トップ駆動型のナレッジ・マネジメント
−ミクロプロセスとマクロプロセスの統合−
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科
藤 田 東久夫
トップ駆動型のナレッジ・マネジメント
−ミクロプロセスとマクロプロセスの統合−
2005 年度 博士学位論文
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科
藤 田 東久夫
序章
0.1 研究の背景 0.2 研究の目的 0.3 研究の方法 0.4 論文の構成
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1 1 3 4 5
第1章 先行研究の検討 1.1 要旨
1.2 ナレッジ・マネジメントの定義
1.3 ナレッジ・マネジメントにおける知識創造型と業務遂行型 1.3.1 知識創造型のナレッジ・マネジメント
1.3.2 業務遂行型のナレッジ・マネジメント 1.4 ミドル要不要論
1.4.1 ミドル不要論の業務遂行型 1.4.2 ミドル必要論の知識創造型 1.4.3 ミドル要不要論への所見
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8 8 9 12 12 21 27 27 29 31
第2章 ナレッジ・マネジメントの実践に関する考え方と現状 2.1 要旨
2.2 ナレッジ・マネジメントの実践に関する考え方 2.2.1 知識創造企業の実践に関する考え方 2.2.2 業務遂行型の実践に関する考え方 2.3 ナレッジ・マネジメント・ツールの現状
2.3.1 グループウェアの登場
2.3.2 クライアントサーバー型からWebサーバー型へ 2.3.3 ナレッジ・マネジメント支援ソフトの生成 2.4 ナレッジ・マネジメントの実践に関する現状
2.4.1 業務遂行型の東京三菱銀行と知識創造型のエーザイ 2.4.2 その他のナレッジ・マネジメントの現状
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37 37 38 40 44 49 50 51 52 55 56 62
第3章 トップの意思決定と経営戦略 3.1 要旨
3.2 「リーダーシップ戦略論」の生成 3.2.1 経営戦略論概観
3.2.2 リーダーシップ戦略論 3.3 トップの意思決定と経営戦略
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81 81 82 84 92 105
3.3.1 トップの意思決定 3.3.2 トップの意思決定と知識
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105 110
第4章 研究への問いと予備的考察 4.1 要旨
4.2 トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの定義
4.3 六花亭製菓、マンダム、サトーの予備的な事例調査と概要 4.4 3つの研究への問い
4.4.1 研究への問い1 4.4.2 研究への問い2 4.4.3 研究への問い3
4.5 研究への問いに対する予備的考察 4.5.1 研究への問い1に対する予備的考察 4.5.2 研究への問い2に対する予備的考察 4.5.3 研究への問い3に対する予備的考察 4.5.4 研究への問いと予備的考察の相互関係 4.6 事例対象企業の選定
4.7 事例研究の方法 4.7.1 定性的な研究方法 4.7.2 定量的な研究方法
4.7.3 定性的研究と定量的研究の統合
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116 116 117 118 125 126 128 129 129 130 130 132 133 135 135 135 136 136
第5章 トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの定性的研究 5.1 要旨
5.2 サトーの三行提報制度 5.2.1 三行提報の現状 5.2.2 三行提報の歴史的考察
5.3 ミクロ・ナレッジとフィルタリング 5.3.1 ミクロ・ナレッジ
5.3.2 ミクロ・ナレッジとフィルタリング 5.3.3 フィルタリングと報奨制度
5.3.4 バイアスの発生と対応
5.4 トップのための創発インフラの形成 5.5 自己組織化ループの形成
5.5.1 自己言及性の転嫁 5.5.2 自己組織化
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138 138 140 140 146 151 151 156 158 161 167 174 176 176
5.6 従業員影響性に関する定性的アプローチ 5.6.1 三行提報と経営参画意識
5.6.2 三行提報と従業員能力向上
5.7 ミクロプロセスとマクロプロセスの統合
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178 179 181 184
第6章 トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの定量的研究 6.1 要旨
6.2 分析の視点と概念の導出
6.2.1 三行提報の特定化と概念の導出 6.2.2 マクロ観点に関する概念の導出 6.2.3 ミクロ観点に関する概念の導出
6.2.4 ミクロ・マクロ・ループ観点に関する概念の導出 6.2.5 理論仮説の導出
6.3 概念の定義と次元の選択・インディケータの選択と質問項目 6.3.1 ミクロ観点の質問
6.3.2 マクロ観点の質問 6.3.3 調査の実施方法 6.4 実証仮説の導出と因子分析 6.4.1 基本統計量
6.4.2 情報圧縮と実証仮説の導出 6.5 実証仮説の分析結果
6.5.1 共分散構造分析に使用する観測変数 6.5.2 分析結果
6.6 分析結果の考察
6.6.1 マクロ観点からの分析結果の考察 6.6.2 ミクロ観点からの分析結果の考察
6.6.3 ミクロ・マクロ・ループ観点からの分析結果の考察 6.6.4 多母集団同時分析の結果と考察
6.6.5 毎日提出の有効性検証
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189 189 191 191 193 194 195 195 196 196 200 203 203 203 204 210 210 212 216 216 216 217 218 223
第7章 トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの構図 7.1 定性的研究と定量的研究の統合
7.2 トップ駆動型のナレッジ・マネジメントによるミクロプロセス とマクロプロセスの統合
7.2.1 トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの仮説モデル 7.2.2 仮説モデルの成立要件
