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目的 1862 年 福沢諭吉を初めとした文久遣欧使節団は開港開市延期交渉のためヨーロッパに向かって日本を出発した 彼らはフランス イギリス オランダ プロイセン ロシアといった多くの国々を回ったが その中で最も長く滞在し大きく影響を受けたと考えられるのがイギリスであり また未だ当時の建物や街並みが多

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Academic year: 2021

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研究旅行奨励制度報告書

「幕末維新期、ヨーロッパを訪れた日本人」

目的地:フランス

(パリ)、イギリス(ロンドン)

滞在期間:

2013 年 1 月 3 日~1 月 12 日

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 目的

1862 年、福沢諭吉を初めとした文久遣欧使節団は開港開市延期交渉のためヨーロッパに 向かって日本を出発した。彼らはフランス、イギリス、オランダ、プロイセン、ロシアと いった多くの国々を回ったが、その中で最も長く滞在し大きく影響を受けたと考えられる のがイギリスであり、また未だ当時の建物や街並みが多く残っていると言われるのがフラ ンスである。 文久遣欧使節団はヨーロッパ滞在中に各々日記を書いていた。福沢諭吉は書いた日記を 帰国後にまとめ『西洋事情』として発行したが、そこには見たこと、感じたことが事細か に書かれている。このように残された彼らの日記などから見ることができるイギリス、フ ランスの風景を実際に見てみたい。 『西航手帳』 福沢諭吉はパリ滞在中に手帳を購入し、ヨーロッパ滞在時に各国の文化や技術、制度、風 景等、様々な見聞を詳細に書き留めた。記された内容は、当時の外交の様子や、幕末維新 期の日本における西洋文化の影響について知る上で重要な資料となり、後に出版された『西 洋事情』の柱ともなっている。 『西洋事情』 福沢諭吉が『西航手帳』を基に1866 年に刊行したもの。その内容は政治、税制度、国債、 紙幣、会社、外交、軍事、科学技術、学校、新聞、文庫、病院、博物館、蒸気機関、電信 機、ガス燈などに及び、西洋の近代的な制度や技術を数多く紹介している。 また文久遣欧使節団がヨーロッパに滞在したことで多くのヨーロッパ人が初めて日本人 を目にしている。当時の新聞記事などから、ヨーロッパ人が日本人を見てどう思ったのか ということを考えたい。 文久遣欧使節団は外交的には大した成果は上げられなかったが、文化的には確実に何か を届け、そしてイギリスから制度や文化、技術といった多くのものを持ち帰ったのである。 今回の旅行では文久使節団が訪れたところに実際に足を運び、日本がイギリスに影響を受 けたもの、逆に影響を与えたものを考える機会にする。 ロンドン万国博覧会 文久遣欧使節団は1862 年にロンドン万国博覧会に訪れた。このロンドン万国博覧会では日 本から正式に出品された品物はなく、駐日英国公使のラザフォード・オールコックが自身 で収集した日本の品物が展示された。

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 期待される成果

当時多くのヨーロッパ人は日本の文化は世界的水準から大きく遅れた段階にありそれ故 に「古き良き日本」が残されていると評したが、文久遣欧使節団がイギリス、フランスに 行って感じたものを、私も実際に行ってみることで文献やインターネットを通して見ただ けでは感じ取れない「進んだヨーロッパ」を直に感じとることができる。 また事前に文久遣欧使節団がヨーロッパ滞在中に書いた日記などの史料を読み、そこか ら彼らが特に感銘を受け影響を受けたと思われるものを読み取り、その場所に足を運び、 そこから当時の日本の様子も窺うこともできるだろう。 またヨーロッパ人の視点から書かれた文久遣欧使節団についての当時の新聞記事といっ た日本では見ることのできない関連史料を直に見て、ヨーロッパ人が受けた日本の印象を 知ることができる。

