中国語の文頭成分
加藤 晴子
はじめに
1. 文頭成分に関する記述 1.1. 主語賓語論争 1.2. 主語の位置づけ 1.3. 主語と主題
2. 文頭成分の定義 2.1. 中国語の文
2.2. 本論での文頭成分
2.3. 調査対象と方法 3. 調査結果と考察
3.1. 中国語原文の文頭成分
3.2. 日本語訳で一致した例
3.3. 日本語訳で一致しなかった例
3.4. 省略による不一致
3.5. 英語訳との対照 まとめと課題
はじめに
中国語の基本語順はSVOであり,このことから中国語は英語に似ているとの一般的な見方が 存在する。しかし,文を発する際の基本的発想を見ると,中国語は英語よりもむしろ日本語に 近い印象である。それは中国語においては以下のような文が,日本語においてと同様,決して 特殊な文ではないことによるものと思われる。
(1) 这 种 书 买 的 人 不 多。1) [この][種][本][買う][の][人][(否定)][多い]
この種の本は買う人は多くない。
文頭の二重下線および下線で示した部分は,中国語と日本語とで出現する位置,順序が一致 している。文を発する際の基本的発想の現われのひとつとして,このような文頭成分の選び方 の対照が可能なのではないかと考え,本論では,中国語原文とそれに対する日本語訳の文頭成 分を調査し,一致不一致の状況を見ることにした。加えて英語訳との対照も行なった。これに より,中国語の文が,話し手のどのような発想から発話されるのか,日本語の文と異なるのか を探る手がかりとする。また,基本語順はSVOでありながら,英語などとは異なる組み立てで あることを説明するための手段のひとつとしうるのではないかと考える。
1.文頭成分に関する記述
調査に入る前に,中国語においては文頭成分が主語および主題として位置づけられてきたこ とを跡づけておこう。
1.1. 主語賓語論争
中国語において主語とは何かという問題は長らく取り沙汰されてきたところである。1950年 代半ばに特に盛んに論争が行なわれ,吕冀平等(1956)にまとめられている。問題となるのは以 下のような文である。
(2) 钱 花 完 了。
[金][使う][終わる][(完了)]
金は使い果たした。
(3) 台 上 坐 着 主席团。
[壇][上][すわる][(持続)][主席団]
壇上に主席団が座っている。
主語を動作主と考える「意味主義」の立場からは,(2)は主語なし,(3)の主語は“主席团”
となる。これに対し,文頭もしくは動詞の前に位置するものを主語とする「位置主義」の立場 からは,(2)(3)の主語はそれぞれ,“钱”“台上”となる。
意味主義者は,中国語では文脈によって(4)a~c,(5)a~cがすべて成立しうることから,(4)(5) は,いずれの場合もそれぞれ“三个人”“我”を主語とすればすむので意味主義によったほうが わかりやすいと主張する。
(4) a 三 个 人 屋 里 坐 着 / b屋里三个人坐着 / c屋里坐着三个人 [3][人][人][部屋][中][すわる][(持続)]
a 3人の人が部屋の中に座っている / b,c 部屋の中に3人の人が座っている (5) a 我 不 吃 饭 / b我饭不吃 / c饭我不吃
[私][(否定)][食べる][ごはん]
a 私はごはんを食べない / b私はごはんは食べない / cごはんは私は食べない
また,(6)は文脈により,a“他”が“不怕”の動作主である場合と b“谁”が“不怕”の動 作主である場合とがありうるが,意味主義によればその違いを主語の違いとして示すことがで きるとする。
(6) a (他 胆子 大,) 谁 都 不 怕。
[彼][胆][大きい][誰][みな][(否定)][恐れる]
(彼は胆が大きくて,)誰をも恐れない。
b (他 态度 和蔼,)谁 都 不 怕。
