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密教研究 Vol. 1931 No. 40 003神龜 法壽「近世の高野寺領と其の經濟 (其二) P54-87」

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 五 四

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三 千 石 は 剃 髪 寺 (後 の 青 巖 寺 ) 料 内 千 石 は 剃 髪 寺 の 佛 供 燈 明 並 寺 俗 諸 賄 料 、 残 二 千 石 の 内 三 分 二 は 高 野 捻 山 内 堂 塔 伽 藍 の 修 理 料 、 三 分 一 は 永 代 積 立 。 今 此 れ に 依 つ て 之 れ を 見 る に 初 度 の 一 萬 千 石 中 六 千 石 は 學 侶 の 知 行 、 四 千 石 (奥 院 料 、 一 山 修 理 料 ) は 行 人 の 支 配 、 千 石 は 慮 其 上 人 の 知 行 、 第 二 度 目 の 一 萬 石 中 七 千 石 は 學 侶 の 知 行 、 二 千 石 (内 三 分 一 は 永 代 積 立 ) は 行 人 の 支 配 、 千 石 は 懸 其 上 人 の 支 配 (當 時 磨 其 は 青 巖 寺 を 支 配 し て ゐ た か ら ) と な り 、 從 つ て 総 寺 領 二 萬 千 石 中 の 一 萬 三 千 石 は 學 侶 の 知 行 、 六 千 石 は 行 人 の 支 配 、 残 り 二 千 石 中 の 一 千 石 は 廃 其 上 人 の 知 行 、 一 千 石 は 同 じ く 慮 其 上 人 の 支 配 と な る の で あ る が 、 斯 く の 如 く 、 秀 吉 爾 度 の 寄 進 に か 、 る 寺 領 の 配 砂 法 が 學 侶 に は 頗 る 厚 く し て 當 時 度 々 の 一 山 動 謝 に 際 し て 武 力 的 に 相 當 の 功 勢 を 樹 て ゝ ゐ だ 行 人 方 に は 殊 の 外 薄 く 特 に 知 行 と 稻 す べ き 一 合 一 勺 の 土 地 も 與 へ ら れ な か つ た 事 が 起 因 と な つ て 所 謂 癒 其 樹 行 人 方 、 績 い て 癒 其 封 高 野 一 山 の 不 和 問 題 が 惹 起 す る に 到 つ た の で あ る 。 帥 ち 初 度 の 寄 進 一 萬 千 石 に 於 い て 、 慮 其 上 人 へ の 一 千 石 は 前 號 所 載 の 如 く 、 秀 吉 が 直 接 に 之 れ を 慮 其 上 人 を 名 ざ し に て 下 賜 し た も の で あ る か ら 此 れ は 別 問 題 と し て 獲 り 一 萬 石 の 寺 領 の 配 當 方 は 癒 其 は 之 れ を 直 接 高 野 山 へ 登 つ て 支 配 割 當 す べ き 所 を 當 時 秀 吉 の 螢 中 に あ つ て 淺 野 長 政 と 同 道 せ す し て は 叶 は ぬ 要 事 が あ つ て 随 從 し て ゐ た 文 珠 院 や 五 大 院 に 申 含 め 、 之 れ を 代 理 と し て 登 山 せ し め 、 (績 寳 簡 集 五 近 世 の 高 野 寺 硬 と 其 の 経 濟 五 五

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 五 六 十 ノ 第 四 〇 二 號 ) 其 の 配 分 方 を ば 槍 校 已 下 老 若 の 學 侶 に 委 托 し た (春 秋 ) 爲 め に 、 學 侶 方 は 上 記 の 如 く 六 千 石 は 學 侶 方 の 知 行 と し た の み な ら す 二 千 石 の 一 山 修 理 料 は 古 來 の 仕 來 り に 依 つ て 行 人 の 支 配 (古 來 高 野 山 塔 堂 の 修 理 等 世 間 的 の 俗 務 は 行 人 方 の 支 配 と な つ て ゐ 淀 ) と し た け れ ど も 獲 り 二 千 石 の 奥 院 燈 明 料 さ へ も 古 法 に 違 背 し て 學 侶 の 支 配 (古 來 奥 院 の 行 事 、 支 配 は 行 人 方 の 受 持 と 決 つ て ゐ た ) に し や う と さ へ す る に 到 つ た 。 さ れ ば 癒 其 は 後 に 此 の 事 を 知 つ て 此 の 二 千 石 を 以 っ て 彼 の 叉 績 寳 簡 集 一 一 入 ノ 第 一 入 入 二 號 に 載 す る ﹁ 高 野 山 奥 院 知 行 子 細 書 ﹂ に 誌 す が 如 く 奥 院 灯 燈 が 三 百 に な る ま で 目 分 の 借 分 と し て 學 侶 方 の 諒 解 を 得 て 之 れ を 行 人 方 に 支 配 せ し め た 位 で は あ る け れ ど も 行 人 方 は 此 れ を 知 つ て か 知 ら す し て か 大 い に 其 の 偏 頗 な る 庭 置 に 封 し て 非 難 の 聲 を 高 め て 癒 其 を 責 む る 所 が あ つ た の で 、 癒 其 は 其 の 年 の 十 二 月 九 日 、 北 京 大 佛 造 螢 の 螢 中 よ り (當 時 癒 其 は 秀 吉 の 命 に 依 つ て 京 都 大 佛 の 建 立 の 奉 行 と な つ て ゐ た ) 朋 傲 を 高 野 山 年 預 坊 へ 寄 せ て ﹁ 拙 檜 儀 一 部 始 終 御 衆 中 之 御 爲 能 様 と 存 迄 候 、 あ ま り か だ て う ち な る 様 に 世 間 者 衆 (行 人 ) も お も は れ 候 て は い か 、 と 存 候 、 讐 方 能 様 に と 存 候 得 共 難 成 候 (中 略 ) 寺 領 も 今 少 從 上 慌 (秀 吉 ) 被 仰 付 、 世 間 者 衆 に 少 々 つ 、 成 共 被 配 分 度 候 、 此 分 に て は 返 々 各 御 爲 向 後 い か 、 と 存 候 、 少 弼 殿 (淺 野 長 政 ) 其 外 知 音 之 衆 と 申 談 候 云 々 ﹂ と 行 人 方 の 不 當 を 諭 し 兼 ね て 己 が 心 情 を 述 懐 し て ゐ る の で あ る 。 高 野 山 奥 院 知 行 子 細 書

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奥 院 戴 千 石 之 知 行 之 子 細 、 金 剛 頂 院 畳 之 通 書 進 候 一 大 閤 様 高 野 山 へ 最 初 二 知 行 壼 萬 石 被 成 御 寄 附 候 、 其 時 癒 其 上 人 被 申 候 ハ 、 折 節 天 下 徳 政 行 キ 奥 院 灯 燈 之 敷 銭 捨 タ ヅ 候 故 、 灯 明 致 退 轄 候 間 、 壼 萬 石 被 下 候 知 行 之 内 試 千 石 、 已 來 灯 煽 出 來 候 迄 、 借 用 候 て 給 候 様 二 と 、 衆 徒 中 へ 上 入 達 而 被 申 候 故 、 衆 徒 中 合 黙 仕 、 上 人 へ 借 分 二 て 、 知 行 武 千 石 付 申 候 由 、 金 剛 頂 院 惜 二 畳 た る 由 、 物 語 被 申 候 一 日 外 奥 院 領 之 儀 、 被 仰 越 候 、 今 金 剛 頂 院 御 物 語 候 間 、 其 逓 若 御 用 二 も 候 ハ ゝ と 存 、 書 付 進 候 以 上 其 外 之 儀 ハ 、 從 寳 珠 院 、 高 粗 院 へ 被 進 候 書 物 之 内 二 有 之 由 二 候 然 し 乍 ら 去 る 天 正 入 年 入 月 十 七 日 に 泉 州 境 の 町 奉 行 松 井 友 閑 の 歩 卒 三 十 二 人 を 密 謀 を 以 つ て 饗 癒 に 事 寄 せ て 之 れ を 塵 殺 し た 功 勢 に 依 つ て 一 山 よ り 集 會 並 み の 待 遇 を 受 け て ゐ る 行 人 方 沙 汰 衆 十 人 や 又 は 越 え て 同 九 年 十 月 五 日 、 織 田 信 長 高 野 攻 め の 軍 勢 十 三 萬 七 千 二 百 二 十 人 を 寺 領 地 土 高 野 の 若 大 衆 三 萬 六 千 鯨 人 を 引 き 連 れ て 高 野 登 山 道 七 口 に 駈 け 向 つ て 之 れ と 牢 歳 已 上 に 渉 つ て の 大 激 戦 に も 勝 を 譲 ら す 織 田 勢 を 寺 領 内 へ 一 歩 も 踏 み 入 ら し め な か つ た 総 大 將 蓮 上 院 の 辮 仙 や 花 王 院 の 快 翁 を 初 め と し て 高 野 方 軍 勢 の 旗 頭 二 十 人 (矢 張 其 の 功 に 依 つ て 一 山 集 會 並 の 取 扱 ひ を 受 く ) の 如 き 荒 法 師 た ち が 蠕 鋸 し て ゐ る 行 人 方 に 於 い て は 以 上 の 如 き 癒 其 上 人 苦 心 の 心 情 や 自 己 の 不 當 な ど は 諒 解 さ る 、 鐸 も な く 唯 々 愚 直 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 五 七

