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Kyushu University Institutional Repository
政治哲学と政治的思慮
関口, 正司
九州大学大学院法学研究院 : 名誉教授
https://doi.org/10.15017/2740984
出版情報:政治研究. 67, pp.1-33, 2020-03-31. 九州大学法学部政治研究室 バージョン:
権利関係:
政 治 哲 学 と 政 治 的 思 慮
関 口 正 司
はじ めに
︱︱ 自己 の相 対化 のた めの 政治 哲学 一 政治 哲学 の自 己省 察 (1
︶政 治哲 学の
﹁当 為性
﹂ (2
︶正 義と 効用
︑そ して 思慮 二 政治 的思 慮と 政治 道徳 (1
︶思 慮に よる 失敗 の回 避 (2
︶政 治の 世界 にお ける 当為 性 (3
︶政 治道 徳か ら見 た通 常道 徳 三 政治 的思 慮の 民主 化 (1
︶思 慮的 教訓 の共 有や 継承 の可 能性 につ いて (2
︶保 守的 な政 治的 思慮 と政 治道 徳 (3
︶政 治的 思慮 の前 提に ある リア リズ ム 結び に代 えて
はじ めに
︱︱ 自己 の相 対化 のた めの 政治 哲学 政治 哲学 は︑ 政治 に関 する 思考
︑と りわ け︑ 望ま しい 政治 に関 する 思考 と捉 えら れる こと が多 いの では ない だろ うか
︒ しか し︑ その
﹁思 考﹂ の意 味を よく 考え てみ る必 要が ある
︒哲 学に おけ る思 考は
︑た んに
﹁考 える
﹂と いう ので はな く︑ 徹底 した 反省 的思 考︵ リフ レク ショ ン︶ であ って
︑思 考と いう 営み 自体 まで も﹁ ふり かえ って 考え る︵ リフ レク トす る︶
﹂ こと を意 味し てい る︒ 政治 哲学 も︑
﹁政 治哲 学と は何 か﹂ とい う問 いを 含ん でい てよ い︒ さら に︑
﹁何 であ るか
﹂と いう 問い とと もに
︑﹁ 何で ない か﹂ とい う問 いも 必要 であ る︒ A= Bは 命題 とし て形 式的 に 成立 して いる とし ても
︑そ れを 本当 の意 味で 理解 する には
︵自 らに 隣接 する もの や自 らを 含ん でい る上 位の カテ ゴリ ー を意 識し た自 己認 識を する ため には
︶︑ この 命題 の表 面に 表わ れて いな いA
C︑ A D︑ A E︑
⁝⁝ とい う点 まで 可 能な 限り 理解 して いる 必要 があ る︒ A= Bに つい て︑ Bが Aの 構成 要素 を過 不足 なく 整合 的に 網羅 して いる かど うか を 一通 り確 認し て終 わり とい うの では なく
︑C やD やE 等々 に関 する 実質 的知 見も 欠か せな い︒ した がっ て︑
﹁政 治哲 学と は何 か﹂ の問 いに 答え るに は︑
﹁政 治と は何 か+ 何で ない か﹂
︑﹁ 哲学 とは 何か
+何 でな いか
﹂︑
﹁政 治哲 学と は何 か+ 何で ない か﹂ のそ れぞ れに 丁寧 に答 える こと が必 要に なる だろ う︒ とり わけ
︑﹁ 政治 とは 何か
+何 でな いか
﹂︑ つま り政 治と 非政 治の 問題 は︑ きわ めて 重要 であ る︒ しか し︑ ここ では
︑こ れら すべ ての 問い を抽 象的 なレ ベル で論 じる ので はな く︑ 過去 半世 紀ほ どの あい だに 一般 的だ った よう に思 われ るス タイ ルの
﹁政 治哲 学﹂ を批 判的 に取 り上 げな がら 議論 を進 め るこ とに しよ う︒ 過去 の思 想家 の解 釈を 通じ て解 釈者 本人 から 見て 望ま しい 政治 のあ り方 を示 す︱
︱こ れが 政治 哲学 の著 書に よく 見か けら れた スタ イル であ った
︒し かし
︑こ れで 哲学 の本 領発 揮と 言え るだ ろう
(1
か)
︒哲 学の 原点 は︑ ドグ マを 製造 する こと では なく
︑む しろ
︑ソ クラ テス のよ うに 無知 の知 とい う見 方か ら︑ 自他 が自 明と 思っ てい るド クサ
︵思 い込 み︶ を問 い 直し 相対 化し てい く営 みで あろ う︒ この 観点 から すれ ば︑ 政治 哲学 にと って 思想 史的 研究 が欠 かせ ない のは
︑過 去の 言 説の 中に 自分 と同 じ見 方や 主張 を探 すた めに では ない
︒そ うで はな くて
︑自 分の 思考 の仕 方や 枠組 自体 を︑ 歴史 的過 去
との 突き 合わ せの 中で 異化 でき るか らで ある
︒答 では なく 問い に着 目せ よと いう コリ ング ウッ ドの 提(2
言)
は︑ その よう な 異化 を促 進す るの に役 立つ
︒
︹補 論︺ ただ し︑ 政治 の場 にお いて 決定 的な 論証 がで きず 歴史 的な 偶然 とし か言 えな い見 解だ から とい って
︑ド クサ とし て全 面的 に排 除 すべ きか どう かは
︑こ の意 味で の相 対化 それ 自体 から 答が 出せ るわ けで はな い︒ 相対 化は 手段 であ って 目的 では ない
