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1.喜界島の考古学調査と荒木小学校遺跡

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Academic year: 2021

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1.喜界島の考古学調査と荒木小学校遺跡

 荒木小学校遺跡は,鹿児島県大島郡喜界町大字荒木に所 在し,喜界町の南西部の荒木集落内の旧荒木小学校跡地に 位置する.荒木集落は,喜界島の西部に位置し,白ゴマの 生産や島の主要な産業であるサトウキビの製糖工場で知ら れてきた.集落の海沿いは,隆起珊瑚の断崖が続き,自然 の雄大さを実感することができる.2017 年には,奄美群 島国立公園誕生にともない,荒木 ・ 中里遊歩道が公園の指 定地域となった.荒木・中里遊歩道からは,奄美大島を望 むことができ,遊歩道として島民の憩いの場となっている.

 荒木小学校遺跡が立地する旧荒木小学校は,2012 年に 喜界小学校への併合にともない閉校となった小学校で,校 庭にそびえ立つ大きなガジュマルの木が学校のシンボルと して地域の人々から親しまれている.

 喜界島における考古学的研究は,戦前は昭和

6 年の重野

豊吉による荒木貝塚の発見に始まり,三宅宗悦による湾貝 塚・手久津久貝塚の報告がある.戦後においては,昭和 32 年に九学会連共同調査委員会考古学班による分布調査 が行われ,荒木農道遺跡,荒木小学校遺跡,湾天神貝塚,

伊実久厳島神社貝塚,七城などが紹介されている.

 島内で一番古い遺跡は縄文時代のものであり,喜界島の 大多数の遺跡が古代・中世期に属している.島内の遺跡の 調査成果の状況については,喜界町教育委員会刊行の各報 告書で解説されており,詳細については各報告書を参照さ れたい.

 近年喜界島内の発掘調査の成果として特に注目されてい るのは,2003 年から調査が開始された城久遺跡群(山田 中西遺跡・山田半田遺跡・半田口遺跡・小ハネ遺跡・前畑 遺跡・大ウフ遺跡・半田遺跡・赤連遺跡)の成果であり,

450 棟を超える掘立柱建物跡や製鉄・鍛冶関連遺構,土坑 墓などが検出された.城久遺跡群からは,越州窯系青磁や

竹中 正巳

1 )

・鐘ヶ江 賢二

2 )

2) 891-0197 鹿児島市坂之上8-34-1 鹿児島国際大学

1) 890-8565 鹿児島市高麗町6-9 鹿児島女子短期大学

図1 喜界島の位置(国土地理院地図より作成)

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図2 荒木小学校遺跡の位置(国土地理院地図より作成)

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(2)

白磁,朝鮮系無釉陶器,滑石製石鍋といった島外産の遺物 も多く出土している.城久遺跡群の成果は,喜界島が古代・

中世の南島社会の研究においてきわめて重要な手がかりを 与えてくれることを明示するものである.

 本稿で紹介する荒木小学校遺跡は,九学会による 1955

(昭和 30)年から 3 か年にわたって実施された奄美諸島の

調査が契機となって周知された遺跡である.九学会による

1957(昭和 32)年の喜界島におけるジェネラル・サーベ

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図3 旧荒木小学校跡地の位置(S=1/1000)

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イでは,荒木小学校の学校敷地内北東隅の採土の際に人骨 が出土し,宇宿上層式土器片の散布がみられたとされてい る.また小学校西側を走るバス道路を建設した際にも多量 の人骨が出土したと伝えられ,定角式磨製石斧の出土もみ られると報告されている(河口 1959).正式な発掘調査で はなく,散布調査や聞き取りによる調査であり,工事によ る偶発的な遺跡の発見であったため,詳細な状況は不明で あるが,昭和 30 年代当時に荒木小学校付近に埋葬遺構が 複数存在し,弥生時代に相当する遺物が出土したことは確 かなようである.

 なお,荒木小学校遺跡の近隣の遺跡として,荒木貝塚と 和早地遺跡がある.荒木貝塚は,荒木集落東方の段丘先端 に位置し,形成時期は判然としないが,縄文時代に形成さ れた自然貝層が後世動かされて再堆積した貝層であると解 釈されている.和早地遺跡は荒木貝塚の北西に位置してお り,縄文時代中後期の遺物と 14 世紀後半~ 15 世紀中葉の 集落跡が検出されている.和早地遺跡では,掘立柱建物跡 が 9 棟検出され,輸入陶磁器や鍛冶関連遺物も出土してお り,中世後期の集落として注目すべき成果が挙げられてい る(川口編 2008).

2.発掘調査の経緯と体制

 我々は,南九州の遺跡出土の古人骨資料に基づき,先史 時代のヒトの系譜や移動について追究しており,各地で発 掘調査やジェネラル・サーベイを進めている.九学会の喜 界島調査の報告から,荒木小学校遺跡には先史時代の人骨 資料が残存している可能性が高いと考えた.そこで,喜界 島の旧荒木小学校周辺の地域の方々や喜界町教育委員会に ご理解とご協力いただき,荒木小学校遺跡の発掘調査を実 施することになった.

