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手形行為についての覚書

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(1)

手形行為についての覚書

その他のタイトル Zum Begriff der Wechselerklarungen

著者 福瀧 博之

雑誌名 關西大學法學論集

巻 49

号 2‑3

ページ 262‑294

発行年 1999‑09‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00024472

(2)

(1) 

︳手形行為と文言性 二手形行為および文言性の古典的理解に否定的な見解

1手形客観解釈の原則に関する上柳説

2手形行為の文言性に関する前田説

三手形行為についての覚書

手形行為と文言性

要式の書面行為としての手形行為

手形という有価証券上に行なわれる法律行為を手形行為という︒手形行為は︑手形面上に法定の方式をもって

一三条︑二五条︑三一条など参照︶その意思表示の内容を記載して表意者が署名することによってな

(1 ) 

される法律行為である︒手形行為は︑このように要式の書面行為である点において一般の法律行為に対して特殊性を

手 形 行 為 に つ い て の 覚 書

10

︵ 手

(3)

のような見解は検討に値すると考えるからである︒

10

手形行為の目的が債務負担にあるかどうか︵手形行為を債務負担を目的とする行為に限定するかどうか︶に関して

は争いがあるが︑手形行為が法律行為であり︑しかも署名を要件とする要式の書面行為であると解することに関して

は概ね異論はないようである︒

②手形行為の性質ー——とくに文言性ーー

一︑手形行為に関しては︑手形行為の性質︵文言性・無因性・独立性など︶︑手形行為の成立要件︵署名・交付など︶︑

手形行為の代理︑さらには法律行為に関する一般原則の手形行為への適用︵たとえば︑民法の意思表示に関する規定

(2 ) 

の適用︶に伴う問題などを取り上げて論ずるのが普通である︒

右にいう手形行為の性質または手形行為の特性(一般の法律行為に対して手形行為の有する特色•特殊性)として

(3 ) 

は︑文言性︑無因性︑独立性などを挙げることができる︒これらは︑いずれも手形行為が要式の書面行為であること

(4 ) 

から出てくる結果として︑これを理解することができるといわれている︒

二︑ここでは︑文言性を取り上げる︒手形行為を要式の書面行為として捉えると︑文言性はそのことから当然出てく

るものと解されるが︑近時︑このような理解を疑問とする見解が散見される︵本稿二参照︶︒私見は︑後述のように︑

近時のこのような傾向には必ずしも疑問なしとしないが︑しかしそのような見解に与するかどうかにかかわらず︑そ

手形行為が手形上の記載を通じて行なわれる要式の書面行為であることからすれば当然であるが︑手形行為は手形

上の記載をもって意思表示の内容とする︒手形行為より生ずる債務の内容は︑手形面の記載︵手形行為の時の記載︶

(4)

念に従って合理的に解釈すべきである︵記載文言の社会通念による合理的解釈︶﹂という二命題からなるものと考え

( 10 )  

は許されない

第四九巻第ニ・三合併号 のみによって決定される︒このことを手形行為の文言性という︒換言すれば︑﹁手形行為は︑証券の記載を内容とす る意思表示によって構成される法律行為であり︑手形行為の内容はもっぱら証券上の記載を標準として決定される︒

(5 ) 

このことを手形行為の文言性という﹂のである︒

(6 ) 

手形行為の文言性の意義に関しては︑多少の争いがあるが︑ここにいう意味における文言性が︑右に見たように︑

﹁手形行為が手形上の記載を通じて行なわれる要式の書面行為であること﹂または﹁手形行為は︑証券の記載を内容 とする意思表示によって構成される法律行為であること﹂から当然いえるものであるとすることに関しては︑ほぼ争

(7 ) 

いはないといってよいであろう︒

︱︱‑︑さらに︑右の意味の手形行為の文言性から導かれる当然の結果として︑手形客観解釈の原則といわれる解釈原則

が認められている︒手形行為は書面による意思表示であるから︑その内容は当然書面の記載のみによって判定しなけ ればならず︑手形行為の解釈については︑手形面上の記載以外の事実にもとづいて行為者の意思を推測して︑記載を

(8 ) 

変更したり補充したりすることは許されないというのである︒

もっとも︑手形の記載自体の解釈については︑いたずらに文字に拘泥することなく︑社会通念や慣習を参酌して解

(9 ) 

釈しなければならないとされている︒したがって︑表現を換えるならば︑手形客観解釈の原則は︑①﹁手形行為の解 釈は手形記載の文言にもとづいてこれをなすべきであり︑手形外の事情によって文言を変更︑補充して解釈すること

︵手形行為の記載文言による解釈ー手形外の事情の排除︶﹂および②﹁手形の記載は︑

10

 

(5)

手形行為についての覚書

問題の所在 右に言及したように︑近時︑右にみたような手形行為とか手形行為の文言性の理解ー延いては手形客観解釈の原 則の理解

1と必ずしも馴染まないような見解が見られる︒以下においては︑このような見解の典型例と解される一︑

二の見解を取り上げて︑その問題点を概観することにする︒この問題は︑手形法学の基礎に関わるものであって︑本 来︑本格的な検討を要するものであると考えるが︑本稿はそのための準備作業である︒本稿に﹁手形行為についての

