『臨済録』死活循然の解釈をめぐって
梁 特 治(道海)
1. 問題の所在 これまで言葉の典拠が見出せず解釈が難解とされてきた『臨 済録』示衆 「四賓主」 の 「死活循然」 の語をめぐって,道忠 『臨済録疏瀹』(以 下『疏瀹』)をはじめとする江戸期の古注本を手掛かりとして,その語義解釈につ いて考察する. 2. 『臨済録』「示衆」 の死活循然 『臨済録』中,現存最古の形態1)とされる 『天聖広灯録』(1036)巻11の臨済章示衆に収める 「四賓主」 冒頭の一段を示すと, 道流,如禅宗見解,死活循然.参学之人,大須子細.如主客相見,便有言論往来,或応現 形,或全体作用,或把機権喜怒,或現半身,或乗獅子,或乗象王.……(Z135. 698a) 所謂 「臨済四賓主」 と呼ばれる善巧方便について示す一段であるが,就中, 「死活循然」 の語については入矢訳注本にも 「難解.……異様な句」 と注記され, 現代語訳に於いても解釈に慎重な姿勢を取られる(入矢1989,107).一方,朝比奈 訳注本には 「死中に活あり.活中に死あり.大死してはじめて大活を得」 と示さ れるが(朝比奈1935,70),氏の解釈は『碧巌録』第41則の円悟の評唱に云う, 挙,趙州問投子,大死底人却活時如何.……須是大死一番,却活始得.浙中永光和尚道, 言鋒若差郷関万里,直須懸崖撒手,自肯承當,絶後再 .欺君不得.(T48. 178c) に順拠したものと見られる.ここで円悟が 「大死一番し,却た活して始めて得べ し」 と諭すように,徹底して死に切った境地(「大死一番」)から始めて死活の 「活」 に転じ仏智を得るという意である.又,同第9則の円悟の垂示にも,「殺活 臨時.……死中得活,活中得死」(T48. 149a)とあり,こうした『碧巌録』の垂示 ・ 著語 ・ 評唱に見られる 「大死底」 「大死一番」 「活句」 「死句」 「死中得活……」 「殺 活」 などの語は,江戸期の『臨済録鈔』(以下『鈔』)をはじめ多くの抄物の中で 「死活循然」 の注として援用され,宗門の伝統的解釈として定着していった.3. 江戸期の代表的な『臨済録』抄物に示された死活循然の解釈 ①【『鈔』[6]4巻(1630刊)】『臨済録抄書集成』上下(中分出版社,1980)p. 277. 循然者,得大自在義也.或作家一句者,死句活句,可相兼備也.雪江首書,循松倫切. 循循次序皃,又善也.依也.順也.言死中有活,活中有死底,循然得大自在也. ②【『カナ鈔』『萬安鈔』[10]3巻(1632刊)】『臨済録抄書集成』p. 388. 死活循然トハ死-活不-二ノ心也.抄云,得二大-自在ヲ一之義也.艮抄云,作家ノ一-句ハ, 死-句活-句可二相兼備一也.雪江首書ニ循ハ松倫切,循循次-序ノ皃.又善也,依也,順 也.言ハ死中ニ有⩗活,活中有⩗死底,循然ト乄得二大-自在ヲ一也. ③【『直記』[3]3巻 ・ 玉舟宗璠(大徹明応[1600–1668])】『臨済録抄書集成』p. 52. 禅宗真正ノ見解ヲ得ル底ノ人ハ,先ミヅ(ズ)カラ大死一番乄,死中ニ活ヲ得テ是ニ ヨッテ大自在ノ三昧ヲ得テ,人ヲ活サンモ殺サンモ心ノ侭ナリ.活スカト思ヘバ殺シ, 殺スカト思ヘバ活スホドニ死活循然ト云フナリ.循然ハ因循ゾ. ④【『夾山鈔』[10]3巻(1654刊)】『臨済録抄書集成』p. 536. 循然者トハ循整ノ義也.死活ノ字,死者トハ大死底ノ死,活者トハ大活現成ノ活也.以二常例死 活ノ字ヲ一莫⩗レ見ル .言ロハ一-問一-答,死中ニ有リ⩗活.活中ニ有リ⩗死.死活循整ニ乄而不⩗ 拘ハラ死活ニ,不一不異ニ乄實ニ符カナフ ⩗本分ニ也. ⑤【『拈古』[6]4巻(1680刊)晫同守佶】『臨済録抄書集成』p. 945. 死活循然ハ正ニ是レ禅宗ノ見解ナリ.試ニ道ヘ,作-麼生カ是レ死活循然衆無語良久乄 云,朝ニ-生シ暮ニ-死ス.莫⩗作ス ⩗ 蛄ト,勿レ莫⩗作 ⩗蜉蝣ト. ⑥【『撮要鈔』[5]3巻(1691刊)鉄崖道空(1626–1702)】『臨済録抄書集成』p. 1045. 死活循然トハ者,死中ニ有⩗活.活中ニ有⩗死.死活得ルノ 二大自在ヲ一,即チ大死底ノ人, 還活スルノ之義リ也. ⑦【『摘葉鈔』[4]6巻(1698刊)耕雲子】『臨済録抄書集成』p. 1188 (後掲). ⑧【『疏瀹』[5]4巻(1726浄書)無著道忠】『臨済録抄書集成』p. 1332 (後掲). ⑨【『贅辯』(1925刊)岡田自適居士(遺著)】『臨済録抄書集成』p. 1431. 