︒完 全な 誤謬 や背 理で はな く部 分的 真理 を含 んで いる よう な場 合の ドク サの 扱い は︑ 政治 的思 慮の 見地 から 判断 する しか ない だろ う︒ 仮に
︑ド クサ への 批判 だけ が哲 学の 任務 だと 考え た上 で︑ そう した 哲学 と思 慮的 性格 を帯 びた 政治 哲学 との 違い を強 調し たい ので あれ ば︑ ここ が両 者の 分岐 点に なる と言 える のか もし れな い︒ しか し︑ その よう な違 いを 容認 して よい のか どう かは
︑ま だ︑ オー プン
・ク エス チョ ンで ある
︒ たと えば
︑相 対化 の意 味ま で反 省的 に考 える のが 哲学 の営 みで ある とす れば
︑哲 学の 側で も︑ 人間 の実 践の 領域 でド クサ の全 面的 排除 に 意味 があ るの かど うか や︑ 思慮 や共 通感 覚を 手掛 かり に相 対化 の意 味を 捉え 直し てみ る必 要性 や妥 当性 につ いて も︑ 考え 抜く 必要 があ るだ ろう
︒こ れは 政治 戦術 や説 得技 術の レベ ルで の妥 協や 迎合 を許 容す るの とは 別次 元の 問題 であ って
︑言 わば
﹁思 想の 身体 性﹂ の次 元 の問 題で ある
︒自 己目 的化 した 相対 化や 白紙 還元 は︑ 文字 通り 非﹁ 常識
﹂で 当事 者の 精神 を破 壊し かね ない 面を 持っ てい る︒
﹁人 を殺 す のは なぜ いけ ない のか
﹂を 抽象 的一 般的 に問 うよ うな 精神 状態 を想 像し てみ れば よい だろ う︒ ドク サを 批判 し続 けた ソク ラテ スが ポリ スの 判決 に従 った こと は︑ 象徴 的な 出来 事の よう に見 える
︒そ れは
︑こ の問 題に 対す る直 接的 な答 とい うよ りも
︑む しろ
︑問 題の 存在 自 体を 文字 通り 命懸 けで 提示 した
︑と いう こと だっ たの では ない か︒ 論理 一貫 した 体系 の構 築な どめ ざす べき でな い︑ とま で言 う必 要は ない
︒し かし
︑そ うし た体 系知 はた とえ 可能 で有 意義 だっ たと して も︑ それ が本 当に 包括 性を 成就 して いる ので あれ ば︑ ヘー ゲル の言 う﹁ ミネ ルヴ ァの フク ロウ
﹂の 知 であ って
︑一 時代 の終 わり によ うや く可 能に なる 知で ある
︒た だし
︑歴 史は 終焉 しな いか ら︑ その とき には すで に︑ 新 たに カバ ーす べき 領域 やそ れを 包摂 でき る新 しい パラ ダイ ムが 必要 な次 の時 代が 始ま って いる こと を忘 れて はな らな い だろ う︒ とも かく も︑ 哲学 には
︑体 系構 築以 外に も重 要な 仕事 があ る︒ つま り︑ 気が かり な現 実の 課題 を意 識し なが ら︑ つね に自 らと 自ら の時 代や 社会 とを ふり かえ り︑ 自明 性の 中で 安逸 をむ さぼ らな いよ うに 努め るこ とで ある
︒そ うい うソ ク
ラテ ス的 哲学 観が もっ と強 調さ れて よい だろ う︒ 歴史 に徹 した 思想 史的 探究 は︑ それ 自体 とし ての 価値 を持 つだ けで は なく
︑こ のよ うな 反省 や相 対化 に欠 かせ ない もの でも ある
︒政 治思 想史 と政 治哲 学は
︑一 方を 他方 に還 元す べき と考 え たり 双方 を相 容れ ない もの と見 たり する 必要 はな い︒ また
︑こ の数 十年 のあ いだ に見 られ たよ うに
︑衝 突回 避の ため に たが いに 視線 をそ らす よう な消 極路 線を とる 必要 もな い︒ 両者 はむ しろ
︑相 互補 完的 なも のと 見た 方が 建設 的で ある
︒ 一 政治 哲学 の自 己省 察 (1
︶政 治哲 学の
﹁当 為性
﹂ 政治 哲学 が︑ 自ら の営 みに 対す る反 省・ 相対 化と いう 重要 な要 素を 含ん でい るか らと いっ て︑ その こと は︑ 政治 哲学 が﹁ 当為
=べ き﹂ の議 論に 関与 すべ きで ない とい う主 張に 必然 的に つな がる わけ では ない
︒と はい え︑
﹁べ き﹂ を語 る前 に﹁ べき
﹂の 意味 を考 え意 識す る必 要が ある こと は︑ 強調 して おく べ﹅ き﹅ だろ う︒ しば らく 前か ら︑
﹁規 範的 政治 学﹂ と﹁ 実証 的政 治学
﹂と いう 二分 法が
︑し ばし ば︑ 自明 であ るか のよ うに 用い られ る こと が多 くな った よう に思 われ る︒ しか し︑
﹁実 証﹂ の方 はさ てお くと して
︑こ こで 言わ れて いる
﹁規 範﹂ とは
︑い った い何 なの だろ うか
︒政 治的 な秩 序や 制度 は︑ これ これ の原 理に もと づい てか くあ る﹁ べき
﹂だ
︑と いう こと なの だろ う︒ しか し︑
﹁べ き﹂
︵当 為︶ とは
︑政 治哲 学に おい て何 を意 味す るの か︒ 人々 はな ぜ︑ 政治 哲学 者た ちの 説く 多種 多様 な︑ 対立 する こと も多 い﹁ べき