覚書﹂と題する所以である︒

(3) 

0

(1)松坂佐一・民法提要︵総則︶︹第三版・増訂︺︵有斐閣一九八二︶一九二頁は︑﹁︹法律行為の一としての︺要式行為とは︑法律行為を組成する意思表示が一定の方式に従ってなされることを要するものを﹂いうとして︑その例の一として手形行為を挙げている︒また︑それらの法律行為に方式が要求されるー要式行為とされるー理由としては︑﹁0当事者を特に慎

重に考慮させるため︑⑯法律行為の存在を明瞭ならしめるため︑回権利の範囲を明確にし︑その取引を敏活ならしめるために、特殊の法律行為について、方式を必要とした」と説明されている(松坂•前掲書一九二頁)。

さらに︑四宮和夫・民法総則︵第四版補正版︶︵弘文堂平成八︶一四四頁は︑要式行為を﹁法の要求する方法をふまないと不成立ないし無効となる法律行為﹂としたうえ︑﹁権利義務が書面と緊密に結合しているために︑その権利義務を発生させる行為が要式行為とされるものとして手形行為がある﹂とする︒

(2

)

たとえば︑大隅健一郎・新版手形法小切手法講義︵有斐閣一九八九︶二三頁以下および鈴木竹雄"前田庸・手形法・小切手法︹新版︺︵有斐閣平成四︶︱︱︱頁以下参照︒

(3

)

たとえば︑大隅・前掲書二六頁以下および鈴木

1 1

(4

)

﹁手形行為は一般の法律行為に対して多くの特色を有する︒通常︑そのような特色として︑抽象性・文言性・独立性・要式性等が掲げられているが︑それらは︑⁝⁝結局手形行為の書面行為性が発展したものと認めることができると思う﹂︵鈴

(5

)

上柳克郎

1 1

(6)

第四九巻第ニ・三合併号

(6

)

手形の文言証券性ないし手形行為の文言性の多義性に関しては︑上柳克郎﹁手形の文言性﹂会社法・手形法論集︵有斐閣昭和五五︶三四四頁以下および福瀧博之﹁手形の文言性と権利外観理論﹂関西大学法学論集四五巻五号一六頁参照︒

(7

)

たとえば︑鈴木"前田・前掲書︱一九頁は︑﹁手形行為の特性﹂としての﹁文言性﹂を次のように説明される︒手形行為が書面行為とされることから文言性が出てくる事情を端的に示すものなので︑敢えて引用しておきたい︒

﹁手形行為の内容は︑たとい書面に記載された内容が手形外の実質関係と異なる場合にも︑そのような実質関係によって︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑修正されず︑専ら書面上の記載によって決定されるので︑手形行為は文言的性質の行為と認められる︒従って︑手形の取得︑︑︑︑︑︑︑︑者は書面上の記載を信頼することができるので実際上手形の流通性が増進されることとなるが︑これも理論的には︑手形行︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑為が書面を通じてなされる意思表示であるため︑手形行為者は書面上に記載された手形上の効果を欲して手形行為をなした︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ものと認められ︑従って書面上の記載が手形行為者の意思表示の内容をなしていることによるものと考える︹傍点︑引用者

もっとも︑注意すべきは︑この見解は︑このように文言性を手形行為が要式の書面行為とされていることから説明しているが︑さらに次のようにも説いていることである︒﹁︹手形のように証券作成の原因となった法律関係から切り放された抽象的な権利を表章する有価証券を無因証券という

が︑︺無因証券は⁝⁝証券の作成によって創造された権利を表章するものであるから︑その権利の内容は当然証券上の記載によって決定され︑証券上の記載と異なる法律関係が証券外に存在していても︑証券上の権利の内容はこれによって何ら左右されない︒﹂﹁このように証券に表章された権利の内容・範囲が証券上の記載により決定される有価証券は文言証券⁝⁝と

この設明は︑文言性を説明するに当たって︑いわばその論理的前提として無因性の概念を用いている点に特徴がある︒

(8

)

この原則は︑手形外観解釈の原則と呼ばれることも多い︒大隅・前掲書三0頁参照︒私見は︑手形外観解釈の原則ということばは︑﹁手形行為が法定の方式を形式的に具備してさえいれば︑それが真実に合致しないでもその効力を害しない原則﹂

として用いることにしたいと考えている︒福瀧博之・手形法概要︵法律文化社一九九八︶五九頁参照︒

(9

)

00

(7)

1手形客観解釈の原則に関する上柳説 な見解が散見される︒具体的には︑次のような見解である︒

0

右にみたように︑①手形行為は法律行為の一であり︑要式の書面行為である︒②手形行為が要式の書面行為である

ことの当然の帰結の一として︑手形行為の文言性︵手形行為は手形上の記載を内容とする意思表示によって構成され

る法律行為であり︑手形行為の内容はもっぱら証券上の記載を標準として決定されるということ︶が認められる︒さ

らに︑③手形行為の文言性から︑手形行為の解釈も︑もっぱら手形の記載・文言にもとづいてなすべきであり︑手形

に表われない事情によって当事者の意思を推測し︑または手形の記載を補充変更することは許されない︵手形客観解

釈の原則︶とされている︒これがいわば手形行為および文言性ーさらには︑手形客観解釈の原則ーの古典的理解

しかし︑右に述べたような手形行為および手形文言性の古典的理解に関しては︑近時︑これに直接・間接に否定的

その一は︑手形行為の解釈に関する上柳説であり︑その二は︑手形行為の文言性に関する前田説である︒

一︑ここで手形客観解釈の原則に関する上柳説として取り上げるのは︑次のような見解である︒すなわち︑手形行為

の文言性を認め︑手形客観解釈の原則を認めるとしても︑およそ記載の文言の意味の確定に当たっては︑手形外の事

( 1 0 )  

