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蘭和対訳文例集「柳圃文集」の作者は誰か : 志筑忠 雄研究外伝

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

蘭和対訳文例集「柳圃文集」の作者は誰か : 志筑忠 雄研究外伝

大島, 明秀

熊本県立大学

http://hdl.handle.net/2324/4371067

出版情報:文彩. 17, pp.26-33, 2021-03-01. 熊本県立大学文学部 バージョン:

権利関係:

(2)

言海

を編んだ大槻文彦を弟に持つ大槻如電︵修二︶

は︑漢学者もしくは歴史家として周知されているが︑蘭

学史研究の黎明期に

日本洋学年表

(‑八七七︶を上

梓したことでもよく知られている

この仕事を可能に

したのは︑日本近代史の父・大久保利謙が﹁大槻家洋

学史

﹂と

評するようにー︑江戸蘭学の泰斗であった祖父・

大槻玄沢から伝わった蘭学資料を家蔵していたことが

背景

にあ

る︒

ところで︑国立国会図書館には︑如電が刊行を構想

していたと目される手稿﹁日本洋学史﹂が残されており︑

その第五章上︵文学篇︶には︑﹁柳圃文集﹂という名の

蘭和対訳文例集が収められている

﹁柳圃﹂とはすなわ

ち志筑忠雄のことで︑表題通りならこれは志筑の文章

に遡る作品ということになるが︑一瞥してその根拠は

見当たらない

はじめに

大 島 明 秀

蘭和 対訳 文例 集﹁ 柳圃 文集

﹂の 作者 は誰 か ー志筑忠雄研究外伝ー

そこで本稿では︑これまで俎上に上げられてこなかった﹁柳圃文集﹂の概要を案内するとともに︑海外資料

も交えて構成内容を分析することで︑志筑忠雄作者説

の信憑性について吟味しつつ︑各種問題点や様々な可

能性を提示する

一︑﹁柳圃文集﹂の構成と大槻如電の導入

大槻家蔵資料を底本として翻刻された蘭和対訳文例

集﹁柳圃文集﹂は︑大槻如電に

よる

導入と︑蘭文とそ

れに対応する和文を一対とする文例から成り︑その構

成内容は次の五つに整理することができる︒

①大槻如電の導入②通詞起請文九箇条の蘭和対訳文︵年紀︑署名なし︶

③格言の蘭和対訳文︵蘭文のみ署名あり︶④﹁八丈ヶ島人江教諭﹂の蘭和対訳文︵蘭文・和文と

もに

年紀

あり

⑤普通文四例と和歌三例の蘭和対訳文︵年紀︑署名

なし

構成内容②\④は文例で︑これらは必ず蘭文から先

に記し︑ついで和文を掲載する順が取られている︒構成内容①の導入部は︑当該資料に対する如電の説明で

(3)