[彼][態度][温和][誰][みな][(否定)][恐れる]
(彼は態度が穏やかで,)誰もが恐れない。
位置主義によった場合,(4)(5)では主語が語順の変化に伴って変わることになり,また(6)で は,意味の違いを説明できないことになるなど,主語や目的語が一定の内容を持つことを否定 することになる,というのが,意味主義からの位置主義に対する批判である。
しかし一方で,意味主義によった場合,(7)(8)のような文は,明確な分析ができなくなって しまう。
(7) 桌子 上 放 着 一 本 书。
[机][上][置く][(持続)][一][冊][本]
机の上に一冊本が置かれている。
(8) 雨 这么 大, 他们 淋湿 了 衣服。
[雨][こんな][大きい][彼ら][ぬらす][(完了)][服]
雨がこんなにひどくて,彼らは服をぬらした。
(7)では,動作の動作主,つまり「置く」の動作主を主語と考え主語なしとするのか,それと
も,存在の主体である“一本书”を主語とするのか,また(8)では,「雨」がぬらすのか,「彼ら」
がぬれるという被害をこうむるのか,あるいは「服」がぬれるのか,動作主の捉え方そのもの が問われることになる。
意味主義では,文法構造と論理関係が明確に区別されないために,このような処理の難しい 問題がもたらされることになる,というのが位置主義者の主張である。
現在,細部では一致を見ていない部分があるものの,中国語には(7)(8)のような文が少なく ないことから,中国語文法では位置主義的考えによる文の捉え方が主流を占めるにいたってい る。文中での位置によって主語を決めるため,中国語において主語とされるものを動詞との意 味関係から見た場合,他の言語ではあまり主語とはされないようなものまで含むことになる。
こうして一見ばらばらに見える主語は,叙述説明の対象・話題という統一的な内容を持つと解 釈されることになる。
1.2. 主語の位置づけ
位置主義を支えるものとして,主語と目的語とは別の階層に属し,直接対峙しないという考 え方がある。つまり文はまず主語と述語に分かれ,そのうち述語の部分がさらに動詞と目的語 とに分かれるとするのである2)。
文
主 語 + 述 語 動詞 + 目的語
このように考えれば,主語は動詞と構造的には直接関係することはない。朱徳煕(1985)もこ の点を指摘しつつ,主述構造の判定方法を挙げている。これを受け継いだ以下のような基準が,
主語,そして主題の判定方法とされていく過程が佐藤(2000)にまとめられている。
a.ポーズが挿入できるかどうか。
b.接続詞“要是”“虽然”“因为”“不但”などが挿入できるかどうか。
c.“是不是”“不是(~吗)”が挿入できるかどうか。
d.“连”に呼応した“也·都”が挿入できるかどうか。
e.“至于”によって取り上げることができるかどうか。
1.3. 主語と主題
主語は主題であり,中国語にあっては文中のいずれの成分も文頭に置いて,主語つまり主題 としうるという考えは,例えば,朱德熙(1982:96)によって以下のように示されている。
从表达上说,说话的人有选择主语的自由。同样的意思,可以选择施事作主语,也可以选择 受事或与事作主语。〔中略〕说话的人选来作主语的是他最感兴趣的话题,谓语则是对于选 定了的话题的陈述。(表現論的に言うと,話者には主語を選択する自由がある。同様の意味 でありながら,動作者を選んで主語とすることも,受動者あるいは間接関与者を選んで主 語とすることもできる。〔中略〕話者が主語として選ぶのは,彼が最も関心を寄せる主題 であり,述語は選び出された主題に対する叙述である。(訳は朱徳煕(1995)による))
ただ,吕叔湘(1986:334)は,必ずしも文頭移動のようなことが想定されるわけではないとし ている。