手形行為および文言性の古典的理解に否定的な見解

~

(8)

第四九巻第ニ・三合併号

実の参酌を完全に排斥することはできないことを指摘し︑そのことを正面から認めたうえ︑さらに進めて︑手形行為

の解釈に当たっても︑一般にいわれているような﹁一般の社会通念︑慣習等﹂の掛酌にとどまらず︑ー﹁一般人が︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑知りまたは知りうべかりし事実以外のものでも︑手形の文言を変更・補充することにならない限り︑手形所持人がこ

れを立証して︑そのような事実を参酌した解釈を︑その事実の関係者である手形行為者に対して主張することは許さ

( 11 )  

れる﹂として︹傍点︑引用者付加︺ヽ││広く手形外の事実を参酌することが許されるとする見解である︒

この見解は︑いうまでもなく︑手形客観解釈の原則そのものを否定するものではないであろう︒﹁手形行為の解釈

は書面の記載のみによって行なう﹂のであり︑﹁手形行為の解釈については︑手形面上の記載以外の事実に基づいて

( 12 )  

行為者の意思を推測して︑記載を変更したり補充したりすることは許されない﹂ということは︑これを一応認められ

るものと解される︒しかし︑先に紹介した古典的見解と対比するとすれば︑

i

典的見解がおよそ手形外の事情の

掛酌を許さないのに対して1この見解は一定の場合に限ってではあるが︑手形外の事情を搬酌して手形行為の解釈

を行なうことを認めている点においてその特徴を有するものである︒

すなわち︑この見解のもとでは︑手形行為の解釈にあたっても︑①手形の文言を変更・補充することにならない限

( 13 )  

りにおいて︑という限定付きではあるが︑②手形外の事情を掛酌することが認められているのである︒

なお、この見解が、別の箇所において、1具体的判例の分析との関係において、ー~手形の文言性ないし手形客

観解釈の原則といっても︑手形の記載の意味がそれ︹記載︺のみでは不明確なときには︵たとえば︑具体的には︑手

形の振出が法人のためにされたものか︑代表者個人のためにされたものか判定しがたいとされた最判昭和四七年二月

10

日︹民集二六巻一号一七頁︺ 関法

のような場合との関係においては︶︑手形外の事情を掛酌して記載︵文言︶の内容

(9)

( 15 )  

二︑手形客観解釈の原則のもとにおいても︑﹁一般の社会通念︑慣習等﹂を掛酌することは︑広く認められている︒

所持人がこれを立証して︑そのような事実を参酌した解釈を︑その事実の関係者である手形行為者に対して主張する

ことは許される﹂としているのであって︑この点は︑説明を要するであろう︒

この見解は︑手形行為の解釈にあたって掛酌することのできる手形外の事実がー通説的見解によれば︑ー﹁一

般の社会通念︑慣習等﹂のように﹁一般人が知りまたは知りうべかりし事実﹂に限定されることを指摘したうえ︑こ

のような限定は︑﹁手形所持人に不当な不利益を甘受させないために加えられる﹂ものであるとして︑したがって︑

それ以外の事実︵一般人が知りまたは知りうべかりし事実以外のもの︶であっても︑﹁手形の文言を変更補充するこ

とにならない限り︑手形所持人がこれらを立証してそのような事実を参酌した解釈を︑その事実の関係者である手形

行為者に対して主張することは許される︵手形行為者の側から︑このような解釈にもとづく主張を善意の手形譲受人

( 16 )  

に対してすることは許されないが︶﹂と説いているのである︒

しかし︑この見解が﹁手形の文言を変更補充することにならない限り﹂という限定を付すものであるとしても︑ま

た︑それが悪意の譲受人との関係においてのみ妥当するものであるとしても︑1

1手形客観解釈

の原則は手形行為の文言性のみから導かれる当然の原則であると説明してきた以上︵あるいは︑﹁手形行為は書面に その限りでは︑手形行為の解釈にあたって︑﹁手形外の諸般の事情﹂を参酌することも認められることになる︒しか

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

し︑ここで取り上げている見解は︑さらに進んで︑﹁一般の社会通念︑慣習等﹂のような﹁一般人が知りまたは知り

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

うべかりし事実﹂に限らず︑それ以外の事実であっても︑﹁手形の文言を変更・補充することにならない限り︑手形

( 1 4 )  

を確定できると説いておられることも注目される︒

(10)

0)

