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密教研究 Vol. 1944 No. 87 001長部 和雄「一行禪師の研究 P1-45」

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一 、 序 言 、 二 、 南木 ・ 元 ・ 明 史 傳 の 一 行 灘 岬師 三 、 唐 代 史 傳 の 一 行 禮 師 四 、 一 行 一傳 観 究 の 偏 見 五 、 一 行 凱岬 師 ﹁の 閲 歴 六 、 一 行 咽陣 師 の 薯 一作 、 七 、 一 行 一、調 岬 師 の 教 愚 学 八 、 豊 肖無 畏 三 藏 及 無 行 輝 師 將 來 ﹃ 大 日 輕 ﹄ 梵 爽 九 、 善 無 畏. 日 行 課 ﹃ 大 貝 輕 ﹄ 十 、 ﹃ 大 日 総 疏 ﹄ と ﹃ 大 日 総 義 繹 ﹄ 十 一 、 一 行 灘 師 の 圓 密 圃 致 思 想 十 二 、 爾 行 暉 師 の 法 統 と 學 統 十 三 、 結 論 一 、 1 序 言 -東 方 文 化 研 究 所 の 春 日 禮 智 師 は ﹃ 東 洋 皮 研 究 ﹄ 第 七 雀 第 一 號 昭 和 十 七 年 誌 上 に ﹃ 支 那 古 今 人 物 略 傳 ﹄ ( 四 ) と し て ﹃ 一 行 傳 の 研 究 ﹄ を 掲 載 し 、 ﹁ 沙 門 二 行 は 唐 の 高 宗 の 弘 道 元 年 よ り 玄 宗 の 開 元 十 五 年 に 至 る 僅 か 四 十 五 年 の 間 生 存 し 乍 ら 、 其 の 密 教 史 上 と 天 文 暦 學 史 上 に 遽 し た る 足 跡 の 偉 大 さ は 唐 僧 中 屈 指 の 大 入 物 で あ り 、 し か も そ の 佛 教 界 に 寄 與 し た 貢 獄 は 一 般 杜 會 に 認 め ら れ す 、 又 そ の 丈 化 史 上 に 遺 し た 足 跡 の 偉 大 さ は 佛 教 界 に 於 て 理 解 せ ら れ な い と 云 ふ 、 い は " 斯 う し た 不 遇 の ︼ 人 で あ る と 思 は れ る 。 ﹂ と 冒 頭 し 、 猫 ほ ﹁ 沙 門 一 行 は 密 教 皮 上 か ら 云 つ て も 、 暦 術 天 文 史 上 か ら 云 つ て も 、 最 も 重 要 な 入 物 で あ る こ と は い ふ 迄 も な い が 、 彼 の 翼 償 は 其 の 爾 方 面 か ら 正 當 に 評 債 さ れ ね ば な ら な い o ﹂ と 結 ん で 居 ら れ る 。 此 の 評 債 は 當 に 一 行 輝 師 に 封 す る 適 切 な る 遣 頚 で あ る と 申 さ ね ば な ら ぬ が 、 、 最 近 森 田 寵 傷 櫓 正 は ﹃ 密 教 占 星 法 ﹄ ( 上 下 二 巻 昭 和 十 六 年 ) 八 百 五 拾 頁 に 垂 ん と す る 大 著 を 以 て 學 界 に 問 は れ る に 至 つ た の で 、 ﹁ 彼 の 天 丈 暦 術 に 關 す る 功 績 は 全 く 佛 教 學 者 の こ の 種 の 科 學 に 封 す る 熟 意 が 歓 け て ゐ る た め 不 欄 に 附 せ ら れ て あ り 。﹂ と 云 は れ た 春 日 師 の 憂 轡 も 幾 分 緩 一 行 灘 師 の 研 究 一

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一 行 暉 師 の 砺 究 二 和 さ れ る に 至 り 、 洵 に 慶 祝 に 堪 へ な い 次 第 で あ る 。 歴 史 上 に 遺 せ し 暉 師 の 足 跡 の 偉 大 さ は 當 に 春 日 師 の 慨 嘆 せ ら る 通 り で あ り 、 更 に 遺 憾 な る は 佛 教 學 界 に 於 て 之 が 十 分 に 理 解 さ れ て 居 ら す 、 取 り 分 け そ の 密 教 學 に 遺 せ し 貢 嶽 は 一 部 の 密 教 學 專 門 家 を 除 き 、 其 の 眞 贋 が 一 般 密 教 家 の 顧 る 所 と な つ て 居 な い の は 抑 々 其 の 主 因 那 邊 に 存 す る で あ ら う 鰍 。 筆 者 は 按 す る に 、 そ の 罪 は 遠 く 宋 ・ 元. 明 時 代 に 撰 述 さ れ し 佛 教 史 籍 の 立 傳 の 仕 方 に 蹄 す 可 く 、 此 の 問 題 は 不 杢 三 藏 の 天 竺 渡 航 年 時 に 關 す る 疑 ひ と 全 く 軌 を 同 じ く す る 所 で あ る 。 (拙 稿 ﹃ 不 空 三 藏 渡 天 年 時 繹 疑 密 教 研 究 第 八 十 三 號 参 照 ﹄) 今 一 つ は 皇 國 に 於 け る 東 密 台 密 爾 派 の 宗 派 的 偏 見 に 災 ひ さ れ た 者 と 解 す る こ と が 出 來 る 。 然 ら ば 宋 ・ 元 ・ 明 時 代 に 於 て 一 行 輝 師 は 如 何 な る 性 格 の 名 僧 と し て 立 傳 せ ら れ て ゐ る か 。 先 づ 此 の 事 實 よ り 關 明 し て 見 よ う 。 二 、 -宋 元 明 史 傳 の 一 行 暉 師 抑 々 一 行 傳 を 牧 録 せ る 者 は 藏 維 史 傳 部 の 諸 典 を 始 め と し て 、 正 史 ・ 類 書 ・ 政 書 ・ 稗 史 ・ 随 筆 に 亙 り 極 め て 廣 汎 に 索 め 得 ら れ る こ と は 春 日 師 が 已 に 指 摘 明 示 せ ら れ た 通 り で あ り 、 其 の 螢 を 多 謝 し な け れ ば な ら ぬ 。

(繰

藏)

れ て ゐ る 。 今 そ の 内 奪 を 槍 べ る に 次 の 通 り で あ る 。 印 ち 最 初 に 型 の 如 く そ の 俗 姓 を 紹 介 し 、 尋 い で 普 寂 輝 師 に 師 事 し 出 家 剃 染 し た。 其 の 會 下 に 於 て 隠 士 盧. 鴻 作 の 難 解 の 導 文 を 容 易 に 讃 破 せ し に 依 り 大 に 讃 嘆 せ ら れ 、 能 く 寂 公 の 教 導 す る 所 に 非 す と な し 游 學 を 縦 さ れ 、 ( 此 の 説 話 已 に 唐 の 段 成 式 撰 ﹃ 酋 陽 雑 組 ﹄ に 見 ゆ 。 ﹃ 一 行 傳 の 研 究 ﹄ 参 7照) 當 陽 に 往 唐 僧 眞 に 値 ひ 律 藏 を 學 び 、 猫 ほ 陰 陽 識 緯 の 書 を も 詳 究 し 、 後 ち 天 台 山 國 清 寺 に 至 り 、 一 院 の 門 屏 に 立 ち 院 中 に 布 算 の 聲 を 嘉 き し に 因 り 、 稽 首 し て 算 法 を 請 ひ 求 め 、 悉 其 の 繹 養 か つ た。 (同上) 之 よ り 其 の 聲 名 轟 に 振 ひ 、 玄 宗 皇 帝 之 を 聞 ぎ 、 詔 し て 寛 し 一 行 の 能 力 を 試 問

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せ ら れ し に 、 彼 は 示 さ れ た る 宮 籍 を 周 鷺 し 、 畢 つ て そ の 本 を 覆 し 記 念 す る に 、 其 の 精 熟 な る こ と 素 よ り 習 ふ 所 の 如 く 、 藪 幅 を 唱 へ し 後 ち 帝 簾 え 蕩 を 下 り 警 し て、﹁ 師 は 實 に 聖 人 な り L 産 嘆 せ ら れ る こ と 良 久 で あ つ を 。 (上伺) 時 に 道 術 の 入 邪 和 瑛 な る 者 漢 の 洛 下 閥 が 暦 を 造 り し 言 、 ﹁ 八 百 歳 當 差 一 日 。 則 有 聖 入 完 之 。 ﹂ 本 巽 を 引 き 、 雪 悟 に 謂 つ て 日 く 、 ﹁ 一 行 蕎 は 眞 の 聖 入 也 。 大 術 暦 出 で て そ の 差 謬 を 正 す 。 聖 入 に 非 ざ れ ば 敦 れ か 能 く 斯 に 預 ら ん 。 ﹂ と ( 胴) 亦 金 剛 三 藏 よ り 陀 羅 尼 秘 印 を 學 び 、 前 き に 佛 壇 に 登 り 法 王 蜜 を 受 け 、 亦 無 畏 三 藏 ど 協 同 し て ﹃ 毘 盧 遮 那 佛 経 ﹄ を 課 し 後 も 佛 國 を 開 き 、 其 の 密 藏 を 傳 へ て 必 す 淵 府 に 抵 る な り と 。 容 宗 玄 宗 爾 皇 帝 並 び 請 じ 入 れ て 内 集 賢 院 に 在 リ ャ 難 い で 詔 し て 興 唐 寺 に 佳 せ し め 、 翻 課 す る 所 の 経 文 は ﹃ 疏 ﹄ 七 巻 ・ ﹃ 撰 調 伏 藏 ﹄ 六 十 雀 4 ﹃ 繹 氏 系 録 ﹄ 一 巻 ・ ﹃ 開 元 大 衛 暦 ﹄ 五 十 二 雀 あ り。 叉 游 儀 黄 石 二 道 を 造 り 、 鐵 を 以 て 規 を 成 し 、 之 等 を 院 に 於 て 製 作 し た 。 次 に 再 び 論 話 を 掲 け 、 繹 師 幼 少 の 折 家 貧 し く 墨 費 の 謄 賑 を 受 け た 隣 里 の 老 嬢 王 媚 の 子 が 殺 人 罪 に て 投 獄 せ ら れ た る を 、 姻 の 請 ひ を 容 れ 呪 法 を 行 ひ 、 大 赦 を 奏 請 し 之 を 助 け 藷 。 (上伺) 亦 開 元 睾 害 葵 し 寵 を 招 薪 雨 せ し こ と 。 (上同) 或 る 時 畜 璽 莫 習 に あ め て 從 溶 と し て 密 か に 就 稜 の 吉 凶 並 び に 詐 蓮 の 終 畢 を 問 は れ し に 、 一 行 は 他 語 を 以 て 之 に 答 へ 、 ﹁ 陛 下 當 有 萬 里 行 。 肚 稜 畢 得 終 吉 。 ﹂ と 。 其 の 後 ち 玄 宗 皇 帝 蜀 に 幸 し 、 倉 黄 の 裡 に 都 べ て 斯 の 事 を 忘 れ 、 成 都 に 至 る に 及 び 萬 里 橋 を 見 て 、 ﹁ 一 行 の 言 は そ れ 紳 な り 。 ﹂ と 嘆 ぜ ら れ た 。 之 に 樹 し ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ の 撰 者 賛 寧 も ﹁ 其 の 異 術 に 通 感 せ る こ と 此 の 若 き 爲 り 。 ﹂ と 云 つ て ゐ る 。 最 後 に 開 元 十 五 年 九 月 華 嚴 寺 に 於 て 疾 篤 く 、 十 月 八 日 を 以 て 香 水 に 浴 し 恰 然 と し て 示 滅 せ し を 記 し 、 更 に 其 の 前 後 の 事 情 を 具 さ に 認 め 、 一 に 云 ふ と し て 、 一 行 繹 師 は 玄 宗に 餅 告 し て 後 ち 駕 前 よ り 東 に 嵩 山 に 來 り 、 本 師 鄙 ち 普 寂 暉 師 に 謁 禮 し 即 ち 寂 す と 。 時 に 河 南尹 斐 寛 な る 者 音 寂 に 謁 せ る 折 に て 、 音 寂 は ﹁ 少 事 あ り 。 罪 と 歎 話 す る 暇 あ ら す ﹂ と て 彼 に 且 ら く 蜘 踊 休 息 せ ん こ と を 請 ひ し に 依 り 裟 寛 労 室 に 退 き 寂 が 何 を 爲 す か と 伺 ふ に 、 正 堂 を 潔 浮 し 香 を 焚 き 、 黙 坐 し て 一 行 一輝 師 の 研 究 三

