本居宣長の教育思想史的研究 : 方法としての和歌
著者 榎本 恵理
学位名 博士(教育学)
学位授与機関 同志社大学
学位授与年月日 2011‑09‑20 学位授与番号 34310甲第522号
URL http://id.nii.ac.jp/1707/00000988/
博士学位論文審査要旨
2011年11月12日
論 文 題 目:本居宣長の教育思想史的研究
−方法としての和歌−
学 位 申 請 者:榎本 恵理 審 査 委 員:
主 査: 社会学研究科 教授 沖田 行司 副 査: 社会学研究科 教授 金子 邦秀
副 査: 京都大学大学院教育学研究科 教授 辻本 雅史
要 旨:
本論文の著者である榎本氏は、「心の教室相談員」として、他者との関係性を断絶した中で自 己完結を遂げる個人の在り方や、他者に対する想像力や共感能力の欠如が生み出す現代の様々な 教育問題と取り組んできた。本論文は人間と人間の関係性の在り方について、最も先鋭に展開し た近世の国学者である本居宣長を取り上げて、「個」と共同性、あるいは他者との「共感」や他 者に対する想像力の方法を再検討するという、極めて現在的な課題を背景として構成されている。
本論文を際立たせているのは、詠歌における「声と文字」という表現方法に着目し、そこから宣 長の教育思想に迫るという研究方法の斬新さである。従来の宣長研究では見過ごされてきた「和 歌」と「詠歌」のもつ意味と機能に新しい光を当てた意欲的な論文である。
本論文は3部から構成されている。第1部の「宣長の教養形成と京都」では、宣長の主情主義 的な人間観が、元禄期を境に台頭する町人文化、とりわけ都市の民衆に広く共有された日常的な 人間観に通底し、さらにこれらの人間観を王朝文化の系譜に位置づけようとする宣長の意図が儒 教に対抗的な思想の表明であることを明らかにした。さらに、宣長の日記の表現方法が漢文体か ら和文体へと変化してゆく過程に注目し、思考方法と知のあり方そのものの変容ととらえた。つ まり、民衆文化への共感を深め宣長自身の「自己の立脚点に関する自覚的な変化」と解釈するの である。
第2部の「宣長にとっての和歌」では、和歌の歴史的考察、とりわけ近世国学における和歌の 特性をあとづけながら、宣長の師である賀茂真淵の歌論の特質を「自分の心を詠む」ものとし、
他者理解と共感を目的とする宣長自身の歌論の相違に言及した。さらに、宣長の二つの歌論「排 蘆小舟」と「石上私淑言」の文体の変化と言語観に着目し、宣長の歌論においては言語の本体を 音声言語に見出し、声によって詠じるものとしての和歌に力点を置いたことを明らかにした。つ まり宣長にとっての和歌は他者への呼びかけを目的とするものであったことと、カタカナ表記か らひらがな表記への転換は儒学を対抗思想として、思想を深化させたことを意味すると論じた。
宣長はこれら二つの歌論を通して、他者との相互理解と共感を実現する方法的回路を和歌に見出 したことを明らかにした。
第3部の「宣長の『古事記』研究と鈴の屋の教育実践」では、宣長の『古事記』へと至る階梯 の検討を通して、宣長が『古事記』を声のままに記録したテキストであると理解していたこと、
文字で記された『古事記』を声の言葉に復元することによって、「漢心」つまり儒教的な価値観 が入りこむ前の日本を復元できると確信していたことを明らかにしている。こうした方法が文献 実証学的な手法で中国古代の言葉とその意味を明らかにしようとした荻生徂徠の影響を強く受 けたものであることを改めて実証した。とりわけこの第3部においては、宣長の教育実践に言及 し、和歌を媒体として、教えるものと学ぶものが「師弟同行」という、学びあい理解しあう関係
が構築されたところに、宣長の教育思想の特質が見られると論じている。宣長は「和歌の力」を 通して、本来容易に相互に理解し、共感しえない他者と「共同世界」を構築できると考えたと結 論づけた。
