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このように 本 後 援 会 が 実 施 する 子 どもたちの 文 通 活 動 は 実 にたくさんの 人 々のご 支 援 のおかげで 実 施 できています 翻 訳 は 学 生 さんたちのボランティア 活 動 に 支 えられ ており 5 月 のメーデーや 夏 休 み 国 慶 節 の 休 み 冬 休 み

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Academic year: 2021

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会報「白玉」の名前の由来:旅順の街のほぼ中央にある標高 124 メートルの山で山頂には 66.8 メートルの白玉山塔が経っています。旅順を象徴する山です。

訃報 大倉孝三 元副理事長逝く

詳細は 4 ページをご覧ください

特定非営利活動法人 日中児童の友好交流後援会 2013 年 9 月 15 日 通巻 32 号

2013 年度通常総会 開催さる

会員の皆様のご支援のおかげで、今年度も通常総会 を 5 月 18 日(土)に開催することができました。 会員総数 148 名のうち、出席者数(委任を含む) 91 名での開催となりました。開催に先立ち事前に送 付させていただきました議案のとおり、昨年度の事業 実施状況報告と、今年度予定している事業を十分にご 審議いただきましたところ、提案させていただいた議 案はすべてご賛同を得ました。また、新理事となった 中村芳子氏の銀座の事務所への移転も決定しました。 昨年度実施した事業のうち、外務省主催の日中国交 正常化40周年記念事業として、本後援会の訪中団「創 立20周年記念大会」と、第17次訪日団、および、 年間を通した「子どもペンフレンド活動」が認定され、 すべての事業を成功円満裡に終了することができまし た。本後援会創立 20 周年という節目の年の特筆すべ き記念事業とすることができました。また記念事業に は駐日中国大使館呂克倹公使と張暁燕夫人のご臨席を 賜りましたことも、本後援会にとりまして、誠に喜ば しく、有難いことでありました。 今後、日本と中国 の子どもたちの笑 顔を活力として、 ますます事業の充 実を図っていく必 要があることが再 確認された通常総 会でした。◆ (詳しい内容は議 案をご参照くださ い。)

2013 年度第 1 回文通はじまる

今年度も第 1 回目の中国からの手紙が 531 通届き ました。文通交流校は、中国側は、旅順口区九三小学、 普蘭店市皮口鎮駅前小学校、大連市大連実験小学、大 連中山区実験学校、旅順口区五五中学。日本側は、目 黒区立鷹番小学校、港区立御田小学校、港区立三光小 学校、江戸川区立上一色南小学校、啓明学園中学校・ 高等学校、渋谷教育学園中学高等学校です。 例年、まず 4 月から準備が始まります。中国の文通 交流校では、各学校の担当の先生方の授業時間を割い て子どもたちが手紙を書きます。その後、本後援会の 大連に住む肖輝理事(大連外国語大学准教授)がすべ ての手紙をまとめ、大連外国語学院の大学 3 年生と院 生の 97 名が、中国語から日本語への翻訳をします。 翻訳はワード文書で肖理事がまとめ、圧縮データを作 りメール添付で事務局に送信します。一方、手紙は EMS で大連から送付してくれるので、到着した手紙 と合わせながら、翻訳文章を事務局が一通一通手紙と 合わせながら校正作業をします。校正は、ワード文書 の校正ツールを利用し、改めて文書を作成します。そ して、その校正文書のデータをまとめてメール添付で 肖理事に送信するとともに、CD に落として EMS で も送付します。この日本で校正した翻訳文が、大連外 国語学院の学生さんたちの勉強に役立つわけです。翻 訳は無料ボランティアですが、年末には学生のみなさ んにお礼のプレゼントを贈ります。これらの資金は、 会員のみなさまからお寄せいただく寄付ともに公益財 団法人平和中島財団からの助成金で支えられています。 発行所:特定非営利活動法人 日中児童の友好交流後援会 発行人:江原規由 〒158-0083東京都世田谷区奥沢 4-16-8 電話&FAX:03-3720-5020 郵便振替加入者番号:00170-5-64422 郵便振替加入者名:日中児童の友好交流後援会 E-mail: jpchjido@crest.ocn.ne.jp 編集責任者:江原孔江