よる意思表示であるから︑その内容は当然書面の記載のみによって判定しなければならず︑手形行為の解釈について

は︑手形面上の記載以外の事実にもとづいて行為者の意思を推測して︑記載を変更したり補充したりすることは許さ

れない﹂と説明してきた以上︶︑社会通念による解釈という限度を超えて︑手形行為の解釈にあたって広く﹁手形外

の事実の搬酌﹂を認めることはおよそ論理的に困難であると考える︒手形行為は書面を通じて行なわれる要式の書面

行為︵証券の記載を内容とする意思表示によって構成される法律行為︶であるとする以上︑書面に記載がない以上は︑

1解釈以前の問題として︑1そのような意思表示はおよそ存在していないということになるはずでは

三︑結局︑この見解は︑手形客観解釈の原則は︑これを手形行為の文言性のみから導かれる当然の原則ー﹁手形行

為は書面行為であり︑その内容は手形の記載によって決定される﹂ことのみから必然的に導かれる原則ーー'であると

は必ずしも考えていないといわざるをえないであろう︒この関係において注目すべきは︑この見解が︑従来︑手形行

為の文言性︵または手形の文言証券性︶の具体的事例とされてきたものを分析して︑﹁手形行為者が手形に記載され

た通りの債務を負担しなければならないとせられることの実質的根拠の差異に着眼して﹂︑これを﹁二つの類型に大

別﹂していることである︒それによれば︑第一類型とは︑﹁手形行為者が証券の記載を内容とする意思表示をしたか

らには︑善意の第三者である手形譲受人の保護をとくに重視する理論によらなくても︑手形行為者に証券に記載され

た通りの債務を負担させるのが当然であると解せられる場合﹂であり︑第二類型とは︑﹁証券の記載を信頼して手形

を譲り受けた者に︑証券に記載された通りの権利の行使を認めるのが適当であるという考え方にもとづいて︵正確に

いえば︑主としてこのような考え方にもとづいて︶︑手形行為者は証券に記載された通りの債務を負担すべきである 関法

(11)

うに思われるものが多い

O ・

六・八民録二七輯︱︱︱九頁︑

︱︱ニ︱頁⁝⁝など参照︶︒⁝⁝手形 そして︑この二つの類型の文言性と手形客観解釈の場面における手形行為の文言性との関係に関しては︑大略次の

﹁⁝⁝︹この見解は︑︺この原則︹手形客観解釈の原則︺を︹手形行為の文言性に関する︺第二類型に属するも

のとして論じている︒しかし︑正確にいうと︑この原則の内容には︑第一類型に属すると解すべきもの︵たとえ

ば︑代理人が本人のためにすることを手形に記載しないで自ら署名して手形を振り出したときには︑本人のため

にすることを受取人が知りまたは知り得べかりし場合でも1

0

0条但書参照

i

人は受取人に対し振

出人としての責任を負わない︶と第二類型に属すると解すべきものとの両者が含まれている︒⁝⁝大審院判例に

は⁝⁝︹﹁文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サル限リハ裁判所ハ諸般ノ証拠二依リ之ヲ判定シ得ル﹂との︺理

論を余りにも広い範囲において適用し︑手形の文言性を第一類型の問題としての程度においてしか考慮しないよ

の記載を信頼した手形譲受人を保護する必要があること︑すなわち︑この原則が第二類型に属する問題でもある

ことを考慮すると︑⁝⁝︹﹃文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サル限リハ裁判所ハ諸般ノ証拠二依リ之ヲ判定

シ得ル﹂との︺理論には﹁一般人が知りまたは知りうべかりし事実のみを参酌することが許される﹄という限定

( 18 )  

が原則として附け加えられなければならない﹂︒

私見によれば︑手形行為の文言性を﹁手形行為は書面行為であり︑その内容は手形の記載によって決定される﹂と

いう意味において捉え︑手形客観解釈の原則をそのことから当然に導かれる原則であるという場合1これが本稿に

( 1 7 )  

と解せられる場合﹂である︒

(12)

第四九巻第ニ・三合併号

にいう第一類型の文言性とほぼ同趣旨をいうものであると考

いると解されるが︵そしてその点に問題があると考えられているようであるが︶︑私見によれば︑これはむしろ当然

であり︑自明のことである︒したがってまた︑特にいうところの第二類型の文言性に言及しなくても一定の手形外の

一定の限界︵歯止め︶が存在することになると解される︒すな

( 15 )  

わち︑﹁記載文言を社会通念に従って合理的に解釈すべきことは︑手形客観解釈の当然の帰結である﹂と解する場合

には︑このことは︑手形行為の解釈にあたっては︑﹁社会通念の参酌﹂が当然予定されているということであり︑こ

の﹁社会通念の参酌﹂を﹁文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サル限リハ裁判所ハ諸般ノ証拠二依リ之ヲ判定シ得

ル﹂という趣旨において理解するのであれば︑﹁文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サル限リハ﹂という限定を付す

ることになるのであり︑換言すれば︑その限りにおいては︑手形客観解釈の原則のもとでも︑﹁手形外の諸般の証拠﹂

( 2 0 )  