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一 行 輝 師 の 砺 究 四 待 つ 所 有 る が 如 き 有 様 で あ る。 須 ら く に し て 門 を 叩 き 蓮 聲 に て ﹁ 天 師 一 行 和 術 至。 ﹂ と 云 ふ や 、 ︼ 行 入 室 し て 爾 入 は 恭 し く 禮 を 交 は し 、 普 寂 に 耳 を 附 し 密 語 せ し に 、 普 寂 は 頷 き ﹁ 無 不 可 者 ﹂ と 云 ふ 。 語 り 詑 り て 叉 禮 し て 語 る こ と 亦 三 度 、 一 行 の 語 詑 り て 階 を 下 り 南 室 に 入 り 自 ら そ の 戸 を 閉 め た 。 乃 ち 音 寂 は 侍 者 を 召 し て 速 に 鐘 を 撞 か し め た。 時 に 一 行 暉 師 は 已 に 滅 し て ゐ た と い ふ 。 以 上 が ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ に 於 け る 一 行 傳 の 大 略 で あ る が 、 是 を 以 て 観 れ ば 、 } 行 灘 師 は 密 教 付 法 の 組 た る に 重 黙 を 置 き 立 傳 せ ら れ て ゐ な い の み な ら す 、 亦 天 文 暦 敷 家 と し て の 業 績 は 幾 分 前 項 よ り は 多 く の 紙 面 を 充 て て 居 る が 、 之 亦 立 傳 の 主 旨 と は 解 さ れ す 、 全 罷 を 通 じ て 観 取 出 來 る 基 調 は 敷 々 の 読 話 に 盛 ら れ た る 異 術 の 達 入 と し て の 一 代 の 傑 櫓 一 行 に し て 、 其 の 影 像 は 躍 如 と し て 紙 面 に 盗 れ て ゐ る 。 故 に 一 行 暉 師 が ﹃ 義 解 篇 ﹄ に 墨 げ ら れ て ゐ る 面 目 が 那 邊 に 存 せ る や 異 し ま ざ る を 得 な い 。 之 を 要 す る に 、 貸 寧 が ﹃ 宋 高 櫓 傳 ﹄ を 編 述 せ し 宋 の 太 宗 の 太 不 興 國 七 年 よ り 端 挨 元 年 の 交 は 、 一 行 灘 師 は 神 異 の 櫓 と し て 理 解 さ れ て ゐ た こ と を 知 る 可 き で あ る 。 第 二に ﹃ 繹 門 正 統 ﹄ (﹃ 大 日 本 檀 藏 纏 ﹄ 本) に 於 け る 一 行 傳 を 探 索 す る に 、 最 終 雀 た る 巻 八 の ﹃ 密 教 思 復 載 記 ﹄ 中 に 甫 め て 密 教 宗 湘 の 一 入 と し て 附 記 さ れ て ゐ る 。 其 の 内 容 は 殆 ん ど ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ を 簡 略 に 摘 要 し た に 過 ぎ す 、 密 教 付 法 の 租 と し て の 面 目 は 毫 末 も 顯 は れ て ゐ な い 。 之 は 撰 者 宗 鑑 が 天 台 系 の 櫓 侶 で あ つ た 爲 め 巳 む を 得 な い 所 で あ ら う が 、 同 書 撰 述 の 南 宋 の 理 宗 嘉 煕 の 交 は 已 に 天 台 暉 宗 以 外 の 法 燈 は 断 絶 し て ゐ た に 因 る 所 で あ る 。 第 三 に 元 の 曇 遜 の ﹃ 新 修 科 分 六 學 曾 傳 ﹄ (﹃ 大 目 本 績 〆藏 輕 ﹄ 本) に あ り て は 、 一 行 の 傳 は 巻 五 ﹃ 傳 宗 科 ﹄ に 牧 め ら れ て ゐ る が 、 其 虚 に も 何 等 耳 目 に 新 ら し き 何 者 を も 獲 見 し 得 す 、 ﹃ 宋 高 曾 傳 ﹄ の 薦 套 を 簡 略 に 襲 ひ し の み に て 、 叙 述 全 艦 を 通 じ て の 力 黙 の 在 所 も 極 め て 不 分 明 で あ り 、 終 た し て 密 宗 を 傳 宗 せ し 爲 め の 傳 な り や 否 や 、 ﹃ 傳 宗 科 ﹄ の 意 が 那 邊 に 存 す る や す ら 疑

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は し い 。 笛 に 明 の 永 樂 十 五 年 正 月 初 育 の 御 製 の 序 を 享 る ﹃ 紳 織 ﹄ ﹃ 大 正 藏 輕 ﹄ 本) 雀 七 に 暴 け ら れ て ゐ る 事 實 に 徴 す る も 、 一 行 暉 師 は 依 然 と し て 紳 曾 の 域 を 脱 せ す 醤 罷 の 儘 で あ る 。 亦 其 の 全 文 を 精 讃 す る も 、 ﹃ 宋 高 櫓 傳 ﹄ 以 來 何 等 薪 奇 な る 箇 断 獲 見 出 來 す 、 紳 僧 た る 所 以 が ﹃ 酉 陽 雑 姐 ﹄ の 説 話 以 外 如 何 な る 者 た り や 、 全 く 諒 解 に 苦 し む 所 で あ る が 、 永 樂 帝 の ﹃ 御 製 紳 曾 傳 序 ﹄ を 讃 む と 、 ﹁ 紳 僧 と は 紳 化 萬 攣 に し て 其 の 類 を 超 え る 者 で あ る 。 ﹂ と 云 ふ 。 第 五 に 南 宋 の 度 宗 成 淳 の 交 に 成 る ﹃ 佛 組 統 記 ﹄ 雀 二 十 九 ﹃ 諸 宗 立 教 志 ﹄ の 鍮 伽 密 教 の 項 に 大 慧 一 行 法 師 を 加 へ 大 い に 面 目 を 施 し て ゐ る 。 而 し ﹃ 佛 組 統 記 ﹄ の 撰 者 志 磐 は ﹃ 縄 門 正 統 ﹄ の 撰 者 宗 鑑 と 共 に 天 台 系 の 僧 侶 で あ つ 九 事 實 は 見 逃 す こ と は 出 來 な い 。 此 等 の 外 編 年 罷 佛 教 通 皮 た る 南 宋 孝 宗 時 代 の 組 誘 の 撰 に 或 る ﹃ 隆 興 佛 教 編 年 通 論 ﹄ ﹃ 大 日 本 綾 藏 輕 ﹄ 本 雀 十 五 に も 、 ﹁ 詔 灘 師 一 行 僻 不 赴 ・ ﹁ 玄 宗 詔 灘 師 一 行 至 閾 ﹂ ・ ﹁ 詔 灘 師 一 行 撰 大 衛 暦 ﹂ ・ ﹁ 灘 師 一 行 進 黄 道 儀 ﹂ 。 ﹁ 灘 師 一 行 示 寂 ﹂ の 五 項 を 載 せ る も 、 密 教 宗 組 と し て 特 筆 せ ら れ し 箇 所 は 一 項 も 獲 見 さ れ な い 。 纏 か に 南 宋 度 宗 の 威 淳 六 年 本 畳 の 編 集 に 成 る ﹃ 繹 氏 通 鑑 ﹄ ﹃ 大 日 本 綴 藪 輝 ﹄ 本 雀 九 玄 宗 開 元 十 二 年 の 條 に 、 ﹁ 善 無 畏 駕 に 随 ひ 入 洛 し 、 大 輻 先 寺 に 於 て 毘 盧 遮 那 蘇 息 地 掲 羅 等 経 三 部 十 三 雀 を 課 し 、 輝 師 一 行 が 其 の 事 に 参 與 し 牝 o L と あ り 、 辛 う じ て そ の 片 鱗 を 停 め て ゐ る 。 更 に 之 よ り 涯 れ て 元 の 順 帝 の 至 正 元 年 の 集 成 に 係 る 念 常 の ﹃ 佛 組 歴 代 通 載 ﹄ ﹃ 大 花 藏 . 輕 ﹄ 本 雀 十 三 に 見 え る 如 き 末 書 は 敢 へ て 紮 説 の 要 を 認 め な い で あ ら う 。 以 上 を 綜 観 す れ ば 、 一 行 暉 師 は 宋 ・ 元 ・ 明 時 代 に 於 て は 概 ね 神 異 の 傑 曾 と し て 理 解 惑 れ 、 縄 か に 天 台 の 修 史 に 於 て 密 宗 租 師 の 一 入 と し て 辛 う じ て 認 め ら れ て ゐ た に 過 ぎ な い と 想 像 し て 大 過 な か ら う と 考 へ ら れ る 。 一 行 灘 管師 の 酬鮒 究 五

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一 行 縄 一師 の 研 究 六 醗 つ て 稽 ふ る に 、 佛 教 が 支 那 に 移 入 さ れ て よ の こ の 方 、 漢 ・ 魏 ・ 晋 時 代 に は 支 那 人 は 之 を 神 仙 方 術 家 と し て 受 容 し て 來 た 事 實 は 塚 本 善 隆 師 が ﹃ 支 那 佛 教 史 の 研 究 ﹄ に 於 て 力 読 せ ら れ て ゐ る 通 り で あ る が 、 筆 者 案 す る に 此 の 風 は 概 ね 後 世 と 錐 も 更 ま る こ と な く 、 宋 元 時 代 に 於 て は 其 の 上 の 名 櫓 知 識 は 異 術 神 異 に 秀 で た る 道 入 と し て 崇 敬 さ れ て ゐ た の で あ ら う と 想 は れ る 。 故 に 一 行 灘 師 は 勿 論 の こ と 、 紳 秀 ・ 慧 能・ 音 寂. 義 幅 等 の 輝 門 の 龍 衆 達 が 悉 く ﹃ 醤 唐 書 ﹄ 方 伎 傳 に 引 學 げ ら れ 、 亦 ﹃ 景 徳 傳 燈 録 ﹄ に 牧 む る 彼 の 石 頭 和 尚 の ﹃ 参 同 契 ﹄ て ふ 撰 題 及 び 其 の 習 頭 に ﹁ 竺 土 大 仙 心。 東 西 密 相 付 。 ﹂ と 云 へ る に 想 到 せ ば 、 最 も 大 衆 性 に 乏 し い 灘 門 で す ら 斯 様 で あ つ た の で あ る か ら 、 匹 夫 匹 婦 の 口 上 に 登 る 高 僧 の 群 像 が 恰 も 紳 信 と 仰 が れ し は 何 等 異 し む に 足 り な い 所 で あ る 。 此 の 間 の 事 情 は 皇 國 に 於 け る 行 基 菩 薩 や 弘 法 大 師 が 夫 々 華 嚴 ・ 眞 言 爾 宗 の 高 租 と し て よ り も 、 斎 瑞 を 顯 は せ し 紳 櫓 と し て 入 口 に 膳 荻 せ る に 軌 を 伺 じ く し て ゐ る 。 是 に 於 て 私 は 春 日 師 と 共 に 歴 史 家 と し て の 立 場 よ り 一 行 灘 師 の 眞 儂 を 問 ひ 、 併 せ て 眞 言 宗 租 の 一 入 と し て の 輝 師 の 地 位 を 考 定 致 し た い と 稽 へ る 者 で あ る 。 三 、 し 唐 代 史 傳 の 一 行 灘 師 -弘 法 大 師 の ﹃ 眞 言 付 法 傳 ﹄ 及 傳 教 大 師 の ﹃ 内 識 佛 法 相 承 血 脈 譜 ﹄ の 爾 者 は 姑 ら く 措 く と し て 、 支 那 撰 述 の 最 古 の 一 行 傳 と 云 ふ 可 き ﹃ 醤 唐 書 ﹄ の 同 入 の 傳 に 就 い て 云 ふ な ら ば 、 前 節 に 已 に 披 露 せ し 如 く 雀 百 九 十 一 方 伎 傳 中 に 見 え て ゐ る 。 之 は 申 す 迄 も な く 暦 象 陰 陽 五 行 の 墨 に 精 通 せ る 方 伎 の 達 入 と し て 一 行 暉 師 を 傳 に 學 ぴ た る も の に て 、 縞 流 の 徒 と し て の 傑 物 た る が 爲 め で は な い。 亦 傳 中 に 云 ふ 開 元 五 年 玄 宗 が そ の 族 叔 禮 部 郎 中 治 を し て 救 書 を 齎 ら し め 、 荊 州 當 陽 山 に 就