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2 目黒区立鷹番小学校正門前 港区立御田小学校体育館 このように、本後援会が実施する子どもたちの文通 活動は、実にたくさんの人々のご支援のおかげで実施 できています。 翻訳は学生さんたちのボランティア活動に支えられ ており、5 月のメーデーや夏休み、国慶節の休み、冬 休み等、大学での定期試験や入試等、忙しい行事の合 間の空いた時間を活用しているため、年に 2 回の交流 しかできません。しかし、手紙の中に表れる日中双方 の子どもたちの笑顔と希望が示すように、この活動が いかに重要であるかいつも改めてその意義深さに感動 させられています。◆

2013 年度訪日団

“祝訪日団事業開始 20 周年”

今年度の九三小学校からの訪日団は、本後援会最大 の訪日団となりました。張青校長先生と張月霞先生が 引率し、10 名の子どもたちが 2013 年 5 月 6 日(月) ~12 日(土)の期間来日しました。日本の海上保安 庁の船に中国の漁船が衝突した事件(2010 年 9 月) から始まった日中間の冷えたムードは、2012 年の日 中国交正常化 40 周年記念事業にも影響し、本年の日 中平和友好条約締結 35 周年は、話題にもならない状 況です。 そんな中、本後援会の今年度の訪日団は、なんと校 長が自ら引率し、過去最大規模(引率者2名、子ども たち10名)で来日してくれました。特に、2013 年 は本後援会が 1993 年から開始した訪日団事業の 20 周年にあたる年でもあり、来日受入した児童数は今年 度の 10 名を加え、101 名となったことは、誠に喜ば しいことです。 本事業 20 周年に来日した子どもたちが、一人でも 多くの日本の子どもたちとの交流してほしいとの願い から、文通交流校の目黒区立鷹番小学校との交流に加 え、港区立御田小学校へもスクールビジットを実施し ました。また、最近の訪日団の子どもたちが最も楽し みにしている訪問先の一つである東京ディズニーラン ドへは、ちょうどディズニーランド自身が 30 周年で もあったため、東京ヒルトンホテルの協力を得、宿泊 しながら初めて夜のディズニーランドも楽しんでもら いました。 みな、楽しい思い出をたくさん作り、元気いっぱ いに帰国しました 2013 年度訪日団報告書を同封させていただきま した。詳細については、ぜひ報告書をご高覧いただき たくお願いします。◆

寄贈図書紹介

1.佐藤益躬氏より寄贈。「自分史―暦程抄:就業編①」、 2013 年 5 月、15 ページ 2.神崎龍志氏より寄贈。2 冊と も夫人(神崎朗子氏)の翻訳書。 「スタンフォードの自分を変える 教室」、大和書房、2012 年 10 月、344 ページ 「最高の自分を引き出す法―スタ ンフォード奇跡の教室 in Japan」、 大和書房、2013 年 6 月、168 ページ

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3 2013 年 9 月 15 日 通巻 32 号

「旅順むかしばなし」募金継続中

絵本「旅順むかしばなし」の出版計画には、会員の 皆様の多大なるご賛同とご支援を賜り、本当に有難う ございます。心より感謝しております。出来上がりま した「ウミネコ島とヘビ島」、「旅順口」、「黄金山」の 3 タイトルの絵本は、いかがでしたでしょうか。 目下、寄贈活動を開始しています。寄贈先として、 日本国内の文通交流校には希望数のアンケート調査を 実施し、各学校に各タイトルを10冊ずつ寄贈し、今 後も出版するたびに寄贈します。中国駐日本国大使館 や国立国会図書館にも献本させていただきました。中 国には、文通交流校をはじめ、旅順口区人民政府、中 国各地にある日本人小学校、北京の日本大使館、上海 や瀋陽の総領事館、大連の日本領事館出張所、JAL、 ANA、日本商工会議所等に寄贈送付する予定です。原 作著作者には希望により20冊を贈呈します。その他、 翻訳協力をしてくれた大学生たちにも贈呈し、日本語 の教材に役立てていただきます。 さて、今年度も絵本作成のための募金を開始してい ます。有難いことに、多数の会員の皆様から、すぐに 寄付納入が相次ぎ、絵本としての寄付金額は 8 月 31 日現在で 203,000 円が寄せられました。早速シリー ズ 4 冊目の「聡明な若者(仮)」の翻訳の校正を済ま せ、イラスト作成の依頼をしました。 絵本制作への募金を、旅順に関係する会社や団体、 組織等にお願いしてみようと思い立ち、大連在住の肖 輝理事に旅順口区人民政府に相談をしてもらったとこ ろ、旅順関係者(旅順名誉市民や進出企業等)のリス トを送ってくださいました。今後、完成した絵本を寄 贈するとともに、依頼文書を作成し募金依頼をしてい く予定です。◆