﹂論 のど れか に従 う﹁ べき
﹂な のか
︒こ の論 点が 棚上 げさ れた まま
︑ど の﹁ べき
﹂論 が正 し いの かが 論議 され
︑さ らに は︑
﹁べ き﹂ の議 論自 体が そも そも いか がわ しい 権力 的な 議論 なの だと いう
︑﹁ べき と主 張す べ﹅ き﹅ で﹅ な﹅ い﹅
﹂と いう 形を とっ た︑
﹁べ き﹂ 論の バリ エー ショ ンす ら出 てく る︒ 規範 や当 為が 何を 意味 する のか
︑そ れが 問わ れず に自 明の もの とし て議 論が 進ん で行 くと いう 傾向 は︑ つね にあ った こと なの だろ うが
︑私 の個 人的 印象 では
︑ロ ール ズの
﹃正 義論
﹄が 登場 して 以降
︑と りわ け顕 著に なっ たよ うに 感じ ら れる
︒実 際︑ 一九 七〇 年代 後半 から 一九 八〇 年代 にか けて 語ら れた
﹁政 治哲 学の 復権
﹂は
︑ロ ール ズの この 書物 を抜 き
には 考え られ ない
︒た だ︑ 当時 から の変 わら ない 私の 印象 は︑
﹃正 義論
﹄の どこ が︑ いや それ 以上 に﹃ 正義 論﹄ をめ ぐっ て行 なわ れて いた 議論 のど こが
︑政 治哲 学な のか
︑と いう こと であ る︒ 道徳 哲学 だと いう のな らわ かる
︒統 治や 権力 と それ をめ ぐる 人間 の心 の動 きを 深く 掘り 下げ るこ とよ りも
︑権 力は 何を すべ きか
︑そ の道 徳的 根拠 はこ れだ
︑と いう 点 が主 題で ある よう に見 受け られ たか らで ある
︒ロ ール ズの 登場 によ って
︑政 治哲 学の
﹁規 範性
﹂は
︑道 徳哲 学的 なも の とし て受 け取 られ る傾 向が 強く なっ たよ うに 思わ れる
︒さ らに
︑ロ ール ズ流 の契 約説 やカ ント 的倫 理学 ばか りで なく
︑ ライ バル の功 利主 義の 側で も︑ 政治 や権 力に つい ての 洞察 の深 さで 競う ので はな く︑ もっ ぱら 道徳 哲学 の場 で張 り合 っ てい たよ うに 見え
(3
る)
︒ 道徳 哲学 によ る基 礎付 けに 集中 する 風潮 は︑ 日本 だけ でな くイ ギリ スに も及 んで いた よう であ る︒ その こと は︑ 当時
︑ これ につ いて ジョ ン・ ダン が批 判的 に書 いて いた もの にも うか がえ る︒ ダン は︑ 政治 哲学 のと るべ き方 向は そう では な くて
︑政 治的 な因 果性 をし っか り見 据え た政 治的 思慮 に沿 った 探究 のは ずだ
︑と 力説 して い(4
た)
︒こ れ以 降の 私の 議論 は︑ ダン のこ の指 摘に 共鳴 し刺 激を 受け て︑ 私な りに 積み 重ね てき た考 察と 探求 の途 中経 過を 披露 する もの であ る︒ (2
︶正 義と 効用
︑そ して 思慮 唐突 のよ うだ が︑ 最初 に︑ ルソ ーの
﹃社 会契 約論
﹄の 冒頭 部分 を取 り上 げて みた い︒ 効用
・正 義・ 思慮 と当 為と の関 連の 仕方 を示 して いる 一つ のモ デル
・ケ ース と言 える から であ る︒ ルソ ーは 次の よう に書 き始 めて いる
︒ 私は
︑人 間を ある がま まの 姿で とら え︑ 法律 をあ りう る姿 でと らえ た場 合︑ 社会 秩序
︵l
’o rd re ci vi l︶ のな かに
︑正 当 で確 実な 統治
︵a dm in is tr at io n︶ 上の なん らか の諸 原則 があ るの かど うか を研 究し たい と思 う︒ 私は
︑正 義と 効用
︵l a ju st ic ee tl
’u ti li té
︶が けっ して 分離 しな いよ うに
︑こ の研 究の なか で権 利︵ le dr oi t︶ が許 すこ とと 利益
︵l
’i nt ér êt
︶が 命ず るこ とを つね に結 びつ ける よう 努め よ(5
う)
︒
「正 義と 効用
﹂を 分離 せず につ ねに 結び つけ る︑ とい うの は何 を意 味す るの だろ うか
︒少 なく とも ルソ ーの 概説 書レ ベ ルで は説 明さ れて いな い論 点で あろ う︒
﹁効 用﹂ や﹁ 利益
﹂と いっ た言 葉は
︑規 範的 議論 で﹅ あ﹅ る﹅ は﹅ ず﹅ の﹅ 議論 に似 つか わし くな い言 葉と して 読み 飛ば され てい るよ うに も思 える
︒ しか し︑ とも かく もル ソー 本人 は︑
﹁あ るが まま の姿
﹂の 人間 を前 提と して
︑つ まり
︑孤 独な 自然 人で も聖 人君 子で も ない ふつ うの 人間 を前 提と して
︑彼 らに とっ て利 益に もな り正 義に もか なう 望ま しい 法律 を具 備し た政 治体 制は
﹁あ り うる か﹂ を考 えて みる
︑と 明確 に宣 言し てい る︒ ルソ ーは
︑正 義に かな うも のし か﹁ 利益
﹂と 呼ば ない とい った
︑一 般 的な 理解 と衝 突す るよ うな 利益 の特 異な 定義 はし てい ない