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224 224 226
226 227
終章 本研究の結論と含意 8.1 結論
8.2 ディスカッション 8.3 本研究の含意 8.4 今後の課題
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229 229 230 234 236
謝辞
附属資料:質問票調査補足資料 回答者属性
ミクロ有効性、マクロ有効性、その他の追加質問項目のスコアグラフ 入社形態におけるミクロ有効性の比較
入社形態におけるマクロ有効性の比較
入社形態におけるその他の追加質問項目の比較
入社形態と「和」の促進システム概念の因子におけるポジショニング 入社形態と創発インフラ概念の因子におけるポジショニング
入社形態とコミットメント概念の因子におけるポジショニング 入社形態と創発パワー概念の因子におけるポジショニング
入社形態と能力向上特性概念の因子におけるポジショニング 各因子における入社形態のレーダーチャート
新卒入社の各因子における因子スコアの度合 中途入社の各因子における因子スコアの度合 各部門におけるミクロ有効性の比較
各部門におけるマクロ有効性の比較
各部門におけるその他の追加質問項目の比較
各部門と「和」の促進システム概念の因子におけるポジショニング 各部門と創発インフラ概念の因子におけるポジショニング
各部門とコミットメント概念の因子におけるポジショニング 各部門と創発パワー概念の因子におけるポジショニング 各部門と能力向上特性概念の因子におけるポジショニング
各因子における各部門のレーダーチャート 直轄部門の各因子における因子スコアの度合 経営企画本部の各因子における因子スコアの度合
海外の各因子における因子スコアの度合 開発本部の各因子における因子スコアの度合
シール・ラベル本部の各因子における因子スコアの度合
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営業本部の各因子における因子スコアの度合 CS本部の各因子における因子スコアの度合 物流本部の各因子における因子スコアの度合 Q39(毎日提出)とミクロ有効性とのクロス集計 Q39(毎日提出)とマクロ有効性とのクロス集計
Q39(毎日提出)と組織コミットメント因子とのクロス集計
Q39(毎日提出)と創発パワー因子とのクロス集計 Q39(毎日提出)と能力特性因子とのクロス集計 創発カタルシス因子とミクロ有効性とのクロス集計 創発カタルシス因子とマクロ有効性とのクロス集計 開発本部内の内訳
開発本部内の各概念の因子におけるポジショニング 開発本部内の各因子における各部門のレーダーチャート Q38(トップが読むから)とミクロ有効性とのクロス集計 Q38(トップが読むから)とマクロ有効性とのクロス集計 Q38とQ65(ファジー創発パワー因子)とのクロス集計 Q38とQ66(ファジー創発パワー因子)とのクロス集計
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図表目次
序章 図表0-1 図表0-2
研究の方法 論文の構成
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4 6
第1章 図表1-1 図表1-2 図表1-3 図表1-4 図表1-5 図表1-6 図表1-7 図表1-8 図表1-9 図表1-10 図表1-11 図表1-12 図表1-13 図表1-14 図表1-15 図表1-16 図表1-17 図表1-18
ナレッジのピラミッド The hierarchy of knowledge
狭義のナレッジ・マネジメントの4つのタイプ
知識経営のモデル:知識創造プロセスと知識資産活用の創造的循環 コモン・ナレッジを活用する
セルフオーガニゼーションのモデル 4つの知識変換モード
Ba and Knowledge Conversion 経営管理の基本的課題
ネットワーク・マネジメントの構造 レオナルド・バートンの知識創造活動の図
場における個と全体を結ぶミクロ・マクロ・ループ 多重成員性の学習サイクル
業務遂行型の組織図 知識創造型の組織図 T型マネジャーのイメージ
知識創造型と業務遂行型の組織とミドル 本研究と先行研究の関係図
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9 10 12 13 14 15 16 17 20 20 21 23 26 29 30 30 31 33
第2章 図表2-1 図表2-2 図表2-3 図表2-4 図表2-5 図表2-6 図表2-7
ナレッジ・アクティビストの理想像:スキルリスト ナレッジ・マネジメント関連記事数推移
Webサーバー型グループウェアの図
グループウェアとナレッジ・マネジメント支援ソフト 東京三菱銀行のポータルサイトの構成
エーザイの顧客知による知識創造
ナレッジ・マネジメントの現状一覧表(1) ナレッジ・マネジメントの現状一覧表(2) ナレッジ・マネジメントの現状一覧表(3)
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42 48 52 54 57 60 76 77 78
第3章 図表3-1 図表3-2 図表3-3 図表3-4 図表3-5 図表3-6 図表3-7 図表3-8 図表3-9 図表3-10 図表3-11 図表3-12 図表3-13 図表3-14 図表3-15 図表3-16
企業経営の仕組み
Paradigms of strategy: Salient characteristics 市場配置観、資源ベース企業、知識ベース企業の比較 計画的および創発的戦略
マネジャーの伝説と事実 戦略論分類
経営戦略論とリーダーシップ戦略論 リーダーシップ機能とマネジメント機能 機能バランスによる企業の成長
統合ベクトル的成長戦略 リーダーシップ機能の確立 トップの意思決定と経営戦略 客観満足(他者満足)の調和 主観満足(自己満足)の調和
客観・主観満足の調和を目指す意思決定 戦略形成スパイラル・モデル
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84 86 87 92 94 95 96 98 100 101 103 107 108 109 110 111
第4章 図表4-1 図表4-2 図表4-3 図表4-4 図表4-5 図表4-6
研究への問いと予備的考察の相互関係 六花亭製菓の1人1日1情報
マンダムの情報カード
サトーの「三行提報」の入力画面
3社のトップ駆動型のナレッジ・マネジメント概要比較 研究への問いと予備的考察の関係
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116 120 123 124 125 134
第5章 図表5-1 図表5-2 図表5-3 図表5-4 図表5-5 図表5-6 図表5-7 図表5-8