此柳圃ハ蘭文ヲ翻訳スルニ巧ナルノミラス︑蘭文ヲ

書キ綴ル事モ亦妙ヲ得タリ ︒蓋其文法二熟達セシニ

因ル者ナラン ︒柳圃文集卜称スル一巻アリ︒皆国文

ヲ横文二訳セシ者ニテ︑其巧妙ナル事ハ︑彼我両文相対シテ嘔モ鮒顧スル事ナシト云フ︒今其

中ノ

両一

︱ ︱

篇ヲ左二挙ク︒但シ通詞起証文ハ既二上二出シタレ

ド︑原文卜対照センガ為メニ再ヒ此二載ス2

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偉;喜足證文

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峠知~り蘭久9翻訳rf},一巧ゥし

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大 シ

l館図書

︑ . ¥

ある︒それでは①を見てみよう︒どうやら底本とされた大槻家蔵資料自体が﹁柳圃文

集卜称スル一巻﹂であったようで︑この表題から︑如電は﹁志筑忠雄作﹂であることに疑問を抱かなかった

ようである︒

また︑蘭文と和文の成立順序について︑如電は﹁皆国

文ヲ横文二訳セシ者﹂と述べているが︑確かに構成内

容②の通詞起請文や︑④の﹁八丈ヶ島﹂という地名︑そ

して

⑤の和歌は言うまでもなく日本固有のものなので︑少なくとも②④⑤については︑間違いなく和文が先に

あって︑その訳として蘭文が作られたものと見ること

ができる ︒

な お

④に

は唯

O p

a c h t s t e   ma an d  d e s   d e r d e  

j a a r s  

va n  Q io wa

 (享和三年八月︶との年紀が認められ︑ここ

から﹁柳圃文集﹂は享和三年(

‑八

0

三︶八月以降に編まれた資料と考えてよい︒

二︑構成内容の検討作者や資料成立に関わる可能性を探るべく︑﹁柳圃文

集﹂の構成順とは異なるが︑以下︑構成内容のうち︑③

格言︑②オランダ人に対する通詞起請文︑ならびに④﹁八丈ヶ島人江教諭﹂の順に取り上げ︑それぞれ考察を加え

る ︒

(4)

( 1 )  

格言

De   gr oo ts te e  D ug d  ee n  ge

le

er

de

b   es ta at   ni e t   i n  

Ne

ge

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r Yo si wo   Ro kz ir o 

先覚の大徳ハ其才

学の諸人に越たるに

あらすして其

寛と謙とを以て人オを成し

て誉

を獲るにあり

3

2

は構成内容③の全文である

蘭文第一行から第四 行に及ぶ格言を現代日本語に訳すと︑﹁学者の最大の徳 は︑他を凌ぐその学

習にあるのでははなく︑それによっ

て他人に知識を与え︑自身を手に入れる寛大さと謙虚 さにある﹂となり︑和文の内容が概ね

一致しているこ

とが分かる

ただし︑和文がそこで終わっていること

に起因してか︑大槻如電をはじめとする

読 者 が ︑ まで第五行から最終第七行に記されている作成者に係

情報 を見逃していたことは問題である

蘭文第五行の

op pe ls te ld

op ge st el d (o ps te ll en

︿作

成する﹀の過去分詞︶の誤写だと見られ︑そう考えると︑

第五行から第七行の現代日本語訳は︑﹁オランダ語での 作成は

雄六次郎による﹂となる

ここに作成者とし て明記されている吉雄六次郎とは︑長崎の鳴滝塾でシー

の通訳を

ボルト

(P hi li pp Fr an z  B al th as ar

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n S ie bo ld ) 

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占 な 賀 ヽ 〜 ん

9 ‑

ヽ—•

  ‑

`鮫J

これ

図2上部に格言の蘭文、中部にその対訳和文が見える

(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)

(5)

務めた吉雄権之助のことで︑同人が志筑忠雄の門弟で あったことから︑蘭文には志筑蘭語学の方法や方法が

少なくとも直接の作文

反映していたかもしれないが︑

者は志筑ではなかった ︒

( 2 )

通詞起請文

構成内容②は︑阿蘭陀通詞が誓約させられた九箇条

にわたる起請文である ︒

以下

︑第

一条を引用する ︒

な お

原文では蘭文が九条続いてから和文が後続するが︑こでは便宜上︑第一条の蘭文と和文を併記する︒

Na de ma al   ik   do or   de   ov er he id   al du s  t o t   h ol la nd sc he

・:

・ :t o l k  aa ng es te ld   z i j

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oo a l   z   ik   ha ar   vo or ta an   in   a l l   za ke

n ,

No nd er   de   mi ns te   v e i n ze r

i j ,

No o  zo rg vu ld ig   en  z oo   be da ch tz aa ml ij

k , 

a l s   he t  mo ge li jk   i s

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eh oo za me n  ;  en e d   ke i z e r l i j k e u  o de   we tt en e  b ne ve ns   de   da ar na   ui tk om en de   be ve le n  s t i p e l i j k   na ko me

n . 