を参酌することが認められることになるのである︒

これを要するに︑ここにいう古典的見解においては︑社会通念に従った解釈のために必要な限りにおいては︑手形

外の諸般の証拠を参酌することが可能になるのであるが︑1あるいは︑かかる理由からそのような手形外の証拠の

参酌が可能になるのであるから︑1それは︑﹁文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サル限リハ﹂という限定付きな 事情の参酌が認められるとともに︑さらにそれには︑ える︒そして︑右に引用した説明においては︑﹁文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サル限リハ裁判所ハ諸般ノ証拠︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑二依リ之ヲ判定シ得ル﹂との理論は︑いわゆる第一類型の文言性︹手形行為者が証券の記載を内容とする意思表示を

したからには︑善意の第三者である手形譲受人の保護をとくに重視する理論によらなくても︑手形行為者に証券に記︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑載された通りの債務を負担させるのが当然であると解せられる場合の文言性︺を前提にするものであると捉えられて 関法

(13)

のである︒これに対して︑右に紹介した見解︵上柳説︶は︑﹁文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サル限リハ裁判所

ハ諸般ノ証拠二依リ之ヲ判定シ得ル﹂との理論に限定を加えるために︑手形客観解釈の原則が﹁第二類型に属する問

題でもあること﹂︑あるいは︑﹁手形の記載を信頼した手形譲受人を保護する必要があること﹂を強調しているので

私見または本稿にいう古典的見解と上柳説とでは︑右の大判大正一0年六月八日︵民録二七輯︱︱一九頁︶にいう

﹁文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サル限リハ裁判所ハ諸般ノ証拠二依リ之ヲ判定シ得ル﹂の理解を異にするので

あろう︒私見によれば︑この判決の意味するところは︑﹁手形行為は書面による意思表示であるから︑その内容は書

面の記載のみによって判定しなければならず︑手形行為の解釈については︑手形面上の記載以外の事実にもとづいて

行為者の意思を推測して︑記載を変更したり補充したりすることは許されない︒しかし︑手形の記載自体の解釈につ

いては︑いたずらに文字に拘泥することなく︑社会通念や慣習を参酌して解釈しなければならない﹂ということにす

ぎない︒記載を変更補充することは許されないが︑社会通念や慣習を参酌することは許されるという意味であり︑そ

の限りにおいて︑手形外の﹁諸般ノ証拠﹂の掛酌も許されるのである︒これは手形客観解釈の原則の意味するところ

に他ならない︒他方︑上柳説においては︑右の判決は次のような意味を有するものと解されているのではないかと考

える︒すなわち︑﹁手形行為者が証券の記載を内容とする意思表示をした﹂からには︑手形行為者は証券に記載され

た通りの債務を負担するのであるが︑この場合︵これは右にいう文言性の第一類型の場合に当たるが︶︑何が﹁証券

に記載された通りの債務﹂であるかは解釈によって明らかになるのであり︑その解釈にあたっては︑裁判所は﹁諸般

ノ証拠﹂︵手形外の諸般の証拠︶によりうるというのであろう︒ あって︑このことは注目に値する︒

(14)

第四九巻第ニ・三合併号

さらにいえば︑いわゆる通説またはここにいう古典的見解は︑1手形客観解釈の原則によって︑1手形外の事

実︵手形面上の記載以外の事実︶の掛酌を排除するが︑上柳説は︑前述のように︑﹁手形に記載された文言の意味を

確定するに当たって︑手形外の事実を参酌することを完全に排斥することはできない﹂とされているのである︒この

見解によるときは︑﹁文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サル限リハ裁判所ハ諸般ノ証拠二依リ之ヲ判定シ得ル﹂と

いう命題は︑裁判所が手形の文言の解釈に当たって依拠することのできる証拠を相当広く認めるものに他ならない︒

そこで︑﹁手形の記載を信頼した手形譲受人を保護する必要がある﹂ということになるのであり︑したがってまた︑

﹁一般人が知りまたは知りうぺかりし事実のみを参酌することが許される﹂という限定を付す必要があるとされるの

であろう︒また︑このことが︑延いては︑この見解がー手形行為の解釈に﹁文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サ

ル限リ﹂という限定を付しているにもかかわらず︑ー│次に見るように︑結局は︑事実上記載文言とは違う解釈さえ

も認める結論に至る事情を説明するものではないかとも考えられるのである︒

四︑しかし︑以上において紹介した限りにおいては︑この見解は︑私見︵または︑本稿において古典的な手形行為の

文言性の理解として紹介した見解︶のように手形行為の文言性を﹁手形行為が要式の書面行為であること﹂から説明

する見解と必ずしも結論を異にしないかのようである︒なるほど︑この見解は︑通説的見解とは違って︑﹁一般の社

会通念︑慣習等﹂に止まらず︑広く手形外の事実を参酌して手形行為を解釈することができるとするものではあるが︑

しかし︑他方︑﹁手形の文言を変更・補充することにならない限り﹂という限定を付しているからである︒

結局︑この見解と通説的見解との相違は︑1およそ︑そのような相違があるとすれば││﹁手形の文言を変

更・補充することにならない限り﹂という限定の理解の相違に帰着すると解される︒すなわち︑この見解︵上柳説︶

ー ニ

0

(15)

にいう﹁手形の文言を変更・補充することにならない限り﹂という限定を仮に1この見解がある判決の解説・研究

( 14 )