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 五 八 剛 豪 の 言 動 を な し て 、 徒 ら に 寛 治 以 後 一 山 隆 盛 の 総 寺 領 十 七 萬 三 千 三 十 七 石 の 時 代 、 否 左 程 迄 に は 考 へ す と も 紗 く と も 秀 吉 寺 領 没 牧 以 前 の 寺 領 五 萬 石 の 奪 還 を 望 み 且 つ 三 萬 六 千 の 高 野 万 軍 勢 に て 十 三 萬 歎 千 の 大 軍 に 樹 抗 し た 當 時 を 思 へ ば 今 大 閤 の 軍 を 迎 ふ る も 苦 し か ら す 、 徒 ら に 蹄 順 承 服 す る は 愚 の 至 極 な り と て 癒 其 を 非 難 し 動 も す れ ば 一 山 暴 畢 の 企 て に も 及 ぶ ま じ き 状 態 に 迄 立 ち 到 つ 九 の で 癒 其 及 學 侶 方 は 此 れ を 危 瞼 視 し 止 む な き 事 と し て 天 正 二 十 年 寄 進 の 第 二 度 目 の 寺 領 一 萬 石 の 配 分 率 を 次 の 如 く に 改 め 且 つ 天 正 十 九 年 度 の 寺 領 一 萬 一 千 石 中 の 一 山 修 理 料 を も 亦 行 人 方 支 配 の 私 領 と し て 改 訂 す る に 到 つ だ も の で あ る 。 天 正 二 十 年 寄 進 一 萬 石 の 配 分 一 千 石 剃 髪 寺 の 佛 供 燈 明 並 寺 僧 賄 料 一 千 五 百 石 學 侶 方 の 知 行 五 千 石 行 人 方 五 院 支 配 の 知 行 五 百 石 壇 上 の 供 燈 料 (行 入 方 支 配 ) 二 千 石 諸 伽 藍 修 理 料 ( 行 學 共 ) さ れ ば 此 の 爾 度 の 寄 進 に な る 寺 領 二 萬 千 石 は 之 れ を 改 め て 表 示 す れ ば 次 の 如 く 行 人 學 侶 共 に 七 千 五 百 石 と な り 、 所 謂 衆 行 同 等 の 知 行 配 分 と な る 事 に な つ た の で あ る 。 即 ち

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七 千 五 百 石 學 侶 方 支 配 の 知 行 七 千 五 百 石 行 人 方 支 配 の 知 行 二 千 石 奥 院 燈 明 料 二 千 石 諸 伽 藍 修 理 料 一 千 石 剃 髪 寺 の 佛 供 燈 明 並 寺 僧 賄 料 一 千 石 癒 其 上 人 の 知 行 然 る に 斯 様 に し て 學 侶 行 人 支 配 の 寺 領 が 同 等 と な る に 到 つ て は 行 人 方 に 於 い て は 何 等 の 申 分 は な く と も 學 侶 方 に 於 て は 元 々 一 萬 三 千 石 の 寺 領 を 擁 し て ゐ た も の は 今 や 其 の 寺 領 を 孚 減 さ れ 淀 の で 一 山 の 學 侶 方 寺 院 が 其 の 院 領 や 供 料 の 減 少 す る 所 か ら 承 認 せ す 一 山 は 再 び 傲 々 喧 々 鼎 の 沸 き 立 つ が 如 く 騒 ぎ 出 し 、 果 て は 文 祓 元 年 十 月 に 到 つ て 一 山 の 中 萬 が 結 束 し て 下 山 し 、 大 い に 不 隠 の 行 動 に 出 で 、 山 中 の 法 會 法 談 は 全 く 磨 絶 に 瀕 す る の み な ら す 、 之 れ よ り し て 満 山 の 大 衆 は 只 ひ た す ら に 癒 其 上 人 を 恨 む 様 に な り 途 に は 種 々 な る 悪 策 を 設 け て 上 人 の 立 場 を 苦 し ぐ し 、 各 方 面 に 向 つ て 上 人 失 墜 の 謀 術 を 試 み る に 到 つ た も の で あ る 。 後 日 、 上 人 が 下 山 す る 様 に な り 、 叉 彼 の 元 豫 年 間 に 一 山 の 行 人 と 學 侶 と が 大 い に 講 論 の 結 果 双 傷 沙 汰 に も 及 び 徳 川 幕 府 よ り 爾 方 (特 に 行 人 方 ) の 宿 老 方 が 遠 國 流 罪 の 刑 に 庭 せ ら る 、 に 到 つ た 原 因 の 主 な 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 五 九

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 六 〇 る も の は 今 の 此 の 寺 領 配 分 の 問 題 に 起 因 す る と 云 は れ る の で あ る 。 兎 に 角 斯 の 様 な 場 合 に 此 の 標 な 問 題 が 惹 起 す る の は 何 時 如 何 な る 場 合 で も 當 然 な 事 で あ る 。 帥 ち 學 侶 方 か ら 見 れ ば 昨 日 迄 一 萬 三 千 石 の 寺 領 に 決 定 せ し 知 行 が 行 人 の 暴 暴 に 依 つ て 急 に 七 千 五 百 石 と な り し は 勿 論 不 服 な る べ く 、 又 例 へ 無 理 暴 暴 に も せ よ 其 の 主 張 の 貫 徹 し て 無 知 行 の 朕 態 か ら 憲 に 一 躍 七 千 五 百 石 の 大 領 を 得 た 行 人 と 錐 も う 寛 治 以 後 の 十 七 萬 鯨 石 、 秀 吉 槍 地 以 前 の 五 萬 石 の 時 代 に 於 け る 廣 大 な る 寺 領 に 比 較 す れ ば 全 く 取 る に 足 ら ぬ 小 領 で あ る か ら 之 れ 叉 秀 吉 に 劃 し て は 快 か ら す 思 ひ 、 途 に は 此 の 秀 吉 の 命 を 受 け 其 の 信 任 を 得 て 寺 領 寄 附 の 事 か ら 其 の 配 分 の 事 に 迄 悉 く 取 裁 い て ゐ る 癒 其 上 人 を 恨 む の も 亦 當 然 の 事 で あ る 。 斯 く し て 癒 其 は 全 く 一 山 の 愴 ま れ 者 と な り 慮 其 樹 一 山 の 問 題 は 盆 々 悪 化 し て し ま つ た の で あ る 。 然 し 乍 ら 叉 一 方 癒 其 上 人 の 立 場 よ り し て 見 る な ら ば 全 く 氣 の 毒 な る 状 態 と 云 ふ の 外 は な い 。 元 來 高 野 山 徒 が 去 る 天 正 十 三 年 の 夏 三 月 、 秀 吉 が 根 來 を 破 壊 焼 滅 し 、 績 い て 四 月 七 日 、 大 軍 を 率 ゐ て 雑 賀 よ り 粉 河 に 到 り 、 使 者 を 高 野 山 に 立 て 、 三 ヶ 條 の 案 文 を か ざ し て 其 の 諾 否 を 問 ふ た 其 の 十 日 慮 其 が 南 院 の 宥 全 や 遍 照 尊 院 の 快 言 を 件 ふ て 之 れ に 樹 面 し 、 績 い て 其 の 十 六 日 前 槍 校 法 印 良 運 や 法 眼 室 雄 と 共 に 秀 吉 の 陣 屋 に 到 り 御 請 状 並 に 紳 文 を 進 上 し な か つ た な ら ば 果 し て 高 野 山 は 今 日 の 安 泰 を 見 る に 到 つ た か 、 否 同 秋 七 月 十 六 日 に 秀 吉 よ り 現 米 一 萬 石 、 大 和 宇 知 郡 の 三 千 石 並 に 黄 金 一 千 枚 、 來 迎 柱 檜 栃 の 二 本 を 賜 ふ べ き 朱 印 を 得 て 彼 の 後 柏 原 天 皇 の 永 正 十 入 年 二 月 、 西 院 小 坊 の 類 火 に あ ふ ら れ て 以 來 此 の 年

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に 到 る 造 度 々 の 勅 許 勧 財 に も 術 再 建 し 得 な か つ た 金 堂 の 造 立 が 出 來 た で あ ら う か 、 同 十 入 年 九 月 興 山 寺 の 落 慶 を 見 る 事 が 出 來 た で あ ら う か 、 將 叉 文 豫 元 年 七 月 十 四 日 に 同 じ く 永 正 の 類 焼 以 來 の 大 塔 を 再 建 の 恩 命 (文 緑 三 年 秀 吉 高 野 登 山 の 瑚 登 願 あ り 、文 緑 四 年 正 月 二 十 一 日 よ り 造 立 、修 理 料 と し て 一 萬 八 千 九 十 七 石 を 下 賜 さ れ 、 同 年 九 月 入 日 大 成 、慶 長 二 年 三 月 廿 一 日 勅 使 登 山 あ つ て 落 慶 供 養 ) が 得 ら れ 、 同 入 月 四 日 、 母 公 天 瑞 寺 殿 春 巖 貞 松 大 暉 尼 追 幅 の 爲 め に 一 萬 石 の 永 代 寺 領 と 剃 髪 寺 造 螢 料 現 米 一 萬 石 自 銀 三 千 枚 の 寄 進 が 得 ら れ た で あ ら う か ど う か 。 否 寧 ろ 當 時 の 山 徒 と し て は 花 王 院 快 翁 、 蓮 上 院 辮 仙 を 初 め と し て 行 人 沙 汰 衆 十 人 、 或 は 同 二 十 人 等 の 荒 法 師 そ ろ ひ な れ ば 或 は あ の 時 に 大 閤 に 反 抗 し て 根 來 の 二 の 舞 を や る 事 は 當 然 で あ つ た の だ G 然 る に 高 野 山 は 今 は 此 の 安 泰 隆 盛 で あ る o 殊 に 太 閤 は ﹁ 癒 其 の 爲 め に 高 野 山 を 立 て 置 く ﹂と か 或 は ﹁ 高 野 の 慮 其 と 思 ふ な 、 慮 其 の 高 野 で あ る ﹂ と 迄 諭 し て ゐ ら れ る で は な い か 、 然 る を 一 山 の 大 衆 が 我 を 恨 む は 何 事 ぞ と 内 心 頗 る 不 満 で あ つ た に 相 違 な い 。 さ れ ば こ そ 彼 は 文 祓 初 年 に 大 佛 螢 中 か ら 高 野 山 年 預 房 へ 逡 つ た 書 状 (績 寳 簡 集 五 一 第 四〇 入 號 ) の 中 に も 北 蓮 上 院 其 の 他 の 院 領 や 中 萬 下 山 の 事 に つ い て 述 懐 し て 北 蓮 上 院 之 儀 、 院 領 我 等 次 第 之 由 承 候 、 各 御 内 存 と ハ 萬 事 相 違 仕 候 、 ミ な ハ 御 法 度 被 仰 候 を 、 我 等 申 曖 候 て 、 院 領 な と を も ま い ら す る 様 二 仕 候 て ハ 、 双 方 能 候 慮 、 我 等 之 書 状 を 、 蓮 院 に 御 見 せ 候 由 候 て 、 一 段 之 述 懐 に て 候 、 そ れ ハ 各 ハ 無 御 如 在 候 へ 共 、 我 等 合 黙 不 行 候 様 、 可 被 仰 だ め に 候 、 近 比 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 六 一

