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掛 下   栄 一 郎

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(1)

神の狂気を求めて︵六︶

 ーヒェロニムス・ボッスの旅︵ローマのミケランジェロとラファエロ︶一

掛下 栄一郎

 ヨーロ艶パに散在するヒエ戸戸ムス・ボッスの作品を追いかけることによって︑ ﹁神の狂気﹂の芸術のあとをた

どってきた私たちの行脚も︑ようやくその半ばをこえたようである︒現在︑ボッスの直筆とされている三十六点の

作品のうち︑アメリカにある五点を別にして︑今回は日程の都合上︑割愛せざるをえなかったリスボン︑ロソドソ

の各一点と︑ベルリンの二点を除けば︑あとヨーロッパに残されたボッスの作品は︑ウィーンの三点︑ミュンヘ

ン︑フランクフルトの各一点に︑オランダ︑ベルギーに散在する八点を加えた合計十三点を残すのみとなった︒

 猛暑のローマ空港でN君と落合い︑あわただしい二日間のローマ滞在のうちの﹇日を︑N君の強い希望もあって

ポンペイの訪問に︑あとの一日を︑ローマの観光にあてることにした︒フィレンツェの場合と同様︑気の遠くなる

ほど重大な量の︑というよりも︑町全体がそのまま古代遺跡そのものであるこのローマで︑わずか一日をどう過せ

ばよいのか︒あまり考えると心が焦立つばかりなので︑今回は思い切って︑ヴァティカンとボルゲーゼ美術館の︑

ルネッサンス絵画群にもっぱらその焦点を合わせ︑古代戸ーマの文化遺産に関しては︑ボルゲーゼ公園に行くつい

でに︑久しく訪れていないヴィラ・ジュウリア美術館のエトルリア美術に再会するにとどめるという計画を立て

早稲田人文自然科学研究 第29号(S61.3)

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た︒ これは︑ボッスの作品を追うことによって︑いよいよ激しく内面にかき立てられてきた﹁神の狂気﹂への思念

が︑今度の旅の推進力となっていることを考え︑何はさておき︑ヴァティカンのミケランジェロとラファエロの大

作にその証しを見出すとともに︑フィレンツェで受けたマニエリスム芸術からの感動の余映を︑ロ;マにおいても

確かめたかったからである︒

 こういうわけで︑テルメ博物館や︑カソピドリオのカピトリーノとコソセルヴァトリの両博物館のギリシア︑ヘ

レニズム︑目ーマのすばらしい彫刻群には︑今回は断腸の思いで目をつむることにした︒

 すでに指摘したように︑ボッスの作品の中に︑ ﹁神の狂気﹂の証しを見る私たちは︑それと深く通じ合う何もの

かを︑イタリア・ルネッサンス後期の︑マニエリストと呼ばれる画家たちの作品の中にも見てとるのであるが︑酷

暑のフィレンツェの︑おびただしいルネッサンス名画の洪水の中での︑わずか四時間の︑あわただしかったマニエ

リストたちの作品群との久方ぶりの対面によって︑屈折して焦点を失った不安感が︑激しい情熱と奇妙に交錯して

織りなす︑その不思議な美の世界からの感動を︑心ゆくばかり味わったのである︒

 もちろんローマにも︑フィレンツェに劣らず︑数多くのルネッサンスの名画が存在する︒しかし︑ヴァティカン

のミケランジェロとラファエロの壁画を別とすれば︑フィレンツェ以上に古代に直結しているこの都では︑ルネッ

サンスやマニエリスムの名画たちは︑おびただしい数量の古代遺跡や彫刻の洪水の中に︑ともすれば隠されてしま

いそうになる︒

 以上のような次第で︑戸ーマでは︑古代美術に関しては︑わずかにヴィラ・ジュウリアのエトルリア芸術に再会

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神の狂気を求めて(六)