 日程

第 1 日目:福岡空港を出発し韓国の仁川空港で乗り継ぎをしたあと約 10 時間のフライ トを経てパリのシャルルドゴール空港に到着。この日はホテルへ直行。 第 2 日目:マドレーヌ寺院、ルーブル美術館、オルセー美術館 第 3 日目:パリ国立博物館、エッフェル塔、凱旋門 第 4 日目:パリからロンドンにユーロスターで移動。 自然史博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館 第 5 日目:バッキンガム宮殿、ビックバン、国会議事堂、ウエストミンスター寺院 第 6 日目:ロンドン塔、クラリッジ・ホテル 第 7 日目:大英博物館、セント・ポール大聖堂 第 8 日目:大英図書館 第 9 日目:グリニッジ天文台、ワッピング駅、帝国戦争博物館 第10 日目:ロンドンのヒースロー空港から仁川空港を経由して福岡に帰着。

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 現地報告

パリ

マドレーヌ寺院 聖女マグダラのマリアを守護聖人とする カトリック教会で、ギリシャのパルテノン 神殿を思わせるネオクラシック様式の教 会である。 間近で見ると普通の教会に比べ巨大で壮 麗な建物の印象を受けた。 禁教を行っていた江戸時代が終わり、開国 をした日本にも取り入れるべきキリスト 教の文化としてマドレーヌ寺院を文久遣 欧使節団一行は見学したと考えられる。 ルーブル美術館、オルセー美術館 セーヌ川を挟んである二つの博物館。一行はルーブル博物館を博物館としてだけではなく 建築物としても注目し見学したと考えられる。また当時日本には博物館というものができ る前だったため、一行はルーブル美術館で見たものを日本に持ち帰り、明治以降の博物館 に影響を与えている。 オルセー美術館は 1900 年のパリ万国博覧会に合わせて建設されたオルセー駅を改装して 1986 年に開館した美術館のため文久遣欧使節団が訪れたときはなかった。 ルーブル美術館もオルセー美術館も建物が日本の博物館とは比べ物にならないほどの規模 で驚いた。

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エッフェル塔、凱旋門 文久遣欧使節団が訪れたという記録はなかったがパリの街並みを一望することのできるス ポットなので行った。 どちらも上まで昇るとエッフェル塔からは凱旋門が見え、凱旋門からはエッフェル塔が見 える。当時とは風景もかなり変わっていると思われるがパリの古い街並みも見ることがで きた。

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ロンドン

自然史博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館 現在、自然史博物館とヴィクトリア&アルバート 博物館が建てられている敷地で、1862 年にロン ドン万国博覧会が開催されていた。文久遣欧使節 団はこのロンドン万国博覧会にあわせてロンド ンに入国しており、この地を訪れた。自然史博物 館とヴィクトリア&アルバート博物館の間の道 路は、Exhibition Road と名付けられおり、これ は万国博覧会の名残であると考えられる。 万国博覧会の日本の展示品はオールコックが一 品一品横浜の商人に指示を出して選定したらし いが、文久遣欧使節団の一人は「惜しむらくは彼の地に渡る所、皆下等の品多くして、各 国の下に出たるは残念なりと云うべし」と日記に書き記している。展示品は、女性の古着 や粗製の日本刀、草履や行灯など、日本人の目からするとガラクタの類ばかりで、使節一 行は非常に恥ずかしい思いをしたようである。 当時の展示品の所在は不明だが、現在ヴィクトリア&アルバート博物館には日本を紹介す るコーナーもあり、着物、鎧、茶器などが展示されていた。

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バッキンガム宮殿 文久遣欧使節団の一員の日記には、セン ト・ジェームス公園内のバッキンガム宮殿 を訪れて、池に浮かぶ鳥や小船を眺めての んびりと過ごしたという記述がある。 私がバッキンガム宮殿を訪れたときは宮 殿に入ることはできなかったが観光客で あふれていた。 ビックバン、国会議事堂 ロンドンに到着早々、文久遣欧使節団一行は国会議事堂を訪れた。この国会議事堂が改修 され現在の姿になったのは、1840 年から 1850 年頃にかけてといわれており、イギリスと しては最も日本の使節一行に見せたかったものの一つだと考えられる。しかし当時の日本 人には議会の持つ意味が理解できなかったのか、特に感想を書いたものはいなかった。 現在は近くにロンドンを一望できる観覧車「ロンドン・アイ」などもできており観光スポ ットとなっている。