私儀阿蘭陀御通詞被仰付候上ハ毛頭後闇儀不仕諸 事心之及丈

者入念大切二相勤従前之御法度を始以後

被仰出候趣堅相守可申事4

蘭文を現代日本語訳すると︑﹁私は政府によってこの

ようにオランダ語の⁝通訳に任命されるからには︑今

後諸事において︑最小の偽りもなく︑慎重かつ用心深く︑

可能な限り従う︒

帝国の古い法に加え︑その後に出さ れた命令を厳格に履行する﹂となり︑通詞起請文の内

容を正確に反映している︒

ここで問題なのは︑ドイツ・ルール大学ボーフム︵以

下ルール大学︶に所蔵されるシーボル

ト ・

コレクショ

ンに同じ文章が確認できることである5︒綴りや単語に

~`ふ”...,•W 

 

ル〜← …んぬ

ノムッユ〜心グ』い' ぶ^

ケ ぷ ベ ツ り 、

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9

図3Voorwaadenvan den Eed.(誓約の条件)と蘭訳された通詞起請文

(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)

(6)

多少の異なりが確認できる場合があるが︑基本的には全九箇条が一致する︒シーボルトの資料や情報の入手に際して︑その大半は吉雄権之助が関与していること︑

ならびに先述した構成内容③の作成者を勘案すると︑

﹁柳圃文集﹂掲載の通詞起請文蘭文も吉雄権之助の手に

成る可能性も考えられるが︑一方で︑通詞の誰かが過

去に作成した蘭文で︑それが阿蘭陀通詞間で伝わっていた可能性も捨てきれない︒

なお︑志筑忠雄は稽古通詞を勤めたので当然通詞起

請文は熟知していたであろうが︑若くして職を辞して

野にあったので︑阿蘭陀通詞間に伝わる起請文の蘭文を作成したとは考えにくい︒いずれにせよ︑志筑忠雄の作文である証拠は見当たらない︒

( 3 )

﹁八 丈ヶ 島人 江教 諭﹂

構成内容④﹁八丈ヶ島人江教諭﹂の存在は問題をさら

に複雑化させる︒内容は︑親孝行や老人・幼児に対す

る慈悲と因果応報を説いたありふれた文章であるが︑そ

の種本については不明である ︒何より不審なのは︑既

述のルール大学蔵シーボルト・コレクションに蘭文は発見されていないものの︑一瞥して文章が異なる和文

﹁八丈島教諭﹂が存在することである6︒それでは双方の冒頭を比較してみよう︒ ︻﹁

柳圃

文集

人生れてハ︑おのれほど大切なるものなし︒如何

にとならバ︑凡そ人の求る所之常の住所︑時々の

着物︑毎日之食物の如也︒皆おのれを養ハんが為に者これ其身を大切なりとするが故なり

︻ル ール 大

学蔵シーボルト・コレクション︼そも/\人と生まれてハ︑おのれより可愛きハなし︒われを養はんかために︑常の住所ハさらにも

いわす︑夏冬の着物をもとめ︑朝け︑夕食に飽さ

るも︑是皆現身を愛するゆゑなりけり

かように両者の文意は一致するものの文体が全く異

なり︑その状況は冒頭部のみならず資料全体に及ぶ ︒加えて︑﹁柳圃文集﹂の蘭文年紀はOp

a c h t s t e   m a a n d   d e s   d e r d e   j a a r s

a   v n   Q i o

w a

︑そして対約和文の年紀が﹁享和

三年八月﹂と記される一方︑ル

ール大学蔵の和文では﹁癸亥八月﹂とのみあり︑元号の代わりに干支が記されるなど様々な謎を学んでいる︒

ここ

で﹁

八丈

ヶ島

﹂︵

八丈

島︶

とい

う日

本固

有の

地名

や︑

﹁柳圃文集﹂の年紀に日本固有の元号・享和が用いられ

(7)

4(丈•島

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内心吠_,ぷ"~••:”ぬ心”’炒怜令‘f"• ^.寧

4左は「柳圃文集」中の「八丈ケ島人江教諭」、右はその簡訳の後半部で、末尾に年紀が見える

(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)

