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市町村合併政策の形成過程

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論 文

第1章 はじめに

わが国の基礎自治体である市町村は,戦後 60 年余りで,約 4,000 件近くの合併を繰り返し てきた。その結果,終戦当時で 10,520 あった市 町村は,約 1/6 の 1,774 にまで統合された(2009 年 9 月現在)。一方の広域自治体である都道府 県が,多くの再編論・改革論に晒されながらも 一貫して創設当時の区域を維持してきた(1)こと を勘案すれば,戦後日本における市町村レベル の区域再編がいかに苛烈であったかが分かる。

戦後の合併は,2つの時期に集中した。すな わち,1953 年から 1961 年までの「昭和の大合併」

と,1999 年より始まった「平成の大合併」であ る(2)。前者では,3,012 件の合併により市町村 が 9,868 から 3,472 へと統合が進んだ。後者は 現在継続中だが,今年度末までには 626 件の合 併で 3,232 の市町村が 1,753 へと統合される予 定である。終戦から「昭和の大合併」までの合 併が 351 件,「昭和の大合併」と「平成の大合併」

の間の合併が 207 件に留まっていたことに鑑み れば,戦後の合併は概ね上述2つの短期間に集 約されていると言える(3)。したがって,市町村 合併を一定の目的と法令上の根拠を持って展開 される政策と捉え,上述2つの大合併期におけ る合併政策それぞれの一般的特性を把握し,両

者の類似点・相違点を比較検証することは,戦 後日本の合併政策の「実態」と「変遷」を捉え ることとほぼ同義と考えられる。

本稿では,このような視座から「昭和の大合 併」期の合併政策を分析対象とし,その形成過 程の解明を試みる。本稿の構成は以下の通りで ある。第2章では,先行研究が上述2つの大合 併期における合併政策をどのような視座から捉 えてきたか整理する。筆者は,既に「昭和の大 合併」期の合併政策を対象とした政治学・行政 学分野や公法学分野,社会学分野の先行研究の 視座と特徴を個別に分析してきた(4)。本稿では,

さらに多くの先行研究をフォローすることで,

「昭和の大合併」期の合併政策をめぐる先行研 究の分析視座が「平成の大合併」期の合併政策 をめぐる先行研究の視座と共通するものである ことを示す。その上で,一連の先行研究におけ る視座設定の問題点を指摘し,その克服に向け た新たな視座を提示する。第3章では,「昭和 の大合併」をめぐる先行事例研究を素材として,

実際に当時の合併政策がどのようなアクター間 関係から形成されていたかを捉える。ここで は,合併政策に介入するアクターの特定と,介 入の背景にある利害関係を中心に整理する。第 4章では,前章での整理を基に,「昭和の大合 併」期の合併政策に特徴的な動向である「分町・

*早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程3年

新 垣 二 郎

─ 「昭和の大合併」期の分町・分村に着目して ─

市町村合併政策の形成過程

(2)

分村」が発生するミクロ構造を仮説として示す。

「分町・分村」は,「昭和の大合併」において大 規模に発生したが,「平成の大合併」では山梨 県上九一色村の1例のみであった(5)。この「分 町・分村」発生の過程を探ることは,「昭和の 大合併」期における合併政策に限らず,戦後日 本の合併政策の一般的特性の「変遷」を捉える 意味でも重要と考えられる。最後に,第5章で は総括として,「昭和の大合併」期の合併政策 の「実態」を現代で再び捉え直すことの意義に ついて,「平成の大合併」との比較視座からコ メントする。なお,後述するように,本稿では 先行事例研究の知見の統合に力点を置くため,

事例研究によって仮説を検証する作業は別稿に 譲ることとする。

第2章  合併政策をめぐる先行研究の到 達点

第1節 先行研究の視座

これまで,「昭和の大合併」と「平成の大合併」

という2つの大合併期の合併政策を捉えた先行 研究は,数百件の論文として残されてきた(6)。 それらは概ね,単純なメリット・デメリット論(7)

を除けば,以下2点の視座に集中してきたと言 える。第一に,合併政策がなぜ特定の短期間に 集中して発生したかという点である。戦後にお いて,市町村は制度上完全自治体としての権能 を有することとなった。個々の合併政策は,市 町村区域の拡大によって行財政運営効率の向上 や行財政基盤の強化を図るものであるから,

個々の市町村の行財政事情との兼ね合いから検 討されるべき政策である。それだけに,特定の 短期間に合併政策が集中するのは,何らかの外 在的な力が作用したことが考えられる。この点 をめぐる研究では,合併政策の主体となる市町 村レベルのアクターよりも,「外部」に位置す る中央政府・都道府県レベルのアクターの動向

に注目が集まった。実際に,「昭和の大合併」

と「平成の大合併」が発生した時期は,中央政 府・都道府県レベルのアクターが大規模な市町 村レベルの区域再編に積極的姿勢を打ち出して おり,その政策志向は主に財政・行政面で硬軟 を織り交ぜた支援措置(冷遇措置)となって結 実した。そのため,先行研究では,中央政府・

都道府県レベルのアクターが諸施策をもって合 併政策を大規模に進めようとする意図を描写す ることに,精力が注がれてきた(8)。このような 研究を,本稿では「大規模発生論」として括る こととする(9)。「大規模発生論」は,行政学・

政治学分野の研究者を中心として展開されてき た。それは,行財政運営の効率性を重視する観 点から地方政府の消滅が進むことが,「民主主 義の学校」としての地方自治の発展・浸透を阻 害するという問題意識に裏付けられていたと考 えられる。

第二に,合併政策の成立によってどのような 事後変化が起こったかという点である。合併政 策は単なる行政区域の機械的統合に留まらず,

凡そ市町村行政と関わりを持つ全てのアクター に何らかの利害をもたらす「総合政策」として の側面を有している。そのため,この点をめぐ る先行研究では,個々の合併政策によるミクロ 的変化から,同政策の大規模発生により惹起さ れたマクロ的変化に至るまで,様々な論点が設 定され分析されてきた。本稿では,これらの先 行研究を「波及効果論」として括ることとする(10)

「波及効果論」は行政学・政治学分野に限らず,

社会学・公法学・財政学など,学問分野の垣根 を超えて多角的な観点から知見が提示されてき たことに特徴がある。

第2節 先行研究の問題性

この「大規模発生論」と「波及効果論」にお ける先行研究は,戦後日本の合併政策を捉える

(3)

ために重要な役割を果たしてきた。しかし,こ れらの知見が大合併期の合併政策の一般的特性 を捉える理論として止揚されるには,互いに同 様の深刻な問題性を抱えている。すなわち,こ れらの研究には,それぞれ合併政策の形成過程 への考慮が欠落している点である。

本稿で言う形成過程とは,合併政策が個々の 市町村レベルのアクターに現実的課題として認 知されて以降の,多元的アクターによる利害関 係の調整・妥協を主とした具体的議論が展開さ れ始めてから,最終的に合併政策の成否が決定 されるまでの一連の過程を指す。その意味で,