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 六 二 迷 惑 二 候 、 此 上 ハ 寺 法 も 何 も 不 被 相 構 、 そ な だ の 存 分 ほ と 被 遣 候 て 可 然 候 、 さ や う 二 な く 候 ヘ ハ 、 我 等 之 表 裏 も の 二 罷 成 候 、 東 室 之 候 も 、 其 方 に て 可 然 之 様 二 可 有 御 計 候 、 就 中 今 度 之 離 山 之 衆 の な を ら れ 候 様 、 又 我 等 之 書 状 共 、 蓮 院 へ 見 せ ら れ 候 様 膿 、 其 外 各 諸 事 取 沙 汰 、 労 以 高 野 ハ や ふ れ 可 申 候 、 拙 信 之 儀 、 以 誓 詞 申 入 候 條 、 毛 頭 も 疎 略 ハ な く 候 、 後 々 に 相 見 え 可 申 候 云 々 と 怒 り 、 畢 寛 院 領 供 料 等 、 御 分 量 に 過 申 候 間 、 御 學 文 ハ す た り 候 て 、 世 間 か ち 二 な り 候 て 、 彌 々 と ん よ く ハ 増 す る も の に て 候 、 乏 二 か く 二 険 止 二 存 候 問 、 先 萬 事 を さ し を か れ 候 て 、 法 服 袈 裟 之 様 成 も の を 、老 若 共 二 御 た し な み 可 然 候 、 い か さ ま 於 京 都 大 法 事 あ る べ く 候 、 東 寺 塔 供 養 な と 、 其 外 何 成 共 大 法 事 を 、 上 様 よ り 被 仰 付 か 、 又 我 等 之 興 行 仕 候 か 、 い つ れ も 眞 言 宗 を と り た て 大 師 之 御 威 光 を 今 一 度 か 、 や か し 申 度 候 と 、 深 刻 な る 批 評 と 説 諭 を 試 み て ゐ る の で あ る 。 斯 様 に し て 行 人 樹 慮 其 、 學 侶 封 癒 其 、 一 山 野 慮 其 、 行 人 野 學 侶 等 の 頗 る デ ソ ヶ ー ト な 多 角 形 關 係 を 生 じ て 此 の 二 萬 一 千 石 の 知 行 分 配 の 事 よ り 此 所 数 年 は 高 野 山 上 山 下 頗 る 喧 騒 を 極 め た の で 常 に 慮 其 と 親 し く し 、 且 つ 常 に 秀 吉 の 側 近 に あ つ て 仕 ふ る あ ら ゆ る 人 た ち は 一 は 高 野 山 安 泰 の 爲 め に 、 一 は 癒 其 の 心 情 を 察 す る の 籐 り 此 の 爾 者 の 中 間 に 立 っ て 和 解 の 勢 を と り 、 和 準 の 實 を あ げ ん と し て 頗 る 奔 走 し

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た 模 様 が 現 存 せ る 高 野 山 古 交 書 に 依 つ て 頗 る 多 数 に 見 ら れ る 所 で あ る が 、 特 に 此 の 時 仲 介 の 勢 を 取 つ た 主 要 な る 人 々 は 明 智 坊 宥 照 、 大 藏 法 師 一 婁 、 中 務 式 部 少 輔 大 原 椹 右 衛 門 尉 、 太 宰 帥 法 印 獣 仲 、 式 部 少 輔 中 村 一 氏 、 小 出 播 摩 守 秀 政 、 本 多 因 幡 守 忠 能 な ど で あ つ て 彼 の 聖 護 院 門 跡 の 如 き 迄 が 此 の 事 件 に 關 連 し て 種 々 の 口 添 へ を し て ゐ ら れ る の で あ る 。 殊 に 彼 の 太 宰 帥 法 印 獣 仲 師 の 如 き は 同 じ く 太 閤 の 信 任 を 得 て 常 に 共 に 随 從 し て ゐ た 人 で あ る か ら 此 の 問 題 が 惹 起 す る や 頻 り に 斡 旋 の 勢 を 取 つ て 爾 者 の 和 李 を 望 ま れ た の で 癒 其 上 人 は 之 れ を 謝 し て 次 の 如 き 禮 状 (績 寳 簡 集 五 一 、 第 四 一 四 號 ) を 途 つ て ゐ ら れ る の で あ ろ 。 猶 , 寺 領 諸 百 姓 共 、 今 日 こ れ へ よ ひ よ せ 、 あ ら く 尋 候 ヘ ハ 、 中 く か 、 ら さ る 學 侶 衆 さ い は . ん 二 候 、 諸 事 可 得 御 意 候 以 上 先 刻 も 以 書 状 申 候 つ る 、 返 二 殊 勝 な る 御 返 書 を 戚 ま い ら せ 候 而 、 先 只 今 申 入 候 、 猶 , 高 野 よ り 可 申 入 候 、 此 外 不 申 候 今 日 之 御 返 札 、 長 々 と う け 給 候 て 、 一 々 二 数 返 見 申 候 、 さ り と て ハ 奇 特 な る 御 内 謹 二 候 、 か 様 の 御 心 も ち に て こ そ 、 御 出 頭 も 候 へ と 、 我 等 前 二 居 申 候 者 共 二 か た り 候 て 、 乍 揮 域 入 た て ま つ り 候 、 得 心 申 候 、 彼 悪 行 U 々 二 書 立 可 進 之 候 、 被 仰 様 尤 二 候 、 此 方 よ り ハ よ し も な く 申 入 候 慮 、 誠 候 事 こ ま か に や は ら か せ ら れ 承 候 段 、 中 く 不 及 是 非 候 、 こ れ ほ と 二 も 、 拙 信 御 返 事 申 儀 ハ 、 繹 迦 彌 陀 大 師 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 六 三

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 六 四 同 前 二 存 事 候 、 夜 中 よ り 大 佛 を 罷 立 候 間 、 一 筆 倉 申 候 術 此 の 種 の 往 復 文 書 が 績 寳 簡 集 だ け で も 数 十 通 を 数 へ 得 る が 、 然 し 今 は 省 略 し て 其 の 大 膿 を 述 ぶ る 事 と な し 、 後 日 此 の 癒 其 上 人 樹 高 野 山 の 一 件 に 就 い て は 、 他 日 癒 其 上 人 の 傳 記 を 叙 述 す る 際 に 譲 る 事 と す る が 、 斯 く し て 寺 領 配 分 の 事 よ り 計 ら す も 學 行 爾 涙 及 封 癒 其 上 人 と の 間 に 一 大 事 件 を 醸 し た の で 、 其 の 後 此 の 寺 領 配 分 の 事 は 、 學 行 同 等 の 七 千 五 百 石 宛 で は 不 當 で あ る と の 結 論 に 達 し 、 遽 に 癒 其 及 び 其 の 他 の 人 々 協 議 の 上 行 人 方 知 行 七 千 五 百 石 中 の 五 百 石 を ば 諸 堂 下 行 料 と し て 之 れ を 學 侶 方 へ 差 し 加 へ 入 千 石 學 侶 方 知 行 七 千 石 行 人 方 知 行 と な つ て 事 落 着 に 及 び 此 の 入 封 七 の 規 式 が 永 く 徳 川 三 百 年 間 の 規 模 と も な り 一 山 寺 院 の 院 領 供 料 を も 之 れ に 依 っ て 各 々 配 分 さ る 、 に 到 つ た も の で あ る 。 六 領 院 ざ 供 糾 績 寳 簡 集 五 一 第 四 〇 一 の 興 山 上 人 癒 其 の 書 状 な る も の を 見 る と 昨 日 一 山 寺 院 の 院 領 や 諸 堂 の 供 料 が 萬 事 相 濟 ん で 自 他 共 に 珍 重 な 事 で あ る と な つ て ゐ る が 、 拠 て 其 の 日 時 に 就 い て は 唯 入 月 十 六 日 と し て 年 次 が 記 入 し て な い か ら 一 向 に 不 明 で あ る 。 尤 も 紀 伊 綾 風 土 記 五 十 一 憲 の 寺 領 浩 革 通 紀 之 下 に は 此 の