サトーの三行提報の入力画面 個人別・評価確認画面 評価内容確認画面
サトーの三行提報のシステム・フロー トップ提出用の三行提報の形態 トップのリアクション例 関係部署からのリアクション例 1987年当時の三行提報返却要項(1) 1987年当時の三行提報返却要項(2)
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140 141 142 144 145 145 145 149 150
図表5-9 図表5-10 図表5-11 図表5-12 図表5-13 図表5-14 図表5-15 図表5-16 図表5-17 図表5-18 図表5-19 図表5-20 図表5-21 図表5-22 図表5-23 図表5-24
加点主義による提出率の上昇 六花亭製菓の1人1日1情報 マンダムの情報カード
ミクロ・ナレッジにおける認知しやすい具体性・能動性 フィルタリング・チームの選別基準
フィルタリング・チームの構成 三行提報の報奨
ミクロ・ナレッジ、フィルタリング、報奨制度の関係図 フィルタリング・チームの構成
バイアスの発生と対応
データベースとフィルタリングのジャンル別比較 データベースとフィルタリングのキーワード検索比較
「個」と「全体」の自己言及性の語尾例
フィルタリング・チームと部門責任者の自己言及性差異 自己組織化によるミクロプロセスとマクロプロセスの統合 ミクロプロセスとマクロプロセスの関係図
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第6章 図表6-1 図表6-2 図表6-3 図表6-4 図表6-5 図表6-6 図表6-7 図表6-8 図表6-9 図表6-10 図表6-11 図表6-12 図表6-13 図表6-14 図表6-15 図表6-16 図表6-17 図表6-18
ミクロ・マクロ・ループ概念図 ミクロ・マクロ関係図
組織コミットメントのインディケータ 創発パワーのインディケータ
能力向上特性のインディケータ
「和」の促進システムのインディケータ 創発インフラ促進システムのインディケータ 組織ルーチン促進システムのインディケータ 基本統計量
「和」の促進システム概念の因子分析結果 創発インフラ促進システム概念の因子分析結果 組織コミットメント概念の因子分析結果 創発パワー概念の因子分析結果
能力向上特性概念の因子分析結果 マクロ観点の観測変数
ミクロ観点の観測変数 マクロ仮説①②③の分析結果 ミクロ仮説①の分析結果
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図表6-19 図表6-20 図表6-21 図表6-22 図表6-23 図表6-24 図表6-25 図表6-26 図表6-27 図表6-28 図表6-29
ミクロ仮説②の分析結果 ミクロ仮説③の分析結果
ミクロ・マクロ・ループ仮説①の分析結果 ミクロ・マクロ・ループ仮説②の分析結果 ミクロ・マクロ・ループ仮説③の分析結果 組織コミットメントと経営参画意識
組織コミットメントにおける多母集団同時分析結果 創発パワーにおける多母集団同時分析結果
能力向上特性における多母集団同時分析結果 多母集団同時分析結果
追加質問項目の結果
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第7章 図表7-1 図表7-2 図表7-3 図表7-4
定性的・定量的研究の用語関連性 定性的・定量的ミクロ・マクロ・ループ 定性的研究と定量的研究の統合
トップ駆動型のナレッジ・マネジメントによるミクロプロセスと マクロプロセスの統合
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224 225 225 227
第8章 図表8-1 図表8-2
ミクロプロセスとマクロプロセスの統合モデルのブロック図 ミクロ・マクロプロセスの位置づけ
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230 233
序章
0.1 研究の背景
かつては欧米を中心に、そして最近では日本においてもベンチャー企業論が盛んになってきた。
大企業中心に経済をリードし、中小企業がそのすき間を埋めるという図式だけでは、経済の安定 した成長は望めなくなってきたことがその背景にあろう。継続的・安定的な経済成長を果たすた めには、ミクロの経済単位である企業が技術革新、市場創造、雇用創出の主たる担い手にならな くてはならない。だがそのリード役が必ずしも既存の大企業ではないのではないか、ということ である。
(1)大企業はまずもって環境適応し、持続的な成長を堅持する中で、技術革新、市場創造、雇用 創出の重責を果たして行くことが求められる。しかしながら、
(2)大企業はその重要な担い手ではあるものの、自己の利益と存続を優先する場合は往々にして 技術・市場への投資を控え、雇用を犠牲にすることがある。それを踏まえるならば、
(3)新たな担い手であるベンチャー企業(新興起業)を育成し、スタートアップ期、急成長期、
安定成長期を経て新成長期へと向かわしめることが何よりも増して有効になる 1) 。
このような考えから、ベンチャーの育成とその成長に注目が集っている、ということではない だろうか。1990年代初頭、ホストコンピューターを中心に事業展開していた巨人IBMは、パー ソナル・コンピューター化やサービス化に乗り後れ苦境に陥った。その打開策のひとつとして打 ち出された人員削減は、全世界で15万人とも17万人ともいわれている。
一方、ベンチャーとして起業されたインテルやマイクロソフトはその間に急成長し、雇用につ いても大きな役割を果たした。そのインテルやマイクロソフトも今やその浮沈を注目される巨大 企業に成長している。したがって常に新たなベンチャーが生成され、その多くが大企業に成長し て行く絶え間ないサイクルが求められる。ベンチャー企業が次々にスタートアップするだけでな く、安定成長期を経て新成長期へと向うこと、換言すれば、衰退してしまう以上に新成長期に向 うベンチャーがより多く排出されることが望まれるのである。そして、ベンチャー企業が安定成 長期を超えて新成長期に向かう道というのは大企業へと向かう道である。大企業になれば技術・
市場・雇用に対する責務もより大きく果たせるようになる。ここに至って(1)に述べた大企業の 環境適応と文脈は同じものとなってくる。しかし、ベンチャー企業が大企業へと成長する道は険 しい。資金、人材、パートナー、特許、他社参入に関する様々な障壁が待ち構える。
本研究はベンチャー企業論を扱うものではない。たまたま筆者が経営する株式会社サトー 2) が 松田(1998)のいう「ベンチャー企業の時代」を終え「次世代の経営者」に引き継がれて大企業
1) 早稲田大学アントレプレヌール研究会では、ベンチャー企業の成長ステージをスタートアップ期、急成長期の 後、経営基盤確立期を経て新成長期へ向う、としている。松田修一監修、「ベンチャー企業の経営と支援」、日 本経済新聞社、1994.