合併政策に関わる具体的議論が正に「形を成す」

過程である。本稿では,この過程における多元 的アクターの動向を捉えた研究を「形成過程論」

として定置する。

合併政策の形成過程を捉えるには,個別の合 併事例をつぶさに検証する事例研究と,そこか ら得られる知見の横断的結合による精緻化作業 の2つの方向性がある。「形成過程論」は,こ の「検証」と「精緻化」を繰り返すことによって,

理論としての汎用性・説得性が高まる。個々の 合併政策を捉えた事例研究は,行政学分野や社 会学分野を中心に,かなりの数が残されてきた。

一方で,その知見の横断的結合に向けた作業は,

これまで試みられた形跡がない。そのため,合 併政策をめぐる先行研究では,「昭和の大合併」

と「平成の大合併」それぞれの合併政策がどの ような形成過程を経て進行したかを捉えきれて いない。以下では,「大規模発生論」と「波及 効果論」それぞれに内在する問題性について見 ていく。

(1)「大規模発生論」の問題性

「大規模発生論」は,合併政策の成立に係る アクター間関係の分析を基礎とするが,合併政 策の特定短期間における集中発生構造の解明を

主眼とするから,必然的にその分析視座はマク ロになる。そして,上述のように,先行研究では,

市町村レベルのアクターの動向より,中央政府・

都道府県レベルのアクターの動向が合併政策の 大規模発生に大きく影響を及ぼしたという視座 を前提とする点で概ねの一致をみている(11)。「大 規模発生論」では,合併政策の主要アクターと して中央政府・都道府県・市町村が想定され,

この縦型に連なる3つの階層関係における,前 者から後者への影響力の一方向的行使の様態が 捉えられてきたと言える。

このような見方は,合併政策の大規模発生を 帰納的に捉えるものとして正しい。だが,ここ で問題を2つ指摘できる。第一に,中央政府・

都道府県レベルのアクターが市町村レベルのア クターに対して,合併政策の「どの過程で」影 響力を行使したかが捉えられていない。政策過 程論の通説に従えば,どの政策にも,概ね,課 題設定・政策立案・政策決定・政策実施・政策 評価という各フェイズが時系列的に展開される

( 西 尾 2001:  p.249, 天 川・ 稲 継 2009:  p.13-16)。

この一連の過程をどのように分類するかは,対 象とされた政策の種類と観察者の視点によって 異なるが(12),このような過程自体はどの合併 政策にも必ず存在する。しかし,「大規模発生 論」は,この政策過程における時系列的フェイ ズを所論のうちに組み込んでこなかった。大合 併期に中央政府・都道府県レベルのアクターが 合併政策の必要性を声高に提唱していたことは 確かであるから,そのアナウンス効果に鑑みれ ば,課題設定過程において市町村レベルのアク ターに同政策を意識させたという点で一定の影 響力を行使したことは首肯される。しかし,そ れ以降の合併政策が成立するまでの過程に中央 政府・都道府県レベルのアクターが影響力を行 使したか(できたか)どうかは判然としない。

第二に,中央政府・都道府県レベルのアクター

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による合併政策の成立に向けた影響力が「どの 程度」市町村レベルのアクターに作用したかが 考慮されていない。但し,これは非常に抽象的 な議論であり,完全な実態把握は不可能である。

しかし,少なくとも合併政策には,「合併枠組み」

と「合併条件」という要因をめぐる周辺市町村 との交渉と,同政策に利害関係を有する市町村 内部のアクターとの調整・妥協という2つの過 程が存在する。これらの過程が個々の合併政策 の成否に与える影響を考慮せずに,中央政府・

都道府県レベルのアクターからの強力な勧奨に よって合併政策が大規模発生したと包括的に捉 えるのは早計と考えられる。

(2)「波及効果論」の問題性

一方の「波及効果論」は,合併政策の成立か ら派生した諸変化を捉えるものであるから,そ の知見は,上述のように広範囲に展開されてい る。「大規模発生論」及び「形成過程論」が合 併政策に係る議論の発生から成立に至るまでの 一連の過程を捉えようとする「原因」の分析で あるのに対し,「波及効果論」は,その過程か ら産出された政策的帰結が再び市町村行政と関 わる全ての多元的アクターの活動領域にどのよ うな形でフィードバックされたかを捉えようと する「結果」の分析である。その意味で,両者 の射程領域は因果関係にある。

「波及効果論」に内在する問題もまた2点指 摘できる。第一に,「波及効果論」として括れ る多くの先行研究が,合併政策との関係性を捉 えきれていない,もしくは捉えること自体を放 棄している点である。「波及効果論」として括 れる先行研究の多くは,合併政策の成立を所与 のものとして事後変化の分析を進める傾向にあ り,変化の原因を合併政策における一連の過程 の様態から捉えようとする志向が希薄である。

新市町村の規模にもよるが,合併政策のもたら

す事後変化として,行政運営費や議員報酬など の財政的側面における変化は比較的早い段階で 可視的になる(13)。しかし,その他の多くの変化 が顕在化するには一定の期間を要する。そのた め,「波及効果論」では,概ねどの論点に関し ても,「合併前」と「合併後」という,合併政 策そのものの過程を飛び越える形で指標を設定 して比較検証がおこなわれている。

第二に,「波及効果論」で提示されている知 見が,あまりにも諸方面に散在している点であ る。つまり,合併政策が短期間に集中して大規 模発生したことが,ミクロ・マクロ両面におい てどのような結果を生み出したのかを説得的に 示すための学際的整理がおこなわれていない。

この現状は,大合併期の合併政策の一般的特性 がこれまで解明されてこなかったことにも一因 があると考えられる。しかし,既に述べたよう に,「大規模発生論」及び「形成過程論」と「波 及効果論」の射程領域が因果関係にある以上,

「波及効果論」における知見の体系化をもって,

大合併期の合併政策の一般的特性を遡及的に示 唆することは理論上可能と考えられる。

第3節 「形成過程論」の意義

図1は,「大規模発生論」「波及効果論」「形 成過程論」の射程領域と相関関係を整理したも のである。ここでは,合併政策に関わる多元的 アクターの帰属階層を縦軸に,合併政策が現実 的課題として定置されてからの一連の時系列的 フェイズを横軸にとった。

「大規模発生論」と「形成過程論」は,合併 政策の一連の過程における多元的アクター間の 関係性を射程としている点で共通するが,後者 は課題設定過程と政策実施過程を捉えない。そ れは,大合併期の合併政策が個々の市町村の自 生的着想に端を発したものではないと考えられ ること,及び政策実施過程はフォーマルなアク

(5)