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寺 領 配 分 の 旧 次 を 以 つ て 天 正 廿 年 の 入 月 十 五 日 と な し 、 帝 大 史 料 編 纂 所 編 纂 の 高 野 山 文 書 の 此 の 文 が 又 註 記 し て ﹁ 文 緑 元 年 ﹂ と し て 居 り 、 上 記 風 土 記 も 此 の 書 状 を 以 つ て ﹁ 翌 日 癒 其 の 手 牒 一と し て 居 る か ら 或 は 此 の 書 状 が 天 正 二 十 年 即 ち 文 腺 元 年 の 入 月 十 六 日 の 登 信 で あ り 從 つ て 院 領 配 當 の 當 日 が 此 の 前 日 た る 同 月 の 十 五 日 で あ つ た の か も 知 れ な い が 、 然 し 私 の 考 へ る 所 で は 此 の 文 書 が 或 は 文 緑 二 年 の 登 信 で は な い か と 思 は れ る の で あ る 。 何 と な れ ば 彼 の 小 出 播 摩 守 秀 政 が ﹁ 不 慮 二 中 萬 衆 下 山 之 條 、 愛 許 掬 置 候 庭 、 中 式 少 (中 村 一 氏 ) 聖 門 様 (聖 護 院 門 跡 ) と 被 相 談 、 帥 無 事 相 調 蹄 山 候 云 々 ﹂ と 學 侶 年 預 房 へ 登 信 し て ゐ る の が 十 月 十 日 付 で あ り 、 叉 上 に も 引 用 し た 所 の 同 じ く 年 預 房 宛 に 癒 其 上 人 が 登 信 し て ゐ る ﹁ 院 領 供 料 等 御 分 量 に 過 申 候 間 御 學 文 ハ す た り 候 て 世 間 か ち 、二 候 て 彌 と ん よ く は 増 す る も の に て 候 云 々 し の 書 状 が 矢 張 り 十 月 十 入 日 付 で あ る か ら で あ る 。 尤 も 高 野 春 秋 は 入 月 九 日 (文 腺 元 年 ) ﹁ 學 侶 惣 代 傳 一上 御 朱 印 及 御 造 寺 之 請 文 於 中 村 、小 出 爾 氏 一、 協 二台 意 一尖 ﹂ と し 、 次 い で 廿 五 日 、﹁ 慮 其 及 學 侶 宿 老 會 盟 、 而 決 二談 一 萬 石 、分 知 之 格 式 一也 ﹂ 次 に ﹁ 廿 六 日 、 癒 其 手 簡 途 二年 預 乞 一智 荘 嚴 院 三 寳 院 爾 寺 之 院 領 加 培 一潜 二私 情 一分 ﹂ と し て 悉 く 風 土 記 の 説 や 實 際 の 書 状 に あ る の と は 十 日 間 相 違 し た 日 時 を 誌 し て ゐ る か ら 先 づ 此 れ は 取 る に 足 ら す と す る も 矢 張 り 同 年 (文 腺 元 年 ) の 入 月 中 に あ つ た 事 と し で 績 寳 簡 集 の 註 、 風 土 記 、 春 秋 等 高 罫 山 史 に 關 係 あ る 史 料 が 悉 く 入 月 中 に 院 領 の 配 分 が み つ た 様 に 誌 し て ゐ る か ら 余 の 如 き 未 だ 此 の 方 面 の 研 究 に 詳 細 を 極 め て の な い も の が 今 は 此 所 に 文 緑 元 年 な ら す と 敢 へ て 輕 々 し く 之 れ を 断 言 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 六 五

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近 世 の 高 野 寺 優 と 其 の 経 濟 六 六 し て 目 己 の 奇 と 學 と を て ら は ん と す る も の で は な い が 、 然 し 事 實 に 於 い て 前 章 に 叙 述 せ し が 如 き 大 事 件 並 に 中 萬 下 山 、 蓮 上 院 所 罰 の 事 實 か ら 徴 し て 見 て も 矢 張 り 之 れ は そ ん な に 早 く 解 決 す る も の で は あ る ま い と 云 ふ 疑 問 を 有 す る も の で あ る 。 然 し 今 は 余 に 於 い て 疑 冊 は 疑 問 と し て 兎 に 角 彼 の 問 題 の 入 月 十 六 日 に 登 信 さ れ た 慮 其 上 人 の 書 状 は 次 の 如 き も の で あ る 。 猶 々 帥 法 印 (漱 仲 ) へ の 御 馳 走 に 候 間 、 三 寳 院 (観 癒 ) へ 昨 日 之 上 二 五 石 之 加 培 、 可 有 如 何 哉 以 上 昨 日 者 萬 事 相 濟 候 由 、 自 他 珍 重 候 、 殊 御 存 分 共 、 誠 殊 勝 存 候 、 天 野 慈 奪 院 之 肚 領 供 料 等 、 被 付 置 候 段 、 紳 慮 と 申 候 、 外 聞 労 以 目 出 度 儀 共 候 、 勿 智 荘 嚴 院 之 儀 、 各 如 御 存 知 、 不 混 自 余 家 之 儀 候 間 、 昨 日 之 上 二 、 十 石 之 加 増 を 被 遣 候 ハ 、 生 前 可 爲 本 懐 候 、 此 外 二 誰 々 如 何 様 二 申 候 共 、 昨 夕 申 堅 候 分 た る へ く 候 、 各 も 少 も 被 甘 間 敷 候 、 永 々 昨 日 之 評 謎 二 、 諸 篇 可 有 治 定 候 、 但 未 決 之 儀 共 候 者 、 重 而 可 申 談 候 、 其 方 に て も 此 方 に て も 、 一 方 と し て 昨 日 之 置 目 不 可 有 相 違 候 、 諸 寺 役 諸 法 度 、 任 奮 例 可 被 執 行 候 、 猶 從 是 可 令 申 候 斯 く の 如 く し て 兎 に 角 配 分 し 終 つ た 寺 院 の 院 領 と 供 料 と は 太 閤 槍 地 以 前 の 一 山 制 條 を 基 礎 と し 、 其 れ と 此 れ と を 参 酌 し て 所 謂 一 山 の 規 式 彼 の 徳 川 三 百 年 の 問 に も 殆 ん ど 改 正 す る 事 な き 基 準 を 評 定 し た も の で あ る 。 郎 ち 太 閤 ( 天 正 ) 槍 地 以 前 は 大 衆 の 内 大 集 會 は 百 石 宛 、 小 集 會 は 五 十 石 宛 と な つ て ゐ て 、 大

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集 會 の 寺 院 は 花 王 院 、 三 責 院 、 智 荘 嚴 院 、 南 蓮 上 院 . 北 蓮 上 院 の 五 院 、 小 集 會 は 持 明 院 、 修 繹 院 、 十 輪 院 、 定 光 院 、 大 光 明 院 の 五 ヶ 院 で あ つ た が 、 其 の 後 彼 の 上 記 の 天 正 八 年 入 月 十 七 日 に 松 井 友 閑 の 歩 拳 珊 二 人 を 塵 殺 し だ 時 に 功 螢 の あ つ た 行 人 方 十 ヶ 院 (寺 名 不 詳 ) は 行 人 方 沙 汰 衆 と し て 集 會 並 の 稻 號 を 上 適 住 持 萬 上 の 信 を 選 定 し 關 如 補 入 の 際 は 集 會 並 の 饗 癒 を な す 事 に な り 此 れ が 又 天 正 十 年 入 月 廿 一 日 、 信 長 高 野 攻 め の 論 功 行 賞 の 時 に 各 々 廿 五 石 宛 を 給 せ ら れ る 事 と な り 叉 其 の 時 同 じ く 行 人 方 の 寺 院 に し て 所 謂 一 軍 の 旗 頭 と な つ た 行 人 方 の 二 十 ヶ 院 即 ち 西 院 谷 西 方 院 、 観 音 院 、 谷 上 珠 徳 院 、 幅 壽 院 、 南 谷 阿 逸 多 院 、 城 眞 院 、 阿 彌 陀 院 、 最 勝 院 、 五 室 谷 徳 善 院 、 康 徳 院 、 金 光 院 、 蓮 花 上 院 、 小 田 原 谷 安 養 院 、 圓 満 院 、 久 保 (中 嶋 ) 坊 、 蓮 藏 院 、 蓮 花 谷 小 坂 坊 、 芝 之 坊 、 五 大 院 、 來 迎 院 も 亦 旗 頭 衆 と 呼 ん で 集 會 並 の 取 扱 を 受 け た と 云 ふ 事 で あ る か ら 學 侶 方 か ら 院 領 廿 五 石 宛 を 受 頭 し た も の で あ ら う が 、 此 の 院 領 規 定 は 學 侶 一 般 の 寺 院 は 上 逼 、 中 植 . 下 適 の 三 種 に 匠 別 し 、 上 適 は 三 十 五 石 と し 、中 殖 は 廿 四 石 、 そ れ 以 下 は 下 通 と し 、 又 役 寺 た る 門 主 寺 (無 量 壽 院 、 寳 性 院 ) は 上 蓮 の 倍 額 帥 ち 七 十 石 宛 と し 、 正 智 院 龍 光 院 の 二 ヶ 院 は 法 談 所 と 號 し て 五 石 を 増 し て 四 十 石 宛 馬 大 集 會 寺 (花 王 院 、 三 寳 院 、 智 荘 嚴 院 、 南 蓮 上 院 、 北 蓮 上 院 ) は 先 規 に 依 れ ば 百 石 と い ふ 多 額 の 知 行 を 受 け て ゐ た 寺 院 で あ る か ら 特 に 六 十 石 宛 と し 、 就 中 今 度 此 の 院 領 配 當 に 際 し て 上 記 鷹 其 の 書 歌 に も あ る 如 く 三 寳 院 、 智 荘 嚴 院 は 慮 其 の 懇 望 に よ り 三 寳 院 は 五 石 増 し の 六 十 五 石 、 智 荘 嚴 院 は 十 石 壇 し の 七 十 石 、 叉 花 王 院 は 初 度 噌 萬 一 千 石 寄 進 の 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 六 七