先づ自ら大死一番して死中に活を得て大自在の三昧を得て活殺心の儘なり,活かすかと 思へば殺し,殺すかと思へば活かす故に,死活循然と云也,……. 以上の古注本の解釈上の特徴を概観すると,①『鈔』は 「循然」 を 「大自在を 得る義」,循循を 「次序の皃 」 と理解し,「死句活句」 「死中有活,活中有死底」 は,先の『碧巌録』第9・41則に順拠している.②『カナ鈔』は 「死活循然とは 死活不二の心なり」 と示し,続いては『鈔』の解釈をほぼそのまま引用する. ③『直記』は 「先ミズカラ大死一番シテ,……大自在ノ三昧ヲ得テ」 などは 「悟」 を重視する所謂「宋代的な理解」であり,死活の 「死」 に於いては殺活自 在の 「殺」 に対応させているが,これも『碧巌録』41則評唱の 「古人道,殺尽死 人,方見活人,活尽死人,方見死人」(T48. 178c)に対応する.「循然」 は「自然
にあるがままに遵う」という意味の 「因循」 とする. ④『夾山鈔』も 「大死底の死」 などは『碧巌録』41則の円悟の評唱に順拠した と見られ,「循然」 については,秩序ある調和のとれた状態を意味する 「循整」 の義とする.⑤『拈古』の注解は語義解説というよりは寧ろ老師の拈提であり, ⑥『撮要鈔』は『鈔』『夾山鈔』からの影響を承けている.⑨『贅辯』は『直記』 の解釈を略ぼそのまま踏襲したものである. 注目すべきは耕雲子の⑦『摘葉鈔』と道忠の⑧『疏瀹』である.両書はともに 以前の古注本の解釈を基に更に踏み込んだ語義説明を加えている. 明ス二賓主商量之次序ヲ一也.「死活」 者以二尋常ノ死活ノ義ヲ一不可⩗解ス.死ハ大死底ノ 死ノ意,活ハ大活機ノ之活ノ意.「循然」 者論語五葉子罕ノ ニ曰,夫子循循然ト乄善ク 綉ママム⩗人ヲ 注循循ハ有ル二次序一貌.(『摘葉鈔』) 忠曰,言ハ或ハ死シ或ハ活シ有二語-脉ノ次-第一也.循然ハ次-序也.問-答ニ有二起-倒一也. 「循然」忠曰 史記四十七廿二丈孔子ノ世家曰,夫-子循-循-然メ善誘⩗人. ニ何晏カ曰,循循 ハ次-序ノ貌也.(『疏瀹』) 両書は内容的に対応しており,道忠が『摘葉鈔』から影響を承けたことは明白 である.先ず『摘葉鈔』は 「死活循然」 について,「賓主商量の次序を明かすな り」 と定義づけた上で,「循然」 の典拠を『論語』子罕 の一節に記す 「循循然」 とし,その意を 「次序ある貌 」 と解す. 道忠は『摘葉鈔』の解釈を踏まえ更に踏み込んだ検討を加える.只だ『摘葉 鈔』の傍線 「死活ハ尋常ノ死活ノ義0 0 0 0 0 0 0 ヲ以テ解スベカラズ.死ハ大死底……活ハ大 活機……」 という,所謂『碧巌録』41則の円悟の評唱に見られる 「悟」 を重視す る公案禅的理解には順じておらず,寧ろ意図的に排除した感が否めない. ここから道忠が『摘葉鈔』をはじめ 「古鈔」 の見解を基本としながらも、彼自 身の深い造詣を以て臨済(?–866)の原義に迫ろうとした姿勢が窺える. 以上の抄物に見られた 「死活循然」 の語の理解や解釈は,江戸初期の所謂 「古 鈔」 の見解を踏まえ近現代以降も様々に解釈されたのであるが2),古注本の中に は思想史的観点から宋代の公案禅的見解が強く反映されている. 4. 無著道忠(1653–1744)の死活循然の解釈 道忠は死活循然について 「或いは死し,或いは活し,語脉が次々と展開し,問 答に起倒がある」 として循然の意味を 「次第」 とする.(『疏瀹』巻4・21丁左) では,道忠の死活の理解についてはどうか.それには先ず臨済の死活の原義を
探索する必要がある.以下,示衆冒頭の臨済 「真正見解」 の説示である. 今時学仏法者,且要求真正見解.若得真正見解,生死不染,去住自由.不要求殊勝,殊勝 自至.……你若自信不及,即便忙忙地徇一切境転,被他万境迴換,不得自由.……你欲得 識祖仏麼. 你面前聴法底是.学人信不及,……終不得他活祖意」(Z135. 690b) 臨済は 「示衆」 全体を貫く 「真正見解」 の説示に於いて,「若し真正の見解を 得れば,生死流転の迷いの境界にも染着されず行くも留まるも自由自在であり, あえて解脱を求めなくとも自ずと解脱に到るのだ」 と示し,「今,私の説法を聴 くその人自身が仏であることを確信してこそ全ての妄境に翻弄されず自由を得, 活きた祖師の意を得られるのだ」 と諭す.