ターの専管領域であることに因る。

また,政策立案過程から政策決定過程に至る までの段階で「大規模発生論」と「形成過程論」

との間に射程領域の「重複」と「棲み分け」が ある。大合併期の合併政策の一般的特性を解明 することは,中央政府・都道府県・市町村・地 域社会・住民という様々な階層レベルに帰属す る多元的アクターが,各自の利害関係の相違か ら合併政策の形成過程で「衝突」し「妥協」す る一般的様態を描写することに他ならない(14)。 このうち「大規模発生論」は,中央政府・都道 府県・市町村レベルに位置するフォーマルなア クターの関係性のみを考慮する。これは,行政 学分野において合併政策が長らく「区域」と「機 能」の調整問題として捉えられてきたことの表 れと言える。すなわち,逆説的であるが,合併 政策を「区域問題」の一つと見做すことによっ て,中央政府・都道府県・市町村という縦型に 連なる3つの階層関係の中で同政策を捉えるこ とが初めて可能になる。中央政府・都道府県レ ベルのアクターは,合併政策の形成過程に介在 してくる市町村内部のインフォーマルなアク ターに,直接的な形で影響力を行使しうるルー トを持っていない。そのため,「大規模発生論」

では,市町村より下部の階層レベルに帰属する 多元的アクターを合併政策の主たるアクターと して捉えてこなかった(15)

一方の「形成過程論」は,合併政策の成立に 向けた市町村レベルに位置するアクター相互の 水平的関係性と,市町村・地域社会・住民レベ ルに位置するインフォーマルなアクターを交え た形での垂直的関係性を中心に捉えるものであ る。「大規模発生論」における上述2つの問題は,

この形成過程を探ることで検証が可能になる。

中央政府・都道府県レベルのアクターからの「外 部」的諸施策と勧奨は,実際には,合併政策の 形成過程の「内部」に位置する多元的アクター の行動にどのような影響を与えたかという側面 でしか顕在化しない。その意味で,両論は,合 併政策の過程全体を描き出す上で相互補完の関 係性にある。「形成過程論」を深化させること の第一義的な重要性はここにある。

また,「形成過程論」は,「波及効果論」にお けるミクロ的知見の遡及性を担保する点でも貢 献できる。「大規模発生論」及び「形成過程論」

と「波及効果論」の射程領域が因果関係にある ことは既に述べてきたが,現状において,「大 規模発生論」の知見と「波及効果論」の知見と の間には密接な相関関係が成立している。いわ ゆる府県改革論の台頭や,過疎と過密の同時進 行への対処などの問題は,大合併期の後に必ず 浮上するが,このようなマクロ的観点からの自 治制度設計の議論上において両論の知見は連関 してきた。一方で,個々の合併政策が地域に及 ぼす影響などのような,マクロ的観点では捉え きれない諸点についても「波及効果論」では指 摘されてきたが,ここに対応すべき「形成過程 論」が現状で深化されていないため,知見のミ クロ的相関関係は成立していない。この点から も,「形成過程論」の意義が捉えられる。

波及効果論

中央政府レベル

都道府県レベル

市町村レベル

地域社会 レベル 住民 レベル

課題 設定

大規模発生論

形成過程論 政策

立案 政策

決定 政策

実施 政策 評価

補完関係

マクロ的 相関関係

ミクロ的相関関係 図 1 町村合併研究の射程領域と相関関係

(6)

第3章  「昭和の大合併」期の合併政策 をめぐるアクター間関係

第1節 多元的アクターの「特定」

「形成過程論」の核心は,合併政策の形成過 程における多元的アクターが,それぞれいかな る利害関係を背景として合併議論に介入したか という行動様式の特定と,「合併枠組み」と「合 併条件」をめぐる議論がどのような形で展開さ れていたかを捉えることにある。本節では,こ の作業の基底となる多元的アクターの「特定」

を,先行事例研究の俯瞰からおこなう。但し,

中央政府・都道府県レベルのアクターはともか く,形成過程における市町村・地域社会・住民 レベルのアクターの登場形態は,凡そ合併政策 の成立した数だけある。その全てを捉えるのが 本節の意図ではない。ここでは,先行事例研究 で捉えられてきた形成過程のアクターのうち,

各段階において中心的役割を果たしたアクター の「特定」を目的として叙述する。

(1)都道府県レベル

都道府県レベルのアクターとしては,概ね都 道府県知事,地方課・市町村課などの行政担当 部局,地方事務所,都道府県合併促進審議会 などが,先行事例研究で捉えられてきた(井 出 1959,横山他 1959,行政学研究会 1960,加 藤他 1960,和田他 1963)。このうち,合併政策 の形成過程に直接的に介入することができるの は,都道府県知事と都道府県合併促進審議会の 2者である。但し,後者は知事の意向に反する 決定はできない諮問機関であるから,実質上は 知事のみと捉えることもできる。そして,彼ら の介入もまた限定的である。知事及び合併促進 審議会は,当該都道府県内における「合併枠組 み」の試案を作成する「序盤」と,当該市町村 内部での議論が紛糾し,当事者間のみでの調整

が不可能となった「終盤」に,町村合併調整委 員としての審議会委員5名による直接介入と,

「知事勧告」としての決裁権の行使が認められ ている。行政担当部局は,「合併枠組み」の試 案を作成するための情報整理と,市町村内部の アクターに向けた合併政策の効能についての指 導・啓蒙活動,及び紛争が発生した場合におけ る知事・合併促進審議会への詳細情報の伝達な どの役割を持つ。彼らは,合併政策の形成過程 に主体的な意思をもって介入するアクターでは なく,エージェント的存在である。また,各郡 単位で設置される地方事務所は,基本的に郡境 付近における「合併枠組み」をめぐって思惑が 相違するため,行政担当部局と切り離して捉え るべきである。地方事務所は,上述の「序盤」

と「終盤」の双方で,知事と合併促進審議会の 提言に影響力を行使しようとするとともに,郡 内町村に向けて,合併政策の効能についての 指導・啓蒙活動に当たるとされる(井出 1959: 

p.343-344)。

(2)市町村レベル

全ての先行事例研究で捉えられているアク ターとして,当該市町村の首長と議会議員が挙 げられる。合併政策が基本的に当該市町村の議 会において議決されなければ成立しない政策で ある以上,このことは当然である(16)。幾つかの 先行事例研究では,市町村行政当局をアクター として捉えているものもあるが(渡邊 1955,行 政学研究会 1960),行政当局は合併政策に直接 的な利害関係を有せず,基本的に都道府県レベ ルのアクターからの勧奨や,首長・議会議員の 意向を受けて行動すると考えられる。また,市 町村の行政当局が自発的に政策形成に乗り出す ようになったのは,日本社会が農村型から都市 型に転換した 1965 年頃からとの指摘もある(佐 藤(竺)1993:  p.29)。そのため,本稿では,都

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道府県の行政担当部局と同様,政策形成に係る 上意下達・下意上達的なエージェントとして捉 える。なお,上述のとおり,合併政策の形成過 程には,周辺市町村との「合併枠組み」と「合 併条件」をめぐる水平方向の交渉があるため,

