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Andre Gideにおけるキリストとマルクス (II)

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(1)

Andre Gideにおけるキリストとマルクス (II)

その他のタイトル Le Christ et Marx chez. Andre Gide (II)

著者 重本 利一

雑誌名 仏語仏文学

巻 3

ページ 1‑38

発行年 1965‑12‑15

URL http://hdl.handle.net/10112/00017588

(2)

Andre G i d e における

キリストとマルクス

(II)

重 本 利 一

Andr~Gide の共産主義支持は、長いためらいの後で、爆発的な熱烈さでも って表明された。彼にとって、沈黙はもはや無用のものと思えたのである。東

ヨーロッパの秘密主義的な寡頭政治を否定し去ることもなく、彼は、正義に対 する福音的な夢と、人類相互の同胞精神を追求したのであった。彼の究極の希 望は、芸術活動のためにあらゆる便宜をはかってくれるような社会を実現する ことであった。共産主義者たちを熱狂的に支持しているあいだにも、

Gide

は 、

<個人>の価値に対する信頼感を捨てきれないでいたために、自分だけが彼等 の戦列のなかでは型破りな新参者であり、つねに不信の眼で見られていること を知ったのである。いいかえれば、東方のユートピアの真の実情に直面して、

Gide

の眼と心ははじめて開かれたわけである。そこで本論においては、前回

の「Andr~Gide におけるキリストとマルクス (I) 」に対する結論として、フ

ランスの一ユマニストである共産主義者のさまざまな体験と、それを通して彼 が身につけた新しい態度について、若干の考察をおこなわなければならない。

前回の考察においては、どのような経緯をたどって、

Gide

の思想が不可避 的に、新しい社会秩序を指向するにいたったかを示すことが目的であった。た んに共産主義にかぎらず、彼の人道主義的な思想に合致する漸新な政治体制な らば、いかなるものでも彼の憧れの的になり得たであろう。二十世紀に生きる 人間の必要を満たすために、

Gide

は、古典主義芸術と人道主義的思想に対し て新生面を開いたが、これは、十九世紀の偶像がいまや崩壊しつつあるという 彼の知覚と認識にもとずくものであった。同様にして共産主義者たちも、産業

(20.5) 

(3)

仏語•仏文学第三号

革命によって政治上の偶像が破壊された後の空白を埋めることを意図したので あった。ただ、新しい偶像を選ぷに際して共産主義者たちが十分な成功をおさ め得なかったのは、外見的な政治体制のはるか深奥に、ユマニストの思想がつ ねに厳然と存在していることに気づかなかったからだといえるであろう。

もっとも権謀術数的な非行は、原理の名を借りて、その原理の悪用を正当化 することにある。このようにして、政治体制が、利己的な目的を擁護するため に、ユマニストの理想を裏切り、それを悪用したのである。もともと

Jean Jacques  Rousseau

Karl Marx

は、自分たちの社会の改良に役立つ人道 主義的な原理を提示したのであったが、悪質な後継者たちが、当初に意図され たものとは全くかけ離れた目的を即急に完遂するために、その旗印としてせっ かくの原理を濫用したのである。このことは、近代社会における二つの政治的 大変動、つまりフランス革命とロシャ革命のパクーンとなったのである。

Gide 

自身の場合を考えるならば、たとえ無意識のうちに本来の意図からは ずれたにすぎないとしても、彼の人道主義的な原理が、ひどい政治的圧迫を黙 認したという事実は、同じように気がかりなことである。しかし、これには補 足的な説明が必要である。地上における人間の機能は、その人間を超越する何 ものかを示すことであり、人間性それ自体は、より高度な目標に到達するため の手段であるという基本的な路線が、はかない人生と不条理な宇宙のなかにお ける、永遠の理想に対する人間の憧れを満たすために打ち出された。このよう な意味では、人間は目的達成のための媒介手段とみなされるわけである。ソビ エト・ロシャの一般民衆に与えられた苦難は、究極のユートピアを成就するた めの一時的な犠牲ではなかったのか。キリストや Prom~tMe の姿を借りて具体 化された愛他的な自己犠牲の観念は、あらたなスローガンのまえでは、たんなる