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑において言及しているようにー﹁手形の記載の意味がそれ︹記載︺のみでは不明確なときには︑手形外の事情を掛

酌して記載︵文言︶の内容を確定できる﹂という意味において捉えるのであれば︑本稿にいう古典的通説的見解は︑

その限りにおいてこの見解とは違った理解になるであろう︒古典的理解によれば︑手形の記載の意味が不明確で記載

のみからはその内容を確定できないときにも︑社会通念とか慣習のようなもの以外の手形外の事実の掛酌は許されな

いのである︒これに対して︑手形の記載が一定の意味を確定的に示している場合に︑手形外の事情を参酌してその文

言を変更・補充することは︑それが通説的見解において許されないことは当然であるが︑この見解においても等しく

すなわち︑この見解︵上柳説︶によっても︑たとえば︑①﹁手形の記載の意味は一応明確である︵不明確とはいえ

ない︶が︑その文言のままでは矛盾しているような場合﹂とか︑②﹁手形の記載の意味は一応明確であるが︵矛盾も

ないが)、当事者がその記載の意味するところとは違う解釈を主張しているような場合」には、ー~「手形の文言を

変更・補充することにならない限り﹂という限定が付されている以上は︑1手形外の事情を掛酌した解釈を認める

五︑しかし︑この見解︵上柳説︶がそのような考え方︵﹁一般人が知りまたは知りうべかりし事実以外のものでも︑

手形の文言を変更・補充することにならない限り︑手形所持人がこれを立証して︑そのような事実を参酌した解釈を︑

その事実の関係者である手形行為者に対して主張することは許される﹂︶の適用の例として挙げている具体的事例に

みる限り︑必ずしも︑右にみたようにいってよいかどうかは︑疑問である︒次のような場合が取り上げられてい板︒ 趣旨ではないであろう︒一応︑いわば抽象的には以上のようにも理解できる︒ 許されないことになるのである︒

(16)

先ず︑いわゆる百円手形事件と呼ばれる有名な最判昭和六一年七月一0日︵民集四0巻五号九二五頁︶が例に挙げ

られている︵以下︑第一事例ということがある︶︒これは︑連続した裏書の記載のある約束手形の所持人が振出人に

0

0万円および遅延損害金を請求したが︑その手形の金額欄には﹁壱百円﹂︑その右上段に﹁00 ¥1,000,

10

0円の収入印紙が貼付されていたという場合であり︑手形金額の記載の解釈が争われたという

事案であった︒右の見解によるときは︑﹁手形所持人が手形振出の原因関係を立証して手形金額一

0

0万円であるこ

( 22 )  

とを主張することも認められることにな﹂るとされている︒

次に︑第二の事例としては︑最判昭和四四年四月一五日︵判例時報五六0号八四頁︶が取り上げられている︵以下︑

第二事例ということがある︶︒これは︑引受人欄に﹁Y︹岩本哲大︺﹂の記名捺印があり︑支払人欄に﹁A

朗︺﹂の記名印が押されている為替手形の所持人が引受人Yに対して手形金の支払を請求したという事案である︒こ

の見解は︑この判決の第一審判決︵﹁為替手形の引受が有効であるためには︑手形に支払人として記載された者が引

受けることを要する﹂としたうえ︑しかし︑﹁支払人の記載と引受人とが形式上一致しない場合であっても︑手形面

のその他の記載及び証拠を総合して︑支払人として引受人の氏名を記載すべきところを誤って振出人ないし受取人た

るべき者の氏名を記載したことが認められるときにおいては︑右引受をもって有効になされたものと解すべきであ

る﹂として︹傍点は本稿において付加︺︑事案の場合には︑支払人の記載は振出人が自己指図為替手形を振出すに当

たって誤って支払人欄に振出人Aの氏名を記入し︑受取人欄を空白にしていたものであると判示している︶に言及し︑

( 2 3 )  

この﹁第一審判決が︑⁝⁝妥当であるということになる﹂とされている︒

0頁︶の事案である︵以下︑第 関法

(17)

一般人が知りまたは知りうべか 三事例ということがある︶︒手形金額が﹁¥1,5000

000﹂というようにコンマの位置が三桁目と四桁目および七桁目

と八桁目の間にあったために︑裏書人が金額一五0万円の手形と誤信して裏書をしたが︑被裏書人も一五0万円の手

形であると誤信して裏書を受けたという事案である︒この見解︵上柳説︶は︑民法学説︵すなわち︑事案は手形金額

に錯誤のある裏書の問題として処理されているが︑﹁意思表示の効力を問題とする前に意思表示ー法律行為の解

釈を問題とすべきであり︑︹両者が表示を同じ意味に解しているならば︑︺﹃表示の誤まりは害しない﹄の原則の精神

によって︑⁝⁝︹当事者間においては︺⁝⁝一五0万円の︹手形行為︺がなされた︑と解釈すべきだった﹂とする四

のような見解は﹁個別的取引の具体的事情を考慮しなければ不可能である﹂と指摘したうえで︑このような見解︵四

( 24 )  