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き 、 同 地 の 悟 眞 に 依 妙 梵 律 を 轡 得 し つ つ あ つ た } 行 を 強 ひ て 起 た し め 、 京 に 迎 へ て 光 太 殿 に 置 か れ た る も 、 玄 宗 が 暉 師 に 安 國 撫 人 之 道 を 訪 ね る た め で あ つ た と 去 ふ こ と で あ る 。 事 實 一 行 の 言 は 皆 切 直 起 し て 隠 す 所 有 る な し と 誌 さ れ 、 其 の 諌 評 振 り は 想 像 に 鯨 り が あ る。 然 る に 開 元 十 五 年 ︼ 行 暉 師 卒 す る に 及 び 、 玄 宗 は 大 慧 灘 師 の 論 を 賜 ひ 、 親 ら 御 製 の 碑 文 を 草 し 、 内 庫 鏡 五 拾 萬 を 支 出 し て 塔 を 銅 入 原 に 起 し 牝 。 殊 に 翌 年 温 湯 に 幸 せ ら れ る 瑚 り 、 其 の 塔 前 を 過 ぎ 、 騎 を 駐 め て 緋 徊 し 、 晶 官 に 令 し て 、 塔 に 就 き そ の 出. 豫 の 意 を 告 け し め 、 更 に 絹 五 十 匹 を 賜 ひ 、 塔 前 に 松 柏 を 蒔 か し め ら れ た。 玄 宗 が 斯 く 迄 一 行 鐸 師 を 優 遇 せ ら し は 軍 に 輝 師 が 方 伎 の 達 人 で あ つ た 爲 め で あ ら う 鰍 。 亦 一 行 輝 師 に し て も 、 婁 き に 容 宗 よ り 東 都 留 守 章 安 石 に 敷 し 禮 を 以 て 徴 せ ら れ た る も 、 固 辮 し て 疾 を 以 て 鷹 ぜ な か つ た の は 如 何 な る 理 由 に 基 ? で あ ら 姦 。 此 の 間 の 沿 息 は ﹃ 藤 書 ﹄ で は 翁 で な い 潮 ﹃ げ具 言 付 葎 ﹄ (全 集 撰 本大 師) に 牧 め ら れ た る 灘 題 化 の 日 の 玄 宗 御 製 親 書 の 碑 銘 に 明 白 で あ る 。 帥. ち 、 輝 師 幼 而 希 言 。 言 必 有 中 。 長 無 暇 日 。 日 請 萬 文 。 深 道 極 陰 陽 之 奥 。 薦 蹴 鑑 春 秋 之 美 。 射 策 甲 科 。 醗 飛 高 踏 。 依 嵩 嶽 僧 寂 。 深 究 灘 門 。 、 就 常 陽 僧 眞 纂 。 成 律 藏 。 予 聞 玄 徳 。 遽 請 來 儀 。 展 宿 縁 之 冥 愛 。 全 幽 人 之 繋 履 。 灘 師 以 朕 欽 若 昊 天 。 故 撰 開 元 之 暦 。 以 朕 敦 聖 道 。 ' 故 述 大 衛 之 賛 。 叉 於 金 剛 三 藏 。 學 陀 羅 尼 秘 印 。 登 前 佛 壇 。 受 法 王 寳 。 又 於 無 畏 三 藏 。 繹 盧 遮 那 佛 経 。 開 後 佛 國 。 満 大 慈 願 。 本 敦 爲 而 來 哉 。 將 辮 是 而 去 突 。 善 乎 。 爲 親 出 家 殿 形 。 無 我 以 抜 濟 幽 難 。 是 孝 申 又 有 孝 也 。 爲 君 恩 道 。 唖 血 忘 倦 。 以 潤 色 鴻 業 。 是 忠 外 別 有 忠 也 。 昔 嘗 順 風 。 容 度 乗 日 遊 閑 。 獲 揮 精 至 。 討 論 典 禮 。 方 期 永 喜 以 親 有 徳 。 天 孤 善 願 。 奪 我 師 賓 。 蓉云 と あ り 、 玄 宗 皇 帝 が 一 行 繹 師 を 我 が 師 賓 と 仰 が れ し 所 以 の 者 は 、 其 の 非 凡 の 天 稟 を 愛 で さ せ ら れ た る に 因 る こ と は 言 を 侯 た な い 所 で あ り 、 亦 陰 陽 の 奥 を 極 め て 居 た る に 因 る 事 も 今 更 架 読 す る 要 を 認 め ぬ が 、 夫 等 よ り 一 暦 特 筆 し て 強 調 一 行 加輝 師 の 砺 究 七

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一 行禪 師 の 蘇 究 八 せ ね ば な ら ぬ の は 、 玄 宗 皇 帝 が 特 に 名 櫓 知 識 を 殊 遇 せ ら れ た る に 瞬 す 可 き で あ ら う 。 之 は 壼 濁 り 一 行 暉 師 に 限 る の み な ら す 、 他 の 幾 多 の 龍 象 、 例 へ ば 紳 秀 ・ 普 寂 ・ 義 幅 等 を 始 め 之 し て 金 剛 智 ・ 善 無 畏 ・ 不 室 等 の 諸 阿 閣 梨 が 優 遇 を 蒙 り 、 内 廷 に 満 ち 満 ち て ゐ た る を 想 へ ば 思 ひ 牛 ば に 過 ぎ る 者 が あ る 。 右 の 碑 文 に 明 白 に 顯 は れ て ゐ る 如 く 、 一 行 が 崇 嶽 の 檜 寂 に 依 り 灘 要 を 究 め た る 事 よ り 読 き 起 し 、 常 陽 の 櫓 纂 に 就 き 律 藏 を 成 せ る 事 を 誌 し 、 帝 は そ の 玄 徳 を 聞 き 遠 く 來 儀 を 請 ふ と 云 は れ 、 其 の 後 ち 金 剛 三 藏 よ り 陀 羅 尼 秘 印 を 學 び 、 無 畏 三 藏 に 於 て ﹃ 盧 遮 那 佛 経 ﹄ を 課 せ し を 讃 へ ら れ 、 予 欝 陶 を 懐 き て 詞 を 糟 粕 に 寄 せ 掲 に 曰 く 、 自 天 聰 明 。 経 佛 授 記。 彼 上 入 者。 兼 善 藝 事。 文 掲 日 月 。 術 窮 天 地 。 捨 有 作 心 。 獲 無 上 志 。 萬 品 道 諦。 千 門 法 華 。 惣 撮 一 燈 。 揆 去 三 車。 云 云 と あ り 、 帝 が そ の 名 櫓 と し て の 高 徳 を 顯 彰 さ れ ん と す る 意 圖 は 終 始 紙 面 に 横 浴 し 、 到 底 ﹃ 宋 高 櫓 傳 ﹄ 以 下 の 諸 傳 の 型 の 如 歯 傳 の 立 方 と は 比 較 に な ら な い の で あ る。 玄 宗 に 知 遇 を 黍 く せ し 名 僧 知 識 は 歎 多 あ つ た が 、 中 で も 一 行 灘 師 が 群 を 抜 い て ゐ た 事 實 は 、 玄 宗 の 此 の 御 製 の 碑 銘 を 以 て 観 る も 明 白 で あ る 。 ﹃ 醤 唐 書 ﹄ 方 伎 傳 に 、 一 行 が 襲 き に 容 宗 よ り 召 さ れ た る も 固 譜 し て 出 で な か つ た に 拘 は ら す 、 玄 宗 に 召 さ れ た る は 玄 宗 御 製 の 碑 銘 を 護 め ば 何 等 不 可 思 議 と す る に 足 り な い 所 で あ る 。 亦 同 じ く 掲 の 中 に 、 我 夢 金 入。 來 鎭 國 家 。 詐 増 劫 石。 善 集 恒 沙 。 定 佳 實 相 。 慧 行 眞 宰 。 導 予 一 入 。 化 清 四 海。 正 眼 何 促。 供 心 莫 待 。 と 云 は れ た る に 徴 す れ ば 、 玄 宗 が 漢 明 の 求 法 に 倣 ひ 、 佛 敏 を 國 家 鎭 護 の 爲 め と 致 さ れ 、 一 行 暉 師 は 之 が た め に 師 賓 と し て 迎 へ ら れ た の で あ る ゆ 而 し て 其 の 早 世 を 痛 み て は 、 ﹁ 正 眼 何 ぞ 促 か な る 。 供 心 待 つ こ と 莫 し 。 ﹂ と 善 願 に 孤 き 四 十 五 歳 を 一 期 に 示 滅 せ ら れ し を 悼 み 、 銘 し て 來 哲 に 示 す と 哀 惜 し て ゐ ら れ る。

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之 を 以 て 観 れ ば 隔 ﹃ 蕾 唐 書 ﹄ が 一 行 繹 師 を 方 伎 家 と し て 立 傳 せ し は 、 軍 に 後 晋 の 史 官 張 昭 遠 等 の 私 見 に 過 ぎ す 、 盛 唐 開 元 時 代 一 行 暉 師 が 聲 名 高 か り し は 、 暉 師 が 大 辮 大 智 の 高 僧 た り し に 因 る 者 な る は 最 早 疑 念 の 絵 地 な き 所 で あ る 。 四 、-一 行 傳 研 究 の 偏 見-然 ら ば 盛 唐 玄 宗 朝 の 高 僧 一 行 鐸 師 の 法 脈 如 何 。 此 の 問 題 の 解 答 越 最 後 節 に 総 結 の 一 部 と し て 論 定 し て あ る が 、 從 來 の 佛 教 史 家 の 読 は 純 正 歴 史 家 の 立 場 か ら 申 せ ば 、 傑 越 乍 ら 些 か 不 要 意 乃 至 宗 派 的 偏 荻 の 護 あ る を 冤 れ な い と 思 ふ 。 實 例 を 畢 ぐ れ ば 、 長 谷 寳 秀 師 の ﹃ 一 行 阿 閣 梨 ﹄ ( ﹃ 遍 照 ﹄ 六 一 〇 一 一 、 明 治 三 十 五 年 同 ﹃ 一 行 輝 師 傳 ﹄ ﹃ 六 ハ 大 新 甜報 凹 五 一二 八 、 五 四 七 、 大 正 三 年 岡 崎 密 乗 師 の ﹃ 一 行 阿 閣 梨 傳 記 考 ﹄ ﹃ 密 宗 學 報 ﹄ 二 . 八 、 大 正 四 年 、 等 は 春 日 師 も ﹁ 殆 ん ど 顧 る に 足 り な い 。 ﹂ と 云 つ て 居 ら れ る か ら 、 之 を 學 術 論 文 で な い と 観 て 姑 ら く 除 外 し 、 山 川 智 慮 博 士 の ﹃ 中 唐 に 於 け る 天 台 宗 と 一 行 阿 閣 梨 の 法 脹 ﹄ ﹃ 現 代 佛 教 ﹄ 七 二 、 七 三 、 昭 和 五 年 は 一 行 阿 閣 梨 が 天 台 の 法 脈 に 關 係 あ る 事 實 を 支 那 丈 籍 に 徴 謹 を 索 め ら れ た 極 め て 注 意 す べ き 論 考 で あ り 、 其 の 結 論 に ﹁ 一 行 阿 闇 梨 は 事 實 に 於 て は 天 台 即 ち 法 華 圓 教 を 自 己 教 観 の 主 と し て 律 と 暉 と 眞 言 に 兼 ね 通 じ 、 特 に 眞 言 に 與 同 し た 者 で あ る 。 ﹂ 云 々 云 は れ た る は 必 す し も 宗 派 的 偏 見 あ り 見 傲 さ れ す 、 傾 蕪 に 償 す る 論 究 で あ る が 、 清 水 谷 恭 順 師 の ﹃ 一 行 阿 闊 梨 傅 考 ﹄ ( ﹃ 叡 山 學 報 ﹄ 十 , 六 、 り 昭 和 十 一二 ﹄牛 鮨 に 至 り て は 、 ﹁ 一 行 は 繹 門 系 の 天 台 學 者 と 云 ふ べ き か o ﹂ 五 覧 と 先 づ 疑 ひ 、 ﹁ 故 に 一 行 は 元 來 輝 門 の 學 櫓 で あ つ て 象 ね て 天 台 を 研 鐙 せ る 人 で あ ち う 。 L 十 三 . 鴇 と 再 び 推 断 し 噛 ﹁ 一 行 が 天 台 系 の 墨 僧 で あ つ た こ と は 殆 ん ど 疑 ひ な く 。 ﹂ 十 四 . 頁 と 最 後 に 断 案 を 下 せ る は 、 或 は 斯 る 護 を 蒙 ら ぬ と も 限 ら な い 。 亦 清 水 谷 師 が 冒 頭 に 掲 け ら れ た 一 行 傳 所 牧 の 史 傳 乃 至 論 考 十 九 種 を 観 る も 、 佛 典 以 外 に は 一 歩 も 出 て 居 ら ぬ の は 、 塚 本 善 隆 師 が ﹃ 支 那 佛 教 史 の 研 究 ﹄ の 序 読 に 警 め ら れ た 如 く 、 佛 教 史 と 難 略 史 的 研 究 の 正 確 々 期 す る に は 一 般 正 史 に 倹 つ 可 き 場 合 が 往 ゐ に 起 る の で あ る か あ 、 此 一 行 灘 師 の 砺 究 九