周辺市町村にも首長と議会議員がアクターとし て並立している。

(3)地域社会レベル

最後に,市町村内部のアクターについて整理 する。先行事例研究では,当時の住民と市町村 を接合する地域社会レベルにおいて,概ね「隣 組」「駐在区」「大字(字)」「校区」「地区」な どの枠組みが存在し,それぞれにフォーマルな 指導者ポストが用意されていたことが指摘され ている(余宮・山本 1961: 附属資料第2図)。当 然ながら,この区分とポストの有無は,当該市 町村の規模によって異なる(17)。先行事例研究で は,このうち「地区」ないし「大字(字)」レ ベルのアクターである村落組織の介入が多く指 摘されている(重富 1958,井出 1959,横山他 1959,行政学研究会 1960,加藤他 1960,和田 他 1963,米村・妹尾 1963・1964)。村落組織とは,

一般に「町内会」「部落会」などの名称で呼ば れる地縁的生活共同体を指す。この他にも,青 年団や婦人会などの各種団体が合併政策に介入 しようとするケースも散見されるが,概してこ れらは村落内部の混乱の収拾や,村落単位での 合意誘導を目的とする行動と捉えられるため,

本稿では主たるアクターとして扱わないことと する。村落単位での結合がない(弱い)地域では,

住民が直接介在してくるケースも見られるが

(渡邊 1955,行政学研究会 1960),これは恐ら く特殊事例である(18)。当時の合併政策に対する 住民一般の興味は概して低く(浪江 1953:  p.38- 39,星野 1958: p.194-195),仮に気運が昂揚した としても,それは基本的に村落組織に一旦集約

されてから市町村レベルのアクターへの要求と して表出する構造にあったと考えられる。

第2節 多元的アクターの「意図」

当然ながら,前節で捉えてきた各段階のアク ターは,それぞれ合併政策に介入するにあたっ ての思惑が異なる。本節では,彼らがどのよう な要因を背景として合併政策の形成過程に介入 したかを,先行事例研究の知見から整理する。

但し,これも前節と同様に,市町村内部のアク ターの利害対立の有無や,各アクターの合併政 策に介入する意思の強弱は,合併事例によって 千差万別である。そのため,ここでは程度の問 題について考慮せず,形成過程における各アク ターの志向ないし行動を規定していた背景的要 因の把握を中心に叙述する。

(1)都道府県レベル

都道府県レベルのアクターは,基本的に政府 計画における「市町村数を 1/3 にする」という 大命題の下,内部に均整のとれた中規模市町村 の配置を志向した点で概ね一致していた(19)。そ れは,義務教育6・3制の施行による中学校新 設問題や,国民健康保険法に伴う町村財政負担 の増加,急激なインフレーションの進行による 役場人件費の増大などにより,町村財政の破綻 が各地で起こったことと密接に関連する。すな わち,当時の京都府や島根県,千葉県などの比 較的に小規模町村の多い府県が「合併先進県」

と呼ばれ,合併政策が大規模発生したように,

都道府県レベルのアクターは,内部の小規模町 村の「数」の解消を第一義的な目的としていた

(河中 1956:  p.48-60)。このことは,各都道府県 の合併促進審議会から出された試案が,各地域 の地勢・歴史・交通・経済など諸般の要因を総 合的に勘案したことを標榜しながらも,実際に は町村合併促進法に合併対象として明記された

(8)

人口 8,000 人という要件を主軸として内部の市 町村をパズル的に組み合わせただけであり,各 地において結果的に当初の狙いとは異なる形で 合併政策が展開された実態が如実に物語ってい る(20)。また,この背景には,「昭和の大合併」

の根拠法である町村合併促進法と新市町村建設 促進法上の優遇措置が,町村の「数」の減少を 伴う事例のみに適用され(前者の法第 2 条,後 者の法第 2 条の 3),市への編入合併の場合は人 口 10 万人未満の中規模市に限定されていたこ とも大きく作用したと考えられる(前者の法第 37 条,後者の法では 15 万人に修正:附則 10)。

(2)市町村レベル

首長と議会議員は,合併政策の形成過程にお ける多元的アクター間関係の中心に位置する。

マクロ的に捉えれば,基本的に「昭和の大合併」

が開始してから終了するまでの間,彼らが共に 一貫して同政策に否定的なスタンスを取ること はほぼ皆無であった(21)  。その背景として,中 央政府・都道府県レベルのアクターによる合併 政策の成立に向けた諸施策と指導体制が,市町 村レベルのアクターに水平的な連鎖反応を起こ させたことがある。これは大合併期に特徴的な ものであり,合併政策の『ドミノ』(真渕 1998)

や『雪崩』(加茂 2003)と呼ばれる。中央政府 レベルのアクターの施策によって全国一斉に合 併政策が現実的アジェンダとして設定されたこ とにより,合併政策に抵抗の少ない市町村レベ ルのアクターは,ベスト・パートナーを求めて 先取的行動に出る。これが,世論の昂揚に後押 しされながら,従前の行財政運営の困難性(総 合性)を合併政策によって克服(拡大)しよう とする市町村相互の競争状況を惹起し(金井 2007:  p.110-112),連鎖的に合併政策が成立して いった(真渕 1998: p.61-66)。

しかし,ミクロ的に捉えれば,合併政策は市

町村レベルのアクターの政治的地位を脅かすも のであるから,決して好ましい政策ではない(行 政学研究会 1960(1):  p.166)。つまり,首長や 議会議員は,大規模化する合併政策の波に乗る ことを第一義的に考えながらも,その中で可能 な限り既存の地位を温存する志向から形成過程 に参入したと考えられる。先行事例研究の俯瞰 によれば,このようなスタンスをとる市町村レ ベルのアクターが実際にどのような要因から合 併政策を模索したかは,「合併枠組み」と「合 併条件」で異なる。前者については,概ね,① 地勢的一体性・辺境性,②歴史的親和性,③産 業構造の同質性,④財政状態の健全性,⑤政治 的安定性,⑥人口規模(有権者数)の類似性,

などの諸点が考慮される傾向にあるが,このう ちどの要因を重視するかは合併事例によって大 きく相違する(22)。逆に,後者については,概ね どの事例もほぼ同様の要因が考慮される。すな わち,①新市町村の名称,②旧市町村有・村落 有財産の扱い,③公共施設の新設可否及び建設 位置,④新市町村での政治的ポスト配分,など をめぐる議論の存在が共通的に見られる(23)

(3)地域社会レベル

地域社会レベルの中心的アクターであった村 落組織の合併政策に対する関心は,基本的に同 政策が当該村落にどのような直接的利害をもた らすかという1点のみに集中した。それは,多 くの農村社会学分野の先行研究が指摘するよう に,当時の町村では,内部における村落組織と の分化状態が未解決のまま存置されてきたこと と密接に関連する(24)。これには2つの含意があ る。第一に,村落組織の町村政治への影響力で ある。村落組織は,明治時代における近代的国 家の樹立以前から連綿と続けられてきた農業生 産上の地縁的共同処理によって,求心力を醸成・

強化してきた(福武 1954:  p.41-53)。その求心

(9)