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ウエストミンスター寺院 ビックバン、国会議事堂の近くにあるイギ リス中世の大規模なゴシック建築の教会で ある。多くの王室行事が行われている。 パリで教会を見学したのと同じように日本 にキリスト教文化として取り入れるために 視察をしている。 ロンドン塔 一行はロンドンブリッジ駅の周辺にある ロンドン塔やタワーブリッジ、造幣局など と視察し産業改革を経験したイギリスの 鉄道網やその他の技術を視察している。 クラリッジ・ホテル 文久遣欧使節団一行が宿泊したと言われる 老舗のホテル。現在も営業は続いているが 高級ホテルであるため宿泊することも中に 入ることも許されなかったが、外観だけで も気品のあふれるホテルだった。

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大英博物館 文久遣欧使節団は大英博物館も見学した。彼らの日記から、ミイラが印象に残っている記 述が多く見られた。また日本の展示コーナーで伊勢物語や新井白石、青木昆陽らの著作や 江戸、大阪の地図、それに日本の小判などを目にしている。 現在もミイラ、また日本の展示コーナーを見ることができる。 セント・ポール大聖堂 セント・ポール大聖堂は堂々たるドームと二つの塔からなる英国国教会の聖堂である。文 久遣欧使節団の一員の福沢諭吉はセント・ポール大聖堂を見て「英国最大の寺院なり。院 の高さ四百四フート、東西五百フート、南北二百五十フート。堂の頂に登れば、龍動府中 一目下臨すべし。堂の下は、地を掘り窟を設け、窟中に古来国王及名称の墓あり。カピタ ンネルソンの墓も此中に建てり」と感想書いている。

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大英図書館 大英図書館では日本では見る機会のない 文久遣欧使節団ことが書かれている新聞 記事や文献を探した。 文久遣欧使節団が一番注目を浴びたのは 1862 年のロンドン万国博覧会に訪れた ときである。左下の絵はロンドン万国博 覧会に訪れた文久遣欧使節団のことを記 事にした「The Illustrated London News」 という新聞の挿絵である。 このとき、イギリス人は日本人のちょんま げ頭や腰に差している刀などに注目して おり、文化の違いに驚いているようだった。 グリニッジ天文台 世界共通の経度の基準である本初子午線のある グリニッジ天文台。ここにも文久遣欧使節団は視察を行った。写真にも見えるように1833 年に設置された赤い丸の報時球は現在も稼働している。

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ワッピング駅 地下鉄のワッピング駅の壁には文久遣欧使節団がイギリスに訪れた時代の地下鉄の様子が 書かれている。 帝国戦争博物館 ここは当時博物館ではなく「Bethlem Hospital」という精神病院として使われており、医 療の現場として文久遣欧使節団はここを見学した。現在は帝国戦争博物館として使われて おり、私が訪れたときは展示替えをしており中に入ることが出来なかったが、外観を見る だけでもやはり病院らしいところが多く見受けられた。

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 まとめ

今回、文久遣欧使節団がイギリス、フランスに行って場所に訪れ彼らが見たものを、実 際に自分の目で直に見たことにより、文献やインターネットを通して見ただけでは感じ取 れない実際の建物の迫力や細部までじっくり鑑賞することができた。より文久遣欧使節団 が見たものに近づけたと思う。 当時の日本は開国をしたと言え、まだ文明開化をする前で、日本とヨーロッパの文化に は大きな差があった。文久遣欧使節団として派遣された福沢諭吉は日本に帰った後、「脱亜 入欧」を唱えた。日本はアジアから抜けてヨーロッパのようになるべきだということであ る。福沢だけではなく他のものの日記からもヨーロッパに影響を受けたと思われる記述も 多く、文久遣欧使節団が渡ったことは明治期の日本に多大な影響を与えていたということ も分かる。インターネットの普及している時代を生きる現代の私が見ても建物のスケール の違いに驚かされることが多かった。 またヨーロッパ人の視点から書かれた文久遣欧使節団についての当時の新聞記事といっ た日本では絶対に見ることのできない関連史料を図書館等で見られたのはいい経験となっ た。ヨーロッパ人が受けた日本の印象を知ることができたと思う。 また私個人としてこの研究旅行を通して卒業論文のテーマを明確にすることができた。 このような機会を与えてくださった国際文化学部の先生方、背中を押してくださったゼミ 担当の宮崎先生には大変感謝しています。本当にありがとうございました。

参照

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