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一 行 趙 姓師 の 研 究 一 ○ の 黙 は 甚 だ 遺 憾 に 感 す る 次 第 で あ る 。 現 に 清 水 谷 師 が ﹃ 一 行 阿 閣 梨 傳 考 ﹄ ( 一) 略 傳 に 於 て 、 ﹁ 以 上 諸 書 に 出 つ る が 其 の 根 本 は ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ で あ る ﹂ と 構 し 、 亦 全 く 宋 傳 の み に 擦 り 其 の 経 歴 の 概 略 を 紹 介 し 、 ﹁ 斯 く 比 較 的 早 世 せ ら れ た る の み な ら す 、 皇 帝 の 駕 に 属 從 し て 族 先 き で の 遽 化 で あ つ た た め 、 玄 宗 皇 帝 も 太 く 之 を 曜 き 、 官 供 を 以 て 厚 く 葬 り 、 且 つ 認 し て 大 慧 繹 師 と 構 し 、 塔 の 銘 を 皇 帝 親 し く 御 撰 せ ら れ た の で 、 天 下 の 縄 門 皆 之 を 光 榮 と し た と 宋 傳 に あ る 位 で あ る か ら ﹂ 云 々 と 云 ひ 、 猫 ぼ 亦 ﹃ 一 行 騨 師 が 暉 門 普 寂 の 資 な る こ と も 之 は ﹃ 宋 高 曾 傳 ﹄ 第 五 に 依 つ た の で あ る 。 L と 云 つ , て 、 飽 く 迄 宋 傳 を 信 懸 し 之 に 糠 り 叙 述 さ れ て ゐ る の は 、 皮 料 取 扱 上 不 要 意 の 憾 み あ り 、 這 般 の 事 實 は 須 く 玄 宗 皇 帝 御 製 碑 銘 に 依 擦 せ ら る 可 き で あ つ た 。 斯 様 に 一 行 暉 師 が 圓 ・ 戒 ・ 輝 ・ 密 の 四 法 を 相 承 さ れ し は 佛 教 學 者 の 夙 に 認 め ら れ る 所 に て 、 何 等 耳 目 に 新 ら し き 論 題 で は な い の で あ る が 、 其 の 敦 れ が 嫡 庶 爲 り し や に 至 り て は 前 き に 論 評 致 し 置 き し 如 く 、 各 々 學 者 の 宗 派 的 偏 見 も 不 畳 の 裡 起 加 つ て 居 る の で 、 未 だ 疑 義 な き に し も あ ら す 、 猫 ほ 歴 皮 學 的 考 究 の 飴 地 が 存 す る 。 皇 國 に 於 て は 弘 法 大 師 の ﹃ 略 付 法 傳 ﹄ 及 傳 教 大 師 の ﹃ 内 誰 佛 法 相 承 血 脈 譜 ﹄ に 員 言 宗 租 の 一 入 と し て 藪 へ 、 宋 の 道 原 纂 ﹃ 且示 徳 縫 録 ﹄ (纒 本 大 正 藏) 茜 で 篶 山 音 轟 師 法 醐 四 十 交 中 愚 陽 寺 唇 醗 の 名 が 見 え る 。 然 ら ば 一 行 繹 師 は 輝 ・ 律. 圓. 密 の 中 何 れ の 法 脈 の 嫡 流 と 致 す 可 き で あ ら う 鰍 。 之 が 徹 底 的 究 明 は 暉 師 の 閲 歴 は 固 よ り そ の 著 作 及 教 學 思 想 の 上 よ り 考 察 す る 必 要 が あ る 。 五 、-一 行 暉 師 の 閲 歴 -玄 宗 御 製 の 碑 銘 に 依 れ ば 己 に 一 言 を 費 せ し 如 く 、 一 行 繹 師 は 先 づ 嵩 山 の 音 寂 に 依 り 輝 門 を 究 め 、 次 に 常 陽 の 眞 纂 に

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就 き 律 藏 を 成 し 、 然 る 後 金 剛 三 藏 よ り 陀 羅 尼 秘 印 を 學 び 、 無 畏 三 藏 に 於 て ﹃ 盧 遮 那 佛 経 ﹄ を 課 し た と あ り 、 暉 ・ 律 ・ 密 の 順 位 に 修 得 せ ら れ て ゐ る 。 然 る 所 、 山 川 智 鷹 博 士 は 傳 教 大 師 の ﹃ 内 誰 佛 法 相 承 血 脈 譜 ﹄ に 引 用 せ る ﹃ 繹 氏 要 録 ﹄ な る 書 に 依 の 、 嵩 山 普 寂 灘 師 に 從 ふ 前 に 、 一 行 灘 師 は 荊 州 の 景 灘 師 即 ち 天 台 の 弘 景 暉 師 に 於 て 出 家 せ し 事 實 あ る を 指 摘 せ ら れ た 。 ( 台 宗 と 山 行 阿 噛 秦 中 唐 に 於 骨 る 天 ) の 法 脈 ﹄) ﹃ 繹 氏 要 録 ﹄ と は 如 何 な る 書 な り 耶 、 撰 者 巻 秩 成 立 等 一 切 不 明 な る も 、 ﹃ 宋 史 ﹄ 巻 二 百 五 藝 文 志 に ﹃ 繹 門 要 録 ﹄ 五 巻 不 知 撰 人 と 見 ゆ る 書 と 同 一 で は な か ら う か と 愚 考 致 し て ゐ る 。 山 川 博 士 は 行 文 の 上 よ り 之 を 唐 代 の 古 狭 書 な ら ん と 推 断 さ れ て ゐ る が 、 そ の 程 の 事 は 姑 ら く 措 く と し て 、 山 川 博 士 の 注 意 せ ら れ し 如 く 、 兎 も 角 ﹃ 略 付 法 傳 ﹄ や ﹃ 奮 唐 書 ﹄ の 鋏 を 補 ひ 、 年 二 十 有 一 に し て 父 母 を 喪 ひ 、 諮 然 と し て 世 を 厭 ひ 、 荊 州 景 暉 師 に 遇 ひ 欣 樂 し て 出 家 せ し 事 實 は 該 書 に 依 り 甫 め て 知 り 得 る 所 で あ る 。 殊 に 一 行 三 昧 を 研 精 し 因 つ て 以 て 名 と す と 云 へ る を 惟 へ ば 、 山 川 博 士 ・ 清 水 谷 恭 順 師 の 言 明 せ ら る 如 く 、 灘 師 は 落 飾 當 時 は 止 観 と 鐸 法 と を 併 せ 行 じ 、 未 だ 密 教 の 修 得 を 経 て ゐ な か つ た と 云 ふ 可 き で あ る 。 一 行 縄 ﹁ 師 が 弘 景 灘 師 に 師 事 せ し 事 實 に 注 意 せ ら れ し は 、 山 川 博 士 を 以 て 矯 矢 と 爲 す 可 き で は な く 、 夙 に ﹃ 義 繹 捜 決 抄 ﹄ 巻 一 に 、 智 誰 大 師 の ﹃ 教 相 同 異 集 ﹄ に 之 有 る を 創 唱 せ る 所 で あ る 。 其 の 後 之 を 知 悉 せ ら れ て か 否 か は 知 ら ぬ が 、 梅 周 龍 月 師 も ﹃ 大 日 経 義 繹 と 天 台 教 ﹄ (七 、 叡 大山 正 十 三 年 宗 教 五 ノ) に 於 て 之 を 指 摘 せ ら れ て ゐ る し 、 、 清 水 谷 恭 順 師 も 山 川 博 士 の 研 究 に 負 ひ 一 言 之 に 言 及 せ ら れ 、 亦 之 等 と 囎 係 な く 濁 自 の 立 場 か ら で あ ら う が 大 山 公 淳 教 授 も ﹃ 東 密 と 台 密 ﹄ ( 二) (﹃ 密 教 研 究 ﹄ 十 六 號 、 大 征 十 四 年) 中 に 此 の 事 實 に 注 意 せ ら れ て ゐ る が 、 敦 れ も ﹃ 繹 氏 要 録 ﹄ に 鯛 れ ら れ て 居 ら ぬ 。 六 、-一 行 暉 師 の 著 作-一 行 割陣 師 の 砺 究 一 一

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一 行 灘 師 の 鮒 究 一 二 次 に 一 行 暉 師 の 著 作 に 就 き ︼ 瞥 す る に 、 先 づ 現 存 せ る ﹃ 大 正 藏 経 ﹄ 所 牧 の 九 部 、(1) 宿 曜 儀 軌 一 巻(2) 大 毘 盧 遮 那 成 佛 経. 疏 二 十 巻(3) 大 毘 盧 遮 那 紳 攣 加 持 維 七 巻(4) 大 毘 盧 遮 那 佛 眼 修 行 儀 軌 一 巻(5) 七 曜 星 辰 別 行 法 一 巻(6) 北 斗 七 星 護 摩 法 一 巻(7) 梵 天 火 羅 九 曜 一 雀(8) 曼 珠 室 利 焔 曼 徳 迦 萬 愛 秘 術 如 意 法 一 巻(9) 藥 師 瑠 璃 光 如 來 消 災 除 難 念 請 儀 軌 一 巻 、 ﹃ 縮 刷 藏 維 ﹄ 所 牧 で は(10) 金 剛 頂 経 毘 盧 遮 那 一 百 八 尊 法 身 契 印 一 巻 、 ﹃ 大 日 本 績 藏 経 ﹄ 所 牧 で は(11) 大 日 経 義 繹 十 四 巻(12) 看 命 一 掌 金 一 巻 、 其 の 他 含 現 存 せ ぬ 者 で は 藷 宗 章 疏 録 ﹄ (大 日 本 佛 教 全 書 本) 載 録 の(13) 最 上 護 菩 提 畿 及 心 畿 決 一 巻(14) 毒 甕 巻(15) 撰 調 伏 藏 六 十 巻(16) 繹 氏 系 録 一 巻(17) 開 元 大 衛 暦 五 十 二 巻 、 ﹃ 宋 史 ﹂ 藝 文 志 所 載 で は(18) 僧 一 行 天 眞 皇 入 九 仙 経 一 巻(19) 僧 一 行 開 元 大 徳 暦 議 十 三 雀 ﹃ 通 志 藝 文 略 所 録 で は(20) 一 行 六 定 露 訣 餐 ﹃新 唐 書 藝 文 志 所 掲 で 紬 璽 行 周 易 論 亡春 (21) 大 宴 璽 巻 (23) 義 決 一 巻 (24) 脊 論 二 十 巻 (25) 李 吉 甫 注 一 行 易 蜷 等 あ り 。之等を通撃るに、天文に關する者 (17) (19) (20) (22) (23) (24) の六部 、 易 に 關 す る 者(21) (25) の 二 部 、 神 仙 に 關 す る 者(18) の 一 部 、 律 部 諸 経 に 關 す る(13) (15) の 二 部 を 除 け ば 、 残 り の 殆 ん ど 大 部 分 は 密 教 部 の 経 典 で あ る 。 是 の 事 實 に 由 つ て 親 れ ば 、 一 行 暉 師 の 學 問 は 最 初 に 治 め た 暉 ・ 律 ・ 天 台 に 於 て 成 就 し た の で は な く し て 、 密 教 に 於 て 大 成 し た 者 で あ る と 云 ふ 事 が 出 來 る 。 而 し 暉 師 の 教 學 の 眞 髄 は 軍 に 之 の み を 以 て 速 断 す る こ と は 許 さ れ な い 。 更 に 灘 師 の 著 作 を 通 し て 観 取 す る こ と に し よ う 。 七、-一 行 繹 師 の 教 學-山 川 博 士 は ﹁ か く の 如 く 解 す れ ば 、 一 行 阿 閣 梨 は 事 實 に 於 て は 天 台 す な は ち 法 華 圓 教 を 自 己 教 翻 の 主 と し て 律 と 暉 と 眞 言 に 兼 ね 通 じ 、 特 に 眞 嘗 に 與 同 し た も の で 、 但 し そ の 律 は 軍 に 南 山 の 四 分 律 て あ る や う だ が 、 其 の 著 と 傳 ふ る