︒定 義で はな く事 実の 問題 とし て︑ 本人 にと って 長い 目で 見 て本 当に 利益 にな ると いう 判断 が︑ つま り︑ 本人 が思 慮を 働か せた
︵合 理的 に計 算し た︶ 上で の判 断は
︑正 義に かな っ た結 果に つな がる
︑と いう 見方 をし てい るの であ る︒ この 思慮 が働 くと 社会 契約 の時 点で は相 互の 権利 尊重 とな るわ け で︑
﹁無 知の ベー ル﹂ とよ く似 た議 論に なる
︒少 なく とも この 文脈 で︑ 正義 論と 功利 主義 とを こと さら 仰々 しく 対立 させ る必 要は な(6
い)
︒正 義と 効用 の泣 き別 れは
︑カ ント 倫理 学に 始ま るの であ ろう
︒利 益な どと いう 感性 的契 機を 道徳 に持 ち 込む など 論外
︑と いう こと であ る︒ しか し︑ カン トに よる ルソ ー理 解そ のも のを 理論 的に どう 評価 する かは とも かく
︑ 少な くと も後 世の 人々 がル﹅ ソ﹅ ー﹅ を﹅ カン ト的 に読 むの はア ナク ロニ ズム の誤 りに 陥る こと にな る︒ ルソ ーの 議論 では
︑社 会契 約の モー メン ト︵ 瞬間
・契 機︶ に契 約当 事者 たち の思 慮が 作用 して いる
︒自 由な 同意 の形 で社 会契 約を 結ぶ こと は︑ 当事 者た ちに とっ て︑ 正義 と利 益の いず れに もか なっ てい るの であ る︒ カン トの 定言 命法 が 作用 して いる ので はな い︒ 実践 理性 の捉 え方 が違 って いる ので ある
︒さ らに
︑同 意に もと づい て政 治的 義務 を負 う点 を
﹁道 徳的 自由
﹂と 呼ん でい る点 は︑ 一見 した とこ ろカ ント 的な 読み 方を 許し そう にも 見え ると して も︑ 正義 と効 用の 一致 とい う大 前提 をふ まえ れば
︑道 徳的 自由 の意 味内 容も カン トと 同じ とは 言え ない だろ
(7
う)
︒ とこ ろが
︑思 慮に 導か れる 社会 契約 に︑ ルソ ーは 一つ の大 難問 を見 出し てし まう
︒こ れは 社会 契約 説の 成立 その もの を大 いに 危う くす る挑 戦的 な問 題設 定で
︑ル ソー を作 為的 な秩 序形 成の ため の社 会契 約説 論者 とす る解 釈に とっ ては 最 大の 弱点 とな る︒ 立法 者の 必要 性と いう 問題 であ る︒ ルソ ーに よれ ば︑ 人々 の思 慮だ けで は不 十分 であ る︒ 適切 な原 則
に則 した 契約 の趣 旨が 実現 され るよ うな 具体 的な 国制 の設 計に は︑ 立法 者の 超人 的英 知が 必要 とな る︒ しか も︑ 設計 上 の工 夫の 細目 が持 つ意 味を 契約 当事 者た ちは まだ 経験 不足 で評 価で きな いの で︑ また
︑そ うし た工 夫を 実際 に機 能さ せ るの に必 要な 道徳 的習 慣︵ 習俗
︶が 確立 して いな いの で︑ 国制 を導 入す ると きに は︑ 立法 者は 超人 的な 英知 ばか りで な く超 人的 な権 威を 持つ こと で︑ 人々 の信 従を 確保 しな けれ ばな らな い︒ また
︑無 私の 立法 者で なけ れば なら ず︑ 人々 の 信従 につ け込 んだ 悪行 は許 され ない
︒し かし
︑社 会契 約の 時点 で︑ 都合 よく この よう な無 私の 超人 的立 法者 がい てく れ る保 証は まっ たく ない
︒む しろ 神話 的な 奇蹟 と言 うべ きだ ろう
︒作 為的 な秩 序形 成は
︑こ こで
︑現 実に はあ りそ うも な い歴 史的 な僥 倖︑ とい う偶 然性 の問 題に 直面 せざ るを えな い︒ ルソ ー本 人は と言 えば
︑ジ ュネ ーブ 共和 国に とっ て立 法者 的な 役割 を果 たし た人 物と して カル ヴァ ンに 言及 する こと で︑ 歴史 的に 解決 済み の問 題と して 片付 けて しま う︒ 実際
︑ル ソー にと って の喫 緊の 実践 的課 題は
︑こ﹅ れ﹅ か﹅ ら﹅ 立法 者を 探し 求め るこ とで はな かっ た︒ 課題 は何 より も︑ す﹅ で﹅ に﹅ 比類 のな い完 成品 であ る︵ はず の︶ ジュ ネー ブ国 制の 当初 から の正 統性 や卓 越性 を為 政者 や市 民に 想起 させ
︑そ れに よっ て国 制の 劣化 を防 止す るこ とで あっ た︒ 既存 の︵ と主 張さ れ る︶ 国制 の保 守を 訴え ると いう 点で は︑ バジ ョッ ト﹃ イギ リス 国制 論﹄ と同 じで あり
︑﹃ 社会 契約 論﹄ は﹃ ジュ ネー ブ国 制論
﹄と 呼び 替え ても よい ぐら いで ある
︒こ うい う趣 旨だ った から
︑こ れか らど うや って 立法 者を 探す かと いう 難問 へ の取 り組 みは
︑不 要な 作業 とし て割 愛で きた ので ある
︒