实际上大概是先想到一个事物(包括人)就脱口而出,一面斟酌底下的话怎么安排。(実際には おそらく,まず1つの事物(人物を含む)を思いついて口から出してしまい,一方でそれに 続くことばをどうするかを検討するのであろう。(引用者訳))
さらに大河内(1991:112)は,動詞との関係を持たない成分まで主語とされることを中国語の 特徴としている。
よほど「遊離」したものであってもその場の文脈次第で,何の制約もなく成立する。こん な自由さはsub., pred.の間ではとても考えられない。ヨーロッパ語に比べ中国語がよほど 文法的に自由な言語だという証左である。中国語にit, thereのような形式主語が存在しな いというのも同じ事実に根ざしている。
主語か主題かの問題についてはすでに多くの先行研究があり,ここでは深入りしない。望月 (1985),佐藤(2000)などによるまとめを参照されたい。
本論では,敢えて「主語」とも「主題」ともいわずに,両者の区別や関係をひとまず措くこ とにして,まとめて「文頭成分」として取り上げることにしたい。特に,上の記述ではかなり 自由に選ばれているかの印象を受ける文頭成分について,実際にはどのようなものが選ばれて いるのか,日本語の文とは異なるのかを見る。
2.文頭成分の定義
あらためて本論ではどのようなものを文頭成分とするかを考える。
2.1. 中国語の文
文頭成分を決めるためにはまず「文」を確定しなければならないが,文という単位は特に中 国語においては設定しにくい単位である。句点の使用は必ずしも文の区切りを明確に示してい るとはいえず,むしろ読点によって複数の文らしき単位をつなぎながら,一段落程度長く続く のがよく見られる中国語の文章のスタイルである。大河内(1991:107)は中国語の主語の特質と 関係節の表示形式の欠如がこのような現象をもたらすとして,次の例をあげている。なお,訳 は大河内,①~⑤の挿入は引用者による。
①一个黑黑瘦瘦的解放军,胸前挂满了勋章和纪念章,急急地跑上小坡,②看样子他一
路上就是跑来的。
③他一跑上小土坡,就见一座朝南的新瓦房,④原来房后面那个小竹园现在已经变成一
片苍翠的大竹林了,⑤只有左边坡下的那条小河,还是那样缓缓地流着。
(①一人の色黒の細身の解放軍の兵士が胸にはいっぱい勲章をつけ,急いで坂道をかけ 上がってくる。②どうやらかれはずっと駆けてきたらしい。
③かれは坂を駆け上がると南向きの新しい瓦ぶきの家の前に出た。④かつての裏手の 小さな竹やぶは今ではもう一面青々としたりっぱな竹やぶになっている。⑤ただ左手の坂 の下の小川だけは今も同じようにのんびり流れている。)
大河内(1991)は,「一組の主語,述語をもって一文とする文の概念に従」い,①~⑤をそれぞ れ一文と考えている。ここでもこの考えにならい,主語と述語がセットになったものを文とす ることにする。
2.2. 本論での文頭成分
次に,2.1①~⑤において,どれを文頭成分とするかであるが,大河内(1991)は具体的には指 摘していない。本論では,それぞれ以下を文頭成分とすることにする。
①一个黑黑瘦瘦的解放军(一人の色黒の細身の解放軍の兵士が)
②他(かれは)
③他(かれは)
④原来房后面那个小竹园(かつての裏手の小さな竹やぶは)
⑤左边坡下的那条小河(左手の坂の下の小川だけは)
1.3にも述べたように,本論ではこれまで中国語において「主語」や「主題」などとして言及 されてきた成分を文頭成分とするので,②に見るように,本論での文頭成分は必ずしも文字通 りの文頭にあるとは限らない。「主語」または「主題」として扱われうる成分より文頭側に位置 する副詞的成分および前置詞に伴われた成分は,1.2に取り上げたような判定方法を適用し,本 論では文頭成分としないのである。例えば,以下の(9)(10)では,それぞれ“第二日清早晨”“在 斜对门的豆腐店里”を文頭成分とはせず,(9)は“我”を文頭成分とし,(10)は文頭成分なしと する。