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﹃ 最 上 乗 受 菩 提 心 戒 及 心 地 秘 訣 ﹄ 一 巻 は い は ゆ る 大 乗 圓 頓 の 心 地 戒 を 眞 言 教 に よ り 明 か に し た も の か と 思 は れ る 。 そ の 黙 に 於 て は 傳 教 大 師 の 圓 ・ 戒 ・ 輝 ・ 密 の 四 法 相 承 と も 頗 る 相 似 て ゐ る の で 、 た 穿 傳 教 大 師 の 天 台 法 華 を 主 と し た る に 樹 し 、 一 行 は 之 を 眞 言 教 に 主 づ け よ う と し た 相 違 と 見 る 可 き で あ る 。 こ の 黙 に 於 て は 一 行 は 圓 宗 の 義 を 密 教 に 取 り 入 れ た 眞 言 僧 で ⋮ ⋮ そ れ は 必 す し も 彼 等 だ け で は な い 。 玄 宗 前 後 の 諸 宗 で 天 台 の 教 観 の 利 盆 を 蒙 つ て ゐ な い も の は 殆 ん ど 全 -な か つ を い つ て も 響 霞 あ る ま い と 私 は 思 ふ 。 ﹂ ( ﹃ 中 唐 に 於 け る 天 台 と 一 行 阿 閣 梨 の 法 脈 ﹄) と 結 ん で 骨 れ る の は 如 禦 暑 で あ ら う 鰍 。 私 は 佛 教 學 に は 全 く 門 外 の 素 人 で あ る か ら 、 一 行 灘 師 の 教 學 思 想 を 純 正 な る 佛 教 學 乃 至 密 教 學 の 立 場 よ り 批 判 考 究 す る 資 格 は な い 。 殊 に 本 誌 の 如 き 密 教 學 專 門 の 學 術 雑 誌 に 多 激 の 密 教 墨 佛 教 學 の 專 門 家 を 差 し 措 き 、 余 輩 の 如 き 在 俗 の 自 衣 が 執 筆 す る の は 洵 に 烏 濫 し き 限 り で あ る が 、 偏 へ に 私 の 立 場 が 密 敏 學 者 と 異 り 、 純 正 歴 史 學 の 観 黙 よ り 密 教 、學 の 資 料 を 扱 ひ 、 角 度 を 更 め て 之 を 再 批 判 し 、 階 越 乍 ら 以 て 他 山 の 石 と な し て 敢 へ て 道 俗 江 湖 の 諸 師 諸 賢 の 高 鷺 に 供 し 、 猫 ほ 且 つ 叱 正 を 乞 は ん が 爲 め で あ る 。 扱 て 今 よ り 一 行 輝 師 著 ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ 及 同 ﹃ 義 繹 ﹄ に 顯 は れ た る 暉 師 の 教 學 思 想 を 窺 知 し よ う と 思 ふ が 、 之 よ り 前 に ﹃ 大 日 維 ﹄ の 支 那 流 傳 並 び に 其 の 漢 課 の 時 期 に 關 し 勘 か ら す 是 正 を 要 す る 問 題 が あ る と 思 ふ の で 、 之 よ り 著 手 す る こ と に 致 し 度 い 。 八 、-善 無 畏 三 藏 及 無 行 禮 師 將 來 ﹃ 大 日 経 ﹄ 梵 爽

-拶

漿

籍)

一 行 暉 師 の 研 究 一 三

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一 行 翻輝 師 の 研 究 一 四 に 於 て 指 摘 せ ら れ し 唐 の 海 雲 撰 ﹃ 爾 部 大 法 相 承 師 資 付 法 記 ﹄ 巻 下 善 無 畏 三 藏 の 項 に 、 ﹁ 開 元 七 年 。 從 西 國 將 大 毘 盧 遮 那 梵 爽 維 等 。 來 至 此 國 。 虹 の 一 節 で あ る 。 併 し 乍 ら 周 知 の 如 く ﹃ 大 日 経 ﹄ の 支 那 流 傳 に は 無 行 輝 師 か 介 在 し て ゐ る 。 帥 ち 無 行 輝 師 が 天 竺 に 遊 び 、 學 畢 り て 蹄 朝 せ ん と せ し 時 に 不 幸 病 の 犯 す 所 と な り 、 北 天 に 在 り て 卒 せ し た め 、 其 の 將 來 せ ん と せ し 梵 本 は 其 の 後 ち 唐 よ り 勅 使 を 以 て 迎 へ 臨 へ り 、 西 京 華 嚴 寺 に 牧 掌 せ ら れ て ゐ た と 云 ふ 。 此 の 藏 本 中 よ り 無 畏 行 が ﹃ 大 日 経 ﹂ を 揮 び 出 し 漢 課 せ し 者 に て 、 善 無 畏 は ﹃ 大 日 経 ﹂ を 請 來 し な か つ た と 云 ふ の で あ る 。 此 の 読 は 普 通 に ﹃ 開 元 繹 教 録 ﹄ 巻 十 に 出 つ る 所 と し て 知 ら れ て ゐ る が 、 亦 唐 の 李 華 撰 ﹃ 玄 宗 朝 翻 維 三 藏 善 無 畏 贈 鴻 臆 卿 行 歌 ﹄ ( ﹃ 大 正 藏 輕 ﹄ 本) に も 見 え て ゐ る 。 而 し 此 の 所 傳 は 信 寄 き で あ ら 薮 。 幣 雷 斧 師 は 義 霧 霧 輩 ﹄ (鐙 の 中 で ﹁ 叉 無 畏 、 無 行 將 來 の 本 に て 依 つ て 翻 諜 を 爲 す は 、 無 行 の 功 を 標 彰 せ ん が 爲 め な る の み 。 敢 へ て 自 ら 大 日 経 の 梵 本 を 請 ぜ ざ る に は 非 ざ る な り 。 ﹂ と 云 は れ て ゐ る が 、 終 た し て さ う で あ ら う 歎 。 私 は 更 め て 薙 に 批 判 を 試 み よ う と 思 ふ の で あ る 。 惟 ふ に 、 無 行 輝 師 が 北 天 に て 客 死 せ し 時 期 並 び に 唐 よ り の 救 使 が 其 の 將 來 せ ん と せ し 梵 本 を 迎 蹄 せ し 年 時 は 一 阿 に

西

(馨

藏)

彼 地 に 於 て 無 行 暉 師 と 生 別 の 恨 を 懐 き 、 倶 に 重 會 の 心 業 を 希 ひ 、 挟 を 交 は せ し こ と 見 え 、 義 浮 が 蹄 朝 の 上 同 書 を 撰 す る に 當 り 、 其 の 序 文 に 、 ﹁ 澤 來 日 。 有 無 行 師 。 ⋮ ⋮ 五 入 見 在 計 。 當 垂 撲 元 年 。 與 無 行 暉 師 執 別 西 國 。 不 委 今 者 何 庭 存 亡 耳 。 ﹂ と 誌 し て ゐ る か ら 、 義 澤 無 行 の 會 見 は 垂 撲 元 年 で あ り 、 其 の 後 幾 ば く も な く 無 行 輝 師 は 長 逝 せ ら れ た も の と 推 想 し て 大 過 な か ら ん と す れ ば 、 無 行 が 將 來 せ ん と さ れ し 梵 爽 の 支 那 迎 蹄 は 開 元 以 前 垂 換 以 後 と 云 ふ 可 き で あ ら う 。 然 ら ば ﹃ 大 日 維 ﹄ の 梵 爽 は 無 行. 善 無 畏 の 爾 入 に よ り 支 那 に 將 來 せ ら れ し 耶 。 清 水 谷 師 は 海 雲 の ﹃ 付 法 記 ﹄ 巻 下 の 例 の

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開 元 七 年 善 無 畏 が 梵 爽 ﹃ 大 日 経 ﹄ を 請 來 せ り と 誌 す 一 節 を 疑 ひ 、 五 箇 條 の 疑 案 を 提 出 し 、 之 を 妄 誕 の 論 な り と 斥 け ら れ て ゐ る 。 之 よ り 前 き 、 構 田 雷 斧 師 も 善 無 畏 三 藏 の ﹃ 大 日 経 ﹄ 支 那 將 來 の 事 實 を 主 張 し 乍 ら 、 一 面 理 由 な く し て 海 雲 の 開 元 七 年 舞 三 藏 梵 爽 を 將 來 し て 唐 に 來 る と 誌 せ る を 誤 失 な り 爵 じ て 居 ら れ る。 ﹂ (﹃ 我 襯 密 教 蛮 蓬 史 ﹄ 三 七 頁) 、 併 し 私 は 響 の 立 場 よ り 爾 師 の 所 読 を 批 判 致 し 度 い の で あ る。 問 題 を 善 無 畏 三 藏 が 梵 爽 を 携 へ 始 め て 唐 に 入 朝 せ し 時 期 に 反 へ し 再 考 す る に 、 彼 の 善 無 畏 三 藏 の 俗 弟 子 李 華 撰 ﹃ 善 無 畏 行 歌 ﹄ で は 、 ﹁ 開 元 四 年 景 辰 を 以 て 大 に 梵 爽 を 齎 し 來 り 長 安 に 達 す ﹂ と あ り 、 ﹃ 開 元 繹 教 録 ﹄ 巻 十 に も 同 様 に 見 え る は 清 水 谷 師 の 抄 出 せ ら れ た 通 り で あ つ て 、 共 に 信 す 可 き で あ る 。 何 故 な ら ば 、 ﹃ 開 元 録 ﹄ は 開 元 十 八 年 の 輯 録 に 係 り 、 開 元 四 年 を 去 る こ と 僅 か に 十 四 年 を 距 て る に 過 ぎ な い の で あ る し 、 ﹃ 善 無 畏 行 歌 ﹄ は 超 か に 後 れ 貞 元 年 間 の 撰 述 と 思 は れ る が 、 撰 者 は 善 無 畏 三 藏 の 直 弟 子 で あ の 、 太 和 八 年 の 撰 述 に 成 る 海 雲 の ﹃ 付 法 記 ﹄ の 比 で は な い か ら で あ る 。 兎 も 角. 開 元 四 年 の 入 朝 が 正 な り と せ ば 、 同 一 入 が 開 元 七 年 に 重 ね て 入 朝 致 し た る 筈 な く 、 必 す 之 を 否 と 断 ぜ ね ば な ら ぬ 。 併 し 乍 ら 此 の 開 元 西 年 の 入 朝 に 擦 し て 、 善 無 畏 三 藏 が ﹃ 大 日 経 ﹄ 梵 爽 を 將 來 せ る 事 實 は 何 薩 に も 明 言 さ れ て ゐ な い の で あ る 。 け れ ど も 亦 之 と 同 時 に 、 噺 じ て 將 來 さ れ て 居 ら ぬ と 云 ふ 但 書 も 何 虚 に も 獲 見 さ れ な い の で あ る か ら 、 或 は 撒 多 將 來 せ ら れ し 梵 爽 の 中 に ﹃ 大 日 経 ﹄ が 存 し た か も 知 れ な い と 考 へ て 何 等 差 支 へ は な い 謬 で あ る 。 殊 に 開 元 四 年 善 無 畏 三 藏 が ﹃ 大 日 維 ﹄ 梵 爽 將 來 を 裏 書 き す る 様 な 有 力 な る 傍 誰 あ り と せ ば 、 之 が 可 能 性 は 極 め て 大 で あ る と 申 さ ね ば な る ま い 。 是 に 於 て 再 考 を 要 す る の は 例 の 海 雲 の ﹃ 付 法 記 ﹄ に 見 え る ﹁ 開 元 七 年 。 從 西 國 將 大 毘 盧 遮 那 梵 爽 経 等 。 來 至 此 國 。 ﹂ の 一 節 で あ る 。 此 の 巖 に 疑 念 を 懐 か れ 叢 初 の 讐 笑 村 西 崖 氏 (﹃ 密 教 畿 蓬 史 ﹄ 大 正 七 年) で あ り 、 之 に 裂 響 欝 雷 斧 師 、 一 行 騨 師 の 研 究  一 五