︹補 論︺ 実の とこ ろ︑ 立法 者論 とい うの は︑ ルソ ーば かり でな くマ キア ヴェ リの 場合 もそ うだ が︑ これ から 新規 に秩 序を 構築 しよ うと す る革 命的 議論 との 相性 はよ くな い︒ たし かに
︑千 年王 国論 やレ ーニ ン主 義の よう に︑ エリ ート であ る選 民や 前衛 に立 法者 的役 割を 特権 的に 認め る主 張も ある だろ う︒ しか し︑ 本物 の超 人的 立法 者で あれ ば人 々は 黙っ て従 うの だか ら︑ こと さら その 正当 性を アピ ール する 必要 性は ない わけ で︑ 自己 正当 化論 を声 高に 主張 して も︑ 当事 者以 外の 人々 にと って は説 得力 のな い党 派的 主張 に響 くだ けで ある
︒立 法者 論は
︑む しろ
︑黄 金時 代の 過去 を賞 賛し
︑そ れに 張り 合え るよ うな 立法 者が 現在 では 存在 しえ ない とい う人 々の 実感 をテ コに して
︑ 古来 の政 治体 制か らの 逸脱 を戒 める 議論 に好 都合 なツ ール なの であ る︒ こう した 立法 者論 を︑ 自由 平等 を趣 旨と する 人民 主権 だけ に正 統性 を認 める 社会 契約 説・ 同意 論に 接続 させ るル ソー の議 論は
︑超 論理 的な 力業 とし か言 いよ うが ない
︒
ただ し︑ これ から の議 論と の関 連で 重要 な点 であ るが
︑完 成度 の高 い国 制の 成立 が立 法者 の登 場と いう 歴史 的偶 然に 依存 する とい う難 点に 関し ては
︑エ スケ ープ
・ル ート があ る︒ 歴史 的与 件に 頼ら ない とい う意 味で のす っき りし た解 決 では ない し︑ 一世 代の 革命 的で 主体 的な 作為
︵つ まり 新規 の社 会契 約︶ とい うこ とに もな らな いが
︑超 人的 立法 者に 頼 らな いで 済む ルー トで ある
︒そ れは
︑国 制を 歴史 的な 偶然 と各 世代 の努 力と の複 合に よっ て生 成し たも のと して 捉え る とい う︑ 歴史 的現 実に 即し た見 方を とる こと であ る︒ 立法 者の 超人 的仕 事は
︑長 い歴 史的 経験
︵そ の多 くは おそ らく は 失敗 の経 験︶ の中 で思 慮に 即し た努 力と して くり 返さ れた
︑さ まざ まな 修正 や改 良の 累積 物に 置き 換え られ るこ とに な る︒ バー クや ウィ ッギ ズム の論 者た ちの 論法 であ る︒ マキ アヴ ェリ が︑ ロー マに はス パル タの リュ クル ゴス のよ うな 立 法者 はい なか った が︑ 歴史 的な 好運 と質 実な 国民 の気 風に よっ て︑ 長続 きす るよ い国 制が でき たと 観察 して いる のも 想 起さ れ(8
る)
二 ︒ 政治 的思 慮と 政治 道徳 (1
︶思 慮に よる 失敗 の回 避 ここ で︑ 当為 と効 用と の関 係と いう 議論 をさ らに 進め る前 提と して
︑思 慮に つい て私 が以 前書 いた 論考 では 取り 上げ てい なか った 問題 を取 り上 げて おき たい
︒ア リス トテ レス によ れば
︑思 慮的 判断 は経 験に よっ て磨 かれ る一 方で
︑あ く まで も蓋 然的 判断 であ って
︑判 断結 果は 一義 的な ルー ルと して 定立 でき ない
︒ま た︑ 思慮 的判 断に 従う こと は︑ 経験 則 に単 純に 従う こと
︵先 例遵 守︶ とは 本質 的に 異な るも のと みな され てい る︒ 状況 は個 々に 異な りな がら も︑ 経験 を積 ん だ思 慮あ る人 は︑ 一〇
〇パ ーセ ント 確実 とい うわ けで はな いに せよ
︑そ れぞ れの 状況 にふ さわ しい 判断 をす るこ とが 多 い︑ とい うの であ る︒ 場数 を踏 むこ とに よっ て︑ 千差 万別 の個 々の 状況 の中 で︑ ある 特定 の具 体的 な行 為を 適切 なも の とし て直 感的 に判 断で きる
﹁型
﹂の よう なも のが でき ると 考え られ てい るよ うで あ(9
る)
︒ それ はそ うだ ろう と納 得で きる
︒し かし
︑こ れは かな り名 人芸 的な レベ ルの 話で
︑敷 居が ずい ぶん と高 い︒ そう した
高い レベ ルの 思慮 があ るこ とは たし かで ある
︒プ ロの 政治 家や 行政 官に は必 須と され るべ きも ので あろ う︒ 一般 市民 も︑ 自分 が十 分に 経験 を積 んだ 領域 では
︑ベ テラ ンと して こう いう レベ ルの 思慮 を働 かせ てい る︒ しか し︑ 現代 デモ ク ラシ ーで は︑ ダン の言 う﹁ 思慮 の民 主(10
化)
﹂が 必要 とさ れて いる のだ とす れば
︑政 治領 域で 一般 的に 期待 でき るレ ベル の 思慮 のあ り方 はな いも のか
︑あ るい は︑ 思慮 にも とづ く教 訓と して 経験 の浅 い人 にも 伝え られ るも のは ない のか
︑と い う問 題が 出て くる だろ う︒
﹁型
﹂を 取り 上げ た私 の以 前の 論考 では
︑こ の問 題が 積み 残さ れた まま であ った