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 六 八 時 に 決 定 し て あ る か ら 七 十 石 (爾 蓮 上 院 は 咋 年 來 の 院 領 配 分 一 件 に 興 奮 し て 下 山 退 職 中 に し て 目 下 麟 山 懇 望 の 運 動 中 な れ ば 其 の 儘 六 十 石 宛 ) と 決 定 さ れ た 。 叉 諸 供 料 は 惣 て ﹂ 山 入 寺 百 入 十 口 に 樹 し て は 各 七 石 宛 、 阿 閣 梨 百 口 に は 各 三 石 宛 、 新 學 衆 百 入 十 口 に は 各 三 石 宛 西 大 會 衆 百 三 十 五 口 に は 各 三 石 宛 、 謹 摩 衆 五 十 口 に は 各 一 石 宛 、 爾 學 頭 (左 右 ) 四 十 六 石 宛 、 聴 衆 に は 七 十 二 石 、 大 師 御 衣 料 入 十 石、 御 影 堂 預 三 院 に は 六 十 石 、 同 行 法 衆 九 人 に は 四 十 五 石 、 大 塔 行 法 衆 六 人 に は 三 石 宛 、 金 堂 行 法 衆 九 人 に は 三 石 宛 、 預 衆 六 人 に は 三 石 宛 、 神 通 寺 供 信 三 院 に は 七 石 宛 、 三 昧 俗 三 院 に は 七 石 宛 、 五 大 力 免 は 七 石 、 慈 尊 院 魁 家 に は 三 十 六 石 、 天 野 説 家 に は 百 六 十 五 石 五 斗 、 四 所 庄 官 百 二 十 三 石 五 斗 、 内 四 十 石 、 田 所 三 十 六 石 、 高 坊 廿 四 石 五 斗 、 岡 廿 四 石 、 其 の 他 鞄 岡 、 中 橋 氏 、 上 綱 等 (不 明 ) へ も そ れ ぐ 下 附 さ れ て ゐ た も の で あ る 。 尤 も 此 の 内 花 王 院 の 快 翁 師 は 畠 山 山 城 守 高 政 の 子 息 で あ る 所 か ら 保 田 庄 三 千 五 百 石 を 領 有 し て ゐ た と 云 ふ 事 で あ る が 勿 論 此 れ は 私 領 の 事 で あ る か ら 今 は 之 れ を 後 述 高 野 山 の 経 濟 の 章 に 於 い て 詳 述 す る 事 と す る 。 七 家 康 ざ 高 野 専 領 慶 長 三 年 秀 吉 が 亮 じ 、 翌 四 年 に は 秀 頼 の 傅 前 田 利 家 が 亮 じ 、 同 五 年 に は 石 田 三 成 が 策 謀 し て 其 の 九 月 十 五 日 に は 全 國 の 諸 大 名 が 東 西 に 別 れ て 大 い に 關 ヶ 原 で 戦 つ た が 三 成 の 才 畳 豊 臣 恩 顧 の 諸 將 に 信 を 失 つ て ゐ た 爲 め に 豊 臣 方 は 一 敗 地 に 塗 れ 、 途 に 秀 吉 の 嗣 子 秀 頼 は 揖 津 、 河 内 、 和 泉 の 三 國 に 於 い て 僅

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か に 六 十 飴 萬 一石 を 領 有 す る 一 大 名 に 過 ぎ な く な つ た 。 さ れ ば 是 迄 秀 吉 の 名 に 於 い て 高 野 一 山 を 支 配 し 信 を 秀 吉 に 得 て 一 山 の 興 隆 に 努 め 、 寺 領 二 萬 千 石 の 知 行 を 領 有 し て ゐ た 高 野 山 も 木 食 上 人 鷹 其 も 此 の 天 下 の 大 飢 と 就 會 の 墾 動 と に 際 し て は 砂 か ら す 狼 狽 せ ざ る を 得 な く な つ た 。 殊 に 癒 其 上 人 の 如 き は 關 ヶ 原 の 大 戦 に 際 し て 豊 臣 方 の 陣 中 に 馳 せ 墾 じ て ゐ た が 戦 途 に 敗 れ て 伏 見 の 陣 中 よ り 江 州 飯 道 寺 に 遜 し て よ り は 一 山 の 衆 侶 は 其 の 蹄 趣 に 迷 ひ 全 く 困 懲 の 極 に 達 し た 。 節 を 屈 し 恩 を 忘 れ 、 唯 々 眼 前 の 利 に の み 奔 つ て 禮 を 家 康 に 蓋 す べ き か 、 將 叉 自 ら 氣 節 を 固 執 し 御 恩 に 癒 へ ん が 爲 め に 一 矢 を 家 康 に 報 い 、 反 旗 を 翻 し て 彼 の 信 長 高 野 攻 め の ニ ノ 舞 を 演 す べ き か 、 殆 ん ど 其 の 爲 す 所 を 知 ら ぬ 有 様 で あ つ た o 然 る に 此 の 時 、 元 來 秀 吉 寄 進 の 寺 領 配 分 の 事 よ り 一 山 衆 徒 に 反 戚 を 持 ち 兼 ね て 秀 吉 に 甥 し て も 籐 り 好 戚 を 持 つ て 居 な か つ た 行 人 方 の 文 珠 院 勢 碁 は 此 の 時 な ん め り と 機 先 を 制 し 、 其 の 十 同 月 三 日 、 蠣 か に 山 を 出 で 江 州 大 津 の 宿 に 於 い て 東 將 家 康 の 陣 中 に 駈 け 向 ひ 、 天 下 安 泰 武 運 長 榮 の 巻 数 を 奉 り 木 食 上 人 織 目 の 朱 印 を 翼 つ た 。 此 所 に 於 い て か 苦 節 五 十 年 彼 の 牛 歩 の 如 く 世 の 流 波 に も ま れ 乍 ら 所 謂 庭 世 術 に 長 け て ゐ た 家 康 は 高 野 衆 徒 の 強 い 事 は 先 年 信 長 の 高 野 攻 め に 依 つ て 充 分 知 り 扱 い て ゐ た か ら 高 野 一 山 を 味 方 に 取 り 込 む は 此 の 時 と ば か り に 直 様 文 珠 院 宛 名 に し て ﹁ 興 山 上 人 跡 式 無 二相 違 可 昌知 行 一云 々 ﹂ の 朱 印 を 下 す に 到 っ だ 。 勢 舞 は 此 れ を 得 て 意 氣 揚 々 と し て 麟 山 、 愈 々 朱 印 を 盾 に 取 っ て 學 侶 を 蔑 に し 、 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 六 九

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 七 〇 一 山 支 配 の 實 を 塞 げ ん と 試 み た 。 此 れ 即 ち 高 野 山 開 創 已 來 、 行 人 方 が 天 下 の 主 権 者 よ り 公 式 朱 印 を 得 た 最 初 の も の で あ る 。 此 所 に 於 い て か 一 山 衆 徒 (學 侶 方 の 事 を 叉 衆 徒 と も 云 ふ ) は 大 い に 驚 き 種 々 調 査 の 歩 を 進 む れ ば 此 れ 全 く 勢 舞 の 好 計 に 出 で た も の で あ つ て 、 勢 響 が 大 津 の 宿 へ 持 墾 し た 秀 吉 の 朱 印 は 彼 の 天 正 十 九 年 に 秀 吉 か ら 學 侶 方 へ 下 賜 さ れ た 初 度 一 萬 石 の 朱 印 で あ つ た か ら 釜 々 驚 き 憤 り 、 翌 六 年 の 二 月 中 、 衆 徒 一 般 老 若 墓 つ て 當 時 寳 性 院 に あ つ た 年 預 坊 へ 集 り 毎 日 打 績 い て 鳩 首 談 合 、 善 後 策 を 講 じ 途 に 明 王 院 快 昌 、 善 集 院 榮 曼 の 爾 師 を 満 山 學 侶 の 惣 代 と な し 三 ヶ 條 の 訴 願 を 作 つ て 此 れ を 京 都 の 家 康 御 所 (當 時 家 康 は 京 都 に ゐ た と 云 ふ ) へ 齎 ら し 具 さ に 勢 轡 の 朱 印 状 押 領 の 経 緯 と 一 山 古 格 の 詳 細 を 陳 情 す る 所 あ つ た 。 帥 ち 此 の 時 學 侶 方 か ら 提 出 し た 三 ヶ 條 訴 歌 の 案 文 は 高 野 山 古 文 書 の 叉 績 寳 簡 集 百 十 入 ノ 一 八 入 一 に 、 ﹁ 高 野 山 學 侶 訴 駅 案 ﹂ と し て 集 録 さ れ て ゐ る (此 の 文 書 の 月 日 が 慶 長 六 年 六 月 と な つ て ゐ る が 、 此 れ は 恐 ら く 三 月 の 書 き 誤 り で あ ら う 。 爾 詳 し い 事 は 同 文 書 の 末 尾 に 註 記 さ れ て ゐ る か ら 就 い て 見 れ ば 其 の 誤 り で あ る 事 は 明 瞭 に な る 。 ) が 、 今 此 れ に 依 る と 、 先 づ ﹁ 萱 ﹂ と し て 高 野 山 は 佛 法 の 塞 地 と し て 都 鄙 に 隠 れ な き 所 で あ る か ら 今 般 衆 徒 行 人 の 作 渋 憲 法 の 御 下 知 を 賜 は り 度 き 事 、 青 巖 寺 の 事 は 太 閤 様 よ り 下 賜 さ れ た 御 朱 印 を 披 覧 せ ら れ 其 の 上 に て 同 寺 住 職 を 仰 付 け ら れ 度 き 事 、 爾 木 食 癒 其 の 居 住 の 時 代 よ り 春 巖 御 前 (秀 吉 母 公 ) 朝 暮 め 勤 行 、 毎 月 命 日 の 法 事 は 一 圓 學 侶 に 於 い て 勤 め 來 つ た も の な る 事 叉 衆 徒 領 地

