89 バブル経済崩壊以降,国際的に会計基準のコンバージェンスが進められてきた。その過程で,
会計ビッグバンと呼ばれた会計基準の改定等に着目した実証分析が行われ,討議資料「財務会計 の概念フレームワーク」には財務報告の目的が定義された。そして,2011年3月,連結財務諸 表で新たな業績指標である包括利益(第25号)の表示が開始された。
本研究は,新たな業績指標の表示が義務づけられたことを契機に,従来のボトムラインである 純利益と新たな包括利益のどちらが財務報告の目的である意思決定有用性を有するのかという点 に着目し,これを若林・八重倉(2012)の先行研究に倣って実証分析により明らかにするととも に,実証分析で用いるOhlson(1995)の残余利益モデル(RIM)の限界を指摘する。
2007年3月から2012年3月の5年間を対象に,純利益と包括利益を持続性および予測可能性,
RIMによる企業価値評価の正確性の3点から比較した。RIMは,Dividend Discount Modelに Clean Surplus Relationをあてはめ,会計情報のみによって企業価値を評価できるとするモデル である。
若林・八重倉(2012)は,持続性および予測可能性の分析結果について,純利益が包括利益よ り優れているという実証結果を示した。本研究で検証した結果,2010年3月までは同様の結果 を得たものの,第25号が適用された2011年3月以後は,純利益と包括利益に統計的に有意な差 は見られなかった。その原因は明示できないが,この結果がRIMの理論的な問題点を考察する 出発点となる。
企業価値評価の正確性の分析結果が若林・八重倉(2012)とは異なる結果となったことで,2 つの問題点を考察することとなる。1つ目は,その他の包括利益をゼロとした場合,純利益と包 括利益のどちらを用いても企業価値の評価は等しくなるということの再現となったこと(桜井,
2010)。2つ目は,RIMは無限期間の予測値を使用するという前提を無視したことである。
そこで,その他の包括利益の大小によってサンプルを5等分した場合とターミナル・バリュー を追加した場合の2つの分析を行った。その結果,その他の包括利益の大小,つまり,純利益と 包括利益の差の大小に関係なく,本研究の分析対象期間においては両者には統計的に有意な差が 存在しないことが明らかとなった。また,ターミナル・バリューを追加した場合,両者には統計 的に有意な差が生じ,包括利益の方が正確性に優れる場合が多いということが明らかとなった。
しかし,この場合,評価誤差は大きくなり,RIMの理論前提および実用性に限界があることが 導かれた。
最後に,利益情報の有用性比較や会計情報のみを用いて企業価値の評価を行うことの限界を指 摘する。討議資料や第25号では,包括利益に純利益を超えるだけの有用性がないとしているが,
そもそも,両者の役割が異なることを認識しておく必要がある。リスクから解放されていること,
より多くの時価情報を含むこと,特性の異なる利益をある特定のモデルにあてはめ,同一の視点 からその有用性に優劣をつけることはできないのである。
RIMについて,無限期間の予測値を使用することは不可能である。また,会計情報は過去の 事実を示したものである一方で,資源の配分は,常に将来に対して行われている。新たな情報の
純利益と包括利益の有用性比較
──残余利益モデルによる企業価値評価の観点から──
前 川 好 雅 修士論文 アブストラクト
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入手によって資源配分を変化させるのが株式市場である。そのため,過去の事実のみをもってし て現在の企業価値や株価を測定できてしまうかのような議論は,資源配分機能を持つ株式市場の 評価理論とは矛盾する。
Ohlsonモデルのように,金融資産の価格理論を会計数値による操作可能なモデルに変換でき れば,その有用性は高い。しかし,そのためには,資産価格と会計数値の理論的な関係を分析し なければならない。本研究は,先行研究の再現性を検証するプロセスで実証結果に矛盾を見出し,
RIMの理論的な限界を認識した。代替モデルの提示には至らないが,市場理論を援用する安易 な会計モデルへ警鐘を鳴らすものである。
前川好雅:純利益と包括利益の有用性比較