2) 株式会社サトー:情報処理機械製造業(東証一部コード6287)、東京都渋谷区本社。http://www.sato.co.jp/
へと脱皮する中で 3) 、成長を持続できた要因のひとつに本研究の主題である「トップ駆動型のナ レッジ・マネジメント」が存在したからではないかという問題意識が芽生えたのである。そして、
この経営手法は研究するに値するのではないかと思い至った次第である。
トップ駆動型のナレッジ・マネジメントとは、トップが従業員ひとりひとりから日常不断にナ レッジを吸収し経営に反映しようというものである。トップも末端の従業員に対して直接リアク ションする。これを大企業にも適用可能なものとするには、中小企業のときから実践し続けて大 企業に成長して行くのが早道であろう。サトーはそのような事例である。しかし、サトーは大企 業といっても連結従業員 3,000 人弱の中堅企業である。また本研究でとり上げようとするナレッ ジ・マネジメントは、その中の1,500 人で実施しているに過ぎない。したがって、すべての大企 業に適用するというのは早計である。ただ、中小企業から成長して今日もなお幾多の改良を加え ながら「トップ駆動型のナレッジ・マネジメント」を継続しているということに、ある程度の大 企業への適用は可能ではないかとの示唆が得られる。そこにどのような工夫がなされているのか、
経営に有効に機能しているのかなどの問いが浮かぶ。これらの問いを解明して行くことにより、
ベンチャー企業が「死の谷」「ダーウィンの海」を乗り越えて大企業に成長するための示唆が得ら れるのではないか。更には、1,500人〜3,000人程度の既存大企業においても適用可能でかつ経営 に有効なものとの含意も得られるのではないか。
CSR(企業の社会的責任)が企業評価の重要項目になりつつある今日、社会の意に反して企業 の不祥事が多発している。トップ自ら陣頭に立って粉飾決算を指揮するのは論外として、大方の 大企業の不祥事は、トップの実情知らずを物語っている。定期点検の必要性を無視した原発事故、
運転手への過酷な教育システムを放置していた鉄道会社、製造工程上の不良を知らなかった乳業 トップ、牛肉の偽装事件、現場のモラール低下を招いた航空会社トップ、相次ぐリコール隠し、
自らの説明不足を逆手にとった保険金の不払いなど、これらの多くは引責辞任であろう。トップ が末端の情報に日頃から接しアクションをとることができれば、回避できたのではないだろうか。
少なくとも引責ではなく、自ら責任をとることができたのではないかと思われる。このように考 えると、末端の情報にトップはどのように接するべきなのだろうか、という疑問が湧いてくる。
また、大企業では中間経営層が上申する企画書や稟議書、取締役会や経営会議での議案に対し 是非を裁可することがトップの役割行動だといわれる。果たしてそうだろうか。中間経営層が整 理・集約・加工した情報に対し、トップが独自の意思決定や提言をするには、やはりトップも末 端からの情報を知識のインフラとして持つ必要があるのではないか。このことは、トップとミド ルがベクトルを合わせるためにも必要なことのように思われる。
本研究の背景には、経営のトップとナレッジ・マネジメントの関係への問いもある。ナレッジ・
マネジメントはこれまで一般的にはミドル(中間管理層)やナレッジ・ワーカー(知識労働者)
主体に実践されるものとして描かれてきた。しかし、経営トップがナレッジ・マネジメントに積 極的に関与することによって、全従業員との創発が生まれ、経営により一層有効に機能するよう になるのではないだろうか。また経営トップが直接関与することは、従業員へ何らかの影響を与
3) 松田修一、「ベンチャー企業」、日本経済新聞社、1998、p.79.
えるのではないだろうか。
このような研究への問いを背景として、トップ駆動型のナレッジ・マネジメントを解明し、ベ ンチャー企業のより一層の成長や大企業の持続的な成長に資するような研究を試みたいと考える。
0.2 研究の目的
本研究の目的は、一部の大企業に見られる特異なナレッジ・マネジメント形態である「トップ 駆動型のナレッジ・マネジメント」の機能を解明し、何らかの仮説モデルを構築することにある。
その実証については、個別企業の経営実践に委ねる考えである。
P.ドラッカーによる知識社会(経済)の提唱以来、知識は人・物・金にも勝る重要な経営資源 と考えられるようになった 4) 。重要な経営資源であるからには、知識は有効にマネジメントされ なければならない。ここからナレッジ・マネジメントという用語が用いられるようになり、今日 では恰もかつての流行語だったかのように自然に企業の経営の中に定着するようになった。企業 によってナレッジ・マネジメントの導入効果は未だ定まらないとしても、少なくとも知識が重要 テーマであるということは定着したように思われる。
今日ナレッジ・マネジメントの事例は枚挙に暇がない。その類型は知識資産をレポジトリー(貯 蔵庫)としてストックしておき、必要の都度共有し活用する従来型のものから、情報技術の一層 の進展によるWebサーバー方式、更にはブログ(BLOG)形式ともいえるフロー型のものまで多 種多様になってきた 5) 。また、ナレッジ・マネジメントの実践主体に着目すると、その大半のも のは一般従業員(以下ロワー)や中間管理層(以下ミドル)であって、つまりドラッカーの表現 でいえばナレッジ・ワーカーであって、執行役員(以下ハイヤー)はCKO(知識統括役員)以外 中心的存在としては関与していない。その CKO もナレッジ・マネジメントのシステムを立ち上 げ、運用を軌道に乗せる責任者であって、ナレッジ・マネジメントの実践主体として加わってい ない。一方、経営トップ(以下トップ)は、ナレッジ・マネジメントを奨励し、システム導入に 関する予算承認をもって正当化する重要な存在ではあるが、実践主体としてはハイヤーよりも更 に遠い存在になっている。
またもし、トップがナレッジ・マネジメントの駆動主体となって直接末端からのナレッジにイ ンタラクティブに接することが可能になるなら、末端をミクロ、トップをマクロとしたミクロ・
マクロのフィードバック・ループが全企業レベルで構成されると想定される。
しかしながら、ナレッジ・マネジメントの一般的状況の中で、トップが中心的な存在として運 用されているナレッジ・マネジメントの事例は少ない。トップが末端の従業員から直接情報や知 識を得て、それをまた組織に還流して行くようなトップ駆動の仕組みは少ないのである。このよ うな仕組みは、他のナレッジ・マネジメントと多くの共通点を持ちながらも、トップが駆動する がゆえの多くの特性を有していると思われる。これをトップ駆動型のナレッジ・マネジメントと
4)P.F.ドラッカー著、上田惇生他訳、「ポスト資本主義社会」、ダイヤモンド社、1993、pp.91-92.