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一 行 輝 師の 砺 究 一 六 近 く は 清 水 谷 恭 順 師 等 で 、 悉 く 語 調 を 揃 へ て 之 が 否 な る 旨 を 言 明 せ ら れ て ゐ る が 、 之 等 は 敦 れ も 軍 に 海 雲 の 誤 失 九 る 事 の み を 指 摘 さ れ た る に 過 ぎ す 、 之 が 何 の 錯 誤 た る か に 迄 は 一 言 蕗 論 及 せ ら れ て 居 ら ぬ。 ` 筆 者 具 さ に 海 雲 の ﹃ 付 法 記 ﹄ な る 者 を 精 讃 す る に 、 ﹁ 開 元 七 年 ﹂ 酋 武 の 一 節 の 前 に 、 ﹁ 繹 迦 沙 門 三 藏 善 無 畏 。 開 元 七 年 奉 詔 繹 。 沙 門 一 行 筆 授 。 即 大 毘 盧 遮 那 神 攣 加 持 維 是 也 。 ﹂ の 一 節 が 先 行 し て ゐ る 。 、 以 上 は ﹃ 大 正 藏 維 ﹂ に 牧 む る 康 安 元 年 爲 ﹃ 東 寺 金 剛 藏 本 ﹄ で あ る が 、 試 み に ﹃ 大 日 本 綾 藏 経 ﹄ に 牧 む る 異 本 で あ る ﹁ 永 暦 元 年 五 月 二 十 日。 於 勧 修 寺 西 明 院 書 爲 了 。 櫓 範 果 之 本 。 ﹂ て ふ 奥 書 の 存 す る ﹃ 略 叙 傅 大 毘 盧 遮 那 成 佛 神 攣 加 持 維 大 教 相 承 傳 法 次 第 記 ﹂ に 照 合 す る も 、 ﹁ 開 元 七 年。 羅 迦 種 沙 門 三 藏 善 無 畏 。 奉 詔 課 。 沙 門 一 行 筆 受 。 帥 大 毘 盧 遮 那 成 佛 紳 攣 加 持 経。 ﹂ と 見 え る 。 之 に 照 合 す れ ば 、 後 節 に 云 ふ 善 無 畏 三 藏 開 元 七 年 ﹃ 大 日 維 ﹄ の 梵 爽 を 將 つ て 來 朝 し た と 云 ふ の は 、 前 節 の 開 元 七 年 善 無 畏 三 藏 が 奉 詔 し て ﹃ 大 日 経 ﹂ を 繹 述 し 、 一 行 暉 師 を も て 之 を 筆 受 せ し め た と 云 ふ 一 節 の 託 傳 で は な か ら う か と 推 想 さ れ る 。 何 故 か と 申 せ ば 、 海 雲 の ﹃ 付 法 記 ﹄ な る 者 は 、 之 を 仔 細 に 検 討 す れ ば 前 後 の 撞 著 甚 だ し く 、 假 り に 開 元 七 年 善 無 畏 三 藏 ﹃ 大 日 維 ﹂ 梵 爽 を 將 來 し 、 入 朝 と 同 時 に 之 を 翻 課 せ る 者 と 想 定 す る も 、 翻 繹 の 事 實 を 前 き に 叙 し 、 可 な り 筋 段 々 距 て て 之 が 入 朝 將 來 を 記 す な ど 、 前 後 を 韓 倒 し 且 つ 全 く 脈 絡 を 失 し て ゐ る 有 檬 で あ る か ら 、 恐 ら く 開 元 七 年 善 無 畏 三 藏 が ﹃ 大 毘 盧 遮 那 維 ﹄ を 請 來 入 朝 す と は 、 同 年 ﹃ 大 毘 盧 遮 那 経 ﹄ を 奉 詔 繹 せ し を 託 傳 せ る 者 と 考 へ て 然 る 可 き で あ ら う 。 是 に 於 て 私 は 善 無 畏 三 藏 が ﹃ 大 日 維 ﹄ を 支 那 に 傳 來 せ し は 、 開 元 七 年 同 維 翻 繹 以 前 に 在 り し 者 と 考 へ ざ る を 得 な く な つ た 。 帥 ち 私 は 敢 へ て 開 元 四 年 善 無 畏 三 藏 入 朝 の 際 に ﹃ 大 日 維 ﹄ 梵 爽 を 將 來 せ る 者 と 想 定 致 す 者 で あ る。 随 つ て 私 は 亦 ﹃ 大 日 経 ﹄ の 支 那 傳 來 本 を 、 ﹃ 善 無 畏 三 藏 將 來 本 ﹄ と ﹃ 無 行 暉 師 逡 來 本 ﹄ の 二 本 あ り し 者 と 考 へ て ゐ る 。 斯 く し て 清 水 谷 師 と 私 は 、 共 に 同 じ く 海 雲 の 記 載 を 疑 ひ 、 師 は 開 元 七 年 善 無 畏 三 藏 が 西 國 よ り ﹃ 大 日 維 ﹄ 梵 爽 を 將 來

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す と 云 ふ 一 節 を 簡 輩 に 妄 誕 の 説 な り と 斥 け ら れ 、 五 箇 項 目 の 理 由 を 以 て 善 無 畏 三 藏 の 梵 爽 ﹃ 大 日 経 ﹄ 將 來 の 事 實 を 抹 沿 せ ら れ た る に 反 し 、 私 は 此 の 一 飾 を 託 傳 な り と は 考 ふ る も 、 之 を 謬 述 の 誤 り と 致 し 、 其 の 將 來 は 已 に 開 元 四 年 に 在 わ し 者 と 信 す る 者 で あ る 。 九 、-善 無 畏 一 行 繹 ﹃ 大 日 維 ﹄-此 の 結 果 、 鄙 見 は ﹃ 大 日 経 ﹄ 漢 諜 の 時 期 に 關 し て も 一 般 通 読 と 大 い に 趣 を 異 に せ ざ る を 得 な く な つ た 。 ﹃ 大 日 維 ﹄ の 漢 諜 時 期 に 關 す る 通 論 は 、 大 村 西 崖 氏 (﹃ 寄 教 畿 蓮 史 三 五 八 頁 ﹄) の ﹁ 開 元 十 二 年 善 無 畏 三 藏 駕 に 随 つ て 入 洛 輻 先 寺 に 佳 し 、 同 十 三 年 復 え 詔 を 奉 じ て ﹃ 大 毘 盧 遮 那 成 佛 神 攣 加 持 経 ﹄ を 聖 善 寺 に 謬 す 。 ﹂ と あ る に 從 ひ 、 爾 來 何 入 も 之 に 封 し 疑 ひ を 挿 む 者 な く 、 大 村 氏 の 所 読 に 封 し 終 始 反 封 意 見 を 表 明 し 、 特 に 之 が た め 執 筆 世 に 問 は れ た 構 田 師 の ﹃ 我 観 密 教 獲 達 史 ﹄ す ら 之 に は 異 論 を 提 示 さ れ す 、 至 極 畢 穏 無 事 に 過 ぎ て 來 た 。 今 大 村 氏 所 説 の 愚 擦 と 畳 し き ﹃ 開 元 録 ﹄ や ﹃ 善 無 畏 行 歌 ﹄ で は 、 ﹁ 無 畏 和 上 と 一 行 輝 師 は 開 元 十 二 年 に 至 り 、 駕 に 随 ひ 入 洛 し 大 輻 先 寺 に 佳 し 、 沙 門 一 行 の 爲 め に ﹃ 大 毘 盧 遮 那 維 ﹄ を 繹 述 せ の 。 ﹂ と 記 す の み に て 、 大 村 氏 の 云 は れ る 如 く ﹁ 開 元 十 三 年 復 奉 詔 課 ﹂ と 去 ふ 事 實 は 更 に な く 、 栂 尾 博 士 も ﹃ 桜 密 佛 教 史 ﹄ ( 第 二 ﹃ 山文 那 の 密 教 ﹄ ( 二) 金 善 爾 三 藏 の 開 拓 注 七) に 於 て 此 の 一 年 の 差 異 に 意 を 介 し 、 ﹁ ﹃ 開 元 録 ﹄ ・ ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ の 文 勢 よ り 見 れ ば 、 開 元 十 二 年 に 課 し た る 者 の 如 く な る も 、 ﹃ 貞 元 録 ﹄ に は ﹁ 第 七 の 一 翁 は 是 念 論 法 な り 、 開 元 十 三 年 東 都 大 幅 先 寺 に て 諜 す と 記 す 。 今 ほ 宥 澤 の ﹃ 三 部 維 聞 書 ﹄ 等 に 依 り 、 開 元 十 二 年 よ り 十 三 年 に 亙 り 翻 課 す と の 説 に 階 ふ 。 ﹂ と 云 つ て 居 ら れ る 。 清 田 寂 雲 師 は 亦 ﹃ 大 日 経 義 繹 諸 本 の 成 立 に 關 す る 小 考 ﹄ (上 下 ﹃ 密 教 研 究 ﹄ 八 十 五 、 八 十 六 、 昭 和 十 八 年) ( 上) 第 一 節 に 於 て 、 清 水 谷 師 の ﹃ 一 一 行 輝 師 の 研 究 一 七

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一 行 輝 師 の 硯 究 一 八 行 阿 閣 梨 傳 考 ﹄ に 、 ﹁ ﹃ 義 羅 ﹄ の 温 古 の 序 に 依 れ ば ﹃ 大 日 経 ﹄ の 翻 課 は 善 無 畏 三 藏 來 唐 十 年 自 の 玄 宗 皇 帝 の 開 元 十 三 年 ﹂ 鼓 云 と 云 ふ 意 味 の 論 に 樹 し 、 ﹁ 論 旨 穏 當 に し て 敬 服 に 償 す。 ﹂ と 讃 意 を 表 せ ら れ て ゐ る 。 け れ ど も 不 幸 に し て 私 は 清 水 谷 師 の 論 擁 と せ ら れ し ﹃ 義 繹 序 ﹄ に は 、 同 師 が 抄 出 護 者 に 提 示 せ ら れ て ゐ る 通 り 、 何 虚 に も ﹁ 開 元 十 三 年 奉 詔 課 ﹂ て ふ 師 の 持 読 の 愚 糠 は 獲 見 出 來 す 、 亦 之 に 讃 意 を 表 せ ら れ 敬 服 せ ら れ た 清 田 師 の 理 由 も 那 邊 に 存 せ る や 、 甚 だ 不 可 解 に し て 諒 解 に 苦 し む 所 で あ る 。 成 る 程 私 も 温 古 の ﹃ 義 繹 序 ﹄ に ﹁ 奉 詔 與 三 藏 繹 出 此 経 。 ﹂ 酋 々 と 明 記 あ り 、 } 行 灘 師 が 善 無 畏 三 藏 と 共 に 詔 を 奉 じ て 課 出 さ れ た 旨 明 記 あ る を 観 取 す る に 躊 躇 す る 者 で は な い が 、 遺 憾 乍 ら 年 時 の 徴 す 可 き 何 等 の 記 載 を も 獲 見 し 得 な い。 恐 ら く 清 水 谷 師 は 、 ﹃ 開 元 録 ﹄ 並 び に ﹃ 貞 元 録 ﹄ に 依 り 勝 手 に 立 論 せ り と 惟 は る ﹃ 密 教 護 達 皮 ﹂ の 読 に 依 擦 せ ら れ 、 之 に 清 田 師 が 敬 服 せ ら れ た る に 非 ざ る 耶 。 斯 様 に 上 述 の 如 く ﹃ 大 日 維 ﹄ の 課 出 時 期 に 關 し て は 、 ﹃ 開 元 録 ﹄ ﹃ 貞 元 録 ﹄ ・ ﹃ 善 無 畏 行 状 ﹄ 等 に 依 檬 せ る ﹃ 密 教 獲 達 史 ﹄ ・ ﹃ 我 観 密 教 獲 達 ﹄ の 開 元 十 二 年 乃 至 十 三 年 論 を 以 て 一 般 通 論 と な せ る 者 に て 、 私 の 蔽 に 提 案 せ ん と す る 海 雲 の ﹃ 付 法 記 ﹄ に 嫁 る 開 元 七 年 読 は 未 だ 何 人 も 之 を 支 持 せ る 例 は な い の で あ る 。 然 る に 私 は 何 故 從 來 の 定 論 た る 開 元 十 二 乃 至 十 三 年 論 を 覆 し て 迄 も 、 敢 へ て 撰 述 年 代 も 超 か に 降 り 且 つ 杜 撰 な る 海 雲 の ﹃ 付 法 記 ﹄ を 信 じ 、 以 て ﹃ 開 元 録 ﹄ の 如 き 僅 威 あ る 維 録 の 読 を 排 せ ん と す る 者 な り や と 反 問 を 蒙 る で あ ら う こ と は 十 分 に 豫 期 し て ゐ る 。 併 し 乍 ら 鄙 見 に 依 れ ば 、 判 大 口 経 ﹄ の 課 出 は 前 後 二 回 あ り 、 前 回 は 海 雲 の ﹃ 付 法 記 ﹄ に 見 ゆ る 開 元 七 年 の 奉 詔 課 に し て 一 行 暉 師 之 を 筆 受 せ る 者 、 次 回 は ﹃ 開 元 録 ﹄ ・ ﹃ 善 無 畏 行 歌 ﹄ に 見 ゆ る 開 元 十 二 年 乃 至 十 三 年 の 一 行 灘 師 の 請 ひ に 依 り 謬 述 せ る 者 で あ る 。 斯 く 思 考 す れ ば 、 清 水 谷 師 が 折 角 海 雲 の ﹁ 開 元 七 年 奉 詔 繹 ﹂ の 一 節 に 留 意 せ ぢ れ 乍 ら 一 向 之 に 疑 惑 の 念 も 起 さ れ す 、