(9) 第二日清早晨我 到 了 我家 的 门口 了。(鲁57) [翌日] [早朝][私][着く][(完了)][我が家][の][入口][(確認)]
翌る日の朝早く私は我が家の門口についた。(増34)
(10) 在 斜对门 的 豆腐店 里 确乎 终日 坐 着 一个 杨二嫂,(鲁61) [に][斜向い][の][豆腐屋][の中][確かに][終日][すわる][(持続)][1人][楊二嫂]
斜め向いの豆腐屋にたしかに楊二嫂という人が一日中坐っていた。(高85)
また,⑤であるが,これは中国語文法において兼語文と呼ばれる構文に属す。ここで文頭成 分とした“原来房后面那个小竹园(かつての裏手の小さな竹やぶは)”は構文上“有(ある)” の目的語になっており,同時に後ろの部分“现在已经变成一片苍翠的大竹林了(今ではもう一 面青々としたりっぱな竹やぶになっている)”の主体を兼ねている。その場に初めて持ち出され る事物はしばしばこの構文により持ち出されるが,大河内(1991)の指摘する関係節の表示形式 の欠如を補う方法のひとつであり,実質的には目的語と主体を兼ねた成分が「主語」または「主 題」に相当すると考えるのが適当である。
この他に,「~と考える」,「~とわかる」,「~と感じる」などの「~」にあたる内容の部分も,
主語と述語のセットである場合,その主語を文頭成分とした。
2.3. 調査対象と方法
調査の材料として今回は,複数の日本語訳が出ていることから,鲁迅《故乡》を取り上げる。
その日本語訳『故郷』4編の翻訳を比べ,文頭成分の異同を調査した。対照のため英語訳“My Old
Home”についても,同様の調査をした。調査対象とした文献は以下の通りである。なお,各例 文末尾の( )内は,略号とページ数を示す。また例文中の文頭成分には下線を付した。
鲁迅〈故乡〉《呐喊》人民文学出版社1979【略号(鲁)】
魯迅著,竹内好訳「故郷」『阿Q正伝・狂人日記』岩波文庫1981【略号(竹)】
魯迅著,増田渉訳「故郷」『阿Q正伝』角川文庫1983【略号(増)】
魯迅著,駒田信二訳「故郷」『魯迅作品集』講談社文庫1979【略号(駒)】
魯迅著,高橋和巳訳「故郷」『吶喊』中公文庫1973【略号(高)】
Lu xun,“My Old Home”,Selected Stories of LU HSUN,tr. by Yang Hsien-yi and Gladys Yang,
W.W.Norton & Company,2003 (Reprint of the 1972 ed. pulished by Foreign Languages Press.,Peking)【略号(英)】
2.1,2.2 により確定した文頭成分は,まず,セットになる述語との意味関係から以下のよう
に分類した。文頭成分の選択が話し手の自由にまかされるとしたら,実際にはどのような成分 が選ばれているのかを明らかにするためである。
s述語が述べる動作の動作主(存在の主体・性質の担い手を含む) o述語が述べる動作の受け手
t述語が述べる動作の行なわれる時間 l述語が述べる動作の行なわれる場所 e述語が述べる動作に使われる道具
pその他,述語が述べる動作に関与するもの c述語内の繋辞によってつながれるもの
次に日本語訳と対照し,文頭成分の一致不一致を見た。
一致するかどうかの判断基準であるが,今回は発話の際,どの語句から発するかを明らかに することに関心があるので,以下の(11)(12)のように,出現の順序が異なる場合は,一致しな いと判断した。
(11) 我 认识 他 时,也 不过 十 多 岁,(鲁58) [私][知る][彼][時][も][過ぎない][10][あまり][歳]
かれと知りあったとき,私もまだ十歳そこそこだった。(竹87)