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七 千 五 百 石 の 蓮 り 次 目 御 朱 印 を 頂 戴 し て 後 代 の 継 鏡 に 備 へ 度 き 事 の 三 ヶ 條 を 誌 し 、 若 し 御 前 を 申 掠 め て 理 不 鑑 の 御 沙 汰 有 之 に 於 い て は 衆 徒 を 召 し 出 さ れ て 糺 明 し て 貰 ひ 度 い と 書 添 へ 、 追 書 と し て は 相 談 の 上 に て 行 人 へ も 相 癒 の 知 行 を 割 分 し て ゐ る の に 去 年 大 師 の 御 影 堂 が 大 破 し 、 之 れ を 造 螢 し た 時 行 人 方 は 新 儀 の 法 度 を な し 一 人 も 普 譜 に 参 加 し な か つ た と か 、 高 野 山 の 支 配 は 全 部 太 閤 よ り 慮 其 上 人 に 仰 付 け ら れ て ゐ た が 、 上 人 は 木 食 草 衣 の 一 來 隠 者 に て 一 山 衆 徒 行 人 の 外 な れ ば 未 代 衆 徒 の 蝦 理 に な ら ぬ 事 故 是 非 の 校 合 に も 及 ば な か つ た が 、 然 し 衆 徒 の 事 は 矢 張 り 失 規 に 任 せ て 衆 徒 の 内 に 於 い て 諸 沙 汰 を な し て ゐ た も の で あ る 。 然 る に 文 珠 院 勢 碁 は 行 入 で あ つ て 衆 徒 の 沙 汰 を な す べ き 仁 禮 で も な い の に 若 し 衆 徒 の 裁 許 を 致 す 様 に な れ ば 大 師 已 來 の 法 度 が 此 れ よ り 剛 れ る か ら 誠 に 以 っ て 迷 惑 で あ る 。 殊 に 入 十 年 以 來 山 伏 方 (行 人 の 事 ) 山 の 諸 沙 汰 を 存 じ 來 つ た 旨 言 上 に 及 ん だ と の 事 で あ る が 、此 れ は 何 の 天 子 、 何 の 將 軍 か ら 仰 付 け ら れ た か 其 の 讃 慷 を 見 せ て 貰 ひ 度 い 。 恐 ら く 其 の 謹 擦 も あ る ま い 。 尤 も 先 年 信 長 公 の 上 使 (松 井 友 閑 の 歩 卒 三 十 二 人 の 事 ) を 打 ち 果 し 、 叉 寺 邊 の 諸 侍 を 詠 罰 せ し め 、 其 の 知 行 を 押 領 し 、 一 山 に 於 い て は 衆 徒 に 樹 し て 逆 心 を 企 て 、 小 集 會 衆 或 は 中 方 預 り を 打 ち 果 し 彼 等 の 職 を 奪 つ た 等 の 強 儀 を 以 つ て 一 山 の 諸 職 を 支 配 し て ゐ た と 云 ふ の か も 知 れ 漁 。 斯 様 な 暴 墨 を 以 つ て 山 を 裁 許 す る 儀 な り と 云 ふ の な ら ば 武 家 の 沙 汰 を も 山 伏 方 が 支 配 す る 事 と な り 誠 に 法 度 の 内 で は な い か 。 荷 青 巖 寺 の 住 職 (癒 其 已 後 の ) は 當 然 學 侶 方 か ら 碩 學 の 仁 を 選 ん で 之 れ に 任 す る 事 は 太 閤 の 御 朱 印 に も 明 か で あ る 。 叉 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 七 一

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近 世 の 高 野 寺 領 巴 其 の 経 濟 七 二 文 珠 院 が 學 侶 方 寺 領 内 十 七 ヶ 在 所 の 竹 六 千 六 百 六 十 五 本 を 伐 採 し て 諸 所 へ 責 捌 き 且 つ 學 侶 方 へ も 責 り 付 け や う と し た 自 筆 の 謹 擦 (墨 付 ) が あ る 。 其 の 上 學 侶 方 寺 領 内 の 人 足 を 押 領 し て 一 人 も 當 方 へ 遣 は さ ぬ 等 と 歎 條 に 渉 つ て 書 き 並 べ 彼 の 竹 壷 捌 き の 墨 付 を も 謹 篠 物 件 と し て 提 出 し た も の で あ る 。 然 し て 此 の 訴 歌 を 京 都 の 家 康 御 所 へ 提 出 し た 蹄 路 、 學 侶 惣 代 の 一 人 榮 曼 は 其 の 三 月 十 日 に 江 州 飯 道 寺 へ 廻 っ て 癒 其 上 人 に 面 會 し 、 彼 の 初 度 一 萬 石 朱 印 の 在 所 に 就 い て 尋 問 す る 所 あ あ り 、 同 十 二 日 に は 癒 其 上 入 よ り 自 筆 の 手 簡 を 以 つ て ﹁ 我 等 の 儀 、 大 方 あ ら ゆ る 事 共 に た つ さ は り た る 上 に て 候 間 、 時 節 と 申 、 年 齢 と 申 、 労 以 態 成 共 、 浄 世 を 掛 酌 仕 候 は て 不 叶 折 節 二 候 條 二 度 世 間 の 望 無 之 候 ﹂ 云 々 と 前 置 き し て ﹁ 御 朱 印 之 儀 、 此 方 二 一 逼 も 無 之 候 ﹂ と 年 預 房 宛 に 開 陳 せ し め て ゐ る の で あ る 。 尤 も 此 の 手 簡 は 矢 張 り 高 野 山 文 書 の 績 寳 簡 集 五 一 ノ 四 一 九 に 集 録 さ れ て ゐ て 、 彼 の 東 京 帝 國 大 學 史 料 編 纂 所 の 編 纂 に か 、 る 同 文 書 の 註 に は ﹁ 交 腺 元 年 か ﹂ と し て ゐ る が 、 然 し 此 れ は 矢 張 り 紀 伊 綾 風 土 記 や 高 野 春 秋 の 所 説 の 如 く 慶 長 六 年 の も の で あ ら う と 思 は れ る 。 さ れ ば 此 所 に 於 い て か 、 家 康 は 右 三 ヶ 條 の 訴 状 に 依 つ て 前 記 學 侶 総 代 の 快 昌 や 榮 曼 並 に 訴 へ ら れ た 行 人 方 の 勢 碁 を ば 其 の 面 前 へ 呼 び 出 し て 封 決 せ し め 又 一 方 多 聞 院 の 良 尊 が 内 癒 し て 一 山 の 法 式 を 家 康 に 詳 説 し た の で 家 康 は ﹁ 我 蕎 き に は 高 野 山 の 古 法 に 熟 せ す し て 去 冬 文 珠 院 に 折 番 を 輿 へ た が 、今 は 改 め て 後 代 の 寺 法 は 隻 法 に 於 い て 下 知 す べ し ﹂ と て 同 年 五 月 二 十 一 日 に 到 り、 ﹁ 高 野 山 寺 中 法 度 ﹂ 五 ヶ 條 に

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添 へ て 學 侶 行 人 の 寺 領 知 行 の 目 録 を 下 し た の で あ る 。 さ れ ば 今 之 れ を 憲 教 類 典 其 の 他 の 文 書 に 依 つ て 次 に 轄 載 す る 事 と す る 。 術 因 み に 、 文 珠 院 勢 碁 が 此 の 初 度 一 萬 石 の 太 閤 朱 印 を 掠 め 取 つ た 経 緯 に 就 い て 高 野 春 秋 は ﹁ 野 山 見 聞 集 ﹂を 引 用 し て ﹁ 木 上 ( 木 食 上 人 ) 出 山 の 時 、 勢 碁 興 山 寺 を 看 、 五 大 院 深 盛 青 巖 寺 を 看 る 。 (木 食 ) 雨 看 守 に 囑 し て 云 は く 、 吾 若 し 頓 滅 せ ば 太 閤 御 朱 印 御 内 書 等 皆 是 を 學 侶 方 に 授 く べ し 。 汝 等 之 れ を 緩 す る 勿 れ と て 傳 へ 去 る 。 然 る に 爾 院 相 計 り 後 加 一 萬 石 一 昏 (恐 ら く 初 度 一 萬 石 の 誤 か 、 風 土 記 の 説 正 し ) 千 石 木 食 領 一 番 を 盗 み 匿 し 此 の 二 番 今 般 上 覧 に 備 へ 奉 る か ﹂ と 誌 し て ゐ る が 、 風 土 記 等 も 其 の 説 略 同 一 で あ る 。 高 野 山 寺 領 寄 附 歌 一 七 千 五 百 石 紀 州 伊 都 那 賀 爾 郡 之 内 右 衆 徒 中 一 武 千 石 内 千 石 は 碩 學 衆 配 分 右 青 巖 寺 領 都 合 九 千 五 百 石 右 領 地 永 代 寄 附 畢 配 當 之 通 全 可 寺 領 、 然 上 者 彌 可 抽 天 長 地 久 御 願 圓 満 、 一 天 泰 卒 四 海 静 誰 情 請 者 也 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 七 三