中国楽器贈呈式開催の予定

昨年実施された「日中児童の友好交流後援会創立 20 周年記念事業」に際し、盛中国・瀬田裕子ご夫妻 による記念コンサートが開催されたことはご記憶に新 しいと思います。その後、ご夫妻から目黒区立鷹番小 学校への中国楽器の贈呈のご提案がありました。贈呈 される楽器は中国琵琶や陶笛等 12 種 44 個の予定で す。開催の予定は以下のとおり です。贈呈式の期日が決定しましたら改めて ご案内をさせていただきます。◆ 中国楽器贈呈式開催(予定) 日時:2013 年 11 月 20 日午前 10 時 40 分~ 場所:目黒区立鷹番小学校体育館 来賓予定:≪来日者≫中国音楽社会研究会秘書長、中 国最大の楽器店社長等 ≪国内関係者≫中国大使館関係者、目黒区関係者等 「人民中国」2013 年 7 月号 の以下の記事に、江原規由理事長 が、今回の訪日団のことを写真付 きで紹介しました。 ■社会・経済 チャイナ・パワーを読み解く PartII (30) 『平和友好条約』調印 35 周年にあたって 教訓に学び 未来に期待を

「旅順むかしばなしシリーズ」

今年度制作(予定)のタイトルは以下のとおり です。

4.

「ネズミを恨むネコ(仮題)

5.

「黄金のヒシャク(仮題)

6.

「聡明なアルバイト(仮題)」

郵便局での募金納付先は以下のとおりです。 振替加入者名:日中児童の友好交流後援会 振替加入者番号:00170-5-64422 *郵便局で赤い振替票をご利用ください。 繰り込み手数料が後援会負担となります。

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訃報 元副理事長 大倉孝三氏 逝く

去る 8 月 28 日、大倉孝三氏ご逝去の訃報が息子さんから後援会事務局に寄せられました。伺ったところに よりますと、大倉氏は平成 25 年 8 月 28 日午後 5 時 40 分、船橋市医療センターで息をひきとられたそうで す。享年 86 歳でした。7 月 3 日に2度目の脳溢血でご入院さ、その後リハビリ中に肺炎を起こされ他界され たとのことです。ご家族だけで荼毘に付すことがご生前からのご本人のご希望だったとのことでご葬儀は行わ れませんでしたが、板倉哲郎名誉理事長が駆けつけ参列されました。後援会からは、ご遺族に弔電を打ち、ご 供花をお届けさせていただきました。 以下に、板倉哲郎名誉理事長の弔辞を掲載します。また、旅順口区人民政府熊薄力書記および張文哲副区長 から、後援会およびご遺族に対し弔辞が寄せられましたので、日本語翻訳とともに掲載します。 大倉元副理事長は、故川畑文憲氏の信頼厚く、川畑元理事長が退陣されてからの後援会運営を引き継がれ、 板倉前理事長の片腕として後援会を支えてこられました。本当に有難うございました。心からお悔やみ申し上 げ、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。◆