このように、和歌を方法として他者と共生する共同指向は、現代教育の課題を考える上で大き な示唆を提供するものと論じている。
本論文の中心となる部分は、すでに教育史学会での口頭発表や、学会誌に掲載されるなど、既 に高い評価を受けている。本論文は、これまでの宣長論を整理し、日本教育思想史の立場から再 検討を行い、宣長研究に新たな視点を提出したものと評価できる。
以上によって、本論文は、博士(教育学)(同志社大学)の学位論文として十分な価値を有す るものと認められる。
総合試験結果の要旨
2011年11月12日
論 文 題 目:本居宣長の教育思想史的研究
−方法としての和歌−
学 位 申 請 者:榎本 恵理 審 査 委 員:
主 査: 社会学研究科 教授 沖田 行司 副 査: 社会学研究科 教授 金子 邦秀
副 査: 京都大学大学院教育学研究科 教授 辻本 雅史
要 旨:
榎本恵理氏は2006月1月に博士候補生第1次試験(教育学に関する専門試験)に合格し、2006 年7月の博士候補生第2次試験(英語で博士論文に関する方法的特質と論文の概要を記す)に合 格し、博士候補生となった。
2011年11月12日(土曜日)の14時から15時30分まで、公開審査を行った。論文の方法 上の質問と内容及び結論に関する質問にも明瞭に的確に回答し、本論文が、国文学や歴史学、言 語学、倫理思想史など、幅広い関連領域の知識を前提として構成されていることを確認した。
公開審査の後、16時から18時まで、主査と2名の副査による非公開の審査を行った。研究史 の整理と、原典引用史料の解釈の妥当性などについての質問に的確に回答した。ただ、現代教育 との接点に就いては、宣長研究を対象化する必要があるのではないかという意見も出されたが、
あくまでも現代教育を批判的に考察する視座を明確にするというための教育史研究で、宣長の思 想の復元もしくは継承ではないという回答は説得的であった。総合的に判断して、博士の学位を 授与するに十分な識見を修得していると判断する。よって、総合試験の結果は合格であると認め る。
博 士 学 位 論 文 要 旨
論 文 題 目:本居宣長の教育思想史的研究
―――方法としての和歌―――
氏 名: 榎本 恵理
要 旨:
本論文は、3部構成に「序」と「結」を加えて構成されている。
「序」では、問題意識と先行研究と課題、方法論を論じた。戦後民主主義をめざした日本は、国 家や共同体などの呪縛からの解放と自律的個人の確立が、教育課題となってきた。その結果、新 しい共同性や公共性の意識が確立されないまま、他者との関係性を取り得ない自己完結した個が 蔓延してきた。人の関係性の希薄化が進んでいるといわれる大きな要因はそこにあると思われる。
今日、絶えず引き起こされる教育的問題は、こうした人の関係性の希薄化の進行と無関係ではな いであろう。さらにそれは、他者に対する想像力や他者と共感する感性的能力が弱くなっている ことを意味している。
日本人はかつて、濃密な関係性のネットワークに支えられるようにして育ってきた。その中で、
人との関係性も自ずから身につけてきた。そのように考えると、人が他者と関わる共同性と自律 的個人の確立の問題は、現代の教育を考える上でも避けて通れない問題である。本稿ではそれを 考える手がかりを、江戸中期の国学者本居宣長の思想に探る。
宣長の思想研究は、各時代の要求に応じてさまざまに論じられてきた。そうした研究史を踏ま えつつ、本稿は、人の関係性や共感力というこれまで論じられてこなかった文脈に宣長の思想を 位置づける。それによって上記の教育の今日的課題を考える手がかりとする。
本稿では第一に和歌詠歌の意味、第二に「声と文字」に注目する。詠歌は宣長の日常であった。
彼は詠歌にこだわり、また表現する言語のあり方にもこだわった。詠歌と「声と文字」は、いず れも「表現のメディア」といえるだろう。これまでの宣長研究の中で、表現のメディアについて の視点は十分だったとはいえない。本論文は、宣長の思想形成から歌論、そして古道論へと時間 軸に沿って展開する過程、さらには彼の教育実践に至るまで、「表現のメディア」という一貫し た視点からとらえることで、宣長の思想の意味を新たに捉え直す試みでもある。