しただけで︑宝の山に入りながら︑ほとんど古代文化に相まみえることなく︑ほぼ一日を︑もっぱらヴァティカン

とボルゲーゼ美術館の絵画の中に︑かき立てられた﹁神の狂気﹂の反映を確かめることに費したのである︒

 ローマにあるルネッサンスの名画といえば︑何といってもまず︑ヴァティカンのミケランジェロとラファエロと

いうことになろう︒その芸術的資質においては︑きわめて対照的ではあったが︑ともに最も偉大な﹁神の狂気﹂の

芸術家であったこの二人の巨人の畢生の大作が︑ヴァティカンの壁面を飾って競い合っていることは周知の通りで

ある︒ テルミニ︵中央駅︶から六十四番の二階.ハスに乗り︑テベレ河を渡って︑聖アソジェ戸城を右に見ながら︑サ

ソ・ピエトロ寺院へというのが︑ローマに着くと真先に訪れる私のお決まりのコースである︒しかし︑バスを降り

ても︑キリスト教徒でない私の足は︑サソ・ピエトロ寺院には向わないで︑先ず右手の城壁に沿って半周した裏側

の︑ピナコテカ︵絵画館︶︑ システィーナ礼拝堂︑ラファエロの間を含むヴァティカン博物館に向うのが常であ

る︒ ヴァティカンといえば︑いつも私の思いは︑すでに途中のバスの中から︑もっぱらシスティーナ礼拝堂のミケラ

ンジェロの上に引寄せられているのだが︑とりわけ今回は︑はやり立つ心は︑否応なく私の足を︑入口に最も近い

ピナコテカを後回しにして︑長い廊下を一気に通り抜け︑一番奥手のシスティーナ礼拝堂へとまつしぐらに向わせ

たのである︒

      67ミケランジェロが︑マニエリスム芸術に深いかかわりを持っていることは︑すでに多くの美術史家の指摘すると

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ころである︒たとえばトルナイは︑彼の芸術が︑ ﹁ヨーロッパ・マニエリスムに深い影響をあたえている﹂ことを

強調し︵シャルル・ド・トルナイ﹃ミケランジェロ﹄田中英道訳二三頁︶︑ ハウザーは︑ ﹁マニエリスムの発生に対してミ

ケランジェロのあたえた影響﹂の重要性について語っている︵アーノルド・ハゥザー﹃マニエリスム﹄若桑みどり訳二五

五頁︶︒ ハゥザーによれば︑ミケランジェロこそ︑ コ五〇〇年代の画家の中で︑マニエリスムの前期的徴候をもっとも

早く示した﹂芸術家であり︑一五〇四年頃の作とされる﹃聖家族﹄ ︵フィレンツェ・ウフィッツィ美術館所蔵の円

形板絵︶を︑その例証としてあげている︒

 この絵は︑すでにわれわれがフィレンツェで鑑賞したもので︑そのときわれわれは︑そのミケランジェロらしい

力動感と安定性を︑たとえば︑パルミジアニーノやロッソの﹃聖母子﹄などとの比較において強調したのである

が︑ハウザーは︑早くもこの中に︑マニエリスム的徴候のけはいを鋭く感じとろうとする︒

 彼はこの絵の中に︑いかにもミケランジェロらしい︑温れるばかりの力動感のほかに︑ ﹁形体を空間から浮き出

させる﹂ばかりのその彫刻的肉付けが︑見る者に︑ マニエリスム芸術特有の︑ ﹁世界の分裂の印象﹂を惹起せし

め︑ほとんど不自然なばかりよじ曲げられた聖母の姿勢に︑これまたマニエリスム絵画の特質である︑ ﹁蛇状形姿

︵鵠αq霞9ωΦ壱Φ暮ぎ9︒富︶﹂の定形が見られると示唆しているのである︵ハウザー前掲書二五七頁︶︒

 三十二歳のミケランジェロが︑法王ユリウス心事の委嘱によって︑システィーナ礼拝堂の天井壁画に着手したの

は一五〇八年である︒完成まで何度もその想を練り直し︑困難な制作条件と闘いながら︑誰の助力も借りることな

くみずからの二本の手だけで︑四年余にわたって︑精根の限りを傾注した︑ ﹃創世記﹄を題材とするこの壮大な天

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神の狂気を求めて(六)

井画は︑青年期のミケランジェロ芸術の総決算であることは︑周知の通りであるが︑同時にこれは︑この時期のル

ネッサンス絵画を大きく飛翔させた画期的作品でもある︒       ポリフナニロ ﹁その恒常的な動性︑量塊性︑重量感︑そしてその結果見られる多声楽によってこの作品は︑もはや盛時ルネッ