︒ その 後︑ これ に対 する 私な りの 当面 の解 答を 引き 出す 際の ヒン トに 偶然
︑出 会う こと にな った
︒ヒ ント とな った のは
︑ ハイ エク
﹃法
・立 法・ 自由
﹄の 次の 一節 であ る︒ 原理 はそ れら が理 性に もと づか ない 偏見 にす ぎな いも のの よう に︑ すな わち
︑あ るこ とが らが 単に
﹁な され ない
﹂ とい う一 般的 感情 のよ うに 見え ると き︑ より 有効 な行 為の 指針 であ るこ とが 多(11
い)
︒ たと えば
︑大 人が いろ いろ な思 惑か ら︑
﹁こ のお ばち ゃん はや さし い人 だか ら仲 良く ね﹂ と子 ども に言 って 聞か せて も︑ 子ど もは 直感 的に
﹁こ のお ばち ゃん は意 地悪 だか らい や﹂ と感 じ取 り︑ 頑と して 言う こと を聞 かな いと いう 場面 を想 像 すれ ばよ い︒ 行為 を指 示す る何 らか の原 理は
︑こ うし た理 屈抜 きの 直感 のよ うな 響き とと もに 行為 者に 訴え てく る場 合 には
︑行 為に 対す る強 い決 定力 を発 揮す る︑ とハ イエ クは 言っ てい るわ けで ある
︒ハ イエ クの この 一節 には
︑な ぜそ う なの かの 説明 は付 随し てい ない が︑ 注目 され るの は︑ 行為 を指 示す る原 理が
﹁し ろ﹂ では なく
﹁す るな
﹂の 方向 に働 く もの とし て取 り上 げら れて いる 点で ある
︒人 間が 幼児 期に 母親 から くり 返し 受け てい たよ うな 不作 為の 指示
︵﹁ そん な こと をし ちゃ ダメ
﹂︶ であ るこ とが
︑本 能的 警戒 心と あい まっ て︑ 強い 決定 力を 持つ ので はな いか と考 えら れる
︒ 思慮 の指 示も
︑少 なく とも 原初 的な 形で は︑
﹁具 体的 なこ れを せよ
﹂で はな く﹁ その 種の こと はや めて おけ
﹂で あっ て︑ それ があ る程 度人 々を 従わ せる 力を 持つ のも
︑元 々が
︑も たら され る害 悪を 強く 想起 させ る不 作為 の指 示だ から なの で あ(12
る)
︒思 慮に もと づい て何 か思 い切 った こと を︵ 特に 害悪 を避 ける 目的 で︶ する 場合 もあ りう るが
︑思 慮の 本来 的な 着
眼点 は︑ ごく まれ な独 創的 成功 の道 筋で はな く︑ 思い 切っ た選 択も 含め て悲 惨な 失敗 を避 ける ため に配 慮す べき 事柄 と 見た 方が よい
︒ベ テラ ンの 強み は圧 倒的 な連 戦連 勝と いう こと より も︑ 決定 的な 失敗 をし ない とこ ろに ある
︑と 言え る だろ う︒ 特に 政治 にお いて は︑ たい てい の場 合︑ これ でも 上出 来と 言う べき であ る︒ そう 考え ると
︑経 験を 積む こと と 思慮 の習 得と の相 関関 係の 一面
︵す べて では ない にせ よ︶ が浮 かび 上が って くる
︒ 成功 は︑ 高い レベ ルの 独創 的な もの であ れば ある ほど
︑状 況ご とに 条件 は不 可避 的に 異な って くる
︒柳 の下 に二 匹目 のド ジョ ウを 探す べき では ない
︵こ れ自 体︑
﹁あ のあ たり を探 せ﹂ とい う具 体性 のあ る積 極的 指示 では なく
︑一 定の 種類
︵ク ラス
︶の 行為 に関 する
﹁す るな
﹂を 基調 とし た思 慮的 格言 であ る︶
︒他 方︑ 悲惨 な失 敗例 は︑ 状況 が多 少異 なっ ても
︑ 共通 する 要因 が働 いて いる こと が多 い︒ たと えば
︑政 党の リー ダー が前 の選 挙で 大勝 した ため に舞 い上 がり
︑次 の選 挙 直前 に﹁ そん なこ とを 言っ たら
︑た いて いは 失敗 する よね
﹂と 言わ ざる をえ ない よう な尊 大な 発言 をし てし まう 例を 想 起す れば よい
︒い つで もよ くあ る話 なの であ
(13
る)
︒表 にま とめ ると 次の よう にな る︒ 考え
てみ れば
︑思 慮的 な格 率ば かり でな く︑ そも そも ルー ル全 般が 本来 的に
︑モ ーゼ の十 戒の よう に﹁ する な﹂ が基 本で ある
︒ 他方
︑高 度な 成功 のた めに
︑﹁
~せ よ﹂ とル ール で一 般的 に命 じて も千 差万 別の 事情 の違 いに 対応 でき ない
︒個 別的 に 命令 して も︑ 命令 する 側が 当事 者以 上に 個別 の事 情を 知っ てい るわ けで はな いか ら︑ 成功 につ なが る可 能性 は低 いし
︑
成功 積→ 極的 指示
︵し ろ︶
具体 的事 例
1S,S
2,S
3,...Sn
独創 的で 高い 水準 の成 功は
︑状 況に 適合 した 一回 限り の︑ 非常 に多 くの 要素 の組 み合 わせ を必 要と する
↓ ルー ルで 一般 化で きな い 失敗
→ 消極 的指 示︵ する な︶
具体 的事 例
1F ,F
2,F
3,...Fn