第一部「宣長の教養形成と京都」では、京都遊学時代に焦点をあて、宣長の思想形成・教養形 成について検討した。第一に、宣長の、いわゆる主情主義的人間観は宣長に固有の人間観という より、元禄期以後の浄瑠璃、歌舞伎などの文芸や芸能にも通底した、都市民衆の日常的な真情に 即した人間観であったこと。第二に、京都遊学時代の彼は、こうした都市民衆の日常感覚とその 人間観を、王朝文化の系譜に位置づけていたこと、第三に、宣長のこの主情主義的人間観は、儒 教的人間観に対抗して構成され、そのための回路を「和歌」に見いだしたこと。第四に、この人 間観は、とくに歌論によって確信を強めるとともに、より理論的に展開することができ、ひいて は宣長独自の思想形成につながったこと。最後に、その背景には、宣長独自の言語観があったこ と。すなわち言語の本体を音声言語に見いだし、それを文字言語に優位させる言語観にたってい たこと等を確認した。声によって、詠ずるものとしての和歌に価値をおいたのも、この言語観に 対応していた。
第二部「宣長にとっての和歌」では、二つの歌論『排蘆小船』と『石上私淑言』を分析し、前 者から後者への微妙な変化の意味について、賀茂真淵の歌論と比較することにより検討した。真 淵にとって和歌を詠むとは、自らの内なる「直き心」をそのままに声で表現することであった。
詠歌はどこまでも自分の心の表現であり、誰かに何かを求めようとするものとは考えていなかっ
た。それに対して宣長にとって和歌を詠むことは、必ずしも自己のうちに完結するものではなく、
誰かに向かってなす行為、つまり他者への声による呼びかけであった。さらにいえば、「他者に 言い聞かせ共感」を求めるものとして詠歌がとらえられていた。また二つの歌論におけるカタカ ナ文(『排蘆小船』)からひらがな文(『石上私淑言』)への文体の変化は、前者が京都遊学中の漢 学仲間に対抗的な歌論であったのに対して、後者が松坂での歌会仲間たちに向かっての著作であ ったと考えられる。この変化の中に、たとえば「もののあはれ論」の展開などのような、宣長の 心や思想の深化を読み取ることができることを指摘した。
また、文字言語に対する音声言語の優位という宣長の言語観は、真淵から連続した継承とみて とれることも確認した。さらに、真淵が自ずからなる「直き心」をそのまま表現する和歌を重ん じたのに対して、宣長は和歌の技巧や文飾の意味を強調したこと、そしてそれは、自然的存在と しての人間の心の同質性を根底にもった真淵の人間観に対して、宣長は、人間は多種多様な存在 があり、容易にはわかり合えるものではない、とする人間理解に根ざしていたことを指摘した。
宣長が、容易には理解し合えない他者と、互いにわかり合い「共感」を得るための方法的回路を、
和歌に見出していたことを明らかにしてきた。
第三部「宣長の『古事記』研究と鈴の屋の教育実践」では、第一に、「もののあはれ」を核と する和歌論の主張から、いかなる過程を経て『古事記』研究へと進んでいったのか、その検討を 通じて宣長がなぜ『古事記』にこだわったのか、その理由を明らかにした。彼は「漢字の害」と いうものを強く意識しており、声を重視していた。『古事記』は、もともと声で語られてきた物 語を、声のままに記録したテキストであると理解されていた。宣長は文字で記された『古事記』
をもとの声の言葉に戻すことによって、「漢意」にまみれる前の日本の「真の姿」が復元できる と確信していた。また、声で語られる言葉には、文字では伝えられない人間の感情があり、それ は声で詠まれた和歌にこそ顕れている、と彼は考えていた。『古事記』の和歌を声に戻すことに よって、古代の人々の声を再現しようとしたのである。