サンス様式に属するものではなくなった﹂と︑トルナイも指摘しているが︵トルナイ前掲書二六頁︶︑さりとてそれ

は︑バロック様式に属するものでもなく︑﹁異質な存在世界を︑一種のヒエラルキーの中にまとめあげたもので﹂︑

それは︑ ﹁ミケランジェロが︑盛時ルネッサンス様式から発展させた個性的様式﹂である︑と続けている︵トルナ

 ミケランジェロr光と闇の分離』

(ヴァティカン システィーナ礼拝堂)

イ前掲書二七頁︶︒

 まことにこの天井壁画は︑ミケランジェロの天才が︑弩

薩という建築構造上の必然的条件をみごとに活用して︑み

ずからの芸術に内在する力動的エネルギーを︑すさまじい

内的緊張感とともに表現しきった傑作である︒

 周知のようにこの壁画は︑祭壇とは反対の西側入口の︑

﹃ノアの酩酊﹄と﹃洪水﹄の情景から描ぎはじめられ︑最

後は︑ ﹃審判﹄の描かれた祭壇側の︑ ﹃光と閣の分離﹄で

終っている︒これもよく指摘されるところであるが︑最初

に描かれた﹁ノア﹂の情景に見られる︑雄渾ではあるがき

わめて現実的な安定感から︑わずか四年後に描きおさめら

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れた︑ ﹃光と闇の分離﹄や﹃太陽と月の創造﹄に見られる︑空漠たる宇宙的浮動感への変化に驚かされる︒

 トルナイも指摘しているように︑弩薩という構造上の条件を巧妙に利用したミケランジェロは︑ここでルネッサ

ンス絵画の基盤ともいうべき遠近法的ヴィジョンを大胆に放棄して︑それに代って︑生命力盗れるエネルギーの創

造にみごとに成功しているのである︵トルナイ前掲書二九頁︶︒

 トルナイはこれを︑図像学的な﹁上昇﹂の姿としてとらえ︑ ﹁肉体に閉じこめられた人間の魂﹂が︑いわぽ﹁神

的狂気︵︷二﹃O目 住一く一口犀ω︶﹂の内的呼吸によって︑神に回帰する姿であると語っている︵トルナィ前掲書三二頁︶が︑

けだし至言であろう︒

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 天井壁画の完成からほぼ四半世紀後の一五三六年︑ミケランジェロはふたたび︑時の法王パウロ三世の命によっ

て︑同礼拝堂の正面祭壇画﹃最後の審判﹄の制作にとりかかったが︑このとぎ画家は︑すでに六十歳の円熟期にあ

った︒ ﹃創世記﹄による天井壁画が︑無限の可能性を秘めた︑青年芸術家ミケランジェロの洋々たる未来を暗示す

るものであったとすれば︑六年半を費して完成された﹃最後の審判﹄には︑六十年にわたる精進と声払によって蓄

積された︑人間ミケランジェロの︑思念︑情熱︑才能︑良心のすべてが︑傾注︑凝縮されているといっても過言で

はあるまい︒

 さて︑この壮大にして峻厳なる大壁画を前にして︑いったいわれわれに何が語れようか︒ここには︑人聞世界の

あらゆる状況が描かれている︒絵の主題としては︑全能の神が︑決然と最後の審判を下し︑それに伴う数々のエピ

ソードも︑すべて刻明に描ぎ込まれた最も完全なキリスト教的名画である︒

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神の狂気を求めて(六)

 しかし︑これを見るわれわれは︑キリスト教的信仰の世界をはるかに超えた︑より普遍的な︑人間存在の条件の

原点にまで引戻されてしまう︒ ﹁彼は終末論的意義に加えて︑宇宙論的意義をあたえた﹂ ︵トルナイ前掲書六四頁︶

と︑トルナイがいみじくも指摘しているように︑ここではもはや︑ ユダヤ・キリスト教的世界も︑ギリシア世界

も︑すべて︑より壮大な宇宙論的世界観の中に吸収されてしまうのである︒

       それを謳歌してきたミケランジェロ

 ミケランジェロ『最後の審判』

(ヴァティカン システィーナ礼拝堂)