大倉孝三兄を悼む

大倉兄は生後まもなくから旧制中学 4 年まで、いわゆる人生形成に強い影響を与えると言われる幼・ 青年時代を、旅順で過ごされました。 旅順第 2 小学校(昭和 11 年より旅順師範付属小学校になる)から旅順中学に進まれ、私とは同じ学 校の同年生でした。大倉兄は小学校時代から、小さくても頑強な体の持ち主で、相撲は強く、旅順プー ルの 10m の高さの飛込み台から飛込みの出来た勇気のある子どもでした。中学時代は私と同じ園芸部 で、花壇作りに汗を流したことなどが思い出されます。中学卒業後入学された軍官学校(満州国の士官 学校)に在学中に終戦を迎え、ソ連に連行され強制労働をさせられて、3 年後に何とか帰国されました。 いわゆる「暁に祈る」のシベリア組みでした。 私と違い、寡黙で落ち着いた、責任感の強い、友人に親切な、また人一倍旅順を愛していた人でした。 本後援会には、その前身である「旅順児童教育後援会」の創立時から入会され、私が理事長を務めてい た時には副理事長も引き受けて頂き、後援会の運営を助けて頂きました。 また旅順を訪ねたいと言う友人が居ると、その人を連れて旅順訪問を実施されました。私が戦後 40 年振りに旅順を再訪出来たのも、大倉兄が企画された旅順・北京を訪ねる旅行のおかげでした。その団 の中に、杖を付いて居るが旅順を再訪したい、と言う同年生のご婦人が居られたことがありました。大 倉兄は旅行中、常に彼女の手荷物を持って付添って居られましたが、北京天安門の階段は杖を付いての 昇り降りは困難のようでした。手荷物を私に預け、彼女に肩を貸し、というより彼女を抱えるようにし て一歩一歩昇り降りされたことが思い出されます。私はその光景が今でも心に焼き付いています。かよ うに大倉兄は、自分のことは後にして、まず友人に親切であるとともに、こと旅順となると、我を忘れ て尽くしてくれた人でした。 君の魂はすでにいまごろは旅順の野山に舞い戻り、二〇三高地南麓の桜花園の、君の努力で建立する ことが出来た「桜花園に寄せて」の記念碑の傍らで、安らかに眠っておられることと思います。 大倉孝三様、本当に有難うございました。 板倉哲郎 このたびのあまりにも悲しい悲報に言葉もありません。 大倉様のことはいつも気にしておりました。最近はお電話にお出にならないので、 秋になったらお会いできるかと、思っていましたのに、寂しすぎます。 ただただ、ご冥福を祈るしかありません。もうお会いすることは、できませんが、 在りし日の大倉様をしのび、手を合わせ、ご冥福を祈ります。 坂本千代子

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唁 电

日中儿童友好交流后援会及大仓孝三先生的家属:

惊闻大仓孝三先生逝世,深表震惊和悲痛。我谨代表中共旅顺口区委并以我

本人的名义,对大仓孝三先生的辞世表示深切哀悼,对大仓孝三先生的家属及

日中儿童友好交流后援会表示亲切慰问。

大仓孝三先生多年来致力于中日两国的友好交流,为旅顺口区和日本国儿童

的民间结好、相互学习做出了卓越贡献,为旅顺口区与日本国开展多方交流与

合作奠定了基础。在大仓先生的支持下,日中儿童友好交流后援会坚持民间儿

童交流促进工作 20 年,在两国儿童的心中散播下和平友好、有爱共生的种子。

如今随着这些孩子的长大成人,大仓先生的精神以及后援会的宗旨通过这些曾

经受益的儿童,得到了很好的传承和发扬。大仓先生的不幸辞世,是后援会和

所有参加过后援会交流的孩子、以及他们的家庭的共同的悲痛。

大仓孝三先生以自己所从事的崇高的事业和良好的品格在旅顺口区赢得了人

民普遍的热爱。大仓孝三先生不幸辞世,也使旅顺口区人民深感悲痛。

逝者已矣!我为失去如此德高望重的一位长者、朋友而深感悲痛。大仓先生

的精神和声名不

朽!

愿逝者安息!

中共大连市旅顺口区委员会 书记 熊博力

二 0 一三年八月三十日 2013 年 9 月 15 日 通巻 32 号 以下は、旅順口区人民政府 熊薄力書記より寄せられた弔辞です。(仮翻訳は後援会事務局) 弔 電(翻訳) 日中児童の友好交流後援会および大倉孝三先生のご家族のみなさま このたびの大倉孝三先生のご逝去の報に接し、震えるほどの驚きと痛いほどの深い哀しみを感じてお ります。私はここに中国共産党旅順口区委員会を代表し、また私自身個人的にも、謹んで大倉孝三先生 のご逝去に対して深い哀悼を表し、大倉孝三先生のご家族のみなさまと日中児童の友好交流後援会に対 し、心よりお悔やみ申し上げます。 大倉孝三先生は、長年、中日両国の友好交流に力を尽くされ、旅順口区と日本国の児童の民間交流を 促進し、相互の学習活動に多大なる貢献をされました。そのご尽力のおかげで、旅順口区と日本国の関 係は、多くの交流を展開することができ、協力関係構築の基礎を打ち立てることができました。大倉先 生のご支援のもとで、日中児童の友好交流後援会は、民間での児童の交流が、昨年ですでに 20 年とな りました。このように長い間交流を継続することができたおかげで、両国の児童の心の中には、「平和と 友好」と「共生を愛する」という種が蒔かれました。これらの子どもたちが成長し成人するに従い、大 倉先生の精神と後援会の目的がつぎつぎと達成されていき、とても良い成果と発展の様子を見ることが できています。大倉先生が亡くなられたことに対し、後援会とすべての後援会の交流に参加したことが ある子どもたちとその家族の悲しみは同じものです。 大倉孝三先生が従事した崇高な事業とご立派なご人格は、旅順口区の人民が心からご尊敬申し上げ、 愛するものであります。大倉孝三先生のこのたびのご逝去の報に接し、旅順口区の人民は深い悲嘆にく れています。 先生はすでにこの世にはおられません。しかし、私はこのようにご人徳が高い、第 1 級の人生の先輩 であり朋友でもあった方を失い、深く深く悲しんでいます。大倉先生の精神と名誉は永遠に不滅です。 どうか、大倉先生の御霊が安らかにお休みくださるよう、祈念申し上げます。 中国共産党大連市旅顺口区委員会 書記 熊博力 2013 年 8 月 30日