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廿

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彼 の 法 度 書 の 第 一 條 に 基 き 全 く 爾 派 各 別 と な つ た も の で あ る が 要 す る に 此 の 時 の 爾 派 寺 領 の 配 當 は 、 一 九 千 五 百 石 學 侶 方 支 配 一 一 萬 千 五 百 石 行 人 方 支 配 と な し 、 例 へ 行 人 方 支 配 中 の 四 千 石 は 文 珠 院 勢 象 三 代 限 り の 支 配 領 知 で あ る と は 云 ひ 彼 の 慶 長 五 年 の 十 一 月 三 日 に 勢 轡 が 機 先 を 制 し て 江 州 大 津 の 宿 に 於 い て 家 康 の 本 陣 に 駈 け 込 ん だ や け に 途 に 四 千 石 の 増 知 を 得 た 謬 で あ る。 さ て 斯 く し て 既 に 爾 涙 の 支 配 々 當 の 寺 領 も 定 ま り し を 以 つ て 爾 派 は 愈 々 其 の 寺 領 割 分 の 事 に 就 い て 熟 議 を こ ら す こ と ゝ な つ た が 此 れ に 就 い て 高 野 春 秋 は ﹁ (同 月 ) 廿 七 日 、衆 行 會 、 談 寺 領 を 分 知 し 、 山 林 を 配 當 す 。 青 巖 、 穀 屋 爾 寺 行 人 之 目 録 を 以 っ て 學 侶 方 に 相 渡 す 。 ﹂ と 誌 し て ゐ る 。 八 學 侶 寺 院 の 院 領 ざ 供 瞬 高 野 春 秋 は 以 上 の 如 く 慶 長 六 年 の 五 月 廿 七 日 、 學 侶 行 人 の 雨 涙 が 相 會 し て 寺 領 山 林 の 配 分 を な し た と 誌 し て ゐ る の で あ る か ら 勿 論 此 の 時 爾 派 が 各 々 其 の 支 配 下 に あ る 各 寺 院 の 院 領 や 供 料 の 配 當 も 決 定 し た も の で あ ら う が 、 然 し 今 は 唯 學 侶 方 の も の 、 み が 存 し て 行 人 方 の そ れ に 接 す る 事 は 出 來 な い 。 此 れ は 恐 ら く 後 年 彼 の 元 緑 年 中 に 爾 涙 が 相 孚 つ て 幕 府 に 聖 断 を 仰 い だ 時 に 最 初 行 人 が 敗 訴 と な つ た の で 學 侶 方 (或 は 行 人 方 が 自 ら 護 擦 浬 滅 の 爲 め に 地 中 に 埋 め た と も 云 ふ ) が 後 來 再 び 斯 く の 如 き 騒 動 の 起 る 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 七 五

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 七 六 を 恐 れ て 其 の 資 料 を 全 部 取 上 げ 焼 失 し た と 云 ふ 説 も あ る か ら 或 は 其 の 時 に 失 は れ た の か も 知 れ な い 。 さ れ ば 今 は 次 に 學 侶 方 を 詳 し く し 因 み に 行 人 方 の 院 領 と 供 料 を 叙 説 す る 事 と す る 。 さ て 此 の 院 領 供 料 の 配 分 は 直 接 各 寺 院 の 経 濟 に も 影 響 す る 所 で あ る か ら 此 の 時 も 彼 の 天 正 度 の そ れ あ 如 く 大 い に 喧 騒 を 極 め 終 に 翌 慶 長 七 年 の 四 月 二 日 に 到 つ て 壽 門 中 衆 が 相 睾 つ て 先 年 以 來 (天 正 度 ) 培 知 に 決 定 し て ゐ る 集 會 衆 の 増 知 を 許 諾 し 昏渉 か つ た の で 寳 門 中 二 十 二 ヶ 院 の 住 職 が 連 署 し て 寺 魁 奉 行 の 圓 光 寺 や 豊 光 寺 へ 上 訴 に 及 ん だ 等 の 事 件 を 惹 起 し て ゐ る 。 さ れ ば 家 康 は 慶 長 七 年 に 御 定 書 を 下 し て 大 禮 は 天 正 度 の そ れ に 倣 つ て 一 山 衆 徒 の 寺 院 を 上 中 下 の 三 蓮 り に 匠 分 し 、 其 の 下 逼 寺 院 の 院 領 は 二 十 石 以 下 (此 の 内 に 十 石 以 上 二 十 石 迄 の 下 道 り と 十 石 以 下 の 下 々 通 り の 二 種 が あ る 。 ) 中 逼 は 二 十 一 石 以 上 廿 四 石 迄 声上 蓮 は 三 十 五 石 と 規 定 し 叉 此 の 上 逼 寺 院 の 中 か ら 二 十 ケ 寺 を 選 ん で 名 室 と 呼 び 、此 の 二 十 ヶ 寺 の 住 職 を 以 つ て 集 議 十 二 人 (後 に は 十 三 人 と な る ) 碩 學 入 人 (後 に は 七 人 と な る 、 内 門 主 二 人 あ り ) の 選 定 を な し 此 の 二 十 人 を 以 つ て 槍 校 を 補 任 せ し め 且 つ 一 山 寺 務 政 務 の 統 帥 と な し た の で あ る 。 然 し て 其 の 推 墾 方 法 は 集 議 十 人 は 所 謂 名 室 寺 院 二 十 ヶ 寺 の 互 選 、 碩 學 は 集 議 並 に 現 在 碩 學 に 於 い て 集 議 中 よ り 選 塞 の 上 公 儀 の 裁 許 を 得 て 寺 癒 奉 行 の 面 前 に 於 い て 任 命 さ れ た も の で 此 の 後 慶 長 十 年 二 月 九 日 に 當 時 の 碩 學 北 室 院 の 頼 曼 師 が 倦 化 の 時 も 上 記 の 順 序 を 経 て 同 年 の 九 月 四 日 に 當 時 の 寺 胤 奉 行 圓 光 寺 豊 光 寺 等 か ら 來 書 が あ つ て 後 任 と し て 龍 花 院 の 玄 廣 師 が 就 任 し て ゐ る の な ど は 即 ち そ れ で あ る 。 倫 此 の 碩

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學 衆 入 人 に は 彼 の 慶 長 六 年 五 月 の 法 度 書 の 第 四 條 に 依 つ て 青 巖 寺 領 二 千 石 中 の 千 石 を 下 賦 さ れ た が 即 ち 其 院 名 と 知 行 配 分 高 に 就 い て は 高 野 春 秋 は 次 の 如 く 誌 し て ゐ る 。 寳 性 院 政 遍 百 五 十 石 。 無 量 壽 院 行 昌 百 五 十 石 。 北 室 院 頼 畏 百 石 。 金 剛 三 昧 院 良 算 百 石 。 櫻 池 院 龍 海 百 石 。 善 集 院 榮 曼 百 石 。 多 聞 院 良 尊 百 石 。 無 量 院 玄 仙 百 五 十 石 (但 五 十 石 之 加 増 可 レ爲 昌當 住 一 代 一。 ﹂ さ て 斯 様 に し て 院 領 も 定 ま り 績 い て 諸 供 料 の 規 定 も 設 定 配 分 さ れ た の で あ る が 、 其 の 後 院 領 や 供 領 に 於 い て は 多 少 の 墾 動 は あ つ た と し て も 大 膿 に 於 い て は 此 れ か ら 後 元 和 九 年 帥 ち 寛 永 度 に 到 る ま で 殆 ん ど 大 差 な く 實 行 さ れ 、 途 に 此 の 年 (元 和 九 年 十 一 月 廿 一 日 ) に 當 時 の 年 預 坊 無 量 壽 院 に 於 い て 時 の 年 預 長 海 師 が ﹁ 院 領 帳 四 冊 ﹂を 作 り 一 山 寺 院 の 院 領 供 料 を 詳 し く 記 載 す る に 到 つ た も の で あ る 。 若 し 其 れ 此 の 間 に 於 け る 院 領 の 増 減 を 述 ぶ る な ら ば 先 づ 元 和 三 年 十 月 二 十 三 日 に 智 荘 嚴 院 の 院 領 七 十 石 が 孚 減 さ れ て 是 れ を 心 王 院 に 附 し 問 講 を 再 興 し た 等 二 三 に 過 ぎ な い の で あ る 。 さ れ ば 今 は 此 の 時 代 の 一 山 寺 院 の 経 濟 状 態 の 實 際 を 知 り 、 兼 ね て は 各 院 の 院 領 や 供 料 の 一 々 を 詳 細 に 知 ら ん が 爲 め に 頗 る 煩 雑 で は あ る が 次 に 上 記 院 領 帳 四 冊 の 内 容 を 轄 載 す る こ と 、 す る 。 或 は 論 者 以 つ て 冗 漫 の 極 な り と 笑 ふ か も 知 れ ぬ が 今 は 即 ち 余 の 老 婆 心 よ り 敢 へ て 之 れ を 詳 記 す る も の で あ る 。 院 領 諸 供 領 並 現 米 目 録 近 世 の 高 野 寺 碩 と 其 の 経 濟 七 七

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石、

院。

上、

院。

石、

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上、

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石、

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上、

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寺。

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西

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(以

)。

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(註

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升、

(内

斗、

加、

升、

加。

)

石、

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斗、

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石、

院。

斗、

院。

斗、

院。

石、

院。

石、

院。

坊。

院。

西

院。

院。

院。

斗、

院。

石、

院。

院。

斗、

院。

斗、

院。

石、

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石、

院。

石、

院。

石、

院。

院。

院。

院。

斗、

院。

石、

院。

石、

院。

石、

院。

石、

院。

(26)