 人間の力を信じ︑

は︑ここでは︑より偉大な宇宙の力に屈服する人間を描い

ている︒もはやルネッサンス的ヒューマニズムとマニエリ

スムの対立は︑はるかに超越されており︑コペルニクス的

宇宙観が予想されている︒ちなみに︑コペルニクスの発見

︵一五四三年︶に先立つこと七年であると︑その先見性を

トルナイも指摘している︒

 この﹁審判﹂においても︑凄絶な﹃アケロソの渡し舟﹄

の情景が描かれているが︑すでにわれわれがプラド美術館

において︑ ﹁神の狂気﹂の生み出した名作の一つとして鑑

賞した︑同じ題材によるパティニールの名画も︑あるいは

また︑ ﹃天国﹄の題材で︑ヴェネチアのデュカーレ宮殿の

壁面を飾った︑チソトレットの﹁世界最大の絵画﹂も︑こ

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の︑ミケランジェロの前では︑その普遍性への飛翔の高さにおいても︑宇宙論的存在観の壮大さにおいても︑ともに

一歩を譲らざるをえないであろう︒

 大局的にいって︑ミケランジェロの芸術が︑肯定と正義と善の世界において展開されていることは︑多くの人の

一致して認めるところであろう︒しかし︑単なる肯定と正義と善だけでは︑強烈な﹁神の狂気﹂の炎は生じない︒

偉大な肯定の姿で展開される彼の作品の深部で︑常に激しくこれに抵抗している否定と悪と不正の精神こそ︑彼の

芸術にすさまじい情念の奔騰を生ぜしめているのである︒

 彼の作品を特徴づけている︑至高の目標へのこのような激しい情熱が︑観る者を否応なしに︑芸術家の﹁神の狂

気﹂の炎の中に包み込んでしまう︒私たちがボッスの作品から受ける強烈な感動と︑ミケランジェロからのそれと

の間には︑その性質において多少の違いがあるようにも思われるが︑その感動を惹起させる芸術的エネルギーは︑

いずれも﹁神の狂気﹂によるそれであり︑ただ前者︵ボッス︶の場合は︑そのエネルギーが︑.作品の主題解釈にお

ける正気の理解と︑狂気の情念との間の強烈な緊迫感の所産であるのに対して︑後老︵ミケランジェロ︶の場合

は︑俸品の主題を形成する理念における価値の対立の生み出す激しい精神的緊張が︑その要因となっているのであ

る︒ ミケランジェロとマニエリスム芸術については︑ここではこれ以上立入るいとまはないが︑マ口唱リストである

以前に︑すでに偉大な﹁神の狂気﹂の芸術家であったミケランジェロのすべてが︑このシスティーナ礼拝堂の天井

画と祭壇壁画に凝結している︑といっても過言ではないであろう︒

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神の狂気を求めて(六)