(12) 我们 那时候 不知道 谈 些 什么,(鲁59) [私たち][その時][知らない][話す][少し][何]
その時私たちは何を喋ったのだったろうか,(高82)
3.調査結果と考察
3.1. 中国語原文の文頭成分
2.3に示したs~cの分類と,文頭成分が指すものの種類とをクロス集計したのが表1である。
2.3で設けた分類のうち,e動作に使われる道具は今回1例も現れなかった。
表1に見るように,動作主の文頭成分が圧倒的に多い。話し手には文頭成分を選ぶ自由があ るとされるが,すべてを話し手の選択の結果とするには無理があろう。実際には動作主,その 中でも特に,人を指す語が動作主として文頭にあることがデフォルトであることがうかがえる。
動作主の次は動作の行なわれる場所あるいは人・物の存在・出現する場所であり,動作の受 け手が文頭成分である例は予想外に少なかった。今回は小説を題材にしていて,叙述文が多く を占めたためであり,対話文を題材とすれば異なる傾向を示した可能性がある。
表1 case
type s動作主 o受け手 t時間 l場所 p関与者 c繋辞 総計
人 176 1 3 6 186
時間 1 4 5
場所 25 1 26
身体の一部 7 1 3 1 12
物事 36 7 1 1 5 50
動物 5 1 6
指示詞疑問詞 5 1 10 16
動作3) 1 1
総 計 230 11 4 29 4 24 302
3.2. 日本語訳で一致した例
4種の翻訳ごとに,文頭成分の一致数をまとめたのが表2である。表2に見るように,4種の 翻訳のうち,原文の文頭成分が訳文でも文頭にあった例,すなわち文頭成分が一致した例の割 合が最も低かったのは竹内訳で,約64%であり,逆に最も高かったのは増田訳の約96%である。
ただし,一致した箇所としなかった箇所には訳により出入りがあり,4 種すべてで文頭成分が 原文と一致した例が302例中184例であった一方,4種すべてで一致しなかった例はわずか8 例である。
表2
竹内 増田 駒田 高橋 全訳一致 全訳不一致
数 192 289 263 254 184 8
割合 64% 96% 87% 84% 61% 3%
以下,分類別に例をあげる。
3.2.1. 動作主(存在の主体・性質の担い手を含む) (13) 我的 父亲 允许 了;(鲁59)
[私][の][父][許す][(完了)]
私の父はそれを承諾した。(増36) (14) 红的 绿的 都 有,(鲁60)
[赤いの][緑の][すべて][ある]
紅いのや緑のや,なんでもあるよ。(駒64) (15) 这 畜生 很 伶俐,(鲁60)
[この][畜生][とても][利口である]
あん畜生,りこうだから,(竹89) 3.2.2. 動作の受け手
(16) 外间 的 寓所 已经 租 定 了,(鲁58) [よその][の][住まい][すでに][借りる][決める][(完了)]
あちらの寓居はもう借りてあること,(高80)
(17) 那 鸟雀 就 罩 在 竹匾 下 了。(鲁59) [その][鳥][すると][覆う][に][竹ざる][下][(完了)]
小鳥は竹ざるの下にかぶせられるのだ,(増37) 3.2.3. 動作の行なわれる時間
(18) 冬天 没有 什么 东西 了。(鲁64) [冬] [ない] [何] [もの][(変化)]
冬は何もございません。(駒69)
3.2.4. 動作の行なわれる場所
(19) 我们 这里 煮饭 是 烧 稻草 的,(鲁65) [私たち][のところ][煮炊き][(繋辞)][燃やす][藁][(断定)]
私たちのところでは,炊事のとき藁を燃す。(竹96) (20) 眼前 展开 一片 海边 碧绿 的 沙地 来,(鲁66)
[眼前][広がる][一面][海辺][青緑][の][砂地][(接近)]
眼前に海辺の碧の砂地がひろがった。(高91) 3.2.5. 動作に使われる道具
なし。