宮説︶が妥当であるとされている︒

さらに︑別の箇所では︑このような考え方によって処理すべき事例として︑大判大正一0年七月一三日︵民録二七

輯一三一八頁︶︵夫︹牧野照三郎︺が妻︹牧野幹︺の名で営業を営み︑妻の氏名で為替手形の引受をした場合に夫の

( 25 )  

引受人としての責任を肯定した事例︶にも言及されている︵以下︑第四事例ということがある︶︒また︑﹁手形の記載

の意味がそれ︹記載︺のみでは不明確な﹂場合であって手形外の事情を掛酌して記載︵文言︶の内容を確定すぺきも

のとして説明される事例としては前述のように最判昭和四七年二月一0日︵民集二六巻一号一七頁︶︵手形の振出署

名が代表資格を欠くものであったために︑手形の振出が法人のためになされたものか︑代表者個人のためになされた

( 14 )  

ものか判定しがたいとされた場合︶のような事例︵以下︑第五事例ということがある︶も取り上げられている︒

六︑これらの事例は︑いずれも﹁手形の文言を変更・補充することにならない限り︑ 宮和夫・民法総則︵第四版︶一八九頁︹民法総則︵第四版補正版︶

~

(18)

りし事実以外のものでも︑手形所持人はこれを立証して︑そのような事実を参酌した解釈をその事実の関係者である

手形行為者に対して主張することはできる﹂とする考え方の適用例として挙げられているものと解される︒

これは︑いずれも︑手形行為の文言性または手形客観解釈の原則との関係で議論の多い問題に手形外の事実を掛酌

するという統一的な方法で明快な解答を示すものであって︑これに与するかどうかはさておいても︑これがかなり説

得力のある見解であることは疑いない︒しかも︑民法の解釈方法との関連にも配慮がなされている︒問題は︑この見

解の適用ともいうべき右に引用した各事例の取扱︑またはその帰結が従来の古典的な手形行為または手形行為の文言

以下︑各事例ごとに多少の検討を加えてみたい︒先ず︑第五事例の場合には︑手形外の事実︵事情︶を掛酌するこ

とによって始めて手形の記載の意味を確定することができるのであり︑しかも︑この処理を行なわないと︑手形の記

載の意味は確定しないというのであるから︑1この前提を認めるかどうかも一の問題であるが︑仮にこれを認める

とすると︑その場合には︑ーーこのような解釈によって手形の文言を変更することにはならないであろう︒ただ︑こ

のような﹁解釈﹂を行なわなくては記載の意味は確定しなかったのであるから︑その意味においては︑手形の文言を

﹁補充﹂するものであるということにはなるのではなかろうか︒

その他の事例の場合には︑いずれも手形の記載は一応明確である︵第一事例の場合の手形金額欄の記載は﹁壱百

円﹂であり︑第二事例の引受人欄および支払人欄の記載はそれぞれYおよびAであり︑第三事例の金額欄の記載は

¥1,5000,000﹂であり︑さらに第四事例の引受署名の名称は︑一応︑妻の氏名である︶︒もっとも︑このうち︑第

一事例と第二事例の場合には︑手形面の他の記載と併せて解釈すると手形上の記載は矛盾したものである︵第一事例 性の理解と整合性を有するものかどうかであろう︒ 関法

(19)

の場合には︑金額欄の記載とその右上段の記載との矛盾︑第二事例の場合には︑引受人欄と支払人欄の記載の矛盾︶︒

これに対して︑第三事例および第四事例の場合には︑記載自体が不明確な場合でもなければ︑手形上の記載が相互 に矛盾している訳でもない︒手形上の記載そのものとしては︑確定的に明確である︒私見によれば︑第四事例の場合 は︑﹁手形に記載された人名⁝⁝などがどの人⁝⁝を意味するかを確定するためには︑ある人⁝⁝がある名称で呼ば

( 26 )  

れているという手形外の事実を考慮せざるを得ない﹂とされる問題であって︑その限りにおいては︑これもまた﹁手 形上の記載の解釈に当たって手形外の事実を掛酌できるか﹂という問題ではあるが︑他の事例︵たとえば︑第五事例

または第一事例および第二事例など︶の場合とは︑記載が不明確でも矛盾したものでもないという意味において趣を

また︑第三事例の場合には︑﹁¥1,5000,

00

一 五 00

万円の記載であることが明確であり︑

( 27 )  

記載自体が不明確な場合でもなければ︑手形上の記載が相互に矛盾している場合でもない︒ただ︑単に当事者がこの 七︑問題がもっとも明確な形をとるのは︑右の第三事例の場合であるが︑ここに挙げられている各事例の場合には︑

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

いずれも︑﹁手形の文言を変更・補充することにならない限り︑

でも︑手形所持人はこれを立証して︑そのような事実を参酌した解釈をその事実の関係者である手形行為者に対して

主張することはできる」とする考え方によるとされているにもかかわらず、実は、いずれも、'~その事例によって

程度の差はあるが︑﹁手形の文言を変更・補充する﹂ものであるといってよいのではなかろうか︒

以上のように考えてよいとすると︑右の見解は︑本稿にいう古典的な手形行為の解釈︑手形行為の文言性および手 記載を別の意味に解していたというに過ぎない︒ 異にするといってよいであろう︒