5) ブログ(BLOG)とはWeblogの略語であり、個人のホームページが興味のキーワードによって縦横にリンク されていくLog形式のネット。(KM Report、日本ナレッジ・マネジメント学会、2004、VOL.16、p.3.によ る。)
呼び、その本質を明らかにして経営実践に提唱することができるような仮説的なモデルを構築す ることを本研究の目的とする。
0.3 研究の方法
本研究は、ナレッジ・マネジメントの先行研究を検討した後、ナレッジ・マネジメントの実践 に関する現状を調査する。その中でトップ駆動型と思われる事例を求め、見出した事例に対し予 備的な調査を行う。
予備的な調査によってトップ駆動型のナレッジ・マネジメントの共通項を求め、その特定化か ら「研究への問い」を設定し、予備的考察を行う。その後、事例対象企業を定めてより一層掘り 下げた事例研究を行い、予備的考察を仮説へと導く。事例研究は定性的な研究と定量的な研究の 2つの方法をとり、その後この2つの研究を統合して行く。
予備的な調査
事例対象企業の選定 問いと予備的考察の設定
事例研究
研究1: 定性的研究
・内部資料による現状と歴史的経緯の調査
・インタビューによる実状調査
・参与観察
・仮説の導出 研究2: 定量的研究
・従業員に対する質問票調査
・回答データの共分散構造分析
・結果の考察(仮説実証)
研究1、2 の統合
仮説モデルの構築 予備的な調査
事例対象企業の選定 問いと予備的考察の設定
事例研究
研究1: 定性的研究
・内部資料による現状と歴史的経緯の調査
・インタビューによる実状調査
・参与観察
・仮説の導出 研究2: 定量的研究
・従業員に対する質問票調査
・回答データの共分散構造分析
・結果の考察(仮説実証)
研究1、2 の統合
仮説モデルの構築
図表0-1 研究の方法
(筆者作成)
ここでいう「予備的考察」とは、研究への問いから導き出される事前仮説のようなもので、予 備的に行う事例調査から導出する。これを予備的考察とせずに仮説として位置づけ、事例研究の 分析結果によって実証するという形も考えられるが、本研究では次の 2つの理由により予備的考 察から仮説を導出しモデルを構築する。
理由1: 実証は個別企業の経営実践にあると考え、そのための仮説の提唱こそ有意義と考える。
経営実践による実証によって仮説は様々な形で変化すると思われるからである。
理由2: ベストプラクティスを事例対象企業にとり上げたため、それを掘り下げて得られた成果 は一般化する以前の仮説として捉えた方が今後の研究につながりやすいと考えたから である。
個性的なベストプラクティスが研究対象となることから、仮説にとどめることにはなるが、M.
ウェーバー(1922)がいうように、それはそれで充分に価値があることだと考える。
考察された個性的実在の僅少なる部分が、価値理念に制約された我々の関心によって色 彩づけられ、それのみが価値理念との結合に基づいて我々にとって有用な諸関係を呈示す るのゆえをもって、我々に対して意義を有する 6) 。
0.4 論文の構成
本研究は序章、終章を含む全9章で構成される(図表0-2)。
序章に続く第1章では、「先行研究の検討」を行う。ナレッジ・マネジメントは経営手法の一形 態を示す言葉であるがゆえに、この表題で論じられる文献には実務的な指南書が多い。そこでナ レッジ・マネジメントと表現しないものについても、ナレッジや情報、知識一般と経営の関係に 置き換えて、先行研究を見て行く。先行研究を「知識創造型」「業務遂行型」あるいは「ミドル必 要論」「ミドル不要論」などに分類して論じて行く。
第2章では、「ナレッジ・マネジメントの実践に関する考え方と現状」を概観する。ナレッジ・
マネジメントの実践に関する公開事例情報や、セミナー、シンポジウム、電話インタビューなど から情報を収集し、現状の把握につとめる。関連の情報通信技術やソフトウェアについても概観 して行く。
第3章では、トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの駆動主体であるトップについて、「トッ プの意思決定と経営戦略」の関係で論じる。これによりトップ駆動型のナレッジ・マネジメント が経営に有効に機能するかを間接的に論じることになり、事例研究の理解を深めることができる。
第4章では、「研究への問いと予備的考察」を行う。トップ駆動型3社の事例調査を実施した上 で、トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの共通項を求め、研究への問いと予備的考察を設定 する。また、事例対象企業、研究の方法を定める。
6)M.ウェーバー、富永祐治、立野保男訳、「社会科学方法論」、岩波書店、1936、pp.51-52.