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唁 电

日中儿童友好交流后援会及大仓孝三先生的家属:

惊闻大仓孝三先生逝世,深表震惊和悲痛,我谨代表旅顺口区人民政府并以我本

人的名义,对大仓孝三先生的辞世表示深切哀悼,对大仓孝三先生的家属表示亲切慰

问。

大仓孝三先生多年来致力于中日两国的友好交流,为旅顺口区热爱日语的青少年

搭建起一条通向日本,走向国际的学习桥梁,深得旅顺人民的尊重。在大仓孝三的支

持下,日中儿童友好交流后援会多年来坚持民间儿童交流促进工作,为旅顺口区和日

本国儿童的民间结好、相互学习做出了卓越贡献,为两地人民之间增进了解加强合作

奠定了坚实基础。大仓孝三先生以自己从事的崇高的事业和良好的德望在旅顺口区赢

得了人民的热爱。大仓孝三的不幸辞世,是后援会和所有参加过后援会交流的孩子、

以及他们的家庭共同的悲痛,是旅顺口区人民的悲痛。

逝者已矣!大仓孝三先生的精神和声名不朽!

愿逝者安息!

大连市旅顺口区人民政府 常务副区长 张文哲

二 0 一三年八月三十日 弔 電(翻訳) 日中児童の友好交流後援会、大倉孝三先生ご家族の皆様 大倉孝三先生のご逝去の報に接し大変驚き悲しんでおります。謹んで旅順口区人民政府を代表し、また私 自身個人的にも、大倉孝三先生のご逝去に対し謹んでお悔やみ申し上げますとともに、深く哀悼の意を表す るものでございます。 大倉孝三先生は長年の間、中日両国の友好交流にご尽力され、旅順口区の日本語学習を心から愛する青 少年に対し、日本に通じる一筋の道を打ち立てた方です。それは、子どもたちにとっては国際的に学ぶため の架け橋ともなり、旅順の人民は深く尊重申し上げております。大倉孝三先生のご尽力のもとで、日中児童 の友好交流後援会は長年の間、民間の児童交流を継続・促進し、旅順口区と日本国の双方の児童の民間での 交流を促進し、また相互に学習する機会を提供することにより、すばらしい貢献をされました。両国の人民 のために、相互理解を深め、協力を強化し、堅固な基礎を打ち立てられました。大倉孝三先生がなさった崇 高な事業と深いご人徳は、旅順口区の人民が心から愛するものです。大倉先生のこのたびのご不幸は、後援 会と、後援会の交流に参加したことがある子どもたちとその家族全員の共通の悲しみであり、旅順口区の人 民の悲痛であります。 大倉先生は旅立たれましたが、その精神と名声は永遠に不朽です! どうか安らかにお眠りになられますことをお祈り申し上げます。 大連市旅顺口区人民政府 常務副区長 張文哲 2013 年 8 月 30 日 以下は、旅順口区人民政府 張文哲副区長より寄せられた弔辞です。

編集後記

本号の原稿を準備している最中に入ってきた悲報。ただ驚くばかりでいまだに信じられない思いです。本号にお悔やみを掲載し 後援会の皆様と悲しみを分かち合いたいと思います。後援会は人的にも経済的にも大変困難な状況になってきてしまったが、な んとか「文通活動」だけは継続してもらえないだろうか、と相談に来られたのは 2009 年 9 月のことでした。大倉氏の熱意に 押されお引き受けしたのがほんの昨日のようです。大倉氏の悲願である子どもたちの「文通活動」を今後とも継続していくこと が私ども後輩の大倉氏に対するご供養だと思いますます気が引き締まる思いです。今年の秋はとても寂しい秋になりました。(漣)

参照

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