力は,戦後でも町村政治における村落単位での 議員輩出構造となって残存していた。村落の結 合が強い地域での町村議会は,村落の数が多い ほど,村落それぞれの利害代表者の「寄り合い 所帯」的様相を呈することとなり,実質的な自 治活動は村落組織を中心に展開されていた(横 山他 1959,和田他 1963)。合併政策による区域 再編が広域的である場合や,都市部への編入で ある場合,村落組織がそれまで保持し得ていた 政治的影響力は急激に低下する。また,村落の 発展は当該村落が新市町村の中心部になるか辺 境部になるかによっても大きく相違する。この 点で,市町村レベルのアクターがどのような「合 併枠組み」を志向するかは,村落組織にとって 死活問題であった。

第二に,村落単位における共有財産管理権の 存在である。村落組織の求心力は,長らく培わ れてきた共同体的精神性や地主・小作関係とい う土地所有関係を基底としながら,入会権や水 利権などの,自らの体制維持に係る資源の存在 と管理権の掌握によって担保・補強されてきた

(加藤 1958,田原他 1958,渡邊 1959)。合併政 策による新市町村の成立によって,これら諸権 利の管理権がどこに帰趨するかは,村落組織の 求心力の保持と表裏一体の問題であった。その ため,当然彼らはフォーマルなアクターによる 周辺市町村との水平的交渉で,どのような「合 併条件」が設定されるかについても大きな関心 を持っていた(行政学研究会 1960)。

この2つの側面を勘案すると,合併政策の形 成過程における村落組織の行動は,概ね①新市 町村域の広域性,②産業構造の同質性,③共有 財産の管理形態の帰趨,という3つの要因を中 心として展開されていたと捉えられる。

第4章  形成過程における「分町・分村」

の発生

第1節 合併政策の形成過程の全体構造 図2は,前章で整理した合併政策の形成過程 に係るアクターの相関関係の全体像を示したも のである。ここでは,市町村レベルに位置する アクター相互の関係性を「水平交渉」,市町村 内部におけるアクター間関係を「垂直調整」と して捉えた。

合併政策は,垂直調整と水平交渉というアク ターの異なる2つの過程から形成されると考え られる。垂直調整は村落組織の活動の存在を前 提としているが,都市化の進展などで既に村落 結合が弛緩している場合もあったと考えられる から,必ずしも全ての合併政策に存在していた わけではない。しかし,当時「分町・分村」が 最大で 1,209 件発生した可能性があり(25),最終 的に「分町・分村」として結実しなかったケー スも多く存在したことを勘案すると,大多数の 合併政策に垂直調整の過程を想定できる。なお,

垂直調整の必要がないケースについては,基本 的に地勢的条件などの条件から合併不能でない 限り,「大規模発生論」の定説通り,殆どが中 央政府レベルのアクターによる施策と都道府県 レベルのアクターの指導によって合併政策を成 立させたと考えられる。

「形成過程論」を深化させるために,ここで 捉えられるべきは,形成過程における村落組織 の行動としての「分町・分村」の発生である。

上述のように,都道府県レベルのアクターや市 町村レベルのアクターは,基本的に合併政策の 成立を模索して行動する。一方で,村落組織は 当該村落への利害のみを考慮して形成過程に参 入する。その垂直調整の失敗が「分町・分村」

ならば,それが実際にどのような形で展開され たかを分析することは,「昭和の大合併」期の

(10)

合併政策の一般的形成過程を捉えることとほぼ 同義と考えられる。以下では,形成過程におい て「分町・分村」がどのような形で発生するか を仮説的に示していく。

第2節 「分町・分村」発生の背景

「分町・分村」は,基本的に市町村レベルの アクターと多数の村落組織の合併政策の方針に ついて,少数の村落組織が反発するという形と なる。多数の村落組織が市町村レベルのアク ターの合併方針と相違する場合は,上述の村落 単位による議員輩出構造により,合併案が可決 されない場合が多いと考えられる。この少数の 村落組織の反発は,市町村レベルのアクターの トップダウン的な決定に対する不信感からくる 感情的なものと,両者間で議論を重ねた上での 建設的なものの2種類が想定される。これまで,

「昭和の大合併」をめぐる多くの先行研究では,

村落単位による「分町・分村」は,村落組織の 感情的反発によるとされてきた。しかし,実際 には,感情的反発よりも建設的反発の方が妥協 の余地が少ないという点で,「分町・分村」と して結実する可能性が高いと考えられる。

また,「分町・分村」の発生は,

市町村レベルのアクターが村落 組織に対してどれだけ妥協的条 件を提示できるかによっても大 きく異なる。上述のように,村 落組織の合併政策に対する興味 と態度は,同政策が当該村落に どのような利害をもたらすかに 集約される。具体的には,「合 併枠組み」における広域性や 当該村落の辺境性と,「合併条 件」としての公共施設の新設や 既存の共有財産管理権の処遇な どが,「分町・分村」の動向と 密接に関連していると考えられる。ここで留意 すべきは,「合併条件」としての共有財産管理 権の維持や公共施設の新設については,各村落 組織が一致して市町村レベルのアクターに要求 するが,「合併枠組み」の決定については村落 それぞれの立地条件によって利害が異なるとい う点である。つまり,「合併条件」については,

水平交渉における市町村レベルのアクターにあ る程度裁量が委ねられており,全ての村落組織 に妥協条件として提示できる可能性があるのに 対し,「合併枠組み」については,どのような 形でも必ず反発する村落が出てくると考えられ る。以下では,合併政策の形成過程を水平交渉 先行型と垂直調整先行型に区分して,「分町・

分村」の発生を捉える。

(1)水平交渉先行型

このパターンでは,必ず「合併条件」よりも

「合併枠組み」の選定が先行する。「合併条件」

の交渉は,事前にその相手を特定する必要があ るからである。そして,この場合の「合併枠組 み」の選定作業は,市町村レベルのアクター,

とりわけ首長や一部の議会議員に専有される。

都道府県

議員 議員 議会

担当部局

合併促進審議会 水平交渉

地方事務所 首長

行政

議員 議員 議会

村落 村落 村落 村落 地域社会

担当部局 首長 行政

担当部局 首長 行政

議員 議員 議会

市町村垂直調整

図 2 アクターの相関関係

(11)

彼らにとってこの段階の長期化は合併政策にお けるウィンセットの逓減を意味するから,必然 的に実現可能性の高いものから模索される。但 し,ここでいう実現可能性とは,単に周辺市町 村の動向のみが勘案されるものではなく,後に 控える垂直調整において,村落組織からの合意 の「調達」も考慮される。そのため,周辺市町 村との水平交渉が先行する場合は,「合併枠組 み」と同時に,大枠での「合併条件」に関する 思惑が一定程度の一致をみて初めて垂直調整の 段階に移行することとなる。それだけに,この 水平交渉は,後の垂直調整において,「合併枠 組み」を一方的に選定したことから惹起される,

村落組織やその公的利害代表者としての議会議 員からの感情的反発を収めるための諸誘因を事 前に用意する作業とも言える。この段階におけ る交渉の経緯が村落組織に何らかの形で伝達さ れるにつれて,「分町・分村」の可能性が高まる。