<個人>の自発的消滅をしか意味しなくなった。ロシャに住む無数の<個人>

と国民それ自体のうえに課せられた犠牲は、全世界に幸福をもたらすためのも

のではなかったのか。自由には限界があるという観念が、その自由獲得の努ヵ

を、ある目的から分離し得ないものにしてしまった。つまり、自由の限界とい

う正当な観念が、不自由とすり替えられてしまったのである。ロシャにおける

(4)

Andre Gideにおけるキリストとマルクス (JI)

(重本)

自由の消滅は、革命によって野放しにされた潜在的な戦力といったものに、統 ーと調和を与えるためには必要ではなかったのか。利己的な目的を促進しよう

として、キリストの教えを歪曲してしまったキリスト教社会から、キリストを 分離することは、いい古された

Christianismeという言葉に、ふたたび福音

書の精神を注入する目的によるものであった。ロシャの集団に強いられた服従 の状態は盲かつて人の子キリストが説いたところと同じものではなかったの か。さらにまた、<個人>に関する

Gide

のキリスト教的な概念は、利害を 超越してその<個人>の価値を称揚すべきことを意味していた。同じ趣旨に沿 って、ソビエトの指甜者たちも、

Marxがその<(Manifeste),

のなかで強調し たとおりの、 「<個人>の自由な発展が、全体の自由な発展のための条件とな るような共同体」の実現を目指していたのではなかったのか。

1931

年に書かれ た

<(Journal),の次の一節には、 Gideの錯誤のいくつかが示されているよう

に思われる。

Je crois  de plus en plus que l'idee  de liberte n'est  qu'un leurre

・ ・ ・ ・ ・ ・

je crois egalement, de plus  en plus,  que l'homme ne fait  rien  quivaille sans  contrainte  et  que  bien  rares  sont  ceu

capables de  trouver  cette  contrainte en eux‑memes. Je  crois  aussi  que la couleur authen tique  d'une  pensee  particuliere  ne prend sa  pleine  valeur  que si  elle  se detache  sur un fond qui ne soit  pas deja  bigarre. C'est l'un;Jormi te de la masse qui permet a quelques rares individus de s'elever,  tran chant sur  elle.  Le "Rendez a Cesar ce  qui  est a Cesar et  a・Dieu ce  qui  est  a Dieu" de  l'Evangile, me parait  plus  que jamais  d'un  ensei  gnement plein de sagesse. Du cote de Dieu. la liberte, celle de !'esprit:  du cote  de  Cesar,  la  soumission,  celle  des actes.  Le seul  souci  du  bonheur du plus grand nombre, d'une part: de l'autre,  le  seul souci de  la  verite.(1) 

(1) Andre Gide:  Journal.  (ed.  Pleiade). p.  1084. 

イタリックは筆者。

(207) 

(5)

仏語•仏文学第三号

ところで、いったい何が、たとえ一時的であったとはいえ、鋭敏な批判力を 失わせるほどにまで、

Gide

に東方のユートビアに対する盲目的な信頼の念を いだかせたのであろうか。それは、

Gide

を徐々に共産主義へみちびいた、あ る意味では必然的な周囲の状況と、けっして無関係ではなかったのである。

(2)

1936

年から

1939

年にかけてのフランスは、まさに混乱の数年間を体験した。

おそがけの社会改革が、きたるぺき戦争をまえにして、労働者たちに一時的な 休息を与えた。この戦争は、西ヨーロッパ民主主義がおこなう対外政策のため に、いまや避けがたいものとなった。

1937

年に

AndreGide

は、鋭敏にも、

Nous entrons dans une~re nouvelle:  celle  de la confusion.<3>

と述べて いる。二つの世界大戦をへだてるこの混乱の時期にあって、感受性の豊かな唯 美主義者は、ソビエトのユートビアがいたるところで知識階級に差し向ける誘 惑の手を逃れることができなかった。

Gide

が多年にわたって避けようと努め ていた社会問題が、目下の重大な関心事となってしまった。

<(Voyage au Congo), と そ の 続 篇 の くLeRetour du Tchad), 

によっ て、芸術家は最初に予想した以上に、社会問題の迷路の奥深く足を踏み入れてし まった。彼がひき起こした論争は、1

931

年までしづまることを知らなかった。

(4)