3.2.6. その他動作に関与するもの
(21) 整年 给 一定 人家 做工 的 叫 长年;(鲁59) [一年中][のために][決まった][家][働く][の][呼ぶ][長年]
一年中一定の家で仕事をするものを長年といい,(増35) 3.2.7. 繋辞によってつながれるもの
(22) 这 少年 便 是 闰土。(鲁58) [この][少年][すなわち][(繋辞)][閏土]
この少年が閏土である。(駒62)
類ごとの一致率は,出現数が少ない類もあったため正確ではないが,ほぼ 60%前後であり,
類による違いは特に観察されなかった。
3.3. 日本語訳で一致しなかった例
3.3.1. 動作主(存在の主体・性質の担い手を含む) (23) 现在 我 的 母亲 提起 了 他,(鲁60)
[今][私][の][母][取り上げる][(完了)][彼]
いま,母の口からかれの名が出たので,(竹90) (24) 人 都 叫 伊 “豆腐西施”。 (鲁61)
[人々][すべて][呼ぶ][彼女][豆腐屋小町]
「豆腐屋小町」と呼ばれていたっけ。(竹92)
(25) 因为 伊, 这 豆腐店 的 买卖 非常 好。(鲁62) [のために][彼女][この][豆腐屋][の][商売][非常に][よい]
彼女のおかげであの豆腐屋は繁昌していると。(駒66)
(26) 他 的 态度 终于 恭敬 起来 了,(鲁63) [彼][の][態度][最後に][恭しい][し始める][(完了)]
最後に,うやうやしい態度に変って,(竹94)
(27) 水生 约 我 到 他 家 玩 去 咧……(鲁65) [水生][約束する][私][まで][彼][家][遊ぶ][行く][(完了)]
水生の家に遊びに行くことを約束したんだもの……(増45) 3.3.2. 動作の受け手
(28) 木器 不便 搬运 的,也 小半 卖 去 了,(鲁58) [家具][不便な][運ぶ][の][も][半分弱][売る][(離脱)][(完了)]
家具は遠く搬ぶには不便だから,もう幾らか売却したが,(高80)4) 3.3.3. 動作の行なわれる時間
なし。
3.3.4. 動作の行なわれる場所
(29) 手 里 提 着 一个 纸包 和 一支 长 烟管,(鲁63) [手][の中][さげる][(持続)][1つ][紙包][と][1本][長い][キセル]
紙包みと長いきせるを手にさげている。(竹93)
(30) 脸 上 现出 欢喜 和 凄凉 的 神情;(鲁63) [顔][の上][現れる][喜び][と][寂しさ][の][表情]
喜びと寂しさの色が顔にあらわれた。(竹94) 3.3.5. 動作に使われる道具
なし。
3.3.6. その他動作に関与するもの なし。
3.3.7. 繋辞によってつながれるもの
(31) 这 正 是 一个 廿 年 前 的 闰土,(鲁63) [これ][まさに][(繋辞)[1人][20][年][前][の][閏土]
その児は二十年前の閏土そっくりだった。(高87)
(32) 这 一点 干 青豆 倒 是 自家 晒 在 那里 的,(鲁64) [この][少し][乾燥した][青豆][(語気)][(繋辞)][自宅][干す][に][そこ][の]
これは乾した青豆ですが,わたしが家で乾しましたもので,(駒69)
3.4. 省略による不一致
一致しなかった例のうち,竹田訳67%,増田訳62%,駒田訳69%,高橋訳71%と,6,70%は,
日本語訳において,中国語原文にあった動作主が現れない,いわゆる「主語の省略」が行なわ れた例であった。
(33) 我 已经 将 你 到 家 的 大约 日期 通知 他,
[私][すでに][を][あなた][着く][家][の][大体の][日付][知らせる][彼]
他 也许 就要 来 了。(鲁58) [彼][かもしれない][もうじき][来る][(変化)]
おまえが着くおよその日取りは知らせておいたから,いまに来るかもしれない。