第1章
先行研究の検討
第2章
ナレッジ・マネジメントの実践 に関する現状
第3章
トップの意思決定と経営戦略 第4章
研究への問いと予備的考察
第5章
トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの定性的研究
終章
本研究の結果と含意
序 章
第6章
トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの定量的研究 先行研究
の把握
予備的考 察の導出 と方法
研究1
研究2
実践の 現状把握
トップの役 割の理解
定性的研究
定量的研究
第7章
トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの構図 研究1と2
の統合 第1章
先行研究の検討
第2章
ナレッジ・マネジメントの実践 に関する現状
第3章
トップの意思決定と経営戦略 第4章
研究への問いと予備的考察
第5章
トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの定性的研究
終章
本研究の結果と含意
序 章
第6章
トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの定量的研究 先行研究
の把握
予備的考 察の導出 と方法
研究1
研究2
実践の 現状把握
トップの役 割の理解
定性的研究
定量的研究
第7章
トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの構図 研究1と2
の統合
図表0-2 論文の構成(筆者作成)
第5章では、本研究の主題である「トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの定性的研究」を 行う。事例研究から、トップと従業員ひとりひとりからのナレッジの関係やフィルタリング、報 奨制度などを見る。また、トップの創発インフラ、従業員の経営参画意識や能力特性の向上、ミ クロとマクロの自己組織化のループなどの視点から検討する。ここでは定性的な研究から仮説を 導く。
第6章では、「トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの定量的研究」を行う。定量的な研究に おいては、従業員への質問票(アンケート)調査を実施する。質問票調査の回答データを共分散 構造分析し、ミクロ・マクロの両観点より仮説実証する。
第7章では、「トップ駆動型のナレッジ・マネジメントの構図」を描く。定性的研究と定量的研 究の成果を統合し、トップ駆動型のナレッジ・マネジメントによるミクロプロセスとマクロプロ セスの統合モデルを構築する。
終章では、「本研究の結論と含意」を述べて総括する。
序章 参考文献
[1] Drucker,P.F. “POST-CAPITALIST SOCIETY,” Harper Business, 1993.(P.F.ドラッカー 著、上田惇生、佐々木実智男、田代正美訳、「ポスト資本主義社会」、ダイヤモンド社、1993.) [2] M.ウェーバー、富永祐治、立野保男訳、「社会科学方法論」、岩波書店、1936.
[3] 松田修一監修、「ベンチャー企業の経営と支援」、日本経済新聞社、1994.
[4] 松田修一著、「ベンチャー企業」、日本経済新聞社、1998.
第 1 章 先行研究の検討 1.1 要旨
本章ではまず、ナレッジ・マネジメントの定義を先行研究との比較で行う。そして詳細に定義 する意義を見出しにくいので、簡単に「情報や知識などを経営に役立てる手法」とする。
また、先行研究を知識創造型と業務遂行型に分類し、前者を理論的なもの、後者を実践的なも のとして捉え、両者は対立的ではなく、相互補完的なものと考える。野中らが主張する知識創造 理論をベースとする知識創造型は、知識資産を共有、移転、活用するだけのものとは異なり、ど う創造するのかに焦点をあてている。そしてトップを脇役、ミドルを主役にして知識創造のスパ イラルを増幅して行くと、会社経営は望ましい方向に進むとされる。しかし、知識資産の共有、
移転、活用するだけの場合であってもその過程で知識は創造されるはずである。また、日本型製 品開発における知識創造のモデルから全社経営を規定できると敷衍する野中らの主張には無理が あると考える。野中も後に認めているように、「知識創造企業」でモデル・ケースとして扱った会 社のいくつかは、その後苦境に陥っている。
野中らは、組織学習や資源ベース・アプローチ(コア・コンピタンス、ダイナミック・ケイパ ビリティー)は知識の生成過程を論じていないとするが、それは創造された知識をどう経営戦略 に活かして行くかの議論であって次元の異なるものである。ミドル発の知識創造を演繹しすぎる と次元の異なる戦略論に至ってしまうのではないか。それよりは寺本やD.レオナルド・バートン のように、内なる知識創造や活用の流れと、外界において資源を戦略的に活用しようとする外の 流れを分け、両者をネットワーク・マネジメントしようと考える方が現実的であろう。これなら、
トップもミドルもロワーもそれぞれの役割において経営に参画できることになる。
他方、業務遂行型は、今日的な情報通信技術の進展をベースに生成したものである。その理論 的な背景はE.ウェンガーらのCommunities of Practice (実践共同体)にある。伊丹や野中らの 主張する「場」の効用は認めるが、情報通信技術の進展による仮想的な場においても、形式知の みならず暗黙知も参画者共通の文脈や背景をもとに伝達することができると考えられる。そして これら業務遂行型の実践主体は階層のない、知識を契機とした仲間たちである。彼らは P.ドラッ カーのナレッジ・ワーカーに相当する。
P.ドラッカーの提唱する情報化組織はミドルを不要とするナレッジ・ワーカーの組織であり、
野中らの主張するミドル主体論とは異なる。前者は文鎮型組織、後者はピラミッド型組織を想定 しており、ミドルが必要か不要かの議論ともいえる。これを議論して行くと、情報通信技術の進 展によりナレッジ系にはミドルは不要となったが、アクション系(意思決定、執行)には依然と してミドルが必要ということができる。
いずれにしても知識創造型も業務遂行型も、トップがナレッジ・マネジメントの主体であると は論じていない。むしろトップが打ち出すビジョンや目標を前提に、それをどう具現化するかに 焦点をあてているものといえる。ロワーについては更に論じられていない。ナレッジ・マネジメ ントの現状についての調査は次章で行う。トップを駆動主体とするナレッジ・マネジメントの事 例が少ないことを見る。