石 、 乗 藏 院 。 龍 生 院 。 成 蓮 院 。 龍 城 院 。 七 石 入 斗 、 榮 泉 院 。 寂 勝 院 。 七 石 七 斗 、 實 珠 院 。 七 石 五 斗 、 金 藏 院 。 七 石 四 斗 、 南 性 院 (内 三 石 護 摩 領 ) 。 七 石 、 寳 山 院 。 法 輪 院 。 壽 幅 院 。 六 石 五 斗 、 常 樂 院 (圓 光 院 ノ 加 ) 。 花 藏 院 。 獣 喜 院 。 入 石 、 常 喜 院 。 五 石 入 斗 、 池 生 院 。 五 石 五 斗 、 数 王 院 。 藥 師 院 。 謹 菩 提 院 。 五 石 四 斗 、 西 室 院 。 五 石 二 斗 五 升 、 妙 藏 院 。 五 石 、 南 室 院 。 畳 林 院 。 全 光 院 0 近 壽 院 。 西 光 院 。 智 徳 院 。 遍 照 院 。 四 石 九 斗 、 聖 王 院 。 四 石 五 斗 、 金 剛 院 。 圓 明 院 。 心 善 院 。 四 石 、 不 動 院 。 蓮 國 院 。 三 石 六 斗 、 光 明 院 。 正 壽 院 。 三 石 五 斗 、 能 満 院 。 加 納 院 。 三 石 四 斗 五 升 、 尭 壽 院 。 三 石 三 斗 五 升 、 花 園 院 。 善 生 院 。 三 石 、 阿 光 院 。 愛 染 院 。 二 石 四 斗 、奥 之 坊 。 心 住 院 。 二 石 二 斗 、妙 徳 院 。 一 石 六 斗 、 本 畳 院 。 二 石 、 蓮 正 院 。 寳 藏 院 。 阿 彌 陀 院 。 法 明 院 。 寳 善 院 。 龍 泉 院 。 西 明 院 。 正 泉 院 。 全 勝 院 。 瑞 泉 院 。 眞 幅 院 。 中 道 院 。 輻 藏 院 。 五 明 院 。 浮 圓 院 。 圓 徳 院 。 龍 寳 院 。 普 賢 院 。 鍵 池 院 。 圓 城 院 。 壽 嚴 院 。 五 石 、 安 養 院 。 中 壷 院 。 實 寳 院 。 大 雲 院 。 實 相 院 。 廣 徳 院 。 蓮 花 院 。 明 昭 院 。 正 旙 院 。 圓 光 院 。 妙 亭 院 。 龍 幅 院 。 輻 智 院 。 圓 満 院 。 桂 香 院 。 金 澤 院 。 寳 心 院 。 無 邊 院 。 明 心 院 。 香 聞 院 。 圓 光 院 。 理 性 院 。 威 光 院 。 廣 嚴 院 。 万 珠 院 。 大 寳 院 。 輻 善 院 。 瑞 勝 院 。 眞 龍 院 。 蓮 奄 院 。 流 芳 院 。 竹 林 院 。 七 十 石 、 花 王 院 。 六 十 五 石 、 三 寳 院 。 六 十 石 、 北 ノ 蓮 上 院 。 六 十 石 、 南 ノ 蓮 上 院 。 二 十 石 、 大 光 明 院 。 十 輪 院 。 入 十 石 、 御 衣 料 。 四 十 六 石 、 爾 學 頭 。 千 三 百 三 十 石 、 入 寺 (百 九 十 口 ) 供 。 三 百 石 、阿 閣 梨 (百 口 ) 供 。 近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 七 九

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近 世 の 高 野 寺 領 と 其 の 経 濟 八 〇 四 百 五 石 、 會 衆 ( 百 三 十 五 口 ) 供 。 五 百 四 十 石 、 新 學 (百 八 十 口 ) 供 。 七 十 二 石 、 聴 衆 讃 書 供 。 五 十 石 護 摩 (五 十 賃 ) 供 。 二 十 七 石 、 本 昇 (九 口 ) 供 。 四 十 五 石 、 新 昇 (十 五 口 ) 供 。 十 入 石 、 預 所 (六 口 ) 、 二 十 一右 、 三 昧 (三 口 ) 供 。 二 十 一 石 、 神 蓮 寺 (三 口 )。 六 石 、 御 影 堂 中 壇 (三口 ) 。 十 二 石 、 御 影 堂 行 壇 (六 口 ) 。 十 五 石 、 三 十 人 之 供 ( 三 十口 ) 。 一 石 五 斗 、 月 預 (三 口 ) 供 。 七 石 、 五 大 力 免 。 百 六 十 五 石 五 斗、 天 野 証 衆 供 僧 。 百 三 十 五 石 、 四 所 庄 官 (内 廿 四 石 五 斗 岡 へ 、 其 外 ハ 大 阪 籠 城 以 來 ハ 現 米 也 ) 。 二 十 石 、 慈 尊 院 供 信 。 現 米 物 分 京 升 四 十 入 石 、 御 影 堂 料 。 同 六 石 三 斗 、 御 影 堂 燈 明 料 。 同 廿 五 石 。 夏 年 預 。 同 廿 五 石 冬 年 積。 同 六 石 、 勧 學 院 (但 し 一 石 ハ 供 料 ) 。 同 大 豆 四 石 、 勧 學 院 。 京 舛 六 石 、 内 談 議 會 所 料 。 同 廿 入 石 西 斗 二 升 、 天 野 大 奄 室 下 行 。 同 一 石 、 同 入 幡 燈 明 料 。 同 一 石 、 同 正 月 十 六 日 臨 時 御 供 。 同 三 石 岡 べ 臨 時 被 遣 。 下 舛 物 一 石 、 學 道 一 萬 粥 料 ( 但 供 四 升 )。 一 石 、 國 引 料 (學 道 上 沙 汰 人 )。 六 斗 、 國 引 料 (下 沙 汰 人 ) 。 一 石 、 會 行 事 (金 堂 修 正 料 )。 一 石 七 斗 、 新 學 堂 (護 摩 道 具 料 ) 。 二 石 、 勧 學 院 (燈 油 料 ) 。 さ て 今 、 之 れ に 依 つ て 之 れ を 見 る に 、 當 時 高 野 一 山 の 寺 院 に し て 院 領 を 貰 つ て ゐ た 寺 院 歎 は 大 膿 に 於 い て 二 百 三 十 ヶ 寺 近 く あ り 、 當 時 供 料 を 受 け て ゐ た 衆 徒 は 爾 學 頭 を 初 め と し て 入 寺 分 百 九 十 人 、 阿 闇 梨 分 百 人 、 會 衆 百 三 十 五 人 、 新 學 衆 百 八 十 人 、 護 摩 衆 五 十 人 、 本 昇 九 人 、 新 昇 十 五 人 、 預 六 人 、 三

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昧 三 人 、 三 十 人 衆 三 十 人 、 及 び 其 の 他 を 合 し て 凡 そ 七 百 五 十 人 近 く 居 つ た 標 で あ る が 、 術 此 の 外 に も 當 時 無 住 寺 院 で あ つ た も の や 小 坊 並 に 創 建 日 爾 淺 く し て 院 領 を 受 け ぬ 寺 院 も あ り 、 且 つ 叉 僧 衆 に 於 い て も 聖 衆 や 來 隠 者 未 交 衆 の 新 登 意 等 も 頗 る 多 数 に 住 居 し て ゐ た 事 で あ る か ら 當 時 の 高 野 山 は 頗 る 盛 大 な も の で あ つ た と 云 は ね ば な ら ぬ 。 尤 も 此 の 元 和 九 年 よ り 三 十 二 年 程 後 の 明 暦 元 年 の 記 録 に 依 れ ば 一 山 に は 學 侶 方 寺 歎 百 九 十 四 ヶ 寺 、 信 侶 五 百 四 十 四 人 、 行 人 方 寺 数 千 五 百 十 七 軒 、 信 侶 二 千 五 百 六 十 五 人 、 客 坊 十 九 ケ 寺 、 客 信 百 二 十 六 人 、 聖 方 寺 数 百 十 入 ケ 寺 、 僧 侶 三 百 十 七 人 、 谷 之 者 並 に 道 心 を 合 し て 人 数 百 八 人 、 寺 歎 三 十 五 ケ 寺 も あ つ た と 云 ふ こ と で あ り 、 又 此 れ よ り 湖 つ て 天 正 九 年 の 入 月 晦 日 に 信 長 が 安 土 、 京 七 條 河 原 、 伊 勢 蛛 津 河 原 の 三 所 に 於 い て 詠 殺 し た 所 の 高 野 聖 だ け で も 千 三 百 入 十 三 人 も あ つ た な ど 、 云 は れ て 居 る 位 で あ る か ら 當 時 の 盛 大 さ は 略 想 像 さ れ る で あ ら う 。 九 慶 安 以 後 の 高 野 寺 領 慶 長 六 年 五 月 に 高 野 山 が 徳 川 家 康 よ り 改 め て 寺 領 二 萬 千 石 の 朱 印 を 拝 領 し て よ り 元 和 、 寛 永 、 正 保 と 約 三 十 七 入 年 間 は 公 儀 よ り 寺 領 を 下 賜 さ れ る 事 も な か つ た が 、 其 の 後 慶 安 二 年 の 十 月 に 到 つ て 行 人 方 の 興 山 寺 、 聖 方 の 大 徳 院 が 三 代 將 軍 家 光 よ り 新 た に 御 佛 殿 並 に 東 照 宮 領 と し て 三 百 石 を 加 培 さ れ る 事 と な つ だ 。 近 世 の 高 野 寺 頭 と 其 の 経 濟 八 一

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