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J︑ ¥

r

ていることを勘案すると︑第一に和文があって︑第二

にそこから蘭文を創出し︑第三にその蘭文を元に︵別の誰かが︶もう︱つの和訳を作成したと見るべきであ

ろうが︑だとしても︑当該蘭文を底本としたならば︑ルー

ル大学蔵の和文が︑なぜ蘭文署名中の元号

Q i o w

a

を訳

さず︑﹁癸亥﹂という干支を記しているのかという問題が残る ︒ これらを整合的に説明する一例として︑次のような手順が考えられよう︒すなわち︑まず干支の署名を付

した和文を起草し︑次にその蘭文を作成する際に︑読

者を想定して年次が分かるように干支を元号に変換し︑そしてその蘭文に基づいてもう︱つの和文を作ったと

する仮定である ︒かかる場合︑ルール大学蔵﹁八丈島教諭﹂が第一和文で︑﹁柳圃文集﹂に所収された﹁八丈ヶ島人江教諭﹂が第二和文となるが︑いまだ不確定要素 が多く︑さらなる謎解きは後日に侯つ ︒

話を本題に戻すと︑享和三年八月の年紀を信用する

ならば︑志筑忠雄は存命しており︑蘭文を作成した可

能性を現時点で完全に排除することはできないが︑他

の構成内容と同様に︑志筑の作文であることを積極的に裏付ける記述が認められないことに変わりはない

(8)

おわりに

見てきたように︑表題から志筑忠雄作と目されてきた﹁柳圃文集﹂の構成内容に検討を加えたところ︑一

部の作成者が吉雄権之助に遡ることが判明した︒

加え

て︑その他の部分についても︑ドイツ・ルール大学ボー

フムが所蔵するシーボルト・コレクション中の資料と比較しながら︑現時点で考えうる可能性や問題点を浮

き彫りにした︒

以上より︑蘭文文体の分析やさらなる他資料の発掘など取り組むべき課題は山積しているものの︑現時点では

﹁柳圃文集﹂の構成内容が志筑忠雄に遡る文章と断定す

ることはできず︑むしろ吉雄権之助をはじめとした別

の人物の手に成る可能性が高いという結論に至った ︒

大久保利謙﹁洋学史家としての呉秀三先生﹂︵﹃

日本

医史学雑誌﹄第二

八巻 四号

一九八二年︶︑四九〇

頁 ︒このことは︑拙稿﹁大久保利謙と蘭学資料研

究会・蘭学書

﹂ ︵

﹃明治が歴史になったとき史学史

としての大久保利謙﹄アジア遊学

2 4 8

︑二

0

0

年 ︶ ︑

︻ 付 記 ︼

﹁ 柳

圃文集﹂の存在に

ついては

吉田忠先生から御教示

を賜った︒また︑﹁柳圃文集﹂と関係の深い資料が︑ルール大学ボーフム蔵シーボルト・コレクションやフォン・ブランデンシュタイン家文書中に存在することは

Sv en

6  5  4  3  2 

0

九頁にて論及︒

便宜上︑旧字は現在通用する字体に改め︑旬読点を付した︒以下︑全ての引用文で同︒

改行は底本を反映した︒また︑和文の向きを縦に

改め

た︒

改行は底本を反映しなかった ︒また︑和文の向きを縦に改めた︒

D i e  

S

ie bo ld ia na 'S am ml un g  d er  

R u h r ' U n i v e r s i t a t   B o

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u m .   1 . 1 6 6 . 0 1 6 ,   8 4 r ' 8 5 v .  

S ve n 

O s t

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rk am p 

¾R:

の御教示によって本資料の存在を知った︒

D i e  

S ie bo ld ia na 'S am ml un g  d er   Ru hr 'U ni ve rs it at  

B o c h u m .   1 . 3 6 8 . 0 0 0

.

なお︑フォン・ブランデンシュ

タイン家蔵シーボルト関係文書中にも同様の和文︵年紀は干支︶と︑それに加えて蘭文も所蔵されて

いるという︒

いずれも

Sv en

O s t e r k a m p

先生の御教

示による︒

(9)

Os te rk am

p先生の御教示を得て知るところとなり︑そ

の他

蘭文解釈

についても知見を賜った

︒ここに記して感謝の意としたい︒

(10)

熊 本 県 立 大 学 文 学 部

『文彩

BUN‑SA/   J J EB 置 '

発 行 20213月 1

発 行 所 熊本県立大学文学部

熊本市東区月出3丁目1100

印 刷 所 キンコーズ熊本市役所前店 熊本市中央区花畑町9‑6IF 

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