 さてここでわれわれは︑ヴァティカンの壁面を飾るもう一人の﹁神の狂気﹂の芸術家︑ラファエ戸のもとに急が

なければならない︒圧倒的なミケランジェロ芸術からの興奮を胸に秘め︑後髪を引かれる思いでシスティーナ礼拝

堂の祭壇右手の出口を出て︑階段を上ったところに︑四つの小部屋から成るラファエロの間がある︒

 これらは︑西側手前から火災の問︑署名の間︑エリオドーロの間︑およびコソスタソティヌス大帝の間と名付け

られているが︑一五〇八年︑システィーナ礼拝堂の天井壁画の制作を︑ミケランジェロに委嘱した法王ユリウスニ

世は︑当時二十五歳の新進気鋭の画家ラファエ冒に命じて︑みずからの住居として選んだこの四つの間の壁面を飾

らせたのである︒

 数多くの豊麗典雅な聖母子像や肖像画によって︑すでに当代第一級の画家としての評価を獲得していたラファエ

ロにとって︑この仕事は︑みずからの画境を大ぎく転換させる重要な契機となった︒一方では︑ミケランジェロ

が︑システィーナ拝礼堂の天井画に精根を傾けており︑ラファエロとしても︑自分の才能を高く評価してくれた︑

ユリゥスニ世の付託にこたえることと︑ミケランジェロへの対抗意識に加えて︑みずからの芸域の拡大と進展︑典

雅な肖像画家から︑より内的︑普遍的な人間ドラマの作者への転換が要請されていたのである︒

 このように︑ラファエロが決意を新たにし︑大きな意欲を燃して先ず取組んだのが︑署名の間の八つの天井画

と︑四つの半円型の壁画である︒これからのち彼は︑三十七歳で天折する一五一九年まで︑ヴァティカンの宮廷画

家として︑主としてこの四つの間と︑それに続く回廊を中心に︑制作を続けることになるのであるが︑結局︑最初

に手掛けたこの署名の間の作品に︑最大の努力を傾注したかのようであり︑南北の両出入口左右の四つの壁画を別

にして︑残りの十二のフレスコ画は︑すべてほとんどラファエロ自身の筆になっており︑当然のことながら︑いず

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れも彼の全作品を代表する最高の傑作ばかりである︒

 署名の間の壁画を境にして︑ラファエロの絵には︑それまでの作品では︑比較的目立たなかった理念的︑普遍的

なものへの思念︑広大な宇宙的世界への意欲のようなものが︑ただよいはじめたことを感じるのであるが︑これは

おそらく︑無意識のうちに受けた︑ミケランジェロからの影響によるものではなかろうか︒

 この壁画の制作にあたってラファエロが︑壮大な宇宙論娘形而上学や︑崇高な理念の問題について︑かなり真剣

に思索していたことは︑﹃最初の運行﹄︑﹃ソロモンの審判﹄︑﹃アダムとエヴァ﹄︑ ﹃アポ戸ソとマルシァス﹄︑ ﹃哲

学﹄︑ ﹃法学﹄︑ ﹃詩学﹄︑ ﹃神学﹄と名付けられた天井画からも察せられるし︑それらのいっそう仔細な思索の成

果は︑西側半円型壁面の﹃アテネの学園﹄における︑それぞれの哲学者たちの表情やしぐさに︑刻明に描き分けら

れており︑また︑深遠悠久の神学の問題と︑宇宙論的形而上学の諸問題とのかかわりは︑これに対面する東側の壁

画﹃聖体の論議﹄における︑これまた登場人物の表情やしぐさに︑みごとに表現されているのである︒

 ラファエ戸の全作品を代表するこの二つのフレスコ画は︑当時のギリシア的自然学︑人文主義的ルネッサンス精

神と︑キリスト教的信仰の真理との間の相関関係を︑雄大な構想のもとに︑的確な筆致と︑華麗な色彩とによって

描き抜いているのである︒

 さらに︑北側の半円壁面の﹃パルナッソスの宴﹄では︑詩と芸術の勝利が描かれ︑プラトン的な純粋な美の理念

への観想が昂揚されている︒人事的な美的陶酔の姿が︑これほど美しく表現されたためしも珍しく︑まことにラフ

ァエロならではの名品というべぎであろう︒

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神の狂気を求めて(六)