(竹87)
(34) 你 夏天 到 我们 这里 来。(鲁59) [あなた][夏][まで][私たち][のところ][来る]
夏になったらおいらのところへおいでよ。(高82) (35) 他 多年 出门, 统 忘却 了。(鲁61)
[彼][長年][出かける][すべて][忘れる][(完了)]
長いことよそへ行っていたので,すっかり忘れてしまったんですよ。(駒66)
(33)(34)(35)の日本語訳は,場面や前後の文脈により明らかな動作主,特に話し手自身や眼の 前の人物を直接指すことばの使用を避けたものである。中国語ではこれらは使用しなければ曖 昧であると取られかねない5)。逆に,表2で一致した例が96%もあった増田訳には,(36)のよう に日本語としては動作主が現れすぎでやや不自然であると感じられるような例もあった。
(36) 你 休息 一两天, 去 拜望 亲戚本家 一回, 我们 便 [あなた][休む][一両日][行く][訪ねる][親戚一族][1通り][私たち][すると]
可以 走 了。(鲁58) [してよい][去る][(変化)]
お前が一両日休んでから,一族親類に挨拶廻りを済ませたら,私たちはもう出立 できますよ。(増34)
省略による不一致を除くと,文頭に現れる成分は,中国語と日本語とでかなりの程度一致す ると見てよいであろう。
その他に,2.3にも示したが,時間や場所を表わす語句との順序が入れ替わった例も少なくな かった。翻訳者の好みというだけでなく,(37)のように,3 種の訳で同じ入れ替えが行なわれ ているような例もあり,何か日本語に特徴的な文の始め方といえるものがあるのかもしれない。
(37) 我 想 到 希望,忽然 害怕 起来 了。(鲁66) [私][考える][至る][希望][突然][恐ろしい][し始める][(変化)]
希望という考えがうかんだので,私はどきっとした。(竹98)
希望ということを考えたとき,突然わたしはおそろしくなってきた。(駒73) 希望ということに想いいたったとき,私は突然おそろしくなった。(高91) 私は希望ということを考えてみて,フト怕ろしくなってきた。(増46)(一致)
3.5. 英語訳との対照
英語訳で文頭成分が一致した例の割合は 72%で,日本語訳とそれほどの違いはなさそうであ るが,一致しなかった例の内訳が日本語訳とではかなり異なる。すなわち,日本語訳では 3.4 に述べたようにいわゆる「主語の省略」による例が不一致のうち6,70%と多かったのに対し,
英語訳では(38)(39)(40)に見るように「主語」の現れ方は中国語に近い一方,(41)(42)(43)(44)(45) のようにまったく異なる文頭成分を選択した例が75%と日本語訳に比べて多かった。
(38) 但 我们 终于 谈 到 搬家 的 事。(鲁58) [しかし][私たち][最後に][話す][至る][引越し][の][こと]
But finally we had to talk about the removal. (英55) だが,とうとう引っ越しの話になった。(竹86)
(39) 你 便 捏 了 胡叉,轻轻地 走 去……”(鲁60) [あなた][すると][握る][(完了)][刺叉][そっと][歩く][行く]
then you take your pitchfork and creep stealthily over…. (英57) そこで刺叉を握って,そっと忍びよって行く……(増37)
(40) 他 可以 在 运 灰 的 时候,一齐 搬 回 家里 去;(鲁65) [彼][できる][に][運ぶ][灰][の][時][一緒に][運ぶ][帰る][家][行く]
when he came to remove the ashes he could take them home at the same time.