第二は徂徠学との方法的連関について検証した。宣長国学は、儒学を「漢意」として排除した が、宣長国学には、当初学んだ徂徠学が強く影響していると再三指摘されてきた。本稿では、そ れに加えて「事」へのこだわりや、詩文の尊重、「学び」と「教え」の視点において、徂徠学が 宣長国学に及ぼした影響が認められることを論証した。それによって、宣長の思想に徂徠学の影 響は多方面で認められることを確認することができた。
第三に、宣長の教育実践を、彼がこだわった和歌に関わる観点から、検討した。鈴の屋で行わ れた教育活動は、学ぶ者の内発性と主体性を重んじるものであり、真理の追究において師弟とも に学ぶ「師弟同行」というべきものであった。さらに、彼は歌会に積極的に参加するだけではな く、自ら多くの歌会を主宰していた。詠歌は、彼にとって日常そのもの、生きることそのもので あり、なくてはならないものであったことを確認した。
宣長は、本来容易にはわかり合えない他者と、和歌によって共感でき、さらには相互に溶け合 う一種の共同世界を構築できると考えていた。それは「和歌の力」とでもいえるかもしれない。
宣長の詠歌による「内面の解放」という点について、その主情主義的人間観と相まって、丸山真 男以後、ともすれば「近代的自我の解放」として近代思想への接近という文脈で解釈されること が多かった。しかし、むしろ宣長は、和歌を通して、「もののあはれ」論にみられるように、他 者とつながることのなかに、自己の「解放」を託していたようにみえる。ひとりの個人の内面化 の方向に彼の関心は向いているのではなく、逆に、自己の外に広がる他者と関わり、そこに築か れる共同性のうちにこそ、自らの解放を求めていたと考えるべきであろう。翻って考えれば、和 歌を通して他者とかかわることができるとすれば、和歌を通じて「もののあはれ」を知ることが でき、「もののあはれ」を知る人は「よき人」であると言われることからすれば、和歌詠歌は、
自らの内面をより豊かにする方法でもあった。これは「よき人」をめざす回路という意味で、明 らかに教育の論理であるということができるであろう。
こう考えれば、宣長の和歌を回路とする他者と共感する共同性指向の思想は、現代の教育的課 題を考える上に、大きな示唆を投げかけているといって良いと思われる。つまりわが国の文化的 伝統の文脈の中で、いかに他者と共感しいかに共同性を築くのか、という現代の教育的課題を考 える上に、本稿で検討してきた宣長の思想は、大いに参照するに値するはずである。
さらに加えて、容易にはわかり合えない異質な他者といかに関わるかという宣長の問題は、グ ローバル時代の異文化の他者理解にも、大きな示唆を投げかけているといえるだろう。
近代とは、文字に書かれた知を基礎に成り立っている。近代化の流れの中で、文字中心の教授 が重視され、知識偏重ともいえる教育が行われてきた。学校教育は身体性をともなった教育を疎 外していく傾向をもった。声によるコミュニケーションは身体性をともない、そこに他者と深く 関わる契機が満ちている。一方、「文字」は、自分一人で見る個人的行為であり、自己において 完結してしまうものである。身体性を伴う契機はほとんどない。宣長は、声でのコミュニケーシ ョンを重視した。歌会などで自分の思いを歌に託して詠み朗朗と歌いあげ、お互いがその場を共 有することによって、人々の共感するつながりが生れた。そのように考えると、文字言語中心の 知識偏重教育によって、自己完結してしまう現代の「個」が増長され、自らを根拠づける拠り所 を失い、不安定な個人が作られてきたともいえよう。それは言い換えれば人の「感性」が置き去 りにされてきたことを意味する。「感性」というのは、単に文字を読む、あるいは言葉での「教 え」によって養われるものではない。五感を使ってこそ獲得できるもの、つまり身体性をともな うものである。
宣長の思想、とりわけ和歌詠歌をめぐる思想のあり方に、言語と身体に関わる現代の教育的諸 問題解決の可能性を見出して、本論文は結とした。