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徒 ら に ﹃ 開 元 録 ﹄ に ﹁ 沙 門 一 行 の た め に 繹 す ﹂ と 云 へ る の と 、 海 雲 の ﹃ 付 法 記 ﹄ に ﹁ 奉 詔 諜 ﹂ と あ る の と の 封 立 に 苦 し み 、 汲 々 と し て 自 問 自 答 を 試 み ら れ た の も 、 元 來 無 要 で は あ る ま い 鰍 。 亦 婁 き に 構 田 師 が ﹃ 我 観 密 教 獲 達 皮 ﹄ に 於 て 海 雲 が ﹃ 大 貝 経 ﹄ の 繹 出 時 期 を 誤 り 開 元 七 年 と な す を 指 摘 せ ち れ る も 、 師 は 海 雲 の 該 記 が 何 を 誤 失 せ る 者 た る か を 一 陶 に 明 示 さ 伽 て ゐ な い 故 、 私 は 之 に も 承 服 す る こ と は 出 來 ぬ 。 然 ら ば 繹 出 に 使 用 せ ら れ し 亮 爽 ば 如 何 な る 者 で あ つ た か 、 之 亦 問 題 で あ る 。 開 元 十 二 年 乃 至 十 三 年 の 課 述 に 當 り て は 、 無 行 所 傳 本 を 用 ひ し こ と ﹃ 開 元 録 ﹄ 及 ﹃ 善 無 畏 行 歌 ﹄ に 明 記 あ れ ば 之 を 信 す る の 外 な い が 、 開 元 七 年 課 の 場 合 は 何 等 誰 見 が な い 。 私 の 研 究 で は 現 在 の 所 不 明 と 申 す 外 は な い け れ ど も 、 詔 を 奉 じ て の 諜 な れ ば 何 等 明 細 な る 附 記 は な く と も 、 善 無 畏 三 藏 將 來 し て 救 に 依 り 内 に 進 め し め ら れ た 梵 爽 中 に 存 せ り 、と 想 は れ る 原 典 に 嫁 ら れ た の で あ ら づ 。 張 い て 想 像 を 逞 し う す れ ば 、 ﹃ 開 元 録 ﹄ に ﹁ 無 畏 の 將 來 せ る 梵 本 は 救 有 の て 並 べ て 内 に 進 ま 令 め 、 此 に 縁 り 未 だ. 廣 く は 諸 経 を 課 し 得 す 。 ﹂ と 去 ふ 如. く 、 。未 だ 廣 く は 課 し て ゐ な か つ た の で あ る が 、 一 部 已 に 鐸 述 な り 、 此 の 中 に ﹃ 大 日 経 ﹄ が 含 ま れ て ゐ た の で あ ら う と の 想 像 も 可 能 で は あ る ま い か 。 随 つ て 清 水 谷 師 が 掲 出 さ れ た る 善 無 畏 三 藏 將 來 梵 経 ﹃ 大 日 維 ﹄ の 存 在 を 疑 ふ 五 箇 條 の 疑 案 中 第 一 條 及 第 二 條 た る 開 元 十 二 年 諜 述 の 際 に 何 故 自 己 將 來 の 内 裡 納 入 濟 本 を 参 照 せ な か つ た か 、 並 び に 無 行 將 來 本 翻 課 以 前 に 何 故 自 己 將 來 本 を 用 ひ 翻 課 に 著 手 せ な か つ た か の 二 題 は 、 前 回 開 元 七 年 奉 詔 諜 の 時 に は 自 己 將 來 進 内 本 を 用 ひ 、 次 回 開 元 十 二 年 乃 至 十 三 年 の 一 行 の た め の 私 的 課 述 に 當 め て は 敢 へ て 宮 中 本 の 参 考 に 及 ば な か つ た こ と に 想 到 せ ば 、 悉 く 清 水 谷 師 の 不 審 は 氷 解 し て 仕 舞 ふ 謁 で あ る 。 第 三 第 四 の 疑 案 は ﹁ 善 無 畏 三 藏 若 し ﹃ 大 目 経 ﹄ 梵 爽 を 齎 し て ゐ た と す れ ば 、 既 に 内 裡 に 牧 め て 課 す る こ と は 出 來 ぬ が 、 彼 の 申 に は 右 ﹃ 大 日 経 ﹄ も あ つ た の で あ る と い ふ こ と を 何 ﹂庭 か 歳 明 か に す べ き で あ る 。 然 る 一 行 輝 師 の 研 究 一 九

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一 行 輝 師 の 研 究 二○ に 之 を 明 か に し て ゐ な い の は 、 ﹃ 大 日 経 ﹄ が 含 ま れ て ゐ な か つ た も の と 判 す る の が 無 理 が な い や う に 思 へ る ﹂ と 云 は れ 、 今 一 つ は ﹁ 善 無 畏 が 眞 實 に ﹃ 大 日 維 ﹄ を 將 來 せ と り す れ ば 、 ﹃ 大 日 維 義 繹 ﹄ 若 し く ぼ ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ の 中 に 何 等 か 之 に 言 及 す べ き で あ ら う 。 然 る に ; 自 も 之 に 及 ん で 居 ら な い の は 善 無 畏 將 來 の ﹃ 大 日 経 ﹄ 梵 爽 の な か り し 爲 め で あ る。 ﹂ と 云 ふ に あ る が 、 之 は 頗 る 轟 の 良 い 臆 断 に て 、 史 料 解 讃 の 上 か ら 云 ふ と 勘 か ら す 是 正 を 要 す る 。 帥 ち 善 無 畏 三 藏 が 自 己 將 來 の 梵 爽 ﹃ 大 日 経 ﹄ に 就 き 三 毒 も 語 る 所 な き 故 此 の 事 實 な し ど は 、 他 に 確 實 な る 積 極 的 反 誰 な き 限 め 、 何 入 も 大 謄 に 断 を 下 し 得 な い 所 で あ る 。 全 面 的 否 定 的 断 案 を 下 す に は 、 如 何 に 数 多 く と も 薄 弱 な る 浩 極 的 誰 左 の み に て は 決 定 し 得 る も の で は な い 。 之 に 反 し 肯 定 的 断 案 は 決 し て 数 多 き 誰 見 を 必 要 と せ す 、 最 少 限 に て も 事 足 り る の で あ る 。 何 故 な ら ば 、 若 し 將 來 善 無 畏 三 藏 が 將 來 の 梵 爽 ﹃ 大 日 経 ﹄ の 存 在 を 明 記 せ る 片 言 隻 句 だ に 獲 見 さ れ た る 曉 は 、 之 を 更 に 否 定 抹 殺 す る に 足 る 有 力 な る 反 誰 出 で ざ る 限 り 、 此 の 事 實 は 最 早 不 動 に て 、 縦 令 暫 定 的 に せ よ 、 之 を 認 め ざ る を 得 な い か ら で あ る 。 随 つ て 推 論 に 於 け る 場 合 も 同 様 、 肯 定 的 推 測 は 超 か に 否 定 的 推 測 に 勝 る 蓋 然 性 を 有 す る こ と を 知 る 可 き で あ つ て 、 歴 史 的 研 究 に 從 事 す べ き 者 は 眞 に 心 す べ き で あ る 。 猫 ほ 更 に 卑 近 な る 一 例 を 繋 け て 去 は ん か 此 虚 に 一 升 の 白 米 あ り 、 此 の 中 に 一 抹 の 不 純 物 も 混 ら す と の 否 定 的 豫 断 は 、 -何 人 も 齢 程 綿 密 周 到 な る 黙 検 を 濟 ま し 居 ら ざ る 限 り 之 を 揮 る 所 な る も 、 或 は 此 の 中 に 不 純 物 混 入 せ る や も 測 ら れ す と の 肯 定 的 豫 断 は 何 入 も 躊 躇 す る こ と な く 放 言 雌 來 る 。 何 故 な ら ば 、 此 の 中 よ り 砂 礫 の 一 微 粒 子 だ に 拾 ひ 上 ぐ れ ば 、 不 純 物 混 入 す と の 豫 断 は 容 易 に 立 誰 さ れ る か ら で あ る 。 是 を 以 て 私 は 清 水 谷 師 の 否 定 的 断 案 に は 少 か ら す 危 惧 を 感 す る 者 で あ る 。 之 を 要 す る に 、 鄙 見 を 以 て す れ ば ﹃ 大 日 経 ﹄ の 梵 爽 支 那 將 來 本 は 二 部 あ り 、 其 の 一 は 無 行 灘 師 所 傳 救 使 迎 麟 本 に て 將 來 年 時 は 不 明 、 其 の 二 は 善 無 畏 三 藏 將 來 本 に て 將 來 年 時 は 開 元 四 年 で あ る 。 而 し て 亦 其 の 漢 繹 も 二 回 に 行 は れ 、 第 一

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回 は 開 元 七 年 善 無 畏 三 藏 奉 詔 繹 一 行 輝 師 筆 受 、 其 の 底 本 は 恐 ら く 善 無 畏 三 藏 將 來 本 な ら ん 。 第 二 回 は 開 元 十 二 年 乃 至 十 三 年 一 行 鐸 師 の 講 願 に 依 る 私 的 課 述 で あ り 、 そ の 底 本 は 無 行 灘 師 所 傳 本 で あ る。 是 に 於 て 當 然 次 t 起 る 問 題 は 、 現 行 本 ﹃ 大 日 維 ﹄ 七 巻 は 初 繹 な り や 再 課 な り や の 決 定 に 迫 ら れ て 來 る 。 併 し 遺 憾 乍 ら 私 の 現 下 の 研 究 で は 之 が 雌 雄 を 辮 別 す る 域 に は 到 達 し て ゐ な い が 、 ﹃ 大 正 藏 維 ﹄ 所 牧 本 で は 、 ﹁ 大 唐 天 竺 三 藏 善 無 共 沙 ﹁ 門 一 行 諜 ﹂ と あ り ﹁ 奉 詔 ﹂ の 二 字 な き 故 開 元 十 二 年 乃 至 十 三 年 課 で は み る ま い か 。 十 、 -﹃ 大 日 経 疏 ﹄ と ﹃ 大 日 経 義 繹 ﹄-沙 門 一 、行 は 斯 く し て 善 無 畏 三 藏 よ り 丞 旨 の 筆 授 を 享 け 、 ﹃ 大 日 維 ﹄ の 漢 課 を 完 成 し 、 然 る 後 に ﹃ 大 日 経 ﹄ の 注 疏 を 同 じ く 善 無 畏 三 藏 の 講 述 に よ り 述 作 せ ら れ た っ 故 に 後 學 吾 人 が 一 行 輝 師 の 教 墨 思 想 を 察 知 す る に は 之 に 擦 る 可 き が 捷 径 で あ る 。 而 る に 此 塵 に 再 び 面 倒 な る 事 は 、 現 行 本 牝 る 二 十 巻 本 ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ 十 四 巻 本 ﹃ 大 日 経 義 縄 ﹄ の 敦 れ に よ り 灘 師 親 か ら の 聲 名 を 率 直 に 蕪 く を 得 べ き で あ ら う か と 云 ふ 問 題 で 勘 る 。 姑 ら く 正 確 な る 知 識 を 得 る た め 、 爾 書 の 成 立 及 傳 來 に 考 諮 を 加 へ て 見 よ う 。 幸 に し て 蕾 肇 師 は 契 日 経 轟 の 桀 に 就 き て ﹄ (﹃ 叡 山 學 報 ﹄ 十 九 韓 、 昭 和 十 六 年) 及 ﹃ 大 甘 経 蓮 の 域 立 に 撃 る 小 考 ﹄( 上 下) の 両 雄 篇 を 公 に し 、 該 博 に し て 且 つ 精 緻 な る 考 誰 を 以 て 學 界 に 問 は れ た が 、 私 は 悉 く は 師 の 高 見 を 諒 解 し 得 な い の で あ る 。 而 し 、 密 教 學 者 な ら ざ る 私 も 師 の 研 究 に 啓 獲 さ れ 、 力 彊 く 第 一 歩 を 踏 み 出 し 得 た こ と は 感 謝 に 耐 へ な い 所 で あ る。 先 づ 第 一 に 、 一 行 騨 師 が 善 無 畏 三 藏 に 請 ひ ﹃ 大 日 輕 ﹄ の 講 鑓 を 開 か れ し は 何 時 な り や 。 清 田 師 は ﹁ 温 古 の ﹃ 義 繹 序 ﹄ 及 一 行 輝 師の 研 究 二 一