(英63)
灰を搬ぶときそっくり家にもちはこべるから,(高90)
(41) 头 戴 一顶 小 毡 帽,(鲁59) [頭][かぶる][1つ][小さい][フェルト][帽子]
wore a small felt cap on his head(英56) 小さな毛織りの帽子をかぶり,(竹88) (42) 门 外 有 几个 女人 的 声音。(鲁61)
[門][外][ある][数人][女][の] [声]
The voices of several women could be heard outside. (英58) 門の外には数人の女の声がする。(増39)
(43) 我 却并 未 蒙 着 一毫 感化,(鲁62) [私][(語気)][ていない][受ける][(影響)][少し][感化]
she had made no impression on me, (英59)
わたしは何の感化も受けたことがなかったが,(駒66) (44) 信 是 早 收 到 了。(鲁63)
[手紙][(繋辞)][とっくに][受け取る][(到達)][(完了)]
I got your letter some time ago, (英61) お手紙は早くに頂きました。(竹94)
(45) 明天 便 得 回 去;(鲁64) [明日][すると][しなければならない][帰る][行く]
and had to go back the next day; (英62) 明日には帰らねばならぬという。(高89)
まとめと課題
中国語原文に現れる文頭成分は,自由な選択が行なわれているとされる割には,動作主で人 を指すものが多くを占めていた。選択が行なわれる前に,人を指す動作主が文頭に現れるのが,
中国語の文のデフォルトであると考えられる。今後,デフォルトによる文頭成分と,話し手の 選択による文頭成分とを峻別する方法があるかどうか,検討の余地がある。また,今回は小説 を題材にしたため,叙述文が多くを占めており,対話文,例えば戯曲や録音された会話などを 題材とすれば異なる傾向を示す可能性がある。
中国語原文と日本語訳のあいだで文頭成分が一致した割合は64%~96%であり,なおかつ,一 致しなかった例の6,70%は,日本語では不要とされる主語を省略したものであり,それらを除 くと,文頭成分は,中国語と日本語とでかなりの程度一致すると見てよいであろう。上に述べ た通り,話し手の選択が行なわれる前のデフォルトの文頭成分があるとすれば,そのデフォル
トもまた,中国語と日本語とでは同じであることになる。一方,一致しなかった例の中に複数 の訳が同じような訳出をしている例が見られた。中国語と異なる日本語の特徴がこのような例 に現れている可能性があり,これも今後の研究課題である。
英語訳でも約 72%で文頭成分が一致し,数字的には日本語訳とそれほど隔たりがあったわけ ではないが,しかし,内訳が日本語訳とは異なり,まったく異なる文頭成分を選択した例が75%
と,日本語訳に比べて多く,中国語の文を発する際の基本的発想が英語よりも日本語に近いと いう印象を裏付けるひとつの要素となりうることが確認できた。一方で,日本語訳では省略さ れることの多い動作主を表わす主語が,英語訳では中国語原文と同じように現れるという傾向 も見られ,いわゆる「主語の省略」に関しては,中国語は英語により近いといえそうである。
謝辞
本論は,本学語学研究所定例研究会での発表をもとにしたものである。席上,貴重なご意見・
ご指摘をいただいた方々にこの場を借りて謝意を表する。
注
1) 吕叔湘(1986)より。訳は引用者。
2) 中国では,「主語-述語」を“主语-谓语”といい,「動詞-目的語」を“述语-宾语”という。これにより
「動詞」という品詞名が混在することを避けることができる。
3) 動作を表わす動詞句がそのまま主語になるのは中国語の特徴のひとつであるとされている。朱德熙(1985)等 を参照。
4) むしろこれは誤訳に近いのではないかと思われる。
5) ただし,実際にはそれほど曖昧であるとは思われない場合にも「主語」が必須であることもあるので,中国 語の「主語」の省略についてはなお検討を要する。大河内(1967)では複文での省略に関わる一要因を指摘し ている。
参考文献
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汉语的句首成分
KATO Haruko
本文以鲁迅的短篇小说《故乡》为语料,抽出文中的句首成分,根据它们的语义功能把它们 分为施事、受事、与事、动作进行的处所或时间、动作的工具等几类,并且调查了它们在日语译 文中出现的位置,是否仍在句首。最后与英语译文也进行了对比。
本文所说的句首成分包括一般所说的主语和主题。朱德熙、吕叔湘等指出:在汉语句子里,
任何成分都按照说话人所要表达的意图,可以出现在句首,作句子的主语或主题。本文认为每种 语言的句首成分的选择则是每种语言基本构思的一种表现。
本文通过以上分类和调查显示:
一、虽说说话人有选择主语的自由,实际上动作的施事充当主语的情况最多。
二、汉语原文中大部分的句首成分,在与它们相对应的日语译文中仍出现在句首,即汉语的
句首成分和日语的句首成分基本一致。而不一致的例句约三分之一是因句首成分被省略而导致的。
可见,说汉语的人和说日语的人都选择同样的句首成分。汉语属于SVO型语言,日语属于SOV 型语言,但是两种语言的基本构思可以说比较接近,而与汉语同型的英语却相距较远。