状況 の違 いを 問わ ず︑ わず かの 決定 的要 因が ある だけ で失 敗を もた らす
︵失 敗し ない のは 例外 的︶
↓ ルー ルで かな り一 般化 でき る
さら に︑ 個別 的命 令= 政令 によ る支 配︑ とい う恣 意的 で専 制的 な支
(14
配)
にも つな がる
︒個 別具 体的 な事 例で 独創 的な 高い レベ ルの 成功 を収 める には
︑失 敗を 避け るた めの 慎重 さば かり でな く︑ それ 以外 のも のが 必要 にな る︒ つま り︑ 当事 者 の豊 かな 想像 力や 行動 に移 る大 胆さ と決 断力
︑そ れに
︑周 囲が 挑戦 を許 して 見守 るよ うな 自由 な雰 囲気 であ る︒ (2
︶政 治の 世界 にお ける 当為 性 権力 と政 治が もた らす 悲惨 を可 能な 限り 制御 し抑 制す るこ とは
︑言 うま でも なく
︑人 間社 会に とっ て決 定的 に重 要な 課題 であ る︒ その ため に知 見を 広げ 知恵 を絞 るこ とは
︑政 治学 や政 治哲 学の 本来 業務 に属 して いる
︒そ れと とも に︑ 政 治家 や市 民の 政治 的思 慮に とっ ても 本来 的な 課題 と言 うべ きだ ろう
︒ ここ であ らた めて 考え てみ たい のは
︑こ うい う意 味で の制 御や 抑制 を人 々に 指示 する とい う点 で︑ 政治 的思 慮は どん な力 を持 って いる のか であ る︒ 思慮 は︑ 個人 の生 活の さま ざま な次 元に おい て︑ 冷静 に長 い目 で見 た自 分の 利益 を考 え その 実現 手段 を選 んで いく 心の 習慣 を意 味し てい る︒ これ を前 提に
︑私 とし ては
︑特 に政 治的 な場 で個 人や 集団 が働 か せる 思慮 だと いう 点を 強調 した い場 合は
︑﹁ 政治 的思 慮﹂ とい う言 葉を 使う こと にし てい る︒ これ まで の議 論を うけ て言 えば
︑政 治的 思慮 は︑ 何よ りも まず
︑政 治の 世界 で生 じる 悲惨 を避 ける ため に現 実を 合理 的に 探究 する 能力
︑い やむ し ろ︑ 心の 持つ 諸能 力を その よう に方 向付 ける エー トス
︵心 の状 態︶
=ハ ビト ゥス
︵心 の習 慣︶ とい うこ とに なる
︒ もし
︑当 為性 とい う言 葉を 使い たい ので あれ ば︑ 政治 的思 慮の 指示 に内 在す る人 々を 従わ せる 力が
︑政 治的 思慮 の持 つ当 為性 と言 える だろ
(15
う)
︒そ うし た当 為性 は︑ 政治 の世 界で は政 治的 思慮 の有 無が
︑個 人の 利益 と︑ 個人 の利 益の 中に 含ま れて いる 共通 利益
︵公 共的 な利 益︶ のい ずれ にと って も致 命的
フェ イタ ル
な結 果に つな がる
︑と いう 現実 から 生じ てい る︒ 政 治的 思慮 の当 為性 は︑ 影響 の深 刻さ や及 ぶ範 囲の 広さ のた めに
︑個 人的 な行 動領 域で の思 慮よ りも はる かに 強く なる だ ろう 政 ︒ 治の 世界 にお ける 種々 のこ うし た当 為の 集積 を︑ ひ﹅ と﹅ ま﹅ ず﹅ 便﹅ 宜﹅ 的﹅ に﹅
︵ミ ルの 用語 を借 用し て︶
﹁政 治道 徳﹂ と呼 んで おく こと にす
(16
る)
︒人 々に 要求 を課 す際 の力 や︑ 要求 の内 容や 性質 は︑ 通常 の道 徳か ら直 接に 引き 出せ ない もの
︵特 異な
場合 には 通常 道徳 と対 立す るも の︶ を含 んで いる とい う意 味で は︑ 政治 道徳 は︑ 心情 倫理 に対 立す る責 任倫 理︵ ウェ ー バー
︶や
︑バ ーリ ンが 指摘 して いる よう な︑ 通常 の道 徳に 対立 する マキ アヴ ェリ の道 徳の 別名 と言 って もよ いだ ろう
︒ つま り︑ 政治 道徳 は︑ 心情 倫理 やカ ント 的倫 理と いっ た政 治の 外の 世界 にお ける 規範 とは 別に
︑一 つの 固有 な完 結し た もの とし て存 在し てい る︵ 他の 道徳 体系 とつ ねに 絶対 的に 両立 不可 能だ とい うこ とで はな いに せよ
︶︑ とい うこ とに なる
︒ そう だと する と︑ 政治 哲学 が政 治的 思慮 に沿 った 探求 であ ろう とす る限﹅ り﹅ で﹅ は﹅
︑政 治哲 学に 固﹅ 有﹅ の﹅ 当為 性は
︑政 治的 思 慮の 指示
=政 治道 徳に 由来 する こと にな る︒ 政治 の世 界に おけ る当 為を
﹁道 徳﹂ とい う重 い呼 び方 で扱 うの は︑ それ がた んな るゲ ーム のル ール のよ うな 任意 的な もの では なく
︑何 らか の不 可避 的な 道徳 性を 帯び てい ると いう 理解 にも とづ いて いる
︒そ の道 徳性 は︑ 多数 の人 々を 巻 き込 む結 果に 対す る責 任と いう とこ ろに 端的 に示 され てい
(17
る)
︒そ の限 りで は︑ 帰結 を重 視す る功 利主 義倫 理と 重な る面 があ る︒ シン プル な功 利主 義︵ アク ト功 利主 義や ルー ル功 利主 義︶ との 違い があ ると すれ ば︑ 政治 道徳 は︑ 個別 行為 の 公的 な効 用︵ アク ト功 利主 義の 評価 視点
