 鉄 道 開 通 地租改正米麦輸出禁制の廃止
米麦輸出禁止米麦輸出再解除預η米制度公布
西南戦争地租代米納制度公布
松方︑紙幣整理に着手
農村危機展開
小作慣行調査通達繊維工業中心の産業革命の起点
米〉
関税法公布治安警察法(小作争議取締)農業保護主義を園祭に採用 常平局設置 立憲自由党(地主プ
W 棉花輸入関税撤廃運動起る Yョア的改良党)結成
全国農事会
産業資本主義の確立関税定率法発布
価放
壬︐dql
(期
非常特別税法改正l米輸入税従価一割五分独占資本形成への出発開始関税定率法改正
戦後反動恐慌︑農業危機激化
六四
昭 大
和 疋
←302928272625242322212019181716151413121110987654 3 211413121110 9 8 7 6 543 2144 43 42
独 ー ベ 期 展
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← 体 解 の 制 主 地 ト 一 期
日本資本主義の米価問題
制 主
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代時節調{函米的久恒 1
‑<‑‑一一一一一一一一ー一ー一一一一一ノ¥一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
目
期 七 第 期六第 期 五 第 期 四 第 期三第
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制結(前管
五
週食定制法制鮫穀米 下定制法穀米
駐 韓 F
期 策 政 価 米 期策政価米の下 期策政価米の
(後戦〕
代 時 瑳 官 糧 食
帝国長会創立
鴇国合併
第一次世界大戦米価調節調蜜会(大豆四年十月1五年九月)
米 騒 動
︑ 近 民 運 動 の 本 格 的 開 始
戦後経済恐
米 穀 法 会 布 小 作 制 度 調 査 委 員 会 設 置
農業組合法公布
金融恐慌開始米穀法改正︿第一回﹀世界恐慌開始過剰生産恐慌農村不況激化満洲事変国家独占資本体制の形成米穀法改正(第二回﹀米穀法改正(第三回)穀物収用令公布米穀統制令公布日本米穀協会設立米穀自治管理法公布籾共同貯蔵助成法農地法第三次世界大戦小作調停法米穀配給統制法会布小作統制令経済新体制米穀管理規則公布割当供出制十五年産米より実施食糧管理法中央食糧営団創立農業団体法公布
第一次農地改革法成立第二次農地改革法成立食糧管理法施行規制改正︿パリティ方式採用﹀自作農創設特別措置法
ドッジ・ライン強行朝鮮動乱対日講和条約︑日米安全保障条約調印麦の間接統制への移行MSA体制
予約売渡制三十年産米より実施
六五
日本
資本
主義
の米
価問
題
六六
ので
はな
い︒
日本資本主義の食糧問題はどのように展開したか︒持田恵三氏は︑以上の資本主義の各発展段階における食
糧政策の基本的特徴を指摘したのち︑右のような食糧問題の各段階的特徴は︑後れて資本主義の道を歩みはじめた日
では
︑
本においては﹁短い期間に集約的・並行的に現われた﹂﹁食糧政策の成立過程付﹂﹃農業綜合研究﹄第八巻第二号︑二
O
二頁
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との
べて
いる
が︑
いずれにしても日本資本主義の後進性とその特殊な構造は︑早くからわが国食糧の主役としての米
穀・米価問題に複雑な矛盾した性格を与えている︒
さて明治初年から現在に至るまでの米穀・米価政策は︑簡単に別表で示したように︑大まかに言って︑
‑明治初年から大正九年までの自由経済時代の随時的米価調節の時期
E
大正十年の米穀法制定(これは大正七年の米騒動の発生に示された深刻な社会不安の激成を契機とした)以降︑.米穀統制法(昭和入年)米穀配給統制法(昭和十四年﹀などの制定を経て︑戦時体制下の食糧管理が実施される昭和十六年までの
間接的統制︑恒久的米価調節の時期
よって特徴づけられる直接的統制︑
E
昭和十七年の食糧管理法制定以降の︑主要食糧の直接的統制の実施と︑戦争経済遂行のための米麦の国家管理に食糧管理制度下の時期(乙の直期は戦後においても食糧危機解決のための直接統制とし
て継
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り︑
麦は
昭和
二七
年に
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間接
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った
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三期
に分
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そしてこれらの三期はさらに
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が三
期に
︑
E
が二期
に︑
E
が戦前と戦後の時期に︑したがって計七期に細分される︒すなわち次の如くである︒
ーの第一期明治前半期の財政的米価調節政策期│││明治元年(一八六八年)より明治こ三年(一八九
O
年 ﹀
までの
年間
ーの第二期
までの二一年間
!の第三期
での九年間
E
の第四期ーの第五期
目の第六期
E
の第七期 明治後半期の米穀関説政策期(米価放任時代) 1
明治
一一
四年
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八九
一年
﹀よ
り明
治四
四年
︿一
九一
年
大正前半期の米穀法制定直前までの米価政策期
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大
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九年(
一九
二
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年)ま
米穀法制定下の米価政策期
1 1
大正
一
O
年(一九一一一年)より昭和七年(一九三二年)までの一二年間
米穀統制法制定下の米価政策期i昭和八年(一さ三互)より昭和一六年(一九四一年)までの九年間
戦前の食糧管理法制定下の米価政策期││昭和一七年(一九四二年)より終戦まで
そこで以下︑右の七期における米穀・米価政策を簡単に回顧してみよう︒ 戦後の食糧管理法制定下の米価政策期
I 1
終戦以降
第一期
わが国米穀政策史における明治時代の時期区分は︑詳細にみれば種々に細分化されようが︑通常明治期は︑大日本 明治前半期の財政的米価調節政策期(明治元年
t
一一
一二
年)
帝函憲法発布(明治二一一年¥国会開設(一三年)が行われ︑
ブルジョア地主政党が進出し︑政党官僚の妥協の起点とみ︑9aJられる明治一一三年を境として︑前期と桧期とに区分されてい引U
︿ロ
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年十
三月
大蔵
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﹁明
治年
間米
調価
節沿
革史
﹄(
﹁明
治前
期財
政経
済史
料集
成﹄
第十
一巻
︑
改造
社︑
昭和
七年
三月
所収
︑以
下﹃
沿革
史﹄
と略
す)
は米
価調
節の
詳細
を︑
第一
期明
治元
年よ
り三
年︑
第二
期明
治四
年よ
り六
年︑
第 三期明治七年および八年︑第四期明治九年および十年︑第五期明治十一年より十五年︑第六期明治十六年より二二年︑第
臼本資本主義の米側問題
六七