西ヨーロッパ諸国家の現実の植民地政策は、共産主義者たちから攻撃されやす い弱点をもっていた。したがって、ソビエトの宣伝家たちは、このような植民

(2)

二つの大戦にはさまれたおよそ

20

年間は、フランスにとって、内外ともに多難な 時期であった。

1917

年にロシヤ革命が成功し、フランス国内では経済的な不安と ともに、労働者階級が勃興した。つまり、政治的、社会的ないろいろな問題につ いて、はげしい議論が展開されたのであるが、具体的な実例に関しては次の書物 を主として参照した。

Andr6Siegfried:  De ia  Troisie

la  Quatri~me R6publique  (Grasset).  Franc;ois  Goguel:La Politique  des  partis  sou."  la 

me R6publique  (Editions  du Seuil).  Chanoine Uon Cristiani:  La Fin  d'un R6gime (F.mmanuel Vitte). 

(3) Andr6 Gide: Journal. p.  1261.  (4) ibid.  p. 1019. 

(6)

Andre Gideにおけるキリストとマルクス (II)

(重本)

地政策の濫用を批難する代表的な人物を、ある意味で、自分たちの仲間である とみなすことができたであろう。青年共産党員たちによって、もっとも多く読 まれた

Gideの書物は、 <:Voyageau Congo)>

であった。

(5)

共産主義者たち が 、

Gideに対して部分的な賛意を表明しているあいだにも、カトリックの批

評家たちは、彼に対する攻撃をゆるめはしなかった。周知のとおり、その最前 線は

Henri Massisであった。往時の友人 Charles Du Bos

でさえも、好 意的なその著作<:Dialogueavec Andre Gide),  を 、

Gideの態度に対する告

訴状に変えてしまった。カトリックからの否認と、共産主義者からの激励が、

どの程度に

Gideを奮起させたのであろうか。そこには疑念が残るかもしれな

い。たしかに彼の行動は、カトリックを激怒させるものであり、彼等の陣営か ら見れば、それは

Gideの強情さを立証する以外の何ものでもなかったからで

ある。

ばく然とした倦怠感が、赤道アフリカから帰国した旅行者をおそってきた。

代表作<:Faux‑Monnayeurs)> を完成した後の創作活動の不毛状態が、

Gide

を 社会問題や政治問題にかり立てたことは事実であった。それは彼の著作の系譜 が示すとおりである。しかし、その後彼が、政治上の論争に熱中するようになっ て以来、芸術作品を書くことができなくなった、とたまたま告白したとき、彼 は年代を逆転させていたといえる。強迫観念や失意や空虚感が、自分の仕事を 完成したという作家の実感を示すものである。

(6)

彼は神秘的な冒険によって得 られる最上の幸福感に憧れていた。の前進の欲望と後退のそれとのあいだで

Gideの心は大きく動揺した。ふみにじられたものに対する同情や、 Sesentir  du cote de ceux que l'on  opprime.<8> 

という願いに•もかかわらず、彼はな お、一般民衆に対する不信の念を捨てきれなかった。

(9)

もちろん、このような

(5) Andre Gide:  Retour de l'U,R.S.S., suivi de Retouches mon Retour de 

l'U.R.S.S. p,. 29. 

(6) Andre Gide: Journal, pp, 1014,  1019, 1033,  1090, ...... etc.  (7) ibid.  p,  1065, 

(8) ibid.  p,  1028.  (9) ibid.  p,  1047, 

(7)

仏語•仏文学第三号

矛盾した感情は、一般民衆も適当な教育によって好ましい方向へと変化してい くだろうという幻影に支えられて、いくぶん緩和されていることは事実であっ (10)つまり、彼は意を決する (prendreparti Cm)ことをためらいつつも、

amoureuse esperance<12)をいだいて東方に眼を向けたのである。<Journal>

のなかのある記述は、 Gideの共産主義に対する支持表明が、愛妻を傷つける のを怖れる気持から、案外遅延したことを暗示している。(13)その後dide Claude Mauriacに向って、自分の決意は友人たちと行動を共にしたいとい う欲望にもとずくものであることを認めて、次のように述べている。 Dans  ma tentative vers le  c‑ommtinisme  j'etais  en grande pai:tie  mene par le  desir de ne pas decevoir des !tres que j'admirais. Jef Last, tres particu lierement .... <14)  そして;19315月12日に、彼ははじめて明確に共産主義に 対する熱烈な賛意を表明した。それは次の言葉ではじまっている。 Maissur tout j'aimerais vivre assez pour voir le  plan de la Russie reussir .... <15> 