︶と
︑行 為を 一般 的に 規制 する ルー ルの 公的 な効 用︵ ルー ル功 利主 義の 評価 視 点︶ とを
︑個 別状 況に 即し て柔 軟に 比較 考量 する 点だ ろう
︒ 政治 の世 界に 固有 の当 為性 は︑ 政治 的に 可能 でか つ政 治の 目的 に適 合し た事 柄は すべ きだ
︑そ うで ない 事柄 はす べき でな い︑ とい うこ とを 基本 とし てい る︒ 政治 の目 的は
︑現 実に はい かが わし いも のも 入っ てく るに せよ
︑人 間生 活に お ける 政治 や権 力の 必要 性や 効用 を多 少な りと も認 める ので あれ ば︑ すべ てを いか がわ しい とま では 言え ない から
︑そ の 限り で是 認し て従 うこ とを 万人 に求 める だけ の資 格は ある
︒ま た︑ こう いう 意味 での 当為 性は
︑洋 の東 西を 問わ ず︑ 人 類の 歴史 と同 じ古 さを 持っ てい るは ずで ある
︒そ の効 力の 不十 分さ によ る悲 惨な 事例 が尽 きな いこ とは たし かだ が︑ し かし その 一方 で︑ ある 程度 の効 力を 発揮 して いな かっ たら
︑人 類は とっ くに 滅亡 して いた だろ うこ とも 否定 でき な(18
い)
︒ 政治 道徳 の当 為性 の特 徴と して 見落 とせ ない のは
︑因 果性 認識 が重 要な 地位 を占 めて いる こと であ る︒ 政治 の世 界が
︑ さま ざま な因 果関 係に よっ て成 立し てい るの であ れば
︑望 まし い物 事で あれ 悲惨 な物 事で あれ
︑そ の因 果的 経緯 を合 理 的に 理解 する 必要 と可 能性 とが ある から であ る︒ 政治 道徳 は︑ 通常 の道 徳や 心情 倫理 とは 異な り︑ 望ま しい こと を個 別
の事 情と は無 関係 な形 で一 律に 命じ るの では なく
︑個 別の 事例 にお いて 因果 関係 の認 識に 裏付 けさ れた 実行 可能 性を ふ まえ てき ちん と結 果の 出せ るこ とを せよ
︑と 指示 する
︒現 実の さま ざま な制 約の 下で は︑ 残念 なが ら︑ より 少な い害 悪 を結 果と して もた らす 行動 を選 ばざ るを えな いこ とも 頻繁 にあ るだ ろう
︒ 因果 性を ふま えた 政治 的可 能性 の探 求は
︑探 求者 の個 人的 な好 き嫌 いや 主義 主張 の問 題で はな く︑ 公共 的な 見地 から の必 要性 の有 無の 問題 であ る︒ もち ろん
︑こ の見 地か らで も見 解の 相異 は生 じる だろ う︒ しか し︑ 公﹅ 共﹅ 的﹅ な﹅ 見﹅ 地﹅ か﹅ ら﹅ と いう 前提 の共 有が 要点 であ る︒ そう した 共有 があ る限 り︑ 多様 な見 方を 根絶 しよ うと する こと は︑ かえ って 得策 では な い︒ むし ろ︑ それ らを
︑よ い統 治と いう 共通 利益 を追 求す るた めの 発見 的契 機を 提供 する 資源 と考 える こと が︑ それ 自 体思 慮に かな って いる だろ
(19
う)
︒ (3
︶政 治道 徳か ら見 た通 常道 徳 政治 道徳 と普 通の 意味 での 道徳
︵カ ント 的倫 理に 限ら ず︑ 世間 一般 の常 識道 徳も 含め て︶ との 関係 につ いて は︑ 対立 を強 調す るだ けで は不 十分 であ る︒ なぜ なら
︑政 治道 徳は
︑必 要か つ可 能で あれ ば︑ 普通 の意 味で の道 徳︵ 以下
︑通 常 道徳 と略 称︶ を尊 重す るか らで ある
︒政 治学 の基 本に 立ち 戻れ ば︑ 権力 の実 効性 は︑ 物理 的な 力だ けで 担保 され るの で はな く︑ 被治 者に よる 当該 権力 の正 統性 の承 認を 必要 とす る︒ 正統 性に はい ろい ろな タイ プが あり うる にせ よ︑ いず れ も被 治者 が納 得し て受 け容 れら れる 統治 のあ り方 と関 連し てお り︑ 被治 者が 現時 点で 持っ てい る利 益や 道徳 感情 を必 要 もな いの に損 ねる よう な統 治行 動を 制約 する 性質 を持 って いる
︒権 力者 には
︑こ とさ ら被 治者 の反 発を 招く 統治 行動 に よっ て被 治者 から の信 頼や 自ら の権 力の 正統 性を 揺る がす 必要 はな い︒ そう いう 逸脱 は︑ 自ら の権 力を 危う くす ると い う意 味で 無思 慮= 不合 理な こと であ り︑ 同時 にま たに
︑権 力に 存在 意義 を与 えて いる 公共 的必 要性 に応 えな いこ とで も ある 権 ︒ 力者 の観 点か らす れば
︑権 力を 維持 しつ つ権 力に よっ て一 定の 目的 を達 成す るの に﹁ 必要
﹂な こと をす るの が﹁ 合 理的
﹂で あり
︑だ から こそ
︑そ う﹁ すべ き﹂ だと いう こと にな る︒ その 限り では
︑権 力者 は通 常道 徳そ れ自 体に よっ て