一般人が知りまたは知りうべかりし事実以外のもの 一 応

(20)

第四九巻第ニ・三合併号

︵ ︱ ‑ 八

0)

形客観解釈の原則の理解とは必ずしも馴染まない考え方であるといわざるをえないであろう︒すでに前述したように︑

﹁手形行為は書面による意思表示であるから︑その内容は当然書面の記載のみによって判定しなければならず︑手形 行為の解釈については︑手形面上の記載以外の事実にもとづいて行為者の意思を推測して︑記載を変更したり補充し たりすることは許されない﹂と説明してきた以上︑社会通念による解釈という限度を超えて︑広く﹁手形外の事実の 掛酌﹂を認めることは論理的に困難だからである︒手形行為は要式の書面行為であり︑書面に記載がない以上は︑そ もそも︑そのような意思表示はおよそ存在していないということになるはずなのである︒

( 1 1 )

上柳克郎﹁手形金額の重複記載と手形行為の解釈﹂金融法務事情︱︱九二号一0頁︑一五頁以下においては︑次のように

﹁手形に記載された文言の意味を確定するに当たって︑手形外の事実を参酌することを完全に排斥することはできないで

あろう︒ことに手形に記載された人名・地名などがどの人または地域ないし地点を意味するかを確定するためには︑ある人 または地域ないし地点がある名称で呼ばれているという手形外の事実を考慮せざるを得ない︒しかし︑⁝⁝手形の記載を信 頼した手形譲受人を保護する必要があること……を考慮すると、•…

. .  

﹃一般人が知りまたは知りうべかりし事実のみを参酌

することが許される﹄という限定が⁝⁝付け加えられなければならない︒⁝⁝しかし︑さらに進んで考えると︑右のような 限定は︑手形所持人に不当に不利益を甘受させないために加えられるのであるから︑一般人が知りまたは知りうべかりし事 実以外のものでも︑手形の文言を変更補充することにならない限り︑手形所持人がこれらを立証してそのような事実を参酌 した解釈を︑その事実の関係者である手形行為者に対して主張することは許される︵手形行為者の側から︑このような解釈

にもとづく主張を善意の手形譲受人に対してすることは許されないが︶と解すべきではなかろうか︵手形行為者の側からも︑手形譲受人が悪意であることを立証したうえで︑そのような解釈を主張することは許されることになる︶﹂︒

なお︑全く同様の見解は︑すでに上柳克郎・会社法・手形法論集︵有斐閣昭和五五︶三五八頁においてすでに説かれて

いる︒本文の引用は︑後者によっている︒

( 1 2 )

0頁などの手形客観解釈の説明参照︒

(21)

手形行為についての覚書

( 1 3 )

ここで上柳説として取り上げるのは︑主として︑上柳克郎﹁手形の文言性﹂会社法・手形法論集︵有斐閣昭和五五︶三

四四頁以下所収︑とくに三五八頁および上柳克郎﹁手形金額の重複記載と手形行為の解釈﹂金融法務事情︱︱九二号一0

であるが︑ほかに上柳克郎・手形小切手判例百選︹第三版︺六六頁においても同じ方向の見解がみられる︒

( 1 4 )

上柳克郎・手形小切手判例百選︹第三版︺六六頁︒(15)大判大正一0•六・八民録二七輯――一九頁、一―ニ―頁以下によれば、「文言ノ意義ヲ変更又ハ補充スルニ非サル限リ

ハ裁判所ハ諸般ノ証拠二依リ之ヲ判定シ得ル﹂とする︒また︑﹁手形面上の記載自体を解釈するについては︑必ずしも表現

された文字に拘泥すべきものではなく︑一般の社会通念に従って記載の意味内容を合理的に判断しなければならない﹂︵鈴

1 1前田・前掲書︱ニー頁︶とされるのであり︑記載文言を社会通念に従って合理的に解釈すべきことは︑むしろ手形客観

解釈の当然の帰結であるといってよいであろう︵この点に関して︑本稿一︑②三および福瀧・教材現代手形法学五0頁参

照︶︒手形の記載文言による手形行為の解釈といっても︑記載文言︵文字による表現︶は社会通念を前提にするものである

から社会通念によって解釈すべきは当然だからである︒

( 1 6 )

前註

( 1 1 )

( 1 7 )

上柳・会社法・手形法論集三五0

頁 ︒

( 1 8 )

上柳・会社法・手形法論集三五七頁以下︒

( 1 9 )

鈴木

1 1前田・︱ニニ頁註七参照︒

( 2 0 )

福瀧・教材現代手形法学五一頁参照︒

( 2 1 )

これは︑主として︑上柳克郎﹁手形金額の重複記載と手形行為の解釈﹂金融法務事情︱︱九二号一0頁において取り上げ

られている事例を紹介するものである︒

( 2 2 )

上柳・金融法務事情一六頁︒

( 2 3 )

上柳・金融法務事情一六頁︒

( 2 4 )

上柳・金融法務事情一四頁および一六頁︒

( 2 5 )

上柳・会社法・手形法論集三五八頁参照︒

( 2 6 )

上柳・会社法・手形法論集三五八頁参照︒

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