しかし、そこにはいささかの空虚感がないではなかった。(16) とにかく、この 意志表示のなかで注目すべきことは、穀を破らなければ、ひよこは卵から出ら れないというたとえのとおり、 Gideが、未来の可能性によって過去の悪弊を 許容していることである。そしてまたGideが、彼の新しい信条はたとえ合理 的なものであるとしても、やはり神秘性を失ってはいないことを認めているの も、注目に価する。ついに1932

<NouvelleRevue Franc;;aise>6月号を

(10) Andre Gide:  Journal. p. 1135.  (11) ibid.  p. 1120. 

(12) ibid.  p. 1089.  (13) ibid.  pp. 1057.  1095. 

( 1 4 )  

Claude Mauriac: <Coversation avec Andre Gide;}>に引用されている。

p. 193. 

(15) Andre Gide:  Journal. p. 1044. 

(16) 

1931年 5 月 2 日に、 Gid~

はそのくJournal;}>のなかで、 aphasieとまでいえ るほどの自巳の i"mpuissanceを記している。また同月10日には次のように述べ られている。 Mavie intime  n'a pas repris et  je  n'existe qu'en surface.  pp. 1043, 1044. 

(8)

Andre Gideにおけるキリストとマルクス (II)

(璽本)

皮切りとして、

1929

年から

1932

年 ま で の くJ

ournal;>を発表することによっ

て、彼は公式に自己の立場を宣言したのである。

あきらかに

Gideは、経済的危機の時代における多くのフランスの知識階級

と同様に、誤った理由から共産主義と結びついたのであった。

Marx

主義的な いっさいの権能を否定しながら、彼は、愛情だけが自分を新しい主義へみちび いたのだと主張する。つまり、

Ce qui m'amene au communisme, ce n'est  pas Marx, c'est  l'Evangile.C17'

と彼はいう。彼の政治行動は、まず共産主義 への

<conversion>

であった。しかしながら彼は、この新しい主義が課した 盲目の服従によって生じるすべてのことを知覚した。彼は次のように告白しな ければならなかった。

...  En ce sens l'on a parfaitement raison de parler d'une'conversion.  Car tout  comme celle  au catholicisme,  la  conversion  au communisme  implique une abdication du libre examen,  une soumission un dogme,  la  reconnaissance  d'une orthodoxie. Or toutes les  orthodoxies me sn

… 

suspectes. Cl8) 

Gideは警告を発せられた。 ClaudeNaville

は、キリストの教義と共産主 義の現在の形態とのあいだの本質的な矛盾を、.敏感に指摘した。

Ce n'est pas le  lieu  de montrer ce qu'a  d'innocent,pour un marxiste,  cette  these  selon  laquelle  le  communisme 

-—

theorie, mouvement et  regime  sociaux ‑ est ne de la  trahison du Christ  par les  Eglises et  par les  hommes ...  Marquons seulement qu'elle s'oppose la  constata tion  du caractere  nuisible  aux opprimes  de  l'enseignement  meme du  Christ.  Cette  contradiction  ne peut etre resolue que  par le  retour au  Christ ...  ou son abandon definitif.  On conc;oit qu'il en cot'ite Gide:  c'est  un debat qu'il  ne peut  trancher  qu'en se  mutilant  cl'un  cote ou 

(17) Andr~Gide:Journal. p. 1176.  (18) ibid.  p. 1175. 