すなわち,臨済の 「真正見解」 は,如 何なる境界にも惑わされない自己の主体性確立を根本義とするのであり,「禅宗 見解」 の 「死活循然」 は,それを端的に示す語として説かれたと見られる. そして死活の義は,その人自身が日々の境界に於いて自在に対処する際の応変 (順応)する働きの対句であり,その巧方便として四賓主が説かれるのである. 先の道忠の 「或いは死し,或いは活し,語脉の次第あるなり.……」 の意も 「死の時は死に沿い,活の時は活に添い」 と,その人自身が死活に於いて次々応 変(順応)する様相(「語脉ノ次第」)を表したものであって,臨済の 「死活」 の原 義に相反するものではないと見られる. 次に道忠の循然の解釈はどうか.先に道忠は『摘葉鈔』に順拠して循然の解釈 を 「次第」 とし,続く循然の注記には 「次序ノ貌也」 とする. 「循然」 忠曰史記四十七孔子ノ世家曰,夫-子循-循-然メ善誘⩗人. ニ何晏カ曰,循循ハ 次-序ノ貌也.学有二次序一也.(『疏瀹』巻4・21丁左) ここで道忠は,『史記』巻47 「孔子世家」 に収める『論語』の子罕 「夫子は 循循然として善く人を誘う」 の 「循循然」 を 「循然」 の典拠とし,何晏(193頃–249) の注を引いて 「循然」 の意を 「次序ある貌」 と解す. 何晏の古注本には 「循循」 を 「次-序ノ貌」 とし3),朱熹の新注本も 「有次序 貌」 と解す4).いずれも次々と順序よく,整然とした様相を表した語である. 道忠は続いて『蘇東坡全集』「荀 論」 の荀子が 「孔子世家」 を評して,「循循 として規矩有らざることなし5)」 と説いた蘇軾の 「循循」 の用例を引用する. ○忠曰 東坡全集四文ニ荀 カ論ニ曰,嘗読二孔子ノ世家一,観二其言語文章一,循-循莫⩗不⩗
有二規矩一.(『疏瀹』巻4・22丁右) ここでいう 「規矩」 は 「規則 ・ 法則 ・ 完全なる道具」 という意を含み,「循循」 は,それらを形容する語として 「次々と順序よく ・ 整然と」 という意を持つ. 以上の考察から,「死活循然」 の 「循然」 は,臨済が『史記』「孔子世家」 に収 める『論語』,「夫子は循循然として善く人を誘う」 の 「循循然」 を 「循然」 に略 し,その 「次々と順序よく」 という意を,「次々と自在に」 応変するという禅的な 言葉として用いたのであり,或る意味で臨済の独創的な言葉といえるのである. 5. 結論 江戸期の古注本に見られる 「死活循然」 の語の理解や解釈は,思想史 的観点から主に宋代の『碧巌録』第41則の円悟の評唱に順拠しており,それは 『直記』『贅辯』の 「大死一番乄,……是ニヨッテ大自在ノ三昧ヲ得テ,人ヲ活サ ンモ殺サンモ心ノ侭ナリ」 という,宋代的な理解にも反映されている.就中,道 忠の『疏瀹』は 「古鈔」 の見解を基本としながらも彼自身の深い造詣を以て,更 に踏み込んだ検討を加えている. 禅宗の見処 「死活循然」 の原義は,「示衆」 冒頭第一段の 「生死不染,去住自 由……」 の如く,自己の主体性確立を根本義とした 「その人自身が,日々遭遇す る境界に於いて次々と自在に応変する働き」 を形容した語であり,循然たる死活 の巧みな方便の具体相として 「四賓主」 の一段が示されるのである. 1)衣川2012参照. 2)梁2017, 854–866.拙稿はその内容の一部を補訂したもので ある. 3)金2012, 442. 4)土田2014, 42. 5)鄧1997, 20. 〈参考文献〉 衣川賢次 2012「臨済録テクストの系譜」『東洋文化研究所紀要』162: 312(31)–283(60). 入矢義高訳注 1989『臨済録』岩波文庫,岩波書店. 朝比奈宗源訳 1935『臨済録』 岩波文庫,岩波書店. 梁特治 2017「朝鮮半島に於ける『臨済録』の刊行と展開」 『 臨済録 研究の現在』禅文化研究所,854–866. 金程宇編 2012『正平版論語集解』 和刻本中国古逸書叢刊8 南京: 鳳凰出版社. 土田健次郎訳注 2014 『論語集注3』 東洋文庫854,平凡社. 鄧立勲編校 1997 『蘇東坡全集』下,合肥: 黄山書社. 〈キーワード〉『臨済録』,死活循然,無著道忠,『臨済録疏瀹』 (花園大学国際禅学研究所客員研究員)