 署名の間の制作は約三年間続けられて︑一五=年に完了したが︑ユリウスニ世は︑引続きエリォドーロの間の

制作をラファエロに命じた︒ここは署名の間よりも若干小さく︑天井画四と︑半円型壁画四から成るが︑題材の内

容は︑内的信仰に深くかかわる︑より劇的なものとなり︑その筆致も︑安定した典雅なラファエロ的美の世界を突

破って︑或る種の劇的緊張をはらんだ人間性のドラマを暗示している︒

 全制作工程のほとんどを︑画家一人の手でなしとげた署名の間とはちがって︑この部屋の仕事は︑その構想︑下

絵︑仕上げの主要部分はラファエロ自身の手によってはいるが︑かなりな程度︑工房の弟子たちの筆の入っている

ことは周知の通りである︒

 この部屋の作品では︑入口左手の半円型壁面に︑色も彩やかに描かれている﹃聖ペテロの解放﹄における︑画面

の光彩の劇的な効果はすばらしい︒おそらく︑ラファエロの全作品の中でも︑これほど大胆な閃光の魔力が︑題材

の内的感動の一瞬を︑みごとに表現している例も珍しい︒ ﹃神の狂気﹄のラファエロ的実現の一瞬であろう︒

 一五一三年︑四つの部屋の壁画の完成を見ることなく︑ユリウス三世は世を去りたが︑次のレオ十世は︑一五一

四年︑引続きラファエロに壁画の完成を命じた︒劇的なエリオドーロの間の壁画を一五一四年に完成させたあと︑

彼は火災の間の仕事にとりかかった︒エリオドーロの間では︑まだまだラファエロ自身が︑その制作に主導的にた

ずさわっていたが︑この火災の間︑および︑一五一七年の︑同じくレオ十世からの委嘱によるコソスタソティヌス

大帝の間の場合には︑ラファエロ自身は︑基本的設計︑下絵︑あるいは何がしかの要点の指示をおこなっただけ

で︑実際の画業の大半は︑工房の弟子たちにゆだねるに至っているのである︒

 したがって︑これら二つの部屋の壁画に︑われわれは︑どの程度ラファエロ自身の筆跡をたどりうるかについて

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ラファエロ『キリストの埋葬』

(ローマボルゲーゼ美術館)

が︑ラファエロの初期の作品には︑マニエリスムと直接にかかわり合う要素は︑

 すでにわれわれも見てきたように︑ 一五〇八年︑ヴァティカンの壁画の委嘱を受ける以前のラファエロの絵に

は︑マニエリスム芸術に固有の︑煙る種の﹁精神の屈折﹂︑あるいは︑一種﹁被虐的で不自然な姿勢﹂といったも

のはほとんど見られない︒数々の美しい聖母子をはじめ︑暖い人間味に濫れる典雅で自然な肖像画はいうまでもな

く︑たとえば︑ルーヴル所蔵の﹃竜と戦うミカエル﹄︑﹃竜と戦うゲオルギウス﹄ ︵ともに一五〇五年作︶のような

劇的な絵画でも︑その筆致はぎわめて自然であり︑安定しているのである︒ は︑美術史家たちの意見も︑必ずしも一致してはいない︒ただこの中での︑火災の間の﹃ボルゴの火事﹄に関して︑

ハゥザーは︑ラファエロは︑ ﹃ボルゴの火事﹄以後︑マニ

エリスムへの道を進むようになったという︑興味深い指摘

をおこなっているのである︒

 ミケランジェロとマニエリスムについては︑すでに指摘

した通りであるが︑ラファエロもまた︑マニエリスムに深

くっながっている︒ ﹁ミケランジェロの場合︑マニエリス

ム的傾向は︑ラファエロよりも早くあらわれたというだけ

ではなく︑それは︑ほとんどはじめから彼の作晶の中にあ

った﹂ ︵ハウザi前掲書二三九頁︶と︑ ハゥザーは指摘する

      ほとんど見られない︒

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(13)

神の狂気を求めて(六)

 ラファエロの絵に︑そうした盛時ルネッサンス的安定性を突破る傾向のあらわれるのは︑やはりヴァティカンの

壁画以降であろう︒さきほど述べた︑エリオドーロの間の﹃聖ペテロの解放﹄をはじめとする四つの壁画には︑そ

れまでの彼の絵には見られなかった︑内面から噴出してくるような緊迫感が醸成されており︑それが︑外面にただ

よう豊麗典雅なルネッサンス的美感との間に︑一種の劇的な感動を生み出しているのである︒

 ハウザーは︑ ﹃ボルゴの火事﹄にそれの最初の証しを見るのであるが︑特にその空間処理の不均衡性と不統一性

に加・兄て︑その画面が︑左右に安定して広がるかわりに︑奥に向って﹁穿孔的に﹂広がっている点を︑マニエリス

ム的特質として強調しているが︵ハゥザー前掲書二四三頁︶︑まことに的確な示唆である︒

 すでに何度か指摘してきたように︑絵画における密度の高い美的価値は︑単に一面的に美しいとか︑雄大である

とかで決するものではない︒万人を感動させる偉大な美的価値は︑常にかならず︑何らかの相反する二元的要素の

間の︑激しい対立から生ずる緊迫感の所産である︒ヴァティカン壁画以前のラファエロの作品には︑こうした緊迫

感の生み出す劇的な力動性はいささか稀薄であった︒その意味で︑ミケランジェロという大ぎなライヴァルを意識

しながら︑精根を傾注したヴァティカン壁画の制作は︑まさしく︑ラファエロをして︑真の﹁神の狂気﹂の芸術家

たらしめる機縁となったのである︒

ラファエロの絶筆ともいうべき﹃キリストの変容﹄は︑今日︑ヴァティカン・ピナコテカ︵絵画館︶の至宝とな

っている︒ ﹁この絵は︑ ﹃ボルゴの火事﹄と等しく︑マニエリスム的特徴を示しているが︑より以上に︑様式的統

一が欠如している印象をあたえる﹂ ︵ハウザー前掲書二四四頁︶と︑ハウザーも語っているように︑その上下二部分

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ラファエロ『キリストの変容』

 (ヴァティカン 絵画館)