上述のように,「合併枠組み」の選定は必ず村 落組織間で利害が一致しないため,垂直調整に おいて議論が紛糾する可能性が高まるからであ る。

しかし,基本的には,後述する垂直調整先行 型と比較すると,村落組織の求心力の核心であ る共有財産を「財産区」として設置する方法や,

住民に分割還元する方法,或いは公共施設の新 設などを提示することで妥協を代替的に引き出 すことができるため,このパターンは形成過程 において「分町・分村」という方向性を選択す ることは少ないと考えられる。

また,当時は「合併後の境界変更」という形 で形成過程における村落組織の反発を収める手 段も取られていた。しかし,この事後の「分町・

分村」も,水平交渉先行型においては成立する ケースが少なかったと考えられる。それは,合 併政策の形成過程当時の首長・議会議員が,新 市町村で従来のような政治的影響を保持し得な

くなっていることも関係するが,直接的には,事 後の「分町・分村」の成否を問うための住民投 票制度が法的に問題の多いものであったこと(26), 及び「分町・分村」の動向自体が感情的反発を 基礎としたものであるために継続しにくいこと が大きい。

(2)垂直調整先行型

一方で,垂直調整が先行するパターンは,「合 併条件」と「合併枠組み」を同時に検討するこ とになる。これが水平交渉先行型と違うのは,

「合併枠組み」をめぐる議論の困難性と「合併 条件」の説得力の弱さである。つまり,垂直調 整が先行する場合は,上述のように市町村レベ ルのアクターから村落組織への一方的な合意の

「調達」ではなく,各アクター間での合意の「形 成」が,少なくとも当初の目的となる。しかし,

「合併枠組み」がもたらす利害関係は,各村落 の立地条件によって相違する。議会議員はもち ろん,首長もこれを客観的に裁定する基準を持 ち得ない。そして,特定の「合併枠組み」によっ て不利益を被る村落組織を懐柔するための「合 併条件」の提示は,水平交渉を経ていないため,

上述のパターンと比較して実現可能性が低く,

説得力に欠けるものとなる。そのため,垂直調 整における議論が各アクターに開放されている ほど,調整が困難になり,長期化しやすくなる。

この長期化を嫌う市町村レベルのアクター は,いずれかの時点で,全域の一体的合併か,「分 町・分村」を伴う合併か,合併自体の断念かを 選択することを迫られる。この垂直調整が長引 くほど,解決策としての「分町・分村」という 方向性が選択されやすいと考えられる。議論に よって妥協が図れない状況を最も的確に反映さ せた方策が「分町・分村」だからである。村落 単位での結合体制が強く,議員輩出構造が残っ ている地域ほど,この段階において「分町・分村」

(12)

が起こったと考えられる。但し,この場合の「分 町・分村」は,村落組織の市町村レベルのアク ターに対する感情的反発を基底とするものでは なく,あくまでも各アクター間における合意か ら派生したものであることに留意する必要があ る。

市町村レベルのアクターによる一方的な決裁 から水平交渉へと移行した場合や,「合併後の 境界変更」という妥協から早い段階で水平交渉 へと移行した場合もまた,上述のパターンより も事後の「分町・分村」が発生しやすい。それ は,この決定が「合併条件」としての妥協条件 の提示を伴わないものであると同時に,垂直調 整における建設的議論の失敗という経験が,村 落組織の自活のためには「分町・分村」しか残 されていないという意識を強くさせ,ある種の 使命感を帯びて持続されると考えられるからで ある。

第5章 結語

これまで述べてきたように,「形成過程論」

の深化は,事例研究によって得られる知見の「集 積」と,それらを横断的に統合する「精緻化」

のサイクルによって達成される。本稿は,先行 研究によって集積された知見を素材として,そ の「精緻化」を目指したものであるが,これが 限られた少数の事例に依拠している以上,第3 章でおこなった整理や,第4章で提示した「分 町・分村」の発生に係る仮説は,まだ発展途上 にある。これらが実際に当時の合併政策の形成 過程に適合するかは,事例研究での検証が必要 であり,筆者にとって今後の課題として残って いる。しかし,これまで合併政策の形成過程に 関する分析が進められてこなかった現状に鑑み れば,本稿の知見は,「形成過程論」の深化へ の一助となると考えられる。

その上で,「昭和の大合併」における村落組

織の行動について一言しておきたい。村落組織 は当時,合併政策についての地域社会における 住民の意向を集約する役割を果していた。これ がいわゆる「ボス支配」的なものであったかど うかについては,ここでは特に問わない。注目 すべきは,多くの場合,村落組織同士が合併政 策そのものに対する反対勢力として結集せず,

各村落組織の利害関係から「分町・分村」とい う離脱の方向性を選択したことである。合併政 策自体は当然に従前の市町村内部における政治 バランスを変化させるものであるから,村落組 織の結合の安定性を動揺させる,本来ならば好 ましくない政策と考えられる。

では,なぜ村落組織は「分町・分村」という 方向性を選択したのか。本稿の考察を踏まえて 考えれば,そこに市町村レベルのアクターと同 様の諦観的政策志向が見てとれる。つまり,当 時の首長や議会議員などの市町村レベルのアク ターは,合併政策が全国的に大規模化する流れ の中で,好むと好まざるに関わらず,合併政策 を検討しなければならない状況にあった。その 前提的制約を所与として,少しでも自らの市町 村に利する形での「合併枠組み」と「合併条件」

を模索した。村落組織もまた,中央政府・都道 府県レベルのアクターの強力なバックアップの 下に合併政策の早期成立を模索した市町村レベ ルのアクターの行動に危機感を覚え,少しでも 自らの村落に利する形での対応を,好むと好ま ざるに関わらず強いられた。その志向が建設的 であるほど,「分町・分村」として結実したと 考えられる。その意味で,当時の合併政策が中 央政府・都道府県レベルのアクターによって促 進されたとする「大規模発生論」の定説は正し い。そこには,「自然村」と「行政村」の乖離 を解消し,団体自治の強化を目指したはずの合 併政策が,却って行政と住民の距離を遠ざけ,

住民の政治的アパシーの加速という住民自治の

(13)

弱体化の方向へと繋がるパラドキシカルな構造 が見てとれる。

これは,「平成の大合併」で市町村や住民の 置かれた立場や,その動向と非常によく似てい る。「平成の大合併」では,「昭和の大合併」期 における地域社会の混乱の反省から,合併政策 の形成過程に住民の意向を直接反映させるため に住民発議制度や住民投票制度が導入され,ま た事後の行政と住民の距離の乖離を是正するた めの制度として地域自治組織制度が設けられ た。しかし,実際には,これらの制度が活用さ れたケースは多くない(上林 2005: p.59)。

辻清明は,「昭和の大合併」が既に大規模化 していた 1956 年の段階で「住民の無関心とい う無風状態のなかで易々として実現された町村 合併よりも,たとい摩擦は起ったにせよ,部落 民の死活に係わる問題の所在が部落民自身の手 で明瞭に提示された合併のほうが,将来の日本 の地方自治にとって大きい意義をもつといって よい」と指摘していた(辻 1956:  p.6)。「平成の 大合併」が無風であったとは決して言えないが,