1.2 ナレッジ・マネジメントの定義
学会・実業会において、ナレッジ・マネジメントという用語の「マネジメント」部分について は(ナレッジを)経営に活かす手法ということで大同小異である。他方「ナレッジ」については 様々に論じられる。だがこれについても後述するように結局のところは異口同音のように思える。
つまりナレッジとは、データ、情報、知識、知恵などのあらゆる情報や知識に関連するものを総 称したものであるということである。
日本ナレッジ・マネジメント学会の専務理事である高梨は図表 1-1 のようなピラミッド図を描 き、これら情報、知識に関わるすべてのものを総称して「知」と呼ぶことを提唱する1) 。
G 知恵Wisdom 知識Knowledge 情報Information
データ Data G 知恵Wisdom 知識Knowledge 情報Information
データ Data
図表1-1 ナレッジのピラミッド
(出典:高梨1) )
アーサーアンダーセン(1999)も類似の分類を行い、「データ」とは素材で、「情報」とはデー タをもとに目的をもって整理加工したメッセージ性のあるものとし、「知識」はその情報を分析し 洞察を加えたものとする。更に「知恵」は「知識」をもとに個人のもつ応用力を用いて価値を創 造する源泉になるものとしている。そしてそれらの総称を「ナレッジ」としている2) 。知識社会 の到来を提唱したドラッカー(1988)は、情報とはデータに関連性と目的性を付与したもので、
データを情報に変換するために知識が必要だとしている3) 。知識は情報を導き出すための手段と されている。ノキアの人事担当役員だったP.サイダンマーンラッカ(2002)は「知識」を、情報 を組み合わせて意思決定を有効ならしめるためのものとし、その意思決定を正しく導くものを「知 性(Intelligence)」、更に学習を深めると「知恵(Wisdom)」に至るとした(図表1-2)4) 。
他方、ナレッジ・マネジメントをより哲学的に解明しようとした野中(1996)は、知識を「正 当化された真なる信念(Justified true belief)」とし、これまでのナレッジの定義とは一線を画し
1) 高梨智弘、KM Report、日本ナレッジ・マネジメント学会、2002 JULY、VOL.11、p.10.
2) アーサーアンダーセン・ビジネスコンサルティング著、「ナレッジ・マネジメント」、東洋経済新報社、1999、
pp.34-35.
3)Drucker,P.F. “THE COMING OG THE NEW ORGANIZATION,” Harvard Business Review, Jan-Feb 1988, p.46.
4)Sydanmaanlakka,P. “An Intelligent Organization: Integrating Performance, Competence and Knowledge Management,” Oxford :Capstone, 2002, p.143.
Data
Information
knowledge
Intelligence
Wisdom
Converting into a meaningful whole
Facilitating decision making through information linking
Making the right choices
Dealing with the values
Learning
Data
Information
knowledge
Intelligence
Wisdom
Converting into a meaningful whole
Facilitating decision making through information linking
Making the right choices
Dealing with the values
Learning
図表1-2 The hierarchy of knowledge
(出典:Sydanmaanlakka,P. 4) 、p.143 )
ている5) 。しかし、別言すればこの表現は前述のナレッジの各段階を総称したものと同義と考え ることができるのではないか。つまりデータから情報、情報から知識、知識から知恵に向かう各 段階は人や組織にとって意味が付加されて行く段階であり、正当化されて行くプロセスとみるこ とができる。
人や組織にとって意味のあるデータが情報、意味のある情報が知識、意味のある知識が知性や 知恵へと正当化されて行くそれぞれのプロセスといってよいのではないか。人や組織にとって意 味のあるものが正当化されたものということであれば、情報と呼んでも知識と呼んでも真なる信 念に変わりはないと捉えることができる。ただ、野中の場合はその定義に基づいて個人と組織に おける正当化された真なる信念=知識の創造スパイラルを理論化したのに対して、他のナレッジ に関する定義の場合は、用語を論じたことが理論の新たな展開に結びついているわけではない。
データ・情報・知識・知性・知恵と論じ分ける意義がその後の論述には出てこない。であるなら それらすべてを知識=ナレッジと総称してもよいだろう。ある時はデータでもよいし、知識も場 合によっては情報と称してもよいだろう。たとえば野中は「知識創造企業」に先立つ「企業進化 論」(1985)では副題を「情報、、
創造のマネジメント」(傍点筆者)にしている6) 。後の文庫版(2002)
における補論では「知識」の方が情報より価値的側面を表現しているので正しい表現だと補足し ているが、情報、、
創造という副題を変更したわけではない7) 。つまり当時では情報、今日では知識 へと呼称が変わったのであって、内容が変わったのではないことを物語っている。P.ドラッカー
(1988)も来る新しい組織を情報化組織(information-based organizations)と呼んでいる8) 。
5) 野中郁次郎、竹内弘高著、松本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996、p.85.
6) 野中郁次郎、「企業進化論:情報創造のマネジメント」、日本経済新聞社、1985.(文庫版2002)
7) 同上、文庫版2002、p.316.
8)Drucker,P.F. “THE COMING OG THE NEW ORGANIZATION,” Harvard Business Review, Jan-Feb 1988, p.45.