(211) 

(9)

仏語•仏文学第三号

de l'autre.(19) 

Naville

は多少とも政治と関連をもっ

Gide

の初期の活動のいくつかを列挙し た。そして、老年に達した

Gideの自称共産主義と、厳格な Stalinismeとの

相異を適確に指摘している。

Gideがソビエトヘ旅行する以前から、すでに、

その地の現実に直面した彼は、かならず抵抗を感じるであろうことが予測され ていた。それは、

Gideが個人主義の存在を否定し去ることのできない人間で

あったからである。たとえば、共産主義と個人主義の調和融合を主張した

Gideに対して、 ClaudeNavilleは次のように答えている。

C'est clans  la  mesure oil.  l'U. R. S.S. reste  entachee d'elements petits  bourgeois, paysans, retrogrades, et non clans celle ou elle  se rapproche  du soci~lisme, qu'elle  cultive  les  particularites  nationales et  les  autres  differences. c20) 

1935

年にはじめて出版され、この書物のなかに再録された論文

<(LaStruc ture economique et  sociale de l'U. R. S.S.)>

には、ソビエトの第一次五ケ 年計画の経済上の成果について、

Gideがおこなったのと同じ批判が見受けら

れる。

AndreGideが

ClaudeNavilleのくAndreGide et le  communis‑

me)>

を、ソビエトヘ向って出発するまえに読んでいたかどうかはあきらかで はない。しかし、 193~7 月 29 日の Gide のくJournal)> に、

Terrible de sarioi apres lecture des  manifestes  trotzkistes  confies  par  Pierre  Na‑

ville<21>と述べられているとおり、 Gide

はかなり以前から警告を受けていたわ けである。そのとき

Gideは、少なからずショックを受けたのであるが≫ それ

でも彼は、これらの批判を、

lesdivisions du partiを誘発するものとして非

難した。<

22> Pierre Navilleは、彼の弟 Claudeの死後に出版されたこの書物 (19)  Claude Naville:Andr6 Gide et le  communisme. pp.  423. また次のよう

にも述ぺられている。

Gide  est  de  ceux  pour qui 

e soc1al i" smerehg1on.  est une forme de transition de la religion au socialisme. p.  46. 

(20) ibid.  p.  54. 

(21)  (22) Andr6 Gide:  Journal. p.  1142. 

(10)

Andr6 Gideにおけるキリストとマルクス (JI)

(重本)

に序文を書き、

Marx

Engels

LenineやTrotzkyの真の遵奉者として

の自己の立場を表明し、あらかじめ

Gideに警告を与えたこともあきらかにし

た 。

(23)

友人に誘惑され、反対者に警告された

Gideは、さらに、共産主義を

信奉する人たちからの攻撃にも耐えなければならなかった。

Jean Guehenno 

はその論文<(Ame,ma b

elle a.me)>

のなかで、

Gideを嘲笑している。<

2 4 >I

lya  Ehrenbourg

は 、

Gideの新しい傾向は小説家としての失敗の結果生まれたも

のだと説明する。

(25)

また、共産主義者の一女教師は、

Gideの態度を bolche vistes  de salonあるいは transfugesde la  classe ennemieC26) 

のそれだと

きめつけている。しかし、彼を支持する人たちも、けっして少なくはなかっ た。たとえば

GeorgesAdamovitchは

Gideが <conversion>

を公言す る以前から彼に称讃を惜しまなかったし、その後における

MauriceS

hs

も また同様であった。

(27)

以上のような状況のもとで、デリケートな偶像破壊者としての態度を堅持す る

Gideは、もっとも型破りな共産主義者たる自己の道を歩もうとした。彼は

党の規約に拘泥しなかった。たとえば、

Dimitrovや Thaelmannはナチスに

よって、

VictorSergeはスペイン政府やギリシヤ政府や盲あるいはソビエト

の寡頭政治によってさえ、いろいろな圧迫を加えられたが、

Gideはこのよう

に政治上の理由から不当な虐待を受けている<個人>を弁護して、大いに論戦

(23) Andr6 Gide et  le  communismeの序文。 p.11. 

(24) Jean Gu6henno: Ame, ma belle

e. (<(Europe>,  Novembre 15,  1930.)  (25) Ilya Ehrenbourg: Duhamel, Gide,  Malraux,  Mauriac, Morand, Romains, 

Unamuno vus par un ecrivain  d'U. R. S.S. p.  213. 

{26) Henri Msis:D'Andr6 Gide Marcel Proust. 

のなかに引用されている。

p. 226. 

⑰  1 5

25

日 に 、

AdamovitchはGide

礼讃の講漬を*こなった。

(<(Jour

I>p. 984.)

これは

c(Cahiersde la  Quinmhffl> (avril 5,  1930)

に記録さ

れている。また

Sachsは讃辞に満ちた c(AndrtGide>

を出版した。

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