合併政策の形成過程において,住民の意向がど れだけ最終的に反映されたかは,「分町・分村」

が僅か1件に留まったという事実が重要な示唆 を与えてくれているように思われる。

〔投稿受理日 2009.9.26 /掲載決定日 2009.11.24〕

⑴  但し,沖縄県は 1945 年から 1972 年までアメリ カ軍の統治下に置かれていた。

⑵  本稿では,「昭和の大合併」の期間を,1953 年 9 月に成立し 10 月に施行された町村合併促進法 から,これを補完する形で 1956 年 4 月に成立・

施行された新市町村建設促進法が一部失効を迎え る 1961 年 6 月末までとする。「平成の大合併」に ついては,1999 年 4 月の市町村の合併の特例に 関する法律の改定から,2005 年 3 月末に新設さ れた市町村の合併の特例等に関する法律が失効を 迎える 2010 年 3 月末までとする。

⑶  終戦から「平成の大合併」期に入るまでの合併 の件数については,自治省行政局振興課監修『全 訂全国市町村名変遷総覧』(日本加除出版,1991 年),及び市町村自治研究会編『全国市町村要覧  平成 20 年版』(第一法規,2008 年)を相互参照。「平 成の大合併」期については,総務省ホームページ を参照。

⑷  筆者の「昭和の大合併」期の合併政策を捉えた 研究としては,以下の3点が挙げられる。拙稿「「昭 和の大合併」進行構造についての一考察―行政学 者による先行事例研究の到達点―」(『社学研論集』

第 12 号所収,早稲田大学大学院社会科学研究科,

2008 年),「公法学における「昭和の大合併」研 究の到達点」(『社学研論集』第 13 号所収,早稲 田大学大学院社会科学研究科,2009 年),及び「社 会学における「昭和の大合併」の到達点̶「村落̶

市町村」間関係の分析を中心に̶」(『社学研論集』

第 14 号所収,早稲田大学大学院研究科,2009 年)。

⑸  本稿で言う「分町・分村」とは,当該市町村の 合併政策の方針に不満を持つ地域が,同政策の成 立と同時(もしくはその後)に,他の市町村へ離 脱することを指す。これは地方自治法第7条の規 定における廃置分合の「分割」にあたるが,実際 には「合体」ないし「編入」と同時に実施される ことが多く,また,事後に「境界変更」という形 で処理されることもある。そのため,本稿では法 的表示形式についてあまり拘泥せず,市町村の一 部ないし大部分が他市町村へ組み込まれたケース を包括的に「分町・分村」と捉えることとする。

なお,前掲,『全訂全国市町村名変遷総覧』によ れば,「昭和の大合併」期に発生した「分割合併」

は 892 件,「境界変更」は 417 件確認できる。

⑹  一例として,国立情報学研究所が運営する論文 情報検索システム「Cinii(サイニィ)」で論文タ イトルに「昭和の大合併」及び「平成の大合併」

を冠したものを検索すると,計 313 件の該当があ る。

⑺  合併政策のメリット・デメリット論は,自治庁 系(自治庁・自治省・総務省)の官僚から提示さ れることが多い。「昭和の大合併」期におけるメ リット・デメリット論の一例として,鈴木俊一「町 村合併の功罪」(『ジュリスト』第 57 号所収,有 斐閣,1954 年),及び,長野士郎「町村合併促進 実施の年にあたって」(『自治研究』第 30 巻第 1

(14)

号所収,良書普及会,1954 年)参照。「平成の大 合併」期のメリット・デメリット論の一例として,

石原信雄『市町村合併成功の秘訣』(日本法制学会,

2002 年),及び,高島茂樹『市町村合併のそこが 知りたかった』(ぎょうせい,2002 年)参照。

⑻  中央政府・都道府県レベルのアクターの政治的 意図については,「昭和の大合併」と「平成の大 合併」で異なる。前者では,中央政府レベルにお ける自治庁官僚からの「官選知事の復活」に向け た前段的施策という意図が有力視されていた。星 野光男「政治的観点よりみた新市の基本問題」(『都 市問題』第 47 巻第 5 号所収,東京市政調査会,

1956 年)p.8,辻清明「府県制の改廃と地方自治」

(『行政学叢書1 地方自治の区域』所収,勁草書房,

1957 年)p.29-32 参照。後者については,自治省 官僚よりも政権与党の都市部における政治的支持 基盤の拡大や既得権益の維持という意図が強く働 いたという指摘がある。大森彌「市町村の再編と 基礎自治体論」(『自治研究』第 79 巻第 12 号所収,

良書普及会,2003 年)p.5-7,島田恵司「西尾私 案はどこが問題なのか」(小原隆治編『これでい いのか平成の大合併』所収,コモンズ,2003 年)

p.126-129,今井照『平成の大合併の政治学』(公 人社,2008 年)p.11-19 参照。

⑼  「大規模発生論」として括れる先行研究は非常 に多く,全てを記すことは不可能である。ここで は,筆者が本稿を叙述するにあたって参考にした 論稿の一例として,河中二講「議員立法過程の行 政学的考察―町村合併促進法の成立過程」(『自治 研究』第 32 巻第 1 号所収,良書普及会,1956 年),

大島太郎「町村合併の論理と問題性(1)(2)」(『自 治研究』第 34 巻第 10 号・第 35 巻第 1 号所収,

良書普及会,1958・1959 年),小原隆治「市町村 合併論の論点」(『成蹊法学』第 45 号所収,成蹊 大学法学会,1997 年),村上順「昭和の大合併と 市町村の一体性(上)(下)」(『自治総研』第 27 巻第 4・5 号所収,地方自治総合研究所,2001 年),

横道清考「市町村合併の必要性」(『自治研究』第 79 巻第 9 号所収,良書普及会,2003 年),金井利 之『自治制度』(東京大学出版会,2007 年)など を挙げておく。

⑽  「波及効果論」として括れる先行研究について も,「大規模発生論」と同様に全てを記すことは 不可能である。ここでは,その一例として,鵜飼

信成・柳瀬良幹・俵静夫他「町村合併と地方制度 の将来」(『自治研究』第 30 巻第 3 号所収,良書 普及会,1954 年),吉富重夫「戦後地方制度改革 の動向と展望」(『都市問題研究』第7巻第1号所 収,都市問題研究会,1955 年),星野光男「都市 とその周辺の政治・行政上の変貌―最近の市町村 合併の結果にみる―」(『都市問題』第 48 巻第 5 号,

東京市政調査会,1957 年),足立忠夫・加藤一明・

及川伸「農村選挙実態調査報告―一部落における 町会議員選挙―」(『法と政治』第 10 巻第 3 号所収,

関西学院大学法政学会,1959 年),福武直「合併 新市域における社会構造の変容」(『都市問題』第 50 巻第 3 号所収,東京市政調査会,1959 年),藤 田武夫「戦後の町村合併―日本における地方自治 体の形成」(『立教経済学研究』第 28 巻第 3・4 号 所収,立教大学経済学研究会,1974 年),西尾勝「過 疎と過密の政治行政」(日本政治学会編『55 年体 制の形成と崩壊:続  現代日本の政治過程』所収,