このようなことから、本研究ではナレッジを企業におけるデータ、情報、知識、知性、知恵な ど無形の経営資源を総称するものとし、ナレッジ・マネジメントは簡単に「情報や知識などを経 営に役立てる手法」と定義する。
たとえば、ある鉄道会社で事故を未然に防止するためにナレッジを求めたとしよう。その中に
「○○線の○○駅から○○駅の間に危険な急カーブがある」というものがあったとする。これは 我々の通念からすればひとつの「情報」である。これに「時速120km出せる直線の後に時速70km 以下に減速しなければならない急カーブがある」というデータが加わればより詳しい情報となる。
更に「危険なのでこの急カーブを平坦にしてはどうか」、それが無理なら「ダイヤを緩めてはどう か」が加わると、経済合理性を別とすれば、ひとつの「知恵」が示されているといってよいだろ う。また、「速度自動制御装置(ATS)がこういう場合有効である」というのは一般に「知識」と 呼べるものだろう。これを加えて全文を示すとひとつのナレッジのあり方は次のようになる。
○○線の○○駅から○○駅の間に、時速 120km出せる直線の後に時速70km 以下に減速 しなければならない急カーブがある。危険を感じるので、この急カーブを平坦にしてはどう か、それが無理ならダイヤを緩めてはどうか、それも無理ならATSを設置してはどうか。
この文章は、データ、情報、知識、知恵などを包含した形式知である。個人がそう心に思って いるだけならまだ暗黙知である。いずれにしても、これを経営にどう活かすかが重要なのであっ て、知識に近接した用語をひとつひとつ説明し分けることの意義は見出しにくい。したがって、
形式知、暗黙知を問わずこれらを「ナレッジ」と総称し、ナレッジを経営に活かす手法を「ナレ ッジ・マネジメント」と呼ぶことでよいと考える。
これを野中、紺野の定義と比べてみよう 9) 。野中、紺野のナレッジ・マネジメントの定義は、
まず狭義としては「知識の共有、移転、活用のプロセスから生み出される価値を最大限に発揮さ せるための環境の整備とリーダーシップ」となる。これは“何のために”が欠落しているので「手 法」を意味していると考えられる。そして両者による広義のナレッジ・マネジメントは「知識創 造、浸透(共有・移転)、活用のプロセスから生み出される価値を最大限に発揮させるための、プ ロセスのデザイン、資産の整備、環境の整備、それらを導くビジョンとリーダーシップ」となる。
狭義に比べて広義の定義には、知識を創造して行くことと、ビジョンが付加されている。しかし、
何のためか、については広義の定義にも示されていない。広義を詮じ詰めれば、「ビジョンに導か れて知識を創造すること」ということになる。これは暗黙裡に、そのようにすれば経営に有効に 機能するということを前提にしているようである。
後述するように、野中理論は「知識の創造」を中心に理論を展開するのだが、経営との結びつ きについては明瞭ではない。トップが打ち出すビジョンは曖昧で多義的な方がよいとされる。知 識創造を演繹すれば知識経営は成就される、という主旨になる。それでよいのだろうか。むしろ 知識の扱いについては定義で細かく論じるよりも「手法」で一括し、「経営に役立てる」を定義の
9) 野中郁次郎、紺野登著、「知識経営のすすめ:ナレッジ・マネジメントとその時代」、ちくま新書、1999、pp.53-54.
中央に据えた方がナレッジ・マネジメント研究の方向性はより明確になるのではないかと考える。
1.3 ナレッジ・マネジメントにおける知識創造型と業務遂行型
ナレッジ・マネジメントの先行研究は知識創造型と業務遂行型に分けて検討することが可能で ある。いずれも豊富な事例をもとに、知識をいかに経営に活かすかという視点で論旨を展開して いるが、前者はより理論的であり、後者はより実践的であるということができる。論者によって は両者を対立概念とみなす向きもあるが 10) 、前者、即ちより理論的な知識創造型のナレッジ・
マネジメントを、後者、即ちより実践的な業務遂行型のナレッジ・マネジメントの精神的な支柱 と考えれば対立概念にはならないだろう。もっと平たくいえば、前者が心構え、後者がその実践 といってもよいだろう。知識創造型の理論的な背景に基づいて業務遂行型が有効に機能すると考 えるのである。どちらがより経営に有効かを論じるのは次元の異なることのように思われる。
1.3.1 知識創造型のナレッジ・マネジメント
ナレッジ・マネジメントという用語を用いると否とに拘らず、知識や情報を絶え間なく創造し て経営に役立てていこうという視点から論じられているのが、知識創造型のナレッジ・マネジメ ントである。野中と紺野(1999)はナレッジ・マネジメントを狭義と広義に分け、組織における 知識資産を活用しようとするタイプを狭義のナレッジ・マネジメントと位置づけた(図表1-3)11)。
ベストプラクティス共有型
・成功事例の移転
・過去事例の活用
・知識レポジトリ共有と知識採掘
顧客知共有型
・顧客との知識共有
・顧客への継続的知識提供
・顧客関係マネジメント ワン・トゥ・ワンマーケティング 専門知ネット型
・グローバルな専門家の知の ネットワークによる問題解決
知的資本型
・知識資産と企業価値の直結
・潜在的知識資産からIPまで 包括的な知財戦略
増価 改善
集約連携知識資産活用手段
知識資産活用目的
ベストプラクティス共有型
・成功事例の移転
・過去事例の活用
・知識レポジトリ共有と知識採掘
顧客知共有型
・顧客との知識共有
・顧客への継続的知識提供
・顧客関係マネジメント ワン・トゥ・ワンマーケティング 専門知ネット型
・グローバルな専門家の知の ネットワークによる問題解決
知的資本型
・知識資産と企業価値の直結
・潜在的知識資産からIPまで 包括的な知財戦略
増価 改善
集約連携知識資産活用手段
知識資産活用目的
図表1-3 狭義のナレッジ・マネジメントの4つのタイプ
(出典:野中、紺野11) 、p.70)
これに対して広義のナレッジ・マネジメントとは「知識経営」と呼べるもので、知識資産を共 有し活用するだけではなく、それらを織り込んだ知識創造のプロセス(SECI モデル)と、それ
10) たとえば山崎秀夫“新しい日本的経営を作るCMC上の非公式ネットワーク組織”、ナレッジ・マネジメント 研究年報、日本ナレッジ・マネジメント学会、2002、第4号、p.16.
11) 野中郁次郎、紺野登著、「知識経営のすすめ:ナレッジ・マネジメントとその時代」、ちくま新書、1999、pp.51-52.