の構図上の不統一感にもかかわらず︑ ﹁神の狂気﹂の画家

としてのラファエロの芸術の︑極限ともいうべき重要な作

品となっている︒

 この絵はずい分長い間︑洗浄と補修のために公衆の面前

から姿を消していたが︑数年前ようやくそれが完了して︑

現在はピナコテカのホールに︑その厳しく美しい姿を公開

してくれている︒この作品も︑ラファエロ自身の筆がどこ

まで及んでいるかについては︑種々論議があるが︑構図の

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下絵は画家みずからが書ぎ︑上部の昇天するイエスまで仕上げた時点で︑画家自身が︑突然の死によって三十七歳

の人生を終えたため︑残りの部分は︑弟子であり︑事実上の後継者であり︑また︑のちにマニエリスム芸術家とし

て独自の画境を発展させたジュリオ・ロマーノによって完成されたと︑一般には信じられている︒

 ジュリオ●ロマーノといえば︑ ﹃巨人族の没落﹄ ︵マソトヴァ・パラッツォ・デル・テ︑巨人の間︶という︑あ

のマニエリスム的﹁不安と崩壊の名画﹂を想いおこすが︑ラファエロのヴァティカン壁画のうちの︑エリォドーロ

の間以後の作品には︑多分最も多く︑このロマーノの筆が入っているであろうことは︑まことに興味深いところで

ある︒ いずれにせよこの作品は︑構成上の或る種の違和感はいなめないとしても︑この場合はむしろ︑その不調和感が

作品の内容と不思議な連帯感を形成しており︑さきに述べた﹃聖ペテロの解放﹄にも通じ合う︑自由奔放な光の魔

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神の狂気を求めて(六)

力的効果が︑内部から盛上る力強い力動感を醸成して︑この絵に無限の大きさをあたえているのである︒けだし︑

﹁神の狂気﹂が︑最もラファエロ的な形で結晶した名品というべきであろう︒

 ヴァティカンでの数時間は︑感動と興奮の連続のうちに︑あっという間に過ぎてしまった︒時間さえ許せば︑こ

  ジュリオ・ロマーノ『巨人族の没落』

(マントヴァ・パラッツォ・デル・テ,巨人の間)

の感動の中に一日中でも浸っていたい気持ではあるが︑ボ

ルゲーゼ美術館の作品たちとの邊遁もあり︑限られた時間

ぎりぎりにヴァティカンを後にしたのである︒

 ローマの中央︑ほぼ北寄りに︑美しいボルゲーゼの森が

ひろがっているが︑ここに東側から西側ヘボルゲーゼ美術

館︑国立近代美術館︑ヴィラ・ジュウリア博物館の三つの

美しい建物が点在している︒あと残された数時間︑この

﹁ボルゲーゼ﹂と﹁ヴィラ・ジュウリア﹂を訪れる予定で

ある︒ ローマの主要交通機関は︑四通八達している路線バスで

あるが︑どういうわけか︑停留所に名称がないので︑旅行

者にはいささか不便である︒乗っていても︑大体どのあた

りを走っているかを常に心得ている必要がある︒公園脇

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(16)