岩波書店,1977 年)などを挙げておく。

⑾  「平成の大合併」をめぐる先行研究では,中央 政府・都道府県レベルのアクターの影響力の行使 と市町村相互の「駆け引き」の様態をリンクさせ ようとする試みも見られる。城戸英樹・中村悦大

「市町村合併の環境的要因と戦略的要因」(日本行 政 学 会 編『 分 権 改 革 の 新 展 開( 年 報 行 政 研 究 43)』所収,ぎょうせい,2008 年)参照。

⑿  政策過程論における視座の設定については,大 嶽秀夫『政策過程』(東京大学出版会,1990 年),

草野厚『政策過程分析入門』(東京大学出版会,

1997 年)参照。

⒀  合併政策の財政的効果については,吉村弘『最 適 都 市 規 模 と 市 町 村 合 併 』( 東 洋 経 済 新 報 社,

1999 年)参照。

⒁  この表現は,秋元律郎「地域社会の権力構造と リーダーの構成」(『社会学評論』第 16 巻第 4 号 所収,日本社会学会,1966 年)p.4 の「政策決定 をめぐる政治過程,および行財政をとおしての中 央の統制と,これにたいする地域の対応の過程」

という捉え方と,前掲,金井 2007:  p.112 の「区 域問題は,互いに総合性を主張しあう各自治体の 衝突・妥協として,認定される」という捉え方に 大きな示唆を得ている。

⒂  それだけに,「昭和の大合併」について言えば,

社会学分野ではこの合併政策をフォーマルなアク

(15)

ターによって「不当に地域社会の自然的な統一性 を無視し,これを行政的に破壊しようとする好ま しからぬ政策」と見做す傾向が強く,意図的に研 究対象としなかった向きさえあったとされる。新 明正道「産業都市の構造分析」(『社会学研究』第 17 巻所収,東北社会学会,1959 年)p.1 参照。

⒃  但し,「昭和の大合併」期では,新市町村建設 促進法の第 27・28・29 条において,内閣総理大 臣と都道府県知事による合併勧告制度を導入して いたため,当該市町村の議会による議決がなくと も廃置分合・境界変更を成立させる途が開かれて いた。

⒄  この5段階の分類のうち,「地区」とは直近の 合併政策における旧町村単位の行政区画であり,

「大字(字)」はそれ以前に合併政策を実施してい た場合の旧町村単位の行政区画であるから,これ らの設定有無は当該市町村が「昭和の大合併」以 前に何回合併政策をおこなっていたかで大きく異 なる。しかし,実際に,殆どの市町村は 1888 年 の「明治の大合併」と呼ばれる大合併期で強制的 に合併政策がおこなわれ,旧来の地縁的な生活共 同体としての「自然村」は「行政村」に括られる こととなった。その意味で,旧来の地縁的な生活 共同体(すなわち村落組織)が活動する単位であ る「地区」ないし「大字(字)」は,当時の市町 村に普遍的に存在したものと考えてよい。なお,

「駐在区」と「校区」の設定有無については,当 該市町村の規模に依存する。

⒅  先行事例研究で取り上げられた忍野村と戸倉村 は,いずれも「明治の大合併」以降に合併政策を 実施せず,また豊かな村有林を背景に「自然村=

行政村」という形で村政が強力な求心力を有して きた珍しいケースである。

⒆  一例として,千葉県では 1952 年から既に県内 町村数を 1/3 に減らす「第一次町村合併計画案」

を作成したが,そこでは人口 13,000 〜 33,000 人,

面積 30㎢〜 75㎢の「中規模主義」の標準を設け ていた。行政学研究会「町村合併の実態⑴」(『自 治研究』第 36 巻第 1 号所収,良書普及会,1960)

p.166-167 参照。

⒇  一例として,神奈川県における合併試案につい ては,横山他 1959:  p.59-63,千葉県における合併 試案については和田他 1963: p.154-155 参照。また,

当時,合併政策の実態調査に多く関わっていた佐

藤竺の回顧録にも同様の指摘がある。佐藤竺『日 本の自治と行政(上)』(敬文堂,2007 年)p.95-104 参照。

  但し,これは合併政策を実施しなかったという 意味ではない。合併政策の検討を一貫して放棄し ていた町村がほぼ皆無であっただろうという推定 である。大石堪山によれば,1888 年の「明治の 大合併」から 1978 年までの 90 年間で合併政策を 一度も実施しなかった市町村は 878 も存在する。

大石堪山「独立市町村の分布と人口規模」(林正巳・

実清隆編『町村の広域化と地方自治』所収,古今 書院,1980 年)p.66 参照。なお,「昭和の大合併」

期の各都道府県の合併計画において,合併不能と された市町村は 659 あった。宮沢弘「町村合併の 現状」(『自治時報』第 8 巻第 10 号所収,帝国地 方行政学会,1955 年)p.16 参照。

  都市部への編入合併の場合は,③の「産業構造」

と⑥の「人口規模(有権者数)の類似性」はあま り考慮されない傾向にある。それは,産業構造へ の執着は基本的に農村部同士の合併のみに考慮さ れるものであること,及び有権者数の類似性は合 併政策の成立後における新市町村での政治的指導 者への「返り咲き」を企図したものであり,都市 部への編入合併ではそれがあまり望めなかったこ とに因る。

  新市町村建設促進法の第 26 条「都道府県知事 は,町村合併に伴い市町村の名称,事務所の位置,

財産処分等に関し争論がある場合においては,こ の法律に特別の定のあるものを除くほか,争論の 解決のため,町村合併調整委員にあっせんを行わ せ,又はこれをその調停に付することができる」

という規定自体が,既におこなわれた合併政策に おいて,このような要因で交渉の難航・決裂が多 発したことを逆説的に示していると言える。

  「自然村」と「行政村」の乖離状態については,

合併政策の推進主体であった自治庁官僚からも問 題視されており,合併政策によって克服されると の見解が示されていた。林忠雄「町村の性格の転 換」(『自治研究』第 30 巻第 6 号所収,良書普及会,

1954 年)p.43,佐久間彊「町村合併と部落」(『自 治研究』第 31 巻第 1 号所収,良書普及会,1955 年)

p.48 参照。

  この数については,前記注⑸参照。

  「分町・分村」をめぐる住民投票制度の問題に

(16)

ついては,前掲,宮沢 1955: p.18-19 参照。

参考文献

浪江虔『村の政治』(岩波書店,1953 年)

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加藤一明・兵藤泰三・福島寿三郎「町村合併実態調 査―合併の一事例研究―」(『法と政治』第 11 巻 第 2 号所収,関西学院大学法政学会,1960 年)

余宮道徳・山本陽三「町村合併と指導層の変貌(1)

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2005 年)

天川晃・稲継裕昭『自治体と政策―その実態と分析

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参照

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