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一 行 輝 師 の 砺 究 二 二 崔 牧 の ﹃ 大 日 経 序 ﹄ に も 、 善 無 畏 や 一 行 の 傳 を 見 る も 、 精 細 な 事 情 は 知 り 得 す 、 文 獄 の 不 備 な る た め 嚴 密 な 考 究 は 恐 ら く 不 可 能 で は な か ら う か 。 ﹂ と 卿 ち 乍 ら 、 清 水 谷 師 が ﹃ 一 行 阿 閣 梨 傳 考 ﹄ に 於 て 濫 古 の 序 を 引 用 し 、 ﹁ 大 日 経 の 翻 繹 は 開 元 十 三 年 で あ つ て 一 行 輝 師 の 四 十 三 歳 の 時 で あ る 。 然 か も 輝 師 は 其 の 後 僅 か に 二 年 に し て 開 元 十 五 年 十 月 に は 入 寂 せ ら れ た の で あ る か ら 、 義 繹 は 大 日 経 の 翻 課 終 了 後 帥 ち 大 凡 開 元 十 四 年 及 十 五 年 の 間 に 行 は れ た も の に 相 違 な い 。﹂ と 推 論 せ ら れ 弛 る に 封 し 、 ﹁ 論 旨 穏 當 に し て 敬 服 に 債 す と 思 ふ 。 ﹂ と 讃 蹴 を 呈 し て 居 ら れ る 。 私 も 此 の 問 題 を 続 り て は 史 料 の 不 足 を 嘆 す る こ と 清 田 師 と 同 檬 で あ る が 、 徐 う に 愚 考 す る に、 両 師 の 読 に は 遽 か に 左 祖 し 得 な い の は 遺 憾 で あ る 。 そ れ は ﹃ 大 日 本 綾 藏 経 ﹄ 本 ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ の 巻 頭 に 掲 出 せ る 崔 牧 撰 ﹃ 大 毘 盧 遮 那 成 佛 神 攣 加 持 経 序 ﹂ の 一 節 に 、 有 中 天 竺 三 藏。 恢 號 善 無 畏 。 ⋮ ⋮ 中 宗 孝 和 皇 帝 。 承 風 迎 請。 至 開 元 丁 己 歳 。 三 藏 乃 持 梵 秘 典 。 杖 錫 來 儀 。 時 朝 野 翁 然 。 威 從 請 釜。 愛 有 大 暉 師 一 行 。 ⋮ ⋮ 暉 師 以 三 藏 懐 費 遠 來 。 受 詔 盗 票 。 因 請 宣 課 。 沙 門 寳 月 。 ・雅 妙 梵 語 。 精 詣 至 理 。 三 藏 臨 文。 誠 催 毎 章 。 ⋮ ⋮ 暉 師 存 實 去 華 。 令 質 文 有 腿 。 課 爲 六 巷 。 叉 別 課 供 養 次 第 法 一 巻 。 重 請 三 藏 和 上 敷 暢 厭 義。 云 云 と あ る を 克 く 克 く 味 讃 す れ ば 、 年 次 の 明 か に 徴 す 可 き 者 は な い け れ ど も 、 次 の 様 な 意 を 観 取 す る こ と が 出 來 る。 印 ち 一 行 礁 が 詔 を 享 畝 開 元 丁 已 の 年 馨 五 年 ( ﹃ 同 元 録 ﹄ ・ ﹃ 善 無 畏 行 歌 で は 開 元 四 年 と あ る 。 ﹄) 善 無 彗 一藝 迎 請 せ あ れ し 時 漿 せ る 遠 來 の 懐 實 牝 る 梵 典 を 以 て ﹃ 大 日 維 ﹄ を 課 し た と 云 ふ の で あ る か ら 、 已 に 私 の 考 誰 せ し 如 く 、 善 無 畏 三 藏 捧 詔 一 行 暉 師 筆 受 に 成 る 開 元 七 年 の 初 繹 を 指 す こ と 自 明 で あ り 、 重 ね て 一 行 輝 師 は 三 藏 和 上 に 蕨 の 義 を 敷 暢 さ れ ん こ と を 請 う た の で あ る か ち 、 其 の 時 期 は 不 明 な る も 、 開 元 七 年 を 降 る こ と 幾 ば く も な い 交 で あ ら う 。 清 田 師 は 崔 牧 の 序 が 開 元 十 六 年 撰 と 自 署

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せ る を 疑 ひ 、 籔 十 年 後 に 成 れ る か と 云 は れ る も 、 反 誰 不 十 分 に し て 容 易 に は 從 ひ 難 き を 以 て 之 を 輕 硯 し 、 私 は 依 然 崔 牧 の 序 を 信 す る 。 今 ・一 つ 撰 述 年 代 は 不 明 な る も 、 清 田 師 の 去 は れ る 如 く 文 中 開 元 十 五 年 一 行 灘 師 の 入 滅 及 同 二 十 三 年 の 善 無 畏 三 藏 の 入 寂 を 記 入 し 、 且 つ 玄 宗 皇 帝 を 今 上 と 記 せ る を 以 て 、 開 元 二 十 三 年 頃 よ り 天 寳 十 五 年 頃 迄 の 作 と 推 察 さ れ る ﹃ 大 日 本 綾 藏 経 ﹄ 本 ﹃ 大 日 経 義 繹 ﹂ 十 四 巻 の 冠 頭 に 見 ゆ る 濫 古 の ﹃ 晩 盧 遮 那 成 佛 紳 攣 加 持 輕 序 ﹄ に 、 爾 蕨 有 中 天 竺 三 藏 。 字 輪 婆 迦 羅 僧 詞 。 唐 號 善 無 畏 。 ⋮ 三 傳 授 此 維 爲 宗 匠 。 頃 有 詔 迎 之 。 常 爲 属 從 。 暉 師 一 行 。 命 世 之 生 也 。 ⋮ ⋮ 今 上 屈 之。 久 宴 中 抜 。 其 如 國 史 所 載 。 聞 三 藏 慈 法 費 之 嚢 。 思 起 予 之 請 。 承 詔 與 三 藏 謬 出 此 維 。 勿 爲 筆 受 。 繹 語 比 丘 寳 月 。 練 諸 教 相 。 ⋮ ⋮ 尚 慮 持 論 者 守 文 失 意 。 暉 師 叉 請 三 藏 。 解 繹 其 義 。 随 而 録 之 。 云 々 と あ る を 参 稽 す れ ば 、 頃 と は 何 時 な り や 明 確 な ら ざ な も 、 一 行 灘 師 が 承 詔 し て 繹 す と 宏 へ な 以 上 、 之 亦 私 の 云 ふ 如 く 開 元 七 年 の 初 回 奉 詔 課 た る に 相 違 な い 。 猫 ほ 之 に 引 綾 き 一 行 は 其 の 繹 義 を 請 へ る 者 た る を 以 て 、 ﹃ 大 日 維 ﹄ 講 鑓 の 時 期 は 温 古 崔 牧 の 爾 序 完 全 に 吻 合 し 、 恐 ら く 開 元 七 年 の 初 回 繹 述 の 直 後 よ り 隈 年 た る 開 元 十 五 年 迄 の 闇 と 想 定 致 す 可 き で あ ら う 。 随 つ て 涛 水 谷 葡 が ﹁ 義 耀 は 大 日 経 の 翻 課 終 了 後 帥 ち 次 汎 開 元 十 四 年 及 十 五 年 の 二 年 間 に 行 は れ た も の に 相 違 な く 、 當 時 一 行 は 自 身 が 病 身 で あ つ た ら う 上 に 、 八 十 九 歳 の 老 齢 に あ る 善 無 畏 の 遽 化 等 を 慮 り 欺 く 速 か に 大 肩 維 の 解 繹 を 請 う た も の で あ ら う 。 ﹂ と 云 は れ た 一 行 輝 師 に 樹 す る 洵 に 情 味 豊 か な 推 察 と 私 見 と は 根 本 よ り 立 場 を 異 に せ る 者 で あ る 。 次 に 講 鑓 の 開 か れ し 場 所 に 就 い て は 、 清 水 谷 師 は 善 無 畏 三 藏 の 佳 坊 た の し 洛 陽 の 大 幅 先 寺 で あ つ た ら う と 推 論 さ れ 、 清 田 師 も 亦 之 に 賛 意 を 表 せ ら れ て ゐ る が ゐ 私 も 此 の 問 題 に 關 す る 限 り 異 論 な く 、 何 れ で あ ら う と も 特 に 取 り 揚 け 一 行 輝 師, の研 究 二 三

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一 行 暉 師 の 研 究 二 四 る 可 き 主 題 も 含 ま れ て 居 な い か ら 、 之 を 不 問 に 付 す る こ と に す る 。 然 ら ば 善 無 畏 三 藏 の 講 述 せ し ﹃ 大 日 維 ﹄ 講 論 の 案 文 は 如 何 に し て 今 日 に 傳 は り し か 、 之 は 重 大 で あ る 。 換 言 す れ ば 現 行 本 ﹃ 大 日 維 疏 ﹂ 二 十 巻 ・ 同 ﹃ 義 繹 ﹄ 十 四 巻 は 如 何 に し て 吾 入 の 手 に 遺 さ れ る に 至 つ た 歎。 清 田 師 は 之 を 四 種 に 類 別 し 、 ( 一) 一 行 輝 師 筆 録 其 の 儘 の 草 本 、 ( 二) 一 行 灘 師 親 ら 之 を 欄 補 せ し 所 謂 未 再 治 本 、 ( 三) 智 撮 の 再 治 本 、 ( 四) 智 撮 以 外 の 入 に 依 る 再 治 本 、 之 で あ る 。 而 し て 私 は 現 行 本 が 此 の 中 敦 れ に 薦 す る や 、 亦 一 行 騨 師 の 學 読 を 理 解 す る に は 何 本 の 何 -れ の 箇 所 に 就 き て 護 諦 す べ き か を 嘉 か ん と 欲 す る 者 で あ る 。 申 す 迄 も な く、 吾 人 は 若 し } 行 暉 師 筆 録 、の 講 案 の 草 本 あ り と せ ば 、 之 を 最 も 尊 重 す べ き は 當 然 で あ る が 、 斯 る 草 本 の 類 が 今 日 現 存 せ る 例 は 、 一 般 か ら 云 ふ も 甚 だ 稀 有 で あ る 。 是 に 於 て 清 田 師 は 之 が 復 原 を 企 て 、 其 の 原 型 を 想 像 さ れ 、 善 無 畏 三 藏 課 ﹃ 奪 勝 儀 軌 ﹄ 巻 下 の ﹃ 繹 義 ﹄ 十 巻 及 本 邦 安 然 撰 ﹃ 八 家 秘 録 ﹄ の 玄 肪 將 來 の ﹃ 義 記 ﹄ 十 巻 が 草 本 の 爲 し で あ つ た と 想 は れ る と 云 つ て ゐ る 。 而 し 此 の 爾 本 の 存 在 を 夙 に 確 認 さ れ し は 大 村 西 崖 氏 で あ る が 、 之 が 草 本 的 償 値 を 力 論 主 唱 せ ら れ し は 勿 論 清 田 師 で あ る 。 斯 く し て 清 田 師 は ﹃ 妙 印 妙 ﹄ ﹃ 宥 快 砂 ﹂ 以 來 現 代 東 密 諸 家 に 至 る 迄 均 し く 唱 導 さ れ 、 近 く は 台 密 を も 鍍 修 せ ら れ し 標 田 雷 斧 師 、 台 密 專 修 家 た る 清 水 谷 恭 順 師 に 至 る 迄 悉 く 之 を 支 持 し 、 現 代 密 教 學 の 通 読 と な れ る 二 十 巻 本 ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ が 一 行 暉 師 の 筆 録 草 本 の 爲 し で あ る と の 蒙 を 啓 か れ る に 至 つ た の で あ る 。 而 し 私 は 大 村 氏 や 清 田 師 の 一 行 灘 師 筆 録 の 草 本 が 十 巻 本 で あ つ た と 云 ふ 読 に は 賛 同 致 し 兼 ね る 。 抑 々 ﹃ 奪 勝 儀 軌 ﹄ 巻 下 の 所 謂 ﹃ 繹 義 ﹄ 十 巻 な る 者 が 終 た し て 大 村 氏 や 清 田 師 の 考 へ ら れ し 如 く 、 一 行 灘 師 筆 録 善 無 畏 三 藏 講 述 の ﹃ 大 日 維 ﹂ の 注 繹 書 十 巻 と 云 ふ 意 味 で あ ら う 歎 。 今 試 み に 其 の 原 文 を ﹃ 大 正 藏 経 ﹂ 所 牧 の 享 保 年 間 刊 豊 山 大 學 本 を 原 本 と せ る ﹃ 奪 勝

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