の︑おおよそ見当をつけた場所で降りてみる︒幸い当方の勘が当って︑多分最も近い停留所で降りることができた

らしい︒ この美術館は︑十七世紀にボルゲ〜ゼ枢機卿が︑別荘として建てた建物とのことであるが︑二階建約二十室の︑

落着いた美しい美術館となっている︒ ﹁ムゼオ﹂と呼ばれる一階は︑ベルニー二︑カノーヴァなどの︑美しい大理

石像が林立する彫刻美術館で︑ ﹁ガレリア﹂と呼ばれる二階の美術館は︑数こそ多くはないが︑ルネッサンスのイ

タリア名画を中心とした︑珠玉のような名品を所蔵しており︑ ﹁国立絵画館﹂と並び︑ローマを代表する古典絵画

館となっている︒

 久しぶりに訪れたボルゲーゼ美術館は︑いささかも変ることなく︑深い緑の木立の中に︑その渋く美しいたたず

まいを見せていた︒入口を入ったとき︑私の脳裡に突然︑イタリア新古典主義の名彫刻家アントニオ・カノーヴァ

︵ 刈切¶IHqoいMW︶の﹃パオリーナ・ボルゲー木像﹄の強烈な印象が︑閃光のようにひらめいた︒固い大理石に︑なぜ

あのような柔い感触が刻まれうるのか︒人類の残した超絶的な芸術︑あるいは﹁技術﹂の証しのひとつというべき

であろうが︑今回は︑あえてそれとの再会は後回しにして︑先ず二階の絵画館に足を向けることにした︒

 今しがた受けた︑ヴァティカンのラファエロからの感動を︑ここでもふたたび反尽することになった︒有名な

﹃一角獣を抱く女性﹄をはじめ︑数点のラファエ戸の中で︑今日私の印象に︑ひときわ強く焼付いたのは﹃キリス

トの埋葬﹄である︒

 ヴァティカンの壁画の委嘱を受ける一年前の︸五〇七年の作であるが︑その成熟した構図︑細部の巧妙的確な筆

致に加え︑そのみごとな色彩の魔術は︑前期のラファエロ芸術の頂点を示すものと思われるが︑この絵には︑それ

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神の狂気を求めて(六)

を突抜けた何かがある︒

 各人物の表情の詳細な表現に見られる︑内的感情の激しさ︑あるいは︑聖母の失神という劇的一瞬に凝固した︑

人々の姿勢のはらむ内的緊迫感は︑この絵を︑それまでのラファエロ的静穏美の世界から︑力動的なマニエリスム

の世界へと接近させているのである︒この絵に残されている様式上の違和感のようなものも︑むしろその証しと見

 コレッジオ『ダナエ』

(ローマボルゲーゼ美術館)

るべきで︑ヴァティカンの﹃キリストの変容﹄に通ずる︑

ラファエロ的﹁神の狂気﹂の生んだ名品の一つと評価すべ

ぎであろう︒

 うれしいことに︑このボルゲーゼ美術館には︑マニエリ

スム芸術にかかわりのある名画が︑いくつか所蔵されてい

る︒サルトの﹃聖母子﹄は︑フィレンツェやマドリッドの

それよりも︑いっそうマニエリスム的性格が顕著であり︑

ラファエロの﹃聖母子﹄との表情の微妙なちがいは囲一味深

い︒また︑有名なティツィアーノの﹃聖愛と俗愛﹄︑ある

いは︑ ﹃聖ヒエロニムス﹄を含むカラヴァッジオの名作の

数点も︑見方によればそれに加えることも可能であろう︒

 しかし最後に︑最も燗熟したマニエリスムの傑作を逸す

るわけにはいかない︒コレッジオの﹃ダナエ﹄がそれであ

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(18)

る︒一五三一年に描かれたこの絵は︑ギリシア神話にもとつく﹃レダ﹄や﹃ガニメデス﹄を描いたコレッジォ晩年

の傑作の一つで︑ここでは︑レオナルドから受けついだスフマート︵ぼかし︶の技法が︑盛時ルネッサンス的な安

定した調和美の表現のためにではなく︑大胆な官能美の表現のために駆使されているのである︒

 サルトやポソトルモ︑パルミジアニーノに見られる内面の屈折の微妙な表情が︑やがて世界観︑人生観における

不信︑不安に発展し︑最後に︑ロッソやロマーノのような﹁崩壊の芸術﹂への道をたどってゆくのであるが︑マニ

エリスムのいま一つの方向は︑コレッジオやプ戸ソツィーノに見られるように︑燗熟した官能の世界に沈潜し︑社

会的︑道徳的栓楷からの離脱を計ろうとするのである︒

 その時代までの芸術作品を支配していた多くの規範が︑やがて︑こうした人間性の深部から湧出する︑能動的.

自発的内感のエネルギーによって溶解されてゆく過程を︑私たちは︑盛時ルネッサソスーマニエリスムーバロック

ーロマソ主義への芸術的行程としてとらえようとするのである︒ ﹁神の狂気﹂とは︑いわばこの内的エネルギーの

別称なのである︒

      ︵未完︶

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参照

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