調査主体

 鹿児島女子短期大学 竹中正巳(骨考古学研究室)

調査担当者

鹿児島女子短期大学 教授・竹中正巳(日本考古学協 会員)

鹿児島国際大学 学芸員・鐘ヶ江賢二(日本考古学協 会員)

調査協力者

 野﨑拓司(喜界町埋蔵文化財センター主事)

 奥平大貴(喜界町埋蔵文化財センター埋蔵文化財調査員)

 島崎達也(喜界町埋蔵文化財センター埋蔵文化財調査員)

 安栖祐樹(喜界町埋蔵文化財センター埋蔵文化財調査員)

 前田一光(喜界町埋蔵文化財センター調査補助員)

 

発掘調査の費用支弁

 本発掘調査は JSPS 科研費 JP 24520873 の助成により行 われた.報告書の取りまとめおよび刊行については JSPS 科研費 JP16K03172 の助成により行なった.

発掘調査の期間

 2015 年(平成 27 年) 12 月 26 日(土)から同年 12 月 30 日(水)までの 5 日間

発掘調査日誌抄

 12 月 26 日(土) 喜界島到着.1 ~ 4 トレンチ設定,掘 り下げ開始.写真撮影.

 12 月 27 日(日) 1 ~ 4 トレンチの掘り下げ継続.5 ト レンチの設定.写真撮影.

 12 月 28 日(月) 1 ~ 5 トレンチの掘り下げ継続.図面 作成.写真撮影.

 12 月 30 日(水) 図面作成.1 ~ 5 トレンチの埋め戻し.

図4 荒木小学校遺跡(旧荒木小学校跡地)の現況 図5 トレンチ設定の状況

(4)

写真撮影.埋め戻し.

3.発掘調査の方法

 旧荒木小学校跡地の校庭にトレンチを設定し,遺構およ び遺物分布状況の確認,遺構検出を試みた.

 調査は,1m × 2 mのトレンチを小学校跡地の校庭内に

5 か所設定し,埋葬遺構の手がかりを得ることを目指した.

 喜界島は,新生代第三紀鮮新世の島尻層群を基盤とし,

琉球石灰岩,志戸桶層,隆起サンゴ石灰岩,砂丘がその上 層を形成している.石灰岩の上には,風化したマージと呼 ばれる暗赤褐色土壌が堆積し,島の大部分を覆っている.

荒木小学校遺跡は,数層の砂層が堆積しており,マージや

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図6 トレンチ配置図(S=1/500)

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琉球石灰岩の岩盤が地山層をなすとみられるが,校庭には 全体的に校舎の建設にともなう造成が及んでいた.新しい 造成にともなう層の下層は,サンゴの礫まじりの自然堆積 層である淡黄色粗砂層となり,そこまで達すると埋葬にと もなう遺物の出土や遺構の検出は望みが薄いと判断し,本 調査での掘削は淡黄色粗砂層までとした.以下各トレンチ の層位と検出状況について説明する.

4.調査の結果

1 トレンチ

 表土層から 20㎝ほど下まで現代の造成による層,攪乱 層が堆積している状況であった. 7 層で遺構の検出が期待 されたが,遺構や遺物の検出はみられなかった.最下層は 淡黄色粗砂層で,遺物等は検出できず,サンゴ礫も含まれ ていたが人為的なものではなく自然堆積によると判断し た.

 なお,1 トレンチの 10 mほど南側に 4 トレンチを設定

したが,ほぼ 1 トレンチと同様の層位であったため記述は 割愛する.

2 トレンチ

 1 トレンチと同様に表土層から 20cm ほど下まで現代の 造成による層が堆積しており,その下の 6 層,7 層では遺 構や遺物の検出には至らなかった.また,トレンチ床面で 性格不明の土坑(SK01,SK02)を検出したが,埋葬遺構 には直接関連性はないものと判断した.

3 トレンチ

 表土から 40cmほど下まで現代の造成による層が堆積し,

下層は淡黄色粗砂層が続き遺物や遺構は検出できなかっ た.

5 トレンチ

 表土層,現代の造成にともなう層が堆積し,攪乱による

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図7 各トレンチ土層図(S=1/40)

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(6)

掘り込みが検出され動物骨の小片が出土したが,現代のも のとみられた.下層は淡黄色粗砂層が続き,埋葬遺構にと もなう遺物や遺構は検出できなかった.

6.調査の総括と今後の課題

 本調査では,目的とする人骨の出土,埋葬遺構などの検 出には至らず,九学会による人骨と遺物の出土の報告を裏 付けるような埋葬遺構および遺物に関する手がかりを得る ことはできなかった.小学校の校庭の造成等により,本来

存在した遺構が削平されてしまった可能性も考えられる.

また旧荒木小学校内では依然として未調査部も多く残され ているが,現状では九学会報告に関連するような遺構と遺 物は皆無であることから,未調査部に本来あるはずの遺構

大部分が残されているとも考えにくい.

 今後は周辺地域の調査を進めるとともに,住民や小学校 の関係者からの聞き取りを行うなど,遺構の広がりや小学 校の増改築についての状況を詳細に把握する必要があろ

図8 1トレンチの状況 図 9 2 トレンチの状況

図 10 3 トレンチの状況 図 11 5 トレンチの状況

図 12 調査風景 図 13 調査参加者・協力者

(7)

川口雅之(編) 2008『荒木貝塚 和早地遺跡』鹿児島県  立埋蔵文化財センター発掘調査報告書 119 鹿児島県立  埋蔵文化財センター

河口貞徳 1959「奄美諸島の先史時代 Ⅳ奄美諸島の先史

 遺跡」九学会連合奄美大島共同調査委員会(編) 『奄美(自

 然・社会・文化)』pp.235-238  日本学術振興会

参照

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